51. Gotta Move Around

1.

「——ってコトがあってさ」

 サマンオサの王城前広場で執り行われた、国王解放の報を告げる簡易式典から二日後。

 俺は幾度となく通った部屋の中で、テーブルを挟んで座る見慣れた顔に、当日の様子について語っていた。

「んー……うん」

 やや困った表情で打たれた曖昧な相槌に、苦笑いを返す。

「悪ぃ、つまんない話だったか?」

「ううん、そうじゃないの。ただ、どうして、私にそんな話をするのかなって思って」

「ん? だって終わったら、ちゃんと全部説明するって約束しただろ?」

「あ、ええ。それを守ってくれたのね。ありがとう」

 幸の薄そうな顔ではにかむ。

「なんだか、他人事だな。自分の職場の問題でもあるだろうによ」

「え? ああ、うん。そうね」

「これからは、王城の厨房勤めもしやすくなるだろ」

「そうね、本当に。勇者様には、きっと感謝しなきゃいけないのね」

「ああ。伝えておくよ」

 口振りから伝わる含みに気付かないフリをして、ことさらに無難な言葉を返してやる。

 すると、やはり我慢できなかったのか、どこか不満げな声音こわねが続く。

「……それにしても、未だに信じられないわ。ヴァイスが、その勇者様と知り合いだったなんて」

「俺もだよ」

 本心なんだが、冗談と取ればよいのか判断が付きかねるような、困った表情で首を傾げられた。

「……あなたに、こんな事を言うと、きっと怒られてしまうけど……」

 俺は意図して、期待された通りの台詞を返す。

「うん? なんだよ、別に怒ったりしねぇけど」

「本当に? 怒らないでね?」

「ああ、約束する」

「じゃあ、言うけれど……」

 テーブルの上で組んだ指に視線を落としながら続ける。

「私、あの勇者様は苦手なの」

2.

「邪魔するわよ」

 勢いよく開かれた応接室の扉の向こう側で、数人の男がビクッと身を竦める姿が目に入った。

 まぁ、剣を肩に担いだ女が出し抜けに闖入したら、誰だって驚くわな。

「御用改めよ。観念して、大人しくお縄に付きなさい」

 ひどく冷淡にマグナが下知した相手は、ファングのサレス家を乗っ取ろうとしていたミゲルとかいう髭面のおっさんだった。

 元家令という肩書きらしいんだが、詳しい事情までは俺も聞かされていない。

「な、なんだっ、藪から棒に……貴様、その顔——この前、別邸で見かけた女か? 何故、ここにいる!?」

「いきなり何だ! 無礼であろう!」

「ふざけたことを! 一体なんの権限があって、そのような世迷い言をほざくか!!」

「そうだ! こんな無法が許されると思っているのか!!」

 本物の国王が解放された日からこっち、屋敷の周りを兵士に囲まれ、軟禁といって差し支えない状態が続いているのだ。

 いつか、自分達を捕らえに人が遣わされることは、当然こいつらも予期していただろう。

 不意を突かれたにしては流暢なミゲルと取り巻き共の反論を、マグナは鼻で笑い飛ばした。

「無法だって。まさか、あんた達の口から、そんな言葉が聞けるなんてね。おかしくて笑っちゃうわ——シェラ」

「はい」

 振り向いてシェラから受け取った巻物を、マグナは広げて突き付ける。

「こっちは王様から頼まれて来てるのよ。はい、これが正式な委任状」

 正確には、ミゲル達を引っ立てる役目だけ、マグナが強引に交渉してもぎ取ったんだけどな。

「それに、無法じゃなくて正常に戻るのよ。あんな魔物が化けてた王様に取り入って、どさくさ紛れに得た地位なんて、今後も有効だと本気で思ってたの?」

「な、何を証拠に、そのような虚言を……い、言いがかりにも程があるぞっ!!」

 ハナからまともな会話などする気がない性急な物言いに付いていけず、途切れ途切れにしか反駁できないミゲルを放ったらかして、マグナは今度はリィナに声を掛ける。

「リィナ」

「はいよー」

「よせ、やめろ、引っ張るな! 倒れる!!」

 腕と胴体を縄で縛られた男が、リィナに引かれて応接室の中に投げ出された。

 床に転がったその男バルボサを顎で示しながら、マグナは冷淡に言い放つ。

「そいつを含めて、あんた達全員裁判を受けてもらうから。せいぜいみっともなく命乞いをしてみせるのね」

 いや、まぁ、裁判って、そういう場じゃねぇけどな。

「バルボサ、貴様、役立たずが!」

「あっさり捕まりおって!」

「そいつらと刺し違えてでも、ミゲル様をお守りせんか!」

 取り巻き共に口々になじられて、床に転がったまま不服そうな顔で歯噛みするバルボサ。

「ホントだったら、あのサマンオサの勇者様が、いまこの場に居るべきなんでしょうけどね。流石に当事者じゃ単なる報復にしかならないし、なんかの間違いがあっても困るからって、あたしが遣わされたのよ」

 正直なところ、俺は間違いがあってもいいんじゃないかと思ったクチだが、ミゲル一派を引っ立てる役目を他の人間に任せるのは、ファング本人の提案なのだと役人から教えられた。顔を合わせたら我慢出来なくなることが分かっているからだそうだ。

 細かい事情まで聞かなくても、父親であるサイモンの死にこいつらが関わっているのは、想像に難くないからな。

 救国の英雄が、国を救った直後に法を軽んじて私刑に及んじまったら、確かに復興に向けて一致団結しなくてはならない時流的には望ましくないだろう。

 という理屈は分かるんだが、よく我慢しやがったな、あいつ。

「裁判では顔を見せると思うから、あの人にはその時にでも言い訳するのね。そんなものがあれば、だけど」

 ファングの話を出されて、さすがにミゲルはバツの悪そうな顔をした。

 へぇ。いちおう、良心の呵責とかあったんだな。

 逆に、そういうのが全然見受けられないのが、縛られたまま起き上がることもできず、床から俺達を恨めしげに睨み上げているバルボサだ。

 俺にあれだけのことをしておいて、自分は何も悪くない、むしろ自分がいま破滅しかけているのは俺達の所為だと怨みがましい目つきをできる神経が理解できねぇよ。逆恨みにも程があるだろ。

 正直、二度と視界にすら入れたくなかったんだが、小者すぎて見過ごされても癪だからな。いまだけは仕方ねぇ。

 ミゲルは震える声で、抗弁を試みる。

「……意味の分からん事を。裁判だと? 罪状は、一体なんだと言うんだ」

「とりあえず、あんた達みたいな極端な国王派には、内乱罪だか外患誘致罪だかは科されるらしいわよ。それに、あんた達は主人の家を乗っ取ろうとしてたんでしょ? どうせ汚い手をいっぱい使ったんだろうし、いくらでも出てくるんじゃないの、罪状なんて。知らないけど」

「言いがかりも甚だしい! そのようないい加減な言い草が通ると思っているのか!」

「だから、知らないってば、そんなの。申し開きは、あたしじゃなくて裁判の時に伝えなさいよ。言っとくけど、あのファングとかいう人は、いまやこの国を救った英雄扱いされてるから、せいぜい頑張って相手取るのね。あんた達に不利な証人とか証言なんて、いくらでも出てくると思うけど」

 そうだな。

 仮にサレス家乗っ取りの悪事に加担した悪党共がいたとして、そんな連中なら目がなくなったと見るや、ミゲル達なんぞはあっさりと切り捨てて、累が及ばないように司法取引に応じそうだ。

「ふざけたことを……きっ、貴様らこそ、たった今、不法侵入という罪を犯しているではないか!」

「犯してないわよ、失礼ね。最初に見せたでしょ。あたし達は、正式に依頼されて来てるのよ」

「ぐっ……そもそも貴様らなぞが、どうやってここまで這入り込んだのだ。この屋敷は、幾重にも警護の者に守らせている筈だぞ」

 苦々しげに呟かれたミゲルの言葉は事実だった。

 屋敷の周りこそ王国の兵士達に囲まれて逃亡を防がれているものの、敷地内にはそれなりの数の私兵が配されて、おいそれとは踏み込めないように守備が固められていた。

 だが、マグナはあっさりと切り返す。

「え? 普通にはっ倒してきたけど」

「は——?」

「ああ、そっか。もしかしてあんた達、まだ知らないんだっけ?」

 マグナの口から苦笑が漏れる。

「あんた達みたいに閉じ込められてる元国王派以外、王都の人達はもうみんなあたしのことを知ってるから、うっかりしてたわ。アリアハン出身の勇者の話って、聞いたことない?」

「——? なんの話だ」

「だから、この国の王様に化けてた魔物の正体を暴いて退治に貢献した最大の功労者って言われてるのが、アリアハン出身の勇者であるあたしなのよ」

「……なにを言っている?」

 ミゲルは、会話の内容が全く理解できていない口調で呻いた。

「普段から魔物を相手に切った張ったしてるあたし達が、あんたの護衛如きに遅れをとる訳ないでしょ」

 フン、と鼻で笑ってみせるマグナは、なんというか、ヒドく様になっていた。

 そういう役回りが、とても良くお似合いですね、お嬢様。

「ほら、ミゲルとか言ったっけ? 約束通り、真ん中のアンタだけ覚えといてあげたんだから、さっさと吠え面かいてみせなさいよ」

 人の悪い笑みを浮かべる。

 これはやっぱり、半月ほど前のファングの別邸でのやり取りが、相当腹に据えかねていたとみえる。

「ふざけたことを!」

「なんと無礼な女だ!」

「女風情が、調子に乗りおって! 身の程を知れ!」

「仮令、貴様の言うことが事実だとて、こんな小娘を差し向けるなど、人を馬鹿にするにも程がある!」

 いまだに状況を理解しているとは思えない取り巻き共の実のないがなり声に、マグナはうんざりした表情を隠さなかった。

「また、それなの?」

 ふぅーっ、という長いため息。

「全くこの国ときたら、どこに行っても女風情が女如きがって……あんた達は、誰から生まれて来たのよ。なんでそんな口が利けるの? 人間が赤ん坊を生むのがどれだけ大変か、分かって言ってんの?」

 忌々しげに吐き捨てる。

「正直、子供を産んだ女の人って、それだけで尊敬できるわ。あたしは、絶対嫌だもの。怖くて」

 え、そうなの。

 まぁ、そうか。子供は苦手だって、いつだか言ってたもんな。

 別に、何もショックなんて受けてないですよ? いや、ホントに。

「男なんて、気楽なモンよね。誰かれ構わずそういうことしても、なんの苦労もないんだから。女はそれで子供が出来たら一年もかけて大変な思いして、命懸けで産んだ後もつきっきりで育てて、それでどれだけ苦労しても当たり前としか思われないっていうのに。ほんっと、不公平。神様は、何だってこんな風に人間をお創りになったんだか」

