37. THERE I GO AGAIN

1.

「やっぱり、ここが一番落ち着くわ」

 前を歩くエフィが、くるっとこちらを振り返りながら、そんな言葉を口にした。

 スカートの裾がふわりと舞ったが、丈が長いのでふくらはぎくらいしか拝めない。

「ああ、違うのよ。もちろん、貴方との——貴方達との旅は楽しかったけれど……ここは私が生まれ育った場所ですものね。だから、やっぱり落ち着くなって、そういう意味ですからね?」

 俺達がジパングからエフィの故郷に戻って、早や二日ほど経つ。

 夜が更けたら会いにくるように言われていた俺は、長旅の疲れですっかり寝入るのが早くなった姫さんを起こさないように部屋を抜け出して、お嬢のもとに馳せ参じたのだった。

 どういう風の吹き回しか、部屋を訪ねた俺を、エフィは散歩に誘った。

 そんな訳で、俺達はよく手入れの行き届いた屋敷の庭を、連れ立って歩いている。

「座りましょ」

 中庭の噴水をぐるっと半周して、お嬢は脇に設えられたベンチに腰をおろした。

 俺は、大人しくエフィの提案に従った。

 今夜は、雲ひとつない快晴だ。夜空では星々を従えた月が、淡い光で地上を照らしている。

 中庭に設置された屋外灯のお蔭もあって、隣りに座るエフィの顔ははっきりと見えた。

 俺が、そちらを向けばのハナシだが。

「いい風——」

 不意に通り過ぎた夜風が庭木を揺らし、エフィはなびいた金髪を手で押さえた。

 ここらの地域は、そろそろ汗ばむ季節に差し掛かっているので、確かに夜風が肌に気持ちいい。

「ねぇ」

 エフィの声に単なる呼びかけ以上のものを感じて、俺は心の中で身構えた。

 考え過ぎかね。

「ここは、いいところでしょう?」

「——ああ」

 俺が頷くと、エフィは嬉しそうな顔をした。

「こんな風にしみじみと、ここがいい処だなんて感じたことは無かったのに、おかしな話よね。きっと、生まれて初めて町の外に出て、貴方と旅をした後だからなんだと思うわ。離れてみて、改めて故郷の大切さが分かるっていう話は、よく聞くものね」

「そうだな」

 我ながら、相槌には気持ちが篭っていなかった。

 だって、実家をおん出てからこっち、せいせい思いこそすれ、故郷を懐かしんだ試しなんて無ぇもんよ。

2.

「もちろん、今でもエジンベアのことは自分のルーツだと思っているし、きっととても素敵な処なんだと思うわ。けれど、一歩も足を踏み入れたことのない『そこ』を故郷と呼ぶだなんて、なんだか白々しいものね。私のふるさとは、やっぱりここなんだわ」

 そりゃそうだな、と思ったが、そんな身も蓋もない返事は、エフィも期待していないだろう。

 俺には他に、言わなくちゃいけないことがある。それをどう切り出そうかということばかりに気をとられて、返事もせずにエフィの言葉に耳を傾ける。

「お父様のご威徳もあって、町の中ならば平和で安全だし……あ、もちろん、貴方のお蔭でもあるのは、よく分かってるわ。これでも、本当に感謝してるんだから」

 ふふっとはにかんだのは、先日の人攫いと魔物退治の件についてだろう。

 実際のトコロ、俺は大したことしてないんだけどね。

「……ここは、いい処でしょう?」

 エフィは、同じ台詞をもう一度繰り返した。

 言葉は同じでも、微妙にニュアンスが違う気がした。

「でも、貴方はやっぱり、ひとつ処に留まるのは苦手なのかしら。わざわざ冒険者なんて生業を選んだくらいですものね」

 いや、まぁ、どうかな。あんまりそういう観点からモノを考えたことがねぇな。

 別に旅から旅がしたくて冒険者になった訳じゃねぇし、そもそもアリアハンで冒険者を続けてれば、王都に腰を据えたままだったろうしさ。

 とはいえ、これは話を切り出すいいきっかけに思えた——が、どうにも踏ん切りがつかない。

「そういえば——ねぇ、知ってる?」

 声の調子をがらりと変えて、エフィは明るく言った。

「なにが?」

 つい、うかうかと新しい話題に乗ってしまう。

 言うべきことも言わねぇで、何をまごついてんだか。

「ファング様とアメリアさんのこと」

「へ?」

 あの二人が、どうかしたのか?

「あら、その顔は知らないのね」

 エフィはちょっと得意げに、ふふんと笑った。

 そんな仕草は、割りと可愛い。

「あの二人はねぇ……」

「うん」

 エフィは、思わせぶりに一拍溜めた。

3.

「ジツは——駆け落ちなんですって」

 エフィの言葉を理解するまでに、瞬き五回分くらいかかった。

「はぁっ!?」

 マジで?

 駆け落ちって、アレか。

 結婚を反対された腹いせに、女を攫って逃げちまうっていう——

「本当よ。アメリアさんが、こっそり教えてくれたんだから。内緒って言われたけど、貴方にならいいわよね」

 へぇ、お前がそんなことするヤツだったとはねぇ、ファング。

 ちょっと見直したぜ。

 大胆なヤツではあるが、そういう方面で大それたことをするとは思ってなかった——いや、ちょっと待て、お嬢。

 なんだって今、急にそんな話題を切り出したんだ。

「あまり立ち入ったことまでは聞けなかったけれど……でも、駆け落ちだなんて、ちょっと素敵だと思わない?」

 エフィはそう言って、覗き込むように俺を見た。

 何かを問い掛ける眼差しと微笑み。

 それって、つまり——

 ファングの野郎を見習って、俺にもそうしろと仰ってるんですか、お嬢様。

 攫って逃げて、と。

 そりゃまぁ、駆け落ちでもしない限り、俺とお嬢が一緒になるなんてあり得ないもんな。

 いまのところはまだ、俺はアリアハン貴族のご子息で通ってるが、そいつは単なる大ボラだし。

 って、いやいや、違うだろ。

 そういう問題じゃねぇよ。

 そもそも、エフィが本気で言ってる筈ねぇだろうが。

 阿呆か、俺は。

 だが、妄想というにも馬鹿馬鹿しい懸念に囚われて、俺はうかうかと返事ができないのだった。

4.

 話は、ジパングでヤマタノオロチを斃した直後に遡る。

 どうにかオロチを退治したはいいものの、案の定、村は大騒ぎになっていた。

 まぁ、そりゃそうだ。

 いくら真夜中とはいえ、あんだけ派手にやらかせば、騒ぎに気づいて起き出すヤツが出るのは当然だ。

 すわ何事かと表に出てみれば、この島国の支配者たるヒミコ様のお屋敷が、物凄い勢いで燃え崩れているのだ。

 その上、大火事の中心では、村人達を恐怖で震え上がらせていたヤマタノオロチが、八本首をうねうねとくねらせつつ劫火で辺りを燃やし尽くしている姿なんぞを目撃した日にゃ、その場で腰を抜かすか、さもなければ慌てて周りの連中を叩き起しもするだろう。

 俺達にとって幸いだったのは、火勢とオロチを畏れて、村人達がなかなか近寄って来ないことだった。

 なにしろ、こっちはクタクタだったからな。

 いちいち連中に説明なんかしてらんねー。

 それに、余所者の俺達がヘタに事情を説明したところで、状況が少し悪い方へ転べば、ヒミコサマを巻き込んで殺した極悪人に仕立て上げられかねない。

 なので、村人連中に事情を伝えるのはタタラ辺りに任せたい——そんなことを俺が考えていると、同じくへたり込んでいたリィナとファングが、急に腰をあげて身構えた。

 二人の視線を追うと、そこには肩を押さえたチョンマゲ頭の剣士と、その背後に幽鬼のように佇むいくつもの黒装束が並んでいた。

 ああ、お前らも生きてたのか。

 お互い、命冥加なことだな。

 だが、そんな軽口を叩けるような友好的な雰囲気は、向こうには微塵も無かった。

「何故、己は生きている……不覚」

 たどたどしいが、『お屋形様をお守りする役目も果たせず、おめおめと生き長らえるとは、なんたる不覚』みたいなことを言いたかったんだろう。

 剣士は切れ長の目で、ぎらりとリィナを見据えた。

「この無念……晴らす。必ず」

 相変わらず奇妙な抑揚で言い置いて、剣士は燃え盛る巨大な篝火の届かぬ背後の闇へと消えた。

 黒装束共も、音も無くそれを追う。

 やがて、完全に気配が消えたのか、リィナは構えを解いて肩を竦めた。

 てっきり、この場で切りかかってくるかと思ったが、奴らの行動原理がよく分かんねぇな。

 こっちは全員疲労困憊だから、行ってくれて助かったけどさ。

 そういえば、奴らはもともと余所者って話だ。ヒミコの配下になっていたのは、何か事情があったのかね。

5.

 タタラとサノオ、そしてクシナが、おっかなびっくり様子を見に来たのは、それからすぐ後だった。

 聞けば、オロチが炎の中に沈んだのが見えたので、俺達が勝ったのだと見当をつけて、無事を確かめに来てくれたそうだ。

 正直、助かったぜ。

 これで村人への説明を、タタラに丸投げできる。

 なにしろ、こんなド田舎だ。俺達は勝手にやって来た闖入者って訳じゃなく、住人であるタタラに請われて連れてこられたんだってことは、既に村中が承知しているだろうが、ここの連中にしてみれば胡散臭い余所者には違いない。

 そんな俺達よりも、タタラ達に伝えてもらった方が、村人連中もまだ納得——は出来ねぇかな。

 ある程度の事情を承知してるタタラですら、ヒミコの正体がヤマタノオロチだと告げられて、こうして目を白黒させてるくらいだ。

「そったらこと言われても、まんず信じられねぇだ……けんど、お前ぇさん達が、オラ達にそんな嘘を吐く理由がねぇ。だから、信じるだよ」

 俺達と一緒に謁見した時に、こいつもヒミコの異様な雰囲気に触れたからな。

 なんとなく予感はあったんだろう。思ったよりは、すんなりと話を呑み込んでくれた。

 サノオは混乱しきりだったが、さらに事情を把握してない筈のクシナが、タタラに倣って頭を下げたので、表面上はどうにか平静を取り繕おうと苦労していた。

 そんじゃ、悪いけど後は頼んだぜ、タタラ。

 いままで国を挙げて崇拝していた女王様の正体が、ジツは自分達を恐怖のドン底に陥れてた化け物だったといきなり告げられて、しかもそれを他の連中に説明してくれなんて言われても困るだろうけどさ。

 元はと言えばお前の依頼でやったことだし、まぁ、よろしく頼むよ。

 これからは生贄なんていう野蛮な風習も無くなる訳だし、めでたしめでたしみたいな方向に、頑張って話を持っていってくれ。

 とにかく、今夜はもうこれ以上、なんもする気が起きねぇ。

 姫さんなんか、とっくにアメリアの背中で寝ちまってるしさ。

 なにをするにしても、一旦休んでからだ。

 ちなみに、マグナ達は途中で別れて、世話になっているという教会に戻っていった。

 どの道、狭いタタラの家で全員寝るのは無理だしな。

 別れる時にお互いほとんど口を利かなかったのは、もちろん疲れていたからだ。

 明日の俺の為にも、そう願いたいね。

6.

