36. International Lover

1.

「ここは……?」

 俺の手を借りて地上に這い出しながら、エフィが囁いた。

 急勾配の抜け道を登って辿り着いたそこは、建物の中だった。

 四方が木造りの壁に囲まれており、土が剥き出しの床には壷やら木箱やらが雑然と積み重ねられている。

 手持ちランプの灯りに照らし出された様子から、おそらく倉庫と見えたが、普通の民家に収まる広さじゃない。天井も高くて、そこいらの民家なら逆にすっぽり入っちまうくらいの規模だった。

「どうやら、ヒミコの屋敷だな」

 と、ファング。

 これだけデカい建築物は、この国には他に見当たらない。

 つまり、当たりってことだ。

「それで、ヤマタノオロチはここに居るんだな?」

 全員が穴から這い出したのを確認して、出口を塞いでいた木板を戻しつつ、ファングが尋ねてきた。

「ああ」

 応じたついでに、俺は大きく息を吸って吐き出した。

 横穴を登っていた途中から、暑さはそれほどでもなくなってたんだが、やっぱり地上の空気は格別だ。

 ふと気が付くと、お嬢が俺の側から離れて、俯けた顔を小さく左右に振っていた。

 なにしてんだ?

 ああ——

 自分の前髪をかき上げて、額と首筋の汗を拭ったところで気付く。

 汗の匂いを気にしてるのか。

 よく見るまでもなく、全員汗でダラダラなんだから、別に気にするこたねぇのにな。

 さて、と——俺はタタラの言葉を、記憶の中から選んで掘り起こす。

 この地に姿を現した当初、ヤマタノオロチは手当たり次第に村々を襲っていた。

 放っておけば国ごと滅ぼされかねない有様だったが、突如として奇妙な神通力に目覚めたヒミコサマが、定期的に生贄を与えてオロチを鎮めるように計らい、それで被害は最小限に抑えられるようになった。

 ってな感じのハナシだったよな。

2.

 でも、それってどうなのかね。

 尤もらしく聞こえなくもねぇけど、そもそもあんなバケモンと、どうやってナシつけたってんだよ。

 普通じゃ出来ないことをやってのけたからこそ、神通力に目覚めたとか言われてるんだろうけどさ……いくらなんでも、タイミングが良過ぎねぇか。

 しかも、ヒミコサマが予言した時間にならないと、ヤマタノオロチは姿を現さないんだってよ。

 じゃあ、普段はどこに隠れてやがんだよ。あんなでっけぇ図体してさ。

 要するに、これまでに見聞きした情報を、ごく素直に組み合わせて考えると——

 ヤマタノオロチは、ヒミコなのだ。

 それで、ほとんど説明がつく。

『オロチさ姿を現すんは、ヒミコさまが予言なすった刻限だけって聞きますだ』

 タタラはそう言っていたが、ヒミコにしてみりゃ、普段は人の姿をして屋敷の奥でふんぞり返って、いざヒトを喰いたくなったら、この時間にメシを用意しておけって命じてるようなモンだから、こんなの予言とは呼べねぇよな。

 まるで、家畜だ。

 この国の連中は、ヤマタノオロチという化け物を養う為に、ヒドく都合のいい状態に置かれている。

 バケモンの分際で、人間サマをナメやがって——そう思うと同時に、なんだか違和感を覚える。

 食料の安定供給とか、およそ俺の知っている魔物のイメージとはかけ離れてるもんな。

 地底で俺達から逃がれた時の、炎の壁を作って時間稼ぎをした分別臭い行動といい、なんというか妙に人間臭い。

 いや、人間っぽいと言っても、生贄の発想なんてのは、人でなしの類いではあるけどさ。

 ヤマタノオロチという魔物と、ヒミコというこの国の女王様を、頭の中で結びつけることに大して抵抗が無かったのは、そういった妙な人間臭さの他に、もうひとつ理由があった。

 それは、エフィの故郷で出くわした、あのニュズという魔物の存在だ。

 あいつも——化けていたのだ。ファムという人間に。

 つまり、人間の姿に化けられる魔物の存在を、実際に目の当たりにしていたからこそ、俺はあっさりヒミコとヤマタノオロチを結びつけることが出来たんだと思う。

3.

 ただ、なぁ。

 人間に化けるって点は同じでも、サイズがまったく違うんだよね。

 ニュズは正体を現した後も、さして大きさは変わらなかったが、こっちは阿呆みたいに馬鹿デカいトカゲが正体なんだぜ?

 それとも、ニュズもあれが正体だった訳じゃなくて、ジツはもっとデカくなれたのかね。

 あるいは、あの八本首の竜はヒミコそのものじゃなく、使役されてるだけとか、そういうことかと思ったりもしたんだが、その考えはさっき捨てた。

 ヤマタノオロチが逃走経路に選んだのが、人ひとりがやっと通れそうな横穴だったからだ。

 それはすなわち、ヤマタノオロチが人と同じ大きさに変化できることを意味している。理屈はさっぱりだけどな。

 そんなようなことを掻い摘んで皆に説明すると、意外にも不審な表情を浮かべた顔は少なかった。

 普通だったら、おいそれと信じられない話だと思うんだが、謁見の時に触れたヒミコの不気味な雰囲気が記憶に新しかった所為だろう。

『まるで、あの魔物を前にした時みたいな感じがしたもの——』

 エフィですら、そんな感想を漏らしてたもんな。理屈はともかく、直感的には腑に落ちるってトコか。

 ただ、俺にはもうひとつ気がかりがあった。

「まぁ、それならそれで、別にいいよ」

 ヒミコの正体なんて、どうでもいい、みたいな口振りでリィナが言った。

「っていうか、ヒミコサマがヤマタノオロチなら、もっと追い詰めれば、今度こそあのチョンマゲの人が出てくるってことだもんね。ボクにとっては、その方が都合いいかな——あの人の相手は、ボクがするから」

 ファングに向かって、念を押すリィナ。

 そうなんだよな。まだ、あいつらが残ってるんだ。

 俺は、あのチョンマゲの剣士や黒づくめ連中のことを、いまだに頭の中で扱い兼ねている。

 ヒミコが神通力を得たのと時同じくして、この国に現れたってハナシだから、なんらかの形で関わっているのは明らかだと思うんだが。

 今のところ、連中はヒミコの私兵のようにしか見えない。

 さっき、洞窟の中で俺達の前に立ち塞がった黒づくめ共も、この倉庫から洞窟に入って、ヒミコサマの食餌を運ぶ兵士達が魔物に襲われないように露払いをした上で、俺達を待ち伏せていたんだろう。

 単なる手下と見なした方が、話は簡単なんだが——果たして、それだけだろうか。

4.

 一番引っ掛かってるのは、連中が人間にしか見えないってコトだ。

 まぁ、カンダタ共の例もあるし、何を考えてんだか知らねぇが、魔物に協力する人間もいない訳じゃないんだろうけどさ……どうも、頭の中でしっくりとピースが嵌まらない。

 おそらく、俺が見聞きしてきた情報からは、どこか重要な部分がごっそりと抜け落ちてるんだ。それを見つけない限り、この違和感はなくならない。そんな気がした。

 てことは、これ以上考えても、時間の無駄だな。

「ほんじゃ、ヒミコサマのご寝所に、いっちょ夜這いをかけるとしますかね」

「いちいちヘンな風に言わないでよ、もぅ」

 と、エフィ。

「夜這いとはなんじゃ、アメリア?」

「えっ?……と、それは、その、ですね……」

「アメリア!!」

「はいぃっ!」

「姫に余計なことを教えんでいいと言っただろう」

「……はぃ」

 相変わらず、緊張感ねぇな。

 こいつらは、どうしてこの状況で、こうも呑気でいられんのかね。

 やっぱり、誰かさんが大黒柱として、しっかりしてやがるからですか、そうですか。

 ちぇっ、面白くねぇの。

 まぁ、マグナ達との関係が未だ円滑になったとは言い難い俺としては、こいつらの空気に救われてる部分もあるんだけどさ。

「女王サマにお目通りを願うには、ちょっと非常識な時間だけど、向こうは存在自体が非常識なんだから、お互い様よね」

 思わぬ方向から、軽口が聞こえた。

 その主がマグナだと気付いた俺は、ついまじまじと顔を眺めちまった。

「……なによ」

「いや、別に」

 無節操に前を膨らませた記憶が蘇り、気まずくて目を逸らす。

 すると今度は、リィナの仏頂面が目に入った。地下でファングに好き放題言われてから、ずっとこんな感じだ。

 いやはや。なかなか上手くいかないモンだね。

 そんな心配そうな顔すんなって、シェラ。

 後で、なんとかしてやっから——無意識に漏れかけた溜息を堪える。ホント、なんとかしなくちゃな。じゃねぇと、お前らを巻き込んだ意味がねぇよ。

 けど、今は——俺は、ファングをちらりと盗み見た。

 とりあえず、ヤマタノオロチ退治に専念しねぇとな。

5.

