59. Bonkers
1.
「あーもー、さっむい!!」
モコモコとした厚手の防寒着を纏った体をさらに両手で抱え、足元の雪を蹴散らしながら、マグナは苛立たしげに吐き捨てた。
ここはレイアムランド。
雨や雪が降っていなくても、寒さが骨身に染みる常冬の地。
「なんでこんなトコにあんのよ……あたし、雪が苦手なこと知ってるでしょ!? ……馬鹿じゃないのバカじゃないの……」
こいつは、誰に対して怒っとるんだ。
マグナはずっとブツブツと、やり場のない怒りを呟き続けている。
二人して遭難しかけたムオルの一件以来、俺も雪は苦手だから気持ちは分かるけどな。
「なんとかしなさいよ、ヴァイス!! あんたが、こんなトコまで連れてきたんだからね!?」
そしてやっぱり、やり場のない怒りとやらは、最終的には俺に向けられるのだった。
はいはい、ごめんなさいよっと。
昔、一緒に旅をしていた頃も、理不尽なとばっちりを散々ぱら受けたものだが、俺だって成長している。
聞こえないフリをして、受け流すことだってできるのだ。
「ちょっと、無視しないでよ! 大体、せっかくあの村の人達が、犬とか橇とか用意してくれたのに、勝手に断ったのあんただからね!? ちゃんと責任取りなさいよ!」
「そいつは、何回も説明しただろうが。祭壇の位置は秘匿されてんだっての。俺達以外の人間を、連れてくワケにゃいかねぇんだよ」
あ、しまった。
つい、苛ついた声で返事をしちまった。
極寒の島であるレイアムランドは、実は全く無人の地という訳ではない。
数は少ないながらも、主に海棲動物を狩って暮らす人々の集落が、いくつか海岸沿いに点在している。
今回、上陸しようとした場所の近くに、そんな集落のひとつが、たまたま存在したのだ。
マグナの船は、デカくて目立つからな。
こんな地の果てまでやって来た物好きは、一体どんな連中かと物見高く集まった地元の連中に捕まっちまったのだ。
いや、実際に捕らえられたって意味じゃなくて、むしろ毎日何も起こらないようなこんな場所に、よく来てくれたと歓待されたんだが。
終いには、荷物を乗せる橇と、それを引く犬を何頭か提供しようと提案までしてくれた。
昨日、俺がそれを断ったことを、マグナは未だに根に持っているのだ。
だって、犬橇なんて、俺達、誰も操れないだろ?
そんなモン借りたら、絶対に集落の人間の手を借りることになっちまうじゃねぇか。
祭壇が秘匿されていることを置いといても、ちょっとした気掛かりもあるし、俺達の危険な旅に無関係な人間をなるべく巻き込みたくない。
そりゃ、極論を言えば、勇者の魔王討伐に無関係な人間なんて、この世に誰もいないんだろうけどさ——
「歩いても三日くらいで着くらしいから、そんな心配しなくて大丈夫だって」
声を苛つかせちまったことを反省して、猫撫で声でそう告げても、まったく効果がなかった。
「誰も心配なんてしてない!! とにかく、もう寒いの嫌なの!!」
嫌って言われましてもね。
じゃあ、俺の腕の中であったまるか?
とか低い声でほざきながらマグナを抱き寄せる妄想が頭を過ぎったので、慌てて掻き消した。
しょうもねぇな、俺も。
「うるせぇな。そんな大声出さなくても聞こえてるよ」
「大声でも出してないと、寒くて凍えそうなの!!」
ああ、そうでしたか。
「まぁ、でも、吹雪いてなくて助かったよな。集落の人も、二、三日は天気が保ちそうだって言ってくれたし、運が良かったよ」
「あんたこそ、覚えてないの? ここの天気は気まぐれだから変わりやすいって、あの人達が言ってたじゃない。いつ吹雪になるかなんて、分かったもんじゃないわ」
そりゃそうでしょうけどね。
「うん。あの人達に分かんねぇなら、俺にも分かんねぇんだわ」
「……何、開き直ってんのよ。ホント、肝心な時に役に立たないんだから」
ひでぇ言われようだ。
こんな時、以前は常に俺達の間に入って仲裁してくれていたシェラも、何故か最近は生暖かい目で見守るばかりで、自らの役割を放擲しがちだ。
俺がマグナから理不尽に文句を投げつけられる姿が、エルフの里を探し回った時とか、気候は真逆だがイシスに向かう途中の砂漠の旅を思い起こさせて懐かしいらしい。
再会してからのシェラやリィナは、昔を懐かしむことを優先して、俺へのフォローがおざなりになってやしませんかね。
「あーもー、さっむい!!」
しばらく黙っていたかと思ったら、マグナがまた文句を言いはじめた。
普段はいつも勇者っぽく振る舞わなきゃいけないから、こんなガキみたいに駄々こねられないもんな。
長くて三日程度の道程だし、好きなように発散させてやろうかね。
『魔王を討伐する上で、最も重要な手順』
今回のレイアムランドの探索は、魔法使い共からは、そう聞かされている。
前もって言い含めるまでもなく、集落でもマグナは勇者だなんて名乗っていないので、俺達がここにいることは、各国の本当に一握りの上層部と、レイアムランドまで俺達を送ってくれたマグナの船の乗組員達しか知らない。
あとは、トビか。
例によって、船の復路の護衛を任された、小柄で生意気なマグナのお気に入り。
俺は寒さが頬を刺す現実からの逃避を兼ねて、ロマリアでのとある一日を思い出す。
2.
「ふーん、悪くないじゃない」
ロマリア王都でも、待ち合わせ場所として名高い噴水広場。
少し時間に遅れて現れた小柄な人影を無遠慮に眺め回しつつ、言葉よりも満足げにマグナは呟いた。
「……こんな格好は、落ち着かん」
ずっとそっぽを向いてムクれている少年。
そこだけは譲れなかったのか、口元を黒い布で覆っているのはいつも通りだが、あまり手入れをされていない中途半端な長さの黒髪が、今日は外気に晒されている。
シェラによれば、ロマリアの若い男の一部で流行っているらしい、身の丈よりも大きめのだぼっとした服を着崩している。
「そう言うと思って、黒っぽい色で揃えてあげたんだから、感謝しなさいよね。それなら、いつものカッコと大して変わらないでしょ」
「阿呆か。全然ちゃうわ。こんな布が余っとったら、動く時に擦れて面倒じゃろうが」
「あの服、マグナさんが選んであげたんですよ。すっごい楽しそうに」
シェラの嬉しそうな囁き声が耳に届く。
姿が見えないので視認できないが、すぐ隣りにいる筈だ。
「はいはい、嬉しそうな顔しちゃって。ご主人様からの授かり物が気に入ったのは、もう分かったから」
「ふざけなや! なんも気にいっとらんわ!」
相手の服装を褒め返す、なんて高度な芸当がトビに出来る筈もなく、からかうマグナに乗せられて、常のように喚き返す。
そもそもトビの切れ長の目は、マグナの方をまともに向いていない。
ていうか、マグナのヤツ、また見たことのない服を着てやがるな。
アルスの時みたいに傍目から見ても気合いが入ってる、という感じではなく、いい具合に力が抜けていて、お姉さんを気取っているのか、いつもより大人っぽい装いだった。
くそ、似合ってるじゃねぇか。
やべーな、成長につれてどんどん好みになるの、マジで止めてもらっていいですかね。
ちなみに、シェラは前と同じように長い髪を一束のゆるい三つ編みにして、清楚な白いワンピースに薄手の肩掛けを羽織っている。本人は地味な格好にしているつもりらしいが、どう見ても魅力を隠しきれていないので、周りの連中に姿が視えない今の状態は、ちょうど都合が良かったかも知れない。
リィナのスカート姿も、久し振りに拝んだな。いや、今は視えないから、さっきの話だけどさ。
とはいえ、前回の尾行の時と違って、今回のコーディネートは割りと控え目だ——いや、最初はシェラが、すげぇ俺好みに仕立ててくれようとしたんだけどさ、なんつーか、それってそこらの男も好む格好だろ?