 そして、翌日。

 まだ朝靄がかかっている時間に目を覚ました俺は、他の連中を起こさないようにこっそりとタタラの家を抜け出した。

 ひとつ伸びをして、マグナ達が世話になっている教会を目指す。

 疲れが抜け切ってないから、正直ダルい。

 我ながら、よくこんなに早く起きれたモンだぜ。

 欠伸を噛み殺しつつ歩くと、相変わらず、どう見ても普通の民家にしか思えない教会が遠目に見えた。

 ん?

 玄関の前で掃き掃除をしている人影がある。

 一瞬、シェラかと思ったが、そうではなかった。

 教会でよく見かける神父の格好をしている。

 近くまで寄ると、三十そこそこと思しい意外と若い神父が、軽く会釈をしてニヤリと笑った。

「やぁ、おはようございます——というか、本当にお早いですね。皆さん、まだ眠ってらっしゃいますよ」

 口振りからして、多少の事情は把握してそうだった。

 問い質すと、神父は頷いた。

「ええ、貴方のことも伺っていますから、すぐに分かりましたよ。この国の人とは、服装や顔立ちが違いますからね。なんでも、アリアハンの本国からいらしたとか。懐かしいですな——いや、何を隠そう、私も本国の出身でしてね」

 そう言って、どこか自重気味に笑う。

「昨夜は、どうやら大変なご活躍をされたようだ。大したものです。この国に派遣されて以来、さっぱり信仰を集められない私とはエラい違いですな」

 神父は箒を壁に立てかけて、両手を上に向けて肩を竦めてみせた。

「いやぁ、まったく貧乏くじを引いたものです。この国の人々ときたら、女王とはいえ只の人間でしかないヒミコ様を、あろうことか神の如くに崇めてましたからね。お陰で誰も主の教えに耳を傾けてくれず、大層難儀しています」

 神父は、ちらりと背後の民家を振り返った。

「お恥ずかしいことに、いまだに教会すら建てられない有様でして。ま、追い出されなかっただけマシですがね」

7.

「ホントにな。ヒミコサマはエラく余所者を嫌ってたみたいだけど、よく追い出されなかったな。なんか取り入る秘訣でもあんのかい」

「そこは、まぁ、なんと言いますか……我が教会にも、多少の政治力というヤツはありますからね」

 ニヤリ、と神に仕える聖職者らしくない笑みを浮かべる。

 ははぁ、なるほど。

 神父がこの地に留まることを断ったら、例えば軍事力を背景にしたような、もっと強引で強力な干渉を行うぞと脅したってなトコだろう。

 それにしても、この神父、俺の知っているソレよりも、喋り方といい仕草といい、ずいぶんと軽薄な感じがした。

「ま、そのヒミコサマも居なくなったことだし、これから頑張って主の教えとやらを広めればいいんじゃねぇの」

「もちろん、そのつもりではいますがね。しかし、難しいでしょうな」

 は?なんでだ?

「この国の人々には、神の概念が我々とは大きく異なるのです。ごく簡単に申し上げれば——ここでは、人が神になれるのですよ。ヒミコサマが、そうであったようにね」

 神父は苦笑して、手で印を切った。

「そして、彼等はひどく朴訥——言葉悪く言えば単純です。ヒミコサマ亡き今、今度は彼等をヤマタノオロチから救ってくれた勇者様を、神の如くに崇めるでしょうな。ヒミコサマの代わりにね」

 神父はまた、皮肉らしく唇の端を吊り上げた。

 なんだか、気に入らねぇ笑い方だ。

「もっとも、それは私にとっても悪いことばかりじゃありませんが。なにしろ、さんざん悩まされていたヤマタノオロチの恐怖から彼等を解放したのは、『我らが主の遣わしたる聖なる勇者様』なんですから」

 なんだと?

「彼女を聖なる代理人としてこの地に遣わした『我らが主』を信ずるように村人達を導くのは、ま、さして難しいことではありますまいよ。なにしろ、ここの人々は素晴らしく純朴だ——」

「おい。あんた、いま、なんつった?」

「ああ、いえいえ、もちろん、貴方達の功績も、ちゃんと伝え残すつもりですよ」

 違う、誰の手柄かなんてのはどうでもいいんだ。

 俺が眉間に皺を寄せてる理由は、そんなことじゃねぇんだよ。

8.

「神の遣わした聖なる勇者ってのは、誰のことだ?」

 すると神父は、なんだそのことか、みたいな顔をした。

「ご存知ありませんでしたか。いやまぁ、なんと言いますかね……どうやら、上の方ではそういう話になったらしいですよ」

 そういう話って、どういう話だ。

「いえね、しばらく前に、本国から通達がありまして。各々の担当地域に勇者殿が訪れた際には、協力を惜しまぬようにという主旨のね。マグナ殿を神の使徒だと、我が教会は正式に認定したみたいですな。だからこそ、私もこうして、彼女らに寝床を提供してる次第です」

 なんだ、そりゃ?

 裏ではどうだか知らねぇが、教会は表向き、魔王の存在を認めてなかった筈だ。

 一般的には、口さがない連中が吹聴する噂に過ぎないバラモスの存在を、教会が積極的に肯定するだけのメリットがまるで無いからだろう。

 当たり前だが、神様のご威光とやらで見逃してくれる訳もなく、教会の信者達も魔物共には世界中で苦しめられている。

 その魔物共の元締めである魔王の存在を認めちまえば、『全能である筈の神様は、一体何をやってるんだ。早く魔王を滅ぼして、自分達を救ってくれ』と突っ込まれるに違いねぇからな。

 神が人に課した試練だなんだと屁理屈は捏ねられるだろうが、教会としちゃ触れずに済ませられるなら、それに越したことは無い筈だ。

 それが、なんで今さら。

「これはあくまで私見ですが……身も蓋も無いことを言ってしまえば、まぁ、保険の一種でしょうな」

 そんなことを、神父は言うのだった。

「正直なところ、彼女が旅を始めた当初は、本国のお偉方は彼女のことなど眼中になかったようですよ。魔王を倒すと意気込んで出かけたはいいものの、すぐに行方知れずになった冒険者の類いは、野にいくらでもいましたからな」

 軽薄な調子で、神父は続ける。

「ところが、彼女は道半ばで魔物に殺されることもなく、いまだに旅を続けている。しかも、いくつかの国の支配者や、それに魔法使い達も、どうやら彼女を支持していることは、教会の方にも当然伝わっています。さらに——」

9.

「なんといっても、彼女は『かの』オルテガ殿の実子ですからな。もしかしたら、彼女は本当に魔王を斃してしまうかも知れない。その万が一に備えて、自分達も一枚噛んでおこうと本国のお偉方がそろそろ考えはじめたところで、特に意外とは感じませんな」

「……都合のいいことばっか言ってんなよ?」

 くだらねぇ。

 あいつはいま、そんなつまんねぇ思惑に囲まれてやがんのか。

 あいつは……このことを知ってるのか?

「っと、そんな睨まないでください。いま言ったことは本国の思惑を予想しただけで、私個人の考えはまた別なんですから——都合がいいですか。実際、私もそう思いますね」

「キナ臭ぇ話に、あいつを巻き込むんじゃねぇよ。くだらねぇ権力闘争とやらは、手前ぇらだけで勝手にやってりゃいいだろうが」

「ご尤もですけどね。そうするには、彼女の存在は少々大きくなり過ぎました——ああ、いや、もちろん、私個人としては貴方と同じ気持ちですよ。ですが、しがない一神父にできることなど、本当にタカが知れてましてね。

 せいぜいが、彼女達に請われて寝床を提供する程度のことしかできないのです。本国の意向には逆らえません——逆らうつもりもありませんが、ともあれ彼女らに協力すること自体は、別に悪い話ではないでしょう?」

 そりゃそうかも知れねぇけどさ。

 勝手なことを言いやがる。

 そうムカついてはいたが、ここで神父をこれ以上問い詰める気にはなれなかった。

 軽薄そうな表情と語り口で、ウマく怒気を逸らされたというか。

 ひと目見た時から思ってたんだが、なんだか、こいつ——

「あんた、あんまり神父っぽくねぇな」

「よく言われます」

 そう言って、神父は笑った。

「笑いごっちゃねぇだろ」

「いや、分かりませんか?」

 なにがだよ?

「だからこそ、こんな僻地に派遣されてるんですよ。本国出身の上に、家柄は結構いい方なんですけどね。まぁ、体のいい厄介払いというヤツでして」

 ああ、なるほど。教会内の出世競争から脱落した変わり者って訳か。

 つまり、なおさら、こいつに何を言っても無駄ってことだな。

 もういいや。

 元々、こいつに用はねぇし、これ以上、ここに居られても邪魔なだけだ。

10.

「あいつら、まだ寝てるんだよな?」

「ええ、その筈ですが」

「悪いけど、誰か起こしてきてくれねぇかな」

「ええ、構いませんよ」

「頼むよ。俺がいきなり上がり込んで、叩き起す訳にもいかねぇしさ——そうだな、とりあえずシェラでいいや」

「分かりました、少々お待ちください」

 それにしても、仮にも神父とはいえ男が独りで暮らしてる家に寝泊まりして、あいつら大丈夫なのか——いや、そこらの男が力づくでどうにか出来る訳ないから、大丈夫に決まってるんだが。

 後ろ手に玄関の戸を閉めた神父を見送りつつ、頭の中で呼びかける。

『来たぜ。どうせとっくに気付いてるんだろ。さっさと入れてくれよ』

 すると、すぐにぶっきらぼうないらえがあった。

『さっきから開いてるよ。勝手に入んな』

 昨夜、さんざん俺に偉そうな指示をたれていた、姿なき女の声だ。

 勝手に入れって、普通に玄関から入れってことか?

 昨日のウチに、会いたければここに来いと聞いてはいたが、まさか、この家の一室を間借りしてるんじゃねぇだろうな、貧乏臭ぇ。

 首を傾げながら引き戸を開けて、ぎょっとする。

 さっき神父が中に入った時にちらっと見えた、木造りの廊下はどこへやら、重々しい石造りの通路が、明らかに家の奥行きよりも長く続いているのだった。

 この奇妙な現象があからさまに示している通り、昨夜の姿なき声の主は、ヴァイエルのご同輩——つまり魔法使いに間違いなかった。

 まぁ、いきなり頭の中に話し掛けてきた時点で、丸分かりだったけどな。

11.

