Interlude ~幕間~

酒場にて

「はぁっ!?」

「マジで!?」

 とある酒場の一角で、俺と隣りの女は、ほぼ同時に驚愕の声をあげていた。

 丸テーブルを挟んで斜め向かいに腰掛けている、やたらがっちりとした体躯の男が怪訝な表情を浮かべる。

「それほど、おかしいことか?」

「え、いや、だって、いま聞いた話だと、あなたとその人は、もう一年以上も二人で一緒に旅をしているのよね?」

「ああ、そうなるな」

「しかも、町ではいつも、一緒の部屋に泊まっていたんでしょう?」

「そうだな」

「そうだなって、え、いや、だって……」

 呑兵衛のんべえの女僧侶は気持ちを落ち着けるように、手にした度の強い酒を水みたいにぐいっと飲み干した。

 相変わらずのうわばみっぷりだ。

「それなのに、その人に一度も手を出してないって、ホントなの貴方あなた?」

「……下世話な言い方をするな」

 憮然としながらも、否定はしない正直者。

 それを受けて、女僧侶——ナターシャは、感心してんだか呆れてんだかよく分からない酒臭いため息を、はぁーっと吐き出した。

 ここは、アリアハン。

 何日か前までいた大陸から遠く離れた、俺の生まれ故郷だ。

 俺達は、お嬢——エフィの屋敷からルーラでこの地に戻っていた。

 逆に向こうにゃ、ルーラじゃ行けねぇからな。魔法協会の支部すら無いあんなド田舎に足を踏み入れる機会は、きっともう訪れないだろう。

 つまり、宣言通り見送りにも来なかった金髪の雇い主は、こんなロクデナシに関わって人生を無駄に消費する心配を、これ以上する必要が無くなったって訳だ。

 今頃はせいせいしている筈で、全くなによりだよ。

 マグナ達を一緒に探しに行く約束を交わしている姫さんはもちろん、まだファングやアメリアとも行動を共にしている。

 ファングは、故郷であるサマンオサにそろそろ一度戻るつもりだみたいな話をしていたが、彼の地を訪れたことのない俺じゃルーラで送ってやれねぇし、誰か他の魔法使いに頼むにしろ、船団に潜り込むにしろ、アリアハンくらいデカい都市じゃないと難しいからな。

 それで、とりあえず一緒に戻ってきたんだが、今日はなんだか一杯引っ掛けたい気分だった俺は、ふと気が向いて、日暮れ時にファングを飲みに誘ったのだった。

 考えてみりゃ、こいつとはじっくり膝を付き合わせて飲んだ試しがなかったからさ。

 色々と聞きたいことも溜まってるし——特に、さっき俺とファングを満面の笑顔で送り出したアメリアとのこととかな。

 根掘り葉掘り引き出してやろうと意気込んでいたら、昔組んでた女僧侶のナターシャが、入った酒場に偶然居合わせたのだ。

 まぁ、この女は、街にいる間は毎晩どっかの酒場を渡り歩いてやがるからな。昔つるんでたこともあって、行動範囲もよく似ているので——というか、俺の行きつけは、大抵こいつに教わったトコだ——それほど驚くような偶然じゃない。

 驚くべきは、ファング、手前ぇの方だよ。

 いや~、もしかしてとは思ってたけどさ……まさかこの男、ホントにアメリアと『致して』なかったとはなぁ。

 そりゃ確かに、普段のこいつらを見てると、そっちの方がしっくりとは来るんだけどさ。

 ちょっと信じらんねぇよ。そんなこと、有り得んのか?

 何?

 女三人に囲まれながら一年も旅を続けて、誰にも手を出さなかった唐変木がいるじゃねぇかだと?

 どこのどいつだよ、そりゃ。そんな阿呆がこの世に存在する筈がねぇ。

 ていうか、ファングとアメリアは、どっからどう見ても両思い丸出しじゃねぇか。

 それでも手を出さない理由が、俺にはよく分かんねぇよ。

 その思いは、ナターシャも同じだったと見えて。

「え、ちょっと待って。よく分からなくなってきたわ。出自が貴族様だから身持ちが固いって訳でもないわよね。貴族様の方が、そういう方面じゃよっぽど性質たちが悪いものね」

