48. Wish You Were Here

1.

「まだ貰ってない人、いないですかー!」

 よく通る高い声が、広場の端まで貫いて響く。

「なぁ。ホントにこれ、タダで貰っちまっていいのかい」

「はい、もちろんです! ちゃんと許可も取ってますから、遠慮する必要ありませんので!」

 手渡された具材たっぷりの汁物を受け取りながら、おずおずと尋ねる小汚い身なりの男に、ライラは快活そのものといった調子で答える。

 市中のそれではなく、半ばスラムと化した貧乏人が住む街区に建っている、町外れの小さな教会脇の広場では、ライラ発案による炊き出しが行われていた。

「そら。熱いから、気をつけるがよい」

 汁椀ボウルによそったスープを手渡す姫さんの顔を、別の男がまるでこの世ならざるモノ——天使でも見るような目つきで見惚れている。

 もちろんフードを被らせてはいるが、念の為に口元もマスクよろしく布切れで覆わせといて良かったぜ。

 ほぼ目元しか覗いてないのに、コレだからな。大勢の前で素顔を晒すのなんて危険過ぎる。

「はい、立ち止まらないでくださいね! スプーンはそっちで受け取って、食べ終わったら食器は全て戻して下さい!」

 ライラが忙しなく捌く列にも、ようやく終わりが見えてきた。

「よう。お疲れさん」

「げっ」

 声をかけると、いつものようにライラは物凄い嫌そうな顔で俺を睨め上げた。

 ホントに嫌われてんな。

「お前、肝心の食材を運んでやった立役者に、その態度はないんじゃねぇの」

「えぅ……それについては、感謝してますよ。モチロンです」

 顔と台詞が、まるで合ってない。そんな悔しそうな顔で言われてもなぁ。

 今日の午前中、今みたいに悔しそうな顔をしたライラに頼まれて、俺はアリアハンから野菜だの肉だのを大量に買い込んできたのだ。

 もちろん、俺一人じゃまるで手が足りなかったかったので、同僚の魔法使い達にも協力してもらった。

 つっても、例の七人の内、今回つかまったのは三人だけだったけどな。

 運良くイリアは都合が付いたんだが、リズにはまんまと逃げられた。あいつ、絶対アリアハンの王都にいやがった癖によ。急な話だから仕方ない、って免罪符を最大限に有効活用して、ちゃっかり姿を眩ませやがった。

「リズの奴は、ちょっとした人見知りで逃げ癖があってな。本心では、そんなに嫌がってないから、また誘ってやってくれ」

 とイリアに釈明されたが、とても信じられねぇぞ。

 尤も他の連中も、用事の合間に無理言って付き合わせちまったようなモンだったから、本当に運ぶのを手伝ってもらっただけだが。

 だから、諸々引っくるめた手配は、それなりに大変だったんだぜ?

 その礼がこの態度ってんじゃ、いくら嫌われてるとは言え、さすがに面白くねぇな。

 ところで、なんでわざわざ遠方のアリアハンから食材を運んできたかといえば、理由は簡単だ。物不足のサマンオサじゃ、ロクに何も調達できないからだ。

 同じ理由で市場価格もアリアハンよりかなり高く設定されている上に、通常は廃棄処分される切れ端やなんかをまとめて安く譲ってもらうような選択肢も向こうなら豊富だが、こちらでは難しい。

 とはいえ、ルーラを使ってアリアハンから物を仕入れるなんてイカサマは、どうかと思うんだが。

「他の人には真似のできない裏技を使えるんですから、使わない手はありませんので」

 あっけらかんと、ライラは言ってのけたのだった。

 さらに、こんな事までのたまう。

「これ、魔法使いさん達を雇ってこっそり物流網を作っちゃえば、利鞘だけで荒稼ぎできちゃいますね」

 イシシ、みたいに絵に描いたような悪い顔しやがって。

 さすがに窘めようかと思ったら、すぐに続ける。

「まぁ、そんな迂闊なコトしませんケド。そんなに派手にやったら、お金持ちが黙ってませんので。私達みたいのは、もっとコソコソやらないと」

「今回のは、いいのかよ」

 見逃してもらえると決まった訳じゃねぇだろ。

 だが、ライラはしれっとした顔で、手をパタパタと振るのだった。

「別に構わないです。今回のコレは、お金持ちにはバレませんので」

「そうなのか?」

 問い返した俺を、ライラは呆れ顔をして鼻で笑う。

「貴方、なんにも分かってないですね」

 なんだと、こいつ。

「お金持ちが、こんな貧民街で何が起ころうと、これっぽっちも気にかける訳ないじゃないですか」

 むしろ、サバサバとした口調で言うのだった。

 ああ、そういう意味ね。

「……あんまりピンときませんか。貴方、意外と幸せ者だったんですね」

「いや、どうだろう」

「バカですか。嫌味ですよ、モチロン」

 いや、分かってるけどね。

 怒ったら、おかっぱ頭のお子様と同じ土俵に立っちゃうだろ。

「いいですか? 貴方なんかが考えてる以上に、お金持ちとか偉い人って細かいことを気にしてないんです。で、貧民街っていうのは地区全体が丸ごと、その細かいことなんですよ。意識の端にすら上りません」

「あー……まぁ、そうかもなぁ」

 俺が思い出していたのは、社長ヘーレンのことだった。

 あの人も、気にかけるのは大きい枠組みの部分だけで、実行に際した細かいことは丸ごと部下に任せるもんな。

「へぇ、偉い人に知り合いがいるんですね。ちょっとビックリです」

 俺の表情で察したのか、ライラはそう言った後に、余計な一言を付け加える。

「全然、そんな風に見えませんけど」

 この子供ガキ、ホント生意気だな。

「けど、だったら、この施しにはなんの意味があるんだ?」

 商売の取っ掛かりにする為に、こんなことやってんじゃねぇのかよ。金持ちの気を全く引けねぇなら、ホントに施しの意味しか無いじゃねぇか。

 いや、それが無意味とは言わないけどね?

 と、俺が考えたことまで見透かした顔で、ライラは鼻を鳴らす。

「実績作りに決まってるじゃないですか。誰も知らないポッと出の小娘と、誰が商売してくれるってんですか。少しは頭を働かせてくださいよ」

「いや、だから——」

「今日、ここに来た人達の中には、市中で働いてる人も何人かはいるんですよ。その人達が勝手に話を広めてくれますから。いまはまだ、そういう又聞きで信憑性の下地を作るくらいで十分ですので」

「ふぅん?」

「ホントは、あの方のお名前を出した方が、効率はいいんですケドね」

 あの方マグナか。

「悪いけど、それはもうしばらく控えてくれ」

「言われなくても分かってます。伏せておいた方が都合いいくらいなので、全然問題ありませんから。あの方が全てを解決した後に、実は前からこんな施しまでしてたんですよーってバラすのは、それはそれで話題性ありますので」

 こいつ。

「その時ついでに、それを取り仕切ってた私の存在も、きっとお金持ちは無視できなくなるんです。復興に向けて、この国には大量の物資が必要になりますから。西方諸国やアリアハンに強力なツテがあって、市場がこんな状態でも潤沢に仕入れが行える我が町、我が商会の存在を、無視できる訳ありませんので——あ、もちろん、今回の手妻の種はバレないように気をつけますから、ご心配には及びませんので」

 直情径行の融通が利かないタイプかと思いきや、実はずいぶんと計算高いんじゃねぇか。

「私、ちょっとワクワクしてます」

 ライラは幼さの残る顔に似合わない、にんまりとした笑みを浮かべた。

「こんなに大きい商いを左右できる立場にいられる機会なんて、滅多にありませんから。腕がベキボキ鳴り響きます。送り出してくれたボスと勇者様には、感謝しかありません」

 お前は建前上、罰としてあの町から追放された身空みそらなんだが。

 なんとも逞しいね。

「ですから、こっちはこっちで勝手にやりますので、貴方も自分のやるべきことを勝手にやっててください。こっちからお願いすること以外、余計な手出しは無用ですから。素人に口出しされると困りますので!」

 いや、だからさ。

 今回の仕入れの立役者に、なんて言い草だよ。

「ボス! また食器を持ち帰ろうとしたヤツらを見つけました! お願いします!」

 その時、子供の集団が寄って来て、先頭の一人がライラに大声で報告した。

 子供達に囲まれて、曖昧な笑みを浮かべた二人の大人の姿も見える。

「ご苦労様です。ここはもういいですから、貴方達は持ち場に戻って下さい」

「はい!」

 ライラの号令一下、子供達は力一杯返事をして、キビキビと散っていく。

「さて、あなた方は残って下さい」

 どさくさに紛れて立ち去ろうとした二人の大人に釘を刺すライラ。

「なんだよ、なんの用だよ」

「そうだよ。あたしらは、別に何も——」

「分かりましたから、まずは食器を返して下さい」

 全く聞く耳を持つ様子もなく、ライラは大人達に向かって手を差し出した。

 男の方が、懐を庇うような仕草をみせる。分かりやすいな。

 ライラは小さい唇から、ハァとため息を吐いた。

「そんなもの売ったところで、幾らにもなりませんよ。いいですから、返してください。次も使いますので」

 互いに目配せをした男女の男の方が、ちらと俺に視線をくれた。

「……へ、へ。ああ、返すの忘れてたよ」

 二人は懐からおずおずと木製の碗とスプーンを取り出して、ライラに手渡す。

 いちおうとは言え、大人の男の端くれである俺が、ここにぼんやり突っ立ってた意味がありましたかね。

「はい、確かに」

「な、なぁ。次ってことは、またやってくれんのかい、こういうの」

「はい。なるべく間を開けずにやりたいと思ってますけど」

「へ、へ……そりゃ、ありがたいね」

「けど、貴方がたには、次から配膳しないですよ? だから、来ないでくださいね」

 お椀を裏っ返したりして確かめながら、ライラはなんでもないように口にした。

「え……は!? な、なんで——」

「なんでもなにも、私、何回も大声で食器は持ち帰らないように言いましたから。聞こえましたよね?」

「あ、ああ、そりゃ……」

「そんな簡単な決まり事も守れない人は、また問題起こすに決まってますので。次は今日より人も増えますから、そういう人に来られると困ります」

「あ、あたしは知らなかったよ。そんなこと言ってたかい?」

「同じですよ。施しを与えている側が、あれだけ何度も注意を呼びかけてるのに、それすら聞いてないような人は、必ず問題を起こすので来て欲しくありません。もう、顔も覚えましたから、来ても広場にれませんよ?」

