42. NEWTOWN

1.

「だって……ヴァイスくん、ボクのこと嫌いでしょ?」

 簡素な燭台の頼りなく揺れる灯りに照らされて、拗ねた口調で伏し目がちにリィナは呟いた。

 夜も更けた薄暗い船室では、あまり物が見えないせいで、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされるからだろうか。

 囁くような潮騒が、やけに大きく聴こえた。

 全く予期してなかった言葉を聞かされて、俺は困惑でしばらく二の句が継げずに押し黙る。

 足元が覚束ないのは、緩やかに揺れる床板のせいばかりとも思えなかった。

「……いや、なんで、そうなるんだ?」

 ようやく捻り出せたのは、そんな気の利かない台詞だった。

「違うの——? あ、そっか……」

 リィナの表情と瞳から、力が失われる。

「嫌いって、強い気持ちだもんね……」

 俯いて、ぽつりと続ける。

「じゃあ、やっぱりボクのことなんて、どうでもいいんだ」

 ……。

 あー、止めやめ。

 雰囲気に流されかけたが、意味分からん。

 何を言っとるんだ、こいつは。

「さっきから、何を言ってるんだ、お前は」

 我慢しきれず、思ったことをそのまま口に出しちまった。

 どんな突拍子もない思考を経て、そんなアホらしい思い込みに至ったんだか。

 俺がリィナを嫌ったことなんて、出逢ってから此の方、一度もねぇよ。

 そんな俺の気も知らずに、リィナは意味不明な言葉をさらに連ねる。

「だって、そうでしょ? ヴァイスくん、言ったじゃん……ボクのこと、ガッカリしたって。だから、ボクのことなんて、どうでもよくなっちゃったんでしょ……?」

 やべぇ、何を言ってるのか、全く分からねぇ。

 まぁ、再会した直後の刺々しい態度がナリを潜めたのは有り難いが、今度は逆に弱々しくなり過ぎじゃないか?

「いや、ちょっと待ってくれ。話ならちゃんと聞くから、もうちょい俺にも分かるように言ってくれ」

「……ごめん」

 何に対してかよく分からない謝罪の言葉を、下を向いたまま口にする。

 かと思うと、不意に両手で額を押さえて細く息を吐いた。

「あー……ホントにゴメン。こんなこと言う為に来たんじゃないのに」

 少しだけ、以前のような口調に戻り、小さく頭を振る。

「もぅ嫌だよ……こんなの、ボクじゃないよ……なんとかしてよ、お願いだから……」

「リィナ……」

 肩に置こうとした手が、邪険に払い除けられる。

「もう嫌なのに、また違う女の人連れてるし……この前のひとは、どうしたのさ?」

 この前って——

「エフィのことか?」

「知らない。名前なんか覚えてないけど」

「いつの話だよ。もうずいぶん前に別れたよ」

「え!?」

 リィナは心底驚いたように目を見開いて、少しの間、動きを止めた。

「別れたって……あれから全然一年も経ってないよね?……そんなにすぐ、飽きちゃうものなの……?」

「違う」

 マジで何を言ってるんだ、こいつは。

「別れたって、そういう意味じゃねぇよ。そもそも付き合ってないから、飽きるも何もねぇっての」

「……そんな風に見えなかったけど」

「どう見えても、だ!」

 んー……?

 なんだか、まるで噛み合わねぇな。

 まともに話すのは久し振りだからだろうか。

 でも、リィナに対して、こんな感覚を抱いたこと、以前は無かったんだけどな。

「……そういえば、あのエラそう君とメイドさんもいないね」

 エラそう君って、ファングのことか。

 ちょっと、吹き出しそうになっちまった。

「ああ、あいつらはくにに帰ったよ」

 ていうか、こんなことしてる場合なのか?

 ったく——マグナやリィナ、シェラと再会を果たしたら、すぐに相談したいこともあったのに、なんでこんなことになってんだよ。

 気が付いたら、口から勝手にため息が漏れていた。

 なんで俺達が、敵味方に分かれて決闘するハメになっちまったんだ。

2.

「二人とも、ちょっと時間もらっていいかい?」

 なんとか大海妖クラーケンを退治して、海賊のアジトに辿り着いた、その翌朝。

 植物を編んで作られた寝心地のいいベッドでだらだらと微睡んでいると、部屋に顔を出したグレースが尋ねてきた。

「むー……どうしたのじゃ、こんなに朝早く」

 ベッドの上で身を起こし、こしこしと眼の辺りを手の甲で擦る姫さん。

「いや、全然早くないからね。もう朝ってより昼の方が近いよ。ほら、早く起きて顔洗ってきな」

「むー……どこで洗えばいいのじゃ」

「昨日の晩も洗ったトコだよ。ほんっと、朝が弱いんだから」

 グレースに介助されつつ連れ去られる姫さんの後を追って、あくびをしながら部屋を出ると、フゥマが手持ち無沙汰そうに壁に背中を預けて、部屋の脇に立っていた。

 お前も呼ばれてたのね。

「よう」

「おう。おはよう」

 こいつのことだから、どうせ朝からひと修行終わらせてきたんだろうな。

「朝ご飯はどうするのじゃ」

「すまないけど、もうちょいと後でいいかい? 皆を待たせちまってるからさ」

 先を行くエミリーとグレースのやり取りが耳に届く。

 そんなこんなで身支度を整えた俺達は、グレースに誘われるままに、アジトの裏手の林の方に足を運んだのだった。

「なんだか、まだ地面が少し揺れてるような気がするのじゃ」

 道すがら、姫さんがそんな感想を口にした。

 分かる分かる。

 昨日まで、ずっと船に揺られてたから、まだ感覚が残ってるよな。

 ウンウン頷きながら林を抜けると、視界が一気に開ける。

 そこは海辺の断崖だった。

 ちょうど入港した海蝕洞の真上辺りだろうか。

 景色一面を埋め尽くした海と空はせつないほど碧く、水平線から生えた入道雲との対比が美しい。

 断崖と林に挟まれた草むらには、既に大勢の海賊達が集まっていた。

 見慣れた顔の方が多いが、見覚えのない顔もある——おそらく、アジトに残っていた連中だろう。

 海賊達は左右に分かれて、崖の端へと続く道を作っていた。

 道の先には簡素な木組みの十字がいくつか立てられており、地面には白い花びらが添えられている——あれは、墓か。

 グレースは俺達を伴って人垣の間を抜け、中央のひと際大きい十字の前で立ち止まった。

「オヤジは、海が好きな人だったからさ、こうしてよく見える場所で眠ってもらってるんだよ。ま、知っての通り、オヤジ達は船ごと沈んじまったから、形だけだけどね」

 こちらを少し振り返り、思ったよりもサバサバした口調で、グレースは言った。

「ただ、オヤジ達のことだから、きっとアタイらを心配して、おちおち眠れやしないんじゃないかと思うんだ——オヤジ、聞こえてるかい?」

 誰もいない墓標に向かって、グレースは語りかける。

「とうとう、やったよ。あの化物バケモンをブッチめて、オヤジ達の仇を討ってやったさ」

 得意げに言って、フゥマを手で指し示す。

「このフゥマって子が、トドメを刺してくれたんだ。マッタク大した男でね、こんな腕っ節が強い人間には、生まれて此の方はじめてお目にかかったよ」

 俺はフゥマ以上に強いヤツを何人か見たことがあるが、コイツもやたらと強くなってるからな。

 現時点では、どうなってるか分からないかも知れん。

「それに、アタイが弱気になってたトコに発破をかけてくれてね。このコが焚き付けてくれなかったら、きっとアタイは仇討ちを諦めちまってたかも知れないよ。そういう意味でも、アタイらにとっての大恩人さ。もちろん、化物クラーケンとの戦いでも大活躍だったしね。そうだろ、お前達!」

 グレースが背後に問いかけると、おおおぉぉ、と海賊達が歓声で応じる。

 当の本人は、頭の後ろで手なんか組んで、なんでもないような顔をしてやがるな。

 最近ようやく少し分かってきたが、コイツは自分が成した結果には、あまり興味がないんだと思う。

 自分でも言っていたが、おそらく目的にも興味が無い。

 あくまで現在進行形というか、いま自分が強くなることにしか興味が無いのだ。

 多分、そういうことなんだろう。

「それから、見えるだろ? こっちの可愛らしいコが」

 グレースは嬉しそうに、今度は姫さんを指し示す。

「エミリーって言うんだけどね、このコにも随分と助けられたんだ。こんなこと言うと、オヤジにはきっと『だらしがねぇ』って怒られちまうだろうけど、いざあの化物とやり合うとなったら、やっぱり怖くてね。だって、アタイひとりの命ならまだいいけどさ、コイツらもみんな、一連托生だろ?」

 グレースは子分達にちらと視線をくれる。

「だから、ヴァイスを待ってる二月ふたつきの間、この子が側に居てくれなかったら、アタイはもっと追い詰められてたかも知れないよ。この子はすごく不思議なコでね。近くにいるだけで、まるで森の中にいるみたいに気持ちを癒してくれるんだ」

 姫さんもまた、澄ました顔をしている。まぁ、賛辞なんて言われ慣れてるだろうしな。

 問題は、言われ慣れてない人間だよ。

 この流れは、あんまりよろしくない予感がするぞ。

「それから、つい先に名前を出しちまったけど、改めて紹介するよ」

 グレースは横に居る俺の肩に手を置いて、墓標から海賊達までぐるりと見回しつつ大声を出す。

「この人が、ウチの新しい参謀のヴァイスだよ!」

 一瞬遅れて、ちょっと吃驚びっくりするくらいの音量で、海賊達から歓声が上がった。

『オオオォォッ!!』

 うるせーうるせー。

 つか、なに親父さんの墓前でしれっと嘘吐いてやがんだ、このグレースは。

 おい、そこの連中。「これからよろしくな、参謀さんよ」とか「めんどくせーことは、全部任せっからよ」とかはまだ見逃してやるが、「お頭との式はいつにすっか?」は流石にマズいだろ。

 多分、ハタから見たら、俺は相当あたふたしていたらしい。

 いや、だって、既成事実みたいにされちまって、これ以上拘束される訳にもいかねぇだろうが。

 そんな俺の様子に、グレースはアハハと声に出して笑った。

「ゴメンごめん、冗談だよ——見ただろ、オヤジ。いまのツレない態度をさ。ご覧の通り、悔しいけどアタイは振られっぱなしでね。オヤジ自慢の娘である、このアタイがだよ!?」

 グレースは耳の後ろに手を添えながら墓標の方に身を屈めて、ニヤニヤと俺を見る。

「え? オレの娘は、そんなことで情けなく泣き寝入りなんかしないって? もちろんだよ。アタイだって、このまま大人しく諦めるつもりはないさ」

 グレースの小芝居は、もうしばらく行動を共にすることが、ほぼ確定している予定を踏まえてのことだろう。

 勝手に買い被ってくれるのはありがたいが、作戦を立てる度に不安で夜も眠れなくなる参謀なんて、危なっかしくてとても使えたモンじゃないと思うけどね。

「ま、ひとまずそれは置いとくとして——このヴァイスが、オヤジ達とアタイらの為に、ひどく骨を折ってくれたのは事実なんだ。知り合ったばかりの、アタイらみたいな稼業の頼みを聞いてくれてね」

 グレースはそう言うが、果たして俺は今回、本当にこいつらの為に行動したんだろうか。

 もちろん、そういう側面はあったと思うが、単なる成り行きに過ぎなかったっていうか——いや、さすがに成り行きだけじゃ、あんなシンドイことやらねぇな。

 俺は——おそらく、出来ないって口にするのが嫌だったんじゃないか。

 専門家ぶってる癖に、ちょっと強い魔物が出てきたらすぐにお手上げでケツを捲って逃げ出すなんて、プライドが許さなかったとか——これもピンと来ねぇな。冒険者稼業に、そんなプライド持ってねぇわ、俺。

