43. ain't on the map yet

1.

「それじゃ、死んで」

 勇者マグナが創った港町で、自称住人のココという少女は、飲食店で注文するよりも気軽な調子で、他者に絶命を要求した。

 軽く屈伸をする素振りを見せてから、不意に限界まで躰を折り畳む。

 その一瞬後だった。

 地面に腰がつきそうなほど深く沈んだ躰が、低い姿勢のまま物凄い勢いで前方に弾け出る。

 多分、その場にいたほぼ全ての人間が、両脚で踏み切ってフゥマの腹に頭から突っ込むココを幻視したに違いない。

 だが、現実は違っていた。

 直前で地面に両手をついたココの躰が、フゥマを飛び越えて縦に回転する。

 飛び越し様に、ココの踵が凶悪な速度でフゥマの延髄を襲った。

 二、三歩、前方にたたらを踏んだフゥマは、しかし右手で首の後ろを庇っていた。

「へぇ、よく反応したね」

 既に着地してフゥマの背中に迫ったココは、左右の膝裏に足刀を立て続けに突き刺す。

 堪らず地面にひざまずいたフゥマの正面に一瞬で回り込むと、顔と言わず腹と言わず、目が追いつかないほどのスピードで蹴りや掌打を叩き込みはじめた。

 辛うじて防御はしているものの、全部は捌き切れていない。

「アッハ、観念するの早過ぎない!? とんだ拍子抜けだよ!」

 一方的に攻撃し続けて精神が昂ぶっているのか、ココの顔が嗜虐的な笑みに歪む。

「アハッ、よっわ!! アハッ、アハハハハッ!! ホラ、死んじゃうよ!? ホントに死んじゃうよ!?」

 もはや恍惚とした表情で、ココはフゥマを甚振いたぶり続ける。

 なにやら人格が変わってるぞ。

 つか、あのバカ、真逆まさかこのまま負けるんじゃねぇだろうな。

「もうっ、フゥマさん!! ちゃんと集中してください!」

 叫び声の主は、シェラだった。

 もちろん理由は違うだろうが、ココと同じく頬がほんのり朱に染まっているように見えるのは気の所為か。

「集中したって同じだっての、バカ女!! ホラ! 死にな!!」

 それまでよりも長く引き溜めたココの貫手が、フゥマの首を貫かんと突き出される。

「フゥマさん!!」

 シェラの悲鳴が響く。

 フゥマの首から鮮血が飛び散る光景を、その場に居合わせたほとんどの人間が、確かに視た。

 しかし、それもまた、ココの攻撃のあまりの速さに追いつけない脳が投機的に描き出した幻視に過ぎなかったのか。

 実際のココの貫手は、フゥマのゴツい右手で握り止められていた。

 あっさりと。

「あ、アレ? いま、喉ツブされてなかったスか?」

 そう口にしたダヴィだけでなく、多くの観客が目をしぱたたいたり、何が起こったのか分からない困惑顔を浮かべている。

「ってぇな……ヒトがちょっと考え事してたら、調子に乗ってポカスカ殴ってんなよな」

 いや、ポカスカなんて可愛らしい響きで形容するようなモンじゃなかったぞ。

「つか、シェラさんのこと、バカ女っつッたか? 手前ぇ」

 ココの手を握ったまま、もう片方の手を首に当てて、ゴキゴキ鳴らしながらフゥマは立ち上がる。

「っ——離せっ!!」

 体全体を使って反動をつけ、ココは自らの手を引き抜いた。

 フゥマは、躰に残ったダメージを確かめるように、あちこちブラブラさせながら言う。

「へぇ、思ったより強いんだな、アンタ。無意識に任せときゃ、勝手に終わると思ってたんだけどさ」

「……は?」

 ココは、本当に何を言われているのか全く分からないような声を出した。

「でも、軽ぃよ、全部。それじゃ、一生殴り続けても、オレ様は斃せねーよ」

 いや、嘘つけよ。ちょっとは効いてるだろ。

 鼻血を拭いながらじゃ、さすがに説得力ねぇぞ。

「てか、そういや、さっきなんか喋ってたっけ? わり、聞いてなかったわ。なんてったの?」

 まったく他意のない口ぶりで、フゥマは言ってのけた。

 えー、ココがせっかくあんなドヤ顔して、なんか重要っぽいこと喋ってたのに、聞いてなかったの、お前。

「フッ……フフ」

 堪え切れなくなったみたいに俯いて吹き出したココは、すぐに顔を上げて満面に笑みを貼り付けたまま笑い続ける。

「フフフフフフフ」

 もちろん、楽しくて笑っているのではない。

 笑顔なのに、完全に感情が抜け落ちていて、正直不気味だ。

 だが、一切の腹芸が通じない男は、全く意に介さなかった。

「オレ様、いまちょっとすげぇ大事な考え事してっからさ。ホント悪ぃけど、さっさと終わらせようぜ」

「……殺ス」

 最早、自分の感情をどのような表情で表現してよいのか分からない顔をして、ココは開いた五指を鉤爪のように曲げたまま振りかぶり、フゥマ目掛けて袈裟懸けに薙いだ。

「——ッ」

 咄嗟に受けたフゥマの右上腕に、何本か筋が入る。と思う間もなく、血が吹き出した。

 よく見ると、腕の肉が抉れている。ココの指がやったのだ。

 要するに引っ掻いた訳だが、これまたそんな生易しい表現が当て嵌まるシロモノじゃない。

 爪で引っ掻いたのではなく、指の先でこそげ取ったように見えた。

「死ね、死ネ、死ねェッ!!」

 恐るべきわざだった。

 仮令たとえ、傍目には駄々こねて引っ掻きまくってるようにしか見えなかったとしても。

 ていうか、なんか気付いちまった。

 さっきフゥマに聞き流されたココの長口上が決め手となって、これまで得た情報から導き出された想像が、悪い予感を伴って確信に変わる。

 フゥマのヤツも、ここまで来たのはシェラに一目会っておきたいからで、どっちにしろ同行はここまでみたいな口振りだったんだよな、そういえば。

「おい、いるんだろ?」

「え? なにがだい?」

 隣りで観ていたグレースが反応した。

 いや、お前に言ったんじゃない。

「ごめん、違くてさ——お前のことだよ、にやけ面。どうせ、いつもみたいに、そこら辺で覗いてやがんだろ?」

 だから、あいつと関わるの嫌なんだよ。虚空に向かって話しかける、ちょっとイッちゃった人にしか見えねぇから。

「にやけ面って、もしかして私のことですか?」

 その場にいない誰かの声が聞こえて、俺の周りにいた海賊達がざわめいた。

 ちっ、ホントにいやがったよ。

 俺の妄想だったら良かったのに。

「にやけ面ったら、お前しかいねぇだろ」

「いえ、あのですね。勘のいい私だから話が通じましたけど、他の人だったら絶対分かりませんよ? 人を呼ぶ時は、ちゃんと名前で呼んでください」

「だって俺、お前の名前なんか知らねぇし」

「おや、そうでしたか? では、仕方ありませんね」

 いや、ここはとうとう初めて名乗る流れじゃねぇのかよ。

 グレースや海賊達の俺を見る目に隠しようのない怯えが滲んでいるのを認めて、違う違うと首を振る。怪しいのも悪いのも、俺じゃねぇぞ。通じねぇか。

 声はすれども、姿は見えず。まるで幽霊か何かと喋ってるようにしか見えないもんな。そりゃ気味が悪いよ。

 後で弁解する手間を考えて、気が重くなる。

「アレ、お前んトコのだろ?」

 俺は、ココに向かって顎を突き出しながら問い質した。

 引っ掻いた手がフゥマの腕に触れた途端、今度は肉を抉ることなく弾かれる。もう対応されちまったか。

「ええ、まぁ、そうなりますか。私はフゥマさんを迎えに来ただけだったんですけど、ロンさんに付いて来ちゃったみたいですね」

 体勢が崩れたココの首の下辺りに、フゥマが無造作に拳を叩きつけた。

 打たれた箇所を押さえてよろめくココ。

 どうやら、息が出来ないらしい。

「ふぅん。てことは、今回はあのロンってヤツが、マーカーの運び手だったのか」

「仰る通りです」

 くそ、結構ブッ込んだつもりだったのに、さらっと流しやがった。

 やっぱ、こいつ苦手だわ。

 搦め手じゃ敵いそうもないので、直截的な詰問に切り替える。

「つか、お前だったのかよ、今回の黒幕は」

 正直、予想してなかったな。

「はい?」

「しらばっくれんなよ。なんだよコレ、どういうつもりでこんな事してんだ? また俺達の成長度合でも確かめようってか? それにしちゃ、やり方が迂遠過ぎるだろ」

「いやいや、ちょっと待ってください。どうも誤解があるようですが、私は本当にフゥマさんを迎えにきただけですよ」

「嘘つけよ。誰が信じるんだよ、そんな与太」

「本当ですってば。そもそも、ココさんは私が直接スカウトした訳じゃないので良く知りませんし、なんならフゥマさんが何故いま彼女と戦ってるのかも、サッパリ分からないので様子を窺っていたんですよ。逆に貴方が、私に状況を説明してくれませんか?」

「なんか知らんが、二手に別れて決闘することになった。あいつらは互いの先鋒。以上」

「……ご丁寧に、ありがとうございます」

 うん、くるしゅうないぞ。俺って親切だよな。

「もう……ホントに、コロス」

 胸元を押さえて大きくよろめきながら、ココは視線だけで射殺さんとフゥマを睨みつけた。

「あんま出来もしねぇこた言わない方がいいぜ。恥かくからよ」

 いや、さっきから恥をかかせてる張本人フゥマが、どの口でぼざいてるんだという感じだが。

「黙れッ!!」

 突然、ココの傍らに手斧が縦に回転しながら浮かび上がった。

 俺は気付かなかったが、おそらく足元に落ちていた手斧の柄を踏みつけたのだ。

 最初に投擲された後は、ほとんど存在を忘れられて地面に打ち捨てられていたココの得物。フゥマに打たれて大きくよろめいたのは、そこに移動する為でもあったらしい。

 パシッと手斧を掴むなり、横薙ぎに放るココ。

 ただ、入れ込みすぎて力加減を間違えたのか、すっぽ抜けたとしか思えない方向へ横回転で飛んでいく。

 魔法の玉が弧を描いて曲がるように、フゥマが投じてみせたことがあったが、さすがにこれは明後日の方向過ぎる。

 進行方向の観客達が、悲鳴を上げながら手斧を避けて押し合いへし合いしているのが見えた。

 が、手斧はなんと、観客達の手前で大きく円を描くように旋回し、背後からフゥマを襲う。

「おっ?」

 迫り来る音で察したのか、フゥマが一瞬そちらに気を取られた。

「バァカ」

 手斧を避けたところをちょうど迎え撃つように、駆け寄り様に拾い上げたもう一本の手斧をココは斬り上げる。

 完璧なタイミングの挟み撃ち。

「ちっ」

 フゥマは背後から迫った手斧を右手で掴み止め、ココの斬撃に対しては折り曲げた左腕で躰を庇った。

 え?