「そ、そんな、勝手なこと……!」

「勝手ですよ、もちろん。こちらが私財で善意でやってる施しですから。決まり事に従わない人は、こちらの都合でご退場いただきますので」

「そ、そんなコト言わずに、もう二度としないからさ。た、頼むよ、お嬢ちゃん」

 曖昧な笑みをくたびれた顔に貼り付けたままヘラヘラしている男に、ライラはきっぱりと言い渡す。

「もしかして、まだなんとかなるとか思ってませんか?」

 まぁ、こんな子供が言うことなんて、どうにでもなると思ってるわな。明らかに。

「なりませんよ。この話は、もう終わりです。邪魔なので、さっさと出て行ってください」

「ちょっと。そんな、一回間違えたくらいで——」

「くどいです。別に私、難しいことお願いしてないですから。すみませんが忙しいので、これ以上、同じ事を繰り返させないでください」

 女の方にも無感情に言い捨てて、ライラはあからさまに無視するように体の向きを変える。

 事によったら、激昂してさらに詰め寄ってくるかと思いきや、男女の二人連れはトボトボと力ない足取りで、広場の外に向かって歩き出した。

「厳しいんだな」

「でもないです。私は救いようのない甘ちゃんなので、もう一度だけ厳重注意の上で入れてあげるつもりですから」

 呼び寄せた子供に食器を渡しているライラに声をかけると、平坦な口調で返された。

「あれだけ言われたら、次は来ないんじゃねぇの?」

 と問うと、今度は馬鹿にするようにせせら笑う。

「来るに決まってるじゃないですか。貴方、ホントになんにも分かってないですね」

 なんだと。

「ああいう人達って、ホントにまったく懲りませんから。どこまでも自分に甘くて、恥すら捨てて開き直ってるので、自分だけに都合が良いことを何度だってやりますよ」

「まるで見てきたように言うんだな」

「ええ。見てきましたから」

 ひどく皮肉らしい薄い笑みを、幼い顔に浮かべる。

「大人になっても、貧民街こんなところにいるような人はダメです。ロクデナシしかいませんよ」

 ここよりさらに貧富の差が激しい欲望の街アッサラームの貧民窟で育った少女は、そう吐き捨てた。

「なので、なんとか這い上がってやろうって餓えてる子供の方が、よっぽど使えんです。目的意識さえ与えてあげれば、あの通り、脇目も振らず力いっぱい働きますので」

 ライラの言葉通り、広場のあちこちでは、子供達がそこら中を全力で走り回って働いていた。

「まぁ、分からないでもないけどさ。ただ、俺がすんなり共感できちまうのは、お前にとってはよろしくないんじゃねぇの?」

「はい? 何ワケ分かんないこと言ってんです?」

 不機嫌そうな面に、つけつけと言ってやる。

「だってよ。俺みたいに人をバカにするヤツは、嫌いなんじゃなかったのか?」

 他人を思いっきりロクデナシ呼ばわりしてたけど。

 ひょっとして、こいつが俺を嫌うのって——同族嫌悪みたいなモンなんじゃねぇの。

 冗談混じりの俺の嫌味に、またキャンキャン吠え立てて反論してくるかと思いきや、ライラは諦め顔に自嘲を浮かべてみせた。

「ええ、大っ嫌いですよ、もちろん。なので、これが終わったら、しっかり懺悔していきますので。ちょうど、隣りが教会ですから」

 いまさら似合わないことを言う。

 そういえば、アイシャのヤツも妙なところで信心深かったな。

 そう、妙に——こいつらが、どこかバランスが悪いように感じられてしまうのは、やっぱり育ちが影響してるんだろうか。

 悪徳の街アッサラームで子供が生き抜く為の徹底的な実利主義と、それだけでは生きていけない子供らしい純心さ。

 なんにしろ、これ以上は俺が不用意に踏み込むべきじゃねぇな。

「ほんじゃ、こっちは任せたぜ」

 そう、いまは逆に力を貸して欲しいんだ。

 アイシャが口にしてたような商売周りのことは、全部そっちに任せたからな。

「貴方に言われるまでもありませんので。そっちこそ、余計な口出ししないでくださいよ」

「ああ」

「くれぐれもお願いしますから。それでは、私、貴方に構ってる暇ありませんので!」

 生意気に言い捨てて、周りに指示を与えながらさっさと歩み去る。

『思ったよりは使えそうな子だし、連れてってやりなよ』

 そう評したグレースの眼力は、やっぱり大したもんだな。マジで俺の方こそ、相談役として側に置いときたいんだけど。

 あいつが船長なんてやってなけりゃなぁ。

「なんじゃ、ヴァイス。来ておったのか」

 俺と同じく王都に居残り組の姫さんが、エプロンを外しながら歩み寄ってくるのが見えた。

「ああ。ついさっきな。お疲れさん」

「うむ。まぁ、わらわは用意されたものをよそって配っただけじゃがな。お主こそ、今朝はアリアハンまでご苦労じゃったな」

 配下の功を自然と労ってみせる。

 これこそが、真に人の上に立つ人種だよ、ライラくん。見習いたまえ。

「それにしても、あのライラという娘は、大したものじゃな」

 即座にライラを姫さんに持ち上げられて、内心でズッコける。

「なにがよ?」

 ついぶっきら棒な尋ね方になっちまった。

「なにを怒っておるのじゃ?——いや、最初はこんな見知らぬ土地で、どうやって場を取り仕切るつもりなのかと思ったのじゃがな。このような場所で炊き出しをすれば、周辺の者が大勢詰めかけてくるであろ?」

「そりゃ、まぁな」

 そこら中、腹を空かせたヤツばっかだろうし。

「あやつだけでは、とても捌き切れまいと思ったのじゃが、まずは付近の子供達を呼び集めてな。子供同士というのは、大人よりも早く通じるものであろ」

 そうね。姫さんも、現地の子供とすぐ仲良くなるもんな。

「その子らと共に食事を作り、先に与え、言葉巧みに手懐けたのじゃ。あの手際には、端で見ていて舌を巻いたぞ。本当に、あっという間だったのじゃ」

「へぇ、そうなのか」

「うむ。はじめは、特に男児が『女なんかに従えるか』とゴネかけたのじゃがな。しばらくしたら、『ボスはボスだから、女じゃない』などと言い出す始末じゃ。子供らが見る間にあやつの忠実な下僕しもべになっていくあの過程は、なかなか見ものじゃったぞ」

「そりゃ、大したモンだな」

「お陰で、少しは足りない人数の穴を埋められるかと手伝いに来たのじゃが、わらわに出来ることなどほとんどなかったのじゃ」

「いや。そいつは、そうでもないみたいだぜ」

 男子も女子も、横を忙しなく駆け抜ける子供達は、すれ違いざまにチラチラと姫さんを盗み見る。

 目元以外をほとんど覆っていてすら、普通にその場に居るだけで、まるで物語からそのまま抜け出してきたみたいな、浮世離れした神秘的なお姫様感が凄いからな。

 少なくとも子供達の妄想を掻き立てて、あの人の目に留まりたいという形でやる気を出させる役には立ってるみたいだぜ。

「ふむぅ? よく分からぬが、なんにせよ役に立てたなら良かったのじゃ」

 そうね。

 ちゃっかりイリアを俺に紹介させて、次回分の仕入れの打ち合わせまで済ませていたライラには、今後は直接やり取りするから俺は要らないって言ってもらったことだし——単に邪魔に思われてるだけな気もするが——俺もせいぜい、自分の仕事で皆さんのお役に立てるように頑張りますかね。

 気の重い仕事でな。

2.

 これは、早朝にマグナ達を『ラーの鏡』探索に送り出した日の記憶。

 なんで、俺はこんなことを思い出してるんだ。

 ゆっくりと回る走馬灯なのか。

 体中が痛い。

3.

「やってくれたな、しがない事務員さんよ」

 炊き出し会場を後にしたその足で、俺は同じく街外れにある魔法協会に顔を出していた。

「はてさて。一体何を怒ってらっしゃるんです?」

 受付でクリスを呼び出して、この前よりも数段調度の落ちる小さな会議室に先に通された俺は、野郎が顔を見せるなり嫌味を言ってやったのだが、全く悪びれていない様子で返された。

「いったい何を、じゃねぇだろ。なんで、良識派のマテウス達と知り合いだってのを隠してたんだよ」

「これはまた、人聞きの悪いことをおっしゃる。私は何も隠しておりませんですよ。彼らとは既に袂を分かって久しいですし、実際にここ数ヶ月は連絡も取り合っていませんでしたから」

「そういう事じゃねぇだろ」

「そういう事ですよ。そもそも、最初にご説明した時点で彼の名前など出しても、貴方には誰のことやら分からなかったでしょう。無理に言及したところで、話の焦点がボヤけてしまうだけです。単に会話の都合ですよ」

「よく言うよ」

 会話じゃなくて、お前の都合だろうが。

 自分に都合が良い順番で情報を小出しにして、こっちの思考を誘導しただろ。

「何を気にしてらっしゃるのか分かりませんが、どちらにしろ、貴方なら遠からずマテウスさんの元に辿り着いたでしょう。その時に話が通りやすいようにと、前もって口添えしておいた事を怒ってらっしゃるのでしたら謝ります。差し出がましい真似をして、申し訳ありませんでした」

 すまなさそうな顔してるが、ホントはさらさらそんなこと思ってねぇだろ、お前。

「確かに、それで話が早くて助かったけどさ」

 こいつの根回しがなかったら、あの時あそこで私刑リンチを受けていた可能性が高いのは、シャクに触るが認めざるを得ない。

「それはそれは。お役に立てて何よりでした」

 他意のなさそうな笑顔が、却って胡散臭い。

 論点をズラして有耶無耶にされた感が凄いんだが。

 ホントに喰えない男だな。

「チッ、分かったよ。そういう事にしといてやる。そんかし、こっから先も協力してもらうからな」

「おや。しがない事務員である私は、ここまでしか関わらない約束だった筈ですが」

「そううまいばっかりの話があるかよ。っていうか、元からあんたは、ほとんど当事者だったんじゃねぇか」

「そういうこと、魔法協会の他の人の前では言わないでくださいね。いちおう、内緒なんですから」

 などとほざいて、人差し指を口に当てる。

 こいつが自分から言い出すってことは、バレても大した支障はなさそうだな。

「それに、今度は逆方向に誤解しています。私は良識派としても、さほど重要な登場人物ではありませんよ。舞台で言えば、脚本シナリオに名前も記されていないような、端役の賑やかしです」

「なら、今度の脚本ホンでは、名付きの役をやるよ。準主役級なんてどうだい」

 ロクに観劇なんてしたことない癖に、俺もよく言うよ。

「いえいえ、私は裏方仕事が性に合っていますので、お気遣いなく。大道具係の、そのまたお手伝いくらいが分相応です」

「なんの、舞台を下で支えるのも立派な役割じゃねぇか——なんて、皮肉合戦をしに来たんじゃねぇんだよ。事情は全部承知してるだろうから、前置きは省かせてもらうぜ」

「なんでしょう」

「マテウスが飼ってる連中が、多分、近々暴走して王城襲撃だか国王暗殺を実行しようとする筈だ」

「はぁ。でしょうね」

 それを俺に止めさせる為に、わざわざアレコレ仕組んだのに、いまさら何言ってんだみたいな顔するの、イラッとするからやめてくれる?

