45. Not Too Late

1.

 サマンオサの都にある魔法協会の建物から、外に出た瞬間に分かった。

 想像していたより、状況が遥かに悪い。

 くそ、俺は間に合ったのか、これ?

「なんだか、みんな暗い顔してるね」

 後から出てきて横に並んだリィナの呟きを聞いて、内心で深く頷く。

 道行く住人の顔色が、皆一様にすぐれない。

 どこか空気までもがけぶっているみたいに、遠くまで見通せない息苦しさが充満しているように思えた。

「……こんなに活気の無い街は、いまの時代にしたって珍しいわね」

 続いて表に出たマグナが不審げに漏らしたように、通りをまばらに行き交う人影からは、まるで生き霊と見紛うほどに生気が感じられないのだった。

 さながら、刑の執行を待つばかりの死刑囚のように——とは、先入観に引っ張られすぎた印象だろうか。

 歴史を感じさせる荘厳な建造物や、よく計画されたことが窺える整えられた街並みは、ここが確かに世界でも屈指の大国家の首都であることを辛うじて伝えていたが、容れ物が立派であればあるほど、そこに暮らす人々の生命力の無さとの対比が、より鮮明に際立って感じられた。

 一言でいえば、辛気臭い。

 ここに居るだけで、気が滅入りそうだ。

「ヴァイス、見るがよい——」

 袖を引かれて下を向くと、姫さんが通りの先を凝っと見つめていた。

 その視線を追うと、棺桶を担いだ男達を先頭に、押し殺した声ですすり泣く一団がこちらにやって来るのが目に入った。

 建物の壁際まで下がって道を空ける。

 重い足取りで前を過ぎ行く人々は、ほとんどが悲痛に顔を歪めていた。

「ねぇ。もう父ちゃんは帰ってこないの?」

 状況が理解できないのだろう。

 幼い子どもだけが、きょとんとした顔つきで、母親と思しき女の服を引っ張って、繰り返し尋ねていた。

「……葬儀というものじゃな」

 フードの端を引っ張って目深に被り、姫さんが沈んだ声を出した。

 エルフには、あまり馴染みの無い慣習だろう。

 見ると、街外れに建っている魔法協会から、さらに一町ほど進んだところに墓地があった。

 そこに消えた一団の方から、やがて厳かな声に混じって、悲嘆に暮れた呻き声や、おーいおいと号泣する女の泣き声がここまで届く。

「我々の良き隣人であったブレナン氏は、今日このよき日に神の御許に召されました——」

「あんたぁ……何で死んだのよぉ……」

「ブレナンよぉ……お前はいい奴だったのになぁ……」

「——あぁ。ブレナンさん、助かりませんでしたか」

 魔法協会の方から声が聞こえて振り向くと、事務員の男が入り口から半歩身を乗り出して、墓地の方を窺っていた。

「これで城内に、主だった良識派は誰も居なくなってしまいましたねぇ。私もそろそろ、本気で身の振り方を考えなきゃ」

 さっさと引っ込みかけた男に、声をかける。

「ちょっと待ってくれ。あんた、事情に詳しいのか? 良かったら、知ってる事を教えて欲しいんだけど」

「いえ、詳しいだなんて、とんでもない。皆が知ってる事しか知りませんよ」

 飄々とうそぶいても、逃がさねぇぞ。

 俺は、それすら知らねぇんだからよ。

「それで構わねぇから、頼むよ。現地の人間に、ちょうど話を聞きたかったんだ」

「はぁ……何をお尋ねになりたいので?」

 事務員の男は用心深そうな眼差しで、こちらの一行——俺、エミリー、マグナ、リィナを順繰りに眺めた。

 聞きたいことか。

 そうだな。まずは、小手調べをさせてもらおうか。

「さっきのあんたの口振りだと、いまそこの墓地で送られてるのは、この国でもそれなりの地位にある人間だったのか?」

 姫さんが体の前で印を切って、両手を合わせて祈りを捧げていた。

 ニンゲンの教会式のお祈りだから、おそらくエルフの森で一緒に過ごした間に、シェラに教えてもらったんだろう。

 リィナやマグナも、それに倣う。ダーマ出身のリィナは、見様見真似といった感じだったが。

「そうですね。そう言って構わないかと。身分は然程高くありませんが、逆にそれで目線が近くて庶民に慕われてましたね。本来は、ここからひと月もかかるような遠方の領地を治める御一家の出身ですが、お兄様がいらっしゃるので、自身はお城仕えをする為に、こちらに居を移したのだと聞いています」

 ほら、やっぱりな。

「なんだよ、詳しいじゃねぇか」

「いえいえ、ほとんどが伝聞で、あとは仕事柄ですよ」

 などと韜晦されたが、これは当たりを引いたっぽいな。

「それが、なんで——」

 本格的に質問しようとしたところで、事務員の男は唇に指を当てて「シッ」と鋭く呼気を発し、急に辺りを見回して声をひそめる。

「あなた方は、つい先程アリアハンからいらした方々ですよね。この国の事情については、どのくらい御存知で?」

「多少、聞いてる程度だけど」

 男は探るような視線を俺に向けて、今度は眉をひそめた。

「魔法協会の事務員として、少しばかり忠告させていただきましょう。協会の建物から一歩でも外に出たら、この国では滅多なことを口にするもんじゃありません。どこで誰が聞いているか、分かりませんからね」

「……話には聞いてたけど、そんなに用心しなきゃいけないほど物騒なのか」

「お命が惜しければ、出来得る限り注意することです。そちらの墓地で送られているブレナン氏も、密告が元で引っ立てられて、酷い拷問を受けたのだと聞いています」

 マジかよ。

「そういえば、サレス家の坊っちゃんも一緒だった筈だけど、あっちは大丈夫だったのかな——ああ、いや、こちらの事です。あの方も、随分と目をつけられていたものだから」

「そう言うあんたは、こんな事を俺達と喋ってて大丈夫なのか?」

 ヒソヒソと小声で会話してはいるものの、そんな風に言われると、なんだか心配になってくる。

「ま、私の片足は、まだ建物の中に残ってますから。いちおう、協会の敷地内ということにしておきましょうよ」

 やや悪戯っぽい笑顔を見せる。

「それに私も実は、この国の人間じゃありませんのでね。いまさっき転属願いを提出する決心を固めたところですから、どうぞお気になさらずに」

「そりゃ、こっちはありがたいけどさ」

 本当に大丈夫かね。

「これでも協会に籍を置く身ですから、多少の事情は察せます。私だって、それなりに長くここに勤めておりましたのでね。この国に対して、思うところが無いではありません。一発カマしてやるおつもりなんでしょう?」

 マグナの方をチラリと見て、ニヤリと笑う。

 さすがは有名人。魔法協会員くらいになると、最近は名乗る前から正体バレバレか。

「……いまは少しでも情報が欲しいんでな。正直、話を聞かせてもらえるなら助かるよ」

「なら、これ以上は、中で喋った方がいいんじゃない」

 素っ気なく言いながら、マグナがさっさと脇を抜けて建物に戻る。

「え、なになに? どうしたの?」

 よく分かっていない顔つきのリィナに、身振りでマグナについて行くように促す。

「ちょっとばかし、予定変更だ。とりあえず、中に戻っててくれ」

「はーい?」

 首を捻りながら、リィナも大人しくマグナに続く。

「ヴァイス……」

 残されたエミリーは、ひどく不安そうに俺を見上げた。

 差し上げられた小さな手を握り返しながら答える。

「分かってる。気が焦ってるのは、俺も同じだよ。けど、下手に動くより、まずは状況を確認しよう」

「……そうじゃな」

「大丈夫。絶対に、俺がなんとかしてみせるから」

 握る手に力が篭り過ぎたのに気付いて、慌てて離す。

 我ながら、らしくないセリフだった。

 半分は、自分を鼓舞しているのだ。

「……バカめ」

 しばらく俺を見詰めてから、姫さんは小さく呟いて視線を落とした。

 聞こえなかったフリをして、俺は事務員の男に声をかける。

「それじゃ、話を聞かせてもらえるかい。えぇと——」

「クリスです。ま、お話が終わったら、もう関わらないようにいたしますのでね。憶えていただかなくても、構いませんですよ」

2.

 協会の建物に戻った俺と姫さんを出迎えたのは、奇抜な色使いの衣服を身に纏った奇妙な髪型をした小柄な女だった。

「ねぇ。もう帰っていい?」

 でっかい巾着みたいなバッグを背負い直しながら、言葉少なにボソッと尋ねる。

 ほら、この前、大海妖クラーケンを斃した時に協力してもらった、七人の魔法使いのひとりだよ。

 俺はまだ、サマンオサに来たことが無かったからな。

 ホントはイリアにルーラで連れて来てもらうつもりだったんだが、生憎と冒険に出ていて捕まらなかったので、暇そうにしていたこの女に代わりを頼んだのだ。

「ああ、ありがとな。助かったよ」

「別に。代金貰ったし」

 妙な位置で細く束ねていくつか結んでいるので、ピョコピョコとあちこち跳ねている毛先を弄びながら、女は気だるそうな小声で続ける。

「あと、なんかあったら協力してやれって。イリアが」

「そっか」

 相変わらず、よく気の回る男だな。

「……アタシは興味ないけど。嫌だし」

「……そっか」

 こいつ。

「じゃ、帰る」

「ああ。またなんかあったら、よろしく頼むわ」

 さっさと横を通り過ぎた背中に、つけつけと言ってやると、物凄く嫌そうな顔で振り向かれた。

 特に何を言うでなく俺からプイと顔を逸らした女は、姫さんには微かに笑いかけながら小さく手を振って、そのまま建物の外に出て行った。

 街外れにでも移動してから、ルーラを唱えるつもりなんだろう。

「リズは、相変わらずじゃな」

 あいつ、そんな名前だっけ?

「マジでな。イリアがいねぇと、扱い難いったらねぇよ」

「そうか? わらわは、割りと仲良くしておったぞ」

 レーベから半月程、一緒に航海した時の話だ。

 姫さんに愛想が良いのは、アイツが可愛い物が大好きだからだろ。

「ヴァイスー!? 何やってんの!? さっさ来なさいよ!!」

 奥の部屋から、苛ついた声が届いた。

 ウチの女王様は女王様で、自宅みたいに態度デケェな。

3.

 俺と姫さんが応接室に入ると、細長いテーブルにはすでに飲み物が人数分置かれていた。

「さて。それでは、何からお話しましょうか」

 空いた席に腰を下ろすと、クリスが早速切り出した。

 ちなみに、テーブルを囲んで長い辺に姫さん、俺、リィナが並んで座り、姫さん側にクリスが、リィナ側にマグナが腰を下ろしている。

 飲み物に添えられた菓子を早くもパクついているリィナを横目に見ながら、口を開く。

「そうだな……とりあえず、この国のいまの状況を、ざっと教えて欲しいんだけど」

「とは、随分とまた、大雑把なご質問ですね。それだと、あなた方が何をどれだけご存知かによって、話す内容も変わってくるかと思いますが」

「分かった。なら、俺が把握してることから——」

「その前に」

 ナチュラルに組んだ膝に両手をかけたマグナが、おもむろに会話を遮った。

「ここは、本当に盗み聞きの心配とかはないの?」

「ああ、そりゃ——心配ない。魔法協会の支部は事実上、治外法権を持ってるようなモンだからな。基本的に部外者の出入りもねぇし、こういう応接室なんかには、外に声を漏らさない防音の魔法がかけられてる筈だから——」

「あんたには聞いてない」

 と、すげなくマグナ。

 出しゃばった真似をして、どうもすいませんでしたね。

「ええ、そちらの方のおっしゃった通りですよ」

 苦笑しながら、クリスが後を引き継ぐ。

「ここより機密性の高い場所と言えば、それこそ本物の魔法使い様方の小部屋くらいしか思い付きませんね」

「ふぅん。なら、あなたが話を漏らさない限り、ここでの会話は外に出ないのね」

 口調こそさりげなかったが、マグナの視線はしっかりとクリスの目を見据えていた。

「ええ。そうなります

 若干、緊張した面持ちで顎を引いたクリスとは対照的に、マグナは既に興味が無さそうに、両手を膝から離して背もたれに身を預けた。

「そ。ならいいわ。ほら、何やってんのよ、ヴァイス。さっさと聞きたいこと聞いて、話を終わらせなさいよ。クリスさんにも、ご迷惑でしょ」

 言質は取ったぞ、ってなトコか。

 おっかねぇの。

「なにこれ、にっが

 やけに黒々とした飲み物を口に含み、顔をしかめたりしているが、マグナは勇者だ。

 自分が関わっている事実を、妙な具合に悪用されたら、それこそ世界レベルで影響を及ぼす可能性があるからな。そりゃ、用心するに越したことはないんだけどさ。

 ていうか、お前それ、正面のクリスに割りと際どいトコまで見えてない?

 目立たないように普段着にしてくれって頼んだのは俺だけど、スカート履いてんのに自然に脚を組むなよ、頼むから。

「ヴァイス!」

 打てば響くように俺が喋り出さなかったので、大層ご立腹のマグナ様に、名指しで怒鳴られた。

 はいはい、申し訳ございませんでしたね、女王陛下。

「悪ぃ。そんじゃ、まず俺の知ってることを、ざっと説明するわ——」

 焙煎した豆から煮出した黒い飲み物を、口に含んで喉を湿らせる。

 よくグレース達が飲んでたから、俺はすっかり慣れちまった。この苦味の良さが分からないとは、やっぱりマグナも、まだまだ子供だな。

 そのグレースから聞いた話や、航海中に寄港した街々で聞き込みをして裏を取った内容を、整理して手短かに告げる。

 いわく、この国サマンオサが周辺諸国に見境なく喧嘩をふっかけてること、その戦費捻出の意味もあって国民は異常なまでに搾取されていること、燻った不満が内乱という形で噴出しては片っ端から叩き潰されてること。

 そもそも国王自身が以前とは人が変わったように暴虐になったこと、側付きの人間が次々に行方知れずになっていること、最近ではまともに姿を見た者すらロクにおらず、近頃はまるで出来の悪い怪奇譚の如く恐れられていること。

「……なんか、聞いてた話より、全然ヒドいんだけど」

 俺の菓子を横取りしようと伸ばしかけた手を止めて、若干引き気味にリィナが零した。

「多分、ロマリアの方まで細かい話が伝わってないんでしょ」

 と、マグナ。しかつめらしい顔つきで、爪ならぬ指を噛んでいる。

「マジでいくら情報を集めても、ヒデェ話しか出てこなくてな」

 途中からは、それで気が急くばかりだったのだ。

 俺達の感想を受けて、クリスは幾分ほっとした表情を浮かべた。

「良かった、思ったよりもご存知ですね。要は、いまおっしゃった内容よりも、全体的にもう少しばかり具合が悪いとお考えいただければ、当たらずとも遠からずといったところでしょうか」

「……マジかよ」

 正直、いつもの癖で俺が悪く考え過ぎてるだけで、実際に現地に行ってみたら思ったほどじゃなかった、ってのを期待してたんだけど。

「そうですねぇ。幸いこれから収穫期ですから、まだしばらくは持ち堪えられるでしょうが、おそらくこの大陸に住まう庶民の半分は、次の冬は越せません。あくまで、私見ですが」

