52. What's On Your Mind

1.

「紅茶のおかわりはいかがですか、お嬢様」

「え、ええ。お願いするわ」

 折り目正しい仕草で腰をかがめて少しだけ顔を寄せ、精一杯気取った声音で尋ねた俺に、マグナはいつもより緊張した面持ちでぎこちなく頷いた。

「かしこまりました」

 ついさっき裏で習ったばかりの、付け焼き刃の見本市に出品して恥ずかしくない俺の紅茶の淹れ方が炸裂する。

 もちろん、世界のはじまりから心得てました、という澄ました顔は崩さない。

「あら、ヴァイス。しばらく見ない内に、随分と所作が綺麗になったのね」

「ありがとうございます。別の仕事で高貴な方のお相手をさせていただく機会がありましたので、そのお陰でしょうか」

「興味深いお話ね。後で詳しく聞かせてもらえる?」

「構いませんが、私などの話よりも、いまはお嬢様方でご歓談ください」

「ええ、もちろん。いかがでしょう、お二方。楽しんでいただけておりますかしら」

「え、ええ」

「はい、とっても! あの、私にも紅茶のおかわりいいですか、ヴァイスさん」

 シェラに言われて、俺は軽く腰を折る。

「これは失礼致しました、お嬢様。すぐにご用意致します」

 などとホザきつつ、給仕台から予備のポットを取り出して、新しい紅茶を淹れ直す。

 借り物の執事服を着ているので、見た目はそれなりだと思うんだが、振る舞いまでそれっぽくできてるかどうかは、正直よく分かんねぇな。

「このお部屋、とってもいい香りがしますね」

 と、シェラ。

「気に入っていただけて嬉しいわ。私、ポプリを作るのが趣味ですのよ」

「たくさん飾ってらっしゃいますもんね。インテリアとしても、とっても素敵です。乾燥ポプリですよね。ということは、エジンベア式ですか?」

「あら、お詳しいのね。ええ、私共わたくしどもの母国がエジンベアなものですから」

「あ、だからなんですね」

「この部屋にあるポプリのいくつかは、私共の扱っている茶葉を使っておりますのよ」

「ありがとうございます——はい、お紅茶もとってもいい香りです」

 新しい紅茶を給した俺に軽く目礼して、シェラは優雅な仕草で取っ手を摘んでカップを持ち上げる。

 なんか、すげぇ場慣れしてんな。

 マグナやリィナが粗相をしないかばかりが気になって、あんまり記憶にないんだが、ロマリアなんかで城に呼ばれた時も、そういえばシェラは無難に振る舞ってた気がするな。少なくとも、悪目立ちをしていた記憶は無い。

 こいつが抱えている事情もあって、ついつい実家の事は聞きそびれていたが、ジツはいいトコの子供だったのか?

「それはバハラタ産で、年に三回収穫される二回目の茶葉ですの。味と香りのバランスがとっても良くて、わたくしもお気に入りなの」

「へぇ、バハラタは黒胡椒の他に、紅茶の名産地でもあったんですね。それは知りませんでした」

 このささやかなお茶会のホストである彼女は、ふふっと楽しげに微笑んだ。

「どうかしましたか?」

 シェラの率直な問いかけに、苦笑混じりに応じる。

「いえ、大した事ではないのだけれど——まさか、ヴァイスのお仲間である貴女方と、こんな風にお茶ができる日が来るだなんて、思ってもいなかったものですから。少し不思議な気持ちになってしまって」

 ですよね。

 唐突で、突拍子もなくて、しかも身勝手な俺の頼みを聞いてくれたのは、バハラタとジパングの間に位置する一地方を治める領主の娘、ユーフィミア嬢だった。

 つまり、エフィだ。

 窓から差し込む午後の日差しに豪奢な金髪を輝かせたエフィは、一瞬だけ俺を睨みつけて、すぐにシェラに視線を戻した。

「不躾な事をお尋ねしてもよろしいかしら。シェラ様は、アリアハンでは何をしていらしたの?」

 俺の持ちかけた巫山戯ふざけた相談に真面目に取り組んでくれているらしく、エフィは記憶の中の彼女よりも気取った態度と話し方で尋ねた。

「えぇと……」

 様子を窺うように、シェラは俺にちらりと目を向けた。

「ああ、ごめんなさい。言い難い事でしたら構いませんのよ」

「いえ、大丈夫です。別に隠している訳ではありませんから。えと、私、父親がいちおう男爵家の当主なんです」

 は——?

 え、マジで!?

 思ってたより遥かに複雑そうな出自を繰り出してきやがったな。

 お陰で、エセ執事を演じてる最中だってのに、思わず一瞬、表情が崩れちまったよ。

 驚いた様子が無いところを見ると、マグナは元から知ってたみたいだな。

 俺より一年以上も付き合い長いですもんね。微妙に疎外感を覚えるぜ。

「まぁ、アリアハンの……それで、振る舞いがしっかりしていらっしゃるのね」

「あ、違うんです。えと、いちおう血の繋がりはあるんですけど、私、その、庶子なんです」

 どこか申し訳なさそうに、そんな情報を付け加える。

 おっと。これ以上、まだ複雑になるのかよ。

 いまいちピンと来ねぇけど——つまり、お貴族様のご落胤てことだよな。

 いや、待て。確かシェラって、独りっ子じゃなかったっけ?

 え? こんなトコで、俺達なんかと冒険に明け暮れてて大丈夫なのか?

 本家に腹違いの兄弟がいるから大丈夫とか、そういうアレか?

「ごめんなさい、本当に不躾なことをお尋ねしてしまいましたわね」

「いえ、あの、そんなに大した話じゃないんですよ?」

 心苦しそうに恐縮するエフィに、シェラは取りなすような笑顔を向ける。

「ただ、ウチの母親が、何故かずっと勘違いをしてまして。私なんてただの庶民でしかないのに、社交界に出しても恥ずかしくないようにってうるさく躾けようとしていたので、もし多少は見られる振る舞いが出来ているとしたら、きっとそれが理由です」

 はぁ、と少しわざとらしい溜息を吐く。

「といっても、私は母の期待に応えられなかった落ちこぼれなので、たかが知れてますけど。されていたのも、淑女教育じゃありませんし——ああ、いえ、ホントおかしいんですよ? 私みたいなのがお父様に認められる筈ないのに、なんであの人は——」

 僅かに昏い笑みを浮かべたシェラは、すぐに慌てて体の前で両手を振った。

「すみません、お耳汚しでした! こんなどうでもいい話より、ほら、今日はマグナさんが主役なんですから! 大丈夫ですか? せっかく素敵なお茶会を開いてくださったんですから、ちゃんと楽しんでください」

「え、ええ」

 お茶会がはじまってから、ほとんど「ええ」しか口にしてないぞ、マグナ。

 お前にお嬢様気分を味わわせてやる為に、こんな茶番——もとい、お茶会を開いてもらってんだから、気楽に満喫してくれよ。

「何か至らぬ点でもございますか、お嬢様」

 せいぜい気取って後ろから話しかけると、最近目にした覚えがないほど焦った顔が振り向いて、ひそひそ声で文句を言う。

「ちょっと、なんなのよ、これ!? 聞いてないんだけど!?」

 うん。驚かせようと思って、お前には適当な誤魔化しを伝えながら、秘密で準備を進めたからな。

「何って、こういうお嬢様と執事みたいなのやりたいって言ってたじゃねぇか」

「こういう事じゃないでしょ!? 二人っきりの時にって言ってたのに、なんで他所よその人まで混ざってるのよ!?」

「いや、冷静に考えたら、俺だけでこんな場を用意すんのは無理だよ。それに、本物のお嬢様がいた方が、それっぽくなるだろ?」

「そんな事の為に、わざわざあの人を巻き込んだの!? あんた、バカじゃないの!? あの人にも迷惑でしょ!? 大体、誰がこんなに大袈裟にしろって言ったのよ!? あたしだって、ちゃんとした作法なんて知らないんだから、恥かくだけじゃない!」

 器用に小声で怒鳴るもんだ。

「んな気にしなくて大丈夫だっての。これ、ごっこ遊びだから。知り合いしかいねぇんだし、作法なんて適当でいいよ。俺も適当にそれっぽく振る舞ってるだけだし」

「そういう訳にいかないでしょ!? だったらせめて、身内だけにしておきなさいよ!!」

 あー、なるほど。

 俺とマグナの間で、身内の概念に齟齬があるんだな。

 そりゃそうだ。

「どうかされまして? ヴァイスが何か失礼でも?」

 いつも以上にお嬢様然と振る舞ってくれているエフィが怪訝な声を掛けると、マグナは慌てて姿勢を正す。

「い、いえ、なんでもありません……の」

 ぎこちない返事に、危うく吹き出しそうになっちまった。

 コイツのこんなザマ、本当に久し振りに見たな。

 再会してからこっち、ご立派な勇者様としての超然とした態度を目にすることが多かったからさ。

 マグナにお嬢様気分を味わわせるという目的はどうやら失敗に終わりそうだが、俺個人としては悪くなかったかも知れない。

 なんだかコイツが遠くに行っちまったみたいな気分を覚えなくもなかったからな。

 本人が「別にあたしは、あんたの知らない誰かになんて、なってないわよ」と言っていた通り、マグナはやっぱりマグナで安心したっていうか——俺ばっかり得してるみたいで、マグナにもエフィにも、どっちにも申し訳ないけどさ。

「後で覚えてなさいよ」

 せっかく苦労して笑いを堪えた甲斐もなく、最後にギロリと俺を睨みつけて、マグナはまたぎこちなくお茶会のテーブルに向き直るのだった。

 どうも、俺の独りよがりに付き合わせちまったかね。

 思いついた時は、いい気晴らしになるかと思ったんだけどな。

2.