「あんたにも、そこに一枚噛んでもらうぜ。俺から連絡が行ったら、指定した時刻に兵舎でもなんでも、治安維持を担当してるトコに通報してくれ。怪しい連中がたむろして、国家転覆を企んでるってな」

「その時点での潜伏場所も、指示に含めてくださるので?」

「ああ、もちろん。念の為に言っとくけど、クリスが自分で行くなよ? できれば、三、四人は間に挟んで、情報の出所を体制派に掴まれないようにしてくれ——って、言われるまでもねぇか。どうせ、そこら辺はあんたの方が慣れてるだろ?」

「いえいえ、買い被りですよ。それより、仰ることは分かりましたが、状況に応じた対応策を、事前にもう幾つか考えておいた方がよろしいかと」

 やんわり辞退を試みられることを予測していたので、意外な申し出にきょとんとする俺に、クリスはニヤリと笑いかけた。

 さすがに、全部を俺に押し付けて、後は知らん振りってほど人が悪くはねぇか。

「一緒に考えてくれるなら、助かるよ。あんたの方が、この国の事情には明るいからな」

「いえいえ、私のお貸しできる知恵など、大したことありませんけどね」

 あくまで韜晦するね、こいつも。

「ただ、魔法協会の事務員として、いちおうご忠告させていただきましょう」

 微妙に声の響きが変わっていた。

「いずれの国でも似たような扱いでしょうが、魔法協会の事務所というのは、当地国家の諜報を司る機関から常に監視を受けています。いまのところは、特に何を疑われているということもなく、通常の監視態勢だと思いますけどね」

 ああ。これまで意識したことなかったけど、そりゃそうか。

 ルーラでアチコチを直接ひとっ飛びで訪れる、俺達みたいな魔法使いなんて、立場によったら厄介この上ない頭痛のタネに違いない。

 上の方でどう話がついてるのか知らないが、各国の首脳部がリスクと利便性、それから本物の魔法使い共への忖度なんかを天秤にかけた結果が、いまの状態なんだろう。

 おそらくだが、そもそもは本物の魔法使い共との間の取り決めでしかなく、冒険者のルーラなんて当初は想定されてなかったんじゃなかろうか。なし崩し的に黙認されてるって辺りが実態っぽい気はするな。

 ルーラ周りは、キナ臭い話が多そうだ。敢えて問題を明確にしないまま、関わってる人間が各々の立場で自分達の都合が良いようにひっそり綱引きしている感が強い。

「分かった。あんま直接、俺がクリスを訪ねないようにするよ。用がある時は、別の誰かを使いに出す」

「それほど頻繁でなければ、大丈夫でしょうけどね。逆に急にパタリと止まないように、協会自体には適度に足を運んでください」

「そうだな。気をつけるよ」

 この時の俺は、ちょっと心配し過ぎかな、などと、まだ呑気な事を考えていたのだった。

 自らの置かれた状況の危険性を頭でしか理解しておらず、いまひとつ実感を伴っていなかったのだ。

4.

 俺は莫迦ばかだ。

 心配し過ぎることはないと、誰からも言われてたのに。

 それでなくても。

 未来のことなんて、読み切れる訳がないのに。

 己の傲慢さが招いた結果が、これなのか。

 痛い。

 どうにか見つけた、体が一番痛くない姿勢から、全く動けない。

 ああ、考えがまとまらない。

5.

 さらに翌日。

 市中にあるマテウスの邸宅を訪れた俺は、その帰り途にヘレナと落ち合っていた。

 ちなみにマテウスとは、あいつが囲っているチンピラ共の人数や、一昨日おととい店にいた奴らの中でも主だった面子の名前や特徴を確認したり、これまでの経緯や疑問点、今後の方針等を話し合った。

 まぁ、字面から伝わるように、あまり実のある内容ではない。

 これが、本腰を入れてこの国の改革に乗り出そうとかいう話だったら、まずは破落戸ごろつき共を個別に懐柔してどうにか手勢に加え——とかいう話になるのかもしれないが、今回は期間がある程度決まっている上に、それほど長くなる見込みもないのだ。

 ともあれ、マグナ達が戻ってくるまで凌ぎ切れればなんでも良い。

 基本的には、それで全てが解決する。

 というか、解決しなかった時は、俺を含めた勇者様御一行は、全員が死出の旅路についてる筈なので、後は知ったこっちゃないというか、それこそマテウス辺りに頑張ってもらうしかない訳で。

 しかしながら、その肝心のマテウスやイゴールは、既に厄介事を俺に押し付けた気分になっているのか、すっかり気の抜けた面をブラ下げていたりするのだった。

 いや、口ではもちろん、自分達が主導して物事を運ぶようなことを言うよ?

 けど、ちょっと突っ込んだ話になると、それは無理だとか難しいとか返ってくるばっかりで、かと言って代替案を出してくれる訳でもない。

 本来は、もう少し頭の回りが良い連中だと思うんだけどね。ここしばらくのチンピラ共の世話が、よほど精神こころに堪えたとみえる。

 なんだか緊張の糸が切れちまったみたいに、シャッキリした返事がさっぱり戻って来ないのだった。

 つか、なんで部外者の俺の方が必死こいて頭を悩ませなきゃならねぇんだよ。

 そんな調子で、お互いはっきりと口にはしないものの、問題が起こったら対処療法的に都度対応するしかないと、どちらも考えている様子がありありと窺える状態のまま、絵に描いたように意味のない会合はお開きになったのだった。

 まぁ、あのアホ共をここまで抑えてくれてただけでも、お手柄としますかね。

 とでも思わないと、とてもやっていられない。

 マテウス達とのやり取りで得られた収穫と言えば、一昨日訪れた店の他にも、いくつか番号で呼ばれる隠れ家が用意されている事実を知れたくらいか。

 そろそろ阿呆共が暴走しないように、とりあえずの釘を刺す一手を打っておきたいところなんだが、どうしたモンかなぁ。

「何を考えてるの?」

 最早、食い慣れた感さえある手料理をヘレナの部屋で口に運びながら、どうやら難しい顔を浮かべちまっていたらしい。

 不安げな顔をしたヘレナに尋ねられた。

「いや、どうでもいいことだよ」

「……私みたいな女には、話せないことなのね」

「まぁ、ある意味な」

 ニヤリと好色そうに受け取って欲しい笑みを浮かべてみせる。

 すると、すっかり見透かされた微笑みを返された。

「私、お芝居かそうじゃないかを見分けるのは得意なの。自分がいつもしているから」

「ってこた、こうして俺と会ってる今も、してるんだな」

「ううん。あなただけは別」

 おお、言うね。殺し文句。

「なるほど、芝居がうまいね」

「でしょう」

 口元を手で押さえて、クスクス笑う。

「ああ、なんだかすごく不思議」

「なにがよ?」

「だって、私がこれまで男の人としてきた会話って、ほとんど一方通行だったの。大抵は横柄に命令されるか、文句を言われるだけで。私が何かを言っても無視されたり、よくて生返事。こんな風に会話に付き合ってくれる人なんていなかったの」

 ヘレナは、楽しそうに続ける。

「それが、まるでホントにお芝居か、それとも物語みたいな会話を、この地味でつまらない女の私が、実際に男の人としているのよ? これが不思議でなくてなんなの?」

 え、そんなに芝居がかった会話だったかな。

 慌てて直前の会話を思い出そうとしたが、大した内容じゃないことしか思い出せない——なんか、恥ずかしくなってきたんですけど。

「出会った時から思ってたけど、ずいぶん自分を卑下するんだな」

 言いながら、俺自身もグレースに同じような指摘をされていたことに気づく。

 親近感が湧くね。でも、根っこがちょっと違う気がするんだよな。

「そんな風に聞こえるのね。この国の女としては、割りと一般的だと自負しているのだけれど」

「ふぅん。じゃあ、この国の女はみんな自信がないんだな——ってより、男が偉そうなのか」

 アリアハンよりもっと、男共が威張ってる印象あるもんな。

「そんなこともないけれど。それとも、そうなのかしら。他の国の人には、そう見えるの?」

「いや、適当言っただけだよ」

 だから、あんま重く取られても困る。

 という機微が伝わったらしく、ヘレナは話題を変える。

 気が利くと言えばそうだが、こっちの顔色を窺いすぎている気がしないでもない——それに共感できちまう自分も、どうかと思うんだけどさ。

「でも、貴方が残ってくれて嬉しい」

「え? なにが?」

「だって、マテウスさんに無理な事を頼まれていたでしょう?」

 この前、あの店で一緒に聞いた話のことか。

「だから、貴方は面倒を嫌って、この国を出て行ってしまうかと不安だったの」

「いや、まぁ、いちおう用事があって、わざわざこの国に来たからな」

「そう。だから、こうして会ってくれるのが私の監視を兼ねているのだとしても、気にかけてくれるのが嬉しいの。いまはなんだか心細くて、独りきりだと耐えられなかったと思うから」

 ヘレナにしてみたら、妙な事件に突然巻き込まれたって感覚だろうし、不安に思うのも無理ないよな。

 しかも、こっちの都合でロクに説明も出来ないときてる。

「怖かったら、誰か人をつけようか?」

 前髪ウザ男は、一身上の都合により無理だけど。

 つか、とりあえず差し迫った危険は、ヘレナには無いと思うんだけどね。

 何かあるとしたら、俺の方が先だろう。

 まぁ、こっちも人手不足だし、四六時中誰かを張り付けるのは、現実的には難しいんだけどさ。

 という俺の内心を、またしても推し量った訳でもないんだろうが。

「ううん。さっきも言った通り、こうして貴方がたまに様子を見に来てくれれば、それで十分なの」

 そんな、聞き分けの良いことを言うのだった。

6.