 お人好し——嬉しくない単語が脳裏に浮かんで、慌てて否定する。

 いや、違う。俺は自分のことで手一杯で、自分のことしか考えられない卑小な人間だから、やっぱり今回も自分の為にやったんだ。きっと、その筈だ。

 そもそも、ちゃんと報酬だっていただくんだから、別に礼を言われる筋合いじゃねぇっていうか——

「——いくら感謝してもし切れないよ。マッタク、とんだお人好しもいたもんさ」

 続くグレースの言葉で内心を否定されて、トドメを刺された気分になる。

 自分のことを人が好いとは、とても思えないんだが。これまで俺をお人好し呼ばわりした全員、なんかどっかを致命的に勘違いしてんじゃねぇのか。

「ホラ、お前達。改めて、三人にお礼を言うよ」

 グレースの言葉に応じて、海賊達が一斉に背筋を伸ばす。

「せーの!」

 そして、一斉に頭を下げる。

『ありがとうやした!』

 それぞれに微妙に違う言葉で発された海賊達の礼は、全体としてはそんな風に耳に届いた。

 いざ礼を言われると、自分がそれに見合うほど大したことはしていないように思えて、落ち着かない気分になる。

「礼くらい、素直に受けたらどうじゃ」

 姫さんが、呆れたように囁いた。

 そんなに顔に出てたか、俺。

 見っともない俺とは対照的に、顔を上げたグレースの表情は、どこか晴れ晴れとして見えた。

「で、最後はもちろん、アタイの可愛いコイツらだよ。今回も、よく働いてくれたねぇ。オヤジの言いつけ通り、コイツらはいつもアタイを盛り立ててくれてるよ」

 グレースは真っ直ぐ子分達を見詰める。

「いつもありがとう、お前達。こんな頼りない船長に付いてきてくれて、本当に感謝してるよ。お陰で、ようやく——ようやく、オヤジ達の仇を討つことができた」

 途中から、グレースの声は震えていた。

「永かったねぇ……アタイが不甲斐ないばっかりに、ずいぶんと待たせちまって、ごめんよ、みんな……」

 そのみんなには、生きている者、亡くなった者、すべてが含まれているのだろう。

 最初は「お頭は頼りなくねぇッスよ! 充分おっかねぇッス!」などとからかい混じりの野次を飛ばしていた海賊達の間からも、鼻をすする音や押し殺した嗚咽が聞こえてくる。

「でも、これでお頭は、本当にお頭だ」

 そう言ったのは、列の先頭にいた禿頭のホセだった。

 よく考えると意味不明な言葉だが、この時はすんなりと頭に入ってきた。海賊達も同様だったらしく、顎髭のペドロや他の連中も頻りと頭を上下に振っている。

「だってさ、オヤジ。コイツらも認めてくれたことだし、アタイは——アタイらは、もう大丈夫だから——」

 今日あったことを親に話す子供のようだった口調が、優しく言い聞かせるようなそれに変わる。

「だから、休んでいいんだよ。もう、心配しなくても大丈夫だから」

 ホセから細身の酒壺を受け取って、中身を墓標に注ぐ。

「いままで見守ってくれて、ありがとう。愛してくれて、ありがとう」

 まるで母親のような、慈愛に満ちた横顔。

「愛してるよ、いつまでも。だから、ゆっくり、お休み」

 誰からともなく、海賊達は墓標に向かって黙祷を捧げる。

 海から吹く強い風が、添えられた白い花びらを散らせて宙に攫った。

 岸壁に押し寄せる波の音や、背後の木々が立てるさざめきに掻き消されがちな海賊達の嗚咽を耳にして、俺はジパングでのことを思い出していた。

 そう。俺達は、たまたまその場に居合わせて、少しばかり手伝いをしただけの第三者に過ぎなくて。

 これは、グレース達の物語で。

 やはり、俺には俺の物語が、別にあるのだ。

3.

 そして、半月ほどで補修と整備を終えた海賊船に、再び揺られてアジトから北上すること、さらに二ヶ月あまり。

 アイシャがおさを務めているのだという港町の目前まで、俺達は迫っていた。

 長い航海の間に色々とアイシャに確認したんだが、まず、これから訪れる町は、なんとマグナが作ったのだという。

「正確には、現地のお爺ちゃんに頼まれてのことらしいんだけどね」

 もともと近隣に住んでいた部族の長が、後進に道を譲って自分は新たに港町を作ろうと海辺の土地を選定している最中に、魔物に襲われているところをマグナに救われたのがきっかけらしい。

 なんでも、数年前にスーを訪れた爺さんは、自分達の村よりもずっと近代的な街並みを目の当たりにして、このままでは時代に取り残されてしまうと危機感を覚えて、地元の改革に乗り出したのだそうだ。

 だが、多くの場合、人は変革を望まない。

 自らが治める領内の住民から猛反発を受けた爺さんは、賛同してくれた僅かな配下を引き連れて、新たな町を興すことを選んだのだという。

 将来的には周辺地域の物流の要となり得るように、海辺の港町にすることは、最初からの構想だったようだ。

 皆から反対されても諦めなかったどころか、自分を追い出した部族の益になることまで考えてたってんだからこころざしは立派だが、正直かなりの無茶だと評さざるを得ない。

 魔物が世界中に溢れている今の時代、ある程度以上に人が集まっている土地には魔物除けの結界が張られていることは何度か触れたと思うが、アイシャの話からすると爺さんはそのことを知らなかったようだ。

 人間社会との取り決めとして、魔除けの結界は近場を根城にしている魔法使いが構築する決まりになっている筈だが、周知を面倒臭がって何も言わずに済ませてしまう場合も多いらしいので——特に田舎の方では——爺さんが知らなくても無理はない。

 俺も、昔は知らなかったしな。

 ただ、新しい町を作るのであれば、何はさておき結界を整備しないことには、魔物被害に悩まされ続けるだけだ。

 その意味では、爺さんは最良の人間と知己を得たと言っていい。

 各地の王族と親交があり、その気になれば魔法使い共すら顎で扱き使える影響力をお持ちの勇者様のお陰で、新たな町の予定地には早速結界が展開され、爺さんたっての希望で必要な人材——商人の一団が手配された。

 勇者様御自らが選出されたという、その商人団の長こそが、言わずもがなアイシャという訳だった。

 そして、この時期にマグナ達と新しい町で落ち合うのは、前から決められていた予定だったそうだ。

「おお、懐かしの我が故郷——なんちて、アタシはせいぜい最初の一月ひとつきくらいしか居なかったから、なんも懐かしくないどころか、さっぱり様子が変わってるだろうけどねぇ」

 遠くに見えはじめた陸地の海岸線には、街というにはささやかだが、それなりに数多くの建物が建ち並び、河を挟んで扇状に広がっている様子が見て取れた。

 そういや、北上するに従って寒さが増していたんだが、この辺りでは季節が春を迎えつつあるのか、それも少し和らいでいる。

 まだ肌寒くはあるが、春空の大気が頬に気持ちいい。

 先に港に碇泊しているアレは、さてはマグナの船か。あんなデカい船を所有したり、町をひとつ拵えたりしちまうんだから、流石は勇者様、大したモンだね。

「おー、ちゃんと波止場ができてるじゃん。港っぽいぽい。アタシの言いつけ通り、ライラは上手くやってるみたいだねぇ」

 アッサラームでしたたかに生き抜いていた頃から、貧民窟の子供達を束ねて従えていたアイシャは、その子分達をそのまま連れてきたのだと聞いている。

 ライラというのも、その内の一人だろう。

 やがて、港を目指すこちらの船を住民が見つけたのか、もう少し波止場に近付くと、大勢の人間が鈴生りに集まりつつあるのが目に入った。

「あれぇ、すごいお出迎えだねぇ。そろそろ帰ることは伝わってた筈だけど、そんなにアタシが恋しかったのかしらん。おーい!」

 だが、アイシャが大きく手を振っても、誰も振り返さなかった。

 びっくりするほど人望ねぇな、町長さん。

 ってのは、冗談として——

「どうも様子がおかしくねぇか?」

「んー……? なんか、不穏っぽい?」

 問いかけると、小首を傾げるアイシャ。

「とにかく着けちまうよ。いいんだろ?」

 出逢った時のようにバンダナを頭に巻いたグレースが、海賊達に接岸の指示を出す。

 作りたてのささやかな波止場は、大型の船が二隻停留しただけでいっぱいになった。というか、ややはみ出している。

 船から下された舫綱もやいつなを埠頭に繋いでくれたのは、外見からしてマグナの船の乗組員だろうか。

 だが、波止場に詰め寄った人垣は、それ以上荷下ろしの準備を進めるでなく、船縁ふなべりの俺達を黙って睨め上げた。

 ただならぬ雰囲気に、海賊達も困惑して顔を見合わせる。

「なーんか、モノモノシーっすね。せっかく、荷物運んできてやったのに。どうします、お頭?」

 確かダヴィとかいう名前の若い捲毛の優男が、グレースにお伺いを立てた。

「さァて、アタイにはなんともね……どうすりゃいいんだい、アイシャ」

 グレースもアイシャに丸投げする。

「いやぁ、アタシにも何がなにやら」

 お前までそれじゃ、困る訳だが。

「どう見ても友好的って感じじゃねぇぞ。お前、なんかやったんじゃねぇの? バカみたいな金額の請求を回したとかよ」

「んー? そりゃ、アチコチで取り引きまとめて寄越しはしたけどさ、アタシがこっちだけ損するような商売するワケないじゃん。逆に、こんなにウマい話ばっかまとめてくれてありがとーって感謝感激雨アラレで、万歳三唱しながら迎えられると思ってたよん」

 だが、現実は真逆みたいだぞ。

 その時、ひとりの小柄な少女が、群衆から一歩前に進み出た。

 浅黒い肌は同じだが、長い髪を頭頂部でひとつに纏めているアイシャとは異なり、肩にかからないくらいのおかっぱに切りそろえている。

 少女は船上の俺達に向かって、よく通る声を張り上げた。

「お帰りなさい、ボス! 諸国巡りご苦労様でした……と言いたいところですけど、よく戻って来れましたね!?」

 挑発的な態度と口振りで、船上のアイシャを見上げる。

「誰だ、あれ?」

「アタシの懐刀ふところがたな。お兄さん、会ってなかったっけ? そっか、あの時は別件の方を任せてたかもかも——うーん。こりゃー、ウマいことやられちゃったかなー?」

 ヒソヒソと言葉を交わす。

「どうしました、ボス!? 弁明するつもりもないんですか!」

 急かすように言葉を重ねる少女に、グレースは肩をすくめてみせる。

「あの子は一体、何を言ってるのさ?」

 当然、揉め事の雰囲気は察している風だが、口調はいたって呑気なものだ。

「やっちまいますか?」

 と、ダヴィ。何をだよ。

「まぁまぁ、姐さん。とりあえず、ここはアタシに任せておくれよん——やぁやぁ、ライラ。お出迎えご苦労さん。積荷を下ろしたいから、すぐに準備してちょうだいな」

 わざとらしいくらいにこやかに、下に向かって手など振りながらアイシャが呼びかけると、これだけ離れていても分かるくらい、ライラという少女は盛大に顔を顰めてみせた。

「脳みそ腐ってんですか? 相変わらず、他人ひとの話を聞かないヒトですね。私は、アンタを弾劾してんですよ!」

「えー、ダンガイってなーにー? アイシャ、難しい言葉分かんなーい」

 バカっぽい口調でそう言って、手振り付きでベロベロバーをしてみせる。

 完全に煽ってるな。

「ッ——いつまでも、子供扱いしないでくださいよ!! あくまでシラを切るつもりなら、もういいです! 私から言ってあげますから!」

 何を言うつもりなんだ?

 ライラはビシィッとグレースに向かって人差し指を突き付けて、大声で告発する。

「分かってんですよ!! その人達は、海賊でしょう!? 自分の町に海賊を招き入れるなんて、一体どういう了見なんです!?」

「あらー、早速バレてるじゃないか。お前達の人相が悪いせいじゃないのかい?」

 船縁の欄干に頬杖をついて波止場を見下ろしながら、からかい混じりにグレースはのたまった。

「いや、俺は違うッスよ。店の女の子達にも『ダヴィさんって、全然海賊なんかに見えな~い。すっごい好青年だよねー』って、よく言われんですから。どうせホセさんとかそこら辺のヒトらの顔が怖いせいでしょ。もうちょっと遠慮して下がっててくださいよ、気が利かないなぁ」

「ダヴィ、手前ぇ……」

「……店の女の言うことを、真に受けるヤツがいるのか」

 最後のは、すぐ前にいた俺くらいにしか聞こえなかったであろう、ペドロ驚愕の呟きだ。

 商売柄、揉め事なんて慣れっこなだけあって、さすがに海賊達は余裕綽々だな。

 一方のアイシャも、弾劾されてる本人だってのに、さして慌てた風もなかった。

「んん? そんな妙ちきりんなこと、いったい誰に吹き込まれたのかな、ライラちゃん?」

「だから! 子供扱いしないでくださいって言ってんでしょ!?——どうでもいいじゃないですか、そんなこと! 図星を突かれたからって、話を逸らさないで下さいよ!」

 物凄い力技の切り返しをするライラ。どうでも良くはねぇだろ。

「よりにもよって、勇者様がお創りになったこの町に、海賊を引き込むなんて言語道断!! とても許されることじゃありませんよ! ねぇ、皆さん!!」

 ライラが後ろの群衆に呼び掛けると、そうだそうだーとか、許されないぞーとかまばらな声が上がる。

 道理で妙な雰囲気だと思ったら、いちおう予め根回しはしてあったみたいだな。効果のほどは、さて置くとして。

「へぇ、あの子、難しい言葉使うようになったなぁ。最初に拾った時は小汚くってさぁ、読み書きどころか言葉もロクに喋れなかったんよ」

 アイシャもアイシャで、まるで拾った子猫の自慢をするような口振りなのだった。

 まぁ、こっちの面子のしたたかさを考えると、ライラとやらはホンの少し無謀な戦いを挑んでいるような気がしないでもない。

「威勢がいいね、お嬢ちゃん! 初対面の人間に対して、そんな失礼な口を叩くんだ、証拠は当然あるんだろうね!?」

 ニヤニヤしながら、グレースが下に向かって問い掛けた。

「あぁん、姐さん、アタシに任せておくれってのにさぁ」

「いいじゃないか、アタイにもちょっとくらい遊ばせなよ」

 完全に見世物を観てるノリだな、コレ。頼もしい限りですこと。

 だが、意外なことに、ライラは言葉に詰まるどころか、意気揚々と懐に手を差し入れるのだった。

「証拠があるのか、ですって!? もちろんです! これが、動かぬ証拠です!!」

 取り出した何かを、こちらに向かって突き出してみせる。

 なんだ、アレ。紙か?

