プロローグ
1.
勇者っているだろ?
かの有名なオルテガを筆頭に、アリアハン以外の大陸にも何人かいると聞く、いわゆるひとつのあの勇者。
彼らは、どうして勇者って呼ばれてるんだと思う?
その呼称は、俗に冒険者なんて言われている連中の「職業」とは訳が違う。
ルイーダの酒場に「勇者」で登録してるヤツなんていないし、何らかの認定方法が存在するという話も聞かないから、多分、自称したところでどこからも文句は来ないんだろう。
だが、そこらの兄ちゃんが唐突に勇者を名乗ったところで、そいつ以外は誰もそう呼ばないに違いない。
思うに、普通の冒険者にはできないような偉業を達成した、または成し遂げようという志を持った人間が、自然に周りから「勇者」と呼ばれるのではないだろうか。
例えば、魔王を退治したりとか。
そう、わざわざ英雄譚を紐解くまでも無く、勇者と言えば魔王退治。魔王退治と言えば勇者ってくらい、切っても切れない専売特許。
何故に魔王を倒すのかと問われれば、そこに魔王がいるからだと答え、東に瀕死の魔王があれば、行ってにこやかに止めを刺し、西に征服疲れの魔王があれば、殺して重荷を下ろしてやる、そういうモノになりたがるのが勇者という人種ではなかろうか。
なにしろ、この世界には実際にバラモスという魔王がいるのだ。わざわざ存在してくれているそいつを、葬らずにはいられない、それが勇者なんだと思っていた。
勇者は魔王を斃すもの。それがこの世界の常識であり、勇者の存在意義と言っても過言ではない筈だ。
だが——
「あたし、魔王を退治しになんて行かないわよ」
俺が出会った勇者様は、あっさりとそう言ってのけたのだ。
2.
自己紹介が遅れたが、俺の名はヴァイスという。次とか二番手とか、まぁ、そんな意味があるらしい。お察しの通り、次男だ。
ちなみに、長男の名前はエース。これが名前負けもいいところな兄貴なんだが、咎めるべきはロクに考えもせずに名づけた親の方だろう。
兄貴が家——といっても、平凡な農家だが——を継ぐ事が生まれた時から確定していたので、俺は追い出される前に自分から実家を離れて冒険者になった。
なった時分は、今よりもっと若かったので、決まった作業を繰り返す類いの定職に就くことに魅力を感じられず、毎日バカやって暮らせそうな冒険者でいいか、みたいなノリで割りかし気楽に決めた。
人並み以上の体力は無い代わりに、そこそこ頭は回ると自負していたので、職業には魔法使いを選んだ。なにしろ、離れたところから攻撃できるのがいい。
大体、剣を振り回して魔物の頭を叩き潰すとか、マジ無理ですから。どこの野蛮人ですか、その人。ぐちゃっとかいう感触が手に残って、ヘンな悪夢に苛まれそうだ。
その点魔法使いは、前衛の戦士や武闘家が特攻するのに合わせて、「ゆけい、我が下僕共よ!」とか心の中で号令すると、ちょっといい気分に浸れるところもオススメだ。
俺達冒険者は、アリアハンの城下町にあるルイーダの酒場に登録されている。そこで仲間を見つけてパーティを組み、退治した魔物の小片——種族によって個別に設定されている特徴的な部位を持ち帰り、それに応じた報奨金を得る。
バラモスが出現してからこっち、世界中に現れた魔物への対抗策として、アリアハンが独自に作り上げたこのシステムは、なかなかどうして画期的なものだ。
より報奨金の高い強力な魔物を、冒険者達が優先的に狩り倒した結果、この大陸では物騒な魔物はほとんど姿を見かけなくなった。
アリアハンの成功を見て、参考にしようという動きが他の国にも出てきたらしく、噂によれば、今もどこかの国の視察団が訪れているという話だ。
ルイーダの酒場の創設には、あのオルテガが携わっていたという説もあるが、詳しいことは俺も知らない。
3.
さて、そのルイーダの酒場で、最近たびたび口の端に上る話題がある。
いわく、あのオルテガの娘が、もうじき16歳になるそうで、父親の後を追って魔王退治の旅に出るらしい。果たして彼女のパーティのメンバーに選ばれる冒険者は、一体誰だろうか。
勇者のパーティに参加するのは、冒険者にとって最上級の名誉と言っていい。
なので、中には当然、俺しかいねぇだろ、みたいな顔をしてふんぞり返っているヤツもいる訳だが、ハン、馬鹿バカしいね。
名は体を現すとはよく言ったもんで、俺は奥ゆかしく控えめなタイプなのだ。
世界に平和を取り戻すだの、ご大層なことにはてんで興味がない。農家の次男坊に、民草の為に命がけで魔王と戦う義理もねぇしな。
そこそこの生活をそれなりに過ごせれば、満足なんです、自分。
という訳で、いよいよ勇者が出発する日である今日、ほとんどの冒険者が集まっている筈のルイーダの酒場に顔を出す気にもなれず、俺はちょっとした小遣い稼ぎに、城壁周辺に生息する弱い魔物を狩りに来ているのだった。
少し前まではパーティを組んでいたのだが、そいつらの余りのチンピラ振りに嫌気がさして袂を分かったので、現在はフリーの身だ。
魔法使いがひとりで狩りに出るなど、常識的にはあり得ない。だがまぁ、アリアハン城の周辺は特に弱い魔物しか出没しないから、問題ないだろうと踏んでのことだ。
なによりフリーになって最近、そこそこの生活すら危うい懐具合になってきたので、少しは無理をしてでも稼がないと、晩飯のメニューがまた貧相になっちまう。
ところが、本日の成果はまだナシ。
ホントに魔物が減ったよなぁ。城壁の中にいると「魔王ってナニ?食べれるの?」とか言いたくなるくらい平和だしなぁ。
正直、おまんまの食い上げになりつつあるので、アリアハンに倣った他国にルイーダの酒場と同様の施設が完成したら、冒険者達はそちらに移籍するようになるのかも知れない。
なんてことをぼんやり考えていると、西の城門の方からつぶやき声が近づいてくるのが聞こえた。
4.
