39. Strays of the World
1.
「あれっ、姫さん——と、あんた、そういや名前なんてんだっけ?」
「ヴァイスだよ」
この野郎、何度も耳にしてるだろうが。まぁ、馬鹿だから仕方ねぇが。
「え、なんであんたら、こんなトコいんの? いや、ちょっと待て——てことは、シェラさんもか!?」
やまびこの笛を求めて訪れたスーの地で、喋る馬のエドとかいう良く分からん見世物をひやかしに来た俺達は、腕白坊主のフゥマとばったり再会していた。
もはやお馴染みの黒っぽい道着を身に纏ったフゥマは、なにやら屁っ放り腰で左右をきょときょと見回す。
「いや、マズいって! オレ様、もっと強くなってからじゃねぇと……ああ、くそっ、でも、ひと目くらいなら……」
面白いくらいソワソワしてやんの。
「忙しいヤツじゃな。残念なお知らせじゃが、シェラはここにはおらぬぞ」
「いや、やっぱりダメだ! オレ様、誓っただろ、あの夕日によ——って、はぁッ!?」
姫さんに向かって、素っ頓狂な声をあげるフゥマ。
お前、やめろよな。姫さんが怖がるだろ。
「相変わらず、無駄に声の大きいヤツじゃ」
姫さんは俺の背後に身を隠し、顔だけ覗かせて眉を顰める。
「あの、すみません、もう少しお静かに……」
さっきフゥマに詰め寄られていた係の姉ちゃんが、おずおずと注意してきた。
「ああ、悪ぃ。つか、さっきはこの馬鹿がゴメンな」
腕白坊主に親指を向けながら、逆の手で軽く拝んで気さくな感じで頭を下げる。
いや、すこぶるつきの美人って訳じゃないが、この姉ちゃん、俺の好みなんだよね。
ここしばらく、マッタク色気のねぇ生活を送ってたモンだから、俺のやまびこの笛が反応しちまったっていうか。
「ンだと? 誰がバカだよ?」
お前だよ。
まぁまぁ、とか言いながら、フゥマの首根っこに腕を回してその場から連れ出そうとした俺の服を、姫さんが後ろから引っ張った。
「待つがよい、ヴァイス。わらわは、まだこの馬が喋るのを聞いておらぬ」
そういや、そうね。
「頼めるかい?」
俺が片目を瞑ってみせると、姉ちゃんは営業用の笑顔を満面に浮かべた。あ、こりゃ脈ナシですね。
「はい、もちろんです」
微妙に間の抜けた顔つきをした白馬の鼻面を柵越しに撫でながら、姉ちゃんは予め決められたセリフを慣れた調子で口にする。
「はい、こちらが世にも不思議な喋る馬のエドくんです。エドく~ん、お客さんにこんにちはってご挨拶してみようか。はい、せーの」
エドと呼ばれた白馬は、やる気のなさそうな濁った音で嘶いた。
「はい、よく出来ました~」
腰に下げていた袋から野菜を取り出して、馬に食べさせる姉ちゃん。
え、もしかして、いまのを喋ったって言い張るつもりなのか?
まぁ、最大限に好意的な解釈を施せば、寝ぼけた人間が水の中で喋ったみたいに聞こえなくもなかったような——いや、無理があるだろ。
「なんぞおかしなモノでも飲み込んでおらんか、この馬は?」
下から声がしたのでそちらを向くと、腕組みをした姫さんの難しい顔がフードから覗いていた。
「それが、色々気をつけて見てるんですけど、そんなことも無さそうなんですよねー」
思わずといった感じで、素に近い声に戻る姉ちゃん。
「じゃが、様子がおかしいのは確かじゃな。何というか、妙に馬らしくないというかじゃな——」
その時、まるで姫さんの言葉が分かっているように、エドが急にブルブル言いながら忙しなく前足で土を蹴り出した。
「お主、わらわの言葉が分かるのか?」
ンなアホな。
だが、姫さんの問いに答えるように、エドは何度も首を上下に振るのだった。
「ね、まるで人間の言葉が分かってるみたいでしょ? 最初に見つかった時は、すっごい話題になったんですよ~?」
飼育係の姉ちゃんは軽い調子で呑気なことを口にしたが、いやいや、そんなレベルじゃねぇだろ、これ。
「ちょっと待て。俺の言ってることが分かったら、右脚——右の前脚——いや、あんたから見てだ。あんたにとっての右前脚で、地面を三回蹴ってくれ」
果たせるかな、エドは右の前脚で、見事に地面を三回蹴ってみせた。
「ね、頭いいでしょ~?」
得意げに言って、エドの鼻面を撫でる姉ちゃん。
いや、あんた、これ見て、その反応でいいのかよ。
「へー、さっきのヘンな鳴き声より、よっぽどスゲェじゃん。こっちの芸を見せりゃいいのに」
とかほざいているフゥマは、馬鹿なので放っておく。
「あ、確かにそうですね!」
いい考え! みたいに賛同する姉ちゃん。
頭痛くなってきた。
「ヴァイス、これは……」
流石に姫さんは、もう少し深刻な声で俺を呼んだ。
「ああ、分かってる。普通じゃねぇな」
「そりゃ、普通じゃ見世物になんねーでしょ」
黙ってろ、腕白坊主。
「あれれ、どうしたの? よしよし、どうどう」
何かを訴えるように、俺達に向かって馬房の柵越しに何回も鼻面を突き出すエドを、姉ちゃんは宥めようと慌てて首を撫でる。
この飼育係の女は、エドが少し変わっているだけの普通の馬であることを疑っていないみたいだが、この土地の連中全員が最初からそうじゃなかった筈だ。
こんだけこっちの言うことを理解しているように見えるんだ、当初は色々と調べられたに違いない。
だが、言葉に反応するといっても、馬にできる範囲のことでしかないからな。妙に喋ってるように聞こえる鳴き声にしても、人間に理解出来るような代物じゃねぇし、所詮は馬という以上の評価を得ることもなく、単にちょっと賢い個体という程度に落ち着いて、こうして見世物にされたってトコか。
ただ——俺の場合は、ちょいと事情が異なるんだよね。
「ここって、いつ頃まで開いてるんだ?」
俺は姉ちゃんに声をかけた。
「え? あ、はい、夕方の鐘までですけど——もしかして、誘ってます?」
冗談めかして返しつつ、少しはにかむ姉ちゃん。可愛いじゃねぇか。
うん。俺もホントはそっちの方が良いんだけどさ。
うわっ、分かってるよ、慌てんな。だから、鼻面突っ込んでくるんじゃねぇよ、この馬面野郎。
「いや、閉まった後でいいから、ちょっとこの馬を見に来ていいかな。気になることがあるからさ」
「え——と、まぁ、鍵も私が持ってますし、出来なくはないですけど……どんなご用事ですか? あ、もしかして、動物のお医者さんとかだったりします?」
「そう見えるかい?」
「いいえ、全然」
おい。
「ヒデェな。まぁ、どう見えたとしても、実際にそんなところでね。んで、この子はこれで、とても優秀な助手だったりするわけよ」
俺は姫さんを手で示す。
「ああ、だからさっきも、心配するようなこと言ってたんですね」
「はぁ? 何言ってんの、アンタ。いつから医者になッ——」
俺はフゥマの首根っこを捕まえて小声で耳打ちする。
「いいから、ちょっと黙れ」
「ッ——なせよ。ンっだよ、意味分かんねぇ」
ブツクサ文句を垂れているフゥマの相手は後でするとして、姉ちゃんにはここ最近で身につけた上流階級向けの愛想笑いを浮かべてみせる。
「うん。それで、この馬の様子が気になってね。ここの営業が終わってからで構わないから、ちょっと診させて欲しいんだ。頼めるかな」
急に声音から仕草まで立ち振る舞いを変えた所為か、ちらっと下に目をやると、姫さんが信じられないものを見るような顔で俺を見上げていた。
なんだよ、そんなにらしくねぇか?
