46. The Other Side of Love

1.

 目醒めると、そこはなにやら見覚えのない部屋だった。

 どこだ、ここ?

 あれ、俺、何してたんだっけ。

 見知らぬ部屋だが、どこか懐かしい空気と喧騒。

 そして、遠い記憶に残る、甘い匂い。

「……ぁあ」

 声を出そうとしたら、喉が張り付いたみたいにほとんど音が出なくてギョッとする。

 その拍子に、徐々に意識が覚醒してきた。

 身を横たえていた、やや小振りなベッドから滑り落ちるように降りて、小物類で微妙に雑然とした室内をのっそりと歩く。

 カーテンと窓を開け、陽の光に目を細めながら、眼下に広がる景色に内心で頷いた。

 ああ、やっぱりか。

 目の前に広がっているのは、よく見慣れたアリアハンの城下町だった。

 いや、待て。

 俺は、アリアハンにいたんだっけか?

 右手で口を覆って考える。

 なんだか、物凄い悪夢を見てた気がするんだが……

「あっ!!」

 今度は、自分でもビックリするくらいの大声が出た。

 違うだろ!?

 俺はサマンオサに居て——

 慌てて部屋の扉に駆け寄って、はたと気付いて自分の格好を見下ろす。

 記憶のままの普段着だ。

 てことは——

 あのまま前後不覚に陥っちまったのか。

 情けねぇ。

 ていうか、誰が運んでくれたんだ。

 つか、ここドコだよ。

 ため息をついて頭を掻きながら、状況を確認する為に扉を開ける。

「おっと——」

 食事の乗った盆を掲げた小柄な人影と鉢合わせて、危うく踏み止まった。

「なんじゃ、ホントに起きておったのか、ヴァイス。リィナの言った通りの頃合いじゃな。すごいな、あやつ」

「エミリー……ここ、どこだ」

「どこじゃと思う?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべた顔には、しかし薄っすらと憔悴が残っていた。

「……全然分かんねぇ」

 少なくとも、ヴァイエルの屋敷じゃないことは確かだ。埃っぽくねぇもんな。

「ならば、お主も下に来て食べるがよい。あの寝ぼすけ共も、じきに起きてくるであろ」

「……あぁ」

 額に手を当てて、生え際を掻く。

 ダメだ。

 マジで、頭が働かねぇ。

 ってより、拒否してる感じだ。考えることを。

 嫌なことを思い出しそうで——

 慎重に盆の食事を運ぶエミリーの後に続いて、あくびを噛み殺しながら階段を降りる。

 そっか。当たり前だが、窓から町を見下ろしてたんだから、俺が寝てたのは二階なんだよな。

 そんなどうでもいいことを、ぼんやりと考えながら階下に着いた俺を出迎えたのは——

「マーサ。寝ぼすけが一人起きたのじゃ。他の寝ぼすけ共は、どうしておる?」

「あら、ご苦労様。リィナちゃんは、ホントに二度寝しちゃったみたいだから、しばらく起きて来ないんじゃないかしら。ウチのバカ娘は……いま見に行ったら、大口開けて寝てたわよ」

 聞き覚えのある声に、腹を掻いていた手が止まる。

「斯くいうエミリーちゃんも、他の子に負けないお寝坊さんだけどね」

「わらわは、随分前から起きていたであろ?」

「そうね、ようやくお昼前にはね」

 我知らず、背筋が伸びていた。

 眠気なんて、一瞬で吹っ飛んじまった。

 炊事場で昼飯の皿を手に振り返った、その人物は。

「はい、お待ちどおさま。ほら、早くお盆を置いて座りなさいな」

「うむ」

「お野菜なら、ほとんど大丈夫なのよね? 食べられなさそうなものは、いちおう抜いておいたけど、なにかあったら言いなさいね」

「世話をかける——うむ、大丈夫そうじゃ。ありがとう」

「いいえ」

 姫さんに微笑みかけた顔が、何気なくこちらを向く。

「座ったら?」

 小首を傾げて俺を促したのは、忘れる筈もない——

 それは、マグナの母親だった。

2.

「お、お久し振りです」

 俺は見っともなく吃りながら、ようよう声を捻り出した。

 ただでさえ起き抜けで乾いていた喉が、カラッカラだ。

 つか、まともに顔が見れない。

「なんじゃ、ヴァイスとは会ったことがあるのじゃな。皆、はじめましてじゃと、いじ——マグナは言っておったが」

 事情を知らない姫さんは、呑気らしくそんなことを口にして、茹でられた野菜をパクついた。

「ええ、前にちょっと。ね?」

 お袋さんは、いわくありげな目つきで俺を眺めた。

「は、はい。その節は、どうも、その……」

 俺の狼狽ぶりがあまりにも滑稽だったのか、お袋さん——マーサはぷっと吹き出す。

 ああ、そんな仕草は、やっぱりソックリだ。

「なぁにぃ? そんな怯えて。私でそれじゃ、もしかしてあの子は、普段からそんなに怖いのかしら?」

「はい……そりゃ、もう」

 いま怖いのはあなたですが。

「——ッ!? いえっ、とてもしっかりした、良く出来た娘さんです!」

 ぼんやりしたまま暴言を吐いたことに気付いて、慌ててフォローする。

 遅いか。

 マーサは頬に手を当てて笑いを堪えながら、申し訳無さそうな声を出す。

「ごめんなさいね。あの子、ホントに外面ばっかり良く育っちゃって。その分、一旦懐に入れた人には甘えてしまって強く当たることも多いと思いますけど、度が過ぎていると感じた時は、どうぞ叱ってやって下さいな」

 さすが、良くお分かりで。

 などと返す筈もなく、俺は「や」とか「は」とか曖昧な返事に終始する。

「心配いらぬぞ、マーサ。ちょうど昨日、こやつはマグナから、そんな役を仰せつかっておったからな」

 と、姫さん。

 例の『あんたにはあたしに文句を言う役をあげるわ』ってヤツか。

「あら、そうなの? あの子の方からそんなこと言い出すなんて、すごく意外だわ——ほら、どうぞ座って。早く食べてもらわないと、片付かないわ」

「あ、はい……」

 マーサに再び促され、俺は朝食——いや、昼食のテーブルにつく。

 それにしても、まさか目が覚めたらマグナの実家とは。

 そうか、魔王を退治することに決めたから、あいつ、実家に顔を出せるようになったんだな。

 なんというか、目に入る庶民的な家具といい、家自体の小ぢんまりとした造りといい、お袋さんが自ら炊事場に立ってることといい、城下町でよく見かける、ごく普通の中流家庭みたいに思える。

 いや、あいつから聞いてた通りなんだけどさ、あのオルテガの家でもある訳だし、もうちょい羽振りが良くてもよさそうなモンだが。

「その……マグナ、さんは、ちょくちょく戻ってきてるんですか?」

 そんな失礼なことを内心で考えながら、姑息な探りを入れる俺。

「それがなんと、これでまだ二回目なのよ。もう少し帰ってくるように、貴方からも言ってもらえると助かるわ。あの子、折角ちゃんとルーラを唱えられるようになったっていうのに、ねぇ?」

