50. Show Me the Way

1.

『なンダ、ギザまラ……控えヨ』

 辛うじてニンゲンの姿を保ったままの老王は、言葉と共に強烈な妖気を発散した。

「む……」

「ぬぅ……」

 マグナと共に入室した、比較的くらいの高そうな装備を身につけた連中が、思わずといった感じで呻く。

 なるほど、これは事情を知らなければ、老王自身の威光や迫力に圧倒されているのだと勘違いして、平伏しても仕方がないかも知れない。

 だが、もちろんのことウチの勇者様には、そんなものは一切通用しないのだった。

「ふぅん。魔物の妖気丸出しじゃない。貴方達、なんでこんなのに、いままで黙って従ってたの?」

 ちらと振り向いて兵士達に問いかけた口振りは、揶揄するでなく、本当に不思議そうだった。

「や、それは……」

「疑う声もあったのですが……」

「御姿に変わりありませんし、まさかとの思いが強く……」

 当然ながら、返事はすこぶる歯切れが悪い。

 マグナはすぐに興味を失ったように、ついと老王に視線を戻した。

「ま、いいわ。さっさと正体暴いて、退治しちゃいましょ」

 えー……。

 すごいあっさり言うのな。

 俺は、あんなに七転八倒して、ものすごい苦労しながら相手取ってたってのにさ。

『魔物ダと……ソれハ、儂ノこトカ』

 マグナの言い草に反応したのは、老王だった。

「当たり前でしょ。そんな妖気垂れ流しといて、他に誰が居るっていうのよ」

『違ウ。儂ハ、魔物デハなイ。本物ノさまんおさ国王ジャ』

 さっきも見たぞ、このやり取り。

「本物が、わざわざ自分のことを『本物だ』なんて言う訳ないでしょ」

 魔物の戯言ざれごとを、マグナはにべもなく切り捨てるのだった。

「どうでもいいのよ、そんな分かり切ったこと。色々あり過ぎて、ただでさえイライラしてるんだから、さっさと片付けさせてもらうわよ」

 あれ。

 もしかして、マグナ怒ってる?

「そいつも、お世話になったみたいだしね」

 床から身を起こせないままの俺に、ちらと視線をくれた。

「お気をつけください、勇者様。あの魔物、ああ見えて、なかなか強力です」

 手持ちの薬草で自らをある程度回復させたらしいティミが、マグナの傍らで膝をついて進言した。

 貧弱な俺とは違って、ちゃんと自分で立ち上がって歩くことが出来たようだ。

「うん、エミリーから少し話は聞いたわ。あなたも手伝ってくれたんですってね。ありがとう」

「っ——勿体ないお言葉です」

 嫌われていた筈の勇者様から屈託のない微笑みと共に礼を述べられて、顔を伏せたティミが感激している気配が伝わってきた。

「シェラちゃん、持つの代わって」

 背後のシェラに『ラーの鏡』を手渡すリィナの様子も気にならないほどに。

『儂ガ魔物トイうコトハ秘密ナのジャ。秘密ヲ知った貴様ラ、生きテ帰スわケニはいかヌゥッ!!』

 振りかぶった拳を掲げながら、狂王が殺到する。

 マグナを庇うように、リィナが前に進み出た。

 繰り出された恐るべき打撃を半身になって躱しつつ、老いさらばえた頑健な胸板を肩口で打ったと思ったら、そのまま下から振り上げられた右腕が老王を後方に押し返す。

「えっ、おも

 思っていた手応えと違ったのか、リィナは困惑の呟きを漏らした。

「気をつけな。見た目の通りじゃないよ」

「みたいだね」

 立ち上がったティミと、視線を老王に据えたまま数歩後ろに退がるリィナ。

 その二人を左右に従えて、悠然と立つマグナの姿が、おそろしく様になっていた。

 なんだ、この安心感は。

 って、緩んでる場合じゃねぇよ!

「気を付けろ! そいつ、魔法を——」

『マホトーン』

『ルカナン』

 一瞬早く発動した呪文が、老王の魔法を抑え込む。

「大丈夫です。姫様に忠告してもらいましたから」

 大好きな姫様の手柄を誇るように、やや得意げに口にしながら、マグナの斜め後ろにシェラも進み出る。

 本物の勇者様御一行の揃い踏みだ。

 なんだか——

 みんな立派な勇者様方で、俺とは全然別の世界の人間のように目に映る——マズいな。よくない傾向だ。

 けど、今回は流石に仕方ないだろ?

 どうにかしようと足掻いて、もがいて、そのすえに絶望しか待ち受けていなかったところに登場した勇者達なんて、あまりにも颯爽とし過ぎている。

 ちょっと見惚れるくらい、大目に見てくれよ。

『ギザまラ、モウ許サん。頭カラ丸ゴと喰ッテヤるゾ』

 先程も感じた、擬態を解こうとでもするような、妖気の膨張。

 兵士達が、怯えたように身を竦ませる。

 だが、マグナはしれっとした顔で、つけつけと注文をつけるのだった。

「あ、正体をあらわすつもりなら、ちょっと待って。その為の道具を、あんな面倒な思いまでして取ってきたんだから、それ使わせてよ。シェラ——」

「はい」

 兵士達の手前もあって箔付はくづけを意識しているのか、シェラは跪いて仰々しい仕草でマグナに『ラーの鏡』を手渡した。

「ありがと——さぁ、サマンオサの人達は、いまからこの鏡に映るあいつの姿を、よく見てなさい!」

 前を向いたまま背後に大声で語りかけつつ、『ラーの鏡』を両手で高々と掲げ上げる。

「外道照身! 真実を照らし出すこの鏡の前では、何者も自分の姿を偽ることはできないわよ! 観念して、大人しく正体を顕しなさい!」

 カッコよく決めてるトコ悪いんだけどさ。

 それが鏡なんだとしたら、お前の後ろにいる兵士達には、鏡の裏側しか見えないんじゃねぇのか。

 と思いきや、マグナの背後に群がるサマンオサ人達の間で、どよめきが広がっていく。

「おお——」

「まさか、あれが——?」

「本当に魔物なのか——?」

「信じられん——」

「我らは、いままであんなものを——?」

「こんなことが——」

 どうも、鏡の部分が透過膜のように、後ろからでも見える構造になってるらしい。

 そして、逆側にいる俺からも、不思議なことにハッキリと映し出されて見えるのだった。

 たるんだ肉を纏った、緑色の皮膚をした醜怪な魔物の姿が。

 普通だったら、あるいはこんなに容易くサマンオサの人々に、この状況は受け入れられなかったかも知れない。

 真実を照らし出す鏡ってのは、ただマグナがそう言ってるだけだからな。下らない絡繰からくりだと一蹴されたところで仕方がない。

 だが、いまやこの国にすまう者であれば、多かれ少なかれ覚えている違和感が。

 ひょっとしたら、いまの国王は別人ではないのか。

 それどころか、魔物が化け果せているのではないか、という荒唐無稽な都市伝説が。

 ようやく、しかも目に見える分かり易い形で提示されて、一気に真実味を帯びていた。

 さらに言えば、それを断言しているのが、いかにも自信に満ち溢れた、世界中の王族からも認められし勇者様なのだ。

 結局、人は信じたいものを信じるものだからな。

 この場に居合わせたサマンオサの兵士達にとって、突如として人が変わったように非道の限りを尽くす暴君と成り果てた国王は、なにかの間違いであって欲しい——どうにか否定したい存在だったのだ。

 魔物が化けた偽物というのは、その答えとして悪くない。

 そこに一定以上の信憑性をまぶしてやれば、受け入れ易さもいや増すというものだ。

「ほら、これでいいんでしょ。まったく、恥ずかしい真似させないでよね」

 マグナが宙空に向かって、小声でひとりごちているのが聞こえた。

 いや、誰かに話しかけてるのか?

『やい、ヴァイエルの小間使いよう』

 突如として、頭の中に老人の声が響いた。

 うん、知ってた。

『いやー、良いもん観せてもろうたわい。儂が思っとったより、あの嬢ちゃんが随分と愉快じゃったもんでな。つい余計な世話まで焼いてしもうたが、それもここまでじゃ。後は、そっちでなんとかせい』

 ヴァイエルのご同輩——おそらく、ラーの鏡の製作者だろう。

 この地に縁の深い魔法使いの存在は、元々予想してたからな。

 俺はヴァイエルといつもしているように、声に出さずに頭の中で返事をする。

 念話を行うような能力は俺には無いが、そうすると向こうで勝手に拾ってくれるのだ。

『分かった。手間かけたみたいで悪かったな。後はこっちでやっとくよ。ただ、この場を乗り切ったら、話だけ聞かせて欲しいんだけど。色々と答え合わせがしたいんだよ』

『ホ? なんとまぁ、図々しい丁稚もおったものよ。嫌じゃよ、面倒臭い。なんぞ知りたいことがあるのなら、ヴァイエルの小僧にでも尋ねればええじゃろが』

 そんな場合でもないが、あいつが小僧扱いされてんの、ちょっと笑えるな。

アレが、まともに俺なんかの質問に答えてくれると思うか?』

『なんだかんだ文句を言いながら、なんでも答えてくれるじゃろ、あの小僧。魔法使いにあるまじき世話好きじゃからな』

 反射的に否定しかけて、考え直す。

 まぁ、確かにそういう部分も無くはないとは言い切れなくもないかも知れませんけどね、そこはかとなく。

『いや、そうは言っても、当事者のあんたに聞いた方が、話が早いだろ?』

『なぞと云っとるようでは、お主、本当にまだ何も仕込まれておらんのじゃなぁ』

 呆れ果てた溜息のような気配が伝わる。

『少しは躾けておくように、あの小僧に伝えておけぃ。いまのままでは、使い走りとしてすら役に立たんわい。意識の共有すら出来ん輩に物を教えるなんぞと、なんで儂がそんな面倒なことをせにゃいかんのだ』

『そう云うなよ。ヴァイエルより先に、変化の杖を拝ませてやっからさ』

『ああ、サマンオサ王の持っとるアレか。あんまり興味無いのぅ』

 えー、そうなの。

 魔法使いなら、誰でも興味を惹かれる代物って訳でもないのか。

『そうなると、他にあんたの気の引けそうな情報モン、なんか持ってたかな……』

 苦笑に近い波動が伝わる。

『全く理解の及ばぬ相手に対して、どうにか対価を用意しようとする心意気は、嫌いではないぞ。気が向いたら、話くらいは聞いてやらんでもない』

『え、マジで』

『なんじゃ。自分から申し出ておいて、何を驚くことがある』

『いや、だって——話が通じる魔法使いもいるんだな、と思ってよ』

『儂らは皆、話は通じるぞ。話が出来る相手に限られるがな』

『要は、こっちの問題ってことね。ま、いいや。そんじゃ、後始末が片付いたら、よろしく頼むよ』

『あくまで、気が向いたらの』

 それきりふつりと、魔法使いの老いたの声は途絶えた。

 しまった、名前も聞いてねぇや。後でマグナに確認しとかねぇと。

 そのマグナは、再び『ラーの鏡』をシェラに預け、天空に向かって右手を突き上げているところだった。

「さて、と。あそこの小うるさいのが出した条件も満たしてやったことだし、ちゃっちゃと終わらせるわよ」

 あそこの小うるさいのって、もしかして俺のことか。

「リィナ」

「いつでも」

「ティミも。まだいける?」

「っ——も、もちろんです!」

 マグナの言葉に、ティミは感激に顔を紅潮させる。

 一時的にせよ、勇者様のお供って念願が叶ってよかったな。

『秘密……守ル……ギザまラッ! 全員ゴロズウゥッ!!』

 怒声を上げた老翁が膨張した。

 ヤマタノオロチに変態したヒミコさながら、見る見る姿を変えていく。

 先程、ラーの鏡に映し出された通りの異形だった。

 ブヨブヨとだらしなく全身に纏わり付いた弛んだ肉が、緑色をしているのが気色悪い。

 長く尖った耳は、文字にすれば同じでも姫さんの愛らしいそれとは全く異なり、悪魔を連想させる禍々しさで、その耳まで裂けた巨大な口は、ヌトヌトと濡れた厚ぼったい唇に覆われていた。

