パイロット版 プロローグ
1.
朝鳥達の鳴き声が、一日のはじまりを告げている。
「ん……」
アリアハン大陸南部に位置するアリアハン城。その城下町の一角に建つ、とある民家の二階の部屋。
カーテンの隙間から漏れる日差しを嫌うように、少女はベッドの上でもぞもぞと寝返りをうった。
窓の外では、もうかなり日が昇っていたが、身を起こす気配はまるでない。幸せそうな顔をしてまどろんでいる。
「……なさい」
良い夢でも見ているのだろうか、にへらと笑みを浮かべた少女の頬は、次の瞬間もの凄い力でぎゅうとつねり上げられた。
「ふぁ……っ?っふぇ、ひょ、ひたいひたいってば!!」
あまりの激痛に足をばたばたさせながら跳ね起きた少女の視線は、涼しげな微笑みと出会って凍りつく。
「お早う、マグナ。早く起きて仕度なさい」
「……」
マグナと呼ばれた少女は、無言のまま頬を押さえ、寝ぼけ眼に恨めしげな色を浮かべた。と、再び頬に手が伸びる。
「ちょっ、母さん分かった。起きます、起きますから。もう……毎朝、もうちょっとマシな起こし方ってないの?」
肩口まで伸びた髪に手を入れて、頭を掻きながら抗議する。
「なに言ってるの。あんたは、いくら呼んだって起きやしないじゃないの。こんな大切な日にまで寝坊するなんて、本当に呆れた子だわ」
「……大切な日?」
顔にうっすら笑みを貼りつけたまま、母親のまなじりがひくりと痙攣した。
「あ、うそ。はいはい、思い出しました」
「今日はあなたの16歳の誕生日。マグナがはじめてお城に行く日だったでしょ」
「そーでしたね、そういえば。そんなこともあったかな~、なんて。あ、『思い出した』っていうのはウソです。忘れたことなんてありません。ホントにちゃんと覚えてましたから、だからもうつねららいれ……ほっへはほへはうっ!!」
「朝ごはんできてるから。早く仕度しておりてらっしゃい」
万力じみた強さで娘の頬をつねっていた手を離し、何事もなかったような顔をして母親が部屋から出ていくのを確認すると、マグナはいーっとドアに向かって歯を剥き出した。
その途端に蝶番がギィと鳴り、マグナは慌てて頭から毛布をかぶって身を守る。
しかし、母親は戻って来なかった。どうやら、ドアがちゃんと閉じられていなかっただけのようだ。
「ったくもぅ、脅かさないでよ」
赤くなった頬をさすり、ぶつくさとひとりごちながらベッドを降りてドアを閉める。
着ていた寝間着をするりと脱ぎ落とし、この日の為に用意された旅装を箪笥から引っ張り出した。
「とうとう、この日が来たわね……」
下着姿でしゃがみ込んだまま、くつくつと肩を振るわせる。顔にはにんまりと満面の笑み。
アリアハンの勇者オルテガの娘マグナは、どうやら母親が期待していない方向で、なにかを企んでいるようだった。
2.
ところ変わって、アリアハン城の城門前。
すっかり旅支度を整えたマグナが、母親に連れられてやってきた。
「ここから真っ直ぐ行くとお城です」
「見れば分かるわよ」
母親の説明に、口の中で突っ込みを入れるマグナ。
「この日の為に、あなたを立派に育てたつもりです……なにか言った?」
「いいえ、お母様」
いい笑顔で即答。
じとっと睨みつける視線を、マグナは目配せで誘導する。周囲の人々がこちらを見ていることに気付いて、母親は軽くため息を吐いた。
今日、マグナが城にあがることは、アリアハンでは有名な話だ。中には、親子の顔を見知っていて、「ああ、そういえば今日があの」と見当をつけ、注目する者があっても不思議ではない。
とすれば、あまり無様な親子関係を見せる訳にもいかないだろう。なにしろこれは、「勇者が魔王退治へ出発する」図なのだ。
「まったく、この子は外面ばっかりよくなって……まぁ、いいわ。王様にちゃんとご挨拶するのですよ」
「はい、お母様!」
相変わらずいい返事をするマグナに、うそくせーというジト目を向けていた母親は、やがて力なくかぶりを振るのだった。
「……さあ、いってらっしゃい」
「それでは、行ってまいります、お母様」
きびきびとした返事を残し、マグナは颯爽と城門へ向かう。その姿は、旅立ちにあたっての勇者の立ち振る舞いとして不足のあるものではなく、事実、遠巻きの見物人達は感心したように彼女を見送っていた。
そんな中で、彼女の母親だけが怪訝な表情を浮かべている。
てっきり、直前になって「行くのは嫌だ」とゴネ出すものだと予想していたのだ。我が子ながら、世間体を気にしただけでは、あそこまで素直になる筈がない。
「……まぁ、いいでしょ」
どの道、駄々をこねても無理矢理出立させるつもりだったのだ。余計な手間がかからずに済んだと思うことにしよう。
「ようやく、自分の使命に目覚めたのかしらね」
口に出してみても信じられなかったので、マグナの母親は腑に落ちない微妙な表情を崩さぬまま、後ろ髪を引かれる様子で我が家に向けて歩き出した。
その後姿は、厄介ごとを無事に終えてほっとしているようにも見えたし、幾分淋しそうにも見えたのだった。