60. When Im Gone

1.

「ようこそいらっしゃいました、御遣い様。私達、この日をどんなに待ち望んでいたことでしょう」

 年長の方のエルフが、場を仕切り直すように口を開いた。

 ここは極寒の地、レイアムランド。

 ようやく辿り着いた秘したる祭壇の前に立つは、二人のエルフ。

 そして、その背後には異様に巨大な縞模様の卵が鎮座ましましていた。

 あれが、話に聞いてたラーミアとかいう鳥なのか?

 まだ孵ってねぇけど。

 どうなってんだ、こりゃ。

「ど、どんなに待ち望んでいたことでしょう」

 年嵩のエルフに睨まれていることに気付いた若いエルフは、まるで決まり事を守るように慌てて復誦ふくしょうした。

 だが、どうしても納得がいかない、といった顔付きで、きっと俺を睨みつける。

 いや、なんで俺だよ。

 なんか俺、理不尽に嫌われることが多くない?

「お前……」

「はい?」

「お前だ、ニンゲンの男。エルフの風を、なぜ纏っている? さては、お前、エルフを拐かしたな!?」

 憎しみ混じりの声で、俺を糾弾する年若いエルフ。

 いや、年若いって言っても、どう見ても姫さんよりは歳上だから、多分百歳以上なんだろうけどさ。

「えー……と、そんなこと、してないですけど」

 目の前の二人のエルフに対してどういう態度を取っていいか分からず、とりあえず下手に出てみる。

「嘘だ! ニンゲンはエルフを騙して捕らえて拐う事しか考えてないクセに!! どれだけ大勢のエルフを犠牲にしたら、そんなにハッキリと風が宿るんだ!?」

「およしなさい、ルーシー」

 大人の方のエルフが、ルーシーと呼ばれたエルフを制止した。

「でも、マリラ様!!」

「いいからもう一度、きちんと風を視てご覧なさい。貴女の言うような、いやな風ではありませんよ。むしろ、あれは祝福と呼ぶべきものです」

「そんな訳……え? あれ、ホントだ」

 根が素直なのか、思わずといった感じでポロリと零すルーシー。

「で、でも、ニンゲンはエルフを拐って酷いことをする種族だって——」

「あなたには、ニンゲンと会った記憶はないのでしょう?」

「それはそうですけど……でも、だって里ではみんなが——!!」

 大人の方のエルフ——マリラは、ハァとため息をついた。

「あの人にも、困ったものだわ。人間と関わりを絶ってもう百年は経つでしょうに、まだそんな事を皆に吹き込んでいるのかしら。ねぇ?」

 何故か、こちらに話を振ってくるマリラ。

 多分、エルフの女王様の話だよな。

「えぇ、まぁ……つい最近、ちょっとはマシになったみたいですが」

「そのようですね」

 含みのある目付きで俺を眺めて、フフッと笑う。

 こんな世界の果てに住んでる癖に、なにやら訳知り顔をするじゃねぇか。

「それで? そのおっきい卵がラーミアなの?」

 痺れを切らしたように、横から口を挟んだのはマグナだった。

 マリラは軽く頭を下げる。

「これは失礼を、御遣い様。仰る通り、こちらに御坐おわしますのが神鳥ラーミアと呼んで差し支えございません」

「まだ生まれてないみたいだけど」

 だよな。

「はい。ラーミアは、今まさに顕現するのです。御遣い様の御力で」

「はい? あたしに、そんな力ないけど」

「卵にお触れになれば、それでよろしいのです。後は、わたくしどもにお任せください」

「まぁ、別に触るくらいだったらいいけど……」

 マリラが目配せをすると、ルーシーは気取った足取りでマグナの前まで歩み寄り、そっと手を取った。

「それでは、御遣い様。どうぞ、こちらへ」

 俺の前を横切るついでに、何故かキッと睨みつけてくる。

 冤罪は晴れたんじゃなかったのかよ。

 つか、さっきから御遣い様って何だよ。

 なにやら儀式の準備らしきことをしている間に、手持ち無沙汰で辺りを見回す。

 ここに来るまでの塔内の何処どこ彼処かしこもそうだったんだが、観葉というには豊富過ぎる植物がそこかしこに蔓延っているのだった。

 特に最上階のこのフロアは、天井までもがぶち抜きで開けているのをいいことに、植木鉢どころか、石床にじかに土が盛ってあって、ちょっとした樹木まで生えている。

 やりたい放題だ。さすがはエルフの住処ってところかね。

『さぁ、祈りましょう』

 俺がぼんやりしている間に、儀式めいた何かが始まっていた。

 掌で恐るおそる卵に触れているマグナを挟んで、胸の前で指を組み合わせて目を瞑った二人のエルフの声が、互いの節を追うように朗々と響き渡る。

「時は来たれり」

「今こそ目覚める時」

「大空はお前のもの」

「舞い上がれ、空高く!」

 一瞬、何も起こらないかに見えた。

 だが、次の瞬間——

「うおっ——」

「ひゃっ——」

「まぶしっ——」

 マグナと巨卵を中心にして、光が爆発した。

 眩しくて、何も見えない。

 くそっ、マグナはどうなったんだ。

 確認しようにも、とても目を開けていられない——食いしばるように目を瞑り、両手で蓋をしてなお、全てが真っ白く塗りつぶされている——だが、マグナがどうなったか確かめねぇと——そうだ!

 自分には、もう一つの視界があったことを、俺は思い出す。

 だが、こんな世界の果てにまで監視の眼がある筈が——あるね。

 なにやら、儀式的にも重要な施設っぽいしよ。そんなトコに、あいつらが監視の眼を用意してない筈がねぇんだ。

 それに、もし無かったとしても——

 自らの本来の視界とほぼ等しい光景を、俺は目を瞑ったまま取り戻す。

 ほらな。

 俺にも仕込まれてると思ったぜ。陰険魔法使いのやることなんざ、こちとらお見通しなんだよ。

 マグナが立っていた場所を視ると、巨卵は跡形もなく消え失せ、不定形の光の奔流がぐねぐねと形を変えていた。

 苦しそうに身を捩っているようにも視える。

 なんなんだよ、何が起こってるんだ。

 ともあれ、側に寄ろうと俺が足を踏み出したその時、光塊が縦に伸びながら一瞬で上空に飛びあがった。

 この塔の高さの数倍に到達した辺りで、くるっと旋回しつつ今度は瞬間的に横に広がる。

 まるで、眩い光の粒を撒き散らしながら、光り輝く大きな翼を開いたように視えた。

 ほどなく安定しはじめた光塊の輪郭は、どことなく鳥に似ている気がした。

 風切羽や尾羽の部分から、極彩色の光の欠片がはらはらと舞い落ちる。

 綺麗だな——

 意識せずに抱いた感想は、我ながら呑気過ぎる気がした。

「う~、まぶし~……あれ、マグナは?」

 顔を顰めて薄目を開けながら、リィナがきょろきょろと辺りを見回しているのが視えた。

 それで、俺も両手の蓋を外して、おっかなびっくり生身の目を開く——目の奥が痛ぇ。

「あそこだ。上」

 俺の指の向きを追って上空を振り仰いだリィナは、そこに光の塊を認めて、流石に寸時ちょっと絶句した。

「……え? どゆこと?」

「だから、あれがマグナらしい」

「……え?」

 そんな顔にもなるよな、そりゃ。

「うぅ、目が……目が、チカチカします……」

 ようやく、シェラも視力を取り戻しつつあるようだった。

 そして、リィナと同じように、上空を見上げて絶句する。

「マグナさん、どうなっちゃったんですか……?」

 不安げに漏らすシェラの声に呼応した訳でもあるまいが、上空で羽ばたいていた光の塊が急降下した。

「ひっ」

 咄嗟に頭を庇う俺達の眼前で、身に纏う光の衣を脱ぎ捨てるように姿をあらわしたマグナが、石床に到達する前に減速しつつ身を翻して華麗に着地する。

 え、なんかお前、カッコ良すぎない?

 本人は全く望んじゃいないだろうが、これじゃ御遣い様呼ばわりされても仕方ないわ。

「あー、びっくりしたー……なんなのよ、いまの」

 自分の体を見回しながら、マグナが呟く。

 吃驚した、程度の感想で済ますなよ、今のを。

「伝説の不死鳥ラーミアは甦りました」

「っ——ましたっ!」

 軽く両手を広げてマグナを迎える仕草をしたマリラが口を開くと、隣りでぼーっと突っ立っていたルーシーも慌てて追従する。

「ラーミアはカミの下僕しもべ

「心正しき者だけが」

「そのなに乗れるそうです」

 予め定められていたと思しき台詞を言い切って、ルーシーはこっそりと安堵のため息をいていた。

 なんか、見た目以上に若そうだな。

 もちろん、エルフにしては、だが。

「心正しき者だって」

 リィナがそんなことを口にして、ニヤニヤと俺を眺めるのだった。

 うん、ホントにそうなら、俺は乗れないと思うけどね。

 お前だって、大して変わんねぇからな?