「はぁ、分かりました。俺が言っても無駄だと思いますけど、いちおう伝えます」

 二回目ってことは、おそらく前回は、俺と別れて魔王退治に行くことを決めた頃だろう。

 微妙だな。

 けど、「娘さんから、なにか聞いてますか?」なんて、アホ面下げてこっちから尋ねる訳にもいかねぇしな。

 ちらちらと様子を窺ってたら、炊事場を片付けていたマーサと目が合っちまった。

「ん? もちろん、聞いてるわよ~。色々ね?」

 マジすか。

 ていうか、なんで俺の考えてたことが分かるんスか。怖い。

「そんな物言いたげな顔をしてジロジロ見られたら、何を心配しているのかくらい分かるわよ」

 呆れたようにそう言って、マーサはタオルで手を拭い、棚からティーカップを二つ取り出した。

「それで?」

「……はい?」

 姫さんの分は既に用意されているので、俺の前と自分の席にカップを置いて、テーブルの真ん中に置かれたティーポットを、マーサは持ち上げる。

「私は大事な娘を、まだ貴方にお願いして大丈夫なのかしら?」

 それ——は。

 喉の奥が張り付いたように動かない。

 そうなんだよ。

 せっかく、よろしく頼まれたのにな。

 いつか、詫びに来なくちゃとは思ってたんだが、まさか、なんの気持ちの準備も無いこんな状態で問い質されることになるとは、考えてもみなかった。

 俺がひと言も発せない内に、二つのカップは紅茶で満たされる。

 椅子を引いて着席したマーサの視線を正面に感じながら、俺はようやく口を開いた。

「……分かりません」

 それは、考えて出た言葉じゃなかった。

 また随分と情けのないことを言ってるな、と頭の片隅で自嘲する。

「でも、そうありたいとは思ってます」

「……無理は、していない?」

 顔を上げると、マーサは気遣うような視線をこちらに向けていた。

「いや、そんな……」

 予想と違う成り行きに困惑を覚えつつ、手持ち無沙汰も相まって、俺は供された紅茶を一気に飲んで、ともあれ喉を湿らせる。

「別に、私からどうこう言うつもりは無いのよ? 貴方には貴方の考えがあってのことだろうし、それにホラ、ウチは、ちょっと特殊だから」

 そう言って、マーサは寂しげにはにかんだ。

「それを貴方が重荷に感じたとしても、仕方のないことだと思うわ。それであの子にも、ずっと苦労をかけて来たし、これからかけ通しになることも分かっているもの」

「……分かってたんなら、そっから遠去けるって手は、無かったんですか」

 ほとんど反射的に口が動いていた。

 俺が詫びを入れなきゃいけないのとは別に、これはずっと聞いてみたかったのだ。

 自ら「大事な娘」と表現したように、そして二年前に旅の扉までこっそり見送りに来たことからも察せるように、マーサは母親として娘に愛情を持って接しているように見える。

 ならば、別の土地に移り住んででも、娘をあんな困難から遠去けるって手もあったんじゃないか。

 それをせずに、結果的にしろ全てを娘に押し付ける形になってしまっていることに対して、何か思うところはないのだろうか。

「あら——なるほどねぇ。あの子が自分に苦言を呈するような役割を、貴方に頼む訳だわ」

 立ち入り過ぎているのは分かってる。

 どの口がホザくんだ、とも思う。

 けど、引き続きまだよろしくして貰えるのなら、俺だってこのくらいは聞いておきたい。

「そうね。それができれば良かったのだけれど……でも、そうするには——」

 だが、マーサは途中で弁解じみた言葉を呑み込んだ。

「……いいえ。きっと、貴方の言う通りね」

 そんな申し訳無さそうな顔をして欲しかった訳じゃないんだが。

「すみません。出過ぎたことを聞きました」

 そりゃ、情けなく気を失って、いきなり担ぎ込まれた男になんて、話せない事情もあるよな。特殊な立場に置かれた一家だし。

「ううん、違うのよ。ありがとう。あの子を案じてくれているのね、とても嬉しいわ」

 また、寂しげに微笑んだ。

 娘から聞かされていた印象とは、なんだか随分違うな。

「なぁに? そんな目で見つめて?」

 案外と話し易くて、つい口が滑る。

「こう言ったらなんですけど、ちょっと意外だったっていうか……もっと、こう、なんていうか——」

「鬼みたいな母親だと思ってた?」

 からかうように覗き込んでくる。

「ッス……いや、その、もっと厳しい人なのかな、とは思ってました。すみません」

 マーサの唇が、それまでの微笑とは趣の異なる薄っすらとした笑みを形作った。

「あの子が貴方に、私のことをどう伝えてるのか、大体察しがつくわね。まったく、稽古もあんなに優しくつけてあげたっていうのに、ねぇ? ごめんなさいね、ホントに甘ったれで」

「い、いや、そんなことないスよ」

 やっぱり、これ、怖い人だろ。現役時代は、いまの俺達より高レベルの冒険者だったんだろうしさ。

 ていうか——

「すいません。その……」

 この流れで、大変申し訳ないんですが。

「便所、借りてもいいですか」

 起きてそのまま連れて来られたんで、さっきから膀胱が破裂しそうなんスよ。

 一瞬、きょとんと動きを止めてから、マーサは肩を震わせた。

「ごめんなさい。どうぞ、使って。奥の勝手口から出てすぐのところにあるから」

「すまぬ、ヴァイス。気付かなかったのじゃ」

 詫びを口にする姫さんに片手を上げて、俺はいそいそと用を足しに向かったのだった。

 我ながらどうかと思うんだけどさ、だって、便所に行きたくて気もそぞろな方が失礼じゃねぇかよ。

3.

 アリアハンに住んでいた頃は、あまり意識していなかったが、いざ王都に戻ってみると、上下水道が整備されているのは非常にありがたかった。

 此処ここはやっぱり、かつて世界を支配した大帝国の首都なんだなと、今更ながらに実感する。

 いやー、それにしても、すげぇ出たわ。一生出続けるんじゃないかと思ったぜ。

 洗った手をブルブル振って水を切りながら、マグナの自宅の勝手口に戻る。

 家の近くを水道が通ってるのって便利だな。昔、俺が借りてた部屋なんて、井戸すら遠かったもんな。さすがに、その辺りの立地やなんかは優遇されてんのかね。

 裏口の扉に手をかけようとしたところで、中から覚束ない足音と寝惚けた声が聞こえて動きを止める。

「おはよ……母さん、ご飯……」

 マグナの声だ。

「あら、起きたの。あんたにしては、早かったじゃない——って、なんて格好してるのよ。ヴァイスさんが居るの、忘れてるんじゃないでしょうね?」

「ふぁ~あ……ふぇ? あいつ、もう起きたの?」

「うむ。つい先ほど起きて、下りてきたのじゃ。いまは、厠に行っておる」

「ふぅん、そうなんだ。も~……自分チなのに気ぃ遣うの、めんどくさいなぁ……大人しく、もうちょっと気絶してればいいのに」

「ほら、いいから早く着替えて、顔洗ってらっしゃい。そろそろ戻って来る頃よ」

「……はーい」

 うん。やっぱり、そうだ。

 マーサがそうであるように、マグナの方も母親に対しては、特にわだかまりは無いように感じられる。

 厳しく稽古をつけられたみたいだから、そういう意味で恐れてはいるようだが、基本的には他所の家の母娘関係とさして変わらないように思える——父親に対する感情と違って。

 やっぱり、ずっと一緒に暮らしてたってのが大きいのかね。

 つか、あいつのこんなに甘えた子供みたいな声、はじめて聞いたぞ。

「あ、母さん、昨日あげたジャム出しといて」

「はいはい。母さんにお土産にくれたんじゃなかったのね」

「あげましたー。でも、あたしも使うんですー」

 のそのそと踵を返してマグナが部屋に戻ろうとする音を、立てた聞き耳が捉える。

 おっと、そうは問屋が卸さねぇ。

「ていうか、じゃあ、あいつ部屋にいないのよね? 色々取って来とこっかな」

 たったいま戻ってきました、みたいな顔で勝手口の扉を開けた俺と、やおら体の向きを変えたマグナの視線が、バッチリ合った。

 どうして、こうなっちまうんだ。

「——っ!?」

 ああ、やっぱり成長してるな。

 薄くて短い夜着を身につけているだけだと、よく分かる。

 記憶よりも、出るべきところに厚みが増している。具体的には、胸と尻——

「……なにマジマジと見てんのよ」

 そう思うなら、腰に手を当てて堂々と胸張ってないで、少しは恥ずかしそうにしたらどうなんだ。

「いや、違う。見てるんじゃない」

 何を言っても怒られる気がして、反射的に軽口で躱そうとしちまった。

見惚みとれてるんだ」

 口にした瞬間に、ここがあいつの自宅だということを思い出す。

 このアホは、お袋さんの目の前で、何をホザいてやがるんだ。

「あー……いや、違うんです」

 誰と言うより、自分を落ち着かせる為に、上げた両手を床に向けて上下に動かす。

「これは、その、なんていうか——違うんです」

 俺は一体、誰に対して何を弁解しようとしているのか。

「……どうしましょう。成長した娘が男の人と生々しい会話を交わしてるところを、目の前で見せつけられるのって、思ってたよりキツいわ、エミリーちゃん」

「ほぅ、そういうものか」

 横手から、そんな会話が聞こえた。

「別に、いいけど。こんなカッコで出てきたのは、あたしなんだし——ていうか、そんなに恥ずかしい格好じゃないでしょ、これ? ロマリア辺りだと、あったかい季節は割りとみんな、こんな感じよ?」

 自分の姿を確かめるようにキョトキョト見下ろしていたマグナに視線を向けられて、うんうんと大きく頷いてみせる俺。

 お前が気にしないなら、俺は大歓迎だけど。

「大変よ、エミリーちゃん。ウチの娘が、私が思ってたのと違う意味でも自信家だわ」

「わらわがここしばらくのニンゲン観察で得た知識によれば、もう少し恥じらいがあった方が男受けするようじゃぞ、マグナよ」

 姫さんまで、何言ってんだ。

 つか、そういやフードを被ってないじゃねぇか。特徴的なエルフ耳が丸出しだ——まぁ、マーサにならバレても問題無ぇか。

「もー、そこの二人、うっさい」

 マグナは面倒臭そうに呟いて、俺をギロリと睨みつける。

「起きたんなら、部屋は返してもらうからね。もう入って来ないでよ?」

「あ、ああ。うん、分かった」

 何を言われてるのかいまいち理解しない内から、とりあえずコクコクと頭を縦に振っておく。

「う〜、あついよ〜……」

 その時、ダラけたボヤきが近付いてくるのが聞こえた。

 今度はリィナだ。

 こっちはまた、随分と重装備だな。いつもの道着姿じゃねぇか。

 そんな格好で寝てたら、そりゃ暑いだろ。終盤とは言え、アリアハンはまだ夏だぜ。

「うわっ、マグナ、まだそのカッコしてたんだ。恥ずかしくないの?」

「ハァ? あんたこそ、いっつも裸みたいなカッコで寝てるクセに、よく言うわね? ていうか、昨日の夜も、下着で寝てたじゃない。なんで、そんな道着なんて着てんのよ」

「いや……ホラ、さっき一回起きて、体動かして来たから」

「え、それでそのまま、また寝てたの? 汗とか大丈夫?」

「うん。ちゃんと体拭いて、別の道着に着替えて寝たから」

「はぁ? なんで、そんな面倒臭いことしてんのよ」

 マグナに問い質されて、リィナはちらりと俺の方を見た。

 そういえば、昔の自分の無防備さを反省してたな。

「マグナよ。お主に足りないものを、リィナは持ち合わせておるようじゃぞ?」

「お母さんも、これはリィナちゃんが正しいと思うわー」

 姫さんとマーサが、仲良く揃って茶々を入れる。

 いや、男心的には、薄着の方が嬉しいけどね。いまこの場には、俺以外に男がいないから、他の奴に見られる心配もねぇし。

 とか言ったら絶対に顰蹙買うから、口には出しませんけど。

「だから、意味分かんないってば。まぁ、いいわ——とにかく! あんたは、もうあたしの部屋に入って来ないでよ!?」

 階段に片足をかけて振り返りながら、マグナはビシィッと俺に人差し指を突きつけた。

「あ、ああ。分かった」

 良く分かってないけど。

 足音荒く階段を上るマグナを見送って、俺はテーブルの二人に問いかける。

「もしかして、俺が寝てたのって、マグナの部屋なの……ですか?」

 しまった、さんをつけ忘れた。

「ええ。貴方が担ぎ込まれた時に、すぐに用意出来るベッドがあの子のだけだったものだから」

「マジすか……ホント、すいません」

「私に謝られてもね。あの子も承知の上だったんだし、気にしないで」

 違うんスよ。

 それなら、もうちょいウダウダ微睡んで感触を楽しんどけば良かった、とか考えちゃったんスよ。

 ていうか、よく分かんねぇんだけど。

「なんで俺、この家に担ぎ込まれたんだ?」

「ああ、やはり覚えておらぬのか」

 姫さんに、なにやら気の毒そうな顔をされた。

「昨日、いつまでも泣き叫ぶお主を鬱陶しがって、リィナが気絶させたのじゃ」

 思わず、ブーッと唇が鳴った。

「いや、鬱陶しがってはないよ? ただ、ちょっとイラッとしたっていうか、面倒臭いなぁって思っただけで」

 リィナに釈明されたが、何が違うんだ。

「だって、ヴァイスくん、呼んでも泣くばっかで、全然答えてくんないんだもん。あのままだとルーラで運ぶのすら手間だったから、仕方なかったんだよ」

 はぁ、そうでしたか。お手を煩わせて、申し訳ありません。

 ていうか、あの、お母様もいらっしゃいますんでね。できたらキミ達、その、もう少し言葉を選んでもらえませんかね?