なんか、リィナが他の男にそういう目で見られるのは、なんかさ——いや、別にいいんだけどね? 別に俺のモンでもねぇし。リィナにとっても、そっちの方が可能性が広がるかもっていうか、なんの可能性だか知らねぇけど。
「それで、なにが食べたいの?」
元より、トビからの褒め言葉など期待していなかったのだろう。
マグナは手慣れたもので、しれっと話題を変えた。
お前がマグナに掌の上で転がされるのは、そういうトコだぞ、トビ。
「そりゃ……肉、じゃろ」
「肉って。せめて、料理の名前を言ってよ。まー、あんたくらいの男の子なんて、お肉食べてれば幸せなんでしょうけど」
「誰が男の子じゃ! 妙な年下扱いすなや、しつこいんじゃ!」
「実際、あたしの方がひとつ年上じゃない。この辺りって、よく食べに来るけど、いっつも女の子とだから、男の子が好きそうな肉料理のお店とか入ったことないな……なんか、匂いとかで分かんないの? このお店が好きそうとか」
「分からんわ! 儂は犬コロか! ……あの店が、美味そうな匂いじゃな」
「そ。じゃあ、あそこにしましょ」
「けど、高そうじゃぞ」
「なに変な心配してんのよ。もちろん、ご主人様が全部払ってあげるから、遠慮せずに好きなだけ食べなさい」
「お前、いい加減にせぇよ? 誰がご主人様じゃ言うとるんじゃ」
「え? じゃあ、支払いはトビに任せていいの?」
「……儂はただ、誰がご主人なんか確かめただけじゃぞ、ご主人」
「なにそれ、せっこ。まさか、お金無い訳ないわよね? それなりに、分前あげてる筈でしょ? あんた、無駄遣いしてないでしょうね」
「しとらんわ。そもそも、使う時が無いじゃろうが」
「あー、もしかしなくても、あんたもリィナと同じか。いや、少しは使いなさいよ。あたし達と一緒に、よくロマリアに来てるでしょ? 使う機会なんて、幾らでもあるじゃない」
「……どうやって使うたらええんか、よう分からん」
「ん? お金の払い方が分からない訳じゃないでしょ? あんた、計算出来るもんね」
「……郷では金とか使うたことないけ、何を買うたらええんか、よう分からんのじゃ」
「別に、なんでも好きな物買ったらいいじゃない。美味しいモノを食べるでもいいけど。なら、今日はご主人様が都会での遊び方をたっぷり教えてあげるから、楽しみにしてなさい」
「だから、誰が——」
「さっき、ご主人って呼んでくれたじゃない」
「……」
「フフッ、そんな悔しそうな顔する? こんなことで」
「……うっさいんじゃ」
「うそうそ、そんな睨まないでよ。別になんて呼んだっていいわよ。マグナ、って名前で呼んでもいいし」
「……昼飯食うんじゃろ。さっさと来んか、ご主人」
「ホント、素直じゃないわね」
さっさと前を歩きだしたトビを、呆れ顔で追うマグナ。
二人は、やや高級そうな店構えの料理店に向かった。
「やっぱり、あの二人って、仲良いいよね~」
通行人に当たらないようにちょっと俺の背中を手探りで押しながら、リィナがからかう口調で言った。
「そうなー」
背もマグナの方が若干高いし、姉弟って感じで、微笑ましいよな。
「なんだ、つまんないの。もっと慌てなよ」
なんで不服そうな声出してんだよ、お前は。
「いや、いまのドコに慌てる要素があったんだよ」
「なんだかな。最近のヴァイスくんて、ホント何考えてんのか分か——」
あ、マズい、そろそろだ。
「そんなことより、ソコの路地に入るぞ」
「あ、もう切れちゃいますか」
これは、シェラ。
「ああ。悪い、ちょっと触るぞ」
はぐれないように、手探りで二人に触れて、末端まで指を滑らせて手を握る。
「ひゃっ」
「あっ」
いや、変な声出すな。特に、リィナ。
人気の無い路地に滑り込んだ俺達は、ようやく互いを視認した。『消え去り草』の効果が切れたのだ。
ランシールで姫さんと一緒に買った、姿を見えなくする奇妙な草。
いつか役に立つ日が来るんじゃないかと、姫さんに煎じておいてもらったのだ。
なにしろ、マグナもトビも気配に敏感だからな。
陰から隠れて覗こうにも、普通にやったんじゃ絶対に気付かれちまう。
リィナをして『気配を消しても、マグナはともかく、トビに気付かれないのは、ボクでも無理』と言わしめるほどだ。
なので、単に姿を消しただけでは、気配を察知されてしまうだろう。
だが、大勢の人間が行き交う屋外でなら、雑踏に紛れることで気配を誤魔化せるんじゃないかという目論見だったが、どうやら上手くいったみたいだな。
ちなみに、前回のアルスとマグナが待ち合わせした時と違って、『あいつらの後をつけて覗いてやろうぜ』と発案して、シェラとリィナを巻き込んだのは、この俺だ。
だって、絶対面白そうじゃん。
いや、まぁ、もちろん、ちょっとだけ様子を確かめたら、ほどほどで切り上げるつもりだけどさ。
リィナと遊びに行く約束も果たしたかったし、どうせ街に出るつもりだったから、丁度いいだろ。
「それで、この後どうするつもりなのさ? 同じ店に入ったら、さすがにバレちゃうんじゃないの?」
リィナの疑問も尤もだ。
だが、俺には腹案があった。
『どれ、僕の手持ちの『監視の眼』と繋いでやろう……』
幽霊船の内部で、ドゥツに使えるようにしてもらった遠隔視。
さて、陰険で陰湿な魔法使い諸兄が、政治的地理的に重要なここロマリアの首都の彼方此方に『監視の眼』とやらを仕込んでいないことなど、果たしてあり得るだろうか。
いや、あり得ないのだ。
そいつを、ちょっぴり拝借させてもらおうってな寸法だ。
「ヴァイスさん?」
「悪い、ちょっと待ってくれ」
怪訝そうなシェラの呼びかけに侘びを入れつつ、片手で右目を覆って神経を集中する。
当たりだ。
恐ろしい勢いで右目の視界が切り替わり——あガガがが、待て待て待て——もっとゆっくり——頭がおかしくなる——ちょうど、向かい合わせに腰を下ろしたマグナとトビの姿を捉える。
微妙に遠いが、なんとか会話も聞こえる距離だ。
「視えた」
「え?」
左目の視界の中で、シェラが若干引き気味の顔をしていた。
じっとしたまま片目に手を当てた男が、なんも動いてないのに、突然ゼェハァ荒い息を吐いてんだもんな。
意味不明過ぎて、傍から見てたら恐怖を感じても仕方がない。
だが、いまは余計なことを考えるな。接続が切れちまう。
「なんつーか……簡単に言うと、いま右目であいつらを視てる」
「はい?」
「大丈夫、ヴァイスくん?」
リィナにこんな風に心配そうな顔をされると、この世の不条理を感じるんだが。
お前の方が、よっぽど突拍子もないことを、いつもしてるだろ。
「細かいことは省くけど、俺、あの幽霊船で遠くのものが視えるようになってさ」
「すごい目が良くなったってこと?」
と、リィナ。
ああ、うん、そうね。俺の言葉を素直に受け取れば、そうなるわな。
だが、普段から呪文というものに触れているシェラは、もう少し察しが良かった。
「あの、よく分かりませんけど、魔法を使ってるっていうことですか?」
「みたいなモンだ。声も聞こえてる」
「え、ズルい。ボクにも見せてよ」
リィナに言われて、いまさら気付く。
そういや、俺しか視えねぇな、これだと。
「……悪ぃ。本物の魔法使いなら、視覚と聴覚の共有とかしてやれるんだろうけど、どうやったらいいのか分かんねぇ。逐一、実況してやるから、それで勘弁してくれ」
不用意なことを口走ってしまった気がする。
「えー。じゃあ、感情込めて喋ってね」
難しいことを要求しやがるぜ。
「努力するよ」
「それじゃ、ここで立ってるのもなんですし、とりあえず私達もご飯食べましょうか。お店は別にした方がいいですよね?」
そうだな。人気の無い路地で、顔の片側を手で押さえながらぼーっとアホみたいに突っ立ってる男なんて、不審者以外の何者でもないもんな。
どこぞの前髪がウザそうな男じゃあるまいし。
「ああ、任せる」
集中が途切れると、接続も切れちまいそうなんだ。
店選びは大人しく、シェラとリィナに任せよう。
「てゆうか、どんどん人間離れしてくね、ヴァイスくんは」
俺の手を引きながら、呆れたようにリィナが言った。
いや、さっきから、お前にだけは言われたくない訳だが。
しかし、これはダメだな。
俺は、心中で密かに呟く。
何がダメって、だって盗聴し放題だぜ、これ。
魔法使い共のように意図的に世間と関わりを断っている世捨て人ならともかく、はしくれとはいえ人間の社会に身を置いている俺が使っていい魔法じゃねぇよ、こいつは。
今後は、私用じゃ使わないようにしよう。
ただ、今日だけはオマケしてくれ。
さっきも言った通り、ちゃんとほどほどで切り上げるからさ。
3.