 思えば俺は、いつまでも現実感なくふわふわとしていた気がする。

 だが、いま感じているこの痛みは、恐ろしいくらいに現実だった。

 痛い。

 熱を持った痛みで、全身が膨れ上がったようだ。

 体の感覚がおかしいこと以外、何も考えられない。

 吐き気にも似た押しては引く波のような目眩に翻弄されながら、痛くて眠ることも気を失うこともできない。

 俺は、このまま独りで死ぬのか。

 こんな狭くて汚いじめついた地下牢で。

 昏い。

7.

 そして、ヘレナと別れて宿屋に戻った俺は、チンピラ共が襲撃の準備をしている報告を、ルーカスから受けたのだった。

 慌ただしく手配を済ませた俺は、マテウス率いるチンピラ共がたむろしている、例の怪しい酒場に急行した。

「おい、手前ぇら、何のんびりくっちゃべってんだ!?」

 勢い良くドアを押し開いて飛び込みつつ、中の連中が反応する前に大声で喚き立てる。

「この場所が国王派にバレた!! すぐに兵士が飛んでくるぞ!!」

「あァッ!?」

「ンだと!?」

 ガタガタと木椅子を引く音と共に、中に居た連中が立ち上がる。

「手前ェ、イキナリなに言ってんだ!?」

「こっちの情報網に引っ掛かったんだ! 手前ぇらが、俺に黙ってコソコソ襲撃企んでやがったのは見逃してやっから、さっさと武器持って散れ!」

「ンで、手前ェにンなコト指図されなきゃなんねンだよ」

「そうだぜ、なンなんだよ、手前ェは、いきなりよ?」

「うるせぇな、言ってる場合かよ!! こんなバカみてぇに武器持ち寄って集まってたら、なんも言い逃れできねぇぞ! 俺の言ってるコトが嘘だったら、後でシュクセイでもなんでもすりゃいいだろ! とにかく、いまは身を隠せ! 次のアジトは四番にすっからな、忘れんなよ!」

「皆、彼に従ってくれ」

 ここでようやく、店の奥からマテウスが助け船を出した。

「先日説明したように、彼は我々とはまた別の反国王派の組織から、連携の為に派遣された参謀役だ。彼の言葉は私の言葉だと思って、従って欲しい」

「あァン?」

「アレ、マジだったのかよ」

「まァ、マテウスさんが言うんじゃな……」

 渋々といった感じながらも、ノソノソと動き出すチンピラ共。

 軒を貸してもらった分際で、母屋を略奪した自覚はいちおうあるのか、いまのところはまだ、マテウスの言葉にある程度は従うのだ。

 つか、お前ら、のたくさしてんなよ。じきに兵士が団体様でご到着しちまうのは、嘘じゃねぇんだからよ。

「だから、急げって! とっ捕まりてぇのか!!」

「ンだ、テメ、偉そうによ」

「ケド、まァ、アイツの言ってる事がホントだったら、確かに急がねぇとヤベェぜ」

「チッ」

 ドアの脇にいる俺を、いちいち睨みつけながら、武器を抱えて三々五々と反乱軍の残党共は夜の闇に消えていく。

 ホント柄悪ぃな、こいつら。

「——オイ。今回のこの襲撃計画、俺はなんも聞いてねぇぞ」

 最後に残ったマテウスとイゴールに恨めしげな目を向ける。

「いや、我々も、ついさっき知ったんだ」

「事前に知っていたら、黙っている訳がないじゃないか」

 えー、それって、あんたらが配下を全然掌握できてないって事じゃないの。

 なんで、自分達も知らなかったんだから仕方ないだろ、みたいな面してんだよ。

「じゃあ、連中があんたらを出し抜いて、勝手に話を進めてたってことか」

「ああ。いつまでも煮え切らない我々の態度に業を煮やした一部に焚き付けられたんだろうな。事後承諾のつもりで、なし崩し的に事を進めようとしたんだろう」

 いや、他人事か。

「したんだろうって……お前らの抑えが、全然効いて無いってことじゃねぇか」

「だから、何度もそう言っただろう」

 えー、開き直って威張らないで欲しいんですけど。

「くそ、話は後だ。とにかく、いまは逃げるぞ。兵士がガサ入れにくるのはマジなんだからよ」

 ともあれ店を出て、足早に歩きながら小声で会話を交わす。

「衛兵を呼んだのは、君なのか」

「あのまま、連中を王城に突っ込ませた方が良かったか?」

「いや……そうだな。やむを得んか」

「喜べよ、クリスも巻き込んどいてやったからさ。今回のは、アイツの仕込みだ」

 クリスの名前を出したことで、マテウス達の空気が少し変わった。

「彼がよく承知したな——いや、いまはいい。詳しいことは、また後で聞かせてくれ」

「ああ。明日にでも、あんたの屋敷に行くよ——いや、屋敷は避けた方がいいか?」

「そうだな。明日の昼に三番で落ち合おう」

「了解だ」

 そのままマテウス達と別れて、しばらく適当に角を折れつつ歩き続ける。

 多分、尾行けられてないと思うんだが。

「このまま宿に戻っても大丈夫そうか?」

 何気ない身振りを模した合図を送ってから、誰にともなく話しかけると、前髪がウザそうな苛立った声がすぐ後ろで応じる。

「気軽に俺に話しかけるな、素人が」

 振り向かずに、前を向いたまま続ける。

「お前が合図に反応したってことは、尾行は大丈夫そうだな」

「ああ。だが、荒事は俺の領分を超える。実際に貴様が尾行されたら、見捨てるぞ」

 じゃあ、お前、なんの為にいるんだよ。

「俺の全てはグレース様の物。こんなところで使い潰される訳にはいかん」

 ああ、そうですか。

 まぁ、借り物だから仕方ねぇけどさ。

「貴様が拉致でもされたら、無事くらいは祈ってやる」

 そりゃどうも。

 実際のハナシ、いまはリィナもマグナも王都にいねぇから、そうなったらマジで打つ手がないな。

 くれぐれも、荒事にならないように気をつけねぇと。

8.

 俺はきっと、彼らの怒りを過小評価していた。

 死ぬよりは、生きている方がいいだろうと、単純に考えていたのだ。

 怒りに振り上げた拳には、叩きつける場所が必要だ。

 そんな簡単なことさえ、分かっていなかった。

 それでも——なんの意味も見出せない、ゴミみたいな死に様を迎えるよりはいいだろうがよ。

 いまの俺みたいな。

 デコボコとした粗雑な造りの石床に、まさしく襤褸屑ぼろくずのように転がりながら、痛みでままらない思考を必死に繋ぎ止めるように、死に損ないは考える。

 まるで、考えるのを止めたら確定する死に怯えるように。

9.

 マグナが『ラーの鏡』探索に旅立ってから七日目。

「オレの知り合いに、ボルビスで地下組織に入ってるヤツがいンだろ?」

 あれから、マテウス子飼いの破落戸ゴロツキ共が暴走しかけては、その度に裏から手を回して水際で堰き止める、みたいなことが、なんと一日おきに、さらに二度ほど続いたのだ。

 その度に上へ下への大騒ぎで、一緒に逃げたりなんだりしている内に、最上級に好意的な見方をすれは、祭りの準備をしている時みたいな奇妙な連帯感を——俺の勘違いでなければ——お互いほんのりと覚えはじめた頃合いに、いつか俺を殴ったナチョという細身の男が、隠れ家に居合わせた奴らに向かって、そんなことを言い出したのだった。

 お前の知り合いのことなんか知らねーよ。

 さすがに口には出さずに、心の中でツッコむだけに留めておく。

 そもそも、俺に向かって口にされた訳じゃねぇしな。

 ちなみにボルビスというのは、ここから西に位置する侯爵領で、距離的にも馬車で数日もあれば辿り着ける程近い土地だ。

「久し振りに王都でソイツ見かけてよ。アッチでも、もうスグ反乱起こすってよ」

「マジかよ。ヤベェな」

「でよ、アイツラが暴れっと同時に、オレ等が王城襲えば、アッチもコッチも都合よくねェ? ッてハナシんなってよ」

「え、ヤバくね?」

「マジだわ。ヤバい頭良いわ」

「天才軍師居たな」

 何人か、こっちをちらっと見やがっただろ。

 参謀役って紹介されたのに、ロクになんも作戦立ててねーもんな。

 くそ、分りやすく当てつけてんじゃねーぞ。

「もうすぐって、それ、いつ頃の話だ」

 さすがに聞き捨てならずに口を挟むと、ナチョは思いっ切り嫌そうに顔を顰めてみせた——その表情を見る限り、ほのかな連帯感とか俺の勘違いだったな、これ。

「あァッ!? 知らねーよ。ケド、ソイツがテーサツから戻ったら、すぐやンじゃねーの」

 そりゃヤベーな。あと数日しか猶予が無いってことじゃねぇかよ。

「そいつ、どこに泊まってるんだ? ちょっと話がしたいんだけど」

「ハァ? もう出ちまったに決まってんだろ。さっき、出てく時に会ったンだからよ」

 だから、俺はお前じゃねーから、そんなこと知らねーんだよ。

「いまから追いかけるのは——現実的じゃねぇか。ソイツの顔すら分かんねぇしな」

 え、マズい。これ、どうすんだ。王都のコイツラを抑えるだけでも、手一杯だってのに。

 どうしようも無さ過ぎて、俺は軽くパニックに陥りかける。

 せめて、もうちょい追加で猶予が欲しい——いや、待て。そのナチョの知り合いがボルビスに戻って、まさかその日の内に挙兵するって訳にはいかねぇだろ。

 どんなに早くても、準備含めてあと十日くらいは猶予がある筈だ。

 それだけあれば、マグナ達もギリ戻って来れるか?