 情けなくて、死にたくなってきた。

「お主には済まなかったが、お陰で無事にアメリアとファングも、マグナのルーラで連れて来れたのじゃ」

 姫さんの台詞が、一瞬で俺を現実に引き戻す。

 そうだ。俺のことなんて、どうでもいい。

「あいつらは、いま何処にいる?」

「安心するがよい。二人とも、いまは宿屋で休ませておる。ファングはまだ臥せっておると思うが、会いにゆくか?」

「……いや、今はいいや」

 とりあえず無事なら、それでいい。

 特に何かを尋ねたりしなくても、これからやることは決まってるようなモンだしな。

「よいのか?」

「ああ」

「……ファングが連絡して来なかったことを怒っておるのじゃな。じゃが、あやつにしてみれば、したくとも手立てが無かったのかも知れぬではないか。であれば、しかたないであろ」

 いや、そんなこたねぇだろ。

 魔法協会に言伝ことづてを頼むだけで、俺が次に利用した時に伝わることくらい、あいつだって気付いた筈だ。

 というか、本気で俺と連絡をつけたければ、あいつは俺がヴァイエルに使役されてることを知ってるんだから、アレ経由で魔法使い共に頼めばいいだけの話だ。

 ファングの立場なら、おそらく連中も渋々承知しただろうぜ。

 けど、まぁ——

「そういう事じゃねぇんだよ」

 あいつは、そもそも俺に頼る気が無かったんだ。

 俺と、同じように。

 自分で意図したより、冷たい声音になっちまった。

 だが、いつもと違って、フォローの言葉を口にする気になれない。

 物言いたげな顔をした姫さんは、結局なにも言わずに軽く息を吐いた。

 すまねぇな。

 俺もまだ、いまのあいつを目の前にして、冷静さを保てる自信がねぇんだよ。

4.

「それでは、わらわはアメリアの顔を見てくるぞ」

 お袋さんが用意してくれた飯をありがたくいただいて、各々おのおの一息付いたり、マグナは自分の部屋を漁ったりした末に、そろそろアイシャが町長をやっている例の町に戻ろうという話になった。

 すると姫さんが、戻る前にファングとアメリアの様子を見てくると言い出したのだ。

 ちなみに、あの二人をアリアハンまで運んだ理由だが——

「——だって、あんな様子じゃ、あの国であの人達を安全にかくまうなんて無理でしょ?」

 マグナは当然みたいな口振りで、そう言ってのけたのだった。

 至極、尤もだ。

「ロマリアとかに連れてくのもあんたが嫌がりそうだったし、アリアハンだったらあたしにもツテがあって、母さんとかルイーダさんにも協力を頼めるだろうから、とりあえずここに運んできたのよ。なんか文句ある?」

 いいえ、何もございません。

 正直、的確な判断だ。

「ホントは、ウチに連れてこれれば良かったんだろうけど、あんたと違ってあたしはあの人達のことよく知らないし、それで母さん達を危険に巻き込む訳にもいかないから、別に宿屋を取ってそこで過ごしてもらうことにしたのよ」