 話が逸れたことを自覚したのか、マグナは仕切り直すように咳払いをした。

 なんか、ごめんな。

 不満があるなら、今度ちゃんと聞くからさ。

「まぁ、あんた達に言っても、どうせ無駄でしょうけど。少しは牢屋で反省しなさいよね」

 マグナはもうすっかり興味を失ったように言い捨てて、外で控えている兵士を呼ぶために入ってきた扉の方を振り向いた。

 それが、隙に見えたのか。

「——な、何をしている、貴様等! このふざけた女共を取り押さえろ!」

 ミゲルは壁際に立っていた護衛と思しき五、六人の男達を怒鳴りつけた。

 チンピラよりは多少マシ、という程度の風体をした男達は、互いに顔を見合わせて半笑いを浮かべる。

 いまのやり取りを聞いてはいたんだろうが、こっちはどう見ても三人の少女に頼りなさそうなひょろっとした男が一人ついてるだけだもんな。

 くみしやすい相手と侮られて、ナメきった態度でヘラヘラされてもむべなるかな。

「よぅ、元気のいいお嬢ちゃん達。悪ぃけど、ちょっと大人しくしてもらえるかい」

「俺達も乱暴なこたしたくねぇんだが、これも仕事でね」

 先頭の二人が、懐から短刀を取り出してヒラヒラと揺らしながら近付いてくる。

「やめときなさい。はした金の為に、痛い目に遭いたくないでしょ?」

「ハッ、あんたいいな、お嬢ちゃん。俺ぁ、あんたみたいな気の強ぇ女を分からせてやるのが——っ!?」

 振り向き様にマグナがいつ剣を振ったのか、近くで見ていた俺にもよく分からなかった。

 気づくと、コッ、とかいう軽い音を立てて、男の一人が握っていた筈の短刀は、離れた壁に突き刺さっていた。

 短刀だけを狙って、剣で弾き飛ばしたのだ。

 何が起こったのか数拍かけてようやく理解して唖然とする男達に、マグナは腰の鞘に剣を納めながら薄く笑ってみせる。

「よく分かってないみたいだけど、お呼びじゃないのよ。あんた達なんて」

 こいつ、ホントに強くなりやがったな。

 頼もしい限りだが、リィナが焦る気持ちも、ちょっと分かるぜ。

 俺も置いていかれないように、せいぜい必死こいて付いていかねぇと。

「い、一斉にかかれ!!」

 悲鳴のようなミゲルの号令に被せるように、シェラの声が響く。

『ラリホー』

 こちらも成長著しいシェラが、誰に指示されるでもなく適切な呪文を発動する。

 迂闊にも一塊ひとかたまりにまとまっていた護衛達は、あっけなく意識を失って、ドサリドサリと床に倒れ伏した。

 ミゲルには申し訳ないが。

 戦闘にならない。

「な……っ」

 あまりに予想外の成り行きだったのか、ミゲル達は二の句が継げずに、口だけパクパクと開閉させる。

「それから、これも良く分かってないみたいだけど——」

 再び腰のものに手を掛けながら、マグナはゆっくりとミゲル達の方に向き直る。

「あたし、あんた達に滅茶苦茶ムカついてるのよ。こっちだって一人、あんた達のお世話になってるんだから」

 ああ、いちおう俺のことも気にかけてくれてたのか。

 こんな連中の為にお手を煩わせちゃって申し訳ありませんね、お嬢様。

「だから、これ以上は我慢しないけど、それでもやるの?」

 抑えた声でそう言い捨てて、マグナが殺気を発した。

 え——ヤバい。

 いまのコイツって、こんなに——怖ぇのかよ。

 横で見ていただけの俺ですら、息が詰まる。

 完全に本気だ。

 ミゲル達は、マグナをよく知らない。

 だからこそ、こんな剣呑な殺気を放つやからであれば、後先考えずに自分達を斬殺してもおかしくない、そんな考えが脳裏をぎるのを止められないだろう。

 蒼い顔で身を強張らせたミゲル達に、静かに言い聞かせるように、マグナは言葉を重ねる。

「嫌なら大人しく、このまま引っ立てられなさい。いいわね」

 おそらく、数瞬後に自らの首が胴体から斬り離されるイメージをありありと脳裏に描き出さされたであろうミゲル達は、ぎこちなく首を縦に振ることしか出来なかった。


「——そんじゃ悪ぃけど、昨日頼んだ通り、リィナを借りてくぜ」

 ミゲル達が兵士に連行される様子を眺めながら、俺はマグナに告げた。

 そう言えば、なんの因果か、屋敷の周りを囲んでいた兵士の中にブルーノの顔があったが——ヘレナから『ラーの鏡』の昔話を聞かされた、例の兵士のことだよ——救国の勇者様と一緒に居る俺を見て、目を丸くしてやがったな。

「……ええ」

 マグナは短く俺にいらえた。

 おととい、人気ひとけのない執務室で弱っているところを俺に見られたのが、後になって気恥ずかしくなったのか、あれから微妙に距離を置かれている気がする。

「……あいつらの引き渡しがあるから、あたしは一緒に行けないけど、また無茶しないでよ?」

 流石に素っ気なさが露骨過ぎたと自分でも思ったのか、マグナはそんな一言を付け加えた。

「ああ、分かってる」

「だといいけど」

 諦めたようにため息を吐いて、マグナは踵を返した。

「なに? ボクになんか用があるの?」

 俺とマグナの会話を小耳に挟んだリィナが、キョトンとした顔で尋ねてきた。

 まだ、なんも説明してねぇもんな。

「うん。じゃあ、行こうぜ」

「へ? どこに?」

「約束しただろ。近い内に埋め合わせをするってさ。だから、ちょっと付き合えよ」

「——え?」

 期待を滲ませた声音を耳にして、無駄な軽口を叩いたことを反省する。

「悪ぃ、冗談だ。それはまた今度にするとして、ちょっと力を貸して欲しいんだよ」

「ああ、なんだ——またボクを、都合良く使おうとしてるんだね」

 いや、言い方。

「ごめん。でも、付き合ってくれると助かる」

 リィナはしばらく不満げに唇を尖らせていたが、やがて仕方なさそうに肩を竦めた。

「まぁ、お願い聞くって約束しちゃったしね。それに、今日はまだあんまり働いてないから、特別に付き合ってあげるよ」

 さっき、屋敷を警護してた私兵を突破する時に、俺よりよっぽど大活躍してたけどな。

「恩に着るよ」

「うん。お礼、楽しみにしてるから」

 そうね。

 今日付き合ってもらうのは、色気のない荒事で申し訳ないけど、近い内に二人でまた飲みにでも行こうぜ。

 せめて、奢らせてもらうからさ。

3.

勇者マグナが苦手って——へぇ? そりゃまた、どうして」

 答えはなんとなく察しがついたが、俺はあえて理由を尋ねた。

「だって、いかにも自信満々で……見てるだけで、まるで自分が否定されているように感じるの」

「ああ、なるほどね。俺も自分に自信なんてねぇから、そう思っちまう気持ちは分かんないでもないよ」

 苦笑交じりにそう返すと、案の定喰いつかれた。

「でしょう!? 私、貴方にあの勇者様は合わないと思うの。きっと、お互いに気持ちが分からなくて、すれ違ってしまうことばかりじゃないかしら。というか、大丈夫なの? 酷い扱いはされていない?」

「うん、まぁ……お察しの通り、あんまし扱いが良くはねぇかな」

 いや、ここはこう答えるしかないだろ?

 実際はそんな風に思ってねぇから、脳内で恨みがましい目付きで睨まないでくれよ、お嬢様。

 俺から不満げな答えを引き出せて気が済んだのか、目の前の顔は一転して申し訳なさそうな表情を浮かべてみせる。

「ごめんなさい。よく知りもしない癖に、失礼なことを言ってしまって」

「いや、別に構わねぇよ。万人受けする人じゃねぇのは分かってるからな、俺のご主人様は」

 だから、ごめんて。

 後で甘やかしてやっから、今だけはご無礼を見逃してくれよ、脳内のお嬢様。

「ご主人様って……そんな扱いを受けてるの? 貴方が?」

「あれ、ヘンな風に聞こえちまったか。そんな大袈裟に捉えないでくれよ。いちおう雇い主ってだけだよ」

 直接的な明言は避けつつ、しかし不満を匂わせるような口を利いてやると、我が意を得たり、みたいに繰り言が勢い付く。

 案外、セオリー通りで大丈夫なんだな。

 それって、もしかして凄いことだ。

「貴方をそんな風に扱うだなんて、信じられない……やっぱり、そういう人なのね。この前だって、この国の女の人は、みんなきっと私と同じように感じたと思うわ。上から目線で、何様のつもりかしらって」

「あの演説のことか」

「ええ」

「まるで、この国の女の代表みたいに言うんだな」

 そう指摘すると、途端に自信なさげな表情を覗かせる。

「ううん、そんな大それた事は思ってないけれど。ただ、私は自分がすごく平均的なことだけは自信があるの。だから、同じように感じた人が多いんじゃないかって思っただけなの」

「ふぅん。で、本心は?」

「え?」

「いや、平均的でない部分では、どう思ってるんだ?」

「……難しいことを聞くのね」

「そうかな。どんなに世間におもねって見えるヤツだって、一般論とは相容れない、自分だけの考えとかってあるもんだろ?」

「そんなの……私に、あるのかしら」

 本当に困惑している様子で首を捻る。

「そりゃ、あるんじゃないか」

「貴方がそう言うなら、そうなのかしら」

「そうやって、いっつも人の顔色ばっか窺ってないで、もう少し自分を出しても良いんじゃねぇの、って話だよ」

「……苦手なの。自分っていうものを、どうやって出したらいいのか、よく分からないのよ」

「そっか。でも、もうちょっとだと思うけどな」

「もうちょっと?」

「うん。もう手が届くトコまで来てるんじゃねぇのかな」

 テーブルを挟んだ困り顔が、ますます困惑を募らせる。

「ごめんなさい。意味がよく分からないわ。私、ヴァイスみたいに頭が良くないの」

「そうかな」

「そうよ。なんだか貴方は、実は私の事をまるきり勘違いしてるんじゃないかしらっていう気がしてきたわ」

「ってことは、やっぱり俺の思った通りなんだな」

「……なんの言葉遊びなの?」

 傍から聞き耳を立てても意味が分からないであろう会話は、いよいよ佳境を迎えようとしていた。

4.

 俺がとある場所で、上滑りする会話を繰り広げる、少し前。

 店内が埃っぽく雑然としているせいか、昼間なのに妙に薄暗く感じられる元酒場を、俺はリィナを伴って訪れていた。

「——で、手前ェ。いまさらオレらを呼びつけやがって、なンのツモリだよ?」

 そう、いまさらだ。

 マテウスに声をかけてもらっただけで、このチンピラ共がいつも使っていた隠れ家に、こうして素直に集まっている状況がおかしいのだ。

 だが、とりあえずそれは伏せたまま、俺の立場ならば当然口にするべき恨み言を、あえて叩きつけてやる。

「ハッ、どの口がホザきやがる。俺が手前ぇらに何の用があるのか、分かんねぇとは言わせねぇぞ!?」

「あァッ!? 分かンねッから聞いてンだろがッ!?」

 すると、細身で小柄な癖に威勢だけはいいナチョが、顔を赤くして怒鳴り散らした。

 おお、こいつ、マジで心底悪びれてねぇな。

 俺の周りって、悪びれない人間が多過ぎない?