声の主は、少女だった。
乱れた髪や服の裾をしきりと気にして、ぱたぱたと叩いたり手で直したりしながら、街道をこちらに向かって歩いてくる。
「ホントもう、冗談じゃないわよ。見送り多過ぎだっての。もみくちゃにするからぐしゃぐしゃになっちゃったじゃない。どさくさに紛れてヘンなとこ触るヤツはいるし、も~」
開けた街道を歩いている彼女の姿はこちらからよく見えるが、城壁と街道に挟まれた森の中にいる俺の存在に、向こうは気がついていないようだった。
「大体、あたしを拝んでどうしようってのよ。神様扱いするんなら、お供え物くらい持ってきなさいよね」
少女の旅装には見覚えがあった。祭の時などに飾られる、勇者の絵のそれによく似ている。
ひょっとして、あれ、勇者か?
少女は相変わらず俺に気付く様子もなく、隠しから皮袋を取り出して覗き込んだ。
「さ~て、幾ら入ってるのかな~……って、なによこれ!50ゴールドぉっ!?ちょっと、信じらんない。魔王を斃してやろうっていう勇者様に、王様が渡す金額なの、これ?ま、別に魔王なんて斃さないんだけどさ」
少女は立ち止まって、はぁ~っと深くため息をついた。
「どんだけケチなのよ、あの王様。にしても、アテにしてたのに、困っちゃったなぁ……こうなったら、お城の宝物庫に忍び込んで——」
俺がはっきりと聞いていたのは、そこまでだった。
上空から、大鴉が音も無く滑空してくるのが視界に入ったからだ。
狙いは少女。またしても気付いてない。クソ、やたら注意力が散漫な勇者様だな。
『メラ』
「きゃあっ!?」
俺の放った炎弾が、いきなり頭上で炸裂して、少女は悲鳴を上げた。
すぐ脇にぼとりと落ちた、こんがりローストの鶏肉から跳び離れ、腰の剣を抜こうとしてるのかなんなのか、わたわたとヘンな動きをする。
「大丈夫。もう死んでる……プッ」
せいぜい格好つけて登場しようとした俺は、彼女の慌てふためく様がツボに入って思わず吹き出してしまった。
5.
下生えを踏みしだいて街道へ出た俺を、少女は目を丸くして迎えた。
「……ずっと、そこに居たの?」
「まぁな」
大鴉の成れの果てに歩み寄り、腰をかがめて嘴をもぐ。今日の晩飯代くらいにはなるかな。
「……なに笑ってるのよ」
照れ隠しのつもりか、少女はキッと俺を睨みつけてきた。
まぁ、顔立ちは整っていると言っていいだろう。美人というには歳が若すぎるが、あどけなさを残しているのが、逆にポイント高い。
旅装の上からも分かるすらっとした肢体は、まだ色気こそ皆無ではあるが、それを補ってあまりある生命が躍動するような瑞々しさを……って、いやいや、何を考えてんだ俺は。
「いやぁ、別に笑ってませんよぉ」
いかん。いつもの癖で、つい馬鹿にしたような口調になっちまった。
「どこがよ!あのね、あんたなんかに助けてもらわなくても、ちゃんとあたしだって気付いてたんだから!余計なことしないでよ!」
「ああ、ゴメンゴメン」
ダメだ。これじゃ、神経を逆撫でするだけだ。
「ホントなんだから!母さんに嫌ってほどしごかれたから、剣にはちょっと自信あるんだからね!」
俺の返しもアレだが、どうやらコレは、相当な負けず嫌いだな。
「ああ、済まない。笑ったりして悪かったな」
こういうタイプには一番手っ取り早いことを経験上知っていたので、俺はできるだけまじめぶって、素直に謝罪の言葉を口にした。内心は、にやけ顔を堪えるのに必死だった訳だが。
案の定、効果はてきめんだった。
「わ、分かればいいのよ……まぁ、いちおうお礼は言っておいてあげる」
性格的に、謝意を表すことに慣れていないのだろう。頬を赤くして、目線をあらぬ方向に泳がす少女の様子は、ちょっと微笑ましかった。
6.
「で、勇者様がお供も連れずに、なんで一人で旅立ってるんだ?」
俺は、さっきから気になっていたことを、少女に尋ねた。
「あ、やっぱり勇者って分かっちゃう?」
そりゃ、そんな勇者丸出しの格好をしてればな。
「なんでって言われてもね。元々、ひとりで行くつもりだったし」
「おいおい、パーティも組まないで魔王討伐に行くのかよ。そりゃ、ちょっと無茶じゃねぇのか?あ、剣に自信のある勇者様にとっては、そうでもないって訳か」
つい皮肉が出ちまうが、性格だから仕方がない。
「うるっさいわね。っていうか、その勇者様っての、止めてくれない。あたしは、マグナ。マグナって呼んで」
「はいよ。俺はヴァイスだ」
つられて律儀に自己紹介しちゃう俺って、可愛いよな。
「別に無茶じゃないわよ」
はい?
一瞬、話の繋がりを見失いかけたが、ああ、さっきの続きか。
「いやまぁ、別にひとりでいいなら構わないけどな。今頃ルイーダの酒場では、勇者のパーティに加わる栄誉にあずかろうってヤツらが、今や遅しと主役の登場を待ち侘びてる筈だからさ……」
「そういうあんたは、なんでルイーダの酒場じゃなくて、こんなトコにいるのよ。いちおう冒険者なんでしょ?」
「いや、俺は魔王退治の名声とか、あんま興味ねぇし……」
本人を目の前にしては、さしもの俺の歯切れも悪くなる。
「勇者のあたしにも、特に興味はなかった、と」
その通り。とは口に出さなかった。
「顔も知らなかったみたいだもんね。まぁ、そのくらいの方が、却って都合いいかな。魔王を倒しに行きましょう!なんて、下手に張り切られると困っちゃうしね……なにヘンな顔してんのよ」
どうやら、俺は怪訝な表情をしていたようだ。
目の前の勇者様が何をおっしゃっているのか、いまいち理解できないからなんだが。
「さっきの独り言、聞いてたんでしょ?あたし、魔王を退治しになんて行かないわよ。だから、ひとりで行くのは無茶じゃないの」
7.
魔王をほったらかしにする勇者なんて、アリなのか?