 ましてや、相手は使用人でしょ? と偏見に満ちた呟きを口の中で転がしつつ、通りがかった給士の盆から新しい酒を引ったくり、ナターシャは続ける。

「この人は駆け落ちしたんだって、あなたそう言ったわよね、ヴァイス?」

 なんで俺に聞くんだ。

「いや、俺はそう聞いてるけどさ……実際のトコ、どうなんだよ?」

「……まぁ、形としては、そういうことになるのかも知れん」

 答えたくなさそうに、ファングはむっつりと口にした。

「てことは、あなた、そのアメリアさん……だったかしら? その人のこと、好きなのよね? なんたって、駆け落ちするくらいですものね」

 ファングは仏頂面をしたまま、今度は答えなかった。

「アメリアさんにしたって、危険な旅になると分かっていながら自分からついてきたってことは、当然あなたに想いを寄せてる訳で……つまり、あなた達はお互いに好き合っていて、いつも一緒の部屋で寝泊りしてるのに、それでも一度も手を出したことがないっていうのは……あのね、サマンオサの勇者様にこんなことをお尋ねして、本当に申し訳ないと思うんだけど」

「……なんだ」

「その、あなた……もしかして、身体的な事情で——」

 珍しく言い淀むナターシャの口振りで俺は察したが、ファングは要領を得ない顔つきだ。

 しょうがねぇな。

 身を乗り出して俺が耳打ちしてやると、何度目かでファングはようやくナターシャの言わんとしているところを理解して、顔を真っ赤にしながらテーブルをドンと叩いた。

「ふざけるなっ!!」

「まぁ、俺もそれはねぇと思うぞ。コイツの、すげぇデケェしさ」

 なんで、俺がフォロー入れてんだ。

「あら、大きさって関係あるのかしら? てゆうか、なんでヴァイスがそんなコトを知ってるのよ……ハッ、あなた達、まさか!?」

 ナターシャは、わざとらしく両手で口を覆って、俺達を見比べた。

「ちっげーよっ!!」

 馬鹿アマ、ふざっけんな!!

 見たくもねぇのに、旅の途中で立ち寄った公衆浴場で目に入っちまっただけだっての!

 だってコイツ、風呂場でもやたら堂々として隠さねぇんだもん。

 確かに、ふんぞり返って見せつけたくなるほど、ご立派なモノでしたけどね。

「でも、そうよねぇ。見た感じ、すごい強そうだし……だから、なおさら信じられないよのね。アメリアさんて、ウチの勇者様が出発した日にルイーダさんのトコで一緒に見かけた、あの方でしょ? すごーく魅力的な方だと思うのだけれど、あんな人がいつも側にいて、少しも『したい』と思ったことはないの、あなた?」

「おい、ヴァイス。なんなんだ、この下品な女は。お前が知り合いだというから……」

「あらあら、ごめんあそばせ。育ちが悪いもので。これでも勇者様の手前、いつもよりお上品に口を利いてるつもりですのよ?」

 ナターシャは、あからさまにからかってオホホとか笑う。

 下品な、と呟きながら苦虫を大量に噛み潰しているファングは、どうやらこういうノリが苦手らしい。

「で、アメリアさんとしたくないの?」

 ぬけぬけと再び問いかけ、ナターシャはニヤニヤと視線を俺にくれた。

 その視線を言葉に翻訳すると、『おもしろいオモチャを見つけたわ』てなトコかね。

「……貴様には、関係無かろう」

「あらぁ~、勇者様ともあろうお方が、言葉を濁して逃げるだなんて。ちょっとガッカリですわぁ~」

 女相手だと強くも出れないのか、さっきから押されっぱなしじゃねぇか、ファング。

 こんなタジタジなお前は、はじめて見るぞ。

 面白ぇ。もっとやれ。

「俺が、逃げているだと?」

 ギロリ、とファングはナターシャを睨みつける。

 だが、ナターシャは涼しい顔だ。

「あら、そうじゃありませんの? だったら、はっきりとお答えくださいな」

「……イヤだ」

 ファングの受け答えが、ガキみたいになってきた。

「なんで貴様なぞに教えてやらねばならんのだ」

「……はっは~ん、そうゆうことですの」

 どういうことですの?

「本当にアメリアさんがお好きでいらっしゃるのねぇ……どこの馬の骨とも知れない、こんな下品な女に喋ったら、大切なアメリアさんへの想いが汚されてしまう、と?」

 いや、そりゃねぇだろ。どんだけ純情なんだよ。子供じゃねぇんだから。

「……」

 なんで言葉に詰まってんだ、ファング。

 お前まさか、ホントにそうなのか?