 嫌な音を立てて、手斧がフゥマの上腕に喰い込む。

 が、指の第一関節くらいの深さで止まった。

 強く拳を握り締めた左腕に、異様に力が篭められているのが、強張った筋肉から見てとれる。

 シェラが蒼褪めた顔で悲鳴をあげて、両手で口を覆った。

「は?」

「いってーなッ!」

 ほとんど反射的といった感じで、フゥマは呆気にとられたココの顔面をぶん殴った。

 いや、痛いじゃ済まないと思うんだが。

 やることが無茶苦茶なんだよ、アイツ。躊躇無く腕を盾にするとか、やっぱ馬鹿だろ。

「ぶぎゅ」

 背中から倒れ込んだココの全身は、地に伏す前から弛緩していた。

 ぐったりと横たわったまま、ピクリとも動かない。

 どうやら、気絶したようだ。

「ココさんは、興奮し過ぎて戦闘中に我を失ってしまうのが弱みですね。ロンさんにいつも注意されているようですが、持って生まれた性質というのは中々変え難いようです」

 唐突に俺の隣りに現れて、なにやらしれっと解説をはじめてるけど、周りでザワザワしてる連中にドン引きされてるぞ、にやけ面。

「ただ、いくら相手が非力とは言え、自らの腕を盾にするフゥマさんも、どうかと思いますが。まぁ、それだけココさんが追い詰めたということにしておきましょうか」

 姿を消す魔法であるレムオルの効果が切れたみたいだな。これでようやく、少しは落ち着いて話せるってモンだ。

 ていうか、ココの性癖なんかはどうでもいいとしてだな、にやけ面。

「お前らが、この件に噛んでねぇって言い分は、流石に無理があるだろ。じゃあなんで、あのココやらロンやらは、地元住民ですみたいな顔して、この町に紛れ込んでんだよ」

「私も、それが不思議です。なんででしょうね?」

 俺が聞いてんだよ。

「ただ、少なくともココさんは、実際にこの近くが地元らしいですよ。というか、彼らはどちらかと言えばニックさんが連れて来た人達なので、私もまだよく知らないんですよ」

 開始直後にココが語ってたのは、やっぱりニックの事だったか。

 けど——

「マジで、そうなのか。こう言っちゃなんだけど、意外だな。アレにそんな人間がいたのかよ」

「いえ、まぁ、ご明察の通り、弟子や仲間といった関係性ではなく、いつか斃してやろうとつけ狙われているというのが正解みたいですけどね」

 なんだ。やっぱり、そうだよな。

 つまり、あのオッサンは、リィナにしたのと同じようなことを、世界の彼方此方あちこちでやらかしてるって訳だ。

 そりゃ、種蒔きは摘み取ることを前提にやるモンだろうが、ロクでもない真似しやがるぜ。

 自分を付け狙う人間を自ら拵えて、わざわざ近くに置いておくとか、自作自演も甚だしい。あのオッサン、やっぱ頭オカシイな。

 身を伏せてココの様子を確認していた件のロンが、立ち上がり様にフゥマを右手で指し示した。

「ココの戦闘不能を確認! 勝者、フゥマ!!」

 大袈裟な身振りを伴った勝利宣告につられるように、観客から拍手や歓声が上がる。

「どうです、アイシャ! 見ましたか!! 正義は必ず勝つのです!!」

 嬉しそうに勝ち誇ってるけどさ、ライラちゃんよ。勝ち名乗りを受けたそいつフゥマは、昨日まではお前がまとめて引っ立てようとしてた俺達側の人間だったんですけど。

 一方の海賊達は、気を取り直すように口々に野次を飛ばす。

「よっ、さすがはウチの切り込み隊長!!」

「あんまヒヤヒヤさせんじゃねーよ!」

ふんかかったなー、分」

 どうやら身近に起こった怪異にやけ面の件は、俺に押し付けて忘れることに決めたようだった。

 まぁ、関わり合いになりなくない気持ちは分かる。

「ヴァイス、その、そちらさんは?」

 お前だけは違うと信じてたぜ、グレース。

「この世で一番怪しい人買い」

「人聞きの悪い紹介ですね」

「ふ、ふぅん。そりゃ、どうも——まぁ、アタイには魔法使いのこたよく分からないから、お相手はヴァイスに任せるよ」

 信じた途端に裏切られる。そんな人生です。

 多分、コイツと同類だと思われただろうなぁ。嫌だなぁ。

 見ると、向こうの陣地に戻って左腕をホイミで癒やしてもらったフゥマが、シェラに泣きそうな顔で怒られているのが目に入った。

 くそ、叱られてんのに、嬉しそうな顔してんじゃねーよ。イチャイチャしやがって、生意気なんだよ、純情小僧の分際で。俺のお相手は、こんな胡散臭いにやけ面だってのによ。

 ちなみに気絶したココさんは、ロンさんが抱えて端まで運んでくれてる最中です。

「そういや、さっきココが言ってた第一世代って、どういう意味なんだ?」

 どうせ、はぐらかされるだろうと期待しないで問いかけると、意外な事に返事があった。

「言葉のままの意味ですよ。ただ、ココさんは、ちょっと勘違いしてるみたいですね。おそらく聞きかじっただけでしょうから無理もありませんが、こと戦闘力に関しては、必ずしも新しい方が強いという訳ではありません。あなた方が斃した第一世代クラーケンは、ちゃんと第二世代と遜色のない強さを誇っていますので、ご安心ください」

 何がどう安心なんだ。

「って言われても、比較対象を知らねぇんじゃな」

「これは異な事をおっしゃる。第二世代は半年ほど前に、あの島国で一緒に斃したじゃありませんか」

「……へ?」

 えっ、島国って、ジパング——ヒミコ——ヤマタノオロチの事か!?

 で、第三世代がニュズなのか。ヤベェな、嫌な想像しか思い浮かばねぇ。

 悪い予感を持て余しながらも、既に第三世代とも俺が遭遇していることは、咄嗟に口を噤んだ。

 無駄かも知れないが、にやけ面に対して少しはカードを持っておきたい。ちょっと話を逸らしてやるか。

「ていうか、そもそも俺達が第一世代クラーケンを斃したことを、なんでお前らが知ってるんだよ」

「あれ、分かりませんか?」

 にやけ面は意外そうにこぼした後、にやけた面をさらなる笑顔で塗り潰した。

「じゃあ、内緒です」

 イラッ。

 これだから、コイツと喋るのめんどくせーんだよ。

2.

「ふぅん。フゥマくん、ずいぶん強くなったみたいだね」

 頭の後ろで腕の筋を伸ばしながら前に進み出たのは、それまで姿の見えなかったリィナだった。

「これだったら、フゥマくんとでも良かったかな」

 伸ばす腕の左右を入れ替えながら、そんなことを言う。

「ま、ボクの相手もそれなりっぽいから、別にいいけど」

 え、そうなの。相手、そんなに強いのか。

 改めてそちらを向くと、対戦相手の男は既に広場の中央で待ち構えていた。

「パクパさん、お願いします! 続いてくださいね!」

 緒戦を物にして勢いづいたのか、ライラが大声で声援を送っているが、正直ちょっと難しいんじゃないですかね。

 黒髪に黒目のバハラタ辺りでよく見かけた容姿をした男の印象は、一言ひとことで云って普通だった。

 いや、もちろん、それなりに鍛えられていることは見れば分かるんだが、顔立ちも体つきも取り立てて特徴が無く平凡で、とてもリィナと張り合えるタマには思えない。

 これなら、ロンの方がよっぽど強そうだ。

「アレも、お前んトコのヤツなのかよ?」

「ええ、そう……でしたか?」

 だから、俺に聞くなって。

 印象が薄すぎて、にやけ面すら良く覚えてないじゃねぇか。

 リィナの眼力を疑う訳じゃないが、ホントにそんなに強いのかよ。

「そいじゃ、行ってこようかな」

「ああ、頑張れよ」

 我ながら、気の無い応援だったと思う。

 元々、決闘の勝敗にそれほど意味を見出していない上に相手はアレだし、そもそもハナからリィナの勝ちを疑っていないのでなおさらだ。

 だが、リィナは俺を振り返って、にかっと嬉しそうに笑うのだった。

「ありがと。必ず勝つから、ちゃんと見ててね」

 あれ。なんか知らんが、胸が締め付けられる感じがする——なんだ、これ?

 あまりいいモンじゃなくて、微妙な焦燥感というか——後ろめたさ?

 ともあれ、機嫌は良くなったみたいで、とりあえずは良かったけどさ。

「アンタも、罪な男だねぇ」

 右隣りのグレースが、ニヤニヤしながらからかってくる。

「だから、そういうんじゃねぇっての」

 つっけんどんに返すと、少し間があってから、呆れたみたいに苦笑された。

「アンタさ、自分を卑下するのは、もういくらでも好きにしたらいいけどね。あんまりそれに他人ひとを付き合わせないように、気をつけなよ」

 え、なんでそんな話になるんだ。

 だって、ヘンに言葉以上の意味を見出す理由——根拠がねぇだろ。半年以上振りに再会したばっかなんだぜ?