「は、はい、分かりました……いちおう、オーナーにも確認しますけど、多分大丈夫だと思います」
ほらよ。後で来てやっから、そんながっつくなって、エドさんよ。
「もしかしてエドくん、そんなにどこか悪いんですか?」
心配そうな姉ちゃんの声に、俺は慌てて笑顔を取り繕う。
「いやぁ、だから、それを調べるんじゃないですか。いやだな、ハハハ」
なにがハハハだ。
「あ、そうですよね。何言ってるんだろ、私。ごめんなさい」
お、ちょっと態度が変わったな。姉ちゃんは、こっちの方が好みか。
「それじゃ、夕刻の鐘の頃にまた寄らせてもらっていいかな?」
「はい、分かりました。それまでに許可は取っておきますね」
「ありがとう。手間をかけるけど、よろしく頼みます。その馬が心配だからね。それに、キミの不安も拭ってあげたいし」
「はい、よろしくお願いします」
そんな白々しいやり取りの末に、無事に姉ちゃんのお辞儀を勝ち取った俺は、フゥマの肩に腕を回して、もろとも厩舎を後にした。
「ッなせよ! なんだってんだよ、マジ意味分かんねぇ」
外に出るなり、フゥマは俺の腕を振り解く。
「お主、その内、詐欺師とかになりそうじゃな」
俺に向けられた姫さんの目が、まだ胡乱げだった。
「褒め言葉として受け取っとくよ」
俺の返しに、姫さんは苦笑まじりに応じる。
「いつもああしていた方が、人間の女子にはモテるのではないか?」
「ヤダよ、面倒くせぇ。言っとくけど、慣れてねぇから仕事でもスゲェ疲れんだからな? 普段から身内の前でまであんな気取ってたら、息が詰まって死んじまうよ」
「ま、お主にはそっちの方がお似合いじゃな」
これも、褒め言葉として受け取っとこう。両対応の俺に死角はないのだった。
2.
さてと、腕白坊主の相手をしてやるとするか。あんま放っとくと、スネちまうからな。
「で、お前、こんなトコで何やってんの」
ぞんざいな口調で尋ねる。
いや、こいつ相手には、こんくらいが丁度いいんだって。
「ァあ? いやさ、近く——かどうか分かんねぇけど、ここら辺っぽいトコで仕事したから、またオレ様だけ残って修行しようと思ってさ。初めて来たトコっぽいし、もったいねぇじゃんか?」
何がもったいないのかは良く分からんが、大方そんなこったろうと思ったよ。
仕事ってのは、どうせ例によってにやけ面の案件だろう。
「ヴァイス、お主——」
俺の考えを察して声をあげた姫さんを振り返り、フゥマから見えないように人差し指を口に当ててみせる。
この腕白坊主、腕だけは立つからな。
しかも馬鹿だから、扱いやすいんだわ。
フゥマにいい思い出のない姫さんは嫌そうな顔をしたが、コイツ以上にこっちの要望を満たせそうな人材は、いまのところ他に思いつかないんだ。悪いけど、堪えてくれ。
「相変わらずだな。そんで、お前、どうなの。あれから、ちったぁ強くなったのかよ」
「当ったり前だろ。言っとくけど、オレ様、あン時とは比べ物にならねぇくらい強くなってっから」
フゥマは、握った拳を凝っと見つめる。
「けど、まだ足りねぇ……オレ様、コレに関しちゃ、妥協したくねぇのよ」
思いつめた調子で呟いた。
うん、まぁ、なんでもいいけどな。
「そんなお前に、今度は朗報だ。おあつらえ向きの修行場所があんだけどよ、興味ねぇか?」
「マジかよ。あるに決まってんじゃん」
食い付きいいっつーか、入れ食いだな。
「お前なら、そう言うと思ったよ。『アープの塔』ってんだけどさ、そこの魔物がなかなか強いし、探索も難しいらしいんだよ」
「へぇ、塔かよ。いいな。オレ様も前に攻略したことあっけど、そこもなかなか歯ごたえあったぜ。こっから近いのか?」
「うん、まぁ、近いは近いんだけど、歩きだとソコソコかかるな」
ほんの二、三ヶ月くらい。
「お前、馬は乗れんの?」
「そりゃ乗れっけど、別に走っても追いつけっから、どっちでもいいぜ」
いや、嘘つけよ。いくらなんでも無理だろ。
自分に対してなんの疑いも持たないフゥマの屈託のない眼差しを目の当たりにすると、ホントに馬と並走しそうな気がしてくるから怖い。
まぁ、山越え谷越えの道行きだし、馬を全力疾走させることなんて魔物から逃げる時ぐらいしかねぇだろうから、こいつは徒歩でも大丈夫か。
いざという時は、切り離して囮にもできるしな。本人も修行になるって、むしろ喜びそうだしよ。
「ほんじゃ、明日とか出れるか? 朝の鐘が鳴る頃に、街の入り口ンとこに集合な」
「おう、いいぜ——てか、そういやなんで、アンタらシェラさんと一緒じゃねぇの?」
「ちょっと、色々あってな」
「そっか。そりゃそうだな。まァ、オレ様的にも誓い続行できたし、都合良かったけどよ——おっし、腕が鳴ってきた! オレ様、ちょっくらそこらで体あっためてくるわ!」
腕をぐるぐる回して、やたら張り切りながら去っていくフゥマをポカンとした顔つきで見送った姫さんは、やがて呆れた声を出す。
「簡単過ぎじゃろ。あやつ——その、大丈夫か?」
こころ良く思っていない筈なのに、思わずといった感じで気遣う言葉を口にする。
「うん。まぁ、あいつ、マジで細かいこと気にしねぇからなぁ」
「そういえば、あの洞窟でも、自分でそんなことを言っておったな。じゃが、さすがに限度というものがあるじゃろ。お主も、説明を端折りすぎじゃ」
「説明しても、どうせ聞かねぇからなぁ」
「うむ。ま、さもあろうな」
あっさり納得する姫さん。分かりやす過ぎて、一瞬で理解されてやんの。
「前も思ったけどさ、あいつは将来、絶対に詐欺で身持ちを崩すと思うんだよな」
姫さんは、嫌味まじりの視線を俺に向ける。
「であれば、ここでヴァイスとしばらく行動を共にするのは、あやつにとっても悪いことではないかも知れんな?」
さっきから人のこと、詐欺師まがいみたいに言うのやめてもらっていいですかね。人聞き悪いんで。
「てことで、街中の方に戻って、夕方までどっかで時間潰そうぜ」
「ん? ついさっき、通ってきたではないか」
うん、そうなんだけど、改めて店の下見とかして備えておきたいんだよね。ほら、エドの件を片付けた後に、あの姉ちゃんとどういう展開になるか分かんねぇだろ?