きっぱりと魔王退治に向かわないことを宣言した勇者様は、絶句した農家の次男坊を置き去りにして、話を勝手にどんどん進めていくのだった。
「でも、あんたの言うことにも一理あるかな。アリアハンを出るまでだって魔物はうろうろしてるんだし、確かにひとりじゃ危ないかも。パーティって、普通は四人で組むんでしょ?あと二人、あんたみたいに都合のいい人が、どっかに落ちてるといいんだけど」
おい、ちょっと待て。絶句してる間に、俺は面子入り決定なのかよ。
「うん。だって、あたしが魔王退治に行くつもりがないこと知られちゃったし。ほっといて、ヘンな噂を流されても困るのよ。あたし、アリアハンでは完璧な勇者じゃなくちゃいけないから」
全然ハナシについていけないんですが。
「バカね。あたしが勇者やーめた、とか言ったら、どうなるか分かんないの?」
分からん。どうなるんだ。
「そりゃもう、知ってる人から知らない人まで、考え直せー、お前にしか出来ないんだー、って朝から晩まで物凄い勢いでつめよってくるんだから!?ホント凄いのよ!?あんなの、もうこりごり」
やたらと実感が篭もっていた。ああ、なるほど。経験済みな訳だ。
「逆に、あたしは当然、魔王退治に向かうもんだと周りに思わせておけば……そうね、ウチの父親知ってるでしょ?」
「オルテガ……さんだろ?」
まぁ、このアリアハンでは知らないヤツの方が少ないだろうな。間違いなく。
8.
「そう。あの人、どっかの火山に落ちて死んだとか言われてるんだけど」
そいつは初耳だ。
「でも、ホントのところは良く分かってないの。だから、まだ魔王を倒す旅を、自分達の為に続けてくれているに違いない、みたいに信じ込んでる人も多いわ」
やけに他人行儀な口振りだったが、オルテガが最後に出発した頃、マグナはまだホンの子供だった筈だ。ほとんど記憶もない肉親は、面識のない他人と大差ないということか。
「つまりね、皆が思い描くような完璧な勇者としてとにかく旅立って、アリアハンさえ出ちゃえばこっちのモンなのよ。後はあたしがどこで何をしてようと、今もマグナは一生懸命、世界の平和の為に頑張ってるに違いないって、勝手にそう思ってくれるんだから」
ははぁ。大体飲み込めてきた。
「反対に、万が一にも、魔王退治を放棄したなんてことが知れたら、旅立った先にも説得する為に人が差し向けられるに決まってる。それが母さんだったりしたら、もうサイアク」
マグナはぶるっと身を震わせた。どうやら、余程厳しい母親らしい。
「それがバレないように、あたしがどれだけ我慢して我慢して、今まで立派な勇者の卵を演じ続けてきたか、その苦労があんたに分かる?その何年分の苦労が、野放しにしたあんたがポロッと口を滑らせただけで、全部パーになっちゃうんだから!」
そいつは気の毒だな、と思わないでもない。これが、他人事だったらな。
「つまり、口止めじゃ不十分なの。あんたはあたしの目の届くところに置いておくか——」
マグナは妙に据わった目をして、腰の剣に手を伸ばした。
「ここで殺していくしかないんだけど、そっちの方がよかった?」
俺は、急いで首を左右に振ってみせる。
「そう。よかった。物分りが良くて助かるわ」
にっこりいい笑顔。
仮にも命の恩人を脅迫するとは、いい根性してやがんな。
9.
「それにしても、そんなに魔王退治に行きたくないモンなんだな」
「あったりまえじゃない!!」
何気なく感想を口にしたつもりが、物凄い剣幕で怒鳴られて、俺は慌てて言い繕う。
「いや、違くて。勇者って言ったら、魔王退治に出かけるもんだって思ってたからさ」
「それよ!」
どれよ?
「なんでこんなにか弱い女の子が、勇者の娘っていうだけの理由で、魔王を退治しに行くとか、みんな勝手に思い込んでるの!?」
その見解には一部に異論があったが、口には出さないでおいた。
「大体、なんではじめから、あたしが勇者って決まってるのよ!勇者って世襲なの?違うでしょ!ホント、いい迷惑。そもそも親子二代に渡って魔王退治を押し付けるって、どんだけ図々しいのよ、って話じゃない?ねぇ、そうでしょ?」
もしここに机があったら、確実に握りこぶしでドンドン叩いてる勢いだ。
「ああ、そうだよな。いやホント」
「心が篭もってない!」
「そんなことないって。言われてみれば、その通りだ。確かに、そう思うよ」
全然信じて無い目つきをするマグナ。人を信じられないって悲しいよな。
俺は必死に話題を逸らそうと頭を働かせる。
「あ~、でもさ……」
「なによ」
「つまりその、魔王退治に行くんじゃなきゃ、アリアハンを出てなにするつもりなんだろうな~、とか」
「それはもちろん、お……って、そんなこと、別にあんたに言う必要ないでしょ!」
何故か、恥ずかしそうに頬を紅潮させる。なんだ?
意外にも乙女趣味があって、お姫様になりたいとかなのか?残念ながら、それこそなろうと思ってなれるもんでもないぞ。
マグナは自分を落ち着かせるように、わざとらしい咳払いをひとつした。
「まぁ、とにかくそんな訳だから、最低でもアリアハンを出るまでは、ずっと一緒に居てね」
マグナの事情しか考慮されてない、ひどく自分勝手な言い草なんだが。
台詞だけなら、なんだかちょっとした愛の告白みたいで、悪い気分がしなかったのは、我ながら度し難い。
俺の表情で気付いたのか、マグナは再び顔を真っ赤にした。なんとも忙しいヤツだ。
「ちょっと、勘違いしないでよ!?そういうヘンな意味じゃないんだから!」
「ちょ、叩くな!分かってるって——」
端から見たらじゃれあっているように見えたかも知れない俺達の耳に、小さくか細い悲鳴が届いた。
10.