「ずいぶんとまた、せっかちじゃないか。まるで年寄りのように朝が早いんだねぇ、ヴァイス坊や」

 廊下を進んだ突き当たりの扉を開けるなり、もはや聞き慣れた初めて耳にする女の肉声が、俺を出迎えた。

「いや、俺だって、こんな早起きしたかなかったんだけどね」

 浅い眠りを利用して、俺がわざわざ早起きしたのは、ファングや姫さんには悪いが、ちょっと独りで行動したかったのと——それから、村人達となるべく顔を会わせたくなかったからだ。

 この国に来てから、マトモに接触を持ったのはヤヨイの家族くらいなので、俺の顔はほとんど知られてない筈だが、こんな田舎じゃ村人は全員顔見知りと思った方がいい。

 つまり、見知らぬ誰かがそこらを歩いてたら、ここの連中にとって、それはすなわち余所者なのだ。

 そして、いま現在、この国にいる余所者はといえば、俺達かマグナ達だけだ。そのことにも、すぐに思い至る筈だ。

 ある程度はタタラから話が通っていると願いたいが、昨夜の乱痴気騒ぎの当事者である俺を、村人達がすんなりと見過ごすとは思えない。

 誰かしらに会う度にいちいち呼び止められて長々と話し込まれたり、なんだかんだと面倒に巻き込まれたんじゃ敵わないので、連中が起き出す前に行動しているのだった。

「悪かったな。早過ぎたか?」

「いいや、そんなことはないさ。いつでも来いって言ったのは、アタシだからね」

 奇妙な形をした機材やら古びた羊皮紙の古書やらが積まれた棚に囲まれて、デカい皮製の椅子に深々と腰を埋めた女が、肘掛についた右手に顎を乗せて、悠然と俺を眺めている。

 そうなのだ。

 こいつら——魔法使い共は、多分あんまり睡眠というものをとらない。

 ヴァイエルの家で厄介になっていた時も、俺がどんなに不規則な生活を送っていても、いつでもあいつは起きていた。昼夜逆転していようがなんだろうが、あいつが寝ているところを、俺は目撃したことがない。

 この女も、似たようなモンだろう。

 つか、やっぱり魔法使いってのは、性格悪ぃな。

 よりにもよって、神父が仮の教会としている家に、わざわざ奇妙な仕掛けを拵えてまで同居するこたねぇだろうによ。

 お前ら魔法使いは、教会と仲が悪いんだろうが。

 このことを、家主の神父は知ってんのか?

12.

「もちろん、内緒で間借りしてんのさ」

 頭の中で思ったことに、当たり前みたいに答えるんじゃねぇよ。

「そんな風にキョロキョロとそこいら中を見回してれば、アンタが何を考えてるかなんてお見通しだよ」

 ああ、そうですか。

 まったく、相手にするにはやり難い連中だよ。

 俺は、改めて魔法使いの女を見た。

 髪の毛が異常に長い。無造作に束ねられた、どこか紫がかった色をしたソレは、立ち上がると膝の辺りまで届きそうだ。

 ゆったりとした黒いドレスに絹の羽織物を肩にかけ、右の眼窩に片眼鏡を嵌めた彫りの深い顔立ちは、三十半ばてなトコロかね。

 まぁ、こいつらの見た目なんて、さっぱりアテにならねぇけどな。

「失礼な坊やだね。アンタを躾けた師匠の半分くらいにゃ性悪だ。いいかい、このアタシを、他の連中と一緒にするんじゃないよ。アタシはちゃんと、これこの通り、見たままのよわいしか重ねちゃいないんだからね」

 いや、俺はアレの弟子じゃねぇぞ。性格も、あそこまで悪かねぇし。

 つか、言ってもいないことに反論されても困るんですが。

「だから、わざわざ口を開かなくても、アンタの考えてることくらい簡単に察しがつくって言ってるだろうに。まぁ、中でもアンタは特に筒抜けだからね」

 馬鹿言うな。俺はこれでも、感情をあんまり表に出さない男で通ってんだよ。

「とにかく、初対面の女の顔を、ジロジロと値踏みするんじゃないよ」

 はぁ、すみません。

 それにしても——

「女の魔法使いが、そんなに珍しいかい?」

 俺の思考とほぼ並行してそう言い、女はフフンと笑った。

「いや、まぁ……そうだな。言われてみりゃ、実際に会ったのは初めてだ」

 魔法協会では、そういや男の魔法使いにしか会ったことがない。旅の途中で出くわしたのも、男の魔法使いばっかりだ。

 考えてみれば、妙な話だな。おとぎ噺に出てくる魔法使いは、大概は女と相場が決まってるのによ。

「そりゃ魔女のことだろう。アレはまた、まるきり別の話さ」

 そう言って、魔女とは違うらしい魔法使いの女は、対面の椅子に座るよう俺を促した。

 ヴァイエルの阿呆よりは、少しは気が利くらしい。

13.

「まぁ、女の魔法使いの数が少ないってのも事実だけどね。そもそも魔法使いになろうなんて素っ頓狂なこた、馬鹿な男しか考えつかないモンさ。本来、女ってのは、もっと地に足がついたモンだからね」

 じゃあ、あんたはなんなんだ。

「アタシだって、別になろうと思ってなった訳じゃないんだよ。言ってみりゃ、不幸な成り行きでね。何が悪かったって、アタシの無二の才能だろうねぇ。天才過ぎたのがいけなかったのさ」

 当たり前みたいな口調で自慢すんな。

「ま、そんなこたどうでもいいさ——アタシのことは、マリエと呼びな。アンタらに教える名前に、大した意味なんかありゃしないけどね」

 俺が椅子に腰を落ち着けるのを待って、マリエはおもむろに指をパチンと鳴らした。

「それで、アタシに何を聞きたいんだって、ヴァイス坊や」

「いや、あのさ——」

 坊やは止めて欲しいんですが。

「坊やは坊やさ。そんなつまんないことより、それを飲んで口を湿らせて、アンタがアタシに聞きたいことってのをうたってごらんな。その為に来たんだろう、ヴァイス坊や」

 マリエの長い指が示す先には、湯気の立ち上るティーカップがサイドテーブルに乗せられていた。

 いや、まぁ……魔法使いのやることだから、いちいち驚きゃしないけどさ。

 いまの今まで、こんなの此処ここに無かっただろ!?

「いいや、最初からソコにあったのさ。いいから、さっさとお話しよ、ヴァイス坊や。それとも、問いも答えも全部アタシから言ってやるかい?」

 俺がこれから尋ねることも、全てお見通しって訳ですか。

 誰が魔女じゃないんだって?

 つか、言わなくても分かってるなら、わざわざ俺が話す必要ないじゃねぇか。

「アタシは別にそれでいいさ。アンタの為に言ってやってんだよ。自分の口でしっかり話せってね」

 まぁ、こいつら相手に反論したところで、詮が無いのは身に染みている。

「それじゃ、聞くけどさ」

 修辞や駆け引きが無駄なこともよく分かっていたので、俺は単刀直入に聞くことにした。

「聞きたいことってのは、その——ヒミコのことなんだ」

14.

「ほぅ」

「アレは……ホントに、魔物だったのか?」

 実際に目の前でデカいトカゲの化け物に変態したんだ、まっとうな人間じゃないことは確かだけどさ。

「フン。案外と目端が利くじゃないか」

 マリエはデカい椅子の背もたれに深々と背を預け、ふんぞり返って腹の上で両手を組んだ。

「後味が悪かったかい?」

 マリエは片眼鏡の奥から、さほど興味の無さそうな目を俺に向ける。

 ホントに、こっちの内心を見透かしてやがるな。

「……まぁな」

 ヒミコは、魔物にしては妙に人間臭過ぎた。

 俺が知ってる魔物ってのは、表現はおかしいがあんなに人間じゃないんだ。

 どんなに外面を取り繕ってみたところで、根本的に人間とは相容れない。

 だから、俺の目にはヒドく人間っぽく映ったヒミコを、魔物と断ずるには違和感があった。

 その違和感を解く答えを、俺はひとつだけ思いついている。

 だが、いくらなんでも——

「いいから、それを口に出して言ってごらんな」

 口ごもった俺を、マリエが促した。

「アタシら相手に要らない心配をするんじゃないよ。『常識的に考えて、そんなバカなことはあり得ない』そう否定される心配なんてね。アレの処でしばらく厄介になってた割りは、つまんないことを気にするんだね。えぇ、ヴァイス坊や?」

 そうだな。存在そのものが非常識なあんたらに、常識を云々される謂れはねぇしな。

 正直、これから自分が何を言わんとしているのか分かってる相手に、わざわざ説明するのは馬鹿馬鹿しくもあったが、ことさらに順序立てて喋ったのは、マリエの為じゃなく俺自身が考えをまとめる為だ。

 アリアハンで冒険者をやってた頃は夢想だにしなかったが、魔物が人間と関わりを持っていることを、カンダタ共との最初の邂逅で知った。

 その後、なんと魔物と心を通わせているように見える人間——ルシエラの存在を知った。

 イシスの王宮では魔物が人間社会のあちこちにちょっかいをかけている確信を深め、そしてエフィの故郷では人間の皮を被ったようなニュズという奇妙な魔物に出くわした。

 それらを踏まえた上で、俺の思考は飛躍する。

15.

 素直に考えれば、俺がこの目で見たヒミコは、ヤマタノオロチという魔物が化けていたのだ——ニュズが、召使いのファムに化けていたように。

 本物のヒミコは、既にいなかった。とっくに殺されて、魔物に成り代わられていたのだ。

 そう考えるのが、最も単純で分かりやすい。

 だが、さっきも言ったように、それだと俺の違和感は拭えない。

 だったら、こう考えればいい。

 本物のヒミコは、ジツは亡き者になんて、なっていなかったのだ。

 要するに、あれは魔物がヒミコに化けていたんじゃなくて、ヒミコ本人でもあったんじゃないか。

 どんな言葉が適切かは分からないが、例えば同化——ヒミコは、魔物に取り込まれたような状態だったとは考えられないか。

 実際にお目にかかったことはねぇけど、説法やら御伽噺やらで、悪魔に憑かれた人間の話ってのを耳にしたことがある。

 そんな感じで、ヒミコは悪魔憑きならぬ魔物憑きとでも言うべき状態で、あれはヤマタノオロチでもあり、ヒミコでもあったんじゃねぇのか。

 人の姿をしていた時は、ヒミコとしての自我もちゃんとあって——だから、あれほど人がましかったんじゃないのか。

 そして、もしそうだとしたら。

 ヒミコには、まだ人間に戻れる可能性があったんじゃないのか。 

 俺はそれに薄々気づいていながら、結果としてヒミコを見殺しに——

「ああ、それはどうでもいいよ」

 薄情なことに、マリエは心底どうでもよさそうに、俺の話を遮ったのだった。

「なんだい、そんな恨みがましい目つきをされる覚えはないね。こっちは別に、アンタの後味の悪さを拭ってやろうなんてつもりはないんだ。そんな目を向けるんじゃないよ」

「……別に俺だって、あんたにンなこた期待してねぇけどさ」

「やれやれ、困った坊やだね。こう言ってやれば安心するかい?ヒミコはもう、元の人間に戻れる見込みは全く無かったよ」

「……本当に、そうなのか?」

 俺が聞き返すと、マリエは急に目を見開いて身を乗り出した。

「本当?本当に、だって!?そりゃひょっとして、真実とやらを聞かせろって言ってるのかい?坊や、まったく大層なものをご所望だね!!こんなに気安く?確かめる術もありゃしないのに?」

 まくしたててから、鼻で笑って再び椅子に身を預ける。

16.