 人生の不条理を感じるぜ、ったく。

「ふざっけんな!! 俺を売りやがったろうが!! 国王派によっ!?」

「あン? ナメたコト抜かしてンじゃねェぞッ!? オレらがイツ、手前ェを売ったンだよッ!?」

「五番倉庫に俺を呼び出しておいて、自分達は来ねぇで国王派に密告しやがっただろうが!!」

 ああ、思わず本気の怒りが怒声に滲んじまった。

 却って真実味が増すから、別に構わねぇんだけどさ。

「はァッ!? あン時ァ、手前ェが勝手に来なかったんだろうがよッ!?」

「だから、うっせっての」

「いちいちキレんじゃねーよ、ナチョ。ちょっと落ち着けって」

 独り立ち上がって喚き散らすナチョを、近くに座っていた何人かがなだめにかかる。

 幾度となく目にした光景。

 俺は気持ちを落ち着かせるかのように、フーッと長く息を吐いた。

 フリのつもりだが、そうじゃなかったかも知れない。

「……来なかったって、どういうことだ。俺は指定された時間に、ちゃんと行ったぞ」

「オレらだって、四番に行ったっツッってんだろ。意味分かンねェ難癖つけてんじゃネーゾ」

 はぁ?

 だからそれ、聞いてねぇから。

「四番だと?」

「ッだよ、手前ェが、五番から四番に変えたンだろがッ!!」

「いや、そんなこと言ってねぇ。誰から聞いたんだ、それ?」

「あァ? だから、そりゃ、イ——」

「動くなっ!!」

 その時、リィナの鋭い制止の声が店内に響いた。

 本当は、こんな柄悪ぃトコに連れて来たくなかったんだけどさ。

 荒事になったら、また俺の手に負えずに同じ事を繰り返すハメになっちまうから仕方ねぇとは言え、さっきからチンピラ共が好色そうな目付きでジロジロ眺めやがるから、気分悪いったらなかったぜ。

「あァ? ンだよ、姉ちゃん。動いたらどうだって——」

「そこの小っさい人は、さっさとそこから離れて。殺されちゃうよ」

「あァッ!? 誰が小っせぇだとッ!?」

 喋っている最中から、リィナは既に動きはじめていた。

 何気ない歩調で間合いをつめると、ナチョの左横の空間を掴む。

 ナイフを握った腕が、その手に止められていた。

「だから、キミはさっさとアッチに行ってってば」

 脚で引っ掛けるようにして、リィナはナチョをこちらに蹴り飛ばした。

「いッて! ンだコラこのアマ——」

 床にすっ転びながら振り返り、仲間の筈の人間の手に握られたナイフを目にして息を呑む。

「はァ!? あぁ——あァッ!?」

 一瞬、そのナイフはリィナに向けられたものだと納得しかけて、だがそれだと時系列的におかしいことに気付き、ナチョは奇声を発する。

「手前ェッ、エンゾォッ!! いまオレを刺そうとしやがったのかッ!?」

「だから、そう言ってるじゃん。隣りの人達も、動かないでね」

 リィナは言葉と視線で、ナイフを持った男の両隣りの破落戸ゴロツキを制止する。

「ヴァイスくんの言った通り、そっちのちっさい人は、ホントに普通の人だね」

「あァッ!? だから、誰がちィせぇって——」

「怪しいのは、ボクの目の前のこの三人。体幹と物腰が、明らかに素人じゃないもん」

「そっか。なんか、納得だぜ」

 といっても、俺は物腰とやらじゃなく、言動の方から判断したんだけどな。

『そんなビッタシ時間合わせなくてもよくね?』

『つか、待つってイツまで待ちゃいーのよ』

『少しくらいギセイ出ても、仕方なくね』

 あからさまにならない程度に、チンピラ共を扇動するような賢しげな助言を、いつも口にしてた男がいたんだよ。

 いまナイフを握った腕をリィナに押さえられているのがソイツだが、エンゾって名前だっけか。

 本来なら、俺がもうちょい早く気付かなきゃいけなかったな、これ。いまにして思えば、チンピラ共の意見が、まるで誘導でもされてるみたいに、そこそこ賢い形ですんなり纏まり過ぎてたんだよ、そういえば。

 最早隠す気もないのか、開き直って不敵な笑みを浮かべるエンゾを凝視しながら、ナチョがいまだに困惑した口振りで呟く。

「意味分かンねェ……ンで、手前ェがオレを刺すンだよ。コイツが四番に変えてくれっつってるったのは、手前ェじゃなくてイゴールさんじゃねェかよ……」

 聞いた瞬間、弾けるように顔と視線を巡らせて、店の奥を見る。

 イゴールだと?

 隣りに座っていたマテウスが、慌てて距離を取りながらイゴールを睨み付けているのが目に入った。

「なっ……どういうことだ!? 私は、聞いてないぞ!?」

「ええ。言ってないので」

 マテウスに詰問されても、イゴールの声音は至極落ち着いていた。

 くそ、エンゾと違って、こっちはまさかだぜ。

 マテウスのオマケくらいのつもりで、全然重要視してなかったから、完全に意表を突かれちまった。

「はてさて、困ったな。今日はちょっとした後片付けのつもりだったんだけど」

「ど、どういう意味だ」

 旧知のマテウスは困惑しきりだが、イゴールは至って落ち着き払って両手を広げてみせる。

「どうもこうも。あそこの忌々しい道化が、こちらの計画を首尾良く御破算にしてくれたのでね。今日は僕が関わっていた痕跡を綺麗に消して、姿を眩ませるだけのツモリだったって言ってるんだよ」

「こ、痕跡だと? なんの話だ」

「ククッ、キミは愛すべき高潔な人物で、オツムの方もソコソコだが、どうにも察しが悪いネェ」

 口調どころか、イゴールの声質までガラリと変わっていた。

 聞き覚えのある、子供のような声。

「ハッ、他の連中ヤツラも、まるきり分かっちゃいない御面相バカ面を晒すじゃないか! マッタク、予想通りで退屈だよ!!」

 いつの間にか、姿まで変わっていた。

 中途半端な長さの錆色の髪。

 パーツが小振りで、まるで作り物の人形を思わせる端正な顔立ち。

 細い手足。

 外見の幼さに似合わない、ひどく大人びたニヒルな笑みを湛えた口が、大きく開かれる。

「つまり諸君キミらは、ここで御仕舞いみなごろしって事サ! やれッ、エンゾ!」

「だから、動かないでってば」

 エンゾの腕を掴んだまま、リィナは左側の男の顎を右の爪先で蹴り上げると、自分の腕を跨ぐようにして右側の男の脳天に踵を叩き落とした。

 再び腕を跨いで元の体勢に戻り、何事もなかったようにエンゾを牽制し続ける。

 エンゾの口から苦笑が漏れた。

「旦那、こりゃあ無理だ。オレ達の手に余る。こんなのがいるなんて、聞いてませんぜ」

 鋭い舌打ち。

「忌々しいダーマの番犬クソ犬が。カビ臭い穴ぐらで、一生修行とやらに精を出してればいいものを……」

「なぁ、ギアさんよ。あんた、なんでこんなことやってんだ?」

 知り合いに語りかけるような俺の口調のせいで余計に分かり難かったのか、かなり時間を置いてから、リィナが奇声を発する。

「へっ!?」

 当人である子供のような見た目の男——かつてのダーマの英雄、子爵の二つ名を持つギアは、逆に太々ふてぶてしくにいやりと破顔した。

「ク・ク・ク」

「ついこの前、世話になった件も含めてさ。俺にはあんたが、魔物の側についてるとしか思えねぇんだけど」

 アイシャが町長をやっている、例の町での出来事だ。

 こいつは、魔物であるニュズを窮地から救い出したのだ。

「なるほどなるほど……」

 ますます満面に憎たらしい笑みを湛えて、奇妙な子供は立てた人差し指を芝居がかってクルクルと回す。

「自分は全てをお見通しだと言いたいワケだ。どいつもこいつもまるきり分かっちゃいない馬鹿ばかりと得意満面なこの僕を、陰でコッソリ嘲笑っていたのかい?」

 先日のにやけ面の時と違って、どうやら今度は正解あたりを引いたらしい。

 別にあいつに助言されたお陰じゃねぇけどな。

「そんなんじゃねぇけど。むしろ、分かんねぇから聞いてんだよ」

 こうして本人とまみえられるとは、流石に俺も望み薄だと思ってたんだが、運が良かったぜ。

「ホゥホゥ、なるほど。流石は非才な凡夫の分際で、強大なる突然変異体を退治せしめた端役の星だ。余裕が違う。まるで、この世の主人公気取りじゃないか」

 だから、そんなんじゃねぇってのに。

「マッタク、キミみたいな大した取り柄も無い塵芥ゴミみたいな雑魚が、とんでもないことをしでかしてくれたものだよ」

「俺が退治したって……大海妖クラーケンのことか?」

「クラーケン? ああ、キミらはアレを神話になぞらえて、そう呼んでいるんだったか。マァ、呼び方なんてどうでもいいサ。本当に困るんだよ。キミの如き木端こっぱ冒険者にアレを斃されては、誰でも彼でも突然変異体を斃せることになってしまうじゃないか」

 よし、分かった。喧嘩売ってんだな、この野郎。

「アレらの開発に、一体どれだけの時間と手間と金がかかってると思っているんだい? 既に破棄した方向性とはいえ、世界に破壊と混乱という福音をもたらす役割が、まだアレらには残されていたというのに」

 どうでもいいが、こいつの言い回し。

 ルーカスと仲良くなれそうだな。

「嗚呼、本当にイラつくよ。キミのような羽虫が、僕の周りをブンブンうろちょろと……しかも、あのヘラヘラとしたいけ好かない姑息な勘違い賢者バカとも繋がりがあるようじゃないか。ますます許し難いね」

 ああ、確かに——コイツとにやけ面って、反りが合わなさそうだな、なんとなく。

 チッ、と子供ギアは面白くなさそうに舌打ちをした。

「ナニをいつまでも、のほほんと間抜け面をブラ下げてるんだ。これだけ悪し様に言われて、少しは言い返そうとか思わないのかい? まさか、事の成り行きをまるで理解しないまま雁首を並べてるコイツらほど、頭が悪いワケでもないんだろう?」

「へ? ああ、うん」

 いや、いつも陰険陰気魔法使ヴァイエルいにもっとヒデェこと言われてるから、全然気にならなかった。

 持ってる情報でも悪巧みでも、俺の方が後塵を拝してるのは事実だろうしさ。

「繰り返しになるけど、俺が聞きたいのは、あんたが魔物側について何を企んでるのかって事だけだよ」

「ハッ! 企むも何も! 逆に聞くけど、キミはなんで人間側なんかについているんだい?」

 はぁ?