 さらに全体として、なまじ人型に近いところが、余計に受け入れ難い印象を助長している。

 要するに、スゴいキモいのだった。

「珍しい。あれ、トロル種じゃないかい?」

「うん、そうだったかも」

 思わずといった感じで呟いたティミに、頼りない返事をするリィナ。

「知ってるの?」

 マグナの問いかけに、ティミはやや緊張した面持ちで答える。

「はい。通常の個体ですら、複数人で対処するような強力な魔物の筈です。ご注意を」

「その突然変異体じゃ、強さは言わずもがなってワケね……けど、ま、この面子なら、どうにでもなるでしょ」

 全く気負いのない口調で、あっさりと言ってのける。

「じゃ、やるわよ」

 マグナの背後で、恐怖と不信と期待がないまぜになったざわめきが、サマンオサ人達の間に広がっていく。

「ティミ、ボクに合わせて」

「分かってる! ウチに指図すんな!」

 左右で言い合いながら、リィナとティミが腰を落として身構える。

 そして、掲げていた右手を、マグナが振り下ろした。

『ライデイン』

 バリッ

 幾度か耳にしたことのある、空気の爆ぜる音がした。

 その、直後——

 室内に突如として発生した紫電が網膜を焼く。

 それはさながら、神の怒りにも喩えられる雷光が、悪魔の形をした醜怪な化け物を調伏したかに映る光景だった。

「うおぉっ!?」

「ひぃっ!?」

「なんだっ!?」

 魔法を見るのも初めての者が多いに違いない。

 サマンオサの兵士達から、畏怖混じりの悲鳴があがる。

 そんな中で動きも止めずに、左右から魔物に迫る影があった。

「せぇの」

 雷撃に膝をつく魔物の横っ腹を、懐に跳び込んだリィナの拳撃が襲う。

『うブァ』

 堪らず身を屈めた顔面を、ティミの蹴りが迎え撃った。

ッ!!」

 思いっ切り顔を蹴り上げられた化け物が、強制的に立ち上がらされて仰け反りながら後ろにたたらを踏む。

『ギザまラァッ!?』

 どうにか踏ん張った魔物が、左右のリィナとティミを叩き潰さんと、握った両手を振り下ろした。

 だが当然、二人共もうそこには居ない。

『メラ』

 魔力切れか、メラミではなくメラを着弾させた土手っ腹を、ティミが容赦なく殴りつける。

 僅かにタイミングをズラして背後に回り込んだリィナが、跳び上がった勢いのまま後頭部に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。

「ここまでね」

 まるで吸い込まれるようにこうべを垂れた魔物の顔面を、マグナがすれ違いざまに斬り付ける。

『グギャアアァァァッ!!』

 緑色の皮膚をした醜怪な魔物は、斬られた箇所を両手で押さえて身を捩った。

 当たり前だが、その姿にはこの国の王として君臨した面影は微塵もない。

「窓から落として」

 平坦な調子で呟いたマグナの言葉に従い、勢いをつけて体ごとぶつかったリィナとティミが、テラスの方へと巨体を押しやる。

 巨体といっても、大海妖クラーケンやヤマタノオロチとは比べるべくもない。

 体高は、人間と比較しても倍ほどしかないだろう。

 体勢を崩した状態では、リィナとティミの二人がかりに抗う術もなく、割れた硝子を派手に撒き散らしながら、テラスの下へと突き落とされた。

 悠然とした足取りで後に続いたマグナは、テラスの端から地面を見下ろし大声を上げる。

「後は任せたわよ! この国の人間として、あなたが決着をつけなさい!」

 誰かに語りかけている——?

「応ッ! 助太刀感謝する、アリアハンの勇者殿!」

 いまの声は、まさか!?

 下半身にどうにか力を入れて立ち上がり、ヨロヨロしながらテラスに向かう。

 途中で俺を追い越したサマンオサ兵達が、眼下を覗き込んで叫ぶのが聞こえた。

「おおっ、ファング様だ!!」

「何故ここに!?」

「いままで何処におられたのだ!」

 国王派や街の口さがない連中はともあれ、現場の兵士達の心証は元から悪くなかったと思しく、それらの声音は総じて好意的な響きを伴っていた。

 ようやくテラスに辿り着き、割れた硝子に気をつけながら、華美な装飾の施された柵に身を預けて地面を覗き込む。

 ああ、ホントにいやがんの。

 あのバカ、やっと起きたのか。

 ライデインの雷撃を受け、リィナとティミの拳撃を喰らい、自分の背丈の倍ほどの高さから落とされて尚、立ち上がろうともがく魔物が、まず目に入った。

 そして、それと対峙する、見覚えのある立ち姿。

 安堵とも不安ともつかない、複雑な感情が湧き上がる。

 目を覚ましたのは良かったが、剣を構える様が記憶よりも明らかに頼りなかった。

 そりゃ、何日も寝っぱなしだったんだもんな。

 筋力も落ちてるだろうし、むしろそんな状態で、よくあんな化物と正面切って対峙していられるもんだ。

『グブゥっ……ヨくモオレにコンなコト……手足をチギッテアタまかラ喰っテヤるゾ……』

 階上のテラスから落とされた化物は、あちこちから緑色の体液を垂れ流しながら、両手を地面について立ち上がろうとしていた。

「まさか、本当にコレが陛下に化けていたというのか。向こうで体験していなければ、とても信じられんところだったな」

 躰の正面で剣を構えながら発された声は、衰弱は窺えるものの、思ったよりはファングだった。

 て言い方も、おかしいけどさ。もっと弱ってるかと思ったんだよ。

『グゥ……キサマハ……? 覚エテいルぞ、ユウシャと呼バレてイた面倒なオとコノこドも……ナぜキサマまデ、オレが化ケテいタコとヲ知っテイる……』

「ほぅ、俺を覚えているのか。どうやら脳味噌がまるきり空という訳でもないらしい」

 ファングは、手にした剣を天に掲げて大音声だいおんじょうを発する。

「そうだ、我が名はファング! サマンオサの誉高き勇者サイモンの一子にして、その志を継ぐ者だ!!」

 高らかに響き渡った宣誓に、サマンオサの兵士達からどよめきが起こった。

「畏れ多くも我が国王陛下に化けおおせ、臣民をたばかり暴虐の限りを尽くした罪、許し難し!! 我が父に代わり、完膚なきまでに成敗してくれよう!! さぁ、そこになおれ、化物め!!」

 よくもまぁ、こういう口上がスラスラと出てくるもんだ。

 偉大なる父親の影を乗り越えんとする意思が窺えることころも、それなりに事情を弁えている身には、なかなかに感慨深い。

 だが、知っているだけに不安も残る。

 いま初めてファングを目にした人間ならば、なんと勇ましい傑物だと頼もしく感じるかもしれないが、記憶の中のアイツと比べると、声に張りは無いし佇まいにも力強さが感じられない。

 ホントに任せちゃって大丈夫なのかよ。

 と問いかける俺の視線に気付いたのか、横にいたマグナが、なんか文句あんの? という目付きを返してきた。

「ここの人間にも、なんかやらせなさいよ。自分達の国のことなんだから」

 それが、マグナの端的な答えだった。

 俺がグダグダと思い悩んでいたことなんて、こいつにとっては考えるまでもない、当たり前のことだったんだろうか。

 それとも、『ラーの鏡』探索の旅の途中で、考えさせられる出来事でもあったのかね。色々ありすぎて、ただでさえイライラしてるとか言ってたもんな。

『サッキカらゴチャゴちゃトウルさイぞ、ニンゲン如きガ……マズきサマカら喰ラッて、傷ヲ癒ヤす足シにシテくレルわッ!!』

 巨体を揺らして殴りかかった化物トロルの拳の下を掻いくぐり、ファングは両手剣で胴を薙ぐ。

『グアァッ!!』

 堪らずに振り回された化物の腕が、ファングの躰を掠めた。

「むぅっ!?」

 らしくもなく、あっさり弾き飛ばされてやがる。

 やっぱ、全然本調子じゃねぇだろ。

『クカカ……弱イ、弱いナァ……』

 自らの優位を確信したのか、化物が醜悪な笑みを浮かべた。

『ヤツがズイブんト気ニシていタガ、貴様、コんナニ弱カッタのカ? ……コれナラ、サッきノ餌の方ガズッとマシダッたゾ!!』

「病み上がりに、酷なことを言う」

 おそらく不甲斐ない自らに向けた苦笑を浮かべつつ、地面についた剣を杖代わりに立ち上がるファング。

『ブハァ……モうヤツの言ウこトナど信ジヌ……ドウでモイい……コの国ノニンゲン、全テ喰ラッてヤる……ナニもかモメチャくチャにシテヤるゾッ!!』

「それを、俺が許すと思うのか?」

 ファングは剣を肩に担いだまま走り寄り、反動を利用して袈裟懸けに斬り付ける。

『グババッ!! キさマ如キに、何がデキるッ!!』

 だが、速度が乗る前に分厚い掌で剣を受け止めた化物は、それを握ったまま力任せに振り回した。

「ぐぅっ!?」

 遠心力で放り出されたファングは、二度、三度と跳ねながら地面を転り滑る。

「ああっ!?」

「ファング様ッ!?」

「なんということだ——」

「あの方が、こんな簡単に——」

 サマンオサ兵達から悲痛な声があがる。

『モトモト、オレハ気に喰ワナかッタんダ、コんナ面倒ナコトハッ!! 全部壊セばイイッ!! オレハ、好キニやルゾッ!!』

 自らの胸を拳で何度も打ちながら、化物は雄叫びを上げた。

 どこかで聞いたような宣言ですね。

「ほら。あなた達は、いつまでぼさっと見てるつもりなの?」

 固唾を呑んで対決を見守る兵士達に、つけつけとそう言ったのは、マグナだった。

 いや、別に誰のことも連想してませんよ、ホントに。

「あの人、ついさっきまで何日も寝込んでたような状態なのよ。そんな体調なのに、お国の為にって無理して魔物に立ち向かってるあなた達の英雄を、このまま見殺しにしていいの?」

 兵士達が、今度は息を呑むのが分かった。

「そうだ——」

「ファング様をお救いせねば——」

「我々は何をしているのだ——」

 マグナが、ちらと後ろに目配せをしたように見えた。

 そこには、小さく頷き、意を決した表情で進み出る、サマンオサ第一王女の姿があった。

「勇者様の仰る通りです! さぁ、我がサマンオサの勇敢なる戦士達よ! 貴方がたが我が王家に捧げた剣を、いまこそ振るう時です! ファング様と共に、悪逆卑劣なる魔物を討ち滅ぼすのです!!」

 一瞬の間を置いて。

 オオオオオオオオッ!!