(会えない時間が想いを募らせるってヤツじゃねーの)

 うるせーよ、記憶の中の俺。

 まぁ、こっちが決闘に勝ったら直接なんか話してくれるって言ってたし、はっきりしないことをこれ以上、独りで考えたって仕方ねぇよ。

「それでは、これより第二試合を開始する! ライラ側の戦士はパクパ! アイシャ側の戦士はリィナ!」

 手を振って歓声に応えるリィナと対照的に、パクパと呼ばれた男は腕組みをして黙然と佇んでいる。

「双方の武器は素手で申告されているが、間違いないな」

「うん、だいじょぶ」

「はい」

 リィナとパクパが短く答えると、またあちこちで賭けの始まる気配があった。

 正確なところはもちろん分からないが、リィナが勇者様の従者であるという前情報と、あまりにも平凡に映るパクパの外見が影響しているのだろう。加えて、今回はお互いに素手ということもあり、耳に届く範囲の印象では、七対三でリィナが有利というところだった。

「では、双方、その位置で構えて」

 広場の中央で正対したリィナとパクパに身振りで指示をして、ロンは気を持たせるようにひとつ呼吸を置いた。

 そして、観客の期待が十分に高まるのを待ってから、今度は左右の正拳を素早く交互に突き出して、裂帛の気合いと共に試合の開始を告げる。

「始めぃっ!!」

 なんだか、進行がこなれて来てやがる。案外、器用なヤツだ。

「やれやれー!」

「ぶっ殺せー!」

「早くれー!」

 俺の周囲で沸き起こった物騒な野次とは裏腹に、さっきとは打って変わって静かな立ち上がりだった。

 リィナはぴょんぴょんとその場で軽く飛び跳ね、パクパは半身はんみで腰を落とし、左手を軽く開いて躰の前に置いたまま動かない。

「かーッ! 秒ってったのになー、秒」

 お前は黙ってろ、ダヴィ。

「ん? いつでも、どうぞ?」

 リィナが水を向けても、パクパは黙したまま構えを崩さなかった。

「後の先ってヤツかな? そいじゃ、お手並み拝見といこうかな」

 スタスタと無防備に近寄るリィナ。

 その姿が、急に消えた。

 いや、もちろん本当に消えた訳じゃない。にやけ面じゃあるまいし。

 それまでのゆったりとした動作から、予期せぬタイミングで急加速されて、あまりの緩急に姿を見失ったのだ。

 気付いたら、リィナはパクパに後ろ回し蹴りを放っていた。

 なんと、躱された。

 元から半身になっていたのが功を奏したのか、躱しざまに引いていた右拳を突き出して反撃までしてみせる。

 ど素人の俺にも分かるくらい、お手本通りなんだろうなと思える綺麗な突きだった。

「おっと」

 それを両掌で包み込むように受け止め、リィナは振り回した脚の反動を利用して距離を取った。

「うん、まぁ、いまのは躱してくれないとね」

 ペロッと親指を舐める。

 まずは小手調べってところか。

「リィナさん、ジパングの時より調子良さそうですね」

 俺の左隣りでにやけ面が、なにやら知った風な口を叩いた。

「まぁな」

 確かに、様子がおかしかったあの時より、いい意味で吹っ切れてる感じはする。

「このまま彼女の調子が上がるように、気をつけてあげてくださいよ。じゃないと、私がニックさんに怒られてしまいます」

 知るかよ、ンなこと。

 つか、お前まで何が言いてぇんだ。

「そいじゃ、次いってみようか」

 リィナは自分の体を振り子のように、前に後ろに揺らしながら呟く。

「分、身」

 後ろに体重がかかったリィナが、つんのめって背中から倒れ込んだように見えた。

——と思ったら、パクパの頭上で横倒しに回転しつつ、跳び蹴りをお見舞いしていた。

 えぇ……?

 ついていけないから、あんまり突拍子もないことばっかしないでくれる?

 今そこで、後ろに倒れたリィナは?

 あれ、いねぇ。

「およ」

 信じ難いことに、俺には視認すらできなかったリィナの蹴りを、パクパは両腕を頭上で交差させて受け止めていた。

 自由落下するリィナに、またしても綺麗な突きを放つ。

「っと」

 リィナの躰が宙空でぐねりと蠢き、パクパの腕に絡みつく。

 が、それよりも早く、パクパは突き腕を引き抜いていた。

「ほっ」

 背中から落ちたリィナの躰が鞠みたいに弾んで、そのまま後ろにくるっと回転して立ち上がりつつ距離を取る。

「いまのは分身というより、どちらかと言うと残身ざんしんでしょうかね」

 にやけ面が、苦笑しながらほざく。

 うん、まぁ、今回だけは俺の代わりに解説することを許可してやるから、言ってみろ。

「さっきのココさんの動きをアドリブで真似してみせたというところですか。相変わらず器用な人ですね」

 言われてみれば、リィナが最初に見せた緩急と、ココがやってた幻視の合わせ技って感じか。

 いや、分かってたけどね?

「アレは本来、起こりを作為的に見せることで、実際の攻め手を誤認させる技術ですが、先ほどのリィナさんの場合は完全に観客向けですね。正面にいたパクパさんには、なんのフェイントにもなってませんから」

 ああ、そっか。そりゃ防げても不思議じゃねぇのか。

 広場を囲んだ観客達も、横側から見ることができた連中は興奮してナニアレナニイマノと騒めいているが、運悪く前後にいた奴らは何がそこまで凄いのか腑に落ちない顔付きだ。

 にしても、客受けなんぞまで考えはじめるとは、いつかの武闘大会を思い出させるな。ホントに調子が良さそうだ。

「うーん、ちょっと技の選択間違えちゃったかな」

 全員を沸かせられなかったことを悔やむように、リィナはそんな呟きを口にした。

「でも、なんか楽しくなってきたし。キミ、だいじょぶそうだから、もう思いっ切りいっちゃおうか」

 言葉通り、リィナは嬉しそうだった。

 こんなあいつ、ホントに久し振りに見るな。

 ジパングでは、ずっと様子がおかしいような感じだったからさ。

 あれから、何か良いことでもあったんだろうか。ようやくあいつが戻ってきたような気がして、なんだかこっちまで嬉しくなる。

「どこまで受けてくれるかな~」

 呟いてる途中で、ぴょんぴょんその場で跳ねていたリィナの躰が、急に前方にズレた。

 そう感じたのは、ほとんど脚が動いていない所為だ。

 どこかで見覚えのある動きだった。そうか、アッサラームの近くで襲ってきた盗賊団に、センセイとか呼ばれてた魔物の動きだ——

 と思ったら、パクパの直前でザザザッという音と共に高速で横に回り込む。

 こっちは俺には分からなかったが、後から聞いた話では、ジパングでやり合ったチョンマゲの体捌きの応用らしい。

「よっ」

 パクパを中心に弧を描いて高速でスライドしつつ、ほとんど真後ろから膝裏を蹴る。

「ム」

 ちょうど同じタイミングで半歩引いたパクパに、リィナの蹴りは空振りした。

「うそっ!?」

 が、そのまま足を踏み出して突きに繋げる。

「いまの、絶対ウソでしょ!? 山勘当たっただけだよね!?」

 なにか不満なのか、そんなことを喚きながら容赦無く蹴りや拳を叩き込んでいく。

 速さだけなら、あるいは先ほどのココの方が上だったかも知れない。

 だが、門外漢の俺にも分かるくらい、明らかに重みが違う。そもそもの体格差もあるんだろうが、リィナの方が腰が入っているというか——当たった時の音が違うのだ。

 そんなリィナの怒涛の攻めを、なんとパクパは凌いでいた。

 突きや肘には手で腕で、蹴りには脚で、躍動感に溢れるリィナの動きとは対照的に、基本に忠実であろうことが窺える愚直で生真面目な守備で受け切っていく。

「おお、凄いね」

 いくらかは喰らってるんだろうが、あのリィナをして致命的な一撃を入れることができない。

「じゃあ、これは?」

 それならば威力を上げようというつもりか、リィナの予備動作がそれまでよりも僅かに大きくなったように見えた。

 正に、その瞬間の為に耐えていたのか。

 リィナ渾身の突きを受けるのではなく体捌きで躱し、その動きを直結させてパクパは突きを交差させた。

 これ以上ないタイミングで、拳がリィナに到達する。

 さすがに、これはマズい——

「は?」

 瞬きを挟んだ視界の中で、地面にくずおれたのがリィナからパクパに切り替わって混乱する。

 だが、落ち着いて記憶を紐解くと、完全にパクパの突きが入ったように見えたリィナが、体を入れ替えつつさらに逆の拳でパクパの顎を捉えたのが分かった。

 動きの迷いのなさからして、おそらく最初から狙っていたのだ。

「うおおぉぉっ!!——で、なんでアッチが倒れてんスか?」

 とりあえず的に大声を上げてから、全然分かってない口振りで誰にともなく尋ねるダヴィ。

「知らねぇよ」

「なんでもいいだろ、コッチが勝ってんだから」

「いいから、声出しとけ、声」

「おー! やれやれー! トドメさせー!」

 海賊達の無責任さが清々しい。

「後の先の先ってトコかな?」

 手の甲を下に向けて、人差し指でパクパを指差しながら、リィナはケロリとそう言った。

「ぬ……」

 パクパは、気絶していなかった。

 地面に手をついて、立ち上がろうとする。

「うん、立つよね、いまの手応えだと」

 リィナは予想していたようだ。

「ふーん。思ったより、ぜんぜん頑張るね。さすがにちょっとプライド傷ついてきたかな……」

 そう。終始リィナが押しているようには見えるが、それでも倒し切れてはいないのだ。

「ならば、おれをいますぐ打つがいい」

 ヨロヨロと立ち上がりながら、パクパは生真面目そうな声を出した。

「先ほどから聞いていれば、この絶好の機に仕掛けてこない貴様こそ、慢心が過ぎるのではないか?」

「うん。だって、ボクの方が強いからね」

 空が青いのと同じくらい当たり前の口調で、リィナは言ってのけた。

 別にいつでも倒せるから、こす狡く機を窺う必要なんてないと言っているのだ。

 パクパは、フッと少し笑ったように見えた。

「こうまで侮辱されたのは、生まれて二度目だ」

「ううん、ぜんぜん侮辱じゃないよ。だって、そっちに合わせてたら、いつまで経っても追いつけっこないよ」

 不服そうに言葉を続ける。

「キミの方こそ、ボクが自分で制限かけなきゃいけないことに、もっと責任感じて欲しいんだよね」

 お前がもっと強ければ、手加減なんてしなくて済むのだ。そう指摘しているのだ。

 すげぇこと言うな。

「口にすることまで、あの方に似ているとはな」

 パクパは左腕を体の前に掲げ、曲げた右腕を引いて、深く腰を落とした。

 あの方って——話の流れからすると、ニックのことだよな。あのオッサンは、もっとヒデェこと言うだろ。

「そっか、知り合いだもんね。やり合ったことは?」

「一度だけ」

「いつ頃?」

「半年ほど前に」

「それは——いいね。すごく」

 リィナは、にんまりと嗤った。

 あの笑顔。

 嫌な予感がした。

 見覚えがあるぞ。

「まだイケるよね? とっておきを喰らわせてやるって顔してるもんね。じゃあ、いまからホントのホントに本気でいくから、いまのボクとあの人にどのくらい差があるか、後で聞かせてよ」

