1.U Got The Look

1.

 ひとまずルイーダの酒場に戻ろうという俺の提案に、マグナが最初は渋ってみせたのは、二つの理由からだった。

 ひとつは、既に街の人々に盛大に見送られてしまった後なので、こんなにすぐ戻るのが恥ずかしかったようだ。

 そりゃ、もみくちゃにされて万歳三唱で送り出された勇者様が、ほんの数刻で戻ってきたら、見送ったヤツらも甲斐がないってモンだよな。

 とはいえ、西門から入ってすぐ左に折れれば、住人の目には殆ど触れることなくルイーダの酒場まで辿り着けるから、こちらはさしたる問題ではない。

 マグナが、あまり乗り気になれなかった、もうひとつの理由——

 扉を開けた途端、店内の人間が一斉にこちらに顔を向ける。

 むせかえるような人いきれ。

 凄い人数だ。ルイーダの酒場に、こんなに客が入ってるのは初めて見た。座席がまるで足りておらず、ジョッキ片手に所在無く立っているヤツの方が多い。っていうか、店中ぎゅうぎゅう詰めじゃねぇか。

 そいつらが全員、ようやく登場した主役に視線を注いでいた。

 わずかな時間だけ静まり返った店内は、すぐにざわめきに支配される。おいアレか、だろカッコ見ろよ、まだガキじゃねぇか、だの、ひそひそ話す声があちこちから耳に届く。

 いまだ歳若い勇者を出迎えたのは、敬うでもなく暖かくもない、ただただ好奇の目。まるきり見世物だ。

 なるほどね。これは、結構キツい。少しでも気圧されたら、そこに敵意を感じ取ってしまいかねない雰囲気だ。マグナができれば避けたがったのも、分からないではない。

 だが、道中で既に腹を据えていたのか、マグナは毅然と顔を上げ、興味本位の視線を跳ね返すように、堂々として店内に足を踏み入れた。おお、なんだか存外に勇者っぽいぞ。

 その時、入り口近くのテーブルに、ひとりの男が飛び乗った。蹴飛ばされた食器が立てる、ガラガラガシャンという派手な音が、その場の注目を奪い取る。

 仁王立ちしてマグナを見下ろし、男は馬鹿デカい声を張り上げた。

「待ちかねたぞ!貴様が、アリアハンの勇者か!」

 俺に続いて入ってきたシェラの背中で、バタンと扉の閉まる音が、一瞬の静寂を縫うように響いた。

2.

「ええ。アリアハンの勇者オルテガの娘、マグナと申します。あなたは?」

 改めてマグナが名乗ったことで、再び沸き起こりかけたざわめきを掻き消すように、テーブル男は大音声で応じる。

「我が名は、サマンオサの誉れ高き勇者サイモンが一子、ファング!以後、見知りおき願おう!」

 おいおい、こいつも勇者なのかよ。一日に二人も出くわすとは、勇者ってのは案外その辺にゴロゴロ転がってるモンなのか?

「それにしても、少しは名の知れたオルテガ殿の子と聞いて、どんな人物かとまみえるのを楽しみにしていたのだが……」

 傲然と胸を反らし、腕組みなどしてやたら偉そうなテーブル男——ファングは、フンと鼻を鳴らした。

「まさか、このような年端もいかぬ平凡な娘御とはな——いや、失敬。別段、そこもとの落ち度と言うつもりはない。アリアハンが世界を治めていたのも、今は昔。凋落著しい辺境の田舎勇者に、こちらが勝手な期待をかけ過ぎたようだ。どうか許されよ」

 本気で謝っているつもりなら、コイツはどうしようもない天然だ。ここがどこだか、分かって言ってんのか?

「なんだと、手前ぇコラ」

「どこの田舎モンか知らねぇが、世界の中心と言われた、このアリアハンの都で何をホザきやがる」

「誰が勇者だ、このボンクラが。ここじゃ、勇者といえばオルテガさんって決まってんだ。手前ぇなんざ、誰も知らねぇんだよ」

 元々、血の気の多い冒険者が集まっているのだ。その象徴とも言えるオルテガ、それに連なるマグナ、さらには自分達の国をコケにされて、黙っているほど大人しい連中ではない。

 殺気立ってテーブルを取り囲む無頼共の中にひとり、ファングを制止しようとあわあわしている女が見えた。多分、連れだろう。苦労してそうだな。

 物騒な怒号を全身に浴びながら、それでもなお、ファングは自信満々にふんぞり返り、ニヤリと楽しそうに唇を歪めた。

「フン、凡俗共が、本当のことを言われて腹を立てるのは、どこでも変わらんな!下がってろ、アメリア——文句があるなら、さっさとかかってこい、この腰抜け共!」

 ハナから喧嘩を売るつもりだったとしか思えない。

 ファングの啖呵を合図に、大乱闘が開始された。

3.