 こっちの判断についても、非の打ち所がない。

 ルイーダさんに頼んで、交代で冒険者を護衛に付けてもらってるらしいし、対応としちゃ完璧だ。

 費用はどこから出ているのかと恐る恐る尋ねると、経費として王様連中に出させるから問題ないときた。

 何から何まで、すみません。

 まぁ、もし支払いで揉めるようなことがあれば、俺の方でもなんとか工面できなくはないだろう。一度、例の事業の方も進捗をレーベに確認しに行かないとなぁ。

 そして、今。

 すっかり出掛ける支度を済ませた姫さんに、本来は俺も付いていくべきなんだろうけどさ——

 返事を躊躇していると、意外なところから助け舟が出された。

「ちょうどいいわ。お母さんはヴァイスさんにお話があるから、貴女達はエミリーちゃんについて行ってあげなさい」

 マーサに言われて、マグナは不服そうな顔をする。

「えー、めんどくさい」

「そんなこと言わないの。こんな可愛い子を、独りで歩かせる訳にいかないでしょ」

「すぐそこなんだし、別に心配することないと思うけど」

 ゴネるマグナに、にっこりと無言で微笑みかけるマーサ。

「……分かった、行きます。行けばいいんでしょ。相変わらず強引なんだから——その代わり、コイツに変なこと吹き込まないでよ、母さん?」

「はいはい、分かってます。リィナちゃんも、いいわよね?」

「はい、もちろんです」

 普段と全然違う声の硬さに、思わずしげしげと眺めちまった。

 さっきから、どうも様子がおかしいと思ってたんだが、珍しい。あのリィナが、しゃっちょこばってるぞ。

「あの、昨日はお話聞かせていただいて、ありがとうございました」

 俺が情けなく気絶してた間に、色々あったらしい。

 前回はマグナ独りで帰って来たって話だから、リィナもマーサとは今回が初対面なのだそうだ。

「こちらこそ、懐かしかったわ。ありがとう。また、お話しましょうね」

「はい、是非——あと、その……今度、もう少し時間のある時に、稽古をお願いします」

「よしてよぉ。私が貴女に教えられることなんて、何もないわよ」

「そんなことないです。お願いします」

「えぇ~……困ったわね」

 マーサが困惑した声を漏らすと、隣りにいた腰の曲がった爺さんが横から口を挟む。

「よし! それじゃ、次は儂が稽古をつけてやろう!」

 この爺さん、誰かと思ったら、ついさっきマグナの父方の祖父だと紹介された。

 孫が出立すると聞いて、家の奥から見送りに顔を出したのだ。

「あはは、是非——マーサさんも、よろしくお願いします」

 爺さんには当たり障りなく返して、リィナは頭を下げつつマーサに重ねて頼み込む。

「……分かったわ。ご期待に添えるかは分からないけど、次の機会にね」

「ありがとうございます」

 緊張した声に、抑えようのない喜びが混じっていた。

 正直、リィナがどんなつもりでマーサにこんなことを頼んでいるのか、俺には測りかねるところがあった。

 何重もの意味で含むところがありそうだからなぁ。

 小さい頃にオルテガに拾われて命を永らえたことは、もう伝えたんだろうか。

 一段落した会話の隙間を埋めるように、諦念の溜め息が聞こえた。

「仕方ないわね。それじゃ行きましょうか、お姫さま?」

 面倒臭そうに促したマグナを、皮肉らしい目つきで見上げるエミリー。

「うむ。よろしく頼むのじゃ、勇者殿」

「……まぁ、変な取り合わせよね」

 出会った頃の二人の間には口論が絶えなかったモンだが、マグナもあれから少しは大人になったと見える。

 いよいよ出掛けるきわになって、ずいと一歩前に爺さんが進み出た。

「マグナよ。おまえの親父オルテガは、立派な勇者じゃった。この爺の息子じゃ」

——え。

 いきなり凄いトコにぶっ込んで来たな。

「そして、お前もこの爺の孫。その名に恥じぬよう、しっかりと務めるのじゃぞ」

 偉人との誉れも高い息子の正しさを、何ひとつ疑っていない口振り。

 爺さんの物腰からは、純朴だが単純に過ぎるそんな価値観が透けて見えた。

 それも尤もだ。目に入る全ての人間が同意してくれる事柄を、疑う必要なんて無い。

 爺さんにしてみれば、わざわざ確かめるのも馬鹿らしい、常識以前のごくごく当たり前のこと。

 悪意は無いどころか、ほぼ善意で構成された押し付けがましさ。

 過去のマグナは、おそらくこのような価値観に囲まれて過ごしていたのだ——そとではもちろん、家の中でまで。

 ここでは、おそらくマーサの方が異端なのだ。

 だが、マグナが返事に詰まったのは、ほんの一瞬だった。

「ええ。頑張ります」

 感情が篭っていないようにも聞こえる、ひどく平坦な抑揚。

 淡々と喋ろうが、感情を篭めようが、どうせ自分の気持ちなど伝わらない。

 頷いて、肯定の言葉を口にした事実しか意味を持たない。

 後は、勇者に思い思いの期待を掛ける人々に、都合の良いように解釈されるだけなのだ。

 遠い焚き火の夜の情景を、薄っすらと脳裏に蘇らせるマグナの態度だった。

 それでも、以前のマグナだったら、今みたいに答えられるかすら怪しかったと思う。

 ぽん、と軽く手を打ち合わせる音がした。

「はい」

 マーサだ。

「それじゃあ、いってらっしゃい。体には気をつけるのよ。リィナちゃんも、この子が無茶しないように見てあげてちょうだいね」

「はい。任せてください」

「もー。いつまでも子供扱いしないでよ、母さん」

「子供扱いしてないから、こうして旅立たせてるんでしょ。もう少し、こっちにも帰って来なさいね」

「……分かった」

 母親に認められた気がして嬉しかったのか、マグナは少しくすぐったそうな表情を覗かせた。

 マーサが喋ると、空気が変わる。

 ああ。きっと、マグナがマグナでいられたのは、このお袋さんがいてくれたお陰なんだな。

 ようやく気持ちが少し落ち着いてきたらしく、ここまで急な展開についていけなくて、気付かなかったことが見えてきた。

 と、マグナの目が、ジロリと俺を向く。

「あんたも、分かってるでしょうね? 中休みの鐘が鳴ったら、ルイーダの酒場の前に集合だからね?」

「了解、リーダー」

 昔、この地で口にしたのと同じ言葉で答える。

 あの頃は、こんな未来はとても想像できなかったな。

 これで良かったのかどうかは、まだ分からないが。

「それではな。色々と世話になったのじゃ」

 いまはフードを被った姫さんが、別れの挨拶を告げた。

「エミリーちゃんも、この子達につられて、あんまり危ないことしちゃダメよ?」

「うむ、安心するが良い。お主の娘と違って、わらわは争いごとなど嫌いじゃからな」

「あたしだって、別に好きじゃないんだけど」

 マグナはぶつくさと文句を言ったが、普段囲まれている面子と違って、この場ではさらっと聞き流されるのだった。

 俺の気のせいじゃなければ、マグナもその方が居心地良さそうだ。

 ちなみに、姫さんは見た目が子供過ぎて、その存在を爺さんは近所の子供が遊びに来た程度にしか認識できないらしく、ほとんど関心を示さなかった。

「それじゃ、失礼します」

 リィナが頭を下げると、こっちには爺さんも受け答える。

「おぅ。この爺の孫を、よろしく頼みますぞ」

「はい。お任せください」

 さっきマーサに返した言葉とほとんど同じだが、声の調子がリィナらしくもなく真面目ぶっていて、思わず笑いを誘われる——と、軽く睨まれて、慌てて表情を取り繕う。

 マグナの態度に合わせるように、リィナもダーマの一兵卒としての顔を意識的に表に覗かせているように思えた。

 別にこれは、爺さんがどうこうという訳じゃないんだが。

 二人とも、これ以外の返事は受け入れられないことが分かっているような割り切り方だった。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

「うん、いってきます」

 閉じられた扉が、軽く手を振る三人の姿を隠すと、早速爺さんが口を開く。

「——お供の護衛が、あんな娘っ子で本当に大丈夫なのかい。あの子は、勇者なんじゃぞ」

「ええ、大丈夫ですよ。リィナちゃん、とっても強いんですから」

 噛んで含めるようなマーサの言葉がロクに耳に入った風もなく、爺さんは不満を隠そうともしない。

「強いと言っても、所詮は娘っ子だろう。上に言って、もっとちゃんとしたお供をつけてもらった方がいいんじゃないのかい」

 口にされた内容は、爺さんの立場だったら至極尤もだ。

 文句のつけようがない。

 なのに、なんで苛ついちまうんだろう。

 リィナがどれだけ凄いか、頼りになるかを言って聞かせても、きっと右から左に聞き流されるだけなのだ。

 その未来が容易に想像できて、実際にそうするつもりが失せてしまう。

 だが、マーサは手慣れたものだった。

「心配いりませんよ。リィナちゃんは、あの人のお弟子さんなんですから」

「弟子って……オルテガのか!? なんじゃ、そうだったのかい!」

 爺さんの声色が、掌を返すように急に変わった。

「なるほど、それで娘っ子ながらに選ばれたんじゃなぁ。それなら、まぁ、ひとまずは安心かのぅ」

 息子の名前が出た途端に現金なモンだと思わなくもないが、納得してくれたならなによりだ。

 すると、今度はジロリと俺を睨みつけてきた。

「それで、お前さんも、あの子のお供だそうじゃな? なんだかヒョロっとして頼りないのぅ。気絶してウチに担ぎ込まれるような男に、勇者のお供がつとまるのかい?」

 正直、返す言葉もねぇな。

「すいません。ただ、俺は魔法使いなんで、体を動かすのは得意じゃないんですよ」

 暗にヒョロっとしてても仕方ないと言ったつもりが、全く通じなかった。

「フン。魔法使いだかなんだか知らんがな、男だったらもっと逞しくなきゃのぅ。儂の息子のオルテガなんぞ、腕の太さときたら、お前さんの腰ほどもあったもんじゃわい。お前さんのようなナヨっちい男に、とてもあの子を任せられる気がせんのじゃが」

 うーん。まぁ、仰る通りですがね。

 この爺さん、魔法使い自体を良く分かってないんじゃなかろうか。

「すみません。もっと安心してもらえるように、頑張ります」

 確かに、こう答えるしかないな、これ。

「ほら、お爺さん。あんまり言うと失礼ですよ」

「いや、しかしじゃな。儂は孫を心配して——」

「ヴァイスさんは、物を考える方であの子を支えてくださってるんです。とっても頭が良いんですよ。ねぇ?」

 きっとマグナは、俺なんていなくても、いつだって正しい判断を下せるだろう。

 ファングやアメリアを、この地に連れてきたみたいに。

 やや卑屈に考えつつ、流石にここで否定的な言葉を口にできなかった。

「や——いや、はい。恐縮です」

「なんじゃ、あんた、頭が良いのかい。てことは、どこぞの学生でもやっとったのかい」

 腰の曲がった爺さんは、皺に埋もれかけた目でジロリと俺を睨め上げた。

「いや、すいません。そんなに裕福な家じゃなかったんで、大学とかは行ってないんですよ。ただ、ヴァイエルって魔法使いに師事はしています」

 こういう時の言い訳の役にだけは立つな、アレ。

「フン、なら書生さんってことかい。魔法使いねぇ……なんだかよう分からんが、お上が決めたことなら、何がしかの意味はあるんじゃろうのぅ」

 お上には、逆に煙たがられてるんだが、それは黙っておいた方が良さそうだ。

「父親ほどじゃないにしろ、あの子も最近はなかなか活躍しとると聞いとりますが、それでも娘っ子じゃ。どうか周りの大人が守ってやってくだされ。孫を頼みますぞ」

 そう言って、俺の手を両手で握ってくる。

 皺だらけでカサカサの、小さい手。

「……はい。若輩の身ですが、お孫さんの力になれるように、精一杯努力します」

 型通りに言葉を発しただけだが、不誠実とは思わなかった。

 本心と掛け離れている訳じゃないし、何よりこう答えることを望まれているのだから。

 うんうんと、何度も頷く爺さん。

「なにとぞ、孫をよろしくお願いしますじゃ」

 しばらく握っていた俺の手を離して、爺さんはよたよたと壁に手をつきながら部屋に戻っていく。

 それを見送りながら、自分の裡でゆっくりと渦巻く、思ったよりも様々な感情を持て余していると、横からマーサの声がした。

「ごめんなさいね。お爺さんも、悪気がある訳じゃないのよ。あの子を心配しているだけで」

「いや、分かりますよ。全然、気にしてないです」

 この言葉に、嘘は無い。

 なにしろ爺さんは、最初から最後まで、尤もな事しか口にしていないのだから。

 マグナを心配しているのも、本当だろう。

 ただ、なるほどなぁ。

 そもそもの出発点から、根本的に自分とは考え方が違っていて、それは平行線を辿ったまま、一生交わることはなさそうだ、という気分には捕らわれてしまう。

 理解はできるが、マグナの気持ちを考えると、共感はできない。

 この感情は、きっと向こうには分からない。

 分かる必要がないからだ。

 向こうの方が、より一般的な価値観だとされていて。

 こちらが合わせるのが当然だと、無意識の内に前提とされているのが息苦しい。

 なんか、この二年くらい、ずっと根無し草の生活を送ってたから、久し振りに思い出したぜ、この感覚。

 俺がこの国に居た頃は、それを嫌って逃げ続けていたけれど。

 マグナは逃げることもできずに、ずっと独りで耐えてたんだよな。

——いや、まるきり独りって訳でもないか。

「それで、俺に話って、なんですか」

 俺はマグナの母親に、そう尋ねた。

5.

「わざわざ残ってもらって、ごめんなさいね。でも、あなたとだけ、ちゃんとお話ができてなかったでしょう?」

 新しい紅茶を注ぎながら、マーサはこちらを気遣う言葉を口にする。

「いえ。俺も、ちゃんと謝らないとって思ってたんで」

 カチャリ、と目の前に置かれたティーカップに視線を落としたまま、おそるおそる切り出した。

「え?」

 だが、マーサは思ってもみなかった、みたいな声を出すのだった。

「え?」

 あれ。てっきり、俺が怒られる流れだと思ってたんだが。

「どうして、貴方が謝るの?」

「いや、だって……前に『旅の扉』のトコで、マグナさんのことをよろしく頼まれたのに……それを裏切るようなことしちまったから……」

「あぁ、ヤダ、まだ気にしてたの? それでずっと、そんな顔してたのね」

 そりゃ、気にしますよ。

 ずっとね。

「ふぅん」

 俺の正面に腰をおろしたマーサは、肘をついた両手の甲に顎を乗せる。

 居心地悪いんで、じっと見つめるの止めてもらっていいスかね。

「話を聞いて、私は偉いなぁって思っていたけれど……その様子だと、自分でも分かってそうした訳じゃなかったのね」

「へ? 何がスか?」

「ううん。ごめんなさい、私の勘違い」

 ふふっ、と含み笑いをする。

 やっぱり、仕草がマグナとそっくりだ。

「謝らなきゃいけないのは、私の方なのよ」

「え?」

 それこそ、なんでだよ。

「だって、さっき貴方に叱られた時、私、少しホッとしちゃったんだもの」

「……はぁ」

 言っている意味が分からず、気の抜けた返事をする俺。

 マーサは、やや視線を落として続ける。

「断罪されたみたいで」

 思いがけない強い言葉に、俺はますます混乱する。

「やっと、それは駄目だって——誰かに叱ってもらえるんだって、ホッとしちゃったのよ。自分で思っていたより、私はあの子にしてきたことを、後ろめたく思っていたみたい」

 ああ、なるほど。

 そういうことか。

「なら、あいつに——マグナさんに、勇者なんて継がせないって選択肢も、やっぱりあったんじゃないですか?」

 マーサは手の位置を額に移して、ため息をいた。

「そうね……あったんでしょうね」

 いまさら、言ってもしょうがねぇか。

「すいません。責めるつもりじゃないんですけど」

「ううん、いいのよ。責めてくれた方が気が楽——なんて、言っちゃいけないわね。でも、たとえ、そういう道があったとしても、きっと私には選べなかったわ」

 マーサは頭を振って顔を上げ、紅茶を少し飲んだ。

「さっきそこにいたでしょ、あの人の父親」

「はい」

 爺さんのことだよな。

 よく考えたら、旦那の父親と二人で生活してるってことか。気を遣って大変そうだな。

「驚くかも知れないけれど、お爺さんは勇者なんてぜーんぜん関係無い、本当に普通の人なの。王都からそう遠くない農村で生まれ育った、とても純朴な人よ。もう亡くなった奥さんとの間にあの人が出来なかったら、きっと一生をその村でなんの不都合もなく暮らしたでしょうね」