「そりゃ、人間だからだけど」

「フン。いかにも端役の羽虫らしい、つまんない答えだな」

 いや、面白い答えは必要ねぇだろ、この場面で。

「知ってるよ。キミだって、キミの愛しいあの愉快な勇者殿だって、キミらが健気に守ってやっている世間とやらから見れば、いずれ等しく爪弾き者じゃあないか。だのに、自らは何もせず文句だけは一丁前の連中に、ナニを義理立てすることがあるんだい? 僕の方こそ、不思議でならないね」

「……なんか、嫌なことでもあったのか?」

 俺としては、割りと真面目に返したつもりだったんだが、リィナが堪えきれなくなったみたいにブッと吹き出した。

「なんだよ。なんで、笑うんだよ」

「だって……あのギア様に、なんか嫌なことでもあったのかって……子供相手じゃないんだから」

 エンゾの腕を掴んだまま、肩を震わせてくぐもった声で笑い続ける。

「いやー、すごいね。ボクいま、ちょっと感動してるよ。ギア様って、ホントに伝説通りの人だったんだ」

 どんな伝説だ。

「ハン! あの穴ぐらでは、僕はさぞかし悪し様に言われているだろうさ! 想像に難くないよ!」

 ギアは大仰な身振りをつけて、忌々しげに吐き捨てた。

「サァテ、どうしたものか……」

 店内をぐるりと見回し、ギアは酷薄な笑みを浮かべる。

「これ以上、キミらみたいな羽虫のせいでイライラしたくないし、なにより考えるのが面倒臭くなってきたよ。全てを灰燼に帰して何もかも無かったことにするのが、一番手っ取り早いと思うんだけど、どう思う?」

 まさか——

 また、竜変化ドラゴラムの呪文を唱えるつもりなのか。

「勘弁してくださいよ、旦那。オレらまで巻き込む気ですかい」

 エンゾが情けない声で抗議したが、ギアは薄情に言い捨てる。

「フン。命の保証はしないと、最初から言ってあった筈だけど? それ込みの高額報酬だろう?」

 それまで話についていけてなかったチンピラ共も、不穏な空気に流石にざわめきはじめる。

「ワケ分かンねぇ。こりゃどうなってんだ、エンゾよぉ」

「誰だよ、この偉そうなガキァ。どっから出てきやがった」

「ナメてんじゃねぇぞ、クソガキが。さっきから、意味分かンねぇコトばっかホザきやがって」

「つか、イゴールさんを、どこやりやがった?」

 何人かが、椅子を鳴らして立ち上がる。

「ククッ」

 子供ギアは、またしてもにんまりと笑って、芝居がかった仕草で打った両手を広げてみせた。

「そうかそうか。それが、キミらの選択というワケだ」

 こりゃヤバい。

「いいだろう! なればお望み通り予定通り、後腐れなく跡形もなく、綺麗サッパリこの世から消し去ってやろうじゃあないか!」

 マジで皆殺しにされちまうぞ。

「待った! 今回は痛み分けってことで、このまま別れるってのは、どうだ!?」

 大声をあげた俺をチンピラ共が振り返り、あァッ? とかオォン? とか凄んだ声を出す。

 いや、俺はお前らを助けてやろうとしてんだけど。

「手前ェッ、ナメたコトぬかしてんじゃねぇぞッ!! スッ込んでろッ、クソがッ!!」

 なんでお前が、顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら怒り狂ってるんだよ、ナチョ。

「ククク、聞きしに勝るお人好しっぷりだな、この羽虫め。殺されかけた相手を助けようだなんて、救い難いにも程があるぞ。マッタク、どこまでもいけ好かないね」

 分かってるよ。俺だって、ホントは割り切れちゃいねぇんだ。

「だって、俺をハメたのは、コイツらじゃなくてアンタなんだろ?」

 だが、口に出してはそう返すと、ギアは失笑を漏らしつつ、大仰な仕草で自分の胸に手を当てて言い募る。

「ハッ! 良かったなぁ。僕という悪者がいてくれて。悪いことは全部、僕に押し付けられて。そうやって、いつまでも自分達の罪を都合良く誰かに押し付け続けるがいいさ!」

「いや、そういう話じゃねぇだろ」

 なに誤魔化そうとしてんだ。

「……フン。正に話にならんね」

 一転してつまらなそうに吐き捨てたギアの顔から、ストンと表情が消え失せた。

「キミらは——特にキミは、あるいはこっち側かと思ったんだがな。実際に会話をしてみれば、これほどツマらない人間とは、とんだ期待外れだよ。グエンの言っていた通り、吐き気しかしない」

 薄っすらと憎しみすら滲ませた口調。

 こいつの発言、さっきから思い込みが激しすぎねぇか。

 周りのチンピラ共どころか、直接の会話相手である俺まで置き去りにした口の利き方しかしやがらねぇ。

 さすがは、グエンが身を寄せた先だけありやがるぜ。

「もういいや。消えろ」

 ギアは感情の篭もらない声で、ぽつりと呟いた。

「シェラ!」

 俺の呼び掛けと、ほぼ同時に。

『マホトーン』

『ド・ラ・ゴ・ラ・ム』

 店内には伴わず、店の外で待機させてたからな。気付かなかっただろ。

 シェラの魔法が、ギアの呪文の発動を抑え込んでいた。

 阿呆が、手前ぇみたいな危ない呪文使いに対して、何の備えもしてない筈がねぇだろうが。

「へぇ?」

 だが、呪文の発動を妨げられて尚、ギアの態度は落ち着き払っていた。

「あんたの職業が魔法使いだって話は聞いてるぜ。これでしばらくは、あんたにゃ為す術がないだろ。大人しく、捕まってくんねぇかな」

「クク、可愛いモンだな」

 俺の揺さぶりにも乗ってこない。

 なんだ?

 魔法使いの上に、こんな子供みたいな体格ナリしといて、身体能力だって決して高いとは思えないのに、どうしてこんなに自信満々なんだ。

「多少は、僕の技術の一端に触れたんだろう? だったら、どうしてこの僕が、連中が片手間に拵えた不出来な呪文にいつまでも縛られていると思うんだい?」

 嫌な予感がした。

 俺がリィナから聞いているギアの特徴は、いつまでも子供のような外見を保った『子爵病』と呼ばれる性質を持っていることと——呼称の割りには、別に病気じゃないらしいんだが——それから、もう一つ。

 研究者としての天才性だ。

「キミの知っている魔法を使ってやったのは、わざわざ説明しないでも絶望してくれて楽だからさ。ちょいと頭の中の筋道さえ書き変えてやれば、ホラ、この通り」

 すぅ、とギアの姿がかき消えた。

 にやけ面お得意のレムオルの呪文か?

 けど、呪文を唱えてねぇし、再使用までの間隔が短すぎるし、なによりマホトーンがかかっているのに。

「あァッ!? どこ行きやがった!?」

「くそガキ、コラボケ、出て来やがれ!」

「ぶっ殺すぞ!!」

 チンピラ共の怒号が飛び交う中、すぐ耳元で声がする。

「いまの機転は、ホンのちょっと見直したよ。ご褒美に、もう少しだけ生かしておいてやろう。有り難く思い給え。キミがアレとどう向き合うか、せいぜい特等席から見物させてもらうよ」

 反射的に声のした方を手で払っても、空気を掻き分けるだけだった。

 酒場の扉が独りでに開き、上部につけられた鈴がカランカランと安っぽい音を立てる。

「帰るぞ、グエン。そいつらは、殺さなくていい」

「はい」

 店先には、見覚えのあるひょろりとしたローブ姿が待っていた。

 肉と骨を相打つ音に振り返ると、椅子から立ち上がったエンゾと対峙しているリィナが目に入る。

「ゴメン、ヴァイスくん! すぐそっち行けないかも!」

「やれやれ。なんて貧乏クジだ」

 リィナの牽制を逃れたのか、あいつ。相当腕が立ちやがるな。

「ルーカス! 店の前にいるヤツを取り押さえろ!」

 扉の方に駆け寄りながら、いちおうシェラにつけておいた前髪に怒鳴ると、窓越しにブルブルと首を振り返された。

 まぁ、期待してなかったけどさ。

 シェラの近くにいるだけで、ただでさえ終始挙動不審だったしな。

 粘着質な喋り声が、進行方向から耳に届く。

「やぁ、こうして話すのは久し振りだねぇ、ヴァイスくん。相変わらず、調子に乗ってるみたいじゃないか」

 ギアとツルんで調子に乗ってんのは、手前ぇの方だろうが。

 なにニヤついてんだ、このグエン野郎。

 店の端まで辿り着いた俺は、扉の脇から登場した細身の剣に押し止められる。

 続いて姿を現した、頭頂部で棒みたいに結い上げた特徴的な髪型を忘れる筈もない。

 ジパングでリィナと死闘を演じた、あの寡黙な剣士だ。

「いやぁ、キミがギア様にあっさり殺されやしないかってハラハラしたよぉ。ホント、よかったよねぇ。君はちゃんと、然るべき場面で、僕が殺してあげたいからさぁ」

「……手前ぇにお似合いの薄汚ぇ居場所が見つかって、よかったな。ティミには、よろしく言っといてやるよ」

「はぁ? まさか——」

「ああ。来てるよ。この街に」

「ふ、ふぅん。あのコも、いい加減しつこいねぇ。もう諦めて帰るように、君からも言ってやっておくれよ」

「やなこった。自分で直接言うんだな」

 一瞬、言葉を詰まらせたグエンは、気を取り直すように鼻で笑った。

「どうでもいいんだよ、そんなことは。それより、もうすぐだ。もうすぐ、この下らない世界を、ギア様が——ギア様と僕らが、作り直してあげるからねぇ。楽しみにしておいでよ」

「はぁ? そりゃ、どういう意味だ。手前ぇら、何を企んでやがんだ——おい、待てよ!」

 こいつら、ひょっとしてあの魔物と関係があるのか——暗闇の中でゆらめく、二つの炎。

「嫌だね、待たないよ。それじゃあねぇ、ヴァイス君。君はそこで、僕らが成す変革を、指を咥えたままずっと眺めてるがいいさ。それじゃ、さ・よ・う・な・ら」

「待てよッ!!」

『ルーラ』

 畜生、姿を消したままのギアの反撃が気になって、呪文を放てなかった。

 どの道、俺があいつら全員を同時に相手取るなんて無理な話だから、むしろ見逃してもらったって言うべきなんだろうけどさ。

 でも、少しづつ、分かってきた。

 一年前よりは、遥かに事情が推察できる——にやけた男に求められたように、世界を数段上から見下ろすのは難しいとしても。

 そう思えば、俺が歩んできた道程みちのりも、まるきり無駄って訳でもなかったのかな。

 自分を慰めながら店内に戻ると、片腕を天井に突き上げた格好で、片頬を床に押し付けてうつ伏せにリィナに組み伏せられたエンゾの姿が目に入った。

 周りを、目を血走らせたチンピラ共に囲まれている。

「テメコラ、エンゾォッ!」

「どう落とし前つけてくれんだ、コラァッ!!」

「オラ、あのガキ引き摺って来いやぁ!」

「面倒臭ぇよ、ブッ殺しちまおうぜ!」

 もしかしてこれ、俺が仲裁すんのかよ。

 面倒臭ぇな。

 まぁ、残された数少ない情報源を、喋れないほどボコボコにされても困るから、やるけどさ。

「あ、ヴァイスくん。ごめんね、この人、結構強くて」

 エンゾを組み伏せたままリィナが俺に話しかけると、チンピラ共も一斉にこちらを向く。

 圧が凄い。こっち見んな。

「ヴァイス君——こ、これは一体、どういうことなんだ。イゴールは、どこに行ったのかね」

 チンピラ共の間からまろび出たマテウスが、不安げな声で尋ねてきた。

「イゴールは多分、心配いらねぇよ。本物は、自分の家で寝てんじゃねぇのかな」

 いままでの経験からすると。

「そ、そうなのか?」

「ああ」

 つか、本来は俺に聞くコトじゃねぇと思うんだけど。

「手前ェッ!! ンなんだよ、これァッ!! キッチリ説明しろやッ!!」

 だから、なんでナチョはさっきから俺にキレ散らかしてんだよ。

 つか、この状況で、どうして誰かが懇切丁寧に全部説明してくれると無邪気に思い込めるんだ——ヴァイエルの気持ちが、ちょっとだけ分かるぜ。分かりたくねぇけど。

 ため息を堪えて、俺はぐるっとチンピラ共を見回した。

「お前らさ、そんなに力があり余ってんなら、自警団でもやったらどうだ? 今日はホントは、その提案に来たんだよ——」

5.