 話は一旦、俺達がサマンオサの王都を離れた日にまで遡る。

 貧民街でライラと手下のガキ共の様子を覗いたついでに、俺はとある墓場まで足を伸ばしていた。

 思い出したくもねぇが、王城の地下牢から秘密の抜け道を通って這い出した先にある、あの墓場だ。

 サマンオサを訪れた最初の日に見かけた葬儀が行われていた場所でもある。

「——ん?」

 目指す墓碑の前に人影を認めて、目を眇める。

 やたらと逞しい、あの見慣れた後ろ姿は。

「やはり、来たか」

 俺の足音に気付いて振り向いたのは、つい数日前に屋敷を訪ねたファングだった。

「なんでお前が居るんだよ。アホほど忙しい癖に、こんなトコで油売ってていいのか?」

 お前は、まだ当分は王都の治安維持に奔走する日々を送ってる筈だろ。

 なにサボってんだ。

「随分な言い草だ。友人の墓参りくらい、好きにさせろ」

 墓碑に視線を落としながら、そんなことを言う。

「それに、クリスのお陰で多少は余裕が出来たんでな。正直、驚いたぞ。お前の紹介だけあって、あれは有能な男だな」

「そりゃ、よかった。せいぜいこき使ってやってくれよ」

 想像上のクリスが脳裏で恨みがましく睨んでいたが、なに、構うもんかよ。

 目論見通りで、ざまぁみろってんだ。

「それで、今日が出立の日だと思い出してな。ここに来れば会える気がしたんだ」

「ま、最後にいちおう報告にな」

 牢屋から這い出した時はそれどころじゃなくて、素通りしちまったのを知ってから、ずっと気になってたんでな。

 あんたが身を張ってなんとかしようとしてたこの国の厄介事は、ひとまず片付いたぜって、挨拶しとこうかと思ってよ。

 俺は跪いて、さっきライラから押し付けられた花をブレナンの墓に供える。

『お墓参りに花も用意してないとか、貴方、頭沸いてんですか?』

 相変わらず生意気な口を利きながら、配下の子供達に命じてあっという間に花を調達してみせたライラの姿を思い出して、口の中で苦笑する。

 あのちびっ子なら、国を救った勇者様と第一王女のツテなんて無くてさえ、商売の方はどうにでもしちまいそうだ。

 てことで、ちと挨拶が遅くなっちまったけどさ、ブレナンさんよ。

 顔も知らねぇヤツに、こんな報告されても困るだろうけど、あんたが憂いてたこの国の問題の最悪の部分だけは、とりあえず取り除いておいてやったぜ。

 いや、俺じゃなくて、俺の仲間がな。

 これから先の方がよっぽど大変だろうけど、前より良くなるか悪くなるか、後はあんたの国の連中次第だ。

 ま、ウチの勇者様も種蒔きだけはしてったみたいだしさ。

 なにより、俺の横で突っ立ってるあんたの親友がいる限り、前より悪くなるこたねぇと思うぜ。

 ああ、そうそう。

 残されたあんたの家族には、この先生きていくには困らねぇくらいの補償金が支給されることになったみたいだから、そっちも安心してくれ。

 あんたも面識あると思うけど、クリスの奴が手を尽くしてくれたんだ。

 だから、さぞかし無念だったろうとは思うけどさ。

 できれば心安らかに、この地に縛られることなく、天に召されてくれよ。

 教会の教えをさっぱり信じてない俺なんかが吐いていい台詞じゃねぇけどな。

「健在な内に、お前にも引き合わせたかった」

 組んでいた両手の指を解いて腰を上げた俺に言うともなしに、ファングがそんなことを呟いた。

「なんでだよ。俺なんかと縁ができたって、仕方ねぇだろうよ」

「多分、気が合ったと思うぞ。ひどく頭の良い、冗談好きで気さくな御仁だったからな」

「そんな立派そうな人を、こんなチンピラまがいに引き合わせようとすんじゃねぇよ」

 と言い返している相手は、ブレナンよりよっぽどご立派なお貴族様だったりする訳だが。

「減らず口を」

 ひとしきり苦笑したファングは、亡き友の面影を追うように空を見上げる。

「これから、この国の人間の手で、ブレナンに恥じない国を作り上げていかねばな」

「お前がいるから、心配いらねぇだろ。そんじゃな」

 俺はファングに背を向けて、片手を上げた。

「行くのか」

「ああ。つか、別れの挨拶なんざ、この前すっかり済ませたつもりだったのに、気恥ずかしいから見送りに来んなよ」

 振り向いてビシッと指で差してやると、ファングはくつくつと喉の奥で笑う。

「それは、すまなかったな」

「マッタクだよ。ほんじゃな」

「ああ。達者でな」

「お前もな」

 俺はそれ以上振り返ることなく、マグナ達を待たせている魔法協会の建物へと向かった。

3.

「こいつはまた、一体どういう冗談なのさ、ヴァイス?」

 ファングと別れて王都を出てから、半月余り。

 俺達は、サマンオサ王国の東端に位置する、とある港町を訪れていた。

 理由は他でもない。当初の予定通り、アイシャの町から南下してきたグレース一味と落ち合う為だ。

「いや、大真面目だけど」

 グレースが眉をひそめてみせたのは、ガヤガヤとうるさい酒場の喧騒にかき消されがちな、俺の声量に文句があるせいばかりではないだろう。

 仕方なく、説得の言葉を重ねる。

「俺の横に座ってる、このエンゾっておっさんだけどさ、こう見えて滅法頭が回るんだ。裏社会にも通じてて実戦値が高ぇから、グレースみたいな稼業の補佐役には、俺よりよっぽど役に立つよ。俺じゃ思いついても取れないような汚ぇ手も、このおっさんなら使えるしな」

「オイ。さっきから、誰がおっさんだよ。俺ぁまだ、三十そこそこだぞ」

 本人から異を唱えられたが、文句を言うとこソコなのかよ。

「おっさんじゃねぇか」

「チッ、これだから若ぇヤツぁ。三十なんて、手前ぇもすぐだぞ、すぐ」

 ぶつくさと、おっさんが口にしそうな定番の文句を口にする。

 この様子じゃ、歳若い連中が多かった、あのチンピラ共に溶け込むの、大変だったろうな。

 年長者という立場は主導権を握るには都合が良かっただろうが、言葉遣いとか相当無理をしていたに違いない。

 いま考えると笑えるな。

「オイ、何ニヤついてやがんだよ」

「うっせぇな、あんたにゃとっくに了解取っただろ。商品は黙って紹介されてろよ——このおっさん、頭がそれなりに回る上に、なんとリィナともソコソコやりあえるくらいに腕が立つんだ」