とは、もちろん言葉にしない。子供には、先に寝てもらわないといけねぇからな。
3.
「あ、お待ちしてました」
夕暮れ時に再び厩舎を訪れた俺達を、飼育員の姉ちゃんは笑顔で出迎えた。
お、この笑い方は、ちょっと期待できますかね。
「オーナーに許可も取れました——というか、よろしくお願いされちゃいましたので、どうかエドくんのこと診てあげてください」
「ありがとう。手間をとらせて済まなかったね。それじゃ、ちょっと診させてもらいます」
俺は自分に可能な限りの気取った微笑みを浮かべてエドに向かいながら、さりげなく姉ちゃんの顔に視線を移した。
「おや、あまり顔色が良くないみたいだ。疲れているようだけど、大丈夫かい?」
「え? そんなに疲れた顔してますか? 全然そんなことないんですけど——やだな、恥ずかしい」
「やっぱり、余計な心労を与えてしまったかな。申し訳ないね」
「いえ、そんな。気を遣っていただかなくても、大丈夫ですよ」
そりゃ、見れば分かんだけどさ。つやつやと血色のいい顔しやがって。
「無理しないで。もしアレだったら、奥で休んでもらってても構わないよ」
マズい、そろそろボロが出そうになってきた。
「いえ、そんな訳にも。いちおう、私も見ておくように言われてますし」
チッ、やっぱ無理か。
「そうですか。まぁ、無理はしないで」
姉ちゃんの説得を仕方なく諦めてそちらに向かうと、エドが待ち侘びたように鼻面を押し付けてきた。
「おっと、これは……ハハハ、参ったな」
このクソ馬野郎、特に口とか動物臭ぇんだよ。気持ちは分かるが、勘弁してくれ。
「おい、あんたの事情は大体分かってっから、マジでちょっと落ち着け。今すぐ止めねぇと、このまま帰っちまうぞ」
姉ちゃんに聞こえないように、低い声でエドに耳打ちする。
急に大人しくなったエドの様子に、姉ちゃんは目を丸くした。
「すごーい、さすが先生ですね! エドくんて、私以外にはなかなか人に慣れないのに」
「いやなに、ちょっとしたコツがあってね」
ヤベェ、愛想笑いが引きつってきた。
ひとしきりエドの首を撫でたり、目や口の中を覗き込んだりして、それっぽく振る舞ってはみたものの、旅の途中で愛馬の世話をするのとは訳が違う。獣医らしい動きってどんなのだよ。知らねーよ。
すみません、早くも限界です。お願いします、姫殿下。
俺が目配せをすると、姫さんはやれやれみたいな顔をして、呪文を唱える。
『ラリホー』
ランシールで魔物討伐をしていた時に覚えた姫さんの魔法が発動し、ロクに耐性を持たない姉ちゃんはくたりと崩折れて眠り込んだ。
「お主、大分言動が怪しかったぞ。立派な詐欺師への道は、まだまだ険しそうじゃな」
うん、目指してねぇから。
姉ちゃんに眠ってもらったのは、俺が悪戯をする為——では当然なく、ここから先の事は知らない方が身の為だと思ったからだ。
「さて、ようやく普通に話せるぜ。エドさんよ、俺が話してる言葉の意味を、アンタは理解できてるんだよな?」
喜んでいるのか、エドは地面を蹴ってから、念を押すように何度も首を上下に振った。
「分かった分かった。じゃあ、まずは簡単な決まりごとな? 俺の質問に対して答えが『はい』の場合は、今みたいに首を上下に振ってくれ。『いいえ』の場合は——そういや、馬って首を横に振るのは面倒臭そうだな。じゃあ、頭だけ小さく左右に振ってくれればいいや。分かったか?」
エドはまた何回も首を縦に振る。
「いや、一回でいいよ。疲れんだろ。それじゃあ、質問だ」
俺は気を落ち着けるように、一拍置いた。
「あんた、元は人間だな?」
エドが首を縦に振るのを見て、驚きを隠し切れずにエミリーが囁く。
「本当に、お主の言った通りのようじゃな……」
さっき街中で時間を潰していた間に、姫さんには俺の考えをおおよそ伝えてあった。
「だろ? じゃあ、次の質問だ。ここが肝心なんで、よく考えてくれ——誰が、あんたをそんな目に合わせたんだ? あんたを馬に変えちまった張本人を知ってるか?」
少し間があってから、今度は頭を小さく左右に振るエド。
「そっか、知らねぇのか」
そいつは残念だ。
「あんまハッキリしないような、心当たりみたいなモンでもいいんだけど」
エドはまた、頭を左右に振った。
なるほど。ある程度は予想してたが、やっぱり無作為で、且つ不意をつくようなやり方をしてるみてぇだな。
エドが人間から馬になっちまったのは、不可思議な怪奇現象なんかじゃなくて、どこかの誰かが変化させたのだという前提で俺が喋っているのには、もちろん理由がある。
口の中でブツクサ呟きながら、いつしか顔の下半分を手で覆い視線を落とした俺は、姫さんの何か言いたげな上目遣いに出くわして我に返る。
分かってるよ、いまこの場で自分の思考に沈み込んだりしねぇから。
「なら、俺の当て推量になっちまうけど、とりあえず聞いてくれ。あんたを馬にしやがったのは、多分、魔物の奴らだと思うぜ」
ブルルルル、とかエドは不審げに鼻を鳴らす。
案外、感情って伝わるモンだな。
「まぁ、いきなりこんなこと言われて、ハイそうですか、とは信じられねぇわな。でも、俺はあんた以外にも会ったことがあるんだよ。馬に変えられちまった人間にさ」
あれは、いまとなっては懐かしいポルトガでの出来事だったな。