「——あと、デザートは、これとこれで」
メニューを指し示しながら、注文を終えたリィナを意識の端で認識する。
俺達は、マグナとトビが入った店の隣りのカフェに陣取っていた。
右目の視界ではマグナとトビが、仕切りで半ば個室のようになっているテーブルを挟んで向かい合っている。
全体的に暗めの色合いで統一された店内は、それなりに高級感のある落ち着いた雰囲気だ。
もちろん王侯貴族御用達、みたいな店と比べれば庶民的だが、柱ひとつとってもこだわりが感じられる。
へぇ、いい店だな。
俺も、今度使おう。
つか、謎の貫禄を醸し出している大人っぽい装いのマグナはともかく、トビはこういう店がホントに似合わねぇな。
お仕着せの服装も場違いだし、そこらヘンから連れてきた半グレの兄ちゃんにしか見えねぇぞ。
『それで、どう?』
店員がテーブルを離れたのを確認して、俺は実況を開始した。
向こうは、とっくに注文を済ませた後のようだ。
リィナとシェラが、互いに目配せをして頷き合う。
「もしかして、はじまった?」
「はい、多分」
俺の集中の邪魔にならないようにとの配慮か、ひそひそと小声で言葉を交わす二人。
『なにがじゃ』
『まだ、あたしに付き合ってくれるつもりはあるの?』
口調こそ普段通りだったが、マグナは視線をトビから微妙に外していた。
ああ、そうだったのか。
そういう話をする為に、マグナは——
「あの二人、付き合ってるんだって、ヴァイスくん」
リィナ、うるさい。
『どうもこうも、お前は儂の主人なんと違うんか? それとも、勝手に儂を雇っておいて、いまさら放り出したくなったんか』
『そんな訳ないでしょ。けど——まぁ、いいわ。レイアムランドからの帰りも、船をお願いね』
『言われんでも、分かっとる。なんじゃ、変な目つきすなや』
『変な目つきって何よ。そんな、あたしが取って食おうとしてるみたいに。あんたって、まるで身持ちの固い女の子みたいよね』
『なんじゃと? 儂のどこが女子言うんじゃ』
『警戒心が強いってこと。ホント、いつになったら懐いてくれるんだか』
『やかましいんじゃ……こんな下らんこと、他人とよう喋ったことないわ』
『え?』
『……なんもないわ!』
マグナは、頬杖をつきながらにやーっとほくそ笑んで、そっぽを向いたトビを眺める。
『ふぅん? 思ったより、もう懐いてくれてたみたいね?』
『知らんわ。邪魔くさいんじゃ』
『ていうか、このくらいの雑談もした事ないなんて、あんたやっぱり、昔から友達居なかったのね』
『阿保か。そんな温いモン、おった筈なかろうが』
トビは昏い顔で、くくっと喉を鳴らした。
『周りを蹴落として少しでも上にいかん限り、人間扱いされんのじゃぞ。修練中におっ死ぬことなんぞ、しょっちゅうじゃ。他人なんぞは出し抜くもんで、そんなヤワなこと、考える暇もなかったわ』
ヤマタノオロチに親を殺された孤児を集めて、親の仇であるヒミコに仕える駒として育てられるだなんて、非人道的な扱いを受けてたんだもんな。
俺が想像するより、遥かに命が安い環境で育ったんだろうとは思うよ。
マグナは、トビの昔語りに直接的には触れなかった。
『だったら、これからは、先のことを考えられる、人間らしい暮らしを送れるようにならないとね』
『……そんなん、よう分からんわ』
トビは片眉を上げて、不可解そうな目つきでマグナを見ながら続ける。
『ちゅうか、お前がそれを言うんか?』
トビは、マグナの事情もある程度は承知している。
そして、意に沿わぬ生き方を強いられているその姿を、普段から影に潜んで目撃してもいる。
『……そうね』
挑発に乗ってこないマグナに皮肉を流されたのが不満だったのか、トビはますます拗ねたように顔を顰めた。
ほどなく、料理が運ばれてきた。
トビが頼んだのは、分かりやすくステーキか。
うお、すげぇいい肉だな。鉄板の上で焼ける音が、すでに美味そうだ。
マグナは——え、なんでサラダボウルなんて頼んでんの。上にチキンは乗ってるものの、それじゃお前、足りねぇだろ。
シェラの真似なんてしなくていいんだぞ。
いまさらな気もするが、やっぱりトビの手前で気取ってるんだな。
「食べましょ」
「……おう」
何もなかったように促すマグナと、調子を狂わされた顔付きのトビ。
だが、すぐに肉の魔力に負けて、がっつき出す。
「ヴァイスさん、お料理来ましたよ」
シェラの声に左目の視線を落とすと、いつのまにやら目の前に皿が置かれていた。
俺は遠隔視を維持するのに必死だったので、注文も二人にお任せしたんだが、俺の前に置かれているのはトマトのパスタだった。
いや、うん。
こっちも美味そうだけどね。
ベーコンとか、結構分厚いしさ……くそ、口がステーキの口になっちまってる。
今度、スティアでも誘って、あっちの店に行くとしよう。
「それにしても、ヴァイスくん。案外、演技派だねぇ」
向こうもしばらくは食事っぽいので、俺は遠隔視を解いてフォークを手に取った。
「へ? そうか?」
フォークに巻き付けたパスタを口に運びながら、視線だけリィナに向ける。
ずっと遠くを見ようと力を篭めていたように、右目が鈍く痛む。
「私も思いました。お芝居上手そうですよね」
シェラまで、そんなことを言う。
別に物真似をしてた訳じゃなくて、そっちの方が伝わり易いかと思って、簡単に抑揚を似せただけなんだが。
改めて言われると、頑張ってお芝居をしてたみたいで恥ずかしいな。
「ていうか、なんか思ったより真面目な話してない?」
どういう訳か、リィナの飯もいつもより控えめだった。
なんだ、二人揃って体型でも気にしてんのか?