 絶句してから、なんとか声を絞り出す。

「さすがに、それは大袈裟じゃねぇか?」

「ええ。ですから、私見と申し上げました。運が良ければ、実際は二割程度に収まるかも知れませんね。ですが、いずれ途方も無い数になることに変わりはないでしょう」

「……そんなに、酷いのかよ。その、搾取が」

「酷いなんてものじゃありません。あと半年も経てば、餓死者が大量に出るのは明らかです。そして、ほとんどの人間が、そのことを承知しています」

「それって……」

 最悪だ。そこまで追い込まれて取れる手段なんて、ごく限られている。

「ご懸念の通りですね。死にたくなければ、蜂起するしかないでしょう」

「いや、だって、そんなことになったら……」

 元々、思うところがあったという言葉は本当なんだろう。

 クリスは淀みなく自らの見解を語り続ける。

「はい。先ほど貴方がおっしゃったように、国王軍に片っ端から叩き潰されて、どちらにしろ大量の人死ひとじにが出ることは避けられません。対抗勢力として反乱軍のような存在が無くもないですが、実態は苛烈な弾圧のせいで軍の体裁を保てている勢力はありませんから。お互いに連携も取れず、いいように各個撃破されて終わりでしょうね」

「っても、この国の連中だって、座して死を待つだけって訳にもいかねぇだろ」

「そう思います。仮令たとえ、絶望的に無謀であると分かっていても、起ち上がらざるを得ないでしょうね」

 いや、ダメだろ、それは。

 結果として、どれだけの人間が命を落とすんだよ。

「……いったい何がしてぇんだ、この国の王様はよ」

「なんでいつまでも、人間相手みたいなこと言ってんのよ」

 呆れたように横から嘴を挟んだのは、マグナだった。

「話を聞いてたら、もうほぼ決まりじゃない。王様はとっくに、魔物に成り代わられてるんでしょ。だったら後は、いつも通りに退治して終わりだわ」

「ばっ——」

 お前、不用意過ぎるだろ。

 マグナの口に手を伸ばしながら——そもそも届かない上に、途中ではたき落とされたが——クリスを見ると、苦笑を返された。

「いえ、そういう噂でしたら、もう何ヶ月も前から、まことしやかに囁かれていましたからね。流石に本気にしている人間はほとんどいませんが、そのような疑惑があること自体には、いまさら驚きはしませんよ」

 なるほど、国王が変貌した理由付けとして、都市伝説的な与太話の形で流布してはいるわけか。

 益体も無い怪談噺を、頭から信じちまう層っているからな。案外、庶民の皮膚感覚的には、それなりに説得力を持った噂話なのかも知れない。

「なに慌ててんのよ。ここでの話は外に出ないんだから、別に気にする必要ないじゃない。ねぇ、クリスさん?」

 念を押すようなマグナの問いかけに、クリスは肩を竦めてみせる。

「ええ、それはもう。むしろ私は、勇者様がここにいらした事の方に驚きました。西方諸国やアリアハンが動いてくれたのですね」

「まぁね。実際に動いてるのは、あたしだけど。お前は勇者なんだから、魔物の所為で酷いことになってるようなら退治してこいって、王様連中に押し付けられたのよ」

 不満タラタラに愚痴るマグナだったが、他国が軽々に介入できる問題じゃないからな。その上、西方諸国からは距離が離れすぎている。

 身軽に動けるマグナという勇者の存在は、各国の首脳部にとっても、ひどく使い勝手のいい切り札だったに違いない。

 それにしても、列強の国主達を連中なんて言葉でひとくくりにまとめちまうのは、世界広しと言えどもコイツくらいだろうな。

 ていうか、お前は簡単に言うけどさ。

「……この国の王様が、魔物だって証拠が無ぇ」

「は? そんなの必要?」

「必要に決まってんだろ」

 どんな無法者だよ。

「でもさ。みんな、その魔物が化けた王様に苦しめられてるんでしょ? だったら——」

 不服そうに唇を尖らせるリィナに首を振る。

「それとこれとは、話が別だ。もし万が一、国王が魔物じゃなかったら、西方諸国の意を受けたマグナが国王を弑したとなれば、取り返しのつかない内政干渉になっちまう。それは、絶対に駄目だ」

「失礼ね。国王が人間だって判ったら、あたしだってそのまま斃したりしないわよ」

「分かってる。けど、そうしようとした事実があるってだけで、駄目なんだよ」

 マグナは鼻から息を吐きながら、背もたれで軽く背中を弾ませた。

「……あんた、面倒臭いこと言うようになったわね。まぁ、元からだけど」

「なんとでも言え。そんな暴挙を許したら、それこそなんでもアリになっちまうじゃねぇか。法も秩序も無いそんな有様じゃ、この大陸がいまよりもっと悲惨な状況に陥ることだって無くはないんだぞ」

 いまだって似たようなモンじゃない、とかマグナがぶつくさ言っているのは聞き流す。

 遠方から他国を意のままに操るような姑息な真似が目的じゃないとは、流石に信じてるけどさ、ロランさんよ。そんなことをチラとでも考えてやがったら、金輪際、手前ぇのトコを文明国だなんぞと認めてやらねぇからな。

「だから、もし国王を退治するにしても、魔物だって確たる証拠を掴んだ後だ」

「……わらわも、ヴァイスに賛成じゃ」

 それまで、隣りで大人しくしていた姫さんが、俺に同意した。

「大義を成そうとするのであれば、筋は通すべきであろ」

 言葉とは裏腹に震える声。

 言い終えた姫さんは、薄い唇を噛み締める。

 分かるぜ、姫さん。

 俺だってホントは、後先考えずなり振り構わず、さっさと行動したくて仕方ねぇんだ。

「……ふぅん。分かった。あんたには、今みたいにあたしに文句を言う役をあげるわ」

 唐突に、俺に向かってマグナがそんなことを口にした。

「は?」

「ちょうど、あたしに意見してくれる人が、周りからいなくなっちゃって困ってたのよ」

 それは、お前が女王様過ぎるからじゃねぇの。

 お前が思ってるより、意見するのって大変なんだぞ。

「あんたを側に置いとく理由なんて欠片かけらも無かったんだけど、それなら連れてってあげてもいいわ」

 はぁ、ありがとうございます。

 ていうか、まだ認められてなかったのか、俺。そりゃそうか。

 けど、いまはそんなことを言ってる場合じゃなくてだな——

「でしたら早速、ご意見番として採用された彼の主張を尊重していただけると、私も身命を賭して告発する必要がなくなりますので助かります」

 事情は分からないながらも、言葉尻をとらえてつけこんだクリスの言葉を継いで、俺は補足する。

「ただ、マグナの言ってることも間違いじゃないんだ。基本的には、これは単なる魔物退治だって体裁は手放したくない」

 その立て付けが、おそらく一番影響が少なくて済むだろ。

「……分かったわよ。要は、証拠を掴めばいいんでしょ、証拠を」

「けど、どうやって?」

 再び菓子を囓りながら、小首を傾げるリィナ。

「『ラーの鏡』……」

 よく分からない単語を呟いたのは、クリスだった。

「なんだって?」

「ここより南のどこかにある洞窟に、真実の姿を映す『ラーの鏡』という道具が眠っていると聞いたことがあります。本当に魔物が国王に化けているのだとしたら、それを使って正体を暴くことができれば、あるいは」

「いや、それは……」

 いくらなんでも、降って湧き過ぎてねぇか、その話は。

「なによ、その『この為に用意しました』みたいに都合の良い道具は。そんな胡散臭い話を、どこで聞いたの?」

 マグナも俺と同じ考えのようだった。

 言葉にこそしなかったものの、あたし達をハメるつもりじゃないでしょうね? と言外に滲ませている。

「いえいえ、違いますよ!? 私は決して、何も企んでなんていませんとも!」

 クリスは手振り付きで、慌てて否定してみせた。

「とはいえ、そうですね……言われてみれば、都合の良い話と受け取られても不思議じゃないことは認めます。ですが、ご心配には及ばないと思いますよ。私がこの話を耳にしたのは、本当に偶然ですから」

 クリスの態度や口振りは、これが嘘なら相当な役者だと思える程度には、不自然さが無かった。

「っていうと?」

「いえ、単純な話です。酒場で偶々たまたま隣りに居合わせた男女が、そんな話をしていたのが耳に入っただけなんですよ」

「そりゃ——確かか?」

「ええ」

 念を押すと、きっぱりと頷く。

 クリスの言っていることが本当ならば、偶然を装って話を聞かせる為には、わざわざクリスの行動パターンを調べ上げて状況を整える必要がある。単なる魔法協会のいち事務員に対して、そんな手間隙を掛ける意味は無いだろう。

 とりあえず、偶然ってのは本当だとして良さそうだ。

 俺は小さく頷いて、クリスに先を促す。

「男の方は、兵士のようでした。他の多くの兵士達と同じように、現体制には疑問を持っているようで、彼が話していたのは主にその愚痴でしたね。自分が所属する組織の長が、昔とは全然変わってしまったと、そんな不満をしきりに繰り返していました。まるで、別人と入れ替わってしまったようだと」

「結構、際どいこと言ってんな。大丈夫なのか、そいつ」

「言葉を濁した上で、逐一言い換えていましたからね。よほど元から目をつけられているのでない限りは、まず大丈夫でしょう。人の口に戸は立てられないもので、その程度の不平不満ならば、さすがに皆分からないように言ってますから。愚痴を言う為に作られた符牒が普及しているくらいです」

 だといいんだが。

「そうそう、入れ替わりなんて妄想じみた思いつきの根拠らしきことも喋っていましたね。牢屋の番人をしてる知り合いが、彼の仕える人物そっくりの囚人を見かけたと言うのですよ」

「なんだと?」

 つまり、本物の王様が牢屋に囚われてるってことか?

「少し前の話になりますが、これまでになく大規模な反乱が、未然に防がれた事件があったのです。首謀者達が処刑されるまでの短い間、牢屋の数が足りずに普段は立ち入りを禁止されている区域まで、その牢屋番の知り合いが囚人を運んだことがあったのだそうです。その時に、見かけたという話でしたね。灯りもほとんど無いような薄暗い地下牢でのことなので、きっと見間違いだろうと、後から何度となく否定されたらしいですが」

「ふぅん。いかにも、怪しいじゃない」

 と、マグナ。組み替えた脚に頬杖をつく——相当際どいんで、不用心に脚を組み替えるの止めてもらっていいですかね。

「爺ちゃんが、自分の家でぐーすか寝てたのと似てるね。全然違うけど」

 知ってるヤツ以外には通じない、矛盾じみたことをリィナが言った。

 二人とも、つい昨日の出来事を思い出してるんだろう。

「その兵士も、これは怪しい、あるいは本当に偽物と入れ替わっているのではないかと考えたようで、確かめる方法さえあればと悔しそうに話していました。すると、女の方が『ラーの鏡』でもあったら良かったのにね、というような言葉を口にしたのです」

 ようやく、謎の便利道具のご登場か。

「兵士の男が、それは一体なんのことかと尋ねると、女は『ラーの鏡』について語り始めました。話自体は、女の故郷に伝わる昔話の類いに思えましたね。正直者が魔法使いから授けられた道具を使って悪役の不正を暴き、最後には幸せに暮らすような、子どもを寝かしつけるのに丁度良い、よくある益体も無い勧善懲悪の物語ですよ」

 案外、辛辣だな。

「ただ、神様ではなく魔法使いから授けられた、というところに、職業柄引っ掛かりましてね。もしかしたら、説法や訓戒の類いではなく、実際に起こった出来事を基にした話なのかも知れない、と少し気になっていたのです」

「確かにな」

 全世界を教会が席巻する前から連綿と語り継がれるほど、含蓄に富んだご大層な話とも思えない。

 それより後に起こった事実を基にしていると考えるのは、理に適った仮定だった。

 だとすれば、実際に存在するかも知れない訳で、ヴァイエルに確かめてみるのも手か——いや、あの野郎が他所よその魔法使いの人助けなんぞに興味を持つ筈がねぇな。「知らん」とか吐き捨てられて終わりだろう。

 考える時の最近のクセで、口元を右手で覆ったままクリスに目を向けると、小さく頷かれた。

「おそらく、兵士の方は調べれば特定できると思いますよ。宜しければ、手配しておきましょうか?」

「ああ、頼むよ。体制側の連中に気取られないようにな」

「もちろんです」

「どのくらいかかる?」

「ある程度当たりはついてますので、お急ぎでしたら明後日までには、なんとか」

 有能だな。頼もしいね。

 自分にできないことは、他の誰かにやらせりゃいいってのは、どうやら本当だな。

「助かるよ。今日の話が終わっても、まだ関わってもらうことになっちまうけど、まぁ、運が悪かったと思って付き合ってくれ」

 さっき自分が告げたことを覚えていたのか、というように、クリスは少し意外そうな顔をした。

「承知しました。しがない事務員である私は、そこまでしか踏み込まないつもりですので、どうぞお気遣いなく」

「じゃあ、国王の正体を暴く手筈の方は、それでいいとして——他に、やることは?」

 まとめに入ったマグナの言葉で、思い出した。

「そういや、さっきおもてで言ってた、なんとか家の坊っちゃんて誰のことだ? 名前を知ってたら、教えて欲しいんだけど」

「ああ、サレス家の坊ちゃんのことですか」

 クリスはよく知っている口振りで応じた。

「ええ、もちろん存じてますよ。あそこの家は、色々と有名ですからね。半年くらい前に戻って来たんじゃなかったかな」

 どうやら間違いなさそうだ。

「父親のサイモン様が有名ですが、最近はむしろ息子の方が何かと話題になってましたね。名前はファング様とおっしゃいますが、もしかしてお知り合いですか?」

4.

 話は遡って、今日の午前中のこと。

「ホントに、よく食べるねぇ。海賊サン達は」

 炊き出しをしてくれている町のおばさんの一人が、呆れたように呟いた。

 町の役場として新築されたばかりの建物を仮宿としてあてがわれた海賊達が、馬鹿デカい声で賑やかに喋りながら朝飯をがっついている。

 この規模の町にしては大き目の宿屋も町中にあるにはあるんだが、マグナ達の船の乗組員すら全員は入り切ってないらしいからな。こっちの連中までは、とても泊められない。

 そこで、まだ実務では使われていないこの建物を、宿屋代わりに開放してくれたのだ。

 ちなみに、俺と姫さんは宿屋の方に部屋を取ってもらっているが、これは別に特別扱いされている訳ではない。マグナのお付き連中が、目の届く場所に俺を置いておきたがったのだ。

 いまだって、いちいち連中に行き先を告げて来てるんだぜ。仕方ないけど、信用ねぇな——まぁ、これも悪い意味での特別扱いかね。

 ていうか、おばさんのさっきのセリフからして、もう完全に町の住人に海賊ってバレちゃってるんだが。大丈夫なのか、これ。

「悪いね。こんな大勢、世話してもらっちまって」

 別に俺が謝ることでもないが、なんとなく申し訳ない気分が、そんな言葉を口にさせた。

「なぁに、構わないさ。っていうか、こっちは港町なんだから、早くもっと大勢泊まってもらえるようにしなくちゃいけないんだけどねぇ。色んなことが間に合ってなくって、こっちこそ申し訳ないくらいだよ」

 ようやく配膳が落ち着いたらしく、肩口で顔の汗を拭いながら、おばさんは文字通りふぅと一息ついた。

「そりゃ仕方ねぇよ。この町は、まだ造ってる途中みたいなモンだろ?」

「そう言ってくれるのは、ありがたいけどね。そんな風に、あたしらの事情を忖度してくれるお客ばっかりじゃないだろうからさ。これからは、きっとね」

「違ぇねぇ。だから、他の海賊なんて泊めちゃダメだぜ、お嬢さんよ。俺達みてぇに良い人のが珍しいんだからよ」

 他の連中に配膳を譲っていたらしく、ようやく朝飯にありついたホセが、すぐ近くの席からどこか論点のズレたことをホザいた。

「あら、ヤダよ、お嬢さんだなんて。こんなおばちゃん掴まえて」

「なんのなんの。あんたなんて、こっからが盛りじゃねぇの」

 どんどんズレていく話に構わず、ガハハとか周りと笑い合う。

 なに一瞬で馴染んでんだ、海賊のくせに。

 調理道具をテキパキと片付けながら、おばさんがチラリと俺に視線をくれた。

「そんな顔しなくても、町長さんから多少の事情は聞いてるよ。ああ、代理じゃなくて、あんたらと一緒に戻ってきた方だけどね——この人達は、色んなトコに施しをして回ってる、義賊の人達なんだろう?」

