44. Could Be Me

1.

 あまり自慢できたハナシではないが。

 実際のところ、俺にはニュズが誰に化けているのか、皆目見当がついていなかった。

 え?

 じゃあ、なんで「今回も、かくれんぼはお前の負けだ」とか、あんな自信満々に大見得切ったのかって?

 そんなの、決まってる。

 切りどくしかないからだ。

 昨日、この町に着いた時の波止場でのやり取りで感じたように、今回の一連の出来事は、全てのことが収まるべき所に収まっていないようなチグハグさが、微妙なくせに顕著だった。

 まるで、表面的には良く理解しているけれども、本当の意味ではニンゲンの気持ちが分かっていない誰かが拵えた筋書きのように——本当の意味とか言い出すと、またヴァイエルに小言を云われちまうな。

 ともあれ、そんな違和感を拭えなかった俺は、コレは多分、ニュズが絡んでるんじゃないかと当たりをつけていたのだ。

 白状すれば、大した根拠のない単純な連想だ。

 だって、エフィの実家で出くわした事件と瓜二つだろ、この流れ。

 さらに言うと、運良く俺の山勘が当たっていれば、魔物の悪巧みを未然に防げる上に、知ったようなドヤ顔をしているだけで、なんという深謀遠慮だと俺以外の全員が勝手に感心してくれること請け合いなんだぜ?

 な? 見得の切り得しかねぇだろ。

 要するに、自分がニュズの立場だったら、一番嫌がることをやってみせただけなのだ。さすがに体裁が悪いので、もちろん誰にも種明かしをするつもりはないが。

 しかも、仮に俺の考えが全くの的外れで、今回の件とニュズは無関係だったとしても、それはそれで魔物が関わっていない状況証拠にはなるので、こっちに損はまるで無いのだ。

 マジでいいことづくめだろ、と思ってたんだが、喋ってる内に気になり始めた。

 これまでの経緯を把握してる俺はそれで納得できるとしても、いま目の前で雁首並べているこの連中には、また別の話なんだよな。

 こいつらは、ハナからニュズの存在なんて知らないのだ。あいつが無関係だったところで、そこに意味を見出せない。

 元から知らない誰かが無関係だったとドヤ顔でほざかれたところで、「は?」ってなモンだろう。

 ウッカリしてたが、この件にニュズが絡んでいなかった場合、俺にとっては意味があっても、こいつらの俺に対する不信感まで晴れる訳じゃねぇな、そういえば。

 くそ、割と最近にも、同じ失敗ミスを犯してた気がする。海賊達がルーラを知らないことを失念して話を進めちまった件だ。

 自分じゃ気をつけてるつもりなんだが、俺はちょいちょいこの手のポカをやらかすらしい。

 もう後戻りができないところまで話が進んじまってるから、このままなんとか乗り切るしかねぇけど。

 サイアク、俺が頭オカシイことにして、全部ひっかぶりゃいいんだろ、畜生。

 処刑とか極端なことを言い出されない限りは、なんとかなると思うんだが。

 でも、できればここに居て、名乗り出てもらっていいですかね、ニュズさん?

 俺にとって祈るような時間は、異常にゆっくりと流れたように感じられたが、実際は俺が見得を切ってから、呼吸を十回繰り返す程度しか経ってなかっただろう。

 ありがたいことに、不審げな顔をしている連中が騒ぎ出す前に、その時は訪れた。

「——フゥン、マタ、なノ。不思議」

 よーし、いい子だ。

 化け方が下手くそだみたいなことを言って、あえて挑発した甲斐があったってモンだぜ。

 実際は、まんまと騙しおおせてるってのに、バカなヤツだよ。

 一生懸命お勉強はしてるみたいだが、人間ってモノを、まだまだ分かっちゃいない。

「ナんデ、イつもキミだニダけ、分カっちゃうノ?」

 俺が全然分かっていなかったことを、分かっちゃいない。

 つか、お前が化けてたの、ソイツかよ。

 えぇと……考えてた候補の、上から二、三番目だな。

 俺はこの町の住人のことなんて全然知らないんだから、これはほとんど的中させたと云っても過言じゃないな、うん。

 お前はそもそも、町の人間を二、三人しか知らねぇだろというツッコミは却下だ。

「チヤノガ様……?」

 リィナに羽交い締めにされたまま、ライラが呆然と呟いたのが聞こえた。

 それが、元首長の爺さんの名前か。

「デも、嬉シィな。あたしノコと、チャんト覚エてテクレたんダね」

 爺さんの姿のまま女言葉で話すの、止めてあげてもらっていいですかね?

