Interlude ~再開幕~

そして再び幕は上がる

「なんだって?」

 思わず聞き返した俺に、エルフのお姫様は怪訝な顔をしてみせた。

「人の話は、ちゃんと聞くがよい。じゃから、わらわも魔法を使えるようになったと言っておる。これからは、わらわが治してやるから、安心して怪我するがよいぞ」

 ありがたいんだかありがたくないんだか微妙な内容は置いといて、俺は気を落ち着かせて事態を理解しようと努める。

「え、だって、どうやって?」

 俺に内緒で冒険者講習にでも通ってたのか?

「ヴァイエルに使えるようにしてもらったのじゃ」

 姫さんの返答は、俺の想像した中でも最悪の部類だった。

 以前、アリアハンを出立した際に、俺は借りていた部屋を引き払ったので、ここでの拠点を失っている。

 それで、変人が一人で棲んでるだけだから、埃っぽいのが玉に瑕だが部屋は空いているしという事で、忌々しくもヴァイエルの屋敷で世話になっている——というか、また野郎の世話を焼いてやっているのだが、やっぱり姫さんはファング達の宿に預けるべきだった。

「む——? ヴァイス?」

 俺の反応が予想と違ったのか、困惑顔の姫さんを置いて、足早に家主の元へと向かう。

 乱暴に部屋の扉を開けると、野郎はすっかり見慣れた景色の中で、いつものように椅子と同化していた。

「おい、手前ぇ、どういうつもりだ」

 くそ、こっちを見もしやがらねぇ。

「聴こえてんだろ、こっち向けよ——」

「何を急に怒っておるのじゃ、ヴァイス。少し落ち着くがよい」

 ああ、姫さん、付いて来ちまったのか。

 ムカつくことに、ヴァイエルの野郎は姫さんの声には反応して、こちらを振り向いた。

「ああ、お早う、姫君。どうかされたかね」

「いや、わらわがお主に——」

「どうかしてんのは手前ぇだよ!」

 俺はズカズカと部屋を横切って、掴みかからん勢いで野郎に詰め寄った。

「エミリーに何しやがった。どういう了見だよ、手前ぇ」

「近寄るな、鬱陶しい。なんの話だ」

 これ以上ないしかめっ面で、語尾に「死ね」が付かないのが不思議な口調で返されたが、ここは俺も引く気はねぇんだよ。

「だから、姫さんに何しやがったんだよ!?」

「何もしとらんわ。貴様はもう息をするな、面倒臭い」

 結局、遠回しに言ってんじゃねぇぞ。

「違うのじゃ。お主がわらわに魔法を使えるようにしてくれたことを伝えたら、急にじゃな——」

「心配めさるな、姫君。どうせこの途方も無い阿呆が、お得意の早とちりで勘違いをしているだけなのは承知している」

 なんだと、この野郎。

 睨みつけたら、隈で盛大に縁取られた目で睨み返された。

「阿呆が、貴様相手じゃあるまいし、私が姫君に妙な真似をするとでも思っているのか、痴れ者が。貴様等大道芸人共に施すのと同じイニシエーション以上の事は何もしとらんわ、塵屑ゴミクズが。立ち所に『すじみち』を通してみせたのは、貴様の如き暗愚とは比較にならん姫君の才に拠るものだ、この大タワケが」