「いや、確かめるまでもない。いくら貴様とて、あの方とでは——」

 パクパの反駁は、途中で止まった。

 リィナに——気圧されたのだ。

 いままで抑え込んでいたものを、全て解放するような——

「え?」

「なんだ?」

 戸惑った声が、あちこちから聞こえる。

「……やべッスね」

 見ると、海賊達はほぼ全員が中腰で身構えていた。

 ド鈍いダヴィですら、そわそわと腰を浮かせている。

 子供が怯えて力の限り泣く声が、そこかしこから上がり始めた。

「え、ヤダなに?」

「こわい」

 大人にまで、その怯えが伝染していく。

「……一体、なんなのさ。アンタの昔のお仲間は」

 うわ言のように呟くグレースの額には、汗が滲んでいた。

 リィナ、お前、やっぱとんでもねぇな。

 あそこまで剥き出しの殺気でこそないものの、これはまるで、あの地下寺院で体験したニックの圧力に近い。

 こんな拓けた場所じゃなければ、観客達はこの場に留まっていられなかっただろう。

 次の瞬間に攻撃されるのは自分ではないかという恐怖で。

 だが、どれだけ怖くても——いや、そうであるほど目を離せない。

 飢えた野生動物を前にして、目を離す馬鹿はいない。

 そんな、まさしく衆人環視の中で。

 その場にいた全員が。

 いつ、リィナが仕掛けたのか分からなかった。

 スピードじゃない。

 動きが速くて見失った訳じゃない。

 むしろ、動き自体は緩慢だった。

 その証拠に、記憶の映像を頭の中で再生すれば、リィナがどう動いたのか、はっきりと思い出せる。

 だが、リィナの挙動が、あまりにも自然で何気なく——

「どうかな?」

 という声を聞いて、俺達ははじめてリィナの動きを認識できたのだ——バカな。

 リィナの右拳は誰も気付かないままに、パクパの腹の辺りに添えられていた。

 前に出されたパクパの防御を避けて、完全に懐に入り込んでいる。

 これは、まるで——あの時、あの地下寺院で、ジツは武闘家が本職だという正体を現したニックが見せた、あの仕掛けだ。

 あの時と違うのは、リィナと異なりパクパは反応すらできなかったことだ。

「降参?」

 小首を傾げながら尋ねるリィナ。

「貴様……いまのは、真逆まさか

 ハァッ、ハァッ、と合間に挟まるパクパの息が荒い。顔が真っ蒼だ。

「あ、分かるんだ。うん、まぁ、見よう見真似なんだけどね」

「……まるで、これまでの自分が全て否定された気分だ」

 自嘲するパクパを制するように、リィナが言葉を被せる。

「続けるつもりなら、ボクも止めないよ?」

「言った通りだ。おれが己である為に、貴様を認める訳にはいかぬ」

 消沈してみえたパクパが、再び心身に力を漲らせようとする気配があった。

 だが——

うん

 どしん。

 それより早く地を踏み締める音が響き、リィナの全身が一瞬ブレて見えた。

 ほとんど触れるほど密着していた右拳で、一体どうして成し得た業か。

 さながら巨人の拳に殴り飛ばされたように、パクパの躰が宙を舞った。

 力無く地面に落ちて、先頭の観客の近くまで滑って止まる。

 呆気に取られた一瞬が過ぎ、観客から驚愕が歓声となって沸き上がった。

「やー、ごめんね、みんな。なんだか怖がらせちゃったかな? でも、あれくらいしないとアッサリ過ぎて、何が起こったか分からないかと思って」

 観客を見回してアハハと軽い調子で笑うリィナの様子に、ようやく場に張り詰めていた空気が緩む。

 ひとひとりが盛大に宙を舞ったことについて、周囲の人間と興奮気味に語り合う観客達を眺めながら、俺はずっと昔にレーベの村で、拳を添えた状態から岩を打ち抜いたリィナの姿を思い出していた。

「パクパの戦闘不能を確認! 勝者、リィナ!!」

 傍らに膝をついてパクパの状態を確認していたロンが、立ち上がりざまに勢いよくリィナに向かって腕を振り、勝利を告げた。

「やー、どーもどーも」

 両手を振りつつ歓声に応えていたリィナは、本来自分が所属しているべきライラ達が視界に入ったからか、ちょっと気まずそうな顔をする。

「ライラちゃん、ごめんねー? ボクがそっちのままだったら、もう勝ってたのに」

「は……や……いえ! 流石は勇者様の従者様、お見事でした! 問題ありませんので、お気になさらずに! 次は、こちらが勝ちますので!」

 一瞬前まで呑まれた顔してた癖に、健気なちびっ子だな。

「彼女の言う通り、お見事でしたね。これはニックさんに、いい土産話ができました」

 にやけ面の口調は、いつも通りに飄々としていて、感心してるんだかしてないんだか良く分からなかった。

「完全に予定外の出来事でしたが、いまの彼女の実力を実際に見ることができたのは僥倖でした。さすがは第一世代の突然変異体を、立て続けに三体斃しただけのことはありますね」

「……は?」

 お前、聞き捨てならないことをさらっと言う癖、やめてくれる?

「おや、これもご存知ない? 焦熱地獄の大蜈蚣、氷原を舞う天空龍、そして大森林に棲まう闇夜の支配者——いまや喧伝する人達には事欠きませんから、各地で伝説級と恐れられた魔物を立て続けに退治してのけた、この半年ほどの彼女らの活躍は、割りと有名な話ですよ?」

 えー、そうなの?

 あれだ、辻で吟遊詩人に歌われちゃったりしてる感じだ?

 ここ何ヶ月かは、ずっと船の上だったからなぁ。グレース達は、港に立ち寄る度にアレコレ情報収集してたみたいだが、俺は初めての町ばっかで不案内だったし、別件の聞き込みに気を取られていたこともあって、全然気付かなかった。

「まぁ、場所によって伝播の速度にバラつきはあるでしょうけどね。こちらの大陸には、まだあまり話が伝わっていないのかも知れません」

 だろ?

 別に俺が殊更にボンヤリしてた訳じゃねぇんだよ。

 多分。

「それにしても、三体目はリィナさんが、ほぼお一人で斃したらしいと聞き及んではいましたが、なるほど頷けるお強さです」

「……マジで?」

「マジで」

 真似すんな。

 つか、マジかよ。第一世代の突然変異体ったら、あのクラーケンと同レベルのバケモンってことだろ。

 それを、ほぼ一人でか。

 そりゃ……すげぇな。

 俺なんか、あんだけ準備に時間と金をかけて、あんだけ人も投入して、ようやく斃せたってのによ。

 俺の想像を軽々と超えてくる辺りは、相変わらずだな。くそ、なんでか軽く落ち込むぞ。

「そんなに気落ちせずとも、あなた方が相手取った怪物よりは、大きさで言えば随分と小さい個体だったようですよ」

 怪物仲間お前に慰められても、なんも嬉しくない訳だが。

 それに、必ずしもデカさが強さに比例する訳じゃないだろ。

 クラーケンがあの巨体を維持できたのは、海中に生息していたからこそだろうし、あそこまで大きくなくても、陸上を素早く動けるアホみたいに強い魔物とか、考えただけで手強そうじゃねぇか。

「ヴァイスくん、かくまって!」

 そのリィナが、小走りに駆け寄って俺の二の腕を掴んだかと思うと、そこを支点にぐるんと後ろに回り込み、盾にするように背中に身を隠した。

 いや、お前が逃げるような相手から、俺が壁役になるとも思えないが。

 一体、どうした。

「ヒドいですよ、リィナさん。なんで逃げるんですか。僕はただ、お見事でしたって感動を伝えたいだけなのに」

「いや、キミはまだいいんだけどね」

 リィナがやって来た方に視線を戻すと、ダーマで良く見かけた貫頭衣を身に纏った少年が、困惑しきりの顔つきで俺の背後のリィナに語りかけていた。

 見たところ、出会った頃のシェラと同じくらいの年齢だろうか。

「リィナさんは、やっぱり天才です! どうしたら、そんなに強くなれるんですか!?」

 頬を上気させて、心酔している眼差しでリィナを横から覗き込む。

 紅顔の美少年って云うのかね、こういうの。なんていうか、尻尾振ってじゃれつく子犬みてぇな印象だな。

「あー、来ちゃった」

 リィナの嫌そうな呟き通り、こちらもダーマの人間丸出しの格好をした壮年の男が、少年の後を追って歩み寄るのが見えた。

 見かけの年齢の割りには、口髭に白いものが目立つ。

「あ、ノルブ様! リィナさん、素晴らしかったですね!」

「フム、そうだな。外の人間に遅れを取らずに済んだのは、まぁ良かったとしようか。貴様が無様を晒せば、取りなしてくださったポタン師にも迷惑がかかるのだ、勝って当然でなくては困るが」