「あー、なるほど、手配書ね。アレ、全然似てないから嫌いなんだよねぇ」

 苦笑いを浮かべながらそう言って、舌を出すグレース。

 さすがにこれだけ離れていると、細かいトコまでは確認できねぇが、誰かの似顔絵が描いてあるらしいことは判別できた。

 つか、手配書が出回るくらいの海賊だったんだな、お前。

「お頭、もっと美人ッスもんね」

「まぁ、アタイの美貌を余すところなく描ききれる画家なんて、この世のどこにもいやしないってコトさ」

 自信満々に証拠を突きつけたのに、こっちが誰も慌てた素振りを見せないので、ライラの印象はかなり間抜けな感じになっている。

 だって、なぁ?

「それにしても、アレ、アンタの片腕なんだろ? 大丈夫なのかい、アンタ達の町?」

「いやぁ、そう言わないであげてよん。普段はもうちょい賢い子の筈なんよ」

 グレースやアイシャも同じ気持ちだったようで、却ってライラを気遣うような会話を交わす。

 なんというか、そもそもの段取りがおかしいのだ。

「お前がグレースの船で帰るってことは、町の連中に前もって伝わってたのか?」

 つい口を挟むと、アイシャも頷き返す。

「そうなんよ。グレース姐さんと知り合ったのは、マグナの船から下ろしてもらった後だから、姐さんのことが伝わってる筈ないんよね」

 アイシャが言っているのは、マグナ達がジパングへ向かって航海した時の話だ。

 この町から南下して、サマンオサがある南方大陸を迂回し、俺達が大海妖クラーケンとやり合った海峡を抜けて、マグナ達はジパングへ向かったらしいんだが、最初のひと月ほどはアイシャも同行し、南方大陸の上の方で降ろしてもらったのだと聞いている。

「どうしました!? 事実を突きつけられて、グウの音も出ませんか!」

 甲板の上と波止場ではそれなりに距離が離れているので、意図して大声を出さないと相手に届かない。

 つまり、船上でのやり取りは当然ライラには聞こえていない訳で、勝ち誇って手配書をさらに差し上げるその様子は、ともすれば滑稽に映り、俺は思わず憐憫の念を禁じ得なかった。

 が、海賊船の船長ともなると、そんな情けは持ち合わせていないらしい。

 グレースは、にんまりと人の悪い笑みを浮かべた。

「お嬢ちゃん! 自信満々なトコ悪いけど、人違いだよ! ホラ、その手配書の人相書き、アタイと全然似てないだろう?」

「えっ——!?」

 ビックリした様子で、慌てて手配書とグレースを見比べる。

「だ、騙されないんだから! だって、貴女あなたが船長なんでしょ!? 女船長なんて、他に聞いたことないもの、人違いな訳ありませんから!!」

「あら、思ったより知恵が回るね」

 完全に小馬鹿にした口振りだ。

「そ、そもそも、似てないって言うなら、なんでこの手配書が貴女あなたのものだって分かったんですか!! 語るに落ちましたね!!」

「ハン、そりゃそうだ。こりゃ一本取られたね」

 どうでもよさそうに呟くグレースの隣りで——まぁ、証拠があれだけってんじゃ、しらばっくれればいいだけだしな——アイシャが後を引き継ぐ。

「えー? それで結局、ライラはアタシをどうしたいのさ?」

「だから、弾劾っていってるでしょ!? バカなの!? 頭沸いてるの!?」

 おかっぱ頭を振り乱して、一瞬ムキーッとヒステリーを起こしかけたライラは、背後の住人達の存在を思い出したのか、コホンとひとつ咳払いをしてから、再びビシィッとアイシャに人差し指を突き付けた。

「私、町長代理であるライラは、町長であるアイシャの解職を請求します! この町の信用を毀損し、不利益を齎すような町長なんて要りませんから!」

「ふ~ん。それで、アタシの後釜にはアンタが座るってワケだ。偉くなったねぇ、ライラちゃん?」

 それ程、アイシャの口調が変わったようには、俺には聞こえなかったんだが。

 遠目にも分かるくらい、ライラがビクリと身を震わせた。

「え、あ、だ、だって……が……だって……わ、私は、アナタの教えを実践してるだけですよ!」

 いや、どんな教えだよ。

 アイシャは、ニッコリと微笑んだ。

「じゃあ、参考までに、この町を今後どんな風に運営していくつもりなのか教えてよん」

 まだ若干ぎこちない様子ながらも、ライラは強がるようにフフンと鼻で笑う。

「そんなこと、ボス——いや、元ボスに心配していただく必要はありません! もうロマリアやポルトガとは、貿易が始まってんですから! だからこそ、海賊と関わりがあるような町長を担ぐワケにはいきませんので!」

「ん~……でも、ロマリアとポルトガって、完全にマグナのツテだよねぇ。ライラの手柄でもなんでもないじゃん」

「なっ——」

「別にライラが次の町長でもいいんよ、アタシはね? でも、なんの実績もないヒトに町長なんて任せちゃって、みんなは心配じゃないのかなぁ~?」

 ライラの背後で、人垣がわずかにざわめきはじめる。

「そ、それは——だって、私、もう一年くらい、アナタの代わってちゃんとこの町を運営してますし——」

「アタシに言われたことを、ただやってただけじゃないのぉ?」

「ち、違いますよ!!」

「しかも、アタシを追っ払っちゃって、アタシが開拓したきた南方大陸との取り引きはどうするのさ? この町の立地は、中継地として機能させない手はないって言っといたよね?」

「そ、そんなことは分かっています! アナタが取り付けた契約は、有効活用させてもらいますよ、もちろん!」

「えー、でもそれってライラじゃなくて、アタシの手柄だよねぇ。あっれー? おっかしいなー? 誰かさんには無い実績が、アタシにはあるみたい? そんな人材を、よく分からない不確かな話でダンガイしちゃっていいのかなー?」

 完全に遊んでるだろ、お前アイシャ

 群衆のざわめきはさらに大きくなり、追い詰められたかと思いきや、何故かライラが不敵に微笑んだように見えた。

「……そうですね、少し言い方を間違えました。確かにアナタには実績があります。それを認めるにやぶさかではありません。しかも、その中にはサマンオサのような大国との取り引きも含まれていましたね」

「まぁねー。あそこはちょろっと特殊な国だから、ホント大変だったよん」

「実際、よくあんな大きい国との商談をまとめられたものですね」

「まぁ、そこはアタシの人徳ってことで。運も良かったけどねー」

「ほぅ、それはそれは……」

 一度俯いたライラは、堪え切れなくなったように哄笑しながら、三度ビシィッとアイシャを指差した。

「語るに落ちましたね、ボス! いや、アイシャ!!」

「また、何を言い出したんだい、あの子は」

 グレースの呆れたような表情は、続くライラの言葉で一変する。

「現在、サマンオサの国王には、魔物嫌疑がかけられているのです!!」

「はぁ?」

 グレースは片眉を釣り上げて、怪訝な声を出した。

 自らの優位を確信したのか、ライラの舌鋒が勢いを増す。

「つまり、よりにもよって勇者様がお創りになったこの町の長であるアナタが、なんと魔物と通じていたのですよ!? これは、勇者様のご厚意に砂をかける愚行であり、到底許されるべきではありません!!」

「……んん? ちょっと、なにを言ってるか分からないんだけど?」

「しらばっくれないでください!! 言い逃れはできませんよ! 何故なら、サマンオサ国王が魔物であるという疑惑を伝えてくださった方こそ、他ならぬ勇者様なのですから! そうですよね、勇者様!?」

4.

 ライラが振り返ると、集まった群衆が一斉に左右に割れた。

 その先に、懐かしい三人の顔が見える。

 中央のマグナは、俯きがちに軽くため息を吐いたように見えた。

 仕方なくといった足取りで、シェラとリィナを引き連れて、人垣の間を抜けてこちらにやってくる。

 ジパングで会った時より、さらに髪が伸びたみたいだ。

「うぉっ、なんかすげぇ可愛いコがいますよ、ペドロさん!」

 ダヴィがシェラを指差しながら、逆の手で目の上に庇をつくる。

 そちらを一瞬睨みつけたフゥマは、特に何を言うでもなく、他の連中の陰になってシェラから見えない位置にさりげなく移動した。

 ライラの傍らに歩み寄ったマグナは、船上の俺にちらりと視線を向けたような気がしたが、それだけだった。

「久し振りね、アイシャ」

「そだねぇ。一年は経ってないくらい?」

 マグナは小首を傾げて、困惑した口振りで続ける。

「さっきのは、そんな確かな話じゃないのよ? そういう疑いがあるってだけで」

 だから、こんな風に引っ張り出されても、正直困るんだけど、みたいなことを、おそらくマグナは呟いた。

「ただ、まぁ、そういう疑いがあるってこと自体が問題みたいでね。ほら、あたしの名前が悪い方に利用されてるんじゃないかとか、なんか色々言う人がいるのよ。ほんっと——」

 面倒臭いわ。

 という言葉を皆の前で飲み込める程度には、大人になったんですね、マグナさん。

「ちょっと前に、ジパングでも国主に魔物が化けてたことが知れ渡っちゃったもんだから、なおさらね——いちおう確認するけど、サマンオサの国王にそういう疑いがかけられてることなんて、アイシャは知らなかったのよね?」

「うん、知らなかったよー。初めて聞いた」

 口調はいたって普通だが、なにやら物凄く胡散臭い。

 確かコイツ、儲かりさえすれば魔物相手だろうと商売するみたいなことを前に言ってたしな。それが先入観になっているのかも知れないが、記憶力の良いマグナも、当然そのことは覚えているだろう。

「勇者様、騙されちゃダメです! 平気な顔して海賊を勇者様の町に引き込むような人間ですよ!? 魔物の件だって、承知の上だったに決まってます!」

「あ、酷いなぁ、ライラちゃん。アタシ、ホントニシラナカッタヨー」

「ほら! あの憎ったらしい言い方!!」

 ライラはアイシャを指差して地団駄を踏む。

「ふぅん、アレがヴァイスの先客ねぇ……」

 頬杖をつきながらマグナを見下ろし、そう呟いたのはグレースだった。

「やっちまいますか?」

 お前は黙ってろ、ダヴィ。

「そうだねぇ……」

 なにやら含みのある流し目を俺にくれる。

 ていうか、マグナとの関係なんて、俺は詳しく喋った覚えがないんだが。

 なんで、よくご存知みたいな雰囲気なんだ——まさか!?

 視線を落とすと、姫さんが勢いよく顔を背けた。

 くそ、やられた。多分、姫さんを海賊船に置いて、魔法の玉を作りにアリアハンに行ってた間だ。

 なにしろ、二ヶ月もあったからな。グレースともすっかり仲良くなってたし、特に口止めしてた訳でもねぇから、姫さんご所望の浮ついた話のひとつもすりゃ、口を滑らせもするわな、そりゃ。

 ただ、俺がマグナから離れた詳しい理由までは、まだ姫さんにも話してないままだから、大した内容は伝わってないと思うんだが。

「とにかく! アナタには牢屋に入ってもらいますからね、アイシャ!! どこにも逃げ場はないと知りなさい!!」

「えー、こんな横暴許していいのぉ、勇者様ぁ~?」

 ライラとアイシャのやり取りに、腰に手を当てたマグナは疲れたような声を出す。

「まぁ、形の上っていうか、疑いが晴れるまでだから。悪いけど、ちょっとだけ我慢してもらえる? 申し訳ないけど、他の人達も。牢屋とかじゃなくて、ちゃんとした建物を用意してあるから、そこで何日か過ごして欲しいってだけなのよ」

 なんだか、マグナらしくもなく歯切れが悪い——というか、このやり取り自体に、あんまり興味が無さそうだ。そういう意味では、マグナらしいか。

「ということで、皆さん、お願いします! アイシャ達を引っ立てちゃってください!!」

 勝ち誇って鼻息を荒くして、集まった町人に号令をかけるライラ。

 そう一筋縄にはいかないと思うけどな。

「なんだか、思ったよりツマンナイ女だねぇ」

 グレースは欄干から身を離して、不敵にマグナを見下ろした。

「お初にお目にかかります、勇者様! グレース商会のグレースと申します!」

 よく通る声が、行動しはじめていた人垣の注目を奪い動きを止める。

「この度は、数多くの魔物を退け遥かなる波濤を越えて、この町に富と利益を齎さんと商品を運んできた我々に対し、最上級のおもてなしを誠にありがとうございます!」

 えー、そういう嫌味、マグナはちゃんと理解しちゃうから止めてくれる?