 アイシャのヤツ、いちおう根回ししてくれたのか。いつの間に。

 まぁ、義賊ってのが免罪符になる訳でもあるまいが、住人に与える心証は確かに違うと見える。

「昨日もさ、自分達の荷下ろしだってあるのに、ホラ、隣りのホールの片付けも何人か手伝ってくれてね。話してみたら、みんな気のいい連中じゃないか」

「……まぁ、悪い連中じゃねぇよ」

「なァに偉そうに言ってんスか。俺らン中で一番いっちゃんヒトが悪いのは、明らかアンタでしょーが」

 うるせぇよ、ダヴィ。

 お人好しとのほまれも高いこの俺に向かって、なんて言い草だ。

 いいからお前は、黙ってメシ食ってろ——って、もう食い終わってんのかよ。さては、ホセとは逆に、真っ先に皿をガメてやがったな。

「グレースは、どこじゃ?」

 俺の後ろであくびを噛み殺しながら、姫さんが顔を覗かせた。

「おう、いたのかい、エミリー。お頭は、昨日から船に篭って、マルクスと書類仕事に精出してる筈だぜ」

「いや、それが一段落したって、朝飯を食べに来てただろ」

 ホセの勘違いを、隣りの席からペドロがボソッと訂正した。

「ん? ああ、そういや、そうだったな。じゃあ、なんで居ねぇんだ?」

「さっき、黙って出て行った」

「お前ぇな、そういうことは先に言えよ。じゃあ、あれだ、なんつったかな——花でも摘みに行ったんじゃねぇのか」

 と、ホセ。

 こいつら一応、グレースのことになると、なけなしの語彙から改まった表現を捻り出したりするんだよな。

 ちょうどその時、開けっ放しの入り口の向こうから、複数の女の話す声が近付いて来た。

「——かった。それじゃ、皆さん無事に回復されたんですね。さすがは勇者様の従者様です——アガサさん、お疲れ様です! こちらは、何か問題ありませんか?」

 後ろを向いて喋りながら入って来たちびっ子が、おばさんにくるっと向き直って元気良く挨拶をした。

 その顔が、俺を認めるなり物凄く嫌そうにしかめられる。

「げっ」

 げってなんだ、げって。

 別に俺は、お前に何もしてねぇだろうが。

「おや、ライラちゃん。いまのところ、こっちは問題無いよ」

「よかった。いつも仕切っていただいて、ありがとうございます。何か困ったことがあったら、すぐに言ってくださいね。なんとかしますから」

「そんなことより、あんたこそ良かったよ。外に出してもらえたんだね——って、どうしたんだい、それ?」

 よく見ると、ライラの腰には一周するように縄が括り付けてあり、その端っこを後ろに立ったアイシャが握っているのだった。

「ライラちゃんは、まだお縄についてる状態なんよ——っていうテイにして、お目こぼししてもらってるんだよん」

 エフィの故郷で起きた事件でのカイやファムがそうだったように、魔物に操られていた疑いのあるライラは、しばらく隔離した上で処遇を決めることになっていた。

 といっても、この町には実際はまだ牢屋なんぞ作られてないので、町長の為に用意された邸宅の一室に閉じ込められることになっていた筈だが。

「ああ、そうなのかい。そりゃ良かった……のかねぇ? あんた、参ってるんじゃないのかい? 色々大変だろうに、こっちは大丈夫だから、部屋で寝ててもいいんだよ」

 気の毒そうな顔をするおばさん——アガサとは対照的に、ライラは元気いっぱいに応じる。

「ご心配ありがとうございます! でも、大丈夫ですから! 皆さんが大変な時に、私ひとりが怠けてる訳にはいきませんので! 作業するにも、指示する人間が必要でしょうし!」

 今日も今日とて威勢だけはいいが、目の下が厚ぼったく腫れている。

 元気は元気でも、空元気かね。

 まぁ、見た目通りの能天気なだけのお子様じゃないってことか。

「そりゃ、助かるけどねぇ。あんまり無理するんじゃないよ。あんた、まだ小さいんだから」

「いえ、何度も言ってますけど、私、もう十七ですので! 小さくありませんから!」

 え、嘘だろ。それより三、四歳は幼く見えますが。どっちにしろ、子供だけど。

 ていうか、おばさんが言ってんのは、多分歳だけのことじゃないと思うぞ。

 ちょこまか動き回って片付けを手伝いはじめたライラに、握った紐を引っ張られたりしつつ、諦め顔のアイシャがボヤく。

「こんな調子で、みんな忙しいんだから自分も何か手伝うって聞かなくってさぁ。マグナに頼んで、何かあったら全部アタシの責任ってことにして、話をつけてもらったんよ」

あいつマグナにかよ。権力ねぇな、町長さん」

「そりゃ、戻ってきたばっかだからねぇ。ま、おいおいね」

「ちょっと、ボスのこと見くびらないでくださいよ!?」

 きゃんきゃん吠えて、俺とアイシャの間に割り込むライラ。

「へ? いや、別にそんなつもりねぇけど」

「ボスは、ホントに凄い人なんですから! 妙な侮辱は許しませんよ!?」

「……いや、どの口が言うんだよ」

 思わず、頭に浮かんだことをそのまま口に出しちまった。

 だって、おととい散々アイシャを罵倒していた人間の言葉とは思えねぇだろ。

「えぅ!? そ、それは……」

 痛いところを突かれたみたいに、目に見えてショゲてみせるライラ。

「……ホントに私、なんであんなことしちゃったんでしょう……魔物に操られていたんだとしても、自分が情けないです」

「操られたってよりは、期待に応えようとしたんだよね」

 声のした方を振り向くと、即席の食堂と化している正面ホールにグレースが入って来るのが見えた。

 追い越しざまにポンと頭を叩かれて、ライラは嫌そうに振り払う。

「なんだ、一緒だったのかよ」

「ちょうど、ソコで会ってね。それで、ちょいと話を聞いたんだけど、どうもアイシャに認められたいって気持ちを利用されたみたいだね」

「ははぁ?」

 分かったような分からないような返事をする俺。

「ま、アタイのクセみたいなモンでさ、物事につい理屈を付けたくなっちまうんだよ。アンタにも分かるだろ?」

「そりゃ、まぁな」

「で、元々この子の中には、自分に取って代わるくらいの野心を持った跳ねっ返りが好きだってボスアイシャの期待に応えたい気持ちが、まずあってさ。けど、いまのままのクッソ真面目な自分じゃ、その期待には応えられないって抱いてた不安を、どうも上手く誘導されたような印象だね」

「はあぁっ!? 私さっき、そんな事ヒトコトも言ってませんけど!? 人の気持ちを、勝手に代弁しないでくださいよ!!」

 慌ててジタバタするライラの文句もどこ吹く風で、グレースはしれっと話を続ける。

「つまり、対象に全く存在しない考えを、自由自在に植え付けるって程には、便利な能力じゃあなさそうだね」

「もしくは、ワザとそうしなかったか、だな。完全に操っちまうと、多分、傍目におかしいくらい、人間らしくなくなっちまうんだ。そういうケースも前にあったんだけどさ、魂が抜けたみたいになっちまうっていうか」

 ウェナモンの時が、そうだった。

「ああ、なるほどね。だから、対象の意識を残したままだなんてしち面倒くさい方法を取ってる訳かい。思ったよりアチラさんも、なんでもかんでも思い通りって訳にゃいかないみたいだねぇ。付け入る隙はありそうじゃないか」

 それなりに事情を伝えているグレースと俺だけで、うんうん頷きあっていると、ホセの呆れたような声が耳に届く。

「マッタクよ。ヴァイスといると、お頭が小難しいことばっか言うようになっていけねぇや」

 そりゃ、申し訳なかったな。

 なんか俺、自分が存在することに対して内心で謝ってばっかりな気がするんだけど。

「ていうか、ライラちゃんは、そのクッソ真面目なトコが、取柄で可愛いトコなのにね~」

「はぁっ!?」

「そんなことも分からないなんて、魔物サンも案外大したことないやねぇ」

 とかなんとか言いながら、アイシャはライラの頭を背後から抱え込んで、かいぐりかいぐり撫で回す。

「ちょっ……止めてくださいよ!! みんな見てるじゃないですか!!」

「そんな照れなくてもいいのにぃ。久し振りのアイシャさんだーって、昨日の夜はあんなに泣いたり甘えたりで大騒ぎだったクセにぃ」

 隔離されて閉じ込められてた分際で、何をしとるんだ、お前らは。

「しっ、してませんけどっ!? そんなこと!?」

 これ以上なく紅潮したライラの頰が、否定の言葉を思いっ切り裏切っていた。

「ちょっ、もうっ……いい加減にしてくださいよっ!!」

 全身を使って、アイシャを払い除けるライラ。

 公衆の面前で、何をじゃれ合ってんだ。

「へー。アンタら、そういう仲だったんスねー」

 物凄い適当な口振りは、ダヴィのものだった。

「いいスねー。オレはそういうの、理解あるスよー」

「そういう……って、どういう意味ですか?」

 きょとんとした顔つきで尋ねるライラ。

 おっと、貧民窟で育ったとは思えねぇニブさだな。

 生真面目な言動を保ち続けていることといい、よっぽどアイシャに大事にされてきたのかね。

「え、コレ、オレが教えちゃっていいんスかね?」

 赤ん坊は天の御遣いが姿を変えた神鳥が運んでくるのだという、冗談にもならない教会の教えのネタばらしを、子供に聞かせる時の下卑た笑みを満面に浮かべるダヴィ。

「止せ。他者の嗜好に口を挟むのは、愚者の行いだぞ」

 そう言って制止したのは、こちらから見てダヴィのひとつ奥の席に座った若い男だった。確か、ルーカスとか言ったか。

 明るい巻毛のダヴィとは対照的に、暗い色をした前髪で鬱陶しく顔の半分を覆っている。

 グレースが口にした単語を一生懸命覚えたような、妙に気取った言動を端っこの方で良くしているのを見かけるが、どこかで聞いたような内容に中身がさっぱり無いせいか、いつもほとんど相手にされていない変わり者だ。

 今回もまんまと無視されて、不可解な顔をしているライラに、当事者であるアイシャ自らが後ろから耳打ちする。

「あんねぇ、ライラちゃん。あの人達が言ってるのはねぇ——」

「はぁ——」

 しばらく眉を顰めて聞き入っていたライラの顔が、面白いくらい紅く染まっていく。

「は?——なっ……何言ってんですっ!? バカですか、バカでしょ!? 貴女はっ!! 頭沸いてますよねっ!?」

「そうなんよ。久し振りのライラちゃんが可愛過ぎて、アタシは頭が沸いちゃってるんよ」

 また後ろから抱きついて、ライラのさらさらのおかっぱで、アイシャは頬をスリスリする。

 気持ち良さそうだな、それ。

「ちょ——っ!! だから、止めてくださいって言ってんですよ!!」

 はいはい、仲がいいのは、もう分かったから。

「ホセ。エミリー」

 ボソッと言葉少なにペドロに促されて、ホセはハタと思い出したように姫さんを振り向いた。

「おう、そうだ。お頭になんか用があるんじゃねぇのかい、エミリー」

「いや、用があるのは、わらわではない」

 短く返して、俺を見上げる姫さん。

 その様子に、グレースが人の悪い笑みを浮かべる。

「なにさ、改まって。捨てた女に、いまさら何の用があるってのさ?」

「……思ってもないこと言うなよ」

 喋りにくいわ。

「このくらいの嫌味は、甘んじて欲しいモンだねぇ。で、なんなのさ?」

「いや、今のところはとりあえず、確認しておきたいだけなんだけどさ……荷物の上げ下げも残ってるだろうし、まだ二、三日はこの町に居るよな?」

「そりゃそうだよ。アイシャとこれからの事も詰めなきゃならないし、なんだったら十日やそこらは居るんじゃないかい?」

 グレースに視線を向けられたことに気付いて、ペドロが頷く。

 それに引き換え、片付けを手伝ってるライラを、アホ面してからかってるダヴィの気の利かなさよ。

「だよな、良かった。あのさ——明日、明後日くらいにはハッキリさせるけどさ……」

「なにさ、そんな奥歯に物が挟まったみたいに。言っただろ、アタイらは、まだアンタに恩を返せたとは思っちゃいないんだ。なんか頼み事があるなら、さっさと言ってご覧よ」

「いや、そんな気安い話でもねぇんだよ。それに、具体的にどうこうって話は、まだこれからなんだ。ただ、もしかしたら、お前らの力を貸して欲しい状況になるかも知れねぇから、その腹積もりだけでもしておいてくれたら助かるっていうか……」

 チッ、という舌打ちが聞こえた。

「ゴチャゴチャとうるせぇな。グダグダ言ってんじゃねぇよ、ヴァイス。えぇ? 俺らの力が必要になったら、お前ぇは頼むって言や、それでいンだよ」

 背中を向けたままメシを喰う手を休めずに、ホセが吐き捨てた。

「——っと、すいやせん、お頭。出過ぎたことを言っちまった」

 慌てて振り向いたホセに、グレースは苦笑してみせる。

「いや、全部アタイが言おうと思ったこと、そのままだよ。分かったかい、ヴァイス。そういうことだよ」

「……恩に着る」

 グレース達はこう言ってくれるが、俺がするかも知れない頼み事は、下手をすると命に関わるのだ。

 こっちが売った分の恩なんて、お釣りだけで余裕で返せちまうだろう。

 だが、それを承知の上で、いまは出来るだけ備えておきたい。有り難くお言葉に甘えてさせてもらうとしよう。

 ホント、すまねぇな。

「へぇ。そんな顔もできるんですね」

 テーブルの食器を片付けながら、ライラがちらりと俺を盗み見た。

「は?」

 手を動かしながら、しかめっ面を崩さずに、ライラは続ける。

「だって、貴方、基本的に人をバカにしてますよね?」

「へ?」

 急になにを言い出したんだ、このお子様は。

 確かに、腰に付けた縄をアイシャに握られたまま、ちょこまかと動き回ってるその様は、まるで芸を仕込まれた猿みてぇだな、とか考えはしたけどさ。それはバカにしてるっていうか、見たまんまだしな。

「なんで、そう思うんだ?」

「見てれば分かりますよ」

 お得意の物凄いざっくりとした力技で、ライラは切り捨てた。

「私、貴方みたいな人、大っ嫌いです」

——っ。

 思わず、笑っちまった。

 アリアハンであいつと再会した時の事を思い出すな。

「でも、いまみたいな顔が出来るなら——少しは周りに感謝できるなら、根っこまでは腐ってないのかも知れませんね」

「なに気持ち悪いこと言ってんだ」

 どうも最近、思った事をそのまま口にする癖がついちまったらしい。

 俺は内心を吐露するのが苦手な人間だった筈なんだが。

「きっ、気持ち悪い!?」

「いや、だって。いきなり変なこと言うから。頭、大丈夫か?」

「どこも変じゃないですしっ! そういうトコロが、人をバカにしてるって言ってんですよ!!」

 自分から難癖つけてきた癖に、逆ギレしてキャンキャン吠え立てるちびっ子。

 ロンさんは、この子供の何処に見所を見出したというのか。

「言われちまったねぇ、ヴァイス」

 いつの間にやらホセの隣りに腰を下ろし、背もたれに肘をついてこちらを向いたグレースに煽られた。

「つか、事実ジジツッスからねー。ヴァイスがヒトをバカにしてんのは」

 いや、だって、お前がバカなのは事実だろ、ダヴィ。

「そういうところは、師匠ゆずりなのかも知れぬな」

 えー、なんで姫さんまで、そっちに同調してんの?