「リィナさんに限って、そんな心配要りませんよ! 人選について未だに不満を持っている方もいらっしゃると聞きますけど、失礼ながら見る目が無いと思います!」

「これ、そのようなことを軽々しく言うものではない。確かに、アジジ老師の一派には、少々困ったところが無いではないが……こうしてポタン師のご慧眼が正しいことが証明されれば、いずれ大人しくもなろうよ」

「嘘ばっかり。ボクのことなんて、ホントは誰も認めてない癖に」

 ボソッと小声で吐き出されたリィナのボヤきは、幸い俺にしか聞こえなかったようだ。

「だが、リィナよ。此度の貴様の振る舞いは、一体どういう仕儀なのだ。何故、勇者様の邪魔立てのような真似をする。勇者様の歓心を得たと思い上がり、浅ましくも心得違いをしおったか。儂も少々の粗相はこれまで大目に見てきたが、事と次第によっては、いくら貴様といえど、お咎めは免れぬぞ」

「そんな。リィナさんにも、何か考えがあった筈です。いままでだって、そうだったじゃありませんか。ね、そうですよね、リィナさん?」

 不安げな面持ちで、俺越しにリィナを見つめる子犬くん。

 つか、人を挟んで何やってんだ。

 君ら、俺のことを無視し過ぎじゃないですかね。

「そうは云うが、儂にもお役目があるのでな。捨て置く訳にもいかぬ。なんぞ申し開きがあるならば、云ってみるがいい」

「もー、いっつもいちいち面倒臭いなぁ……勝手についてきた癖に」

 またしても、小声のボヤきが背中から聞こえた。

 自分の出番が来るまで、ヤケにリィナがコソコソしてると思ったら、これが原因だったっぽいな。

「いや、あのさ。そんなの、いま問い質すことでもねぇだろ。せめて後にしろよ」

 いちおう、決闘の最中だぞ。

 だが、ダーマの中年と少年は、俺の言葉を完全に無視してみせた。

 思わず、声に出すのを忘れたかと自分を疑いそうになったくらい、完璧な無視っぷりだった。

「あの、聞いてる?」

 眼球のすぐ前で手を振りながら問いかけ直すと、口髭のおっさんは苦虫を大量に噛み潰しつつ俺の手を払い除け、雑に言葉を吐き捨てる。

「部外者は黙っとれ」

 言葉以上に、拒絶する空気がひどい。

 まぁ、あんなド田舎で、長いこと自分達の世間だけに留まって暮らしてたんだもんな。

 余所者は黙ってろ的な態度が基本なのは、仕方ないんだろうけどさ。

「アンタこそ黙れよ。リィナが嫌がってんのが分かんねぇか?」

 掴まれた服の背中に力が篭るのが分かった。

 どうせこの手の輩は、俺の言うことなんぞに耳を貸しゃしねぇからな。こっちも好き勝手言わせてもらうか。

「さっきから聞いてりゃ、手前ぇらの狭い世界の下らねぇ政治に、コイツを巻き込むんじゃねぇよ」

 俺が何よりムカついて聞き逃せねぇのは、ソコだよ。

「ったく、どいつもこいつも、揃いも揃ってコイツらみてぇな子供ガキに、何をどんだけ背負わそうとしてやがんだ——ッて」

「ボクは、子供じゃないよ」

 指の先か何かで背中を突かれたらしい。

 いや、お前リィナがやると、マジで洒落にならないから、やめてください。ホントに。

「……誰だ、お前は? なにを知った口を——多少は事情に通じているようだが、我らには我らのやり方がある。何者か知らんが、部外者は黙っていてもらおうか」

「部外者じゃねぇよ。昨日のやり取り見てなかったのか? それとも、俺なんかにゃ興味が無さ過ぎて、気にもとめなかったってか」

「一体、何を言っている?」

 くっそ。考えてた段取りと全然違ってきやがった。

 俺にしてみりゃ、お前らの方こそ誰なんだよって感じなんだが。おそらく、ダーマから派遣されたお目付役ってところだろうけどさ。

 さすがに、いまのマグナが自由気ままに冒険するって訳にゃいかないと見える。こりゃ、ダーマだけじゃなくて、各国の監視役みたいなのを帯同してる可能性が高いな——マグナは、そういうの一番嫌いそうだが。

 いま思えばジパングの時も、余所者嫌いの女王様に配慮して船で待たせていただけで、おそらく付いてきていたんだろうと想像がつく。

「マグナがダーマまで旅した時の共連れに、アリアハンで現地調達した魔法使いがいただろうが。そいつが、俺だよ」

 ようやく俺が視界に入ったように、ダーマの男達は目を見開いた。

「つまり、この俺は勇者様御一行の一員って訳だ。故あって一旦は別行動を取ってたが、こうして合流する為に馳せ参じたって訳よ」

「勇者様を攫って逃げた、あの大罪人!?」

 少年の方が、中年を庇うように前に出て身構えた。

 ああ、やっぱり俺って、ダーマではそういう扱いなのね。適当なこと言って誤魔化すのは難しそうだな、こりゃ。

「リィナ、そいつを捕らえてこちらへ連れて来い。何故、そのように親しげにしている。貴様も絶対に許さないと、常々口にしていたではないか」

「あー、うん。やー、そう、だったんだけどねー」

 肩越しに背後を覗き込むと、リィナは素早く俺から視線を逸らした。

 さてはお前、俺のことをボロクソに言ってやがったな?

「ちょいと、旦那。次の勝負の賞品に、勝手な真似されちゃ困るんだけどねぇ」

 そう言って、会話に割って入ったのはグレースだった。

「なんだと?」

「この決闘は、お互いに要求を出し合って、勝った方が総取りだって話だったろう? さっき勝負が始まる前に、この人の身柄を追加しておいたのさ。そうだよねぇ、ロンの兄さん!」

「ああ。確かに、そのように聞いている」

 は?

 え、お前、いつの間に。

「ここまで一対一の五分ときて、次の大将戦で決着だ。つまり、ヴァイスはアタイか勇者様、どっちか勝った方のモノになるって寸法さ。なのに、その勝負を邪魔立てするような真似は、アンタらの方こそ困るねぇ」

「オラ、お頭——じゃねぇや、あねさんが、こう言ってんだろうが」

「とっとと手前ぇの陣地ヤサに引っ込みくされ、あン? このトンチキが」

「ウチのモンにインネンつけてんじゃねぇぞ、ダボが。おォン?」

「なっ、なんだ、お前らは」

「ノルブ様、僕の後ろに——」

 穿き物の隠しに両手を突っ込んで、やたらと背中を丸めて下から覗き込むように、ダーマの二人を左右から囲んで威嚇する海賊達。

 うわー、がらわるーい。

 ことさらにチンピラっぽく振る舞ってるのは、絶対遊んでるだろ、お前ら。

「ねぇねぇ、ボクもウチのモン?」

 お前は何を嬉しそうに聞いてやがんだ、リィナ。

「もちろんッスよ。なんだったら、ヴァイスと交換でもオレは全然構わねってか、そっちのがいッス」

 なんだと、手前ぇ、ダヴィ。

「えー、ヴァイスくんと一緒がいいから、交換は困るなぁ」

「あ、じゃあ、二人ともこっちってことで」

 いや、お前ら、なんなんだ、その意味の無い会話は。

「やー、ヴァイスくん、いいなー。こっちの船の方が、全然楽しそう。ごめんね、昨日は愛想悪くしちゃって」

「全然問題ねッス。アンタみたいに強くて可愛い人なら、こっちも大歓迎スから」

「え、ボク、可愛い?」

「もちろんス。マジ、好みッス」

 リィナ、こいつダヴィの軽口を真に受けるなよ。昨日はシェラのことをすげぇ可愛いとか言ってたお調子者だぞ。

「ダヴィ、ちょっと黙ってな」

 グレースに窘められた途端、口を噤んで背筋を伸ばすダヴィ。

「てことで、聞こえたかい、勇者様! 悪いけど、勝手に賞品を追加させてもらったよ! アタイかアンタ、どっちか勝った方のモンになるってことで、文句はないだろうね!」

「……ご勝手に」

 あくまで興味の無い素振りのマグナだったが、グレースが浮かべた人の悪い微笑みを見るに、その反応はこいつの思うツボだったみたいだぞ。

「言ったね!? まさか勇者様に二言なんてある筈ないよねぇ! ここにいる全員が証人だ! サァて、面白くなってきたじゃないか!」

 事情を知らない観客達でも——いや、事情を知らないからこそ、妄想ばかりを膨らませた流言があちこちで飛び交い始める。

 様々なラブロマンスがそこかしこで形を変えて盛り上がり、スゴい勢いで現実とかけ離れていく。

——でも、一人の男を巡って、女同士が決闘するって、普通は逆じゃね?

 みたいな声が耳に届いて、俺はウンザリとする。

 また、このパターンか。同感だが、ンな細けぇこた別にもういいじゃねぇか、うるせぇな。

——ていうか、取り合ってるのって、あの人? え、あの人なの?

 ごめんなさいねぇ、美形でも丈夫でもない、パッとしない平凡な男でガッカリさせて! 役者が足りてねぇのは、こちとらハナっから重々承知してんだよ!

 マジ、いたたまれねぇ……。

 周囲の盛り上がりに圧されるように、ダーマの男達は二、三歩と後退った。

「なんなのだ、これは……まぁ、いい。どの道、勇者様が勝てば貴様は拘束される訳だからな。その時は、リィナ、貴様が責任を持って捕らえて来い」

 苦々しげに吐き捨てて、ノルブと呼ばれた中年は、踵を返してマグナ達の方へと戻っていく。

「早く戻ってきてくださいね、リィナさん。待ってますから!」

 ノルブとリィナを交互に見つつ、子犬くんも後を追う。

 最後に、俺のことを恨みがましく睨んでいきやがったよ。なんか知らんが、嫌われたモンだね。

 ダーマの人間はアリアハン人が大嫌いな上に、大罪人だと思われてるんじゃ、仕方ねぇけどさ。

「あの子、ジミーって名前だから。いちおう、覚えといてね」

 子犬くんに向かって小さく手を振りながら、リィナが唐突にそんなことを言ってきた。

「へ? いや、聞いてねぇけど?」

「だって、この先、ヴァイスくんとボクを取り合う間柄になるかも知れないのに、相手の名前も知らなかったら、格好つかないでしょ」

 は?