——ちょっ、やめろ、べったりくっついて腕を絡めんな。

「ところで、勇者様! ウチの参謀殿は、元々は勇者様のお仲間だったと聞いてますが、その彼まで同様に罪人として罰するおつもりなんでしょうか!?」

「はぁ?」

 いきなり何を言い出すんだ、とばかりに、マグナは船上の俺達を睨め上げる。

 うわぁ、久し振りだと、超怖い。

 お前、前より迫力っていうか、貫禄がついてきたんじゃないか?

「その人に限らず、あなた達を罪人として罰するつもりなんてないって言ってるんだけど?」

 声音は苛ついているが、思ったよりも冷静な受け答えだ。

 でも、「その人」かー。

——と。

 マグナよりも余程鋭い目付きで、俺とグレースを睨む双眸に気付く。

 リィナだ。

 え、ちょっと、リィナさん? 殺意篭ってませんか、それ。

「フン、お偉いさんなんて、どこでも大して変わりゃしないねぇ。自分が頭ごなしにどれだけ失礼なことをほざいてるのか、ちぃとも気付きゃしない」

 ガラリと口調を変えて、グレースが挑発した。

 え、いや、ちょっと待てよ。

「別にあたしは、偉いつもりなんてないけど?」

「ハッ! ロマリアやポルトガなんて大国と繋がりがあって、世界をお救いになるご予定の勇者様が偉くなきゃ、この世でいったい誰が偉いってのさ」

「そんなの、あんたが勝手に思い込んでるだけでしょ。あたしは知らないわよ」

「なんだい、その他人事みたいな言い草は!? アタイみたいな下々とは、マトモに喋る気も起きないってかい!?」

「グレース、そこまで」

 腕に回されたグレースの手を解きながら制止する。

 まぁ、お前にもこれまで色々あったんだろうけどさ。

「あいつ、そういうんじゃねぇんだよ」

 お前、まるで別の誰かに文句言ってるみたいだぞ。

「だから、勘弁してやってくんねぇかな」

 おもねるように曖昧な笑みを向けたのが悪かったのか。

 キョトンとした表情が、見る間に顰められた。

「でも! だって——!」

 波止場のマグナを指差す。

「アイツ、ヴァイスを捨てたんでしょ!?」

 は!?

 いやいやいやいや!?

「違う違う! いきなり、なに言ってんだ!? なんでそうなるんだよ!? そんな風に言ったことねぇだろ!? マジで、ホント違うから!!」

 強いて言や逆だ、逆!

 姫さんからグレースに中途半端に話が伝わったせいで、妙な誤解が生まれてるだろ、これ!?

 みっともなく慌てふためく俺を、グレースはもう見ていなかった。

「ヴァイスは、アタイが会った中でもとびっきりの男さ! 勇者様、アンタが要らないってんなら、アタイがもらっちまうよ!」

 いや、だから、お前はもっと見聞を広めた方がいいって。

 ていうか、はじめっから喧嘩を吹っかける気満々だったろ。

 勘弁してくれ……。

「どうぞ。ご勝手に」

 マグナの返し自体は、予想通りだった。

 ただ、どうでも良さそうに口にするかと思いきや、その声音は予想よりも、やや硬かった。

——全く見込みが無い訳でもないのかな。

 けど、衝撃的な再会劇は一度経験すれば十分だからさ、今回はなるべくさり気なく、波風立てない形で合流できねぇかと目論んでたんだけどなぁ。

 いや、いくらなんでも、そいつは都合良すぎるか。

 アレを持ってきたくらいで、俺のしたことが帳消しになる筈もない。

「よく分かりませんが、とりあえず問題なさそうですね! それじゃ、皆さん! 引っ立てちゃってください!!」

 話についていけない困惑を振り払うように、ライラがざっくりとした指示を出した。

「おっとと。そうは問屋がおろさないっと」

 おどけた調子で、それを制止するアイシャ。

 またしても出鼻を挫かれて、ライラは憎々しげにアイシャを睨みつける。

「いい加減にしてよ!! 申し開きは許さないって言ってるでしょ!?」

「まぁまぁ、慌てない慌てない。慌てる乞食は儲けが少ないってね」

 マグナが何事か呟いたのが見えた。

 おそらく、「別に乞食になんてなりたくないっての」だ。

 懐かしいやり取りだな、これ。

「マグナ、アタシに頼んでたよねぇ? 南方大陸のどっかにオーブってのがあるらしいから、ついでに探しといてくれって」

「見つかったの?」

「うん、もちろん。しかも、探し当ててくれた人こそが、このグレース姐さん」

 グレースの瞼が、一瞬だけピクリと動いた。

 さも当然みたいな顔を保ちつつ、唇をほとんど動かさずに小声で背後に問いかける。

「ニコラス。なんのことだい」

 クラーケンとやり合った先日の航海では留守番組だった、比較的真面目そうな面構えをした男が答える。

「ああ、地下の倉庫に放り込んどいたガラクタん中にあった、なんか妙ちきりんな玉のことじゃないですかね。アイシャが随分ご執心だったんで」

「……覚えがないね」

 それでも、自信満々な顔を崩さない辺りは、さすがだな。

「あれって、魔王を斃して世界を救う為に必要な物なんよね? それを知って、グレース姐さんったら一生懸命探してくれたんだからー。ね、姐さん?」

「まぁね。ウチの商会にかかれば、オーブを見つけるくらいお茶の子さいさいってモンさ。お望みとあらば、なんだって調達してご覧にいれるよ。グレース商会、どうぞよろしく」

 形だけはうやうやしく一礼してみせる。

「こんなに有能な、しかもオーブを見つけてくれた功労者に対して、これはあんまりな仕打ちじゃないの~? ねぇ、勇者様?」

 この二人、まるで予め打ち合わせでもしてたみたいに息ピッタリだな。

 こりゃ、相手が悪いぜ、マグナ。

 そんな俺の心配をよそに、アイシャはさらに言葉を重ねる。

「しかも、それだけじゃないんよ。なんと、こちらのお兄さん!!」

 え、俺!?

「お兄さんも、マグナの役に立つようにって、オーブを見つけてきたんよ。ね、お兄さん?」

 手前ぇ、俺の切り札を勝手にバラすんじゃねぇよ。

 ちっ、そういや航海中に酒飲みながら、お互いこれまで何やってたかを語り合ってた時に匂わせちまったかも知んねぇ。だって、その時はアイシャがオーブのことを知ってるなんて、思いもしなかったんだよ。

 くそ、あんな漠然とした酒飲み話を、よく覚えてやがったな。

「ああ。やっぱり、あんただったの。ランシールのオーブを持ってったのは」

 マグナはさして意外な風もなく、あっさりと言ってのけた。

 どうやら、とっくに伝わっていたらしい。もう半年くらい前の話だもんな。

「ありゃ、こっちはお見通しだったか。でも、あんまりご無体を言うようだと、アタシらのオーブを持って、このままトンズラしちゃうよ~?」

「え、いや、ちょっと待て」

 なに勝手に決めてんだ。

 お前、いい加減にしろよ?

 だが、もはや誰も俺の制止など聞いちゃいねぇのだった。

「そうだねぇ。商品やらオーブやらを運んで来てやった礼がコレってんじゃ、アタイらとしても、大人しく捕まる気にゃなれないねぇ」

「ちょっと、なに勝手なこと言ってんですか! 見苦しいですよ、アイシャ!! いいから、大人しくお縄につきなさい!!」

 俺ほどじゃないが、ライラもあまり構ってもらえなくなりつつある。

 既に舞台の主役はマグナとアイシャ、それからグレースに移っているのだ。

 マグナの背後で町人達が再びざわつきはじめる。

 それでも、マグナがこの場を収めることに乗り気に見えないのは——多分だが、あいつにとって根本的なところで、オーブなんてどうでもいいと思っているからだろう。

 町の住人や自分の船の乗組員の手前、あまりあからさまな態度も取れないんだろうが、アイシャにオーブを持ち逃げすると脅された時も、「勝手にすれば」みたいに投げやりな雰囲気が見て取れた。

 つまり、周りの状況は確かに劇的に変化したのだろうが——マグナ自身は、マグナのままなのだ。

 それが良いか悪いかは、これから時間をかけて確かめていけばいい。

 許されるならば。

「……本気なの、アイシャ? オーブを持ってかれると、あたしとしても困るんだけど」

 シェラに何事かを耳打ちされて、渋々といった感じでマグナに問われたアイシャは、腕など組んで重々しく頷いてみせる。

「アタシとしても心苦しいんだけどさぁ、さすがにコレはあんまりだと思うんよね~。んだから、商品とオーブは、また別に取り決めて受け渡ししようよ。できれば、マグナ達だけで来て欲しいかな」

「ちょっ、ちょっとちょっと!! なに勝手に話進めてんです! ダメですよ、そんなの!!」

 ライラがきゃんきゃん吠えたてる。

 誰か、相手してやれよ。

「あい、分かった!」

 最前列で大きな声を発したのは、立派な白髭を顎に蓄えた老人だった。

 鳥の羽根で作られたと思しい派手な被り物を頭に乗せているので、実は最初から目立ってたんだ。

「このまま話しとっても、埒が明くまい! このように話が拗れた際に、すっぱりと白黒をつけられる、我らに古くから伝わる解決方法がある!!」

「いや、いま話が大体まとまりかけてたんよ——」

「解決方法がある!!」

 アイシャの言葉を遮って、爺さんは同じ言葉を繰り返した。

 ハァ、と小さくため息を吐いて、アイシャはボソッと俺達に告げる。

「あれが、マグナに町作りを依頼した、元首長のお爺さんだよん」

 ははぁ、なるほど。

 それじゃ、あんまり無碍にもできねぇな。

「で? どうするっていうのさ」

「決まっておる!」

 爺さんは、芝居がかって一拍置いてから大声で続ける。

「こういう時は、決闘じゃ!!」

「は?」

 決闘だと?

「互いに要求を出し合って、合意の上で決闘を行い、審判を戦いの神に委ねるのじゃ!! もちろん、これは神聖な勝負じゃからして、結果に一切の異論は許されぬ! 敗者は必ず勝者の要望を受け入れなくてはならぬのじゃ! どうじゃ、これほど分かりやすく公平な裁きもあるまい!!」

 いやぁ、分かりやすいけど、別に公平じゃないんじゃないですかね。

 だって、あっちにはリィナがいるし。

「伝統に則り、勝負は三対三の星取り戦とする! 双方、三人づつ戦士を出し合い、先に二勝した方が勝利者じゃ!」

 最初はまばらだった拍手と歓声が、次第に大きくなる。

 頼まれてもいないのにしゃしゃり出てきた爺さんの様子で確信したが、どうやらこの一連の流れは、町の連中からも見世物の一種みたいに受け取られているフシがある。

 出来たばっかの町じゃ、まだ娯楽も少ないだろうしな。催し事の類いに貪欲になる気持ちも分からないではない。

 そこに加えて、登場人物が世界的に有名になりつつある勇者様と、その勇者様がどっかから連れてきて町長に据えたと思ったら、すぐに外国に飛び出して次々と取り引き相手を町に送り込んだ得体の知れない少女ときてる。

 さらに、勇者の脇を固める二人の従者もそれぞれに人目を引くし、相手方には海賊の嫌疑をかけられた美女の船長まで揃っているのだ。

 そりゃ盛り上がるだろ。

 俺が赤の他人だったら、ニヤニヤしながら遠巻きに眺めていた自信がある。

「……面白い、いいでしょう! ご意見番の提案を採用しようじゃありませんか! こちらからの要求は、当然アイシャの身柄の引き渡し、およびオーブとその船の積荷全ての譲渡です!!」

 ライラが強気に宣言してのけたのも、勇者様御一行が自分の側に付いているという安心感からに違いない。

 自分達の方こそが正義だと——少なくとも、対外的にはそう受け取られる筈だと信じ込んだとしても、むべなるかな。

「ジョートって、確かふんだくるって意味っしたよね?」

「そうだっけかぁ?」

「そっすよ、マジで。オレ、カシコイんで、分かっちゃうんス。ってことは——うっわ。あのちびっ子、海賊相手に代金踏み倒す気ぃッスよ」

「おい、ダヴィ、バカ野郎。あんま大きい声で海賊とかホザくんじゃねぇよ」

「フン、いい度胸してるじゃないか」

 人の悪い笑みを浮かべながら、そんな会話を繰り広げるこちら側は、確かに悪役っぽい訳だが。

「え~……びっくりするくらい、こっちになんもメリットなーい……」

 ボソッと心底呆れ果てたように呟いたのは——アイシャ、だよな?