 つか、引っ掛かるとこソコなのかよ。

「神の下僕? 嫌だわ、そんなの」

 今度はマグナがどこかズレた文句を口にする。

 お前も、気にするトコはソコじゃねぇだろ。

 まぁ、マグナが変な光るトリに変身したことは、とりあえず置いとくとして——なんか、感覚が麻痺してやがるな。

 どう考えたって、「背なに乗れる」の部分だろうがよ。

 鳥に乗って空を飛ぶだなんて絵空事は、元から不可能だと思っちゃいたが、実物を目の当たりにしてみても、やっぱり無理としか思えない。

 背なに乗るってのは、きっと比喩表現なんだろうとは思うよ?

 だとしても、どうやってあの神鳥が俺達を運ぶんだ?

 大きさだけで言っても、不可能だろ。

わたくしも定められた言葉を口にしただけですので、神のくだりに関しては、あまり気にすることも無いと思いますわ」

 頬に手を当てて微かに苦笑しながら、マリラは身も蓋もない事を云うのだった。

 お前の立場で、それを言っちゃっていいのかよ。

「……とにかく、これで魔王城まで飛んでいけるのよね?」

 マグナの問いかけに、マリラはさらに困った顔をして、頬に手を当てたまま小首を傾げる。

「申し訳ございません、御遣い様。ご覧の通り、私はこのような僻地でずっと貴女様をお待ち申し上げておりましたので、外界のことには疎いのです。ですから、おそらくそうだとしかお答え出来ません」

 随分と無責任なことを言われている気がするが、マリラの言葉は嘘ではないように思えた。

 根拠は、彼女がエルフであることだ。

 こんな世界の果てで、いつ訪れるとも知れない御遣い様とやらを延々と待ち続ける役目なんて、変化が無いことを苦にしないエルフにしか務まらないだろう。

「あ、そう。分からないなら、まぁ、いいわ……それじゃ、行くわよ」

 最後の言葉は、俺達に向けられた命令だ。

「え、行くって、魔王城にですか?」

 あまりにも性急な物言いに、さすがにシェラが聞き返した。

「そうよ。当たり前じゃない」

 いや、当たり前じゃない。

「ロランとかお偉いさん達に、報告に戻らなくていいのかよ」

 俺が尋ねると、マグナは顰めっ面をした。

「必要無いわ。どうせ報告したって、またなんだかんだごちゃごちゃ言い始めて、面倒臭いことになるだけなんだから。魔王を斃した後に報告した方が、話が早いでしょ」

 最後に、ボソッと呟く。

「どうせ、最後なんだし」

「ボクは別に、それでいいよ~」

 呑気らしく口にしたのは、リィナだった。

「欲を言えば、もうちょっと稽古したかったけどね。でも、魔王城でも魔物はいっぱい出るだろうから、実地でやればいいかな」

 あれからアリアハンを訪れる度に、マーサと稽古をしてたみたいだもんな。

「私も、大丈夫です」

 シェラも、畳んで背負っているフクロにちらと目を向けてから、小さく頷く。

ここレイアムランドでの探検が思ったより早く終わったので、食料もまだ十分残ってますし」

 そして、全員の視線は、まだ意見を表明していない俺に自然と集まるのだった。

 結局、この構図は、いちばん最初から変わってねぇな。

 そう思って、内心で苦笑する。

 マグナが無茶を言っても、リィナは軽い調子で請け負うし、シェラは出来る限りマグナの意に沿おうとするからな。

 この中でマグナを諫めるとしたら、俺しかいないのだ。

「行くって、どうやって?」

 そして、困ったことに、いまや俺も、マグナを止めるつもりが大して無いのだった。

 違う、考えなしに全肯定してる訳じゃねぇぞ。

 報告に戻ったら、逆に面倒臭ぇ事になりそうだって意見には、俺も同感だからな。

 ただ、魔王との決戦の前に、何か妙なことを考えていそうなマグナと話をしておきたい。

 なので、時間稼ぎを試みる。

「マグナは飛べるからいいとして——」

 口にしながら、我ながらすげぇことを口走ってんな、と軽い非現実感に襲われる。

 普通、人間は空を飛ばないモンだ。

「俺達には無理だからな。運ぶにしても、どうやるんだ? さっきみたいに変身しても、さすがに背負うのは無理だろ」

「は? 変身? っていうのは良く分かんないけど、あんた達をどう運んだらいいかなら、なんとなく分かるから大丈夫よ」

 なんとなく、で命に関わる決断をしないで欲しい。

 もしかして、自分がさっきどれだけ奇天烈な状態だったか、良く分かってねぇのか?

「そう言われてもな。さっきの大きさじゃ、俺達を籠に乗せて吊るすとかも無理そうだし——そもそも籠が無ぇしよ。背中に乗るなんて、もちろん論外だしさ」

「ごちゃごちゃ煩い! いいから行くわよ! さっさと終わらせるんだから!!」

 またしても、マグナが光り輝きはじめた。

 光は急速に広がり、俺達を包み込む。

 嘘だろ、オイ。

 なんだか分からねぇが、本当にこのまま行くつもりなのかよ。

 見ると、やや複雑な表情をしたマリラが軽く頭を下げ、ルーシーは俺を睨みつけていた。

 どうしてあのエルフは、あれほど俺を目の敵にしてるんだ、と思う間もなく、俺の意識までもが光に飲み込まれていく。

 畜生、こんな急展開が待っているなら、レイアムランドに来る前に、ロマリアでちゃんとマグナの気掛かりを聞き出しておけばよかったぜ。

 そして、俺はそうしなかったことを、激しく後悔することになる。

2.

 それは、奇妙な感覚だった。

 夢ともうつつともつかない、半覚醒じみたとらえどころのない状態。

 目で見ている訳ではないのに、景色が恐ろしい勢いで後方へ流れていくのが分かる。

 自力で歩いたら何ヶ月もかかるであろう距離を、あっという間に跳び越えていく。

 目的地である魔王城が、ぐんぐんと迫り来る。

『ッ——』

 そして、何かにぶつかったような感触。

 次いで、液化した全身をぐねぐねと掻き回されるような、最悪の眩暈よりもさらに最低な、なんとも言えない気持ちの悪い——似た感覚に覚えがある。

 これは、旅の扉で移動した時の感覚に近い——

「おっとぉ」

「うげっ」

 急に空中に投げ出されたみたいに浮遊感を覚えた時には、既に地面に体が叩きつけられていた。

 俺と同じように地面に投げ出されそうになったシェラを、リィナが抱きかかえて着地する。

「着いたみたいね」

 先程の不快感に眉を顰めながら、マグナが呟いた。

 くそ、自分はしれっと華麗に着地しやがってよ。着くなら着くで、ちゃんと合図してくれよ。

 果たしてマグナの言葉通り、俺達の眼前には、魔王城の威容が聳え立っているのだった。

 城壁はところどころ崩れ落ち、正門の間から覗く城内も、草や樹は伸び放題、壁はびっしりと蔦に覆われ、ひどく荒れ果てている。

 手入れする庭師なんて居る筈もないから、当たり前の話ではあるのだが——魔王に滅ぼされた旧王国の王城は、まるで最初から魔王が住まう為にあつらえられたかのように、不気味な圧迫感で周囲を睥睨していた。

「それじゃ、行くわよ」

 そんな不気味な雰囲気などどこ吹く風で、軽い調子でのたまって、マグナが勝手に魔王城の正門に向かって歩き出した。

 だから、ちょっと待てっての。

「何をそんなに急いでるんだ?」

 後ろ姿に問い掛けると、不機嫌な顔だけが振り向いた。

「は?」

「いまさら、少しくらい魔王を斃すのが遅れたって、別に何も変わらねぇよ。王様連中への報告なんぞはしなくていいから、何日か骨休めして英気を養って、それから来ても良かったんじゃねぇのか」

 ルーラさえ唱えりゃ、いまからだってそう出来るんだぜ。

「何も変わらないなら、いま行ったって同じでしょ」

 ったく、ああ言えば、こう言う。

「何回も言ってるでしょ。あたしは、さっさと終わらせたいのよ、こんなこと」

「そりゃ、分かるけどさ……」

 なんというか、ここしばらくのマグナは、ちょっとらしくないというか、出会った頃のような頑なさを取り戻している気がする。

 一体、何を気にしてるんだ?