「相変わらずニブいなぁ、ヴァイスくん。あのコ、多分ボクのこと好きだよ?」

 は?

「おーい? 聞いてる、ヴァイスくん?」

 いや、聞いてねぇ。

 は?

 えー、もう、なんなの?

 辺りをキョロキョロと見回して姿を求めると、アイシャに後ろから抱きかかえられた姫さんが、小さく左右に首を振っているのが目に入った。

 いや、この状況は、神に誓って絶対に俺のせいじゃねぇからな?

 俺には誓うような神なんて、いやしねぇけど。

3.

「ちょっと悪い」

 とかなんとか適当に言い置いて、逃げるように姫さんの元に向かう。

 もう無理だ。

 情報過多すぎて、俺の処理能力を超えました。

 ちょっと一旦、落ち着かせてくれ。

「ひでぇよ、姫さん。なに自分だけ避難してやがんだよ」

 地面に腰を下ろして、後ろからアイシャに抱きつかれた姫さんは、小さい顔を顰めてみせた。

「ヒドいはこっちのセリフじゃ」

 え?

「お主のお陰で、わらわはニンゲンの色恋沙汰に幻滅する一方なのじゃぞ? これでは、姉上も浮かばれぬ」

 ああ、そりゃ——申し訳ない。

「……なんじゃ、ちょっと文句を言ったくらいで、そんな死にそうな顔をするでない」

 いや、だってさ。

 ハァ、と小さい唇からため息が漏れた。

「お主は知らぬであろうが、エフィの故郷やランシールで、わらわにも色々あってな。お主らニンゲンの男の悪い面ばかりを見せられておったので、お主に理想を押し付けて八つ当たりをしていたかも知れぬ。許すがよい」

 ああ、だから、急にヘンなこと言い出したりしてたのか。

 ていうか、それって姫さんが一人で行動してた時の話だよな。何があったんだ。そっちの方が気になるんですが——それこそ、いま聞くことじゃねぇか。

「ホラ、はじまるみたいだよん。姐さんのそばについててあげなくていいの、お兄さん?」

 とアイシャ。

 そうは言うけどさ、なんか俺、いいように振り回されてる気がするんだけど。

 広場の中央に向かう途中で、こちらを振り返ってにっこり笑顔で手を振ってくるグレース。

 しょうがねぇな、あいつ。

 力無く振り返しながら、横目でアイシャを見る。

「つか、やっぱ全然興味無ぇのな、お前」

 エミリーを体の前で抱えながら、昨日からずっとぼーっとした様子のアイシャは、ぴくんと顔をあげた。

「へ? あー、うん。なんでもいいから、早くこの茶番を終わらせてちょうだいな」

「いや、なに他人事みてぇな口をきいてんだ」

 お前が一番の当事者だろ。

「んー? だってコレ、アタシの茶番じゃないやねぇ」

 こいつ。

「正直、全然興味無いから分かんないけど、マグナかお兄さんの茶番でしょ、コレ? アタシら、とばっちりじゃんねぇ。儲け話とまるきり関係なさそうだし、さっさと片付けちゃってちょうだいな」

「……なんで、そう思うんだ?」

「うん? だって、ライラが明らかオカシイし」

「おかしい?」

「うん。アタシのライラなら、絶対もっと上手くやる

 もっと上手く町を乗っ取ってみせるってか。

 これも、ひとつの信頼の形なんだろうか。

「上手くやられちゃ困るだろ」

「んー? いや、あのコ達には、アタシに隙があったら、いつでも乗っ取って構わないって言ってあるんよ」

「はぁ?」

「そんくらい元気良くないと、使い物になんないからねぇ。それに、そんくらい跳ねっ返りの方が、可愛くなくなくない?」

 にやーっと、底意地の悪そうな笑みを浮かべるアイシャ。

 こいつも、いい性格してやがるな。

「はー、そんなことよりエミリーちゃん、マジ癒し。神さまありがとうって感じ。ホント、連れて帰りたい」

「こら、よさぬか。くすぐったいぞ」

 後ろからぎゅっと抱きしめて、姫さんのフードに顔をこすりつけるアイシャ。

 いや、駄目です。持ち帰りなんて許しません。

 つか、お前、邪魔なんだよ。俺が癒やされてぇから、そこ退いてくんね。

「それでは、これより第三試合を開始する! ライラ側の戦士はマグナ! アイシャ側の戦士はグレース!」

 ロンが二人を紹介すると、これまでの二試合とは性質の異なるどよめきが波紋のように広がっていく。

「双方、武器は手にした剣で間違いないな?」

「ああ、間違いないよ」

「……ええ」

 グレースは手にした曲刀をちょっと掲げてみせたが、マグナは気の無い返事をしただけで立ち尽くしている。

「これが決着の勝負となる! この場に集いし見届人は、刮目せよ!!」

 ロンさん、盛り上げようと頑張るね。

「勇者様、お願いします!!」

 向こうでライラが両手で作った筒を口に当てて、叫んでいるのが見えた。

「普段を知らねぇから、あんまおかしいようには見えねぇんだけど、なんかヘンなのか、アレ?」

「へ? いや、ううん。あの必死な感じは、ライラちゃんらしくて可愛いよん」

 お前、話が違うじゃねぇか。

「サァて、いよいよ大詰めだ! さっき言ったこと、忘れちゃいないだろうねぇ、勇者様!!」

 幅広の曲刀の峰を肩に担いたグレースが、五、六歩ほど離れてやる気無さそうに立っているマグナに大声で問いかける。

「勇者勇者って、いちいちうるっさいな」

 ああ、マグナさん、かなり不機嫌だわ、あれ。

「なんだかボンヤリなさってるご様子だから、ちゃんとお耳に入ったか不安でね! ヴァイスは勝った方のモノになるんだ。いまさら、嫌とは言わせないよ!」

 グレースが改めて宣言すると、一部の観客から嬌声に近い歓声が上がる。

 これ以上、俺を晒し者にするの、止めてもらっていいですかね。

「……だから、勝手にすればいいでしょ? なにがしたいのよ」

 うわー、すげぇイライラきてる。

 グレース、お前、殺されないように気をつけろよ。

「おー、おっかない。逃げちまいたくなるね、ホント」

 ん?

 よく見るとグレースのヤツ、実は傍目より緊張してるのか?

「気をつけろよ!」

 思わず声をかけると、苦笑いをして何事か呟いたように見えた。

 口の動きからして、多分「バカだね」とか、そんな短い単語だ。

「双方、構えぃっ!!」

 ロンの号令で、仕方なさそうに腰の剣を抜刀するマグナ。此の期に及んでも、やる気が全く感じられない。

 対してグレースは、一瞬だけひどく顔を強張らせて——すぐに頭を左右に振って、不敵な笑みを浮かべた。

「お頭、やっちゃってくださいよ!」

「飛燕のグレースの剣さばき、見せたりましょう!」

「お頭に、そんな二つ名あったっけか?」

「馬鹿野郎。こんなモン、適当でいンだよ」

 いや、お前ら、もうおかしらって言っちゃってるけど。

「はじめぃっ!!」

 何もそこまで気合い入れなくても、ってくらいの大音声が鼓膜を震わせる。

 ロンの合図につられるように上がった歓声は、だが、すぐにしぼんでしまうのだった。

「ハァッ!」

 間合いをつめ、気合いと共に繰り出されたグレースの斬撃は、剣を合わせることすらなくマグナに躱されていく。

 擁護するなら、グレースは決して弱い訳ではない。

 サシで立ち合ったら、もちろん俺よりは遥かに強いし、そこらの野盗辺りが相手なら十分に伍し得るだろう。

 だが、異常ともいえるレベルだった前の二試合との落差が大き過ぎた。

 一時的にせよ、広場を囲んだ町の連中の観る目が肥えちまってる。

 それなりに真剣に斬りかかっているグレースが、まるで巫山戯ふざけて手を抜いているように見えちまうくらいに。

 さらに、かけ離れているのは、マグナとの実力差も同じなのだった。

 おそらく、俺と出会った頃のマグナとだったら、いい勝負になったかも知れない。

 だが、ここ最近は魔王を征伐することを目標とし、突然変異体のような強力な魔物とも戦って、強さに磨きをかけているいまの勇者様とじゃ、流石に勝負にならなかった。

 グレースが日々磨いているのは、ソコじゃない。

 そして、もちろん本人は、俺なんぞよりよっぽどそのことに自覚的なのだった。

「なにがしたいって、アタイに聞いたね? そのセリフ、ソックリそのままお返しするよ」

 曲刀を振るいながら、グレースはマグナに語りかける。

「は?」

「アンタこそ、一体何がしたいのさ」

「……喋ってると、息があがるわよ」

 マグナの忠告通りに、早くもグレースの息が荒くなりかけている。

 対して、涼しい顔をしたマグナは、まだ汗もかいていない。

「こりゃどうも、ご親切に。そうだねぇ、試しに思いっ切り振ってみたけど、当たる気がしやしない。ちょいと手を抜かせてもらうよ」

 言うが早いが、グレースの斬撃からあからさまに力が失われた。

 ほとんど棒立ちの状態で、いちおう試合としての体裁作りの為か、申し訳程度に時折り曲刀を振るう。

「勇者様。アンタ、意地っ張りだろう?」

「はぁ?」

 だが、広場を囲んだ観客の中でも、著しく落ちた戦闘のレベルに落胆したのとは別の層が、この展開に逆に興味を惹かれたようだった。

 下手に盛り上がって歓声に掻き消されるよりも、静かな方が二人の会話がよく聞こえて、かえって都合が良いとばかりに、押し黙って聞き耳を立てている。

 まぁ、そうだよね。

 あんたらの興味は、この二人に関しては剣戟の方じゃないもんな。

 この展開は、きっとグレースの思う壺だ。

 あんまりヘンなこと言わないでくれよ?