 そこまで言って、マーサは苦笑した。

「いえ、今が不都合があるって言ってるんじゃないのよ? ただ、鳶が鷹を生む、って私が言ったら怒られちゃうけど、でも、周りからはずっとそう言われ続けてきたのよ。それこそ、何十年も。それでも、お爺さんは息子をこの世で一番誇りに思い続けているの。ずっと、変わらずにね」

 まぁ、言わんとするところは、分からないでもない。

 けど——

「いくらオルテガさんの娘だからって、それをマグナ——さんにまで背負わせるのは、どうなんスか」

「……そうね。でも、さっきのお爺さんは、ほんの一例。というより、すごくお行儀が良い部類なの。中には、なんで貴方がそこまで? っていうような、会ったこともない人が、父親であるお爺さんよりずっと遥かに入れ込んで、あの人を理想化していることも多いのよ。私も、もっとしっかり旦那を支えろって、知らない人からよくお叱りを受けるしね」

 いつの間にやら愚痴になっていたことに気付いたのか、マーサは自嘲した。

「つまり、多かれ少なかれ、あの人には昔からとても沢山の人達が期待を寄せていたし、またあの人ったら、その期待に応えられちゃう人だったから……」

「そのオルテガさんがいなくなって、期待の持っていきどころを無くした連中が、マグナに目をつけたんでしょ。分かりますよ。けど、それに応える義理なんて、あいつには本来、無かった筈だ」

『勇者って世襲なの?違うでしょ!』

 出会った時のマグナの言葉が、脳裏に甦る。

「そうね……貴方の言う通りだわ」

 次第に感情的になってしまう口調を、上手く調整できなかった。

「ていうか、旦那さんはどこ行ったんスか? マジで、家族残して。言いたかないけど、無責任じゃないスか。奥さんも娘さんも、こんなに困ってんのに。放ったらかして、どこをほっつき歩いてるんですか」

 マーサは、ひどく困ったような表情を浮かべた。

「ごめんなさい。でも、あの人を悪く言うのは止めてあげて。あの人は、本当に物語の勇者様なのよ。どこに行ったのかと問われれば、皆の期待通りに魔王を斃しに行ったんだわ」

「だから——っ!」

 それが、家族をないがしろにしていい理由にはならねぇだろ!

 そう口にするのは、辛うじて踏みとどまった。

 みんなとやらにしてみれば、たかだか一家族の事情が世界の命運と引き換えにできる筈がねぇからな。

 連中にしてみりゃ、俺が言おうとしたことの方がおかしいんだ。

 そして、それはマーサにはどうにもできない。

「身重になった私は、あの人についていけなくなった。それで、アリアハンに残ったのよ。皆、よくしてくれたわ。あの人の家族ですもの」

 自分に言い聞かせているような、含みのある口調。

 それはきっと、呪いのようなものだろう。

 世界中から認められた勇者の家族であるという事実は。

 これ以上、マーサを咎めるような言葉を吐く気になれなかった。

「オルテガさんて、いまどこにいるんですか」

 代わりに、まだ見ぬオルテガ——マグナの父親に、怒りが湧いてくる。

 あんた、こんないい奥さんと可愛い娘を放ったらかして、どこで何やってんだよ。

「暗黒大陸にある火山の噴火口に落ちたとかって噂は聞いたことありますけど、ホントなんですか?」

「ごめんなさい。それは、私からは言えないの」

 迂闊にも、全く予想していなかった答えだった。

 それで、ハッと虚を突かれた拍子に、すとんと腑に落ちる。

 俺が考えているよりも、オルテガ——勇者ってのは、国——いや、世界の重大事で、いまの言い回しが精一杯なくらいに、マーサは想像以上に不自由で——

「——もしかして、お母さんは、俺なんかが思ってたよりずっと、マグナを守ってたんですね」

 ついつい、そんな言葉が口から漏れた。

 だからマグナには、それでもある程度の自由が残されてたんだ。

 マグナもそれを感じ取っていたからこそ、お袋さんとは距離を置いてなくて。

 そんなお袋さんを置き去りにしたまま、帰って来ない父親を、なおさら許せなかった。

「娘が連れてきた男の人に、『お母さん』なんて呼ばれたら、なんだか照れちゃうわね」

 だがマーサは、冗談交じりに全然関係ないことを口にするのだった。

「からかわないで下さいよ」

「あら、そんなつもりじゃないのよ。ただ、まさか、こんな日が来るなんて思わなかったから……」

 やけにしみじみとした口振りで言うのだった。

「あの子は、いい子でしょう?」

「はい」

 内心で色々合わさって、思わず即答しちまった。

「本当に、こんな環境で、よくあれほど真っ直ぐに育ってくれたものだわ。世間の人が思う真っ直ぐとは、ちょっと違うかも知れないけどね」

「いえ、同感です。誰がどう言おうが、真っ直ぐですよ」

 そう断言することに、躊躇いはなかった。

 マーサは、ふんわりと微笑む。

「ありがとう。あなた達と会えて、あの子が思ったよりも人に恵まれていることが分かって安心したわ。これで、お爺さんと同じように、ただ勇者の娘というだけなら、生まれが珍しいで済ませることもできたのかも知れないのだけれど」

 マーサはティーカップを両手で包むように持ち、視線を落としたまま続ける。

「あの子のこと、お師匠様から何か聞いてる?」

 オルテガパーティの一員だったマーサなら、ヴァイエルと知り合いだったとしても不思議じゃないな。

 ただ、アレは別に師匠じゃないんだけど。

「それなりには。全部、完全に理解できてる訳じゃありませんが」

 自嘲に近い苦笑が聞こえた。

「それは、私も同じよ。あの人達の言うことは、私達人間にはいつだって難しくて、理解するのは大変だものね。ただ、貴方も知っての通り、父親だけじゃなくあの子自身も、なんだか生まれつき特別なところがあるみたいなの」

「らしいですね」

 事によったら、父親よりも。

「ふふ、なんでもないことのように言うのね。そう、あの人の娘というだけだったら、私でもどうにかできたかも知れない。でも、残念ながら、そうはいきそうになかったの。どうやっても、この世界はあの子のことを、きっと放っておかない。それなら出来得る限りは、あの子が自分で選択する余地を残してあげたくて——なんて、こんなことを貴方に言うべきじゃないわね。本当に母親失格だわ。ごめんなさい」

「いや……俺の方こそ、すみません」

 あいつに断りもなく、無条件に赦すような言葉を、俺が勝手に口に出来ないです。

「もちろん、それでいいのよ」

 まるで考えたことを見透かしたみたいに、マーサは俺に微笑みかけた。

「貴方、本当に偉いのね。多分、本来の性質たちとは違う役割までこなせるように、常に自分を律そうとしているのね。何かある度に考えて、少しづつ直して、積み上げてきたのが分かるもの。まだ若いのに、大したものだわ」

「いや、よして下さい。元がダメなんで、仕方なくです」

 マジで。

 褒められた内容を完全に把握できた訳じゃないが、どうあれそんなに持ち上げられることはしていない。

 マーサは、おかしそうにクスクスと笑った。

「そうね。そう答えるのが、あなたの性質なのね」

 一息ついて、柔らかい表情のまま続ける。

「それに、頑張っているのは分かるけれど、危うくもあるわね。これは、あの子のこととは関係なく、知り合いのおばさんがお節介を焼いていると思って聞いて欲しいのだけれど——」

 冗談めかした口調で、油断させられた。

「あまり他人のことまで、背負い込み過ぎないようにね」

 またしても予想と違うことを言われて、不意をつかれる。

「それこそ、あの子のことをお願いしている私が言えた義理じゃないけれど。でも、あの子が背負っている物はもちろん——今回のサマンオサの件だって、あなたが責任を感じることじゃないのよ。当たり前だけど」

「……」

「貴方は他人に頼りにされた方が、きっと力を出せる人なのかも知れない。それでも、忘れないで。他人の責任を全て肩代わりすることは、決して助けではないわ。誰にだって、ひとりひとり考えていることがあって、その結果や責任を全部あなたが背負い込むことなんてないのよ」

「……やっぱり、俺は間違ってますか」

 意図した以上に思い詰めた口調になっちまった。

 マーサは、しかし深刻ぶった素振りを見せずに、クスリと笑うのだった。

「いいえ、間違ってないわ。誰もが間違っていないのと同じ意味でね」

 それは——そうだろうけどさ。

 そういう答えを聞きたいんじゃないんだよな、という不満が顔に出ちまったらしく、マーサは取り成すようにはにかんだ。

「安心して。貴方はとても頑張っているし、それは周りの人達もよく見ているから。逆に、もう少し肩の力を抜いても大丈夫よ。思い詰め過ぎると、自分でも気付かない内に視野が狭くなってしまうものだから、時々意識的に立ち止まって、周りを見回すくらいの余裕を持てると素敵ね」