「アタシが言ってるのは、単なる気休めさ。それでも、アンタには十分な筈だけどね、ヴァイス坊や」

 いつだったか、ヴァイエルにも同じことを言われた気がする。

 分からないことは、いつでも誰かが教えてくれると思っている——つもりはないんだけどな。

 けどさ、昨日の夜は、どこの誰とも知れない怪しい魔女の唐突な命令を聞いてやったんだぜ。なんか知ってんなら、礼の代わりに教えてくれたっていいじゃねぇか、とは思う。

「だから、そんな目つきで見るんじゃないよ。アタシは他の魔法使い共と違って、まだまだ人の心をたっぷりと持ち合わせてるんだ。打たれて捨てられた惨めでみすぼらしい野良犬みたいな目をされるのは苦手なのさ」

 嘘吐けよ。

「やれやれ、仕方ないね。もう少し気休めを言ってやるとするか——アンタの目には、アタシはどう映ってる?」

「は?」

 いきなり話が明後日の方へ飛んだ。

 言うことに脈絡が無いところも、あの野郎とよく似てやがる。

「普通の人間と、何か変わったところがアタシにあるかい?」

「いや——」

 外見的には、こいつら魔法使いに他の人間と変わったところは特に無い。

 せいぜい顔色が不健康そうに見える程度だ。

 いかにも魔法使い然とした特徴的な服飾さえ替えれば、見た目だけで魔法使いと判断するのは難しいだろう。

「そう。見かけの上では、アタシらとアンタらは何も変わらない。けど、上っ面は同じように見えても、アタシらの存在は、もうほとんど人間とは呼べないのさ」

 ここで、マリエは幾分困ったように眉根を寄せた。

「フン、なんて言ってやったらいいのかね——アンタの目に見えているアタシは、人間と大して変わりゃしないが、もっと別の見方が出来る者からすれば、その違いは歴然なんだが……えぇい、まどろっこしいね」

 それは、俺の台詞だ。

 回りくどい上に、意図がよく分かんねぇよ。

「あんたがさっき思った通り、アタシらはアンタらみたいに睡眠をとる必要が無い」

 やっぱり、俺の頭の中を覗いてやがるじゃねぇか。

「それに知っての通り、アンタらとは寿命も異なる。というより、アンタらと同じ意味での寿命という概念自体が、既に存在しない。つまり、もうニンゲンということわりとは別の場所にいるのさ。その意味で、アタシらは人間じゃない」

 分かったような分からないようなことを言う。

17.

「要するにだ、ヒミコってのは、そういうアタシらに近しい存在だったのさ。あんな風になっちまう前から元々ね。知ってる人間は限られちゃいたが、ある種の天才だったんだよ。アタシと同じようにね」

 恥ずかしげもなく言い切りやがった。

「独力で魔法使いの域に達するなんてのは、代々神事を司る家系に生まれ、鬼道とかいう原始的な魔法理論を会得していた特殊性を考慮してすら、ほとんどあり得ないことなんだよ。

 その辺りも、アタシとよく似てるのかね。だからこそ、アタシもここを根城にするのを承知したんだけどさ」

 マリエにも色々あったことを匂わせる口振りだったが、その表情からは一切の感慨は見て取れず、まるきり他人事のような顔をしていた。

「そんなヒミコが魔物に目をつけられたのは、まぁ必然だったと言っていいね。あのコは自らの特殊性に無自覚だったから、全くの無防備だったしね。

 つまり、ヒミコは元からアンタなんかとは比べモノにならない、この世界で際立った存在で——だから、アンタ如きがあのコに出来ることなんて、ハナから全然これっぽっちも無かったんだよ。だのに気に病むだなんて、滑稽この上ないハナシさ」

 思わず、ずっこけそうになった。

 これって、気休めになってるのか?

「ま、自惚れは別に悪いことじゃないが、ほどほどにしておくんだね。アンタ如きが何をしようと、ヒミコは同じような最期を迎えただろうさ。いまさら何を思い悩んだところで、何も変わりゃしないよ。

 それに、一般的な道徳観とやらに照らし合わせて考えりゃ、責任を感じるべきはアンタじゃなくてアタシだろうね。ずっと傍でヒミコを見てきて、事情も弁えてたのに何もしなかったアタシの方さ」

 ああ、全くだな。

 それについては同感だ。

 俺如きにはどうしようもなかったってのも、癪に障るがそうなんだろう。

 ただ、まだひとつ引っかかる。

 そもそも魔物が、ヒミコに成り代わる意味なんて、どこにあったんだ?

 ヒミコの姿を借りた方が、この国を支配するのに都合が良かったから——いやいや、待て待て。違うだろ。支配だと?

 支配なんて言葉は、俺が魔物に抱いている印象からは、およそかけ離れている。魔物は魔物らしく、この国の連中を勝手気ままに貪り食ってりゃいいじゃねぇか。

 魔物共は、なんだってこんな回りくどい真似をしてるんだ?

18.

 なんだ、この砂を噛むような——ずっと覚えつつも、手を伸ばすとするりと逃げていく、はっきりとしない違和感は。

 魔物が人の真似をすることに——何か意味があるのか?

「さぁて、それだ!」

 パァン!!

 いきなりマリエが手を打ち合わせたので、俺はビクッと椅子の上で飛び上がった。

「いま考えたソレを、アンタはよっくと肝に銘じておかなくちゃならないよ」

「は——?」

 どういうことだよ?

「それも、アンタが考えることさ」

 何言ってんだ。もったいぶりやがって——こいつらは、肝心なトコロで話をはぐらかすばっかりで、ロクに役に立ちゃしねぇ。

「教えてくれたっていいじゃないか、って顔つきだねぇ」

 マリエはニヤニヤと含み笑いを漏らす。

「もちろん、アタシはアンタの疑問に対する答えを持っている。アンタが納得しそうな解答から、全く理解できない解釈まで、それこそ選り取りみどりさ」

 能書きはいいから、さっさとそれを教えろよ。

「けど、ダメだね。アタシから何かを教えたりしたら、それこそ台無しなのさ。アンタは自分で考えて、自分で答えを見つけなくちゃならないよ」

「って言われてもな……」

 答えを見つける取っ掛かりすら見えねぇから、苦労してるんだが。

 ここはひとつ、愚鈍なワタクシメに手掛かりのひとつもご教授いただけませんかね。

「そう卑下したモンでもないさ。アンタには、自分がどれだけ莫迦で阿呆で間抜けで無知で愚かで能無しに思えて、アタシが全知全能の神の如き存在に思えたとしてもだ——」

 いや、そこまでは思ってねぇよ。

「それでも、アンタにしか識り得ないことってのは存在する。アタシらには見ることのできない、アンタだけに可能なモノの見方ってのは、いつでも確かに存在するのさ。この世で一番の愚者と賢者の間にあってすら、それは『そう』なんだよ」

 はぁ、そうですか。

 何が言いたのか、よく分かりませんが。

「簡単に言や、アンタのモノの見方を誘導しちまうような真似は、アタシらは避けたいのさ。ただでさえ、アンタに大した価値なんてありゃしないのに、そんなことをしたら全くの無価値になっちまう」

 ひでぇ言い草だ。

 要するに、自分達の都合で何も教えないって言ってんだろ、これ?

19.

「だから、アンタは全部自分で気付いて、自分で考えて、自分で答えを出さなきゃならないよ。他の大勢の人間達と、同じようにね」

 俺がつまらなそうな顔をしたからか、マリエは念を押すように言葉を継ぐ。

「言っておくが、これは説教の類いじゃないからね。もうちょっとしっかりしろだとか、心構えを云々してる訳じゃないんだ。そのつもりでお聞きよ。大体、そんなどうでもいい話を、このアタシがする筈がないだろう」

 あれ、そうなのか。

 てっきり説教されてるのかと思ったぜ。

「……やれやれ、納得のいかない顔つきだね。これだから、アンタらに物を言うのは疲れるんだよ。なんだってそう、自分に分からないことを手軽に知りたがるのかねぇ」

 いや待て、あんたの話のどこに納得できる点があったんだ。

 実質、なんにも教えてもらってねぇぞ、俺。

「別にアンタに意地悪をしてる訳じゃないんだが……ま、でも、そうだね。アンタも、少しは覚えておくのも悪くはないか」

 ぶつくさとひとりごちると、マリエは傍らの書斎机から紐で縛った巻物を取り上げた。

「どうだい、ヴァイス坊や。この娘にゃ、もうずっと知りたいことがあるんだけどね、ひとつアンタが教えてやっちゃくれないかい」

 巻物を俺に手渡しながら、そんなことを言う。

 この娘って、誰のことだよ。

「もちろん、何も難しいことじゃない。アンタにとっては、至極当たり前のことさ」

 巻物を紐解くと、そこにはなんの変哲もない部屋と、その中に佇む少女の絵が、恐ろしく精密に描かれていた。

「よかったねぇ、アニー。アンタの長年の疑問に、そのお兄さんが答えてくれるそうだよ」

 なんの茶番だ、これは。

 この絵を相手に、俺に独り芝居でもしろってのか?

 ところが——

「本当ですか、マリエ様!」

 手にした巻物から嬉しそうな声が聞こえて、危うく放り出しそうになった。

「ああ、ヴァイスお兄さんは物知りだからねぇ。きっと優しく丁寧に教えてくれるさ」

 あからさまな皮肉にも反応できないほど、動揺しちまってる。

「マリエ様に物知りって言われるなんて、スゴいですね!よろしくお願いします、えと……ヴァイスさん?」

 巻物に描かれた少女は、にこっと笑って小首を傾げた。

 ……はぁっ!?

 いや、おい、ちょっと待て。

 この絵、動いたぞ、今!?

20.