 余程腹に据えかねたのか、こいつにしては吐き捨てた悪態が直截的だった。

 つか、いまコイツ、俺相手には妙な真似してるって白状しなかったか。

「……本当だろうな?」

 すると、野郎はこの世の全てを憂いているみたいな、盛大な溜息を吐いた。

「いったいどうすれば貴様のその、この世で最も無意味な下らん問いかけをやめさせられるのだ。本当、だと? 貴様は何を以って『本当』なぞとぬかしておるんだ」

 やべぇ、またはじまったよ。

「いやいや、単なる言葉のアヤだろ」

 俺がアヤつけてた筈なのに、いつの間にやらこっちが怒られてやんの。

 まぁ、いつものことですけどね。

「ハッ、これだ。御自身にだけ都合の良い曖昧な言説で、この私の無限にも等しい貴重な時間を奪わないで戴けますかな、ヴァイス先生?」

 ヴァイエルは、露骨にフンと鼻を鳴らした。

 無限なら、ちょっとくらい良いじゃねぇか、ケチ臭ぇな。

 すると、貴様が何を考えたのかなど全てお見通しだぞ、とでも言わんばかりに、野郎は俺を藪睨みした。

「馬鹿にも分かるように言い直してやるが、貴様と話すのは時間の無駄だと言ってるんだ、このタワケが」

 はいはい、そりゃすいませんでしたね。

 その時、ころころと軽やかな笑声が、下の方から耳に届いた。

「本当に仲が良いのじゃな、お主ら」

『良くない』

 くそ、不覚にも野郎とハモっちまった。

「いや、良くなくないじゃろ。まぁ、それはよい」

 なにが可笑しかったのか、エミリーはまたくすりと笑ってから続ける。

「なんでお主が急に怒ったのか分からぬが、そやつが魔法を使えるようにしてくれたのは、わらわが頼んだからなのじゃぞ。怒るなら、わらわに怒るがよい」

「……なんで、コイツに頼む前に、相談してくれなかったんだよ」

 思ったより拗ねた口調になっちまった。

 エミリーは、少し驚いたように目を見開く。

「そうか、お主にしてみれば、そう感じるか。それはすまぬ、気付かなかったのじゃ」

 逆に口を尖らせて続ける。

「でも……じゃって、驚かせたかったのじゃ」

 ただでさえ有り得ないほど可愛いのに、そんな顔して言うのは卑怯だろ。

「それに里の外では、いつもお主らやファングに護られてばかりじゃからな。わらわの勝手で連れて来てもらっておるのに、それではあれじゃ——あまりにも無責任というものであろ?」

 いや、人攫い共とやり合った時といい、ジパングで兵士達の後をつけた時といい、いまでも割りと充分役に立ってるけどな。

 もちろん、揉め事以外では、さらにもっと。

「それで、少しはお主の力になりたいと思ってな。しばらくは共連れに僧侶も居らぬ見込みじゃし、丁度良いじゃろ」

「うん、まぁ、それは有り難いけどさ……」

 実際、ちょっと困ってたしな。

「エミリーにおかしなことは、本当に何もしてねぇんだな?」

 俺が念を押すと、ヴァイエルは諦めたように短く嘆息した。

「ああ、もちろん『本当』だとも。貴様に確かめる術がなかろうが、それは全く『本当』だ。だから、安心して鵜呑みにするがいい。なんなら、名を呼ぶことすら憚られる例の神にでも誓ってみせれば満足か?」

 嫌味ったらしく言い捨てる。

 ここで俺が「それには及ばねぇよ。いちおう信頼してっから」などと言おうものなら、野郎は嬉々として「信頼!? 信頼だと!? いったい何を以ってヴァイス先生は浅学非才のこの身を信ずるに足るとご判断下さったのか、是非とも伺わせて欲しいものですな!」とか、さらなる嫌味を垂れるに決まってんだ。

 さすがにもう学習しているので、俺はあえて反論しなかった。

 いわゆるひとつの、生活の知恵ってヤツだ。

「フン、何を黙っている。なら最初から下らんことを問うな。どうせ鵜呑みにするしかないのなら、疑念を呈するフリをして、何かを考えたつもりになるのを止めんか、この脳無しが」

 結局、罵倒されるんだ、これが。

「姫君。悪い事は言わんから、この男だけはやめたまえ。貴女に不幸か厄介事しか齎さんから、すぐにでも距離をおくといい」

 この世で最も嫌いな虫を目の前にしてるみたいに渋い顔をしながら、ヴァイエルはエミリーに忠告した。

 馬っ鹿だな、お前。姫さんがそんなの聞く訳ねぇだろ。

 いやあの、万が一にも無いと信じてるけど、ホント泣きそうになるんで、そういうの止めてもらっていいですか。

「まぁ、さっきから、お主らの口が悪いのは、さすがにどうかと思うのじゃがな。ただ、それほど不快な感じはせんから、本当に言葉だけなのであろ。方言のようなものか?」

 苦笑しつつ、姫さんがよく分からないことを言い出した。

 俺と野郎を交互に見比べながら続ける。

「ただな、ヴァイエル。わらわには良く分からぬが、お主のような存在が、単なる普通の人間をここまで気にかけるのは、ほとんど奇跡と呼んでも良いくらいに、これ以上無く珍しいことではないのか?」