 周りの連中が、驚きたいのに驚けないような、物凄い微妙な顔をしてるじゃねぇか。

 そんで姫さんは、なんでまた俺をそんな目で見上げてるんだ。

 向こうが何だかんだ勝手に言ってるだけで、別に俺がタラシ込んだ訳じゃねぇだろうがよ。この場で唯一事情を承知してる姫さんは、せめて味方してくれよ。

「皆さんが、どういう顔していいか困ってんだろ。さっさと正体現してくれよ」

「アハァ——」

 変化は瞬間的だった。

 ゆるく波打つ艷やかな黒髪。

 まるで血が通っていないかのように白くなめらかな肌。

 長い睫毛。彫りの深い顔立ち。

 そして、べにを引いたように鮮やかにあかい唇。

 いつか見た女が、妖しい雰囲気を身に纏わせて、そこに立っていた。

 あまりにも唐突に切り替わった様を見て、俺は密かに確信する。

 ニュズの変化へんげは、ヒミコのそれのように、実際の身体的な変化へんかを伴うものではない。

 以前に体験したこいつの能力から推察できるように、おそらくこちらの認識に干渉する類いだ。

 その証拠に、この場に集った連中が、ニュズの姿に反応するのにかかった時間に微妙な個人差が見て取れた。

「——うぉっ!?」

「どうし——ひ、ひぃっ!?」

「な、なんだ、貴様!?」

「え、何——誰っ!?」

「どこから湧いた!?」

 自分のすぐ傍らに居た人間が、忽然と見知らぬ誰かに入れ替わった恐怖で、近くの連中はビクッと反射的に距離を取りつつ身構える。

 一瞬の恐慌が過ぎると、警護を兼ねていた若い衆が自分達の役割を思い出した。

「——チヤノガ様は!?」

「どこだ!」

「いらっしゃらないぞ!!」

「き、貴様、チヤノガ様をどこへやった!?」

「か、囲め!!」

 グレースのお陰で海賊組のお行儀がたいへん良かったこともあり、おそらく使うことになるとは本人達も思っていなかっただろう。

 手にした長い棒を慌てて構え、ニュズを取り囲んだ。

 その中心で。

 ニュズは興味の無さそうな顔つきで周りの人間をぐるりと睥睨し、最後に壇上の俺を見上げた。

「ネェネェ、教エてヨ。ナンで、分カッたノ?」

「だから、言ってんだろ。お前、化けるのヘタなんだよ」

 違和感を違和感と自分で気付けない内は、お前の事を承知している人間から存在自体を隠しおおせるのは難しいと思うぜ。誰に化けたか特定できるかはともかくさ。

 だが、ニュズは納得できないように、不満げに言い募る。

「ソンナこと無いデショ? ココでモまた、誰モ気付かナカッたンダよ?」

 おとがいに指を添えて、何かを思いついた時に人間が浮かべるような表情を形作る。

「アッ、分かっタ。ヴァイス君ガ見破レタのハ、いつもアタシのこトばっカリ考えてルカラだ。愛ってやツダヨね! ダヨネ、そゥデショ?」

 勘弁してくれ。

 だが、この与太に思いもよらない連中が反応する。

「なんだ、さっきから何を喋っている——さては、貴様ら、グルなのか!?」

 先ほどから俺に文句をつけていたおっさんを皮切りに、町の人間やマグナのお目付け役の連中から声があがる。

「なんだこれは!」

「どういうつもりなの!?」

「チヤノガ様をどうしたのだ!!」

 極めつけは、ノルブとかいうダーマのおっさんだった。

「その女——さては、魔物か? どうもおかしいと思っていたが、真逆まさか、貴様が本当に魔物と通じていたとはな」

 えー、そう来るのかよ。

 この流れはヤベーな。このままだと、冤罪一直線だ。

 ニュズも、知り合いみたいに気易く俺に話しかけてんじゃねーよ——いや、先にそうしたのは俺だけどさ。

「キャハ!! キャハハハハハハハ!!」

 耳障りな甲高い哄笑が響き渡り、周囲の人間が顔を顰める。

「ホント、ニンゲンッテあったまワルいヨネ、ヴァイス君?」

 だから、仲良さそうな感じで俺に同意を求めんなっての。

「マジメな顔シテ『さては魔物か?』ダッテ。今サラ、何言ッテんの?」

「なんだと!?」

「アタシ、アタマ悪いコと話すのキライ。無駄ダカラ、ダカラ、黙っテてくレル?」

 不意に、不気味な圧力がホールの中を覆い尽くす。

 この、粘り気を帯びて纏わり付くような薄気味の悪い感覚は憶えてるぞ。

 ニュズの妖気は耐性の低い連中から絡め取り、実際の体調に影響を及ぼしはじめる。

「……ぬぅ」

「大丈夫ですか、ノルブ様。危険ですから、僕の後ろへ」

 呻き声を上げたノルブを、子犬ジミーくんが庇いつつ気遣う——いや、あんた、ダーマのお偉いさんだろ。この程度の妖気で膝つかないでくれよ。

 いつぞやのファング達とは、エラい違いだな。

「ま、魔物だと……信じられん、本当にそんな恐ろしいことが……これでは、町長代理が昨日告発した通りではないか」

 さっき詰め寄ってしまったことを悔いるように、ライラにバツの悪そうな顔を向ける町の重鎮らしき名も知らぬおっさん。

 いや、魔物と通じてるってライラが難癖つけてた相手は、俺じゃなくてアイシャなんだけどね。

「この町に魔物なぞを引き込んで、一体何を企んでいるんだ! なにが目的で、こんなおぞましい真似をするのだ!!」

「いや、誤解だ。別に俺は、なにをする気もねぇよ」

 と俺が弁明したところで、絶対に耳を貸さねぇだろうなぁ。

「皆で力を合わせて、ようやくここまでの町にしたんだ。頼む、それを全て無駄にするようなことをしないでくれ。どうかこの通り、お願いだ」

 言葉に嘘や作り物めいた響きは感じられず、俺はおっさんの印象を少し見直した。

 歳若い町長やその代理を支える為に、大人としてあえて苦言を呈するような、実際は地元愛に溢れた人間なのかも知れない。

 だが、そういった細かな機微は、コイツには汲み取れない。

「モー、ウるサイってイってルデショ」

 面倒臭そうに、ニュズは右手を上げる。

 指先が硬質化して鈍く光沢を放っていた。以前、エフィの故郷で追い詰めた時に、カイのいましめを切ってみせたのはアレか。

「ヒィ」

 おっさんの歳相応に弛んだ口元から、怯えた悲鳴が漏れる。

 妖気に縛られているのか、一歩後退っただけで、それ以上動けない。

「よせっ!」

 マズいな、この町の自警団の連中に対処させたんじゃ、死人が出るぞ。

 それでなくても、ほとんどの人間が妖気に呑まれてるってのに。

 リィナの方に目を向けると、対応する素振りが見えない。

 だがそれは、俺に言われてライラを押さえている所為ではなかった。

「ダカら、黙っテ」

 振りかぶった右手を、ニュズがおっさんに向かって振り下ろす。

 ギィン。

 鉄同士を打ち合わせるような耳障りな音が響いて、ニュズの硬質化した指先はおっさんに届く前に弾かれていた。

「はい、そこまで」

 立ちはだかったのは、マグナだった。

 リィナに動く様子がなかったのは、これが理由だろう。

 最初からマグナに任せていたのだ。

 おっさんを護るように間に割って入り、マグナは構えた剣の切っ先をニュズに向けて牽制する。

「ンん?」

 それまでと態度を一変させて、ニュズはギョロリと目を剥いて興味深そうにマグナを覗き込んだ。

「アハァ——勇者サま。アワれでカワイソうナ勇者サマ。ケッキョク、アなた、勇者サマジャナイ」

「はぁ? なに言ってんの?」

 マグナの口振りは、本気で困惑している風だった。

「変な魔物。こんなの、初めて見たわ。もしかして、アンタも突然変異体ってヤツなの?」

「ソウなノ。オ父サマハ、第三世代ダッテ。アタし、ニュズって言う名前ガあルンダよ、スゴいデショ」

「ふぅん。それって、アンタ達にとっては凄いことなのね。でも、この前リィナが斃したヤツも、なんか名乗ってなかったっけ?」

 さして興味なさそうに、マグナはリィナを無造作に振り返った。

「うん、いたね。なんか、貴族がどうとか言ってた人。あんまり長くて忘れちゃったけど」

「違ウのッ!! アイツはたダ勝手に名乗ってただケデショ!?」

 ニュズは唐突に金切り声をあげた。

「チャンとオトウサマに名前をもらったアタしとは違うノヨ? ダカラ、間違えちゃダメなノヨ?」

「知らないわよ、そんなこと。どうでもいいわ」

「ドウでもヨくなイノっ!!」

 再び耳障りな声で叫んで、ニュズはマグナを睨みつけた。

「やッパり、アタシ、アナタ嫌い。アワレでハカない勇者サマ。アレアレ? アナタはこコデ殺シチャッテいいンダっけ?」

「だから、知らないわよ」

 斬撃一閃。

 先程のグレースとの試合で見せたよりも遥かに鋭い剣閃が、軽い音と共にニュズの硬質化した指先を斬り飛ばす。

「けど、まぁ、出来ると思ってるなら、ご自由に」

 余裕綽々の口振りで煽って、剣を構え直す仕草が、ひどく様になっていた。

 え。なんかマグナさん、スゴい頼り甲斐ある感じなんですけど。

 シィッと威嚇音を喉から発したニュズは、俺に向かって一転して甘えた声を出す。

「ヤァン、アタし、痛いのキラいナノ。知ってるデショ? ヴァイス君、助けてェ」

 馬鹿、お前、なに誤解を招くような事を——まさか、ワザとか?

 前より、ニンゲンへの理解が進んでいる?

「み、みろ!! やっぱりソイツは、その魔物とグルじゃないか! お、お前達、なにをしている!? 早くアイツを取り押さえろ!」

「いいえ。落ち着いて、スミスさん。そんなに慌てなくても大丈夫よ」

 声を荒げて若い衆に命じたおっさん——スミスに、マグナは諭すように語りかける。

「あの馬鹿の身元は、あたしが保証するわ。だから、あなた達も動かないで。下手に乱戦になるとめんど——危ないから、ここはあたしに任せて」

 落ち着いた口調で若い衆に言い聞かせ、有無を言わさず場を掌握する。

 えー、なんかマジで勇者っぽいんだけど。

 そして、俺には叱責するような厳しい声を投げつける。

「ヴァイス!!」

「お、おう」

「要するに、この魔物が、今回のよく分かんないイザコザの元凶ってことでいいのね? それをあんたが、この場で唯一突き止めたのよね?」

「あ、ああ。まぁ——」

「即答ッ!!」

「っ——ああ、そうだ」

「分かった。他のみんなも、いいわね? あたしは分かったわよ?」

 念を押すようなマグナの言葉に、いい歳した町のお偉いさんやお付きの連中までもが、それぞれ小さく頷いたり「分かりました」とか呟いているのが見えた。

 なんか、すげぇな。

 ナチュラルな女王様気質に磨きがかかってやがる。

「よろしい。この話は、ひとまずこれでお終いね。それじゃ、ちゃっちゃと退治しちゃいましょうか」

 ニュズに睨みを効かせながら、マグナが改めて剣を構え直す。

 意外なことに、時折り威嚇音を発するだけで、ニュズは動けないようだった。

 アレであいつは、実はかなり強力な魔物だってのが俺の見立てなんだが。思った以上にマグナを警戒しているように見える。

 まさかとは思うが、ホントにこのままあっさり退治されちまうんじゃねぇだろうな。

「——悪い。ちょっと待ってくれ」

「なによ? あんた達、やっぱりグルだったの?」

 いや、お前。いま言う軽口じゃねぇだろ、それ。

 あからさまに冗談めかした響きに辛うじて救われちゃいるが、居並ぶお歴々の俺を見る視線が、さらに疑り深くなっちまったじゃねぇか。

「違ぇよ。後で詳しく説明するけどさ、とにかくいまは魔物側の情報が少しでも欲しいんだ。悪ぃけど、退治する前に、ちょっとだけ話させてくれ」

 ニュズを牽制しながら、ちらりと俺に視線をくれて、マグナは諦めたようにため息を吐いた。

「……どうせあんたは、なに言ったって聞かないもんね」

 え。俺の評価って、そんななの?

「さっさと終わらせなさいよ?」

「アハァ、ヴァイス君。ヤッぱり、アタシに興味シンシンなノネ」

 間違っちゃいねぇが、お前も言葉に気をつけろよ?

「マタ、気持ちイイことする? あの時ミタいに」

「いや、俺はしてねぇだろ」

 思わず、口に出して反論しちまった。

 ああ、姫さん以外の連中の視線が痛い。

「ヴァイスくんて、魔物とそういうことする趣味でもあるんじゃないの」

 とんでもないことを不満げに漏らしたのは——リィナだ。

 お前、なに言って——ああ、素っ裸のヒミコと絡んでるのを目撃されてたな、そういえば——ここは、聞こえなかったフリで白を切り通すしかねぇ。

「そういえば、ファングはドウシたの?」

 ニュズが、そんなことを口にした。

 いや、この流れで思い出してやるなよ。

 あいつ初心ウブだから、実はあの時すげぇ動揺してたらしいぞ。

「ここにはいねぇよ」

「フゥン、ザァンネん。せっかくコロシテあげようと思ッタのに」

「そんなことより、聞かせろよ。お前ら二、三年前にも、スーでジッケンってのをしやがっただろ」

 埒が明かないので、俺は強引に話を仕切り直す。

「ナンノこト?」

「しらばっくれんなよ。覚えてるだろ、エドってヤツを馬に変えたこと。いや、実験台の名前なんぞ、ハナから知らねぇか——とにかく、調べはついてんだぜ?」

「ヘェ?」

「おおよそ見当はついてるんだけどさ。お前の口から聞かせろよ。あれは一体、なにが目的だ?」

 もちろんハッタリだ。見当なんざ、まるでついちゃいない。

「サァ?」

「同じようなことを、この町でも企んでやがんのか?」

「ドウかしラ?」

 こいつ。

 ニュズは艶やかな唇を歪めて、にんまりと微笑んだ。

「アハァ、ウソウソ。意地悪しチャ可哀想だカラ、教えてアゲる。ベッドの上でなら、教えてアゲる」

 濡れそぼった舌先で、唇をゆっくりと舐める。

 不覚にも、ちょっと反応しそうになっちまった。

 前回の時より表情や仕草の人間っぽさが増しているように見えるのは、俺の気のせいか?

「……お前さ、別にいやらしいのがニンゲンらしさって訳じゃねぇからな?」

 だが、口に出しては、親切な指摘をしてやった。

 これ以上、誤解を招くような言動ばっかされちゃ堪んねえからな。いい加減、釘を刺しとかねぇと。

 ニュズは少しの間、絵に描いたようにキョトンとしてみせてから、キャハハと耳障りな声で笑った。

「ヴァイス君、また考えスぎぃ。違ウよ、コレはニンゲンの真似しテルんじゃナクって、アタシの趣味なノ。ダから、オトウサマにイツも怒られちゃウノ」

 え、そうなの?

 じゃあ、いやらしいお仕置きとかしても、むしろコイツも望むところ——いや、違う、そうじゃなくて。

「デも、そんなことないデショ? ニンゲンてイヤらしいデショ? アタしがばケてたお爺ちゃんダッテ、あんなお爺ちゃんなノニ——」

「おい、やめろ」

 そこまでにしてやれよ。

 そういう秘め事を、外に向かって口にするんじゃありません。これだから、人間ヒトの気持ちが分からない魔物ヤツは。

「モー、ヴァイス君は、お喋りシタイって言ったクセに、アタしの言ウコと否定してばっカリ!!」

 いや、痴話喧嘩か。

 その時、ハァと心底呆れたような溜息が聞こえた。

 マグナだ。

「もういいでしょ。コイツに何も答える気なんてないわよ。からかわれてるの分かんないの?」

 いや、分かるけども。

「けど、こいつらと直接話が出来る機会チャンスなんて、ホントに滅多にねぇんだよ」

 だって、まがりなりにも言葉が通じるんだぜ?

 俺には絶望的に感じられていた彼我の隔たりが、実はそうじゃないのかも知れない。

 穿孔のようにか細くても、そんな可能性があるのなら、確かめない手はないだろう。

 ていうか、俺がそうしたいんだ。

 互いに絶滅するまで相争わなくても済むのなら、マグナを魔王退治なんて物騒な役割から解放してやれるかも知れないとか、理由は色々と思い付くけど、結局のところは、そうしなきゃ俺の気が済まねぇんだ。

 ホントだったら、コイツらの生態からなにから、しばらく囲って隅から隅まで調べ上げたいくらいなんだ——

「ヴァイス!」

 短く俺を呼んだのは、姫さんだった。

 ちらりと視線を向けると、小さく首を振る。

 んん?

 もしかして、また没入モードに入りそうになってたか、俺?