「うん。それは、ボクも保証するよ」

 俺と背中合わせの席で飯をかっ喰らいつつ、他の連中と話していたリィナが、ちょっと振り向いて口添えをした。

 こんな喧騒の中で、よくこっちの会話が聞こえたな。

 気にしてくれてたのかね。

「確かに、そりゃスゴいね。ホントなら」

「だろ? あと、これが一番の決め手なんだけどさ。今までよく生きて来られたなってくらい、義理堅いんだわ、このおっさん」

「あァ?」

 俺の左隣り、長テーブルの端に腰掛けたエンゾが、機嫌の悪そうな唸り声を上げた。

「本人は、ヴァイスの評価に不服みたいだけどねぇ」

 エンゾの正面に座っているグレースは、酒や料理を口に運ぶ手を止めて、値踏みするようにエンゾの顔を眺めていた。

「気にしなくていい」

「オイ」

「だって、負けが確定してる状況で、一人で敵地に取り残されても、貰った前金の分は働こうとするんだぜ。少なくとも契約が残ってる間は、まず裏切らないと思っていいよ」

 なにしろ自分もろともその場の全員を殲滅しようとした雇い主を逃がす為に、こいつは体を張ってリィナを喰い止めたのだ。

 ギアに雇われていた三人の中で、エンゾが違うのがそこだった。

 他の二人もそれなりに腕は立ったが、いかにも金で雇われた連中といった風情で——簡単に言えば、倍の金を積まれたら、当たり前に寝返る類いだ。

 だが、このエンゾは、一旦引き受けたら契約を全うするまで自分から破棄はしない。それが良いか悪いかは別にして、そのように自分を律している人間なのだ。

「……俺みたいな稼業は、信用第一なんだよ」

「どっかで聞いたような台詞を持ち出してまで、照れ隠しすんなよ。褒めてんだから、いいじゃねぇか」

「とても、そんな気分にゃなれないね」

 何を拗ねてそっぽを向いてやがるんだ、このおっさんは。

「ふぅん。ヴァイスがそこまであからさまに他人を褒めるなんて、珍しいね。俄然、興味が沸いてきたよ」

 まぁ、ある意味、押し売りだからな、これ。扱う商品のことは、そりゃ良く言うだろ。

「なら、雇ってみてもいいんじゃねぇか。物は試しって言うしさ」

 申し訳ないけど、俺は一緒に行けないんでな。

 切実に補佐役を欲しがってるグレースへの、せめてもの罪滅ぼしというかなんというか。

「で、エンゾさんだっけ? 肝心のアンタの気持ちの方は、どうなのさ。アタイらに、力を貸してくれる気はあるのかい?」

「……あんたらの噂は、俺も聞いてるよ。ラカムのおやっさんの一味だろ」

 エンゾの返しを耳にして、長テーブルを囲んだ海賊達の空気が変わった。

「親父を知ってるのかい!?」

「いや、知ってるって程じゃねぇな。昔、ちと話したことがあるだけだ——あんたの顔は、そン時に見た覚えがあるな」

「悪ぃが、こっちァてんで記憶にねぇな」

 グレースの隣りで、話を振られたホセが首を捻る。

「だろうな。顔を合わせたのは、ほんの一瞬だ。しかし、へぇ、嬢ちゃんがねぇ」

 なにやら含みのありそうな視線で、エンゾはジロジロとグレースを眺め回す。

 自分で紹介しておきながら、それで胸の裡にモヤモヤを抱えちまうんだから、我ながら度し難い。

 俺は密かに、右隣りで料理を口に運ぶマグナを盗み見る。

 まるで興味がなさそうな、つまらなそうな表情に、何故か安心するのだった。

「なにさ。アンタも、女だてらに船長なんて気に喰わないってクチかい?」

「いやぁ、俺も自分で意外なんだが、あんまりそんな風には感じねぇな。能力さえあれば、文句はねぇよ。そもそも、こっちの嬢ちゃんにも、俺ァ軽くヒネられてるんだ。いまさら女だからって理由だけで侮りゃしねぇさ」

 斜め後ろのリィナを親指で肩越しに指差して、口をへの字におどけてみせる。

「ん? おっちゃんも、割りと強かったよ」

「そりゃどうも。ただ、自分で仕事を選ぶってのが、俺みたいなゴロツキに残された数少ない権利でね。上手く使ってもらえんのかどうか、もうちょいと確かめさせて欲しいモンだな。なにしろ、雇い主にこっ酷く裏切られたばっかで、絶賛傷心中なんだ」

「ふぅん。さすがは、ヴァイスの口利きっていうか——いるところには、いるモンだねぇ」

 グレースは、色っぽい含み笑いを浮かべた。

「なら、お互いもっと分かり合う為に、上で二人で飲み直さないかい?」

「ああ、もちろん。願ってもないね」

 上に向かってグレースが目配せすると、エンゾも満更でもなさそうにニヤリと返す。

 海賊一味の主だった面子は、この酒場の二階に泊まっているのだ。

「よかったら、親父の話も聞かせておくれよ」

「いや、ホントにちょっと話したことがあるだけなんだわ」

「それで構わないよ」

 とか口にしながら、椅子を鳴らして立ち上がった二人は、なにやら熱っぽく視線を絡ませながら、宿屋の食堂を後にする。

「あーあ。アレ、気に入っちまったぜ、お頭」

 骨付き肉にかぶりついていたホセが、指を舐めなめ呆れた声を出した。

「うん。気に入ると思って引き合わせたんだから、そうじゃなきゃ困るんだけどさ」

「お前ぇも、よく分かんねぇヤツだな、ヴァイス。ええ? 結局、お頭にゃ一度も手ぇ出してねぇんだろ?」

 いきなり変なことホザかないでもらえますか、ホセさん。

「ソレドコじゃねッスよ。自分でベツのオトコ連れて来てあてがうとか、マジ意味分かんねー。カクジツ、頭おかしッスよ、やっぱコイツ」

 それまで、マグナのさらに右隣りのシェラにちょっかいを掛けていたダヴィが、ここぞとばかりに俺をこき下ろした。

「だから、グレースと俺は、元々そういうんじゃねぇっての」

 シェラの前に置かれているサラダに手を伸ばすフリをして、マグナの様子を窺う。

 相変わらず、興味無さそうだな。うん、まぁ、助かるけどね。

「男と女が一緒にいるだけで、すぐそうやって短絡すんの、どうかと思うぜ」

「男と女が一緒にいて、他にナニがあるってんスか。ねぇ、ペドロさん」

 うるせぇな、このダヴィ。黙ってろ。

 ペドロも、黙然と頷いてんじゃねぇよ。

「フン。野の獣でもあるまいに、これに関してはヴァイスの言が正しい」

「ハイハイ。ホントは誰より興味あんのに、意識し過ぎて女とお喋りも出来ないムッツリくんは黙ってようねー」

 珍しく俺に同意したルーカスだったが、子供をあやす口調のダヴィに一蹴される。

 いつもながら頼りにならねぇな。

「つか、なんで姫っち連れて来てくんなかったんスかー。あ~あ、会えるの楽しみにしてたのにー」

「そりゃ俺もだ。久し振りに、エミリーの顔を見たかったぜ」

「ッスよね、ホセさん。ヴァイスに任せてたら、全部コレだもんなー、マジよー」

 ダヴィ、こいつ。

「うるせぇな。さっきも言った通り、姫さんはサマンオサの王都に居るんだから、会いたきゃ王都まで付いてきゃいいだろ。ルーカス達と入れ替わりで、何人か向こうに行くことになってんだろうが」

「いやホラ、俺はお頭の側を離れるワケにゃいかないんで」

 お前がグレースの側にいて、なんの役に立つってんだよ、ダヴィ。

 どうせ王都までの道中が危険だから、行きたくねぇだけだろうが。

「それじゃ、あたしはそろそろ失礼するわね」

 話の流れをぶった切って、マグナが椅子を引いて立ち上がった。

「あれ、帰っちまうんスか?」

「ええ。ソイツの付き添いで、ご飯を食べにきただけだから」

 周りの海賊連中をぐるっと見回しながら、少し声を張る。

「あの町で失礼なことしちゃったお詫びに、ここはあたしが払っておくから、後はみんなで好きに飲んで」

 途端にあがった歓声を涼しい顔で受けてから、じろっと俺を見下ろす。

「あんたも、適当なトコで切り上げなさいよ」

 いつもクダ巻いて酔い潰れてるお前に、そんな注意をされるのは心外ですね。

「ああ、分かってる」

 だが、俺の返事を聞く前に、マグナはさっさとシェラに向き直るのだった。

 このぞんざいな扱いは、出会った頃を思い出すな。

「シェラはどうするの?」

「あ、はい。私も戻ります——それじゃ、皆さん、失礼します」

「えー、まだいいじゃないスかー。代わりにヴァイス帰らせますからー」

 なに馬鹿言ってんだ、ダヴィのアホは。

「あはは、すみません。私、お酒飲めないので——リィナさんも、あんまり遅くならないようにしてくださいね」

「はいよー」

 後ろのテーブルで喋りながら、短く返すリィナ。

 そのリィナと俺の椅子の間を体を横にして通り抜け、マグナとシェラは帳場の方に立ち去った。

 やっぱり知らない人間ばっかだから、身の置き所が無かったのかね。付き合わせちまって、悪いことしたな。

「あーあ。ヴァイスの所為せーで、綺麗ドコが二人も帰っちまったじゃないスかー」

「いや、俺の所為かよ」

「決まってんじゃないスか。アンタ阿呆アホだから、どーせ分かってないっしょケド」

 はぁ?