 ファングを先頭にして倉庫を出ると、薄暗い廊下が続いていた。

 まばらに火が灯されているものの、幅が広くて天井も高いので、見通しはかなり悪い。

 シンと静まり返った屋敷の中を、少し体重をかけただけで軋る床板の音が、ギシギシと木霊する。

 急に何かが、暗がりから飛び出してくるんじゃないか。

 そんな妄想を抱かせる、薄気味悪い雰囲気だった。

「その先を、左に進んで」

 マグナが小声で囁いたのは、廊下が左右に分かれた突き当たりが、うっすらと見えた辺りだった。

 俺には分からない目印を、得意の記憶力で覚えていたんだろう。

 久し振りに他人の声が耳に届いて、俺はほっとひと息ついた。

 押し黙って歩いていたせいか、知らず知らずの内に、ある種の閉塞感に囚われていたらしい。

 それは俺だけではなかったようで、エフィや姫さんをはじめとする一行の空気が、ふっと緩んだように感じられた。

 正に、その刹那——

「後ろだっ!!」

 ファングの叫びに重なって、空気を貫く鋭い音が俺の左右を疾り抜けた。

「あ——っ」

「くぅっ!?」

 ジャラっと音がして、何かがエフィと姫さんを絡め取る。

 なんだ——鎖!?

 背後の闇から伸びた鉄の鎖が、二人の体に巻きついていた。

「痛っ!!」

「なんじゃ!?」

 後ろに引き摺られかけたエフィの体を、慌てて抱き止める。姫さんの体には、アメリアが必死にしがみついていた。

「貴様、なんの為にしんがりに——」

 リィナを怒鳴りつけ、鎖の根元に駆け寄ろうとしたファングが、再び身を翻して剣を抜き放った。

 そのまま、虚空を幾度かなで斬りにする。

 いや——何かを打ち落としたのだ。

 ファングが剣を振る度に、微かな金属音が鳴り響き、弾き返された何かが床や壁に当たる音がした。

 なんだなんだ。なにが起こってるんだ。

6.

「後ろは貴様がやれ!!」

「……偉そうに言われなくても、分かってるよ」

 再びファングに怒鳴られて、リィナがぶつくさ言いながら後背の鎖の根元へ向かう。

 よく目を凝らすと、暗がりに紛れて黒づくめの影がぼんやりと二体見えた。

 やっぱり、地底でファングに倒された連中で全部じゃなかったか。

 予想はしてたが、手負いのオロチに止めを刺すだけとはいかないらしい。

 駆け寄ったリィナの蹴りを、黒づくめは鎖から手を離して躱した。

 もう一方の黒づくめは、たわめた鎖を操って、リィナを絡めとろうとした。

「おっと」

 身を屈めて脱出したリィナの真横で、最初に蹴りを躱した黒づくめが、取り出した懐剣を振るう。

 こちらから見て奥に向かって回転しながらそれを避け、二人を同時に視界に収めるように位置取ったリィナに、鎖を握った方の黒づくめが何かを投げる——多分、ファングが打ち落としているのと同じモノだ。

「よっ」

 半身になって躱しつつ、リィナはソレを指の間で挟んで受けた。

 懐剣を握った方の黒づくめに投げ返して足を止め、その隙にリィナは鎖を握ったままの黒づくめとの距離を詰める。

 大振りの蹴りを避けて、黒づくめは鎖から手を離した。

「ん、まぁまぁだね。時間潰しにはなるかな」

 足元の鎖を俺達の方に蹴って、リィナは素っ気無く言い捨てた。

 緩んだ鎖から開放してやると、エフィはしきりと二の腕辺りを擦った。微かに漏れ聞こえた口の中の呟きからして、どうやら痣になるのを気にしているらしい。

 ちなみに、姫さんはとっくに鎖から開放されて、アメリアにしっかりと抱き締められている。

 ファングは未だに、暗がりから飛来する何かから、俺達を守って剣を振るい続けていた。

 こちらも、よくよく目を凝らすと、斜め上の方向から何か細長いモノが投げつけられているのが、辛うじて目視できた。

 ファングの剣に当たる音からして鉄製だろう。針にしては大きいし、杭と言うには細い。鉄串ってトコかね。

7.

「地下の時といい、飽きん奴等だ。いい加減、慣れてきた」

 ファングの剣の振りが、次第に変化しつつあった。

 打ち落とす為の軌道から、次第に水平に——さらに、斜め上に向かって振り回わされる。鉄串が剣の腹を打つ音も、ガキンガキンと派手になってきた。

「案外、上手くいかんな」

 まさかとは思うが、投げたヤツに打ち返そうとしてるんじゃねぇだろうな。

 そう思い至ったのと前後して、ファングが打ち返した鉄串が、廊下の梁の上に吸い込まれた。

「——ッ!?」

 黒々とした塊が、どさりと廊下に落ちる。

「フン。こんなところか」

 さっきは左で、今度は右だ。

「ぐッ!!」

 見事に命中したらしい。

 ンなアホな。

 いや、そりゃ何度も失敗はしてたけどさ。狙って打ち返せるモンじゃねぇだろ。

 この馬鹿の非常識っぷりをある程度弁えてる俺でさえ、呆れるくらいだ。廊下に落ちた黒づくめ共が口を利けたら、さぞかし文句を言いたかったに違いない。

 まぁ、なんていうか、相手が悪かったな。

 だが、それで終わりではなかった。

 廊下の中央に、新たな黒影がふっと音も無く現れた。

 黒一色は他の連中と同じだが、頭巾や服の形が微妙に異なる。見た感じ、なんとなく他のヤツらより偉そうだ。

 黒づくめ共の元締めか?

「上だ、勇者殿!!」

 しかし、ファングが反応したのは、そいつに対してではなかった。

「——了解」

 何を了解したんだか、マグナの反応も素早かった。

 抜刀するなり、頭上に剣を突き上げる。

 直後——おわっ!?

 なんか、上から降ってきたぞ!?

 広がった何かが、バサリと床を打つ。

 なんだ、こりゃ?網か!?

 前に出て俺達を庇っていたファングと、後ろで黒づくめとやり合っているリィナを除いた全員を、天井から落ちた大きな網が絡めとっていた。

8.

「引いて!!」

「応ッ!!」

 マグナの合図に呼応して、ファングが担ぐようにして力任せに網を引く。

 反射的に身を伏せた俺達の上を、勢い良く網が引かれ、隙間から突き出たマグナの剣に引き裂かれていく。

「そのまま伏せてろ!!」

 網の端っこを押さえようとして間に合わなかったのか、遅れて天井から降り立った黒づくめ共を、ファングが網が振り回してビタンビタンと横殴りにした。

「そっちお願い」

 ちらりと俺を見て、マグナが言った。

 へ?

「あ、ああ——」

 新たに廊下に降り立った黒づくめは四人。

 俺達を囲んで、左右に二人づつだ。

 既にマグナはファングが怯ませた隙を突いて、左手の黒づくめに向かっている。

 つまり、俺の担当は右の二人か。

 ようやく状況に頭が追いついた。

 木造の建物の中で、爆発したり火を使う呪文はマズいよな。

『ヒャダルコ』

 俺が唱えた呪文は、黒づくめ共が体勢を立て直す前に、その場に凍り付けにした。

 マグナの方も、なんとかなりそうだ——

「ぐっ」

 ファングの苦悶の声に、そちらを振り向く。

 脇腹から短剣が突き出ていた。

「ファング様!?」

 アメリアの悲鳴。

「ガァッ!!」

 網を投げ捨て、ファングは剣を振り回す。

 後ろからファングを刺した黒づくめの元締めは、易々とそれを避けて闇に溶けた。

 手で押さえたファングの脇腹から、血が噴き出している。かなりの深手だ。

9.

『ベホイミ』

 すかさず、シェラが呪文を唱えていた。

「済まんな、さっきから。世話になる」

「いえ。これが私の役割ですから」

 どうやら洞窟で別行動を取った時も、シェラはいい仕事をしたみたいだな。

 それに引き換え、地下でもここでも、俺はロクに何もしてませんけど。

 どうも、不測の事態に弱いんだよな。あれこれ考えを巡らせて、コスく立ち回ることはできても、思考が追いつかないくらい事態が急展開すると、途端に役立たずになっちまう。

 こんな時は、考え無しの馬鹿やら、いざという時のクソ度胸があるヤツが羨ましく感じるね。

 おや——?

 姫さんを抱き締めながら、ファングとシェラを見比べるアメリアが、微妙な表情を覗かせていた。

 いや、お前が心配するようなことは、なんにも芽生えないと思うぞ、あの二人の間には。

「ヴァイス——あの……もう大丈夫だから」

 胸の辺りで声がして、俺はずっとエフィを抱き締めていたことに、ようやく気がついた。道理で動き難いと思ったぜ。

「ああ、うん」

 反射的にマグナに目を向けると、ちょうど顔を逸らされたところだった。

 睨まれてましたかね。

「……痣にならないといいけれど」

 苦笑いをして袖を捲くり、エフィは鎖が絡みついていた両腕に視線を落とした。

 床に落ちた鎖の先では、リィナが黒づくめ共とまだやり合っている。あいつにしちゃ手間取ってるな。

 まぁ、他にはファングを刺した元締めしか残ってなさそうだし、多少モタついても問題無いけどな。

 だが、そうは問屋が卸さなかった。

「チッ——」

 ファングの舌打ちに続いて、突き当たりの角から新たな人影が滑るような足取りで姿を現した。

 頭頂部で髪を縛り上げた、目つきの鋭い男——先日リィナとやり合った、例の剣士だ。

 闇に紛れていた黒づくめ共の元締めが、音も無く剣士の背後に降り立った。

「——ッ!?」

「ガッ」

 後方で、どさりどさりと人の倒れる音がした。

 振り向くと、黒ずくめ共を打ち倒したリィナが、こちらに歩いてくるのが見えた。

 その視線は俺達の間を抜けて、真っ直ぐ剣士に向けられている。

 いや、お前、そんなあっさり——苦戦してたんじゃなかったのかよ。

「やっとお出ましだね。待ち侘びたよ」

 リィナは、嬉しそうにそう言った。

10.