 最近は思考に捕らわれすぎないように気をつけていたんだが。

 礼代わりに姫さんに軽く手を挙げつつ、ニュズに視線を戻す。

「マジで、答える気ねぇか? さすがのお前でも、今回は逃げ延びるの無理だと思うんだけど」

 他の連中の手前、明言はできないが、情報を話す気があるなら、その間はどうにかして生かしといてやる、と言外に含ませる。

 なにしろ、いまもマグナに牽制されつつ、すぐ側にはリィナやフゥマが控えている。なんだったら、ロンさんやらココにパクパ、それに海賊達まで周りを固めているのだ。

「ウウン、アタしもヴァイス君とお話したいの」

 ふくよかな紅唇に指を当てて、上目遣いに俺を見上げるニュズから返ってきたのは、そんな意外な返事だった。

「前の時も、ちょっとだけ思ったの。あなたと喋ってると、アタしがどんどん出来上がっていく。なんでナノ?」

 いや、俺が知るか。

「ちゃんと、あたしとお話してくれるカラ、だからだよ、きっと」

 ニュズの喋り方が、それまでより流暢に聞こえた気がした。

 まぁ、それは確かに。

 魔物からまともに話を聞こうだなんて酔狂なことを考えるのは、ひょっとしたらこの場では俺だけかもな。

 けど、仮にヴァイエルやマリエがここに居たら、俺なんかよりよっぽど熱心に、お前のことを調べようとしたと思うぜ。

「でも、ダメなの。これ以上は、お父様に怒られちゃうカラ」

「お父様? 前も言ってたな? それって、まさか——」

 あの黒マントのことか。

 漆黒の虚から覗く、二つのゆらめき。

 脳裏に浮かんだ姿にすら恐怖を覚える。

 だが、どう言ったら、俺がいま思い描いている存在が、ニュズに伝わるのか分からない。

 俺がわずかに口篭った、その時だった。

 バァン!!

 派手な破壊音が鳴り響き、ホールの扉が凄い勢いで押し開けられた。

 差し込まれていたかんぬきが飛び散る向こう側に、小柄な影が見える。

 人間だ。

 逆光で顔が見えにくい。

 子供——か?

 ここから先は、後で思い返すと水の中で素早く動こうと踠いていたように、もどかしいくらい濃密に時が流れた。

「ヤァヤァ!! ご機嫌いかがかな、紳士淑女の皆々様方くそったれども!!」

 にぃやり、と。

 幼い容姿に不釣り合いな口角を吊り上げた禍々しい笑みが、何故だかそこだけ酷くはっきりと印象に残った。

「ヤレヤレ、まったく呑気な人達バカどもだよ!! 一体どれだけ暇を持て余していれば、いまこの時この場面で、そんな呑気なお喋りに興じていられるのかね?」

 登場のあまりの唐突さに、俺達は全員固まっちまってた。

 なんだ、このガキ。突拍子もなさすぎるだろ。

 こんな妙なチビと関わり合いを持った記憶なんぞ——頭の片隅で、何かが引っかかる。

「ケド、この僕が来た以上、そうは行かない! 場末のサロンでの退屈なお茶会はお開きだよ!! サァ、ここから先は、とびっきり刺激的で退廃的な、阿鼻叫喚の舞踏会にご招待だ!! 踊れもえろ紳士淑女諸君ゴミクズども!!」

——横から妙なチビが出てきて、あのバカを手引きしやがってさ。

 辛うじて思い出した。

 いつだかのティミの台詞。

 やたらと芝居がかった口振りで喋る奇妙な子供は、呆気にとられる俺たちを置き去りに、信じ難い呪文をあっさりと唱える。

『ド・ラ・ゴ・ラ・ム』

 はぁっ!?

 なんだとっ!?

 驚く暇すら与えられない。

 ヤマタノオロチと化したヒミコよろしく、小柄な人影があっという間に巨大な竜へと姿を変える。

 ホールに集った人々の口からあがった悲鳴を掻き消すように、竜の口腔から火炎が迸った。

『フバーハ』

 にやけ面か!?

 くそ、あいつは入り口近くに姿を消して伏せておいた、俺の最後のカードの筈だったのに。

 その切り札が唱えた防御呪文のお陰で即死こそ免れたものの、炎に巻かれた住人達が苦しそうに次々と倒れ込む。

 くそっ、熱ぃな。

『ヒャダルコ』

 人がいない方を狙ったつもりが、危うく海賊達の一部を巻き込みかける。

 いや、悪かったよ。ごめんて。

 その海賊達は、身の危険に後押しされたのか、町の住人達よりも気を取り直すのが早かった。

 右往左往するでなく、グレースを護るように周りに寄り集まる。

『ベホマラー』

 立て続けに唱えられた呪文は——シェラか!?

 倒れた住人達の火傷のあとが、見る見る癒えていく。

 って、マジかよ!?

 シェラって、もうベホマラー覚えてんの!?

 複数人を同時に回復できる、超高等呪文じゃねぇか。

 一瞬、様々な想いに囚われかけたが、いまはそんなことを気にしている場合じゃない。

 そうだ、マグナに抑えられていたニュズは——

 いねぇ。

 二人とも。

 どこだ。

 いた。

 さっきの子供が破壊した入り口の近く。

 おそらく、騒ぎの隙を突いて逃げ出したんだろう、ニュズの背中にマグナが追いすがっている。

 袈裟斬りに振り下ろされた剣が、入り口の脇に控えていた何者かに弾かれた。

 見覚えのある細身の曲刀。

 既に変化へんげを解いた子供の元に、ニュズは辿り着いていた。

 生意気そうな童顔を大人びた笑みに歪め、奇妙な子供は優雅な仕草で一礼した。

「それでは、皆様カスども。御機嫌よう」

『ルーラ』

 距離があってよく聞こえなかったが、いまルーラを唱えた声は、まさか。

 全ては、あっという間の出来事だった。

 多分、端から端まで計っても、百数える間に余裕で収まったに違いない。

 そんな僅かな時間で、俺はまたしても、貴重な情報源ニュズを取り逃がしたのだった。

2.

 自分の無能さに腹が立つ。

 真新しいホールだった焼け跡を、住人達が片付けている様子を放心状態で眺めながら、俺は手前ぇの不甲斐なさを噛み締めていた。

——自分の無力を噛み締めながら、黙ってそこで眺めてればいいんだからねぇ。

 さっきルーラを唱えた声が、余計な記憶を掘り起こす。

 うるせぇぞ、グエン。またお前の言う通りになって、ちったぁ満足かよ。

 くそ、なんでこうなっちまったんだ。

 俺は、調子に乗っていたのか。

 ニュズを追い詰めたと思い込んで、今度こそようやくあいつら魔物の内情が聞けるって——ずっと気にかかっていた、俺からごっそり欠落している情報を得られると、内心で浮れていたのか。

 マグナの言う通り、すぐに斃しておくべきだったのか。

 けど、それだといつまで経っても後手後手だ。

 あいつらが何を企んでるのか、こっちの知らない企みがどれだけあって、何がどう絡んでるのか、まずはそれを知らなきゃ——なんてのは、俺の思い上がりなのか。

 自分の能力以上の結果を求め過ぎているのか。

 己れを過分に評価しないように戒めても、まだ自惚れが過ぎるってのかよ。

 実際の俺は、一体どれだけ能無しなんだ——

「悪かったな、役に立てなくて」

 小高い丘の麓から、一歩一歩足運びを確かめるように登ってきた武闘家姿の男が、俺にそう声をかけた。

 ロンさんだ。

 いかにも頼り甲斐のある佇まいと語呂の良さで、つい心の中でも「さん」づけしちまうな。なんとなく。

「いちおう雇い主がすぐ側にいる手前、なんの断りもなく全面的にお前の下に付く訳にもいかなくてな。指示系統をはっきりさせておかなかった、俺の不手際だ。許せよ」

「……あんたが謝るこっちゃねぇだろ」

「そりゃそうだが、余計なことを考えて咄嗟に動けなかった自分が不甲斐なくてな。愚痴くらい言わせてくれ。やっぱり、余計なモノは抱え込まないで、身一つでいるに限るな」

「……あれも、余計なモノか?」

 遠巻きにこちらを窺っているココとパクパに、ちらりと視線をくれる。

「フン。思った通り、性格悪いな」

 そんないい顔して言っても、台詞と合ってねぇぞ。

「俺は単純でありたいんだけどな。どうやら人の世は、複雑なしがらみがお好みだ」

「……あんたは、色々と上手くやってそうだけどな」

 ポツリと呟くと、ロンさんは片眉をぴくりと跳ね上げた。

「俺は、単純でいたいと言ったぞ?」

 そんな邪険にすんなよ。

「じゃあ、なんで俺に話しかけたんだよ」

 ロンさんは、今度は自嘲するように笑った。

「違いない。ま、お前が死にそうな顔で青ざめてたんでな。そこそこ頑張ってたと思うぜって、声をかけてやりたくなったんだよ」

「そりゃ、どうも」

「よく知らんヤツに言われても、別に嬉しかないだろうがな」

「いや。それが、そうでもない。割りと救われるよ。あんた、お人好しだな」

 ようやく他人ひとに言ってやれたぜ。

 意外な指摘をされたみたいに、ロンさんはちょっと目を剥いて首筋を掌で叩いた。

「それ、タマに言われるな。自分ではさっぱり、そんなつもりはないんだが」

「よく分かるよ」

 ロンさんはきょとんとしてから、一転して破顔する。

「お前も、そのクチか。誰に頼まれた訳でもないのに、あんなことをするくらいだ。確かにな」

「その『あんなこと』について、念の為にもう一度、聞かせてくれよ。あんたらは別に、自分から進んでこの町に潜り込もうとした訳じゃなかったんだよな?」

「ああ、さっき話した通りだ」

 にやけ面に頼んで、ホールに移動する前にロン達三人からは軽く話を聞いていた。

「正直、こっちも面食らったよ。修行を兼ねてスーから陸路でこの町に辿り着いたのが半月ほど前なんだが、あの爺さん、少し前から俺達のことを、以前から住んでる連中と区別していないように見える時があってな。俺の曾祖父ひいじいさんも、最後に会った時には似たような感じだったんで、そういうものかと勝手に納得してたんだが、そうじゃなかったんだな」

「ああ。多分、実際に区別がついてなかったんだと思うぜ」

「てっきり、ライラも爺さんを気遣って話を合わせてるだけかと思ってたよ——ただ、思い返すと、二人とも様子がおかしいところはあったな。あれが操られていたせいだとしたら、魔物がここに来たのは五、六日前ってところか」

「ライラの方は、操られてたっていうより、誤認させられてただけだと思うけどな」

 前回のラスキン卿やカイみたいに。

「そうか、前に似たような目に遭ったヤツらを知ってるって言ってたな。ま、とりあえず俺は、お前の言い分を疑ってないよ。爺さんの方は入れ替わってただけなのも、お前が言った通りだったしな」