「なにグチャグチャ言ってんだァ?」

 挑発だけが目的のようなナチョの声音に、思わずイラッとしちまった。

 俺が頭を悩ましてんのは、結果的には手前ェらの為でもあんのに、いちいち煽ってんじゃねぇよ。

「考え方が雑過ぎんだよ。連携して王都で騒ぎを起こすにしても、それがいつなのか分かんなきゃ、やりよう無ぇだろうが」

「あァッ!? ンだと、コラァッ!?」

「うっせ」

「だから、落ち着けって」

「つかよ、そんなん、別に気にしなくてよくね?」

「は?」

「コッチはコッチで王城襲ってグチャグチャにしてやりゃ、別ンとこで起こった反乱なんてどうでもよくなんでしょ、国王派のクソ共も」

「おうよ」

「どうせ、自分がイチバン可愛い連中だしな」

「したら、すぐ軍隊送ったりもできなくて、アッチも助かンじゃんよ、ケッカ的に。なんで、そんなビッタシ時間合わせなくてもよくね?」

「マジだわ」

「天才かよ」

「じゃあ、コッチはいつでもいいんじゃね」

「つか、逆にアッチより早い方がよくね」

「それだわ」

 マズい、あっさり話がまとまりかけてる。

 困ったことに、こいつらが言ってることは、それなりに筋が通っているのだ。

 実際に、争乱を起こすことが目的であれば。

 だからこそ、ここで流される訳にはいかなかった。

「待ってくれ。この前、説明しただろ。もう少ししたら、俺の方の組織の準備が整うから、もうちょっとだけ時間をくれって」

「あァッ!? 知らねーよ、ンなことァッ!?」

「うっせ」

「だから声デケェよ、ナチョ」

「つか、待つってイツまで待ちゃいーのよ」

「ンなことグダグダ言ってっから、ズルズル今日まで来てんだろ」

「もうコソコソ逃げンなァ、ウンザリなんだよ」

 全くの考えなしって訳じゃなく、こいつらなりに検討した上で意見がまとまりつつあるのがヤバい。

 けど、俺だって、今回のコレを戦記物にする訳にゃいかねぇんだよ。意地でもな。

「いや、考えてみてくれよ。不用意に王城なんて襲って騒動になったら、街にも被害が広がっちまうだろ? そうなったら、何人死ぬか分かんないじゃねぇか。頼むから、もう少しだけ時間をくれよ。長くても、あと十日くらいだから——」

「つかよ。少しくらいギセイ出ても、仕方なくね」

「だよな」

「街の連中なんて、手前ェじゃなンもしネェで、誰かがなんとかしてくれんの待ってンだけじゃねーか」

「そのくせ、手前ェが助かる為にヒトは売りやがンだよ」

「アイツラ、マジ終わってンよな」

「オレ達ァ、ゼッテェ仲間売ったりしねぇぜ?」

「あんな連中、ちったぁジブンがギセイにならねーと、なンも分かんねーんだよ」

 コイツらが言ってることも、ある意味で分かっちまうのが厄介なのだ。

 所詮は俺も、はみ出し者だからな。

 とか考えてたら、矛先が俺に向く。

「てか、アンタもチット覚悟が足ンねーんじゃねぇの」

「そうだぜ。こりゃ、もう戦争だろ?」

「戦争にゃ、犠牲がつきモンじゃネェかよ」

 だが、どこかで聞いたような底の浅いこの発言には、さすがに同意できなかった。

 単に都合良く思考放棄してるだけだろ、それは。

 少なくとも、犠牲にしようとしている側が、自ら発していい言葉ではない。

 だが、そのままそう反論しても、こいつらには何も響かないだろう。

 返す言葉が出てこない俺に構わず、連中は会話を続ける。

「ゴチャゴチャ言ってねーで、参謀役ってんなら作戦考えろよ、アンタもよ」

「ちったァ役に立てよな」

「つか、そのナチョに知り合いっての、戦力はどんくらいなのよ?」

「かき集めりゃ、ゼンブで二千はイケるってよ」

「マジかよ、ヤベェな」

「オレらだって、そんくらいは集められんじゃねーの」

「もっといけんだろ。だってよ、イチバン集まった時で、一万人くれー集まったことあんだろ、集会によ。なぁ、マテウスさんよ!?」

「あ、ああ。集会の参加者数という意味でなら——」

「万かよ。ヤベェな」

「ここにいるヤツらを隊長にするとしてよ、一人アタマ何百人も率いることになんじゃね」

「え、オレら、大将じゃん」

「ヤベー、アガる」

 アホかよ。

 人数だけ集めて、そいつらに持たせる武器はどうすんだ。

 防具は。糧食は。

 そんな人数に対して、どうやって指示を行き渡らせるつもりなんだよ。

 つか、そもそもお前らに、大人数相手の指示なんてできんのか。

「——なんで、そんなに戦争したがってんだ」

 バカ共が。

 何も知らねぇガキじゃあるまいし、目ぇキラキラさせながら人殺しの話をしやがってよ。

「あァッ!?」

「ンだと!?」

「いちいち、イチャモンつけんじゃねーよ」

「マジ、サガんだけど」

「手前ぇらの気分なんて、どうでもいいんだよ」

 マズい。

 ここで連中の不興を買うのは、得策じゃない。

 それが分かってんのに、歯止めがきかない。

「手前ぇらの考えなしの行動で、道連れに殺される人間の気持ちを考えたことがあんのかよ。そんなに殺し合いがしてぇなら、手前ぇらだけでどっか遠くでやってくれよ。周りを巻き込むんじゃねぇよ」

 多分、こんな風にして、ノリと勢いで起こされた騒乱というのは、歴史上何度となく繰り返されてきたのだ。

 目の前のこいつらに対してというよりも、自分の中にある、そういう固定観念に対して文句を言っちまってる。

 頭の片隅の冷静な部分では、そんなことを考えていた。

「手前ェッ!!」

 椅子を鳴らして立ち上がり、ナチョがこちらに駆け寄りながら怒鳴る。

「手前ェこそ、ナメた口キいてんじゃねぇぞッ!!」

 ずっと、俺のことが気に食わなかったんだろう。

「知ってんぞ!! 手前ェは、この国のモンじゃねぇだろがッ!!」

 俺の胸倉を掴み上げ、唾を飛ばしながら怒鳴り続ける。

「手前ェこそ、ダチ殺されたオレらの気持ちが分かんのかよッ!! ナメやがって……カルロもウーゴも死んじまった! アイツラの恨みはどうなんだよッ!! 国王派のクソ共に思い知らせねェで、オレらのこの怒りは、どうすりゃいいンだよッ!?」

 息を荒げてしばらく俺を睨み付けていたナチョは、やがて乱暴に突き飛ばすように胸倉から手を離した。

「なンも背負ってねぇクセに、軽い言葉吐いてんじゃネェぞッ、クソがッ」

「まァよ、ソイツのお陰で助かったこともあンしよ、そんくらいにしとけよ、な」

 他のヤツに宥められて、ナチョは俺に背を向けて舌打ちする。

 確かに、俺自身はなんも背負ってないかも知れねぇよ。

 けど、俺の周りは、そうじゃない。

 俺は、あいつらの力になりたいんだよ。

「お前らが、本当にしたい事ってのは、なんなんだよ」

 ひとりでに、口が動いていた。

「後先考えねぇで暴れることか。圧政に苦しんでる連中を助けてやることじゃねぇのかよ。それとも、怨みさえ晴らせりゃ、なんでもいいのかよ」

 ダメだ。こんな言葉じゃ通じない。

 自分に苛立って、思わず舌打ちする。

「死なずに済む人間を、死なねぇように済ませてやろうとして、何が悪ぃんだよ。俺がしてぇのは、それだけだよ。あと十日も時間くれりゃ、絶対なんとかしてやっから、もうちょいだけ待ってくれよ」

「……頼んでネェよ」

 ボソリ、とナチョが呟いた。

 他の連中も、言葉にこそ出さないが、同じことを考えている顔つきだった。

 尤もだ。

 俺も言いながら、そう思ったよ。

 大上段から、何をほざいてんだ。

 なんとかしてやるって、俺は何様なんだよ。

 こいつらは、自分の手で怨みを晴らしたいんだ。

 けど——

 お前らに譲れないモンがあるように、俺だってここでブレる訳にゃいかねぇんだよ。

 絶対、暴動なんて起こさせてやらねぇからな。

10.

 ああ、でも、良かった。

 こんな有様になってすら、俺は自分以外を恨んでいない。

 それが、怖かったんだ。

 自分可愛さで、なにもかもひっくり返して、自分以外の全てを恨むような。

 そうじゃなかった。

 そのことに、心の底からほっとする。

 痛い。

 呼吸するだけで痛い。

 鞭で打たれた箇所が熱を帯びて、恐ろしく膨れ上がっている気がする。

 肺が胸や背中を内側から押し上げる僅かな動きすら疎ましい。

 なるべく細く長く呼吸いきをして。

 死んだみたいに、凝っと横たわっている。

11.