「それで、その人達は大人しく言うことを聞いたの?」

「まぁ、なんとかな」

 全然、大人しくなかったけど。

 リィナについて来てもらって、ホントよかったよ。

 実のところ、あの気色の悪い魔物トロルが化けていた国王が、考えなしに周辺諸国に喧嘩を売りまくっていたお陰で、現在のサマンオサ軍はそちらを収めるだけで手一杯なのだ。

 なので、急激に変容した体制の混乱を突いて、悪党共が蠢動している王都の治安維持に、本来は割くべき人員の手が足りない状況だ。

 その一助として、あのチンピラ共に自警団でもやらせたらどうかという案が、クリスから提言されたのだった。

 いや、ほら、放っておくと、王都に混乱を招く方に加担しかねないだろ、あいつら。

 だから、先んじて役割を与えることで、なし崩し的に体制側に組み込んじまえという合理性に、俺も頷いてしまったのだ。

 で、まんまとその迂闊さのツケを払わされた格好で、さっきまであの店で苦労して連中を説得していたという訳だった。

 思いがけずにギア本人の顔も拝めたから、まぁ、結果的な収支は得したと思うことにするけどさ。

『マテウスさん達とも面識があって、各国の上層部にも意見が通せる勇者様に近しいヴァイスさんに仲立ちしていただくのが、最も適任でしょう』

 じゃねーよ、クリス、あの野郎。

 仕返しに、復興事業の音頭取りの面子に推挙しておいたので、あいつも当分はサマンオサに縛り付けられて汗をかくハメになる筈だ。

 魔法協会に転属願いを提出済みだったのに、残念だったな。人を呪わば穴二つってヤツだ。

「なんだか、色々と凄いことをしているのね。私、ヴァイスはもっと普通の人かと思っていたわ」

「ん? 普通の人だけど」

 感じ入ったような響きのセリフを訂正する。

「なにしろ、俺が非才な凡人なのは、あのギア様のお墨付きだぜ」

 目の前の女——ヘレナは、また困ったように首を傾げた。

「ギア様……? ごめんなさい。私には分からないけれど、有名な人なのかしら」

「あれ、知り合いじゃなかったっけ? 俺の勘違いか?」

「ええ、だと思うわ」

 白々しらじらと上滑りする会話。

「じゃあ、これも俺の勘違いなのかな」

「なに?」

「あの日、マグナ達が戻って来た途端に、避けるみたいに黙って居なくなったように思えたんだけど」

 王城の地下牢に囚えられた俺を、怖いのを我慢して、おっかなびっくり助けに来てくれた筈なのに。

『駄目ぇっ!!』

 そう叫んで、国王に化けていた魔物が正体を顕すのを制止した後、ヘレナはいつの間にか姿を消していたのだ。

「それは——だって、勇者様が助けに来たんじゃない。私なんかが残っても、出来ることなんて何も無いって思ったの」

「つっても、黙って居なくなるこたないだろ?」

「それは、ごめんなさい。けれど、言ったでしょう? 私、あの勇者様は苦手なの」

「まだ演説を聞く前だったのにか? そもそもあの時はじめて会ったんだから、勇者ってことさえ、まだ知らなかった筈だろ?」

「……立ち振るまいをひと目見ただけで、苦手だなって思ったの。とても尊大な感じがして。ヴァイスなら、分かるでしょう?」

「ああ、分かるよ。前も、嫌いって言ってたもんな」

 指摘する俺の気分は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

「何を言ってるの? はじめて会った筈だって、今あなたが言ったんじゃない」

 そう。面識どころか存在すら知らなかった筈なのに。

『でも、貴方が残ってくれて嬉しい』

 マグナ達が『ラーの鏡』探索に向かった後に、それを知らない筈のヘレナが俺に言った台詞。

 言葉選びに、若干の違和感を覚えたのは。

 本人の言葉通りに、面倒を嫌った俺がこの国から出ていくことを心配した訳じゃなく、マグナ達に付いていかずに、俺が独りで王都に残った状況を指していたからだ。

「なぁ。その自然さって、もしかして全く新しい人格を自分の中に作り上げてるとか、そういうことなのか?」

「さっきから、貴方が何を言っているのか、よく分からないわ。大丈夫? ちょっと怖くなってきたのだけれど」

「すごいな。こんな短期間で、どうやったらそんなに流暢に話せるようになるんだ? この前と全然違うじゃねぇか。実は俺、さっきから感動してるんだけど」

「……どうしても、自分が間違っているとは思わないの?」

「うん、さすがに思わない。アチコチのピースが、不自然なくらい綺麗に嵌り過ぎる。これでもし俺が間違ってたら、もう仕方ねぇって諦めがつくよ。俺が恥かいて、事ある毎に思い返しては悶絶するくらい我慢するさ」

「……あの時あの町で、前みたいにカタコトで話したのは、意図的だったのよ」

「やっと認めたな。つか、あれワザとだったのかよ」

「ええ。前と大して変わってないって、あなたに思い込ませる為の演技だったの。そうやって印象づけておけば、何日と置かずに全然違う人格で出逢った時に、まさか私のことを疑ったりしないでしょう? 最後に背中から刺すまで、絶対に気付かれない自信があったんだけどな」

「おっかねぇな。そんな物騒なこと企んでたのかよ」

「当然でしょう? 貴方、自分で考えているより、目立ってるのよ。ギアにも指摘されたんでしょう?」

「俺みたいな凡人に派手なことされると困る、とかは言われたな」

「あとは、私の個人的な恨みかな。化けるのが下手くそだって、さんざん煽られたもの。腕の中でだんだん冷たくなる貴方の耳元で、そっと私の正体を囁いてあげる瞬間を、本当に心待ちにしていたの」

「うへぇ、いい趣味してるな。っていうか、すげぇな、マジで。そんなに人間っぽくなれるもんなのか。もう化けるの下手だなんて、口が裂けても言えねぇよ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、そうでも無いの。これが人間っぽいのかどうか、未だに私にはよく分からないのよ」

「え。でも、喋ってる内容とかも、すげぇ人間っぽかったけど」

「……それは、当然なの。生まれ落ちてからいつも誰かしらの人間に化け続けた経験に加えて、特にこの半年間は、この国の女達の情報を大量に摂取して、その真ん中になるようにって作り上げたのが、この私だから」

「真ん中ね。自分は一般的だって、いつも言ってたもんな、そういえば」

「よく覚えてるのね」

「そりゃ、お前とのやり取りは、何度か思い返したりしてたからな」

「……これは、嬉しいという感情なのかしら」

「うん。俺の目にも、情動があるように映ってるんだけど」

「……でも、これはただ、こういう事を言われたら、こう返すものだって、ひたすら綿密に組み上げられた何かでしかないの。感情があるように見えるとしたら、きっとそれは私が参考にした女達の感情の残り香だわ」

「詩的だね。散文的に言い換えれば、つまり貌の無い誰かななしの具現化って訳か」

「その言い方も、充分に詩的ではないの?」

「いや、ごめん。旨いこと言おうとして失敗した。だって、お前には自慢の名前があるもんな。けど、だからか。妙に印象が薄いっていうか、捉えどころがないようにお前らのことを感じてたのは」

「ああ、やっぱりそんな風に感じていたのね。そうだと思う。人間として個性を出すのが苦手みたいなの。だから、あの勇者様が苦手だったのかも」

「へぇ。それは面白い視点だな」

「あの勇者様は、個性の塊みたいな人でしょう?」

「違いない。つか、国王に化けてたあの魔物も同類なんだよな? あっちは、お前の男版ってところか」

「——ええ、そうね」

「その割りには、あいつは随分と破綻してたけどな。受ける印象もちぐはぐ過ぎたし、お前の方がずっと上手いよ、化けるの」

「彼は私と違って、国王のモノマネをしなきゃいけない役割もあったから、多少チグハグだったとしても仕方ないと思うわ。あれほど凶暴性が突出してしまったのも、周りに残った取り巻きの男達が、教師にするには色々と問題が多かった所為だと思うし」

「すげぇな。マジで人間に見えるんだけど。でも、それってどういう意味があるんだ?」

「……何を聞かれているのか、良く分からないわ。抽象的で複雑な会話は、まだ私には難しいの」

「じゃあ、言い方を換えるけどさ。なんで、そこまでして、人間になろうとしてるんだ?」

「……それを答えたら、貴方はもう私に興味を持たなくなってしまうでしょう?」

「てことは、少なくとも俺の勘違いじゃなかった訳だ。本当に、人間に近付こうとしてるんだな」

「引っ掛けたのね。ズルい人」

「その言い回しで、ホントに人間らしい感情が分かってないのかよ?」

「ええ。残念ながら」

「本当に、そうなのか?」

「……何が言いたいの?」

「いや、あのさ。ギアって、人間なのに魔物側についてるだろ?」

「そうかもね」

「だったら、逆に人間側につく魔物がいても、いいんじゃねぇかと思ってさ」

「……無理だと思う」

「どうして?」

「私、ずっとニンゲンを観察してたって言ったでしょう? 雑多な生態系がひとくくりにされることを前提として生み出された魔物より、ニンゲンは異物に対してよっぽど不寛容だと思う」

「ああ——それは、そうかもな」

「なによりまず、扉の向こうで待ち構えてる怖い人が、私を認めてくれないでしょう?」

「やっぱ、そうかな? つか、立場的に迷惑かけちまうか。連れてきたの、ちょっと失敗だったかな」

「ううん。正解だったと思う。じゃないと、貴方、私にあっさり殺されていたもの」

「うん、まぁ、俺のことはいいんだけどさ。この流れでお前に殺されるなら、完全に自業自得だって諦めもつくし。とか言ったら、またマグナに怒られちまうな」

「あの勇者様は、怖そうだものね」

「否定はしないけど、あれで可愛いところもあるんだぜ」

「ふぅん。他の女の話をされると腹が立つって、こういうことなのね」

「……なぁ。ホントにそれで、感情とか無いのかよ」

「ジツは、私にもよく分からないの。いまは作り上げたこの私が、私だから。だから、あると言えばあるのかも」

「そう。そこにすごく興味があるんだよ。それを一緒に、調べたいんだ」

「ジッケンしたいのね、私と。それは心躍るお誘いだけれど、なんだか別の感情もあるみたい——寂しいって言うのかしら、これは。でも、どっちみちこの私とは、ここでお別れよ?」