ブルル……と、今度は少し抑えられた鼻息が聞こえた。
「あと、猫に変えられちまった女もいたな。そいつらをそんな目に合わせたのは、魔物の仕業だって話だったぜ」
まぁ、あいつらは昼夜交互に人間に戻ることが出来ていたが、話がややこしくなるから、いまは黙っておいた方がいいだろう。
「どうも魔物の中には、人間を使ってなにやら実験をしてるヤツがいるみたいでな。あんたが、その実験台に選ばれちまったのは——何も心当たりがないってんなら、多分たまたま、偶然だったんだと思うぜ」
聞いてる内に徐々に鼻息が荒くなったと思ったら、エドは前脚を上げてヒヒーンと激しく嘶いた。
そりゃ、怒るわな。
「お主、もう少し言い方を考えてやったらどうじゃ」
「えー、さっきから気ぃ遣って喋るの、もう疲れたよ」
姫さんには悪いが、このままいかせてもらおう。
「あんたが馬にされたのって、だいたい二年から三年くらい前じゃねぇか?」
上下の首の振りが、それまでの半分くらいになった。
「ん? 違う——って訳でもなさそうだな。ああ、こんな生活じゃ、どのくらい時間が経ったかなんて、あんま良く分かんねぇか。まぁ、でも、何年かは経ってる感覚なんだな?」
首の振りが若干大きくなる。
しかし、分かってたことだが、なかなか会話が面倒臭ぇな。
「あんた、人間に戻りたいか?」
今度は深く激しく、何度も首を縦に振るエド。
「そっか。まぁ、そうだわな。なら、もうちょい頑張って思い出してくれ。馬に変えられた前後に、あんたの周囲に魔物の影がちらついてなかったか?」
考えるように少し時間を置いてから、エドはフルフルと頭を左右に捻った。
「姿を見たってだけじゃなく、魔物を街で見かけた噂を聞いたとか、いつもは見かけない怪しい余所者がその時期だけいたとか、なんでもいいんだ。なんか覚えてねぇか?」
エドが、自信なさげに頷こうとした気配があった。
「お、なんかあったんだな? 余所者の噂を聞いたのか? けど、別に魔物って訳じゃなかったってトコか」
躊躇いがちに、頭が上下する。
「ふん、多分それだな。実際に馬に変身させられてるアンタには信じられると思うけど、魔物の中には人間に化けられるヤツがいるんだよ」
ニュズを思い出したのか、姫さんが顔を顰めた。
「まぁ、俺達が会ったヤツと、ここに来た奴が同じかどうかは分かんねぇけどな——さて、これ以上は話が込み入ってて、喋れないとキツいな。あの姉ちゃんも、土地の人間なら、その余所者の噂は知ってんだろ?」
エドは軽く頷いた後、ブルルと鼻を鳴らして俺を威嚇するような素振りを見せた。
なんだよ、ソレは。粉かけんなってか?
コイツ、さては姉ちゃんに惚れてやがんな。趣味が合うじゃねぇか。
「ンな顔すんなって。分ぁかったよ、手ぇ出しゃしねぇから。ただ、ちょっと話を聞くだけだから、安心しろよ」
ブルル、ブルル言って抗議してやがる。面倒臭ぇから、話をすり替えてやれ。
「そんな心配すんなよ。魔物が関わってるなんて、姉ちゃんには分かんねぇように上手いこと喋るからさ。余計なことを知っちまって、魔物に付け狙われでもしたら大変だからな」
じゃないと、わざわざ眠ってもらった意味がない。
そのラリホーの効果も、そろそろ切れる頃合いだ。
「アンタの方も、全く当てが無い訳じゃねぇから、まぁ期待しないで待っててくれよ」
「もしかして、『変化の杖』のことを言っておるのじゃな?」
ああ、そうか。姫さんも、一緒にヴァイエルのトコにいたから、その話は知ってるんだったな。
「まぁな。化けたモンを元に戻せるかは知らねぇけど、見つけて持ってきゃ、後はアレがなんとかしてくれんだろ」
年がら年中偉そうにしてんだから、それくらいはやってもらわねぇと。
「師匠をアレ呼ばわりしてよいのか?」
揶揄するような姫さんの口振りに、口をへの字にしてみせる。
「『アレ』でももったいねぇくらいだよ」
マジで。
4.
「ん……」
色っぽい声に続いて姉ちゃんが薄目を開き、しばらくぼーっとしてから、不意にガバッと身を起こした。
「え——あれ!? あたし、眠っちゃってました!?」
「おはよう。うん、グッスリお休みだったよ」
俺は上っ面に微笑を湛えて姉ちゃんに向ける。危ねぇ、なんとか間に合った。
「あれ~……? ホントに疲れてたのかなぁ……」
おかしいなぁ、とかブツブツ独りごちる姉ちゃん。
「世の中には、突然眠ってしまう病気もあると聞くからね。ああ、いや、君がそうだとは言わないけれど」
そんな世迷い言をほざきつつ、姫さんと目配せして小さく頷き合う。
俺達、呪文使いの冒険者は、正当な理由もなく魔法で一般人に危害を加えることを厳しく制限されているのだ。禁を破れば、当然のように冒険者資格は剥奪の上、通常よりも重い刑に処される。
今回の場合は、別に危害を加えた訳じゃ無いから問題無いとは思うが、被害者の自己申告みたいなトコもあるからな。
獣医とその助手って自己紹介したこともあって、いまは俺達が魔法を使ったなんてことは全く思いもよらないみたいだが、この後メシでも食いながらもう少し様子をみて、役所やらに駆け込みそうにないことを念の為に確認しておきたい。
というのが、俺が姫さんに前もってしておいた言い訳だった。
完璧だろ?