「キミは引っ込んでなよ。アレは、ボクのだから」

 ゆっくりと脇を通り過ぎながら、ファングが構えた剣に手をかけて、リィナはぐいと押し下げた。

「ボクが弱いかどうか、ちゃんと見せてあげるから」

「……処置無しだな。好きにしろ」

 ファングの返事は、溜息混じりだった。

「リィナさん……」

 不安げなシェラの呟きを、リィナはあえて無視したように、俺の目には映った。

「さてと。やろうか」

 俺達から五歩、剣士から十歩ほどの間を置いて、リィナは立ち止まる。

「……此度こたびは、斬る」

 相変わらずたどたどしい口調で応じ、剣士は腰を落として刀の柄に手をかけた。

「うん、遠慮しないでいいよ」

 リィナは身をかがめて、足元から何かを拾う。

 さっき、ファングが打ち落としていた鉄串だ。

 珍しいな、武器を使う気か?

「と言いたいトコだけど……キミさ、ズルしてるよね?」

 リィナは片手を腰に当てて、もう一方の手で器用に鉄串をくるくると回した。

「まずは、それを確かめさせてもらおうかな」

 剣士は答えなかった。

 代わりに、さらに深く腰を落とす。

 ぐだぐだ口を開く暇があったら、斬り捨てた方が早い。

 たたずまいが、そう物語っていた。

 途端に、空気が重くなった。

 いや、もちろん比喩だが——

 今からほんの少し未来、自分は死んでいるかも知れない。その可能性が実感を伴って、肌を粟立てる。

 剣士が醸し出す抜き身の刃のような雰囲気が、そう感じさせるのだ。

 だが、それには個人差がある。

 目の前の危険に対処できるだけの実力と自負さえあれば——

 鉄串を逆手に構えたリィナは、肌のひりつくような空気を気にした風もなく、するりと足を踏み出した。

11.

 一瞬の攻防。

 聞こえたのは、床を蹴る音と風切り音。

 懐に潜り込もうとしたリィナは、凄まじい速度で薙ぎ払われた剣士の刀に行く手を阻まれ、胴体を両断される寸前で辛うじて後ろに跳び退いていた。

「秘剣、隼」

 剣士が刀を鞘に納めると同時に、キンと音を立ててリィナの手から鉄串が落ちる。

 長さが、元より短くなっていた。半ば辺りで、断ち切られたのだ。

 さらに二、三歩退いたリィナの腹に、一条の血が滲んでいる。

「まさか、折られちゃうとは思わなかったけど——やっぱりね」

 ちょっと待て、お前、なんか考えがあったんじゃねぇのかよ!?

 前回やられた時と、何も変わってないじゃねぇか。

 もしかして、その細い鉄串で刀を受け止めようとしたのか?

 そりゃ無茶ってモンだぞ。

「なるほどな。そういうことか」

 ファングのしたり声が聞こえた。

「何が、そういうことなのじゃ?」

 アメリアに抱き締められた姫さんが、俺の疑念を代弁した。

「ん?ああ——いや、前回といい今回といい、俺には、あいつが剣を躱したように見えたんだが……」

「じゃが、リィナは斬られておるではないか。血が出ておるぞ」

「そうだな。だが、今回あいつは、手にした鉄串で太刀筋から躰を庇っていただろう」

「ふむぅ?」

 一向に伝わっていない姫さんの口振りに、ファングは苦笑を浮かべた。

「いや、つまりだな……剣が鉄を打つ音が聞こえなかっただろう?」

「うむ」

「だから、やはり彼奴の剣は、あいつに触れていなかったということだ」

「何を言っておるのか分からん。では、どうやってリィナは斬られたのじゃ?」

 ここまで説明されて、俺はようやく正解に辿り着いた。

12.

「かまいたちとか、そういう類いの話か?」

「ああ、それだ」

 ファングは、軽く肩を竦めてみせた。

 リィナが躰の手前で構えていた鉄串を刀が打つ音が聞こえなかったということは、つまり剣士の刃はリィナの躰に届いていなかったという理屈になる。

 じゃあ、リィナが腹に傷を負ったのは、一体何故か。

 その答えが、かまいたち——恐るべき速度で抜き打たれた剣士の刀が空気を断ち、それが真空の刃となって本来は間合いの外にいた筈のリィナを斬りつけたのだ……って、いやいやいや、納得できるか。

「そんなこと、生身の人間に可能なのか?」

「別に、珍しいことじゃないよ」

 なんでもなさそうに応じたのは、リィナだった。

 ちらりと振り向いた視線の先には、シェラがいた。

「ヴァイス君だって、よく目にしてたでしょ」

 なんのことだ?

 ああ——バギか。

 確かに現象としちゃ似てるかも知れないが、ありゃ魔法だぞ——あ、そうか。だから、リィナは『ズルしてる』って言った訳か。

 かまいたちは剣速によって生み出された訳ではなく、かといって魔法にしては呪文を唱えた様子が無い。

 ということは、おそらく剣士の刀それ自体に付与された能力なんだ。

 俺がヴァイエルからくすねてきた『魔道士の杖』のように、魔法を発動できるように細工された道具ってのは、実際にあるからな。

「ひと薙ぎで二度斬りつけられるとは、なかなか便利な得物だな」

 感心してる場合かよ、ファング。

 リィナの言う通りだとすりゃ、風切る方の刃は目に見えねぇんだぞ。

「リィナさん——」

「だいじょぶ、シェラちゃん。ホイミはいいから。今回は皮一枚で済んだし、こっちはズル無しでやりたいんだよね」

 視線は剣士に向けたまま、リィナは身振りでシェラを制した。

13.

「あ、キミは好きなだけズルしていいから。その上で斃すくらいじゃないと、意味ないし。もうタネはバレちゃったけどね」

「問題、無い」

 ぼそりと言って、剣士は再び魔剣を振るった。

 リィナは、間合いの遥かに外だ。

 が——

 僅かに躱す動きをしたリィナの肩口から、血飛沫が舞う。

「分かっても……躱せん」

 見えない上に、実際の刀身のずっと先まで届く刃。これは、マズいんじゃねぇのか?

「リィナさん!!」

 リィナは前を向いたまま、シェラを宥めるように手を軽く上下する。

「交代が必要か?」

 と、ファング。

「冗談でしょ。こっからが本番だよ」

「強がりにしか聞こえんな。いいから、代われ。鎧をつけている分、俺の方がマシだ」

 ファングの鎧は、全身を覆う甲冑ではなく胸当てだが、それでも一撃くらいは耐えられるだろう。その隙に捨て身で飛び込んで斃すくらいのことは、こいつなら出来そうだ。

「いいから、上」

「分かっている」

 意味不明のやり取りに続いて、何故かファングは鞘から剣を抜いて、頭上を薙いだ。

 ギンッという金属音がして、短刀を構えた黒い影が無音で床に着地した。

 黒づくめ共の元締めだ。

 さっきまで剣士の後ろにいた筈なのに——と思う間も無く、床板を軋らせることなく跳躍した黒い影は、梁の上の闇に身を潜める。

「キミは、皆が怪我しないように、その人の相手でもしてなよ——ッ」

 再び剣士が抜刀し、逆の肩口を裂かれたリィナが微かに苦痛の声を漏らした。

「勝算はあるのか?」

「もちろん」

 続く呟きは、低くて聞き取り辛かった。

「……こんなトコでつまずいてたら、いつまで経っても追いつけっこないよ」

 俺がリィナに注意を向けていられたのは、ここまでだった。

『焦れったいねぇ。何をモタモタしてるんだい』

 唐突に、聞き慣れない女の声が響いた。

 思わずきょろきょろと辺りを見回して分かったのは——他の誰ひとりとして、今の声に気付いてないということだ。

14.

『ああ——もう屋敷の前まで来てるじゃないか。こんな連中は無視して、さっさと先にお進みよ。間に合いやしない』

「どうしたの?」

 俺の不審な挙動を気にして、エフィが声をかけてきた。

「いや……なんでもない」

 表情を見ても、やっぱりエフィには何も聞こえてないんだ。

 声はすれども、姿は見えず——

 アリアハンのヴァイエルの屋敷でこき使われていた時の経験が、珍しく役に立った。

 これは、アレだ。

 ヴァイエルの野郎が、呼び鈴の音が届かない場所に居る俺を呼びつけるのに使っていた、音を伴わず頭の中に直接響く、奇妙な喋り方——言うなれば、念話だ。

 ってことは、この偉そうな声の主は、魔法使いか。

『状況の把握が遅い!!この能無し!!』

 頭の中で罵られた。

『分かったら、さっさと後を追うんだよ』

 追うって、誰をだよ。

『行きゃ分かるよ。いいから、さっさと足を動かしな』

 いや、そう言われましてもね。

 屋敷の奥に行こうにも、リィナと剣士に通せんぼされてる状態なんですが。のこのこ横を通ろうモンなら、斬り捨てられちまうだろ。

 大体、あんたが誰だか知らねぇが、行きたいなら自分で行けよ。

『ヤダよ、面倒臭い』

 なんだ、こいつ。

 つか、なんで俺が、どこの誰とも得体の知れないヤツに命令されなきゃいけねぇんだ。

『アンタ、自分がアタシらに口ごたえできる立場だと思ってんのかい。まったく、アレもどういう躾けをしたんだか』

 なんか……モロにどっかの誰かを思い起こさせるムカつき具合だな。

『しかも、ロクに魔法も使えないときてるじゃないか。こんな有様で使ってくれだなんて、よく言えたもんだ。ま、アレの弟子じゃ仕方ない——干渉する気は無かったけど、アンタがあまりにも無能だから、少しだけ手を貸してやるよ』

 だから、手前ぇは一体誰なんだよ——ダメだ、突っ込みが追いつかねぇ。

15.