 ヤベ、吹き出しそうだ。

「——分かりましたわ。事情も知らずに、からかったりして申し訳ありません。本当にアメリアさんを大切に想ってらっしゃるのね。とても素敵なことだと思います」

 一転して、ナターシャは急に殊勝なことを言い始めた。

 なんだ? 攻め方を変えるのか?

「おっしゃる通り、こんな下品な女に、何も答える必要はございませんわ。けれど……肝心のアメリアさんご本人には、もう少しハッキリとした形で、そろそろ気持ちをお伝えになった方がよろしいんじゃありませんの? 彼女だって、きっと首を長~くして、ずうぅ~っと待ってますわよ」

 慣れない喋り方をしているせいか、所々怪しい言い回しで、ナターシャはそんなことを口にした。

 てっきり『必要ない』とか、いつものように短く切り捨てられるだけだろうと思っていた俺の予想は、あっさりと裏切られる。

「……そうなのか?」

 その声に含まれた、どこか肯定して欲しそうな響きに、俺は内心で仰天する。

 あれ、お前、意外とアメリアとのことで悩んだりしてた訳?

 ナターシャが、また密かに視線を投げてくる。

 今度も翻訳するなら、『チョロいわね』か。

 正に手玉に取られてるな。答えたも同然だということに、ファングは気付いてねぇんだろうな。

「それはもう、当たり前のことですわ。貴方のように立派な殿方にありがちなことですけれど、女にそのような欲望が無いと思ったら大間違いです。心に決めた方ならばなおのこと、その逞しい腕に包み込まれて溶け合ってしまいたいと願うもの——」

「い、いや、待て。なんの話をしている」

 狼狽気味に、ファングはナターシャの言葉を遮った。

「なにって、ナニの話ですけど?」

 だから下品って言われんだよ、このアバズレが。

「ち、違う! 俺が言っているのは、そういうことではなくてだな……」

 こいつが言い淀むなんて、マジで珍しいな。

 天変地異の前触れか?

 それとも、お前、まさかとは思うけど——

「アメリアに好きだって言った事がないとか、そういう話じゃねぇだろうな?」

「はぁ?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で絶句するナターシャ。

 やべぇ、ファングのヤツ、返事しやがらねぇよ。

 マジだよ、こいつ、マジかよ。

 お前ら、いつもあんだけお互いに言葉にしないで好きだ好きだ言い合ってるみてぇな間柄の癖しやがって。

「お前さ……」

 俺の嘆息に負けん気を触発されたのか、ファングは拗ねた顔でほざく。

「男がそんな事を、軽々しく口に出来るか」

 思わず苦笑が漏れちまった。

 お前らしいっちゃらしいけどさ。

「……それにだな、そういうことは、連れ合いになって責任が取れるようになってからでなくては、してはいかんだろう」

 律儀にナニのことまで言及するファング。

 よかったぜ。全く知識が無い訳じゃねぇんだな。

 それに、性欲が無い訳じゃねぇのも知ってるぞ。エフィの屋敷で、ニュズの痴態を喰い入るように眺めてやがったのを、俺は忘れてねぇからな?

 しばらく黙っていたナターシャが、はぁーっと感じ入ったように長く息を吐いた。

「いるんだねぇ、こんな男が。現実に」

 なにやらファングを見る目が、いっそ愛おしそうになってやがる。

「女と見れば押し倒すことしか考えてないような連中としか、普段から付き合いがないもんだから、すっかり忘れてたよ。こりゃ、自分の人付き合いを反省するところかもねぇ」

 そんなことを言いながら、長い髪をかき上げる。

「なんだか良く分からんが、そうするがいい」

 良く分かんねぇのに偉そうだな、お前は。

「でもね、サマンオサの勇者様。アメリアさんにちゃんと気持ちを伝えた方がいいっていうのは、やっぱりそう思うわよ」

「……そうか。いや、幼い頃から、ずっと一緒だったんで、ついな」

「その口振りは、自分でも気にはなっていたんでしょ?」

「……まぁな」

「いままで一度も言ったことがないなら、なおさらよ。いっくら信じ合ってるって言っても、やっぱり不安になることだってあるもの。ていうか、惚れた男に好きって言われて、嬉しくない女なんていないんだから」

 いや、まぁ、それは男も同じだけどな。

「う……む」

「なにを怖がっているの?」

 怖がってる? って、こいつがか?