 ていうか、俺はアレに影響受けたトコなんて、何ひとつ微塵も無ぇよ。

「姫っちは、その師匠ってのに会ったことあんスね」

「うむ。向こうの方が、遥かに百倍も強烈じゃがな」

「うわー、オレ、絶対会いたくねッス」

 安心しろ、ダヴィ。アレは自分が会いたいと思わない限り誰とも会わねぇし、アレがお前に会いたいと思うことも、天地がひっくり返っても未来永劫あり得ねぇよ。

「そういや、フゥマもタマに零してやがったぜ。アイツは、オレ様のことバカだと思ってんだ、ってよ」

 ホセに言われて思い出した。

 そういや、まだ他にも済ませておくべき用事があるんだった。

 それでなくても、今日は予定が立て込んでるんだ。いつまでも、こんな俺の悪口ばっかほざく連中の相手なんぞしちゃいらんねぇ。

 だが、言われっ放しもシャクだからな。少しばかり言い返しておくか。

「ったく、どいつもこいつも好き勝手言いやがってよ。俺になら、何言ってもいいと思ってんじゃねぇだろうな?」

「うん」

「思ってるスけど」

「なんか、言い易いんだよな」

「分かる」

「弱者が踏みつけられるは世のことわり

 思わず自分が舌打ちしていたことに、後から気付く。

「——ッ。人のこと言えた義理かよ。お前らの方こそ、みんなして俺をバカにしてんじゃねぇか」

「いまごろ気付いたんスカ」

「自分じゃ利口でございって面してっけど、どっか抜けてんだよな」

「分かる」

「大賢は愚なるが如し。その逆もまた然りよ」

 こいつら。

 もう一度舌打ちして、姫さんを呼びながら入り口の方に顎をしゃくる。

「もういい。行くぞ、エミリー」

「うむ」

「偉そうですね」

「何様だよ」

「姫っちかわいそう」

「分かる」

「フッ。小者ほど、尊大な態度を取るものよ」

 お前ら、うるせぇぞ。

 足音を荒げて出ていく途中で、ふと気になって振り返る。

「どうでもいいけど、手前ぇら。さっき言った腹積もりだけは、くれぐれも忘れんじゃねぇぞ」

「ああ、分かってるよ」

「相変わらず、無駄に心配性スね」

「いちいち念押しするトコが、こっちをバカにしてるってんだよ」

「分かる」

「ですです。そういうトコロですよね」

 さっきから便乗してる子供までいやがるぞ。

 グレースだけは、姫さんと視線を交わしつつ、気の毒そうな苦笑いを浮かべてるのが救いだぜ。

 バーカバーカ! お望み通り、言ってやるよ! お前らは全員バカだ!

 と反論したい気持ちをぐっと堪えて「じゃあな!」とだけ言い残し、俺は町役場の建物を後にした。

 我ながら、俺も大人になったモンだぜ、ホント。

5.

「——って、なんでヴァイスさんと姫様が、ここにいるんですか!? ずっと聞きたかったんですから!」

 宿屋に戻った俺と姫さんは、町の様子を見に行こうと出掛ける支度をしていたシェラに、ちょうど出くわしたのだった。

 これ幸いと掴まえて、自分達の部屋に引っ張り込み、今更ながらに再会の挨拶を交わした途端、シェラは我慢できないみたいに詰め寄ってきた。

「フゥマさんに聞いても、あの人、なんだか全然分かってないみたいだし……」

「それは、そうであろうな」

 な。あいつには、ほとんど説明してねぇもんな。

 だって、言ってもどうせ聞かねぇし、聞いてもバカだから理解出来ねぇし——うるせぇぞ、脳内の海賊共。

 けど、フゥマのアホは仕方ねぇとして、リィナやマグナとも、ちょっとは俺の話とかしてないのかよ。

 いや、別に寂しいとかそういうんじゃなくてね。

 ある程度は、そっちで情報共有しといてくれないとさ。何回も同じこと話すの面倒臭いだろ?

 俺は仕方なく、リィナやマグナにしたのと同じような話をところどころ端折って伝え、さらに今後の事について触れる。

 サマンオサの様子を見に行くから、マグナとリィナを貸してくれって件だ。

「——てことで、今日のところはお前はついて来なくても大丈夫そうだからさ。折角だから、フゥマと一緒にいたらどうだ?」

 ちなみに、勇者様御一行が帯同している取り巻き連中の説得は、昨日の内にマグナに頼んである。

 特殊な方法を使って、この町にルーラで戻って来られることを伝えると、元からマグナ達もここを経由してサマンオサまで向かう途中だったこともあり、シェラもいちおう納得した素振りを見せたのだが。

「マグナさんとリィナさんを連れて行くのは分かりましたけど——なんでそこで、フゥマさんの名前が出てくるんですか」

 シェラはそう言って、ちょっと拗ねた顔をした。

 改めて間近で見ると、やっぱりとんでもなく可愛いな、こいつ。

 あれから半年経って、妙な色気がさらに増したような気がする。

 あのバカフゥマと二人きりにするの、なんか心配になってきた。

「そう言ってやるなって。どうもあいつ、ちゃんと本気みたいだからさ」

 アープの塔に向かう途中の、焚き火の夜を思い出す。

 たとえ妙な気を起こしても、さすがにシェラの気持ちを無視してまで無茶なことはしないと思うんだが——男って、急に我慢できなくなったりするからなぁ。お兄さんは、心配です。

「うむ。あやつなりにシェラとのことを真面目に考えておるのは、わらわも認めてやらぬでもない。渋々じゃがな」

 俺は詳しく知らないが、姫さんは姫さんで、一緒に行動していた間にシェラとのことについて、ちょいちょいフゥマに探りを入れていたらしい。

「もう、姫様まで……」

 どこか艶っぽい表情で囁くシェラの色気がヤバい。

 と言っても、いわゆる大人の女の色香とも違う——なんていうんだ、これ。

「さっきも言ったけど、多分あいつ、明後日にはロンさん達と一緒に、にやけ面に連れてかれちまうと思うからさ。お前らは、そんなに気軽に会える訳じゃないんだし、これからどうするかを二人で話し合う時間があった方がいいかと思ったんだよ」

「……次に会った時、一緒に出掛けることになってます」

 いままさにやろうとしていた手伝いが終わっていないことを、親に指摘された子供がするような顔をして、シェラは答えた。

 ああ、そうか。昨日もおとといも、一緒の陣営に居たんだもんな。もう色々話してるか。

 余計なお世話だったかね。

「もしかして、あいつが仕合に勝ったご褒美か?」

 ココとの決闘の最中に、フゥマが何やら考え事をしていたのを思い出して、ピンと来た。

「そんなこと……ご褒美になんて、ならないですけど。フゥマさんが、そうしたいって」

「なんだ、ちゃんと進んでんだな。つか、怪しいな? ホントに出掛けるだけかぁ~?」

「……秘密です」

 腕で顔の下を隠して恥ずかしがるシェラが、異常に可愛い。

 えー、凄いもったいない気がしてきた。

 ただ、ちょっと気になるな。

「それは、お前もそうしたいんだよな?」

「え?」

「だから、フゥマに頼まれたからとか、あいつがそう言ったからってだけじゃなくて、お前もちゃんとそうしたいんだよな?」

 流されてるだけじゃなくて。

「あ……いえ——はい……」

 シェラは急に思考能力を失ったみたいに固まった。

 我知らず苦笑が漏れる。

「まぁ、そんな感じなら、やっぱ今日明日くらいは、なるべく一緒に過ごしてみたらいいんじゃねぇか。ちっとは関係が進展して、自分の気持ちもはっきりするかも知れねぇし——ああ、いや、もちろん昼間だけな。まだまだ健全に頼むぜ」

 あのバカの方は不健全なことまで考えてるっぽいから、釘刺しとかねぇと。

 つか、ずっと健全なままでいて欲しいのが本音だけどね。

 断腸の思いで口にしたのに、何故かシェラは表情を曇らせて視線を落とすのだった。

「……そんなに簡単そうに、言わないでください」

「へ?」

「私と進展なんて、する訳ないじゃないですか。私と付き合ったって、先なんて何も無いのに」

「いや、そんなことねぇだろ——」

「ありますよ!!」

 俯いたまま、シェラは大きな声を出した。

「ホントに、先なんて無いのに……私に関わっても、いい事なんて何も無いのに……どうして、私のことなんて気にかけるんですか、あの人……だって、どう考えても、時間の無駄じゃないですか」

 おそらく、フゥマと再会してから本人に言えずに溜まっていた思いが、シェラの口を衝いていた。

 ああ、変わってねぇな——

 この時、俺が脳裏に思い浮かべたのは、そんな言葉だった。

 ベホマラーを唱えられるようになっていたり、色々と成長したように見えるのに、根っこのところではなかなか足を踏み出せないでいるのかね。

 そりゃ、こいつにとっては簡単じゃないんだろうけどさ。

「時間の無駄かどうかを決めるのは、あいつだろ」

 またしても、思ってた言葉がそのまま口から出ちまった。

 どうも、うまくねぇな。

 マジでもうちょい、喋る前にしつこいくらい検証してた自分を取り戻さねぇと。

 だが、まぁ、今は一旦棚上げだ。

「いや、あいつだけじゃない。お前ら二人のことだもんな。シェラはどうしたいんだよ。いまの口振りだと、あいつとの事を全然考えてなかった訳じゃないんだろ?」

「それは、少しは……」

 なにやらシェラが叱られて悄然としている子供みたいに見えて、ハタと気付く。

「ああ、違うんだ。別に無理強いしようなんてつもりは全く無いし、もちろんからかってる訳でもない。正直、あいつのことが嫌なら嫌で、全然構わねぇんだけどさ」

 マジで。

「ただ、フゥマのこと、嫌いって訳でもないんだよな?」

 こういう色恋沙汰に関して、あんまり他人が口出しするのもどうかと思うんだけどさ。

 実際、こんな立ち入ったことまで聞くつもりは無かったんだ。

 ただ、このままだと、いつまで経っても同じこと繰り返してそうなのがなぁ。

 それに、触れて欲しくない話題なら、適当に相槌でも打って流しておけばいいものを、急に怒り出したってことはさ。

 自分で気付いてるかは別にして、こいつのうちにもどうにかしたいって気持ちはあるんだろう。

「そんな、嫌うなんて……」

 シェラは一瞬だけ顔を上げて、またすぐに俯いてしまった。

「嫌いじゃねぇけど、それ以上となると、良く分かんねぇってトコか」

 頭を掻きながら尋ねると、シェラは服を握ったり離したりしながら囁く。

「……分かりません」

 つい、苦笑を誘われる。

 イシスの武闘大会で、こいつらの間に挟まれて気まずい思いをした時のことを思い出すな。

「やっぱり、お前ら、一回ちゃんと話し合った方がいいんじゃねぇかな。お互い遠慮して上っ面だけで喋るんじゃなくて、もうちょい深いトコまで踏み込んでさ。じゃねぇと、いつまで経っても『分かりません』のままだぞ」

 おっかねぇとは思うけどさ。

「……」

「いま感じてる不安も、全部あいつにぶつけてみろよ。大丈夫、あいつはきっと、受け止めてくれると思うぜ」

 なんて言葉がスラスラ出てくるところをみると、俺はいつの間にやら、あの腕白小僧を随分と信用しちまっていたらしい。

 言い終えてから、不安になる。

 無責任なことを喋り過ぎたか?

 急に面倒臭がったりしねぇだろうな、あのバカ——まぁ、大丈夫だとは思うんだが。

「あやつは、分かりやすいからの」

 俺の不安を察してくれた訳でもないんだろうが、姫さんが後を継ぐ。

「あの分かりやすさは、隠し事ができぬ美点と言えぬこともない。どう転ぶにしろ、誤魔化されるということだけは無いであろ」

 シェラの手を握るエミリー。

「じゃから、お互いの考えていることを正直に伝え合ってみるというのは、わらわも悪くないと思うぞ」

「姫様……」

 少し瞳を潤ませて、エミリーと見つめ合うシェラ。

 おお、すげぇだな。

 俺が画家だったら、この場面を切り取って後世に残しておくところだぜ。

「それに、わらわとしても、お主らの行く末はとても気になるのじゃ」

「……はい?」

「ふむ、何というのじゃ? どうあれ、わらわにとってシェラはシェラじゃからな。あやつと仮に、そのぅ……恋仲になったとしても、それについての違和感は全く無い。ム、あやつがシェラと釣り合うと言うておるのではないぞ。それは置いておいて、そのような関係になること自体は、という意味でじゃ」

 俺と同じく含むところがあるのか、憎まれ口を挟むエミリー。

「さて——そこまで考えて、わらわは思ったのじゃ。では仮に、ヴァイスとフゥマがそのような仲じゃと告げられたら、わらわは一体どう感じるのじゃろうか、と」

 え、なに言い出したの、この子。

「きっと、シェラとの時よりも、すんなりと受け入れられない気がするのじゃ。それは何故かと自問するに、わらわは姉上とニンゲンの男の恋仲に憧れて、姉上の気持ちを自分でも知りたいと願っていたからじゃと思う。つまり、それがわらわの常識、ということじゃな」

 エミリーの声は、心なし硬く感じられた。

 半年以上、一緒に過ごした俺だから辛うじて分かるくらい、本当に微妙に、だが。

「その己の常識のままに、特に疑問を挟むこともなく、お主とフゥマことも受け止めておったように思うのじゃ。なにしろ、わらわは基礎とも言うべきニンゲンの男女のことすら、よく分かっておらぬのでな。それ以外のこととなると、なおさら難しい」

 多分、姫さんは姫さんで、ファングとアメリアに連れ出されてからこっち、目にしたニンゲン達を観察しながら、色々と考えていたんだろう。

 でも、俺を例え話に使うのは止めてもらっていいですかね。

「つまり、シェラの事情を最初から知っていたにも関わらず、わらわはつい最近まで、お主の悩みに気付いてやることすらできていなかったという訳じゃ。もしかしたら、言葉の上ですら理解していなかったかも知れぬ。わらわに違和感がなかったとて、本人はそうはいかぬのにな。すまぬことをした」

「そんな……そんな風に、謝らないでください。だったら、気付かれないままの方が、ずっといいです」

「これはしたり。そういうつもりで詫びたのではないのじゃがな。まぁ、それはよい。ともあれ、いまわらわが言ったような、受け入れ難いと感じる気持ち、それこそがお主を苦しめ、一歩踏み出すことを阻んでいる原因であろ」

「……だって、そんなの、仕方ないじゃないですか」

 視線を逸らしたシェラの手を握り直し、そっと真正面に移動して見上げるエミリー。

「そう。仕方がない。他人ヒトがどう感じるかなど、どうしようもないのじゃからな。その上で思うのじゃが、シェラがシェラなのも、どうしようもないことではないのか?」

「それは……」

「お主は他人がどう考えようと仕方がないと思っている癖に、自分がどう考えても仕方ないとは思わぬのじゃな。他人を許そうと努力するのであれば、自分を許す努力もしても良いのではないか?」

「……無理です。だって、私だけのことじゃないですから」

 姫さんは、肩を竦めて分かりやすく呆れてみせる。

「やれやれ。薄々思っておったが、ヴァイス達の中でも、お主が一番頑固じゃな。フゥマのことを心配しておるのじゃな。周りがどう言おうと、あやつ自身は、そこまで気にせぬと思うのじゃが」

「だからこそ、です。いまは気にしなくても、後になってきっと後悔するに決まってます。最後は結局、時間を無駄にしたって思われるに決まってます」

「いや、そんなの——」

 何故か、マグナの顔が脳裏をよぎる。

 誰だって、どんな相手とだって、そんなの同じだろ。

 思わず声に出しかけて、姫さんにちらりと目配せされて口を噤む。

「とはまた、あやつも随分と信用がないのじゃな。ま、あれほどの粗忽者じゃ、無理もあるまいが」

 苦笑するエミリーに、俯いたままシェラはゆるゆると首を横に振る。

「違うんです。あの人は、何も悪くないです。悪いのは全部、私なんです」

「もうよい、この強情張りめ」

 姫さんは背伸びをしながら手を伸ばして、シェラの頭を撫でる。

「いよいよ実感が出てきて、怖くなってしまったのじゃな」

「……」

「そういった意味では、前に進んでおらぬでもなかろうが……いまのままのシェラでよいと言っておるあやつに、たった一度のチャンスもやらぬほど、わらわのシェラは薄情ではないと思っておるのじゃが」

「……そんな言い方、ズルいです」

「うむ。なにしろ、わらわにも義理というものがあるのでな」

「……はい?」

「ジツは、船の上で何回か、フゥマの奴めに恋愛相談というものをされておったのじゃ」

 え、そうなの?

