38. Movin' on without you

1.

 突然だが、ここで問題だ。

 世界中を旅して常に移動しているような奇矯ききょうな知り合いが身近に居たとして、そいつを捕まえたいと思った時に、最も有効な手段はなんだと思う?

 正解は——

「今日も来んかったなー」

 テーブルに上体をでれーっと寝かせて、だらしない格好でエルフの姫君が愚痴をこぼした。

「来なかったなぁ」

 それに意味の無い相槌を打つ俺。

 オープンテラスのテーブルを囲んでエミリーと腰を掛け、酒入りの紅茶を軽く口に含みつつ、黄昏の街並みをぼんやりと眺める。

 教会の信徒の姿が、そこかしこに目に付いた。

 これが他所よそなら見た目で区別はつかないが、ここでは信者服とでも言うべき統一的な衣装が売られており、敬虔な信徒は軒並みそれを身につけているので、一目でそれと知れるのだ。

 これがまた、そこそこいい値段するんだぜ。ボロい商売だよなぁ。

 ここランシールには、世界で最も大きいとされる教会が建っており、こんな時代だというのに、それを目当てに様々な場所から信者が礼拝に訪れるのだった。

 普通の庶民は必死に蓄えたなけなしの財産をはたいて、一生に一度の巡礼の旅を定期的に寄港する船団の二等客室で、そこそこの金持ちは一等や特等の客室で、さらにもっと金と地位のあるヤツは主要な都市を結ぶルーラ網を使って。

 以前は本物の魔法使いの気紛れに頼るしかなかった転移魔法での移動だが、近頃はやや事情が変わりつつある。

 ルーラが使えるくらいに熟達した職業魔法使いの冒険者を雇い集めて、世界の主要都市を結ぶ移動手段として提供する商人が現れ出したのだ。

 ただし、そもそも魔法使いの絶対数が少ない上に、冒険者を辞めたら——アリアハンで言えば、ルイーダの酒場から登録を抹消されたら、魔法使いや僧侶は呪文を使えないように処置される決まりなので、あくまで副業としてしか働けない事情もあり、料金は目ん玉が飛び出るくらいに高額だ。

 いまのところは地位や身分のある連中の間で紹介が必要な一見さんお断りのサービスだが、ハナから発展が約束されているようなものなので、いずれはもう少し利用し易い値段に落ち着くだろう。

 何故そう断言できるのかと言えば、船旅など比べるべくもない利便性はもちろんのこと、俺たち職業魔法使いの余禄として、この上なくおあつらえ向きだからだ。ルーラを使えるご同輩は、遠からずほとんど全員従事するようになるんじゃねぇかな。

 ランシールに跳ぶことのできる魔法使いを求めて、アリアハンの魔法協会に日参していた時に俺もはじめて知ったんだが、教えて貰った時は素直に感心した。

 自分で思い付いてりゃ、今頃はひと財産築けてただろうによ。まぁ、それが出来るコネと商才がありゃ、こんなしがない魔法使いなんぞやってなかったに違いないが。

 で、既に副業として働いてる魔法使いと運良く知遇を得た俺は、何度か仕事をこなすことを条件に、さらに言えば初回の報酬は全部そいつに渡す約束で、ランシールまでルーラで運んでもらったのだ。

 アリアハンでの半月余りは、この辺りの手配にかかった日数になる。

 ホントだったら、ヴァイエルが連れてってくれりゃ、それで済んだ話なのによ。どうせ「奴隷の使い走りをする主人がどこの世界にいるのだ、このタワケが」とか吐き捨てられて終わりだからな。

 それにしても、初回の報酬を丸ごと渡すくらいで運んで貰っちまっていいのかね、と気懸かりだったんだが、後から考えたら、友人価格としてはそこまで法外に安上がりって訳でもなかった。

 なにしろ、恐ろしく実入りが良いのだ、この仕事。

 さすがに、ルーラを使える冒険者という条件を満たせる人材は、世界中を見渡してもほとんどいない。

 以前も言ったと思うが、そもそも冒険者なんぞというロクデナシのゴロツキ共に、魔法使いなんて七面倒臭い職業を選ぶヤツ自体が少ない上に、ルーラが使えるようになるまで生き延びられるヤツはさらに少ないからだ。

 そんな希少性のお陰が大きいのだろう、やってる事と言えば日に何回かルーラで人を運ぶだけなのに、仕事終わりに日払いされる報酬は驚くほど多かった。

 そこまで生き延びた魔法使いへのご褒美として、正に理想的な副業だ。

 欲を言えば、廃業した魔法使いの再就職先として受け皿になってくれれば、さらに理想的なんだけどな。

 剣士やら盗賊やらは、廃業しても身につけた技術が失われる訳じゃねぇのに、なんで呪文使いだけと不公平を感じないでもないが、よくよく考えると呪文の恩恵自体が最初ハナからインチキなのだ。「すじみち」を消して放り出されても仕方ない気はする。

 魔物を斃すという目的もなく、組合で管理されている訳でもない、呪文なんてインチキを使える連中を野に放つのは危険だとする感覚は理解できなくはない。

 とはいえ、無茶をやらかしそうな短慮な奴らは、ルーラを覚える前にほぼ例外なくおっ死ぬから、実際はまともにモノを考えられるヤツしか残らない——つまり、その水準の魔法使いは最低限の損得勘定くらいはできるから、意外と平気な気もするんだけどな。

 それに、いくら割りがいいっても、この仕事目当てに魔法使いを志す連中が増えるような事も無いだろう。手間がかかりすぎるし、リスクがデカすぎる。

 そういう連中は、もっと楽して手っ取り早く稼げる方法にしか興味がないもんだ。だから、いつまで経ってもロクデナシなんだけどな。

 そんな訳で、俺は約束通りに何度か仕事をこなしつつ、ファングは街の周辺に出没する魔物退治に精を出し、時には僧侶としての経験を積ませる為に姫さんを伴ってそれに参加したりしながら過ごすこと、早ひと月余り。

 この地に来た目的を全く果たせないまま、ただ無為に時間だけが過ぎていた。

 目的ってのは、アレだ。

 もちろん、マグナ達に追いつく事だ。

 ぼーっと待ってるだけなのに、追いつくってのもおかしな話だけどさ。

 ジパングで束の間の再会を奇跡的に果たした際に、マグナ達がオーブと呼ばれる何かを集めていることは、小耳に挟んだ訳だろ?