 巻物を裏っ返して見ても、これといっておかしなところはない。

 え、なんだこれ。どうなってんだ?

「やだな、そんなにジロジロ見ないでくださいよ~」

 アニーと呼ばれた少女は、ちょっと恥ずかしそうに視線を逸らす。

 まるで絵の中で生きているようにしか見えない。

 説明を求めてマリエを見ると、しっしっと犬を追い払うような手振りをされた。

「いいから、アンタは質問に答えてやりゃいいんだよ。ほら、アニー。アンタには、ずっと知りたかったことがあるんじゃなかったのかい?」

「あ、はい、そうですそうです。えぇとですね——ひゃっ!?ちょっ……ヘンなトコ触らないでくださいっ!!」

 ああ、ごめん。

 つか、俺が触ったのは分かるのか。

 ホントにこれ、どうなってんだ?

「も~、なんなんですかぁ……ホントにちゃんと、私の質問に答えてくれるんですか!?」

「あ、ああ、はい、頑張ります」

「……マリエ様のご紹介ですから、まぁ許してあげますけどぉ~……一度だけですからね!?」

 一本立てた人差し指を、俺に向かって突きつける。

「では、お尋ねします。えぇと、あのですね……私の知りたいことってゆうのは、その、『奥行き』なんです」

 は?

「『奥行き』というものが存在するとマリエ様はおっしゃるんですけど、私にはそれがどういうモノか、どうしても理解できないんです。あなたには、分かりますか?」

「へ?ああ、うん、まぁね」

 そりゃ、分かるよ。

「ホントですか!?スゴいですね!!」

 それまで胡乱げな眼差しで俺を見ていたアニーは、急に絵の中で目を輝かせた。

 悪い気はしないが、そんなに感心されてもなぁ。

「それを、私にも分かるように説明して欲しいんです。マリエ様は頭がよすぎて、私などには仰っていることの半分も理解できないんですよ~」

 魔法使い共の言うことが、無駄に回りくどくて分かり難いってのは同感だ。

 はいはい、分かったよ。妙な仲間意識を感じちまったし、答えてやるか。

 えぇと、奥行きね——

 説明しようと口を開きかけたところで、言葉を失う。

 あれ?

 なんて説明したらいいんだ?

 絵という平面に生きているアニーの世界に、そもそも『奥行き』なんてあるのか?

 無いとしたら……いったい、どうやってそれを説明する?

21.

「どうしたんですか?早く教えてくださいよ~」

 さっぱり考えがまとまらなかったが、こんなに期待の篭った目を向けられちゃ、黙ってる訳にもいかねぇな。

「いや……そうだ。遠いとか近いっていうのは分かるのか?」

 苦し紛れに、逆に聞いてみた。

 アニーの目にモノがどう映ってるのか分からないと、答えようがねぇからな。

「もちろん分かりますよ。私、そこまで馬鹿じゃないですよぅ」

 当たり前じゃないか、と言わんばかりの顔をされた。

 ホントに分かってんのかね。

 なんか、通じてねぇ気がするぞ。

「じゃあさ、例えば……あんたのすぐ後ろのテーブルに、ティーカップが置いてあるだろ?それを、そうだな……部屋の一番端っこ方に置いて、今いる場所からそれを眺めたら、どう見える?」

「どう見えるって……ティーカップに見えると思いますけど?」

「いや、そうじゃなくて。大きく見えるとか、小さく見えるとか」

「そんなの、小さく見えるに決まってるじゃないですか。遠くにあるものは、小さく見えるに決まってます」

 自信満々に答えるアニー。

 そうなんだけどさ、言葉は同じでも、俺の理解とお前の理解は、なんかちょっと違ってる気がするぞ。

 まず、そこから分からせないといけねぇのか。けど、どう言や通じんだ。

 あ、そうだ。

「そいじゃ、そこから一歩も動かないで、手を伸ばして窓に触れるか?」

 見た感じでは、絵の中のアニーと窓は三、四歩ほど離れている。

「そんなの無理に決まってるじゃないですか。あんなに遠いところに、手なんて届きませんよ~」

 遠いって、お前、平面だろうが。

 なんで無理なんだよ。

 無理だと思い込んでるだけで、ホントは触れるだろ!?

「いいから、試しに手を伸ばしてみろよ」

「え~……ほらぁ、届きませんよぅ」

 アニーの伸ばした手は、すかすかと空を掻く。

 お前、わざとやってんじゃねぇだろうな。

 奥行きが無いくせに、どうして触れねぇんだよ。

 くそっ、もどかしいな。

 ほれ、こうやって触りゃいいんだよ。

22.

「えっ!?スゴい、今どうやって触ったんですか!?」

 巻物に描かれた窓を指先で突っついてみせると、アニーは仰天して俺と窓を見比べた。

 いやいや、俺の方がびっくりするわ。

 果たしてこいつには、俺がどうやって窓に触れたように見えたんだろう。

「あ、分かりました。ヴァイスさんも、魔法使いの人なんですね」

 いや、魔法使いには違いねぇけどさ。

 マリエやヴァイエルみたいな変人と違って、俺はごく普通の一般人だからな。

 当たり前のことをしてみせただけなんだが、俺にとっては当たり前のことが、アニーにとっては当たり前じゃない——まるで魔法みたいに見えたってことか?

 それって、つまり、マリエやヴァイエルに対する俺と同じ——

「どうだい。少しは分かったかい」

 マリエはちょっと身を乗り出して巻物の端っこをつまむと、ひょいと俺から取り上げた。

「あぁん。私、まだ教えてもらってません、マリエ様。もうちょっとヴァイスさんとお話させてくださいよぅ」

「残念だが、ヴァイス坊やもあんたの疑問にゃ答えてやれないようだ。期待外れで申し訳ないね。いい子だから、大人しくしといで」

 マリエが巻物の表面を軽くなでると、動く絵はすぅと消え失せた。

「で、アンタの方は、ちったぁ分かっただろうね?」

「……まぁな」

 いまの茶番でマリエが俺に思い知らせたかったのは、おおよそこんなトコだろう。

 とある概念を全く持たない相手に、その概念を説明することの難しさ——というより、そんなこと、ほとんど不可能じゃねぇのか?

 人は、自分が既に理解している何かと比較して、新しく物事を理解しようとする。

 だが、比較対象として選んだモノは、単に自分が近しいと思っただけのモノで。それがこれから理解しようとしているモノと、本当に近しいかどうかは、また別の話だ。

 もしかしたら、実際は似ても似つかないかも知れない訳で。

 つまり、自分では理解したつもりでも、本来の意味からはかけ離れてしまう可能性がある。

 請われて教えた相手に、全く意図しない理解をされたら、それはもどかしいだろう。

 しかも、そいつは得意げな顔で理解したと思い込んでいたりするのだ。

 そりゃ、次第に教える気が萎えちまっても無理はない。

 だから俺にも、分からないことは聞くなって言いたい訳か。

 どうせお前には理解できないんだからと、そう言いてぇんだな?

23.

「あえて言ってやれば、『それも違う』けどね」

 マリエは、つけつけとヴァイエルのようなことを言った。

「まぁ、とりあえずはそれでいいさ。アンタが無思慮に、どーでもいいことをこれ以上アタシに聞かないならね」

 こいつの目論見通りなのが癪に障るが、確かにこれ以上、何かを聞く気は失せた。

 なんか、馬鹿らしくなっちまったよ。

 前から思ってたが、やっぱりこいつら、単に俺に説明すんのが面倒臭ぇだけなんじゃねぇのか?

「分かったよ。けど、最後にこれだけは聞かせてくれ」

 すっかり萎えちまった気分を、なんとか奮い立たせる。

 わざわざマリエの元を訪れたのは、ジツはこっちを聞くのが最大の目的だ。

「こっちは別に、そんなややこしい話じゃねぇからさ。単に情報が欲しいだけなんだ」

「だったら、アリアハンの魔法協会にでも行けばいいだろうに」

「いや、もちろんそれも考えてるけどさ……ちょっと事情があってね。今ここで、ある程度のことを知っておきたいんだ」

「……やれやれ、あんたは蛇よりしつこいらしいからね。延々と押し問答をするのも面倒だ。仕方ない、言ってみな」

「そんじゃ聞くけど、あのさ、『オーブ』ってのは、一体なんなんだ——?」

24.

 マリエの部屋を後にして、外に出る。

 すると、俺が閉じた玄関の引き戸が、すぐに開いた。

「わっ——と。あれ!?ヴァイスさん、いるじゃないですか!?」

 びっくりした顔のシェラが、玄関で驚いて声をあげる。

 シェラの脇から覗く民家の内部は、直前に通った石造りの廊下ではなく、外見通りの木造りに戻っていた。

 魔法使い特有のワケ分からん空間から、どうやら無事に生還できたらしい。

「どこに行ってたんですか。神父さまが心配して探してましたよ?」

「ああ、うん、ちょっとな……なんつーか、踏ん切りがつかなくてさ」

 曖昧に言葉を濁すと、シェラは俺の言葉を都合良く解釈してくれて、表情を曇らせた。

 心の中を読まれないのって、やっぱりいいよな。

「そうですか……でも、よかった、すぐ見つかって。ここに居るっていうことは、ちゃんとお話をする決心がついたってことですよね?」

 決心はついてる……と思う。

 元からマリエに会う方が、俺の中ではついでだったし。

「まぁな。リィナは?」

 リィナの名前を先に出す辺り、実際は踏ん切りがついてないのかも知れない。

「あ、それが……」

 シェラは申し訳無さそうに、少し口篭もった。

「神父さまからヴァイスさんが来たって聞かされた途端、裏口の方から、その……」

「逃げられちまったか」

「すみません……」

 いや、お前が謝ることじゃねぇだろ。

「嫌われたかな」

 俺が苦笑を漏らすと、シェラは慌てて首を横に振った。

「そんな筈ないです!!あの、私、探してきますから、先にマグナさんと……」

「……分かった。あいつは?」

「さっき起きて、いまは出かける準備をしてます。逃がさないでくださいね」

 出かけるって、こんな朝早くから、どこに行くつもりだ。

「じゃあ、私はリィナさんを探してきますから」

「あ、待った——」

 慌ただしく走り出そうとしたシェラを呼び止める。

25.