実際、嘘ではねぇしな——針小棒大なだけで。
「それで、エドくんのことだけどね」
やべ、姉ちゃんへの言い訳は、あんまちゃんと考えてなかった。脳味噌を猛烈に働かせて、その場で思いついた適当なでまかせを端から吐き出していく。
「——ちょっと信じられないんだけど、どうやらあの鳴き声は、人間の喋り方を真似しているみたいなんだ。喉の造りが違うのに無理をして喋ろうとするから、ああいうおかしな鳴き方になるんだろうね」
そういや、このあと飲みに誘うとしたら、しばらくはこの立ち振る舞いで通さないといけねぇのか。ちょっと失敗だったな、面倒臭ぇ。
なるべく早めに、実は最初の砕けた感じが素なんだよ、みたいな方向に持ってくしかねぇな。
そんなことを考えながら、俺はせいぜい感心したような表情を作る。
「仕事柄たくさん馬を見て来たけど、こんなに賢い個体に出会ったのは初めてだよ。マッタク、驚きの一言だ」
「ですよね! エドくん、ホント頭良いんです。ね~?」
我が事のように嬉しそうな姉ちゃんに首を撫でられて、満更でもなさそうなエドを見ていると、あんた人間に戻ったら相手にされなくなるんじゃねぇの、とか皮肉のひとつも言いたくなる。
「ただ、身体的には至って健康なんだけどね——」
俺はあえて思わせ振りな間を置いて続ける。
実際は、別に意味なんてないのだが。
「エドくんが話題になったのは、いつの頃だったか覚えてるかい?」
「え……っと、どのくらいだったかな——あれから私の誕生日が——うん、多分三年は経ってないくらいだと思います」
「話題になった時には、もう今と同じくらいの大きさに成長していた?」
「そうです。もうこの大きさでした」
「それなのに、急に話題になった?」
「はい——あ、違うんです。エドくん、ここで育った訳じゃなくて、外から来て居付いたんです。野生の馬にしては人に慣れてるから、多分どこかの隊商の馬だったんじゃないかって話でしたけど」
魔物に襲われて、数頭の馬だけ残して全滅した気の良い連中のことが、ちらりと頭をよぎった。
「そうか……ああ、いや、その辺りのことを詳しく聞かせて欲しいんだけどね、ちょっと話が長くなりそうなんだ。ここじゃ何だし、どこかで落ち着いて食事でもしながら聞かせてもらえると嬉しいんだけど。もちろん、お礼に奢らせてもらうよ」
「いえ、そんな。こっちが診てもらってるのに、悪いですよ」
「いやいや、こんなに可愛らしいお嬢さんと食事をご一緒できるんだから、それだけでこちらが奢る理由としては十分だよ」
くそ、ロランみてぇなこと言っちまった。多分、こうじゃねぇな。
「エドくんの為にも、頼むよ。もう少しだけ、時間をもらえないかな」
少し方向修正しての、俺の卑怯な言い方が功を奏したのか。
「うん……じゃあ、はい」
姉ちゃんは思ったよりもあっさり頷いた。
「分かりました、エドくんの為ですもんね。それで、具体的には何を聞きたいんですか?」
「それも、向こうでゆっくり話すよ」
「アハハ、了解です。じゃあ、ちょっと着替えてきますから、少しだけ待っててください」
「ごゆっくり」
微妙に頬をほころばせて裏の小屋へと歩み去る姉ちゃんを見送りながら、俺はそこそこの手応えを感じていた。
ただ、まだ好みがいまいちはっきりと掴めねぇな。どの線で攻めればいいのかを、早めに見極めねぇと。
ふと気付くと、姫さんが呆れた顔を俺に向けていた。
なんだよ。別に俺、ヘマ打ってねぇだろ?
「お主……女の尻を追いかけている最中に、他の女に目移りするのはどうなのじゃ?」
「は?」
え、なに? 急にどうしたの?
すると姫さんは、はぁ~っとわざとらしいくらい大きな溜息をつくのだった。
「これでわらわも、旅の途中でニンゲンを色々と注意深く、一人の時でも見て回っておったのでな。それで最近分かってきたのじゃが、お主らニンゲンの男というのは、本当にしょうもないの」
やべぇ、姫さんが人間の女みたいなことを言い出した。
慎重に隠していた筈の俺の魂胆があっさりバレちまうほど、森厳な隠れ里で清廉に育ったエルフの姫君は俗世にまみれちまったらしい。
「ファングがいかに一途な男じゃったか、ほとほと良く分かるのじゃ」
いや、アレは特殊な例だから。アレを基準にしないでもらえます?
「仕方ないから、お主が粗相を致さぬように、わらわが見張ってやろうというのじゃ。ありがたく思うがよい」
「え、それはもしかして、俺と姉ちゃんの食事についてくるっておっしゃってます?」
先に宿屋に戻ってるって、さっき時間を潰してた時に了承してくれたじゃないですか。
「それ以外に聞こえたのか?」
いや、そんな薄い胸を張って言われても。
子連れで女を口説けるかよ。
「なに、わらわはお主が過ちを犯せなかった理由になってやろうというのじゃぞ。お主が自分を納得させ易いような、都合の良い理由にな。じゃから、感謝されこそすれ、邪険に扱われるいわれはないのじゃ」
何をまた意味の分かんねぇことを。
ホントに陰険野郎に、なんかヘンなことされてない? 大丈夫?
まぁ、そんな訳で、その日の夕飯は、俺と姉ちゃんと姫さんの三人で、仲良くテーブルを囲んだのだった。
お陰様で色っぽい話には全くならなかったよ、畜生め。
最近良く思うけど、姫さんって、無駄に長く生きてる訳じゃないのな。
そういや、エルフって『森の賢者』とか呼ばれてたっけか。ゴシップ好きな賢者様ってか。
なんか、ありがたみねぇな。
5.
俺が飼育係の姉ちゃんから極めて健康的に聞き出した話によれば、今からおよそ三年前にスーで目撃された余所者は男女の二人連れで、誰が見ても明らかに様子が尋常ではなかったという。
ひとりは粗野な大男。もうひとりは男好きのする派手な女で、こちらはもしかしたらニュズが化けていたのかも知れない。
魔物がこの地で悪さを企てたのは、エフィのトコよりずっと前だから、化ける技術もまだ拙かったと思しく、特に男の方は、まるで魔物のようだと目にした奴が揃って口にしたそうだから、相当下手くそだったのだろう。
どちらも、妙に焦点が合っていないような、まるで感情の読み取れない目つきをしていたらしく、麻薬でもやっているに違いないとヒドく噂になったそうだ。
特に子供は近づかないように言い含められていたようで、悪いことをするとあの二人に捕まって森の奥深くに連れ去られ、生きたまま解体されてしまうのだと、しばらく躾けに使われたほどだったという。
街全体に垂れ込めていた、そんな不穏な空気を吹き飛ばしたのが、喋る馬エド発見のニュースだった。