「……俺はいまここで、お前を仕留めるべきなんだろうな」

「だと思う」

「逃したら、次こそ見付けられる自信がマッタク無ぇしさ」

「嬉しい。化けるのがヘタだなんていう汚名は返上できたと思っていいのかしら」

「ああ。俺が浅墓だったよ。もう一度聞くけど、こっち側に来る気は全然無いのか? 今回だって、半ば人間側についたようなモンだったろ?」

「……なんのこと?」

「いや、『ラーの鏡』を作ったのは、ここらを根城にしてるバスケスって魔法使いかと思ってたんだけどさ。昨日、本人に確認したら違うって言うんだよ。つか、結局それしか教えてくんなかったんだけどな。ったく、あの魔法使いって連中はよ——ああ、それはどうでもいいや。つまり、あれってギアが作ったんだろ?」

「……」

「で、その『ラーの鏡』の存在が俺達に伝わるように仕組むのに、お前も一役買ってた訳だけど、これは分かってみるとおかしいんだ。なんで、魔物であるお前や魔物側についてる筈のギアが、そんなニンゲンに利するようなことをするんだ?」

「さあ。また貴方の考え過ぎじゃない?」

「かも知れない。けど、素直に考えれば、お前やギアは、国王に化けてたあの魔物を排除したかったんだ。それも、魔王だの他の魔物達にはバレないような形で」

「……最近、言うことを聞かなくなっていたから、単純にギアに粛清されたのよ。この国の混乱はもう限界を迎えていたし、それで西方諸国やアリアハンに本格的に介入されるのは、いまはまだギアも望んでいなかったから」

「うん、そんなところじゃねぇかなって、想像はついたけどさ。でも、ホントにそれだけが理由なのか?」

「どういう意味?」

「この国の惨状を見かねて、っていう気持ちが、少しはあったんじゃないのか?」

「……」

「もし、そうだとしたら、やっぱり俺には、お前がこっち側に来ることだって不可能じゃないって——」

「本当に想像力が豊かなのね。というより、妄想? あり得ないわ、私にはそんなにはっきりとした意思は、まだないの。残念ながら。これからだって、無いかも知れないけれど」

「そこら辺だって、俺達の方が力になれるかも知れないだろ。人間らしい感情を学ぶってんなら、あんな連中と一緒に居るよりさ」

「貴方も、やっぱりニンゲンなのね」

「え?」

「物の言い方が、傲慢だわ」

「あ——ごめん。良く知りもしない癖に」

「そうね。貴方が思うほど、そこは単純ではないの」

「悪かった。そっちのグエンてヤツと反りが合わないモンだから、つい口が滑った。そうだよな、あの王様に化けてた魔物にしたって、お前からすれば兄弟みたいなモンだろうし……って、でもさ。それってやっぱり、ほとんど人間の感情と変わらないんじゃないか?」

「想像で勝手に話を進められても、困るの。それに、ニンゲンだけが情愛の感情を持つという考えも、傲慢な気がするのだけれど」

「そうか。そうだな。俺の言ってるのは、一から十まで人間の視点だな。価値観の原点を動かせない自分の頭の固さに苛つくよ。けど、俺はそれを押し付けたくないと思ってはいるんだ。つまり、魔物の価値観も知りたいんだよ。魔物の考え方を知りたいし、一緒に学びたいと思ってる」

「……それは、知的好奇心というものではないの?」

「ああ——そうかも。否定はできないな」

「だとしたら、もし私が人間的な意味で貴方に好意を持っているのだとしたら、それを利用することにならないかしら。研究の為に」

「え——そういう話に、なるのか。そっか……だとしたら、俺はヒドい奴だな」

「本当にね」

「けど、やっぱり、そこまで人間のことが理解できるなら——」

「だから、いまのはただの例え話なの。ニンゲンを理解している訳じゃないのよ。ただ、見聞きした情報を整理してそれらしい反応を作っているだけだわ」

「でもさ、それを言い出したら、人間の意識ってモンからして、そもそも何なのかって話になっちまう気がするんだけど……俺は魔物と人間って、絶対に分かり合えないと思ってたんだよ。違い過ぎて。けど、お前と話してると、人間と魔物ってそこまで離れてないのかも知れないって、まだ仮説とも言えないけど、そういう読み解き方もあるんじゃないかって気がしてくるんだ。そもそも発生自体が特殊な魔物って存在がなんなのかってところまで含めて、できればそれを解き明かしたい」

「まさか、こんなに色気のない話で口説かれるなんて、思ってもみなかったわ」

「え、ごめん」

「こういう時、よくあるニンゲンの物語では、愛を語るものなんじゃないの? 種族の壁を超えた愛情で、熱っぽく私を口説き落とすのが王道だと思うのだけれど」

「そうかもな。じゃあ、次からは努力するよ」

「なんなの、それ。全然期待できない」

「……困ったことに、俺も自分で言ってて、まるきり魅力的なお誘いが出来てる気がしないんだ」

「でしょう? 実験動物として来てくれって頼まれても、とても頷けないわ」

「その理由も、すげぇ人間っぽい気がするんだけどな」

「どうかしら。次に逢う時までに、私も自分の意見で答えられるようになってるといいのだけれど」

「なってるさ。つか、次はマジで俺は気付けないと思うから、自分から名乗ってくれると助かるよ」

「ええ。気が向いたら、そうするわ」

「……っても、このまま黙って見逃しちゃマズいよな、やっぱり?」

「それ、私に聞くことなの?」

「本人の意思を、最後にもう一度確かめておこうと思って」

「困っているのなら、最初の予定通り、後ろから串刺しにしてあげましょうか?」

「いや、痛いのは、もう勘弁してください。力及ばす逃げられるにしても、なるべく痛くない方法で頼む」

「本当に図々しいのね。味方でもないのに、不用意に距離を詰めすぎじゃない?」

「そうかな? さっきも言った通り、俺は味方に引き込む目を諦めてないからさ。将来に向けた布石を打ってるんだと受け取って欲しいね」

「いま、それを言ったら、台無しだと思うのだけれど」

「ですかね」

「それに、私も貴方を生かしたまま見逃したら、きっと怒られてしまうのだけれど」

「大丈夫じゃねぇかな。凡夫の俺は、そこまで重要視されてないと思うぜ。ギアも、もうちょっと生かしておいてやるって言ってたしさ」

「本当かしら」

「ホントほんと。命惜しさで嘘ついてる訳じゃなくて、マジで約束したんだって。だから、殺さないでください、お願いします」

「どこまで本気なんだか、よく分からなくなってきたわ。他の人ニンゲンに聞かれたら、怒られるわよ」

「だから、お互い怒られないように頼んでるんだよ」

 ひどく人間臭い表情で、ヘレナは苦笑を漏らした。

『ラリホー』

 眠りに落ちる寸前、俺の耳が囁きを捉える。

「それじゃ、またね」

 わざとらしく床を踏み鳴らし、盛大に窓を割る音。

 続いて、ドアがけたたましく蹴破られる音。

「ヴァイスくん、無事!?」

 ごめん、リィナ。

 無理言って二人きりにならせてもらっといて、結局逃げられちまったよ。

 それはどういう打算か、それとも感情なのか。

 最期までヘレナの姿まま、ニュズは三度みたび俺の前から消えたのだった。

6.

「よう、久し振りだな」

 ようやく、と言っていいだろう。

 俺がファングと顔を合わせて話すことができたのは、国王が解放されてから五日後のことだった。

 体調不良を押して働き詰めだったファングに、とうとう役人達から強制休暇が言い渡されたのだ。

 それを伝え聞いた俺が、例の街外れの別邸を訪ねたという訳だった。

「へぇ、随分片付いたな」

「ああ。アメリアが頑張ってくれたお陰でな」

 荒れ放題だった邸内は、所々に破壊の跡こそ残っているものの、敷物や壁飾りで目立たないように工夫されていた。

 ちなみに、市街の本邸の方は、引き渡しの手続きが後回しになっているという話で——なにしろ、誰も彼もが復興に向けて、他にやる事が山積みなのだ——しばらくは、こちらの別邸の方を使うことを余儀なくされているらしい。

 嫌な思い出もあるだろうに、案外と本人は気にしてなさそうで良かったけどさ。こいつのことだから、それも含めて全てを受け止めなきゃならないとか無駄に立派なことを考えていそうだが。

 あの時とは見違えて整えられた応接室に通され、勧められるままにソファに腰を下ろした俺に向かって、ファングは起立したまま深々と頭を下げた。

「本当に世話になった。どう言葉にすればよいか分からないほど感謝している。俺が今こうしていられるのは、全てお前のお陰だ。ありがとう、ヴァイス」

 それで俺は、こいつの言い草にうんざりした面を拵えて、膝についた頬杖に乗せるのだ。

「よせよ。ある程度事情は聞いてんだろ? 偉そうにホザいといて、俺は結局、大した事は何もできなかったよ」

「そんな事はない。もちろん、直接の手助けをしてくれたマグナ殿には感謝しているが、お前が命懸けでこの王都を抑えてくれなければ、それとて為し得なかった筈だ」

「そんなモンかね」

「ああ、もちろんだ。それに、お前の勇者殿にもこっぴどく叱られてな」

「へ?」

 思いがけない言葉を聞いて訝る俺に、ファングは顔を上げてニヤリと笑ってみせる。

「あの日、未だに情けなく伏せっていた俺を、真夜中に叩き起こしてくれてな。あんたの代わりにヴァイスが死にかけているのに、いつまで寝てるつもりなんだと胸倉を掴まれて引っ叩かれたんだ。さすがに一瞬で、目が覚めたよ」

「そりゃ……すまなかったな」

 俺はその場に居なかったから前後関係がよく分からんが、『ラーの鏡』を探し当てたその足で王都に蜻蛉返りしたマグナが、宿屋でライラや居残りの海賊から俺の置かれた状況を聞いた途端に、アリアハンにすっ跳んでファングを叩き起こしたってところか。

「何を言う、すまないのは俺の方だ。一度、お前も会いに来てくれた事があっただろう。あの時、意識は無かったが、ぼんやりと記憶は思い出せるから半覚醒というくらいの状態だったらしくてな。せめて、あの時に、俺はお前に応えて立ち上がるべきだった」

「いや、寝てろよ。代わりにやっといてやるから、お前はのんびり寝てろって言いに行ったんだからよ」

 結局、代わりなんて出来なかったけど。

「ああ。魅力的な申し出だったが、なにしろ引っ叩かれたんでな」

「あいつ、怒るとおっかねぇもんな。そりゃ、仕方ねぇか」

 俺と苦笑を見合わせていたファングは、やがて真面目な顔つきで口を開く。

「改めて、礼を言わせてくれ。本当に、世話になった。サレス家当主の名にかけて、この俺ファングは、アリアハンの賢者ヴァイスが助力を必要とした時は、何事にも優先して必ず駆けつけるとここに誓おう。本当に、お前は大した奴だ。いまさらだが、前に負け犬呼ばわりしたことを謝罪させてくれ」

「……だから、よせって」

 ンな大したモンじゃねぇんだからよ。

「お前こそ、またなんか困ったことがあったら、今度はちゃんと俺を呼べよ?」

「ああ。次こそは、必ず」

 ここで、応接室の扉が控えめにノックされた。

「失礼します」

 記憶と微妙に違う真新しいメイド服を着たアメリアが、テーブルに紅茶と菓子を供しながら、俺とファングを相変わらずニコニコと嬉しそうに眺める。

 こいつも色々と大変だったろうに、笑えるようになってよかったよ。

 ここ何日かは、姫さんもアメリアの様子を心配して、屋敷に泊まりに来てるからな。それも、いい影響を与えたに違いない。

「後で姫様からも、ヴァイスさんにお話があるそうですよ」

 アメリアが去り際に、その姫さんについて口にした。

「ああ、分かった。俺もそろそろ話したかったから、丁度良かったよ」

「帰り際で構わないそうですので、お声掛けください」

「あいよ」

 パタンと音を立てて扉が閉まるのを肩越しに確認してから、俺は向かいのソファに着席したファングを振り返る。

「そんで、お前。アメリアとの事はどうすんだよ?」

 ニヤニヤしながら聞いてやった。

 郷に残してきた心配事とやらは、これで解決した筈だろ?