『あたしの事、憶えててよね』

 先日、ロマリアで盗み聞きした、トビへの願いを思い出す。

 絶対、また妙なこと考えてるだろ、こいつ。

 その時、ぽん、と俺の肩に手が置かれた。

 振り向くと、諦め顔をしたリィナが首を左右に振っていた。

「無理だよ、ヴァイスくん。マグナがこうなったら、もう何言ったって聞かないのは、分かってるでしょ?」

「そうだけどさ……」

 しまったな。

 多分、こうなる前に、マグナを止めなきゃいけなかった。

 流石に、魔王城のド真ん中で、呑気にお悩み相談してる余裕はねぇだろうしさ。

「とにかく、追いかけましょう。マグナさん、行っちゃいますよ」

 小走りに駆け出しながら、シェラが俺達を急かす。

「……しょうがねぇな」

 マジかよ。

 いよいよ魔王と相対する最終局面だってのに、こんななし崩しみたいなノリでいいのかよ。

 くそっ、敷地内が荒れ放題だから、下生えやら木の根っこやらで、歩き難いったらねぇな。考えながら歩いてると、転んじまいそうだ。

「ヴァイスくん、顔が怖いよ?」

 隣りを歩くリィナが、肩をちょんちょんと突付つついてきた。

 からかう口調だが、瞳には心配そうな色が揺らぐ。

 そうだな。

 俺が一人で悩む必要はないんだった。

「お前は、これでいいと思えるか?」

「え? 一旦、ロマリアかどこかに戻った方が良かったんじゃないかってこと?」

 俺が軽く頷くと、リィナは首を捻って眉根を寄せた。

「う~ん……確かに、なんか急ぎ過ぎてる気はするけどね、マグナ」

「だろ? あいつ絶対、また妙なことを考えてんだよ。ロマリアに戻ったら聞き出そうと思ってたのによ」

「ふ~ん? 先約のボクを差し置いて、またマグナの面倒ばっかり見るんだ?」

 一瞬、言葉に詰まった。

「いや、リィナとの約束も、ちゃんと覚えてるよ。忘れてた訳じゃない」

「へ~え? ホントかなぁ?」

「いや、マジでホントだって。ただ、なんていうか、あいつの機嫌は、俺達の命の危険に直結するだろ」

「実際、そうなってるしねぇ、いま」

 リィナは手の甲で、ぽんと軽く俺の胸を叩く。

「ま、ヴァイスくんの心配も分かるけど、命の危険とかなら大丈夫だってば。いざとなったら、ボクがなんとかするから」

 お前も相変わらずカッコいいな。

「そりゃ、ありがたいね」

 俺の情けない返しに苦笑を浮かべて、リィナは微妙に視線を落とす。

「ホント言うと、ボクもヴァイスくんとは別の理由で、一旦戻りたかったけどね。さっきも言ったけど、もう少し時間は欲しかったんだ。もうちょいで、なんか掴めそうだから」

 リィナの言葉には、思い当たるフシがあった。

 近頃、リィナの戦い方が、明らかに変わっていたのだ。

 前衛職である武闘家のリィナは、当然ながら魔物とは至近で戦うことになる。

 だが、それにしたって、最近のリィナは魔物とやり合う時に、距離が近過ぎるように見えた。

 良く言うならば、以前よりも一歩踏み込みが深いというか。

 マーサとの稽古で何かを掴みつつあるのかも知れないが、俺としてはどうしても、以前シェラが口にした言葉が脳裏をぎっちまう。

『多分、リィナさん、今までよりギリギリの死線を潜り抜けないと、もっと強くなれないみたいに考えちゃってるんです。それで失敗して死んじゃっても、それまでのことだ、みたいに……』

「ん? なに、ヘンな顔してるの?」

 けど、きょとんと俺を見返すリィナの表情を眺めていると、前みたいに思い詰めてる様子も無いんだよな。

 最近のリィナは、かなりいい感じだ——いい感じって、どんなだよって言われると言葉に困るけど、自然体っていうか、気負った様子が無いっていうか、なんなら、出会ってから一番力が抜けてるんじゃないか。

 だから、俺なんかが心配することでもないんだろうけどさ。

 けど、マグナと話しそびれたことを反省したばっかりだし、いい機会だから、ちゃんと確かめておくか。

「なんつーか……最近、お前、なんか戦い方が変わってないか?」

「へっ?」

 予想外の問い掛けだったのか、リィナは吃驚したように少し目を見開いてから、にや~っとジト目で唇を歪めた。

「よく分かったね? なにさ、そんなにいつもボクのこと見てたの、ヴァイスくん?」

「そりゃそうだろ。いつだって、リィナのことは気にかけてるよ」

「マグナのついでにね?」

 俺を茶化して満足したのか、リィナは仕切り直すように咳払いをした。

「うん、変えてるよ、戦い方。前のままじゃ、どうやったって届きそうもなかったからさ。なんていうか……いまは、もっとほねを使おうとしてるんだよね」

「は? 骨?」

 両手に握った動物の骨を振り回すリィナの姿が脳内に浮かんだが、多分、そういうことじゃねぇよな。

「まだボクも説明が難しいんだけど……前よりもっと内側に入り込むっていうかさ、こう、斬って落とす、みたいな。そうすると、速くなるでしょ?」

 全く分からん。

「マーサさんも体系化までは出来てなくて、一緒に考えてる感じなんだけど、でも、やっぱり女の人だから、ボクと同じような悩みを持ってたらしくて、凄い参考になるんだよね」

 一生懸命説明しようとリィナが、なんだか可愛らしく見えた。

「ほら、純粋な筋力だと、ボクみたいな女の子はそんなに力が出ないでしょ?」

「そろそろ、女の子って感じでも無くなって来たけどな」

 成熟した女性が好みの俺としては褒め言葉のつもりだったんだが、リィナな不満そうな顔をした。

「うるさいな。だから、単純な力とは違う躰の使い方みないなのを伸ばそうとしてるんだよね、簡単に言うと」

 幽霊船で、リィナがロンやニックとやり合った時のことを思い出す。

 あの時見せた奥義とやらは、どちらかと言えば単純な力の方だったのであろうことは、素人の俺にも分かる。

 今度はそっちじゃなくて、技を伸ばすみたいな話か。

 これ以上、まだ強くなるのかよ。

 全く、頼もしい限りだね。

「まー、魔王との戦いに役に立つかって聞かれたら、ちょっと微妙なんだけどさ。ボクと同じくらいの大きさだったらいいけど、どうせ全然おっきいだろうしね」

 大きさを表現する為に、リィナは右手を上の伸ばして、アハハと軽い調子で笑う。

 てことは、完全に対人戦用か。

 負けず嫌いが復活したのは良かったが、しょうがねぇな、こいつも。

「魔王に使えないなら、その稽古の為にわざわざ戻る意味無いじゃねぇか」

「あ、バレた?」

 リィナは人が悪そうにニヤリと笑う。

「だから、強く反対できなかったんだよね」

 本人はこう言うが、もしかしたら、リィナも予感しているのかも知れない。

 魔王バラモスの元に辿り着く道中で、再びニックと相まみえる可能性があることを。

 なんか知らんけど、あの黒マントの魔物と知り合いみたいだしさ。

 だから、もっとちゃんと準備してから来た方が良かったんだっての。

 首に手を当てて揉みながら、はたと気付く。

「あれ——」

「どしたの?」

「いや……なんでもない」

 きょとんとするリィナ。

 ホントにどうでもいいことに、いまさら気付いたんだが。

 レイアムランドで常に俺を悩ませていた偏頭痛が、綺麗に消え失せていた。

3.

 魔王城を徘徊する魔物は、当たり前だが恐ろしく強かった。

 あれだけ悲惨な目に遭わされたネクロゴンドの洞窟の魔物と同等か、さらに強い。

 徒党を組んで現れて強力な魔法を撒き散らす魔物の集団には、ほとほと手を焼かされたし、どういう理屈か巨大な石像が歩いてこちらに向かってきたのを見た時は、我が目を疑った。

 だが、どうにか探索を進めることが出来ている。

 あの時と違って、足枷になるような人数をゾロゾロと引き連れている訳じゃないってのも大きいんだろう。

 ネクロゴンドの洞窟で見飽きた六本腕の骸骨騎士や、六本足の奇妙な獅子、即死魔法を操る怪しい影辺りに関しては、既に対処を心得ていたのも、俺達に有利に働いたのは間違いない。

 けど、それにしたってさ。

 なんというか——繰り返しになるが、決して出没する魔物が弱い訳じゃないんだが。

 やたらと城内が広いのも、厄介ではあるのだが。

 それらを十分に踏まえた上で——

 言ってしまえば、拍子抜けなのだった。

 妙な言い草になるが、こんなに簡単でいいんだっけ、と心配になるくらい、俺達の魔王城探索は順調だった。

 心配していたように、ニックが俺達の行く手を阻むこともない。

 弓折れ矢尽きる、みたいに極限まで追い詰められて、それでも這うようにして、ようやく魔王の元に辿り着く——そうあるべきなんじゃねぇのか。

 なんてことを考えちまう俺も、吟遊詩人共が奏でる無駄に波乱万丈な冒険譚に毒されているのかも知れない。

 事前に予測可能な範疇を超えない労苦を払っただけで、拍子抜けするほどあっさりと、俺達は魔王城の最深部に到達していた。

「あっつ」

 マグナが熱気に顔を顰める。

 近くの火山から漏れ出たものか、広大なホールは端の一部が溶岩に飲み込まれており、揺らぐ空気と舞い散る火の粉の向こうに巨大な影が窺えた。

 これまで目にした如何なる魔物とも異なるシルエット。

 鳥のような骨格をした頭部には、鶏冠のように巨大な角が生えている。

 なにより、この肌を突き刺す圧倒的な妖気。

 他とは異なる特別な魔物であることが、その威容だけでも伝わってきた。

『ツイ ニ ココ マデ キタ カ ユウシャ ヨ』

 その時、頭が割れるんじゃないかという強烈な念話が脳裏に響いた。

 コイツ、喋るのか!?

 例の黒マントの魔物のようにたどたどしかったが、驚くべきことにバラモスは人間の言語を操れるようだった。

 というか、思った以上にこっちニンゲンの事情を把握してるっぽいな?