 つまり、そのオーブとやらがあるトコで待ってりゃ、向こうから勝手に来てくれるってな寸法だ。

 別にわざわざ、こっちから出向いて探し回る必要なんてねぇんだよ。

2.

 てことで、冒頭に出した問題の正解は、ズバリ『待ち伏せ』だ。

 いや……うん。自分でも、セコいなーと思わないでもない。

『必ず、見つけ出してみせる。お前が、世界のどこにいても』

 なんてくっさい台詞をマグナに真顔でほざいておきながら、こんな方法を取れる自分の胆力に感心しきりだぜ、マッタクよ——くそっ、思い出しただけで、いまだに顔面から呪文要らずでギラの炎を放てそうだ。

 うるせーうるせー。だって、あっちが勝手気ままに世界中を動き回ってんのに、こっちまでソチコチうろついてたら、絶対すれ違って会える訳ねぇだろうが。確実な方法を取って何が悪いってんだ。

 ただ、まぁ——

「のぅ、ヴァイス」

「んー?」

 姫さんが、テーブルにぐでーっと突っ伏したまま続ける。

「ここのオーブは、最も在処ありかがハッキリしておると、お主、言っておったじゃろ?」

「まぁな」

 マグナがいくつ集めたか知らねぇが——最低でも、ジパングの分でひとつか——全部で六つあるとされるオーブとやらは、どこにあるんだか所在すら知れないのが殆どだ。

 そして、ここランシールで試練とやらのご褒美に貰えるブルーオーブは、数少ない所在の判明しているオーブなのだった。もちろん、マグナ達がまだ試練を突破していないことは、例の世界一デカいとかいう教会に確認してある。

「どこにあるか分かっておるのじゃから、つまり、いつでも取りに来られるな?」

「そうね」

「わらわは思ったのじゃが、もしかしていつでも取りに来られるから、一番後回しにされておるのではないか?」

 うん。正にそれこそが、俺も心配してることなんだよ。

「もし、そうじゃとしたら、そのぅ……様々な苦難を乗り越えて、数々の冒険の果てに、ようやくシェラ達がオーブを揃えた感動的な瞬間に、何もしとらんお主が、のこのこ合流することにならんか?」

 うん、そうね。

「わらわは別に気にせんのじゃが、それは、そのぅ……相当にカッコ悪いことではないのか?」

 はい、おっしゃる通り。

 いや、わらわは気にせんのじゃがな、と繰り返される姫さんのフォローが虚しく響く。

 そうなんだよなぁ……いくらなんでも、それじゃあまりにも格好がつかなさ過ぎると、俺も思うんだわ。

 でも、いま取ってる方法が、一番確実だってのもたしかな訳で。

 何が大事かって言ったら、俺の格好が付く付かないなんかより、合流することを最も優先するべきだと思うしさ。

「お、来たぞ——こっちじゃ、アメリア」

「姫さまぁ~」

 ファング達が並んで歩いてくるのを見つけたエミリーが、そちらに向かって手を振ると、アメリアも嬉しそうに振り返す。

 いつも夕暮れ時に集まって、情報交換がてら一緒に飯を食っているのだ。

3.

「——なんだ、そんなことか」

 さっきエミリーと話していた悩みを相談するでもなく喋っていたら、頼んでおいた料理がいつの間にやらテーブルに並べられていた。

 ナイフで器用に切り分けた分厚い肉を嚥下して、ナプキンで口元を拭ってから、ファングはなんでもなさそうに言ってのけた。

「そりゃ、お前からしたら、さぞ女々しく見えるんだろうよ。けど、さすがに少しは格好つけたいじゃねぇか」

 ファングの野郎に倣っていたせいか、近頃は俺のテーブルマナーまで多少良くなっていたんだが、これには口に物を入れたまま反論しちまった。

「食器で人を指すでない」

 フォークの方は、さすがに姫さんにたしなめられた。ごめんなさい。

「いや、そうじゃない。男として見栄を張りたい気持ちは、俺にも分かるぞ。そうではなく、前提を変えればいいだけだと言っているんだ」

「へ?」

 何を言われてるのか分からず、皿から副菜を口にかっこんだところで動きを止める。

「こんなことにも気付かんとは、お前らしくもないな。要するに、オーブがここにあるから、ここで待たねばならんのだろう?」

 そりゃそうだ。

「だが、オーブはここになければならん訳ではない」

「は?」

 何言ってんだ、こいつ。早口言葉か?

「だから、お前が先に取ってきて持ち運べばよかろうと言っているんだ。そうすれば、お前がどこにいようと、愛しい勇者殿が向こうからお前を探してやって来てくれるだろうよ」

 ファングはニヤリと俺に笑ってみせた。

 お前、なんか最近、語り口が妙に軽薄になってない? いったい誰の悪影響だよ。

「まー、理屈じゃそうかも知れないけどよ。でも、あれだ、神殿の先にある地球のヘソとかいう洞窟だかに取りに行くの、勇者じゃなきゃいけないんだろ?」

「いや、俺も気になって前に尋ねたが、別に誰でもいいらしいぞ」

「へ? そうなの?——けど、なんか一人で行かなきゃいけないらしいじゃん。試練とか言って。魔物も出るらしいのによ」

 命を落としかねない危険な試練って聞いてるぞ。

「良ければ、俺が取ってきてやるが」

「え? ああ、そう?」

 まぁ、こいつも一応勇者だしな。って、別にそれは条件じゃねぇのか。

 とは言え、そんなことまでファングに頼っちゃ、それはそれで格好つかねぇよな。

 魔法使いの俺が単独で行動するなんて自殺行為もいいところだが、せめてここは自分で行かなきゃダメだろうという気がした。

 けど、話が急すぎて、そんなすぐ踏ん切りつかねぇなぁ。

 とか悩みつつ、曖昧な返事で会話を流した、その翌日。

「ほれ、取ってきたぞ」

 ファングはあっさりと、俺にブルーオーブを手渡したのだった。

 お前、すげぇな。色んな意味で。

 濃さの違う藍色の渦がいくつも封入されてゆっくりと廻転しているように見える、竜を象った台座に乗せられた拳大の水晶のような不思議な球体を、俺は呆気に取られて眺めるしかなかった。

4.