 元首長の爺さんが、自宅のベッドで呑気に眠りこけていたのは、さっきの騒ぎの後に人をやって、すでに確認してある。

 それを言い当てたことで、俺に向けられていた疑いの目が、多少なりと緩んだのは助かった。

 でなけりゃ俺は、いまごろ縄でふん縛られた上に牢屋に転がされててもおかしくなかったからな。

「ふん? 他の連中は認識すらしてなかった魔物の悪巧みが、お前のお陰で未然に防がれて、それなりに丸く収まりそうに俺には思えるんだが、本人はなんだか不満そうだな?」

 思いっ切り顔に出しちまってるからな。見透かされて当然だ。

 いまは表情や態度を取り繕う余裕がない。

「……改めて考えると、全部こっちの都合が良いようにコトが運び過ぎてた気がしてさ」

 これには、さっきの騒動の直後に意見を求めたグレースも同意していた。

——事情を良く知らないから、アタイの考え過ぎかも知れないけどね。

 という前置きはついていたが。

「良く分からんが、まんまと手の平の上で踊らされてたとか、そういうことが言いたいのか?」

「ああ」

「途中でそれに気付けた筈なのに、気付けなかったから不機嫌って訳か」

「まぁな」

「なら、ニュズって呼んでたっけか。あの魔物がお前に見つかったのも、意図的だったのか?」

「……そこは、微妙だな」

 最初からそのつもりだったのなら、俺がここにやって来ることを予め知っていなければならない

 だが、どう考えても、俺をそこまで警戒する理由が魔物側にあるとは思えない。

「じゃあ、気の所為だろ」

 ロンさんは、呆れた声を出した。

「なんだかお前は、ありもしない妄想に怯えてるように、俺には見えるぞ?」

「……そうかもな」

「そっちより、実際に起こったことやら周りの気遣いに、もっと目を向けてみたらどうだ。余計なお世話だろうが」

 いつか、似たようなことを言われた気がする。

 だからこそ——

「俺は、こんなじゃ駄目なんだ。これじゃ、アイツのトコに行っても、また何もできないかも知れない」

 ハハッ、とロンさんはどうでもよさそうに、俺の呟きを一笑に付した。

「何言ってんのか、さっぱり分からん」

 そりゃ、どうも。

「分からんが、気負い過ぎてることだけは分かるぞ。自分にできないことは、他の誰かにやってもらえばいいだけだったりするからな、大抵の場合。だから、あまり思い詰めすぎるなよ」

 なんでもないことのように言って、落ち着いた微笑みを俺に向ける。

 思わず、なんもかんもブチまけて、全部任せちまいたくなる——いや、だって、身に纏ってる空気が、すげぇ頼り甲斐ありそうなんだよ。

 この人なら、いつでもなんでもどうにかしてくれる、みたいな。

 そんな訳ねぇのにな。

 俺らしくもなく、余計なことを喋り過ぎた。

 確かに、思い詰めても何も良いことが無いのは、とっくに身に沁みている。

 ニュズを逃したショックで、一時的なパニックに陥ってただけだと思いたいね。

 だって、仕方ないじゃねぇか。俺にしてみりゃ待望の、だったんだよ。

「そう言うアンタだって、さっきの決闘じゃ、かなり無理してるように見えたぜ?」

 やられっ放しもシャクなので、からかう調子で反撃してやると、ロンさんは口をへの字に結んだ。

「全くだ。聞いてくれよ、さっきの審判役、はじまる直前に頼まれたんだぜ? しかも、こっちは余所者だってのに、ロクに説明もされないときてる。マジで、どうしようかと思ったぜ」

「腕が立つって話が独り歩きして、白羽の矢が立ったんだろうな」

 元からの住人だと、ニュズに勘違いされていたのなら。

「勘弁してくれ。ホント大変だったんだぜ? 手順もなにも分からんから、思い付きで進行するしかなくってよ」

「その割には、ノリノリに見えたけどな」

「そりゃ、曲がりなりにも引き受けた以上は、出来るだけのことはしなくちゃ気が済まないだろ?」

 同意を求めるような笑顔を向けられたが、俺はあんた程うまくやれる自信はねぇよ。

「真面目なんだな」

「それに、ライラの頼みだったからな。アレは、いい娘だ。俺達みたいな流れ者を快く受け入れて、なにくれと世話も焼いてくれた恩を返したくてな。本当のお人好しってのは、あの娘みたいな人間のことを言うんだろう」

「ふぅん?」

 俺にはキャンキャン吠えてるだけの印象しかねぇから、あんまピンとこねぇな。

「難しいんだろうが、あの娘にはあまり重い罰を課さないでやって欲しいね。そう考える人間は、この町にはきっと多いと思うぜ?」

「へぇ?」

 曖昧な返事しかできない。

 だって、よく知らねぇもんよ。

「お話は、終わりかな?」

 会話がひと段落する隙を狙ってたみたいに、つつつ、とリィナが妙な歩法で遠慮がちに滑り寄ってきた。

「ヴァイスくん、約束、覚えてる?」

「ん? うん」

 決闘が終わったら、話をすることになってたよな。

「お話、していいかな?」

「ああ、もちろん」

「ボクたち負けちゃったから、約束してたのとは違う話にするけどね」

 そういや、そうね。

「いいぜ、なんなりと」

 俺に嫌のあろう筈もない。

 ただ、さっきの騒ぎについて、改めて説明しろって町のお偉いさんやらマグナの腰巾着共に言われてるんだよな。

 ちょっと考えをまとめさせてくれって逃げてきたんだが、まぁ、あっちはもうちょいマグナに任せておいても大丈夫か。

 なにしろ大抵のことは、他の誰かにやらせりゃいいらしいからな。

「そうだ。あんたにも、もしかしたら頼むことがあるかも知れないんだけど」

 ロンさんに声を掛けると、肩を竦められた。

「雇い主と相談してくれ」

 にやけ面とか。嫌だなぁ。

 絶対、素直にうんとは言わねぇから、面倒臭ぇんだよ。

「それなら、ボクもお願いあるんだけど」

「立ち合いか?」

 短く問い返すロンさんに、リィナは頷く。

「俺は構わんが、それこそ雇い主に確認した方がいいかも知れんな。お前らのことも仲間に引き込もうとしてるって話を聞いてるんでな」

「ていうか、さっきの試合にキミが出てくれれば、話が早かったのに」

「ああ、そうか。ずいぶんと、ウチのが世話になったんだったな」

 ん?

 微妙に空気が張り詰めた気がした。

「パクパは、物足りなかったか?」

「ううん。そんなことないけど。ただ、キミとやりたいだけ」

 はしたないこと言うんじゃありません。

 とか、茶化せない雰囲気になりつつある。

 急速に。

「ま、天狗の鼻っ柱をへし折ってやっても構わんけどな。その方が、お前の為になりそうだ」

「へぇ」

 すぅ、とリィナの双眸が細められた。

 あれ、ヤバくね?