俺と違って、年がら年中激しい運動をしてるんだから、マグナもリィナも痩せる必要なんてないだろ。
「そうですね。トビさん、大変だったんですね……」
トビの方がひとつ年上なので、シェラだけはトビをさん付けで呼ぶ。
「なんだか、やっとマグナさんが、トビさんを誘った気持ちが分かった気がします」
「あの時は、いきなりだったもんね~」
幽霊船では気を失っていたリィナは特に、気が付いたらなんか知らんが一行に加わっていた、って感じだっただろう。
「まぁ、マグナも最初は、細かいことまで考えてなかったと思うけどな」
俺がそう言うと、急にシェラが我が意を得たり、みたいな顔で力説をはじめる。
「そうなんです! マグナさん、その時は『なんで、こんなことするんだろ?』って思うようなことでも、後になってみると『そうだったんだ~』って感心することが、すっごい多いんです! なんでなんでしょう? なんで、あんなに正しいこと——って言ったら、ちょっと違いますけど、でも、なんであんな風に、まるで最初から分かってたみたいに色々選べるんでしょう」
「本人も、よく分かってないんじゃないの~?」
感心しきり、みたいなシェラを茶化すリィナ。
面白くなさそうな顔をしているから、どうしても対抗意識が首をもたげてしまうらしい。
だが、シェラは、それにもうんうんと頷くのだった。
「そうなんです。きっと分かってない癖に、ああいう選択ができちゃうのがズルいんです」
言い草こそ遠慮は無いが、シェラの口調や表情からは、マグナに対する深い信頼や憧憬といったものが窺えるのだった。
身近にずっとあんなのが居たら、ある程度は心酔しちまうのも無理ないけどな。
つくづくシェラが、逆にマグナを妬んじまうような捻くれ者だったり、はたまた全てを預けて依存し切ってしまうような自分を持たない奴じゃなくて良かったよ。
「うん、気持ちは分かるよ」
俺が賛意を口にすると、シェラは「ですよね!?」と嬉しそうに笑うのだった。
ホントに笑顔が可愛いな、お前は。
しばらくパスタを平らげることに勤しんでから、再び遠隔視を試みると、丁度向こうも食べ終わったところだった。
マグナの奴、物足りなさそうな顔をしてやがる。
今度、もう一度連れて行って、がっつり食わせてやるとしますかね。
『なんかね。あたしも、同じなのよ』
食後のお茶を一口飲んでから、やや唐突に思える台詞を、マグナはぽつりと口にした。
『なにがじゃ?』
さすが年頃の男だけあって、こちらもまだ食べ足りなさそうな顔をしたトビが相槌を打つ。
つか、あの立派なステーキでも物足りないのかよ。
やっぱ、十代の若さって凄いよな。
『だから、さっきの話。あたしも友達と呼べるような人なんて、全然いないのよ』
内心ヒヤヒヤしながら、聴いたことをそのままシェラとリィナに伝える。
「……シェラちゃん。ボク達、友達じゃないんだって」
わざとらしく落ち込んだ声を出すリィナに、シェラが苦笑する。
「そういうことじゃないと思いますよ。リィナさんも、分かってるくせに」
『あいつらは、そうじゃないんか。リィナとシェラは』
トビは、当然の質問を返す。
「え、トビに名前言われたの、ボク、はじめてかも」
「私もです。いつもオイとかちっこいのとか呼ばれてたので。知ってたんですね、私の名前」
割りとひどいこと言うシェラ。
ていうか、君達ちょっと、静かにしてもらえますかね。気が散って、集中が解けちゃうんで。
『あの子達は、友達って言うか……どっちかっていうと、家族みたいなもんだから』
俺が伝えるマグナの言葉を聞いて、まんざらでもなさそうな二人。
分かっちゃいたけど、って顔してら。
俺も密かに胸を撫で下ろす。
思いがけずに、二人に対するマグナの意外な本心を聞いちまった、みたいな展開にならなくて良かったぜ。
『そしたら、あのヴァイスいうんもか』
『アレは、親戚の叔父さん』
お前ね、そういう俺達二人の間でしか通じないことを、他の人間に言うんじゃないよ。
『なんじゃ。お前ら、血族じゃったんか。それにしたら、まるきり似とらんな』
『やめて』
物凄い力強く、マグナはトビの憶測をきっぱりと拒絶した。
『違うわよ。あんなのが血縁な訳ないでしょ。ていうか、あんな奴のことは、どうでもいいわ』
と吐き捨てられた台詞を、本人自らが復唱している俺の気持ちも察してくれよ。
シェラどころか、リィナまで気の毒そうな顔してるじゃねぇか、ちくしょう。
マグナの言い草に、トビはよく分からない顔をした。
そりゃそうだよな。
マグナのヤツ、わざと分かんないように喋ってるもんな。
『そうじゃなくて、親しい知り合いって意味での友達よ。そりゃ王様とか偉い人達とは付き合いがあるけど、そういうのは友達とは呼ばないでしょ? だから、それ以外のみんなは、ほとんど伝聞でしかあたしの事を知らないのよ』
『そら当然じゃな。お前みたい彼方此方から命を狙われておかしくない立場で、要らん人付き合いをすることに、何ぞ得があるとは思えん』
マグナが何を伝えようとしているのか、まるで分かっていない顔付きで——俺も良く分かってねぇけど——トビは食後のお茶をぐいと飲み干した。
『得とか、そういう話じゃなくてね』
マグナは思わずといった感じで苦笑する。
『つまりね、あんたは、まだそれほど付き合いが長い訳じゃないけど、しばらくあたし達と一緒に居たことに間違いはないじゃない?』
『何が言いたいんか、さっぱり分からん。いつもみたいに、もっとはっきり言うたらどうじゃ』
マグナの要領を得ない喋り方に苛ついたのか、トビは訝しげに眉を顰める。
『だから、ね』
トビの言う通り、マグナは珍しく、少し言い難くそうに逡巡していた。
『あたしの事、憶えててよね』
『ハァ? 何を——ひょっとして、全員死ぬ思うてるんか。魔王の城で』
『そうじゃないけど。例えばね、あたしがいま、ふって居なくなっても、あたしのことをちゃんと憶えてくれてる人って、実はほとんど居ないんだなって、偶に考えたりするだけ』
マグナは努めて感情を篭めないように喋っているように視えた。
トビは一向に要領を得ない様子だ。
『よう分からんな。じゃが、そんなツマらんこと言うんは、魔王の城へは儂は連れていかんいう事か』
『さすがに、そこまで巻き込めないわよ』
マグナの浮かべた笑みは、自嘲に視えた。
『ここまで巻き込んでおいてか。またエラい、いまさらな言い草じゃな』
『そうね。悪いとは思ってるわよ、強引に連れてきちゃったこと。多少はね』
『……そこは、盛大に思ってくれんか』
マグナが殊勝なことを言い出したのが予想外だったのだろう、トビの顔は終始困惑気味だ。
『とにかく、あたしのこと——あたし達のこと、憶えててよね』
『そら、別に構わんが……』
胡乱げな目付きをマグナに向ける。
『ホンマに、死にに行くつもりはないんじゃな?』
マグナは、既にまるきり普段通りの口調で応じる。
『だから、当たり前だってば。あたしが命まで懸ける義理なんてないもの。それに、あのコ達は、なにがあっても絶対に生きて帰らせるわ。もちろん、あたしもね』
しばらく、鋭い視線でマグナを睨み付けていたトビは、やがてフンと鼻を鳴らして再びお茶に手を伸ばした。
既に空だったことを思い出して、舌打ちする。
『勇者やらいうんも、難儀なもんじゃな。そんな顔するくらいじゃったら、誰か他のヤツに押し付けたらえいじゃろうが』
お茶のおかわりを貰う為に手を上げて通りがかった給仕の注意を引きながら、マグナはトビの言い草に苦笑いを浮かべる。
『ホントよね。それが出来たら、絶対そうしてたんだけど』
『お前にしか出来ん言われとるんじゃったか。儂にはよう分からんが、言葉のアヤと違うんか』
『残念ながらね』