 声だけの女が、何かもにょもにょと呟いた感覚があった。不明瞭というよりも、受け手の俺に知識が圧倒的に不足しているせいで、理解が及ばなかったみたいな印象だ。

『ホラ、これでアンタが居なくなっても、ソコにいる連中は誰も気付きゃしないよ。だから、さっさと行きな』

 はぁ?

 さっきから、何言ってんだ。

『いいから、とっととお行き!』

 いきなり、頭蓋骨を内側から鈍器でぶん殴られたような激痛が疾った。

 溜まらず呻いてしゃがみ込んだ俺を、今度は誰も注目しなかった。

 まるで俺なんて、ハナからここに存在していないかのような無関心振り。

 まさか、ホントに俺がここに居ることを、誰も認識出来なくなっちまったってのか?

 エフィの眼前で手を振っても、目をしぱたたくだけで俺には反応しない。

 マジか。どうなってんだ。

 これ、もしかして胸を揉んでも気付かれないんじゃねぇの?

『くっだらないコト考えてんじゃないよ』

 いや、本気にすんな。冗談に決まってんだろ——つか、さっきから、人の心を当たり前みたいに読むな。

『もっとキッツいのが欲しいかい?アタシも、いつまでも優しかないよ』

 あんたが、いつ優しかったと言うのか。

 また内側から頭をぶん殴られちゃ堪らないので、俺はとても柔らかいに違いないふくらみに伸びかけていた左手を右手で押さえつけ、そろりそろりと歩き出した。

 リィナと剣士が対峙している脇を、おっかなびっくり抜けて廊下の奥へと進む。

 あれま、ホントに気付かねぇでやんの。

 蟻が床を這う音さえ戦闘開始の合図になりかねない、ヒリつくような緊張感に包まれたあの二人に気付かれないなんて、たとえ全身が服ごと透明になっていてすら無理だろう。

 どうやら、いま俺に施されてるのは、俺達みたいな職業魔法使いが扱う範疇の魔法じゃねぇな。

 ともあれ、行く手を遮っていた剣士をやり過ごした俺は、突き当たりを左に折れた。

 だが、吐き出されかけた安堵の息は、廊下の先にひょっこり現れた人影を見て、すぐに飲み込まれる。

 それは、剣を背負ったアルスだった。

16.

 なんで、あの野郎が、このタイミングで、こんな処にいやがるんだ!?

 状況を掴み切れずに立ち尽くす俺の視線を横切って、アルスはすたすたと屋敷の入り口から奥へと向かう。

『どうにか間に合ったね。ほら、さっさと後を追いな』

 姿なき声が、俺に命じた。

 ついつい、こいつの言うままに行動しちまったけど、戦ってるリィナ達を放り出して独りで先走って、果たしてよかったのか。

 その戸惑いは俺の中に存在していたが、なんでアルスがここに居るのかも気になった。

 まぁ、リィナに加えてファングもいるから、あっちは心配ねぇだろう。どっちかと言えば、うかうかと単独行動を取っている俺の方が、よっぽど危険だ。

 それに、アルスの野郎は、なんか胡散臭いんだよな。

 ひょっとして、マグナが知ったら怒り出すような、何かよからぬことを企んでやがるんじゃないか——なんてことを期待した訳じゃないが、俺は野郎の後をつけることを選んだのだった。

 アルスを追って角を折れると、ヒミコと謁見した部屋までは一直線だった。

 俺は充分に距離を置いて、アルスの後ろを歩く——いや、今の俺が他人からは『認識できない』状態なんだとすれば、距離を置く意味はないんだけどさ。なんとなく、気分的な問題だ。

 だって、俺自身には、別に体が透けて見えてる訳でもないんだぜ?

 いつもと何も変わらない。

 ホントに誰にも気付かれないのか、いまいち信じ切れないというか、ヒドく心許ない。

 それで結局、俺は終始こそこそと離れてアルスについていったのだった。

 やがて、何枚も連なった引き戸が行く手を阻み、アルスが真ん中辺りの一枚を開けて入っていった。

 そろりそろりと近付いて、引き戸の陰に身を隠しつつ中を覗き込む。

 謁見した時と同じように、広い部屋の奥にはすだれがかかっていて、既にアルスはその向こうに回り込んでいた。

17.

「——誰じゃ」

 誰何と共に、ヒミコの荒い息遣いが聞こえる。

 地底でくたばり損なったばっかだもんな。さすがの化け物も、ずいぶん消耗したと見える。

「下がりおれ、下郎が」

「悪いが、あんたを殺しにきた」

 抜刀したアルスの影が、ゆらゆらと淡い炎に揺らめいて、すだれの上で踊った。

「はて……まことに何奴じゃ?」

 ヒミコの声音に、不審が混じった。

「先の狼藉者共に、なれのような顔があったか?」

「さあな」

 素っ気無く答えて、アルスは剣を横に引いて構える。

 座った形のヒミコの影が、押し止めるように両手を前に突き出して後退った。

「ま、待て……何処の手の者じゃ」

「答えるつもりはないね。それに——」

 アルスが苦笑——じゃなくて、あいつにゃ嘲笑って表現がお似合いだ——した気配があった。

「教えなくても、心当たりがあるだろ?」

「き、貴様——まさかッ!?」

「同情はするよ。ただ——」

「待て——何故、貴様の如き人間風情が——」

「あんたは、少しやり過ぎた」

「お、オノ——レッ」

 一瞬、ヒミコの影がいびつに歪んだ。

 だが、それよりも早く、アルスの剣が横薙ぎに払われた。

 勢い余った剣閃がすだれを断ち、隙間から何かが飛び出した。

 ごろんごろんと床を転がり、こちらを向いたのは——

 無残な、ヒミコの生首だった。

 うへぇ、こっちに飛ばすんじゃねぇよ。この馬鹿、悲鳴が出そうになっちまったじゃねぇか。

 頭を失った躰が力無く床に崩れる。

 アルスはそれを気にした風もなく、腰に下げたフクロから布切れを取り出して、剣についた血を拭うと、すだれの残骸をぐいと引き落として、こちらに呼びかけた。

「終わったよ」

 へ?

 俺に言ってんのか?

 まさかこいつ、俺が見えてるのかよ。

18.

「ご苦労様です」

 すぐ横で、何も無い場所から返事が聞こえて、ぎょっとする。

 見覚えのあるにやけ面が、いきなりそこに現れた。

 アルスが話し掛けた相手は、こいつか——もしかして、これまでにやけ面が突然出たり消えたりしてたのは、今の俺と同じような理屈か——いや待て、姿を現す前に声が聞こえたってことは、そうじゃなくて——

「どうしました。浮かない顔つきですね、アルスさん」

「まぁ、あんまり愉快な仕事じゃなかったからな」

「そうですか。では、他の誰か——ニックさんにでもお任せするべきでしたか」

「いや……今回は俺の我侭を聞いてもらって、有り難いと思ってるよ」

「そう仰っていただけると、私としてもホッとします。そう、あなたは充分に尊重されている。何も、気に病む必要などありませんよ」

「よく言う——ん?」

 今度こそ真っ直ぐに俺を見て、アルスがちょっと目を見開いた。

「いつからそこに居たんだ、あんた?」

 え、あれ?

 とうとう、俺に施されていた魔法の効力が切れたらしい。

 くそ、肝心なトコで——おい、もう一度かけらんねぇのかよ?

 頭の中で呼びかけても、姿なき女の声は、うんともすんとも答えなかった。

 畜生、役に立たねぇな。

「お久し振りです、ヴァイスさん。またしても奇遇な処でお会いしましたね」

 別段驚いた風もなく、にやけ面は平然と俺に語りかけた。

 相変わらず、何もかもお見通しみたいな態度が気持ち悪い。

 ひょっとして、こいつに悟られるのを嫌って、声だけ女は返事をしねぇのか。ふと頭に浮かんだ想像は、なんとなく当たりって気がした。

「ここにいるのは、あんただけか?」

 アルスが俺の後ろを窺った。

 いくら見ても、マグナは来てねぇぞ。

「まぁ、いいや。とにかく、あんた達には感謝するよ」

 そんなことを言う。

「鬱陶しい取り巻き連中を引き付けてくれたお蔭で、俺の方は仕事が楽に済んだからな」

 ほら、見ろ。

 こいつ、俺達を利用したって、堂々と言い切りやがったぞ。

 腹に一物抱えてやがるに決まってんだ。

 だから、その親しげな馴れ馴れしい薄ら笑いを止めろ。

 もっと嫌らしく笑えよ、悪人らしく。

19.

「あんただけしかいないのは、逆に丁度良かったな。その……マグナによろしく言っておいてくれ」

「は?」

「お迎えが来たんでな。俺はもう行かないと」

「なんで、俺が。自分で言やいいじゃねぇか」

「もちろん、俺だってそうしたいさ。けど……」

「けど、なんだよ」

「いや、情けないと笑われても仕方ないんだが……」

 アルスはバツが悪そうに、顎をポリポリと掻いた。

「ダメなんだ。自分でも理由が分からないんだが、あいつの事になると冷静でいられない。昨日せっかく、やっとのことで別れを済ませたってのに、また顔を合わせたら、もう一度別れを告げる自信が無いんだ」

 アルスは妙に気安い仕草で、俺の肩にぽんと手を置いた。

「それに、マグナ達とは、はじめからここで別れる予定だったんだ。あいつらに便乗して、連れて来てもらっただけだからな。俺が居なくなるのは、マグナも承知の上なんだ……だから、頼むよ」

 なんで『せつない俺の気持ち、あんたにも分かるだろ?』みたいな顔つきしてやがんだ。

 手前ぇの気持ちなんざ、一片たりとも分かりゃしねぇよ。

 つか、今の話がホントなら、コイツは仲間になった訳じゃなくて、単に同行してただけなのか?