 ナチョと言い争ったその日の夕暮れ時。

 俺は独り、姫さんにも黙ってアリアハンに戻っていた。

 場所だけ教えてもらっていた宿屋に足を向ける。

 聞いていた通り、その部屋の扉の両脇では、戦士と思しい冒険者が簡素な椅子に腰掛けていた。

 その内の片方が、近付いた俺を認めて、少し目を見開く。

「おぅ。お前、まさかヴァイスか?」

 立ち上がってこちらに歩み寄りながら、俺の肩を掌で叩く。

 いって。

「久し振りだなぁ、オイ。元気でやってんのか」

 思いがけないことに、護衛を兼ねた見張りの片方は俺の顔見知りだった。

『つまり、お前には覚悟が足りないんだ』

 いつか聞いた言葉が、頭の中でリフレインする。

 俺がまだ駆け出しの頃に、冒険者とは斯くあるべしってな薫陶を一方的に押し売ってくださった、有り難い諸先輩方の一人だ。

「はぁ。お陰様で」

「そりゃ、達者でやってるよな。あの捻くれ坊主が、いまや勇者様御一行だ」

 本当に再会を喜んでいるだけのような、他意のない口振り。

「ロッシさんは、どうなんスか。最近、息災すか」

「おっ?」

 なんで驚いた顔してんの。

「さすがに、しっかりしたなぁ。まさかお前が、こっちの事を気にかけるようになるなんてなぁ」

 すごい感慨深げに言われたんだけど。

 え、昔の俺って、そんなにヒトデナシでしたかね。

「こっちは、相変わらずだよ。いまでも、うだつの上がらない冒険者暮らしさ」

「ここ、ロッシさんが張り付いててくれたんスね」

 会話が面倒臭くなる前に、話題を変える。

 ルイーダさんのトコから、人を出してくれてるって言ってたもんな。

「いや、たまたま今日が、俺の当番だっただけだよ。いちおう、毎日申し込んでるんだけどさ、当選したのはまだ二回目だ」

「当選?」

 言ってる意味が分からず首を捻る俺に顔を寄せて、ロッシはわざとらしい小声で囁く。

「ここだけの話、仕事内容の割りに払いがいいんだわ。日がな一日座ってるだけで金がもらえるってんで、申し出るヤツが多くてな。その日の当番を抽選で決めてるんだ」

 ははぁ。多分、アリアハンから金が出るように、上の方で話がついてんだろうな。

「ああ、そうなんスね。でも、それで二回も当たったんなら、良かったじゃないスか」

「全くだよ。俺も最近、体がキツくなってきてさ。冒険なんぞに行かずに金が貰えるなら、有り難いってもんだよ」

 同意を求めるような、気安い笑顔を向けてくる。

 なんか——

 この人って、こんなに丸かったっけ。

 もっととびきり理不尽で、こっちの全部を否定してかかるような人格だった記憶があるんだけど。

 俺が、子供ガキだっただけか。

「よう、これが噂の勇者様に選ばれた魔法使いだぜ。昔は、俺とパーティ組んでたこともあるんだよ」

「……どうも」

 木扉を挟んで逆側の椅子に腰掛けた、俺より若く見える男が、興味のなさそうな声で答えながら軽く頭を下げた。

 会釈を返しつつ、半ば呆れて考える。

 まさか、俺なんかとの繋がりを得意げに吹聴される日が来ようとは。

 実像より持ち上げられてる気がして、居心地が悪ぃったらねぇな。

 さっさとこの場を離れるに限る。

「すいません、中、入っていいスか」

「おう、悪ぃ悪ぃ。つい引き留めちまったよ——ていうか、お前、今日ここにいたのが俺で良かったなぁ。昔から知ってる俺がいなかったら、ルイーダさんトコの書類でもなきゃ通してやれないトコだったぜ」

「ああ、そうですね。助かりました」

 礼を述べると、ロッシは何とも言えない顔つきで、俺の顔をマジマジと眺めた。

 なんだよ。

「まさか、意味もなく周りに逆らってばっかいた、あのクソ生意気なヤンチャ坊主が、あっさり俺なんかに礼を言うようになるとはねぇ。お前、成長したんだなぁ」

「……やめてくださいよ」

 昔の俺って、そんなにアレでしたかね。

「やっぱり、勇者様のパーティってのは、大したモンなんだなぁ」

「そりゃどうですかね。それじゃ、入りますよ」

 マジで、昔の事を覚えてる知り合いってのは、これだから嫌なんだよ。

「おお、悪ぃな。お付きのメイドさんは買い物に行ってるから、いまはサマンオサの勇者様がひとりで眠ってるだけだぜ。今度、久し振りに一杯やりながら、その人との関係でも聞かせてくれよ」

「まぁ、時間が取れたら」

 久し振りに飲みに行ってもいいかな、とか考えちまってる自分にビックリだ。

 俺、この人のこと、かなり嫌ってた筈なんだが。

 いま見ると、人の良さそうな顔つきだって、そこらで見かけるおっさんと変わらない。

 何をそんなに反発してたのか、もうよく思い出せねぇな。

 客室の中に入ると、広さの割りには物が多くて、人の匂いと相まって生活感がひどく充満していた。

 結構、長いこと泊まってるもんな。

 部屋の面積の半分くらいを占めているダブルのベッドの上で、ファングそいつは寝息をかいていた。

 そこらにあった木製の椅子を引き摺って、枕の横辺りに腰を下ろす。

 なんだよ、案外平和な寝顔してんじゃねぇか。

 姫さんから、ずっと寝っぱなしだって聞いてたけど、この様子だとそれは変わらないみたいだな。

 じっと眺めていると、やつれた顔にこれまでに刻まれた苦労のあとが見て取れる気がした。

 まぁ、タマにはお前だって、ゆっくり休みたくもなるわな。

 色々あったしさ。

「お前にとっても、呪いみたいなモンだったのかね」

 勇者と呼ばれる親を持つ立場ってのは。

 思い返してみれば、それらしい言動はあったように思う。

 もちろん尊敬してたのは本当なんだろうが、父親について触れられた時は、それだけじゃない感情が、いつも発言に含まれていた気がする。

 お前らは、十分以上によくやってんのにな。

 俺だったら、とっくに放り出して逃げてるぜ。

 実際に逃げた人間の言葉だから、重みが違うだろ?

 そんな俺と違って、お前らは頑張ってんのにな。

 だのに、いっつもみんなして、もっともっとの大合唱ってんじゃ、やってらんねぇよな。

 だからせめて、少しは手助けでもしてやろうと思ったんだけどさ。

「俺が責任を感じる必要は、ねぇんだってよ」

『それは、そうだろう』

 こいつに意識があったら、すっとぼけた顔をして即答したに違いない。

「なら、さっさと目を覚まして、手前ぇで解決しろよ。いつもみてぇに、あっさりよ」

 ったく、この馬鹿、いつまで寝てやがんだよ。

「ホント、お前のせいで、こっちは大変なんだからな? どいつもこいつも、勝手なことばっかほざきやがってよ。もう知るかってんだよ、全員勝手にすりゃいいじゃねぇか」

 表で見張ってるロッシ辺りとツルんでた頃は、それで済ませられてたのにな。

 俺は勝手にするから、お前らも勝手にしろってさ。

 いつから、こんな風になっちまったんだろう。

 救い難いのは、いまの自分がそれ程嫌いじゃないことだ。

 昔の俺がこのざまを見たら、ツマンネー人間に成り下がりやがってと、せせら笑うに違いない。

「ま、お前はもうちょい休んでろよ。どうせ、これまでの人生で、ロクに休んだことなんてなかったんだろ」

 つい自嘲が漏れる。

「逆に俺は、あいつらに会うまで、ずっと寝てたようなモンだったからさ。そのサボってた分で、仕方ねぇから今回は尻拭いしといてやるよ」

 椅子を鳴らして立ち上がる。

「だから、せいぜい恩に着ろよ」

 別に何をしに来た訳でもなく、ただ顔を見に来ただけなのだ。

 俺は特に振り返ることもなくそのまま部屋を出ると、アメリアによろしく言ってもらえるようにロッシに言伝ことづてを残して、再びサマンオサに戻ったのだった。

12.

 きっと、俺だけで解決しても、駄目なのだ。

 俺達だけで解決しても。

 それが、分かっていなかった。

 けど、どうすりゃいいんだろう。

 この国の連中が気の済むように、好き勝手に暴れさせるのが良いとも思えない。

 どうすれば——って、いまさら何をバカみたいに考えてんだ。

 これから死ぬってのに、どうするも何もねぇだろうがよ。

 本当に救い難い。

 莫迦が。

 痛い。

 ああ、考えがまとまらない。

13.

「悪かったな、昨日は」

 マグナ達が『ラーの鏡』探索に出発してから、八日目。

 俺がサマンオサにとっている宿の部屋を、朝っぱらからナチョが訪ねていた。

 扉の隙間から覗いた顔をあらぬ方に向けて、渋々ながらに小声で呟かれた詫びの言葉に、思わず耳を疑う。

 ちなみに、最初は前髪のウザい男が急ぎの報告に来たのかと思って、合言葉なんぞをほざいちまった。

『あァ? ナニ言ってんだァ?』

 と小馬鹿にしたような返事を聞いて、ようやく勘違いに気付いたのだ。

 お陰で、かかなくていい恥をかいたぜ。

 くそ、あの前髪のヤツ。

「なンか、詫びもかねて、もっかいちゃんとナシ聞かしてもらうべってことンなってよ。だから今日の昼に、五番の倉庫に来いよ——来てくれよ。アッコが、一番デカいハコだからよ」

 チンピラ共が何日も前に俺の後をつけて宿屋を探り当てていたことは、既にルーカスの報告で聞かされていたので、それに対する驚きはなかったんだが。

「ああ、分かった。にしても、まさか、あんたが伝えに来てくれるとはな」

 忌々しげな舌打ちが聞こえた。

「オレだって、来たくなかッたンだよ! けど、オマエが行くべきだって、ミンナ言うからよ」

 拗ねた声音。

 まぁ、でも、実際にこうして来たってことは、少しは歩み寄ろうとしてくれてんのかね。

「こっちも、昨日は悪かったな。あんたらの気持ちに無頓着だった。分かった。もう一度、ちゃんと腹割って説明させてくれ」

「ああ。ンじゃ、伝えたぜ」

 用件だけ告げると、ナチョはさっさ踵を返して立ち去った。

 これは、事態が良い方に転がりはじめたと思っていいのかね。

 なるべく納得してもらえるように、もうちょい踏み込んだ事情を話した方がいいよな。

 けど、何をどこまで話したもんやら悩むね。

「話に聞いていた通り、粗野な輩のようじゃな」

 いつの間にやら隣りに来ていた姫さんが、そんな感想を口にした。

「ああ、まぁな。けど、さっきのはあれで、すげぇ大人しかったんだぜ?」

「なんと、そうなのか。それは、大概じゃな」

 ええ。教育に悪いので、姫様には会わせられません。

「それで、言われた場所に行くつもりなのか、ヴァイス」

「ん? ああ、ここで連中に納得してもらえれば、マグナ達が戻ってくるまで時間が稼げそうだしな。なんとか説得してみるよ」

「その……危なくはないのか?」

 どうも、さっきのナチョとのやり取りが、暴力嫌いの姫さんを怯えさせちまったらしい。

 ドンドン力任せにノックされた時から、ビックリしてたもんな。

  なるべく安心させるような笑みを浮かべて、姫さんに向ける。

「大丈夫だって。アレでも、ホントに最初の頃よりは、随分と話を聞いてもらえるようになったんだぜ」

 姫さんは疑わしげな目つきでしばらく俺を見つめ、やがてハァと溜息を吐いた。

「そうじゃな。お主は何を言っても、どうせ聞かぬしな」

 え、なんなの、人の話を聞かないみたいな、俺に対するその共通認識は。

 そんな事ないよな?