当時は近隣で大層話題になったらしく、奇態な余所者のことなど忘れて皆が浮かれ騒いでいる間に、いつしかひっそり姿を消していたという話だ。
また、同時期にロッキーという男が行方不明になったそうで、例の二人の余所者が殺して埋めたのだ、だから連中は罪が露見する前に逃げ出したのだという、まことしやかな噂が囁かれた。
どうやら、そのロッキーってのが、エドの正体と考えて間違いないだろう。
それにしても、今回も魔物が何かしら企んでたってことしか分かんねぇな、これ。
なにしろ何年も前の話な上に、当事者達が魔物が関わっていたなんぞとは夢にも思っていないのだ。これで、連中の思惑を探ろうとするのは無理がある。
ただ、これだけあちこちで似たような話を聞くと、最初は半信半疑だった『魔物の中には人間を理解しようとしている連中がいる』という妄想が、俺の裡で徐々に真実味を帯びてくる。
連中の人間への拘りは、一体何に端を発してるんだ——
「——ィス。ヴァイス!」
俺の前に騎乗した姫さんに腿を叩かれ名前を呼ばれて、俺の意識はようやく思考の海から浮かび上がる。
「なにをしておる! 魔物じゃぞ!!」
姫さんが指し示す先では、既にフゥマが魔物とやり合っていた。
俺達はいま、『アープの塔』に向かって旅をしているのだ。
適当にだまくらかして連れてきたフゥマは、やはり、こと戦闘に関しては有能だった。
様々な土地の魔物を相手に修行を重ねた成果か、そっち方面の知識も豊富で——但し、伝えるのが絶望的に下手くそだから、他人の役には立たねぇが——はじめて目にする魔物に対処する際の勘所も文句なしだ。
ただ、徒手空拳だけに、毒まみれのゾンビ野郎とは相性が悪い。
『メラミ』
俺の呪文が、死してなお動かされ続ける屍体を火葬する。
周囲の魔物は、それで最後だった。
「あんた、ボーッとしてんなよな。お陰でうっかり、毒食らっちゃったじゃんか」
姫さんにキアリーで治してもらいながら、フゥマが俺に文句を垂れる。
「悪い。ホントに気をつけるわ」
うぅ、姫さんにまで非難がましいジト目で見られちまった。
流石に、マジで反省しねぇと。考え事は、しばらく封印だな。
気合を入れ直して、遅まきながら冒険者モードに切り替えたこともあり、そこから先は危惧していたよりも順調な道行きだった。
相性の悪い魔物は俺が引き受け、無茶をしても姫さんに回復してもらえるので、一生戦い続けられるとフゥマは上機嫌だった。
思ったより旅足を早めることができたのは、山河を完全に迂回するのではなく、越えられそうなところで突っ切る路を選べたのが大きい。
馬が一頭に対して人が三人というのも都合が良かった。
丁度フゥマが案内人のような格好で、常に少し先行して辺りの様子を伺い、道が険しいところでは手綱を引いてくれたりしたお陰で、俺と姫さんだけでは絶対に越えられなかったであろう隘路も、然程の無理なく越えることができた。
その上、「そこ、足元すべりやすいから気をつけろよ」みたいなことを、しょっちゅう注意してくれるのだ。
いまは共連れなのだから、そうするのが当たり前だ、みたいに無心で。
なんというか、マジで裏表がないというか、きっとこいつの目には世界は単純に映ってるんだろうな。そして実際に、それが真実なのかもしれなかった。
そんな気分にさせられる。
ともあれ、ファングとはまた別の意味で、想像以上に便利な男だった。
6.
そんな便利な男が、その夜は少しばかり様子が違っていた。
火の番は俺とフゥマが交代で回しているのだが、先に休んだ俺が予定していた頃合いに起き出して、倒木を転がしただけのベンチに腰掛けて夕暮れ時に汲んでおいた水を飲んでいる間も、ずっと焚き火を見つめたままなかなか眠りにつこうとしなかった。
「なに、どうしたの、お前。眠らねぇのかよ」
声をかけても、ああ、とか、うん、とか言うばかりで、ロクに返事をしやがらねぇ。
明日の俺と姫さんの安全の為にも、きっちり躰は休めて欲しいからな。少し強めに言ってやるかと口を開きかけたところで、ポツリと言葉を漏らす。
「あのさ……オレ様、ここんトコ変なんだよ」
「うん、お前はいつでも変だったぞ」
「バッ、ちっげーよ! そういうんじゃなくてさ……俺、気がつくと、あの人のことばっか考えちまうんだ」
なにやら、自分に様を付け忘れるほど思い詰めているらしい。
「シェラのことか?」
「ッ……だよ、悪ぃかよ」
「いや、全然」
便利なヤツは嫌いじゃねぇからな。
「なんか、別れてすぐより、どんどんそんな感じになっちまってるんだ。これって、なんなんだ?」
「よく聞く、会えない時間が想いを募らせるってヤツじゃねぇの」
知らんけど。
「ッ、茶化すなよ。オレ様、真剣なんだよ」
「いや、別に茶化してねぇよ」
口の中でブツクサ呟いたフゥマは、やがてはぁ、と切なげな溜息を吐いた。
「マジで、好きになっちまったかもしんねぇ」
え、いまさら!?
お前、まだソコなのかよ。
それとも、腕白坊主にしては、よくそれを自覚できたと褒めてやるべきか。
「あのさ、あの人——シェラさんてさ……」
何かを言いかけて、フゥマは言葉を止めた。
ゴッと骨を打つ音が聞こえるくらいの強さで、自分の頬の辺りを殴りつける。
「え、なんなの、お前」
ちょっと引き気味で言う俺。怖ぇよ。
「いや、なんつーか……聞こうとしたこと自体が失礼っつーか……手前ぇで問題ないって言っといてよ」
「ああ」
そのことか。
「直接確かめたことはないから、俺もハッキリしたことは言ってやれねぇぞ」
言葉の意味は分かるのに、俺が言ったことが理解できない、みたいに動きをピタリと止めたフゥマは、やがて顔を真っ赤にして俺を怒鳴りつけた。
「ッたり前だろッ!! 直接なんて見てやがったら、手前ぇッ、ブッ殺すかんな!!」
「えぇ……俺も知らねぇって教えてやっただけなのに」
気持ちを落ち着けるようにひとつ息を吐き、フゥマは抑えた声で続ける。
「……けど、そうなんだろ?」
「まぁ、そうだろうな」
あんな嘘を辛そうに吐く理由が見当たらない。
フゥマはしばらく黙った後、焚き火に視線を落としつつボソリと呟く。
「なぁ……」
「なんだよ」
「……男同士でするのって、どうやんだろうな」
飲みかけていた水を吹き出しそうになった。
いきなり何言い出すの、この子。
「いや、ワリ、知らねぇけど——まぁ、なんとなく想像つくだろ?」
「やっぱ、そうなんかなぁ……相手がアンタだったら死んでも無理だけど——」
ヤメロ。
「シェラさんだったら、別に違和感なく出来ちまいそうなんだよなぁ……」
思わずその場面を想像しそうになるから、しみじみ言うの止めてくれる?