『……儂には、よう分からんわ』
トビは、投げ出すように吐き捨てた。
マグナの合図に気づいた店員が入れてくれたお茶を、二人は向かい合ったまま無言で口に含む。
しばし、二人の間に沈黙が訪れたのをキッカケに、俺は遠隔視を止めた。
「なんか、想像してた会話と全然違ってたんだけど」
と、つまらなそうにリィナ。
「そうですね……マグナさん、また独りで何か悩んでるんでしょうか」
シェラが、やや深刻な口振りで続けた。
やっぱ、そう思うよな。
「とりあえず、トビを最後まで付き合わせるつもりは無いみたいだな」
微妙に話を逸した形の俺の言葉に、リィナも頷く。
「そりゃそうだよね。ついこの前、無理矢理引っ張り込んだばっかなのに、さすがに魔王城まで連れてったら可哀想でしょ」
「お前らは、いいのかよ」
明確に死地と分かっている魔王城に、同行することに。
「いや、ヴァイスくんに念押しされたくないんだけど」
ああ、うん、そうね。
「それより、マグナさんです。放っておくと、独りで魔王城に行くとか言い出し兼ねませんから。気を付けないと」
生真面目に言い募るシェラ。
確かめるまでもなく、二人の中でも同行するのは既定事項か。
「それにしてもさ、『憶えてて』って、どういう意味だろ」
俺も気になっていたことを口にして、リィナは小首を傾げた。
「さっき、マグナが自分で言ってた以上の意味があるってことか?」
「それは、分かんないけど」
「絶対、ヘンなこと考えてますよね、何か」
「なら、二人から、それとなく聞き出しといてくれよ」
宿屋の部屋も一緒だし、何かと話を引き出し易いだろ。
妙案だと思ったんだが、リィナは渋い顔をするのだった。
「えー、ヤダよ。そんなの聞いたら、盗み聞きしてたのバレちゃうじゃん」
ああ、そうか。そりゃそうだな。
「だから、ヴァイスくんに任せた!」
リィナ、お前な。
「俺だって、バレて怒られんのイヤだよ」
「いいじゃん。ヴァイスくんは今回の主犯なんだし、どうせいっつも怒られてるんだからさ」
「私からもお願いします。もちろん、私達の方でも、それとなく確かめるようにしますから」
シェラにまで重ねて頼まれちまった。
そりゃ、いよいよ魔王退治の本番だってのに、肝心要のマグナに関する気掛かりを放っておく訳にもいかないけどさ。
今日の事がバレないように、どうやって切り出せばいいのか、さっぱり分かんねぇぞ。
やっぱり、盗み聞きなんてするモンじゃねぇよな。
4.
その後、本来はリィナと酒でも飲みに行こうかと考えてたんだが、酒の肴にしようと思っていたマグナとトビの会話が思ったよりも深刻だったので、そんな雰囲気じゃなくなってしまったのだ。
結局、その日はそのままお開きとなった。
そして、話は戻って、極寒のレイアムランド。
昨日、一昨日と、文字通り身も凍る寒さに晒されたお陰か、あれほどギャーギャー騒いでいたマグナも言葉少なになっていた。
大抵の動物は、寒いと大人しくなるもんな。
いや、別に他意は無いけど。
「なんか今日、天気良すぎて眩しい。目がおかしくなりそう」
リィナの言う通り、レイアムランドに足を踏み入れてから、はじめての快晴だった。
日光を反射する雪の眩しさに悩まされながら、何かが見つからないかと目を凝らすリィナに告げる。
「マジで目ぇ悪くするから、そんな頑張って探さなくていいよ」
「でも、だって、そろそろなんでしょ?」
「そうよ。今日の昼頃には着く筈だって言ってたのに、もうお昼過ぎてるじゃない!!」
微妙に傾きつつある太陽に視線をくれて、久し振りにマグナも文句を口にした。
「お、良く分かったな。一日を通して、太陽がすげぇ低いのに」
俺は旅に出る前に仕入れた豆知識で、どうにか話を逸らそうと試みる。
「この時期のレイアムランドは、俺達が普段暮らしてる辺りと比べると、日の入りも日の出も遅いんだ。もう何ヶ月か早い時期だと、夜がすげぇ短くて、逆にもっと遅い時期だと夜が異常に長いらしいぜ」
「へぇ」
あまり興味は無さそうだったが、リィナは話に乗ってくれたのに。
「だから、昼夜の比率だけで考えれば、今は俺達にとってあんまり違和感の無い時期なんだよな。まぁ、太陽が低過ぎるのに目を瞑ればだけどさ」
「どうでもいいわ、そんなこと」
苛立った声音で、俺の正にどうでもいい薀蓄を切り捨てる女王様。
「それより、いつになったら着くのよ。って、聞いてるの」
「だから、昼ごろ、って言っただろ。誰も昼ちょうどなんて言ってねぇよ」
あ、いかん。どうしても苛立った口調で返しちまうな。
意図して気持ちを落ち着けながら続ける。
「それに、実際はリィナがいくら目を凝らしても見つけられないんだ」
「へ?」
「なによ、それ。じゃあ、どうやって見つけるのよ」
「だから、昨日もその前も、ずっと言ってるだろ。近くまで行けば、俺には分かるって」
こんな説明じゃ、納得できないのは分かるけどさ。
今回の旅に出る前に、ラーミアとやらが眠る秘したる祭壇の座標を、忌々しいがにやけ面に言われた通りに例のアレに尋ねたんだが。
『座標なんぞを教えたところで、浅学な貴様には測る術があるまい。やむを得んから、どんな凡愚にも分かるようにしておいてやる。慈悲深い主人に泣いて感謝を捧げるのだな』
陰気な魔法使いは溜息を吐きながら、俺のこめかみを薬指と親指で跨ぐように掴んだ。
そうして雑に脳みそを掻き回された俺は、目指すべき祭壇がどちらの方角にあるのか、どのくらい離れているのか、なんとなく分かるようになってしまったのだ。
いつだかの幽霊船の方角を指し示した骨じゃあるまいし。
人間をなんだと思ってやがるんだ。
お前らの都合で機能を継ぎ足せる便利道具じゃねぇんだぞ、俺は。
ともあれ、それはなんとも奇妙な感覚だった。
数字みたいにはっきりと分かる訳じゃないんだが、方向感覚の延長というか、言語化される前の感覚として分かるというか。
ある種の渡り鳥は地磁気を感知して方角を違えずに飛び続けられるとかいう例を持ち出されたが、この説明は、俺の理解の範疇に収めようとするあまり、本質から遠ざかるいつものヴァイエルの悪癖に思えた。
そう指摘すると、『では、貴様の如き暗愚に説明する術を、私は持ち合わせておらん』とか臍を曲げて、黙り決め込まれちまった。
いずれにせよ、常に偏頭痛みたいに頭が痛むし、何かを考え続けてるみたいに脳みそが疲れるから、さっさと帰って解除してもらいたいんだが。
「着いたら分かるって、そんなの、あんたが言ってるだけじゃない」
普段なら受け流せる程度のマグナの文句にも、ついイラッとしちまうし。
「まぁ、そうだけどさ。とにかく着いたんだから、もういいだろ」
言いながら、俺は立ち止まる。
「え?」
「だから、着いたっての。目的地は、ここだよ」
周りに何もない雪原を見回して、怪訝な顔をするマグナ。
「何言ってんの? そのなんとかいう祭壇なんて、どこにも無いじゃない」
「そうだな」
フクロに手を入れながらの俺の気のない返事に、マグナはますます苛立った声を出す。
「ちょっと、ちゃんと説明してよ」
だから、俺も良く分かってねぇんだって。毎度の事ながらさ。
正直にそう返しても、さらに文句を言われるだけなのは目に見えているので、なだらかな凹凸のついた杭を五本、フクロから取り出して黙々と雪原に突き刺す作業に専念する。
柔らかいのは表面に薄っすらと積もった雪だけで、その下の地面は思ったより固かったので、しっかりと刺さった。
杭同士の間隔は、言われた通りに俺の大股で一歩にした。それを円——というか、五角形を描くように配置する。
ヴァイエルには、この程度で十分と告げられたが、なんの程度か、何に十分なんだかは、例によって良く分からない。
五角形の中心に立って、打ち合わせた両手を擦る。