 先にオーブをこっちで確保してしまえばいい。

 この身も蓋もない発想が、俺には思いつけずにファングから出てきた理由は、なんとなく良く分かる。

 魔法使いによるルーラ網を自分じゃ考えつけなかった話じゃないが、俺はいわゆる横紙破り的な考え方が苦手なのだ。

 誰でも思いつくような当たり前の考えをネチネチとしつこく深めたりひっくり返すことはできても、それまでにない新しい発想というのが出てこない。

 ファングは逆だ。延々と同じことを考えるのは面倒臭がるが、状況や常識に囚われず己の信じるままに本質を突くような横紙破りは得意技なのだ。

 だからって、いくらなんでもこれは、なんだか色々台無しな気がするけどな。そう考えちまうところが、俺の限界なんだろう。

 別にファングみたいな考え方にはマッタク憧れないが、言わば自分に無い発想で状況そのものをひっくり返せた訳で、あのまま待ち続けても相当みっともないことになっていただろうから、有り難いはありがたい。

 でも、これだと俺は何もしてねぇことに違いはないんだよな。

 何も出来ない癖にプライドだけは一丁前の俺としては、もうちょい格好が付く何かしらの実績が欲しい訳で。

 ヴァイエルの屋敷で住み込みで働いたり、魔法協会に良く顔を出している関係で、余人の知り得ない情報に多少は触れる機会があることだけは、俺の強みと言えなくもなかった。

 その強みを最大限に活かすと、次に目指すべきは『やまびこの笛』という答えが導き出される。

 なんでも、オーブがあるところで吹くとやまびこが返ってくるとかいう、意味不明な代物だ。一体、誰がなんの目的で、そんなモン作りやがったんだか。どうせ、どこぞの魔法使いの酔狂に違いあるまいが。

 とはいえ、行方知れずも多いオーブの探索には、きっと役に立つだろう——ちなみに、あいつらがオーブを探してる理由については、長くなるからまた今度な——そいつを携えて合流すれば、手ぶらで阿呆みたいに登場するよりゃ、あいつらの心証も良くなる筈だ。

 問題は、向こうにも俺なんかよりよっぽど博識な魔法使い達やらダーマの連中が、いくらでも付いてるってことなんだよなぁ。

 当然、あいつらも『やまびこの笛』のことは知ってるだろう。もう取りに行っちまったかね。

 まぁ、こればっかりはいくら考えても仕方がない。

 あいつらがまだ手に入れてないことを信じて、取り敢えず行ってみるしかないのだ。

 いちおう、保険も用意してあるしな。

5.

「ヴァイス、見るがよい」

 ある日の夕方、旅立ちに備えて装備を揃える傍ら、姫さんと道具屋を覗いた時のことだった。

 急に姫さんが俺の腕をパシパシと叩いて注意を促した。

「『消え去り草』が売っておるぞ」

「へ? ああ、あんなのなんだ」

 姫さんの姉貴が洞窟に入った時に使ったとかいう、姿を見えなくする草か。

「そうじゃ、間違いない。なんだか、懐かしいの。里では根付かなかったが、ここが原産地なのじゃろか」

「さぁ?」

「お主、興味無さ過ぎじゃろ」

 姫さんが苦笑する。

 いや、ごめん。だって、フツーの草にしか見えねぇんだもんよ。

「実際に生えている間は、時期や環境によっては半透明に見えることもあるらしいぞ」

「へぇ、この草がねぇ。まぁ、なんかに使えるかも知れねぇし、いちおう買っておくか」

 今の俺は例の副業のお陰で、ちょっとした小金持ちだ。ただの草にしか見えねぇ癖にやたらと高額だったが、ポンと軽く払ってやったぜ。

「ところで、これどうやって使うんだ? そのまま食うのか?」

「もちろん、煎じて飲むのじゃ。まぁ、それはわらわがやってやるから安心するがよい」

 またしても姫さんに呆れられちまったが、効果の方については考えがない訳じゃない。

 薬草にホイミ、毒消し草にキアリーのことわりを封じているように、これはおそらく姿を消すことのできる魔法を呪文要らずで発動できるのではないか。

 それとも、逆にそのような性質を持った草から魔法が開発され、その成果を元にしてさらに品種が改良されたような経緯があったのかも知れない——面白そうだな。今度、魔法協会行った時に調べてみるか。

 姫さんの話を信じると、かなり昔から存在したらしいので、完全に冒険者の道具という前提で開発された薬草や毒消し草とは、ちょっと出自が異なるんじゃないかと思う。

 ともあれ、冒険の役に立ちそうなモノを確保しておいて損はねぇだろう。

 必要な時にサッと懐から取り出してみせれば、「さすがね、ヴァイス! 素敵!」ってな具合に、あいつらもメロメロって寸法だ……いや、ねぇな。

6.