 俺もそれ、初耳なんだけど。

 密かに驚いていると、エミリーは含みのある視線を俺にくれる。

「わらわもニンゲンの恋愛は勉強中じゃから良く分からぬと断ったのじゃが、ヴァイスに相談しても埒が明かぬと聞かなくての」

 あの野郎。

 純情小僧の分際で、百戦錬磨のこの俺をなんだと思ってやがる——いや、まぁ、どうせ負け通しですけどね。

「あやつの熱意に負けて、ついつい応援するようなことを約束してしまったのでな。最初から全てを諦めたように、にべもなく撥ね付けられては、わらわとしても困るのじゃ」

「そんな……違うんです。嫌がられるのは、私の方で——」

「分かっておる。なに、わらわも別に無理をして恋仲になれと言うておるのではないのじゃぞ? せめてお互いの気持ちを素直に伝えあってみるがよいというだけの話じゃ。それで十分、義理も立つしの」

「……でも、本当に、何をどう伝えればいいのか、分からないんです。だって、私、あの人のこと、まだ全然知らない——」

「分からぬならば、それで構わぬ。それをそのまま伝えてみるがよい。知らぬのであれば、聞きたいことを聞くがよい。あやつからも随分と話を聞かされたのでな、大体分かるぞ。お主ら、おそらく、そこまですら話し合ったことが無いであろ」

「それは……」

「さっきヴァイスも言っておったが、フゥマの奴めは、それを受け止める程度の度量はあると思うのじゃ。ま、シェラを任せるに足るかは、わらわもまだまだ保留中じゃがな。じゃから、ほんの少しだけよい。いまよりほんの少しだけ、あやつを信じてやるがよい」

「それは、もちろん……でも、だからこそ——迷惑じゃないですか、私なんかが……」

「あやつがそう言ったのなら、その時に考えるがよい。わらわには、とても迷惑そうには見えぬがな」

 そうね。

 昨日も、すげぇデレデレしてたもんな。

「……」

 黙ってしまったシェラを見て、エミリーは小さい鼻を鳴らす。

「そもそも、そんなことはお互い様であろ。少し時間が経ってみれば、シェラの方こそ、あのような粗忽者を相手にして時間を無駄にしたと悔いることになるかも知れないのじゃ」

 あれ、なんか胸が痛いんだけど。

 まだ生傷なんで、とばっちりで抉るの止めてもらっていいですかね。

「そんなこと……私の方から、思う筈ないです」

「未来のことなど、誰にも分からぬであろ。というより、シェラは自分の気持ちを隠し過ぎじゃ。わらわのような初心者には、参考にしようにも難しすぎてよく分からぬで困るのじゃ」

 ハァ、と薄い唇からため息を漏らし、腰に手を当ててシェラを覗き込む。

「よいか。そもそもじゃな? あの粗忽者に限って言えば、どうせ細かいことなど気にせぬから、そんなに深刻に考えずともよい。大事ないのじゃ」

 俺のせいで、しばらく一緒に行動することを余儀なくされていただけあって、やけに実感が篭っていた。

「だって……細かく、ありません」

「いいや。あの粗忽者にしてみれば、そんなことじゃ。実際にあやつがそう口にしたのも、わらわはこの自慢の耳で聞いておる。じゃから、なんでも構わぬから、まずは気楽に話し合ってみるがよい。あやつを相手に、そこまで遠慮するなど、ホントに馬鹿馬鹿しいことなのじゃぞ?」

 最後は雑に言い捨てるエミリーだった。

「……そんな、姫さま。ヒドいです」

 俯いたまま、シェラが少し笑った気配があった。

「でも、ありがとうございます……ちょっとだけ、気が楽になりました」

「それはなによりじゃったな。後は、お主らの思うようにするがよい」

「……はい」

 相変わらず、タマに森の賢者っぽいことするな、この姫さんは。

 無駄に齢を重ねてる訳じゃないのは、流石にもう分かってるけどさ。

「なんだよ、エミリーの言うことだと、素直に聞くんだな」

 それでも、つい嫌味が口をついて出た。

 すると、それまでしおらしくしていたシェラが、上目遣いに視線だけ向けて、俺を睨みつける。

「さっきから偉そうにしてますけど、ヴァイスさんこそ、マグナさんとちゃんとお話ししたんですか?」

「へ? ああ、もちろん」

 キミとは違いますんでね。

 ボカァもう、昨日頑張らせていただきましたもので。ええ。

 一瞬、得意気な顔をしちまったが、実質フラれたことを思い出して、勝手に気が塞いでいるのだから世話はない。

「え、ホントですか? あ、だから——」

 俺のドヤ顔に少し眉根を寄せたシェラは、すぐに何かに思い当たったような表情をした。

「あの……どんなお話したのか、少しでいいので聞かせてもらっていいですか?」

「え、ヤダよ」

 他人に言うようなことじゃねぇだろ。

 俺が拒否すると、シェラはムクれてみせる。

「だって、私もマグナさんが心配なんです——それに、何かの参考になるかも知れないじゃないですか。人を焚き付けておいて、後は知らんぷりなんてヒドいです」

 えー、それとこれとは関係ねぇだろ。

 そんな捨てられかけの子猫みたいな顔してもダメだ。

 単純に、興味本位で聞きたいだけだろ、お前。

 だが——

「それはよいな。わらわも聞きたのじゃ。話すがよい、ヴァイス」

 我が麗しの姫殿下まで、そんな御無体なことをおっしゃるのだった。

「だから、嫌だっての。他人に言うことじゃねぇだろ、そんなモン」

「そんなモンと言われても、そのようなニンゲンの機微なぞ、わらわは知らぬからな」

 してやったりみたいな顔しやがって。

 ニンゲンのことなんて、もう俺よりよっぽど良く分かってるくらいだろうが。

「なに、すべてをつまびらかにせよと言うておるのではないのじゃぞ? わらわは優しいからな、話せるところだけで構わぬのじゃ」

「あいつのいないトコで、何をどれだけ話していいかなんて、俺には判断できねぇよ。駄目ったらダメだ」

「ほう……わらわに、そのような口を利いてよいと思っておるのか、ヴァイス?」

「へ?」

 なにやら不穏なことを言い出した。

「お主、よもや忘れてはおるまいな? あのいじわる女とのことを、その内わらわに話す話すと言いながら、結局ロクに教えてくれていないではないか」

 ああ。それを言われると、弱いな。

「いや、無事に合流できたんだから、もう教える意味ねぇだろ」

 儚い抵抗を試みる俺。

「わらわが云々うんぬんしておるのは、そういうことではあるまい? お主の誠実さについて、問うておるのであろ?」

 全身を脱力して、わざとらしいくらいあからさまに落胆を表現する姫さん。

「ハァ……わらわはこれまで、随分とお主を支えてきたつもりだったのじゃがなー。いつもぼんやりしておるお主に周りの様子を伝え、考えがまとまらぬと悩んでおればいつでも相談に乗り、己が立てた作戦に自信がないとまんじりともせぬ夜を過ごしておれば朝になるまで励まし続け——そうじゃ、わらわを海賊達の元に独りで置き去りにした時も、ちゃんと健気に待ち続けたのじゃぞ。そんなわらわに対し、あまりにも不誠実だと思う気持ちが一片でもあるのなら、いまのような態度は決して取れぬ筈じゃがなー」

 分かってるよ、そんなベラベラ教えてもらわなくても。いま言われたより、ずっと世話になってることは。

「ヴァイスがそれほど薄情なニンゲンじゃったとはなー。嗚呼、ホントに残念じゃー」

 一体どこで、そんな嫌味ったらしい言い方を覚えたんだ。教育方針を間違えたかしら。まったく、どいつからうつされたんだか。

 くそ、しょうがねぇな——

「……いまのは、どういうことですか」

 一瞬、誰のものか分からないほど底冷えのする抑えた声が耳に届いた。

「え?」

「海賊の元に姫様を置き去りにしたって、どういうことですか」

 シェラが、全然違うところに食いついた。

 あれ、本気で怒ってる?

「いや、違う。お前が考えてるようなことじゃない」

「だから、どういうことですか」

「そういうんじゃなくてだな……だって、気のいい連中だよ?」

「そういうことじゃありませんよね!?」

 はい。そうですね、スミマセン。

「信じられない……私がいたら、絶対にそんなことさせなかったのに……」

 シェラはエミリーの正面で跪いて縋り付く。

「姫様、本当に大丈夫だったんですか? 何も怖いことされませんでしたか?」

 言い出した本人にとっても意図しない成り行きだったのか、エミリーも少し困惑しているように見えた。

「うむ。大事ない。ああは言ったが、本当に気のいい連中でな」

「でも、だからって……」

「それに、あやつらの元に残ると言い出したのは、実はわらわなのじゃ」

「えっ!?」

「ヴァイスには、逆にキツく止められたのじゃがな。その時は、そうするのが一番良いと、わらわは思ったのじゃ。まぁ、そのことは、いまはよい。必要とあらば、後で教えてやるのじゃ」

「それは、ご無事でよかったですけど……あまり無茶をしないでください。心配になります」

「うむ。これからは気をつける。許すがよい」

 まだ納得していない顔つきでゆっくりと立ち上がり、シェラはジロッと俺を睨みつける。

「後でちゃんと、お話を聞かせてもらいますから」

 えー、いま姫さんが言った通り、俺は反対したんだけど?

 子供の育て方に関する考えの違いで衝突する時の夫婦って、こんな感じなのかね。子供役が一番歳上だけど。

「それはそれとして、早く話すがよい、ヴァイス。今日は、あまり時間も無いのであろ?」

 いや、なんで俺が話すのは決定事項みたいな雰囲気になってんだよ。

 とはいえ、いまのくだりをもう一度繰り返す気には、流石になれねぇな。

 渋々ながら、口を開く。

——もしかしたら、俺も誰かに昨日のことを相談したかったのかもしれない。

 微妙なトコは省いたつもりだが、話し始めてみたら思ってもみなかったくらい口が滑って、経緯も含めてそこそこ詳しく喋っちまった。

「——マグナさん、そんなこと言ってたんですか?」

 昨日のマグナとのやりとりを聞いたシェラは、形の良い眉を顰めた。

「うん。言われたけど」

 軽く握った手を口に当てて、シェラはブツブツとひとりごちる。

「あの人は、ホントにもぅ……嘘さえ吐かなければ、それで良いって訳じゃないのに——で、ヴァイスさんは、それを鵜呑みにしたんですね」

 そんな心底呆れたみたいな顔をされるのは、甚だ心外ですね。

「だって、マグナはホントに自分で言ったみたいに考えてるっぽかったぜ? すげぇ自然な感じだったしよ」

「それはそうかもしれないですけど……もしそうだとしても、きっと途中が抜けてます。絶対に、大事なところが抜けてるんです!」

 んー? こいつらしくもなく、やけに断定的だな。

「意味が分かんねぇ。その抜けてるトコって、どんなだよ」

「それは……私が勝手に言っていいことじゃないっていうか……」

「なんだよ、それ。ヒトには話せって言っといてよ。大体、お前が何をどう考えてるのか知らねぇけど、そっちが間違ってる可能性だってあるだろ」

 後から考えるに、実際に面と向かって会話をした俺よりも、マグナのことをよく分かってるみたいなシェラの口振りに、つい苛ついちまったんだと思う。

 思ったより、言葉が強くなった。

 ちぇっ、やっぱり喋るんじゃなかったぜ。

「……ヴァイスさんには、分からないんです」

 消え入りそうなシェラの声は、辛うじて耳に届いた。

「はい?」

「……マグナさんは、私と同じなんです。正反対だけど、私達、ホントに似てるんですから」

 顔を上げて、潤んだ瞳でキッと俺を見上げるシェラ。

「マグナさんが、そんな風に言ったのは、ヴァイスさんのことを思ってに決まってるじゃないですか! なんで、そんなことも分からないんですか!?」

「……そんな感じじゃなかったんだよ」

 マジで。

「つか、俺には分からねぇって、シェラがいま自分で言ったんだぜ。なのに、なんで分からないんだって責められても困るっての。それとも、あいつからなんか聞いてんのか? なんか知ってんなら、ちゃんと教えてくれよ」

