パイロット版 エルフ短編

1.

 晩夏とはいえまだ強い日差しが、緑深い森に阻まれ優しい木漏れ日となって零れ落ちる。

 幾重にも大きく張り出した枝葉の他には屋根とてない吹き抜けの店内で、木々の奏でる涼やかな葉音を右から左に聞き流しながら、カウンターに肘をつき、手に顎を乗せて、凝っと木目に視線を落とす少女がひとり。

「なにボーッとしてるのよ」

 突然、挑発的な口調で話しかけられて、カウンターの少女はびくっと顔を上げた。

「ああ、姫様。お早うございます」

「あきれた。もうお早うなんて時間じゃないわよ。とっくにお日様は、空の天辺を通り過ぎてるんだから」

 姫様と呼ばれた少女は、ただでさえ大きな瞳をさらに見開いて、驚きの表情を作ってみせる。小柄で幼い彼女の、少しばかり大袈裟なその仕草は、同種同性である少女から見ても愛らしい。

「あなた、最近いつもそんな調子よね」

「はぁ……そうでしょうか」

「……これだものね」

 盛大にため息をついた「姫様」は、一転して含み笑いを器用にも満面に浮かべた。

「あなたが何を考えてたのか、当ててあげましょうか」

「はい?」

「あれでしょ。またあのニンゲン達のこと、考えてたんでしょ」

 自信たっぷりに、フフンと鼻を鳴らす。

 そう、なのだろうか。何も考えずに、ただぼーっとしていただけなのだが、そう言われてみると、この森では本当に滅多に見ない種族の姿を、頭の片隅に思い浮かべていたような気もする。

「あたし、知ってるんだから。あなた、あのニンゲン達に物を売ったことあるでしょ」

「えっ……!?」

 掟破り。まさか、気付かれていたなんて。

「あたし達が、あんなヘタクソな変化を見破れない訳ないのに、言い訳になるとでも思った?」

 言葉とは裏腹に、「姫様」の口調に責める様子はなかった。

「安心して。お母様には、まだ話してないわ」

 手を後ろに組み、「姫様」はくるっと踵を返す。

「でも、あんまりあいつらのことばっかり考えてたら、いまにお母様に言いつけちゃうから!」

 エルフの女王にたったひとり残された幼い娘は、からかうようにそう言うと、軽快な足音を置き去りにしてつむじ風のように駆け去った。

2.

 森閑としたエルフの隠れ里に、ぽつりと建つ道具屋を任されたエルフの少女は思い出す。

 あの日、ここを訪れた只でさえ稀有なお客は、ほとんどあり得ないことに四人連れのニンゲンだった。

「うわー、可愛い~。ほんっとにお人形さんみたいだね~」

 カウンターから身を乗り出して、こちらをまじまじと見つめてくるニンゲンの少女に、あの時はひどく冷たい視線を向けていただろうと思う。

 今考えると、それまで接したことのない彼女の溌剌とした生気に圧倒されていたのだ。

「お前は、ここに来てからそればっかりだな。会うヤツ皆に、それ言って回るつもりなのかよ」

 後から入ってきたニンゲンの男が、呆れ顔でそう口にしたのを覚えている。

「だって、ほら、すっごい可愛いよ。え~と、なんだろ、髪の毛なんてするーってしてて、肌なんて、滅茶苦茶すべすべ!目も……深緑って言うのかな?すごい不思議な色合いでさ」

 感心しきりに誉めそやす少女の隣りで、気の強そうなもう一人の少女が、何故か敵意を含んだ眼差しをこちらにくれては、ちらちらと後ろを気にしているのが目に入った。

「貧弱なボキャブラリーで無理して説明しなくても、見れば分かるわよ。それに、別に……そんな大したことないじゃない」

 消え入りそうに尻つぼみになっていく台詞は、しかし語尾までしっかりと拾われていたようだ。

「え~、そうなの?そりゃ、キミくらい可愛ければそういう風に思うのかも知れないけど」

「ばっ……そんなつもりで言ったんじゃないわよ」

 気の強そうな少女は頬を赤らめて顔を伏せ、その様子に後ろの二人は顔を見合わせて苦笑した。

3.

