58. 1,000,000 MONSTERS ATTACK

1.

「……ぅ……」

 消え入りそうな呻き声だけを残して、なんの脈絡もなく——直接攻撃を受けた訳でもなく、さりとて毒霧のような特殊攻撃を喰らった訳でもないのに、イシス軍の兵士のひとりが洞窟の床にくずおれた。

 つい今のいままで、確かに力強く躍動していた生命に、唐突な終わりをもたらした昏い翳は、ランプの灯りが届かぬ闇の奥へと音もなく同化する。

 陽光の届かぬ深い洞窟の中、ひんやりとした冷気が首筋を撫でた気がした。

 真逆、いまのは話にだけは聞いたことのある——

 恐怖が、考えるよりも先に叫び声を喉から押し出す。

「気をつけろっ! 即死魔法だっ!!」

 口にしてから、我知らず苦笑が喉を鳴らした。

 気をつけろったって、何をどう気をつけりゃいいんだよ。

 なんたって、即死だぜ、即死——

 だが、このまま手をこまねいている訳にもいかない。

「シェラ! 次にあいつが姿を見せたら、すぐにマホトーンを唱えろ!! 他の呪文は、しばらく使わなくていい!」

 強張った顔で、小さく頷くシェラ。

 くそっ、マジでどうなってやがんだよ、この洞窟はよ。

 勇者マグナが手にしたガイアの剣によって切り開かれた絶壁を越え、魔王城があるとされる台地へと通じる巨大な洞窟に侵入してからというもの、遭遇する魔物の強さが、はっきり言って異常だった。

 いちおう俺も、世界のあちこちで魔物と戦ったことのある身だが、こんな凶悪な魔物の群れに連続して出くわした経験は初めてだ。

 六本の腕を生やした、文字通りに手数の多い骸骨は、隙間だらけの骨野郎の分際で、どういう理屈か焼け付くように熱い息まで吐きやがって、触れた兵士は絶叫をあげながら水膨れだらけになっていた。

 やたらと硬い甲羅を背負った亀みたいな魔物が、兵士達の剣どころか、俺の魔法まで跳ね返しやがった時には、我が目を疑った。

 さらに、突然変異体でこそないものの、サマンオサの国王に化けていたのと同種の、ダーマの連中ですら複数人で対処するのが当たり前という、かの強力なトロル種までもが、立て続けに襲いくる。

 そして、極め付きが、即死魔法を操る怪しい影だった。

 実体が在るのか無いのか、ふわふわと宙に浮かぶとりとめのない姿は、洞窟の暗がりと相俟あいまって認識することすら難しい。

 奇跡的に、ここまでは殆ど犠牲者を出さずに来られたが、この先もそれで済むとは、とても思えねぇよ。

「ほいっと——行ったよ!」

「フンッ!!」

 リィナが蹴り飛ばした、背中に悪魔の翼を生やした六本脚の奇妙な獅子の頭を、サムトのゴツい大剣が両断する。

 これで一先ず、残るはあの即死魔法を操る影のような魔物だけだ。

『マホトーン』

 そいつが現れるのを凝っと待ち受けていたシェラは、先手を打って魔法を発動することが出来ていた。

「ハァッ!!」

 飛び掛かったマグナの斬撃が、昏い翳を切り裂く。

 よかった、煙とか靄みたいな不確かなモンじゃなく、ちゃんと実体があったんだな。

 床についた剣で体を支え、はぁ、と安堵と不安が入り混じったような溜息を吐いたマグナは、振り返って一行に声をかける。

「いまの戦闘で、怪我した人はいる!?」

「我等は、そこまで酷い被害は被っておりません」

 そう応えたのは、ロマリア騎士のルキウスだった。

 無傷とまではいかないが、薬草で治せる程度の怪我をしているヤツしか、確かにロマリアの部隊には見当たらない。

「あ、ああ、こっちは、何人か」

「それより、ラヒム隊長が……」

 イシス兵達は、先刻の即死魔法で倒れた男の周りに集まって、沈痛な面持ちで視線を落としていた。

 兵士の一人が、口に寄せていた顔を上げ、頸動脈や手首に触れて、力無くかぶりを横に振る。

「診せてください。もしかしたら、まだ間に合うかも知れません」

 そう言って、倒れた兵士に歩み寄ったのはシェラだった。

 シェラが何をしようとしているのか、俺にはおおよそ予想がついていた。

「少しだけ、待ってください」

 ラヒムの横に膝をつき、体を前で両手の指を組み合わせて、精神を集中するように目を瞑る。

 まだマホトーンを唱えてから、それほど経ってないもんな。

 おそらく、自分の気持ちを落ち着ける時間でもあったんだと思う。

『ザオラル』

 やがて唱えられたシェラの呪文は、一見なんの効果も及ぼしていないかに思えた。

 失敗か——

 だが、遅れること、数瞬。

「——ぅう」

 即死魔法で床に伏していたラヒムが、微かな呻き声と共に身じろぎをした。

 息を吹き返したのだ。

「隊長!?」

「い、生き返った、のか?」

「き、奇蹟だ——」

 呆然と呟いた兵士の一人は、畏怖を含んだ目つきをシェラに向けた。

 シェラは疲れた顔で、それでも優しく微笑み返して、小声でひとりごちる。

「よかった。やっぱり、ザキには効くんだ

 はじめて見たぜ、蘇生魔法。

 実際の効果を目の当たりにして、ひとり密かに胸を撫で下ろす。

 だが、蘇生と云っても、なんでもかんでも無条件に生き返らせられる訳じゃないらしい。

 というか、厳密には生き返らせている訳ですらないそうなのだ。

2.

 例のアレヴァイエルは、いつだか即死呪文ザキ蘇生呪文ザオラルについて質問した俺に、景気の悪い陰気な笑みを向けたものだ。

「貴様は、即死呪文などという非人道的な魔法が、倫理的に許されると思っているのか?」

 いや、知らねぇけど。

「白々しいな。あんたらが倫理観なんてモンを持ち合わせてるとは、初耳だぜ」

 せいぜい嫌味を言ってやると、ヴァイエルはいつもの如く俺を小馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らした。

「では、問いを変えてやろう。蘇生呪文などという件の神の顔面に助走をつけて泥を投げ付けるが如き所業を、あの教会が許すとでも思っているのか?」

「そりゃ、許すんじゃないか? いつだかのあんたの言い草じゃねぇけど、僧侶を名乗る冒険者が、死んだ人間を目の前で生き返らせてみせりゃ、どんな不信心者だって、たちまちコロッと改心して敬虔な信徒になるだろうぜ」

「フン、ようやく貴様も、多少は彼奴等への理解が及んできたらしい。私の教育しつけの賜物だな。そう、人を生き返らせるような奇蹟の実践を、教会の阿呆共が許容する筈もない。ただし、それを行うのが例の神の使徒という建前であれば、話は別だ」

 苦虫を噛み潰したように、忌々しげに顔を顰める。

「自らの器を弁えん無能ほど、その身に過ぎたる願望を抱くものとはいえ、蘇生呪文などと云う代物は、本来やりすぎなのだよ。もちろん、その表裏たる即死呪文もな。彼奴等の赤子にも劣る大きさしかない手には余る」

 そして、急に無表情になって続ける。

「それに、他者の生死そのものを掌握するような呪文を、冒険者なぞというタワケた人種の手に委ねてみろ。社会秩序も何もあったものではあるまいよ」

 毎度思うが、本人は絶対にどうでもよいと思っている道徳やら倫理観めいた内容を、とってつけたように口にするのは、もしかして未だに人間社会の端っこに席を置いている俺を慮ってのことなのか?