「……つい最近、別の人にも似たようなことを言われました」

 ロンさんに言われたのって、そういやまだ一昨日おとといか。

「俺って、そんなに余裕が無いように見えますかね。昔よりはかなりマシになったと、自分では思ってたんですけど」

「ほら、だから考え過ぎないの」

 マーサは、また苦笑を漏らす。

「お師匠様にも、叱られてるんじゃない? そんな、正解なんてものが、こんなところに都合よく転がっていたりはしないわよ。慌てないで?」

 確かに、アレがここに居たら、きっとボロクソ言われてるだろうな。

「ふふ、どうしてかしら。なんだか余計なことまで、色々と喋っちゃったわね。付き合わせてしまって、ごめんなさい」

『——あんたと居ると、つい余計なことまで喋っちゃいそう。昔、色々聞いてもらったせいかもね』

 おととい聞いたマグナの言葉を思い出していた。

 仕草だけでなく言葉の端々でも、二人が母娘であることを実感する。

 とはいえ、不思議な気分だ。そんなに聞き上手な方でもないと思うんだが。

「あの子が貴方のこと気に入ったの、なんだか分かるわ。母娘ですもの、その辺りも似てるのかしらね。頑張ってる人って、つい応援したくなるわよね」

「……まぁ、娘さんには、つい最近フラれたんスけどね」

 俺の見当違いな恨み節に、マーサは目をまん丸に見開いた。

「あら、そうなの?」

 そうなんスよ。

「でも、あまり気にしなくてもいいと思うわ。お互い、まだ若いんだし」

 それは、どういう意味ですかね。

 俺が口を開く前に、マーサは「よいしょ」っと掛け声とともに立ち上がった。

「さ、そろそろ開放してあげる。遅刻すると、あの子がうるさいでしょうしね」

 まだ時間的には少し余裕があったが、話は終わったということなんだろう。

 ただ——

「それで結局、話ってなんだったんですか?」

 俺が尋ねると、マーサはキョトンと呆けてみせた。

「え? だから、したじゃない。お話」

「へ?——ああ」

 ホントに話がしたかっただけなのかよ。

「私はただ、娘を預ける人がどんな人なのか、もう少し知りたかっただけよ。前はホラ、ほとんど話せなかったじゃない? だから、今日はちゃんとお喋りできて良かったわ」

「いや、まぁ……マグナさんの付き人としては、せいぜい頑張りますけどね」

 預けられても、それ以上は難しいスよ。

 なにしろ、フラれたんで。

「ええ。あの子、我儘で大変だと思うけど、行き過ぎたら叱ってやってね。どうか、よろしくお願いします」

 マーサは、姿勢を正して頭を下げた。

「……はい。出来る限りは」

 俺の返事は、煮え切らないように聞こえただろうか。

 だが、さっき自分で口にしたように、マーサは全てを俺に背負って欲しいなんて考えていないだろう。単純に、娘の身を案じているのだ。

 上げられた顔の少し寂しげな表情で、それが分かった。

「また顔を出して。今度はもう少しゆっくりと、旅の話を聞かせてくれると嬉しいわ」

6.

「フン。では、ヤツを見張ればいいと云うことか」

 顔の半分を鬱陶しく前髪で隠した男は、無駄に良い声で俺に念を押した。

「ああ、そうだ。怪しい連中と繋がりが無いか、しばらく監視してくれ」

 クリスはやはり有能だったと見えて、アリアハンからアイシャの町に戻った次の日に、再びサマンオサを訪れると、既にくだんの兵士を特定していた。

「フッ、怪しい連中と云われてもな。もう少し具体的に頼む」

 そこで俺達は、兵舎を見張って飲みに出掛けた兵士の後をつけ、こうして酒場の前まで来ている訳だ。

 ちなみに俺達とは、クリス、俺、そしてグレースから借りて連れてきたルーカスのことだ。

 ただし、クリスには兵士の面割りが済んだ時点で帰ってもらっている。

「あ、ああ。悪い。そうだな、筆頭は反乱軍だけど、良識派全般と関わりがないか調べてくれ。それから、逆に国王派と繋がりがないかもな」

「要するに、怪しいヤツと接触したら、と言うことだな」

「あ、ああ」

 最初から、もう何度かそう伝えてんだけど。

「それから、これが一番重要なんだが、クリスの話にあった『ラーの鏡』のことを知ってる女だけは、くれぐれも見逃さないようにしてくれ」

 クリスの知る限りの特徴は聞き出して、ルーカスも把握済みだ。

「了解した。だが、先刻告げた制約は、ちゃんと覚えているだろうな?」

 いま、路地の陰にコソコソと身を隠しながら、俺と喋ってるのがルーカスだ。

 ほら、いつも隅っこの方でボソボソなんか喋ってたヤツだよ。

「分かってるよ。女の方は、特定できたら後は俺が引き継げばいいんだろ?」

 諜報活動にかけては海賊団でもピカイチってんで借りてきたんだが、ホントに大丈夫なのか、こいつ。

 普段から自然と無視されているくらい影が薄いこいつには、確かにうってつけの役割なのかも知れないけどさ。

 俺は、つい先程のやり取りを思い出す。

——本来は、クリスでも特定できない女の方を中心に調べてもらうつもりだったのだ。

「フッ。断る」

 だが、それを告げると、ルーカスは前髪で隠れた方の顔を手で押さえながら、力強くきっぱりと断ったのだった。

 ていうか、なんなの、お前のその喋り方。

「えーと……理由を聞いていいか?」

「知れたこと。女の周囲をコソコソと嗅ぎ回るような姑息な真似は、俺には出来ん」

 はぁ。

 何言ってんだ、こいつ。

「だったら、隠れて調べるんじゃなくて、その兵士が接触した女に声を掛けて、直接探ってくれてもいいよ。こっちの意図と正体さえバレないように気をつけてくれればな」

「ハッ、馬鹿な。そのようなこと、それこそ出来る筈もない」

 馬鹿はお前だよ。

「なんでだよ?」

 俺が重ねて問い質すと、途端に口篭って物凄い小さい声で何事かをボソボソと呟く。

「……な……ら……ろ」

「あ? なんだって?」

「……かも……だろ」

「だから、もっとハッキリ言えって。なんか理由があんなら、ちゃんと考慮すっから」

「……好きになっちゃうかも知れないだろ……そんな、女とお喋りなんてしたら」

 は?

「しかも、クリスも言ってたじゃんか。普通に可愛い若い女だって」

 いや、クリスは十人並みって表現してたけどな。あいつ、案外辛辣だから。

「そんなの、ずっと近くで見たりお喋りなんてしたら、絶対好きになっちゃうだろ。そしたら、お前、責任取ってくれんのかよ」

 え、マジで何言ってんの、こいつ?

「——あ、あぁ、うん。ごめん」

「……別に、分かってくれればいいけどさ」

 いい歳した野郎が、スネた声して何をホザいてんだ。

 いかん、思考が完全に停止してる。

「フッ。それにだ。俺はグレース様に全てを捧げた身。その信頼を裏切るような真似は出来ん」

 なに急に、また声張ってんだ。

 顔の片側を押さえるそのポーズ、止めろ。前髪全部引っこ抜くぞ。

 あの海賊団って、船長以外は阿呆しかいないの?

 今更ながらに、グレースの苦労が偲ばれる。俺みたいなヤツでも参謀に引っ張り込みたくなる訳だよ、そりゃ。

「——ちょっと癖はあるけど、仕事はきっちりするヤツだからさ」

 借り受けた時に添えられたグレースのひと言がなければ、絶対にこんな仕事は任せなかったぜ。

 ロンさん達は、もうにやけ面に連れて行かれちまった後だし、あの町に戻って他の奴と取り替えてもらうことも出来ないんだからさ、頼むぜマジで。

7.

 そのロンさんが気にしていたライラの処遇だが、ちょっと面倒なことになった。

「かわいい子には、旅をさせろってね」

 呑気らしく勝手なことをホザくアイシャの顔を、俺は憮然として睨み付ける。

 早い話が、ライラもサマンオサに一緒に連れて行けと言われているのだった。

 そもそもは、アリアハンからあの町に戻った後に、ルーカスを筆頭として海賊団から何人か人手ひとでを貸してもらう相談を、グレースとしていたのだ。

 本音を言えば、グレース本人に来て欲しいところだけどね。

 喋ってるだけで考えがまとまるし、自分じゃ気付かないことを気付かせてくれるし、俺的にはすげぇ頼りになるからさ。

 とはいえ、さすがに海賊団のお頭その人を引き抜く訳にもいかない。

 それでなくても、このアホ海賊団のバカ共は、グレースの頭脳に頼り切りだもんな。

 借りた人員を返す手筈もあることだし、グレース達も南下しながら最終的にはサマンオサまで来る予定になってはいるものの、合流する頃には全てが終わっているだろう。

 というか、もし終わってなかったらヤバい。その時は、最悪の展開になっていること請け合いだからだ。

 そんなようなことをグレースと相談していたら、何処からかしゃしゃり出てきたアイシャが、寝惚けたことをホザき始めたのだった。

「さすがにライラちゃんに、何のおとがめも無しって訳にはいかなくってさぁ——うん、旨い」

 アイシャは、サイドテーブルに置かれた酒の肴を、断りもなくひょいひょい勝手に抓んで指を舐める。

「で、外国で見聞を広めて町長補佐としての経験を積むってタテマエで、実質的には町から追放して罰に代えるって話に落ち着いたのか」

 これ幸いと、俺達に押し付ける格好で。

「そそ。ま、そういうタテマエでいまだけ乗り切っちゃえば、後はどうにでもなりますよん。なんか文句言われても、『やだなぁ、最初っから勉強に出したって言ったじゃないですかー?』って白切ればいいだけだし」