『コノ ダイ マオウ バラモス サマ ニ サカラ オウ ナド ト ミノ ホド ヲ ワキマエヌ モノ タチ ジャ』

 そして、思ったより人間臭い口を利きやがる。

「うるっさいな。なんとかなんないの、これ?」

 マグナが両手で耳を押さえながら文句を言った。

 普通の音じゃないから、耳を塞いでも意味無いぞ。

『ココ ニ キタ コト ヲ クヤム ガ ヨイ』

 いよいよ魔物の王との最終決戦だというのに、まるで緊張感の無い俺達の態度を気にした風もなく、バラモスは言葉を続ける。

 まるで、予め用意された台本を読み上げるみたいに。

『モハヤ フタタビ イキ カエラヌ ヨウ ソナタラ ノ ハラワタ ヲ クライ ツクシテ クレルワッ!』

 は? なんだと?

 再び生き返らぬようって言ったのか、今?

「来るわよっ!!」

 マグナの叱咤で、我に返る。

 だが、こちらが行動を起こすより早く。

『イオナズン』

 嘘だろ——

 と思った時には、既に閃光が視界を埋め尽くしていた。

 全身が衝撃に翻弄される。

 死ぬ——

 硬い衝撃。

 多分、床に叩きつけられたのだ。

 意識が遠く——ならなかった。

 あれ、死んでない。

 恐る恐る指を動かし、手を、腕を動かす。

 動く。

 脚も——起き上がれる。

 あれ、意外と——耐えられたのか?

 見ると、マグナとリィナも既に立ち上がり、戦闘態勢を取っていた。

『ベホマラー』

 片膝をついたまま、シェラが回復呪文で全員を癒す。

 マジか、立て直せちまった。

 実際にお目にかかるのは俺も初めてだが、いまバラモスが唱えてみせたイオナズンて、話に聞いた限りじゃ、もっと壊滅的な破壊力じゃなかったっけ。

 いや、確かにすげぇ衝撃だったけどさ。

 案外、いまの俺達なら、耐えられるくらいのモンなのか?

 別に、がっかりなんてしてませんけどね。

『ライデイン』

 バリッと空気の爆ぜる音がして、マグナの呪文がバラモスを襲う。

 雷撃で一瞬動きの止まった魔王の懐に、リィナが易々と入り込む。

「せぇの」

 ここ最近試していたという、やや窮屈そうな戦い方ではなく、十分に溜めを作った右拳による会心の一撃を、リィナは魔王の土手っ腹に叩き込んだ。

 体内から空気を無理やり吐き出さされたような咆哮を、バラモスがあげる。

「なんだ、大したことなさそうね。魔王って、この程度なの?」

 腰の剣を抜きながら、マグナが肩透かしをくらった口調で呟いた。

『バイキルト』

 マグナに呪文を唱えて、念の為に付け加える。

「油断するなよ」

「分かってる。これで最後なんだから、さっさと終わらせるわよ」

 一旦、バラモスから距離を置いたリィナと入れ替わるように、マグナが剣を両手で握って殺到する。

 いまさら慢心はないと思うが、ホントに分かってんのかね。

 だが、戦い始めてしばし。

 俺の心配をよそに、戦闘そのものは、やはり順調に進むのだった。

 確かに、強い。

 一個体としては、これまで俺達が戦った魔物の中でも最強だろう。

 大きさこそヤマタノオロチや大海妖クラーケンに及ばないものの、サマンオサで王様に化けていたトロル種を含め、そのどれよりも強力だ。

 最強の攻撃呪文であるイオナズンを操り、口から吐くは地獄の業火。その上、単体火力最強のメラゾーマまで唱えやがるのだ。

 シェラがフバーハで耐性を上げてくれていなければ、俺が命を落としかねない場面も何度かあった。

 鋭く巨大な鉤爪を備えた三指は大理石の床を容易くえぐり、鱗に覆われたトカゲのような皮膚は、自らに振るわれた剣や拳を軽々と弾き返す——筈だったのだろう。

 それが、凡百の剣士や武闘家のものであったなら。

『ルカニ』

 そして、彼女らを補佐をするのが、凡百の僧侶であったのなら。

「ハアァッ!!」

 恐るべき魔爪を掻い潜り、俺の呪文で倍化された膂力で振るわれたマグナの剣が、シェラの呪文で弱体化したバラモスの脇腹を斬り裂いた。

 体全部を使って剣を振り回す様は、まるで暴風だ。

 すげぇ威力だな。

 いまのマグナの剣ならば、そこらの魔物は一撃で木っ端微塵になるに違いない。

「リィナ! あんた、出し惜しみしてんじゃないわよ! 最後なんだから、全部出し切りなさい!!」

 マグナの指摘に、リィナは唇を尖らせる。

「分かってるよ」

 不服そうなのは、最近会得しようとしている戦い方ではなく、以前の戦い方を強制されたように感じたからだろう。

 前線をマグナに任せ、少し離れた場所で、リィナは少し目を閉じた。

『等級制限時限開放』

 幽霊船でのロンとの勝負で使った身体操作法を開放する。

 ただし、あの時よりも、更に強烈だった。

 一瞬で、再び魔王の懐に入り込む。

「ふん」

 また、土手っ腹に一撃。

 苦悶の咆哮に遅れて、反射的に振るわれた魔王の右腕を蹴って跳び上がる。

 バラモスの胸の辺りを蹴ってさらに上にあがり、嘴を避けてくるっと空中で一回転すると、人間でいう眉間辺りに踵を叩き込んだ。

「ほい、行ったよ」

 そのまま、縦にもう一回転して後頭部を蹴り飛ばす。

「はい、いらっしゃい」

 頭を垂れる魔物の王の喉元を、我らが女王陛下は躊躇なく斬り上げた。

 なんか、斬撃の軌跡が光ってみえた気がするけど、ラーミアヘンなモノを取り込んだ影響じゃねぇだろうな。

 ちなみに、俺はここまで、あんまりなんにもしていない。

 だって、仕方ねぇだろうが。

 魔法耐性が異常に高いのか、マヒャドが多少効くくらいで、攻撃魔法がほとんど通じねぇんだよ。

 だが、魔王さるもの、流石にこれで終わりという訳にはいかなかった。

『メダパニ』

 ちょっと待て、混乱魔法まで使えんのかよ。

 狙いは——最悪だ。

「うぅ……」

 床の一部は溶岩で溶け落ち、火の粉が舞い散る地獄のような環境でなお、美しさを失わない金髪の頭を抱えて、シェラが呻き声をあげた。

 どうにか正気を保とうと、抵抗しているのだ。

 咄嗟に両腕ごと後ろから抱き締めて拘束する。

「悪い! しばらくこっちの回復はアテにしないでくれ!」

 マグナとリィナに声を掛ける。

 あいつらは、自分でも回復呪文を唱えられるから、しばらくは僧侶の支援無しでもなんとかしてくれるだろう。

「分かった、シェラは任せたわよ!」

「ヴァイスくん、どさくさに紛れてヘンなことしちゃ駄目だよ?」

 うるせぇよ、リィナ。余裕あるな、お前。

「い……や……です……離して……」

 シェラはぶつぶつと何事かを呟く。

 抵抗虚しく、正気を失いつつあるのか。

 俺の腕から逃れようと、力の限り身を捩らせる。

「シェラ、大丈夫か? まだ意識はあるか?」

 無意味なことを尋ねながら、俺も逃すまいとさらに両腕に力を篭める。

 さすがにシェラの腕力なら、俺でも抑え込めんだ。

 しかし、ホントに細っけぇな、こいつは。

 もうちょい飯の量を増やして、肉を付けさせた方がいいかね。

「いや……怖い……離して……やめてください……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 啜り上げる涙声にギョッとして、思わず腕の力を抜きかけた。

 まるで、出会った頃のような、心許なげでか細い声。

 脳裏を流れる様々な記憶や感情の奔流に、一瞬、いまの状況を忘れかける。

『バギマ』

 呪文が生み出す突風に吹き飛ばされた俺は、強制的にシェラから引き剥がされた。

 痛って、くそ、あちこち切ってやがる。

 俺は、自分で回復できないってのに。

 シェラがまだバギクロスを覚えていなかったのが、せめてもの救いだな。

 くそ、痛ぇな。

 顔を上げると、シェラはぎゅっと膝を抱えて蹲っていた。

 僅かに残った正気の部分で、自分を抑え込んでいるのだろうか。

 今は、下手に刺激しない方がいいか?

 フクロから取り出した薬草を齧りながら、マグナ達の様子を窺おうとそちらに目を向ける——

『イオナズン』

 うおっ、またかよ!?