 いや、コイツが俺なんかに、そんな気を遣わねぇか。

「だから、高レベルの僧侶にしか使えなくしてあるんだろ?」

 俺の相槌に、ヴァイエルはこの世の全てに疲れ切ったような、深い溜息を吐いた。

「貴様のその、深く物を考えずに喋る悪癖は、いい加減どうにかならんのか。その高レベルの僧侶とやらは、レベルが上がるごとに摩訶不思議な力により何故か性格が矯正されて、人格者に育つとでも謂うつもりかね?」

「いや、知らねぇけどさ。苦労した分、思慮深くなったりはするんじゃねぇの」

「ならんよ」

 俺の一般論を、ヴァイエルは一言のもとに切って捨てた。

「そもそも、貴様等の如き凡夫は、常に命を危険に晒すような修羅場に身を投じでもしない限り、高レベルの僧侶とやらには到達できん。そして、修羅場で求められるのは、慈愛溢れる人格者とは真逆の性質を持った技倆や経験だ。そんな輩に、他人の生殺与奪を委ねるなど、愚の骨頂だろう」

 いや、言ってることとやってることが、矛盾してるだろ。

「じゃあ、なんで即死だの蘇生だのの魔法が存在してんだよ」

「存在していないぞ」

「は?」

 陰気な魔法使いは、貧相な面を歪ませて、俺を小馬鹿にするようにニヤリと笑った。

「即死魔法等と云う代物は、はじめから存在していないと言っているのだ」

「いや、アンタがソレを言うのかよ。じゃあ、ザキってのは、一体なんなんだよ」

「フン、一から十まで説明されねば分からんのか、このタワケが」

 ふざけんな、分かるかよ。

 くそ、これは素直に教えてくれない時の台詞だな。このまま何も考えずに問い続けても、全て徒労に終わるヤツだ。

 ちっ、仕方ねぇな。

「唱えても、実際は発動しないって事か?」

「違う。そんな欠陥が放置されている筈があるまいよ」

「じゃあ、なんだよ。発動はするけど、即死はしない……ああ、ひょっとして、即死に見えるだけって事か?」

「……フン。ようやく少しは言葉が通じるようになってきたようだな」

 つまらなそうに憎まれ口を叩くヴァイエル。

「なんで、そんな面倒臭いことになってんだ?」

「いつもの如く、そのように要請されたからとしか云えんな。とはいえ、そもそも他者の可能性を潰えさせるが如き手妻を、貴様等の如き愚者の手に渡す愚行を、当然ながら我等は犯せなかった。だが、忌々しいことに、それでは納得せん脳無し共ほど声が大きいものでな」

 ルーラの場合と同じように、魔法使い共が難色を示しても、そういう呪文を作ってくれとゴリ押しする国やら組織があったって話か。

「で、あんたらは一計を案じて、死んだように見せかける呪文を用意したって訳か。声の大きい連中を納得させる為に、目の前でお披露目でもしてみせたのか?」

「少しばかり口が重たくなるように、臨死体験をさせてやっただけだ」

 思ったより、酷ぇことしてやがった。

「そいつらに同情するよ。けど、だからか。対になる蘇生呪文があるのは。元の状態に復帰できなきゃ意味ねぇもんな。放っておいたら、そのまま死んじまうだろうし」

 ヴァイエルは、応じる意義を見出せないという顔付きで、押し黙ったままだった。

 相槌くらい打てよ、ケチ臭ぇな。

「生き死にに関わるような御大層な呪文が、どっちも僧侶の領分だってトコロにも、教会の連中の涙ぐましい政治的な努力ってのを感じるね」

 即死魔法なんて、印象としては魔法使いの領分だろうによ。

「でもさ、即死じゃなくて仮死だとしてもよ、戦闘中にそんな状態になっちまったら、ほとんど死んだも同然じゃねぇか」

 そこんトコ、どうなんだよ。

 だが、ヴァイエルの返事は至って淡白だった。

「そこまで面倒見切れんよ。それに、貴様の口にした状況だけを切り取るならば、眠りの呪文と大差あるまい」

 ああ、まぁ——言われてみりゃ、それもそうか。

「後の文句は、貴様等の為政者達に謂ってやるのだな」

呪文どうぐに罪は無ぇってか?」

「いや、我々にとって、何らかの主義主張を通すほどの事柄でもないだけだ」

 心底どうでも良さそうに、ヴァイエルは吐き捨てた。

 即死や蘇生の呪文を望んだのは、あくまで教会だか為政者の連中で、責任を負うべきはそいつらだってなトコかね。

 その主張が世間一般に通じるかは、また別の話だと思うが。

3.

「——勇者殿。我らイシスの隊は、ここから別行動を取らせていただきたい」

 再び、ネクロゴンドの洞窟。

 隊長であるラヒムが、マグナにそう告げたのは、洞窟の先が枝分かれした分岐路に差し掛かった時だった。

 ジロリと怖い目をしてマグナが睨みつけても、表情から窺える決意は揺らがない。

「……理由は?」

 いかにも不機嫌なマグナの問い掛けに、ラヒムはきっぱりと返す。

「勘違いをしてもらっては困るが、我々は貴女の配下ではない。勝手に離脱せずに、こうして告げている事そのものが、我らなりの誠意と受け取っていただきたい」

 胡乱げなマグナの視線にも素知らぬ体で、ラヒムは続ける。

「それに、我等もまた、我が女王陛下の密命を受けて、この場に居るのだ。どうか、察していただきたい」

 ラヒムの言は、きっと嘘ではないのだろう。

 なにしろ、魔王との最終決戦は、もうすぐ間近だ。

 下世話な言い方をするならば、そこでより多くの功績を上げた勢力が、次に来たるべき魔物の排除されたニンゲン世界で強い発言力を有する事になる未来は、疑いようがなかった。

 だから、他国を出し抜こうとする連中がいる事自体は不思議じゃない。

 だが、ラヒムの提案は、きっとそれだけが理由じゃないだろう、という気がした。

 どちらかというと、勇者一行の足枷になりたくないという矜持がまさっているように見受けられる——俺は、つい先程の戦闘直後の事件を思い出す。

「——シェラ!?」

 最早、何度目かも分からない魔物の襲撃をどうにか退けて、ようやく一息ついた頃合いに、マグナの悲鳴が洞窟内に響いた。

 そちらを向くと、怪我を負ったイシス兵にホイミをかけていたシェラが、洞窟の石床に倒れていた。

 慌てて駆け寄ったマグナに抱き起こされたシェラは、鼻から血を流しながら蒼い顔で力無く微笑む。

「あ……すみません、大丈夫です。なんだか、ちょっとクラッとしただけですから」

「……どこが、大丈夫なのよ」

 まったくだ。

 ただでさえ、一行の補助と回復の大部分を担っているのに、即死魔法の犠牲者の蘇生まで行っているのだ。

 シェラにかかる負担が大き過ぎた。

 事前に気遣ってやれなかった自分に内心で苛立ちながら、足早にシェラに歩み寄り、俺はフクロから小さな装飾品——蒼い宝石の象嵌された指輪を取り出す。

「シェラ。指を出して」

「え?」

 困惑するシェラの隣りにひざまずいて手を取り、指輪をはめようとして、はたと気付く。

 これは、ひょっとして、周りの目には妙に意味深な行動に映ってしまうのではなかろうか。

 くそ、なんでよりにもよって指輪の形をしてやがるんだよ。

 つか、どの指に付けりゃいいんだ?

 薬指はマズいよな、やっぱり。

 とか、どうでもいいことを考えつつ、シェラの右手の人差し指にはめる。

「え——えっ?」

 ますます混乱するシェラ。

 眼球のみを動かして、一瞬だけ視線を上に向けると、シェラを抱えたままのマグナが「あんた、こんな時に何やってんのよ」とでも言わんばかりの、割りと引き気味の顔をしていた。

 いや、お前、違うからな。

 これは、そういうんじゃねぇから。

「え?……これ?」

「前に、姫さんにもらったんだ」

 意図せずぶっきらぼうに応じながら、シェラの右手を上下から両手で包み込むように握る。

「目を瞑って。力を抜いて。指輪から、魔力——元気が自分の体の中に広がっていく想像をしてくれ」

 今度は、不必要に優しい声音になり過ぎた。

 いや、だって、ぶっきらぼうな声を出しちまったからさ。

「呼吸を深く……ゆっくり……指輪から、何かが伝わるの、分かるか?」

「はい……あ、ホントだ——えっ、すごい楽になりました!?」

 思わず見開いた目で俺を見詰めるシェラ。

「え、なんですかこれ……姫さまに貰ったって?」

「うん、サマンオサでの別れ際にな」

 簡単に言や餞別にもらったんだが、実際の話はもう少し複雑だ。

 以前、マグナ達とジパングで別れた後に、半月ほどアリアハンのヴァイエルの館で、姫さんと一緒に世話になっていた——もとい、アレの世話をしてやってたことがあっただろ?