そして、もう一度打った手がパンという小気味よい音を鳴らすと同時に。
どこかで、何かが弾けるような音を聞いた気がした。
そして、目の前には巨大な石造りの建物が、不可視の帷を取り払ったように現れたのだ。
「は?」
マグナをはじめ、リィナもシェラもぽかんと口を開けて目を見開いている。
「も〜……ヴァイスくんは、また変な事して〜……」
とリィナにはボヤかれたが、ヘンなのは全部魔法使いの連中で、俺はいつも命じられた通りに作業してるだけなんだっての。
奇妙な事に、石造りの塔のような建物の周りをぐるりと囲むように雪が積もっておらず、地表が覗いていた。
良く見ると、俺が立っている杭の内側も、四半程度の面積を残して雪が消え失せていた。
「あれ? なんだか、あったかくありませんか?」
不思議そうに指摘したのは、シェラだった。
そうなのだ。
先程までの身を切るような寒さが、ひどく過ごしやすい気温に変わっている。
「フン。五芒を以って六芒に綻びを生じさせるとはね。また随分と強引な力技を仕込まれたものじゃないか。確かに、一方は欠けるけどサ」
石塔の狭い前庭は壁に囲まれており、聞き覚えのある声は、その影から聞こえた。
本来は門扉があるような壁の隙間を塞ぐように姿を現したのは、奇妙に大人びた表情を浮かべる少年だった。
『あなた方がレイアムランドに向かうことは、ギアさんにはバレないように気をつけた方がいいと思いますよ』
ネクロゴンドの洞窟を抜けた先に建っていた教会で、にやけ面が口にした恩着せがましい忠告。
しっかりバレてやがった。
まさか、あの野郎が告げ口したんじゃねぇだろうな——いや、それはねぇか。こいつら、仲悪いもんな。
おそらくだが、どっかの国の中枢に手駒を潜り込ませているに違いない。にやけ面も、ギアも。
「よう、こないだ振り。ギア様御自らがお出迎えとは、汗顔の至りだね」
せいぜい余裕ぶって挨拶をした俺に、ギアは忌々しげに舌打ちをした。
「羽虫の分際で、僕がここに居ることに、あまり驚いてないな。そうか、あの忌々しい勘違いバカが、また余計な口を叩いたんだな。そら、見たことか。全く、余計な事しかしやしないのは、一体どっちだって話だよ」
「お出迎えどころか、俺達の為に周りまであっためといてくれて助かったぜ。なんせ、さっきまで凍えかけてたモンでよ」
「つまらない嫌味を言うなよ、この羽虫が。何がキミ達の為だって? この結界は、元から張られていたに決まってるじゃないか。気温くらい調整しないと、中で人が暮らせないだろう?」
は?
また突拍子もないことを言い出しやがったな。
お前らの話についていくの、ホント大変だよ。
「暮らしてるって、この塔の中で、人が暮らしてるのか?」
「同じ言葉を、莫迦みたいに繰り返すなよ、聞き苦しい」
「いや、だから、暮らしてる人がいるのか?」
「さてね」
お得意の雑な誤魔化しがはじまりやがったな。
「そんなこと、どうだっていいわ」
いつものように斬って捨てたのは、ここまでの成り行きで苛立ちを募らせたマグナ様だった。
流石にどうでもよくはねぇだろ、とは思ったが、ここは大人しく一歩下がって、我らが女王陛下に場の主役を明け渡す。
どうせ俺じゃ、役者が足んねぇしな。
「それより、ギアって言ったわよね。あんた、あたし達の邪魔をする為に、ここに来たの? その為に、わざわざこんなトコで待ち伏せてたって訳?」
マグナの詰問に対して、ギアは珍しく作った表情ではない当惑を顔に浮かべていた。
「いや、この僕としたことが、君の処遇については未だに決めかねていてね。方向性のひとつとして残しておきたいのも、また事実なんだ」
「意味分かんない。ちゃんと質問に答えなさいよ」
女王様の下知に、王太后の知己は失笑で以って応じる。
「本当にそうだ。こんな風に言い淀むだなんて、マッタク、僕らしくない……何故、僕は此処に立っているんだろうな。放っておいても良かったじゃないか。嗚呼、理屈に合わない行動をしている自分に苛つくよ」
「だから、意味分かんないってば」
呆れた顔をするマグナに、俺は注意を促す。
「油断するなよ。多分、ギアも『イオナズン』を唱えられる」
一触即発ってほどの空気でもないが、だからこそだ。
昔、エルフの森で俺が熱弁したイオナズンの危険性について、こいつらがきちんと記憶してるといいんだが。
ちなみに、俺はまだ唱えられませんけど。
ククッ、と喉を鳴らす音が聞こえた。
「多分? 多分、だって? また随分と見縊ってくれるじゃないか、羽虫の分際で。僕がその気になれば、キミ等なんて一瞬で消し炭だよ」
「いやー? さすがに前衛いなかったら、呪文を唱える前に倒させてもらっちゃいますけど」
ダーマの偉大なる先達という前知識と、目の前のどうみても年若い少年であるギアの容姿のちぐはぐさに、未だに慣れていないのだろう。
どう接すれば良いか決めかねているみたいな口振りで、リィナがどことなく申し訳無さそうに反論した。
そういや、今日はギアの周りに取り巻きが誰もいねぇな。ティミはおろか、グエンすらいない。
珍しく単独行動をしているのか。
「フン。そう逸るなよ、番犬。そうだな、つまりこれは、この僕が納得できるか否かだけの問題なんだ。ならば、どこぞの愛想のない男の言い草じゃないが、この状況を天の配剤と置くことにしようじゃないか」
他人を置き去りにする語り口にも、なんか慣れてきたな。
その時、俺の袖がちょいちょいと引かれた。
「ねぇ、あの人さっきから、結局なにを言ってるの?」
少し顔を寄せて、マグナが囁き声で尋ねてきた。
俺とて、慣れてはきたが、内容まで理解している訳ではない。
というか、むしろ聞き流す技術を身に付けただけなのだ。
「いや、俺にもさっぱり」
ギアを刺激しないように、なるべく唇を動かさずに返す。
「ホントに? また何か隠してるんじゃないでしょうね? あの人達が、いっつもまずあんたに話し掛けるのって、あんたには何言ってるのか分かるって期待されてるからじゃないの?」
「止してくれ。俺にも、あんなの分かる訳ねぇだろ」
「どうだか。ていうか、ああいう変なのは、あんたの担当でしょ。開き直らないでよ。ホンっと肝心なトコで役に立たないんだから」
「無茶言うなよ——」
いつの間に、そんな珍妙な役回りを押し付けられたんだ。
俺達がコソコソ会話をしている間にも、ギアの意味不明な語りは続いていた。
「——いいだろう。これは全て、僕の罪だ。これが讐いだというのなら、甘んじて受け入れるに吝かじゃないさ。だが、それでも、是迄の僕が、このまますんなりと君らに道を譲るのを許さないそうだよ」
なんで他人事みたいに言ってんだ。
お前の話じゃねぇのかよ。
頭痛くなってきた。
マグナが、肘で俺をつついてくる。
「それで結局、何をどうするって言ってんのよ、あいつは」
いや、知らねぇよ。
いつもに増して、意味が分かんねぇ。
分かるのは、急速に不穏な空気になりつつあることだ。
「此処を通りたければ、コイツを斃してみせるんだな。来い、氷河魔人!! その冷酷なる吹雪で、全てを凍てつかせろ!!」
芝居がかった仕草で右手を突き上げたギアの掛け声と共に、地面が盛り上がるように迫り出した巨大な氷の塊は、みるみる巨大な氷像として、その姿を現す——
『メラゾーマ』
氷の魔人が姿を現しきるのを待たず、俺は呪文を唱えていた。
巨大な火球に撃ち抜かれた氷像は、瞬間的に蒸発しつつ爆散する。
イオナズンは、まだ覚えちゃいねぇけどさ——
メラゾーマなら、つい最近覚えたんだよ。
「うわー、一撃だよ、いちげき。ボクの出番無いじゃん」
と、爆風に髪を押さえながら、リィナ。
これは、久し振りにいいトコ見せられんじゃねぇの?