 床ごと震わさんばかりの鬨の声があがった。

 王城前の広場で魔物と対峙しているファングに助太刀すべく、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら、兵士達は次々に室外の部下と合流して階段へと向かう。

「ありがとう、サーシャ。お陰であの人達の士気も上がったわ。さすがは、この国の王女様ね」

「いえ、そんな……こちらこそ、本当になんと御礼を申し上げたらよいか……」

 マグナに褒められて、サーシャは感極まったように声を詰まらせた。

 ここに戻ってくるまでに、ほんの一言、二言、言葉を交わしただけの間柄の筈だ。

 それなのに、マグナを見詰める視線が、既に心酔に満ちた熱を帯びはじめていた。

 ていうか、この流れ。

 マグナははじめから、この国のヤツに決着を任せる気だったのかよ。

 俺が必死コイても辿り着けなかった結論に、あっさり辿り着いたってのか。

 なんか——ズリィよ。

「そうそう。それそれ」

 いつの間にやら隣りに来ていたリィナが、からかう視線を俺に向けながら、指先でつんつんと肩を突付いてきた。

「なにがよ」

 つい口をついた俺の不機嫌な相槌を気にするでなく、にんまりと共犯者の笑みを浮かべる。

「ボクが、いまのマグナに抱いてる感情だよ。ヴァイスくんも、ズルいって思ったでしょ、いま?」

 見ると、傍らではシェラもうんうんと頷いているのだった。

「……それ、マグナに言うなよ?」

「うん、もちろん」

 俺も、ちょっと気をつけねぇと。

 多分、あいつ自身は何も変わっちゃいないんだから。

 そして、俺はこの先もずっと、あいつにとってのその他大勢になる気はねぇんだからよ。

「なにをコソコソと人の悪口を言ってるのよ」

 少し離れてサーシャと話していたマグナが、ジロリと俺達を睨み付けた。

「ううん、マグナの悪口なんて言ってないよ。ね、ヴァイスくん?」

「あ、ああ。もちろん」

 リィナと俺の返しに、ますますマグナは目尻を吊り上げる。

「誰も『あたしの』なんて言ってないんだけど」

「そうだっけ?」

 リィナ、お前、一人だけトボけて難を逃れようとすんなよ。

「いや、違くて、単に話の流れで、そう勘違いしてるのかなーって……つか、少なくとも俺が、お前の悪口なんて言う筈ないだろ?」

 絶体絶命のピンチに、颯爽とかけつけてくれた恩人に向かって。

 マグナはしばらく疑り深そうな目つきで俺達を眺めていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。

「まぁ、いいわ。正直、もう眠いし。丸一日くらい、動きっぱなしじゃなかったっけ?」

 同意を求められて、シェラが頷いた。

「そうですね。私も、さすがに疲れました」

「それはいけません。いますぐお部屋を——」

「もう少しだけ待つがよい。いちおう、あの魔物が討伐されるところを、見届けてからの方が良いであろ」

 慌てて部屋を手配しかけたサーシャの言葉を遮って、テラスから地面を見下ろしながら、エミリーが提案した。

「そうね。じゃ、あの人達が魔物を斃したら起こしてくれる? 悪いけどあたしは、そこでちょっと横になるから」

 と言い終わるのを待たず、比較的原型を留めているベッドの残骸に向かうと、マグナはさっさと身を横たえたのだった。

 やれやれ。この部屋には俺達とサーシャしか残ってなくて助かったぜ。

 折角ここまで勇者らしい振る舞いを印象づけてたのに、台無しになっちまうからな。

「マグナさん、ホントに疲れてるんです。もうずっと何日も、これ以上ないくらい目一杯急いで、今だって無理して寝ないで戻ってきたんですから」

 ヒソヒソ声でフォローしたシェラが語ってくれたところによれば、『ラーの鏡』を見つけた途端に、文字通り蜻蛉返りで戻ってきたらしい。

 しかも、途中でアリアハンに寄ってファングを叩き起こしてくるオマケ付きだ。

「なら、お前らは大丈夫なのか? シェラとリィナだって、動きっぱなしなのは同じだろ」

 そう問うと、シェラは小さく横に頭を振った。

「私達は、戦闘以外では後ろに控えてれば済みますから。でも、マグナさんはそうはいかないじゃないですか。交渉事のようなことは、いつも任せる形になってしまって、本当に不甲斐ないです……」

 ああ、そうか。

 ただでさえ、見た目は少女の集団だもんな。

 せめて勇者って箔と妙な迫力のあるマグナが先頭に立たなけりゃ、相手が納得しない場面は多いだろう。

「さっきも、凄かったもんね」

 感心した中にも微妙に含みを持たせた口調で、リィナが口を挟んだ。

「なんのことだ?」

「このお城に着いた時のことだと思います」

 聞き返すと、代わりにシェラが答えた。

 自分で説明するのが面倒くさかったのか、これ幸いみたいな顔でしきりと頷きながら、リィナは続きを押し付ける。

 少し離れた場所からチラチラと心配そうにマグナの様子を窺っているティミと、そういうトコは似てるのな。

「正直に言って、こんな時間にお城に押しかけるなんて、非常識もいいところじゃないですか?」

 シェラの言葉に、深く顎を引く。

「よく、こんな夜更け——っていうか、もう明け方か。とにかく、こっちに着いてすぐ来てくれたよな」

 感謝しかねぇよ。

「それは、姫様が宿屋に残ったライラちゃんや海賊の人に、言伝ことづてを残しておいてくれたお陰です」

 シェラは誇らしげに言って、姫さんの方に目を向けるのだった。

 視線に気付いた姫さんが、ちらと俺を見上げる。

「こうなることを予想していた訳ではないが、もしかしたら、すぐに戻れないようなこともあるかも知れぬとは言い含めておいたのじゃ。サーシャの事も、あやつらは知っておるしな」

 何から何まで、ホントすまねぇな。

 けどさ。

「なんで殿下のことを、俺には教えといてくれなかったんだよ?」

 前もって伝えといてくれれば、色々と取れる手も増えただろうによ。

 真逆まさかまた、驚かせたかったのじゃ、とか言い出さねぇだろうな。

 だが、姫さんは甘えた顔どころか、呆れ果てて溜め息をついてみせるのだった。

「それを、わらわに言わせるのか?」

「なにがよ?」

「サーシャの存在を教えていたら、どうせお主は嬉々として悪巧みに組み込んでおったであろ。いまでこそサーシャはこれほどの明るさを取り戻してはおるが、少し前までは、とてもそんな陰謀に耐えられるような精神状態ではなかったのじゃ」

 思い掛けない方向からの言葉を受けて、返答に詰まる。

「子供らも、大人達から自分達のお姫様を守ろうと健気に奮闘しておったしな。それを裏切るような真似は、わらわには出来なかったのじゃ。それで、こちらはこちらで動いて、最終的にお主の手助けができればと考えておったのじゃが、実際にそれが果たされた今となっては、文句を言われる筋合いはないであろ」

 確かに——そっちの方が良かったかも知れねぇな、結果的に。

 少し前までの余裕のない俺だったら、この国の第一王女という強力極まりない切り札を、ただ無為に使い潰していたかも知れない。

 それ以前に、きっと姫さんや貧民街の子供達ほどしっかりと、サーシャの信頼を勝ち得るところまでいかなかったかね。

 子供のことは、子供に任せるのが一番ってことか。

 いや、姫さんはとても子供って年齢としじゃないけどさ。

「悪ぃ。つまんないこと聞いた」

「お主が謝るには及ばぬ。わらわにも、黙っておった後ろめたさはあったのじゃ」

「どうかわたくしのことで、お二人が言い争わないでくださいまし。悪いのは全て、王女という立場にありながら弱かった私ですわ」

 それまで広場の決戦を蒼い顔をして見守っていたサーシャが、俺達の傍らに歩み寄り胸に手を当てて言い募った。

「いえ——その、大丈夫スよ。別に言い争ってないスから。俺が姫さん——エミリーに叱られてるだけなんで。いつもの事です」

 変に気に病まれても厄介なので、格好がつかない事実を正直に述べると、なにやらサーシャは両手の指先で上品に口を覆ってみせた。

「まぁ、こんなに小さな女の子の苦言にも誠実に耳を傾けるだなんて。ヴァイス様は、とてもお心が広くていらっしゃるのですね」

 いや、そういうんじゃないッスよ。

 なんか、調子狂うな。

「とにかく、もう大勢は決しましたし、なんにせよ上手くいきそうなんで、いいじゃないスか。なんも気にする必要ないですよ」

 階下ではファングの指揮の元、数で圧倒する兵士達が優勢に戦いを進めている。

 とはいえ、それなりに怪我人は出ているから、最初にマグナ達が弱らせておいて正解だったな。魔物が万全だったら、正直危なかったかも知れない。

「お気遣いありがとうございます。やはり、お優しいのですね」

 話が通じているんだかいないんだか、サーシャはにっこりと微笑むのだった。

 そして、マグナの方を振り返る。

「けれど、考えてしまいます。私にも、勇者様のように毅然とした振る舞いが出来れば良いのですが。本当に、凛としたお姿がこの上なく颯爽としていらして、憧れずにはいられません」

 サーシャは少し頬を上気させてマグナを見つめながら、ほぅと溜め息を吐くのだった。

 いや、そんな憧れるような良いモンじゃないんスよ、アレは。

 と、話題に上ったことで思い出したように、シェラがおずおずと話を切り出す。

「えぇと——続けますか?」

 そういや、さっきの話の途中だったな。

「あ、悪ぃ。うん、頼むよ」

「話の腰を折って、すまなかったのじゃ」

「いいえ、全然——それで、宿で待機してた人達と少し話しただけで、急いでお城に行かなきゃいけないことは、すぐに分かったんですけど、普通はこんな時間に、通してくれる訳ないじゃないですか?」

 苦笑交じりに、リィナが続ける。

「まさか、誰も正門から真っ直ぐ入ろうとするなんて思わないよね」

 正面突破かよ。

 まぁ、あいつなら、そうするか。

「もちろん、入る前に止められたんですけどね。いくら勇者って名乗っても、証明する物を持っていたとしても、現場の人達がこんな時間にすぐに確認を取るのは無理ですから」

 そりゃそうだ。

 そして、そうなった時にあいつが次に取る行動も、容易に想像がつくのだった。

「で、力づくか」

 俺が納得混じりに呟くと、何故かリィナが面白くなさそうな顔をした。

「『いいから、いま居る中で一番偉い人を連れてきなさい! あと、一番強い人を何人か!』って、こうだよ。一番強い人を何人かって、なんなのさ」

 物真似のつもりか、リィナは妙な声音を作って手を横に払う。

「目に浮かぶぜ。あいつらしいな」

「ふぅん。どーせヴァイスくんは、マグナのことは良ぉっく分かってるもんね」

 なんか、言葉の端々から微妙な棘を感じるんですけど、リィナさん。

 シェラが、ちょっと困り顔をしながら先を続ける。

「いま自分を通さないと、後でとんでもない責任問題になる、みたいなことを匂わせながら、そんなこと言われてもあなた達も困るでしょうから、私が勝手に押し通ったことにしなさいって、何人か選抜された兵士の人達と何故か立ち合う感じの雰囲気に持ってっちゃってですね。ホント、こっちの要求を無理やり通すの、なんであんなに上手いんでしょう」