俺は反射的に、微かな悲鳴が聞こえた方に顔を向けた。
すぐ近くって訳じゃなさそうだが、辛うじて声が届く範囲の距離だ。
まぁ、放っておく訳にもいかないだろう。魔物が人を襲っているのだとしたら、今日の成果の上積みが期待できるし、ひょっとしたら追加で謝礼まで手に入るかも知れない。
今度は、マグナも気付いたようだ。
俺と目を合わせて、小さく頷く。
「こっちよ!」
確信に満ちて断言し、俺が見た方とは真逆に向かって走り出そうとする。
「いやいやいやいや、ちょっと待て」
「なによ、あんた、今の悲鳴が聞こえなかったの?」
聞こえたから言ってるんだが。
「逆だ、逆。大体、そっちはお前が今、通ってきた方だろうが」
「嘘よ。絶対、こっちから聞こえた!」
ラチあかねー。
「分かった。俺が間違ってたら、なんでもひとつ言うこと聞いてやるから、とにかく今はついこい」
こんな約束はしたくないんだが、なにしろ緊急事態だ。時間が惜しい。
俺が出血大サービスな提案をしてやったのに、マグナは不満げに唇を尖らせた。
「ついてこいって、なんか偉そう」
余計なトコに引っかかってんじゃねぇよ。
「いいから、急ぐぞ!こっちだ」
「……まぁ、そんなに自信があるんなら」
後ろでぶつくさ言うマグナ。
こいつ、絶対カンで断言してやがったな。
「でも、なんでも言うこと聞くって約束、忘れないでよね」
「分かった分かった。足音あんまり立てんなよ」
俺はマグナを従えて、再び森に分け入った。
11.
地面に落ちた枝葉をなるべく踏まないように気をつけながら、悲鳴の発信源に向かって先を急ぐ。
道すらが、少々意外だったこともあり、小声で「人助けはするんだな」みたいな言葉をマグナに投げると、「当たり前じゃない」と呆れたように返された。
「魔王を退治するのと、困ってる人を助けるのは、全然別の問題だわ。あんただって、人助けくらいしたことあるでしょ。でも、魔王を斃しに行こうとは思わない。それと同じよ」
そりゃそうだな。まぁ、人並み程度の正義感は、普通に持ち合わせている訳だ。
離れているといっても、声の届く距離だ。ほどなくして、話し声や物音がはっきりと聞こえてきた。
「……っ!な——」
急に止まった俺の背中に鼻をぶつけ、文句を言いかけたマグナの口を掌で塞ぐ。
「近い。こっからは、物音を立てるな」
耳元で囁くと、マグナはくすぐったそうな素振りを見せた。やっぱ、まだガキだな。
すぐそこの、森が少し開けた場所が目的地だった。
俺は上手い具合に身を隠せそうな繁みを見つけると、低く腰を落としてその陰に移動した。
ところどころを藪に遮られた視界に、見知った顔を確認して、ため息をつきたくなるのをなんとか我慢する。コメカミは押さえた。
話し声が聞こえた時から、嫌な予感はしてたんだよな。
そこには、先日まで俺と組んでいたチンピラ兄弟の姿があった。
今日という日にルイーダの酒場にも行かず、城外に出ていた物好きが、俺の他にもいたって訳だ。
まぁ、こいつらは間違っても、世の為人の為に魔王を退治しようなんてタマじゃねぇからな。どっちかと言えば、魔王の部下の方がお似合いだ。
冒険者なんざ、どいつもこいつもゴロツキと大差ないが、この兄弟はその中でも最悪の部類と言っていい。
それにしても、魔物に襲われている訳でもなさそうだし、こいつら一体何やってんだ?なんかモメてるみたいだが。
と、ゴリラのように大柄な兄貴の陰に隠れて、それまで見えなかった人影を認めた瞬間、俺はちょっと息を呑んだ。
12.
「お願いします。止めてください」
涙声で必死に懇願しているのは、格好からしてどうやら僧侶と思しい少女だった。
はっきり言って——滅茶苦茶可愛い。ちょっと見たことがないくらいの美少女だ。なんだありゃ、あんな娘、ルイーダの酒場で見たことねぇぞ。
おそらく、歳はマグナと同じか少し下くらい。腰の上まで伸びた淡い金髪が、きらきらと輝いて見える。
しかし、まぁ、なんつー綺麗な顔をしてやがるんだ。泣き顔まで可愛い女なんて、そうそういるもんじゃないぞ。
俺が軽い思考停止状態に陥っている間にも、当然ながら話は進んでいた。
「さっきから、なに分かんねぇことほざいてやがんだ、あァッ?世の為人の為、魔物を退治するのが、俺たち冒険者の仕事ってモンだろうがよッ!」
甲高い声は、ネズミみたいな弟の方だ。相変わらず小せぇな。こいつらが実の兄弟だってのが、未だに信じられねぇよ。
「それとも何か?手前ェは、冒険者の分際で魔物の味方をしやがんのかッ!」
語気荒く怒鳴られて、少女はびくっと全身を竦ませた。
良く見ると、怯えで細かく全身が震えている。いかにも精一杯の勇気を振り絞ってチンピラ兄弟に歯向かってます、みたいな感じが超健気。
「そんなこと……でも、その子は……」
少女が見上げる視線の先、ゴリラ兄貴が掲げた右手には、ぐったりとしたスライムが握られていた。既にかなり痛めつけられている。
「その子は……人に慣れてるみたいでした。逃がしても誰かを襲ったりしないと思います。お願いですから、逃がしてあげてください」
スライムは、知られている限りもっとも弱い魔物だ。妙に人に慣れるし愛嬌もあるので、最近では愛玩用に人間に飼われることすらある。
お前ら、今さらスライムなんて狩ってんじゃねぇよ。恥ずかしいヤツらだな。
13.
スライムを救出しようと、両手を上に差し伸べて、少女はぴょこんぴょこんとゴリラの周りを飛び跳ねる。
ヤバい、可愛すぎ。鼻血出そう。
しかし、さすがはゴリラ。人間の少女の可憐さは、ぜんぜん通じないらしかった。
「うざってぇ」
「あぅっ!」
バチン、と乾いた音が響き、弾き飛ばされるようにして少女は地面に転がった。ゴリラが腕力に任せて、空いた方の手で彼女を引っ叩いたのだ。
信じられん。あんな美少女に、なんでそんなヒドい仕打ちができるんだ?前からそうじゃないかと疑ってたが、やっぱりアレか?ホモ兄弟か?そうなんだな?よし、決定だ。
「う……止めて……ください。可哀想です……」
地に伏しながらも、懸命に顔を上げて哀願する少女。はられたところが、後で腫れないといいんだが。
「ちッ、気持ち悪ぃんだよ、手前ぇは」
そう吐き捨て、男色ゴリラは手近な木の幹にスライムを投げつけた。
どちゃっと鈍い音を立ててスライムは幹に貼りつき、ずるずると落ちていく。
「いやーっ!!」
「うるせぇッ!テメェは、大人しくホイミ唱えてりゃいいんだ、ボケが!」
あろうことか、まだ地面に倒れたままの少女の腹を、ゴリラは蹴り飛ばした。小柄でいかにも軽そうな少女は、二転三転して苦しそうに激しく咳き込む。
おい、手前ぇ。別に男色が悪いとは言わないが、いくら女色に興味が無いからって、そりゃやり過ぎじゃねぇのか。
思わず俺が身を起こすより早く、繁みを掻き分けて飛び出す女がひとり。
やべぇ、こいつのことをすっかり忘れてた。
14.