「うん。これに関しては、お前の一歩先を行かせてもらおうかと考えている」

「へ?」

「アメリアとは、近い内に添い遂げるつもりだ」

「え、マジで!?」

 もう結婚決めたのかよ。

 はえーよ、お前。

 いつもの事だけどさ。

「そりゃ、おめでとう。まぁ、今のお前なら、身分がなんだと文句をつけられるヤツもいねぇだろ」

「ああ。俺の伴侶は、アメリア以外に考えられん」

 はー。いつもながら、キッパリしてんねぇ。

 ここまで一途に想われて、俺がアメリアだったら、スゲェ幸せだろうな。

「式には呼んでくれよな。いつ頃にすんだ? もう決まってんのか?」

「いや、国がこんな状態だからな。もう少し落ち着いてからにしようと思ってる」

 ここまでは、俺も納得できたんだが。

「それに、俺の領地に僅かだが生き残りがいる事が分かってな。領主として、まずは彼らの暮らしを安定させてやりたい」

「まぁ、分かるけどさ。おめでたい事なんだから、逆に先にやっちまった方が、周りも明るくなっていいんじゃねぇの。領民にとってもいい知らせだと思うけどな。アメリアとは、時期の話とかもしてるんだろ?」

「ああ……まぁな」

 ん?

 なんか、急に歯切れが悪くなるこのパターンには覚えがあるぞ。

「お前、真逆とは思うけど、アメリアに結婚の意思は、ちゃんと伝えてあるんだろうな?」

「……いや、まだだ」

 嘘は吐かない正直者。

「ハァ?」

 お前さー。

「……ほんっと、こういう方面にかけちゃカラっきしだな、この救国の英雄様はよ」

 さっきの俺の純粋な感心を返せよ。

「時期を……時期を、見てるんだ」

 必死に言い募るファングのザマに、思わず吹き出しちまった。

「分かった、アレだ。ちょっとアメリア呼んできてやっから、いま言えよ、お前」

「い、いや、こういう大事なことはだな、そんなに軽々しく言ってはいかんというかだな——」

「はいはい、うるさいうるさい。こんなモン、思いつきと勢いで言うもんだって。プロポーズした事がある先輩から言わせてもらえればよ」

「なんだと? お前、もうマグナ殿に結婚を申し込んでいたのか?」

「違ぇよ、バカ。プロポーズしたトコ、お前も見てただろうがよ。ほら、エフィに」

「ああ、なんだ、あの事か」

「なんだとはなんだよ。つか、俺はマグナには、もうフラれてるっての」

「なんだと?」

 なんだとの大安売り。

 いくつもの疑問符を頭の上に浮かべながら、ファングは首を捻る。

「それなのに、いま行動を共にしているのか?」

「うっせぇな、余計なお世話だよ。そこら辺にゃ、お前みてぇな唐変木には分かんねぇ、微妙なモンが色々とあんだよ」

「そうなのか」

 俺の誤魔化しを、素直にそのまま受け入れないでくれる?

「……ご意見番として、あいつに文句を言う役目をもらっちまってよ。もうしばらくは、近くで様子を見ようかと思ってる」

「そうか……確かに、色恋沙汰と勇者の征伐は混同すべきではあるまいが……流石のお前も、なんでも上手くやれる訳ではないんだな」

 なに同情した口振りで、うんうん頷いてやがんだよ。

 ファングの癖に、生意気だぞ。

 つか、俺は上手くやれてる事の方が少ねぇっての。

「だから、俺の事より、お前だよ。勢いで言っちまえってのは冗談としてもだ、今度はちゃんと言葉にして気持ちを伝えろよ?」

「……ああ。分かってる」

「お前ら二人の間では一生に一度の事なんだし、実際は雰囲気とかすげぇ大事なんだからな? せいぜいビシッと決めてやれよ」

「うむ……だが、お前も言った通り、俺はそういった方面には疎くてな。どうすれば、その……ビシッとした事になるんだ?」

「知らねぇよ、そんなの。自分で考えろ。つか、お前が考えるのが大事なんだよ。お前がアメリアを想って自分で考えた事だから、喜んでくれるんだぞ」

「そうか、そういうものか……」

 ひどく頼り無げな声で呟く。

 なにやら腕を組んで悩み始めたファングを、紅茶など啜りながら眺めつつ考える。

 こんな風に思ったら、マグナ達には怒られちまいそうだけどさ。

 男同士の会話って、やっぱ気楽でいいわ。

7.

 そろそろおいとましようかと応接室を出たところで、肝心な話を聞き忘れていた事に気付く。

 俺に続いてホールに出たファングを振り返りかけた視界の端に、向こうから歩いて来る姫さんが見えた。

 並んで歩いているアメリアから、俺が屋敷を辞そうとしていることが伝わったんだろう。

 先にあっちに挨拶しとくか。

 真っ直ぐこちらにトコトコ歩み寄る、端正な顔立ちに声を掛ける。

「よう。何日も離れてるの久し振りだから、なんか懐かしい感じがするな」

「そうじゃな。フム、最後の記憶よりは顔色も良くなったようで、なによりじゃ」

「お陰さんでな。そんで、ボチボチこの国を出ることになると思うからさ。用事があったら、先に済ませといてくれよな」

「その事じゃがな、ヴァイス」

「うん?」

「わらわは、ここに残る」

「——」

「ム? 聞いておるか?」

「ん? あ、ああ。もちろん」

 口が勝手に動く。

「——そうだ、あのさ、会ったら教えてやろうと思ってたんだ。この国にも『旅の扉』があるって話は、エミリーも聞いただろ? で、ちょっと調べてみたら、ジツは意外な場所にもあるのが分かってさ。どこだと思う?」

「ヴァイス?」

「これがなんと、エフィの実家のすぐ近くなんだよ。全然、気付かなかったよな。サマンオサの『旅の扉』と繋がってりゃなお良かったんだけど、残念ながら、そうじゃなくってさ」

「ヴァイス」

「あそこと繋がってりゃ、ちょっとした悪戯イタズラが出来たんだけどな。どんなこと考えてたか、聞きたいだろ? つか、姫さんにも協力して欲しいんだよ。あのさ——」

「聞くがよい、ヴァイス」

 落ち着いた声で。

 子供に諭し聞かせるように。

 嫌だ。

 聞きたくない。

「わらわは、ここに残る」

 繰り返された言葉の意味が、さっぱり理解できなかった。

「サーシャは今はしっかりして見えるが、あれは少々マグナに感化されすぎて、これまでとは逆の意味で心配でな。ライラと子供らの行く末も気にかかるし、それになにより、アメリアの面倒を見てやらねばならぬ」

「姫さま、そんな」

 なに申し訳なさそうな顔してやがんだよ、アメリア。

 お前にはファングがいるじゃねぇか。

 取らないでくれよ。

 姫さんを。

 俺から。

「つまり、わらわには、ここでやる事があるのじゃ」

 俺を見上げた拍子に、姫さんの真っ直ぐで綺麗な銀髪が、さらさらと微かな音を奏でる。

「だから、お主とは、ひとまずここでお別れじゃ」

「え、嫌だ」

 自分がそう口にしたことすら、気付いていなかった。

 口は勝手に動き続ける。

「だめだって。そんなの。だって——」

「うむ」

「だって……」

「なんじゃ?」

「……また俺に、夜中に一人で寝ろって言うのかよ」

「なんじゃ、そんな事か」

「そんな事じゃねーよ。無理だよ、そんなの、いまさら」

 いや、違う。

 そういう事じゃない。

「ああ、いや、部屋割りのこたいいよ。どうでも。別に。そうじゃなくて、つまり——」

「あぁ、ヴァイス」

 呼ばないでくれ、俺の名前を。

 そんな優しい声で。

「だって、寂しいだろ、そんなの」

 そんな優しい仕草で、俺の頬に手を伸ばさないでくれ。

「あまり子供のようなことを言うでない」

 小さな唇から漏れる、少し呆れたようなため息。

 ひどく聞き慣れた。

 いつもみたいな。

「子供でいいよ。だって、姫さんから見たら、俺なんてホンの子供みたいなモンだろ?」

「やれやれ。少しばかり甘やかし過ぎたか。いつぞやの時とは、立場がまるで逆になってしまったのじゃ」

 そうだぜ、前の時は、姫さんの方が寂しくてさんざん泣きじゃくってたクセによ。

 なんでいまは、そんなに平気なんだ。

 居場所を見つけたのか。

 そういう事なのか。

 そう。

 無理なく自然に。

 あるべき姿じぶんになっているように、目に映るんだ。

 少し前にも、マグナの上に視た感覚。

 俺はまるで、置いていかれた気分になって。

 途方に暮れて——

 ズリィよ、変わらないのがエルフじゃなかったのかよ。

 ニンゲンなんかより、よっぽど成長してんじゃねぇか。

 そんなの、話が違うだろ。

 姫さんは俺の服の襟をつまんで屈ませて、小さい手でゆっくりと頭を撫でた。

「子供かも知れぬが、お兄さんであろ? そろそろわらわを独り占めせずに、他の子らに譲ってやるがよい」

「やなこった。俺は次男坊だから、お兄さんじゃねぇよ」

「そんな泣きそうな顔をしながら、屁理屈を言うでない」

 姫さんは、おかしそうにころころと笑うのだった。

「うむ、大丈夫そうじゃな。わらわのヴァイスは、自分よりも他人を優先するような、聞き分けの良い子じゃった筈であろ?」

「勝手なこと言うなよ。俺は聞き分けなんて、全然良くねぇし」

「ほぅ、そうじゃったか。ならば、安心じゃな」

「は?」

「お主がわらわのおらぬところで、自分を犠牲にして他人の厄介事を背負い込む悪い癖を、また発揮せぬかと心配しておったのじゃ。が、そのようなニンゲンではないというのなら、安心じゃと言っておる」