「はい、なんですか?」

「いや、その——あんま、無理すんなよ?」

 もうちょっと気の利いたことを言いたかったんだが、他に言葉が思い浮かばなかった。

 焦燥していたシェラの顔が、少し緩んで苦笑を浮かべる。

「も~、誰のせいだと思ってるんですか」

「ごめん。ホント、悪かったと思ってるよ。でも、なんつーか……お前のことも心配してるんだってこと、覚えといてくれよ」

「……それは、ヴァイスさんもですよ?」

「へ?」

 一瞬、意味が分からずに、俺は間抜けな声を出した。

「私も、ヴァイスさんのこと心配してますから。ちゃんと覚えておいてくださいね」

「え、ああ……うん。分かったよ」

「お互い自分のことになると途端に分からなくなるのは、相変わらずですね」

 シェラは、くすくすと笑った。

 全くな。

「ありがとな」

「お互い様ですってば。それじゃ、リィナさんを見つけたら、すぐ戻りますから!」

 小走りに家の裏手へと駆けていく。

 ホント、あいつがマグナやリィナと一緒にいてくれてよかったよ。

 一番年下だってのに、俺達はシェラに一番頼っちまってるのかも知れねぇな。

 廊下を進むと、中からドタバタと忙しない音が聞こえたので、マグナがいる部屋はすぐに分かった。

 迂闊に足を踏み入れたら、マグナが着替えの真っ最中で、悲鳴と共に張り倒されて、話も聞いてもらえずに立ち去られる情景が目に浮かぶ。

 そんな間抜けなオチはご免こうむりたかったので、俺は廊下を抜けて裏口から外に出ると、脇の壁に背中を預けた。

 ほどなく、家の中が静かになったと思ったら、音も無く裏口が開き、そろりとマグナが顔を出した。

「よう」

 周囲を窺う顔が、まだこちらを向かない内に声をかけると、マグナはびくんと震えて動きを止めた。

 だが、慌てた素振りも一瞬のこと、マグナはすぐに表情を取り繕う。

「あ、ああ。なんだいたの。昨日はお疲れ様」

 澄ました顔で、白々しい口をきいた。

26.

「昨日は手伝ってもらってありがとな。ところで、こんな朝早くから、どこに行くつもりだ?」

「あんたには関係無いでしょ……って言いたいトコだけど、まぁ、教えてあげるわ。この国を出るのよ。必要な物は見つけたし、もう用は無いもの」

 もう用はありませんか。

「下手に長居したら、ヒミコサマの代わりに今度はあたし達が神様みたいに祭り上げられちゃうって、神父様にも忠告されたしね。そんな面倒はご免だから、ここの人達が起き出す前に、さっさと出て行くわよ」

 マグナは一瞬顔を伏せてから、にっこりと俺に微笑みかけた。

「じゃあね、ヴァイス。久し振りに元気な顔が見れて、嬉しかった」

 何故か俺は、どきりとした。

 思いがけないほど優しい言葉なのに、まるで嬉しくない。

 こういう時にはこう言うものだと、ことさらに強調するような、極めて常識的なお決まりの文句。

 咄嗟に返事ができない俺を置いて、マグナはすたすたと林の方へ歩き出した。

「——待ってくれ」

 慌てて後を追いながら、マグナの背中に語りかける。

「待てってば」

「なに?もう別れの挨拶は済ませたんだけど」

 本気で、あれで終わりにするつもりだったのかよ。

「だから、待てって。ホントに、もう何も用は無いのか?」

「ないけど?」

 あっさり答えやがったな、くそ。

「ひでぇな。俺が来たことは、神父から聞いてたんだろ?顔も会わせずに行っちまうつもりだったのかよ」

「知らないわよ、あんたが来てたことなんて。聞いてないわ」

「じゃあ、なんでわざわざ裏口から出てきたんだよ」

 マグナは、一瞬言葉を詰まらせた。

「言ったでしょ?ここの人達に見つからずに出て行きたいのよ。だから、わざわざ裏口から出て、こんな人気の無い林を通って船に向かってるんじゃない。あんたのことは、関係無いわ」

 あ、くそ、もっともらしい言い訳を思いつきやがったな。

「……つか、リィナがどっか行っちまったらしいぞ。放っといていいのかよ?」

「あのコは心配無いわ。その内、勝手に船に戻ってくるわよ」

「シェラは?あいつも、リィナを探して、どっか行っちまったんだけど」

「神父様に言伝を頼んであるから、大丈夫よ。ってゆうか、あんたに心配してもらう筋合い無いんだけど」

 マグナは、俺に背を向けたまま歩き続ける。

27.

「悪いけど、ついて来ないでくれる?お互い、もう用は無いでしょ?」

「いやだ、ついてく。俺の用事は、まだ終わってねぇからな」

「なに勝手なこと言ってんのよ。あんたの都合なんて知らないわよ。なんの用事か知らないけど、あたしには関係無いでしょ!?」

「関係あるに決まってんだろ。俺は、お前に用があるんだ」

 マグナが返事をするまで、少しだけ間が空いた。

「……なれなれしく、『お前』とか呼ばないでくれる?」

 なんだか、懐かしい響きだった。

 出会ったばっかりの頃に、似たようなことを言われた気がする。

「なに?今さらあたしに、なんの用があるって言うのよ」

「いや、だから……この前、アルスの野郎に邪魔された話の続きがしたい……んだ」

「なんか話してたっけ?もう忘れたわ」

「そうか。じゃあ、改めて言うよ」

「やめて。もういいから。今さらあたしを追いかけるとか、本気で言ってんの?」

「なんだよ、ちゃんと覚えてるじゃん」

「いま思い出したのよ」

 拗ねた口振りで言った。

 そのまま無言で数歩進んでから、マグナは立ち止まって背中を向けたまま溜息を吐く。

「……無理よ」

「へ?」

「そんなことされても、無理なの。あたしが」

 いや、無理ってなんだ。

「だって、そうでしょう?ついて来られても、あんたはまた、肝心な時に居なくなるわ」

 ひゅっ、とかいう空気混じりの音が、俺の喉から漏れた。

 充分に予期していた筈の言葉は、実際に口にされると予想以上の衝撃だった。

「もう嫌なのよ、そういうの。だったら、最初から居ない方がいいわ。その方が、気が楽だもの」

「……」

「大体ね、もう新しい仲間も見つけて、それなりに楽しく暮らしてるみたいじゃない。なのに、なんで今さらあんたがそんなこと言うのか、あたしにはよく分かんないわ」

 あ——そうか。

 マグナの目には、ファング達やお嬢が、俺の新しい仲間だと映ってるのか。

 まるで、俺の方こそマグナ達を見限って、新しい仲間とよろしくやってるみたいに。

 違うんだ。

 いや、確かに仲間には違いないが、お前が考えてるのとは違う——

28.

「ひょっとして、あたしを見捨てたみたいな罪の意識を感じてるのかも知れないけど、もういいから。あたしは別に何も気にしてないし、あんただって、ホントは無理矢理あたしに付き合わされて迷惑だったでしょ?ああ、そっか——」

 背を向けたまま、マグナが苦笑した気配があった。

「そういえば、あんたは知らないんだもんね。知らないから、そんな呑気なこと言ってられるんだわ」

「……知らないって、何を?」

「いい?あたしはね、いまは魔王バラモスを退治する為に旅をしてるのよ。今度はウソじゃなくて、ホントにね」

 そうじゃないかとは思っていたが。

 この国に来た理由からして、そうだもんな。

 だが、ここまではっきりと口にして認めたのは意外だった。

「でも、あんたには魔王を退治するつもりなんてないでしょ?だから、そういう意味でも無理なのよ。あんたと今のあたし達が、行動を共にするのはね」

 背中を向けられたままなので、マグナがどんな表情をしているかは分からなかった。

 声音は、至って冷静に聞こえる。

 けど、きっと——

「……無理してないか」

「なにが?」

「だって、あんなに嫌がってたじゃねぇか」

 なのに、それでいいのかよ?

 周りに押し切られて、無理やり自分を納得させてるんじゃねぇのか?

 お前——ちゃんと笑えてんのかよ?

「別に、無理なんてしてないわよ。逆に楽なくらいだわ。魔王退治に行くって決めた時から、誰も文句を言わないどころか、みんな進んで協力してくれるしね」

 マグナの返事に、ある種の諦観を感じ取ってしまうのは、俺の思い込みなんだろうか。

 だが、魔王を退治なんてしない、そう言って憚らなかった俺の知っているマグナなら、本心から言っているとは思えなかった。

 だって、あの神父の言葉が正しいとすれば、お前、お偉いさん連中に利用されてんだぞ?

 それに気付いてないのかよ?

 気付いてない訳ねぇよな。

 そういうのを一番嫌ってた、お前がさ。

「らしくねぇよ」

「は?」

「マグナが、そんなこと言うなんて……なんか、らしくねぇよ」

「……なに言ってんの?」

 マグナはここで、ようやく振り向いた。

 瞳に怒気を宿らせて。

29.

「あんたが、それを言うの?」

「……え?」

「冗談じゃないわ。あんた、別れ際にあたしになんて言ったか覚えてないの!?」

 どの……ことを言ってるんだ?

「呆れた。やっぱりあんたは、その場凌ぎの適当なことしか言わないのね——ホントに覚えてないの?だったら、思い出させてあげる」

 マグナは大きく息を吸って、一気にまくしたてた。

「『お前は魔王を退治するべきだ。でも、俺にはそのつもりはないから、ここでお別れだ』これが、あんたの捨て台詞よ」

 そうだった。

 俺は、何を言ってるんだ。

 いや、忘れてた訳じゃない。

 忘れる筈はないんだが——

「分かった?つまり、あんたがあたしを追いかけるなんて無理なのよ。だって、あたしは今、魔王退治の旅をしてるんだから。今さら、そのつもりもないあんたに押しかけられても困るわ。迷惑なの」

 マズい。

 ぐぅの音も出ない。

 マグナの怒気が、急に冷めていくのが分かった。

 まるで、俺に愛想が尽きたみたいに。

「まぁ、そういうことだから。あんたがあんまり勝手なこと言うから、ちょっと頭に血が上っちゃったけど、あたしはもう別に気にしてないから。あんたはあんたで幸せに暮らしてるみたいだし、そっちこそ無理しないでいいのよ」

 マグナは、再び俺に背中を向けた。

「じゃあ……元気でね」

 そのまま、林の下生えを踏みしだいて立ち去ろうとする。

 違うんだ。

 マグナには、俺の気持ちが正確に伝わってない。

 当たり前だ。

 ひとりひとり、物の見方が違うんだ。完全に自分を理解してくれる人間なんて、いる訳がない。

「無理してねぇよ」

 だからこそ、俺はこの先、何度でも言わなきゃいけない。

「お前が魔王退治の旅をしてようが関係ねぇ。俺は、お前を追いかけるって、そう決めたんだ」

 俺は あいつ みたいに、自分の中に一本シンの通った人間じゃない。

 だから、すぐに流されるし、言動は信念じゃなくて周囲の状況に基づく。

 そんな俺には、黙ってマグナを見送るしか術が無い筈だった。

 けど、ここまで折れちまったら——俺は、もうダメだ。

 だから、ここだけは、もう絶対に折れる訳にはいかねぇんだ。

30.