「ちょっと、あんた達!なんてことしてんのよ!」
繁みに引っかかった裾を引っ張りながら、マグナは大声で怒鳴った。あんまり格好はよくない。
「そこのゴリラとネズミ!あんた達のことよ!」
うん、やっぱりそう見えるよな。
きょとんとしているゴリラとネズミを、ようやく繁みから抜け出したマグナはびしぃっと指差した。
「冒険者の……いいえ、人間の風上にもおけないってのは、あんた達のことだわ!お仕置きが必要ね!ちょっと懲らしめてやんなさい、ヴァイス!!」
威勢のいい口上を発して、マグナは後ろを振り返る。
悪いな。俺、もうそこには居ないんだ。
つか、俺にやらせるつもりだったのかよ。
「え?あれ?ちょっとヴァイス?」
「ヴァイスだぁ?」
それまで呆気にとられていたゴリラは、俺の名前に反応して唸り声をあげた。手前に気安く、俺の名前を口にして欲しくねぇよ。
「そいつァまさか、あのクソったれのことじゃねぇだろうな?えぇッ、お嬢ちゃんよ?」
「あのって、どのよ」
「あのッつったら、いけ好かねぇにやけ顔のヴァイスに決まってんだろが。バカか、おめぇ」
馬鹿はお前だ。
「バカはあんたよ」
俺の内心の声と、マグナの切り返しは、見事にハモった。
「そんな説明で、あんたが誰を思い浮かべてるかなんて、あたしに分かる訳ないでしょ。ちょっとは頭を使いなさいよね」
「あぁッ!?口の減らねぇアマだな。なんなんだ、手前ぇは?いきなり出てきて、ナメた口ききやがって。喧嘩売ってんのか、コラ?」
「あら、今さら気付いたの?ホントに頭悪いのね」
売り言葉に買い言葉かよ。やっぱりこいつ、気が強いわ。
しかし、剣に自信があるって言葉が真実だとしても、流石にその体格差はキツくないか?
マグナの格好を目の前にしながら、何者かを理解していないゴリラとネズミも、どうかと思うが——いや、無理か。実際のゴリラとネズミより頭の悪そうな、学も常識も無いチンピラに、そんなの期待する方がおかしいよな。
「止めとけよ。その人、勇者様だぜ」
もう目的の地点まで辿り着いていたので、俺は諭すように連中に声をかけた。
15.
思いがけない方向からした声に、その場にいる全員が俺の方を振り向いた。
兄弟の注目がマグナに集中している間に繁みを迂回した俺は、木の根元からスライムを拾い上げて状態を確かめる。
よし、さすがは腐っても魔物だ。まだ生きてるな。
「兄貴、野郎だ!」
うるせぇ、ネズミ。お前のその甲高い声は、カンに障るんだよ。
「手前ぇ、ヴァイス。よくもおめおめと、その面ァ俺達の前に出しゃあがったな」
できれば俺も、一生出したくなかったんだが。
「この小娘が勇者だぁ?笑わせるぜ。手前ぇ、俺をバカにしてんのか」
「ちょっと!どういう意味よ!」
マグナの突っ込みを聞き流し、兄弟揃って憎々しげに俺を睨みつける。
さらにそれを無視して、俺はまだ苦しそうにムセている僧侶の美少女に歩み寄った。
「大丈夫かい?」
壊れ物を扱うように、そっと抱き起こす。
軽っ。
「ほら、これ。まだ生きてるよ」
少女にスライムを手渡してやる。
すると、顔は苦痛に歪んだままだが、濡れた瞳にほんのり嬉しそうな色を浮かべて、少女は俺を見上げてきた。
うわ、ちょっとヤバいです、コレ。なんか、キました。
「ありがとう……ございます」
左手でスライムを愛しげに抱え、右手で俺の袖の辺りを握ってくる。小動物が甘噛みをするような、その絶妙な力加減に、俺は全身がゾクッとするのを覚えた。
野郎、こんないいコに、ひでぇ真似しやがって。男色兄弟、許すまじ。
俺は今、生まれて初めて、保護欲というものをひしひしと実感していた。
17.
「手前ぇコラ、ヴァイス!聞いてんのか、この野郎!この火傷の恨み、忘れたたァ言わせねぇぞ」
ゴリラは、頬の辺りにできたひきつれを、これ見よがしに突き出してみせた。
フン。あの時は、僧侶が俺と結託してたからな。示し合わせて放置したんだよ。治癒が遅れて痕が残ったみたいだが、デカい図体して小せぇことを、いつまでもゴタゴタ言ってんじゃねぇよ。
「今までコソコソしてやがったのに、わざわざ俺達の前に面ァ出すたぁ、いよいよ覚悟しやがったんだな?そうじゃねぇなんて言いやがっても、こうなりゃ逃がしゃしねぇぞ。ここできっちり、落とし前をつけてもらおうじゃねぇか」
「そうしようぜ、兄貴」
とネズミ。ホントに太鼓持ちがよく似合う奴だよ、お前は。
「そっちのアマッ子も、勇者だかなんだか知らねぇが、邪魔するってぇなら容赦しねぇぞ」
マグナを視線で威嚇しつつ、腰のだんびらをズラリと抜くゴリラ兄貴。
その顔には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
「なぁに、俺様も鬼じゃねぇんだ。片腕落とすくらいで勘弁してやらぁ」
「そいつはありがたいな——なんて言うとでも思ってんのか?」
「いやいや、遠慮すんなよ」
くいっと袖を引かれて、俺は視線を落とした。
心配そうに眉根を寄せる少女に、精一杯優しく微笑みかける。
「大丈夫だよ。心配しないで」
今の自分の姿を傍から眺める、なんて芸当が可能だとしても、多分、恥ずかしさのあまり直視できないに違いない。
なに爽やかな笑顔とか作ってちゃってんの、俺。口調まで変わってるじゃねぇか。似合わねーっての。大体、大丈夫とか、勝算なんてまるで思いついてない癖に、なに言ってんだ。
頭の隅っこの方で盛大に湧き起こる突っ込みを意識しつつも、とにかく俺は、彼女を安心させてやりたかったのだ。
18.