まぁ、でも、付き合うとなったら外せない部分だもんな。こいつなりに、真剣に考えているんだろう。
「あのさ、オレ様、ロマリアで遊んだじゃん? シェラさんと」
いや、ハナから俺がよくご存知みたいな体で切り出すなよ、お前。
まぁ、覚えてっけど。
マグナがアルスと、俺がリィナとロマリアの街中をブラついた時だろ。なんでか、犬とか探してよ。
あの後は、マグナとリィナが喧嘩して大変だったな。
シェラは、もっと大変だったけど——
「あの時、オレ様、スゲェ幸せだったんだよ。あんなの初めてでさ、それまで女と付き合うヤツとか、軟弱野郎がってバカにしてットコあったし。でも、スゲェ幸せで、なんだこれって思って、ああ、幸せってこういうのを言うのかって」
語彙力。
「なんか、あの人見てると、胸の奥がウズウズしてさ、スゲェ可愛くて、オレ様が絶対守ってやらねぇとって思って」
まぁ、気持ちは分かる。
「でもさ、あの人、ヘンに甘えたりしねぇだろ? そこらのオンナは、すーぐこっちを使おうとしやがんのによ。なんか、ちゃんとしてんだよ」
そうだな。もっと甘えて欲しいくらいだ。
「ニックの旦那とやり合った時だって、オレ様スゲェ情けないザマ晒しちまって、惚れた女——うん、女の一人も守れなかったのによ、ガッカリされても仕方なくて、オレ様ホントに情けなくて、でも、ありがとございましたって感謝してくれんだよ。オレ様がいたから、みんな死なずに済んだって」
実際、そういうトコはあったしな。お前なかなかカッコ良かったから、あの時のことだけはちょっと誇ってもいいぞ。
「あンなん言われたら、もっと強くならなきゃって思うじゃんか?」
それは、よく分からんが。
「そういうのが、いぢらしい? つーかさ、なんかさぁ……いいんだよなぁ……」
お前、ベタ惚れじゃねーか。
知ってたけど。
「あー、なんか、喋ってたら、悩んでんのが馬鹿らしくなってきた! やっぱ、俺、シェラさん好きだわ!」
何かが吹っ切れたのか、すごいあっけらかんとフゥマは口にした。
「聞いてくれてあんがとな。そんじゃ、オレ様寝るわ。おやすみ」
言うが早いが座っていた丸太を飛び越し、そのまま地面に寝転がって、すぐに鼾をかき始める。
ものすごい勢いで取り残された感満載の俺は、しばらく呆気にとられつつ、のっそりと焚き木など火に投げ入れて過ごす。
まぁ、シェラとのことは、もうこいつら自身に任せるとして。
最近、周りにいるのがこいつやファングだから、なにやら自分がすげぇ不貞な人間な気がしてくるぜ。
ランシールでイリアだのに会っといて良かったよ。あやうく自分の常識が崩れちまうトコだったわ。
7.
そんな純情小僧の活躍もあり、俺達は見込みよりも早いひと月足らずで、海辺に建つ目的の塔に辿り着いたのだった。
そして、そこで衝撃の一言を聞くことになる。
「あれ、この塔、オレ様たちがこの前攻略した塔じゃんか」
麓で塔を見上げながら、フゥマがそんなセリフをポツリと漏らしたのだ。
馬鹿が何を言っているのか理解するまで、今度は俺がしばらくかかった。
遠くに聞こえる潮騒の音が、虚しく引いては押し寄せる。
「……はぁ?」
「いや、だから、前に塔を攻略したって言ったろ。それがここだって——」
「おまえよー」
思わず口からこぼれ落ちた言葉を追うように、ガクリと頭を垂れる俺。
そうだよな、塔の名前なんて、お前が覚えてる訳ないよな。馬鹿だもんな。
これは、よく確認しなかった俺の責任だわ。
でも、せっかく見直したのに、台無しだよ、お前。
「おまえよー」
抑揚なく平坦に繰り返す俺。
「ンだよ、しょうがねぇじゃんか、オレ様ルーラで直接ここまで連れて来られたんだから」
拗ねた口調で反論するフゥマだったが、いや待て、聞き捨てならねぇぞ。
「は? いまなんつった?」
「だから、ルーラで連れて来られたんだって。場所とかなんも分かんなくても、しょうがねぇっしょ」
ルーラで連れて来られただと?
「そんな訳ねぇだろ。こんなトコに魔法協会がある筈ねぇしよ。どうやって跳んできたってんだよ」
目的地に契約済みの魔法陣と先導役の魔法使いが居ねぇと、どこに跳んでくか分かったもんじゃねぇだろ。
「オレ様が知る訳ねぇじゃん、ンなこと」
こいつ、馬鹿の癖に尤もなことを。
なんだ? 近くに隠遁系の魔法使いでも棲んでやがんのか?
それとも——
「ホラ、なんか、アルスってのがいるじゃん。割りかし腕の立つヤツ」
あ? なんでここで、野郎の名前が出てくんだ。
「アイツが先行して、この塔まで来たとか言ってたぜ、そういや。なんか、ご苦労さんみたいなこと言ってたな」
主語を言え、主語を。まぁ、言ったのは、にやけ面だろうが。
どういうことだ。ジツはアルスの野郎がヴァイエルのご同輩でした、なんてこた天地がひっくり返ってもあり得ねぇし、一体どんなカラクリだ。
くそ、一度アリアハンに戻って、陰険陰気野郎から考えを引き出したいところだが——
いや待て、慌てるな。ここに来た目的が失われたと、まだ決まった訳じゃない。
「そんで、お前ら、こんなトコまで何しに来たんだよ? 目的はなんだったんだ?」
「?」
なんで不思議そうな顔つきで、俺を見返してんだよ。
「ああ、そっか、目的ね。いや、オレ様、あんまそういうの気にしねぇからさ。なんつってたかな……笛だかなんだかを探してたみたいだぜ。勇者の為に取りに来たとか言ってたな」
マグナに渡す為に?
オーブ探しの手伝いのつもりか?
どうもいまいち、にやけ面の行動原理が掴めねぇな。
「んで、結局見つかったのかよ?」
「ああ、なんか思い出してきた。割りと面倒なトコにあってさ、なんか縄とか伝って上の方から飛び降りなきゃ行けなくてよ、ホントにココ飛び降りんのかよってオレ様が聞いてンのにさ、アルスのヤツが先に飛び降りやがって、負けられッかってオレ様も飛び降りて——まぁ、割りと面白かったぜ」
途中で面倒臭くなったのか、フゥマは雑に説明を終えた。
なんにしろ、既に『やまびこの笛』が持ってかれた後なら、もうこの塔に用はねぇな。
「つか、いつまで入り口いンだよ。早く入ろうぜ」
「いや、もういいや。『やまびこの笛』が無ぇなら、わざわざのぼる理由もねぇし」
「ハァ? アンタらまさか、このまま帰るつもりかよ?」
うむ。帰る時は、ルーラですぐだからな。
「いや、言ったろ。この塔の魔物、結構骨があっていいんだって。ちょっとのぼってこうぜ。ここまで来といて、もったいねぇじゃんか」
だから、なんなんだ、そのもったいないの精神は。
「わらわ達はお主と違って、別に修行をしに来た訳ではないからのー」
ほら、姫さんも乗り気じゃねぇってよ。
ちなみに、道行きを共にする内に、フゥマがただのウツケ者だということが理解できたらしく、以前と比べれば姫さんの態度も大分軟化している。
「マジで言ってんの、アンタら? なんの為にここまで来たんだっての」
ホントにな。
つか、お前に言われたくない訳だが。
「じゃあ、いいよ。オレ様だけ残って修行してくから」
なにスネてんだ、この小僧は。
「別にいいけど、お前、ひとりでどっかの街まで帰れんの」
「そンなん、どうにだってなるっしょ」
どうにもならなさそうだな、これ。
「しょうがねぇな……じゃあ、二、三日だけ付き合ってやるよ」
「……しょうことないの」
姫さんもため息を吐く。子供の遊びに付き合わされる時に達する類いの諦観だった。
「マジか。悪ぃな、よろしく頼むわ!」
いやいや、少しは疑問を持てよ。「なんでオレ様が付き合ってもらうみたいになってんだよ!」くらいのツッコミはしてもいいんだぞ。
素直で、こっちは助かるけどよ。
8.