ちらりとマグナを見ると、なんか知らんが、びっくりするくらい無表情だった。
ああ、そうですか。
褒めてくれとは言わないが、珍しく活躍したんだから、少しは反応してくれませんかね。
「ヘェ」
自分から仕掛けておいて、ギアも大して興味の無さそうな声を出す。
なんなんだよ。
誰か、ちょっとは驚いてくれよ。
羽虫呼ばわりされてるこの俺が、メラゾーマを唱えたんだぜ、メラゾーマ。
炎系の最強呪文をよ。
虚しい。
「いまさら、あんな普通の魔物で、俺達をどうにか出来ると思うなよ? そっちこそ、あんま見縊るんじゃねぇぞ」
虚しさの反動で、ついついイキったことをほざく自分の台詞で気付く。
危ねぇ。
そういや、けしかけられたのが突然変異体じゃなくて助かったぜ。
「そうだな、どうやらキミの力を見誤っていたようだ。仕方ない、通り給え。約束は、約束だ」
塔の前の石壁の間に立ちはだかっていたギアは、あっさりとその身を脇に避けた。
まるで、予め用意してあった台本を読んでいるような口振り。
え、なんだそれ。
拍子抜けもいいところ過ぎる。
マジで、何しに来たんだよ。
くそ、こいつら全員、俺の活躍を無かったことにする為に、全力を傾けてるんじゃねぇだろうな。
「それじゃ、困るんですよ」
「ヴァイスくん——っ!!」
ギアが退いた途端、壁の影から何かが飛び出した。
それを認識すると同時に、横から強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされる。
なんだ——なんだっ!?
意味が分からないまま、何か固いものに体が叩きつけられる。
上下左右の方向感覚を全く見失って、一瞬パニックに陥りかける。
すぐに、体は止まった。
固いものを手探りで確かめると、どうやら地面だ。
つまり、俺は横向きに倒れているらしい。
痛ぇ、打った箇所全体と地面を擦った頬が痛ぇ。
顔を上げると、リィナが誰かと対峙していた。
あいつは——
5.
「嫌だな、リィナさん。なんで邪魔をするんですか?」
ダーマのお目付け役としてマグナ達に勝手についてきて、幽霊船でギアと共に姿を消した紅顔の美少年は、心底不思議そうな顔をして、リィナを凝っと見詰めていた。
「こっちのセリフだよ。どういうつもりなのさ、ジミーくん」
剣を手にしたジミーを牽制しつつ、倒れた俺を庇うように、リィナはじりじりと立ち位置を変える。
さっきは、危うくジミーに斬られかけた俺を、横から蹴っ飛ばして強制的に身を躱させることで救ってくれたってことか。
その代償として、リィナの道着の腿の辺りに、薄く血が滲んでいる。
くそ、また命を救われちまったな。
ホイミを唱えようとしたシェラを身振りで抑えたところからすると、幸いなことにそれほど深い傷ではなさそうだ。
「なんだ、コレは。何故、お前が此処にいるんだ? どうやって——真逆、僕のルーラに便乗したのか?」
余程意外だったのか、普段の毒気がすっかり抜けたような口調で、ギアが零した。
いつも芝居がかった言動をしてはいるが、こういう自然な演技が出来るクチじゃねぇだろ。
あいつにとっても、これは思い掛けない成り行きらしい。
ギアの独り言から察するに、ルーラの効果範囲の端っこに便乗して転移をした上で、こっちに着いて直ぐに身を隠したってことか?
そんなこと、あり得るのかよ。
呪文を発動する人間が同行者と認識していなければ、転移の対象にはならねぇだろ——ギアのことだから、呪文を改造していて、普通のルーラとは違うのかも知れないが。
ジミーは遊ぶのに飽きた虫に向けるような眼差しを、伝説の魔法使いに向ける。
「困るよ、勝手なことされちゃ。やっぱり君さ、ホントはギア様じゃないでしょ? だって、本物のギア様だったら、ソイツを見逃す筈ないもんね」
ジミーは俺を睨みつける。
ギアは、何とも答えなかった。
「リィナさんも、ですよ。いい子ですから、邪魔をしないでください」
ジミーは、まるで子供に言い聞かせるように、リィナに語りかけた。
なんだ?
以前から気持ちの悪い言動をするヤツだったが、さらに薄ら寒さに拍車がかかったような。
「ジミーくんこそ、ホントにどうしちゃったのさ?」
ダーマで共に暮らしていたこともあるリィナの困惑振りが、ジミーの変化を裏付けている。
だが、ジミーは何を言われているのか全く分からない、という顔で首を傾げ、やがて朗らかに笑った。
「ああ、そうか」
それはまるで、作り物のように美しい笑い方だった。
「リィナさんには、ルビス様のお声が聞こえないんでしたね」
当たり前のように口にして。
ジミーは、憐れみの眼差しをリィナに向けた。
ダーマの大僧正とオルテガ、そしてマグナしか聞くことのできないルビスの声とやらを、自分も聞くことが出来るのだと言わんばかりの口振り。
ジミーに変化を齎した原因は、それなのか?
「ホラ。今も、早くソイツを殺せって。あなたもダーマの人間なんですから、ルビス様のお声に従ってください」
「ルビス様が、そんなこと仰る訳ないよ。しっかりしてよ、ジミーくん」
リィナの呼び掛けなど、一切耳に入っていないように、本気で俺を殺そうとする剣呑な気配が伝わってくる。
おそらく、リィナが牽制していなければ、俺はあっという間にジミーに斬り殺されているのだろう。
そんな危険な状態で対峙していて尚、リィナはジミーの身を案じていた。
随分と懐かれていたからな。無理もないが。
しかし、そんなリィナの気遣いに、ジミーは失笑を以って報いた。
「お声を聞けないリィナさんに、ルビス様の何が分かるっていうんですか」
「ジミーくん?」
「アリアハンの新しき神に地の底に追い落とされたルビス様の無念が。胸を穿つこの哀しみが! お声も聞けないあなたなんかに、何が分かるって言うんですか!!」
「……どうして、キミにルビス様のお声が聞こえるようになったっていうの?」
「そんなの決まってるじゃないですか。もちろん、ルビス様の忠実な信徒だからです」
リィナの問い掛けに答えるジミーの顔には、なんの疑問も浮かんでいなかった。
心の底から、自分の言葉を信じ切っている。
どういうんだ、これは。
思い込みが激しすぎて、幻聴でも聞いてやがんのか?
「今のあなたは、ルビス様の戦士として相応しくありません。罰当たりな裏切り者になりたくなければ、僕の邪魔をしないでください!!」
おそらくだが、ルビスの名を出された事が、リィナの初動を一瞬遅らせた。
再び、俺に斬り掛かろうとするジミー。
リィナの援護は、ギリギリ間に合わない。
ギィンッ!!