「そいつと自分にホイミをかけて、後ろに退がっててくれるかな」
心配そうに幾度も振り向きながら少女が離れていくのを見届けると、俺はゴリラを睨みつけて牽制しつつ立ち上がった。
こちらも既に抜刀しているマグナが、構えた剣を兄弟に向けて摺り足でにじり寄ってくる。
「もう、なに勝手なことしてんのよ!さっきはいきなり居なくなってて、ホント焦ったんだからね!」
「済まん。悪かったよ」
「まぁ、もういいけど……こいつら、あんたの知り合いなの?」
「ああ、ちょっとな……」
うん?剣を持つ手が、微かに震えているように見える。こいつ、もしかして実戦は初めてなのか?
勝算がさらに低くなっちまった気がするが、やり合わずに切り抜けられるような雰囲気では、既になくなっている。俺としても、片腕を失うのは御免だしな。
マグナは、どっちかと言えば俺のとばっちりを受ける格好だし、なるべく迷惑はかけたくない。
となれば、先手必勝。向こうも多少は俺の呪文を警戒しているのか、牽制し合ってる今がチャンスだ。
奴らの頭にある俺の呪文といえば、ゴリラに火傷を負わせたメラだろう。連発できるような代物じゃないから、奴らは俺が自分達を同時に攻撃できるとは思ってない筈だ。
だったら、手前ぇらの前じゃ唱えなかった呪文をくれてやる。
『ギラ』
呪文が発動して、兄弟の周りを囲むように炎壁が立ち昇る。
「ぐぁっちっ、てめぇ!クソッ、また火かよ!」
呪文は違うけどな。しばらく動けなくなる程度の火傷を負ってもらおうか。なに、一発じゃ死にやしねぇよ。
だが、炎に巻かれたのは、兄貴の方だけだった。
「ヒァッ!」
クソッ、さすがは盗賊。はしっこく外してやがる。
素早く炎壁を回り込んだネズミのナイフは、俺を切り裂く直前で金属音と共に弾かれた。
「剣にはちょっと自信があるって言ったでしょ!」
ナイフを打ち落とした反動で、跳ね上がった剣を再び振りかぶった体勢で、マグナは得意げな目をして俺に視線をくれた。
19.
「ちッ」
攻撃をしくじったネズミは、一旦飛び離れる。
「あんたね、なんかするなら、合図くらい送りなさいよね」
「ああ、悪ぃ。次から気をつけるよ」
いや、ホント悪かった。正直、見くびってたよ。負けん気が強いだけあって、いざとなった時のクソ度胸と思い切りの良さは一級品みたいだな。
「次!デカいのが来るわよっ!」
「てめえぇッ!よくもぉッ!!」
またしても俺に焼かれることになったゴリラが、焦げた臭いを撒き散らしながら殺到する。
手前ぇは体力あり過ぎるんだよ。ケダモノらしく、火を畏れて引っ込んでりゃいいのに。
「死にやがれッ!!」
片腕で済ましてくれるんじゃなかったのかよ。
力任せに振り下ろされたゴリラの大剣が、ざっくりと地面に突き刺さる。頭に血が昇りまくっているせいか、やたらと大振りだったので、どうにか俺達は左右に身を躱した。
「ふッ!」
すれ違い様に、マグナが胸鎧の辺りを剣の腹で叩く。わざわざ俺が言い含めるまでもなく、元から殺す気は無いようだ。
マグナの一撃で生まれた隙を、俺は見逃さなかった。
『ヒャド』
「ぐあッ!」
足元を凍りつかされて、前のめりに倒れるゴリラ。
「てめぇ、くそッ!この野郎!」
「暴れんなって。ちょっとだけ待っててくれりゃ、上半身の火傷も冷やしてやるからよ」
やがて、俺がもう一度ヒャドを唱えようとした、その時——
「動くんじゃねェッ!」
ネズミ野郎の甲高い声が木霊した。
20.
髪を乱暴に引っ掴み、ネズミ野郎は美少女僧侶のか細い首筋にナイフを当てていた。
「……最低」
マグナが呟くのが聞こえた。俺も全く同感だ。
それにしても、失敗だった。退がれじゃなくて、逃げろって伝えるべきだったな。
「なんのつもりだ?そのコは、お前らの仲間だろうが」
「うるせェッ!手前ぇらみたいな偽善者には、コイツが一番よく効くのは分かってんだぜ?」
自分でも思いがけないことに、言い返せなかった。普段の俺ならいざ知らず、今回ばかりは否定できない。
見ろよ、可哀想に。あんなに怯えちまって。
「でかしたぞ、弟よ!分かってんだろうな、ヴァイス。もう片腕じゃ済まねェぞ」
ゴリラは俄然勢い付いて、足元の氷を砕こうと暴れまくる。あの様子だと、すぐに自由になっちまいそうだ。
どうする。ネズミだけを、呪文で狙い撃てるか?
無理だ。それに、呪文が届く前に首を掻っ切るくらいのことは、すばしっこいネズミならやるだろう。
かといって、マグナの剣じゃもっと無理だ。駆け寄る前に、あの娘が殺されちまう。
駄目だ。どうにもならねぇ——
俺は、自分が自己犠牲の精神に溢れた男だなんて思ったことは、一度もない。どちらかと言えば、他人を犠牲にしてでも助かりたい方だ。その他人が、ついさっき見知ったばかりなら、なおさらだ。
だから、自分の考えていることが信じられなかった。
我ながら、どうかしている。
しかし、気が付いた時には、俺の腹は決まっていた。
あの娘を見捨てるのは、俺には無理だ——
「分かったよ。好きにしろ」
「ちょっと、ヴァイス!?」
慌てた声を出すマグナに、俺は肩をすくめてみせる。
悪いな。お前の旅に付き合うのは、どうやら無理そうだ。でもまぁ、口封じの手間が省けたと思って諦めてくれ。
「ただし、約束しろ。そのコには、傷ひとつ付けるなよ。万が一にも傷つけて、跡が残ったりしたら承知しねぇぞ。女の子の傷跡は、手前ぇらボンクラ共のとは、訳が違うんだからな」
こんな気持ちは生まれて初めてで照れ臭いのだが、あの娘が傷つくことだけは我慢できない。自分がやられた方が万倍マシだ。
この時の俺は、心の底からそう思っていた。
ところが、俺の一世一代と言っていいくらい真剣な台詞は、何故か爆笑で迎えられたのだった。
21.