 というか、最初からヒミコを殺すのが目的で——まがりなりにも、魔物退治の範疇だ。やはり、こいつらは敵って訳でもないんだろうか。

「さて。我々は、そろそろお暇しましょうか、アルスさん」

 にやけ面の呑気らしい声が、俺の思考を中断した。

「待てよ。お前ら、なにが目当てでこんなことしてるんだ?」

「申し訳ありませんが、私からは、何も申し上げることはありませんよ。ただし——」

 浮かびっぱなしの曖昧な笑みが、さらなる笑みで塗り潰された。

 悪魔が勧誘の時に浮かべるのは、多分こんな笑みだろう。

「今すぐに、私達の仲間になっていただけるのでしたら、多少のことはお話できますが」

「イヤだね」

 即答してやった。

「そいつは、順番が逆だろ。俺を仲間に引きずり込みたいなら、先にそっちがカードを切って、せいぜい関心を惹いてみせろよ。その上で、誠心誠意お願いするのが筋ってモンだろ」

 にやけ面は、喉の奥でくつくつと笑った。

20.

「そうでしょうとも。あなたは、そのように仰ると思いました。では、残念ですが、いずれまたの機会ということで」

 ほざきやがれ。俺なんぞを誘う気なんか、これっぽっちも無かったクセしやがって。

 正直なところ、俺は事態の成り行きについていけてない。

 誰だか分からねぇ姿も見えねぇ女の声に振り回されたと思ったら、横から出てきたこいつらに、あっさりヒミコを斃されちまったんだからな。

 いま起こっている一連の出来事がどういう意味を持っているのか、訳が分からねぇし、俺の知らないところで何やら画策している連中の都合で動かされてるみたいな感覚も気に喰わねぇ。

 俺は、手前ぇらの駒や操り人形じゃねぇぞ。

 と、粋がったところで——

 所詮、俺に何が出来る?

 にやけた面を締め上げて、腹に呑んでるはかりごとを力づくで吐かせるなんて芸当は、とてものこと俺に出来る訳がない。なにしろこいつは、イオナズンすら唱えかねない物騒な野郎なのだ。

 結局のところ、はいはい大人しく言うこと聞いて、引き下がるしかないって寸法ですよ。

 まぁ、考えようによっちゃ、ヒミコ——ヤマタノオロチを斃してくれただけでも、お釣りが出るくらい十分に役立ってくれたしな。この上、情報まで引き出そうってのは、虫が良過ぎますかね。

 それに折角、アルスが自らマグナの元を去るって言ってるんだ。

 下手につついて、「やっぱり、もう一度マグナに会っておこう」とか言い出される前に、さっさとお帰り願うのが得策だ。

「分かったよ。さっさと、どこへでも行きやがれ」

「聞き分けがよくて助かります。やはり、貴方は頭がいい」

 小馬鹿にされているようにしか聞こえなかった——実際、そうなんだろう。

「マグナを、よろしくな」

 と、アルス。

 さっきから、妙に馴れ馴れしいな。

 俺がこいつだったら、とても平気な顔して、こんなこと言えないんだが。

 何かを根本的に勘違いしてやがるんじゃないか、こいつは?

 まぁ、こんなヤツのこと、どうでもいいけどな。

 しっしっ、と追い払う仕草をするまでもなく、にやけ面とアルスは連れ立って出ていった。

21.

 さて、どうしたもんかね。

 っていうか、この状況ってさ。

 ヒミコを斃したのは、俺の手柄に出来なくもないよな。

 いや、しないけどね——

「去んだか……」

 あり得ない方向から聞こえた声に、びくっと振り向く。

「ほほ、愚か者奴らが。この程度で、妾が身罷るなぞと思うたか」

 床にごろんと転がった、ヒミコの生首が喋っていた。

 あまりのことに言葉を失っていると、生首がギロリと俺を睨め上げる。

「おや、有象無象なぞ、いちいち覚えておらぬが……なれは地の底でまみえた顔であったか?」

 血に濡れた紅唇が、にたりと笑みを形作る。

「妾の本当の姿を見た者は、汝等だけじゃ。大人しゅう口を噤みて我が国から立ち去るのであれば、先の狼藉は見逃してやらぬでもない。それで、よいな?」

 いかん——思考が停止してた。

 なんなんだ、一体。

 今度は生首が喋り出しやがったぞ。もうついて行けねぇよ。

「分かったのなら、さっさと去ぬがよい」

 あまりにも状況が現実離れし過ぎて、なんか知らんが腹の底から笑いが込み上げた。

「なにを笑う。気でも触れおったか」

「うるせぇよ。生意気ほざいてんじゃねぇぞ、この腐れ生首が」

 やけくそ混じりの啖呵が、勝手に口を突いて出た。

「なぁにが『見逃してやらぬでもない』だ。死に損ないの分際で、偉そうに言いやがって」

 生首が目をぱちくりさせるという非現実的な光景に、また笑いを誘われる。

「どう見たって、追い詰められてんのは、そっちの方だろうがよ。なのに、命乞いするどころか、偉そうな口叩きやがって。これが笑わずにいられるかってんだよ。あんまナメてんじゃねぇぞ、このくたばり損ないが」

 つかの間、言葉を失っていた生首は、次第に口を歪めて哄笑を発した。

「ほほほ……所詮は非力な人間風情が、よくぞさえずりやった」

 ヒミコの声は、途中から重なって聞こえた。

「なんとも可愛らしいものよな」

 ぎしりぎしり、と床の軋る音がして、すだれで隠されていた部屋の奥、その脇から何者かが悠然と姿を現した。

 床に転がっている生首に目を落とすと、既に生気を失っている。

 忙しく、両者を見比べた。

 おいおい、同じ顔をしてやがるぞ。

22.

「走狗のさらに使い走り如きが、小癪な真似をしおったものよ」

 新たに登場した女は、アルス達の去った方を忌々しげに睨み付けた。

 髪留めで無造作に結い上げたうなじが色っぽい。

 つか、胸でけぇ。白い夜着の合わせ目から、乳房が零れ落ちそうになっている。

「ほほ……なにを呆気にとられておる。そこな木偶なぞ、妾が移し身——傀儡に過ぎぬわ」

 色んな意味で呆けっぱなしの俺の顔を覗き込み、女は片方の眉をぴくりと上げた。

「なんとまぁ、間の抜けた面構えよ。何も存じておらぬのか?……さてはと思うたが、汝は先の使い走り共と、まことにあるじを異にしておるか」

 腕組みをした女の胸が、寄せて上げられる。

「なれば、汝に妾を弑さんと欲する道理もあるまい。じゃが——はて、面妖な。なにやら汝には、彼の走狗とは異なる呪縛を感ずる……どの道、捨て置けぬか」

 女は髪留めを引き抜いて、ふるふると頭を振った。

 長い黒髪がばさりと肩にかかる。

「妾を死に損ないとは、よくぞ申したものよ。どうじゃ——先の妾の言、いまひと度考え直す気にはならぬか?」

 腰を左右に振りつつ、ゆっくりと女が近付いてくる。

 腰帯が解かれ、薄い夜着が肩からぱさりと落ちた。

「汝さえ他言せねば、愚かな使い走り共も、妾が身罷ったと信じて疑わぬであろう」

 夜着の下には、何も着けていなかった。

 眼前まで近付いた女は、しなりと俺の顔に手を伸ばす。

「それで、よいな?」

 にんまりと浮かんだ、吸い込まれそうな微笑み。

 鼻腔をくすぐる、濃厚な雌の匂い。

 頭の後ろが痺れたみたいにぼーっとして、なんだか何も考えられなくて——

「よせ……」

 やっとのことで、喉から言葉を押し出した。

「ふふ……案ずることはない。身も心も、凡て妾に委ねるがよい。さすれば、汝を縛りし呪詛も解きほぐしてやろうぞ」

『ちょいと、しっかりおしよ!』

 俺をここまで導いた女の声が、頭の奥で微かに響いた。

 ひょっとして、呪詛ってこいつのことか——ああ、考えがまとまらない。

「下がりおれ、下郎」

 鋭い声にぴしゃりと叩かれたように、姿なき女の声はぷつんと途切れた。

23.