 その時に、俺に内緒でヴァイエルとアレコレやっていた姫さんが、里から持ってきた『祈りの指輪』というエルフの秘宝を直してもらったそうなのだ。

 いや、直したというと、語弊があるな。有り体に言って、改造したらしい。

 完全に効力を失っていた指輪に、呪文を唱えた時の負荷による脳みその疲労を回復する機能を持たせたという話だった。

 という説明を長々としている場合でもないので、適当に言葉を濁した俺に、それでもシェラは嬉しそうに身振りで元気であることをアピールしてみせる。

「凄いです……これなら、まだまだ大丈夫です!!」

「いや、そんな大した代物じゃねぇよ。気休め程度にしか回復してねぇから、無茶するなよ」

 多少、回復するのは本当らしいが、どっちかと言うと脳みそを騙して平気だと思わせてるらしいからな。

 絶対に多用はするなと釘を刺されているし、安全対策として、繰り返しの使用により装備者の生命が危機に瀕した際には、指輪自体が自壊するように仕組まれているらしいから、そう何回も使えねぇし。

「そんな事ないです、ホントに凄いですよ、コレ!? だって、頭がすごく軽くなりました! えー、なんですか、これ。スゴいです。それに、とっても綺麗」

 しきりに凄いスゴいと繰り返しながら、手の甲を眼前にかざしてうっとりと指輪を見つめるシェラ。

 シェラに負担を掛けている連中が気に病まないように、無理してはしゃいで見せているのは明白だった。

 単なる問題の先送りだってことは、シェラにも分かってるだろうにさ。

——という事件もあって、イシスの連中にも考えるところがあったんだろう。

「あの、私がしっかりしてないせいで、ご心配をお掛けしてすみません。でも、私だったら、大丈夫ですから」

 しばらく無言で睨み合いを続けるマグナとの間を取りなすように、シェラがおずおずと口にしても、ラヒムは小さく首を横に振るばかりだった。

「いや、申し訳ないが、きみの事は関係ない。これは、あくまでこちら側の都合だ」

「……」

 マグナの顔が、おっそろしく不機嫌だ。

「あ~、その、なんだ。ウチから僧侶を一人貸し出すくらいは出来るんじゃないかね、ルキウス君?」

 その時、場違いなほど呑気らしい声が割って入った。

 アランだ。

「いえ、寝言は寝て仰ってください、アラン特別顧問。そんなこと、出来ませんよ。こちらはこちらで手一杯です。適当な発言は控えてください」

 相変わらず、慇懃無礼な口調で即座に否定するロマリア騎士様。

 冒険者組合がアリアハンに次いで発展しているロマリアの一行は、僧侶や魔法使いを何人か帯同しているのだ。

 ロランの思惑通り、手勢として冒険者の育成が順調に進んでいるようでなによりだね。

 もちろん、嫌味だが。

「立場無いねぇ。お嬢ちゃん達にカッコいいところを見せようとしたおっちゃんの面子も、少しは考えて頂戴よ」

「もちろん、考えていますよ。我がロマリアの国益を損なわない範囲で」

 アランの世迷い言に、淡々と返すルキウス。

 この二人の軽口は、どこまで本気なんだか分かんねぇな。

「まぁ、自分達の面倒を見てくれるだけで、随分と助かってるよ」

 放っておくといつまでも掛け合いをやっていそうなので、適当な返事をして話を区切る。

 当然ながら、ロマリアとアリアハン以外の国は、冒険者など連れていない。

 そして、その二ヶ国の冒険者達と比べてさえ、シェラの実力は頭ひとつ抜きん出ていた。

 というか、いまのシェラと比肩し得る僧侶なんて、アリアハン本国にも殆ど居ないんじゃなかろうか。

 勇者であるマグナに付き従って、はや三年足らず。

 いかなる冒険者も及ばない危険に晒され続ける特殊な環境と経験、そしてもちろん本人の努力の成果とはいえ、最初は戦闘中にホイミも唱えられなかったあのシェラが、と感慨深くなっちまうね。

 だが、そのシェラを以ってしても、アリアハンとロマリア以外の国の連中の面倒を何十人となく診なくてはならない状況は、さすがに荷が勝ちすぎた。

 軽度の負傷はそれぞれに薬草で回復させているが、それにも限りがあるしさ。

 さて、どうすっかな。

 本音を言えば、イシス隊の申し出に乗っちまいたい気分だが、そうもいかねぇか——

「ふむ。これは、丁度よろしいですな」

 新たな声が横から聞こえたのは、そんな風に俺が頭を悩ませている最中だった。

「これより先は、各々おのおのがそれぞれの目的に従って行動するがよろしかろう。無論、勇者マグナは、所属している我がアリアハンと行動を共にしていただく」

 アリアハン騎士の——確かジェームスとかいう壮年の男は、面頬を上げてこちらに歩み寄りながら、そんなことをのたまった。

 随分と偉そうな物言いだが、実際にそこそこ偉い人らしい。第四騎士団の団長補佐とか言ってたかな。

「あたしは、どこにも所属なんてしてるつもりないけど」

 マグナの顔が、ますます不機嫌だ。

 だが、ジェームスは意に介さない——俺達のようなはぐれ者とは異なる、真っ当な社会の理屈で動いていることが、その一挙一動から伝わってくる。

「これは、異なことを仰いますな。貴殿の立場を保証しているのは、ルイーダの酒場であることは周知の事実。それはすなわち、アリアハンの所属ということに他なりますまい」

 こうも正面きって正論を言われると、反論は難しいな。

「近頃は、どこぞの国が大きな顔をして、貴殿をまるで自国で擁しているかの如く振る舞っておるようですが、いま一度、ご自身の立場というものを振り返っていただきたい」

 まぁ、俺の目から見ても、最近のロマリアには、そういうトコがあったよ。

 でも、アリアハンはアリアハンで、マグナを野放しにし過ぎてたと思うんだよな。出立の時にくれた餞別も、たったの五十ゴールドだったしさ。

 ウマい利権ところをロマリアに掻っ攫われそうだからって、いまさら当てこすりみたいに所属がどうだとか言い出しても、損失した機会を取り戻すには、もう遅いんじゃないですかね。

「僭越ながら、勇者様の後ろ盾という意味では、近年は我がロマリアが最も貢献差し上げていることは、ここにおられるどなたもが認めてくださると自負しております」

 いつの間にやら、すぐ近くまで来ていたロマリア騎士のルキウスは、慌てた風もなく鷹揚にジェームスに反論した。

 こいつもこいつで、育ちの良さそうな顔しやがって。

 多分、騎士爵じゃなくて、もっと上位の爵位持ちだろ、コレ。こういった他国との折衝のような役割も、ロランからは期待されて送り出されたに違いない。

「物は言いようですな。それがしには、年若く未だ分別のつかぬ勇者殿を、貴国の政治に利用しておるようにしか思えませぬが」

「これは手厳しい。ですが、誓って我が国には、そのような意図はありません。それに勇者様は、貴方が仰るほど簡単に利用されるようなお方ではありませんよ」

「フン。そのような事は、こちらとて弁えておる。世界の果てからいらした騎士殿に、わざわざ教えていただかずともな。マグナ殿は、世界の中心たるアリアハンの、いと古き貴き血筋である、かのオルテガ殿の御子ですからな」

 うわ、マジか、こいつ。

 この短いやり取りで、あちこちに喧嘩を売り過ぎだろ。

 色んな国の連中が集まる任務に、こんなヤツを選抜すんなよ、アリアハンのお偉いサン方もよ。

 でも、やっぱりアリアハンにも、国粋主義者みたいなヤツって居るんだな。

 昔、エフィに語ってみせたのは憶測だったんだが、もしかしてダーマ出身のマーサさんは、俺が思った以上に肩身の狭い思いとかしていたのかも知れない。

 俺は一歩、マグナの方に近寄った。

 いや違う、暴れた時にすぐに取り押さえられるように、とかじゃなくてだな、だって、心配だろうが。

「ほんっと、くっだらないわね……」

 苛立った声で、マグナが吐き捨てたのが聞こえた。

「そんなどうでもいい縄張り争いを、人間同士でしてる場合なの?」

「フム……」

 ルキウスと牽制し合っていたジェームスは、鎧を鳴らしてマグナを振り返った。

「年若い貴殿にはくだらなくも思えましょうが、それがしを含む多くの者は、そのくだらないことを拠り所として、日々を営んでおるのです。皆が皆、貴殿のように思うままに生きていては、社会が成り立ちますまいよ」

「は? ……あたしが、思うまま生きてるですって?」

 マズい、価値観が全く違うヤツは、位置が分からないから平気で逆鱗に触れやがる。

「……もういいわ。あんた達、全員ここから引き返しなさい。後は、あたし達だけでやるから」

 拒絶するような、マグナの硬い声音。

 久し振りに聞いたな。

 だが、ジェームスはため息交じりに、まともに取り合わないのだった。

「そのような、幼子おさなごの駄々の如き発言は控えられるがよろしかろう」

「勇者様のご意思とはいえ、流石に我々も、それには承服致しかねます」

 ルキウスまでもが、首を横に振る。

「なんでよ!? あたし達がやるっていってるでしょ!? 貴方達まで命を懸ける必要なんてないじゃない!!」

 そうなんだよな。

 こう見えて、実はマグナは、単に連中の生命いのちを心配しているだけだったりするのだ。

 しかし、それが上手く伝わるとも思えない。

 だから、マグナの言い方は次第にキツくなる。

「あのね、はっきり言われなきゃ分かんないの? 正直、足手纏いなのよ、あんた達。こんなぞろぞろ人数連れて歩くより、あたし達だけで行った方がずっと早いし楽だって言ってるの。分かった?」

「或いは、そうなのかも知れませんな」

 そう頷いたのは、意外なことにジェームスだった。

「だったら——」

「ですが、我等とて、それぞれに使命と誇りを持って、この場にるのです。我等が成果を持ち帰れば、国や民——引いては世界の安寧にも繋がりましょう」

「だから、それはあたし達がやるって——」

「さらに申せば、他人の身を案じながら、自らは魔物の巣窟のさらに奥深くへと足を踏み入れようとしている勇敢な少女に全てを託して、自分達は尻尾を巻いて逃げ帰るには、少々誇りというものに重きをおいた生き方をし過ぎました」