「それでは、わらわはスシロ達のところに行ってくるぞ。もうじき旅立つことを伝えねばならぬのでな」

 道具屋を出たところで、姫さんはそんなことを俺に言い置いて、街外れの方にトコトコ歩み去った。

 エフィの故郷でもそうだったが、エミリーは割りと一人でも自由に行動して、現地のおもに子供達とすぐに仲良くなるという特技を持っている。

 俺としちゃ心配だから、なるべく単独行動は控えて欲しいんだが、子供扱いすると怒るからなぁ。そりゃ、実際は遥かに歳上なんだけどさ。

 現地の子供達が姫さんと仲良くなりたがる気持ちは、ぶっちゃけすごく理解出来る。

 ずっと一緒に行動してるから、俺はかなり慣れちまったけど、普段はフードで正体を隠しているとはいえ、何しろ本物のエルフだもんな。

 あんな神秘的な絶世の美少女を街で見かけたら、俺がガキでもどうにかしてお近付きになろうと必死こいたに違いない。

 そんな姫さんから又聞きで教えてもらったことなんだが、この島の連中には、なんでも家の名前——いわゆる苗字が無いそうだ。

 基本的に父方の系譜を辿るアリアハン等の単系制と異なり、父方と母方の差がない双系制の社会で、俺達アリアハン人がイメージする単位での家族という概念が希薄らしい。故に家の名前を付ける習慣がないって話で、その代わり個人の名前はいくつもあって、相手との関係性や置かれた状況によって使い分けるのだという。

 つまり、俺が実家で経験したような、長男だから次男だからという切り分けで、家の中における序列や役割が決まったりすることもないらしく、ここで生まれてたら、俺の人生も大分変わってたかもな。

 全体としてひとつの家族のようなエルフの里に似て肌に合うと姫さんは笑っていたが、温暖な気候も手伝ってか、確かにここの連中にはのんびりした人間が多い印象だ。

 そんな街の雰囲気も相俟って、ついダラダラと過ごしちまったが、そろそろ行動を開始しねぇとな。

7.

 なんて具合に意気込んだはいいものの、思った通りに行かないのが人生だ。

「よう、お疲れ」

 その日もルーラでお偉いさんを遠隔地へ運ぶ仕事を終えた俺は、背後から声をかけられて振り向いた。

 あちらも仕事終わりと思しい男が、軽く片手を上げて歩み寄ってくる。俺にこの仕事を紹介してくれたイリアという魔法使いだ。

「どうだ、この仕事。さすがに、そろそろ慣れてきたか?」

「いやぁ、なかなか慣れねぇな」

 俺は答えながら自嘲する。

 身分の高い人間を相手にする仕事だけあって、俺達魔法使いにもそれなりの格好やら振る舞いが求められるのだ。

 まず見た目という面では、おそろしく仕立ての良い値の張りそうな制服が支給され、仕事中はその着用が義務付けられている。ついでに言えば、髪型も整髪料で整えているので、いまの俺は知らない人間からは、それなりにピシッと決まって見える筈だ。

 他にも、何日も風呂に入らず臭うような人間は論外で、仕事の予定が入っている間は身綺麗にしておくことが契約に盛り込まれているし、言葉遣いもあらかじめ詰め込まれた丁寧な定型文だけをなるべく使い余計な口は利かないように教え込まれている。

 所作についても、やれ背筋を伸ばしてできるだけ優雅に振る舞えだの、常に客の動きに気を配って粗相のないように行動しろだの色々とうるさく言われているので、やってることはルーラで人を運ぶだけなんだが、案外気疲れのする仕事なのだった。

「まぁ、俺らみたいな冒険者に、上品さを求められても困るわな」

 苦笑を返すイリアだったが、先達だけのことはあって、悔しいが俺よりゃよっぽど様になっている。

 歳は多分、俺より五つは上だろう。周りに他の人間が見当たらない今こそトッポい顔をしているが、仕事中はきっちりそれっぽく振る舞うから見栄えが良いんだよな。

「ホントにな。けど、あんたにゃ感謝してるよ。仕事の実入りもいいしさ、いざとなりゃ行ったことねぇトコにも連れてってもらえそうな知り合いもできたし」

 並んで控室に向かいながら、俺はそんなことを口にする。

「そういや、お前、あっちのスーだのある大陸の魔法協会には、まだ登録してないんだっけか?」

 スーが位置しているのは、エフィの実家がある大陸とも、また違う別の大陸だ。

「ああ。俺はずっとロマリアとか、あっちの方面を担当してっからな」

「登録だけでも、さっさとしておけよ。その方が、仕事の上でも都合いいだろ」

「うん、近い内にはと思ってんだけどさ」

「なんなら、俺が連れてってやろうか?」

「その日の報酬を全部渡せば、だろ?」

 イリアは、皮肉らしく唇を歪めた。

「そりゃ、当然。良心的だろ?」

「まぁな。マジで、近い内に頼むと思うわ」

「お、あっちに、なんか用でもあるのか?」

「ああ——そういや、あんたもスーに跳べるんだよな。『やまびこの笛』って聞いたことねぇか?」

「『やまびこの笛』? なんか、聞き覚えあるな」

 お、マジか。聞いてみるもんだ。

「ああ、スーの女から、寝物語にベッドで聞いたんだったか。どっかの塔にあるとかなんとか」

 そりゃまた、お盛んなことで。

「ふぅん。やっぱり、実際に伝承が残ってんのか」

なんだかの近くで吹くと、やまびこが返ってくるとかって奇天烈な笛だろ——あれ、何があるトコでっつってたかな。そんな笛はいいから、俺の笛を吹いてくれってまたはじめちまったから、あんま覚えてねぇな」

 まぁ、ちょいと外面そとづらがしっかりして見えても、所詮は冒険者の品性なんざ、こんなモンだ。もちろん、俺を含めてな。

 イリアと別れたその足で、魔法協会を訪ねて調べ直したところ、やまびこの笛の入手難易度は想像していたよりもかなり高いことが分かった。

 やっこさんの言っていた塔が『アープの塔』と呼ばれていることは、すぐに調べがついたんだが、ルーラで跳べる最も近いスーからでも、徒歩だと二、三ヶ月はかかりそうなほど離れているのが問題だ。

 こういう時、世界の広さを実感するね。

 いや、協会に置いてある世界地図で確認した限りでは、直線距離だとそこまで離れてないんだが、途中の大河やら山岳地帯やらを迂回して移動すると、それくらいはかかっちまいそうなのだ。

 ただ、スーは馬の産地らしく、現地で調達して全てが順調に行けば、おそらくひと月あまりで到着できそうな見通しは立った。

 まぁ、行って行けないことはねぇな。

 全てはファングが同行してくれれば、の話だが。

8.