「で、マグナがそれを、あっという間にノシちゃったってワケ」

 つまらなそうに、リィナが後を継いだ。

 そんなことやってたのか。ちょっとした見ものじゃねぇか。俺もはたから観戦したかったぜ。

「と言っても、もちろん怪我をさせたとかじゃなくて、全員の剣を叩き落としただけですよ?」

 シェラが、この国の王女であるサーシャの方を気にしながらフォローした。

 そういやイシスの武闘大会でも、似たような戦い方をしてたな、あいつ。

 当時の気分を思い出して、ひとり密かに俺は怖気を震うのだった。

「それで、なんだか本当に勇者っぽいぞって認められちゃったんだよね。お見事って感じでさ。ほら、現場の兵隊なんて、強さが正義だみたいなトコあるから」

 ダーマの一兵卒を自称するリィナは、そんな補足を口にした。

「珍しいな。それって、いつもだったらリィナの役回りじゃねぇか?」

「んー……まぁ、そうなんだけどね。さっきはマグナがやった方が、上手くいったと思うよ。相手は冒険者とかじゃなくて、組織に属する職業兵士だからさ。みんなが納得するような肩書きとか面目って大事でしょ」

「それには、勇者であるマグナ本人が大立ち回りを演じた方が、都合が良かったってことか」

「そそ。そゆこと」

 色々と思うところがあるのか、リィナは拗ねた声を出し、シェラは自嘲を浮かべる。

「本当に、マグナさんにばっかり任せちゃって、情けない話なんですけど……」

「いや、そんなことねぇだろ。要は役割分担じゃねぇの」

「でも、そういう事が多過ぎて……」

 ちらりと、ベッドの残骸で寝息を立てはじめたマグナの方を窺う。

「気にしてない風に見せてますけど、やっぱりいつもすごく気を張ってるんだと思います。だから、なるべく楽をしてもらえるように、出来ることはこっちで引き受けたいんですけど、なかなか……」

 俺は、内心で安堵する。

 当たり前だが、シェラとリィナは、ついこの前までマグナの周りを取り巻いていた連中とは、やっぱり全然違う。

 昔と変わらず、ちゃんとあいつをあいつとして考えてくれている。

 そうだよな。俺が変に気を張って、ひとりであいつを支える必要なんてないってことを、もう一度胸に刻み直しておかねぇと。

「ただでさえ、ここんトコすっごいイライラしてたからねー、マグナ」

 と、聞き捨てならないことをリィナが言い出した。

「なんでよ? なんかあったのか?」

「うん。色々あったんだよ。ヴァイスくんの知らないトコで」

 マジか。

 滅茶苦茶気になるんだが。

「何があったんだ?」

「えー? うーん……」

 視線を彷徨わせるリィナの顔は、焦らしている訳ではなく、本当に困惑している風だった。

「ボクじゃ上手く説明できる気がしないから、必要なら後でマグナが話してくれると思うよ」

 いや、そんな風に言われたら、余計に気になるだろ。

 それならばと、シェラに目を向けると、やはり申し訳なさそうに「私も自信ないです」と首を横に振る。

 かといって、既に寝息を立てているマグナを叩き起こす訳にもいかないしなぁ。

 と、その時——

 階下から、一際大きな雄叫びが唱和して沸き上がった。

 マグナの思惑通りと言うべきか。

 ファング率いるサマンオサ兵達は、自国の王様に化けていた不届きな魔物を、見事に討ち果たしてのけたのだった。

2.

 そして、夜が明けた。

 地下牢に囚われていた本物の国王は、魔物を斃して意気上がる兵士達に、すぐに救出された。

 思った通り、さして悪い扱いは受けていなかったらしく、衰弱して歩くこともままならないような状態では無かったどころか、すぐにでも政務に復帰したがるほど元気だったそうだ。

 後から聞いた話によれば、囚われていた間にされた事といえば、自分そっくりに化けた魔物と時折会話をさせられたくらいだったという。

 サマンオサ国王を何故生かしたまま囚えていたのか不思議だったんだが、もしかしたら、それが理由だったのかも知れない。

 どうにも化けるのが下手くそだった、あの魔物のお勉強の相手として、生かされていたんじゃないか。

 それでも、長い間通気孔から漏れる明かりくらいしか陽の光に当たっていなかったこともあり、当然ながら万全の体調とはいかなかったので、救出された当日は臣下達たっての願いで安静にさせられたという。

 その国王の勅命を受け、代わって兵士達を率いたファングは、王都に潜在していた良識派を取り込みつつ、国王派として傍若無人に振る舞っていた連中を片っ端から拘束していった。

 と言っても、もちろん実際に縄でふんじばった訳ではなく、屋敷の周りを取り囲んで、追って沙汰があるまで強制的に待機させたというだけだったが。

 だが、それが致命的だった。

 未明に起こった電撃的な逆転劇によって、元国王派は互いに連絡を取る暇もなく抵抗するすべもなく、ただ手をこまねいて無為に過ごす他なくなってしまったのだ。

 ちなみに、俺を拷問したのが、ファングの屋敷で出くわしたミゲル一派だと聞かされたマグナだが。

「……吠え面かかせるくらいじゃ済まさないわよ」

 そんな呟きを漏らしていたので、ご愁傷さまだ。

 この急激な政権交代は、意外なことに王都にさしたる混乱を招かなかった。

 時を置かずに、どこからともなく流れた噂——サマンオサ国民をずっと苦しめていた国王は、実は魔物が化けた真っ赤な偽物で、それをついにファングに率いられた忠誠心溢れる兵士達が討ち取ったのだ、そして、魔物の正体を暴き、彼らを導いた者こそが、近頃なにかと話題に上るアリアハン出身の少女の勇者だという噂が、王都の住民にひどくすんなりと受け入れられたからだ。

 噂の出処を詳しく調べれば辿り着いたかも知れない、おかっぱ頭の少女の予想をすら上回るほどに。

 明け方の兵士達がそうだったように、国王が急に人が変わったように暴虐に成り果てたことに対する理由をずっと求めていた王都の住民達を、それは納得させ得る答えだったのだろう。

 何かの間違いであって欲しいと望む人々の願いが元々存在していたからこそ、実はあの都市伝説は本当だったのだといった具合に、伝聞が事実に転じただけであるかのように速やかに受け入れられたのだ。

 この分だと、王都と同様の流れが国全体に波及するのもすぐかも知れない。

 また、ファングは病み上がりの体を押して、その日は陣頭指揮に明け暮れた訳だが——お陰で、まだロクに声もかけられず仕舞いだぜ——マグナもマグナで、やっぱり勇者としてなんだかんだとやらなきゃいけないことが多いのか、昼過ぎに目を覚ました後は、ずっと城内に詰めていた。

 俺は王様と同じように、その日の内は宿屋で休むことをマグナから強要されていたので、何をしていたのか詳しいことは知らないんだけどさ。

 そんな風にして、俺と王様以外は慌ただしく一日が過ぎた、その翌日。

 王城の正門は開放され、王城前広場は王都の住民でごった返していた。

 体調に問題が無いことをお抱えの医師に無理矢理認めさせた国王が、妙な流言飛語が広まる前にと、今回の経緯を国民に直接説明する場を設けさせたのだ。

 で、昨日の内に国王と面通しを済ませたマグナのおまけとして、なにやら俺も発表する側の隅っこで、リィナやシェラと並んでつっ立っていたりする。

 いま居るのは、昨日、王様に化けていた魔物と戦った、あの部屋だ。

 余談だが、地下牢で言葉を交わしたのが俺だということは、まだ国王は気付いていない。あの時は顔を合わせてなかったから、当然だ。

 だから、どっかで説明する機会を見つけて、約束通り『変化の杖』を譲り受ける段取りをつけないとなぁ。

 くそ、面倒くせぇな。いっそのこと、アレのお使いなんぞ、しらばっくれて放っておくか——そうもいかないんだけどさ。

 ともあれ、いまはサマンオサ国王がテラスから国民に向かって事情を説明している後ろ姿を、未だに焦げ跡が床に残る部屋の中から眺めているところなのだった。

「——よもや、再びこうして皆に語りかけられる時が訪れるとは思わなかった。皆、よく耐えてくれた。これまでにかけた苦労の分は、余の名誉にかけて必ずや報いることを約束しよう」

 国王の言葉は、大筋で歓声を以って迎え入れられた。

 昨日の内に広まった噂話なんかも材料にして、お互いに知り得たことを補完し合っている風なざわめきが聞こえる。

 まるで狐につままれたように、唐突に困難が終わりを告げたことに対して半信半疑疑のヤツも、未だに多いだろうが。

 今朝、城に上る途中に見かけた限りでは、幽鬼じみていた王都の住民達の顔つきに、生気が戻り始めていたのはなによりだった。

「さて、皆も待ち侘びているであろう。そろそろ、此度の功労者を紹介せねばな」

 一際大きい歓声が、波のように広がっていく。

 昨日、陣頭指揮を執っていたファングの姿は、多くの住人に目撃された筈だ。

 悲劇的な仕打ちに耐え切れずに膝を屈したと思われていた英雄の息子が、王都に舞い戻り大事を成したのだという伝聞を耳にした住人達の期待が、王城前広場に満ちていく。

「改めて余が紹介するまでもなかろう! 余とサマンオサを開放せしめた我が国の誇り、サレス家当主ファングよ、これに!」

 正装をしたファングがテラスに姿を見せた途端、割れんばかりの歓声が大気を震わせた。

 俺達から少し離れたところで、両手を揉み合わせ瞳に涙を浮かべて、アメリアがファングの背中を見守っている。

 ファングと一緒に王都までマグナのルーラで連れて来られていたのだ。

 ファングは下から見えるようにテラスの際まで歩み寄り、歓声が落ち着くまで少し間を空けた。

「親愛なる、我がサマンオサの民達よ!」

 波が引くように静まった群衆の頭上を、よく通る声が貫いて響く。

「多くは語らん! その立場にも無い! ただ、ひとつだけ言わせてくれ!」

 思っていた言葉と違ったのか、再びザワザワとしはじめる群衆の戸惑いを吹き飛ばすように。

「魔物の脅威は去った!! 俺達は、勝ったのだ!!」

 体裁よりも勢いだけを優先したような、分かり易く乱暴な物言いが。

 つい先日まで王都を覆い尽くしていた恐怖の残滓を群集から引き剥がし、歓喜を爆発させていた。

「これからは、皆で力を合わせて、豊かなサマンオサを取り戻して行こう!! 以上だ!!」

 怒涛のような歓声の中でなお通る声で叫び、群衆に手を振って応え、ファングが後ろに下がる。

 うわー、この雰囲気の中に、出てかなきゃいけねぇのかよ。

 いや、俺じゃなくてマグナがさ。

 さぞかし面倒臭そうな顔をしているかと思いきや——俺の隣りでは、マグナが緊張の面持ちを浮かべていた。

 え、どうしたんだ。

 こんな場面では、ふてぶてしく嫌そうな顔をしてみせるのが、いつものお前だった筈だろ。

「さて、いまサレス卿がいみじくも申したように、実は此度の最大の功労者は別にる。この世のあらゆる場所で魔物の脅威を祓い、人々を救い続ける彼の者の名を、詩人の吟じるうたなどを介して耳にした者も、中にはおるかも知れぬな」