「決めたって……」

 とはいえ、今までの言動が言動なだけに、決意が相手に伝わるとは限らない。

 マグナの漏らした笑いは、失笑に近かった。

「それは、あんたが勝手に決めただけでしょ。あたしには関係無いわ」

「そうだよ、俺が勝手に決心してるだけだ。だから、マグナはいままで通りに旅を続けてくれれば、それでいいよ」

「は?」

「俺が、勝手に追いつくから」

 マグナは怪訝な顔だけ、肩越しにこちらに向けた。

「意味が分からないわ。いますぐついてくるつもりは無いってこと?」

「ああ。この場で連れてけなんて都合のいいこと、最初っから思ってねぇよ。そもそも、ここで会ったのは偶然だしさ。偶然なんかに頼ってちゃ、いくら言葉で本気だなんだ言ったところで、説得力ねぇだろ」

「……あたしは、あんたを船に乗せるつもりなんて、最初から無かったけど」

「それでいいよ。俺が本気だってのを分かってもらう為に……今度は、もう逃げたりしないって証明する為に、ちゃんと自分の意思で追いかけて、お前に追いついてみせるから」

「……勝手なこと言ってるけど、追いついたからって、どうだって言うの?それで、あたしがあんたを受け入れる義務なんてないんだからね?」

「ああ、分かってる。当然だ。俺が、勝手にすることなんだから」

「ふざけないでよ……」

 唸るように、マグナは言った。

「今さらそんなこと言うくらいなら、なんであの時行っちゃったのよ!?」

 全く、その通りだ。

 自分が過去にしたことを考えれば、ムシが良すぎるよな、俺の言ってることは。

 でも、だからこそ、ここで折れる訳にはいかねぇんだ。

 マグナは、大きな溜息を吐いた。

「馬鹿みたい。結局、自分の気の済むようにしたいだけじゃない。ほんっと、相変わらず自分だけで勝手に決めちゃってさ、しかも回りくどいのよ。それに、ズルいわよね。あたしが断ってもどうしようもない言い方をするんだから」

 ああ、そうか。意識はしてなかったけど、ズルい言い方だったかもな。

「ホントに嫌いよ、あんたのそういうトコ」

 お前……ヒドいこと言うなよ。そろそろ泣くぞ。

31.

「大体ね、さっき言ったでしょ?あたしは今、魔王を退治する為に世界中を旅して回ってるの。なのに、どうやって追いかけるつもりなのよ。あたしがどこに居るのかなんて、あんたには分からないでしょ?」

 続く俺の台詞は、後から考えると恥ずかしさのあまり地面をのたうち回らずにはいられないほど、芝居がかっていた。

「必ず、見つけ出してみせる」

 でも、この時は本気だったんだ。

「お前が、世界のどこにいても」

「っ……馬鹿じゃないの」

 マグナは、ぷいと顔を背けた。

「……勝手にすれば。どうせ、あたしが何言っても聞かないんだし。くれぐれも言っとくけど、追いついたからって、それであたしがどうするかは、全然別のハナシだからね!?」

「ああ、分かってる」

「ホントに分かってるんだか……どうせ二度と会うこともないだろうから、いまのウチに言っとくけど、あたしはあんたなんか、ホントに嫌いなんだから。絶対、許さないわ。分かってるの!?」

「……分かってる」

「っ……ああ、そう。だったら、もう勝手にすればいいじゃない。あたしは知らない。それじゃあね、さ・よ・う・な・ら!!」

「ああ、またな」

 マグナは振り向いて俺を睨みつけたが、それ以上は何も言わずに、そのまますたすたと立ち去った。

 後ろ姿が見えなくなるまで見送って、足取り重くタタラの家に戻ろうとした俺は、それまで木の裏に隠れて気付かなかった人影を見つけて、心臓がびくんと跳ねるのを感じた。

 体の一部しか見えないが、あれはリィナだ。

「おまっ……いたのかよ」

「いたよ」

「いつからだ!?もしかして……今の聞いてたか?」

 だとすると、ものすごい恥ずかしいんですが。

 だが、リィナはぶっきら棒に言うのだった。

「なんのこと?」

「いや……聞いてねぇならいいけどさ。そうだ、シェラが探してたぞ」

「知ってる」

「知ってんのかよ……じゃあ、早く行ってやれよ」

「分かってるよ」

 そう言いつつ、リィナが動こうとしなかったので、しばらく気まずい沈黙が続いた。

32.

「……じゃあ、行く。ヴァイスくんは、ボクには用事無いみたいだし」

「へ?ああ、いや——あるよ。うん、ある」

「なに?」

「ティミが、お前のこと心配してたぞ」

「なんだ……会ったの?どこで?」

「いや、まぁ、なんかそこら辺で……」

 エフィの故郷で、とは何故か言い難かった。

「お前がどっかヘンだって、心配してたぞ」

「ふぅん」

「なんか難しく考え過ぎてるんじゃないかってさ」

「別に。そんなことないけど」

 あれ?

 なんか、おかしいな。

 マグナより、よっぽど取り付く島が無い感じがするぞ。

「ヴァイスくんは?」

「へ?」

「だから、ヴァイスくんは?」

「あ、ああ……いや、もちろん、俺も心配してるよ」

「嘘吐き」

「いや、嘘じゃねぇよ。ここで会った時から、正直ティミの言ってた通りだって——」

「別にいいよ。ヴァイスくんなんかに心配してもらわなくても」

「いや、そうもいかねぇよ。俺は、ティミにお前のことよろしく言われたし——」

「なにそれ?」

 ヒドく突き放した言い方だった。

「つまり、誰かにお願いされなければ、ヴァイスくんはボクの心配なんかしないってことでしょ?」

「あ、いや、違う。そういう意味じゃ——」

「だから、もういいってば」

 リィナは、木の幹から背中を離した。

「どうでもいいよ、そんなこと」

「いや、待てって」

「何も難しく考えてないよ。ボクはマグナを——勇者様を助けて魔王を討伐する。それだけ考えてればいいんだから」

33.

 俺は内心、臍を噛んでいた。

 リィナがどっかおかしいことは分かってたのに、マグナとの会話を終えて気が抜けていたのか、考えなしに喋り過ぎた。

「マグナの従者として、ボクも今のヴァイスくんなんて認めないから。ついて来られても、足手纏いだよ」

「……どうかな。その内、お前の方こそ足手纏いになるかも知れないぜ」

 口にしてから、言った自分にびっくりした。

 いや、待て。こんなこと言うつもりはなかったんだ。

 リィナは、鼻で笑った。

「なにそれ?よくそんなこと言えるね。ボクより、全然弱っちいクセしてさ」

「昔はな。いつだって、お前を頼りにしてた。お前に任せとけば安心だって、そう思えた。けど、今はとてもそうは思えねぇな」

「……ボクが、弱くなったって言いたいの?笑わせるよ、ボクがあれからどれだけ強くなったかも知らないクセに」

「腕っ節は、そうかもな。けど、そうだな……今はティミの方が、お前より強いかも知れねぇぞ」

 ドゴンッ、と鈍い音がして、大人が三人くらいでようやく抱えられそうな太い樹が大きく揺れた。

 リィナが殴ったのだ。

「そんな訳ないじゃん!!」

 内心ビビってたので、すぐに返事ができなかった。

「なんだよ、もぅ……なんでボクには、そんなヤなことばっか言うの?」

「え、いや、違くて——」

「やっぱり、ヴァイスくんなんて嫌いだよ。もぅ、大っ嫌い!!」

 叫んだかと思うと、止める暇もあらばこそ、リィナは素早く跳躍すると、林の木々をつたってあっという間に姿を消した。

 俺は、溜息を堪えられなかった。

 言っちまってから後悔する。こんなことをあと何回続ければ、俺は後悔しなくなるんだろう。

 きっと、一生無理なのかもな。

 いや、俺のことはどうでもいい。

 次、いつ会えるかも分からないのに、あんなことを軽率に言うべきじゃなかった。

 けど、なんか知らんけど、言わずにはいられなかったんだ。

 ごめんな、シェラ。

 また、お前の負担を増やしちまったかも知れねぇよ、俺。

34.

 マグナ達と前後して、俺達もすぐにジパングを後にすることになった。

 ヒミコの代わりに祭り上げられるのは、俺達としても御免こうむりたいからな。

 見送りは、タタラとクシナだけだった。

 二人が抜け出してきたので、残されたサノオやヤヨイの家族は、村人達の相手でてんやわんやの筈だ。

「ほんに有難うごぜぇました。なんてお礼を言ったらいいだか……ロクな持て成しもできんで、こったら慌ただしいことになっちまって、申し訳ねぇです」

 そう言って、タタラは頭を下げた。

 いや、まぁ、コソコソ出発するのはこっちの都合だから、お前は何も悪くねぇぞ。

 ヤマタノオロチからこの国を解放した英雄扱いをされるにしても、女王ヒミコを殺害した極悪人扱いされるにしても、どっちにしろ面倒なことになりそうだ。

 それを嫌ってさっさと出ていくだけなんだから、別に気にすんなよ。

 てゆうか、国を治めていた女王様が、いきなりいなくなっちまったんだ。

 お前らこそ大変だと思うけど、まぁ、頑張ってくれ。他人事みたいで、こっちこそ申し訳ないけど。

「これからは、誰かひとりに頼るんでなくて、みんなで一緒に頑張っていきますだ」

 そう言ったのは、クシナだった。

 またしても、俺はこの女に意表を突かれる。この国の連中のこと、俺達はよっぽど見損なってたみたいだ。

 頼もしいね。

 こりゃ、旦那もしっかりしねぇとな、タタラ。

「それでもなお手に負えないことが起こったら、いつでも俺を呼ぶがいい」

 ファングは、そんな呑気なことを言っていた。

 まぁ、お前は周りで囃し立てられるのに慣れてるから、たとえ神様扱いされても当たり前みたいな顔して気にしねぇかもな。

 そういえば、さっきリィナと別れてとぼとぼタタラの家に戻ると、ちょうどシェラが行きがけに姫さんに会いに来てくれていた。

 俺がすぐには一緒に行かないことを知ったシェラは、「そうだと思ってました」と言いつつも、心細そうな恨みがましい目で俺を見上げた。

 頼むから、お前まで俺を嫌わないでくれ。

 マグナとリィナに立て続けに嫌い嫌い言われて、心が折れそうなんだ。

「案ずるでない。シェラとは、またすぐに会えるのじゃ。のぅ、ヴァイス」

 姫さんが自信満々に言い切ったので、俺は責任の重さにややぎこちなく頷く。

 ああ、すぐに追いついてみせるから、もうちょっとだけ待ってくれ。

 お前にゃ面倒ばっかり押しつけちまって、ごめんな、シェラ。

35.