 よりにもよって、ダヴィに阿呆と言われたショックで、しばし言葉を失う。

「フッ。知らぬは本人ばかりなり、とは正にこの事だな」

 思いついた言葉を得意げに口にしたルーカスだったが、お前それ、別にウマいこと言ってねぇからな。

「ソレに引き換え、アッチは大した気風キップスねぇ。前会った時も思ったスけど、さっすが勇者様みたいな。ヴァイスとマッタク吊り合ってねッスけど、どうすんスか、アレ」

「どういう意味だよ。別にどうもしねぇよ」

「ハァ……アンタもう、ホント救えないッスね。何がしたいんスか、マジで」

 なんだ、こいつ。今日はヤケに絡んでくるな。

「ウチのお頭ソデにしといて、あっちの勇者サマともそんなコト言ってっから、アホだってんスよ。意味不明過ぎて笑けてくんスけど」

 細い巻毛をくるくると指に巻きつけながら、珍しく本気で苛ついた表情を覗かせる。

「うっせぇな。お前は知らねぇだろうけど、マグナとは、そういう話はもう終わってんだよ」

「ハァ?」

 えらく顔を顰めて、ダヴィは吐き捨てた。

「なんスか、ソレ。どーせイツモの、しょーもない自分下げっしょ」

「そんなんじゃねぇよ」

「どーだか。ヴァイスアンタの不幸は、自分がアホだと気付いてないことスからね」

 黙ってろ、馬鹿ダヴィ。お前にだけは、言われたくねーよ。

 と、いつもの調子で軽くあしらおうとして、舌打ちついでにそっぽを向いたのがマズかったらしい。

「……マジよ。お頭にあんだけ必要にされて、ナニが不満なんだよ、アンタ……何様のツモリ?」

「ダヴィ」

 嗜めるようにホセが名前を呼んだが、ダヴィは構わず続ける。

「俺っちは——いや、俺だけじゃねぇ。ここの若い連中は、みんなお頭に拾ってもらったんだ。じゃなきゃ、おっんでヤツばっかだ。だから、みんな、お頭には感謝してる。アンタのやり口って、そのお頭をバカにされてるみたいで、我慢できねぇんだよ!」

 肩を掴まれて振り向かされると、いつもヘラヘラと軽薄なダヴィの顔に怒りが浮かんでいた。

 ああ、本気で腹を立てているんだな。

 その隣りでルーカスが、場の空気に耐え切れなかったのか、挙動不審に視線をアチコチに飛ばしているのを目にして、危うく笑いを堪える。

 真面目な場面だってのに、勘弁してくれよ、お前。

「わり。空気悪くしちまったな」

 ダヴィの手を払い除け、椅子を引いて立ち上がる。

「……逃げんスか」

 感情を吐き出して、多少は冷静になったのか、ダヴィは口調を戻して言った。

「だって、俺、いねぇ方がいいだろ?」

「……そーやって、なんもかんも曖昧なまま行っちまうんスか」

「いや、俺なりに、曖昧にしないでケジメつけたつもりだったんだけど」

 実際、エンゾはこの海賊団の参謀役として、なかなか得難い人材だと思うんだけどな。

 自分を裏切った雇い主を逃がす為に体を張るくらい義理堅いのは本当だし、この町に来るまでの半月余りの道程で、その為人ひととなりも十分に確かめたつもりだったんだが。

「そりゃ、アッチの人のが、ヴァイスなんかよりよっぽどお頭の役に立ちそっスけど」

「なら、いいじゃねぇか」

「……そういう問題じゃないっしょ」

「いや、そういう問題だろ」

 つまり、俺とダヴィで問題にしてる場所が違うんだ。

 話は平行線のまま、交わらないだろう。

「邪魔したな。俺も、戻るわ」

「すまねぇな、ヴァイス。コイツら、この先もお前ぇと一緒にやってけるモンだと思ってたみたいでよ」

 ホセが俺を軽く拝んでみせる。

「やめてくださいよ、ホセさん。そんなん、思ってねっスから」

「ちっと時間置きゃ、ダヴィコイツもアタマ冷えっと思うからよ」

「ああ。気にしてねぇよ」

「おう。次来た時ゃ、俺が奢っからよ。そんで、チャラにしてくれや」

「そんじゃ、また今度タカりに来るわ」

「いや、来なくていッスから」

 マッタクよ、優秀な人材まで紹介してやったってのに、相変わらず文句を言われてばっかじゃ、甚だ不本意だぜ。

 せめて、次来た時にはたんまり奢らせてやっからな、覚悟しとけよ。

4.

「待ってよ、ヴァイスくん」

 酔っぱらいや客引きで賑わう繁華街の夜道を宿屋に向かって歩いていると、後ろからリィナの声が追ってきた。

「なんだ、お前も出てきちまったのか。残って飲んでてよかったのに」

 立ち止まって振り返ると、すぐ横の酒場から漏れる灯りに照らされたリィナの頬がぷくーっと膨れる。

「そういうこと言う? あんな空気で、ボクだけ残っても居心地悪いだけじゃん」

 ああ、そうね。申し訳ない。

「それに、こういう時でもないと、ボクはヴァイスくんと二人きりになんてなれないのにさ」

「え? ああ、うん」

 返事を濁していると、リィナはにやーっと人の悪い笑みを浮かべた。

「あ、ヘンなこと考えてる。よかった、全然意識されてないのかと思ってたよ」

「お前な……」

「それに、ボクが残ったのは、ヴァイスくんの護衛も兼ねてるんだから。ひとりで行かせるワケないでしょ」

 なるほど、そういう意図もあったのか。

 確かに俺の腕っ節じゃ、そこらのチンピラに絡まれただけでも怪我を負い兼ねないもんな。特に、この辺りは港町の盛り場だけあって、治安も決して褒められたモンじゃなさそうだし。

 とはいえ——

「ちぇっ、なんとも情けねぇ扱いだな。俺だって、アリアハンに居た頃からゴロツキ共と付き合いあんだから、別にそこまで心配して貰わなくても大丈夫だよ」

「うん、それは分かってるよ。でも、そこら辺の人にカラまれてムカついたからって、こんな町のド真ん中で魔法使って、そこら中を焼け野原にしたらダメなんだからね?」

「いや、そんなことするかよ」

 ギアじゃあるまいし。

 下準備でもしてればともかく、そもそも俺が使える呪文程度じゃ、そこまで大それた真似は出来ねぇよ。

「ううん。多分、ヴァイスくん、まだ良く分かってないもん」

 そんな事を、よりにもよってリィナが言いやがるのだ。

「なにをよ?」

「昔と同じようなノリで、ヴァイスくんに喧嘩とかされたら、それを悪い人達に利用され兼ねないんだよ。いまのマグナって、そういう立場の人間だってこと」

 え。まさかリィナの口から、こんな忠告を聞くことになるとは。

 とはいえ、いちおうお付き筆頭みたいなモンだし、苦言を呈すること自体は立場的に間違っちゃいないのか?

 けど、お前それ、ちゃんと自分でも気を付けてるんだろうな。

「それに、キミって言ってみれば、マグナのゴリ押しでロラン様に黙認されてるだけの、吹けば飛ぶようなびっみょ~な立ち位置なんだから、もうちょっと自覚してよね」

「それは分かってるけどさ……」

 いや、分かってなかったかも知れない。

 俺は勝手に四人で旅してた頃の感覚に、表面上だけでも戻れるもんだと勘違いしてたけど、あの頃とは前提からして全然違うんだよな。

「も~、ボクにこんなこと言わせないでよ。ほら、危ないよ——」

 言ったそばから、酔っ払って気を大きくしたどこかのゴロツキが、はしゃいで振り回した腕に当たらないように、リィナは俺の体に手を添えて避けさせる。

「……分かったよ。せいぜい大人しく、お姫様扱いされとくわ」

「だから、そんなスネた顔しないでってば。さっき仕入れた面白い話、聞かせてあげるからさ」

「面白い話?」

 俺が顔を向けると、なにやらリィナはにへっと相好を崩して、得意げな顔をしてみせた。

 正直、相当——いや、なんでもない。

「あのね、ボクの方のテーブルって、別の海賊団の人も座ってたでしょ?」

「え、マジで」

「あれ、気付いてなかったの? 昔馴染みっぽい人達が何人か、途中で合流したんだよ」

「ああ、それでか。なんか見覚えのねぇヤツが、リィナの前に座ってんな、とは思ってたんだけどさ」

 斜め上を見ながら記憶を探っていると、リィナの声が止んだことに気付く。

「で?」

「へっ? な、なにが!?」

 水を向けると、何故かリィナはしどろもどろに返した。

「いや、面白い話」

「あ、うん、そうだね。うん」

 なんなの。何を急に挙動不審になっとるんだ、コイツは。

「んんっ——えっとね、その別の海賊団の人から聞いたのは、海で彷徨う幽霊船の話」

 口に手を当てて咳払いをしてから、リィナはそんな風に語り出した。

「その日の海はすごく霧が多くて、でも、普段はその辺りに霧なんて出ないから、なんかおかしいなって皆で話してたんだって。それで、いつもより慎重に船を進めてたんだけど、周り中を霧に囲まれて先が全然見えなくて、いつの間にか陸からすごく離れちゃったらしくて」

 なんだ、よくある海の怪談話か?