 群集が静まるまで待ってから、サマンオサ国王はそんな風に切り出した。

 先程とは別種のざわめきが広がっていく。

「そして、此処サマンオサでも、あろうことか余に化け果せ、国を乗っ取らんとしていた悪逆なる魔物の正体を暴き、我らが英雄サレス卿を導いたその者を、こうして皆に紹介できることを誇りに思う! 世界中の王家に倣い、我がサマンオサでもこう呼ばせてもらおう! 魔王を滅する者、勇者マグナ殿じゃ!!」

 さすがにファングの時には及ばないが、実際に勇者としてのマグナの活躍を耳にしたことがある者がそれなりにいることを窺わせる、十分に大きな歓声があがる。

 ただ、それは決して、純粋な歓迎の声という訳ではなかったかも知れないが。

 そもそも、王城前広場に居合わせた群衆のおそらく半分以上は、マグナのことなど昨日初めて聞いた程度か、もしくは全く知ってすらいないだろう。

 さっき王様が触れたように、吟遊詩人なりを介して多少は耳にしたことがある者にしても、話にだけ伝え聞く少女の勇者というのはどんなものだろうかと、物見高く値踏みをする程度のつもりに違いない。

 それも仕方がない。

 唐突に登場した正体のよく分からない少女が、自分たちの国を救ってくれた救世主なのだと急に告げられたところで、事情を知らない者にはなかなか信じられないだろうからな。

 それに、ここサマンオサでは、本当に十代の小娘にそんな大役が務まるのかと、懐疑的に見る向きが多そうな気がする。

 とはいえ、そうではない者達も、一部にいるにはいる。

 この告知の式典は、本物の国王が国政に復帰したことを取り急ぎ周知する為の速報性を重視した急拵えのもので、儀仗兵が整然と立ち並ぶような格式張ったものではない。

 それで、昨日見かけた顔も何人か含まれる一般の兵士が警護を担っているようなのだが、実際に本人と接した彼らの態度からは、マグナに対する一定以上の敬意が見て取れるのだった。

 とはいえ、この辺りの事情を、いまさらマグナが気にするとも思えないんだが。

 さて、一体なにを緊張しているのやら。

「申し訳ないけど、あなた達みたいに大きい声を出せないから、昨日相談したようにさせてもらいますね」

 テラスに出たマグナが、国王に確認しているのが聞こえた。

「うむ。バスケス師のことは、余も存じておる。師の協力ということであれば、問題はあるまい。マグナ殿の思うように」

「ありがとうございます」

 テラスの端まで進み出たマグナは、なかなか喋り出さなかった。

 それで、群衆から訝るようなざわめきが不穏に立ち篭めかけた、その時——

『——ナニこれ、もう伝わってるの? ——ああ、そう。ちゃんと説明してよ——えぇと、皆さん、聞こえてる? 申し訳ないけど、聞こえてたら右手を上げて欲しいんだけど』

 沸き起こった喧騒には、戸惑いと怯えが入り混じっていた。

 それもその筈、群衆がいま受け取っているのは、マグナの肉声ではない。

 空気を震わせて伝わる音ではなく、頭の中に直接響くとしか表現できない、いわゆる念話だ。

 こんな経験は皆はじめてだろうから、そりゃ驚くし怖いだろう。

 つか、俺も聞いてねぇぞ。こんなことを企んでやがったのか。

 緊張して見えたのは、ひょっとしてこれが理由か?

『おい——おいって。ヴァイエルんトコのヴァイスだけどよ、聞こえてるか?』

 もちろん、マグナに自分で念話を操るような能力は無いので、昨日俺の頭の中に語りかけてきた例の魔法使い——どうやら、バスケスって名乗ってるらしいな——が手を貸しているに違いない。

 だが、バスケスから応答はなかった。

 そりゃそうか。なにしろ、この人数が相手だもんな。

 俺がいつも魔法使いにされている双方向のそれとは違い、一方的に送りつけるだけの単方向の念話なのだと思われた。

 すこぶる不安だが、黙って静観するしかなさそうだ。

 魔法使いの力まで借りて、一体何を喋ろうってんだよ、マグナ。

『ありがとう。よかった。ホントに通じてるのね』

 室内の俺からは見えないが、マグナの呼びかけに応えて手を上げたヤツもいたらしい。

 マグナ自身も戸惑いつつ、といった感じで先を続ける。

『えぇと、じゃあ、改めて。無茶を言ってると思うけど、驚かないで聞いてください。私の名前はマグナと言います。いま、あなた達の王様に紹介されて出てきたのが私です。いちおう、あちこちで勇者なんて呼ばれてるから、中には聞いたことがある人もいるのかしら』

 マグナは、ちょっと首を傾げる仕草をした。

『話し方が気安いのは、ごめんなさい。コレ、知り合いの魔法使いに頼んでやってもらってるんだけど、あたしもこんな風に話すのは初めてだから、改まった言い回しをする余裕が無いのよ。今回の功績に免じて、許してもらえると助かるわ』

 早速、素が漏れ始めてるぞ。

 だが、わざわざ断りを入れる必要など無いくらい、群集は既にマグナという存在に呑まれているように感じられた。

 だって、連中からしてみれば、こんなおとぎ話でしか聞いたことがないような現実離れした奇跡を行える魔法使いを、気安く顎で使ってるみたいに聞こえただろうからな。

 世界中の国々に認められた勇者という肩書が真実味を帯び始め、ひょっとして自分たちはとんでもない存在と相対しているのではないか、と感じている空気が徐々に広がっていくのが、室内の俺にまで伝わってくる。

 いや、何度も言うけど、実際はそんな大層なモノじゃないんですよ?

『まずは、魔物のせいでこの国が被った苦難について、心からお見舞い申し上げます』

 マグナは印を切ってから両手を胸の前で組み合わせ、少しの間黙祷を捧げた。

 それに倣った群集が目を開けるのを待って、念話が続けられる。

『本当に大変だったわね。あたしも、もっと早く来れたらよかったんだけど、普段拠点にしている西方諸国まで情報が伝わって来なかったこともあって、この時期になってしまいました。でも、さっき王様からも説明があった通り、あたしはあくまでお手伝いって形で、最後はこの国の人達で決着をつけることができたのは良かったと思うわ』

 むやみに自らの功を誇るでなく、ファングやサマンオサの兵士達に花を持たせるが如き物言いは、耳に届いたざわめきの印象から察するに、案外と好意的に受け取られたようだった。

『で、いま私が図々しく、こうして話をさせてもらってる理由は、ジツは今回のこととはあまり関係がないのよ。でも、王様も最大の功労者って言ってくれたことだし、それなりに役に立った事にしてもらえるなら、少しだけ話に付き合ってくれると有り難いわ。復興の話とも、ちょっと関係あるしね』

 マグナは気持ちを落ち着けるように、そこで一呼吸置いた。

『ていうか、おめでたい気分に水を差すみたいで申し訳ないんだけど、あたし、怒ってるのよ』

 広場に詰めかけた人々にとっては、正に寝耳に水の言葉だっただろう。

 いま自分達が体験しているような奇跡を容易く実現してみせる、明らかに尋常ではない存在の意図を汲みかねて、畏れを含んだどよめきが広がっていく。

 ていうか、なになに。

 何を言い出すつもりなの。

 くそ、やっぱり昨日は呑気に宿屋なんかで寝てないで、無理してでもついてきゃ良かったぜ。

 これ、止めなくて大丈夫か?

 肉声と異なり、喧騒に遮られることなく、マグナの言葉は群集に届く。

『なんで、この国では、こんなに女の人がないがしろにされてるの? 男の人が、偉そうにしすぎじゃない? ほんっと、行く先々で、すんごい嫌な思いしたんだけど』

 ふと我に返ったのか、マグナは頭と手を同時に横に振った。

『ああ、ごめんなさい。いまのは忘れて。でも、あたし、実際にこの目で見たのよ。まるで物みたいに扱われてる女の人を、この短い間に何回も。実際に話したのよ、男の人なら当たり前に目指せるようなささやかな将来の夢を、女っていうだけで頭ごなしに否定されて、家に縛りつけられてた女の人と』

 え、待って待って、なんの話なの、これ。

 自分でも言ってたけど、いま話すことなのか?

『そりゃね、他の国でも、多かれ少なかれそういうことはあるわ。でも、いちおう世界中のあちこちを訪れた経験がある身から言わせてもらえれば、この国では度が過ぎてるとしか思えない』

 王様やその周りに止める素振りが見えない事から察するに、いちおう昨日の内に話はついてるみたいだな。

 え、ホントに大丈夫?

 いまのマグナの立場を考えると、冗談じゃ済まされない影響を及ぼしかねない気がするんだけど。

『ううん、違うのよ。もちろん、この土地では昔からそれでやってきてるんだから、他所から来たあたしが、それこそ頭ごなしに否定することなんてできないわ。そういう生き方が合ってる人が大半だからこそ、いまこうなってるんでしょうし、むしろ誇りに思っている人だって、きっと沢山いるでしょう』

 群集の間にも、困惑が広がっていく。

 そりゃそうだ。身近な俺ですら戸惑うんだ、広場に集まった連中が不審に思っても、なんの不思議もねぇよ。

『でもね、それが合わない人だって、確かにいるのよ。あたしが言ってるのは、皆がみんなそうじゃないっていう、多様性の話。自分で仕事を選んで、自立して暮らしたいって願う女の人だって、この国にはいるのよ』

 だが、頭の中に直接響く声は、マグナが本当に真剣に語りかけていることだけは、仮令耳を塞いだとしても否応なく伝えてくるのだった。

『紹介するわ。そんな人の中のひとり、マヌエラさんよ』

 後ろを振り向いたマグナに招かれて、一人の女性が進み出る。

 なにやら見知らぬ顔が居るとは思っていたが、周り中知らない人間だらけだから、特に気にしてなかった。

 そういや、式が始まる前に、マグナとなんだかんだ話し込んでたわ。

 てっきり、勇者としての挨拶について、役人から段取りでも説明されてるのかと思ってたぜ。

『当たり前だけど、これまで通りの暮らしが性に合ってる人は、そのままでいいと思うの。実際、そういう押——女の人も沢山いたしね。でも、そうじゃない人は、このマヌエラさんが中心になって、これから王都に相談所を作るから、ぜひ利用してあげて。あたしの知り合いにロマリアの王様がいるんだけど、あっちでは女の人でも職業選択の幅が広いし、留学して向こうで得た知識をこっちに戻って活かすことだってできると思うのよ。及ばずながら、その橋渡しにはあたしも協力します』

 いまのマグナの言い草は、ともすれば嫌味に取られても仕方がなかったかも知れない。

 だが、いまこの場におけるマグナは、既に物語の登場人物に近かった。

 あまりにも自分とかけ離れた存在に接すると、人はどうやらもっと浮世離れしてくれと願う傾向があるらしい。

 普段の自分の境遇がどのようなものであれ、それとは隔絶された完璧な理想をそこに求めるようなのだ——かつて、人々がオルテガにそれを求めたように。

 本物の魔法使いを従えて奇跡の御業みわざを操り、まるで隣人を紹介する程度の気安さで異国の王様との友誼を語るマグナは、この場において明らかにその資格を有していた。

 まさかとは思うが、バスケスに念話の中継を頼んだのも、それを演出してみせるのが目的だったのか?