「やっぱりな。そんなこったろうと思ったぜ」
うるせぇ、笑ってんじゃねぇぞ、このゴリラ野郎。何がやっぱりだ。
「さんざ格好つけやがって、ざまァねぇな!」
とネズミ。こいつら、何をゲラゲラ笑ってやがるんだ。
そこまで俺の台詞は臭かったのか?
今さらのように、顔が熱くなるのを自覚する。
「ケケ……気持ちよく騎士を気取ってるトコ悪ぃけどよぉ」
弄うような嫌らしい笑みを浮かべ、ネズミはさもおかしそうに続けた。
「こいつ、オトコだぜ」
俺は、何を言われているのか、さっぱり分からなかった。
もったいぶっといて、何を言ってやがるんだ、このネズミは。
「だったら、なんだってんだよ?」
大体、オトコって何だ?ネズミ語か?
なにをキョトンとしてやがんだ、この野郎。人間様に分かる言葉を話しやがれ。
「ハァ?だってお前ェ、こいつのこと女だと思ってたんじゃねぇのかよ?」
何を、分かりきったことを。これ以上ないくらいの美少女じゃねぇか。
「それがどうした」
「いや、こいつはオトコだって言ってんだよ」
「だから、さっきからオトコってなん……」
……は?
え~と、ちょっと待て。あれ?オトコって、人間の言葉だっけ?
そういえば、聞き覚えがあるような。でも、オトコって、何だ???
オとコ。おトこ。オトこ。おトコ。
オ ト コ
ネズミの発した言葉は、俺の頭の中で単なる音に分解されて意味を失った。真っ白になった意識の中で、必死にそれをかき集めると、徐々に再構築されていく。
ああ、なんだ。オトコって男か。俺とかネズミとかゴリラとかの性別。いや、あいつらは雄だっけ……って
「はあぁっ!?」
大声と共に脳みそがどっかに素っ飛んだように、俺の思考は停止した。
「おせっ」
と、ネズミに突っ込まれた屈辱にも、この時は気付いていなかった。
「ゲハハ。笑わせてくれるぜ。さてと、そんじゃお言葉に甘えて、手前ぇを好きにさせてもらうおうか。今さら止めたなんてのはナシだぜ、騎士様よ?」
バキン、と氷が割れ砕ける音がした。
サティスティックな笑みを浮かべながら、のっそりと立ち上がるゴリラの姿を、俺はまるきり遠い世界の出来事のように見つめていた。
22.
ゴリラを止めようとしたマグナが、横殴りの剣に弾き飛ばされるのが、ひどくゆっくりと見えた。
なんとか剣で受けてはいたが、踏ん張りきれずに地面に倒れ込む。
ザンッと、どこかで枝が鳴る音を遠くに聞いた。
「まずは右腕だぁ!」
などと吼えながら、ゴリラが俺目掛けて剣を振り下ろす。
馬鹿か。その太刀筋は左腕だろ。
ほとんど他人事のようにそんなことを考えていた俺は、背後で着地音がした瞬間、斜めにぐいと腕を引かれて尻餅をついた。
「なんだぁっ?」
手応えなく、またしても大地を耕したゴリラが怪訝な声をあげる。
「避けないと、危ないよ?」
へたり込んでいる俺に、にこっと笑いながら手を差し伸べたのは、ひっつめ髪の少女だった。
……誰だ。
「キミは、あっち」
ぼんやりと手を握り返して立ち上がった俺は、勢い良く振り回されるようにしてマグナに向かって放られた。
「——きゃっ!ちょっと、どきなさいよ!」
つんのめってマグナに覆いかぶさった俺は、下でマグナが暴れるのも気付かずに、のろくさと後ろを振り返る。
少女——格好からして、おそらく武闘家——は、すたすたと無造作にネズミの方に歩み寄っていた。
「なんなんだ、手前ぇは?どっから降ってきやがった!?」
「あそこ」
武闘家の少女は、頭上に張り出した枝のひとつを指差す。
「うるせぇッ!こっち来んじゃねぇよ!」
ネズミは突然の出来事に慌てたのか、迂闊にも僧侶の首に当てていたナイフを前に突き出して押し留めようとする。
次の瞬間、ナイフはネズミの手の内から消失していた。
「こんなの、人に向けちゃダメだよ」
指に挟んだナイフを、武闘家の少女はひらひらと振ってみせる。
なにが起こったのか分からないように、空になった自分の手と、いつの間にか少女の元に移動したナイフを、ネズミは呆然と見比べた。
「えい」
ネズミの手をチョップして、掴んでいた僧侶の髪を離させる。
「キミも、あっち」
とんっと背中を突いて、武闘家の少女は僧侶をこちらに押しやった。
「はい、返すよ」
なんだかエラく簡単に俺と僧侶を助け出した武闘家の少女は、ナイフの柄をネズミに向けて差し出した。
23.