「できるの?」

「できるよ」

「言うね」

「ま、いまのお前ならまだ、な」

 ふっ、とロンさんの纏う空気が和らいだ。

「お前の噂は俺の耳にも届いてるが、新しく見つけたことを、まだ自分でも消化しきれてないんだろ。さっきの仕合を見る限り」

「ん——」

 図星だったのか、リィナは少し口籠る。

「だから、キミで腹ごなしさせて欲しいんだけど」

「やめとけやめとけ。自信無くすだけだぞ」

 おお、凄いな、ロンさん。リィナに向かって、そんな口を叩けるとは。

「それに、いまのお前がその功を成したところで、まだ俺には及ばんよ」

「ホントに言うね。ボクだって、さっき見せたのは全然全部じゃないんだけど——じゃあ、キミとあの人なら、どうなのさ?」

「それこそ、自分で確かめろよ——って言ったら、問答無用で喧嘩吹っ掛けてきそうだな」

「うん」

「ちぇっ、分かったよ。向こうが上だ。いまはまだ、な」

「ふぅん。つまり、踏み台に最適だね」

 またしても緊張しかけた空気を、ロンさんは大袈裟な身振りで混ぜっ返す。

「だから、いまここではやらねぇって。それより、大事な話があるんだろ? こちらのヴァイス君が、さっきから待ちぼうけじゃねぇか」

 言葉とは裏腹に、やはり多少はリィナに触発されているのだろう。

 ロンさんの口調が、やや荒っぽくなっていた。

「うん、そうなんだけど」

「だから、よせよ。あんま生意気な殺気向けやがると、マジでやっちまうぞ」

 あ、マズい。

 はじまっちまう——

 目を閉じながら、一歩進んで二人の間に入る。

「っ!?」

「あぶねっ」

 心臓めっちゃ早鐘打ってる。ヤベェ。

「このままはじめられると、多分俺が死ぬと思うんで、やめてもらっていいですかね」

「お前な——マジで、無茶すんな。お前みたいなヤツの方が、動きが読めなくて危ないんだよ」

「そうだよ、ヴァイスくん。ホントに危ないよ?」

「いや、まぁ、信用してっから」

 言葉足らずでも、それで通じたようだった。

 この二人なら、殴る直前でも寸止めくらいしてくれるだろう。そう信用していなければ、こんなことできる訳がない。

 俺が台無しにした空気から、緊張が霧散していくのが分かった。

「しょうがねぇな。こちらのヴァイス君に免じて、今回は見逃してやるよ」

「こっちのセリフだよ。次は、絶対相手してもらうから」

 リィナの返しに、歯を剥き出して物騒な笑みを浮かべるロンさん。

「マジで、ちょっと一回、挫折してみるか? なぁ?」

「それ、もう二回くらいやったから」

 悔しそうに、リィナは呟いた。

 ニックには負けっぱなしだもんな。

「ああ、そうか。ザマァみろ、だな」

「キミだって、どうせ負けた癖に」

「——ッ」

 こっちも、図星だったようだ。

 おお、ヤベェ。余裕が服着て歩いてたロンさんの顔が真っ赤だ。

 せっかく収まりかけたってのに、キミたちね。

 あのおっさんと戦って永らえた数少ない生き残り同士、仲良くしたまえよ。

 不意に、風を感じた。

 気付いた時には、俺を挟んで意識が追いつかない速度で拳が飛び交い、音も無く止んでいた。

 全身の皮膚を粟立てている俺を真ん中に置いて、示し合わせたように、お互い後ろに跳び退くリィナとロンさん。

「……やっぱり、いまやりたいんだけど」

 ひどく嬉しそうな顔をして、リィナが囁く。

「もうめんどくせぇ。やっちまうか」

 別にもともと、やりたくなかった訳じゃないんだろう。

 左右の拳を代わるわる鳴らしながら、さっきよりさらに獰猛な笑みを浮かべるロンさん。

「いや、ダメですよ」

 呆れた調子で制止する声が、いずこからか聞こえた。

「いまロンさんに、回復できない怪我をされては困ります。それはそちらも同じでしょう、ねぇ?」

 裾を引き摺りそうな長いローブ姿の、白いフードを被ったにやけたつらが、唐突に俺の目の前に出現していた。

 また姿を消して覗いてやがったな。

 ニックがコイツを嫌う気持ちが、よく分かるぜ。

 だが、言ってる内容には全面的に賛成だ。

「ああ、マジで困る。止めてくれ」

「いや、怪我なんかしねぇし、すぐ終わる——」

 ロンさんの反論に被せて、にやけ面が言葉を続ける。

「それから、先程のお申し出ですが、残念ながらお断りさせていただきます。こちらにも、ロンさんにやっていただくことがあるんですよ」

 いちおう視覚上はこの場にいなかったお前が、しれっと答えてんなよ。

 おそらくリィナとロンさんには、こいつが姿を消して近くで覗いていることが分かっていたのだろう。

 だからこそロンさんは、折に触れて雇い主を気にかける素振りをみせていたに違いない。

「そりゃ、マジで残念だな」

「というか、貴方が私に頼み事をしようだなんて、余程切羽詰まっているみたいですね」

「まぁな……まだ分かんねぇけど。最悪、いくら人手があっても足りないかも知れなくてさ」

「それはそれは。お力になれず、申し訳ありません」

 ちっ、マッタク心が篭ってねぇんだよ——あ、そうだ。

「別の用があるってんじゃ仕方ねぇけど、ちょっとだけ——そうだな。二、三日でいいから、この町に残ってもらう訳にはいかねぇかな?」

「何故です?」

「あんたが忙しければ、ロンさんだけでもいいんだけど」

「——ああ」

 自慢するだけあって、察しは良いらしい。

「ふむ。では、三日だけ待ちましょう。それだけあれば、必要なことは確認できますよね?」

 俺の魂胆など全てお見通し、みたいなツラしてやがるけど、実はカマかけてるだけだろ、お前。

 なんか、分かってきたわ。

「なんとかする」

「結構です。それではロンさん、また三日後に迎えに来ますので」

「あいよ」

「フゥマさんを連れて行くのも、その時にしてあげましょうかね」

 などとブツクサ言いながら、にやけ面は町の中心の方へと歩み去った。

 もう戻ってくんなよ。

「ライラの処遇は気になってたから、俺にも丁度良かったな」

 と、ロンさん。

「それじゃ、俺も行くぜ。ったく、節操なく噛み付きやがって。ヴァイス君にドン引きされてないといいなぁ、お前?」

 リィナの挑発はバッチリ功を奏していたと見えて、らしくない捨て台詞を残してロンさんも立ち去った。

 離れた場所から、ココとパクパも後を追う。

「んじゃ、俺達も場所を変えるか。もうちょい人が来ないトコの方がいいだろ?」

 リィナの方を向くと、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいた。

 なにしてんの、お前。

「どうした?」

「……こんな筈じゃなかったのに」

 消え入りそうな声を絞り出す。

「なんか、もっといい感じの雰囲気にする筈だったんだよ。こんな凶暴なトコ見せるんじゃなくて」

 よく見ると、首まで真っ赤だ。

「……ドン引きしてる?」

 指の間から見上げるリィナに問われて、思わず吹き出しちまった。

「するかよ。いまさらだろ」

「……普通だったらドン引きされるようなのが、いつものボクみたいに思われるのも、複雑なんだけど」

「そうか? 俺は、そういうリィナの方がいいけど」

 俺のよく知ってるリィナっぽくて、なんか安心するし。

 びくっ、と全身を震わせて、リィナはしばらく固まった。

 やがて、自分の中で折り合いがついたのか、そろそろと両手を下ろす。

「しょうがないなぁ。じゃあ、お望み通り、いつものボクでお相手するよ」

「ああ、是非そうしてくれ」

 そう答えると、なんか知らんが二の腕辺りを手の平でぐいと押された。

 よろけた足を踏み出して、俺達は連れ立って町外れへと向かったのだった。

3.

 まだ出来たばかりの町なだけあって、さっきの小高い丘から少し離れただけで、すぐに周りから人工物は姿を消し、人気ひとけもまるで失せる。

「それで結局、話ってなんだったんだ?」

 見慣れない背の高い樹々の生い茂る森の手前の岩場に差し掛かった辺りで、俺はリィナに声を掛けた。

「やー……うん。そっちはちょっと、置いといて」

 こっちが決闘に勝ったらって条件付きだったもんな。

 負けず嫌いのお前としちゃ、反故にはできねぇか。

「でも、いちおうボクは勝ったことだし、折角だから別の方を聞いてもらおうかなって」

「いいよ。なんでも聞くよ」

「ていうかさー……」

 リィナが、なにやら不満気な声を出した。

「なんか大きい事やろうとしてるみたいだけど、なにも、あんなヒトまで誘わなくてもいいのにさー」

 あんな人って、さっきのロンさんのことか。

 冗談めかそうとして、声音も表情も失敗していた。

「……ボクがいるじゃん。頼りにしてるって、言ったくせに」

 ボソリと呟いて、ムクれてみせる。

 そうか、昨日の今日だもんな。お前がそう思っちまっても無理ねぇか。

 けど、俺がお前リィナをないがしろにする訳ねぇだろうに。

「もちろん、一番頼りにしてるよ。でもさ、残念ながら、リィナは一人しかいないだろ?」

「……ごめんね、まだうまく分身できなくて」

 今度は、ちゃんと冗談だった。

「ていうか、そんなに大変なことしようとしてるんだ? ボクが何人も必要になるような?」

「まだ分かんねぇけどな。後で色々とお願いするかも知れないから、そん時はマジでよろしく頼むよ」

「うん、もちろん」

 当たり前みたいに、そう答えてくれる関係まで戻れたのが嬉しい。

 ジパングで再会した時——どころか、昨日話す前のリィナでも、こうはいかなかっただろうからな。

「なにニヤニヤしてるの?」

「へ?」

 慌てて頬を擦る。

「そんなヘンな顔してたか?」

「ヘンっていうか、嬉しそうな顔してた」

「ああ、実際うれしいからな」

「ふぅん?」

 いまの会話のどこが? みたいな顔をしているので、言葉を補う。

「こうしてまた、リィナと普通に話せるようになったのが嬉しいんだよ」

「っ——」

「なんか、もう大丈夫そうだな」

 不意をつかれたような表情が、悔しそうに顰められる。

「……単純なヤツって、思ってるでしょ?」

「え、いや、全然。なんでだよ?」

「いいよ。ボクが自分で一番ビックリしてるから。なんか、ホントにしょーもない……って言ったら、ちょっと違うけど! でも、なんであんなに苛々してたんだろって思うよ」

 いや、ホントにな。

「やっぱり、顔見て話せないのってダメだね。ヘンな思い込みばっかり強くなっちゃって」

「そうだな」

「昨日、ちょっと話しただけなのにね。なのに、それだけで、なんか全然違った」

「そりゃ良かった」

「うん。それまで自分で色々考えてたこととか、もしかしてボクが勝手に思い込んでただけだったのかなって。普通にね、頼ってくれてるんだーって思ったら、なんかスーッてなって」

「いや、そこからかよ。頼りにしてるに決まってんだろ。いままでもこれからも、頼りまくりだよ」

「うん。いまは素直に聞けるんだけど、昨日話すまでは、そんな風に思えなかったんだよ。ヴァイスくんは、ボクのことなんてどうでもいいんだーって、すごい思い込んじゃってたから」

「そこが、良く分かんねぇんだよな。俺、そんな風に言ったことねぇだろ?」

「……言ったもん。ジパングで」

「え?」

「弱くなったとか、頼りにならないとか、ガッカリしたとか、ボクだけ嫌なことばっかり言われたもん」

 またスネる。

 そんなこと言ったっけ?

 と口にするのは、さすがに踏み止まった。

「悪ぃ。でも、その時の俺がどんなつもりだったとしても、お前が思ってるような意味で言ったんじゃないよ。それだけは、保証する」

 頭を掻きながら、次の言葉を考える。

「けど、実際にそんな風に受け取られちまったってことは、言葉が足りなかったんだろうな。ごめんな。あの時は、売り言葉に買い言葉みたいになっちまったトコがあったのは認めるよ」

「まぁ……それはお互い様だったって、いまならボクも思えるけど」

 斜め下に視線を落として、リィナは唇を尖らせる。

「そうだな。だから、改めて言うけどさ、リィナはすげぇ強くなったし、滅茶苦茶頼りにしてるし、何かある度にいつも見直してるよ」

「っ——」

 またしても、リィナは俺の体を軽く握った手でぐぃと押した。

「もー。また、そんなこと言って」

「いや、だって、俺はこれまでリィナの扱いがぞんざいだったんだろ? だから、改善しようかと思って」

「いいよ。前のままで。実際にやられると、なんか、照れる」

 妙な気分になるから、顔を赤らめないでもらっていいですかね。

「はー……」

 と、リィナが合わせた両手を口に当てて、大きくため息を吐いた。

「ボク、ヴァイスくんと会ったら、もっと酷いこといっぱい言われると思ってたんだよね。それで、スゴい構えてたのに、なんか全然違うんだもんなー……」

「いや、なんで俺が、お前に酷いこと言わなきゃならねぇんだよ。ヒデェな、そんな風に思われてたなんて、傷つくぜ」

 からかい混じりに言ってやった。

 このくらいの意地悪は許されるだろ?