 閃光と爆発がホールを満たし、またしても吹き飛ばされた俺は、慌ててシェラを目で探す。

 倒れた拍子に床で頭を打ったのか、シェラはぐったりと力なく横たわっていた。

『ベホイミ』

『ベホイミ』

 ほぼ同時に、マグナとリィナが回復呪文を自分に唱えたのが聞こえた。

 だが、マズいな。

 このままだと、シェラが正気に戻らない限りジリ貧だ。

 新しい薬草をみながら、意を決して床に倒れているシェラに走り寄る。

「シェラ、大丈夫か? 起きられるか?」

 触れるくらいの軽さで、シェラの頬を何度かはたく。

「う……」

 瞼が薄く開き、覆いかぶさるように覗き込んでいた俺を認めた瞬間、シェラの表情が恐怖に塗り潰された。

「いやあぁっ!!」

 逃れようと暴れる手足を、上から抱き止める。

「落ち着け。大丈夫。何もしねぇから」

 これって何かしようとするヤツの台詞だよな、とか内心で自嘲しながら、暴れるシェラを全身で押さえつけて、耳元で声を掛ける。

 さっきのイオナズンで、一度、気絶したのが良かったんだろう。

 メダパニの効果自体は、解けているように思えた。

「どうだ、いまの状況を思い出せるか?」

 正気に戻すにしても、もうちょい手順を踏んでやりたいが、さすがにそこまでの余裕は無い。

 強張っていたシェラの体から、徐々に力が抜けていくのが分かった。

「……ごめんなさい。もう大丈夫です」

 案外しっかりした声が、体の下から耳に届く。

 はぁっ、という小さい吐息に続いて、シェラは下から俺の胸を軽く押し返した。

「それより、魔王は——?」

「ああ、意識取り戻してすぐで悪ぃけど、まだ戦闘中なんだわ。回復を頼むよ」

 俺が脇に身をけると、シェラはすぐに立ち上がって呪文を唱える。

『ベホマラー』

 最初ハナからマグナは、シェラが復帰することを疑ってすらいなかったのだろう、こちらを見もしなかった。

 リィナは一瞬こちらを振り返って、軽く手を上げる。

『スクルト』

 俺も全員に防御呪文を掛けつつ、改めて魔王の様子を観察する。

 最初の方でマグナが斬り付けた傷口が、ほとんど塞がりかけてないか?

 もしかしなくても、超再生能力持ちか。

 厄介だな。腐っても魔王ってところか。

「あの、さっきは本当にすみませんでした」

 呪文を唱えちまうと、俺とシェラはしばらく戦闘を見守ることしか出来ない。ヘタに手を出しても、却って邪魔になっちまうしな。

 その合間の時間に、シェラが重ねて謝ってきた。

「いや、『メダパニ』喰らっちゃ仕方ねぇよ。どうしても謝りたきゃ、後でみんなにな」

「……はい」

 シェラも、状況は分かっている。それ以上、無駄に言葉は重ねなかった。

「こう回復されちゃ、ラチ空かないわね……リィナ! もう一回、頭を下げさせて!」

「……簡単に言ってくれるよ」

 横殴りの魔爪から、後ろにとんぼを切って身を躱したリィナは、すぐに床を蹴ってバラモスの脇を抜けて背後に回る。

 それを追い払おうと振り回された腕とは逆の腕から、バラモスの鮮血が迸った。

「いいからあんたは、こっち見てなさい」

 マグナが、斬り上げたのだ。

 不協和音じみた絶叫がホールに響く。

 人間が理解できるような感情が、魔王にあるのか分からないが、明らかに苛立っているように見えた。

「よっ、ほっ、よっと」

 なんとリィナは、バラモスの背後のを駆け上がっていた。

 遥か頭上の天井に達すると、それを蹴って急降下する。

「だああぁぁっ!!」

 くるっと空中で反転したリィナの両足が、魔王の後頭部に突き刺さった。

 堪らず、バラモスの上体が前に屈む。

「ハァッ!!」

 ちょうど炎を吐き出そうと開かれていたバラモスの口腔に、マグナの剣が突き込まれた。

 それだけで終わらない。

『ライデイン』

 紫電が剣を伝うようにして、バラモスを内側から焼いていた。

 肉の焦げる臭いが、辺りに立ち篭める。

「うわ、えっぐ」

 床に降り立ちながら、リィナがわざとらしく引いた顔つきをした。

「フンッ!」

 弧を描いて頬を斬り裂いた勇者のつるぎ平伏ひれふすように、魔王は重低音を響かせて床に崩れ落ちた。

 え?

 あれ、普通に勝っちまうぞ、これ。

 奇妙なことに——

 さっきから繰り返し浮かんでいる、そんな思いを、俺は持て余していた。

 だって、さ。

 こんなモンか?

 こんなにあっさり斃せていいんだっけ?

 世界中を恐怖と混乱に陥れていた元凶が、この程度なのかよ?

 いくら軍隊で攻め込むのが困難だったって言っても、この程度の現象に世界がこうも翻弄されるモンか?

 いや、人の世を修羅場たらしめていたのは、どちらかと言えば世界に蔓延る魔物共の方か。魔王自身が世界中に出向いてこまめに暴れ回ってた訳じゃねぇもんな。

 つか、ひょっとして、為政者達にとっては——違う。そこは、いまはどうでもいい。

 そうだ——この程度の魔物を、ニックやギア、そしてにやけ面にマーサを加えたパーティが斃せなかった筈がないのだ。

 正直、これならニックとの戦闘の方が、よっぽど絶望的だった。

 なにより、どんなにか細い可能性であれ、自分が勝つ未来を選び取ることが出来るのが売り文句じゃなかったのかよ、この魔王は。

 なんか、普通に負けそうになってますけど。

 これじゃ、魔王との最終決戦というよりは、普段の魔物退治の延長みたいだ。

「ヴァイス!!」

 知らない内に、口に手を当てて物思いに耽る悪癖が再発していたのか。

 鋭い呼び掛けに、反応が少し遅れた。

『バシルーラ』

 床に伏したまま瀕死の魔王が唱えたのは、俺の知らない呪文だった。

 だが、感覚自体は、よく知っている。

 これは、ルーラと同じ転移魔法——強制転移!?

 だが、普段と違って、転移の感覚は一瞬で終わらなかった。

 そんな筈はないんだが、まるで何かに引っ張られたような感覚——

『何をやっているんですか、貴方は。仕方ありませんね、全く』

 実際の言葉ではなく、圧縮された嘆息が頭の中で聞こえた気がした。

 瞬間的に、平衡感覚を失う。

 よろけた俺の足が踏んだのは——ここは、どこだ?

 強烈な既視感——というより、ついさっき見たばっかりの光景だ。

 今し方まで魔王と戦っていたホールは、何故か地下に造られており、その上には人口の池が造成されていたことを思い出す。

 そのほとりだ。

 地下から地上に跳ばされただけか?

 とにかく、早く戻らねぇと。

 池の中央にある浮島に向かって架けられている細い橋を渡って、地下への階段へと急ぐ。

 長い階段に足を踏み入れた辺りから、もう聞こえていた。

「あああぁぁああぁぁあっ!!」

 獣じみたわめき声。

 慌てて階段を駆け下りる。

 両手で握った剣を半狂乱で振るい、魔王の屍体を斬りつけ続けるマグナの後ろ姿が、そこにはあった。

 魔王から流れ出た体液で足を滑らせて床に尻もちをついたマグナの手から、剣がすっぽ抜けてあらぬ方へ滑る。

「ハアッ——ハァッ——ハァッ——」

 ほとんど無呼吸で剣を振り続けていたのか、息が異常に荒い。

「——ハァッ……んで……」

 激しく上下していた胸郭が、徐々に大人しくなる。

「なんで……こうなるのよ……」

 力なく床に座り込んだまま、マグナは呻き声を漏らした。

「なんなのよ……あたし、もう何も無いでしょ? なんで、まだ取ろうとするのよ……」

 物凄い量の想いが詰め込まれたような声音に気圧されて、なんと声を掛けて良いのか分からずに、階段を下りたところで思わず動きを止めちまった。

 先に俺に気付いたシェラとリィナの二人と、お互いに気まずそうな顔を見合わせる。

 だが、次にマグナから聞こえたのは、嗚咽ではなかった。

「……こうしちゃいらんないわ。まだ死んだって決まった訳じゃないんだから、探しにいかないと——」

 床に手をついて立ち上がり、こちらを振り向く。

 そして、間抜けな顔で立ち尽くす俺と目が合った。

「……よう」

 マグナが何も喋らないので、沈黙に耐えきれず、どうでもいい挨拶が俺の口から漏れた。

 やがて、マグナは怒ってるんだか、喜んでるんだか、ほっとしてるんだか、なんだかよく分からない顔をした。

「……あんた、いつからそこに居たの?」

「えっと……いま?」

「……なんで、すぐ声掛けないのよ」

「えっと……怖かったから?」

「はぁっ!?」

 いや、だから、怖い怖い。

 俺を睨みつけていたマグナは、やがて膝に手をついて肺の中の空気を全て絞り出すようなため息を吐いた。

「とにかく、無事で良かったわ……これで、魔王を斃したってことでいいのよね?」

 何気なしに発されたマグナの問い掛けに、俺達三人は再び顔を見合わせる。

 深く考える前にとりあえず首肯しかけて、はたと気にかかる。

 当の魔王は、たった今、マグナ自身が挽肉にして見せたのだ。

 斃したかどうかなんて、見れば分かる。

 そんな分かり切ったことを、わざわざ確認するか?