「……」

 マグナは、言葉を詰まらせた。

 俺も、どうやらジェームスを類型的に捉えて、見損なっていたらしい。

 案外、マグナのつもりなんて、お見通しだったのね。

 思い掛けずに真意を言い当てられて、咄嗟に反論できないマグナ。

 そこに、今度は一歩前へ進み出たルキウスが口を開く。

「つまり、我等は皆、我等なりの事情で、こうして此の場に居るのです。仮令、それで我等が命を落とそうとも、貴女あなたが責任を感じる必要など無いのだと、彼はそう仰っているのですよ」

 険悪な間柄だと思われたルキウスにフォローされて、ジェームスはやや自嘲気味に唇を歪めた。

「それに、上から命じられたことを、そう簡単に放擲しては、組織というものが成り立ちますまい」

「宮仕えの辛いところですね」

 ルキウスも、それに同調する。

「……バッカみたい。それは、自分の命より大事なことなの?」

 拗ねたみたいにマグナが言い返したが、二人の偉丈夫はあっさりと頷くのだった。

「無論。我が剣の誇りに懸けて」

「はい。この剣を捧げましたからには」

 両脇から言われて、一瞬眉を顰めて大きく口を開きかけたマグナは、しかしやがて諦めたようにため息を吐いた。

「……そ。分かった。じゃあ、もう何も言わないわ。勝手にしたらいいじゃない」

 どうせ、最初から勝手について来たんだし。

 隣りの俺にしか聞こえないくらいの小声で、マグナはそうボヤいた。

「もう、よろしいか。それでは、我々は——」

 このやり取りのそもそもの発端である、イシスのラヒムが開きかけた口を、マグナはジロリとそちらを睨みつけることでとどめた

「駄目よ。帰らないって言うなら、別行動は許さないわ」

「しかし——」

「黙りなさい。建前の上だろうがなんだろうが、これは勇者であるあたしの魔王討伐の一環でしょ? そのあたしが言うんだから、他の誰がなんと言おうと駄目なのよ。これだけは、譲れないわ」

「……かたじけない」

 真正面から自分を見詰める年若い勇者の視線に耐えかねたように、ラヒムは頭を垂れた。

「なんで、お礼を言うのよ」

 マグナは不服そうに零した。

 本音を言えば、俺もここから先は俺達に任せて欲しかったけどね。

 だって、絶対に山ほど犠牲者が出るぜ、このまま進んだら。

 と、危惧した通りに——

 後から考えると、これがおそらく、引き返す最後の機会だったのだ。

4.

「こ……のっ!!」

 直前まで、向こうで別の人間の危機を救っていた筈のマグナが、駆け寄りざまに体ごとぶつかるような勢いで袈裟懸けに骸骨騎士を両断する。

 二本の腕でアリアハンの騎士と鍔迫り合いをしながら、さらに別の腕で錆の浮いたボロボロの剣を振り下ろさんとしていた骨組みが粉砕されて、バラバラと地面に落ちた。

 だが、そのすぐ横には、靄が集まってできた綿のような魔物が二匹、浮かんでいる。

「しつ——っこい!!」

 覚束ない足取りで、それでもマグナは動きを止めることなく剣を斬り上げる。

 一匹はマグナの斬撃で霧散したが、隣りに浮かぶもう一体の周囲の空気が急速に冷えていく。

 体勢を崩したマグナは、対処が間に合わない。

『メラミ』

 そいつが吹雪のような息を吐く前に、呪文でどうにか撃ち落とした。

 くそ、俺の魔法も、そろそろ品切れだぞ。

「ッ——ハァッ!!」

 さらに骸骨騎士がもう一体、残っていた。

 もはや腕に力が入らないのか、マグナは体全体を振り子のように使って、担いだ剣を肩で弾いて叩きつける。

 だが、威力が足りないのか。

 交差した二本の剣に受け止められた。

 六本腕に握られた、別の剣がマグナを襲う——

「もう、だから危ないってば!」

 珍しく息を切らせて駆け付けたリィナが、くるっと体を反転させて、骸骨騎士の側頭部に蹴りを見舞った。

 パカンッ、と小気味よい音を立てて頭蓋骨が弾け飛ぶ。

「無茶ばっかしないでよ、マグナ!!」

 リィナがマグナを怒鳴りつける、という普段なら珍しい光景を、ここ暫くだけでもう何回目撃しただろうか。

 マグナは地面に突いた剣で前屈みの体を支え、ぜぃぜぃと荒く息を吐きながら、ちらりとリィナを見上げた。

「少しくらい、無茶したって、あんたか、トビが、なんとか、してくれる、でしょ」

 あ、それなら、俺も俺も。

 さっき、危ないトコを助けたんですが。

「フゥ——」

 ようやく少し整った息を吐き出し、マグナは力を振り絞って顔を上げた。

「全員、生きてる!?」

 マグナは、明らかに体力の限界を超えていた。

 あれから、洞窟内で縦に伸びた一行のどこかで戦闘が発生する度に駆け巡り、可能な限りの人間の命を救おうと奔走しているのだ。

 そんなマグナの奮闘も虚しく。

 調査隊は、はっきり言って壊滅していた。

 それなりに人数の多かったロマリアやアリアハン、イシスの隊ですら、せいぜいが片手の指で足りる人数しか残っていない。

 他の国に至っては、推して知るべしというもので、既に全滅している国すら幾つかあった。

「ッ——だから、帰れって言ったのよ」

 まばらに応じる生き残りの少なさに、マグナは舌打ち混じりにひとりごちる。

 とはいえ、この状況は、誰にとっても想定外だっただろう。

 何が一番の想定外って、この洞窟に巣喰う魔物の強さだ。繰り返しになっちまうけどさ。

 各々がそれぞれの国で出没する魔物の退治を、任務として普段から熟しているだろうし、それなりの精鋭達が揃っているのも分かっている。

 けど、軍隊の魔物討伐なんて、数に物を言わせて押し潰す、みたいな戦い方が基本だろうからな。

 冒険者のように少人数で洞窟に潜って、こそこそお宝をくすねるようなやり方には慣れていない——要するに、下手に人数が多すぎて、戦闘を避けるということが出来ないのだ。

 そこにきて、出没する魔物は類を見ないほど異常に強力だ。

 正直なところ、打つ手が無い。

 やはり、あの時、全員引き返させるべきだったのか——ひっきりなしに魔物に襲われているせいで、もう随分と昔のことに感じるが。

 俺でさえ、そう思っちまうのを止められないんだから、マグナはもっとだろう。

 この恐るべき魔窟に、ここまで深く這り込んでしまうと、連中だけで引き返すのは、もはや不可能だ。

 それが分かっているから、マグナも小声で愚痴るだけに抑えているのだ。

 俺達だけなら、リレミトとルーラでいつでも戻れたんだから、なんの問題もなかったのにな。

 アリアハンやロマリアが連れている冒険者にも、リレミトやルーラが使える奴らは何人かいたが、既に半数ほどが命を落としている。

「おい、ヴァイス……オイって」

 ボソボソと小声で俺を呼んだのは、そんな冒険者の内の一人——何を隠そう、あの大海妖クラーケン退治の時に手を貸してくれた七人の魔法使いの一人、ロミオだった。

 ルイーダの酒場経由で国から依頼されて参加したって話だが、お互いに災難だったな。

 促されてコソコソと洞窟の端っこの方に寄るなり、ロミオは周りの人間に聞かれないようにヒソヒソと囁く——いや、こいつは、普段からほとんど喋らねぇし、喋ってもすげぇ声が小せぇんだけどさ。

「お前……まだ、付き合うのか? これに?」

 ああ、やっぱり、そういう話か。

「ま、俺はな。立場上、仕方ねぇだろ」

「……お前、そんな奴だったのか」

 意外そうな口振り。

「いや、どういう意味だよ」

「魔王を退治して世界を救うとか、本気で考えるタマじゃないだろ」

 そりゃ、な。

 答える代わりに肩を竦めてみせる。

「そんで? まだ、リレミトとルーラを唱えられるだけの余力は残ってんのかよ?」

 この後に続く分かり切った会話を端折って尋ねると、ロミオは皮肉らしく頬を歪めた。

「当然だ。こんな依頼で、死ぬとか……馬鹿だろ。騎士様の、自殺に……付き合ってられるかよ」

「全くだな。いいぜ、次の戦闘のどさくさに紛れて抜け出せよ。後のこた、適当に誤魔化しといてやっからさ」

「……だが、アリアハンに戻ったら……契約違反を、咎められるかも知れない」

「そりゃ、仕方ねぇだろ……いや、そうでもねぇか。いくら貰ったんだか知らねぇけど、少なくとも前金の分くらいは、もう十分以上に働いただろ。下手に後金請求しなきゃ、大丈夫なんじゃねぇの。言う通り、お前は国に忠誠を誓った騎士なんかじゃなくて、単なる無頼の冒険者なんだからよ」