「ふん。鬼道を修めし妾の目を謀れると思うてか。妾を畏れ仇為さんとする者の、なんと多きことよ。じゃが——」

 女は俺の首に腕を絡め、豊かな乳房を押し付けた。

「汝は、妾に与するであろう。そうじゃな?」

 女から匂い立つ芳香に酩酊したみたいに、頭がくらくらする。

「妾に仇為さんとする不埒者を排し、妾を護っておくれ。汝に刻まれし諸々の呪詛は、妾の役に立ってくれそうじゃ」

「なんなんだ……よ」

 どいつもこいつも——

 本人を無視して、勝手に周りで話を進めやがって——

 沸き上がった苛立ちが言葉となって口から零れたが、それも一瞬のこと。

「畏れずともよい。凡てを妾に委ねよ。妾はヒミコ。諸力に通じ、いづれあまたの異形異類を統べし、この地上の真なる主じゃ」

 なにもかも、意味が分からん。

 辛うじて、心の一部が反発していた。

 実際は、膝が抜けちまいそうなほど全身がとろけて——だって、この女の体の感触、すげぇ気持ちいいんだよ。

 マズい。考えるの面倒臭くなってきた。

 頷いて、何もかも委ねちまえば楽になる。訳も分からないこと続きで疲れちまって、つい楽な方へと転げ落ちようとする俺を、脳裏に残った微かな面影が、寸でのところで踏み止まらせている——

「お屋形様、ご無事で——!?」

 忙しない足音を引き連れた叫び声は、途中でぶつ切れた。

 唐突に割り込んできた第三者のお蔭で、少しだけ自分を取り戻した俺は、のろのろとそちらを振り向く。

 開かれた引き戸の間に立ち尽くしていたのは、ちょんまげ頭の剣士だった。

 切れ長だった目をまん丸に見開いて、全裸で俺に絡み付いているヒミコをまじまじと凝視している。

「……きっ……貴様ァッ!!」

 聞き取れない言葉で何事か罵りつつ、腰のものに手をかけた瞬間、剣士は抜刀していた。

 え、ちょっと待て。

 狼狽が、俺をさらに現実に引き戻す。

 これってアレだろ、切っ先が届かなくても相手を斬れるっていう、例のかまいたち——

24.

 この馬鹿、俺とヒミコの絡みを見て血を昇らせるなら、頭じゃなくて別のトコにしろよ。

 お前の大事なお屋形様が、俺にひっついてんだぞ!?

 身じろぎする間もあらばこそ。

 ヒミコ共々真っ二つにされる未来を思い浮かべた俺の手前で、不可視の刃が何か硬いものに遮られた気配が、空気の抜けるような耳慣れない音で分かった。

 俺とヒミコの左右の床に、がっつりと亀裂が走る。

「何——ッ!?」

 剣士が不可解そうな声をあげたが、俺にも何が起こったのか分からない。

 どうやって助かったんだ、今?

「とぅっ!!」

 いきなり横からすっ飛んできた誰かが、呆気に取られた剣士を思いっきり蹴り飛ばした。

 リィナだ。

 強烈な跳び蹴りを喰らって引き戸の向こうに吹っ飛んでいく剣士には目もくれず、こちらを覗き込む。

「ヴィアスくん、いるの!?無事——!?」

 俺とヒミコを目撃して、リィナはさっきの剣士と全く同じ反応を繰り返した。

 すなわち、絶句したのだ。

「な……」

 顔がひくひくと引き攣っている。

「なにやってんの!?」

 うん。まぁ、気持ちは分かる。

 ただでさえ、地底でオロチとやり合って服があちこち焼け焦げてたのに、さらに刀傷が増えてボロボロだもんな。

 そんなになるまで必死こいて戦ってたのに、いつの間にやら勝手に姿を消していた俺は、全裸の女と抱き合ってたって訳ですよ。

 そりゃ怒る。

 この状況は、俺にかけられた魔法が解けた所為だろうな。

 俺が居ないことに気付いた剣士が、リィナとの勝負よりヒミコサマの身の安全を優先した結果がこれだろう。

「なんとも役に立たぬ男よ」

 そんな健気な剣士の行動を、ヒミコは言下に否定した。

「アレは、本来であれば客分であった者じゃがな、妾が虜と為したのじゃ。いま少しは使えると思うておったが……さて、汝はどうじゃ?」

 そんなことを言いながら、ヒミコは豊満な胸と体を一層押し付けてくる。

「妾に与すれば、汝が望む褒美をくれてやろう」

 褒美の内容は、想像するまでも無いな。

 手足がまるで蛇のように絡みつき、心地良く俺を締め付ける。

 正直言って、滅茶苦茶気持ちいい。

 二人きりなら、後先考えずに押し倒してたな、これ。

25.

「ちょっ……ちょっとちょっと、ホントになにやってんの!?急に独りでいなくなったと思ったら——いいから、離れなよっ!?」

 はいはい、分かってますよ。

 ちょっと余韻を楽しんでただけじゃねぇか。

「悪いね。あんたのお誘いは、また今度な」

 今度なんてモンがあればだけど。

 なんでも無い素振りを装いつつ、内心は必死でヒミコを未練と一緒に両手で引き剥がす。

 一瞬、ヒミコは不思議そうな表情を見せた。

「ほぅ……思うたより念入りに呪がかけられておったか……」

 そう言って、にんまりと笑う。

 瞬きをする間に、唇の端が耳元まで達していた。

 これまでの篭絡する笑みではない——ぞっとするような、捕食者の笑みだ。

「よかろう……妾に仇為す愚か者奴らが。ならば、生きては帰さヌ。望み通り、喰ラい尽くシテクレるわッ!!」

 めこり、と音を立てて、ヒミコの躰がいびつに膨れ上がった。

 次の瞬間、全身から猛烈な勢いで何かが生え伸びる。

「うわっ——」

 尻餅をつきそうになりながら後退る俺を押し潰す勢いで、ヒミコが膨張した。

 皮膚がみるみる鱗を帯び、何本も伸びた首が天井を突き破って激しくうねり狂う。

 正体を現したヤマタノオロチは、降り落ちる木材から逃げ惑う俺を目掛けて、口腔から溢れる炎を吐き出した。

「ぐぇ——っ」

 いきなり服の背中を引っ張られて、喉が締まる。

「も~、なにやってんの、危ないなぁ」

 そのままリィナに引き摺られて、危うく火炎から逃れた俺は、尻餅をついたまま後ろを見上げた。

「悪い。助かったよ」

 目が合った瞬間、リィナは物も言わずに俺の頬を抓り上げた。

「痛っ——いてぇってっ!!」

「ほら、早く立ちなよ」

 痛ぇ~……マジで抓ったろ、こいつ。

 まぁ、このくらいは仕方ねぇけどさ。

「——あ、マグナ達もきたね」

 天井から降り続ける建材を避けて廊下に出ると、こちらに向かってマグナ達が駆けてくるのが見えた。

 剣士と対峙していたリィナ以外は、黒づくめの元締めに足止めされてたってトコかね。

26.

「なんだ、この有様は」

 屋敷を破壊しつつ暴れ狂うヤマタノオロチを目の当たりにして、ファングが呆れた声を出す。

「突然、現れたように見えたぞ。あんな図体をして、どこに隠れてたんだ——いかん、そんなことを言ってる場合じゃないな」

 後ろを向くと、オロチが見境無く炎を吐きはじめていた。

 やべぇな。この国の建物は、全部木造りだ。すぐにここまで延焼しちまうぞ。

 俺達は合流するなり回れ右をして、廊下を戻りかけ——ファングだけが、その場から動かなかった。

「おい、何してんだよ!?」

「このままだと、火に巻かれる。外に出るぞ」

 いや、だから、その為に入り口まで戻ろうとしてるんだろうが。

「こっちの方が早い」

 剣を抜いたファングは、横手の壁を力任せに斬り付けた。

 割れた斬り跡目掛けて、軽く助走をとって肩からぶつかる。

 壁の向こうにまろび出たファングは、俺達に向かって手招きをした。

「急げ、こっちだ」

 うん……まぁ、確かに、壁ぶち破って出た方が早いわな。

 さらにもう一枚、今度はリィナが壁を壊して、俺達は屋敷から脱出した。

 燃え盛る屋根の上から突き出したオロチの頭が、ウネウネと揺れている。

 改めて、なかなか現実離れした光景だな、これ。

「アメリア、フクロをくれ」

「あ、はい!!」

 ファングに言われて、アメリアは裾の下からスカートの内側に手を突っ込んだ。

 おいおい、何してんだ。

 もぞもぞとスカートの中を探って、取り出した大きなフクロをファングに手渡す。

 どっから出してんだ。つか、どうやって仕舞ってたんだよ。

 ファングは地面に置いたフクロのクチを開けて、中からごっつい盾を取り出した。表面に竜を思わせる意匠が彫られている。

27.

「郷から持ってきたものだ。なにがしかの魔法がかけられていて、炎や冷気をよく防ぐと聞いているから、少しは役に立つだろう。正直、盾はあまり性に合わないんだがな、この際言っても仕方あるまい」

 俺の視線に気付いたファングが、頼んでもいないのに勝手に解説した。

 でも、へぇ——そんな便利な盾があるのか。

 ひょっとして、僧侶が使える『フバーハ』と同じような魔法がかけられてんのかね。

 ちらりと見ると、同じ考えに至ったらしく、シェラは申し訳なさそうにふるふると首を横に振った。

 まぁ、そうだよな。『フバーハ』は、僧侶が扱える中でも最上位の魔法のひとつだ。もしシェラが既にそんな呪文を覚えてたら、同じ呪文使いとしてはかなり焦る。

「そういう訳だ。今度は俺がまず切り込むから、貴様は大人しく引っ込んでいろ」

 盾を左手で構え、右手で剣を抜いたファングが、リィナの前に出た。

「冗談でしょ。そんな重そうなカッコしちゃってさ、ロクに動けなくてやられちゃうのがオチだよ。ボクがあいつを弱らせてあげるから、キミはそれまで待ってなよ」

 だから、お前ら、事ある毎に張り合うなっての。

 ンなことしてる場合かよ——

 早くから炎に包まれていた屋敷の一画が、音を立てて崩れ落ちた。

 邪魔な障害物が無くなって、ヤマタノオロチの八つの頭がこちらを向く。

「援護を頼む!」

 俺に向かって言い捨てると、ファングが駆け出した。

 いや、おい、もうちょっと準備をだな——

「マグナ!またさっきのお願いね!」

 リィナも遅れじと、マグナに一声かけて走り出す。

 小さく頷いたマグナは、集中するように目を閉じた。

 あーもー、しょうがねぇなぁ。

 とりあえず、お嬢と姫さんとアメリアは、もっとずっと後ろに退がってろ。

『バイキルト』

 呪文の対象者を識別する淡い光がファングを包み込む。

 そんな責めるみたいな顔してこっち見んなよ、リィナ。だって、お前、呪文に頼るの好きじゃないだろ。必要なら、後でかけてやるからさ。

「シェラ——」

「はいっ!」

 分かっている、という風に頷いて、シェラは呪文を発動する。

『ルカニ』

 オロチの巨体が淡く発光した。

 やれやれ、上手いことかかってくれた。これで、オロチに対するファング達の攻撃は、いくらか通り易くなった筈だ。

28.