 そんな直前の場面が印象深かった所為もあって、タタラ達との別れ際については、ジツはあんまりよく覚えていない。

 お嬢やアメリアも何か喋っていた筈だし、もう少し感傷的な光景があったような気もするんだが、この国での出来事は、俺の中ではほとんどマグナ達で塗り潰されちまって、他のことがあんまり思いだせないのだった。

 薄情な話だが、やっぱり俺は、あっちもこっちも等しく気をかけられるほど心の広い人間じゃないらしい。

 そしてそれは、エフィの故郷に戻ってからも同じだった——

「なんて顔してるのよ」

 よく手入れのいき届いた中庭のベンチで隣り合って座りながら、俺の顔を下から覗き込んで、お嬢は苦笑した。

 さりげなくエフィから視線を逸らして、顔を撫でる。

「そんなヘンな顔してたか?」

「ええ、それはもう。まぁ、そういう顔をしている時に、何を考えているのかは、いまはもう大体察しがつきますけど」

 そうか、察しがついてるのか。そいつは好都合だな。

 なら、さっきから言おうとしてたことを、言わせてもらうとするか。

 今なら、話の流れ的に自然な筈だ。

 だが、どうもウマい具合に最初のひと言が出てこない。

 だってさ——あ、ちょっと待て、いま言うから。

 まだ口を開くな、お嬢。

「ねぇ、ヴァイス」

 俺の願いも虚しく、エフィは問いかけるように、俺の名前を呼ぶのだった。

「その……あなたは、いつまでここに居るつもりなの?」

 うん、それだ。

 さっきから、俺もそれを言おうとしてたんだよ。

「あ、違うのよ?長居されたら迷惑だって意味じゃなくて……その、もし貴方がそうしたいのなら、別にずっとここに居てもいいのだし……」

 やっぱり、ちゃんと言わねぇとダメだ。

「ほら、お父様も、貴方のこと気に入ってるみたいだし——」

 俺はおもむろに、隣りに座るエフィに体を向けて、正面から顔を見据えた。

「エフィ、聞いてくれ」

「は、はい?」

 エフィはびくっとして、心なし身を引く。

36.

「俺……お前に言わなきゃいけねぇことがあるんだ」

「えっ……な、なによ、突然改まって」

「えっと、その……さ」

 やっぱり、最初のひと言が出てこない。

「だから……あのさ」

 だって、なんて言やいいんだよ。

「その……なるべく早く、出ていくよ」

 どうしても歯切れが悪くなっちまうのは、俺とエフィは別に付き合ってる訳でもなんでもないからだ。

 だから、こんな真面目な顔して別れを告げたりするのはおかしい、という気持ちがどこかで働いちまう。

 けど、曖昧にしたままじゃなくて、はっきり言わないとダメだと思ったんだ。

 なんでかよく分かんねぇけど、そうしないとエフィに失礼というか——それに、あいつの為にもさ。

「それは、あのマグナって人を追いかけるということ?」

 伏し目がちに、エフィは言った。

 あれ、知ってたのか。

「……ああ」

「一刻も早くあの人を追いかけたいから、いつまでもこんな処で時間を潰している暇は無いっていうこと?」

「そう言っちまうと、身も蓋もねぇけどさ」

「でも、そういうことなんでしょう?」

 ここは、誤魔化しちゃ駄目なトコだよな。

「ああ」

 俺は、きっぱりと頷いた。

 すると、エフィはくすっとおかしそうに笑った。

「ようやく言ったわね。私が、エミリーちゃんやアメリアさんから、何も話を聞いてないとでも思ってたの?なのに、貴方がなかなか言い出さないものだから、歯がゆいったらなかったわ」

 なんだよ、そうだったのか?

 そりゃ恥ずかしいな。俺が独りで空回ってただけなのか。

 エフィは、はぁ~あ、と大きな溜息を吐いた。

「大体ねぇ」

 はい?

「貴方、何か勘違いをしていない?」

 なんのことか分かんねぇけど、多分そうなんだと思います。

37.

「まさかとは思うけど……」

 エフィは、俺からちょっと身を離すように座り直した。

「ファング様とアメリアさんと同じように、駆け落ちして欲しいだなんて、私が思っていると勘違いしていない?」

 いや、その……

 すいません。口に出しては言えませんが、さっきちらっと思いました。

「嫌だわ。本当に、そんなことを考えていたの?」

 エフィは、俺の沈黙を肯定と受け取ったようだった。

 少なくとも、表向きは。

「それじゃ聞くけど、ファング様にはアメリアさんを、なにがあっても必ず守り抜くっていう覚悟があるわ。傍から見ているだけでも、それは伝わってくるもの」

 そうだな。無駄なくらい伝わってくるな。

 エフィは、急に真面目な目をして俺を見た。

「貴方に、その覚悟はあるの?」

「え……」

「なにがあっても、必ず守り抜くっていう覚悟が」

「……あるよ」

「それは、私のことではないわね?」

「うん」

 エフィは苦笑した。

「はっきり言うのね。失礼だわ」

「ごめん」

 エフィは脱力したようにベンチの背もたれに身を預け、夜空を見上げた。

「別に謝る必要はないけれど。私だってご免だもの。これまでだって、貴方と一緒にいて、私がどれだけ危ない目に遭ったと思っているの?正直に言って、もうこりごり。ここで大人しく暮らしていた方が、ずっと幸せだわ」

 そうだと思います。すみません。

「……いま思えば、私が感じていたのはすごく贅沢な悩みだったわね。しばらく貴方達と旅をして、それまで会うことの無かった人々の生活を目の当たりにして、私は今の時代にしては恵まれ過ぎた、なに不自由のない暮らしをしているんだってよく分かったし」

 両手を組み合わせて、軽く伸びをする。

38.

「私の感じていた不満なんて、不満と言えるものじゃなかったのね」

「いや、まぁ……それは、人それぞれだからな。どんな立場にいたって、不満ってのはあるモンだろ」

 俺は、反射的にある言葉を思い出していた。

『その人にとって、何がどれだけ重いのかなんて、人それぞれだと思うけど。その人の悩みはその人だけのものだし、他人と比べて重い軽いなんて言えないんじゃない』

 そう言ったのは……マグナだったな。

「いいのよ、気を遣わなくて。私が言いたいのはね、そんな恵まれた生活を捨ててまで、どうしてこの私が、貴方なんかと駆け落ちしなければならないの?っていうことよ」

 そうですね。

 全く、その通りだと思います。

「それに、言ったわよね。私は、結婚する相手はエジンベアの人だって決めているの」

 ああ、そういや、そんなような事を言ってたな。

「だから、申し訳ないけれど、貴方なんて最初っから眼中になかったわ。だって、貴方の髪は金髪じゃないし、貴方の目も碧眼ではないもの」

 エフィは夜空を見上げたまま続ける。

「恋人を演じてくれだなんて頼んだ私が悪かったのかしら。本当に単なるお芝居でしかなかったのに、きっと貴方に勘違いをさせてしまったのね。それは、本当に申し訳なかったと思っているわ」

 エフィの見事な金髪は、おぼろげな月明かりの下でも、きらきらと輝いて見えた。

「けれど、考えてみて。そもそも、私と貴方では身分が違い過ぎるでしょう?高貴な私に憧れる貴方の気持ちは分からないではないけれど、勝手な妄想を膨らませないでもらえるかしら……迷惑だわ」

 どうやら俺は、色んなヤツから迷惑な人間だと思われてるらしい。

「そっか……」

「そうよ。大体、貴方なんて出会った時から、本当に失礼な人だったし……」

 少し鼻にかかった声。

「だから、嫌いよ。貴方なんて」

 そしてどうやら、色んなヤツから嫌われてもいるらしい。

 そろそろ泣いてもいいか?

「そいつは残念だな」

「……嘘ばっかり」

 そうだな。

 俺は、その場凌ぎのいい加減なことしか言わない人間だからな。

39.

「まぁ、そういうこと。貴方が居なくなっても、私は何も感じない。ううん、むしろせいせいするわ。頼んでいた仕事も終わったことだし、さっさとどこへでも勝手に行ったらいいじゃない」

「ああ……ありがとな」

 ほとんど無意識に、口から出た言葉だった。

 夜風に乱れた前髪の隙間から、エフィは俺を睨みつけた。

「なんで、貴方がお礼を言うのよ!?やっぱり、何か勘違いしているでしょう!?」

「いや、その……ジパングに行く前も合わせると、かなり長いこと泊めてもらって世話になったからさ、その礼を言ったんだけど」

「え!?あ……そう。だったら、別にいいけど……そうよ、放っておくと無遠慮に長く泊まり過ぎなのよ貴方達は。これ以上、居座るようなら、宿代を払ってもらいますからね!?」

 エフィは、大金持ちの娘らしくないことを言った。

「そりゃ困るな。ここの宿賃は高そうだ。なるべく早く出ていくよ」

「なるべくじゃないわ。明日にでも出て行ってちょうだい。それを言いたくて、わざわざ今日、呼んだんだから」

 あれ、さっきと言ってることが違いますが、お嬢様。

 エラい急な話になってきた。

「分かったよ。ファング達にも、そう伝えとくわ」

「なによ、そんな、あっさり……いいえ、そうよ。そうしてちょうだい。早く出ていって」

 エフィは、俺の腿を拳で叩いた。

 痛いというより、くすぐったい。

「明日になったら、全員さっさと出て行ってちょうだい!?」

 立ち上がって、しかめっ面で見下ろしてくるエフィに、俺は言う。

「ジパングでの報酬を、まだもらってねぇんだけど」

「そんなの、明日にでもお父様からいただけばいいでしょ!?私は知らないわよ!!」

 いや、あなたが依頼主なんですが。

「それじゃ、お休みなさい!!私、旅の疲れで明日は見送りできないと思うけど、どうぞお達者で!!」

「ああ、お休み。エフィも元気でな」

「なによ……貴方に心配してもらいたくないわよ、馬鹿!」

 ばちん。

 控え目な平手打ちを置き土産に、エフィは小走りに屋敷に戻っていった。

40.

 残された俺は頬を押さえたまま、しばらくベンチに座っていた。

 ほっぺた痛ぇ。

 お嬢には何度もひっ叩かれたけど、いまのが一番効いたな。

 自分では気付かなかったが、かなり長い時間、俺はぼーっとしていたらしい。

 ふと気付くと、さっき見た時よりも、月がかなり高く昇っていた。

 ぶるっと頭を振って、ベンチから腰をあげる。

 うわっ、膝の関節が固まってんじゃねぇか。

 くそ、腰と尻も痛ぇな。

 よろめきながら、心の中で悪態を吐く。

 あ~あ。俺も馬鹿だね。

 ウマくすりゃ、少なくとも客分として何不自由ない暮らしを、ここでずっと送れただろうによ。

 まぁ、仕方ねぇか。

 俺は、近い将来魔王を退治して世界を救う、勇者様御一行の一員だからな。

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