 というか、俺にこうして断りを入れているだけ、冒険者にしちゃ破格に律儀な部類だ。

「お前だって……そうだろ」

 ああ、そうね。俺も、その日暮らしで適当に過ごしてるだけの冒険者だった筈なんだけどなぁ。

 真顔で指摘するロミオに、俺は苦笑いを返すしかなかった。

「ホントにな。貧乏クジもいいトコだぜ。ま、後のこた心配しねぇで、知らん顔してバックれろよ。面倒なことにならないように、こっちからも口添えしとくからさ」

 もちろん、俺の口添えなんかにゃ何の効力もないので、マグナに頼まなきゃいけないってのが、なんともカッコがつかないけどな。

「恩に着る……いざとなったら、ロマリアに河岸を変えるか」

「ああ、いいんじゃねぇか。今はあっちのが、諸々やり易いかも知れないぜ」

 尤も、この魔窟を抜けた時に、ロミオを咎める人間が、果たして生き残っているかすら怪しいが。

 アリアハンの部隊は、ロミオを除けばもう四人しか残っていない。

 少数精鋭とはいえ、全ての国の人員を合計すれば、当初は百人以上いたってのに。

 それが、既に二十人以下にまで減っている。

 ここまで大打撃を受けて、なんの成果も無く戻りでもしたら、それこそ大失態なんだろうな。

 国に仕える連中が引くに引けない事情も分からないではないが、それだって命あっての物種じゃないですかね。

 せめて、そういったしがらみから自由であるべき冒険者連中だけでも、逃してやりたいトコだな。

「わり、ちょっと待っててくれ。話通してくるわ」

 ロミオに一声掛けて、マグナの元に戻って事情を伝える。

 俺の話を聞いて、それまで終始険しい顔を崩さなかったマグナは、僅かにほっとしたように見えた。

 おそらく、この地獄のような修羅場から、何人かだけでも逃がせることに、安堵を覚えたんだろう。

「トビ」

 マグナが呼ぶと、暗がりを切り取ったように黒い影が、いつの間にやら傍らに控えていた。

 洞窟の中だと、マジでどこに居るんだか分からねぇな。

「なんじゃ」

 耳打ちしようとしたマグナから、トビは慌てて跳び離れる。

「寄るなや、無駄に近いんじゃ! なんぞ内密の話なら、唇読んだるから声に出さんで話せや!」

 トビの反応を目にして、マグナはにやーっと笑う。

「なによ、いやらしいわね。なに意識してんのよ」

「阿呆か、ちゃうわ! 儂は、他人をソバに近づけんように訓練されとるんじゃ!!」

「他人だなんて、水臭いわね。ご主人様と下僕の仲じゃない」

「誰が下僕じゃ! ッ~~……、もうええわ。さっさと用を言わんか」

 なんだ、この会話。

 お互い疲れ切った顔して、何やってんだよ——まぁ、半分くらいは、わざと巫山戯てるんだろうけどさ。

 張り詰めっぱなしじゃ、どっかで切れちまうからな。

 マグナの意を受けて、ロミオと一緒に脱出するようにアリアハンとロマリアの冒険者に伝えるべく、再び姿を消すトビ。

 残っている冒険者は四人だから、リレミトとルーラで脱出するにはちょうどいい。

 と、今度はロマリア騎士のルキウスが、マグナに歩み寄りつつ口を開いた。

「勇者様。ご提案があります。」

「……なに?」

 心なし身構えるマグナ。

 また、余計な事を言われるんじゃないかと警戒しているに違いない。

「はい。提案というのは、他でもありません。勇者様御一行は、リレミトとルーラでこの場からお離れください」

「なっ——!?」

 おっと、そうきたか。

 どいつもこいつも、考えることは同じだね。

 ていうか、向こうで聞き耳立ててたんじゃねぇだろうな、こいつ。

「ふざけないで。あたしが引き返しなさいって言った時、あんた達が先に断ったんじゃない」

「それは重々承知しております。しかし、勇者様と我々とでは、お立場が違います。我々は、こんなところで貴女を失う訳にはいかないのです。陛下からも、勇者様だけは、くれぐれも無事にお還しするように仰せつかっております」

「そちらの勝手で話を進めてもらっては困りますな」

 あーあ、アリアハン騎士のジェームスまで割り込んできやがったよ。

 もう何度目だ、こういうやり取り?

「勇者殿に、この場からお戻りいただくという点について異論は無いが、であれば我々と共にアリアハンへ、だ」

「おや、貴殿らは、お戻りになられるおつもりがあったのですね。私共は、これといった成果も無いままに陛下の元へは、とても戻れません。叱られてしまいます」

「我らとて、それは同じことだ。そもそも貴殿がおかしな事を口にしなければ、こんな下らん問答をせずに済んだのだ。つまらん当てつけは止めてもらおう」

 ルキウスが年若いこともあってか、つい尊大な態度を取りがちなジェームスもどうかと思うのだが。

 ルキウスもルキウスで、わざと怒らせるような口を利いている気がするので、どっちもどっちだな。

 こんな状況で、よく飽きねぇな、こいつらも。

 いや、逆か。

 無惨な現実から目を逸らして、自分が普段、所属している社会の都合に目を向けていないと、正気を保っていられないのかも知れない。

「まま、私らがいがみ合ったところで、何もいいこたありゃしませんて。ここはひとつ、お互いに落ち着きましょうや」

 気の抜けた調子で口にしながら、後ろから馴れ馴れしくルキウスの肩を叩いたのは、アランだった。

 ルキウスは眉を潜めて、その手を振り払う。

 おっさん、懐かれてねぇな。

「ウチの若いモンがすみませんねぇ。コレには年長者に対する敬意ってモンを、よ~く言い聞かせておきますんで、この場はどうか勘弁してやってください。それにホラ、さすがにもうすぐ出口でしょうし、あと少しだけ仲良く協力して、この洞窟から一緒に抜け出しましょうよ、ね?」

 自分では、多少は改まった口振りで話しているつもりなのかもしれないが、アランの方が余程ナメた口の利き方をしてるぞ。

 だが、目の前のしょーもないおっさんが、ジツはロマリア王族の端くれだということは、ジェームスも承知しているのだろう。

 辛うじて舌打ちを堪えている表情を隠すように、アリアハン騎士は面頬を落として踵を返した。

「であれば、詮無いことを口にするのを止めさせるのですな!!」

「へーい、申し訳ない。必ず言っときますんで」

 へらへらしながら手を振って、ジェームスを見送るアラン。

「アラン特別顧問。話を有耶無耶にされては困ります」

「はいはい、ごめんなさいねぇ、ルキウスくん」

 渋い顔をしてアランを咎めるルキウスだったが、そこに当事者が嘴を挟む。

「うやむやになんて、なってないわ。どうせ、あんた達の言うことなんて、あたしは聞くつもりないんだから」

 にべもなく撥ね付けているように聞こえるが、あんた達を見捨てて自分達だけ逃げ出すなんて出来ないって言ってるんだよな、マグナにしてみると。

「しかし、勇者様——」

「黙りなさい。この話は、これで終わりよ。いいわね」

 ロランの命を受け、ロマリアを出立した頃のルキウスにとって、或いはマグナは庇護対象という認識でさえあったかも知れない。

 だが、実際は、その護衛対象に守られ続けている。

 そのマグナに面と向かってぴしゃりと言われては、ルキウスも口を噤むしかないようだった。

「いやもう、ホントに勘弁してちょうだいよ。おっちゃん、こういう腹芸みたいなのが苦手だから、出奔したっていうのにさ」

 気配を消してコソコソと俺の隣りに避難しながら、抑えた声でボヤくアラン。

 よく言うよ。生まれてこの方、腹芸しか口にしたことありません、みたいなツラしやがって。

「ヴァイスくんが、もっとちゃんと皆を上手くまとめてくれなきゃ」

「いや、なんで俺だよ」

 そりゃ、こんなどうでもいい口論で、マグナに負担をかけたくないのは確かだけどさ。

「つか、マジで出口まで近いと思うか?」

 俺が尋ね返すと、アランは無精髭の生えた顎に手を当ててゆっくりと擦った。

「多分ねぇ。この洞窟さ、微妙な勾配で奥に向かって上ってるじゃない。かなーりなだらかだけど、さすがに外から見た崖の半分以上はのぼって来たと思うんだけどねぇ」

「……フン。まぁ、俺も同意見だよ」

 半分と言わず、残り四半程度までは来てると思うんだけどな。

「それじゃ、そろそろ行くわよ!」

 マグナの非情な号令で、先の戦闘から疲労で動けずにいた一行は、重い腰を持ち上げる。

 皆、疲れているのはマグナにも分かっているが、この場に留まっていても新たな魔物に襲われ続けるだけで、全く益がない。それよりは、少しでも早く魔窟を抜けた方が、まだしも生き残れる確率が高いからこそ、マグナは心を鬼にして、あえて厳しく号令しているのだ。