 だから、マグナがいま口にしたのは、そんな単純な意味じゃなくて————

 さっきの取り乱しようから察するに、多分、ネクロゴンドの洞窟で次々と周りの人間が命を落としていった体験が、恐れていた以上にマグナの負担になっていたのだろう。

 自分をそんな地獄みたいな境遇に追い込んでいた元凶である魔王を斃したことで、自分を縛り付けていた全てから開放されたのかとかなんとか、そういう——いや、待て。

 俺じゃねぇんだから。

 そこまで深い意図で聞いてねぇだろ。

 また、勝手に考え過ぎんな。

「ヴァイスくん」

 小声で俺を呼び、さっさと何か答えろと身振りで促すリィナ。

 分かってるよ。

 まぁ、ただの事実確認だよな。

「ああ。斃したって事で、いいと思うぜ——」

「ええ、そう言って差し支えありませんよ」

 俺の言葉に被せるように、声は上から降ってきた。

 さっき、俺が下りてきた階段から姿を現したのは、もはや見慣れた白いローブ姿——ダーマの伝説的な賢者アルシェこと、にやけ面だった。

4.

 こいつ、マジでどこにでも出没しやがるな。

「お見事でした。まずは、魔王討伐のお祝いとお礼を述べさせてください」

 とかなんとか言いながら、のんびりとした雑な拍手をしつつ、こちらに歩み寄るにやけ面。

 いや、なんでお前が礼を言うんだよ。

 ていうか——

「なんだよ。あんたも、ここに来られたのかよ」

 だったら、あんたらが魔王を斃せば良かったじゃねぇかよ。

 そこまでは口にしなかったが、俺の不満げ丸出しの表情で察したようだ。

「少々、誤解があるようですね」

 足を早めるでなく、散歩でもしてるかのようにゆっくりと歩いてくるのが、また苛つかせる。

「私がこの場に来ることが出来たのは、マグナさんが封印を破って道を開いてくれたお陰ですよ」

 続けて、にやけ面は聞き捨てならないことをほざく。

「と言いますか、私はいちおう、魔王を此の場に封じていた側ですからね。その私が率先して封印を破ってしまっては、なにが何やら意味が分からないでしょう」

「はぁ?」

 いや、お前の言ってることの方が、訳が分からないんだが。

「残念ながら、私達では、あの魔王を滅することが適わなかったのです。ですから、せめて此の地に封じることにしたのですよ」

 俺の問いに先回りして答えるにやけ面。

 こいつのほざいていることを、鵜呑みにするつもりは毛頭ないが。

 その言葉が正しいってんなら、これまで七面倒臭い回り道だの儀式ごっこだのをさんざんやらされたのも、全部お前の所為だったって言ってんだよな?

「もちろん、私が一人で封じた訳ではありませんよ。ただ単に、封じる側に居たというだけの話です」

 俺が疑念を口にする前に答えやがる。

 相変わらず、嫌なヤツだ。

 このまま主導権を握らせて、コイツの都合の良いように喋らせるのはマズいな。

「なんの為に?」

 先回りを回避しようとする余り、頭に浮かんだ言葉が先走ってそのまま口から出ちまった。

 元からにやけた面が、さらにニッコリと笑みに塗り潰される。

「嫌だな、魔王による被害を抑える為に決まっているじゃないですか。それ以外に、何があるって言うんですか?」

 そりゃ、封印した理由はそうだろうさ。

 そんな通り一遍な答えが聞きたかった訳じゃねぇよ。

「じゃあ、どうやって封じてたんだ?」

「それをきちんと説明するには、少々時間が掛かりますね」

 ここで、ウチの女王様が割って入った。

「ちょっと待ちなさい。なんか話がズレてるのよ。ヴァイスがホントに聞きたいのは、そんなことじゃないんでしょ?」

 マグナに問い掛けられて、俺はどう答えたものかと言葉に詰まる。

 これまで手に入れた様々な情報が、頭の中で目詰まりしていて、いますぐ上手く言語化できる気がしなかった。

 答えられない俺に、マグナがため息を吐く。

「しっかりしなさいよ、あんた」

 ごめんなさい。

 こんな時くらいしか役に立たない癖にな。

「なんか、色々おかしいのよ。だって、あんた達じゃ斃せなかったって言ったけど、そんな訳ないわよね? あたし達ですら斃せたんだから、あのニックってのが一人いれば楽勝でしょ?」

「ボクだって、別に斃そうと思えば一人で斃せたけど」

 リィナがスネた声を出したが、とりあえず今は置いておく。

 俺もマグナに全く同感だ。

 確かに単体の強さで言えば、俺達が相手をした魔物の中では最強だろうが、にやけ面達に斃せなかったとは、どうしても思えない。

「仰る通りですが、より正確に言い直すならば、私達が斃しても、斃したことになっていなかったのですよ。何度斃しても、いつの間にか復活してしまっていたのです」

「はぁ? なによ、それ。なら、今回も同じかも知れないじゃない」

 鋭い切り返しをするマグナ。

 考える前に物事の本質を突くのが得意だからな、ウチの女王様は。

 にやけ面は、よく気付きました、とでも云うように、鷹揚に頷く。

 だから、お前は俺達の教師センセイかよ。

「貴女がそのように心配するのは尤もです。そこは、きちんと確認する必要がありますね。ですが、恐らくもう復活はしないでしょう」

「なんで、そう言えるのよ?」

「それを説明するには、あなた方に魔物に関する前提知識が足りなさすぎますね」

「いいから、話しなさいよ。適当に誤魔化そうとしても、そうはいかないわよ」

 鋭い眼差しで睨みつけられて、にやけ面はにやけた顔で苦笑した。

「いいえ、そんなつもりは毛頭ありませんよ。むしろ、事ここに至っては全てを聞いて欲しいからこそ、こうして参上した次第ですが……こんな場所で長々と立ち話でもないでしょう。後ほど場を設けますから、一先ずこちらからの連絡をお待ちいただけますか。ということをお伝えする為に、私はいま此の場所に赴いたのです」

 マグナは、俺達を振り返った。

 そうだな。流石に、いまは皆疲れてるし、頭もうまく働かない。日を改めてもらえるってんなら、そっちの方がいいかもな。

 俺達は、マグナに頷いてみせる。

「……なら、連絡は直接あたしにしてくれる?」

 マグナは、少し爪を噛んでから、そう言った。

「元より、そのつもりです」

 全て弁えている、とでも云うように、にやけた顔がゆっくりと上下する。

「その場には、もちろん俺達も居合わせるからな」

「ご随意に」

 なんだ、こいつ。お前なんか居てもいなくても何も変わらないから、どうでもいいみたいな目つきしやがって。

 いやいや、落ち着け。

 思い込みでいちいち腹を立ててちゃ仕方ねぇよ。

 ムカついて感情を乱すことこそ、こいつの思う壺だからな。

「マグナさんは、しばらく諸国行脚でお忙しくなるでしょうから、その間に此方こちらも準備を済ませておきましょう。魔王討伐の報がもたらす熱狂が落ち着いた頃合いに、改めてご連絡差し上げますよ。では、それまで、ご機嫌よう」

 いつものように、言いたいことだけ伝えると、にやけ面はすぅとその姿を消した。

 わざわざこんなところまで、あれだけを言いに来たのかよ。

 全く、ご苦労なこったな。

 しばらく無言が続いた末に、リィナが困惑混じりに口を開く。

「えーと……さっきのマグナじゃないけどさ、これで、いちおう終わったんだよね?」

 その声に実感が篭っていないのは、今し方斃したばかりの魔王という存在に、俺と同じくどこか物足りなさを感じていたからかも知れない。

 だから、俺はあえて断言する。

「ああ。これで、終わりだ。全部な」

 何が終わったのだろう。

 きっと、何も終わっちゃいない——どころか、面倒事がはじまる予感しかしねぇ。

 魔王討伐なんて偉業を成し遂げちまったマグナに普通の生活を送らせるのは、そりゃさぞかし骨が折れるだろうよ。

 ある意味で分かり易かった魔物との戦いよりも、人間ニンゲン相手の化かし合いの方が、余程気が重い。

 だが、そういう面倒臭い話は明日以降に回して、いまは全部終わったことにしとこうぜ。

「そうですよね! 私達、魔王を斃したんですよね!」

 シェラが明るい口調で、そう言ってみせた。

 まるで、自分に言い聞かせてるみたいだ。

「……そうね」

 最後にぽつりと呟かれたマグナの返事は、らしくもなく歯切れが悪かった。

5.