「いた——坊っちゃん!!」

 旅立ちの準備もあり、その日は珍しく昼間からファング達と一緒に街中をぶらついていたら、血相を変えたおっさんがお供っぽい連中を引き連れてこちらに駆けて来るのが見えた。

「お前、ミゲルか!? 何故、こんなところにいる」

 ミゲルとか呼ばれた顎髭を生やしたおっさんは、驚くファングに詰め寄って大声をあげる。

「何故、じゃありませんよ! もちろん、探して来たんですよ! 坊っちゃんこそ、こんなところで何してるんです!」

「坊っちゃんはよせ」

 嫌そうに口にしたファングは、ちょっと俺の方を気にしているように見えた。

 いやいや、アメリアにもタマにそう呼ばれてるだろ、お前。いちいち今更からかいやしねぇよ。

 ミゲルも、ちらりと俺と姫さんの方を見た。

「お連れ様ですか」

「ああ。しばらく前からな」

「それは、どうも。ファング坊っちゃんがお世話になりました」

 軽く会釈してから、俺達に聞こえないようにファングに何事かを耳打ちする。

 はじめは、少しうんざりして見えたファングの顔が、みるみる険しくなるのが分かった。

「いま言ったことは、本当か」

 ここにヴァイエルが居なくて良かったな、ファング。じゃなけりゃ、情報の妥当性を提供者に確認する愚かさをなじられてたぞ。

 この時点では、俺はそんな呑気なことを考えていたのだが。

「はい。灯台下暗しというか、そうではないと言うべきか——ともあれ、一度お戻り下さい」

「……分かった」

 それでは早速、とミゲルはファングを連れて行こうとする。

 え、ちょっと待ってくれ。

「ま、待ってください」

 俺の思考に寸時遅れて、そう声に出したのはアメリアだった。

 チッと舌打ちの音をあからさまに立てて、ミゲルはアメリアの方を向くこともなく吐き捨てる。

「なんだ」

「こちらの方々に説明する時間をください。お友達になんのご挨拶もなくお別れなんて、あんまりです」

「そんな場合じゃないだろうが……」

 苦々しげに呟き、ミゲルはまた舌打ちをする。

「いや、俺からも頼む。こちらにも事情があるのでな」

 アメリアを庇うように立ち位置を変えて、ファングが言った。

 ミゲルはやや目を剥いてマジマジとファングを眺めた後、ほとんど敵意の篭った目つきでアメリアを睨みつけた。

「……仕方ありませんな。では、夕刻の祈りの鐘が鳴るまでに、魔法協会に直接お越し下さい。それまでに、こちらで手配を済ませておきます」

「分かった。手間をかける」

 ミゲルは開きかけた口を閉じて何事かを飲み込んでから、最後にもう一度アメリアを睨みつけた。

「おい、行くぞ」

 お供の連中を促して踵を返し、慌ただしく立ち去る。

 少々呆気に取られている俺と姫さんに、ファングは頭を下げた。

「すまん。俺が付き合ってやれるのは、どうやらここまでのようだ」

「え、ああ、うん」

 展開が急過ぎて、言葉が出てこない。

 だから、俺は突発的な出来事に弱いんだっての。

「とにかく、どこかで一旦落ち着いて、茶でも飲まぬか。そこで、詳しい話を聞かせるがよい」

 ことさらに何でもないような口調で、姫さんが提案した。

「あ、ああ、そうだな。どこにするか——」

 俺がきょときょとしていると、姫さんがあっさり近くの店を指差す。

「別に、どこでも良い。そこの店でいいじゃろ」

 前に言った通り、この街は観光客が多いからな。茶が飲めるような飲食店も、そこかしこに建っているのだった。

 正直なところ、俺はかなり呆然としていたので、特に異論もなく姫さんの指し示した店に移動した。

9.

「それで、さっきの者たちはなんじゃ。何を言われたのじゃ」

 全員に飲み物が供されて、二、三度口に含んだ頃合いに、姫さんがそう切り出した。

 ちなみに姫さんは、打ち沈んだ様子のアメリアの膝の上に無理やり乗って、一緒に座っている。

「うむ……姫には多少話したことがあったと思うが、実は俺は行方知れずの父親を探していてな」

 ファングは、途中から俺に顔を向けて言った。

「今回の旅は、それが目的のひとつでもあったのだ」

 え、そんなの初耳なんですけど。

 言うまでもなく顔に思いっ切り出ていたらしく、ファングは言葉を重ねる。

「いや、もちろんそれだけじゃなく、色々と事情はあったんだが……」

「俺に話すようなことじゃねぇってか」

「まぁ、そうだな。人に話すようなことじゃない」

 ああ、そうですか。

「いや、違う。身内の恥も含まれるのでな、そういう意味でだ」

 違うって何がだよ。俺は別に、何も言ってねぇだろうが。

「それは置いといてじゃな。すると先程の連中は、お主の家の者か。あの様子だと、その父親が見つかったのじゃな?」

 え、そうなの?