 ちなみに、大洋を跨いで遠隔地へ単独で赴くような馬鹿な真似は、どこぞの勇者様やグレース一味みたいな一部の命知らずしか挑戦しないが、かといってこの地では海運が全く死んでいる訳ではなく、海岸沿いの航路で積荷を運ぶ商船の行き来は途絶えていない。

 当然ながら、それを獲物とする海賊も、細々と生き残っている訳だった。

 とはいえ、グレース一味と関わりのある団なら、おそらく本来的な意味での賊ではなく、表向きは商会か、もしくは許可証を持ってるような海賊だと思うけどね。

「まだ夜でもないのに、霧が出てるせいか辺りはすごく薄暗くて、一年を通して暖かい地方の筈なのに、空気も不自然なくらいひんやりしてて——ダメだ。真似して喋っても、全然怖くできる気がしないや」

 リィナは急に、納得のいかない顔つきで溜息を吐いて、脱力した様子でトボトボ歩く。

「聞いてた時は、不気味そうに感じたんだけどな~。あの人、すっごい話すの上手かったんだね……っていうか、ボク、物語おはなしするの下手だね?」

「いや、まぁ——内容は伝わってるよ」

「……やっぱり、下手なんだ」

「だって、お前が得意なのって口を動かすことじゃないだろ。いいから無理しないで、普通に話せよ」

 お前に怪談話は無理そうだし。

 リィナは不満げに、しぶしぶ頷いた。

「……分かった。そうする。でね、気付いたら、霧に紛れてボロボロの船がすぐ近くまで来てたんだって。なんか、海賊さん達の間では、幽霊船の話ってすごい有名なんだってね?」

「らしいな」

「だから、それだ! みたいに、皆すぐ連想して慌てて逃げようとしたんけど、どんだけ逃げてもいつの間にか側にいて、どうしても逃げ切れなかったんだって」

 ちゃんと話を聞いていることを主張する為に、俺はふんふんとか適当な相槌を入れる。

「で、どうせ逃げられないなら、逆に乗り込んでお宝をふんだくってやろうぜって、誰かが言い出したらしくて。その時は、みんな怖さで正気じゃなくなってて、やってやろうぜみたいに盛り上がっちゃったらしいんだよね。幽霊船にはお宝が眠ってるっていうのも、海賊の人達の間では有名な話なんでしょ?」

「いや、俺は海賊じゃないから、よく知らねぇけど」

「……あの美人の女船長さんと、仲良く海賊してたクセに」

 人聞きの悪い。俺と姫さんは、海賊は働いてねぇっての。

 聞き捨てならないが、あえて聞こえないフリをして黙っていると、リィナはフンと鼻を鳴らして続きを話し出した。

「それでね、勢い任せに乗り込んだまでは良かったんだけど、やっぱり怖くて、すぐ戻ってきちゃったんだって。甲板の上に骸骨とかがゴロゴロ転がってて、いかにも何か出そうな雰囲気っていうか、風邪をひいた時みたいに寒気がして、その場に居たら絶対呪われるって思うくらい、すごい怖かったらしくて」

 どうにか頑張っておどろおどろしい雰囲気を醸し出そうとする語り口が微笑ましい。

「でも、いくら怖いって言っても、なんにもらずに逃げ帰ったんじゃ海賊の名折れだって、ボクに話をしてくれた人が、そこら辺に転がってた骸骨の骨を拾って持ち帰ったらしいんだよ」

「よりにもよって、骨かよ」

「甲板には、他にすぐ持って帰れそうな物が何も無かったんだってさ。で、こっからが不思議なんだけどね。それまではどうやっても引き離せなかったのに、船に逃げ帰ったその人達がもう一回逃げようとしたら、いつの間にか霧が晴れて幽霊船はどこへともなく消えてたんだって」

「へぇ」

「……気のない返事だなぁ。も~、こっからが本番だって言ってるのに!」

 相槌が雑になって悪かったよ。

 だって、ここまでは話が典型的っていうかさ。

「その骨に、なんかあったのか?」

「え? そうそう、よく分かったね」

 だって、典型的じゃない要素って、その骨くらいしかないじゃん。

「あのね、話してくれた人もしばらく気付かなかったらしいんだけど、その骨がね、どこに置いても気が付くと向きが変わってるんだって」

「へ?」

 予想してたより、随分と地味な怪異だったので、俺の口から思わず間抜けな声が漏れる。

「だから、その骨がね、試しに紐で吊るしてみたら、船が移動してもずっと同じ方向を指したらしくて。でも、いつも決まった方角を指す訳じゃなくって、しばらくすると違う方を向いたりして、海賊さん達も不思議だなって思いながら、羅針盤代わりにもなりゃしねぇみたいに強がってたんだけど、怖がりの——なんて名前だったっけな。とにかく、怖がりの人が、ある日ボソリと呟いたんだって」

 リィナはもったいぶって、少し間を置いた。

「『こりゃ、持ち主が自分の骨を呼んでるんじゃねぇか?』って」

 妙な声真似までして、リィナは見得を切った。

 おそらく、ここが話のオチだったのだろう。

 ただ、語り口と話の組み立てがそこまで上手くないので、効果を発揮していない。

「ふぅん。つまり、その骨は幽霊船の方角を常に指し示す代物って訳か」

 俺が普通にまとめたので、リィナは大いに不満げな顔をした。

「えー、怖くなかった? ボクが聞いた時は、結構ゾクッとしたんだけどなぁ」

「いや、リィナの話し方がどうのってより、そいつは多分、何回も他人ひとに話して喋り慣れてたんだと思うぜ。いわゆる鉄板ネタってヤツだったんだろ」

「それってやっぱり、ボクの喋り方がダメだってことじゃん」

「で、その骨は、結局どうしたんだって? そんな気味の悪いモン、普通は手元に置いとかねぇだろ」

 あからさまに話をはぐらかせたので、リィナは唇を尖らせる。

「なんだっけな——グリンラッド? に住んでる好事家のお爺さんに売ったとかって言ってたかな?」

「ん? どっかで聞いたことあるな、その地名」

 ああ、スーで『やまびこの笛』について聞き込みをしてた時に耳にしたんだっけか?

「知ってるんだ。さっすが、ヴァイスくん。物知りだね」

「その言い回し、なんか懐かしいな」

 思えば、一年以上も聞いてなかった訳か。

 郷愁めいた感情が胸を満たすのは、あの頃のように戻ることはないと、ついさっき考えちまった所為だろうか。

「うん。こうしてると、昔を思い出すよねー」

 だがリィナは逆に、そんな風に呟きながら、俺に腕を絡めてきた。

「あの時も、こんな風に二人で夜道を歩いたよね」

 俺を見上げて、にへーと笑う。

 ああ、そっちを思い出すのか。

 ロマリアで二人で飲んだ時のこと。

「そうだったな」

「あの時の方が、どっちも酔ってたかな。ボク、立ち回りに影響出るまで飲んじゃったの、ホントにあの時が初めてだったよ」

 あの時と同じように押し当てられた胸から、あの時とは違う早鐘を打つ鼓動が伝わる。

 俺の腕にしがみつく、微かな手の震えも。

 そう。リィナの言葉とは裏腹に、やはりあの頃とは違うのだ。

 どうやら俺は、昔のように戻れることを、思った以上に期待していたらしい。

 自らの浅墓さや脆弱さを思い知らされるようで、その事実から、つい目を背けたくなる。

 俺は一体、何がしたいんだろうな。

 いまさらのように、別れ際の姫さんの言葉が脳裏に蘇る。

 離れた場所から手助けをするってのも、あるいは良い距離感なのかも知れない。

 いや、もちろん、俺のやる事に変わりはないんだけどさ。

「戻るか」

 俺達はさっきから、どちらともなく遠回りをして、真っ直ぐ宿屋に戻る道を避けていた。

「……うん」

 小さくて短い相槌。

 俺達は腕を組んだまま、しばらく無言で足を運び続けた。

「前にも思ったことあるんだけどさ」

「ん?」

 リィナが伏せていた顔を上げる。

「俺とお前って、案外、性格似てんのかもな」

「えー、そう?」

 からかわれていると思ったのか、リィナの意図的にはしゃいだような声が、すぐに立ち消える。

「……そうかも」

 だから何だって話とか。

 それがどういう意味を持つのかとか。

 そういうのを、似た者同士らしくお互いに呑み込んで、その後は特に会話もなく、俺達は宿屋に戻ったのだった。

5.