「ほら、さっさと登録しちゃいましょ」

 別段腹を立てた風でもなく、マグナがしれっと促したので、俺は少々虚を突かれた。

 何か言いたげな俺の視線に気付いて、呆れたように肩を竦める。

「そりゃ、ちょっとは頭に来たけど……別に、どうでもいいもの。それに、バカの相手なんかしたら、こっちの程度が知れちゃうわ」

 なるほど。勇者としての自分に、大したこだわりはないって訳か。

「それじゃ、早く行こう!」

 先頭に立ったリィナの手が触れると、どういう理屈か密集している人垣がひょいひょいと割れていく。

 後について行こうとした俺は、くいと背中を引かれてたたらを踏んだ。

 ちなみに俺は、フード付き貫頭衣の腰をサッシュで締めるという、ごく標準的な魔法使いの格好をしている。別に規則がある訳ではないのだが、いわゆる業界標準というヤツだ。

 その俺の貫頭衣を、店内に満ちた暴力的な空気に怯えたシェラが、ぎゅっとまるで命綱でも握るように掴んでいた。

 仕方がないので、ポンと頭をひとつ叩いてやり、シェラを背後を隠しながらマグナ達の後を追う。どうも、ちょっと懐かれちまったかな?

 ようやく乱闘の中心から離れて、カウンターまで辿り着いた俺は、聞き覚えのある声で呼び止められた。

「あら、やっぱりヴァイスじゃない」

 そちらを見ると、カウンターに腰を下ろた美人が、軽くグラスを掲げていた。

4.

「悪いけど、先に行っててくれ」

 カウンターに身を寄せて道を空け、シェラに一声かける。

 そんな、捨てられた子犬みたいな顔するなよ。すぐ行くからさ。

「よう」

 カウンターの美女に歩み寄る。先日、俺と一緒にゴリラとネズミにお灸を据えた僧侶、ナターシャだ。

「あなた、今、勇者様と一緒に入って来たように見えたけど」

「まぁな」

「まさかとは思うけど、パーティに加わったなんて言わないわよね?」

「……残念ながら」

 俺が口をへの字に曲げてみせると、ナターシャはプッと吹き出した。

「あなたが?勇者様のお供ですって?それ、どういう冗談なの?」

 おかしそうにクスクス笑う。

 まぁ、自分でもそう思うよ。好きなだけ笑ってくれ。

「あぁ、おかしい」

 ようやく笑い終えて息を整えると、くぃっと半分以上残っていたグラスを一息に空ける。相変わらずのうわばみ振りだな。この、破戒僧侶め。

 既に相当酒が入っているらしく、ほんのり頬が上気している。かなり手の入った僧侶服のスリットから、組まれた脚が覗いていて、たまらなく色っぽい。うん、やっぱり俺は、こういう大人の女が好みだな。

「一緒に入ってきた四人が、勇者様ご一行って訳かしら」

「どうやら、そうらしいな」

 ナターシャは、またクスッと笑う。

「なんてまぁ、可愛らしいパーティだこと。あれじゃあなた、ほとんど子守りじゃない」

 否定はしない。

 と、誰が投げたのか、乱闘の方から酒瓶が飛んできた。パシッとそれを受け止めて、ナターシャは空になったグラスに中身を注ぐ。

「にしても、なんなんだ、ありゃ?」

 酒瓶やら皿が舞う乱闘の中心、気持ち良さそうに暴れているファングに目を向けながら、俺は尋ねるともなく聞いた。やたら偉そうなだけあって、阿呆みたいに強い。わんさか押し寄せるアリアハンの荒くれ共を千切っては投げ、ひとりで対等に渡り合っている。

「だから、サマンオサの勇者様でしょ。視察団についてきたらしいわよ」

 ああ、そういえばそんな話もあったな。

 乱闘に参加する為か、隣りのヤツが席を立ったので、少し腰を落ち着けようと座りかけた俺は、これでもかというくらい思い切り耳を引っ張り上げられた。

5.