とはいえ、別に目的があって探索をする訳じゃないのだ。
本当にただ塔に巣食う魔物を討伐するだけなので、上階深くまで足を伸ばして、より危険なそこで夜を越したりする必要もない訳で、俺達は浅い階を中心に、塔から出たり入ったりして三日程を過ごした。
都合のいい事に、塔の正面にはちょっとした広場のような空間があり、あちこち崩れてはいるものの、周りをぐるっと壁で囲まれているので、塔の内部や森が近い周囲の草はらで過ごすよりは、夜も多少は安全に過ごすことができた。
当たり前だが、この数日の間に上機嫌だったのはフゥマだけで、俺と姫さんはもうウンザリという顔を隠そうともしなかったが、そんな腹芸がウツケに通じる筈もなく。
そもそも俺は、魔物相手とは言え、こっちからわざわざ押しかけて退治するみたいなやり方が、あまり好みではない。
『——大体さぁ、頭ごなしに魔物が悪モンだって決め付けてんのは、アタシはオカシイと思うんよ』
アッサラームで出会った変わり者の商人ほどには魔物寄りの考え方も出来ないが、襲われたから迎え撃つとか、もしくは人間領域を取り戻すってお題目があるならともかく、これじゃどっちが非道なんだか分かりゃしねぇよ。
俺と姫さんのウンザリ加減とフゥマの満足度が、そろそろ逆方向に釣り合いそうだったので、夕暮れ時にでもスーに戻ることを提案しようと考えていた、その日のことだった。
朝遅くに起き出して——ちなみにフゥマは、俺と姫さんがウダウダと惰眠を貪っている早朝から跳び起きて、そこら辺で躰を動かすことを日課としている。マッタクご苦労なこった——のんびり昼飯を食った後にひと休みしてから、急かすフゥマをボチボチいなし切れずに嫌々ながら塔に向かうべく重い腰を上げる。
そんな時に、例によって姫さんが、俺の袖をクイクイと引いたのだ。
「ん? どした?」
何気なく下を見ると、姫さんは予想以上に真剣な眼差しで、広場を囲んだ壁の隙間から近くの森の方を見詰めていた。
「樹々が騒いでおる。誰か、襲われておるぞ」
え、マジで。
「人間が、魔物にか?」
姫さんの長い耳が、ピクピクと小刻みに動く。
「おそらくな。かなり数が多そうじゃ。じきに、こっちにやって来そうじゃぞ」
「お、マジかよ」
舌舐めずりをするみたいな表情をフゥマは浮かべたが、いや、お前は毒まみれの屍人野郎が苦手だろ。
相手が動く屍体と決まった訳じゃないが、嫌な予感がした。こういう時は、多分当たりだ。
「どうするのじゃ、ヴァイス」
姫さんの問いかけに、俺は頭を掻きながらいらえる。
「まぁ、見捨てる訳にもいかねぇだろ」
気付いちまったらな。
それにしても、人間が襲われてるってこた、近くに集落でもあんのかね。まぁ、今はいいか——
「エミリーは、フード被っとけよ」
姫さんに言いつけながら、俺は壁の隙間を抜けて広場から外の草はらに出る。
大人数を守りながら戦うんじゃ、こんな拓けた野っ原は論外だな。相手次第じゃ広場に誘い込んで腕白坊主に暴れさせる手もあるが、それよりは——
やがて、俺にも聞こえるくらい、土を蹴る音や叫び声が近づいて、逃げ惑う集団の先頭が森からとび出した。
「ホラ、森を抜けたよ、お前達! もうちょいだから、しっかりしな!」
後ろに向かって励ますように声を掛けているのは、紫がかった波打つ髪をバンダナで押さえた、気風の良さそうな女だった。
どことなく、ルイーダ姐さんを思い起こさせる。
つか、スタイルいいな。
少し遅れて森を抜けた数人の男達の後ろから、わらわらと動く屍人共が姿を現わした。
いや、多いって。人間の数の倍はいやがるぞ。下手に反撃しちまって、逆に周囲の同族を呼び込んで手に負えなくなったってトコか。
本当に、悪い予感っての当たるもんだ。
アイツら、見た目の印象より動きが素早いんだよな。人型してっから、人が通れるようなとこは大体踏破できるし、撒くのは案外難しい。
「おい! こっちだ!」
案の定、毒屍人共を目にしてしかめっ面を浮かべるフゥマを視界の端に捉えながら、俺は先頭の姉ちゃんに向かって大声で呼び掛け、腕全体を使って手招きをする。
気付いた姉ちゃんが逡巡したのは、ほんの一瞬だった。
「お前達! あの兄さんの方に向かうよ!」
いい体をした姉ちゃんが、ガタイのいい男達を引き連れて勢い良く駆けて来る。すげぇ迫力だな。
「向こうだ。中に入っててくれ」
姫さんとフゥマに先導させて、前もって開いておいた塔の門から、姉ちゃん一行を中へと逃げ込ませた。
殿に残った俺は、半ば朽ちて無残な皮膚を晒した屍人共に向かって呪文を唱える。
『ベギラマ』
もちろん全滅させるのは無理だが、足止めくらいにはなるだろう。
炎壁に行く手を阻まれて、屍人共は口から空気が漏れ出るような音を合唱させた。それはまるで、まだ生きている俺たちへの怨嗟の声だ。
そういえば、こいつらを対象にした研究成果って目にしたことねぇな。この屍人共が、道中で魔物に襲われた人間の成れの果てか、それとも元からああいう魔物なのか、はたまた擬態か何かなのか——いけね、また思考の井戸に引きずり込まれるところだった。
「すまねぇな」
冥福を祈っても気休めにしか思えなかったので、単なる詫び言だけを口にして、今更ながらにモヤモヤとした気分を抱えたまま、俺は屍人共から視線を外し、他の連中の後を追って塔の門扉をくぐった。
9.
そして、俺達はいま、とある海賊船の船長室で、後ろ手に縄で縛り上げられて、床に膝をついて並ばされている。
どうしてこうなった。
「さァてと……」
ウェーブした髪をバンダナで押さえたいい体をした女は、長い脚を組んで腰掛けていた大きな書斎机から跳び下りると、側に控えていた人相の悪い男から湾曲した幅の広い刀を受け取った。
軽く振り回すと、ヒュンヒュンと空気を斬る鋭い音がする。
と、いい体をした姉ちゃんは、その切っ先を俺の眼前にビタリと突き付けた。
「それじゃ、答えを聞かせてもらおうじゃないか」
なんか知らんが俺達は、助けた筈の連中に、これ以上ないくらい見事に脅迫されている最中なのだった。
いや、なんでだ。