 くそ。してやったり、みたいな得意げな顔しやがって。

「……姫殿下に、そこまでお心を砕いていただけるとは、この身に余る光栄です」

 姫さんの身長に合わせて屈めていた腰を伸ばして、せいぜい大義そうに手の甲で叩く。

「分かったよ。降参だ」

 逆の手を開いて上げて見せながら、なるべくいつもの調子で言ってやった。

「どうせ俺が、エミリーに勝てる訳ねぇんだからな」

「なんじゃ、そのように拗ねた顔をするでない。そうじゃ、独りで寝るのがそれほど嫌ならば、早く伴侶を得たらどうじゃ?」

 からかう目つき。

 後ろで大人しく見守っていたファングが、思わずといった感じで吹き出したのが耳に入った。

 確かに、今度は俺が言われてちゃ、ざまぁねぇけどさ。

 手前ぇ、覚えてろよ。

「って簡単に言われてもな。旅から旅の生活だし、当分は無理だろ。相手もいねぇしよ」

「フム。あえてお主の口車に乗ってやるが、わらわとしても、お主の相手はマグナ達とは全然別の誰かでも良いと思っておるのじゃ」

「へ?」

 思ってもなかったことを言われて、俺はさぞかしきょとんとした表情を浮かべたに違いない。

「なら、誰のことを言ってるんだ?」

 すると姫さんは、なにやら難しい顔をして、考え考え言葉を紡ぐ。

「いや、特別に誰かを念頭に置いておる訳ではないのじゃ。つまり、そのぅ……これから、まだ見ぬい人と出会うかも知れないであろ? お主は、まだ充分に若いのだし」

「そりゃ……可能性を言い出したら、無い訳じゃないだろうけどさ」

「それにじゃな。これは、グレースとも常々話し合っていたのじゃが——」

 そんなことを、姫さんが言い出したのだ。

「グレースと? 俺のことをか?」

「うむ。ヴァイス、お主——ヴァイエルの元で、本格的に魔法使いか学者になる勉強をするつもりは無いのか?」

「え?」

 立て続けの意外な発言に、次の言葉が出てこない。

「そちらの方が、勇者のお供よりは、余程お主の性に合っておると思うのじゃが。マグナ達を支援するにしても、そのような立場からの方が、役に立つこともあるのではないか?」

「いや……」

 口に手を当てて、視線を落として考える。

 そうかも知れない。

 ちらっと考えちまった。

 俺が近くに居ることで、逆にマグナを——あいつらを危険に晒すことがあるのかも。

 一年以上前にも覚えた、奇妙に確信じみた予感。

 だったら、姫さんの言う通り、俺は離れたところから手助けをした方がいいんだろうか。

 けど、それにしたってさ。

「無理だろ。俺には学なんてねぇし、向いてるとも思えない。第一、アレのお仲間ってことだろ? まるで似合わねぇよ」

「お主、自分で気づいておらぬのか?」

「なにがよ」

 口を手で覆ったまま、視線だけ姫さんに向ける。

「どんどん師匠ヴァイエルに似てきておることにじゃ」

「——は?」

 冗談でも、やめてくれる?

「そもそも、周りで何が起こっておるのかも気づかぬ程に、自らの思考にのめり込める者が、学者や魔法使いに向いていない筈があるものか」

 それは、だって違うだろ。

 すぐに対処しなきゃいけない出来事が目の前に無かっただけっていうか、姫さんとファング達、もしくはフゥマしか周りにいなかった時は、俺の事はお前らに任せちまえてたから——ついつい甘えちまって、悪かったと思ってるよ。

「それに、考え事をする時に口を手で覆う、その癖」

 え?

「それがヴァイエルから感染うつされたものだという自覚もないのであろ」

 は——?

 言われてみれば。

 この癖が身についたのは、割りと最近だった気がするけどさ。

 でも、別にあいつの真似をしたつもりはねぇんだけど。

 さぞかし納得いかない顔つきをしているであろう俺に向かって、姫さんは噛んで含めるように言葉を続ける。

「わらわには、ここでやることがあると、先ほど申したであろ?」

「……ああ」

「お主にも、お主に向いている、お主こそやるべきことがあるのではないのかと、そういう話じゃ」

「……それが、魔法使いだか、学者になることだってのか?」

「うむ。わらわとグレースは、そのように考えておる」

「……」

 俺が何も答えられずにいると、ふっ、とさっきも耳にした、呆れたようなため息が聞こえた。

「お主、いまモノを考えているようで、まるきり頭が働いておらぬであろ」

「……なんで、分かるんだよ」

「分からいでか。どれだけ近くで一緒の時間を過ごしたと思っておるのじゃ」

「ホントにな」

 なんていうか、今となっちゃ隣りに居るのが自然過ぎて、半身を失うみたいな気分なんだが。

「ならば、お主にも分かるであろ。寂しく思うのが、自分だけでないことくらい」

 ハッと顔を上げると、拗ねた時にいつも浮かべる見慣れた表情が目に入った。

「……ごめん」

 俺はまた、自分のことばっかだったな。

「マッタクじゃ。少しでも申し訳なく思う気持ちがあるのなら、先ほどわらわが言ったことを真剣に考えてみるがよい」

「うん」

「答えは、すぐに出さなくともよい。じゃが、お主には、お主が思うよりも多くの道が拓けていることを、いつか自覚するのじゃぞ。それは、突然どこからか降って湧いたものではなく、お主自身のこれまでが切り拓いたものであることを」

「そうなのか?」

 そんな道なんて、俺にあるんだろうか。

 いつだってどん詰まりの、閉塞感しか覚えてこなかった、こんな俺に。

「いつも近くでお主を見て来たわらわの言葉を、少しは信じるがよい」

「まぁ……努力するよ」

「そのような口を利く時のお主は、一切信用ならぬのじゃがな。そうは言っても、一朝一夕には変わらぬか」

「友人としての立場から言わせてもらえれば」

 話が一段落するのを待っていたように、後ろからファングが口を挟んできた。

「俺も姫の意見に賛成だ。お前には他にやるべきことがあるように、俺にも思える」

 ちらりと後ろを振り返ると、なにやらニヤリと返された。

「だが、お前がどんな選択をしようと、俺はそれを尊重しよう。外道にでも堕さん限りは、だがな」

「堕さねぇよ、バカ」

 多分。

「そんなんなっちまったら、お前に斬り捨てられちまうだろ」

「ああ。その時は、必ず俺が介錯してやる。約束しよう」

 いい顔して、何を物騒なことをホザいてやがんだ。

 そこは「お前が外道に堕ちる訳がない」とか、俺を持ち上げるところだろうがよ。

 ったく、どっかの粘着質な馬鹿じゃあるまいし——

「つか、そうだ。お前に聞きたい事があったんだよ」

「なんだ?」

「ギアってヤツが、お前の前に姿を現さなかったか? 見た目だけが子供みたいな、ヘンなヤツなんだけど」

 俺の雑な説明でも、すぐにファングは連想できたようだ。

 他に類を見ないほど特徴的なヤツで助かったよ。

「ああ、知っているぞ。ランシールでお前と別れて、ここに戻ってすぐの頃に屋敷に来たな」

「それは、どんな用事で?」

「そうだな……」

 腕組みをしていた右手を顎に当て、ファングは当時のことを思い出している様子で口を開く。

「その時は、『ガイアの剣』とやらを探しているようだったな。どうやら父上が所有していたらしいんだが、俺はとんと知らなくてな。そう答えると、酷く悪態を吐きながら立ち去ったよ。お前は、何か知っているのか?」

「いや、全然」

 なんだよ、そりゃ。『ガイアの剣』だと?

 また新しい情報が出てきやがったよ。

 つか、返ってきた答えが、全然予想と違ったんだけど。

「いまの口振りだと、魔物が化けてた国王から領地をもらってお前が懐柔されたって噂とは、あんま関係なさそうだな」

「ああ、そのことか」

 当時を思い出してか、ファングは苦笑いを浮かべた。

「なんであんな話を受けたんだよ。いや、いまさらだし、大体想像もつくんだけどさ」

「そうだな。お前がどこまで知っているか分からんが、俺が封じられた土地は、棄民が最後に流れ着くような見捨てられたところでな。俺が話を受けて管理しないのであれば、あのような危険な犯罪者の巣窟は放っておけぬから、大掃除をするしかないと言われたんだ」

「つまり、そこに住んでる連中の命を盾に取った脅迫か。そんなこったろうと思ったよ」

「情けないことに、俺は結局、彼らを守り切れなかった」

 ギリッと歯噛みする。

 その口調からは、後悔の念がありありと窺えたが、決して後ろ向きなだけの響きではなかった。

「だからせめて、いま残っている者達だけでも、今度こそ守ってみせる。引き続き、あそこを俺が治めることも、陛下に認めていただけたしな」

「ああ。そこは、心配してねぇよ」

 ハナからお前の心配なんて、俺はしちゃいねぇんだ。

「今度サマンオサに来た時は、お前の領地を案内しろよな」

「もちろんだ。皆にも紹介させてくれ」

 いや、そんな大袈裟にしないでいいよ。

——と。

 紹介という言葉から連想して、はたと思い至る。

「そうだ、シェラにも姫さんのこと云っとかねぇと」

 あいつ、ショックを受けるだろうなぁ。

 気を重くしている俺に、姫さんは澄ました顔で答える。

「シェラには、もう伝えてあるのじゃ」

 ああ、そう。

 また、俺の知らねぇところで——あ、それでか。

 昨日から、シェラが急に塞ぎ込んでたのは。

 てっきり、マグナかフゥマが、またなんかやらかしたのかと思ってたぜ。

 それにしても。

 なんだか、ここ数日は、別れを告げられてばっかりな気がするな。

 皆さん、俺の心の傷についても、少しは気にかけてくれませんかね。

「そのような顔をするでない。会いたくなったら、いつでも会いにくれば良いであろ。わらわは、いつでも此処におる」

「……そりゃそうだな」

 エルフである姫さんなら、文字通りいつまでも、先に逝くこともなく居続けるだろう。

 置いて行かれるのは、いつだって姫さんの方なのだ。

 ニンゲンと関わる限り。

「なら、泣くなよ」

 姫さんに泣かれるのは、苦手なんだ。

「泣いてなどおらぬ」

 涙声で顔を逸らしても、説得力ないぜ。

 アメリアに視線を移して、頭を下げる。

「エミリーのこと、よろしく頼む」

「はい。どうか、お任せください」

 俺を安心させるつもりか、アメリアはいつもに増してきっぱりと言い切った。

 お前の根拠のない自信満々な態度って、逆に不安になるんだけど。

 でも、まぁ、心配要らねぇか。

 ファングこいつも居ることだしな。

「頼んだぜ」

「ああ。任された」

 握った拳を掲げられたので、しょうことなしに打ち合わせてやる。

 だから、痛ぇっての。

 固すぎんだよ、お前の拳骨。

 マッタク頼もしい限りで、不安だの心配だのが消え失せるよ。

 こうして俺は、俺を守ってくれていた甘い庇護の元から、優しく追い出されたのだった。

 それは俺の子供時代が、本当の意味で終わりを告げた瞬間だったのかも知れない。

 本当の意味とか言ったら、どこかの陰気な魔法使いに小言を云われそうだけど。

 それじゃ、姫さん。またな。

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