 あの日から、どれくらい経っただろう。

 エルフである彼女には、時間の概念が希薄だ。こうして道具屋のカウンターに身をあずけ、梢のささやきに耳を傾けていると今日が終わる。昨日もそうだったし、明日もきっとそうなのだ。

 変わらない毎日。深い森に囲まれて過ぎ行くそれは、長寿であるエルフにとってとても自然で心地よい。

 いつも表情豊かに、くるくると森の中を飛び回っている、あの微笑ましい小さな「姫様」でさえ、ニンゲンならばとっくに寿命が尽きるほどには生きている。

 ニンゲンの目には少女にしか映らないらしい彼女は、さらにその倍以上の永きを、この時が止まったような場所で静かに過ごしてきたのだ。

 ある一定の年齢に達すると殆ど変化しなくなる容姿は、エルフという存在を象徴している。友として共に生きる木々のように何百年も変わらずにそこにる、それがエルフだ。

 自分達のことを、そんな風に客観視するようになったのは、やはり彼らに出会ってからだったろうか。

「——こんな森の奥に引っ込んでて、よく飽きないわね。つまんなくないの、あんた達。やることないでしょ?」

 気の強そうな少女の言葉がリフレインして、彼女の唇を少しほころばせる。

 最初は、何を言われているのかピンとこなかった。

 飽きるとは、一体何に飽くのだろう。木々に囲まれた静かで優しく変わらない毎日の、何をつまらないと思えと言うのだろう。葉擦れの音に耳を傾けてまどろむ他に、やるべきこととは一体なんなのだろう。

 永遠にも等しい時を生きる彼女には、理解できないその感情。退屈。

 けれども、最近彼女は、それがほんの少しだけ分かったような気がしている。

 今日は来なかったな。そろそろ、また来るかな。まだ来ないよね。もう来ないのかな。

 一日の終わりに、店じまいをしながら頭の片隅でそう考えている自分を発見して、彼女はしばしば不意を突かれる。

 ニンゲンとの対面という椿事は、必要なもので適度に満たされていた彼女の世界を刺激して、彼女の心に見知らぬ情動をもたらしたようだった。

 まさか、自分が誰かの訪れを「待つ」ことがあるなんて。

 でも——

 もう決して戻らない年長の「姫様」、ニンゲンの男と駆け落ちして身を投げたアンの気持ちが、今ならちょっとだけ理解できる気がした。

4.

「ひぃっ!ニンゲンだわ!さらわれてしまうわ!」

 あられもない叫び声が、今回もまた闖入者の来訪を告げる。

 彼女は思わず苦笑した。あの子は、毎回同じように悲鳴をあげる。変わらないエルフの象徴のように。

 対して、ニンゲン達は、まるで変化そのものだ。今日は昨日と違うことをしていないと「飽きて」しまうし「つまらない」。そして、明日「やること」がないのが我慢できないのだ。

 時の流れにまつろわぬ彼女達エルフは、その変化にとてもついていけない。姿こそ似ているものの、彼らは全く異なる存在なのだ。

 それは、絶望的な隔たり。お互いの距離が近ければ近いほど、間に深く深く陰をおとしたに違いない。

 アンは——今という瞬間を切り取ることでしか、その陰を掃えなかったのではないか。深い陰がさらに濃さを増して、お互いの姿が見えなくなってしまう前に。

 そんな詮の無い想いを振り切るように、彼女はゆっくりと目を閉じた。

 次に瞼を上げると、見知った四人組がこちらに歩いてくるのが見える。微かな、しかし変わらないものを見続けることに慣れた目には、はっきりと分かる変化を、今回もニンゲン達に見出して確信を深くする。

「やっほー、こんにちはー!また来たよー」

 先頭の少女が、元気よく手を振ってくる。

 彼らと出会って、気まぐれのように生まれた感情によって、よりはっきりと意識させられた埋めようのない溝。

 時折里に顔を出すホビットの老人は、賢者と言うべきだった。

 だから、彼女は初めて出会った時と同じように、ニンゲン達にこういらえるのだ。

「にんげんには ものは うれませんわ。 おひきとりあそばせ」

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