 普段と全く異なる、ひどく平坦な喋り方だった。

 はじめてコイツの素の声を聞いたのかも知れない。

「おっかしいな……ここまでおバカなコじゃなかった筈だけど……」

 とかなんとか、ブツブツとひとりごちる。

「どうするんだい、アイシャ?」

「……ごめんよ、姐さん。なんか、ヘンなことに巻き込んじゃって」

 気楽な調子で声をかけたグレースに、アイシャは珍しくショゲてみせた。

「よしなよ、らしくもない。アタイらは別に、何がどう転ぼうが構いやしないんだ。最終的に誰かが代金さえ払ってくれりゃ、後はどうでもいいからね」

「でも、あのちびっ子、踏み倒す気ィ満々みたいッスよ?」

「そんな舐めたこと、このアタイが許すと思うかい?」

 一瞬、物騒な笑みを浮かべたグレースは、フンと鼻を鳴らす。

「マァ、間違ってもそんなことにはならないさ。代金の踏み倒しなんて体裁の悪いこと、勇者様にさせる訳にゃいかない連中が、あっちにゃたんまり揃ってるだろうからね」

 つまり、最悪でも誰かしらが肩代わりするから、取りっぱぐれの心配は無いと踏んでる訳か。

 確かに、ロラン辺りなら喜んで代わりに支払いそうだ。

「だから、ここはアイシャの判断に任せるよ。やりたいようにするんだね」

「って言われても、メリットなさすぎてさ」

「そう? 面白そうじゃないか。アタイも参加していいんだろ? 是非、あの女とやってみたいねぇ」

 グレースの視線の先には——気のない顔をしたマグナがいた。

「この期に及んでも、まーだ澄ました顔しちゃってさ。ヴァイスだって、久し振りに会ったんだろう?」

「え? あ、ああ、まぁ、半年ちょい振りくらいかな」

「なのに、全然アンタを見ようともしないじゃないか。普通はもうちょっと、なんかあるモンじゃないのかい?」

「いや、ちゃんと説明してなかったけど——」

 することでもねぇけど。

「悪いのは、一方的に俺の方なんだよ。だから、仕方ねぇって言うか、あれでも予想より随分マシっていうか——」

「一方的に悪いだなんて、人と人との関係で、そんなことがあるもんかい」

 どうやらグレースは、怒っているらしかった。

 それも、かなり。

「気に喰わないねぇ……勇者様! アンタの相手は、是非ともアタイに務めさせていただきたいねぇ!!」

 止める暇もあらばこそ、グレースはマグナに向かって大声で宣言した。

 集まった町人にざわめきが広がる。

 お前、アイシャの判断に任せるって言った舌の根も乾かない内に。

 それに、さすがに真っ当な腕競べなら、お前じゃマグナには勝てないぞ。

「いや、だから、あいつはお前に怒られるようなことは、何もしてないんだって。嫌われても仕方ない迷惑をかけたのは俺の方なんだよ、マジで」

「知らないねぇ。アタイはアンタの口から、何も聞かせてもらっちゃいないからね。ただ単に、あの女のナメた態度が気に喰わないってだけのハナシさ」

「ありゃりゃ、姐さん、勘弁してよん。やるしかない雰囲気になっちゃったじゃないさぁ」

 言葉とは裏腹に、アイシャの声音には、どこかほっとした気配が含まれていた。

 商談と違って、あまりに益も利も無さすぎて、動けずにいたところに出された助け舟ってところか。

「分かったよん。こっちが勝ったら、商品の代金に迷惑料として一割上乗せしてくれれば、それでいいや。もちろん、ライラちゃんの私財——は、まだ大して無いだろうから、借金でね」

「なっ!?」

「あと、オーブは言ってたより高値で買い取って欲しいかな。いいよね、マグナ?」

「……構わないわ」

 続くマグナの呟きは、おそらく「どうせ払うの私じゃないし」だ。

「それから、アタシ達が勝ったら、ライラちゃんはお仕置きね?」

 ニッコリ。

 とってもいい笑顔で——ただし、ひどく作り物めいた——アイシャはライラに微笑みかけた。

「ヒッ——」

 気圧されるかに見えたライラは、健気にも踏みとどまる。

「じょ、上等じゃないですか! では、これで決まりですね!! 誰を出すか決める時間も必要ですから、決闘は明日の正午からとします!!——で、いいですよね?」

 マグナと爺さんの方をうかがう町長代理。

「いいじゃろう」

「……同じく」

 了承を得て気が大きくなったのか、ライラはさらに言葉を続ける。

「それにしても、アイシャ!! アナタらしくもなく、馬鹿な選択をしましたね!! こちらには勇者様がついているんですよ!? 勝てるとでも思ってんですか!?」

 そうなんだよな。

 向こうにゃリィナがいるからな。

 こっちにもフゥマがいるが、これまでの戦績を考えると分が悪いと言わざるを得ない。

 ただ、どっちも前にやりあった時とは大きく実力が変化している。フゥマの方がより伸びていることに賭けるしかねぇか。

 というか——

 おそらく勝敗は、そこまで重要じゃないのだ。この決闘の要点は、もっと別のところにあるように思う。

 いや、もちろん勝った方が色々と丸く収まりそうだから望ましくはあるんだけどさ、グレースが看破したように、どちらにしろ積荷の代金を取りっぱぐれる心配は無いだろうし。

 万が一、力づくで来られたところで、こっちは海に逃げりゃいいだけだから、町の連中は勘定に入れる必要すらない。

 追ってくるとすれば勇者様の船だけということになるが、マグナが無体なことをするとも思わないし、まともな話し合いが期待できる分、却って都合がいいくらいだ。

 決闘という分かりやすく派手な切り口を与えられはしたものの、一皮剥けばこれは政争と呼ばれるべき何かである筈なんだが——全然、そんな感じしねぇけど——それにしては間が抜けすぎている。

 それが即ちライラの間抜けっぷりを体現していると見るべきなんだろうが、本気で町長の座を乗っ取るつもりなら、もっと他にやりようがいくらでもあるだろうよ。

 なんというか、酷くチグハグなのだ。全体を通じた印象が。

 これじゃ、まるで——

 まぁ、マグナが町に着いたのも最近だろうから、もたらされた情報を使って今回の下克上を思い付いたはいいものの、細部を詰める余裕が無かったというだけのオチかも知れないが。

「リィナ?」

 怪訝な声が聞こえて下を覗くと、リィナが何歩かこちらに歩み寄っているのが見えた。

 マグナの声は、その背中にかけられたのだ。

「ごめん、マグナ……やっぱり、このままじゃダメみたい」

「なにが? なんのことよ!?」

 それまでと違い、マグナの声音に、今日はじめて色がついた気がした。

「……決闘するなら、ちょうどいいよ。ボクは、向こうにつくから」

 だが、まるでマグナの声が聞こえなかったように駆け出したリィナは、波止場の端まで走り寄ると、なんともやい綱を駆け上がる。

 下で誰かが喚いていた。見覚えのある服装からして、ダーマの人間っぽいな。

 途中から舷側の壁を蹴り、あっという間に上まで登り切ったリィナは、船縁の欄干を軽々と飛び越えて、呆気に取られる俺達の前に音もなく降り立った。

「え、どういうことだい、これ?」

 グレースが、誰にともなく問いかける。

 そのグレースを、そして、その先にいる俺を、リィナは物凄い目つきで睨みつけた。

「……なんかアタイ、すんごい睨まれてるんだけど」

 さすがに、グレースの笑みも引きつっていた。

 さもありなん。だって、これ、明らかに殺気じゃないですか、リィナさん。

「うひゃー、なんスか今の!? 見ました、ホセさん!? あんな綱の上ェ走りましたよ、そのコ!? なになに、アンタ、軽業師かなんか?」

 ダヴィの鈍さが凄い。

 お前、よくこの殺気に無頓着でいられるな?

 気安くリィナの肩に手を置こうとして、空を掻く。

「ボクに触るな」

 くるりと回ってダヴィの手を避けたリィナの右脚が跳ね上がる。

 鋭く肉を打つ音を立てて、リィナの蹴りは逞しい腕に受け止められていた。

「……別に止めなくても、当てる気なかったけど」

「知ってるよ」

 不服そうなリィナに応じたのは、フゥマだった。

「とっと……え、なになに? 何が起こったの、いま?」

 フゥマに軽く背中を押されて事なきを得たダヴィの肩を、ペドロがポンポンと叩く。

「なんか知んねぇけど、姐さんはこっちにつくのかよ。じゃあ、オレ様は向こうだな」

 フゥマはそう言い残して、船縁に向かって歩き出す。

「お主——」

 思わずといった感じでかけられた姫さんの呼びかけに、肩を竦める。

「そりゃそうっしょ。オレ様と姐さんが同じ方にいたんじゃ、やる前から勝負が決まっちゃうじゃんか。そんなン、つまんねーよ」

 フン、と文句を言うように鼻を鳴らす。

「それに、なんだか良く分かんねー連中の都合で、シェラさんの敵にもなりたかねぇしよ。そだ、姫さんも来るか?」

 寸時、エミリーは言葉に詰まった。

「いや、わらわは元よりどちらにつく気もない。決闘など、わらわは嫌いじゃからな」

「そっか。まぁ、姫さんはそう言うよな。ほんじゃな」

 そこら辺の階段を下りるくらいの気軽さで、船縁から飛び降りる。

 何度か、壁を擦るような音が聞こえた。

「ちょ、ちょっと!?」

 展開に置いていかれて珍しく慌てた様子のグレースの手が、虚しく宙に差し伸べられる。

 身を乗り出して波止場を見下ろすと、何事も無かったように着地したフゥマが、シェラに向かって何事かを語りかけているのが見えた。

「えぇ……この高さから飛び降りて、なんでケロッとしてるんだい——ってか、なんの因縁だか知らないけど、あのコが敵に回るのは流石にマズいよ、ヴァイス!」

「いや、戦力的にはほとんど変わってねぇよ。なにしろ、そこのリィナは、フゥマに何回か勝ってるからな」

「……は?」

 これには、海賊達も呆気にとられてリィナをマジマジと見詰める。

 連中にとっちゃ、フゥマは大海妖クラーケンにとどめを刺した英雄だからな。

 普通ならとても信じられないだろうが、さっきの綱渡りの妙技が効いているのか、無下に否定もできないといった顔つきだ。

「っても、ホントにこっちについてくれんのかい? 勇者様の従者なんだろう? それに、さっきからアタイ、なんだかずっと睨まれてるんだけど……」

 グレースの怯えた様子にようやく気付いたみたいに、ダダ漏れだったリィナの殺気が少しだけ和らいだ。

「心配しなくても、ちゃんと本気で戦うよ。もういい加減に決着つけないと……」

「そ、そうかい?——ちょっと、ヴァイス。アンタ、ホントに仲間だったんだろうね?」

「ああ、うん、俺の記憶だと、その筈なんだけど……」

「なにさ、アンタまた、そんな頼りないこと言って」

 ヒソヒソ話をする俺とグレースを睨みつけるリィナの視線が、再び険しさを増した。

「なら、その——リィナさん? にも出てもらうとして、あと一人はどうしようかねぇ」

「私にも、協力させてください」

 予想外の方向から声が聞こえて、その場の全員が一斉にそちらを向いた。

 短めの髪を頭頂部でまとめた少女が、いつの間にやら甲板の端っこに立っていた。

「あの町の人間で、ココと言います。いくらなんでも、今回のライラさんのやり方はヒドいと思います。自分達の町の問題でもありますし、微力ながら私にもお手伝いさせてください」

 とか、涼しい顔で言ってるけどさ。

 あんた、どうやってここまで登って来たの。

「お頭——」

 ペドロが何事かをグレースに耳打ちした。

 わずかに漏れ聞こえた内容を信じるならば、リィナに皆の注目が集まっている隙をついて、この少女も舫い綱を駆け上がってきたらしい。

 いや、そんな馬鹿な。

「ふぅん……マァ、話は分かった。考えとくよ」

「よろしくお願いします!」

 ココと名乗った少女は、元気よく応じてお辞儀をした。

 それに軽く手を上げて、不敵に微笑んだグレースは、波止場に向かって声をかける。

「誰が出るかは、明日の正午までに決めればいいんだね!?」

「そうです! それまで、船から降りることは許しませんから!! いいですね!?」

 ライラが釘を刺すと、海賊達は落胆の声をあげたが、話の流れからいって仕方ないだろう。

 つか、なんだ、これ。なにがどうしてこうなった?