「……マグナがいるから通る話だろ、それ」

 事実上、この町はあいつのお膝元みたいなモンだからな。

「いやん、そんな怖い顔しないでちょうだいな、お兄さん。マグナを利用するみたいになっちゃうのは謝るけどさぁ、元々こういう持ちつ持たれつな関係で構わないって言われたから、アタシらだってこんな世界の果てまで付いてきたんよ」

「……まぁ、そこはあいつとの間の話だし、その場にいなかった俺には、なんも言えねぇけどさ」

「お、相変わらず話が早いねぇ、お兄さん。まま、ウチの町の助役やらマグナの取り巻きのおじさま方の顔を立てる意味もある訳だしさ、そんな嫌わないで、連れてってあげておくれよん」

「……向こうが嫌がりそうだけどな」

 あのちびっ子、俺のことが大っ嫌いとか言ってたぞ。

「そこはまぁ、適当に仲良くしてもらうってことで。お互い子供じゃないんだからさぁ」

 物凄い適当に流された。

 少なくとも、向こうは子供じゃないですかね。

「それにさ、マグナがサマンオサの問題を解決したアカツキには、商機がそこら中にゴロゴロ転がるじゃんねぇ? そん時、ウチのモンがその場に誰も居ないなんて、あり得ないんよね」

「全部、お前の都合じゃねぇか」

「そんなことないよん。そこで上手く立ち回れるかどうかは、この町の発展に直接影響するんだし、それって結局マグナの評価に繋がるんだからさぁ。文句ばっか言ってないで、お兄さんこそ協力すべきだと思うよぉ〜?」

 アイシャは勝ち誇った顔で、にんまりと笑った。

「こりゃ、あんたの負けだね、ヴァイス。いいじゃないか、思ったよりは使えそうな子だし、連れてってやりなよ」

 他人事だと思って、グレースまでそんな無責任なことを言うのだった。

「ライラが外で経験積んでる間に、アタシはアタシで留守にしてた間に緩んだトコを締め直して、ライラちゃんが気持ち良く戻ってこられるようにしとくからさぁ。あ、もちろん気持ち良くかどうかは、サマンオサでのライラの働き次第だけどね。んだから、よろしくお願いされてちょうだいな、お兄さん」

 なにが「だから」なんだ。

 そいつは、お前らの都合だろっての。

 という反論を、既にマグナに絡めて塞がれてしまっている俺は、せいぜい憮然とそっぽを向くくらいしかできないのだった。

 くそ、すげぇ上手いこと丸め込まれた気がするぜ。

8.

 シェラとフゥマの関係も、ひとまず落ち着いたようだった。

 戻ってくるのが遅れた詫びを告げた後に、シェラにそれとなく様子を尋ねると、あれからちゃんと二人で話し合ったらしい。

 もちろん、すぐにどうこうという訳ではなさそうだが、不安な時にいつも浮かべる表情をしていなかったので、多分いい話ができたんだと思う。

「大丈夫です。その気になれば、いつでも話せますから」

 というシェラの言葉を、この時の俺は健気な強がりだと思い込んでいたのだった。

 そのフゥマや、そしてロンさん達との別れは、あっさりしたものだった。

 俺がルーラでこの町に戻って来られたのは、ロンさんがマーカーを持ったまま待っててくれたお陰だ。

 その礼を告げると、「そんなことより、ライラのことをよろしく頼んだぜ」と返された。

 あんたもいい加減、面倒見いいね。

 フゥマのアホは、別れ際も言葉少なだった。というより、俺のことなんか、どうでも良さそうだ。

 胸糞悪いことに、シェラとの間に流れる空気が、これまでとどこか違っていて、ちらちらと交わされる視線で通じ合ってる雰囲気が気に喰わない。

 ケッ、俺みたいにフラれちまえば良かったんだ。なに自分だけ上手いこといってんだ、クソが。

 そして、そんな二人の様子を、少し離れたところからココが、何故か物凄い目付きで睨んでいたりするのだった。

 睨み殺さん勢いの目付きなので、復讐の念に燃えてるんだとは思うが——これ以上、ややこしい事にならないといいな。俺はもう知らんけど。

 相変わらず存在感のないパクパは、それでもひと言ふた言リィナと言葉を交わしていた。

 ここも遺恨を残している様子だが、まぁ、リィナの事だから大丈夫だろ——って、こういう考え方がいけないのかね。でも、リィナに関しちゃ、何があってもどうにかしちまうだろって、つい思っちまうな。

 そして、連中を迎えに来たにやけ面に、ロンさんが持ってるマーカーについて問い質すと、予想通りにはぐらかされた。

「それはまさしく、極秘事項ですね」

「その割りには、あちこちにバラ撒いてるみてぇだけど」

 社長の商売敵共が使ってるのも、どうせ同じモンだろ。じゃないと、普通はルーラで跳べないトコに送り届けるサービスなんて、提供できる訳ないもんな。

「ああ、あれは我々ではありませんよ」

 だが、にやけ面はあっさりと首を横に振るのだった。

 そして、悪魔が人を誘惑する時に浮かべる笑みで、元からにやけた面を塗り潰す。

「その辺りの事情も、貴方が我々の仲間になって幹部待遇くらいまで上り詰めれば、自然と知ることが出来ますよ?」

「じゃあ、いいわ。こっちで勝手に調べっから」

「そうですか。では、残念ですが仕方ありませんね」

 案の定、淡白に引き下がる。

 どうせ、本気で誘ってねぇしな、コイツ。

 一方、マグナの取り巻き共と話をつけるのは、もう少し手間だった。

「——我々だけ本国へ戻れなどというご指示には、到底従えません!」

 ロマリアから派遣されたと聞いている少壮の男に物理的に詰め寄られて、マグナの顔に隠し損ねたウンザリとした表情が過ぎる。

「だから、先行してサマンオサの様子を見てくるって話は、行く前にしたでしょ?」

 ため息を誤魔化すように、伸びた髪を掻き上げる。

「実際に見てきたら、聞いてたよりずっと危険そうだったのよ。普段の魔物退治だったら、あなた達にはいつもみたいに後ろで控えててもらえばいいけど、サマンオサではそうもいきそうになかったの。魔物がどうこうってだけじゃなくて、もし暴動とか内乱とか起こったら、あなた達まで巻き込まれちゃうでしょ? 魔物相手ならともかく、人間が原因のことまで面倒見切れないわ」

「なんと——それほど逼迫した状況なのですか」

「ええ。あなたのところの王様から聞いてた話より、遥かにね」

 苛ついているらしく、チクリと嫌味を忍ばせるマグナ。

「要するに、一緒に連れてったら安全を保証できないって言ってるの。それとも、死んでも文句言わない? だったら、連れてってあげてもいいわよ」

「いや、それは……」

 明らかに尻込みをする取り巻き共。

 その様子から、勇者って名目の女の子に、これまでも危険を押し付けてきたことが窺える。

 だが、それも仕方がない。こいつらは、見るからに武官て感じじゃないもんな。

 おそらく立身栄達の手順のひとつとして、ロムルス国王陛下をはじめとした国主達の覚えが良いマグナに付けられたって事情なんだろう。というか、出世街道的にはどちらかと言えば傍流の連中が、一発逆転に賭けたってな感じなのかね。

 ともあれ、本来だったら、もうちょい荒事向きの騎士だの兵士だのにあてがわれて然るべき役目だろうに、そうじゃないところに後ろにいる連中の思惑が透けて見える。

 これはあくまで勇者様御一行であり、どこかの国の代表であってはいけないのだ。マグナ本人のつもりは当然として、タテマエとしてもそうでなければ、何かと都合が悪い連中がいる訳だ。

 各国から出されたのは、マグナに対するお目付け役に過ぎず、それ以上の意味や意図は無い。そして、活躍して名声を得る主役は勇者様でなくてはならない。

 ロランあたりは特に、そう考えているだろう。

「しかし、我々だけで、そのような重要な判断を下すことはできぬ……まずは、本国に計ってみなくては……」

 こちらは確かポルトガから派遣された中年のおっさんが、直接言うのが恐ろしかったのか、ひとりごちるように誰にともなく呟いたのを、しかしマグナは聞き逃さなかった。

「だから、どうやって連絡をとるのよ」

 呆れたようにマグナに問い詰められて、不服そうな顔で押し黙るおっさん。

 ジツは、いまなら本国のトップ連中に話を聞いて回ってから、ルーラでこの町に戻ってくることも不可能じゃないんだが、お互いに思い至っていないようなので黙っておく。

「大体、あなた達は旅先での裁量権を各々に認められている筈でしょ? それを条件についてくる事を許可したんだから、違うとは言わせないわよ」

 真っ直ぐに問われて、お目付け役連中が言葉に詰まる。

 へぇ、そんな条件つけてたのか。つまり、邪魔になったらすぐに追い返せるようにだろ?