「ごめんてば。でも、だって、嫌われてるって思ってたんだもん、しょうがないじゃん……」

「そういや、昨日もそんなこと言ってたな。まるきり違うから、なに言ってんだコイツ、としか思わなかったけど」

「ひっどい! そりゃ、どうかしてたかも知れないけど、ボク、真剣に悩んでたのに!!」

「分かった、悪かったよ。だから、まぁ、これからはなんか不満があったら、俺に直接言うようにしてくれよ。俺も、そうするからさ」

「うん……」

 リィナは何か違うことを考えているように上の空で返事をして、しげしげと俺を眺めた。

「なんだよ? ちゃんと聞いてたか? それとも、もう文句があるんじゃねぇだろうな」

「ううん、違くて……ヴァイスくん、前よりなんか、大人っぽくなった?」

「え、マジで?」

 露骨に嬉しそうにしたのがマズかったらしい。

 リィナは分かりやすく呆れてみせた。

「やっぱ、勘違いかな」

「そう言うお前は、前よりなんかガキっぽくなったか?」

 俺の指摘に、リィナは視線を泳がせる。

「あー……そうかも。ていうか、こっちの方が、もっと素に近いんだと思うよ。前はホラ、お役目があったから。それなりに気を張ってたからね」

 リィナは首を傾げながら、耳の後ろ辺りを指の先で掻く。

「いまは、追いつくことだけ考えてればいいから。そういう意味では、気が楽かな」

「うん。俺も、それを邪魔したくねぇんだよ」

 お前は上だけ見て昇り詰めればいい。

 それ以外のことは、俺達がなんとかしてやるから。

 それが結局、俺達だけでなく皆の為になるだろ。

「……ズルいなぁ、ヴァイスくん」

「そうか?」

 いい落とし所だと思うんだが。

「まぁ、確かにね。ボクにも他のこと考えてる余裕なんて、無いんだけどさ」

「だろ?」

「……それをキミから切り出されるのは、なんか腹立つんだけど」

 そんなこと言われましても。

「だって、さっきの仕合見て分かったけどさ、俺なんかにゃ想像できないくらい、また強くなってただろ。お前がどこまで行けるのか、俺も見てみたいんだよ」

「うん。悔しいけど、あの人がを見せてくれたからね」

 リィナの表情が、武闘家のそれに変わる。

「……ボクが思うに、多分、認識するってすごい大事なんだよ。ボクがぼんやり思い描いてた強さの上限のその先を、あの人が見せてくれたから。後は、それを当たり前にしていくだけっていうか」

 なにか気掛かりを思い出したように、ふと顔が曇る。

「それに、うかうかしてたら追いつかれちゃうしね」

「追いつかれるって? フゥマにか?」

 実際、あいつもアホほど強くなってるからな。

 だが、リィナは小さく首を横に振った。

「うぅん、違くて。マグナに」

 咄嗟に、相槌が打てなかった。

 言語能力を失ったみたいに、言葉が出て来ない。

 リィナは冗談を言っている風ではなかった。

 不意に吹き抜けた一陣の風が、ポツンと森から離れてすぐ側に生えている大樹の梢を揺らし、どこか寂しげな音を奏でる。

「あのね、聞いてくれる?」

 意外なくらい、思い詰めた口調だった。

 いまから口にしようとしてるのが、話したかった別のことなんだろう。

 そう直感した俺は、なるべくなんでもない風を装って、さっきのリィナと同じ言葉を返す。

「うん、もちろん」

「ごめんね、ただの愚痴なんだけどさ。さすがに誰にも言えなくて……けど、自分だけで抱えてるの、もう限界なんだよ」

「あの子犬くんにもか?」

 子犬くん呼ばわりは、俺が心の中で勝手にしていただけだが、リィナが思い浮かべたのも同じ顔らしかった。

 あんだけ崇拝して見えるんだ、ジミー……だっけか? あの子犬くんなら、大抵のことは受け入れてくれそうだが。

「うん。一番、言えないかな」

 リィナは、やや寂しそうな表情ではにかんだ。

 こいつ、また言うに言えない妙な事情を抱え込んでやがるんじゃねぇだろうな。

「あのね……それこそジミーくんなんて、年がら年中言ってくるんだけど。ボク、これでも天才とかって呼ばれてたんだよ」

「うん」

 知ってる。

「あ、もちろん武闘家としてね。で、割りと色んな人に言われてたからさ、なんとなく自分でもそうなのかなーって思ってたんだよ。実際、他の子達より覚えも早かったと思うしね」

「だろうな」

 なにやら、どこかで聞いたような話の流れだった。

「でもさー……」

 はぁっ、とリィナは肺の空気を全て絞り出すように、大きく息を吐いた。

「ヴァイスくん、憶えてる? ボクが、マグナは強いって話した時のこと」

「ああ、もちろん」

 俺達がダーマに辿り着いた、あの日のことだろ。

 ちょうどいま、思い出してたところだ。

「あの時は、さすがにああいう風にしか思ってなかったんだけど……ホンっと、マグナにはいつも思い知らされる」

 うん?

 マグナと、またなんかあったのか?

「多分、本当の天才って、マグナみたいな人のことを言うんだよね」

 俺は、またしても言葉を失った。

 他のヤツの言葉と、ずっと一緒に旅をして近くで見てきたリィナの言葉とじゃ、重みが違う。

 リィナをして、こうまで言わせる何かが、矢張りあいつにはあるのだろうか。

「だってね……うぅん、単純な腕比べだったら、ボクの方がずっと上だよ? それは、自信あるんだけど」

 持ち前の負けず嫌いを、少し覗かせる。

「でもね……そういう腕前だけじゃなくて、魔法とか道具とかはもちろん、お互いへの気持ちとか、ボクとマグナっていう人間個人とか、そういうのまで全部ぜーんぶ引っくるめて、いまから一対一でどっちか斃れるまでやり合いなさいって言われたら、最後に立ってるのは絶対にボクだって確信が、いまは持てない。それくらいのところまで、マグナは来てる」

 訥々と、リィナは俺が不在のパーティで持て余していたであろう思いを口にする。

「ホントに、びっくりするよ。だって、マグナって基本的に魔物と戦ってるだけなのね。ボク達と違って、ほとんど修行とかしないから。そりゃ、魔物との戦いが修行みたいなモンだけどさ、でも、それだけで、最近めちゃくちゃ強くなってるんだよ」

 そういや、最初の頃から戦闘に関する飲み込みは早かったな。

「前より強くなってるようには俺も感じたけど、そんなにか」

「うん。正直、怖いくらい」

 リィナが本当にそう考えていることが、感情の篭っていない喋り方で逆に伝わった。

「多分、ヴァイスくんって、マグナを実際より弱く見ちゃってるんだと思うよ」

「そうなのか」

 そうかもな。

 俺は、マグナを護ってやらなきゃいけないって思ってたから——

「ああいうのを、才能って言うのかなぁって。だから、ね」

「うん?」

「あのね、マグナには絶対、ぜえ~~~ったいに言えないけど——」

「うん」

「……あぁ、やっぱり血筋なんだな、って思っちゃうよ」

 脳裏に浮かぶ、これ以上ないくらいの勇者中の勇者のイメージ。

 マグナの父親にして、リィナの憧れ。

「ホント、困っちゃうよね。ボクにはコレしかないのに、それすら大したことじゃないみたいに感じちゃう。あれもこれも、どれも何にも勝てないよ」

 ポツリポツリと漏らしながら、俺の服に手を伸ばして握ってくる。

 落ち込んだ姿はともかく、こんなに自信無さげなリィナは、はじめて見たな。

 だが、俺は次の言葉を発することに、躊躇いは無かった。

「いや、そんな訳ねぇだろ」

 お前のソレが、大したことない筈がねぇよ。

「うん、そっちはね。でも、頭では分かるんだけど、感情的には納得できない。だから、この前も、ちょっと無理して死にかけちゃったんだよね」

 ぎこちなく舌を出す。

「第一世代の突然変異体を、ほとんどリィナ独りで斃したって話か」

「ああ、知ってたんだ。あれだって、実はトドメはマグナだったんだよ。ほら、ボク、死にかけてたから」

 無理しておどけて見せるリィナだったが、さすがに乗ってやる気にはなれなかった。

「……お前、あんま無茶すんなよな」

 俺には、そっちの方が気にかかる。

「……違うってば、そんな顔しないでよ。そういうこと言ってるんじゃなくて……だから! 最近なんか、色々考えちゃうの!」

 会話の流れを力づくで戻すように、リィナは大きな声を出した。

 ニックに追いつこうとして、なかなか追いつけなくて——リィナが拘って苛ついてたのは、そこだけじゃなかったんだな。

 まさか、あいつマグナが一因だったとは。

「なんかね、ボクもこれまで他の人を、こんな気持ちにさせたことがあったのかなぁ、とかね。だからティミも、いつもあんなに怒ってたのかなぁ」

「いや、あいつはもう、そこは乗り越えたと思うぜ」

 ていうか、そういやアイツ、まだグエンを捕まえられてないんじゃねぇか。

 さっさと首に縄つけて連れ戻してくれよ。

 気が付くと、リィナがじとーっとした眼差しで、物言いたげに俺を睨みつけていた。

「なんだよ?」

「……そういえば、前にも言ってたね? ティミに会ったって。どこで会ったのさ?」

「いや……どっか、そこら辺」

 エフィの故郷で、とは、未だに言い辛かった。

 俺、案外——いや、なんでもない。

「なにそれ~? 大体いつの間に、そんなことまで分かっちゃうくらい、ティミと仲良くなったのさ?」

「いや、別に仲良くねぇよ」

「もー、ヴァイスくんは、ホントに油断も隙もないんだから!」

「いや、油断も隙もありまくりだけど」

「そういうことじゃなくてね、もー……」

 しばらく眉根を寄せていたリィナが、やがてふっと呆れたように笑う。

 それで俺達は、なんとなく苦笑を見合わせた。

「はー、でも、ちょっとスッキリした。もう何ヶ月も、誰にも言えなかったからさ」

 いまのマグナは、勇者様勇者様って凄い持ち上げられてそうだもんな。

 それでなくても、いまリィナが語った内容に共感してくれる人間が、こいつの周りにいるとは思えない。勇者様が強くて何が不満なんだ、で終わりだろう。

 どころか、何を情けのないことを言ってるんだ、貴様ももっと精進しろと、逆に叱責されかねない。

 だが——

「シェラにもか?」

 俺が問うと、リィナは物凄い微妙な顔つきをした。

「う~ん。愚痴れなくはないんだけど、ちょっと言い辛いかも。シェラちゃん、何だかんだでマグナ寄りだから」

 ああ、俺には窺い知れない微妙なバランスが、こいつらの間にもあるのね。

「それでなくても、最近すごい甘えちゃってるしねー。よく怒らせてるから、ボクがなんか言ってもハイハイってあしらわれちゃうんじゃないかな」

「でも、シェラも心配してたぞ、お前のこと」

「え? いつ話したの?」

「いや、ジパングの時だけど」

「ああ、なんだ……ていうか、ホントにマメだね、ヴァイスくん」

「そんなことねぇけど」

「いや、あるってば。いつの間に、ボクなんかのことまで話してたのさ、ホント」

「あの時は、シェラとは結構喋れたからな。その流れで——」

「プリプリ怒ってたボクと違って、シェラちゃんはいつも優しいもんね~」

 わざとらしい嫌味を言われたので、素直に頷いてやる。

「ホントにな」

「なっ——!?」

 自分で言った癖して、鼻白んでやんの。

「ていうか、シェラはマジで大変そうだったから、あんま面倒かけ過ぎんなよな。いちおう、お前の方がお姉さんなんだから」

——キミの方がお兄さんなんだから、キミから仲直りしてあげなきゃダメだよ?