 いやぁ、気に掛けるっていうか、俺はまだ隷属の身分なんで、こいつの所有物ってだけですけどね。

「つまり、お主もこやつのことを気に入ってるのであろ?」

 いや、ないない。

「わらわも同じじゃから、気持ちは分かるぞ。理由がさっぱり分からぬところも、おそらく同じじゃな」

 そう言ってエミリーは、またころころと笑った。

「それで貴様は、いつ出立すると言っていた」

 いまの一幕などハナから存在しなかったていで完全に無視して、ヴァイエルがしれっと尋ねてきた。

「いや、まぁ、ようやく目処が立ったんで、二、三日中にはと思ってんだけどさ」

 俺も、それに乗っかる。

 なんだかんだ、もう半月くらいはアリアハンに滞在してるしな。

 姫さんが、仕方の無い連中だみたいな目をして俺達を眺めているが、気付かないフリをする。

「そうか。それでは、あまり日も無いな」

 てっきり、変化の杖の件を突っ込まれでもするのかと思ったら、ヴァイエルは椅子から降りて、姫さんの前で床に膝をついて頭を垂れた。

 唖然とする俺の耳に届いたのは、これまで一度も聞いたことのない声音だった。

「きちんと挨拶をするいとまがあるか分からないので、いま伝えさせていただこう。姫君、貴女との出逢いは、私にとって近年稀にみる僥倖だった。御身のお蔭をもって幾つか判明したことがあり、自説の強化にも繋がった。心よりお礼を申し上げる」

「うむ。わらわも、お主と話すのはなかなか楽しかったぞ」

 慣れた調子で受け答える姫さんだったが、俺としては内容の方が気にかかる。

 本当に妙なことをされてねぇだろうなとハラハラしていると、エミリーはちらっと俺を見上げた。

「そんな顔をするでない。さっきヴァイエルが言った通り、わらわは何もされておらぬ。むしろ、貰ったものの方が余程多いのじゃが、わらわもお主の役に立っていたなら何よりじゃ」

「それはもう、存分に」

 こいつが恭しく他人に何かを告げる様を、本当にはじめて見た。

「果てることのないお主とわらわじゃ。いずれまたまみえることもあろうが、ひとまずは達者でな」

「姫君におかれましても。御身の行く末に幸多からんことを」

 ゆっくりと立ち上がったヴァイエルは、珍しく身振りを使ってエミリーの頭上で印を切った。

「お主に感謝を」

「いやなに、単なる形式です。こんなことをせずとも、遍く諸力は御身のお力になりましょう」

「それでもじゃ——さて、忙しくなるの、ヴァイス。出立するとなれば、諸々準備もあろうし、そうじゃ、ファング達にも伝えなくてはな——ヴァイス? 何を呆けておる?」

 いかん、完全に思考が止まってた。

 いや、ヴァイエルお前、そんな態度取れるんだったら、俺にも姫さんの百分の一でいいから敬意を払ってくれよ。

「奴隷に謙る主人がどこの世界にいるというのだ、このタワケが」

 うん、そう言われると思いましたけどね。

「まぁ、そんじゃ、そういうことで。近々出ていくからよ。世話になったな、いちおう」

「全くだな。主人の屋敷を気軽に宿屋代わりに使う奴隷を持って、私はアリアハンいちの果報者だ。それと貴様、言いつけは忘れておらんだろうな」

「ああ、『変化の杖』とやらのことだろ? まだ手掛かり全然無ぇけど、ついでに探してといてやるよ」

「フム、謙遜せずともよい。貴様であれば、きっと瞬く間に見つけ出してくれるのだろうな。期待しているぞ」

 チッ、嫌味が次の段階に進みやがった。

 ニヤニヤしてんじゃねぇぞ。

 姫さんを促して部屋を出たところで、いきなり横合いから首筋にナイフを突きつけられた。

 あまりの唐突さに、思わずビクリと体を硬直させる。

 目だけ動かしてそちらを見ると、ヴァイエルの身の回りの世話をしている恐ろしく影の薄い女が、ロクに手入れもされていない伸び放題の前髪の隙間から、感情の読めない濁った目で俺を見上げていた。

「よ……よう、久し振り」

「ヴァイス!?」

 悲鳴を上げる姫さんを、手振りだけで制する。

「……ヴァイ……様に……態度……許せな……」

 恐ろしく小さな声で、何事かをボソボソと口にする。

 どうやら、ヴァイエルに対する俺の態度が気に食わないらしい。

「ああ、悪かった。反省するから許してくれ」

 俺は影の薄い女を刺激しないように、ゆっくりと両手を上げつつ素直に謝罪を口にする。

 ジツは、前にヴァイエルの屋敷で世話になってた頃にも、似たようなことがあったんだよ。

 その経験のお蔭で、今回は比較的冷静に対応できたつもりだったが。

「信……できな……」

 影の薄い女が、ナイフを握る手に力を込める気配が伝わる。

 こいつ、マジかよ——

「その辺で許してやれ、ミランダ。そいつの血で家を汚されて、莫迦が感染っても困る」

 意外なことに、助け舟を出したのはヴァイエルだった。

 そういや、そんな名前だったな、この女。

 まるで天啓にうたれたように身を震わせたミランダは、言われた通りすぐにナイフを引っ込めると、真っ赤な顔であたふたしてみせてから、部屋の中のヴァイエルに挙動不審気味に何度もお辞儀を繰り返し、両手で頬を押さえて廊下を走り去った。