 ヤマタノオロチを囲んで猛り狂う炎の手前で、燃え残った柱に取り付いたリィナは、するすると身軽に登る。

「よっと」

 頂点付近で柱を蹴って炎を跳び越え、また火炎を吐き出そうとしていたオロチの頭を上から踏みつけた。

「ふんっ!!」

 盾で体を庇って炎を突っ切ったファングが、地面の近くまで下りて来たその首を斬りつける。

 お前ら、なんだかんだでいい連携するのな。

 俺の呪文による攻撃力の強化と、シェラの呪文によるオロチの弱体化の相乗効果も功を奏してか、ファングの剣は易々とオロチの喉元を切り裂いた。

 刀身よりもオロチの首の方が太いので、さすがに一刀両断とはいかなかったが、血飛沫を派手に撒き散らしてだらんと垂れたあの首は、もう使い物にならないと見ていいだろう。

 残るオロチの首は七本。

 さて、次は『スクルト』でも唱えて、あいつらの防御を助けてやるべきかね——いや、待て。そういや、マグナも魔法を使えるようになったんだよな。

「マグナ、ちょっといいか?」

 どんな呪文を使えるのか確認しようと声をかけたら、思いっ切り無視された。

「マグナ?」

 もう一度呼んでも、目を閉じたまま反応しない。

「おーい。おいって。マグナ、聞こえてるだろ?」

「あ~~~~~~~っ、もう、うるっさい!!」

 しつこく呼びかけると、マグナはいきなり奇声をあげて俺を睨みつけた。

「もうちょっとだったのに、どうしてくれんのよっ!?」

 は?もうちょっとって、何がだ。

「あたしは、あんた達と違って、すっごい集中しないと魔法なんか使えないのっ!!もうちょっとでいけそうだったのに、邪魔しないでよっ!!」

 ああ、そうなのか。そりゃ悪かったな。

「……ちょっと、なに笑ってんのよ。悪い?」

「いや、別に——」

 慌てて頬を擦る。ニヤけたつもりはなかったんだが。

 だって、お前が、もうちょっとでイケそうとか言うから。

29.

「どうせ、馬鹿にしてるんでしょ。魔法に向いてないことくらい、自分でも分かってるわよ。でも、『ホイミ』くらいなら、あたしだってすぐ唱えられるんだからね!?だけど、『ライデイン』は覚えたばっかりだし、すっごい難しいの!!分かったら、黙っててよ!!」

 うん、ごめん。色んな意味で申し訳ない。

 俺のことは気にせず、どうぞ引き続き集中なさってください。

 身振りでそう示すと、口の中でぶつくさ文句を垂れつつ、マグナは再び目を閉じた。

 はー。

 まったく、こんな時に、なに考えてんだかね、俺も。

 気を取り直して目を向けると、ファングがリィナに蹴り飛ばされていた。

 直後、ファングが居た場所を、オロチが吐いた火炎が薙ぎ払う。

 ファングを蹴った勢いで、なんとかリィナも逃れていた。

「だから、おっそいよ!!次はもう助けないからね!?」

「ぐぅ……これが、助けただと!?貴様、本気で蹴ったろうが!!この程度の炎の一度や二度は、この盾があれば持ち堪えられると言ってるんだ!!貴様こそ、余計な真似はせんでいい!!」

 さっきの見事な連携はどこへやら、飽きずに罵り合ってやがる。

 いいから、お前ら、今だけでも大人しく協力しろよ。見てるこっちがハラハラするっての——ほら、オロチが攻撃してくるぞ。

『ヒャダルコ』

 予定と違う呪文を唱える。

 発生した強力な冷気が、オロチを中心に周囲を包み込んだ。

 さすがに巨体の全身を凍てつかせるまでは至らないが、少しでもオロチの動きを止めて、ついでに激しさを増しつつあった周囲の炎が下火になれば御の字だ。

『ピオリム』

 シェラの唱えた呪文は、リィナとファングの罵り合いを受けてのことだろう。これでファングも、多少は素早くなった筈だ。

「なんだよ、恩知らず!!じゃあ、勝手にしなよ!!」

「貴様こそな!!俺を当てにしてくれるなよ!?」

「誰が!!」

 丸呑みにせんと大きく口を開いて迫ったオロチの頭から身を躱し、リィナは素早く横に回り込む。

 一方、ファングは別の頭が吐き出した炎に対して、その場から動くことなく盾を掲げて耐えてみせた。

 ピオリム意味ねぇ。

30.

「ふんっ」

「せぃっ」

 リィナは横からオロチの頭をぶん殴り、ファングは炎を吐き終えた首を斬り付ける。

 三本まで首を失ったオロチの咆哮が、夜の空気をびりびりと振るわせた。

 うるせぇ——

 塞ぎかけた俺の耳に、マグナの声が届く。

『ライデイン』

 オロチの咆哮を掻き消して、雷鳴が轟いた。

 落雷に撃たれたオロチの動きが停止する。

「うるっさいのよ、このトカゲ」

 右手を振り下ろした体勢で、マグナはぽつりと吐き捨てた。

 こりゃ、終わったか?

 ふと、動きを止めたオロチの胸元の皮膚がぐにゃりと歪み、何かを形作った。

 浮かんだのは——ヒミコの顔だ。

「貴様ラ——ヨクモ、この妾に対して……生きては帰さぬぞ!!」

「なにを今さら」

 怨嗟に満ちた言葉を、ファングは鼻で笑った。

「やられそうなのは、そっちでしょ」

 リィナに畳み掛けられて、逆上するかと思いきや、ヒミコは不敵に微笑んだ。

「ほほほ……愚か者奴らが。人間風情に、妾が死力を尽くしておるとでも思うたか」

 残った頭がうねうねと蠢いて、ぐったり垂れている三本の首に噛み付いた。

「なれど、よかろう。それほどまでに望むのであれば、妾も持てる力の凡てを統べるとしよう」

 噛み付いた頭にぐいと引かれ、三本の首が根元から千切られる——なにしてんだ、こいつは!?

 引き千切った首を吐き捨て、オロチが次に咥えたのは、足元に転がっていた生首と、向こうに倒れていた偽のヒミコの体だった。

 生首と胴体を丸呑みしたヤマタノオロチが、天を仰いで咆哮する。

 千切られた首の付け根から、新たな首が見る間に生えて、咆哮に加わった。

 勘弁してくれ。また首が八本揃っちまった。

 いや、俺より小さかったヒミコの体が、あんな巨体に変化するのがそもそも異常なんだから、首の二本や三本、もう一度生やしてみせるくらい、お手のものかも知れねぇけどさ——つか、全身がさらに一回り巨大化してるじゃねぇか。

31.

「ほほほ——今になって助命を乞うても叶わぬぞ」

「フン、面白い」

「別に面白くはないけど、そのくらいやってくれないと張り合いないよね」

 この期に及んで軽口を叩き合うファングとリィナに苛立ったように、オロチの胸元に浮かぶヒミコが顔を顰める。

「畏れを覚えぬ愚か者奴らが……妾に対する無礼の数々、黄泉でトクと悔いルガよイワッ!!」

 再び胸元がぐにゃりと歪んで、ヒミコの顔はオロチの皮膚の下に埋没した。

 さっきから聞こえていたふいごのような音が派手になり、八本すべての顎門あぎとから炎が噴き零れる。

 まさか、いっぺんに吐き出すつもりか!?

 そうなったら、あいつら逃げ場がねぇぞ。

「離れろっ!!」

 俺の呼びかけが、間に合ったか分からない。

 次の瞬間、ヤマタノオロチの八つの頭は、一気に火炎を吐き出した。

 周囲が、まるで爆発したかのような炎に包まれる。

「リィナさん!!」

「リィナ!!」

「ファング様!?」

 左右と背後から、悲鳴が聞こえた。

 あいつら、無事に逃げただろうな!?

 ここまで届く熱気から顔を庇いつつ、必死に目を凝らす。

 炎が激しすぎて確認できない。

 だが、狼狽している暇すら与えられなかった。

 再び炎を口腔に蓄えつつあるヤマタノオロチの八つの頭が、一斉にこちらを向いたからだ。

『スクルト』

 相当取り乱していたんだと思う。

 俺は不用意に、大して意味があるとも思えない防御呪文を唱えていた。

 後になって考えれば、この時、俺達を包んだ淡い光が、一瞬消えてまた光ったのは妙だったんだが、それに気付くどころの精神状態じゃなかった。

『ラリホー』

 続くシェラの呪文が、オロチを眠りに誘うことはなかった。

 畜生。成功してりゃ、時間を稼げたんだが。

32.