「それは……私もマグナさんから直接聞いた訳じゃなくて、自分で思ってるだけですけど」

「なんだよ、それ」

 呆れたみたいに鼻を鳴らす自分を、止められなかった。

 シェラは、またしおしおと俯いてしまう。

「……ごめんなさい。生意気なこと、言い過ぎました」

 ズケズケと立ち入ったことを言われてカチンと来たことは確かだが、大人気なかった自覚はある。

 シェラも、マグナを心配してのことだろうしな。

「……俺もだ。悪かったな、つい強く言っちまって。でも、実際にマグナが前より無理してないように見えたのは、本当なんだ」

 実際に会話をした本人である俺にしか、感じられない事だってあるだろう。

「これは俺とマグナの問題だから、後はこっちに任せてくれるか」

「…………はい」

 いまの俺の発言について、ホントは言いたいことが山程あるけど、無理やり抑え込んで頷いてみました、ってな顔をしてやがんな。こいつも、変に頑固だからなぁ。

「いいから、俺なんかのことより、お前は自分のことを考えろよ」

 言葉にして、ようやく気付く。

 シェラだって、自分とフゥマのことを、俺なんかにアレコレ言われたくないよな。

「……俺も、お前にもう、なんだかんだ余計なこと言わねぇから」

「——っ」

 酷く頼り無さそうな顔を向けられて、失言を重ねたことに気付く。

「ああ、違う。別に『勝手にしろ』って突き放した訳じゃなくてさ……」

 難しいな。

「相談があったら、いつでも乗るよ、もちろん。ただ、良かれ悪しかれ、不用意に自分の考えを押し付けるような真似は止めるってことだよ」

「はい……私も、すみませんでした」

 今度は、いちおう納得してくれたみたいだな。

 けど、本気で悄気しょげさせちまった。

「お互い、自分のことになると、途端に分からなくなるのは相変わらずだな?」

「あ……」

『ヒトのことなら、こうすればいいのにとか思いつくのに、自分のことになると、全然分からないです……』

 イシスでの武闘大会の最中に、マグナを恐れて部屋に篭っていた俺に、飯を運んでくれたシェラと交わした会話。

 シェラも、すぐに思い出したようだ。

 あの時と同じように、苦笑を見合わせる。

「なんだか私って、びっくりするくらい全然成長してないですね」

「お互いにな。っていうか、シェラは成長したけどな。いつの間にベホマラーなんて唱えられるようになってんだよ。焦るよ、マジで」

「そんな。つい最近なんです、覚えたの。でも、お陰で昨日は皆さんを助けられて、本当に良かったです」

 マッタクな。昨日の事件で死者が出なかったのは、完全にシェラのお陰だぜ。

「な。成長してるだろ?」

「はい……」

 ここで否定したら、昨日の活躍まで否定することになっちまうからな。

 さすがに、素直に頷くシェラだった。

「——あ、ごめんなさい、長居して。この後、サマンオサに向かう用事があるんですよね?」

「ああ。ぼちぼち準備する感じかな」

「あの、私、本当について行かなくても大丈夫ですか?」

「うん。今日のところは、夜には戻ってくるつもりだし、とりあえず問題ねぇよ」

「……分かりました。私もまだ詳しくは聞いてないんですけど、あちらは大変な様子みたいですから、気をつけてくださいね。姫様も、お話ありがとうございました」

「うむ。気にするでない。後は、お主らの思うようにするがよいぞ」

「そうそう。そっちの方面でも、ちょっとは成長しないとな」

 俺の軽口に、冗談めかして睨みつけるシェラ。

「また、余計なこと言ってますよ? でも……ちゃんと、頑張ってみます」

 俺なんかが言うまでもなく、元から自分でも話し合うことを考えていたんだろう。

 さっきまでより、全然いい顔してるし、大丈夫そうかな。

「それじゃ、気を付けて下さい。また後で——」

 両手を細かく振りながら部屋を後にしたシェラを見送って、エミリーが俺の服の裾を握ってきた。

「ヴァイス……わらわは、シェラに無責任なことを言ったじゃろうか」

 ああ、やっぱり気にしてたのね。

「エミリーは、さっきシェラに話したことを、随分前から考えてたんだろ?」

「うむ……フゥマの奴めに相談されておったのでな。色々と考えるきっかけになったのじゃ。じゃが、余計なお世話だったであろうか」

「大丈夫だろ。そういうのも含めて、ちゃんと伝わってるよ」

「だと、良いのじゃがな……」

 ぽん、と銀髪の天辺に掌を乗せて撫でる。

「あとは、あいつらを信じてやろうぜ」

「うむ……ま、あの粗忽者については、心配するだけ無駄じゃしな。それに、さきほどのシェラのアレも、きっと儀式みたいなものであろうし」

「儀式?」

「一歩を踏み出す勇気を得る為の儀式じゃ。先の分からぬ未来とは、恐ろしいものであろ?」

 昨日と同じ今日、今日と同じ明日が永遠に続くエルフの里では、きっと実感できなかった感情。

「……そうだな」

「まだ子供のシェラが、多少ぐずったところで仕方があるまい」

 自分の方が、よっぽど子供みたいな見た目の癖して——思わず笑いを誘われたが、なんとか我慢した。

「それにしても、よくもまぁニンゲンは、これほど短期間にどんどん変わるものじゃな! いつも変わらぬ里をつまらぬと思っておったわらわですら、お主らの変化の速さに目が回るばかりで、とてもついてゆけぬのじゃ」

「そうか? エミリーも、結構変わったと思うけど」

「ほぅ? それは、良い意味でか?」

 ああ、ごめん。そこまで深く考えて発言してなかった。

「——もちろんでございます、我が麗しの姫殿下」

「フン。お主がそのような口を利く時は、決まって何かを誤魔化そうとしておるのはしょうちしておるぞ」

「……バレたか」

「ま、お主も存外、分かりやすい男よな」

 そういう口の利き方が、変わったって言ってんだよ。

 俺は時折、不安になるのだ。

 もちろん、姫さんのことを信じてはいるけどさ。

 どうか、俺と関わったことで、エミリーが悪い方に変わってませんように。

6.

 話は戻って、サマンオサの魔法協会の応接室。

「——そんじゃ、こっから割りと近いんだな」

「ええ。市中の本邸は召し上げられたと聞いてますので、王都に滞在している間は街外れの別邸の方にいらっしゃる筈です」

 俺はクリスから、ファングの家の場所を聞き出していた。

「ただ……伺うには日が悪いかも知れませんよ?」

「っていうと?」

 問い返すと、クリスは「失礼」と呟いてカップに手を伸ばし、中身を軽く口に含んだ。

 なかなか話を切り出さずに、受け皿に戻したカップの位置を意味も無く時間をかけて丁寧に直し続ける。

 よほど言い難い事なのか。

「——先程、そちらの墓地で送られていたブレナンという方がいらしたじゃないですか」

「ああ」

 悪い予感がした。

「ブレナン氏は、常に民衆の側に立ったご発言をされていましたので、体制側とはいわば緩やかな対立関係にありました。その彼と親しく付き合い、さらには生家のこともあって煙たがられていたのが、いま話題にしていたファング様なのです」

「……やっぱりか」

 察しはついてたけどな——あのバカらしい。けど、ブレナンて人を護り切れなかったのは、ファングらしくねぇな。

 クリスは、まだ愁眉を開かなかった。

「おそらく、貴方が察しているよりも、状況はさらに悪い。彼は昨日、ブレナン氏が拷問されている様を、目の前で見せられたのだと聞いています」

「なん——っ」

 だ、そりゃ。

「それだけではありません。これまで、本当に色々とあったのです——結果として、ブレナン氏の件はトドメに過ぎなかったと表現できてしまうくらいに」

 ここまで喋っておいて、クリスは話を続けるのを逡巡しているように見えた。

 もっと言い辛い事があるってのかよ。

 やがてクリスは、諦めたように大きなため息を吐いた。

「あなた方は、彼に会いに来たのだとおっしゃいましたね」

「ソイツはね。あたし達は、ただの付き添いだけど」

 腕と脚を組んだまま、マグナが俺に向かって顎をしゃくる。

 ジパングでファングと反りが合わなかったリィナも、マグナに同調するように無言で頷いた。

「あんたの言う通り、俺はあいつに会いに来た。聞かせてくれ、何があったのかを」

「……そうですね。どうやら親しい間柄のようですし、貴方は知っておいた方が良いのでしょう。いきなりでは、ショックが強過ぎるでしょうから」

 物騒なことを口にして、いかにもクリスは気が重そうに、もう一度深いため息を吐いた。

「断っておきますが、私がこれからお話する内容は、逐一裏を取った訳ではありません。ですので、正確性は保証し兼ねます。ともあれ、巷間ではこのような噂が流れているのだと、ご理解ください」

 そう前置きして語りだしたクリスの話は、俺の想像を絶していた。

「——約一年半振りに故郷へ戻ったファング様を待ち受けていたのは、彼が探し求めていた父親が、世にも無残な死を遂げたという報告でした」

 時系列的には、俺と姫さんと別れてすぐのことか。

 父親が見つかったって、そういう意味だったのかよ。

 のっけからこれは、さすがにハード過ぎるだろ。

「国王の不興を買って国外に追放されたとだけ御触れのあったサイモン様は、実際はこの地より遠く離れた別の大陸で、ひどく不衛生な牢獄に囚われたまま、失意の内に衰弱して亡くなられたのだといいます」

「え……いや」

 言葉を失っている内にどんどん進む話に、頭が追いつかない。

「わざわざ他の大陸まで運んだのか? しかも、牢につながれてたって、罪状はなんだよ?」

「罪状は、ありません」

「は?」

「強いて言えば、国王の機嫌を損ねたというのが罪でしょうか。サイモン様は、どれほど疎まれても諫言を止めませんでしたから」

——王様の為を思って諫言した、最も信頼の置ける臣下まで放逐しちまったって話でね。

 グレースの言葉が脳裏に蘇る。

 そういうことか。

「……罪状も無しなんて、そんなこと、許されるのか」

 法も秩序もありゃしないじゃねぇか。

「それが許されているのが、いまのこの国です。国王が黒と言えば白も黒。そういう状況なのです」

 なん……だ、そりゃ。

「ただ私は、サイモン様の追放は、国王の機嫌を損ねただけが原因ではないと見ています」

「ていうと?」

「ご想像に難くないでしょうが、サイモン様は民衆に絶大な人望がありました。彼の勇者の称号は、もちろん正式のものではありません。常に身を挺して魔物から民を護り続けた彼に、自然発生的に贈られたものです。国王が人が変わったように暴虐となってからも、常にそれを諌め、国民との橋渡し役たらんと努力し続けた、本当に立派な人物だったのです」

 あいつの父親だもんな。そりゃ、立派だろうよ。

「有り体に言ってしまえば、そんな彼が反乱軍の旗印として担ぎ上げられてしまうことを、国王派は極度に恐れていたのですよ」

「国王派?」

「ええ。そのような、ロクでもないやからがいるのです——おっと、私がこんな口を利いただなんてことは、どうかご内密に願いますよ」

「国王側についてる奴らってことか……この国の王様は、まるで出来の悪い怪談噺みたいに臣民に恐れられてるんじゃなかったのかよ。それでなくても、やってることだって滅茶苦茶だろ。よくそんな暴君に付き従う連中がいるな」

「私などが言うまでもないことですが、権力者に取り入って甘い汁を吸おうとする輩は、いつだって湧いて出るということでしょう」

 マジかよ——いや、冷静に考えれば、そういう連中が存在しなければ、すでに体制として成り立っていない筈だ。それは、理解できる。

 けど、そうは言ってもさ——

「答えになってないわ」

 唐突に、マグナが口を挟んできた。

「正体を考えれば当たり前かも知れないけど、人を人とも思わない残忍な王様なんでしょ? サイモンさんが邪魔だったら、手っ取り早く処刑しちゃいそうに思えるんだけど。そうじゃなくても、自分のところの牢屋に閉じ込めておけばいいのに、わざわざ他の大陸まで運ぶ理由の答えになってないわ」

 顔の下半分を手で覆って、俺は考える。

「いや、いくらサイモンが目障りだからって、大した理由もないのに処刑しちまったら、あぁ、気に入らねぇからぶっ殺したんだなって、三歳のガキにも分かっちまうだろ」

 クリスが答えるより早く、つい口が動いた。

「そりゃそうだけど、そんなの魔物の王様が気にすることなの?」

「王様は気にしなかったとしても、国王派とやらの連中は、気にするんだよ」

 多分、そういうことなんだろう。

 ようやく、頭が追いついてきた。

「暴虐な王様から自分達を解放してくれる筈だった、絶大な人気を誇る勇者様が謀殺されたなんて民衆に知れたら、どうなると思う? もはや他に打つ手なしってな具合に、これまでにないくらい大規模な反乱のキッカケになっちまってもおかしくねぇだろ」

「……だから?」

「つまり、サイモン謀殺って大事件の影響力を最大限に削ぐ為に、国王派は国外どころか他大陸に追放するなんて手段を選んだんだ。もちろん、表向きは投獄したなんて言わなかった筈だ。そうだろ?」

「はい。お触れがあったのは、あくまで国外に追放されたことだけでしたね」

 視線を向けると、クリスは小さく頷く。

「追放された先で生きてると思わせときゃ、印象は全然違ってくる。魔物が跋扈するこのご時世じゃ、魔法でも使えない限り、大陸間を移動するのは容易じゃないからな。支持者が迎えに行くことも難しいし、そもそも何処に追放されたかも分からないんじゃ、追う手立てすらないって話だ。処刑したり、自国で投獄するよりゃ、不満分子も爆発しにくかったろうぜ」

「実際、おっしゃる通りでしたね」

 クリスが請け負うと、俺に反論されたのが面白くなかったのか、マグナがふくれっ面をする。

「じゃあ、なんで後になって牢屋に繋がれてたことが分かったのよ」

「これは、あくまで噂なのですが」

 と、今度もクリスは切り出した。

「ロマリアにほど近い、とある湖の孤島にサイモン様が囚われていると吟じた詩人がいたそうです。彼も伝え聞いたという話でしたから、おそらく幾人かの吟遊詩人の口を介して、この地まで届けられたのだと思いますね」

「……そいつは、結構危ないネタじゃねぇのか?」

「ですね。実際その詩人は、人心を惑わしたかどで捕らわれてしまいましたから。彼がうたうところを、私が直接聞いたわけではないのですが、良識派の秘密集会などでは重宝がられたようですよ」

「良識派?」

 また、新しい単語が出てきた。

「ああ、そういえば説明していませんでしたね。いわゆる反国王派を、そう呼ぶのです」

「そりゃまた……随分と腰の引けた呼び方だな」

「そんなところにも、現国王に対する恐怖が滲み出ているということでしょうかね」

 なんか引っかかるな。

 俺は口に手を当てたまま、猛烈な勢いで頭を回転させて、仮説と検証を繰り返す。

「……もしかして、その詩人経由でサイモン謀殺の噂が流れたのって、ファングが戻ってくるちょっと前だったりしたか?」

「ええ、そうです」

「なら、あいつの帰還は、かなり話題になったんじゃねぇか?」

「それは、もちろん。吟遊詩人が捕まったことで、疑惑は本当なんじゃないかと、ちょうど騒がれていた時期でしたからね。時の人と言っても過言ではありませんでした」

「つまり、皆の興味の中心は、サイモンからファングに移った?」

「いや——どうでしょう。両者を切り離して考えたことは無かったな。サイモン様が異国で密かに命を落とされたという疑惑に関心が集まったのと同じ流れで、嫡男であるファング様が注目されていたように思いますね。まぁ、結果としては、貴方がおっしゃったように受け取れなくもありませんが」

 クリスはしっくりと来ないようだが、わざわざファングが呼び戻されたことに、何か理由がある気がしたのだ。

 もちろん、ただ単に、サイモンの行方が知れたから、慌ててファングに使いが出された可能性も高い。

 だが、詩人の介入という思わぬ形で露出したサイモン謀殺の疑惑から国民の目を逸らす為に、実子であるファングを国王派が利用したのだとしたら。

 胸糞悪いが、よく考えてやがる。

 両者の関係性が近過ぎて、さっきのクリスじゃないが、話がすり替わったことに気付かない人間が、ほとんどだろう。

「ところで、皆さんは『旅の扉』をご存知ですよね?」

 やや脈絡なく、クリスがそんなことを尋ねてきた。

「ええ。アリアハンからロマリアに移動する時に使ったけど」

 それがどうしたの? と言わんばかりの口振りで答えるマグナ。

「これは良識派の間では、ほとんど事実と受け止められていることなのですが——」

 事の真偽には関知しない言い訳みたいに、クリスはそう前置きした。

「サマンオサにも『旅の扉』が存在するのです。そして、件の吟遊詩人によって明らかにされた位置関係によれば、サイモン様が囚われていた孤島の牢獄は、此のサマンオサから『旅の扉』をいくつか渡れば、時間的にはほんの数日で辿り着ける場所に位置していたようなのです」

「……マジかよ」

 俺は、しばし言葉を失う。

 つまり、アリアハンや西方諸国を遊歴などせずとも、ファングには直ぐに父親の元に辿り着ける手立てがあった訳だ。

 衰弱し切った父親が、失意の内に獄中で命を落とす前に、間に合ったかも知れないのだ。

 実際は、そう単純な話ではないだろう。

 だが、ファングの立場だったら、どうしてもそう考えちまうに違いない。

 それを知った時のあいつの絶望は、いかばかりか。

 俺には到底、計り知れなかった。

「なんで今、そんなことを言うのじゃ?」

 姫さんが怪訝に眉をひそめる。

 ショックで声が震えていた。

 ファングやアメリアとは、俺より付き合い長いもんな。

「いえ、他意はないのです」

 クリスは弁解するように、慌てて言葉を続ける。

「御察しの通り、サイモン様が謀殺された噂が流れ、人々の不信感が頂点に達しようとした時に、颯爽と姿を現したファング様は、ただでさえ注目を集めました。それに加えて、先程申し上げたような悲劇性が、彼の人気を強力に後押ししたのです。国王派の手前、あくまで水面下で密やかにですが、ほとんど熱狂的と呼んで差し支えないほどの期待が、彼に集中したのですよ」

 当時の民衆の気持ちは、いまの俺にはよく分かる。

 あいつほど頼りになるヤツも、そうはいないからな。

「という経緯を、ご理解いただこうと思っただけで、それ以上の意図はありません」

「……それで、ファングはどうしたのじゃ。いまのような話を聞かされて、大人しくしておるあやつではあるまい」

 外見は幼い少女にしか見えないが、さすがに只者じゃないことは分かるんだろう。

 クリスは姫さんを軽んじる様子もなく、俺に対するよりも恭しいくらいの調子で答える。

「仰る通りです。彼は直ぐに、国王派以外は恐れて誰も近寄らなくなって久しい国王の元に、単身で直談判に向かいました」

 真っ直ぐ本丸を突く辺りは、あいつらしいな。

「ですが、最初はやはり、すげなく門前払いを繰り返されたそうです。しかし、彼は諦めませんでした。王城に日参して謁見を求めた続けた彼は、やがてブレナン氏という知己を得ることになるのです」

——お前、こっちでもダチが出来たんだな。

 そんな全然関係無いことを、俺は頭の片隅で考えていた。

 ただ、ブレナンて言や、さっき墓地に運ばれてた最後の良識派のことじゃねぇの。

 あいつ——大丈夫なのか?