 それから数日は、慌ただしい日々が続いた。

 義理立ての意味もあり、マグナが最初に魔王討伐を報告したのは、アリアハンの王様だった——実は、ロランにはお忍びで先に伝えていたことは秘密だ。公式には、という意味でだ。

 その日はそのまま晩餐会やらなにやらで拘束され、ちゃんとした祝勝会の準備には流石に数日かかるという話で、その間に俺達は、ロマリアをはじめとする勇者を支援してくれた各国を挨拶回りに巡った。

 イシスの女王様には久し振りにお目にかかったけど、記憶よりもさらに美人だった。眼福だ。

 各国とも、マグナをそれとなく取り込もうと働き掛けてきたが、今はまだそれ程あからさまではない。今後発生するであろう政治的な面倒事は、全てロランに丸投げするとしよう。その為に、非公式に最初に伝えに行ったんだから、せいぜい頑張ってくれよ。

 挨拶回りを一通り済ませて、アリアハンでの盛大な祝勝会を明日に控えた或る日の夕暮れ時、俺達はもはや拠点のように使っているロマリアの宿屋で過ごしていた。

 ロランのお膝元じゃなけりゃ、ロマリアの王都に家を買っちまってもいいんだけどな。

 マグナが落ち着いて暮らす為には、果たしてどこに住むのが一番いいのかね。

 いっそのこと、情報があんまり伝わらない田舎に引っ込んじまった方がいいと思うんだが。

 だけど、本人が都会の方が好きなんだよなぁ。

 当のマグナ達と宿屋の一階で晩飯の卓を囲みながら、とりとめもない事を考える。

 久し振りに予定の無かった今日は、シェラと買い物巡りをしたのか、また見たことのない服をマグナは身に着けていた。

 美容室にも足を運んだと思しく、冒険していた頃とは比べ物にならないくらい小ざっぱりしてやがるな。

 出逢った頃のあどけなさが抜けつつあるマグナは、まぁ、なんというか——なんでもない。

 挨拶回りの旅に辟易していたリィナは、今日は修練場で久し振りに体を動かせたお陰か、顔に生気が戻っていた。

 ルーラで各国を巡っている間は、事あるごとに「ねぇ、ボク、いる~?」とかボヤいてやがったからな。主力のお前は、要るに決まってんだろ。

 マグナのみならず、リィナはもちろん、俺達勇者様御一行パーティの面々には、今後様々な立場の人間が接触してくるであろうことは、容易に想像できた。

 いざとなれば、俺は陰険陰気魔法使いヴァイエルを盾にすればいいが、問題なのはシェラだ。

 お貴族様のご落胤という複雑な出自を持つシェラは、いかにも面倒事に巻き込まれそうだからな。気をつけてやろうと、マグナとは話している。

 なんというか、魔王を斃した後の方が心労が増えそうなことに、ため息のひとつもきたくなるね。

 俺達って、誰の、なんの為に魔王を斃したんだっけ。

 そんな詮無いことを考えたくもなっちまう。

「——先に戻っててくれる?」

 晩飯を食い終えて、いつも通りに俺が飲みに移行しようとした頃合いに、マグナがそんなことを言い出した。

「まだ戻らないんですか?」

 部屋に戻ろうと腰を上げかけていたシェラに、マグナは小さく頷いた。

「うん、ちょっと。すぐ行くから」

「え、じゃあボクも——」

 リィナの言葉が、途中で消える。

 見ると、シェラが軽くリィナの袖を引いていた。

 視線を向けるリィナに、僅かに首を横に振ってみせる。

「分かりました。じゃあ、私達は先に戻ってますね」

 何事も無かったようなしれっとした顔でそう言い置いて、シェラは席を離れる。

「……」

「ほら、戻りますよ」

 言いたいことを飲み込んだような仏頂面のリィナの肩を押して、階段の方に連れ去るシェラ。

 いつも気苦労をかけちまって済まねぇな、ホント。

「——あんまり飲みすぎないようにしなさいよ。明日は、朝早いんだから」

 酒の注文を終えた俺に、マグナは母親のような小言を口にした。

 同じくらい強い酒を頼んだお前に言われたくない訳だが。

「朝からずっと着付けだなんだって、パーティの前に疲れちゃいそう。ホント、今日だけでもお休みに出来て良かったわ」

「いや、ホントそれな」

 ここ数日、偉い人に会ってばっかりだったから、すげぇ気疲れしちまったよ。

「あんたは、まだ良いわよね。男の人って、準備にそんなに時間かかんないんでしょ?」

「まぁ、女よりはな」

 俺は単なる添え物だし、髪を撫でつけて、用意されたパリッとした衣装を着るくらいのモンだろう。

「こっちは湯浴みからのフルコースらしいわよ。なんか知らないけど、メイドさん達が物凄い張り切ってるみたいなのよ」

 魔王を斃した本物の勇者であるマグナの人気は、いまのところ天井知らずだ。

 それでも、ロマリアの城内はともかく城下町では顔を知っている人間は限られているので、町中では普通に過ごせているが、マグナの顔を見知った人間の多い生まれ故郷のアリアハンでは、そうはいかない。

 王城に務めるメイド達をはじめ、同性で偉業を成し遂げたマグナに、憧憬の視線を向ける女性は多いのだ。

 もちろん、中にはやっかむ人間もいたが、やっかむ気持ちを保ち続けるには、あまりにも偉業を成し遂げ過ぎていた。

 加えて、おおやけに見せる勇者然とした振る舞いと相まって、近頃は出るところに出れば王侯貴族を余裕で凌ぐ程の熱狂と歓声に迎えられるのが常だった。

 それもまた、要らぬ面倒事を引き寄せそうな点ではあるのだが。

「いちおう確認しておくけど、今回もシェラは体調不良で欠席ってことでいいんだよな?」

 俺が尋ねると、マグナは酒をひと口飲んでから答える。

「そういう事で、王城にもとりあえず話はつけておいたわ。まだ顔を覚えてる人がいてもおかしくないしね」

 マグナの悪巧みの所為で、シェラは一時、泥棒を働く為にメイドとしてアリアハンの王城に潜入したりしてたからな。

 結局、その悪巧みは失敗して、結果的には誰にも気取られてはいない筈だが、さらに切実な理由もある。

「それに、あの子、やっぱりメイドさん達に裸を見られるのは、どうしても抵抗あるみたいなのよ。あと、あの子の家のこともあるしね」

 この辺りの話は、既に本人を交えて一通り相談済みなので、あくまで確認だ。

「シェラの父親の家のことは、なんか分かったのか?」

 マグナはテーブルに置いた酒杯に、視線を落とした。

「ごめん、まだ聞けてないの。聞こうとしても、私のことなんていいですからって、話そうとしないのよ。ほんっと、頑固なんだから」

 お互いに、そう思っていそうではあるが。

「なんだったら、俺の方で調べてみようか」

 俺が尋ねると、マグナはしばらく視線を彷徨わせた末に、納得いかない顔つきで唇を尖らせた。

「ううん、やめとく。あの子にも、知られたくない理由があるんでしょ。それを無理やり暴くみたいなことは、したくないわ」

「そうだな」

 俺も、その方がいいと思うよ。

「つか、面倒臭ぇよな。俺達にとってシェラはシェラだし、下手に利用されなきゃ、ホントになんでもいいんだけどな」

 ここしばらく、各国を挨拶回りに巡って彼方此方あちこちで歓待を受けるにつれ、俺達が考えている以上に、自分達の成し遂げたことは大層な受け止められ方をしているのだという実感から逃れるのは難しかった。

 そこで改めて浮上したのが、シェラの実家に対する懸念だ。

 男爵だというシェラの実父が、良い人間であるなら問題は無い。

 だが、シェラが僅かに漏らした事情から推測しただけでも、とてもそうは思えなかった。

 シェラの父親が野心家またはロクデナシだった場合、シェラが勇者様御一行の一員であることを知られてしまったら、その立場を悪い方に利用される可能性は、どうしても拭い切れない。

 なにより、シェラ自身も身内には知られたくなさそうな様子だった。

 なので、少なくともアリアハンでは、シェラは公の場には出さないでおこうと決めてあったのだ。

 もちろん、こんな対処は一時しのぎに過ぎないので、近い内にシェラを交えて改めて話し合いをする必要があるだろう。

「ほんっと、斃したら斃したで面倒ばっかで、うんざりするわ。やっぱり魔王退治なんてするもんじゃないわね」

「まぁ、貰うもんだけもらって、うまいこと隠居できるように話を持ってこうぜ」

「……そうね」

 そこで話は、一旦途切れた。

 マグナは、手にした酒杯をちびちびと傾ける。

 ちなみに、リィナは無理矢理マグナに付き合わされて、明日の祝勝パーティには出席する予定だ。

 そのお陰で、数年振りにあいつのドレス姿を拝めそうだな。

「ねぇ」

 不意に、マグナが再び口を開いた。

「うん」

「あのさ」

「うん?」

 だから、なんだよ。

「子供って、どう思う?」

「……へ?」

 話が唐突過ぎて、頭が全くついていかなかった。

 今、なんて言った?

 子供?

 自分のか?

 え、どういう意味だ?

 思考が進まない。

 マグナの顔つきから、俺との間の子供って意味じゃないことだけは、流石に分かった。

「子供って、家の事情に縛られなきゃいけないのかな……」

 ああ、もしかして、さっきのシェラの話からの連想か?