「逃げるぞ!!お前ら、もっと離れろ!!」

 マグナとシェラを促し、お嬢や姫さんに声をかける。

 だが、とても間に合わない。

 ヤマタノオロチが八本の首が、同時に火炎を吐き出した。

 必死に駆けてるのに、焦れったいほど足が前に進まない。

 背後から迫る炎が、あっという間に俺達を巻き込んだ。

 マジか——

 死んじまう——

 姫さんやエフィは——

 あれだけ離れてれば、なんとか大丈夫か——

 つか、あっちぃ——

 甘く見過ぎた——

 せめて、マグナとシェラだけでも——

 瞬間的に、頭の中で様々な考えが火花のように爆ぜては消え——

 あれ?

 なんか、思ったより耐えられるな。

 いや、もちろん周りを炎に包まれてロクに息も出来ないほどクソ熱いんだが、どうにか突っ切れそうだ。

 走り続けて、激しく燃え盛る炎の中から抜け出した。

 マグナとシェラも、ほとんど同時に飛び出してくる。

「無事か!?」

「はい」

「なんとかね」

 あたふたと全身の炎を叩いて消しながら尋ねると、しっかりとした返事が戻ってきた。

 どうなってんだ、こりゃ。

 助かってなによりだけどさ、とても耐えられるような炎とは思えなかったんだが。

「え——アルス?どこにいるの?」

 首を捻っている俺の横で、マグナがきょろきょろと辺りを見回した。

「やだ、ちょっと、息——え?うん……そう——うん、分かった」

 神妙な面持ちで頷いて、マグナは腰から剣を抜く。

「おい、マグナ——?」

「……大丈夫だから」

 意味不明な言葉を残し、マグナは壁みたいに燃え立つ眼前の炎を迂回して、ヤマタノオロチを目指して駆け出した。

33.

「ちょっ——おいっ!?」

 慌てて後を追う。

 相変わらず、無茶しやがる——つか、やっぱり横を通るだけでも熱ぃな。こんなとんでもない火炎の直撃を喰らって、なんで耐えられたんだ、俺達。

 ようやく炎壁を回り込むと、マグナはかなり先行していた。

 どうすんだよ——援護——呪文——まだ、もうちょい無理か。

 気ばかり焦って手をこまねいている俺の視線の先で、オロチの全身がいきなりまるごと凍りついた。

 さっき俺が唱えたヒャダルコとは比べ物にならない、圧倒的な冷気。

 瞬間的に冷却された空気が凝固して粒となり、パラパラと巨大な氷の彫像を取り巻いて降り注ぐ。

 少し遅れて、ヤマタノオロチの頭上の空気が、バチッと音を立てて爆ぜた。

 轟く雷鳴。

 雷光が激しくオロチの全身を這い回り、皮膚に降りた霜ごと焼き焦がす。

 あれは、マグナの『ライデイン』そのものじゃねぇか。

 あいつ、呪文を唱えてねぇよな?

 そのマグナは、ヤマタノオロチの足元に辿り着いていた。

「はああぁぁっ!!」

 振りかぶって地を蹴ったマグナの剣が、鱗に覆われていないオロチの腹に突き刺さる。

 そのまま、自分の体重を利用して、マグナはオロチの腹を斬り裂いた。

 返り血を避けて、素早く跳び離れるマグナ。

 裂けた腹から血と臓物がぼたぼたと零れ落ち、立て続けに巨大なダメージを負ったヤマタノオロチは、ゆっくりと前のめりに倒れた。

「油断しないでください。まだ、生きてますよ」

 耳元でにやけ面の声がして、ビクッと飛び上がりかける。

 見回しても、フードを被った姿は近くに無い。いつものように、また消えて様子を窺ってやがったな。

「なんだ、まだ居たのかよ」

 ビビらすな。

 ある程度予測してなかったら、心臓止まってるぞ。

「とは、つれないお言葉ですね」

「いや、感謝はしてるよ。いちおうな」

 オロチの巨躯を一瞬にして凍りつかせたのは、きっとこいつの唱えた『マヒャド』に違いない。冷気を操る魔法の中では最上級の呪文だ。

 多分だが、炎に包まれた俺達がなんとか耐え切れたのも、こいつが『フバーハ』を唱えてくれたお蔭だろう。

34.

 だが、こいつにはあまり弱みを見せておきたくない。その心理が先にきた。

「でもさ。言ってみりゃ、俺達はあんたらの不始末の尻拭いをさせられてるみたいなモンだろ?」

 こいつらの企みがどうであれ、本物のヒミコをきっちり斃しといてくれれば、こっちはこんな苦労をしなくて済んだんだ。

「これは手厳しい。ですから、私達も協力したじゃありませんか」

「最後だけな。どうせ、今の俺達の力を測るつもりで、途中まで手ぇ出さなかったんだろ」

「その辺りは、ご想像にお任せしますよ」

 ぬけぬけと言いやがる。

 目を戻すと、地に伏して弱々しく蠢いているオロチの首を切り落とそうと、マグナが苦労していた。

 俺は、奇妙な気分に襲われた。

 つい、マグナを制止しかけたのだ。

 言っておくが、全裸で言い寄られたからって、ヒミコに情が移った訳じゃねぇぞ——いや、ある意味、それもあるのかな。

 なんというか、ヒミコは魔物として、あり得ないほど異質だった。驚くほど人間じみていた気がするんだ。あのニュズよりも、よっぽどな。

 その感覚は、あまり面白くない想像に繋がっていた——簡単に言うと、このまま殺していいのかよ。そう思っちまったんだ。

 物思いに沈んだ俺の耳に、ガランと金属音が届いた。

 放り出された盾が、地面で揺れていた。

「やれやれ。命冥加なことだ」

 疲れた声で呟いて、ファングが大儀そうに身を起こした。

 押し倒されていたリィナも立ち上がって、ぱたぱたと全身を払いながら、ファングを睨みつける。

「フン。余計な事をしたか?」

「……別に、お礼は言わないから」

 煤けた顔でニヤリと笑ったファングに、こちらも真っ黒な顔をぶすっとさせて返すリィナ。

 炎に強いっていう盾を使って、ファングがリィナを庇ったみたいだな。まぁ、とにかく二人とも無事で良かったよ。

35.

「礼など要らん——どれ、俺も手伝おう、アリアハンの勇者殿」

 無事と言っても、無傷には程遠い。ファングはらしくもなく、ややよろめきながら、ひどく億劫そうに剣を持ち直した。

『ベホイミ』

 呪文を唱えたのは、リィナだった。

 振り向いたファングから、リィナはぷいと顔を逸らす。

「……お礼じゃないから。トドメを刺すなら、キミの剣の方がいいでしょ。勝負ついたし、ボクはもういい」

 投げやりな口調で言って、ぺたんと地面に腰を落とす。

「礼は言わんぞ」

「要らないよ。ほら、さっさとマグナを手伝ってあげなよ」

 ファングは苦笑して、ヤマタノオロチに止めをさすべく、マグナの元に向かった。

「どうやら、問題無さそうですね。それでは改めて、私達はこれで失礼します」

 姿が見えないまま、にやけ面の声だけ聞こえた。

「アルス。お前も、いるんだろ」

「ああ」

 呼びかけると、思ったよりも近くからいらえがあった。

「いいのかよ。マグナにひと言も無いままで」

「さっき、ちょっと話したよ。それに、これ以上は色々聞かれて困りそうだからな、このまま行くよ」

 ああ、そう。お前がいいなら、それはいいけど。

「おっと、ヴァイスさんもですよ。先ほど申し上げたように、何を聞かれても、今はお答えするつもりはありませんから」

 ちぇっ。にやけ面には、先に釘を刺された。

 まぁ、いいや。他に当てが無い訳でもないからな。

「分かったよ。さっさと行ってくれ」

 目に映らないお前らと喋ってたら、独り言ばっかぶつぶつ言ってるみたいで、俺がおかしくなったのかと勘違いされちまうよ。

 そう文句を言うと、にやけ面はハハハと珍しく声に出して笑った。

 なにが、ハハハ、だ。何も面白くねぇぞ。

「それでは、またいずれ」

「じゃあな。くれぐれも、マグナをよろしく頼む」

 手前ぇに頼まれる筋合いじゃねぇよ、アルス。さっきから馴れ馴れしいぞ、お前。

 にやけ面が『ルーラ』を唱え、辺りから二人の気配は完全に消え失せた。

36.

 下火になった炎の向こう側に、駆け寄ってくるエフィや姫さんが見えた。

 さらにその後ろ、村の方から慌しい気配が届く。

 どうも、大騒ぎになりつつあるようだ。

 当たり前だわな。いくら夜も更けた頃合とはいえ、国を治めてた女王様のお屋敷が、これ以上ないくらいド派手に燃え落ちてるんだから。

 しかも、それをやらかしたのは、これまでさんざんこの国の住人を震え上がらせてきたヤマタノオロチときてる。騒ぐなっていう方が無理だ。

 しばらくは火勢とオロチを畏れて遠巻きに眺めるのがせいぜいだろうが、じきに様子を確かめに村の連中が寄ってくるに違いない。

 なんだかドッと疲れを感じて、その場にへたり込む。

 説明すんの、めんどくせぇ。

 どうせ、俺の役目になるんだろうなぁ。

 それだけならまだしも、ジツはあんまり大して何も終わっちゃいないのだ。

 飛びついてきた姫さんを抱き止め、無理をしてエフィに力無い笑みを向けながら、俺はうんざりと考える。

 確かめなきゃいけないこともあるし、マグナ達との関係にしたって、ひとまず棚上げにしてただけだもんな。

 やれやれ。この後のことを思うと、気が重いよ。

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