 俺の驚いた顔を見て、姫さんが苦笑した。

「なんじゃ、ヴァイスらしくないの。先程の様子と、ファングの話の切り出し方からして、それしか無いであろ」

 言われてみりゃ、そうだな。

 情けない話だが、この時の俺は頭が真っ白になっちまって、全然思いつけなかった。

 だってよ、そりゃもちろん、こういう日が近々来るのは分かってたよ。

 ただ、いくらなんでも、急過ぎるだろ。

 けどまぁ、そういうことなら、話は別だ。

「なんだ、良かったじゃん。そっか、お前、父親を探してたのか」

 なんか、どっかで聞いた話——とは真逆だな。

「父親ったら、あれだ、サイモンさんだろ? え、何、行方知れずだったのかよ。なんでまた」

 いらえは、すぐに返ってこなかった。

 それで、さっき触れそうになった微妙な身内の話だということに思い至る。

「ああ、あれか。どうせ例の、魔物退治の旅に出たまま戻って来ねぇってヤツだろ? オルテガさんといい、勇者ってのはどこも変わらねぇな」

 冗談めかした響きが、やけに浮いて耳に届いた。

 いかん、っとしすぎて、まだ話に追いついてねぇよ、俺。

「ったく、なんで言わねぇんだよ、水臭ぇな。言ってくれりゃ、あっちの大陸に居た頃だって、俺も聞き込みとか手伝えただろうによ」

「そうだな。スマン」

「まぁ、最初の頃は、そんな感じでもなかったか。俺も、お前のこと嫌いだったしさ」

「ヒドいことを言う」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前ぇが最初に俺のことを、負け犬とかこき下ろしたんだろうが」

「事実あの時は、負け犬の目をしていたからな。仕方あるまい」

 笑顔で何言ってやがんだ、この野郎。

「うるせぇよ。まぁ、とにかく、良かったじゃん。親父さん見つかって。お前の父親なんだから、どうせ立派な人なんだろ?」

 どうせは余計だったな。

「——ああ。俺は、父上を尊敬している」

「だろうな。お前、名乗りあげる時は、いつも父親の名前を先に言ってたもんな」

 なんとなく覚えていたのは、父親を敬うということを知らない俺とは、まるきり違うと感じていたからだ。

 すると、なんか知らんが、ファングはなんとも言い難いヘンな目つきで俺を見た。

「ああ、そうだな。父上の名声を世に広める手伝いができればと考えていたが、正直どこまで出来たかは心許ないな」

「いやぁ、自慢の息子じゃねぇの?」

 俺と違ってさ。

「だといいんだが」

 あン?

「なんかお前、故郷のことになると、途端にらしくなくなんのな」

「いや、そんなことはないが」

「あっそ。まぁ、身内のことなんて、確かに人に言うことでもねぇわな」

 そんな目で見なくても、分かってるよ、姫さん。

 ンなこと言ってる場合じゃねぇってんだろ?

「とにかく、見つかったんなら良かったじゃねぇか。急いで帰ってやれよ、気になるだろ——ああ、そうだ。俺はそっちを担当してなかったから跳べねぇけど、仕事仲間に言やサマンオサまで送ってもらえると思うぜ。頼んでやろうか?」

「ありがたいが、それには及ばん。さっき、ミゲルが手配をすると言っていたからな」

「そっか。まぁ、こっちはこっちでなんとかすっから、気にすんなよ」

「——偉そうなことを言っておいて、最後まで付き合ってやれず、本当にスマン」

 ファングはテーブルに両手をついて、額が付かんばかりに頭を下げ、慚愧に堪えないみたいな声を出した。

 それで、俺はコイツの言い草にうんざりしたような顔を作り、頬杖の上に乗せる。

「いや、謝んなよ。そういうトコが水臭ぇってんだよ、お前は。元々、そっちの都合がいい間だけって話だったろうが」

 できるだけなんでもないように、冗談めかして声音を取り繕う。

「どころか、ブルーオーブまで取って来てもらっちまったしさ。これ以上、お前の世話になるのもアレだなー、とか思ってたから、丁度いいよ」

 俺は、ブルーオーブの入った腰のフクロを叩いてみせた。

 しばらく頭を下げていたファングは、やがて顔を上げると、最近身につけた皮肉らしい笑みを浮かべて、得意げに俺に向けた。

「だったら良いんだがな。この先、俺が居なくても平気か、ヴァイス?」

 チッ。そんなの言わなくたって分かってんだろうが。

「平気な訳ねぇだろうが、ったくよ。お前がいる前提で計画立ててたのに、全部おじゃんだよ。マジでお前、道中の魔物とか、これからどうすんだよ。いままでは殆ど全部、お前が斃してたんだからな?」

「言うほど、お前だけでどうにかならなくもあるまいが、前衛が居ないのは確かに問題かも知れんな。誰か戦士でも雇ったらどうだ」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前の代わりが務まるようなヤツが、どこにいるってんだよ」

 お前、自分がどれだけ便利な人間か、良く分かってねぇだろ?

 マジで、この先の俺が不安で仕方ねぇよ。

「——まぁ、どうしても困ったら、俺を呼ぶがいい。その時は、必ず駆けつけてやる」

「言ったな? 絶対だぞ、お前」

 はじめて俺の方から拳を差し出すと、ゴッと音がするくらい強く合わされた。

 だから痛ぇっての、この馬鹿力が。

10.