 いや、違うか。

 頭は回るが、そういう計算をするヤツじゃねぇもんな。

 それに、おそらくこの見られ方は、あいつが望んでいる方向性とは真逆の筈だ。

『これは、夢見がちな小娘が無責任な戯言たわごとを口にしてる訳じゃなくて、あなた達の王様からもきちんと許可を得た事業と思ってもらって構わないわ。その許可だけが、今回の件であたしが貰う唯一の報酬って訳なの』

 え、お前、貰うもんもう勝手に決めちゃったの?

 いや、リーダーが決めたことなら、別に文句はないけどさ——『変化の杖』の件は、どうすっかな。

『それに、相談所の創設には、アレクサンドラ殿下もとても熱心に賛同してくださってるの。あらゆる面で協力を惜しまないって仰ってもらってるから、あたしも心強いわ』

 それまでサマンオサ王の後ろで静かに控えていたサーシャが、いつの間にやらマグナの隣りに進み出ていた。

 自国の王女様まで登場したことにざわめく群衆に嫋やかに手を振り、マグナと目を合わせて微笑み合う。

 サーシャの視線や表情からは、深い信頼や憧憬が見て取れるのだった。

 さてはこれ、昨日の内に、さらにたらし込みやがったな。

『だから、他の国なら諦めずに済むようなささやかな夢を、もう女の人だって理由だけで諦めないで欲しいの——ていうか、あなた達は叶えたい夢を目指したって、別に世界中から否定されたりしないんだから、いくらでも自分のなりたいようになったらいいじゃない』

 また本音が漏れてます、マグナさん。

『重ねて言うけど、現状に満足している人には、誇るべき素晴らしい生き方を全うして欲しい以外に、何も言うことは無いわ。ただ、そうじゃない人——周りの人と、少しだけ考え方が違うのが理由で、厄介者のお荷物扱いされている人達の相談に乗れる窓口を作ろうってだけの話なのよ。つまり、あたしが何を言っているのかよく分からなかったり、興味を惹かれない人に向かって云ってるんじゃなくて、この言葉が伝わる人だけでいいから、相談に来てもらえると嬉しいわ』

 ああ、なるほど。

 この話し方は、わざとなのか。

 この時点で、既にふるいにかけているのだ。

『不幸なことに、あたしは魔王退治なんてしなくちゃいけないから、最初の橋渡しくらいしかできないのが本当に申し訳ないんだけど。だから、これを活かすも活かさないも、後はあなた達次第よ』

 そして、マグナは甘えを許さない。

『興味はあっても、なかなか踏ん切りがつかない人も多いだろうけど、相談所には警備に人を付けてもらう約束もしてるから、安心して利用して欲しいわ。何度も言うけど、これを機会として生かすも殺すも、全部あなた達次第よ』

 一から十まで全てをお膳立てして、何から何まで面倒を見てやろうなんていうつもりは、さらさらないのだ。

 そして、それは全ての者に対してだ。

『もしかしたら、そっちを援助するなら、こっちにもしてくれよみたいに、不公平を感じた人もいるかも知れないけど、今回の件は、このマヌエラさんが勇気を出して実際に働きかけた結果でしかないの。あたしは、たまたまちょっとしたツテがあったから、間を取り持ってあげただけ。だから、自分の現状に不満がある人は、新しいことをはじめるにはちょうどいい時期だと思うし、まずは自分から動いてみたらいいんじゃないかしら——ああ、もちろん、この国の王様に怒られないような方法でね』

 王様の方を振り向いて怯えてみせながら、苦笑混じりの念話を送ったことで、冗談めかした意図が伝わったのか、少しだけ笑い声が起こる。

 幸いなことに、好意的に聞いてくれている層も多少はいるらしい。

 だが、おそらく大半は、そうではないだろう。

 大衆は、価値観の変化を好まない。

 いま、マグナがぶち上げたような相談所を実際に作ろうものなら、興味を持たれないならまだマシで、有形無形の嫌がらせが発生することは想像に難くなかった。

 そして、それはマグナも理解している。

 だからこそ、警備に人員を割いてもらうことまで手配したんだろう。

 とはいえ、国王に化けた魔物に滅茶苦茶された国を、これから復興していこうという今は、確かに新しい価値観を導入するには絶好のタイミングなのかも知れない。

 マグナがそこまで考えて発言しているのだとしたら、大したもんだよな。

『あたしからは、以上です。魔物退治と全然関係ない話になっちゃって、ごめんなさい。でも、後から正式に御触れが出ると思うから、興味を持ってくれた人は、このマヌエラさんを支えてもらえると嬉しいわ。それでは、ご清聴ありがとうございました』

 そう云って、深々と頭を下げたマグナに、最初よりもかなりまばらに聞こえる拍手が起こる。

 まぁ、真面目に耳を傾けたヤツが居たとしても、いきなりあんなこと言われて、すぐに飲み込める筈もない。

 敵意より戸惑いの方が多いだけでも、まだ御の字かね。

 後を引き継いだ国王が喋りだした途端に、再び勢いを増した歓声に送られながら室内に戻ったマグナは、疲れた顔を隠さなかった。

「いまそこで王様に許可はもらったから、ちょっと休むわ——ヴァイス、一緒に来て」

「へ? ああ。俺でいいのか?」

 俺じゃ、回復もなんもしてやれねぇけど。

「聞こえたでしょ。つまんないこと聞き返さないで。シェラ、マヌエラさんをお願い。どこかで休ませてあげられるか、聞いてあげて」

「はい、分かりました」

 俺とは違って、いかにも有能そうに即答するシェラの横で、マヌエラが深々と頭を下げる。

「勇者様——その……本当に、色々とありがとうございました」

 礼を述べる声が震えていた。

 俺には事情がさっぱり分からないが、多分、マグナと関わったことで、人生の荒波が大渦に飲み込まれた程度には、境遇が一変したに違いない。それも、決して楽とは言えない方向に。

「さっきも言った通り、あたしは大したことはしてないわ。貴女あなたこそ、これから大変だと思うけど、頑張ってね。大丈夫。サーシャ——アレクサンドラ様も協力を惜しまないって約束してくれたし、誰に言われた訳でもなく自分で選び取った貴女なら、きっとできるわ」

「はい……はい。必ず、ご期待にお応えしてみせます」

「うん、期待してる」

 それまでと違い、マグナが浮かべた年相応の笑顔を目にして、マヌエラは声を詰まらせて再び顔を伏せた。

 実際、この先大変だろうなぁ。

 繰り返すが、俺には事情がよく分からんけど。

「リィナは、二人についててあげて」

「……分かった」

 そう答えるリィナの顔は不満げだったが、さすがにあまりにも顔色が悪いマグナに文句を言う気になれなかったのか、素直に頷いた。

 と、釘を刺すような視線を俺に向けてくる。

 なんだよ。別に、二人きりになったからって、何もしやしねぇよ。

「じゃ、後はお願い。ほら、ヴァイス。行くわよ」

 こちらです、とか声を掛けてきた侍女に連れられて、マグナと俺は国王の私室を後にしたのだった。

3.

「はー……さすがに、疲れたわ」

 毎回、馬鹿みたいに高級な客室が用意されていたロマリア城と違い、取り急ぎ用意されたことを窺わせる、普段は使われていなさそうな小ぢんまりとした誰かの執務室に通されて二人きりになるなり、マグナは耐え切れなくなったように気怠げな態度を丸出しにして、来客用と思しいソファーに崩れるように腰を落とした。

「昨日も結局、あんまり寝る時間はなかったのか?」

「ううん。いつもと同じくらいは眠れたわよ——それより、なにやってんのよ。早く座りなさいよ」

 急かすように、マグナはソファーの隣りをぺしぺし叩く。

「ああ、悪ぃ」

 あまり深く考えずに言われるまま腰を下ろすと、ソファーの上でくるっと体を捻って寝転がり、俺の脚に仰向けで頭を乗せてきた。

 にやーっとからかう笑みを俺に向けてから、続きを話し始める。

「でも、昨日は割りとフラフラしながら、ずっとさっきの根回ししてたから、ちょっと気疲れしてたみたい」

「そっか。大変だったな」

「うん——ごめんね、勝手に話を進めちゃって。でも、王様がどうしても今日国民に説明するんだって聞かなかったから、昨日の内に間に合わせるしかなくて、説明してる暇が無かったのよ。これからは、ちゃんと前もって相談するようにするわ。その為に、ついて来てもらうことにしたんだし——なによ?」

 思わず笑っちまったのを、見咎められた。

「いや、お前が俺に素直に謝るなんて、ホントに弱ってるんだな、と思ってさ」

「は? あんた、あたしのこと、なんだと思ってるのよ」

「え? マグナ"様"だけど」

「なによ、それ」

 フン、と鼻を鳴らして、顔を横向きに逸らす。

 そのまましばらく黙っていたマグナは、やがてポツリと呟いた。

「やっぱり、最後まで自分で責任持てないことは、ホントはやりたくないわ」

 マヌエラの件について言っているのだと思われた。

「……そうだな」

 お前の性格だと、そうかもな。

 それでも手を貸したってことは、リィナが言っていた通り、別行動をしている間に色々あったんだろう。

「あー……なんで、魔王なんて退治しに行かなきゃいけないのよ」

 他にいくらでもやることあるじゃない、そんなことしてる暇ないでしょ、とでも言いたげな口振りだった。

 はっきりと言葉にしなかったのは、マグナ自身も分かっているからだ。

 自分が勇者だから、魔王討伐に従事しているからこそ、ともあれ皆が話に耳を傾けてくれるし、丁重に扱われもしていることを。

 痛いほどに。

 マヌエラの件は、そんな窮屈な立ち位置の中で、本来ある筈だった自分が少しだけ表に顔を覗かせて、抗ってみせた結果なのかも知れない。

 以前と発露の仕方は変わったけど、根っこのところはやっぱり変わってないんだよな。

「あー……もう、疲れた」

 再び上を向いたと思ったら、曲げた右腕を目の上に置いて、珍しく弱音を繰り返した。

「大丈夫か?」

 声をかけると、腕をズラして俺を睨み上げ、拗ねた声を出す。

「ホントに、大変だったんだからね」

 こんな時だが、つい顔がにやけそうになる——いや、だってさ。

「ああ、分かってるよ。危ないところに来てくれて、ホントに助かった。ありがとうな。落ち着いたら、向こうでの話をゆっくり聞かせてくれよ——っていうか、思ってたより何日も早くて、びっくりしたよ。よくあんなに早く戻って来られたな?」