 出会った頃に言われた意趣返しだと、リィナも気付いたようだった。

「分かってるよ……ていうか、いま思うと、昔のボクってスゴいカッコしてたね? ヴァイスくんの前で」

 両手で覆った顔が、また首まで真っ赤だ。

「仕方ねぇよ。あの頃のお前は、俺のことなんてどうでもよかったんだもんな」

 今度は、昨日の意趣返しだ。

「もー、意地悪しないでよ……勝手にヘンな風に思い込んじゃってたのは、悪かったと思ってるってば」

「いや、構わねぇよ。そもそも悪いのは、俺だしな——」

 そろそろ、マグナと話す覚悟を決めねぇと。

 表情に不安をぎらせたリィナに悟られないように、声音を調整する。

「それに、お前をこんなにからかえるなんて、俺冥利に尽きるしさ」

「なに、それ~?」

「だって、お前はいっつも、俺なんかにゃ及びもつかない事ばっかやってのけちまうだろ。そんなお前が、こっちまで下りて来てくれたみたいで、こんな時でもないとやり返せねぇからな」

「それって、なんか性格悪いこと言ってない?」

 なんとでも言いたまえ。

 いまだけは、主導権はこっちにあるみたいだからな。

「あー……でも、こんなこと言っちゃいけないのかもだけど。なんか、ホッとするよ」

 リィナは口にしてから気付いたように、後悔を顔に浮かべた。

「違うんだよ。ヴァイスくんなんて、全然ダメダメなんだから。調子に乗っちゃ、ダメだからね——ただ、なんていうか、最近、船の上だと息が詰まりそうになること多かったからさ」

「そうなのか?」

「うん。何があったって訳でもないんだけどね。なんか、煮詰まっちゃってるっていうか……タマに、わーって叫びたくなる感じ」

 口ではこう言ってるが、色んな国の知らない人間達とあんな狭い空間でずっと一緒に過ごしてるんだ、やっぱり軋轢もあるんだろう。

 ダーマの二人も、なにかとうるさそうだしな。

「ヴァイスくんみたいにゆるい人って、やっぱり必要なんだなって思うよ」

「バカ、お前。俺ほど真面目でお堅い人間はいねぇだろ」

「そういうトコだよ」

 微苦笑を浮かべたリィナは、不意に我慢しきれなくなったみたいに、不安そうにこちらを見詰める。

「もう、どこにも行かないよね?」

 こいつの立場も、結構複雑だもんな。

 案外あちこちに気を遣ってバランスを取ろうとした結果が、傍若無人に映りがちな態度なのかも知れない。

 きっと俺みたいに、何の気兼ねもなく当たり散らせる相手も必要なんだろう。

「ああ。俺は、そのつもりだよ」

 もちろん、俺はな。

「ただ、その為には、まずお許しを得ないとな」

「……そうだね」

 俺は、なるべく軽い調子で続ける。

「はー、しゃあねぇ。丸投げして来ちまったから、そろそろ仕事しに戻らねぇとマズいだろ。また怒らせちまったら、お許しも何もねぇからさ」

「うん、頑張ってね。マグナの機嫌を損ねて、一緒に行けないなんてナシだよ?」

「手強いのは、あいつだけじゃなさそうだけどな」

 マグナに随行している連中が、歓迎してくれるとは到底思えない。

「ううん。マグナだけ説得できればだいじょぶだよ」

 だが、お伴筆頭であるリィナは、確信的にそう断言してみせるのだった。

「そうなのか?」

「うん。だから、変なこと言って怒らせないように気をつけてね。まぁ、だいじょぶだと思うけど」

 とか言いつつ、自分は機嫌を損ねたような顔をして、俺の腕をつねってくる。

「いって——バカ、ホントに痛ぇって!」

 お前、自分の力を考えろ。

「痛くないよ。ホラ、早く行ってきなよ」

 くるっと町へ戻る方向を向かされて、背中を押される。

「分かったから、押すなって。じゃあ、また後でな」

「——うん。また、後で」

 そんな風に、俺はリィナに送り出されて、マグナの元に向かったのだった。

 正直、気が重かったが、そう言ってられねぇ理由もある事だしな。

4.

 俺の心配を他所に、町のお偉方やマグナの取り巻き共への説明は、思ったよりもすんなりと終わった。

 明らかに、マグナが前もって連中に言い含めておいてくれたお陰だ。

 これが俺だけだったら、何かを言う度に頭ごなしに否定され、それをいちいち説得するという不毛な手順を延々と繰り返さなくてはならなかったろう。

 これまでの経緯を話せる範囲で伝え——例えば、ポルトガで出会った昼夜で入れ替わるように動物に変じる男女の話や、アッサラームでウェナモンが操られていた件から、どうやら魔物の中にはニンゲンを利用して何かを企んでいる動きがあるという疑いを持ち、それを調べる為に俺は一時的に別行動を取っていたのだというていにした。

 元首長のチヤノガが、スーでエドを見物した経験があったことも、こちらには都合が良かった。

 俺が好き勝手に妄想を垂れ流してる訳ではないという印象を、ある程度植え付けることができたからな。

 それなりに事情を知ってるダーマの二人は疑わしげな目つきを終始俺に向けていたが、例のマグナ出奔の件は連中の間ではちょっとしたタブーになっているらしく、口に出しては特に何も言ってこなかった。

 お陰で、多少の行き違いこそあったものの、勇者であるマグナも承知の上での行動だったのだという話で、どうにか押し通せた。

 ここら辺、俺が事前に言い含めるまでもなく、マグナが逐一フォローしてくれて助かったぜ。

 というか、こっちが不安になるくらい、何故かマグナはやけに協力的だった。

 ともあれ、必要に応じてマグナの活躍を強調したりと、話に脚色を加えハッタリを織り交ぜつつ説明を続ける内に、はじめはマグナに言われて渋々聞いているという感じだったお歴々も、それなりに耳を傾けてくれるようになった。

 まぁ、つまり、俺達の間にあった個人的な感情を省いて、あくまで事実のみを抽出し、それを都合良く並べ替えて伝えたのだ。

 嘘を言っている訳ではないので致命的な破綻や矛盾も無く、またマグナのフォローの甲斐もあって、最終的には魔物の企てについて独自に調査していた俺の努力が結実しようとしていた、さっきのはそんな場面だったのだという落とし所に、なんとか話を着地させることができた。

 今日は色々あり過ぎて、流石に皆疲れてたからな。ライラの処遇を含めて残りはまた明日にしようということになり、辛うじて日が落ち切る前に俺は開放された。

 といっても、ここまではホンの余録みたいなモンでして。

 本当の本番は、ここからだ。

 本音を言えば、もうクタクタなので、できれば勘弁して欲しかったが。

「それじゃ、話を聞かせてもらいましょうか」

 周りの連中に気付かれないように耳打ちしてきたマグナに、俺は再び町外れに連れ出されたのだった。

 うぅ、おっかねぇ。

 黙って先を歩く背中を、こっそりと盗み見る。

 ほんの少し背が伸びて、俺との身長差が縮まった気がする。

 体付きも、ちょっと女らしくなったか?

 前からスタイルは良かったけど、出るトコそんなに出てなかったもんな。

 いや、うん、余計なことを考えるのは止めよう。

 また無節操に前を膨らませて、自己嫌悪に陥りたくない。

 偶然なんだろうが、辿り着いたのは、さっきリィナと話をした森の手前の岩場だった。

 一足早く立ち止まったマグナに声をかける。

「さっきはありがとな、フォローしてくれて。正直、助かったよ」

「ホントにね。折角時間あげたんだから、もうちょっと話を練ってきなさいよ。いちいち面倒臭いったらなかったわ」

 やっぱり案外、気を遣わせてたのね。

 だって色々あって、結局考えをまとめる方に時間を割けなかったんだよ。

「悪かったよ。けど、あんなに話を合わせてくれるとは思わなかった。てっきり——」

 グレースが挑発したこともあって、てっきり怒ってるモンだと思ってたからさ。

 言いかけたところで慌てて口を噤むと、マグナの呆れ顔が振り向いた。

「てっきり、あたしが怒ってると思ってた?」

「いや、まぁ——」

「ていうか、なんだったの、あのグレースって人? あんたの差金?」

「いや、違う。あれは、あいつが勝手にやったんだ」

 とは、我ながらヒデェ言い草だな。

「……情けねぇ俺を見かねて、背中を押してくれたんだよ」

「ふぅん」

 マグナは興味無さそうに相槌を打っただけだった。

「とにかく、フォローしてくれて助かったよ」

「馬鹿ね。あのまま放っといたら、あんたなんて吊るし上げをくらった上に、魔物と通じただのなんだの難癖つけられて、体よく処分されたに決まってるじゃない。よく分かってないみたいだけど、あの人達にしてみたら、あんたは物凄く邪魔者なんだから」

 おお、すげぇハッキリ言うな。

「でも、それじゃなんにも解決しないから、仕方なく助けてあげたのよ。感謝しなさいよね」

「あ、ああ。もちろん、感謝してるよ」

「そ。じゃあ、あんたがノコノコこんなトコロまで来たワケを聞きましょうか。つまんない話だったら、あたしがあんたを処分するわよ」

 あんまり怖いことばっか言わないでもらえますか。

 けど、覚悟していたより、存外に話し易い——

「それから、先に言っとくけど、理由にあたしを使うのは止めてね。何を言われても、あたしはあんたのこと、いざとなったら逃げ出すヤツとしか思えないから」

 呑気な考えを脳裏に浮かべた瞬間に釘を差されて、我知らず息を呑む。

 だが、それは俺にとっても望むところだ。いまは、そういう話がしたいんじゃない。

「分かった。なら、俺にも最初に確認させてくれ。勇者マグナは魔王を斃しに行くことになってるらしいけど、その——お前は、本気なのか?」

「……それが、何か関係あるの?」

「ある。だったら、俺がこれから言おうとしてることは、お前にとっても悪くねぇ話になると思うからさ」

「……どこから話したらいいか、分かんないけど」

 いちおう、俺が真剣だということは伝わったらしい。

 マグナは多少訝しげな顔をしながらも、右手の指先で唇を触りながら考え始めた。

「結論から言えば、そうよ。いまのあたしは、魔王を斃す為に旅をしてるわ。って、前にも言わなかったっけ?」

「ああ、聞いた。けど、どうしてそうなったんだか、俺には分かんねぇからさ」

「理由も聞かせろって? それを、あんたに言って欲しくないんだけど」

 マグナの声は、怒気を孕んでやや硬くなった。

 それが、ふっと緩む。

「って、半年前には言ったんだっけ?」

「ああ——いまは、そうじゃねぇってことか」

「そうね。そういうの、もう越えちゃったかな」

 実際、ジパングの時よりも、ずいぶんと落ち着いて見える。

 昨日のリィナじゃねぇけど、あれよりもっとなじられる覚悟をしてたのに、妙に達観しているというか。

 それって、つまり——

「よくないわね。あんたと居ると、つい余計なことまで喋っちゃいそう。昔、色々聞いてもらったせいかもね」

 ふふっ、とマグナは自嘲した。

「よくないのか」

「そりゃそうでしょ。でも、ま、タマにはいいことにするわ」

 マグナは何かを振り切るように、頭をぶるっと左右に振った。

「あたしね、女の子に憧れてたのよ」

「……へ?」

「なに、その顔。なんかおかしい?」

「いや、まったく。ていうか、おかしくないのがおかしい」

「なにそれ」

「だって、お前は、その——ずっと、女の子じゃん」

「……」

 マグナが視線を彷徨わせたのは、そんなに長い時間じゃなかった。

「多分、ちょっと意味が違うと思うんだけど。そうじゃなくて、小さくて可愛い女の子ってことよ。母親にしごかれて剣の練習に明け暮れたりしないで、友達と誰が好きだとかあの人が素敵だとかキャーキャーはしゃぎ合って、夜はベッドでひとりになったら、いつか白馬の王子様が迎えに来てくれることを夢に見るような、そんな絵に描いたみたいなキラキラした女の子」