 そして、いま。

 無事にエンゾをグレースに引き渡した俺達は、エフィの故郷を訪ねていた。

 なんでそんなことになったのかというと、経緯はなかなかに複雑だ。

 順を追って説明するとだな、まず『ガイアの剣』のことをマグナ達が知っていたのだ。

 ほら、サマンオサに戻った直後のファングを訪ねて、ギアが行方を探してたっていう剣のことだよ。

 なんでも、魔王の居城に辿り着く為には、オーブと並んでその剣が重要な役割を担うらしいのだ。

 その話を最初に聞かされた時は意味がサッパリ分からず、さらには情報源が最果ての教会に住む預言者のお告げだと言われて頭が痛くなった。

『魔王の神殿はネクロゴンドの山奥……やがてそなたらは火山の火口にガイアの剣を投げ入れ……自らの道を開くであろう』

 以前、サマンオサがある大陸を迂回してマグナ達がジパングに向けて航海している途中で、たまたま寄港した小さな島の教会の預言者から、そんな御神託が下されたそうなのだ。

 俺には寝言にしか思えないが、各国の国王やその側近レベルの事情を知る連中の間では、いまや事実のように扱われている背景には、またぞろ生臭い理由がある。

 いつだかヴァイエルが口にしていたように、この世界において教会組織の政治的影響力は絶大だ。

 その教会に所属する預言者の言葉ともなれば、各国の上層部といえど無碍に扱う訳にもいかず、さらに言えば、マグナ達が集めているもう一方の秘宝であるオーブの必要性を説いたのが、ヴァイエル達魔法使いであることが、物事をよりややこしくした。

 要するに、教会のアホ共が、魔法使い連中への対抗意識をむき出しに、常日頃いつものように御神託よまいごとの精査もロクに行わず、絶対に必要なんだとゴリ押したのだ。

 それだけなら、厄介ではあっても話は然程複雑じゃなかったんだが、魔法使い共が教会に対する呪詛の言葉を連ねながら、仕方なく代わりに調べたところ、実際に必要となる可能性が否定できないことが判明したのだった。

 おそろしく渋々ながら魔法使い共がそれを上申した結果、目出度く『ガイアの剣』は、教会と魔法使い双方から必要と認定された神器に祭り上げられてしまったという訳だ。

 魔法使い共は「絶対に必要だなんて言ってない」と主張したに違いないが、お偉いさんなんてのは、ハナから結論だけを聞きたがるモンだからな。

 理解するのに手間がかかる細かい言い回しなんかは無視されて、分かり易くて派手な部分だけがいつの間にやら事実のように独り歩きしちまうのは世の常だ。

 そんな成り行きで、魔王討伐に必須の神器となった六つのオーブと『ガイアの剣』の探索が、いまのマグナの主たる目的とされているのだった。

 余談だが、ことほど左様に重要な『ガイアの剣』の情報をもたらした功績で、マグナのお付きとしての俺の立場は、黙認される程度には向上したらしい。

 てな訳で、サマンオサの元国王派を締め上げて、『ガイアの剣』の唯一の手掛かりであるサイモンを幽閉した場所を吐かせ、道すがらグレース一味にエンゾを引き渡しつつ『旅の扉』を利用して、彼の地を訪ねたまでは良かったんだが、順調なのはそこまでだった。

 サイモンが囚われていた孤島が浮かぶ湖は、なんと呪われていたのだ。

 いや、呪いって——そう突っ込みたくなる気持ちは分かる。俺だって呪いなんてモンは、軽佻浮薄な吟遊詩人どもが奏でる世迷言の中だけの話だと思ってたよ。

 だが、よくよく考えてみると、俺達はとっくに呪いという存在と相対していたのだ。

 そう。ノアニールの時を止めていた、エルフの王女アンの呪いだ。

 つまり、今回もモノホンの呪いである可能性を、俺達は否定できないのだった。

『もし恋人エリックとの思い出の品でも捧げれば。オリビアの魂も天に召されましょうに。噂ではエリックの乗っていた船もまた 幽霊船としてさまよっているそうな』

 果たして、小舟で孤島に近付こうと漕ぎ出すと、まるで生き物のように水面が盛り上がり、強制的に岸に戻されてしまう頓痴気トンチキな湖は実在した!

 つか、話がおかしくねぇか?

 湖に呪いをかけたとされるオリビアって女の恋人であるエリックが乗った船が幽霊船に成り果てて、思い出の品もそこ残されているのが、もし仮に本当だとしてもだ。

 この湖と、なんの関係があるってんだよ。

 なんでオリビアとやらの呪いは、まるで孤島を守るように働いてやがるんだ?

 つか、サイモンを孤島に投獄した連中は、どうやってそこまで運んだんだよ。

 それとも、時系列が違うのか。オリビアが湖を呪ったのは、サイモンが投獄された後なのか?

 だとしたら、この時期的な符合はなんだ?

 これはどうも、額面通りに受け取っていい与太じゃなさそうだ。

 俺達に噂を教えてくれた湖近くの宿屋のおっさんも、耳にするようになったのは最近だとか言ってたしな。

 それにしても、アンの時といい、ハタ迷惑な話だな、と思わずにはいられない。エミリーには悪いけどさ。

 まぁ、元から迷惑なヤツだからこそ、何かを呪ったりするんだろうが。

 ともあれ、宿屋の親父から話を聞いて真っ先に思い出したのが、リィナがサマンオサの港町で耳にした『船乗りの骨』の怪談だった。

 いや、信憑性なんて、もちろん無ぇよ?

 けど、湖の呪いを解くために、なんの当て度もなく幽霊船を求めて大海原を彷徨うよりゃ、いくらかマシだろう。

 ということで、『船乗りの骨』を譲り受けたというグリンラッドで隠棲してるって魔法使いを探し当てたまでは良かったものの、コイツがまた、『船乗りの骨』が欲しけりゃ『変化の杖』を持って来いなどという交換条件を出してきやがったのだった。

 都合が良いことに、サーシャ経由で頼んでもらって『変化の杖』自体は既にサマンオサ国王から譲り受けていたんだが——地下牢で俺が声を掛けたことも覚えていてくれたらしい——間の悪いことに、既にヴァイエルに渡した後だったのだ。

 一応、あっちが先約ということもあり、何か他の物に代えられねぇかと尋ねると、今度はエジンベア王家に伝わる『乾きの壺』で手を打ってやろうときた。

 なんでも周囲の水気を吸い取ってしまう代物だそうで、湿気対策によさそうだな。研究次第じゃ、逆に干魃対策とかにも利用できたりするかも知れん。

 それにしても、このたらい回し感。

 いつだかの魔法の鍵の時を思い出すな。

 てな訳で、今度は遥々エジンベアまで行くハメになったんだが。

 なんていうか、ほら、さ。

 せっかくエジンベアを訪問する機会なんだし、その——エフィを連れてってやりたいと思ってしまったのだ。

「貴方、本当に呆れた人ね」

 たった今、本人から叱られているように、これはねぇよな、と俺だって思ったよ。

 けど、この機を逃したら、エフィは一生故郷の地を踏むことがないかも知れないだろ。

 それが必ずしも不幸だとは言わねぇけど、意思を尋ねるくらいはしてやりたいと思ったんだよ。

 それに、エフィのトコに連れてけば、マグナにお嬢様気分を味わわせてやれるかなって——いや、余計に無ぇよな。分かってる。ホントに、何がしたいんだろうな、俺ってヤツは。

「一体、何をどう考えたら、こんな突拍子もないことを思い付くのかしら。貴方、私やあの方々のことを考えているようで、実際は自分の気の済むようにしているだけじゃない」

 本気で怒ってるというよりは呆れ果てた口調で、エフィはいつだかのマグナと同じようなことを言った。

 思えば、はじめて会った時——道端でぶつかったエフィを、俺は一瞬マグナと見間違えたんだよな。とすると、どこか似たものを俺は感じてるんだろうか。

 それにしても、お茶会がはけた後に「貴方ひとりで、わたくしの部屋にいらっしゃい」と耳打ちされた時は、どれだけ文句を言われるのかとビクついてたんだが。

 怒られないのも逆に落ち着かなくて、その気持ちが俺を下手したでに出させるのだった。

「ホントごめん。でも、迷惑だったら門前払いしてくれて良かったのに」

「あのねぇ、魔法使いの貴方でもすぐには来られないこんな田舎町まで勝手に押し掛けておいて、そんな口を利かないでもらえる? そんなことをされて、こちらが簡単にお断りできると思っているの? 言っておきますけど、貴方のやっていることって、ほとんど脅迫ですからね?」

「だから、ゴメンて。悪かったよ」

「………久し振りに会ったって言うのに、無茶なお願いをするばっかりだし、こうして二人きりになっても謝ってばかり。あーあ、私って、本当に都合が良いだけの女だと思われているのだわ」

 なんだよ。昨日、離れに泊まらせてもらった時はそんな素振りは微塵も見せなかった癖に、いまソレを口にするのかよ。

 昔、二人で恋愛ごっこに興じていた頃の、エフィの合図。

 ギシッ、と体の内側で関節の軋む音が聞こえた気がした。

「——悪ぃ。勘弁してくれ」

「あら、隣りにそっと腰を掛けて、優しく私を抱き寄せながら、甘い言葉を囁いてくれないのね」

 俺に流し目をくれながら、クスクス笑う。

 いや、お前がいま腰掛けてるのはベッドの端じゃなくてティーテーブルの華奢な椅子だし、当時だってそこまで甘ったるい態度を取ってたつもりはねぇよ。

「いま思うと、私は本当にはしたない真似をしていたわね——ああ、いまもかしら。自分の部屋で男の人と二人きりだなんて、貴方がお父様に認められた人でなければ、皆に何を言われるか分かったものではないわね」

「それが分かってんなら、俺なんかを部屋に呼ぶなよ」

 つか、わざと俺を困らせて愉しんでるだろ、ひょっとして?