 ていうか、ブレナンが最後ってことは、ファングは良識派と見做みなされてねぇってことか?

 俺の裡で渦巻く様々な疑問を置き去りに、クリスの話は続く。

「当時のブレナン氏は、国王におもねって利を得ようとするか、恐怖にしばられて言いなりになるばかりの国王派しか存在しない城内で、この異常な事態を正常化すべく孤軍奮闘されていました。ファング様が父親を探しに国を出た頃は、いま少し良識派も残されていたのですけどね。恐怖や金銭で寝返ったり、応じなかった者は投獄や処刑されてしまったのです」

「そんな状況で、よくブレナンさんは無事だったわね」

 マグナの尤もな質問に、クリスは肩を竦めた。

「こう言ってはなんですが、然程お力を持たなかったことが幸いしたのでしょう。庶民からの人気はともかくとして、先程申し上げたように爵位は高くないというか、正確に言えば名誉称号しか持たない平民身分でしたから」

「ふぅん。要するに、国王派の眼中に無かったってことね」

 身も蓋もないことを言うマグナ。

「とはいえ、そのブレナン氏の尽力も多少は影響したのでしょうか。程なくしてファング様は謁見を許されました。そこで、どのようなやり取りがあったのかは、いまに至るまで謎に包まれたまま明らかにされていません。ですが、結果として、彼は民衆の期待を手酷く裏切ったのです」

「なんだと?」

 嘘だろ?

 そんな真似、あいつが死んでもするかよ。

「なにかの間違いではないのか? あやつが、自らそのような行いに及ぶとは思えぬ」

 俺の内心を姫さんが代弁すると、クリスは姿勢良くソファに腰掛けたまま、小さく顎を引いた。

「ええ。今度も仰る通りなのでしょう。しかし、私を含めた民衆がそれを思い知るのは、ずっと後になってからのことでした。当時は皆、謁見を許されたファング様が新たに領地を安堵されたことにしか、目が向かなかったのですよ」

「新しい領地?」

「はい。サレス家の領地は、サイモン様が国外に追放されたと同時に召し上げられていましたので、彼は所領を持ちませんでした。それが、国王に目通りが叶った途端に与えられたのですから、ファング様は自分達の期待を裏切って国王にくみしたのだと民衆から見做されても、無理からぬ成り行きでした」

「……信じらんねぇな。あいつは、そんなエサに喰い付くタマじゃねぇだろ」

「わらわも、同感じゃ」

 あいつが一番選びそうにない選択肢じゃねぇのか、それは。

「当時の人々も、そのように彼を信じられれば良かったのですが。そうすることが出来たのは、ブレナン氏の他は、ごく限られた人々だけでした。そもそも彼が封じられた土地は、元が直轄領ですので王都からの距離こそ近いものの、あまりにも痩せていて旨味など全くない、永らく見放されていたような土地であることくらい、少し調べれば分かったのですが」

「ああ——」

 なんか、分かってきた。

「いまになってみれば、国王派にとっては目障りな彼の評判を貶め、さらには王都から追い出すこともできる、一石二鳥のなかなかに良く考えられた対応だったと思いますね。ですが、国王派にとって誤算だったのは、父親の無残な最期を知り、ひどく痩せた土地に封じられてなお、ファング様が絶望のあまり失意に沈んだりはしなかったことです」

「さもあろうな」

 ちょっと鼻息を荒くして、姫さんがどこか得意気に口にした。

 そう。俺達は、あいつが折れたりしないことを知っている。

「彼は領地に赴くなり、早速自らの手足を使って痩せた土地の開墾をはじめました。住民もいないではありませんでしたが、他所よそで食い詰めた棄民のような者達がいくらか勝手に住み着いているくらいで、その多くは食うや食わずの生活を営んでいたようです。最初は遠巻きに眺めるばかりだった彼らですが、あまりにも精力的で力強いファング様に感化される者がひとり、またひとりと増え始め、次第に領主として認められていったのだとか」

 その様子が、目に浮かぶ。

 エフィの故郷で魔物退治に精を出してた時も、最初は反発されてたラスキン卿の配下に、最後はとうとう認められて陣頭指揮まで執ってたもんな。

「ブレナン氏とも、頻繁に連絡を取り合っていたようですね。ただ、彼だけであればまだ良かったのですが、良識派の中でも急進的な、反乱軍などと称される輩も、幾度となくファング様に接触を試みていたのです」

 そりゃそうだ。

 領地の件で多少ケチがついたとしても、反国王の御旗として掲げるには、これ以上ない人材だからな。その類いの連中から打診はあって当然だろう。

 人の評判なんて移ろいやすいモンだしさ。

「ですが、結果から見ると、ファング様は反乱軍の誘いを全て断りました」

「だろうな」

 当然のように頷く俺に、クリスは何故かちょっと感心した風な声を出す。

「へぇ、納得されるのですね。私などは、何故反乱軍と合流しないのだろうかと、当時は不思議に思ったものですが」

「そりゃ、まぁ——反乱軍なんて連中の話に乗っちまったら、本格的な内乱に発展しかねないだろ。そしたら、そこらでつつましやかに暮らしてる庶民まで巻き込んじまうじゃねぇか。そんなことを、あいつが望むとは思わねぇよ」

「ほうほう。つまり、領民の平穏を優先したということですか」

「いや、あいつのことだから、自分のトコだけじゃねぇな。多分、この国全体——もっと言や、周辺諸国まで含んだサマンオサの影響が及ぶ範囲、全部だよ」

「なんと——そこまで、お考えになっていましたか」

「いや、考えてた訳じゃねぇな」

 あいつのことだ。どうせな。

「と、おっしゃいますと?」

「あいつが選ぶことなんて、決まってんだよ。考えるまでもなく、最初ハナからさ。底抜けのバカだからな」

「そうじゃな」

 バカ呼ばわりをたしなめられるかと思いきや、エミリーもどこか誇らしげな表情で同意する。

 一方、マグナは興味無さそうに頬杖をつきながら自分の爪を眺め、リィナも相変わらず我関せずと菓子をちまちま齧っていた。

 いちおう話は聞いてはいるみたいだが、後で俺にまとめて説明させようって腹積もりだろ、これ。

「なるほど。あなた方は、どうやら本当に親しい間柄なのですね」

「そんなこともねぇけど」

 俺の否定の言葉は、何故かすっかり無視された。

「結果の分かった今になってみると、なるほど頷けなくもない人物評です——が、なんといいますか、協力の要請を突っぱねたことで、当時のファング様は反乱勢力の不興まで買ってしまいましてね。有ること無いこと悪い噂を流されて、この王都でも一時は評価が地に落ちていたのです。期待があまりにも大きかった反動もあるのでしょうが、偉大なる父親とはかけ離れた保身にしか興味の無い出来損ないの卑怯者だとか、本当に散々な言われようでしたね」

 思わず、失笑が口をついた。

 それほど、あいつに似つかわしくない評価も無ぇな。

「大規模な反乱が未然に防がれた事件があったことは、先ほども少し触れましたよね。そちらについても、ファング様が国王派に情報を漏らしたのではないかと疑われていました」

 勝手に押しかけておいて、迷惑な話だな。

 あいつが、そんな真似する訳ねぇだろ。

 だが——ジツのところ、グレース達のアジトから南方大陸を北上している間に寄った港町では、あいつのよくない噂を耳にすることも何度かあったのだ。

 どうせ、どっかに誤解があるんだろうと思って、口さがない連中が好む類いの噂話ゴシップ程度に聞き流してたんだが、実際に快く思われていなかった時期もあった訳か。

「そうそう。ご本人だけでなく、いつも付き従っている侍女との聞くに堪えない下世話な噂話も、良く流されていましたね」

「アメリア……」

 姫さんの不安げな呟きが隣りから聞こえた。

「それについちゃ、あいつはすげぇ怒っただろうな。でも、自分の噂に関しては、大して気にしなかった筈だ」

「良くお分かりで。ブレナンさんも、同じように仰っていましたね。いまの貴方と同じように、ファング様を随分と信頼されているご様子でした」

 いや、別に俺は、そういうんじゃねぇけど。

 ていうか——

「ブレナンと、喋ったことがあるのか」

 気になって尋ねると、クリスは寂しげに微笑んだ。

「ええ、本当に少しだけ。それもあって、つい肩入れしてしまうのかも知れませんね。自分は王都の中から、ファング様は外から、この国を変えていくのだと、希望を語っていた彼の表情を、いまでも覚えていますよ」

「……そっか」

 言うべき言葉が、見つからなかった。

「……話を戻しましょう。巷間に流れる下世話な噂に惑わされることもなく、ファング様は自らの所領をより良くする為に、黙々と働き続けました。それこそ、本来は領主のやることではないような土仕事まで、率先して行ったようですね。なにしろ、彼の領地は治めるとかいう段階に達してすらいませんでしたから。他の土地から追われた人々が身を寄せ合って、全く管理されることもなく、禿山ばかりの土地でひどく原始的な生活を送っていたそうです」

「禿山か……わらわがおれば、役に立てたかも知れぬな」

 ポツリと口にしてから、はっと姫さんは俺を振り仰ぐ。

「……すまぬ」

 いや、なにがだよ。

 俺は黙って、フードの上にぽんと手を乗せた。

 怪訝な顔をするクリスに、頷いて先を促す。

「驚くべきことに、ほんの数ヶ月で彼の統治は形になりはじめていました。現地に住み着いていた人間を積極的に登用し、住居を建て、田畑を作り、まだまだ十分とは言えないながらも衣食住の目処をつけ、それによって人々に希望が再び宿りかけた、矢先の出来事でした——」

 クリスが、急に言葉に詰まった。

 酷く躊躇っている。

 何だ?

「なにが、あった?」

 水を向けても、しばらくクリスは口を開かなかった。

「……ファング様の領地を、野盗の一団が襲ったのです」

 沈痛な声。

 姫さんが、息を呑むのが分かった。

「もちろん、ファング様は領民を護るべく奮戦したと聞いています。ですが、訓練を受けた人間が味方にほとんどいない状況で、たったのお独りで領内の全てを護り切れるものではありません。彼は目の前で、短い期間とはいえ苦楽を共にした領民を皆殺しにされたのです。それはまさしく、鏖殺と呼ぶべき大虐殺だったそうです」

「なんじゃ、それは……」

 わななくエミリーの声。

「皆殺しじゃと? 意味が分からん……わらわの聞き違いか?」

 クリスは、小さく首を横に振った。

「いえ、残念ながら」

「信じられぬ——そのような恐ろしい野盗が、この国にはおるというのか」

「そうですね。いまのこの国の治安は、なにしろ最悪ですから。頭数だけでいえば、ちょっとした軍隊が作れる程度には、実際にいるでしょう」

「信じられぬ——」

 エミリーは、呆けたように同じ言葉を繰り返す。

「ですが、それらはあくまで各地に散らばっていて、お互いに対立していることも珍しくありません。ファング様が封じられた領地はそこまで広くなかったとはいえ、一領主が治める土地すべてを殲滅できるような大規模な一団が存在するとは、それまで聞いたことがありませんでした」

「ならば、何故——」

「これも、あくまで噂の範疇なのですが——野盗に偽装されてはいたものの、その一部は反乱軍の旗を掲げていたという生き残りの証言を、耳にしたことがあります」

「なに……?——なんじゃと!?」

 エミリーの声は、悲鳴に近かった。

「つまり、なんじゃ!? ファングの領地を襲ったのは、反乱軍じゃというておるのか!?」

 クリスは、なんとも答えなかった。

「何故じゃ!? まさか、協力を断られた腹いせではあるまい? 大規模な反乱の計画が、ファングから漏れた疑いをかけられたと言っておったな? そのせいか!?」

 姫さんの荒い息遣い。

 悲痛な疑問に誰も答えられないまま、魔法協会の応接室は、しばし重苦しい沈黙に包まれる。

「しかし、いくらなんでも信じられぬ……それとも、やはりニンゲンは、そのように恐ろしいことを平気でする種族じゃと——」

「それは、本当に反乱軍だったのか?」

 顔の下半分を強く握りながら、俺は姫さんの言葉を遮って尋ねた。

「……私には、どちらとも判じかねます。ただ、そのような噂が流れていたとお伝えすることができるだけです」

 ようやくクリスから返ってきたのは、そんな答えだった。

「ヴァイス?」

 姫さんの不安げが声が、遠くに聞こえる。

「……そうね。だって、反乱軍は弾圧のせいで軍の体を成してないって言ってなかった? 一発逆転を狙った大きい計画も、やる前に潰されちゃったんでしょ。なのに、そんなことできるの?」

 この声は、マグナか。

 そう。話が通らない。通すとしたら——

「やり方が——最初に聞いた国王派の方に近い」

 頭が過剰に回転しているのが分かる。

「それは——ああ」

 腑に落ちたようなクリスのため息。

「この国の正規の軍隊が、野盗のフリした反乱軍の、そのまたフリをして、自分の国の人間を襲ったって言ってるの?」

 再び、マグナの声。

「ああ。けど、この際、どっちがやったかはどうでもいい——いや、どうでもよくはねぇな。でも、要点じゃない。それより、あいつだ。あいつは、自分がいくら傷付けられたって、絶対に折れたりしねぇんだ」

「——ちょっと、ヴァイス、大丈夫? 顔、真っ蒼よ」

 この声は、何言ってんだ?