 くいくいっと、いつものように袖を引かれて下を向く。

「なんだか、妙なことになったの」

「ホントにな」

 姫さんの言葉に、深く頷く。

 俺はただ、なるべく穏便にマグナ達と合流したかっただけなんだが。

 本番はその後だと思ってたのに、マジで参ったな。

5.

 そして、話は冒頭に繋がる。

 明日の決闘まで上陸を禁止されてしまった俺達は、誰が出るかを決めてしまうと他にすることもなく、その後は思い思いに過ごすことになった。

 ようやくおかで羽を伸ばせると待ち侘びていた海賊達は不満たらたらだったが、決闘なんて流れに話を持っていく片棒を担いだのは、お前らの船長だからな。

 ちなみに、こっちの面子は当然リィナとグレース、そして例のココと名乗った町の少女だ。

「えー、こっちから出すの、全員女じゃないッスか。マジ、ヤバくないスか?」

 ダヴィが口にした通り、思うところがないではないが、仮に俺が出場したところで、無条件に星をひとつ献上するのが関の山だしな。

 言葉とは裏腹に全く悪びれた様子のないダヴィを筆頭に、海賊一同はこの茶番けっとうを面白そうな見世物くらいにしか思っていないので、誰も異論を挟まなかった。

 物事の判断を、グレースに丸投げしているとも言えるが。

 ということで、既にすっかり慣れ親しんだ船室で、なるべく事態を穏便に収拾すべく善後策を姫さんと検討していたら、夜中に遠慮がちなノックが聞こえたのだ。

 顔を見合わせて、首を捻る俺と姫さん。

 船の連中なら、がなり声をあげながらもっと建て付けが心配になるほど強く扉を叩くか、そもそもノックなんぞしないで入ってこようとする筈だ。

「誰だ?」

 問いかけてしばらく待っても、返事が無かった。

「こんな夜更けに、何奴じゃ?」

「さてな……しょうがねぇな」

 のそのそとベッドから下りて、内鍵を外して扉を開ける。

「誰だよ。返事くらい——お、おぉ」

 果たして扉の隙間から覗いたのは、久し振りに間近で目にするリィナの顔だった。

 俺は、ちょっと意表を突かれる。

 だって、さっきあれから何回か挨拶したり話しかけたりしたんだが、じろっと睨み返されるばっかりで、全然会話にならなかったんだぜ?

 ニコラスにつれられてリィナが船室に案内された後は——多分、フゥマの船室をそのまま充てがわれたんだと思う——それっきりになっちまったけど、まさか向こうから訪ねてくるとは思わなかった。

 表情が沈みがちに映るのは、きっと廊下が暗いせいだよな?

「どうした? なんか用事か?」

「……用事がないと、来ちゃダメなの?」

「え?——いや、違う、そういう意味じゃない」

 またしても、言葉選びを間違ったらしい。

 前回別れてから、全く成長してねぇな、俺。

「てか、どうしたんだよ、お前」

 だが、ようやく話せて、疑問が口をついて出るのを止められない。

「……なにが?」

「いや、だってさ。なんで、こっちに付こうなんて考えたんだよ」

 流石に、リィナの行動の意味が分からな過ぎる。

「マグナの従者として魔王を斃すことだけ考えてればいいって言ってた癖に、側を離れていいのかよ?」

 俺は多分、以前一緒に旅していた頃の感覚を、いまだに引き摺っていた。

「マグナは、ちゃんと分かってんのか? 考えてること、きちんと伝え合ってるんだろうな? お前ら、案外すぐ喧嘩するから心配だよ」

 だから、接し方も、その頃のままだったのだ。

「っていうかさ、俺もマグナと話したいから、できたら間を——」

「マグナ、マグナって、うるさいなぁ!」

 だって、俺の中でのこいつらは、その頃で止まってるんだもんよ。

 仕方ねぇだろうが。

「あ、ああ——ごめん」

「……別に、いいけど」

 ここでようやく、俺はリィナに対する態度を改める必要性に思い至るのだった。

 後になって考えると、我ながら遅いとは思うんだけどさ。おそらく、リィナに戦闘から何から色々な面で頼っていた時期の感覚が抜け切っていなかったのだ。

 こいつだって、悩みを抱えるひとりの人間でしかないって、知ってた筈なのにな。

「あのさ!」

 リィナが急に大きな声を出して、俺は物思いに耽りかけた思考を引き戻される。

「ちょっと……話せないかな」

「え?」

「だから……!」

 リィナは俺を見上げて、すぐに視線を外し、またそろそろと目だけ向ける。

 喉の奥で何度か言葉を押し潰し、口の中で「なんの為に来たのさ」と呟く。

 そして、意を決したように口を開いた。

「ちょっと、二人で話したいんだよ」

「別に、構わねぇけど」

「……ボクの部屋でいい?」

「……いいけど」

 んん?

 なんだ、この雰囲気。

「じゃあ……」

 ついてこいと促すように、視線を遅らせて踵を返し、リィナは暗い廊下の先へと進む。

「ちょっと、話してくるわ」

「うむ。そうするがよい」

 姫さんに声をかけると、あくびを噛み殺しながら返された。

 あら、リィナが相手なら、さすがに「また女子おなご絡みか」とか呆れないのね。

 姫さんに眠かったら先に寝るように言い置いて、リィナの部屋に移動した俺を待ち受けていたのは、気詰まりのする沈黙だった。

 で、しばらくだんまり決め込んでいたリィナに、用件はなんなのかと幾度か水を向けると、いきなり冒頭のセリフを口にされたのだ。

「——マジで、良く分かんねぇな。一体、何が言いたくて、俺を呼び出したんだ?」

「……ボクだって、よく分かんないよ」

 いや、そんなスネた顔をされましてもね。

 お前が分からないんじゃ、俺はもっと分からねぇよ。

 って、これじゃ堂々巡りだな。

 さっき思った通り、俺自身に意識改革が必要だ。

 リィナは放っておいても心配ないからとか、そういう甘えを捨て去って、シェラと相対する時のように——マグナと接する時のように。

 軽く深呼吸をしてから、続ける。

「よし。なら、ひとつづつ分かっていこう。リィナがいま一番引っかかってることって、なんなんだ?」

「……分かんない」

 ちょっと質問の括りが大き過ぎたか。

「何か、向こうで気に喰わないことでもあるのか?」

「別に。無いけど」

「ホントかぁ~? さっきも言ったけど、お前ら案外すーぐ喧嘩すっからなぁ」

「してないよ。喧嘩になんてなりっこないじゃん。マグナなんて、全然なんにも分かってないんだから」

 おや?

「分かってないって、なにがだ?」

「知らない。そんなこと言ってない」

 えぇ……。

「まぁ、なんか知らんけど、いまの立ち位置に不満があるなら、ちゃんと伝えた方がいいと思うぞ。言わなきゃ分かんねぇことだってあるんだからさ。マグナにしても、そっちの方が助かると——」

「違うよ!! ボクがムカついてるのは、マグナじゃなくてヴァイスくんなの!!」

 え、なんで俺?

 だって、お前らとは結構ずっと離れてたじゃねぇか。怒らせようにも、なんもできない——いや、したか。充分以上に。

「……やっぱり、許してはもらえないか」

「——え?」

「信じてもらえないだろうけど、俺だって許してもらおうと思ってる訳じゃないんだ。許される訳がないからな。ただ、それでも、やっぱりお前らの力になりたくて——」

 くそ、急過ぎて、なかなか上手く言葉にならねぇな。

「都合がいいのも分かってるんだ。でも——」

「え、ちょっと待って待って。もしかしてヴァイスくん、マグナを置いてっちゃった時の話してる?」

「……あぁ」

「違う違う——いや、違わないけど、でも、ボクがいま言ってるのは、そのことじゃなくて、だって前も言ったけど、いつか戻ってくるって思ってたし……マグナ、にも、そう言ったんでしょ?」

『必ず、見つけ出してみせる。お前が、世界のどこにいても』

 恥ずかしいセリフを思い出して、顔面が熱くなる。

 ちぇっ、思い描いてたより、相当締まらねぇ再会になりそうだな。

 ていうか、俺、まだマグナとまともに喋ってねぇんだけど。

 なんで、こんな状況になっちまったんだか——いや、いまはリィナのことだ。

「だったら、何をムカついてんだよ?」

「……分かんない」

 また、ソレかよ。

「いやさ、少しは言葉にする努力をしてくれないと、俺はお前じゃないんだから、何も分からないだろ?」

「だから! 自分でも分かんないんだってば!!」

 反抗期の娘と父親みたいな気分になってきた。

 だが、それまでと違って、リィナは両手で顔を覆い、絞り出すように言葉を続ける。

「ずっと……ずっとね、考えちゃうんだよ。ヴァイスくんに言われたこととか、ずっと前に触られたこととか……」

 んん?

「考えないようにしてるのに……前は、ちょっと体を動かせば、すぐ忘れちゃえたのに……最近、ダメなんだよ。ホントに苦しいんだよ……もう、ヘンになりそう……」

 俯くリィナの声が囁くように小さくなったからだろうか。

 潮騒の音が鼓膜に甦る。

「ヴァイスくんなんて、嫌いなのに……もぅ、ボクの邪魔しないでよ……こんなんじゃ、いつまで経っても追いつけないよ……」

「リィナ……」

 声が掠れて、上手く出なかった。

 思わず踏み出しかけた足が、顔を上げたリィナの怒気を孕んだ視線に押しとどめられる。

「なんで……ボクには、全然優しくないの?」

 潤んだ瞳で言われて、短く吸い込んだ息が小さく喉を鳴らした。

「そんなこと……ねぇだろ」

「あるもん。ボクだけ扱いがぞんざいだもん。シェラちゃんとかマグナの相談には、すごい親身になって一緒に考える癖にさ、ボクのことは、いっつもほったらかしだもん」

「いや、それは……」

 なんだよ、マジでそんなこと考えてたのか?

 ていうか、なんなんだよ、この会話——いや、いまはとにかく、こいつとちゃんと向き合わねぇとだな。

「それは、俺がリィナを頼りにしてるからだよ」

「……」

 そんな風に見えていたなら、理由はそれくらいしか思いつかない。

 考え考え、俺は言葉を紡ぐ——本音を語ることにほとんど抵抗を感じないってのが、そもそも信頼してる証拠だと思うんだよな。

「だから、つい甘えちまうんだろうな……お前は——放っておいてもって言ったら聞こえが悪いけどさ。歳も一番近いし、俺が出来ないようなことまで、いつもあっさりやってのけちまうだろ。だから、なんでも自分でどうにかするヤツだって、そういう思い込みが強過ぎたみたいだ」

「……」

「ごめんな。お前がそんな風に考えてるなんて、思ってもみなかったんだ」

「……そっか」

 リィナは、俯いていた。

 だから、表情は見えない。

「悪かったよ。これからは、気をつける」

「うん……まぁ、頼ってくれるのは、別にいいんだけどさ……」

 ただ、さっきまでと声音が変わっていて——これは、少しは落ち着いたのかな?

「なんか、まだちょっと納得いかないけど……その、久し振り。ヴァイスくん」

「は?」

 急にどうした。

 俺の呆気に取られた顔に照れたみたいに、リィナは言い訳を口にする。

「だって、そういえば、ちゃんと挨拶もしてなかったなって……だから、久し振り。もー、笑わないでよ」

 いや、流石に笑うだろ。

 バツが悪そうに体を揺らすリィナに、俺も挨拶を返す。

「ああ、久し振りだな。元気だったか?」

「……ほんっと、ヴァイスくんて、ボクには気を遣わないよね」

 え?

「いや、ごめん。また気の利かないことを言っちまったか?」

「もう、いい」

「ごめんて。悪かったよ」

「ううん、違くて。分かったから、いまはもういいや」

 俺は全然分かりませんが。

「そうなのか?」

「うん。その代わり、ボクが勝ったら——マグナ達に決闘で勝ったら、もう一度話を聞いてくれる?」

「そんな約束しなくても、話くらいいくらでも聞くけど」

「ううん。ダメ。勝ってから」

 そうなの?

「分かった。約束するよ」

「うん。じゃあ、指切り」

 そして、指切りを済ませると、「よし。じゃあ、頑張って勝たないとだね!」と嬉しそうに告げて、「もう、いまは話は終わったから」と、リィナは急に俺を部屋から追い出したのだった。

 えー、ホントにどうしちゃったの、このコ。

 遅くきた反抗期かしら。

6.