 あの交渉下手だったマグナが、随分と頭を捻ったんだな。

 元々、頭の回り自体は早かったから不思議じゃないが、なんだかしみじみしちまうね。

「それは、そうなのですが……」

「王様達にも、じゃ——危なくなったすぐに帰すようにって、くれぐれも頼まれてるのよ。だから、そうしないと、むしろあたしが怒られちゃうわ」

 多分、実際は逆だな。

 向こうから帰すように頼まれたんじゃなくて、邪魔になったら追い返して構わないって条件で、マグナの方が渋々ながらにお目付役の同行を認めさせられたんだろう。

 ただ、おっさん共にしてみれば、このまますごすご追い返されたら、評価に響きそうだもんな。経歴に箔をつける為に、こんな危ない旅についてきたってのに、逆に評価を下げたんじゃ本末転倒もいいところだ。

 だが、そんな事情は、マグナの知ったことではないのだった。

「いいから、これ持って戻りなさい。あなた達になんら非のないことは記しておいたし、サマンオサの件が片付いたら、ちゃんと報告にも回るから。あたしの一存で帰したんだって、そこで改めて説明すれば、あなた達に迷惑はかからないでしょ」

 おそらく、面倒臭くなってきたんだろう。

 マグナはそう言って、お目付役連中に親書をぞんざいに押し付けるのだった。

 列強の国主に認められたご立派な勇者様とは言え、まだ十代の少女にここまで気を遣われて、なおゴネ続けるのは、流石に体裁が悪い。

 仕方ありませんなとか、お手を煩わせるのは本意ではありませんからな、とかブツクサ言いながら、不承不承といった体でおっさん達は親書を受け取った。

 その実、内心では危険なサマンオサなんぞに同行せずに済んでホッとしてるんじゃなかろうか。

 お互いの実利が噛み合ったからこそ、マグナが体裁を整えてやることで、無理な話が通ったのだろう。

「それじゃ、船の方はよろしくね。ポルトガから先は陸路で戻ってもいいし、そこはそれぞれに任せるけど、近くまで船で送れるようなら船長には話しておくから」

 だが、噛み合っていない連中もいたりする訳で。

「我々は、いかがいたしますかな」

 ダーマのノルブとかいうおっさんが、本命登場と言わんばかりの勿体ぶった態度で口を挟んできた。

 世界からほぼ隔絶しているダーマの意を受けたコイツラに関しては、他の連中とは出自が違う。

「知らないわよ——」

 勝手にすればいいでしょ。

 咄嗟に出た言葉は、辛うじてマグナの口の中で押し潰された。

 俺は予想していたから聞き取れたが、実際はもごもご言ってるだけだったので、ノルブ達には分からなかっただろう。

「——あなた達には、船の護りを任せたいわ。だから、あの人達と一緒に戻ってロマリアで待機しててくれる? これを持っていけば、ロラン——ロムルス陛下に話は通じるから」

 マグナが差し出した親書を、ノルブは受け取ろうとしなかった。

「ふむ。聞き方がよろしくなかったようですな。我々ダーマを、彼らと一緒にされぬよう。勇者マグナよ、我々は常に貴女と共にある。儂が尋ねたのは、今後我々がどう動くのかという話です」

 相手に全てをぶん投げている癖に、上から目線の言い草を恥じない性格は、相手の感情を逆撫でする才能を感じさせる。

 それでなくても、この一連のやり取りが、マグナは面倒臭くて仕方なかったに違いない。

「うるっさいわね……」

「——な、なんですと?」

 ノルブが始終この調子だったとしたら、ここまでの旅の間にも、色々と鬱憤が溜まっていたんだろう。

 マグナはあっさりと限界を迎えた。

「そもそも、あたしはあなた達がついてくることを許可した覚えがないんだけど?」

「なっ——!?」

「ダーマからはリィナが出されてるんだから、それで十分でしょ? って言ってるのに、断りもなく勝手についてきたんじゃない。大体ねぇ……こんなこと言いたくないけど、あんた達が同行することでかかる費用って、どこから出てるか分かってんの?」

 マグナの口振りからして、ホントに勝手について来たんだな、これ。

 ダーマの連中は独自の理屈で動いている分、損得で勘定できないから、余計に性質たちが悪いな——ついでに、世界で通用する金も持ち合わせていないらしい。

「ご、ご乱心召されたか。我がダーマは、貴女の実父でもある勇者オルテガ殿との盟約により——」

「あの人がした約束なんて、知らないわよ」

 マグナは不機嫌そうに、ノルブの反論を切って捨てた。

「あんた達は、あたしが魔王退治を引き受けた時に、あらゆることに対して最大限に配慮するって誓ったのよ。いい、最大限の配慮よ? 分かったら、ぐだぐだ文句を言ってないで最大限に配慮して、あたしの言うことに従いなさい」

 有無を言わせぬ口調に、ノルブは助けを求めるように顔を向けたが、リィナはあからさまにそっぽを向いて視線を合わせようとしないのだった。

「……ならば、せめてこのジミーめをお連れ下さい。誰も同行しないことだけは、ダーマとしても認められませぬ」

 同じく後ろに控えていた子犬くんが、急に話を振られてきょときょとする。

 その母性本能をくすぐるようなあざとい仕草、イラッとするからやめてくれる?

「だからぁ……リィナがいるから必要ないでしょ? って言ってるの」

 マグナさんの苛つきも、絶好調だ。

「い、いや、しかしですな、そやつは筋で言えばポタン派にもアジジ派にも、どちらにも属していない訳でしてな、それで十分と言われましても——」

「あんた達の派閥のことなんて、知らないわよ」

 取り付く島もない物言いは、マグナの真骨頂だ。

「だいたい、ジミーまで連れてったら、船の護りが手薄になっちゃうけど、そっちは大丈夫なの? 航海中のあなたの安全にも関わるんだけど」

「そ、それは……」

「あのね、別にあなた達を追っ払おうと思って、こんなことを言ってる訳じゃなくて、船を護って欲しいのは本心なのよ。ポルトガ王から貰った大事な船だもの、無事に向こうまで送り届けてくれると助かるわ。もしどうしてもって言うなら、向こうに着いた後にルーラでサマンオサに跳んで合流すればいいじゃない」

 最初にガツンと、続いて態度を軟化させて、しかも盟約とやらを盾に取るような発言をされては、ノルブとしてもそれ以上強く言うのは難しい。「むぅ」とか唸り声をあげて、口を噤んでしまう。

 それにしても、大したもんだな。

 大人の男達を相手に、実に堂々としたマグナの立ち回りだった。

 もちろん勇者という補正があるにしても、本来はただの少女に過ぎないマグナとおっさん連中とでは、そもそもの立場が対等ではないのだ。数少ない自らの強みを最大限に活かさなければ、実は特別な地位や身分を持っている訳ではないマグナが、それらを持っている大人達と渡り合える筈もない。

 それが、対等どころか一目も二目も置かれている。

 ロマリア人の男を筆頭に、比較的歳の若い何人かは、ほとんど心酔に近い態度で接していたりするのだ。

 俺が行動を共にしていなかったここ一年で、積み重ねた勇者としての活躍が、よほど見事なものだったに違いないと、改めて思い知らされるのだった。

9.

「あの女か?」

「そうだ。『ラーの鏡』とやらがあるとしたら、あの女の故郷の村にほど近い洞窟だろうという話だ」

 例の兵士に張り付けて三日ほど。

 思ったよりも早く、ルーカスはクリスの言っていた女を特定していた。

 さらに翌日には、女が王城の厨房で働いてることが判明し、いまは日が暮れる時分じぶんに仕事終わりを待ち伏せているところだ。

 ふぅん。

 死角から件の女を眺めつつ、俺は内心で顎など擦る。

 クリスの評は、賛否の分かれるところだな。

 癖のあるハッキリとした目鼻立ちは、好きなヤツは好きそうだ。

 何を隠そう、俺は好きな方。

 中肉中背というには、やや細身なところも好みだ。人によっては貧相と表現するかも知れないが、実は俺、胸はそんなに無くてもいいんだよね。

 おそらく年上なところも、何気に好印象だ——って、そんなことを考えてる場合じゃなかった。

「では、後は任せたぞ。俺は引き続き、彼方あちらの兵士を見張らねばならんのでな」

 重々しい口調とは裏腹に、ルーカスはキョドキョドしながら、そそくさと立ち去った。

「おう、お疲れー。ありがとな」

 振り返りもしない背中に声を掛ける。

 心配してたより、仕事は出来る奴で助かったぜ。

 あの様子だと、本人が心配していた通りに惚れかけてるっぽいし、面倒な事になる前に引き渡しが済んで良かったよ。

 つか、いくらなんでも惚れっぽ過ぎるだろ、あいつ。

 さてと、こっちはどうすっかな。

 いきなり声掛けても、不審がられちまうだろうし。

 絶対失敗しないように引っ掛けるのって、案外難しいな。

 とかなんとか考えつつ、角を曲がった女の後を、少し間隔を空けて追う——と、曲がってすぐの所にいた誰かとぶつかりそうになって、慌てて身を躱す。

「っと。悪ぃ」

 くるっと半回転して立ち止まると、見覚えのある女が腕組みをして、こちらを眺めていた。

「私に、何かご用ですか?」

 得意げな顔してやがる。

 俺の尾行はあっさりバレて、待ち伏せられていたらしい。

 けど、ただ言い寄ってきただけの男に向けるにしちゃ、やけに強い視線だな。普段からこんだけ警戒心が強いってことは、やっぱり訳ありかね。

「え? いや、何も?」

 とりあえず、トボけて様子を見るか。

 しばらく俺を睨みつけていた女は、やがてふいと視線を逸らした。

「なら、いいんです。ごめんなさい」

 軽く頭を下げて立ち去ろうとする女を、一拍置いて呼び止める。

「え、そのまま行っちゃうのかよ。そりゃねぇだろ」

「だから、謝ったじゃないですか」

「謝りゃなんでも許されるのかよ。自分から因縁つけといて、随分な言い草だな」

 ふぅ、と女はため息を吐いた。

「でしたら、どうすれば?」

 俺の態度で、薄々勘付いてはいるんだろう。

 なのに拒絶する感じが無いから、いけちゃいそうだな、これ。

 なるべく警戒を解いてもらえるように、何も考えてない軽薄な感じに声音を調整する。ダヴィほど上手くはいかないが。

「そこらで一杯、奢ってくれよ。そしたら、チャラってことにしていいからさ」

「え、私が奢るんですか?」

「そりゃそうでしょ。不満なら、二杯目は俺が奢るけど?」

「それって、意味あるんですか?」

 女は、クスッと苦笑した。

 特別なところは何もなさそうな、言っちゃ悪いが平凡な女。

 いや、我ながら失礼なことを考えてるのは分かってるよ。

 けど、なんだかひどく安心するんだ。

 あいつと出会う前の俺だったら、多分いい仲になったんだろうな。

 そんな、久し振りの予感を覚えていた。

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