唖然としていたネズミは、引っ手繰るようにしてナイフを奪い返す。
「てめぇ……」
腰を落として低く構える。
眼前の少女に只ならぬものを感じているのか、目が完全に据わっていた。
それをまるで気にした風もなく、武闘家の少女はマグナに向かって手を振って呼びかける。
「やあっ!キミが勇者ちゃんでしょ?ルイーダの酒場でいっくら待ってても来ないからさ~。表に出て聞いてみたら、もう出発しちゃったって言われて。慌てて追いかけてきたんだよ!」
場の空気にそぐわぬ、底抜けに明るい声だった。
「いや~、すぐ追いついてよかったよ~。走ってたら、こっちから話し声が聞こえたからさ、もしかして、と思って。あ、ボク、リィナ!よろしくね!」
「てめぇ、ナメてんのかッ!」
激昂したネズミのナイフは、しかし空を切った。
リィナと名乗った少女が、そちらを意識していたとも見えないままに躱したのだ。
「てッ……てめぇッ!!」
ネズミは続けてナイフを振り回すが、リィナはひょいひょい避け続ける。それどころか、マグナの方を向いてネズミを指差し、明日の天気の話をするくらい気軽な調子で尋ねた。
「ねぇ。この人、大人しくしてもらっちゃっていいのかな?」
「もちろん!やっちゃいなさい!」
即答するマグナもマグナだが、聞いた途端にナイフを躱しざま、鳩尾に肘を入れてあっさりネズミを悶絶させるリィナも何者だ。
「なッ……なんなんだ、手前ぇはッ!なにしてやがんだ、この野郎ッ!」
弟が倒されたのを見て、激怒したゴリラ兄貴が剣を担いで突進する。
ついと前に出たリィナは、ゴリラの打ち込みを半身になって躱して懐に入り、胴丸にぴたりと手を添えた。
「ふん」
ドン、と地面を踏みしめる音がして、ゴリラは唐突に動きを止めた。見事に白目を剥いている。
リィナが手を離すと、ゴリラは支えを失ったように、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「こっちの人も、倒しちゃってよかったんだよね?」
俺達の呆気にとられた表情を勘違いしたのか、リィナは胸の前でぱたぱたと両手を左右に振った。
「あ、大丈夫、死んでないよ?軽く透しただけから、ほっとけばその内、気がつくよ」
「あ、そう……」
毒気を抜かれた顔をして、マグナはやっとのことでそう答えていた。
24.
「それじゃ、そろそろ行きましょうか」
助けたスライムが森に消えるのを見送って、マグナの号令一下、俺達は来た道を戻る。これから、ルイーダの酒場に向かうのだ。
「——ほら、これで四人揃ったじゃない」
とはマグナの言。
あの後、改めて自己紹介だのなんだのあってから、その場にいた四人がそのまま、栄えある勇者様ご一行に選出されたのだ。
なんというか、なし崩し的に。
それならば、ルイーダの酒場に正式なパーティとして登録した方が、痛い腹を探られることなく勇者を演じるのに都合がいいんじゃないかという俺の耳打ちに、マグナは少し躊躇いつつ頷いた。
一行の内訳は、マグナ、俺、リィナ、そして……あの美少女にしか見えない少年だった。
「え?キミ、男の子なの?」
少年の性別を聞かされると、リィナもびっくりして目を丸くしたものだ。
「へぇ~、ちょっといい?」
そう言って、全身をぽんぽんとはたいたかと思うと、ぎゅっと抱きしめる。
「ホントだ。いや~、すごいね。キミ、めちゃくちゃ可愛いね」
感心したように言われて、少年は恥ずかしいながらもちょっと嬉しそうに目を伏せた。
25.
シェラールという本名ではなく、できればシェラと呼んでください。そう前置きしてから、少年は思いつめた顔をして、マグナに同行させて欲しいと頼み込んだ。
「生まれ変わりの秘法を伝える神殿が、他の大陸のどこかにあるらしいんです」
勇者であるマグナについて世界中を旅すれば、今は場所すら分からないその神殿にも、いつか辿り着けるかも知れない。そう考えているようだった。
容姿も内面も女のように生まれついたシェラは、子供の頃からずっとそのことで悩んでいたという。詳しくは語らなかったが、口振りから察するに色々とひどい仕打ちも受けたようだ。
ずっと女になりたいと強く願っていたが、それは不可能だということも分かっていた。しかし、幾度か男の「振り」をしてみても、自分を無理矢理抑えつけるその生活は息苦しくて仕方が無い。
諦めきれずに、またすぐに女の姿に戻るという不安定な毎日を過ごしていたシェラは、今から一月ほど前に、とある占い師から不思議な神殿の話を伝え聞く。
「その人も、あまり詳しくは知らなくて、生まれ変わりといってもどういうものなのかは、良く分からないんですけど……」
もうじき訪れるであろう変声期を極度に恐れていたシェラは、人生をやり直すことができるという、その伝聞に一縷の望みをかけたのだ。
急いで必要な手続きを済ませると、自分を冒険者として登録した。魔物の跋扈するこの世界を、渡ることのできる力を得る為に。
ちなみに、ゴリラとネズミと組んだのは今日がはじめて——どころか、冒険に出たのもこれが初めてだったらしい。いきなり、とんでもないのに当たっちまった訳だ。あいつら、僧侶を薬草代わりくらいにしか考えてないからな。
「そんな話、聞いたことないなぁ」
シェラの話を聞いて、リィナはぽつりとそう言ったが、マグナにとっては魔王退治以外の目的を持っている冒険者は大変に好都合だったので、同行はあっさりと認められた。
「全然お役に立てないかも知れませんが、一生懸命頑張ります。どうぞ、宜しくお願いします」
冒険者に成りたての自分が、まさか勇者のパーティに加われるなどとは夢にも思っていなかっただろう。
シェラは、興奮に頬を紅潮させて頭を下げた。
26.
よかったな。
シェラの肩をポンと叩いてそう言った俺だが、正直なところ、内心はかなり微妙な気分だった。
いや、そうじゃない。なんにも微妙じゃない。
確かに、嬉しそうに微笑み返してくるシェラは、とびきり可愛い。それは認める。だけど、これはだな、小動物の子供に対して覚えるのと同じ類いの感情なのだ。
うん、間違いない。
ほら、子猫とかって、殺人的に可愛いだろ?見てると、なんか胸の奥がムズムズしてくるような、あれと同じ感覚だ。
俺は、捨てられた子猫が雨に打たれていたら、拾ってミルクを飲ませてやるような男であり、拾う時は子猫の性別なんて気にしない。だから、別にシェラがどうだろうが、そういうのは全然関係ないのだ。
ただただ純粋に、俺が保護してやらないと、こいつは生きていけないんじゃないかっていう、そう、いわゆる博愛の精神?みたいなものを発揮しただけに過ぎない訳ですよ。
いや、ホント。女としてどうこうって感情は、微塵も無かったと断言できるね。だって、俺、年上好みだし。ガキには興味ねぇのよ、これマジで。
だからつまり、ジツは男色は俺の方でした~、なんて出来過ぎたオチではないのだ。
そこのところを、どうか、くれぐれもご了承いただきたい。