 横を通り過ぎる時に「あんま無理すんなよ」と小声で声を掛けると、マグナは憔悴した顔に微かに笑みを浮かべて、小さく頷いた。

 それから、必要以上に思い詰めた顔をして、過剰に責任を感じて押し潰されそうになっている子が、もう一人。

「シェラもな」

 並んで歩きながら声を賭けると、悄然とした顔が微妙に上を向いた。

「え?」

「だから、なんつーか……この状況は、別にお前のせいじゃねぇんだからさ。あんま、気に病むなよな」

「でも……私が、もっとしっかりしてたら……」

 もっと多くの命を救えたって、シェラなら考えちまうよな。

 だが、今回は流石に人数が多過ぎる。いくらシェラがとびきり上等な僧侶でも、一人で全員の面倒をみるなんて、それこそ不可能だぜ。

 案の定、使い過ぎて、祈りの指輪もとっくに壊れちまってるしさ。

「だから、シェラは十分よくやってるっての」

 俺は、なるべく言葉を選びながら続ける。

「それに、あんまり自分の所為だとか考え過ぎると、なんつーか……あいつらの覚悟を軽んじることにもなるんじゃねーのかな」

「……」

「ほら、あいつらだって、自分で言ってただろ? 国とか家族を守る為に覚悟を決めて来た訳で、あいつらの覚悟は、あいつらのモンで、それをシェラ次第でどうにかできたって考えるのも、なんかちょっと違うっていうかさ」

 思ったより、あんまり言葉を選べなかった。

 俺ってヤツは、いっつもこうだよ。

「……すみません。ありがとうございます」

 あーあ、また下を向いちまったじゃねぇか、シェラ。

 もう少しでも心労を軽くしてやれそうな言葉を探していると——

「ヴァイスく~ん。マグナのお守り、疲れたよー」

 後ろから、リィナが俺の右腕にぶら下がってきた。

 空気が重くなり過ぎないように、気を回してくれたのかね。

 いや、どうだろう。珍しく、マジで疲れた顔してんな。

「ああ、ありがとな。リィナのお陰で、すげぇ助かってる。悪いけど、あともうちょっとだけ、面倒見てやってくれよ。おっさんの言い草じゃねぇけど、もうちょいでこの洞窟も抜けられると思うからさ」

 俺が気休めを口にすると、リィナは拗ねた顔で唇を尖らせる。

「無理。もう疲れた。誰かを守りながら戦うのって、ホントに疲れるんだから」

「ああ、そうだよな。うん、分かってる。けど、頼むよ。こんな状態じゃ、リィナにしか頼れねぇんだ」

「……じゃあ、なんかご褒美」

「へ?」

 こんな時に、何を言い出してんだ、こいつは。

「だから、ご褒美。じゃないと、もう頑張れない」

「いや、ご褒美って言われてもな……」

「トビだって、生き残ったらマグナと街で遊ぶ約束してるんだから」

「は?」

 え、いや、流石に嘘だろ。

 トビがマグナにそんなことを要求をする光景を、想像できねぇ。

「分かった。生きて帰れたら、どっか遊びに行こうぜ」

 まぁ、前に約束してから、それこそ有耶無耶になってたしな。

「ホントに? 二人きりでだよ?」

「ああ」

「今度こそ、約束したからね?」

 俺が頷いてみせると、にへ~と相好を崩された。

「へへ~。うん、ちょっとやる気、戻ってきた」

 俺の腕から身を離し、胸の前で両拳をぐっと握るリィナ。

「もう、リィナさんは——」

 逆隣りで、シェラが思わず苦笑したのが聞こえた。

 張り詰めていたものが、若干緩んでいる気がした。

 そうなんだよ。昏い顔して落ち込んでても事態は好転しない、っていうか、むしろ咄嗟の動きとかにも影響して生存確率を下げるだけだ。

 だから、空元気くらい、少しは出した方がいいんだ、こんなクソみたいな状況じゃ。

 それに、よくよく考えると、リィナと連れ立って街へ繰り出すってのも、なかなか心躍る予定だしな。

 またいい感じの服を、シェラに着せてもらおう。

 際限なく重さを増して落ちていきそうな気分から目を背けて、俺はあえて現実逃避をするのだった。

 だって、そうしないと、正気を保っていられる気がしねぇよ。

5.

「風だ」

 不意にそんな言葉を口にしたのは、やはりリィナだった。

 それで、風というにはあまりにささやかな空気の流れに、俺も気付く。

 ランタンの灯りしかない魔窟に篭もり切りで、すっかり時間感覚を喪失していたのではっきりとは分からないが、冒険者達を戦闘のどさくさで逃してから、さらに半日ほど経過した頃だろうか。

 一行の有様は、酷いものだった。

 まず、ロマリアで生き残っているのは、ルキウスとそのお付きの準騎士、そしてアランのおっさんだけ。

 アリアハンも、ジェームスともう一人、騎士が生き残っているだけだ。

 イシスはサムトとラヒム、そして名前を知らない兵士が一名。

 その他の国の部隊は、元から数が少なかったこともあり、アッサラームから派遣された盗賊風の男が一人残っているだけだった。

 それは、いつまで続くとも知れない魔窟に閉じ込められ、延々と魔物と殺し合いをさせられるという絶望の坩堝るつぼのような暗澹たる地獄に心までもが押し潰されそうだった一行に、とうとうもたらされた希望だった。

 誰ともなしに、自然と歩みが早くなる。

「出口だ!」

 永遠に続くかに思われた、深く昏い洞窟の先に、ランタンのものではない光を見つけて、誰かが叫んだ。

 全員、疲労困憊だったが、示し合わせたように駆け出していた。

 基本的にゆるやかだった勾配の角度が少しキツくなっていたが、構っていられねぇ。

 とうとう、肺が外気を吸い込んだ。

 夕暮れ時だ。

 いや、明け方かも知れないが、空気がそれほど冷えていないので、おそらく夕方だろう。

 真っ昼間だったら、眩しくて目を開けていられなかっただろうから、ほとんど日が落ちてて助かったな。

 それでも眩しい陽光に目を細めながら、小高い丘になっている洞窟の出口から眼下を見下ろした俺達に突きつけられたのは——

「なによ、これ……」

 見るも無惨な現実だった。

 呆然としたマグナの呟きが、耳に届く。

 丘の麓の先には、見渡す限りの湖が広がっていた。

 いや、湖という言葉が持つ爽やかな語感は、眼前の異様な光景にそぐわない。

 定義や分類はさておき、これは沼だ。毒沼だ。

 毒々しい湖面の色を云々うんぬんするまでもなく、見ただけで分かってしまう。

 湖岸には、一切の樹木も生えていない——どころか、およそ生の気配が皆無だった。

 やけに白い水際には、よく見るとぎっしりと骨が敷き詰められていた。

 夥しい数の様々な種類の動物の白骨が、地面を白く見せているのだ。

 もしかしたら、中には人間の骨も含まれているのかも知れない。

「なるべく空気を吸うな。布かなんかを口に当てとけ」

 マグナ達に告げながら、毒沼の向こう岸を眇める。

 遥か遠くに、城のような形をした影が窺えた。

 あれが、魔王城か。

 だが、まるで護るように周りを毒沼に囲まれている——どうやったら、あそこまで辿り着けるんだ?