「さっきから何言ってんの? いいから、少しは真面目にやりなさいよ」

 剣をだらりと下げて、反撃するでなくグレースの斬撃を適当に躱し続けるだけのマグナが言っていい台詞じゃないな。

「真面目も真面目、大マジメさ。アンタこそ、マジメに向き合ったらどうなんだい?」

「……だから、なんのことよ」

 グレースは、弄うような笑みを浮かべてみせる。

 慣れてるんだろうなぁ、すげぇサマになってやがんの。

「見ないようにし過ぎて、かえって意識してんのがバレバレだよ」

「……っ!」

 ああ、もう、すごい嫌な予感しかしない。

「グレースは、何を喋っておるのじゃ? もしかして、ヴァイスのことか?」

 うん、姫さん、わざわざ教えてくれなくてもいいから。

「いやー、お兄さん、色男だねぇ。何がそんなにいいんだか、アタシにはサッパリだけど」

 うるせぇぞ、アイシャ。俺にもさっぱり分かんねぇよ。

「そんなに言い訳が欲しいかい? アタシは別にそんなつもり無いのに、アイツが勝手にぃ~、ってかい?」

「……」

「ハッ、こりゃ驚いた。まさか、図星とはね!」

「誰が……」

 マグナが、はじめて細身の剣を振りかぶる。

「図星よっ!!」

 恐ろしく鋭い斬撃は、全く反応出来ないグレースの手から曲刀を叩き落とした。

 やっぱり、マグナのヤツ、相当強くなってんな。

 しばし強張った顔で立ち尽くしたグレースは、ゆっくりと地面の曲刀に視線を落とす。

「拾えば?」

 追撃するでなく手を止めて、傲然と言い捨てるマグナ。

「こりゃ、どうも。ったく——のも命懸けだね」

 小声の呟きは、俺にはよく聞き取れなかったが。

「ああ、そういうことか。まったく、グレースは世話好きじゃな」

「姫さん、なんか知ってんのか?」

「うるさい。お主は黙って見ておるがよい」

 えー、姫さんが冷たいままで辛いんですけど。

「フン。やっぱり、どうにも気に喰わないねぇ」

 拾い上げた曲刀をヒュンヒュンと振り回し、マグナに向かって形だけ構えてみせる。

「アンタ、いったい何がそんなに不満なのさ」

「……まだ、お喋りを続ける気?」

「始終ブスッとつっまんなそうな顔しちゃってサァ。そうやって不貞腐れてれば、相手がご機嫌取ってくれるって計算してんでしょ、イヤラしいねぇ」

「……別に普段は、こんなじゃないわよ。誰だか良く分かんないヘンな女に好き勝手言われて、ニコニコ出来る訳ないでしょ」

「あら、言うじゃないか。さては、コッチの喧嘩もイケる口だね?」

 グレースは左手を口に添えて、握ったり開いたりしてみせる。

「アタイが誰だか分からないって? 昨日から言ってるじゃないか。ヴァイスのいまの雇い主だよ。お陰様で、色んなことを助けてもらっててねぇ」

 妙な含みを持たせた言い方すんな。

「……」

「聞けば、アンタとは随分こっぴどい別れ方をしたらしいじゃないか。ホラ、あの人は優しいからさ、なんだかんだと気にしちまうのは分かるけど、いつまでも引き摺ってちゃ不健康だろう? だから、ここらでアタイが……」

 グレースの戯言は、尻すぼみに小さくなった。

 かわりにマグナを凝っと見つめた末に、意外そうにこぼす。

「へぇ。案外と信じてるんだねぇ。かわいいトコあるじゃないか」

「うるさい」

「フゥン。じゃあ、ホントにスネてるだけ——って感じでもないんだよねぇ。いったい何を気にしてるんだい、ソレ?」

「さっきから、独りで何言ってんの? ワケ分かんない」

「ああ、もしかして——見誤ってたのはアタイの方かい。こりゃ、申し訳ないことしちまったかね」

「……ホントにね」

「けど、なら聞きたいんだけどさ、アンタはあの人がこの先——」

 グレースは脈絡の無いことを言いかけて、途中で言葉を呑み込んだ。

「危ないアブない。つい余計な分まで口が滑っちまうね」

 力尽きたように、曲刀を構えていた腕を下ろす。

「ああ、疲れた。ずっと構えてんのも楽じゃないね。もう下ろしちまっていいだろう?」

「だから、何がしたいのよ?」

 マグナの眉間に深く皺が刻まれる。

 そろそろ我慢の限界が近そうだ。

「振り出しに戻っちまったね。それを、こっちが聞いてるのさ」

「はぁ?」

「今ここにいるのは、アタシの本意じゃありませーん、ってな被害者ヅラが気に喰わないって言ってんだよ」

 急に煽るような口調で、グレースは畳み掛ける。

「いまアンタがここにいるのは、アンタが選択を積み重ねた結果だろう!? それとも何かい、アンタは何も選ばなかったってのかい!?」

「誰もそんなこと言ってないでしょ」

「じゃあ、なんだってずっと、そんな不景気なツラを引っ提げてんのさ。文句があんなら——ていうか、アンタ、そんなタマじゃないよね? 周りにいいように使われるようなさ」

 グレースは、苦笑しながら頭を掻く。

「調子狂うね。思ってたのと、まるきり違うじゃないか。こりゃアタイが考えてたより、全然面倒臭い女だわ」

「……喧嘩売ってんの?」

 マグナのこの言葉に、グレースは思わずといった感じで吹き出した。

「ハッ、また随分とのんびりなさっておいでだね、勇者様! 喧嘩なら、とっくに昨日から売ってるよ!」

 自陣のリィナの方を、ちらりと振り返って続ける。

「あっちのあのコも相当だし、勘違い女だの面倒な女にばっか囲まれて、まったく昔のヴァイスの苦労が偲ばれるってモンさ」

「……あんたに、何が分かるのよ」

 あ、マズい。

 不用意な憎まれ口が、期せずして逆鱗に触れたらしい。

 マグナが本気で怒ってる。

「喧嘩売ってるのよね。分かった、お望み通り買ってあげるわ。剣、しっかり体の前で構えなさい」

「え」

 グレースが曲刀を握り直したのは、ほとんど本能的な危機感からだっただろう。

 一瞬で間合いを詰めたマグナは、思いっ切り剣を横殴りに振り回して、構えた曲刀ごとグレースを弾き飛ばした。

『お頭っ!!』

 海賊達が、一斉に腰を上げる。

「まだ試合中だ!!」

 それを一喝で抑え、ロンは地面に倒れ込んだグレースの傍らに膝をつく。

「どうだ。まだ、出来るか」

「アイタタ……いや、降参だよ。マトモに勝負されたんじゃ、ハナからこっちに勝ち目なんてありゃしないからね」

「そうか」

 立ち上がろうとしたロンの腕を掴んで、何事かを耳打ちする。

「承知した——グレースの敗北宣言を確認。勝者、マグナ!!」

 ビシッと右手でマグナを指し示したまでは、これまでと同様だが、ロンはそこからさらに言葉を続ける。

「なお、この勝負にかけられていたヴァイスの身柄は、これ以降、勇者マグナの預かりとなる。これは戦神の下された厳正たる裁定であり、双方に拒否することはできない」

 これを聞いて、最終試合だというのに結局ほとんど会話が交わされただけだった落胆と、世界的に有名になりつつある勇者様の醜聞を見聞きした下世話なざわめきとが、観客の間で入り交じる。

 こいつはどうも、よろしくねぇな。

 マグナは終始相手にしていなかったし、さらにこの町は謂わば勇者マグナのお膝元だ。グレースも思いっ切り匂わせるだけで言い逃れができるように喋っていた気がするし、どうとでももみ消せなくはないんだろうけどさ——

 もみ消すついでに、俺の存在ごと消されやしねぇだろうな。頭痛のタネが増えちまった。

 ちなみに、賭けはグレースに張るヤツが少なすぎて、最初から成立していない。

 俺にちらりと視線をくれて、ロンが皮肉らしく笑ったように見えた。

 あんた、案外お茶目なヤツだろ?

「以上、二対一の結果を以て、此度の決闘は町長代理ライラの勝利と相成った! 勝者に盛大なる祝福を!!」

 ロンが両手を掲げて打ち合わせると、観客の間にも拍手が広がっていく。

「やった、アイシャに勝った——ありがとうございます!! お見事でした、勇者様!!」

 いやぁ、いまの試合に、見事なトコロなんて微塵も無かっただろ。

 勝ったから、なんでもいいんだろうけどさ。

「フン。ノシつけてくれてやるってのは、こうやんのさ」

 仰向けに倒れたまま天を仰いでいるグレースに頭の方から近寄ると、そんな風に呟いているのが聞こえた。

 なに言ってんだ、こいつは。

「大丈夫か?」

「ああ、ヴァイス。賞品の受け渡しは、アチラだよ」

「お前な……」

 肘を立てて少し身を起こし、まるで悪びれていない、悪戯イタズラに成功した子供のような笑顔を肩越しに向けてくる——そういう顔してると、年相応に見えるな。

「悪いね、ヴァイス。あんたのお姫様——じゃなくて、女王様かね。ありゃ、手強いわ。もうちょいなんとかしてやろうと思ってたけど、アタイじゃちぃとも刃が立たなかったよ」

 上手いこと言ったつもりか?