 この俺の言い草に、マグナはきょとんとした表情を浮かべた。

「え、そう? あたしは、大体目標にしてた通りだったけど」

「マジでか。だってさ——」

 俺が地下の牢獄でしていた計算を伝えると、マグナは不可解そうな顔をした。

「それって、あたしが帰りも馬で戻ってくると思ってたわけ?」

「え?」

 そりゃそうだろ。

「——え?」

 マグナは、ますますヘンな顔をする。

「……まさか、本気で分かってないの?」

 ってことは、行きに使った馬での移動より速い方法が、帰りはあるんだな。

 一体、どんな——

「——ああっ!!」

 思わず出た大声に、マグナがビクッと身を震わせる。

 阿呆か、俺は。

 脳内のヴァイエルが、この世の終わりが来たみたいな、深い深い溜息を吐いていた。

 なんで気付かなかったんだ。

 ルーラで戻って来たに決まってるだろうが。

 多分、マグナは魔法が使えないという思い込みを、俺は未だに引き摺っているんだろう。

 すっぽり頭から抜け落ちちまってた。

 そうだよ、目的の『ラーの鏡』を手に入れさえすれば、いまのマグナはリレミトとルーラですぐ戻って来られるんだった。

 顔面が急速に熱を帯びていくのが分かる。

 仮にも魔法使いとして、このポカは流石に恥ずかしい。

「これでも、できるだけ早くって、すっごい急いだんだから。呑気に馬で帰って来る訳ないでしょ?」

 心外だ、みたいな口調で怒られた。

 そもそも、ファングとアメリアをルーラで連れて来たことを認識していた筈なのに、どうやら脳内で結びついていなかったらしい。

 いまのいままで、何を勘違いしてたんだ、俺は。

「あんたって、タマに抜けてるわよね」

「……返す言葉もねぇよ」

 自分でも意外なくらい落ち込んだ声が出た。

「ちょっと、そんな顔しないでよ」

 からかい混じりだったマグナの表情が、一転して曇る。

「いや……ホントに大事なところで、こんなポカをやらかさねぇように気をつけないとなって思ってさ」

「今回は、仕方ないわよ。ヴァイスも、大変だったんでしょ。少し、聞いたわ……ホントに、もう大丈夫なの?」

 拷問を受けた俺の有様が、ティミ辺りから伝わっちまったかな。

 でも、そんな心配そうな顔をさせたくて、俺はここに戻ってきた訳じゃないんだ。

 落ち込んでる場合じゃねぇよな。

「ああ、大丈夫だ。問題ねぇよ」

 声音まで作ってタフぶってみせたのに、まるで信じてない表情でマグナは下から手を伸ばした。

 てのひらが、俺の頬に触れる。

「さっき言ったみたいに、あたしも勝手しないように気をつけるけど……ヴァイスも、もうひとりで無茶しないでね」

「……うん」

 ちぇっ、情けねぇの。

 ホントに、理想通りにいかねぇな。

 特に、こいつの前だとさ。

 一番、格好をつけたい相手だってのによ。

 どちらともなく黙り込み、少しの間、沈黙が室内を支配する。

「ごめん——」

 不意に、マグナが腕で口を隠して欠伸あくびをした。

「眠い……ちょっと寝ていい?」

「ああ、もちろん。ぐっすり休めよ」

「ううん、夕方からお城のパーティに出なきゃいけないから、ぐっすりは無理だけど……ヴァイス——着替えの入ったフクロ、取ってきといて……宿屋から……」

「ああ、分かった」

「あたしが、眠ってからね……眠るまでは、ここに居て……」

「……ああ」

 また欠伸をして、いまにも眠りに落ちそうなトロンとした目つきで、しばらく俺を見上げる。

「ふふ……かっこい……あたし、あんたのそのかっこ、好きよ……」

 後ろに控えていただけだが、いちおう俺もマグナのお付きと見做される立場だからな。

 例の一張羅で、身嗜みを整えていたのだ。

「そりゃどうも。お前に見た目を褒められたのって、はじめてじゃねぇか?」

「そうだっけ……? そんなことないでしょ……」

「いや、ある」

「……だって、一般的にカッコいいかっていったら、そういうのとは違うじゃない……」

 ああ、そうですか。

 それまで眠そうにしていたマグナは、急に目を覚ましたみたいに力の篭もった瞳で俺を睨み上げた。

「ていうか! あんただってあたしのこと、ほとんど褒めてくれたことなんてないじゃない!」

 なんだよ、いまさら、急に。

「いや、それこそ、そんなことねぇだろ」

「あるもん!」

「いや、ない」

「あるーっ!」

 手足をジタバタさせる代わりか、僅かに体を左右に揺すってみせた。

 眠気で幼児退行してやがるな。

 結構、褒めてたつもりだったけどなぁ。照れ臭くて、実際は口に出来なかったりしてたっけ?

「安心しろよ。マグナは可愛いよ。いつだって、そう思ってる」

「ホントに?」

「ああ。俺の自慢の——ご主人様だ」

 なんて呼んだらいいのか、ちょっと迷っちまった。

 だが、それを含めて、お気に召したらしく。

 むふー、みたいに鼻から荒く息を吐く。

「なんか、それ、ちょっといいかも。執事っぽくて」

「へぇ。このカッコが気に入ってることといい、実はそういうのが好みだったのか?」

「うん。なんか、そうだったみたい。あたしも、最近まで自分で知らなかったんだけど」

 お前がそれに気付いた経緯に、俺は興味があるんだが。

 一体、何があったんだ。

 マグナはいまにも眠りに落ちそうなくせに、すぐには寝付かなかった。

 俺の脚に頭を乗せたまま、腹の辺りを指先でぽすぽす叩いてくる。

「ほら、もっとあたしを甘やかしなさい。その為に、ついてきてもらったんだから」

 え、そうなの?

 右手を掴まれて頭頂部の方に導かれたので、そういうことかと髪を撫でる。

「はいはい。仰せのままに、お嬢様」

「……いいわね、その呼び方。女王様なんかより、よっぽどいいわ」

 ご満足いただけて、なによりです。

「じゃあ、機会があったら、二人きりの時にでも、また呼んでやるよ」

「うん、お願い……」

「執事っぽいカッコして、『お茶のおかわりはいかがですか、お嬢様』とかやってやろうか?」

「ふふ……いいわね、それ……なんか、そういう時間……作ったりするの……楽しそう……」

 よっぽど気に入ったのか、すごく嬉しそうな顔をする。

「ああ……寝ちゃう……服……よろ……」

 本物のエルフのお姫様お墨付きの撫でなでだからな。

 エセお嬢様ではひとたまりもあるまい。

 ほどなく、マグナは寝息を立て始めた。

 やや疲れは見えるが、それよりも安心してみえる油断した寝顔に、ほっと胸を撫で下ろす。

 まだ自分の中に割り切れていない部分が存在することは自覚しているが、この幸せそうな寝顔に免じて、多少は俺も役に立てるのだと信じておくとしよう。

 俺の方がよっぽど世話になっている事実は、ひとまず置いておいて。

 命の恩人が、また増えちまったよ。

4.

 寝付いたマグナの顔を眺めていたら、いつの間にやら結構な時間が経ってしまっていたので、俺は慌てて宿屋に向かった。

 マグナに頼まれた、着替えの入ったフクロを取りに行く為だ。

 だが、城を出る直前で、ハタと気付く。

 そういや、俺がひとりで戻っても、鍵を渡された訳じゃないから、マグナ達の部屋に入れないじゃねぇか。

 帳場で適当なことを言って、予備の鍵を借りて勝手に入ってもいいんだが、後が怖いから出来れば避けたい。

 だが、そこら辺を歩いていた侍女なんかを捕まえて、シェラの居場所を尋ねても、はかばかしい返事が戻ってこなかった。

 代わりに、辛うじて所在が知れたリィナの元を訪ねると、兵士達の訓練場でティミと手合わせをしているところだった。

『メラ』

 ティミの放った火球を、リィナは易々と躱す。

 だが、躱した先には、既にティミが回り込んでいた。

 おそらくティミのメラは、最初から躱させて動きを先読みするのが目的だったのだ。

ッ!」

 完全に狙いすまして放たれた顔面への拳を、それでもリィナは首を傾けて躱して見せる。

「だから、寸止めだってば」

「躱すの分かってんだから、問題ないだろ!?」

 と言う割りには、ティミの声が悔しそうだ。

 その後に繰り広げられた、とても寸止めとは思えない目まぐるしい攻防に、腕組みをしたり地面に腰を下ろしたりと、思い思いの格好で周りを囲む兵士達から歓声が上がる。

「——あれ、ヴァイスくん」

「隙ありぃッ!!」

 邪魔にならないように遠巻きに眺めていた俺に気付いたリィナが気を取られた一瞬をついて、ティミは腰溜めに構えた両掌をリィナの腹に押し当てる。

「あ、ヤバ——」

「フンッ」

 巨人が振り回すハンマーに殴られたように、リィナの躰が宙を舞う。

 いやおい、やり過ぎだろ。寸止めじゃねぇのかよ。

「ハーハァッ!! ウチが、また一本だね!!」

 伸ばした人差し指を天に掲げながら、まるで子供が浮かべるような、無邪気なドヤ顔を浮かべるティミ。

 めちゃくちゃ嬉しそうだな。

「もー……だから、寸止めだって言ってるじゃん」

 むくりと身を起こして、道着の汚れをパタパタ払いながら発されたリィナの悔しそうな声音が、ティミをますます調子づかせる。

「ハッ!! 男に気を取られて油断するような腑抜けに、お灸を据えてやったんだよ! それに、残らないように打ってやったんだから、寸止めと変わんないだろ!?」

「あんなこと言うんだよ。どう思う?」

 なんてことを、近くの兵士に問いかけて困らせるリィナ。

 そんなピンピンした様子じゃ、どっちも擁護できねぇだろ。

 なるべく目立たないように、ちょっとすいませんとか言いながら身を縮めて兵士達の間を抜けて、リィナの元に急ぐ。

「よぅ——悪ぃ。シェラがどこに居るか知らねぇか」

 俺が尋ねると、リィナは大いに不服そうな顔をした。

「えー、ボクの顔見て、最初に口にするセリフが、それなの?」

 いや、だから、そういう言い方するなって。

 ほら見ろ。周りの目が、興味本位のソレに変わっちまったじゃねぇか。

「ハン、残念だったねぇ。旦那はあんたにゃ、興味無いってよ」

 だからティミ、お前もだよ。

「つか、手合わせなんてしてたのか。珍しいな、お前が負けるなんて」

 必死に話を逸らそうとすると、リィナはますますムクれてみせた。

「ううん。ボクの勝ちだけど」

「へ?」

「ハッ! 負け惜しみはみっともないよ!」

 よいしょ、とか言いながら立ち上がり、リィナはティミを睨みつける。

「だって、キミ、三本取っただけじゃん」

「フン。ウチは、いまの勝負のことを言ってんだよ」

「三本って?」

 俺が問うと、リィナは唇を尖らせる。

「十本勝負で、三本しか取られてないってこと」

 ああ、そういう意味か。

「でも、三本は取られたのか」

 まぁ、ティミもすげぇ強くなってたもんな。

「最初の一本を取られたのは、おそらく油断と見た」

 すぐ後ろで無駄にいい声がして、俺は文字通り跳び上がる。

 ルーカスだ。

 いたの、お前。

「互いの力量を、あちらの方が正確に把握していたのだろう。その後は、立て続けに二本取ったが、冷静ではなかったようだな。四本目は、あちらが意地を見せて取り返したのだ。そして、さっきの一本で、計三本。なかなかいい勝負だった」