「それで、アメリア。お主は大丈夫か?」

 姫さんが上を向きながら、アメリアの頬に手を添えて尋ねた。

「え、あ、はい、何がですか?」

 例によってニコニコしながら俺とファングを眺めていたアメリアは、急に我に返ったようにあたふたする。

「いや、別に何もないのなら、それで良いのじゃ。忘れるがよい」

「いえ……はい、ありがとうございます、姫様」

 膝の上のエミリーを、アメリアは後ろからぎゅーっと強く抱き締めた。

「く、苦しいのじゃ! 少し力をゆるめぬか!」

「だって、姫様。アメリアは淋しいです。こんな急にお別れだなんて……」

「やれやれ、甘えん坊は相変わらずじゃな。そんなことで、わらわと離れて大丈夫か?」

「大丈夫じゃありませぇん……ホントは、姫様にもついてきて欲しいです。けど、そんな訳にもいかないですから……」

 ここでアメリアは、俺に向かって頭を下げた。

「連れ出したのは私達なのに、姫様のことをお任せする形になってしまって申し訳ありません、ヴァイスさん。どうか姫様のこと、宜しくお願いします」

「なんじゃ。アメリアに心配されるようでは、わらわもお仕舞いじゃな」

「そんなぁ~」

 世にも情けのない声を出すアメリア。

「冗談じゃ。わらわの身など案ずるには及ばぬから、自分達の心配だけしておれ。それに、元よりヴァイス達との約束の方が先じゃしな?」

 そう言いながら、含みのある流し目を俺にくれる姫さん。敵わねぇな。

「ああ。エミリーのことは、こっちに任せとけよ」

「でも……ホントはお別れしたくないです。辛いです、姫様ぁ~」

「分かった分かった。本音を言えば、わらわも寂し……じゃから、苦しいのじゃ!」

「アメリア、あまり姫を困らせるな」

 ファングに諭されて、未練タラタラに腕を解くアメリア。

 上体をくるっと捻って振り向き、アメリアの頬に再び小さな手を添えて、目を合わせながら念を押すようにエミリーは問いかける。

「それで、アメリアは『本当』に大丈夫なのじゃな?」

「……はい」

「フム。確かに、全く信用ならぬな、これは」

 俺の方をちらと向きながら、芝居がかって片眉を上げてみせる姫さん。ヴァイエルとのやり取りのことを言っているんだろう。

「そんなぁ~」

「じゃが、アメリアがわらわに嘘を吐くとは思わぬ。その言葉、せいぜい『本当』にするがよい。頼んだぞ」

「……はい」

 全く同じ返事なのに、意味が違って聞こえるのだから不思議なものだ。

 まぁ、アメリアにはファングがついてるからな。その点に関してだけは、安心していいだろ。

「——では、そろそろ行くとするか」

 これまでの旅での出来事だとかを話の種に、ひとしきりお喋りに興じた俺達は、やがてファングの合図をきっかけに、バラバラと席を立つ。

「心配するでない、アメリア。お主ら人間と違って、果てることのないわらわじゃ。お主さえその気になれば、いつでも会いにくるがよい。わらわは、いつでもそこにる」

 とうとう泣き出してしまったアメリアを姫さんが宥めるのを聞きながら、俺はどうしても気になっていた。

 さっき、テーブルにつくほど下げていた頭を上げた時、俺に軽口を叩く前に、こいつに限ってあり得ないような揺らぎを、ファングの瞳に見たような気がしたのだ。

「——お前は大丈夫なんだよな?」

 だが、いらえは至って快活だった。

「当然だ。俺を誰だと思っている」

「サマンオサの誉れ高き勇者サイモンが一子、ファング——だろ?」

 俺が言うと、ファングはニヤリと笑みを返すのだった。

 アホくさ。俺がこいつの心配をするなんて、とんだお笑い草だったぜ。

11.

「二人きりになってしまったのー」

 ファング達を見送った後の、宿屋への帰り道。

 エミリーが、ちょっと茫とした様子で呟いた。

「あー、そうだなー」

 姫さんにも増して、ぼんやりとした返事をする俺。

 これが大人の女とだったら色っぽいセリフとシチュエーションなんだが、そんな冗談すら考える気になれない。

 ヤベェな、マジで。

 スーってトコまでは、仕事仲間に頼めみゃ送ってもらえるだろうが、そっから先はどうすりゃいいんだ。途方に暮れちまうよ。

「やはり、わらわ達だけでは、お主の言っておったアープの塔とやらに向かうのは無理なのか?」

 うーん。まぁ、危なくなったらルーラで逃げ帰りゃいいんだし、絶対に不可能とまでは言わないけどさ。

「ファングが言っておったように、誰か戦士を雇うのはどうじゃ?」

 いやぁ、ルイーダさんトコに顔を出す勇気は、正直まだ無ぇなぁ。

 それに、このランシールにも、ちょっと前に冒険者組合が出来たらしいんだが、まだ初心者ばっかでこっちが求める水準のヤツは居やしねぇしさ。

「ならば、どうするのじゃ!」

 否定ばかりで煮え切らない俺に業を煮やして、姫さんは怒鳴った。

「ああ、悪ぃ。違う、姫さんも考えてくれてるのは分かってるんだけどさ……マジでホント、どうすりゃいいんだよ……」

 頭を抱える俺の様子に、ふぅと息を吐く姫さん。

「まぁ、お主が困るのも無理はあるまい。ファングほど頼りになる男も、そうそう居らぬじゃろうからな」

 それな。

 いやー、あいつのお陰で、ここしばらくの俺がいかに楽をしていたかを思い知らされるね。

「とにかく、スーまでは行ってみようぜ。とりあえず、跳べるようにはしておきたいしさ」

「そこから先は、なんぞ当てはあるのか?」

「いや、マッタク」

「これじゃものな——」

 呆れたようなエミリーの言葉が、不意に途切れたように聞こえた。

 くいくいと、俺の袖を引っ張りながら、続ける。

「珍しい。ホビットがおるぞ」

 人のこと言えたセリフか?

 というツッコミは置いといて、俺達は例の世界一デカい教会の前を回り道をして通っていたんだが——良く考えたら、ちゃんと見物してなかったから、最後に観とこうと思ってさ——建物の隙間の路地ともいえない暗がりに、確かに人間とは異なるシルエットの小さな影が覗いていた。

「ああ、ホントだ」

「む、分かるのか。里にも居ったが、お主は会ってなかったと思うのじゃが」

「いや、別んトコで会ったことあんだよ」

 俺は『バーンの抜け道』を教えてくれたホビットのノルドを思い出していた。

 小柄でずんぐりむっくりしていて、背格好はそっくりだ。

 もうほとんど日が落ちている。

 街の灯りが届かぬ暗がりから、そのホビットが手招きしているように見えた。

「わらわ達に、なんぞ用があるようじゃぞ」

 いや、あからさまに怪し過ぎるだろ。

「ホビットは、お主ら野蛮なニンゲンとは違って、生来温厚な種族じゃぞ。心配ないであろ」

 俺が躊躇している間に、姫さんがスタスタと歩み寄ってしまう。

 ああ、くそ、しょうがねぇな。

 俺達が近付くと、ホビットは距離を置いたまま奥に進んでいく。

 建物の隙間の一番奥まで辿り着くと、ホビットはクルリと振り返り、たどたどしい共通語で語り出した。

「『消え去り草』ヲ持ッテルカ?」

「あ、ああ」

「ナラバ、えじんべあニ行クガイイ」

 ケケ、とか妙な笑い声を上げたかと思ったら、急に頭をガクンと垂れる。

「……眠っておるな」

 ホビットの顔を下から覗き込んだエミリーが、怪訝な声を漏らした。

 意味分かんねぇ。なんだこれ。

12.