 ちゃんと耳を傾けてるつもりなんだが——すいません、なるべく気をつけます。

「じゃが、充分に気をつけるのじゃぞ、ヴァイス」

「いや、姫さんの方こそ、俺が居ない間に危ないことすんなよ?」

 正直、自分のことより、よっぽど心配なんだが。

 俺はアリアハンに避難させておきたかったのに、駄々こねてこっちについて来ちまってよ。

 まぁ、アメリアやファングとの付き合いの深さを考えたら、黙ってじっと待ってなんていられない気持ちは分かるけどさ。

「わらわのことは案ずるでない。これでも、やることが多くて大変なのじゃ」

 姫さんは、自分のやることは勝手に自分で見つけてくる性質だもんな。最近も、ライラの方を手伝ったりなんだりしているらしい。

「ここしばらくは、ルーカスがお主についておるのであろ?」

 不意に、姫さんがそんなことを尋ねてきた。

「ん? そうだけど」

 いちおう諜報組のまとめ役だからな。

 近くに置いといた方が何かと都合が良いので、ヘレナが見つかってブルーノの重要度が下がったこともあって、配置を変えたのだ。

「お主には手間をかけるが、ヴァイスのことを、くれぐれもよろしく頼むのじゃ」

 廊下の方に向かって姫さんが語りかけると、無駄にいい声がいらえる。

「承知した、エミリー」

 あれ、普通の声音だな。

「姫さんのことは大丈夫なんだな、あいつ」

 軽くはたくように俺の腕に触れながら、姫さんがたしなめる。

「これ、そのような言い方をするでない。あやつは慣れさえすれば、女人にょにんともちゃんと話せるのじゃ」

 そりゃそうか。

 じゃないと、グレースに報告したりもままならねぇもんな。

「つか、姫さん、そんなにあいつのこと詳しかったっけ」

「当然であろ。わらわはお主より、あやつらとの付き合いは、なんと二ヶ月も長いのじゃぞ?」

 得意げな顔で皮肉られた。

 そうですね、海賊船に二ヶ月置き去りにしましたもんね。

「姫さんには、いま誰がついてるんだっけ?」

 俺の質問に、前髪のウザそうな声が答えていわく。

「ラスロだ。だが、姫君は我らの身命を賭してお護りする故、貴様如きが案ずるには及ばん」

「えー、お前、俺の事は危なくなったら見捨てるとか言ってなかったっけ?」

 対応が全然違うんだけど。

「人徳の差じゃな」

 フフン、みたいに得意げな顔をしてみせる姫さん。

 そりゃこの姫君は、命を懸けて守ろうって気にもなりますけどね。

「じゃが、さきほども言った通り、くれぐれもヴァイスのことは頼んだのじゃ、ルーカスよ」

「御意のままに」

 姫さんが本物の——しかもエルフのお姫様だとは知らない筈だが、高貴な人物に仕える密偵という妄想に、かなり酔っ払っているとみた。

 お前らを借りてる間の日当は、後でまとめて支払う約束になってんだから、雇用主おれにももうちょい敬意を払えよ、この前髪ウザ男め。

 なんにしろ、姫さんを誰かしら見ててくれるのは安心するけどね。

14.

 けど、死ぬのが俺でよかった。

 いや、よくはないけど。

 でも、あいつらが死ぬよりはマシだと思えてる。

 昔とは、多分違う。

 すぐに全てを諦めていた昔とは。

 俺は、生きたいと願ってる。

 その上で、自分にできるだけのことはやったって。

 もう一回やっても、あれ以上に上手くはできないって。

 そう思えてる。

 もうだめだ。

15.

 そして俺は、正午の鐘が鳴る頃に、マテウスから場所を聞いていた五番と仮称されている倉庫に辿り着いたのだった。

「あれ、誰も居ねぇのか?」

 この期に及んでも、俺は最悪の事態を想定できていなかった。

 ロッシ達とツルんでいた頃の俺だったら、絶対にこんな失態は犯さなかったに違いない。

 何故なら、他人は誰一人として信用していなかったから。

 これは完全に、俺の自業自得だ。

 あのチンピラ共を、色んな意味で軽く見過ぎてた。

 あんな連中でも、この程度の知恵は回る——というより、狡賢ずるがしこい悪知恵は働くんだよ、ゴロツキって。そういえば。

 唐突にドヤドヤと倉庫に闖入した鎧兜の衛兵らしき一団を目の当たりにして、俺はようやく手前ぇの間抜けさを自覚するのだった。

「全員動くな! ここで、国家転覆を企む反逆者共の秘密集会が行われていると密告があった! あらためさせてもらうぞ!——む、なんだ、貴様独りだけか」

 隊長らしき一人が合図を送ると、衛兵が二人、ガシャガシャと両脇から回り込んで、俺の腕を背後から捻り上げた。

「フン。仲間に売られたか」

 この国では、よくある事なんだろう。

 押さえつけられて上半身をかがめた俺に向かって、隊長格は憐み混じりの失笑を漏らす。

「まぁ、いい。貴様もこの場に居たということは、何も知らぬ無関係の者でもあるまい。一緒に来て、事情を話してもらうぞ」

 この時の俺は、何が起こったのか分からずに——いや、見当こそついていたものの、目の前で繰り広げられる現実とそれを擦り合わせるのに苦労していた。

 そりゃ自己中心的だったかも知れないが、曲がりなりにもこの国の住人の為にとやっていたことなのに、そいつら自身に裏切られた事実を、すぐには呑み込めなかったのだ。

 俺にもまだまだ、可愛げがふんだんに残されていたらしい。

 よし、分かった。

 俺は連中に邪魔者扱いされて、裏切られた。

 それは、認めよう。

 あのチンピラ共にしてみりゃ、あるいは当然の行為だったかも知れない。

 突然現れた、どこの馬の骨とも知れない若造にデカい顔されて、面白い訳がねぇからな。

 さらに、俺が合流してからこっち、立て続けに襲撃の計画が未然に防がれたのも、連中の不信感を煽っただろう。

 俺が何か裏で手を回してるんじゃねぇのかと、少し目端の利くヤツなら穿って疑ってもおかしくない。

 しかも、そりゃ事実だしな。

 マズい。

 さっきから頭を働かせてるんだが、この窮地を脱する術が、まるで思いつかない。

 イオラでこいつらを全滅させる——そんな考えがチラと脳裏を過ぎって、内心で呆れ返って自嘲する。

 俺が自分から暴動の火種になってどうすんだ。

 そもそも一発じゃ、この場の全員を倒せねぇよ。

 俺はおよそ、状況を力任せに切り開くことができるような人間じゃない。

 こうならないように下準備をして、小賢しく立ち回るしか術がないってのに。

 こうなった時点で負けなのだ。

 俺の場合は。

 分かってた筈なのに。

「んん〜?」

 なす術もなく、兵士に両腕を力任せに捻り上げられた俺の顔を、隊長格は訝しげに覗き込んだ。

「何処かで見た顔だと思えば、あの時屋敷を訪ねてきた、妙な連中の一人ではないか」

 庇を上げた顔を見て、俺も思い出した。

 ファングの屋敷で出会でくわした、ミゲル一行の一人だ。

 リィナとやり合いかけたヤツ。確か、バルボサとか呼ばれてたか。

「クク。これは、締め上げ甲斐がありそうだ」

 立場が一番下だったであろうあの時と異なり、尊大な態度で俺を見下す。

「いつもの下らん身内売りかと思えば、出張ってみるものだ。これは大物が釣れたかも知れん」

 いえいえ、とんでもない。

 こちとらは、気にかけていただくまでもない小者でして。

「あのファングの仲間だ、いずれ反逆者共と繋がりもあろう」

 ああ、そういう意味ね。

「ミゲル様にも、早速お知らせせねばな。あの生意気な小娘共を引っ立てられるとなれば、さぞお喜びになろうよ」

 嗜虐心もあらわな笑みを浮かべてみせる。

 案外、執着してやがったか。

 だからマグナも、誰彼構わず買い言葉を口にするのはやめとけってのに。

「クク……俺にも、ようやくツキが向いてきたか? ここでうまく立ち回れば、さらなる栄華も望めるやも知れん——この俺が!」

 ブツブツと呟きながら、バルボサは昏い目つきを俺に向ける。

「だが、まずは女ごときの分際で、この俺を邪魔立てしてくれた、あの忌々しい小娘に礼をしてやらんとな。貴様には、居場所を吐いてもらうぞ」

 バルボサのお目当てはリィナか。

 あいつらが、いま王都に居ないでよかったぜ。

 それは良かったが、肝心の自分を救い出す方法が、全く思いつかない。

 ルーカスが身を隠して近くから様子を窺っている筈だが、あいつは荒事に関しては役に立たねぇし。

 さらに悪いことに、あいつが情報を持ち帰ったところで、いまは俺を救出できる人材もいないのだ。

 手詰まりだ。

 こうなる可能性は十分に見越せたのに、なんで対策してなかった——決まってる。人手が足りなくて、自分のことを後回しにしていたからだ。

 クリスの助力もあって、状況に対する備えは一通り押さえたつもりだったが、それじゃ足りなかった。

 自分可愛さとか、逆に俺はそれほど重要じゃないだとか。

 そういう個人的な感情とは無関係に、これは対策しておくべき事柄だったのだ。

 だって、いま俺が捕まったら、俺が抱え込んでたモンが全部、立ち行かなくなっちまう。

 対策に手が回らないなら、せめて自分が途中で抜けても問題ないくらいに属人性を排しておかなきゃいけなかった。

 けど、そこまでする時間なんてなかったろうがよ。

 後からだったら、こうしときゃ良かったとか、いくらでも思い付くけど、俺だってその時その時で出来る限りのことはしたつもりだったんだよ。

 この国の奴らが気付いた時には全てが終わっている形に持っていきたくて、なるべく秘密裏に事を進めようとしたのが裏目に出たのか。

 そもそもその方針が、俺の身勝手な我儘でしかなかったのか。

 その歪みが、こういう形で表出したのか。

 マグナが言ってくれた通り、勇者の威光を借りるべきだったのか。

 また、なのか。

 自分の能力以上の結果を望み過ぎたのか。

 そんな益体もない考えがぐるぐる頭の中を巡るだけで、なす術もなく、俺は屈強な衛兵達に挟まれて、王城へと引っ立てられたのだった。

16.