 うん、知ってるけど。

「なに、知ってるけど? みたいな顔してんのよ。あんたなんて、なんにも知らないんだから、いつもみたいに間抜け面してなさいよ。いいわね?」

 なんか知らんが怒られた。

「とにかく——あたし、てっきり自分がそういう風になりたいんだと思ってたのよ。だから、実際にちょっとだけ味わわせてくれたあんたには、少しは感謝してるのよ、これでも」

 マグナの述懐は、思いがけずに物凄く複雑な気分を俺に齎した。

 もちろん、素直には喜べない。

 嫌味に聞こえないところがなおさらだ。

「まぁ、要するに、あたしは自分のことをごく普通の女の子だと思ってて——いまでも、それはそうだけどね。けど、肝心なところが相手任せっていうのは、自分の性に合わなかったのかな、って」

 俺がよく分からない顔をすると、面倒臭そうに言葉を続ける。

「だから……いまでも、タマに考えるのよ。あのままダーマの人達に見つかることもなく、ムオルでヴァイスと暮らしてたら、どうなってたかなって」

 え、マジで。

 お前も、そんな風に考えることがあったのか。

「なによ、そんなに意外そうな顔しないでよ。あたしだって、そのくらいは考えるんだから。でも、何度頭の中で考えても、長くて二、三年くらいで別れてただろうなって思うのよね」

「……同感だ」

「へぇ? そうなんだ?」

 マグナは少し意外そうな声を出し、すぐに小さく頷いた。

「うん、まぁ、あんまりいい関係じゃなかったもんね。ただ逃げてただけなのもそうだけど、アレって、ほとんど全部、ヴァイスがあたしに与えてくれたものじゃない?」

「いや、どうかな……」

「ヘンな謙遜しないでいいわよ。あたしは、何もしてなかったから——そう、何もしなかったのよ」

 マグナの瞳に、強い光が宿る。

「それって、どうだったのかなって。ヴァイスにばっかり色々押し付けてた気がするし、もしそうだとしたら、あたしはそんなの嫌なの」

 その場で反復するように向きを変えて、ゆっくりと歩きながら、マグナは喋り続ける。

「あたし、きっと自分は誰かに甘えたいんだろうなって思ってたのよ。それまでずっと、誰にも心を許さないで、気を張って生きてたようなモンだったから。だから、誰かにドロドロに甘えて骨抜きになっちゃいたいって——でも、なんか、違ったみたい」

 顎の辺りを指先で軽く叩きながら、またくるっと方向を変える。

「自分のことを自分で選択しないなんて、あたしには我慢できなかったのよ、そういえば。ヴァイスも知ってるでしょ? だから、あんなに悩んでたのにね。我ながら、バカみたいだわ」

 漏れた自嘲は、既に過去のものだった。

「つまり、あたしは男の人を頼りにして、その人を中心に生きていくような、そんな可愛げのある女の子じゃなかったってこと。簡単に言えば、それだけ」

 それだけ、か。

 マグナがそこに辿り着いてから、既にずいぶん時間が経ったことが、口振りから窺い知れた。

 こいつにとって、これは良いことなのか?

 逆方向に振れ過ぎてはいないだろうか。

 言ってることだけなら、まるで倍ほども生きた恋愛に疲れた女みたいだ。

 けど、何がこいつにとって良いことかなんて——それこそ、俺が決めることじゃない。

 それに——積極的に認めることに不安も覚えるんだが、確かになんか、らしいんだよな。それこそ、いままでで一番ってくらいにしっくりときている。

「それでもね? あたし、しばらくは独りでひたってたかったのよ。トコトン落ち込んだりしたかったワケ。あんなひっどいフラれ方したんだから、それくらい許されると思うでしょ、普通!?」

 やっぱり、俺がフッたことになるのかなぁ、あれ。

「なのに、こっちの都合なんてぜんっぜんお構いなしに、皆んなが前よりもっと勇者様勇者様言ってくるのよ!! ホント、なんなの、アイツら!?」

 マグナの勢いに、ちょっと笑っちまった。

「笑い事じゃないわよ! それで、なんかもう面倒臭くなっちゃったのよね。この人達は、あたしの事なんて、ホントに心底どうでもいいんだなーって。元からよぉ~く知ってたけど!」

 立ち止まって、俺を正面から見詰める。

「だから、無駄な期待をするのは止めたの。完全に」

 トーンの落ちた、感情の篭らない声。

 ギクリとした俺に構わず、一転してサバサバとした調子で続ける。

「で、もうコイツら黙らせるには、魔王をはっ倒すのが一番手っ取り早いかー、って思ったわけ」

 ずいぶん軽いな、オイ。

 いや、ホントに軽かった訳はないんだが。

 その口調が仕草が、すでに終わったことなのだと、ことさらに主張しているように感じられた。

「あれから、もう一年だっけ? 今思うと、若かったわよねー。極端っていうか。自分が特別じゃないと思い込みたいから普通だなんて。ホント、子供みたい」

「いまだって、まだ子供だろ」

 そう口答えするのが、俺の精一杯だった。

 マグナは、くすっと笑った。

「そうね。大人じゃないわね。あたしは、あたしだもの」

 視線を落として、静かに語り続ける。

「あたしは、みんなが思い描くような物語の勇者じゃないけど、自分が期待したようなキラキラした可愛い女の子とも違ったみたい。でも、それの何が悪いの? って」

 顔を上げて、再び真っ直ぐ俺を見る。

「あたしは、あたしよ」

 きっぱりと、宣言した。

 瞳に一切の揺らぎなく。

「一番最初に立ち戻って、改めてそう思ったのよ。あたしはあたしにしかなれないし、やりたいようにやる。そう決めたの」

 俺のうちで、マグナが再構築されていく。

「しつっこく勇者様勇者様言ってくるなら、せいぜいコキ使ってやるわ。アイツらだって、それを望んでるみたいだしね。ていうか、絶対マゾよね、アイツら」

 で、お前は女王様ってか。

 さすがに口に出して軽口を叩く気にはなれなかった。

「要するに、あたしはあたしでありたい。いままでもこれからも、ただ、それだけよ」

 そう断言されると、ずっと一貫している気になってくる。

 俺のどこかはあくまで認めたがっていないが——いまのマグナは、すごく自然に見えた。

 以前は薄っすらと落ちていたかげを脱ぎ捨てたみたいに無理がない。

 その分、自信が芯をしっかりと支えているのが分かる。

 俺は多分、このマグナを知らなかった。

 そしておそらく、こっちのマグナの方が、より素に近いのだ。

 そんな気がした。

 悔しいが——

 ロランのアホがほざいてた戯言に、いまなら多少頷いちまいそうだ。

 ハナからマグナを、他の連中とも違う意味で、特別視してやがったからな。

 自慢気にほざいていたように、あのアホの王様は、人を見る目はそれなりにあるんだろう。

 認めるのムカつくけど。

 けど、果たしてこれでいいのだろうかという思いも、やっぱり俺の裡からは消えなくて——とりあえず、しばらく見守るくらいはさせて欲しいモンだ。

「別にあたしは、あんたの知らない誰かになんて、なってないわよ」

 見透かしたように、マグナが口にした。

「だから、大丈夫。あたし、あんたのこと、ちゃんと好きだったみたいよ?」

「へっ?」

 漏れた空気が、喉で妙な音を鳴らす。

「それに、あんたがあたしのこと好きだったのも、分かってる。だから、あたしはあたしのままでも、好きになってくれる人がいるって、いまは信じられるの」

 不意にこみ上げたモノを必死に抑えつけながら、俺は自分の感情を持て余していた。

 これは、嬉しいのか、それとも、悲しいのか。

 自分でも分からない。

 ただ、これが決定的だということだけは、理解できた。

 完全に過去になったのだと宣言されたも同然だ。

 唐突すぎて、まだ実感は無ぇけど——あ、マズい。考え始めると際限なく落ち込んじまいそうだ。

 落ち込むのもおかしい話なんだけどさ。再会しさえすれば、無条件にまた恋人になれるだなんて、思ってなかった筈なんだから。

 俺も——だなんて、感情のままの言葉が思わず溢れかけたが、自分がそれを口にして良い訳がないことくらいは、流石に分かった。

「その……誕生日、おめでとう」

 喉で色々つっかえた末に、転げ落ちたのはそんな言葉だった。

 マグナは、しばらく何を言われているのか分からない顔をしてから、おかしそうに吹き出した。

「なに? どうしたの、急に?」

「いや、いちおう言っとこうかと思って」

「ああ、ちょうど一年経ったって言ったから? ありがと。悔しいけど、タイミングいいわね」

「運命的だろ?」

「………ヴァイス、あたしの誕生日、正確に覚えてないでしょ?」

 してやったり、みたいな目付きしやがって。

 ああ、日にちまでは覚えてねぇよ。

「おとといよ」

 いまのマグナは、試すような真似をしないで、あっさり教えてくれるのだった。

「ホントに惜しかったわね。運命感じちゃう」

 こっちの軽口に乗って、ふふっと含み笑いをする。

 くそ、可愛いな。

 マグナと普通に話せていることに、ホッとしながら寂しさを覚えてしまう自分が、なんとも惨めに感じられた。

「ていうか、なんでこんな話してたんだっけ?」

 マグナの問い掛けで、俺は急速に現実に引き戻される。

 そうだ、俺こそ浸ってる場合じゃねぇんだった。

「うん、それだ。マグナ達にどうしても頼みたいことがあって、ここまで来たんだよ、俺」

「真面目な話なのね。とりあえず、言ってみなさいよ。聞くだけ聞いてあげるわ」

 俺の顔付きや声音で察してくれたのだろうか。

 マグナも表情を改めた。

「じゃあ、遠慮なく。力を貸して欲しいんだ」

 密かに唾を飲み込んだ。

 俺はまた、こいつを酷いことに巻き込もうとしているのかも知れない。

 その畏れはある。

 けど、どうしても、何が何でも、お前達の力が必要なんだ。

 俺にできることなら、後でなんでも償うから。

「頼む。俺と一緒に、サマンオサに行ってくれ」

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