「だって、あの方々とご一緒だと、取り繕った表面的な会話しかできないじゃないの。貴方がこうして、久し振りに顔を見せてくれたっていうのに」

「……そんなに苛めないでくれ」

「あら、そんな言い方ってないわ。私は、あのリィナさんという方にますます嫌われてまで、こんな損な役回りを引き受けているのだし、何かしらご褒美があって然るべきだと思うのだけれど」

 そうなのだ。

 リィナはお茶会には出席せずに、近くの森かどこかで例によって修行に励んでいる筈だ——この町までルーラのマーカーを持ってきてくれたフゥマと一緒に。

「だから、お礼はエジンベアに連れてく事だっての」

 俺の返しを聞いて、斜めに視線を落としたエフィの長い睫毛が見えた。

「そうだったわね。正直、とても意外だわ」

「なにが?」

「貴方が、私のことを未だに気にかけてくれていたことが」

 一瞬、言葉に詰まった俺に構わず、エフィは続ける。

「もう二度と会わないのだと思っていたし、そもそも私の事なんて、すっかり忘れてるんだと思っていたのよ」

「……いや、この際ぶっちゃけると、ちょいちょいエフィのことは思い出してたよ」

 エフィの方は、どうだか知らないけど。

 ふぅ、と苦笑まじりの溜息が聞こえた。

「すぐ雰囲気に流されて、そうやって相手の欲しがっていそうな言葉を不用意に口にするのが、貴方のいけないところだわ。本当に」

「え、ごめん。でも、別に嘘って訳じゃ——」

「せっかく先程は我慢してみせた癖に、これでは台無しじゃない。私はもう貴方がそういう人だって分かっているから構わないけれど、あまり感心できた事ではないわね。身近な人に対しては、特に気を付けた方がいいと思うわ」

「……ああ」

「何を言われているか、分かってる?」

「多分」

 エフィは今度は、少し長めに鼻から息を吐いた。

「というか、一体どうなっているの、貴方達は? 私はてっきり、貴方はマグナさんを追いかけていたのだと思っていたのだけれど」

「うん、それで合ってるよ。ちょっと前に合流して、サマンオサで国王に化けてた魔物を退治するのに力を貸してもらったんだ」

「その割りには、貴方達は恋仲という風には見えないのだけれど——って、ちょっとお待ちなさい。いま、聞き捨てならない言葉が聞こえたわ」

 ああ、そりゃそうか。

 こんな田舎町まで、サマンオサでの出来事が伝わってる訳ないよな。

「なんてことなの。マグナさんとの関係を問い質してやろうと張り切っていたのに、もっと気になることを耳にしてしまったわ。魔物が国王に化けていた、ですって?」

 エフィは気持ちを落ち着かせるように、繊細な柄が描かれたティーカップを口に運んで一息ついた。

「それではまるで、あのジパングで体験したことと同じじゃない。サマンオサのような大国で、どうして——ああ、もう我慢できないわ。ヴァイス、どうせ貴方、まるで物語のような興味深い体験を、他にもしてきたんでしょう。それを全部、私に話して聞かせてもらいますからね!」

「いや、別にそんな大した話はねぇけどさ」

「いまのひとつ取っても、大したことがない筈はないでしょう!? それに、サマンオサに残ったお姫様エミリーのことも、ちゃんと聞かせてもらいたいわ」

 そんなきらきら目を輝かせながら見詰められると、断りづらいな。

「……どっから話せばいい?」

「私と別れた後のことから聞きたいわ。あの後、ヴァイスはファング様達と一緒にアリアハンに戻ったのよね」

「うん。アリアハンに居たのは、ほんの半月くらいだったけどな。マグナ達がオーブを探してるのは分かってたから、ブルーオーブがあるランシールってトコに移動して、一ヶ月くらい待ち伏せてたんだよ」

「ひと月も? その間、たたぼーっと待っていたの?」

「いや、俺にしては珍しく、ちゃんと仕事もしてた。ルーラで世界のあちこちに客を送り届ける貴族相手の商売でさ。いま考えると、ありゃ実入りが良かったな」

「さっき言っていたお仕事ね。ふぅん、それで所作が見違えたのね」

「そんなに変わったか?」

「ええ。昔、私の恋人役をお願いした時とは大違い」

 古い話を蒸し返すなよ。

「ひと月程度であそこまでになるのなら、私も厳しく躾けておけばよかったわ」

「いや、まぁ、仕事だったからな。必要な部分だけつまみ食いして、必死で覚えたんだよ」

「多少なりと礼儀作法を身につけたっていうのに、普段は相変わらず、こうして粗野な口を利いているのは、貴方なりの心のバランスの取り方なのかしら」

「単純に面倒臭ぇだけだよ。意識してねぇとすぐにボロが出るから、疲れるんだ」

「その割りには、先程は随分と調子に乗っていたように見えたけれど」

 だって、マグナが執事っぽいのが好きだって言うからさ。

 とは、さすがに口に出来なかった。

「ふぅん?」

 なんだよ、見透かしたような目を向けるなよ。

 お茶会を開いてもらう相談を持ちかけた時に、マグナがお嬢様に憧れてるって話はしちまったからな。

 実際、お見通しなんだろうけどさ。

「そういうエフィは、再会してからこっち、昔より随分とお高くとまって見えるぜ。そうしてると、まるでどこかの貴族のお嬢様みたいだな」

 やり返そうとして、次の瞬間に墓穴を掘ったことを、間抜けは思い知らされるのだった。

「ええ、そうでしょうとも。前から言っているでしょう? これが、ほかの人の前での私なのよ。私がおかしいのは、本当に貴方の前だけだったんだから」

 そう言って、エフィは俺をやり込められるのが楽しくて仕方ないみたいな、とびきりの笑顔を見せるのだった。

 ああ、駄目だ、こりゃ。

 完全に手玉に取られてやがる。

 おかしいな。マグナの時も思ったが、俺ってここまで女に振り回されるようなヤツじゃなかった筈なんだけど。

 そりゃそうか。十代の頃は、まともに人と向き合ってなかったもんな。

「若い頃に楽をしてきたツケを払わされてるのを、最近つくづく感じるよ」

「なぁに、それ。まるで、どこかの小父様のようなことを言うのね」

 うん。なにやら、ひどく老け込んだ気分だよ。

「でも、よかった」

 エフィは急にしみじみと、そんなことを呟くのだった。

「なにが?」

「想像していたより、貴方と普通に話せてよかったって言ってるのよ。もうちょっと、喋りにくいかと思っていたわ」

 俺は喋り難いけど、思ったより。

 なんか、謝ってばっかだしさ。

 エフィがあんまりソレを感じないのは、つまり完全に過去になったからじゃないですかね。

「そりゃ、よかった」

「もしかして私達、いい友人になれるかしら?」

 なるほど。

 そうだよな。そういう関係性だって、あっていい筈だ。

「だったら、嬉しいね」

「本当に?」

「本音を言えば、こんなチンピラまがいを、お嬢様の友人に推薦したくはねぇけどさ」

「いまさらじゃない?」

 エフィは口に手を当てて、クスクス笑う。

「さ。そんな話は置いておいて。貴方の冒険の続きを話してもらうわよ」

 自分から切り出しといて、そんな話呼ばわりかよ。

 期待に輝く碧い瞳を目にして、俺は諦める。

 この様子だと、少なくとも夕飯の時間までは開放してくれなさそうだ。

 俺は吟遊詩人でもなんでもないから、大して上手く話して聞かせてやれねぇけど、友達ってんなら勘弁してくれよな。

6.