 自分の部屋に戻ると、姫さんに寄り添ってベッドに横になったグレースが、小さな体を優しく叩いて寝かしつけていた。

 いつの間に来てたんだ。なんか知らんが、千客万来だな。

「ああ、お帰り。ついさっきまで、エミリーも起きて待ってたんだけどね」

「寝ちまったか」

 あまり意味の無い返しをする俺。

「で、どうだったのさ」

 興味本位丸出しの顔つきで、グレースが聞いてきた。

「どうって、なにが?」

「トボけないでよ。アンタのお相手は勇者様だって聞いてたのにさ、どうやらあっちのコともただならぬ関係みたいじゃないか。どっちにも手ぇ出してたのかい?」

「いや、出してねぇ」

「アンタさ、四人やそこらの仲間内で何人も手ぇ出してちゃ、そりゃ上手くいきっこないよ。それでバツが悪くなって飛び出したって訳だ?」

「だから、俺は誰にも手なんか出してねぇって!」

 つい、声が大きくなった。

「んん……」

 姫さんが、もぞりと寝返りを打った。

「……悪ぃ」

「いや、こっちこそ……向こうで少し話さないかい? 酒でも飲みながらさ」

「……そうだな」

 苦笑を浮かべながらのグレースの提案に、俺は頷いた。

 実際、ちょっと飲みたい気分だったしな。

 灯りの乏しい廊下を再び抜けて、船長室に移動する。

「——マッタク、妙なことになっちまったねぇ」

 ワインを注いだグラスをソファに座った俺に手渡しながら、グレースはそんなことを口にした。

「ホントにな。っていうか、今日のアレは、明らかにお前が原因の一端じゃねぇか」

 軽くワインを含んだ俺を、グレースはグラスを片手に満足げに観察しているように見えた。

 さすがに、もう何も入ってないと思うが。

「勝手に話を進めちゃったのは、悪かったと思ってるよ」

 いつものように、子分達の前とは少し口調が変わっている。

「それに、まるで別の誰かに文句を言ってるみたいに見えたぞ? なんか、お偉いさんに恨みでもあんのかよ」

「そりゃあるさ! アタイら、海賊だよ!? 体制側の人間にゃ、恨み骨髄に決まってるじゃないか」

 えー、そんな一般的な話なの?

「だったら、マグナは多分、その範疇には入らねぇよ。そこらの庶民と大して変わらねぇし」

「……最近聞こえはじめた噂からは、とてもそうは思えないけどね」

「噂なんて、当てにならないモンだろ」

「そりゃそうだけど」

「ちなみに、どんな噂なんだ?」

「いや、アタイが知ってんのは、通り一辺倒のヤツだよ」

 と前置きしてから、グレースは指折り数えて噂の内容を語り始める。

「いわく、アリアハン、ロマリア、イシスにポルトガ、いまの世界を代表する主要な国家の王族が揃って後ろ盾についてるだとか——」

 まぁ、嘘じゃねぇな。

「それどころか、神の遣わしたる聖なる使徒だって教会からも認められた、とかさ」

 ああ、畜生。さては一枚噛むと決めたら、自分達の方から喧伝してやがるな、教会の連中め。

「しかも、年若いのに確かな実力を備えてて、お伴と二人でイシスの武闘大会の優勝、準優勝をかっさらっただとか、手強い盗賊から王家の秘宝を取り戻したとか、東方の島国を魔王級に強力な魔物から解放しただとか」

 そんなことまで伝わってんのか。

「あの方こそが世界を救ってくださるんだって、みんな噂しはじめてるよ」

 改めて他人から聞かされると、まるでホントに非の打ち所のない勇者様みたいだな。

「あとは、嘘かホントか知らないけど、エルフに呪われた村を救ったなんて話もあったね——ああ! もしかして、エミリーとはその時に出逢ったのかい?」

「……まぁな」

「へぇ~……え?」

 グレースは自分の言葉に仰天して、しばらく硬直した。

「——てことは、いままで噂なんて話半分に聞いてたけど、いまアタイが言ったのって、まさか全部ホントのコトなんじゃないだろうね?」

「……少なくとも、元になる事実は大体あるな」

 てか、ヤベェ。

 思い当たっちまった。

 いま聞かされたような御大層な噂の出処は、まさか俺じゃねぇだろうな。

 なにしろ、憶測や伝聞が元にしては、内容が正確過ぎる。

 ダーマでヴァイエルに再会した時に、旅の途中の出来事を洗いざらい喋っちまったからな。

 ヴァイエルが意図的に漏らしたとは全く思わないが——信頼してる訳じゃなく、あいつにとってそんなどうでもいいことを、天地がひっくり返ったって野郎が触れ回る筈がないからだ——国やら教会やらに上げられた報告が、幾人かを口の端を介して噂として広まった可能性は否定できない。

 けど、別れた後のジパングでの件まで含まれてるし、俺の考え過ぎ——だよな?

「ハァ~……ホントに大した勇者様だったんだねぇ。とてもそんな風には見えなかったけど」

 グレースは不服そうに感嘆する、という器用な真似をやってのけた。

「で、アンタはそのご立派な勇者様御一行の一員だった訳だ」

「いや、だから、そんな大層なモンじゃねぇんだって、俺達」

「また、そんなこと言って。ヴァイスの自己評価は、さっぱりアテにならないからね~」

 ワイン片手に立ったまま、からかう目つきでソファの俺を見下ろす。

「でも、今回だけは同意してやりたい気分だよ。なんだか、ツマンナイ女に見えたんだけどねぇ」

「そう言ってやるなって。あれで、あいつも色々と大変なんだよ」

「ずっと側で見守ってきた俺には、良く分かるってかい?」

「……そんな風に聞こえちまうか?」

 グレースは、小さくため息を吐いた。

「そんなに向こうの肩ばっか持たないでよ。あんな女のせいでヴァイスがアタイになびかないって思ったら、ついね」

「いや、まぁ、そういうんじゃねぇけど。っていうか、そういうんじゃねぇだろ?」

 グレースは、ワインを口に含んだまま吹き出しかけた。

 ややせながら、テーブルにグラスを置いて、ようよう口を開く。

「なんだい、ソレ。全然意味分かんない」

 喉の奥でしばらく笑う。

「いや、だってさ——」

「そういうのじゃないだなんて、失礼だね。せっかく手に入れた参謀を手放したくないってのは、アタイの本心だよ」

 ソファーの隣りに腰をおろし、体を密着させてくる。

「そりゃ光栄だね」

「だろう?」

 にんまりと笑う。

 なんか——すげぇ話しやすいな。

 いや、誰と比べてってんじゃないけど。

「あのさ……ちょっと、相談していいか?」

「珍しいね、アンタがアタイにそんなこと言うなんて。なにさ、話してご覧よ」

「うん。あのさ——」

 口を開こうとして、自分が何を言おうとしているのか全然分からないことに気付く。

 仕方ないから、それをそのまま口にする。

「なんか——上手く、頭が働かねぇんだよな」

「うん?」

「最近、いろんなことが分かってきたつもりになって、あいつらとの関係も前より上手くできるんじゃないかって期待してたけど……どうも、勘違いだったみたいだ」

「ふぅん?」

 グレースは、さして気の無い口振りで続ける。

「さっき、あのリィナってコと会ってきた話かい?」

「ああ。ここんとこ、割りと頭がスッキリしてて、結構いい感じだったんだけどさ。あいつらのことを考えはじめると、途端に頭の回転が鈍っちまって、どうすりゃいいのかさっぱり分からなくなっちまうんだ。なんか、自分にガッカリしてるよ」

 かなり情けないこと言ってるな、俺。

「や、それは——」

 何かを言いかけて口籠ったグレースは、真面目ぶって俺を見つめた後、ポツリと呟いた。

「……向いてないんじゃないのかい?」

「へ?」

「アタイの見るところ、アンタには勇者様のお供なんかより、他にやるべきことがあるように思えるけどね」

「……海賊船の参謀とかか?」

「アハハ、そうだね。だったらいいけど、ま、無理強いするつもりは、アタイにゃ無いさ」

 グレースは肩をすくめる。

「……そっか。やっぱ、そうだよな。いや、知ってたけどさ。はたから見ても、俺って勇者様御一行には似合わねぇんだな」

「違うよ。そうじゃなくて、アンタだよ」

「は?」

「アタイがアンタに言われたセリフじゃないけどさ——アンタこそ、本当に勇者様と一緒に魔王を斃したいだなんて思ってんのかい? そんなのが、アンタ自身のしたいことだって、本気で思ってる?」