「ヴァ・イ・ス~っ!あんたちょっと、何やってんのよ!」

「いてッ、痛ぇって!」

 横目で見ると、マグナが目を吊り上げている。怖いよ、今のお前の顔。

「さっさと来なさいよねっ!登録が終わらないでしょ!?」

「分かったから離せ、痛ぇっ!」

「あら、残念。お忙しいみたいだから、また今度ね」

 マグナを軽く値踏みするように眺め、ナターシャはクスリと妖艶に微笑んだ。頼むから、あんまり刺激しないでやってくれ。

「……ほらっ!早く来なさいよ!」

 ことさらにそれを無視して、プイとそっぽを向いたマグナに耳を抓まれたまま、俺は奥のカウンターに連行される。

 優雅にグラスを傾け、手を振ってにこやかに見送るナターシャ。畜生、愉しんでやがる。

「そのコで全員かい?」

 尋ねてきたのは、酒場の店主ルイーダその人だった。

「ええ、そうです。この馬鹿で最後」

 いきなり馬鹿に格下げですか。

「貴方は確か、ヴァイス君だったかしらね?」

 ルイーダは、手元の帳面をめくったり、なにやら記入をしたりしつつ、ちょっと顔を上げてこちらを見た。

 驚いて、ぎこちなく頷き返す俺。まさか、こんな変哲も無い魔法使いの名前まで憶えているとは。

 ひとしきりペンを走らせると、ルイーダは小さくため息を吐き、頬杖をついて感慨深げにマグナを見つめた。

「それにしても、ねぇ?ついこの前生まれたばっかりだと思ってた赤ん坊が、もう十六になっちゃったか。あたしも歳を取る筈だわ」

「そんな、全然。ルイーダさんはいつまでも若くてズルいって、ウチの母さん、よくこぼしてるんですから」

 正確には知らないが、俺の母親とさして変わらない年齢だと聞く。ウェーブのかかった髪を派手なバンダナで抑えたルイーダは、確かにそんな歳には見えない。そういう目で見るには流石に少々年上過ぎるが、俺から見ても十分に若々しかった。

6.

「あれ?もしかして、二人は知り合いなの?」

 リィナが口を挟む。

「うん。時々、ウチに遊びに来てくれますよね」

「昔、このコの両親と一緒に、あちこち旅して回ってたから、その縁でね」

 へぇ、そうなのか。

「ルイーダさん、今でもすっごく強いのよ。ここにいる連中なんて、全然相手にならないんだから」

 よしとくれ、とルイーダは苦笑したが、オルテガと組んでいたなら頷ける話だ。荒っぽい冒険者共を、女だてらに束ねるなんて芸当は、そのくらいじゃないと務まらないんだろう。

 俺は、ちらりとマグナを盗み見る。

 そんな人と親しいってんだから、やっぱり勇者の家系なんだな、こいつ。

「それじゃ、これで受け付けておくけど、う~ん、ヴァイス君が一番の経験者で、他はほとんど初心者か。あなたが自分で考えて、いいと思って選んだんでしょうから、別に構わないけど……ホントに大丈夫?」

 ふっくらした下唇にペンの尻を当て、どことなく不安そうに確認するルイーダ。

「うん、平気。心配しないで」

 マグナは、きっぱりと頷いてみせた。まぁ、魔王を倒しに行く訳じゃないから、そりゃ平気だよな。

 って、ちょっと待て。俺が一番の経験者だと?

 明らかに俺より場数を踏んでいる筈のリィナを見ると、屈託の無い顔で小首を傾げられた。

 後で聞いたところによれば、これまでルイーダの酒場には登録せず、独自に修行を積んでいたという。おいおい、ホントかよ。

 まぁ、未登録だったのは間違いないだろう。リィナの実力なら、もっと冒険者として名が知れてていい筈だ。ところが、全く聞いたこともないからな。

 それにしても、修行ってなんだ。武門の娘か。なんだか、捉えどころのないヤツだ。

 ともあれ、パーティとして登録を無事に済ませた俺達は、ルイーダの一喝で乱闘の収拾した一階を後にして、腹ごしらえをする為に二階に昇った。一階は主に酒を嗜む場所なので、つまみ程度の料理しか出さないのだ。

 ちなみに、飯代は俺持ちだ。

「何でも言うこと聞くって、約束したでしょ?」

 人差し指を俺の胸に突きつけて、上目遣いにそうのたまった勇者様は、前段の「俺が間違ってたら」という部分は、すっかり記憶から消してしまったらしい。

 やれやれ、大鴉の報奨金は、これで殆どパーだよ。まったく、貧乏人にタカるなよな。

7.

「ホントにそれだけでいいの?払いはコイツなんだから、遠慮しなくていいのよ?」

 小さなサラダボウルだけを頼んでみハミしつつ、シェラはふるふると首を横に振る。

「あ、そう。ならいいけど……」

 マグナはかなり複雑な表情で、厚切り肉の乗った自分のプレートに視線を落とした。

 お前が少し遠慮すりゃ良かったんだ。今さら、残す気になったんじゃねぇだろうな。高いんだぞ、それ。責任持って、全部食え。

「スゴいね~。ボクだったら、半刻しないで倒れる自信あるよ」

 鶏の骨付き腿肉を噛み千切りながら、何の自慢かリィナが言ったりなんだりあってから——

「さて、これからどうするつもりなんだ?」

 食後のお茶で一同が落ち着いたのを見計らって、俺はリーダーにそう尋ねた。

 カップをカチャリと置いて、マグナは俺達を軽く見回す。

「最初にすることは、もう決まってるわ」

 へぇ。てっきり行き当たりばったりかと思いきや、ちゃんと考えてたのか。

「盗賊バコタの鍵を、手に入れるわよ」

 かつて、アリアハン城下を荒らしまわった盗賊バコタ。彼の手による特殊な鍵は、簡単な錠前を全て解いたという。

 嫌な予感と共に、目の前の女が発した独り言が脳裏をよぎる。

『こうなったら、お城の宝物庫に忍び込んで——』

 いや、まさかな。仮にも勇者様だぜ。

 心の中で、そんなバカなと一笑に付し、俺はそれ以上考えないように努めた。

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