 自分と同じく、複雑な出自に縛られているシェラの境遇には、マグナも思うところがあるのだろう。

 だが、それにしたって、話の脈略が無さすぎやしませんかね。

 俺は、マグナが何を言わんとしているのかよく分からないまま、とりあえず口を開く。

「そんなこと無いんじゃねぇの。俺だって、家の事情なんぞ丸ごと放り投げてるけど、別に普通に生きられてるしさ」

「あんたみたいに特殊な例を持ち出されてもね」

 いや、お前がそれを云うか。

「そんじゃ、例えばさ、俺がランシールにしばらく居たって話はしただろ——」

 苗字というものを持たず、いわゆる家という概念が希薄だったランシールの人々の在り方を伝える。

「へぇ、ヴァイスって、案外現地の人と触れ合ったりしてたのね。なんか、意外かも」

 触れ合ってたのは、俺じゃなくてエルフの姫君なので、意外でもなんでもないことは黙っておく。

「まぁ、土地柄とか状況にもよるんだろうけどさ。それでも、世界にそういう場所があるっていうだけで、別に何も決まった話じゃないって思えるだろ」

「けど、ランシールの人達だって、家のしがらみはあんまり無かったとしても、別のしがらみってあるんじゃないの」

「そりゃそうだろうな。けど、そんなこと言い出したら、人付き合いをする限り、しがらみなんて絶対について回るモンだぜ」

「それもそっか……」

 結局、何を気にしてるんだ、こいつは。

 言葉に発していない俺の問い掛けを察したのか、マグナは考え考え口を開く。

「なんかね。もしあたしに子供が出来たとしても、その子もこんな面倒臭いことに巻き込まれなきゃいけないのかなって。だったら、やっぱりそんなの、可哀想でしょ?」

「……なんで、子供が出来たら、なんて話になるんだ?」

 まさか、子供が出来かねないような行為を、誰かとしたんじゃねぇだろうな——そんな暇、無かった筈だが。

「え、だって……子供を残すことが、その人が生きた証っていうか、そうやって連綿と受け継いでいくのが、人としての正しい在り方だ、みたいなことを、みんな言うじゃない?」

 なにやらマグナは、らしくもないあやふやなことを言った。

 その思いが顔に出ちまったのか、マグナはスネた顔をする。

「なによ、その顔? 違くて、あたしが子孫を残さないなんてとんでもない! みたいに失礼なことを言ってくるヤツが、実際に結構居るんだから!! しかも、貴族らしい遠回しな言い方で厭味ったらしくね。こっちが分かんないとでも思ってんのかしら、アレ」

 正直なところ、俺にもそいつらの気持ちは分からないではない。

 マグナが子を成さなかったとしたら、それは世界にとっての損失だって、俺もちょっと思っちまうからな。

 だが、もちろんマグナが、そんな戯言に付き合う必要は無い。

「子供は苦手だし、怖くて産めないんじゃなかったか?」

「え?」

「だったら、無理して作ることないだろ」

「……うん、そうだけど」

 ほっとしているようにも見えるが、なにやら微妙に不満げな顔つきだな。

「でも……そしたら、あたしって、なんにも残んないのかなって」

「いや、そんなことねぇだろ」

 反射的に即答した続きを、後から考える。

「もう十分、歴史に爪痕を残してるよ。魔王を斃した勇者のことは、それこそ百年後だって語り継がれるさ」

「……でも、それって、あたしが残る訳じゃないじゃない」

 ああ、そっか。

 そうね。

 勇者が歴史に残ったって、意味ねぇのか。

 どうやら俺も、最近の勇者然としていたマグナの印象に思考を引っ張られているらしい。

「ていうか、何かを残すのって、そんなに重要か?」

「え?」

「悪ぃけど、俺なんて、そんなこと考えた試しもなかったぜ」

 自分は世界に何も影響を及ぼさないってのが、ガキの時分からの持論だからな。

 それを根底にして、ついつい物事を考えちまうんだ。

「そりゃ、一般論で言えば、代々子孫を残して受け継いでいくってのは、大事なことなんだろうなとは思うよ。じゃねぇと、人間ニンゲンが滅んじまうしさ。けど、それを人類への貢献だって言うなら、それ以上の貢献を、もうとっくに人間ニンゲンにはしてやっただろ。なんせ、お前は魔王を斃したんだぜ? だから、そこに引け目を感じる必要は無いんじゃねぇかな」

「別に、引け目を感じてる訳じゃないけど……だって、子供を産むのって、ホントに大変なんだから。あたしのしたことが、それ以上に価値があるなんて、正直あんまり思えないわ。そもそも、比べるものでもないけどね」

 なんだか妙に実感が篭ってるな。

 誰かの出産に立ち会った経験でもあるのかね。

 けど、引け目に感じてないなら、どうしてこんな事を言い出したんだ?

『あたしの事、憶えててよね』

 レイアムランドへ向かう前に、マグナがトビに呟いた言葉が、また脳裏に甦る。

 あの頃から、妙に感傷的になってないか、こいつ?

「ヴァイスは、子供は要らないの?」

「へ?」

 唐突に、マグナがとんでもないことを尋ねてきた。

 なんつーことを聞くんだ、お前は。

「ああ、うん……それも、考えたことなかったな」

「あんたって、自分の将来のこと、なんにも考えないで生きてんのね」

 なんだと、こいつ。

 おう、そうだよ。自分のことは、なんも考えてねぇよ。悪かったな。

「俺が人の親になるとか……ちょっとな。想像できないっていうか、子供が気の毒だろ」

「つまり、あんたは恋人としても、人の親としても、自分をお薦めできない人間って訳ね」

 え、なに?

 なんか、急に機嫌が悪くなるじゃん。

「その理由は、マグナにだって分かってるだろ?」

 マグナにこそ、さ。

「……そうね」

 ますます不機嫌になりやがる。

「ホントに、身に沁みて良く分からされたわ。お陰様でね。あんたみたいに情けない泣き言しか言わないヤツなんか、確かにお薦めできないわね」

「だろ?」

 俺がヘラヘラした自嘲で返したのが良くなかったのか。

「あんた——!!」

 マグナが椅子を引いて立ち上がりかけた。

 だが、結局表情を消して腰を下ろし、乱暴に頬杖をつく。

「偶には、もっと自信ありそうなことを言ってみせたらどうなのよ」

「いや、だって、ねぇからな。自信」

 そんなこと、こいつにだって分かってる筈だが。

「はぁ?」

 だが、マグナはさらに怖い目つきで睨んでくるのだった。

「あんた、まだそんなこと言ってんの? 自分がいま、どれだけ目立ってるか分かってないの? あんたは、世界を救った勇者様御一行の主要メンバーなのよ?」

 マグナは皮肉らしく吐き捨てた。

「それだけじゃなくて、本物の魔法使いとも繋がりがあって、魔法にも精通してる上に、サマンオサの暴動を抑えたことだって、偉い人達はみんな知ってるわ。自分の国に迎え入れたいって、こっそり頼まれることだってしょっちゅうなんだから。あんたが自信を持てなきゃ、他に誰が持てるのよってレベルで、あんたはいま周りから評価されてるのよ」

 えー、そうかぁ?

「とてもそんな風には思えないんだが。実際、誰からも誘われたことねぇしよ」

「バカね。そんなの、ロランが牽制してるからに決まってるでしょ」

 はい?

「それに、魔王を斃すまでは、っていう言い訳も、もう使えないしね。これからは、どこも本腰入れてあんたを取り合いにくるわよ。モテモテで良かったわね」

 薄ら笑いを浮かべるマグナ。

「いや、なんも良くねぇが」

 国に仕えるとか、そんな面倒臭いことしたくねぇよ。

 俺は、ネクロゴンドの洞窟での、ロマリア騎士のルキウスとアリアハン騎士のジェームスのやり取りを思い出す。

 あいつらに全く共感できない俺に、宮仕えは無理だろ。

「それに、誰に評価されても、マグナから評価されなきゃ意味ねぇしさ」

 素知らぬ顔を作りつつ、割りと思い切って言ってみた訳ですが。

「あ、そ」

 マグナは、舌打ちしそうな顔で、短く返しただけだった。

 すごい機嫌悪いじゃん。

「やっぱ、止めた」

 マグナは唐突にそう言って立ち上がった。

「なにが?」

 尋ねる俺の顔を、しかめっ面で見下ろしてくる。

「あんたみたいに情けないことしか言わないヤツには、言いたくない」

 なんだよ、また急に。

「そんな風に言われると、気になるだろ。もう情けないこと言わねぇように気を付けるから、話してくれよ」

「うるさい、嘘吐うそつき」

 うぐっ。

 さすがだぜ。的確に傷口を抉ってきやがる。

「……俺は嘘吐きでもなんでもいいから、頼むから、なんか気になってんなら話してくれよ」

「やだ。絶ぇっ対話さない。一生話してやんない」

 子供かよ。

「分かったよ。じゃあ、その内、気が変わったら——」

「変わんない。絶対に。金輪際、一生あたしの気は変わらないわ」

「そんなこと言うなよ——」

「もういいでしょ、しつこい」

 取り付く島もねぇな。

 今度こそ椅子を引いて踵を返したマグナは、立ち去りながら捨て台詞を残す。

「じゃあね。お休み」

 完全にヘソを曲げちまったよ。

 シェラとリィナの顔が、脳裏に浮かぶ。

 すまねぇな。

 マグナがまた、一人でなんか妙なことを考えてるのは分かってるんだけどさ。

 うまく聞き出せなかったよ。

 仕方ねぇ。

 時間を掛けて、じっくり聞き出すとしますかね。

 急いでマグナの気掛かりを解消しなきゃいけない理由も無くなったしな。

 魔王はもう、いないのだから。

6.

 結論だけ言うと、魔王討伐の祝勝パーティは中止になった。

 そして、マグナは俺達の前から姿を消した。

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