 あんな地獄を抜けて、ようやく辿り着いた結果が、これかよ。

 苦しんだ分に見合うだけのご褒美なんて、用意されていないのが人生の常とはいえ、流石にあんまりだろ。

 絶望に、精神が塗り潰される。

「向こうに、なんか建物があるよ」

 途方に暮れていた俺の耳に、そんな声が届いた。

 額に手を翳してひさしを作っているのは、またしてもリィナだった。

「本当ですか」

 縋るように漏らしたのは、ルキウスだ。

 ロマリアでも一級の騎士であろう男の顔にも、隠しようもなく疲労の色が濃い。

「うん、ほら、あそこ」

 リィナは湖の東岸を指し示すが、いや、お前以外には見えねぇよ。

「リィナがそういうなら、何かあるんでしょ。いつまでもここに居てもしかたないし、とにかく行くわよ——ほら、大丈夫、シェラ?」

「あ、はい……」

 杖にしがみついてどうにか体を支えていたシェラに手を貸し、歩き出すマグナ。

「そうですね。ここまで来て、何も持ち帰らない訳にもいきませんし。皆に申し訳も立ちません」

 失われた部下達のことを想っているのか、自分を納得させるように幾度か頷いて、ルキウスも後に続く。

 他の連中も、口を開くのも億劫という感じで何も言わないが、黙って後に続いた。

「ご飯、食べさせて貰えるかな~?」

 とか、場違いなことを口に出来るのは、リィナくらいなものだ。

 変なこと言うから、自分が空腹なことを思い出しちまったじゃねぇか。

 くそ、腹減ったな。

 近付くにつれて、リィナが発見したその建物もまた、ある意味で異様なことに気付く。

 いや、ごくありふれた建造物なんだが、ここにぽつんと建っているのが、酷く場違いだ。

 それは、教会だった。

 以前は、この地に街があったのだろうか。

 倒壊した建物の名残が散乱する瓦礫の中に取り残された、半ば朽ち果てた教会は、やや古い時代の様式で建てられていた。

「それじゃ、入るわよ」

 正面の扉を開けようとするマグナを、両脇からルキウスとジェームスが押さえる。

「お待ち下さい」

「ここは、我々が」

 だが、二人が同時に押しても、ガツンと何かに引っかかる音がして、扉は開かなかった。

「内側から閂かけてやがんのか?」

「ってことは、中に誰か居るのかねぇ」

 俺の呟きに応じたのは、アランだった。

「どうだろうな。こんな毒沼のほとりで人間が生きていけるとも思えねぇし、昔、魔物に襲われた時に閂かけて籠城したまま放置されたって方が——」

 おっと。

 これ以上、誰かが死んだのなんだの、あんまりマグナ達には聞かせたくねぇよな。

「分かりもしない事を考えたって、仕方ないだろ。とにかく、開けて確かめるぞ」

 巨漢のサムトが、扉の前に進み出た。

「ふ——むうぅん!」

 腰を低く構えたサムトが肩を当てて力任せに押すと、メキメキと音がして閂が折れ飛び、扉は開かれた。

「おー、さすが。凄いね」

 サムトの丸太のような上腕をぺちぺちと叩くリィナ。

 教会の中は、これといって変哲もない当たり前の造りだった。

 さっきも言ったが、建築様式が多少古臭いというだけで、左右に並んだ長椅子といい、奥に設えられた祭壇といい、アリアハンやロマリアの教会とそこまで変わらない。

「埃が凄いわね」

 マグナが口にしたように、天井近くの窓から降り注ぐ夕日が、宙に浮いた大量の埃を浮かび上がらせていた。

 毒沼対策で、口を布で覆っておいて正解だったな。

「誰もおらんのか」

 左右を見ながら、奥に進むジェームス。

「でも、思ったより真ん中の床が綺麗——」

 全員が教会の中に足を踏み入れ、リィナが床に視線を落として呟いた時だった。

『ラリホー』

 唐突な呪文。

 どこから——!?

 強烈な眠気に襲われて霞む意識を必死で繋ぎ止めていると、ドサリドサリと周りの人間が床に倒れ伏していくのが視界の端に映る。

「ああ、やはり貴方が一番、魔法抵抗力が高いですね」

 ぐわんぐわんと頭蓋骨の中で回転する脳みそが、辛うじて聞き覚えのある声を捉えた。

「って、いやいや、貴方まで寝ないでくださいよ? わざわざ貴方だけが耐えられるくらいの強さに制御した甲斐がありません」

 そんなことが可能なのかよ。

「それにしても、これほど簡単にラリホーで眠らされてしまうとは、少々心配ですね。もう少し、状態異常への備えを考えておいてください」

 自分で仕掛けといて、何言ってんだ、こいつ。

 また教師みてぇな口調で、好き勝手言いやがって。

「……違うっての。全員……疲れ過ぎてて……クタクタで……ラリホーの効きが……良すぎんだよ」

 俺はブルブルと頭を横に何度も振る。

 くそ、ようやく意識がはっきりしてきやがった。

「フム。まぁ、そういうことにしておきましょうか。ここまで引率ご苦労さまでしたね、アランさん」

 未だに霞む目が捉えた、見飽きた白いローブ姿のにやけ面が呼んだのは、意外な名前だった。

「う〜ん、むにゃむにゃ」

 床に臥したまま、物凄く分かりやすい寝言で応じるアラン。

 狸寝入りかよ。

 面倒臭ぇ話は聞きたくねぇってか。

 けど、そういや意外でもないのか。

 思い返すと、イシスでの別れ際に、フゥマのヤツがスカウトしてたもんな。

「……で? こりゃ一体、なんのつもりだよ。さっきの口振りだと、今回の遠征はお前がアランを使って仕組んだってのか?」

 さすがに、声に怒気が篭った。

 その所為で、こっちは何人死んだと思ってんだ。

「いえいえ、とんでもありません。各国共同での調査が同時期に計画されていたのは、こちらにとっても想定外だったのです。アランさんに出来得る範囲で調整をお願いしたのは、本当に仕方無くですよ」

 どうだかな。

 こいつが喋る内容に、本当の事なんて何ひとつ無さそうだ。

「それより、ヴァイスさんこそ、私との約束をスッカリ忘れてましたね?」

「へ?」

 こっちが問い詰めていたつもりが、逆に難癖をつけられた。

 なんのことを言ってるんだ?

「酷いですね、そこまで完全に忘れますか、普通? ガイアの剣を、こちらにお貸しいただくことになっていた筈ですが」

 あ。

 完全に忘れてた。

 いまさら言われても、もう俺達の手元には無いぞ。

「全く、そのお陰で、こちらの方こそ予定が狂って大変だったんですからね?」

「いや、勝手に話が進んじまってさ。そっちから、特に連絡も無かったし」

 俺の言い訳になっていない言い訳を聞いて、にやけ面は珍しく本気で疲れた顔をして、はぁとため息を吐いた。

「まぁ、もういいです。結果的には、私の方でやらなくてはと考えていたことを、より高精度で行ってくれたようですからね。彼らがここまで介入するとは、意外でした」

 彼らって、魔法使いヴァイエル共のことか?

「ギアさんは認めていませんが、貴方の重要な使い途のひとつですね」

 くそ。どいつもこいつも、俺を単騎じゃ役に立たない特殊な駒みたいな扱いしやがって。

「んで? だから、なんでお前が、ここに居るんだよ」

「なんでも何も、私、ここの神父をやらせていただいてますから」

 はぁ?

 にやけ面の発した言葉が意味不明過ぎて、頭の中でなかなか意味を成さない。

「と言っても、私が勝手にやってるだけなんですけどね」

 なんだよ、自称かよ、下らねぇ。

「世界の果ての朽ち果てた教会の神父だなんて、貴様にはお似合いだと、ギアさんには散々揶揄われたものですが。当時は、仕方なかったんですよ。誰かが面倒を見なくてはなりませんでしたし……」

 なんの話だ。

「ああ、すみません。今は関係がありませんでしたね。それでは、私がこの場に居る理由を、いまから教えて差し上げましょう」

 にやけ面は、ローブの袖の隠しから何かを取り出して、俺に差し出した。

「よくぞ、ここまで辿り着きました。あなた方なら、きっと大魔王を滅ぼしてくれるでしょう。さぁ、この白銀宝珠シルバーオーブを受け取ってください」

 見覚えのある、濃さの違ういくつもの渦が内部で廻転しているように見える、竜を象った台座に乗せられた不思議な球体。

 それは、マグナ達が探し求めた最後のオーブだった。

「おめでとうございます。これで、六つ全てのオーブが揃いましたね」

 だから、なんでお前がそれを知ってるんだよ。

 そういや、いつだっけか『これでも私、あなたに関わりのある重要な事柄と、割りと繋がってるんですけどね』とかホザいてたな。

 実際、ロマリア王族に連なるアランとも繋がりがある訳だし、それなりに事情を把握してても不思議じゃないのか。

 だったら——

「……お前が持ってたんなら、さっさと渡してくれりゃ良かったじゃねぇか」

 繰り言みたいになっちまうが、此処に辿り着くまでに、何人犠牲になったと思ってんだよ。

「それは、本気で仰ってるんですか?」

「だったら、なんだよ?」

「世界を救う為に必要だとされている比類なく貴重なオーブを、ここに辿り着けるかどうかも分からない程度の実力しかない人達に渡せと? 誰かに奪われでもしたら、どうするんですか。もしくは、あなた達が何処いずことも知れない場所で魔物に殺されでもしたら、永遠に行方が失われてしまうかも知れないじゃないですか」

 くそ、思ったより正論で反論しやがる。

「というか、先程も言いましたけど、他の人達まで大勢引き連れていらしたのは、私にとっても想定外です。貴方達だけを連れてきてくださいと、私は最初にお願いした筈なんですけどね」