という金属音と共に、ジミーの斬撃を弾き返したのは、マグナが手にした剣だった。
「あんた、いい加減にしなさいよ」
恐ろしく冷たい声。
だが、ジミーは意に介さなかった。
「あなたこそ、ですよ。僕には、もう分かりました。まさか、ルビス様に選ばれし勇者様を騙っていただなんて。そんな罪深い行いが、赦されると思っているんですか」
「誰も勇者だなんて名乗ってないし、あんたにもルビスにも、赦しなんて求めてないわよ」
マグナの反論は、ジミーの耳には届かなかった。
「そうなんです。赦される筈がないんです。だから、ルビス様はあなた達全員を罰するために、僕を遣わしたんだ!」
ジミーは左手に剣を持ち替えて、右手で腰のフクロを探った。
取り出した黒い珠を頭上に掲げる。
それは、まるで炎のように、輪郭が昏く揺らめいていた。
「貴様、ソレは——!?」
ギアの焦った声を、俺ははじめて聞いた。
「君は黙って、ソコで見てなよ」
ジミーは、黒い玉を握り潰すような仕草をした。
『凍てつけ』
その途端。
闇が、弾けた。
「ぐぅっ——!?」
突如、ギアが苦悶の声をあげて血を吐き地に倒れた。
周囲に風が巻き起こり、空気が急速に本来の寒さを取り戻す。
「何をしたの、ジミー。答えなさい」
「勘違いしないでくださいよ、勇者様。僕に命令できるのは、いまやルビス様だけなんですから」
ジミーは、うっすらと笑ってみせた。
なまじ顔が整っているせいか、ひどく酷薄に目に映る。
「あれ、違った。勇者様じゃなかったっけ。あんまり分からないことばかり言うから、そんな勇者様なんていらないって、ルビス様も仰ってるんです」
マグナは舌打ちを堪えている顔をした。
「なんなのよ。何がしたいの、あんた?」
「そんなの、決まってます」
ジミーはにっこりといい笑顔を浮かべて、当たり前のように口にした。
「全ては、ルビス様の御心のままに」
「話になんない」
ボソッと吐き捨てられたマグナの呟きに、内心で深く頷く。
以前からそうだったが、会話の成り立たなさが悪化している。
「こんな塔も、あなた達も、まとめて消してしまいましょう。それが、ルビス様の御心に叶っているんです。ほら——」
ジミーの言葉を合図にするように。
ゴゴゴ……
足元の地面の恐ろしく深いところから、地鳴りが聞こえた気がした。
と、次の瞬間——
「きゃあ!!」
シェラの悲鳴。
立っていられないほどの激しい揺れが、俺達を襲う。
目の前の石塔すらも、グラグラと揺れている。
いつもしっかりと踏み締めている足元の大地が不安定になることが、これほど恐怖を誘うとは。
まるで、この世の終わりだ。
だが、この激しい揺れすらも、未だに序の口だという悪い予感——
「あれ?」
唐突に、揺れはぴたりと止んでいた。
不思議そうに辺りをキョロキョロと見回したジミーは、吐血して倒れていたギアに目を止める。
地面についた両手で上半身を支え、土下座をする直前のような姿勢を取っていた。
「この僕がいる限り……貴様等如きの好きにさせると思うなよ」
息も絶え絶え、といった様子ながらも、ギアは憎まれ口を叩いてみせた。
こいつが一体どういう立ち位置なんだか、正直よく分からねぇが、少なくとも今この瞬間は、ジミーと敵対する立場ではあるらしい。
敵の敵が味方とは限らねぇけどさ。
「おっと」
隙をついて放たれたリィナの蹴りをギリギリで躱し、その先に待ち受けていたマグナの剣すらも、ジミーは地面に倒れ込むようにして避ける。
「危ないあぶない。でも、『冥加』の二つ名を授かった僕が、お二人なんかに斃される訳がありませんよね」
「言ってなさい。いつまで、そうやって躱し続けられるかしらね」
マグナは剣を構え直し、リィナも迷いを捨てるように頭を振って身構える。
「ふぅん」
ジミーは俺達を見回して、地面に手をついたままのギアで視線を止める。
「君のせいで、さっきの失敗しちゃったみたいだから、確かにちょっと分が悪いかな」
ギアは、何かに集中しているように動かない。
気がつくと、周囲の気温が再び穏やかになっていた。
「ルビス様の戦士である僕が、こんなところで倒される訳にはいかないもんね。仕方ないな。今日は、見逃してあげますね」
今にも斬りかからんばかりの顔つきで、マグナが唸る。
「……好き勝手しておいて、逃がすと思ってんの?」
「もちろん、あなた達なんかに捕まりませんよ。僕は魔法使いじゃないですけど、道具くらい使えますから」
言い終わる前に、ジミーは懐に手を突っ込んで、何かを取り出した。
思い至るのが、一瞬遅かった。
その手に握られているのは、キメラの翼だ。
「待っ——」
リィナが止めようとした時には、ジミーの姿は既に掻き消えていた。
ひどく唐突に、周囲は静けさを取り戻す。
何もかもが突然すぎて、頭の中で消化し切れない。
急に体が重くなったように、意味不明な疲労感に襲われていた。
その時、静けさを縫うように、力無い湿った咳が聞こえた。
ギアだ。
口から血を流しながら、とさっと軽い音を立てて、支えていた上半身を地面に着ける。
「クク……どうにか、結界が……間に合ったな」
いまにも死にそうな癖に、まだ強がりを言ってやがる。
「いまのはどういうこと? 説明して」
ウチの女王様も、容赦ないね。
「……約束、だ。通り給え……中には……エルフが二人居る。どうか……看取ってやってくれ」
はい? エルフだと?
「どういうこと? ちゃんと説明しなさい」
マグナは重ねて命じたが、無駄だった。
ギアは、既に気を失っていた。
胸が微かに上下しているから、死んではいないだろう。
「ホントに、なんなの? 全っ然、意味分かんない——あんたが代わりに説明しなさいよ」
預かりの知らない出来事に翻弄された不機嫌な視線は、今度は俺に向けられた。
だから、無茶言うなって。
俺にもさっぱり、何がなんだか——
百年前ならいざ知らず、いまの時代に姫さん以外にも、里の外で暮らしているエルフなんて居たのかよ。
「とにかく、中に入ろうぜ。じゃねぇと、なんも分かんねぇよ」
「……自分だって何も分かんない癖に、偉そうに言わないでよ」
ラーミアが眠るとされる石塔の威容を見上げても、何も答えてはくれなかった。
6.
石塔の中の気温は、外よりもさらに快適だった。
まるで、誰かがそうあるように調整しているかの如く。
内部の構造は単純だったので、行く先に迷うことはなかった。
正面の扉から入った俺達を広いホールが出迎え、その奥に螺旋階段が見える。
気絶したまま外に放置しておくのもなんなので、リィナが背負っていたギアは入り口の脇に寝かせておいた。
螺旋階段は、円柱形をした塔の内壁に沿って上へと続いていた。
一般的な階層で言えば、三、四階ほどの高さを昇ったところで、上のフロアに辿り着いた。
そこは、祭壇だった。
篝火に照らされた大きな卵立てのような金属製の鋳物が、フロアを囲むようにして六つ配置されている。
その中央の祭壇には、さらに巨大な卵と思しき物体が安置されていた。
そして、祭壇の前に佇む人影が二つ。
「うわっ、すご」
いつだかと同じように、リィナが漏らしたのが聞こえた。
「え?」
「あれって——」
シェラとマグナも、戸惑った声をあげる。
ひどく整った顔立ちと、すらりとした四肢、そして長い耳。
ギアが言った通り、二人とも外見からしてエルフに見えるが、俺達が驚いたのは、ソコじゃない。
エルフの年齢は見分けが付き難いが、それでも年長に見える方。
瓜二つとまではいかないが、自然の作り上げた至高の氷像を思わせる、かのエルフの女王に顔立ちが似ていた。
ただ、眼差しは、かのエルフの女王ほどに冷ややかではなかった。
どちらかと言えば、薄っすらと敵意を含んだ目つきで俺を睨みつけているのは、若いエルフの方だった。
「どうしてニンゲン
うわ言のように呟く。
俺も——おそらくシェラも、まじまじとその若いエルフを見詰め返した。
判然としない程度の微妙な類似を——あるいは差異を——その面影から探し出そうとするように。