 前髪で隠れた顔半分を、例によって手で押さえながら、なにやら解説してきやがった。

 冷静を装った口振りとは裏腹に、ちょっと興奮してんじゃねぇか、お前。

「ハン! もう手の内は大体分かったからね! もう一回やりゃ、いい勝負どころかウチが勝つよ!」

 ティミに怒鳴られて、口の中でもごもご言いながら、慌てて視線を逸らすルーカス。

 やっぱ、アレでもダメか。いちおう、分類的には女だもんな。

「なんで負けといて威張ってんの、あのヒト——それで? シェラちゃんがどこに居るかだっけ?」

 リィナが、あからさまに不機嫌だ。

「うん。知ってるか?」

「なんか用事があるって、一旦宿屋に戻ったけど」

 え、マジで。

 そりゃ好都合だ。

「分かった。ありがとな」

「え、もう行っちゃうの?……ホントに、それ聞きにきただけなんだ」

 うわ、落ち込んだ顔しないでくれよ。

 なんか、すげぇ罪の意識を感じるんですが。

「ごめん。ちょっと急いでてさ。また今度、埋め合わせするよ」

 その場凌ぎの適当なことを言ってるつもりはないんだが、リィナはそう思ってくれなかったようだ。

「……ヴァイスくんは、いっつもそればっかり」

 いや、だからさ。そういう言い方するの、やめてもらえませんかね。

「……いまなら、ホントにウチが勝っちまいそうだね」

 ティミまで、毒気を抜かれたような顔つきになってんじゃねぇか。

 こっちはこっちで、どうしたもんか考えないとなぁ。

「いや、ホントに今度だから。約束するから。な? 悪ぃ、ホントに今度な?」

「……分かった」

 くそ、端から見たら、完全に浮気性の気がある彼氏じゃねぇか、これ。

 そんなこんなで、好奇の視線に晒されつつ、俺はそそくさとその場を後にしたのだった。

5.

 宿屋に戻ってマグナ達が取っている部屋に向かうと、扉越しに話し声が聞こえた。

 しかも、これはシェラと——男の声だと!?

 一瞬、思考が停止しかける。

 え、どういうことだ?

 まさか、マグナもリィナも居ない合間を見計らって、あいつが男を部屋に引っ張り込んだってのか?

 いや——さすがに、そりゃねぇだろ。

 そんな筈はないとは思うんだが、扉越しに男の声が漏れ聞こえる事実が、俺を悪い予想から開放してくれない。

 娘が全然知らないチャラけた男と付き合ってるんじゃないかと怯える父親みたいな心境で、恐る恐る扉をノックする。

「あ、はーい」

 全く悪びれていない返事が中から聞こえて、ますます混乱する。

「俺だけど。マグナに言われて、着替えが入ったフクロを取りに来た」

「あ、なんだ、ヴァイスさんでしたか」

 あれ、躊躇いなく扉を開きやがったな。

 金髪に装飾された整った顔立ちが覗いた隙間越しに、室内をそれとなく窺う——

「わざわざすみません。もうちょっとしたら、私が持っていこうと思ってたんですけど——どうしたんですか?」

 あれ、誰も見当たらねぇな。

「いや——いま、誰かと話してなかったか?」

「えっ!?」

 ここで、ようやくシェラは口籠った。

「いえ、あの——これ、言っちゃっていいのかな」

『シェラさん、どうしたんスか? なんかありました?』

 聞き覚えのある声。

 これは、まさか——

「あれ、切れてない!? ていうか、そんなに外まで聞こえちゃってました!?」

 シェラの頬がみるみる紅く染まる。

「なんで、フゥマの声が聞こえるんだ?」

 思わず、シェラを押し除けて部屋の中に入っていた。

『あ? ンだよ、あんたかよ。シェラさんの部屋で、何やってんだよ』

 ベッドの脇のテーブルに置かれた黒い箱から、声は聞こえていた。

「……なんだ、これ?」

「あの、遠くの人と話ができる道具だそうです。私も、よく分かってないんですけど」

 シェラは、困った顔をしてはにかんだ。

「……あれは、そういうことだったのか」

 前にシェラが言ってた、「大丈夫です。その気になれば、いつでも話せますから」って、強がりじゃなくて言葉通りの意味だったのかよ。

 って、いや、違う。

 そこは、割りとどうでもよくて。

「よぅ、俺だけど。これ、にやけ面からもらったんだろ? どういう原理で動いてるんだ?」

『あ? オレ様が知る訳ねーじゃん』

 そりゃそうだ。

 多分、念話と同じような理屈なのか?

 魔法使い共は、ただの人間である俺と双方向に念話が出来るんだから、つまり特別な能力を持たない相手と可能であるならば、別の何かで代替できてもおかしくない。

 ルーラのマーカーが用意出来るなら、こっちも可能だろう、という気がする。

 後は念話を、空気を震わせる普通の声に変換すればいいのか——すげぇな、そんなことが可能なのか。

 え、ちょっと、すごく興味があるんだけど。ヴァイエルのヤツは、この装置のことなんか知ってるかな——っと、それはひとまず置いておくとして。

 いま、思考の端になんか引っかかったぞ——そうだ、ルーラだ。

 それは、キッカケだった。

 ひとつの思考が起爆剤となって、これまで他のことに気を取られて放置していたものの、無意識下ではずっと気になってモヤモヤしていた事象が繋がっていく。

 そうだ。

 なんで、あの奇妙なガキは、ニュズを救いにあの町にルーラで跳んで来られたんだ?

 もちろん、マーカーがあったからだ。

 ロンさんが持ち込んだ。

 つまり——

「おい、そこににやけ面——お前の雇い主がいるだろ? ちょっと代われ」

『あ? ここにいる訳ねぇじゃん』

「なら、どこに居るんだ」

『別の部屋』

「……呼んできてくれ。俺がガキのルーラの件で話があるって伝えれば、きっと来る筈だから」

『はぁ? いきなり割り込んできやがって、なに言ってんの、アンタ?』

「いいから! 頼むよ」

 ちらと目配せすると、シェラは小さく頷いた。

「お願いします、フゥマさん。なんだか大事なお話みたいです」

『まぁ、シェラさんが言うなら……えぇ……せっかく、久し振りなのに……』

「ヴァイスさんの用事が終わったら、またお話しすればいいじゃないですか。ね」

『はぁ……分かりました』

 椅子を引いて立ち上がる音が聞こえた。

 俺は右手で口元を覆って、さっき思い付いた内容を猛烈な勢いで検証する。

 すぐ横の部屋にでもいたのか、予想よりもかなり早く人が立てる物音が黒い箱越しに届いた。

『困りますよ、フゥマさん。予備をこんな風に使ってもらっては』

『だから、悪かったって』

 なにやら言い合う内容から察するに、シェラに渡された装置のことは、にやけ面も預かり知らないところだったみたいだな。

『流石に、ちょっと対策を考えないといけませんね——聞こえてますか、ヴァイスさん? 私をお呼びだそうで』

 こいつ、ビックリするほど悪びれてねぇな。

「とぼけんなよ。俺が何を言いたいのか、全部もう分かってんだろ?」

『はぁ。分かりますが、なんでいまさらそんなことを言い出したのかは、よく分かっていませんね』

 しゃあしゃあと言いやがる。

 アイシャが町長をしているあの町に、ロンさんが持ち込んだマーカーのお陰で、ドラゴラムを唱えたあの奇妙なガキ共がルーラで跳んで来られたのだとしたら。

 あいつらとにやけ面は、グルなのだ。

「——違うって言うなら、申し開きしてみろよ。えぇ、アルシェさんよ」

 止めとばかりに名前を呼んでやると、堪え切れず、といった塩梅の失笑が聞こえた。

『ああ、やっと分かりましたよ。ようやく、色々と辿り着いたので、それを誰かに言いたくて仕方なかったんですね』

「なんだと?」

『というか、辿り着いたと思い込んだんですね。まぁ、貴方がすぐに知り得る情報から逆算すると、致し方ありませんか』

 手前ぇ、馬鹿にしてんのか。

『あの町で何も聞かれなかったので、てっきりご理解いただけているものかと思っていましたよ。よく私まで辿り着きましたと褒めてあげても構いませんが、残念ながら、あなたの考えていることは正解ではありませんよ』

 フン。俺だって、正解なんていう御大層なモンに辿り着いたつもりはねぇけどさ。

「……どういうことだ」

『言葉通りの意味ですよ。あれは、我々も利用されただけなのです。この前、そう申し上げた筈ですが、忘れてしまいましたか』

 アイシャの町での別れ際に、そんなようなことを言われたのは覚えてるよ。

 けど、それで何かが証明されるって訳でもねぇだろうが。

「お前が自分で言ってるだけじゃねぇか。信じて欲しいなら、根拠を示してみせろよ」

『いえ、別にあなたに信じてもらわなくても、私は一向に構わないんですけどね』

 お前な、それを言ったら話が終わっちまうじゃねぇか。

 つか、俺がクラーケン退治に携わったことを知ってたのも、この装置でフゥマの報告を受けてたからだったんだな。

 いまさらながらに思い至る。

 色々と筒抜けだったってことか。マジで気分良くねぇな。やっぱ苦手だわ、コイツ。

『そもそも、私が彼らと手を組んでいるのなら、もっと上手く物事を運んでいますよ。見損なわないでいただきたいですね』

「いや、お前が普段どう暗躍してるかなんて、俺の方こそ知ったことかよ」

『……これでも私、あなたに関わりのある重要な事柄と、割りと繋がってるんですけどね。さらにもう二段くらい、世界を上から見渡せる視点を持ってくださいよ』

 無茶言うなよ。今だって、いっぱい一杯なのに。

『ともあれ、あなたが思い描いているは、事実と異なっています。落ち着いてもう一度、考え直してみて下さい』

 まるで教師のような口調で、ダメ出しをされた。

 俺は学校なんぞに通ったことはねぇから、単なる印象に過ぎないが。

『あなたが既に持っている情報から、今回の首謀者に辿り着くことも不可能ではない筈です』

「……てことは、あのトロル種だかいう魔物は、やっぱり主導的な立場にいた訳じゃないんだな」

『確認するまでもないでしょう』

「いちおう聞くけど、お前が知ってることを教えてくれたりは——」

『ないですね。この程度のことは、自力でなんとかしてください。その上でなら、相談くらいには乗ってあげますよ——ああ、それから、この遠話装置のことは決して口外しないでくださいね。我々の秘密道具なので』

 ややあって、フゥマの声が聞こえた。

『行っちまったぜ。マジ意味分かンねぇんだけど』

 あの野郎。言いたいことだけ言って、さっさと離席しやがった。

『どうでもいいから、さっさとシェラさんに代われよ。この後用事あるって言ってたから、時間無駄にしたくねンだけど。邪魔してねーで、どっかいけよ、アンタは』

 というフゥマの文句を右から左に聞き流しながら、俺は右手で口元を覆いつつ、沈思黙考をはじめたのだった。

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