「……分かんね」

 短い言葉しか出てこない。

 これじゃ、まるでさっきのリィナだ。

「いや、違うんだ。分かってる。俺がしたいのは、魔王退治とか、そんなことじゃない。ただ、あいつの側に——居たいんだと思う」

 自分の思いを再確認するように。

「あいつの力になってやりたい。あいつらのことを支えてやりたい。ただ、それだけなんだ」

 ポツリポツリと言葉を漏らすと、グレースは豊かな毛髪に手を差し入れて頭を掻いた。

「こりゃ、エミリーの言ってた通りだね」

「何が?」

「いや、こっちの話だよ——分かった分かった。マッタク、あのコ達は、アンタにとってよっぽど特別なんだねぇ。良くも悪くも」

「そう、なるのかな」

「そうだよ。ったく、いつもと全然違うじゃないか。こんなザマを見せられたんじゃ、千年の恋も醒めちまうよ」

 俺から身を離してテーブルのグラスを摘み、ソファーに背中を預けてワインを煽る。

「それで? 王子様——って感じでもないね。お兄ちゃんとしちゃ、どっちが勝った方が都合が良いんだい?」

「昔、同じようなことを、別のヤツにも言われたな。やっぱり、お兄ちゃんみたいに見えちまうか?」

「ドコに引っかかってんだい。そんなことないから、安心しなよ」

「そんな呆れたみたいに言わないでくれよ」

「いいや、呆れるね。マッタク、こんなに情けない男だったなんて、ちぃとも気付かなかったよ」

「……だから、何回も言ったじゃん。俺なんて、全然大したことないって」

 グレースは苦笑した。

「冗談だよ。アンタは大した男さ。アタイが保証するよ。だから、もっと胸を張るんだね」

 え、なにこの人、カッコいいんだけど。

 思わず感じ入ったように溜息を吐くと、グレースは苦笑いを浮かべたまま小首を傾げる。

「なにさ?」

「いや、グレースって、ホントいい女だったんだなって」

「ハァ? なにをいまさら——都合の良い女ってかい?」

「違う違う、そういうんじゃなくて——なんか、ちゃんとしてんなぁ、って思って」

「なんだい、ソレ?」

 とうとう、声に出して笑われた。

「そりゃいいや。海賊稼業の女をつかまえて、言うに事欠いて『ちゃんとしてる』か。そいつは傑作だね」

 アハハハハ、と笑い続ける。

「そんな笑うなよ。マジで、そう思ったんだよ」

 ちぇっ。せっかく褒めてんだから、素直に受け取りゃいいのによ——人のこと言えねぇけど。

 ソファの背もたれで頬杖をついて、しばらく俺をほろ酔い混じりのトロンとした目つきで眺めていたグレースは、やがてフンと鼻を鳴らした。

「アンタの、必要以上に自分を低く見るそのクセは、一体いつから身に付いたモンなのかねぇ」

「え。俺って、そんな風に見えんのか?」

「コレだもんね……自分のやったことが成功した、報われたって体験に乏しいんだろうね。そんな思いしかさせてやれないなんて、ますます渡したくなくなってきたよ」

 ハッ、と短く息を吐く。

「アタイと来りゃ、やること成すこと報われる、充実した人生を一緒に過ごせるってのにさ」

「いや、そんなに上手くいくか?」

 性懲りも無く訝る俺に、グレースは真顔で返す。

「違う、いかせるんだよ」

 あらまぁ、カッコいい。

 惚れちまうね。

「……実際のハナシ、グレース達と行った方が、少しは役に立てるんじゃねぇかと思うし、そうするべきなのかも知れねぇけどさ——」

「その気もないのに、そんなこと言うモンじゃないよ」

 グレースは、手で追い払う仕草をする。

「先に惚れた弱みだねぇ。ま、アンタの、好きなようにしたらいいさ」

「うん」

「分かってんのかい? アンタの好きなようにだよ?」

「……ああ」

「アンタが意に沿わないことをシブシブやってるようなら、アタイがひっさらいに行くからね?」

「分かってる。ありがとう」

 グレースは、そっぽを向いて背もたれに肘をつき、掌に顎を乗せたまま文句を言う。

「マッタク、なんだってアタイが、こんなこと言ってやんなきゃならないのさ」

「いい女だからじゃねぇの」

 俺のふざけた返しに、グレースは勢いよくこちらを振り向いて、眉根を寄せて睨みつけてくる。

「アンタねぇ……」

「ごめんて」

「フン。やっぱり、あんな女にくれてやるのは業腹だね」

 グレースは、人の悪い笑みを浮かべる。

「悪いけど、勝負は本気でやらせてもらうよ」

「ああ。それで構わねぇよ」

 肯定したのに、舌打ちで返された。

「ハン! ハナっからアタイじゃ敵わないってツラが気に喰わないねぇ! 目にもの見せてやるから、よっくと見ときなよ?」

 啖呵を切って、グラスに残ったワインを飲み干す。

「——で? いちおう確認しとくけど、あのココとかいう娘に、アンタの方はなんか心当たりはあるのかい?」

「いや、なんもねぇな」

「あっさり言わないでよ」

 と言われても、はじめて訪れた町の住人のことなんて、知る由もない。

 ただ、自ら決闘への出場を志願する物好きなんて、普通に考えている筈が——いや、結構いるな。リィナもフゥマも、頼んでなくても勝手に出るわ、そういや。

 少し引っかかるモノがあるのは確かだが、個人的には決闘の勝敗をそれほど重要視してねぇからなぁ。

「とりあえず、様子見でいいんじゃないか?」

「適当だねぇ」

「いや、グレースだって、実際それほど気にしてねぇだろ?」

「まぁねぇ……ただ、アイシャも知らないって言うしさ。どういうつもりなんだか、さっぱり分かんないのは気持ち悪いけどね」

 最初のひと月くらいしか町に居なかったアイシャが知らないのは、無理もない気がする。

「案外、本人が口にしたことがホントなんじゃねぇの」

「町の人間として責任を感じたってかい? そりゃ、見かけは殊勝にしてたけどさ、あんな曲芸まがいのことを出来るニンゲンが、タマタマこの町に住んでたっての?」

 まぁ、気持ちは分かるが。

「俺達みたいに、全ての行動に理由付けしたがる方がおかしいんだろ、きっと」

 グレースは口を歪めて、納得と不服の中間くらいの顔をしてみせた。

「ま、いいさ。アンタのオトモダチの、あのおっかないリィナさんとやらは、大層腕が立つんだろ? ココって子が何かを企んでたとしても、アタイと二人で勝ち越せば問題ないしね」

「なんだ、案外やる気なんだな」

「当たり前だよ! アンタ、ホントに全然分かってないんだねぇ」

 なんか知らんが、すごい呆れ顔をされた。

 そういや、シェラにもジパングで同じことを言われたな。どんだけ何も分かってねぇんだ、俺ってヤツは。

「で、アタイは当然、勝つつもりでやるとして——さっきも聞きかけたけど、アンタはどうしたいんだい?」

「……考え中だ」

 俺の生返事に、グレースはさらに呆れてみせた。

「ハー、ヴァイス大参謀ともあろうお方が、なんともシャッキリしないねぇ! あのコ達のことで頭がイッパイで、他のこた何も考えられませんってかい?」

 こいつは、大分と株を下げちまったかな。

「なんでもいいけど、なんか企んでるなら、明日の昼までにはまとめといてよね」

「うん。分かってる」

 ていうか、別に俺だって、年がら年中悪巧みをしてる訳じゃないぞ。

 ただ、まぁ、予想を超えて悪い方向に拗れないようには、せいぜい気をつけたいところだね。

 本来は、こんなことしてる場合じゃねぇんだからさ。

7.

 そして、翌日の昼を迎えた。

 町の中心部には溜池があり、その横手の広場では、これからはじまる決闘みせものをひと目拝もうと詰めかけた観客がひしめき合っていた。

 半径およそ十歩くらいの円形の空間だけを中央に残して、既に広場からはみ出す程の群衆で溢れかえっている。

 町の規模からいって、住人のほとんどが集まってるんじゃないか、これ。

 ちなみに、俺や姫さん、そして海賊船の船員達も、下船して勝負の行方を見届けることが許されたので、最前列にガラ悪く陣取っていたりする。

 こっちがホントに海賊だったら——いや、本当に海賊なんだが——暴れ出すとか考えなかったのかね、あのライラって娘は。まぁ、そこは何が起ころうと事態を収集してくれる筈だと、勇者様の御威光を信頼してのことなんだろうが。

 って、せっかく上陸を許可してもらえたんだから、イキって周りを威嚇してんじゃねぇよ、ダヴィ。

 町人達はざわめきながら、今や遅しと決闘の開始を待ち侘びていた。

 三人の戦士をどのような順番で出すのかは、互いに伏せたまま進行役だけに伝えるのが習わしらしい。

 つまり、相手の出方を考慮して組み合わせを予測しつつ順番を決める必要がある訳で、そこでも読み合いが発生するって寸法だ。

 本来は。

「勇者様は、もちろん大将だよねぇ! 最後にキッチリ、アタイとケリをつけようじゃないか!」

 とか、グレースが大声で言い出さなければ。

 始末が悪いのは、観衆もそれを望んでいる空気がありありと窺えることだ。

 実力的なことで言えば前座が相応しいんだが、役者の格ならそうなるよな。

 近頃メキメキと世界的に頭角を現しつつある女勇者と、見目麗しい海賊船の女船長との勝負なんて、実現を期待するなって方が無理な話だ。

 そんな事情もあって、グレースの意向通り、ウチは非常に素直な順番を提出してある。

 すなわち、先鋒からココ、リィナ、グレースの順だ。

 実際のところ、大将戦までもつれ込む確率は、かなり高いと思う。

 リィナとフゥマが当たらなければ、それぞれ一つづつ星を取り合って、決着は大将戦に委ねられることが確定してるようなモンだし、二人が当たる組み合わせだったとしても、本来あるべき五分五分に落ち着くだけだ。

 開始の時間が近づくにつれ、徐々に観客の期待が熱気となっていや増し、真昼を告げる鐘が鳴り響いたところで最高潮に達した。

 持ってきた食い物を食べ始めるヤツも、あちこちに目につく。これが大きな町だったら、出店が出ていてもおかしくないくらい、すっかり催し物の様相だ。

 昨夜の時点では、勝敗はどうでもいいと考えていた俺だったが——周囲の熱気にあてられたのか、思ったよりは気分が高揚してきた。

 タマには素直に楽しませてもらいますかね。

「それでは! ただいまより、わたくし町長代理であるライラと町長のアイシャ、互いの要求を賭けた決闘をはじめます!」

 定刻通りに広場の中央に進み出たライラが、高らかに宣言した。

「これは戦いの神に捧げる神聖な決闘ですから、その裁きに一切の異議を唱えないことを、ここに誓います! いいですね、アイシャ!!」

「ほーい。異議ありませーん」

「ちゃんと誓いなさいよ!!」

 ライラは片手を真上にピンと伸ばしたまま、俺達が陣取った列の先頭で気のない素振りをしているアイシャを怒鳴りつける。

「はーい、誓いまーす」

 右手をだらしなく上げて、どうでもよさそうに告げるアイシャ。

「マッタク、この期に及んで不真面目な態度を少しは改めようと思わないんですか……まぁ、もういいです! それでは、ロンさん! お願いします!」

 ライラと入れ替わりに、つい先ほど前もって紹介された男が、広場の中心に進み出る。

「進行役を任されたロンだ。よろしく頼む」

 今回の為のお仕着せだろうか、武闘家の道着にも似た衣服に身を包んだ男は、イリアと同じくらいの歳に見える。

 精悍な顔つきと引き締まった体躯からして、なかなか強そうだ。

 それを買われて進行役なんぞを任されたんだろうが、アンタが出場した方が良かったんじゃないの。

「既に双方の出場者と出場順は聞いている。それでは早速先鋒から、呼ばれたら前へ出てくれ」

 広場の中心を挟んで、俺達の向かい側に陣取っているライラやマグナ達の方を、ロンは右手で指し示した。

「ライラ側の戦士は、フゥマ!!」

 途端に、何故か俺達の側から歓声が上がる。

「よっ、待ってました、切り込み隊長!!」

「おう、フゥマ、目にもの見せてやれ!」

「秒でやっちゃってくださいよ、秒で!!」

 いや、お前ら、いまはフゥマが敵側だって分かってる?

 海賊達のはしゃぎように乗せられて、知らない顔だがどうやら強そうだ、みたいなざわめきが町人達にも広がっていく。

 まぁ、見た目からして強そうだもんな、あいつ。

 それにしても、やっぱりフゥマは先鋒で来たか。なんとなくそんな気はしてたんだが、これで大将戦までもつれ込むのは、ほぼ確定したな。

「アイシャ側の戦士は、ココ!!」

 昨日と同じく、短い髪を頭頂部で無理矢理まとめた小柄な少女が、俺達の前に進み出る。

「よっ、お嬢ちゃん、頑張れよ!」

「よく知んねぇけど、応援してやっからよ!」

「秒でやっちゃってくださいよ、秒で!!」

 完全に見物気分の海賊達は、またしても無責任な応援——というか野次を、小さい背中に投げつけた。

 今度は町の人間からも歓声が上がるかと思いきや、なにやら微妙な空気に包まれている。

 広場の中央で五、六歩ほどの間を置いて、フゥマと相対した小柄な少女の頼りない立ち姿を目にすれば、それもしょうがねぇか。

「事前に申告されている通り、使用武器については、フゥマは素手、ココは手斧で問題ないな?」

「ああ」

「ええ。問題ありません」

 既にココの両手には、小ぶりの手斧が握られている。

 この辺りではよく使われる武器だという話で、自己紹介代わりに俺達の前で振り回してみせた業は見事なものだった。

 フゥマが素手だと知った観衆は一瞬ざわついたが、すぐに違う種類のざわめきに取って代わられる。

 どうやら、そこかしこで賭けがはじまってるようなんだが、武器のハンデがあってすら、あんな小さい少女がいかにも腕が立ちそうなフゥマに勝てるとは思えないヤツが大多数らしく、賭けが成立しない困惑が広がっている。

 まぁ、きちんとした興行じゃねぇから、この辺りは仕方ないわな。

 ていうか、相手がリィナじゃないことを知ったフゥマが、文句を口にしないのが意外だった。

「それでは、これより決闘の緒戦を開始する! 双方、そのまま!」

 両手を広げてフゥマとココの間合いを保ちつつ後退ったロンは、右手を大きく天に向って差し上げた。

「はじめぃっ!」

 その手が振り下ろされると、海賊達から一斉に無責任な野次が飛ぶ。

「やれやれ——!」

「ぶっ殺せー!」

「ハイ、もう秒経ったよ、秒!!」

 物騒な歓声を背中に受けたココは、手斧を握った両手を振りかぶった。

「さて——と。それじゃ、ご期待に応えますか」

 そのまま、両方ともフゥマに向かって無造作に放り投げる——って、は?

 いきなり、得物を手放すのかよ!?

 手斧の刃を指で挟んで易々と受け止めたフゥマの懐に、あっという間に潜り込んだココは、肩口から躰ごとぶつかった。

 ちょっと信じ難いことに、ぶちかましを受けたフゥマが、後ろに二、三歩よろめく——マジかよ。

 だが、喰らいながらも手斧を離し、正面に拳を突き出すフゥマ。

 しかし、ココは既にそこには居なかった。

 いつの間にやらフゥマの背後に回り込んだココは、延髄に鞭のような鋭い回し蹴りを叩き込む。

 よく届いたな。

 って、そういう問題じゃない。

 カウンター気味に蹴りを喰らったフゥマは、今度は前のめりにたたらを踏みながら、それでも裏拳を背後に振り回した。

 だが、それすらも軽々と躱し、ココは一旦距離を取る。

 どんなスピードだよ。

「なんだ。やっぱり、この程度なんだ」

 それまでの殊勝で朴訥な仮面をかなぐり捨てて、ココは嘲りに顔を歪めた。

 いや、猫を被っていたことは、ハナから想定内だが——マジで、一体何者だ?

「なんか、ガッカリ。第一世代とは言え『突然変異体』を斃したって聞いたから、どれだけ強いか愉しみにしてたのに。こんな程度であの人を越えようだなんて、よくもホザけたもんだね。侮辱も、いい加減にして欲しい」

 なんだと?

 なんで、突然変異体クラーケンを俺達が斃したことを知ってやがる。

「ダメだ、とても許せない。いまのだけでも、コッチの方が遥かに強いことくらいは、さすがに理解できたでしょ? もう二度とあの人にナメた口が利けないように、この場で殺してあげるから。覚悟してね」

 思いもよらぬココの優勢に呆気に取られていた観客から、徐々に歓声が上がりはじめる。

 それに掻き消されがちな挑発に対して、フゥマは黙ってただ睨み返すだけだった。

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