 そんな訳で俺達は、いまスーに居ます。

 エジンベア?

 阿呆ぬかせ。あんな怪しげなホビットの言うことなんぞ、誰が聞くってんだ。

 まぁ、あの意味の分からなさは、却ってある連中の介在を俺に疑わせるには十分だった訳だが。

 どうせ、ありゃ魔法使い共の差し金だろ。連中にとっちゃ、俺が素直に従わないケースなんざ、ハナっから織り込み済みの筈だ。

 だったら、好きにやらせてもらうぜ。

 それにしても、エジンベアか。いつかエフィを連れてってやれたら——が、今はそれよりも『やまびこの笛』だ。

 スーはカラッとした陽気の、周囲を河川に囲まれた肥沃な土地だった。

 家畜は基本的に放牧されており——といっても、あくまで結界の範囲内における人間領域での話だが——中には確かに馬の姿も多かった。

 あと、ひょんなことから知ったんだが、この土地はアリアハンともランシールとも異なる母方の出自を辿る母系制の社会だそうで、なんというか、世界には色々な慣習や風俗があることを実感する。

 ひとつの考え方に拘泥するのが馬鹿馬鹿しくなるね。いつか、シェラに上手いこと語って聞かせてやりたいもんだ。

 なんてことを考えていた所為なのか、なんなのか。

 噂をすれば影がさすってのともちょっと違うが、俺と姫さんは、この地で意外な人物と再会することになる。

 だが、差し当たりそれは置いといて、住人に聞き込みをした結果、アープの塔と『やまびこの笛』に関する伝承がこの地に存在する裏を取ることはできた。

 ただし、ここの人間は大層な噂好きとおぼしく、氷に覆われた北のグリンラッドとやらの草原に偉大な魔法使いが住んでいるだとか、東の何もなかった草原に新しい商業都市が出来ただとか、渇きの壺がどうしただとか、他にもあやしげな情報が目白押しだったので、伝承の信憑性については眉唾ものと言わざるを得なかったが。

 とはいえ、他にアテも無いのだ。物は試しと馬を一頭調達して、姫さんを前に乗せてアープの塔に向かってみたんだが、やっぱり二人きりじゃ全然無理だった。

 いや、道中で出くわした、毒まみれの腐った死体だの頭でっかちの鳥みたいな魔物は、広範囲魔法が運が良く決まりまくったこともあって、なんとかなったんだよ。

 問題は、夜だった。

 姫さんと交代で火の番をしたんだが、心配で眠れねぇの、俺が。

 これはちょっと、想定外だった。

 自分が神経質で眠りが浅いってことを、うっかり失念してたぜ。ホラ、つい最近まで誰かさんのお蔭で、野宿でぐーすか眠りこけても、なんの心配も無い生活を送ってたモンだからさ。

 翌日は当然のように寝不足が祟ってフラフラな状態で、体長が俺の倍はあろうかという怪鳥ヘルコンドルの群れに襲われて命からがら逃げ回る一幕があった末に、結局ルーラでスーまで戻るしか選択肢がなくなっちまった。

 二日でこれじゃ、とてもアープの塔まで辿り着ける気がしない。

 マジで、どうすっかな。やっぱ、冒険者組合で前衛職を雇うしかねぇか。ただ、腕っこきの冒険者が都合良く空いてる可能性は低いから、足手纏いが増えるだけな気しかしねぇんだよな。

 そんなことを堂々巡りに鬱々と悩みつつ、スーの町外れをブラついてたら、例によって姫さんが俺の袖をクイクイと引いた。

「ヴァイス、見るがよい。喋る馬がおるそうじゃぞ?」

 促された方に目を向けると、『世にも珍しい喋る馬のエド! 今月限りの限定公開中!』という文字が、世界の始まりから立ってそうな年季の入った煤けた看板に書いてあるのが見えた。

 どうでもいいけど、最近の俺は周囲への注意を、ほとんど姫さんに任せ切りな気がするな。

「喉の構造が違うから、馬は喋れねぇだろ」

 脳内で悩み事を処理しながらの、俺のボンヤリとしたツッコミに、姫さんは処置無しといった塩梅で頭を左右に小さく振った。

「ホントにつまらんことを言うのじゃな、お主。それでは人間の女子おなごにモテぬのは、わらわにすら分かるぞ」

 随分と俗なことを言うようになったなぁ、とかまだボンヤリと考えている俺。

「あれ? 見たかったのか?」

「興味が無くては、考え事に夢中のお主に声などかけぬ」

 そりゃそうか。

 かなり深く潜っていた思考から、よっこらしょと自らを引っ張り上げて、俺は気付けに両手で頬を二、三度叩いた。

「悪ぃ悪ぃ、ちょっとシャッキリするわ。だから俺のこと、つまんない人間みたいに言うのやめてくれる? 傷付いちゃうだろ」

「別に、そんなこと言っておらぬ」

 いーや、言ったね。

「お主、ちかごろ面倒臭いぞ。いや、良く考えたら元からじゃな」

 え、姫さんにそんなこと言われると、ホントに泣きそうになるんだけど。

 ごめんごめん、確かにここんとこの俺は、自分の思考に没頭し過ぎてボンヤリしてることが多かったよ。これからはもうちょいシャンとするから許してくれ。

 とかなんとかやりながら、喋る馬のエドとやらを見物しに、案内板に導かれつつ厩舎へと向かう。

「なんだよ、これ。変な鳴き声してるから、ちょっと話し声っぽく聞こえるってだけじゃんか」

 入場料を払って中に入った俺達を、なにやら聞き覚えのある声が出迎えた。

 そちらを見ると、いつかと同じように腕白坊主——フゥマが、係のお姉さんに難癖をつけているところだった。

 こんなところで、なにしてんの、お前。

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