「あと、色々悪く言っちまって、済まなかったね。前言は撤回するよ」

「うん?」

「実際に向き合ってみて分かったけど、アンタの勇者様は、多分アタイの好きなタイプみたいだ。できればこんな損な役回りじゃなくて、もっとちゃんと出会いたかったねぇ」

 そりゃ、俺の所為で申し訳なかったな。

 って、なんか、どっかで同じようなことを思った気がするぞ。

「にしても、ありゃ相当な強情っぱりだね。さっきだって、もうちょいとこっちに乗ってくれても良かっただろうにさ——アンタ、これから苦労するよ」

 勢いをつけて上体を起こし、地面にあぐらをかいたまま膝で頬杖をついてマグナを眺める。

「ま、手間は省いてやったんだから、後は自分でなんとかするんだね。どうせ、どうやって合流しようとか、いつもみたいにネチネチ考えてたんだろう?」

「お前、余計なことすんなよな」

 グレースは、豊かな髪の隙間から横目で俺を見上げて、人の悪い笑みを浮かべた。

「ありがとう、は?」

「……ありがとう」

 くそ。

 まぁ、合流した後にも面倒事が立ちはだかるのは、ハナから承知の上だしな。そんくらい、なんとかするけどさ。

「よし——さて、と。負けちまったことだし、捕まってやる気まではないからね。それじゃ、ズラかるとしようか」

 グレースは膝を手で打って立ち上がる。

「それなんだけどさ。この後のことは、俺に任せてくれねぇか」

「フン? なにさ、ようやく悪巧みがまとまったのかい?」

「そんなトコだ。悪いようにはしねぇからさ」

 いちおう全部、帳尻を合わせておかないとな。

 俺が手筈を耳打ちすると、一瞬顔を顰めたグレースは、諦めたように肩を竦める。

「ヴァイス大参謀直々のお言葉だ。どの道、アタイに断るはないけどね。それじゃ、こっから先はお手並み拝見させてもらうよ」

「恩に着るよ」

「よしてよ。アタイはまだ、借りを返せたとは思ってないからね」

 追い払うように手を振って、海賊達の方に歩み去る。

「お頭、怪我ねぇですか」

「痛いところはありやせんか」

「ああ、大丈夫だよ。あれで勇者様も、気ぃ遣ってくれてたからね」

「勇者マジ半端なくねっスカ。ゴリラ並じゃね?」

「マグナ、最近マジ強いッスからなー」

 口調がヘンな風に伝染うつってるぞ、リィナ。

「よう。お前も、もうちょい付き合えよ。面白いモン見せてやるよ」

 フゥマの元に向かうつもりか、横を通り過ぎようとしたにやけ面に声をかける。

「あなたが私にそんなことを言うなんて、珍しいですね。何を企んでるんです?」

「別に、何も企んでねぇよ」

 どいつもこいつも、俺をなんだと思ってやがるんだ。

 まぁ、考えてることはありますけど。

 ていうか、放っておいたら、もうフゥマを連れてく気だったろ。

 こんなにすぐ引き離されたんじゃ、さすがにシェラと腕白坊主が気の毒だしな。

「そんかし、あんたのトコの三人と、ちょっと話をさせてくれ」

4.

 いつの間にやら姿を消していたアイシャをとっ捕まえるのが一番大変だったという、すったもんだの一幕があった末に、俺達海賊組は自主的に捕縛されたのだった。

 いや、捕縛といっても、それは言葉のアヤで、実際に縄で縛られた訳ではない。手も足も自由に動かせる。

 もちろん、海賊達はブーブー文句を垂れたが、前もって頼んでおいたように、グレースがどうにか抑えてくれた。

「オゥ、手前ェ、ヴァイス。いっくらお前ェでも、お頭を裏切りやがったら、指の端から細かく刻んで魚のエサにしてやっからな?」

 と、ホセに凄まれはしたが。

 ちなみに、アイシャを見つけてきたのはリィナだ。

「ちょっとぉ~、リィナちんはこっちの味方になったんじゃなかったのぉ~?」

 とボヤきつつ、ただ一人、本当に縄で縛られて引っ立てられたのだった。

 俺達が連れていかれたのは、マグナが言っていた通り牢屋などではなく、真新しい立派な建物だった。

 後で聞いたら、役場としてつい先日完成したばかりの建物だそうだ。

 食事も寝床も不都合のないように用意してくれるって話だし、仮宿としてはそこまで悪くない。

「どうです、アイシャ! やはり最後には、正しい方が勝つのです!」

 後ろ手に縛られて、ムクれた顔であぐらをかいているアイシャの傍らで、腕組みをして勝ち誇ったドヤ顔を浮かべるお子様がひとり。

 うん、ちょっと静かにしててくれるかな、ライラちゃん。

 俺達が押し込められたのは——っていうほど狭くねぇが、役所の本体とは渡り廊下で繋がっている、様々な催事などを執り行う為に建てられたホールだった。

 この町の規模を考えると、不相応なほどに広い。これから町を発展させていくのだという、町人達の決意の表れにも思えた。

 俺はホールを見渡して、今回の主だった登場人物が、ほとんど全員揃っていることを改めて確認する。

 これが都合良かったから、あえて捕まることにしたんだよね。

 グレース達海賊一派はもちろん、アイシャにリィナ、そして姫さん。マグナとシェラの脇には、落ち着かない様子のフゥマ。それから、ダーマの二人に加えて、まだ紹介されていない大人連中が何人か——彼らが、各国から派遣されたお目付け役だろう。

 さらに、ライラや元首長をはじめとした町の重鎮と思しき一団と、それを護るように若い衆が何人か。ロン達三人も、俺達が暴れ出した時の為の見張りとして同行している。

 とはいえ、ココはいまにも襲いかかりそうな殺意剥き出しの目付きでフゥマばっかり睨んでいるし、パクパもリィナしか気にかけている様子がないから、実質役に立ってるのはロンさんだけだけどな。

 さて、それじゃ、はじめるとしますかね。

「はい、ちゅうもーく」

 ホールの端の舞台に登り、パンパンと手を打って居合わせた人間の注意を引く。

「わざわざ集まってもらって悪かったな。ちょっと、関係者とだけ話したかったからさ」

「何言ってんです? 別に、貴方の為に集まったワケじゃないですけど」

 と、お子様。

 うん、子供は率直で空気読まないね。

 ちょっとだけ、口を閉じてようか。

「この町の住人が、どんくらいまで認識してんのか、俺も読めてねぇんだけどさ。なんか、事の成り行きがおかしいなって考えてたヤツくらい、さすがに何人かいるだろ?」

「だから、意味分かんないこと言わないでくださいよ。ていうか、なに許可もなく勝手なことしてんですか」

「リィナ。その子供、ちょっと捕まえといて」

「ほいほーい」

「え、ちょっと、止めててくだ——」

 リィナに取り押さえられて、ムグムグ言いながら身を捩るライラ。

 俺と違って、リィナは勇者様の従者としてちゃんと認識されてるからな。町の人間に命じて排除する訳にもいかねぇだろ。

「いや、町長代理の言う通りだ。どうやら、勇者様と面識があるようだが、だからといって勝手な真似をされては困る」

 なにやら知らないおっさんが話しかけてきた。町の重鎮の一人だとは思うが。

「先ほどの決闘の件といい、何も聞かされておらん我々には、何がなんだか意味が分からん。だから私は、こんな子供の遊びのような体制は反対だったんだ——そろそろ、きちんと説明していただきたいですな、町長代理?」

「えぅ……」

 真面目な顔をした大人に急に詰め寄られて、リィナに羽交い締めにされたまま、ライラが首を竦める。

 面白そうなので、しばらく眺めてやろうかとも思ったが、しょうがねぇ。

「だから、それを説明してやるって言ってんだよ」

 おっさんは、物凄い胡乱な目つきを俺に向けた。

 ああ、チンピラ風情が何を巫山戯た事を、って顔してんね。

 態度や口調をあらためといた方が、話が早かったかも知れない。でも、俺が説得しようとしてるのは、このおっさんじゃねぇからなぁ。まぁ、今はいいか。

「何故、余所者であるお主が、答えを知っている口振りなんじゃ」

 そう尋ねてきたのは、元首長の爺さんだった。

 昨日と同じく、鳥の羽で作られた派手な被り物を頭に乗せている。相変わらず、顎髭が立派だな。

「そりゃ、ご尤も。でも、住人だから良く分かるって話でもねぇんだわ、これが」

「ふむぅ?」

戯言たわごとです。聞くだけ無駄ですぞ」

 そう言いたくなる気持ちも良く分かるが、まぁ聞けって、おっさん。

「今回の件——つまり、アイシャが海賊とツルんでるだの、町長として相応しくないから引きずり降ろそうだのって話はさ、町長代理のライラが突然言いだした事じゃねぇか?」

 主に町の住人達に向かって語りかけると、若い衆の何人かが微かに頷いて反応した。

「多分だけど、あんたらにしてみりゃ、ライラがいきなり突っ走って、馬鹿やらかしたって感じだろ?」

「なんですって——!?」

 文句を言いかけたライラが、リィナに再び口を押さえられてムグムグ抗議する。

「サマンオサ王の魔物嫌疑はマグナから伝えられたって話だけどさ、それ以外のことは、一体いつ、どうやってライラは知ったんだ?」

 俺はさりげない風を装いながら、ホールに集合した人間の様子を端から確認していく。

「だから、それは本人に聞けば済む話だろうが」

「正論だね。でも、多分、意味ねぇよ」

 再び口を挟んできたおっさんは、俺の返答に納得する筈もなく、くだらんとか何故好きにさせているんだとか、ブツブツとひとりごちる。

「人間の記憶だの認識なんてのは、アテにならねぇモンだからな。といっても、これは一般論の話じゃない」

 さて、そろそろ本番だ。

「ライラが一連の事情について、誤認させられていたとしたら?」

 はい、来た。

 いつかと同じように、雁首揃えて、きょとんとしたツラ晒しやがって。

 俺は、ちらっと姫さんに目をやった。

 まぁ、あの時と違って、この反応は経験済みだからな。むしろ、段取り通りってなモンよ。

「自分ではまっとうに物を考えているつもりで、その実、誰かの考えを植え付けられていたとしたら?」

「一体、何を言っているんだ」

 おっさんをはじめとする苛立った反応を無視して、思わせ振りに間を置いてから語りかける。

「よう、久し振りだな。どうした、今回は仕込みの時間が足りなかったか? 随分と雑な仕事をするじゃねぇか」

 居並ぶ顔は、ますます不審げな表情を浮かべる。

 中には、俺の正気を疑う人間もいたかもしれない。

 フン、挫けないもんね。

「もうちょい丁寧にやらねぇと、皆さんが勝手に納得してくれるのにも限度があるぜ? ったく、自分で思ってるより、お前は化けるのが下手くそだって、せっかく忠告しといてやったのによ」

 全員を漠然と視界に収めながら、そろりと口から言葉を滑らせる。

「今回も、かくれんぼはお前の負けだ。観念して正体現せよ、ニュズ——」

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