 さて、俺達が魔法協会の支部すらない、こんな片田舎まであっさり来ることができたのは、ご想像の通りフゥマがルーラのマーカーを持って先行してくれたお陰だ。

 シェラが渡された遠話装置のお陰で、いつでも連絡をつけることはできたからな。時期を合わせて、この町で落ち合えるように計画したのだ。

 フゥマに直近の予定が無かったのも幸いだった。尤も、シェラと会える数少ない機会と口実を、あいつがみすみす逃すとも思えないが。

 今回は、にやけ面の許可もいちおう取らせておいたので、後から文句を言われることもないだろう。紐付きになっちまうのは忌々しいが、それは黙ってても同じだしな。

 そんな次第で、俺達は懐かしのエフィの屋敷の離れで世話になっているのだった。

 別々に泊まれるくらい部屋数は十分にあるので、前回と違って俺はひとり部屋だ。

 部屋の中に独りでいると、ふとした拍子に何もない空間に声を掛けそうになることがある。

 正直、もうしばらくは姫さんがいない生活に慣れそうにねぇな。

 夕飯をご馳走になった後、部屋に戻って真新しいシーツに覆われたベッドに寝転がり、益体もない思考を弄んでいると、出し抜けに荒っぽいノックの音が響いた。

「よう、いるか? なんかあいつが、アンタのこと呼んでんだけど」

 フゥマだ。

 誰のこと言ってんだか分かんねーよ。ちゃんと固有名詞を言え。

 どうせ、にやけ面から連絡が入ったんだろうけどさ。これだから紐付きは

 フゥマを貸す代わりに呼び出しには応じることを約束させられているので、しょうことなしに隣りの部屋に移動して、サイドテーブルに無造作に置かれた黒い箱に向かって語りかける。

「なんだよ。なんか用かよ」

『用事があるから呼んでいるんですよ』

 それが、嫌味ったらしいにやけ面の返事だった。

『時間がもったいないので端的に伺います。ヴァイスさん、もしかして『ガイアの剣』をお探しですか?』

 フゥマには『ガイアの剣』という単語どころか、こっちの意図すらロクに伝えていない筈だが、それでも穴空きだらけの報告から察しやがったな。

 相変わらず、嫌なヤツだ。

「ガイアの剣? なんだ、そりゃ」

『そういうの要りませんから。ほぼ確定している事柄を、単に確認しているだけですので、惚ける意味はありませんよ』

 チッ。ホント苦手だぜ、こいつ。

「俺達がソイツを探してたら、なんだってんだよ」

『簡単なお願いです。今回は、我々にお譲りいただけませんか』

「ふぅん。てことは、お前らも探してんだな」

 もしかして、アイシャの町で言ってたロンさんにやってもらう事って、これだったのか?

『ええ。ですが、幽霊船の位置の割り出しに、少々手間取っておりまして』

 この野郎、俺が分かってる前提で喋りやがる。

 幽霊船の情報にすら辿り着けない間抜けに用はねぇってか。

 クク、阿呆が。

 手前ぇの方こそ『船乗りの骨』ってネタを知らねぇんだろ、その口振りだと。

 俺達が知ったのも単なる偶然だし、知ったところで普通はあんな与太を本気にしねぇだろうから、無理もないけどさ。

「嫌だって言ったら?」

『今後の付き合い方を考え直さざるを得ないでしょうね』

 つまり、気軽にフゥマを貸りたり出来なくなる訳だ。

「そう急かすなよ。今回は融通効かせてもらってるし、俺としても無碍に突っぱねる気はないんだけどさ……俺がマグナを説得するのは無理だと思うぜ、多分」

 相当に情けのない泣き言で返す。

『そこをなんとかしていただく為に、わざわざ貴方だけをお呼びしたんですけどね』

「分かるけどさ。俺いま、立場弱いんだよ」

 お情けで同行させてもらってるようなモンだからな。

『……確かに、貴方には少々荷の重いお願いでしたか』

 にやけ面があっさり引き下がるほど強情だと思われてるマグナも、どうかと思うが。

『とはいえ、困りましたね。ただでさえ面倒な競争相手がいるので、これ以上厄介事を抱えたくなかったのですが』

 競争相手?

 と来たら、アイツらしかいねぇか。

 わざわざファングのところに『ガイアの剣』の行方を尋ねに行ったくらいだもんな。

 それに、競争相手なんて伍するような表現をにやけ面が用いる対象は、世界広しといえども、そう多くはないだろう。

 なにしろ、仮にもダーマで伝説の『天賦』様だからな。

「もしかして、ギアの奴らも『ガイアの剣』を探してんのか?」

『ええ。お察しの通りです』

 つか、マジでこいつらが取り合うくらい重要なシロモノだったのかよ。

 こっちでも、後でもうちょい調べておいた方がよさそうだ。ついでにレーベの様子も見てくるか——

「で、どうなんだよ」

『と、仰いますと?』

「ギアと愉快な仲間達に横から掻っ攫われるよりゃ、俺達に先を越された方が、まだいくらかマシなんじゃねぇのかって聞いてんだよ」

『それは……』

 にやけ面は、珍しく言い淀んだ。

「俺達とそっちの最終的な目的が同じなら、悩むトコじゃねぇだろ」

 前にフゥマから聞かされたように、お前らも魔王を斃すのが目的ってんならさ。

『……貴方達が手に入れたとしても、こちらにお貸しいただける前提であれば、別動隊と見做すこともできますか』

「勝手に前提を決めんなよ。こっちが手に入れたら、そん時に改めて相談には乗ってやるよ」

『ふむ、仕方ありませんね。それで手を打ちましょう』

「逆も同じ話だぜ?」

『ええ。我々が手に入れた場合も、相談には乗って差し上げますよ』

「ほんじゃ、それで決まりだな」

 俺とコイツの力関係からすると、落とし所はこの辺りで上出来だろう。

「よう。オレ様も、コイツらについてっていいか?」

 突然そんな事を、フゥマが黒い箱に向かって尋ねたのだ。

「危ねぇ話なら、シェラさん守ってやりてぇんだ」

『そうですね。今回の件はフゥマさんに頼む予定はありませんでしたし、別に構いませんよ』

 お、マジか。

 こりゃ、思い掛けない戦力増強だ。

 ただ——

「連れてってやってもいいけど、この遠話装置は取り上げるぜ。またこっちの情報が筒抜けになっちまっちゃ、敵わねぇからな」

『致し方ありませんね。ちゃんと返してくださいよ?』

 よし、言質は取った。

 シェラがいればフゥマこいつが裏切ることはまずねぇだろうし、これで俺達側の損はほぼ無くなったな。

「ヘッ、アンタらとも、いつか一回やり合ってみたかったからな! マジ、丁度良かったぜ。おっし、腕が鳴ってきた!」

 フゥマは肩に手を当てて、腕をグルグル回す。

 って、え!?

 にやけ面達とやり合う時も、こっちの戦力に数えていいの!?

 フゥマのつもりをハナから理解していたのか、特に咎めるような言葉をにやけ面は吐かなかった。

 なんだよ、敵に塩でも送ろうってか?

 だとしても、ちょっと過剰にすぎるだろ。

 フゥマにしてみりゃ腕試し的なつもりなんだろうが、こっちの得が大き過ぎる。

 うん。向こうの気が変わらないように、この件にはこれ以上触れずに流しておこう。

 後から文句言っても聞かねぇからな、にやけ面。

「ちなみに、そっちの面子って、ロンさん達なのか?」

『競争相手に、そこまで教える義理はありませんよ』

 尤もだ。流石に虫が良すぎたか。

 けど、どうしても確認しておかなきゃいけないことがある。

「……ニックがいるかどうかだけ、教えてくんね?」

 黒い箱から、苦笑の気配が伝わった。

『あの人が、私なんかの言う事を素直に聞いてくれる人だったら、今頃はもっと楽が出来ていたんですけどね……』

 諦念に満ちた呟きが、ニックの不在を雄弁に物語っていた。

 おっし、これで勝ちの目が出てきやがった。

「ンだよ、おっさん来ねーのかよ! 今度こそぶっ飛ばしてやろうと思ってたのに、ツマんねぇの!」

 フゥマはアホなので放っておく。

「そんじゃ、こっからは敵同士な。誰がお宝を手に入れても、恨みっこなしで頼むぜ」

『おや。貴方がそんな風におっしゃるとは、ずいぶんと自信がありそうですね。独自に情報でも仕入れましたか』

 いちいち、こっちの手の内を読むんじゃねぇよ。

「競争相手に、そこまで教える義理はねぇよ」

『尤もです。こちらとしては、先程の約束だけ守っていただければ構いませんよ』

「ああ、お互いにな。そんじゃ、次はこっちがお宝を手に入れた時に連絡してやるよ」

『ええ。お待ちしています』

 この野郎、自分達が負けるだなんぞと、微塵も思ってやがらねぇな。

 だが、こっちには『船乗りの骨』のアドバンテージがあることを、お前は知るまい。

「吠え面かかせてやる」

『どうぞ。期待していますよ』

 思えば俺は、こいつに出会った時から、ずっと苦手意識を抱えていた。

 ここらでいっちょ、そいつを払拭してやるぜ。

 こうして俺達は、『ガイアの剣』をめぐる争いに巻き込まれることになったのだった。

 三つ巴のお宝争奪戦か。

 面白くなってきたじゃねぇか。

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