「どうでもいいだろ、そんなこと。だから、あいつを折るには、あいつ自身を攻撃したってダメなんだ。誰だ、これを考えたヤツは。なんて上手いことやりやがる」

「ちょっと、ホントに大丈夫? なに言ってるの?」

 うるせぇな、俺のことなんて、どうだっていいだろうが。

「誰だか知らねぇが、そのクソ野郎は、まずはじめにあいつに大切なモンを作りやがったんだ。作った上で、目の前でぶっ壊しやがった」

 あいつを傷つけるには、あいつ自身じゃなくて、あいつの大切なものをぶっ壊すしかない。

 森の中の材木置き場で、ゴロツキ共の方に同調しちまった過去が。

 自分の裡に覚えたことのあるクソみたいな感情が、吐き気を伴って甦る。

 ハァハァと、やたら耳につくこの呼吸音は誰のだ、うるせぇな。

 気持ち悪ぃ。

 目の前が真っ暗だ。

「ヴァイス!!」

 鋭い叱咤が、俺を呼び戻す。

 びくっと顔を上げると、マグナが眉を顰めて俺を睨みつけていた。

「しっかりしなさいよ。あんたがあたし達を連れてきたんでしょ」

「あ、ああ」

「そのあんたが、真っ先に我を失ってどうすんのよ」

「……悪ぃ」

 自分が息を荒げていることに気付いて、呼吸を落ち着かせる。

「……話の腰を折って悪かった。もう大丈夫だ。続けてくれ」

 自分でも驚くくらい、声が掠れていた。

 我ながら、まったく大丈夫そうじゃない。

 クリスが困惑顔で応じる。

「と言われても、もう話すことは、ほとんどありません。先ほど皆さんも目にした顛末が残っているくらいです」

「それって、ブレナンさんのこと?」

 声を出せない俺に代わって、マグナが尋ねた。

「ええ。襲撃事件があってほどなく、ファング様は王都に呼び戻されました。そして、国王派が捕えたという、彼の領地を襲った賊の首謀者という名目の人物と引き合わされたのです」

「——え?」

「ちょっと待ってよ。その言い方って、まるで——」

 他人事みたいな顔をしていたリィナですら、途中で言葉を失って押し黙る。

「そうです。襲撃事件の首謀者として国王派が引っ立てたのが、ブレナン氏だったのです」

「馬鹿な……」

 戦慄わななく姫さんの声。

「とても信じられぬ……ファングが信用した人間が、そのような真似をする筈がない」

「……本当のところは、私にも分かりません。ですが、繰り返し申し上げますが、この国では国王が黒といえば、白も黒。一度でも口にされたことは、決定事項なのです」

 クリスの口振りは、暗に濡れ衣を着せられたのだと言ったも同然だった。

「これは、国王派がまるで手柄のように自ら喧伝していることなのですが……ファング様は、拷問を受けながら強制的に自白させられたブレナン氏の姿を、目の前で見せつけられたそうです」

 なんだ、それは。

「……むごいわね」

 マグナの声が。

 良く、聞こえない。

 この辺りから、記憶がはっきりしない。

 ともあれ、ファングが居るという別邸の場所を聞き出して向かったことは、気が付いたらそこに居たので、事実らしかった。

7.

 ファングが居を構えているという街外れの屋敷に、どうやって辿り着いたのか、よく覚えていない。

 思ったよりも小ぢんまりとした屋敷の正門は開け放たれ、往時は手入れが行き届いていたことが偲ばれる、既に枯れ果てた噴水が据え付けられた前庭の向こうで、建物の入り口が荒々しく開かれたのが目に入った。

 耳障りなガナり声を発しながら、ドヤドヤと何人かの男達がそこから姿を現す。

「いいか、分かったな! さっさと明け渡す準備をしておけ! 修繕の手配もあるのでな!」

 半分振り向いて、屋敷の中に向かって怒鳴っている、あいつは。

「それとも、お前が俺の元に来て心を込めて奉仕するのであれば、あと二、三日は待ってやらんでもないぞ!」

 ハーッハッハッハッ!

 まるで歌劇役者じみた、お手本のような哄笑が響く。

 それを聞いただけで、そいつがこれ以上なく調子づいているのが分かった。

 胸がざわつく。

「ヴァイス、あやつは——」

 苦々しい姫さんの呟きが聞こえた。

 俺は、あぁ、とも、うぅ、ともつかない呻き声を上げたと思う。

「本当に、この屋敷は私にくださるのですよね?」

「くどいぞ。こんなちっぽけな別邸など、いくらでもくれてやる。人には相応しい格というものがあるのでな。市中の本邸しか、俺には釣り合うまいよ」

「まったく、仰る通りです。私には、この位が分相応というもので——ん? なんだ、お前らは。誰に断って敷地内に入っている。さっさと出ていけ! 警邏に引っ立てさせるぞ、図々しいガキ共が」

 顔をしかめた太鼓持ちの一人が、俺達に向かってシッシッと犬猫を追い払う仕草をした。

「いや、待て。ほう——?」

 見覚えのある男は太鼓持ちを軽く手で抑えると、髭の生えた顎に手を当てて擦りながら、片眉を上げてこちらを眺める。

「これはこれは、誰かと思えば、坊っちゃんのご友人方ではありませんか。こんなところまで、一体何をしにいらしたのかな?」

 弄うようにそう言って、浅黒い顔に汚い笑みを浮かべたのは、ランシールまでファングを連れ戻しにきた、なんとかいう男だった。

 誰も答えようとしない俺達に苛立ったように、ひとつ舌打ちをする。

「ハッ。どうせ、金の無心というところだろう。だが、残念だったな。まったくの無駄足だぞ。ついさっき、この屋敷の当主は一切の権能を失ったところだからな。最早、なんの力も持たない、ただの小僧よ」

彼奴きゃつの爵位から以前持っていた領地まで、全てを引き継ぐことを認められた方こそが、こちらにおわすミゲル様なるぞ。貴様ら、頭が高いのではないか?」

 ああ、そうだ。ミゲルだ、こいつの名前。

 どうでもいい。

「フン。女子供ばかりを引き連れおって、なんのつもりだ。お可哀そうな坊っちゃんをお慰めでもするつもりか?」

 男達は、びっくりするくらい下卑た笑声を交わし合う。

「それにしては、少々色気の方が心許無く感じられますな!」

「そう言ってやるな。貧乏当主のご友人では、あのくらいが精一杯だったのだろうよ」

 ハーッハッハッハッ!

 やたらとデカくて下品な笑い声が、虚しく空に消えていく。

「驚いたわね。こんなに分かりやすく調子に乗ってる連中、はじめて見たわ」

 マグナの口調は揶揄するでなく、本当に驚いている風だった。

 目の前の少女の口から出た言葉が、あまりにも予想外だったのだろう。

 男達の反応は、一拍遅れた。

「——なんだと?」

「いま、なんと言った、娘ぇッ!?」

 取り巻きの一人が怒鳴る。うるせぇよ。

 どうにか小声を絞り出す。

「いい。放っとけ。こいつらは、どうせ道化だ」

 そんなことより、あいつの元に行くのが先だ。

「……それもそうね」

 足早に横を通り過ぎようとした俺の耳に、背後からちょっとした騒ぎが届く。

「生意気な小娘が。大人に対する口の利き方を教えてゃ——ぃぎゃあっ!」

 ちらりと後ろを見ると、マグナに手を出そうとした取り巻きの一人が、リィナに腕を捻り上げられていた。

「悪いけど、汚い手でボクのボスに触らないでくれるかな」

「離——せっ!」

 必死に身をよじった男の腕を、リィナはあっさり解放する。

「な、なんなんだ、この凶暴な女は!」

 男の暴言に、少し傷付いた顔をするリィナ。

「ハハハ、何をやっているんだ、貴様は」

「女相手に、情けないヤツだ」

「だらしないぞ、バルボサ」

 ミゲルに続いて、周りの連中からも嘲笑われて、男はリィナを指差して必死に言い募る。

「い、いや、違う! コイツの力は、とても女のものじゃなかったんだ!」

「そんなに強く掴んでないけど。キミが弱っちいだけじゃないの」

 拗ねた口調。

「言われているぞ、バルボサよ!」

「これは大人の男として、威厳を見せてやる必要があるんじゃないのか?」

 取り巻き連中に囃し立てられて、後に引けなくなったのか。

 思い詰めた顔をして、バルボサと呼ばれた男は腰のものに手を掛けた。

「よせよせ。刃傷沙汰なんぞで、いまのこの気分に水を差すな」

 勿体ぶった態度で、ミゲルが間に入る。

 ていうか、なんでこいつら武装してやがるんだ。

「それにだ、お前ら——いや、卿ら。自分が、もう立場のある人間だと弁えろ。そんな程度の低い連中は放っておくがいい」

「これは、我々としたことが」

「申し訳ありませぬ」

「お主の軽はずみな行動で、ミゲル様の品格まで問われかねんのだ。気をつけろ、バルボサ」

「……申し訳ありません」

「それより、早く陛下にご報告に戻るぞ。あの方は、大層お気が短くあらせられるからな」

「おお、そうですな」

「こうしてはおれぬ」

 手下共の声には、薄っすらと恐怖が滲んでいた。

 おそらく本人は鷹揚なつもりの笑みで、ミゲルは顔を歪めてみせる。

「なに。その後は屋敷に戻って、今日は朝まで飲み明かそうではないか。ここまで俺を支えてくれた卿らを、労ってやらねばな」

「それは、よろしいですな!」

「お供いたします!」

「女郎共の手配はお任せを。こちらは、あのように貧相な女は呼びませんので」

 あてつけるように嫌味を言って、無駄にデカい声で笑い合いながら、ミゲルを先頭に男達は正門に足を向けた。

 リィナを睨み続けていたバルボサと呼ばれた男も、視線を外して後に続く。

 それに背を向けたまま、マグナが口を開く。

「こんな扱い受けたの、久し振りだわ。ある意味、新鮮ね」

 挑発的な笑みを浮かべて、肩越しに顔だけ振り向ける。

「真ん中のヤツだけ、いちおう覚えといてあげるわ。光栄に思いなさい。後で吠え面かかないように、せいぜい気を付けるのね」

 呆気にとられたような一瞬の後。

「なんだとッ!?」

「小娘が、何様のつもりだ!?」

「女郎風情が、付け上がりおって!!」

「ハッ!」

 ミゲルが大物ぶろうと浮かべた笑みは、みっともなく引き攣っていた。

「面白い。では俺も、貴様のことは覚えておいてやろう。吠え面をかくのはどちらか、次に会う時を楽しみにしておくのだな!」

 だが、言うことだけ言ってしまうと、マグナは一切の興味を失ったようにそっぽを向いて、シッシッと手で追い払った。

「ッ——行くぞ!!」

 憎々しげに吐き捨てて立ち去る男達を待たず、俺は屋敷の中にまろび入る。

 あちこちに刀痕の残された荒れ果てた玄関ホールの真ん中で、見覚えのあるメイド服が床に手をついてへたり込んだまま、うな垂れているのが見えた。

「アメリア!!」

 駆け寄る姫さんの後を追って、なんとか脚を動かす。

「大事ないか!? ヒドいことされておらぬか?」

 滑り込むように膝をついて縋り付き、体のあちこちに触れながら、エミリーはアメリアに声をかけた。

「……ひめ……さま?」

「そうじゃ、わらわじゃ。遅くなってすまぬ——よし、乱暴はされておらぬな?」

「どうして……ひめさま……」

「よしよし、もう安心じゃぞ。頑張ったのじゃな、アメリア」

 小さな手が頭を撫でると、アメリアの瞳から大量の涙が堰を切ったように溢れ出す。

「姫さまああぁぁぁ……わたっ……いい……ファング……様が……っ」

「分かっておる。後は、わらわ達に任せるがよい」

 力の限りに泣きじゃくりはじめたアメリアの体を、エミリーはぎゅっと抱き締める。

「悪い。これだけ頼む。ファングはどこだ」

「そこ……っ……室でっ……すみっ……ませっ……」

 大声で泣き喚く合間に喋ろうとするが、言葉にならずに階段脇の扉をアメリアは震える腕で指し示す。

「分かった。もう喋らなくていい。エミリー、アメリアは頼んだ」

「任せるがよい」

 歩いた記憶も無いのに、扉を開けていた。

 埃っぽい応接室は、物盗りに荒らされたよりも酷い有様だった。

 気まぐれに打ち付けられた剣の傷痕が調度品や壁など至るところに残り、破片がそこかしこに散らばっている。

 そんな中で、辛うじて原型をとどめた奥のソファに。

 そいつはいた。

 すっかり脱力したように、力無く腰掛けている。

 しばらく振りに見る、懐かしい顔立ち。

 しかし、以前の自信に満ち溢れた面構えは、見る影もない。

 放心したような、無気力なその顔を見た瞬間、破裂するんじゃないかって勢いで、頭に血が昇るのが分かった。

 自分でも、意味が分からないが。

 とにかく、腹が立って仕方がなかった。

 手前ぇ、ファング。

 誰に断って、そんなツラしてがる。

 手前ぇが、そんなシケた面していいと思ってやがんのか。

 そんな負け犬みてぇな面すんのは、俺の役目だろうが。

 間違っても、手前ぇじゃねぇだろ。

 絶対に折れないんじゃなかったのかよ、手前ぇはよ。

 気が付くと、俺はファングが着ている服の襟を両手で掴んでいた。

 ガクガクと前後に揺すった拍子にこちらを向いた目玉は、ガラス玉じみて感情を映していなかった。

「何してんだ、手前ぇ……」

 自分じゃどうしようもない怒りが後から後から湧き上がる。

「何してんだって聞いてんだろうが……」

 さらに強く揺する。

「なんとか答えろよ、コラァッ!!」

 頭がおかしくなりそうだ。

「手前ぇがッ!! 困ったら自分を呼べって、別れ際に言ったんだろうがッ!! 俺にッ!!」

 バカが。

 大馬鹿野郎が。

「なんで、手前ぇは俺を呼ばねぇんだッ!!」

 力の限り揺すっても、まるで反応しやがらねぇ。

「俺達はダチじゃなかったのかよ!? 手前ぇも、困ったら俺を呼べよッ!!」

 くそが。

「こんなになるまで、なんで俺を呼ばねぇんだ……」

 ああ、ダメだ。

 無理だ、これ。

 ファングの襟から手を離して、後ろにいたマグナとリィナを突き飛ばすようにして部屋を出る。

 そのまま、玄関も抜けて外に出る。

 地面が傾いてる。

 膝に力が入らない。

 倒れる——

 辛うじて、地面に手をつく。

 四つん這いになりながら、遠くに獣じみた泣き声を聞いた。

 自分が大声で泣いているのだと、ようやく気付く。

 駄目だ。

 違うんだ。

 だって、たとえどんな問題が起こったって、あいつはいつもみたいに、どうせなんでもないような顔して、なんとかしちまうに決まってるって——

 俺なんかが、あいつに手を貸してやるだなんて、おこがましいって——

 あいつのことだから、俺は俺でやるべきことをやらなきゃ、逆に叱られちまうって——

 違う。

 本当は気になってた。

 遅くとも、グレースからサマンオサの話を聞いた時には。

 嫌な予感はしてたんだ。

 それでも、お前はきっと、自分でなんとかしちまうだろうって。

 俺にもやるべきことがあって、そっちを終わらせてからじゃなきゃ、お前に顔向けできねぇって——

 違う。

 やっぱり、さっさとこっちに来てりゃよかったんだ。

 俺がいれば、こんな目に合わせなかったのに。

 俺がいれば——?

 お前なんかがいたって、何が変わったんだよ。

 バカが。つい昨日、自分の無能っぷりを思い知らされたばっかで、何をほざいてやがるんだ。

 けど、それでも——

 違う。

 仮に半年前から俺が一緒に来てても、きっと結果は同じだった。

 あいつに無理だったんだ。

 俺なんかに、何ができる。

 いまだ。

 いま来たからこそ、こうして俺なんかよりよっぽど頼りになるマグナもリィナも連れて来れたんだ。

 グレース達の協力だって、取り付けられた。

 分かってる。

 そんなこた、痛いほどよく分かってるんだ。

 でも——

「すまねぇ……」

 地面に肘をついて、頭を両手で思いっ切り掴む。

 そうしないと、血が上りすぎて破裂しちまいそうだ。

 嗚咽の合間に、呻き声が漏れる。

 ああ、駄目だ。

「すまねぇ……」

 俺がいれば。

 絶対、お前をこんな目に合せなかったのに。

「すまねぇ……」

 お前の。

 あんな腑抜けたツラ、一生見ないで済んだのに。

 絶対に折れないヤツがいるって、信じたままでいられたのに。

「すまねぇ……」

 駄目だ。

 無理だ。

 自分が、許せねぇ。

「すまねぇ……」

 ごめん。悪かった。許してくれ。

 許せない。自分が。

「ううううううぅぅぅぅ」

 もう、言葉にならなかった。

 考えることもできない。

 俺は地に伏したまま、ただ、呻き続けた。

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