 またしても意外なことに、ファングはナターシャの言葉を否定しなかった。

「……郷に少々気がかりを残していてな。情けないことを言うようだが、それが片付くまでは、そういう気になれないのもある」

 珍しく、視線を落とす。

「自分がどうなるかも分からんのに、あまり軽はずみなことも言えんだろうよ」

 おいおい、どうしたんだ、今日のお前はよ。まだ、それほど酒も飲んでねぇだろ。

「まぁ、色々あるわよね。貴方みたいに立派な人にだって、生きてれば色々ね」

 ナターシャは、軽く杯を掲げてみせた。お前は飲み過ぎだ。

 つか、ファング、手前ぇ。

 俺に偉そうな説教たれときながら、自分だってよからぬ未来に勝手に怯えて、手を伸ばせばすぐ届くもんを諦めてんじゃねぇか……って、あれ? いや、諦めてはいねぇのか?

「よし、今日は飲みましょ。あたしが奢ってあげるから!」

「いや、それには及ばんが……」

「なーに遠慮してんの、あたしとあんたの仲じゃない!」

 ナターシャは、ファングの肩を馴れ馴れしくバシバシ叩く。

 どんな仲だよ。

「それに、サマンオサの勇者様にお酒を奢るなんて、なかなか得難い経験だわ。是非とも、その栄誉に預からせてちょうだい」

 まぁ、なんだかんだで打ち解けたみたいで、良かったよ。

 アメリアが目にしたら、結構気を揉みそうだけどさ、この状況。

 それにしても、アリアハンの酒場という状況も手伝ってか、あの時のことを思い出すな。

「そういやさ、ファング」

 昔さんざん言われた恨みってんじゃないが、俺もちょっとくらいは苛めてやるとするか。

「さっきナターシャも言ってたけど、お前、ルイーダの酒場ではじめて会った時のこと、覚えてるか?」

 俺のニヤニヤ笑いで察したのか、ファングは想像以上にバツが悪そうな顔をした。

「いま、それを言うか」

「ああ、言うね。お前、すげぇイキってたろ、あの時さ。テーブルに飛び乗ったりしてよ」

 おお、こいつが俺の言葉でこんなに動揺したのは初めてじゃねぇか?

 くくく、ざまぁみさらせ。

 だが——

「マグナ殿にはすまなかったと思っている」

 神妙な面持ちで、ファングはそんな、らしくないことを言い出したのだった。

「あの時は、俺も郷を出たばかりで力が入り過ぎていたのが、いまなら分かる。自分は何事かを成せる筈だと信じ込みたくて、焦っていたのだ。過ぎたことは取り戻せんが、指摘されると恥ずかしいものだな」

「恥ずかしい過去ができてよかったな。これでお前も、ようやく一人前だ」

「そういうものか?」

 いや、適当だけど。

「いま思うと、あの頃は俺も若かったな」

 ファングがやけにしみじみと言うもんだから、ちょっと吹き出しちまった。

「いやいや、あれからまだ二年も経ってねぇだろ」

「成長するには充分だろう? 男子三日会わざれば、とも言うしな」

 ちっ、手前ぇにお似合いの格言を持ち出しやがって。

「俺のような人間にも、世界を旅すれば色々あるさ。色々、な」

 さっきのナターシャ言葉を借りて口にするファング。

「まぁ、確かに、お前の名前はアチコチで聞いたけどよ」

 ロマリアでも、イシスでも。

「改めて思うが、世界を旅した経験は、俺にとって本当に財産だ。郷に居たままでは心身共に凝り固まって、今頃は身動きが取れなくなっていたかも知れん」

「お前がかぁ?」

「ああ。世界の広さに触れて、俺も下らんしがらみや拘りから、随分と自由になった」

 へぇ。こいつでも、そんな風に思うことがあるんだな。

 と、なんのつもりか、ファングはニヤリと俺に笑みを向ける。

「それに、お前とも出会えたしな」

 急に、何言ってんだ、こいつ。

 数ヶ月前に、同じアリアハンで再会してから、エラく株が上がったもんだな。

 いや、だから、変な目で見んじゃねーよ、ナターシャ。このバカの言ってることに、そういう意味は微塵もねぇから。

 自分の酒を舐めつつ、照れ隠しにそっぽを向いた俺にとって、この日の飲みはそれほど特別な訳じゃなかった。

 意味を帯びてくるのは、もっと後の話だ。

 しかし、当然ながら、この時の俺には知る由もなかった。

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