 死にたくねぇなぁ。

 そう思えるようになったのに。

 マグナは、俺が死んだら悲しんでくれるかなぁ。

 どうして、こんなことになったんだろう。

 動けないから、体の同じ部分がずっと床に接していて。

 唯一マシだったそこまでが、床擦れしたみたいに鈍い痛みが増している。

 自分の体の重さが疎ましい。

 もう全部痛い。

 もう嫌だ。

17.

「悪かったなぁ、なかなかはじめてやれんくて」

 顔をスッポリと頭巾で覆った拷問吏は、刃物を研ぐ背中をこちらに向けながら、まるで世間話のような口調でのたまうのだった。

「あん人らも、上手くできもしねぇのに、オレの仕事を取らんで欲しいよなぁ」

 コイツにしてみたら、さっきまで俺が痛めつけられたのなんて、拷問の内に入らねぇってのか。

 何に使うのか想像したくもない、先っぽに金具の付いた鋏のような拷問具を目線の高さに掲げて、表から裏から眇めて具合を確かめる。

「ごめんなぁ。明日からは、ちゃんと痛くしてやっからさぁ。楽しみにしてろな」

 気易い口調が、逆に恐怖を誘う。

 誰もそんなこと望んでねぇ——っていうか、もうすでに痛過ぎて死にかけなんだよ、ホントにやめてくれ。

 あの後、兵士に引っ立てられた俺は、城門をくぐった途端に得も言われぬ悪寒に襲われた。

 何故、そんな風に感じられたのか分からないが、気のせいとは思えない異常な寒気を覚えたのだ。

 しばらくして、その理由の一端は窺い知れた。

 押し黙ったまま城内を足早に移動している人影は誰も彼も、皆一様に悲壮な表情を浮かべていた。

 まるで、喉元にずっと刃物を突きつけられでもしているみたいに。

 そして、それは両脇から俺を乱暴に引っ立てる兵士達とて、例外ではないのだった。

 城門をくぐった辺りから、表情が緊張で強張っていた。

 城内を抜けて地下牢へと続く階段に辿り着いた時は、心の底から安堵したみたいな息すら吐いてみせた。

 臣下に一人残らずここまで怯えられる国王とは——その正体が魔物である確信を深くする。

 地下牢に連行した俺を、バルボサは念入りに痛めつけた。

 冒険中に大怪我をすることもあったから、痛みにはそれなりに耐性があるつもりだったんだが、それとはまるで違う。

 生爪を剥がされるのは、これから自分が何をされるのか、勿体ぶった素振りで否応なく想像させられて、恐怖を煽られるのがキツかった。

 焼き杭を押し当てられるのは、痛覚が認識できないほどの熱さと痛みもさる事ながら、自分が焼ける臭いを嗅がされるのも精神的にキツかった。

 そして、単純に身体的にキツかったのが鞭打ちだ。

 天井から吊り下げられた手枷に繋がれて、背中を何度も打たれた時は、痛過ぎて他のことが何も考えられず、混濁する意識の中でひたすら早く終わることだけを願っていた。

 途中で、あの髭面のミゲルという男が顔を見せたが、その時はもう物を考えないようにしていたので、前後の繋がりをよく覚えていない。

 ただ、「あの女の行方は聞き出しておけよ。ああいう気の強い女は組み伏せて、自分の身の程を教えやらんとな」と好色そうにニヤつきながらほざいてた事だけは覚えてる。

 そのミゲルは、直接的な残虐行為はあまり好きではないらしかった。

「ミゲル様もいかがですか」

 上機嫌に息を弾ませたバルボサに勧められた時も、あっさり首を横に振っていた。

「いやぁ、儂はいい。貴様もほどほどにして、そいつが死ぬ前にさっさと必要な事は聞き出しておけよ」

「はい。心得ております」

 などと勝手なことを嘯くバルボサは、逆にひどいサディストだった。

「ククク、簡単に殺して貰えると思うなよ。貴様は、あの粗野で凶暴な女をおびき出すエサになってもらうぞ。クク、どうしてやろうかあの女……痛めつけてやるのが、いまから楽しみで仕方がない」

 情報を聞き出しておけと命じられた癖に、時折リィナを罵倒する言葉を吐くだけでロクな訊問もせずに、まるで痛めつけることそれ自体が目的のように、永遠に続くかと思うほど長い時間、バルボサは俺をネチネチと責め苛んだのだった。

 疲れたのか飽きたのか、その日の拷問がいつ終わったのか、意識が断続的に飛んでいてよく分からない。

 次に気が付いた時は、痛みでほとんど身動きが出来ない状態で、やたらと筋肉が隆々とした拷問吏の背中を眺めていた。

「ほいじゃ、また明日な。お前ぇ若いから、まだまだ保つだろ。たのしみだなぁ」

 無邪気に喜んでいるような声音にゾッとする。

 壁に据え付けられた燭台の灯りを拷問吏がフッと吹き消し、手持ちランプの灯りが遠去かると、辺りは真っ黒な闇に包まれた。

 しばらくして目が慣れると、通路の天井にぽつりぽつりと空けられた換気孔から零れる微かな星明かりが、鉄格子の影を薄っすらと照らし出す。

 そんな仄暗ほのぐらくじめついた地下牢に、身動きもままならないくらい痛めつけられた襤褸屑ぼろくずのような有様で、俺は独り取り残されたのだった。

18.

 嫌だ。

 もう嫌だ。

 なんで俺が、こんな目に合ってるんだ。

 そこまで悪いことしましたか。

 痛いの全部面倒くさい。

 こんなの続くの耐えられない。

 もうし——

19.

 俺は常に、半分意識を失っていた。

 けど、気が遠くなる度に、体が弛緩した拍子に筋肉が僅かに反応し、その僅かな動きで激痛が疾り、その痛みが連鎖的に全身に波及してさらなる激痛を呼ぶ。

 つまり、気絶したいのに、気を失えない。

 もうずっと吐き気が続いてる。

 頼むから、薬草をくれ。

 薬草と飲み物を。

 ホイミをかけてくれよ、シェラ。

 マグナでも、リィナでもいい。

 なんで俺だけホイミを使えねぇんだ。

 このクソ役立たずが。

 ヴァイエルは、なんで俺を賢者にしてくれなかったんだ。

 ていうか、ホイミって傷を治せる期間に限界があった筈だよな。

 ロッシと久し振りに会ったせいか、アリアハン時代にナターシャと共謀してハメてやった、ゴリラ兄の頬に残された癒えないひきつれを思い出す。

 確か、ホイミの効果が確実に及ぶのは丸二日くらい——個人差で三日目は怪しかったと記憶している。

 あと何日くらいで、マグナ達は帰ってくるんだ。

 運良く馬を調達できたから、最初の見込みよりは早く戻って来られる筈だ。

 最寄りの町までは馬なら三、四日、そこから洞窟までさらに一、二日って話だったから、王都から洞窟まで片道五日として、『ラーの鏡』探索にはどのくらいかかる。

 三日あれば見つけられるとして。

 全てがうまくいって、とんぼ返りしても、あと二日以内に戻ってくるのは無理だろう。

 どう考えても、三日は足が出る。

 周囲の闇より真っ黒な絶望が、胸を押し潰す。

 いま負っている傷を癒すホイミは、間に合いそうにない。

 というより、そもそも俺は、あいつらが戻ってくるまで生きてられるのか?

 正気を保っていられるのか。

 無理だ。

 自信がある。

 あの気色の悪い拷問吏に責め立てられたら、明日にはきっとマテウス達の情報は洗いざらい喋っちまう。

 けど、明日はそれで乗り切れたとしても、きっとそれだけじゃ開放されない。

 バルボサやミゲルは、マグナやリィナのことを聞き出そうとするだろう。

 あいつらのことだけは、喋る訳にはいかない。

 だが、正気を失えば、その決意もどうなるか分からない。

 それを確実に避けるには——死ぬしかない。

 頼む、早く戻って来てくれ。

 なんかの間違いでもなんでもいいから。

 なんであいつら、ここに居ないんだよ。

 なんで俺は、あいつらと一緒に行かなかったんだ。

 ロクに戦えもしねぇ癖に、なにカッコつけて一人で残ってんだ。

 違う、俺は一緒に行くつもりだったんだよ。

 だって、こんなの、本来はマテウス達がやるべき事だった筈だろ。

 急すぎてほとんど準備もできなくて、バタバタし続けて対応も後手後手で。

 あんなんで、ウマく行く訳がない。

 ああ、そうだよ、残るって決めたのは自分だよ。

 けど、どうせ散々いたぶられた末に死ぬんだ。

 泣き言くらい許してくれよ。

 いやだ、死にたくない。

 助けてくれ、エミリー。

 お願いだよ。

 痛みで意識は朦朧としている上に、考えていることもグチャグチャで、もう何もよく分からない。

「……っに……っく……ない」

 自分が音を発していることすら、自分で気付いていなかった。

 だから、それに反応したのは、俺ではない。

「なんだい、泣いてんのかい?」

 小声で呆れたよう囁いたのは、久し振りに耳にする声だった。

「ウチに、偉そうな説教くれた男がさ」

 蓮っ葉な物言いが、すぐに記憶を励起させたが、混乱してうまく意識と繋がらない。

「ぁ……」

 だが、認識する前から、縋るような視線を向けていた。

 実際には痛すぎて、ほんのちょっと、顔を動かすことが出来ただけだが。

 鉄格子の向こう側に黒々とわだかまる影の両耳の上辺りから、左右にまとめられた髪がぴょこんと垂れていた。

「ハッ、なにさ、そのザマは。くたばる寸前じゃないか。アンタ、助かりたいかい?」

 全く予想の埒外すぎて、まだ混乱が続いている。

 気の強そうなその声は、エフィの故郷で最後に別れた、ダーマの武闘家ティミのものだった。

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