 床で寝そべってるアランに、ジロリと視線を落とす。

 今度はイビキで誤魔化すおっさん。

 もう観念して、起きたらどうだ。

 別に庇う訳じゃねぇけど、おっさんにも色々あったんだろ。

 王族の端くれってんじゃ、ロマリアの国益も無視する訳にはいかねぇだろうしさ。それこそ、俺達の知ったこっちゃねぇけど。

「そんで? この後は、目出度く揃った六つのオーブでラーミアとやらを復活させて、あの毒沼を飛び越えて魔王城に攻め込めってか」

「おや。ご存知でしたか」

「そのくらいはな」

 ロクに事情も知らずに、なんだか良く分からねぇ行方知れずのタマを六つも、世界の端から端まで探して回るかよ。

 つっても、ラーミアってのが何なのかは、俺も不死鳥とか呼ばれてる事くらいしか知らねぇんだけどさ。

「でもよ、不死鳥なんてご大層なモンを甦らせなくても、他に何か方法があったんじゃねぇのか。要するに、毒沼さえ越えちまえばいい訳だろ? 船でも造って渡りゃ良さそうなモンだけど」

「この有様をご覧になって、まだそんなことを言いますか。貴方の仰る通りに船を作るとして、資材はどうやって調達するんです。貴方もその目で見たでしょう。湖のこちら側には、もうまともな樹木など残っていませんよ。それに、職人をどうやって連れてくるかも問題です。屈強な騎士達ですら、あたら命を散らしたというのに。さらに、もし連れて来られたとして——」

「分かった。悪かったよ」

 試しに口にしたひと言で、そんなに畳み掛けないでくれ。

 お前は俺の先生センセイかよ。

 つか、不死ってくらいだから、ラーミアがでっかい鳥だとして、そんなモンに人が乗って飛ぶとか、それこそ無理そうなんだけど。

「それに、仮に船が作れたとしても、結局は無駄ですよ。目で視る限りは対岸に魔王城が微かに窺えますが、普通に進んでも決して辿り着けませんから」

「どいういうことだ?」

「貴方も、多少はお聞きになってるんじゃないですか?」

 にやけ面——ダーマの伝説的な賢者アルシェは、珍しく真面目な面持ちで続ける。

「これは、儀式なのです」

 それまでよりも、厳かな口調。

 どうやら、冗談を言っている訳ではなさそうだ。

「近くに視えて、彼処あそこは文字通り世界が異なるのですよ。さしもの勇者様も、此の世界に生きているからには、次元を越えた跳躍が可能な飛翔体を繰ることでしか干渉できません」

「なるほどな。それが、ラーミアか」

 雰囲気に流されて、俺が訳知り顔で頷いてみせると、何やら満足げな顔で頷き返された。

 いや、俺、なんも分かってねーんだけど。

「ええ、仰る通りです。彼らの発見した手順に従うことで、仮想的に条件を満たすという訳ですね」

 俺、何も仰ってねーんだけど。

 くそ、ジツは全然なんも意味分かってないですとか、いまさら言えないじゃねぇか。

 まぁ、後でアレに聞けばいいか。こういう時は便利だよな、アレ。

「どうしました、ため息なんていて」

「いや、つーかさ……ラーミアでしか辿り着けないって事は、やっぱり、最後は俺達四人だけで突っ込まなきゃいけないってコトだろ?」

 ラーミアとやらがどんだけデカかい鳥だとしても、それほど多くの人間を運べるとは思えない。

 俺としちゃ、各国の軍隊にも協力を仰いで、露払いをしてもらう気満々だったのにさ。

「正直、うんざりするよ」

「ですが、彼女にとっては願ったりでは?」

 にやけ面は、床で寝息を立てているマグナに視線を落とした。

「……かもな」

 今回の件も、見た目よりずっと気に病んでるしな。

 色んな国の王様連中に、無理矢理お伴に付けられただけなんだし、全員いわば軍人だから、それなりに覚悟も決めてた連中だろうし、マグナひとりがそこまで責任を感じる事でも無いと、俺は思うんだが。

 だからやっぱり、ホントはあんまり勇者なんてさせたくねぇんだよ。

 絶対に思い悩むに決まってんだから、あいつは。

「そんで、そのラーミアってのは、何処にいるんだよ」

「おや、そちらはご存知ない」

「悪かったな。目に付いた文献はちょこちょこ漁ってたんだけどさ、はっきり書かれてるのは見付からなくてな」

 なにしろ、こちとら年がら年中世界をアチコチ飛び回ってる身なモンでよ、腰を据えて調べ物をしてる暇なんて無かったんだよ。

 自分で調べもしないで聞いても、アレには鼻で笑われるだけだしさ。

「では、レイアムランドはご存知ですか」

「地名と、地図上の位置くらいはな」

「結構です」

「そこにいるのか? けど、レイアムランドっても、結構広いだろ」

「そうですね。ですが、ご心配なさらずとも、秘したる祭壇の座標は、貴方のお師匠であるヴァイエル師が伝えてくださるでしょう」

「あン? なんだよ、その言い方。もしかして、あんたも知り合いだったのか?」

「いえいえ、こちらが一方的に存じ上げているだけですよ」

 ふぅん。

 ていうか、アレが素直に教えてくれりゃいいけど。

「そうそう。それから、老婆心ながらに忠告させていただきますと、あなた方がレイアムランドに向かうことは、ギアさんにはバレないように気をつけた方がいいと思いますよ」

「は? なんでだよ」

「……なんでも、です」

 コイツが、こんな風に言葉を詰まらせて誤魔化すなんて、珍しいな。

 本当に言い難い事情なのか。

「う……」

 その時、マグナが床でうめき声を上げた。

「おや、そろそろラリホーの効果が切れそうだ。それでは、私はお暇しますね」

 にやけ面が踵を返しかけたところで、はたと気付く。

「いや、ちょっと待った! 俺達、どうやってこっから帰ればいいんだよ?」

 また、あの魔窟を抜けて戻るなんて、どう考えても無理だぜ。

「はい? 普通にルーラで戻れば良いのでは?」

 何をキョトンとしてやがる、このにやけ野郎。

「いや、俺とマグナだけじゃ、全員をルーラで運ぶのは無理だ。人数が多過ぎる。お前も、手伝ってくれよ」

「嫌ですよ。というか、先程の反応といい、ひょっとして本気で分かってないんですか?」

「何がだよ?」

「……こんなことを、いちいち説明させないで下さいよ。この教会にはマーカーが設置してありますから、ルーラで往復できますよ。まさか私が、わざわざあの洞窟を通って、ここまで来たとでも思っているんですか?」

 ああ、なるほど。そりゃ、そうか。

「それじゃ、私はこれで」

 またしても立ち去ろうとするにやけ面を、俺はもう一度呼び止める。

「いや、待てって。俺だけじゃなくて、他の連中にも説明してってくれよ。つか、なんで他の連中を眠らせたんだよ?」

 一度に説明した方が、手間も省けるだろうによ。

 なに、やれやれ、みたいな顔してやがる。

「貴方以外を眠らせた時点で察してくださいませんか。私にも、色々と事情がありましてね。この姿を、立場のある人達に、此の場で目撃されたくないんですよ」

 ルキウスやジェームスを見回しながら言う。

「それに、話の内容自体も、貴方くらいにしかすんなりとは通じないでしょう。いちいち聞き返されて話の腰を折られながら、根気よく全部イチから説明するなんて、私はご免ですね」

「つまり、その役目を俺に丸投げした、と」

「いわゆる業務委託ですね」

 なにニッコリいい笑顔してやがるんだ、この野郎。

 なら、対価を寄越せよ。

 国だの教会だのデカい組織相手にアレコレアチコチ配慮しながら、連中が納得するような説明を捻り出すのが、どんだけ面倒臭ぇと思ってんだ。

 完全に承知の上で押し付けてやがるから、最悪にタチが悪い。

「それにしても、本当に意外でしたね。私にとっては好都合でしたが」

「あ? なにがよ?」

 俺の不機嫌ないらえに、にやけ面は苦笑する。

「いえ、貴方がこうして、この場に立っていることが、ですよ」

「へ?」

「最初にお会いした時は、まさか貴方が、ここまで付き合うとは思っていませんでした」

 山間の小さな村の酒場での光景を、俺は思い出す。

 あの時は、直前に死にかけたせいで、性欲が妙な具合に暴走して大変だったな。

「お前は、あの頃からずっと変わらず胡散臭ぇけどな」

「不思議なことに、よく言われるんです、それ。まったく、この私のどこが胡散臭いんですか、失敬な」

 意外なことに、本当にそう思っている口振りだった。

 一度、自分を見つめ直した方がいいぞ、にやけ面。

 俺はお前と違って、教師センセイみたいに忠告してやったりはしねぇけど。

「それでは、また」

 自分の用事だけ済ませると、にやけ面はさっさと出口へ向かい、扉に辿り着く前にいつものように不意に姿を消した。

 背後でいくつかうめき声が聞こえ、皆がそろそろ起き上がりそうな気配がする。

 この状況の説明も、俺がすんのか。

 せめて、他のヤツと同じように、俺にも仮眠をとらせてくれよ。

 色んなヤツから面倒事ばっかり押し付けられている気がして、俺は振り返りながら、盛大なため息を堪えきれなかった。

前回