「い、いまのは誰じゃ? あのような女が、この屋敷におったか?」

 一連の出来事があまりに唐突すぎたとみえて、エミリーが呆気にとられた顔をする。

「いや、いつも居る訳じゃなくて、通いらしいんだけどさ。俺も良く知らねぇけど」

 つか、あいつ、マジで存在感なさすぎだろ。扉の陰に隠れてるの、全く気付かなかったぜ。

「いまのは……その、なんじゃ……あれは、もしかしてヴァイエルに惚れておるのか?」

 自信なさげな口調だった。

「じゃとしたら、相当な変わり者じゃな」

 割りとヒドいことを言う。

 自ら志願してヴァイエルの身の回りの世話をするような奇特な女だからな。とんでもない変わり者には違いない。

 ただ、まぁ。

「アレは、どっちかったら崇拝かな」

 それも、かなり病んでる系の。

 ロクに話したことすら無い——というか、喋ろうにも会話にならないから、さっぱり分かんねぇけど。

 正直、あんな危ない女とは、出来るだけ関わり合いたくない。

「ふむぅ。恋愛感情のように見えても、実際は色々あるのじゃな」

 姉様と同じように人間を好きになる気持ちを理解したいエルフのお姫様は、難しい顔をしてそんなことを呟いた。

「とはいえ、相手があやつでは、元より参考にはならぬか」

 さっきからヴァイエルに対して意外と辛辣で、思わず吹き出しちまった。

「言うね、姫さんも」

「じゃって、あやつはもう、わらわよりも余程お主らから遠いであろ? ニンゲンとの間に、恋愛感情のようなものを持ち得るとは思えぬ」

 へぇ、姫さん、そういうことは分かるのか。

 だが、野郎の女関係なんぞ心の底からどうでも良かったので、俺は適当な返事をして玄関口に向かった。

 

 

 

「別に、俺はいつでも構わんぞ」

 ぼちぼち旅に出ることを告げると、ファングはなんでもないような顔をして、そう返してきた。

「え?——いや、お前もついて来てくれんの?」

「ん? 俺はそのつもりだったが、違うのか?」

 マジでか。

「いやいや。お前、そろそろ郷に一度帰るようなこと言ってたじゃねぇか。そっちはいいのかよ」

「特に日を決めている訳でもないからな。別に構わんぞ。まぁ、あまり長くなるようなら、途中で抜けさせてもらうが」

 いきなり姫さんとふたり旅ってのも不安だったから、期限付きとはいえ申し出自体はありがたい。

「そうか。ほんじゃ、しばらく頼むわ」

「ああ、頼まれた」

 拳を向けて来たので、仕方なく合わせてやる。

 だから、お前の拳は硬すぎて痛ぇんだよ。

 そんな俺達の様子を、アメリアはやたらニコニコとして眺めるのだった。

 毎回あまりにも嬉しそうなので、後で話を聞いてみたら、なんでもファングにはこれまで対等な友人と呼べるような同性の知り合いがいなかったのだそうだ。

 まぁ、分からないではない。立場的に遠巻きにされてたトコは、同じ勇者であるマグナと似てんのかね。

 アメリアにしてみれば、要するに俺はファングにようやくできた待望の男友達ということになるらしかった。

「ですから、アメリアは、もう嬉しくて嬉しくて」

 感極まったように、何度も口にされた。

 あの坊っちゃまにお友達が! ってなモンだ。近くにいると自分のダメさ加減を思い知らされるから、確かにダチは出来にくいタイプだわな。

 というか、俺にしてもそこまでの関係じゃねぇと思うが、アメリアがこれだけ喜んでるなら、あえて否定することもないか。

「——それで、勇者殿を追うのは構わんが、何か当てはあるのか、ヴァイス」

 ファングの問いに答える俺の顔は、ちょっと得意げだったと思う。

「ああ、まぁな——お前ら、『オーブ』って知ってるか?」

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