41. Breakin' Beaters

1.

「おおぉっしゃッ!! 行くぜッ!!! 来いッ!!!!」

 通常よりも大振りの銛を片手に、フゥマが雄叫びをあげながら、背後の俺に向かって逆の手で手招きした。

 お前か俺か、行くのはどっちだよ、と心の中でツッコミつつ、呪文を唱える。

『バイキルト』

「ッしゃああぁぅぉおおおらああぁぁッ!!!!!」

 海賊船の甲板を横切るように助走をつけて、アホほど反らした体の反動を全て乗せ、フゥマは銛を投擲した。

 魔法で倍化された馬鹿力の威力は凄まじく、空気を引き裂く音を立てながら、ほとんど一直線に目標向かってすっ飛んでいく。

 ぞん。

 遠過ぎるので幻聴だと思うが、見事に命中して深々と突き刺さった穂先の立てる音が聞こえた気がした。

 これ以上は望めないくらいの膂力とわざだ。

 ただ、目標とのあまりのスケールの違いに、楊枝が突き刺さったようにしか見えない。

 うーん。

「次。大砲撃ってみてくれ」

「アイ・サー!」

 奇妙な掛け声と共に、グレースが手にした曲刀を振り上げた。

「撃ち方用意!!」

 足元の床板の下で、ゴトゴトと大きな物体を動かす音がする。

ぇっ!!」

 曲刀を振り下ろしたグレースの号令一下、轟音と白煙を置き去りに、舷側から砲弾が射出された。

 この船は、元々がいわゆる武装商船というヤツで、左右の舷側に六門づつ、計十二門の大砲が備え付けられているのだ。船尾楼にも一門あるが、これは手入れをしていないので使えないらしい。

 だが——

「ダメだな、こりゃあ」

 六つの砲弾の内、辛うじて当たったのはひとつだけ。他は、ドボンドボンとあらぬ方に着水する。

 しかも、借り物の遠眼鏡を覗いてみたが、当たったひとつも大したダメージを与えられた様子がない。

「だから、言ったろ。こんなに離れてちゃ、大砲なんて当たんないモンだよ。そもそも普段は、こんなモン狙ってぶっぱなすまでやり合うことなんて、滅多にないからねぇ」

 遠眼鏡を受け取りながら、特に悪びれた風もなく、グレースはのたまうのだった。

 まぁ、商船なりを襲うにしても、いちいち撃沈してたら、肝心のお宝を巻き上げらんないもんな。

 この船に積んである大砲は、あくまで示威が目的ってことか。使う機会が少なきゃ、練度も低くて当たり前だ。

 魚やら何やらを片っ端から積んだり繋いだりしてあった囮用のボートが、これだけ離れていても巨大に見える触手に絡み取られて、あっさりと海中に引き摺り込まれる様を目にして、俺は狼狽しつつグレースを振り返る。

「やべぇ、逃げよう、いますぐ、早く! 手筈通りに!!」

「慌て過ぎだよ」

 苦笑しながら、グレースが指示を出す。

デコイ下ろしな! ケツまくるよ!!」

「アイ・マム!!」

 たったいま沈没したばかりの短艇と同じく、海中の捕食者が好みそうな餌を満載した囮船を滑車で下ろし、俺達を乗せた海賊船は怪物から離れるように舵を切る。

 しかし、やべーな、マジで。

 なんだよ、あのデカさ。

 木造りの城より背が高かった、あのヤマタノオロチより、さらに大きいんじゃねぇのか?

 巨大すぎてスケール感がよく分からないが、おそらく触手の一本一本に大人が四、五人でようやく抱えられるくらいの太さがあるように見えた。

 しかも、水面に覗いている触手はホンの一部で、本体まで含めた全長は、どのくらい大きいのか想像すら難しい。

 どんな化け物だよ。

 と考えている間に、最初の囮はもう食い散らかしたのか、下ろしたばかりのボートに向かって巨大な何かが迫るのが、盛り上がった海面から見て取れた。

「えー、これ、大丈夫?」

 追いつかれたりしない?

「——って、バカ、攻撃はもういいっての!」

 フゥマが銛を片手に再び投擲態勢に入ったのを見て、慌てて制止する。

 ケツまくって逃げてんだから、余計な刺激を与えるんじゃねぇよ。

「は? ンだよ、まだナンもやってねーじゃんか。もう終わりにすんのかよ? ツマんねーよ」

 うるせー。ツマるとかツマらないの話じゃねぇんだ。

 いますぐ口を閉じねぇと、策無しで単身突っ込ませるぞ。

「この風なら、よっぽど狙いを付けて追いかけてこられなけりゃ、まず逃げ切れると思うよ」

 グレースが苦笑しながら、俺の不安に答えた。

 三日ほどの幅を見れば、今回もグレースの予測は見事に的中して、俺達は仮称クラーケンと遭遇していた。

 ただ、グレースの話を聞いただけでも、いきなり斃すのは難しそうな相手に思えたからな。

 実際にどのくらい化け物なのか、まずは目で見て確認して、その上で対策を講じたいと提案したのだ。

 まぁ、こうして自分の目で見た上での対策は、関わらないでそっとしておく、ぐらいしか思い浮かばない訳ですが。

 フゥマの馬鹿じゃあるまいし、それを素直にそのまま伝える訳にもいかねぇのが、辛いところだ。

「やー、無理だろ、アレ」

 いけね、つい本音が漏れちまった。

 頷いてるのは、姫さんだけか。そりゃそうだわな。

 二隻目の囮の小舟が、あっさり海中に引き摺り込まれたのが遠くに見えて、怖気を震う。

 どうか今日のところは、それで満足して、追いかけて来ないでください。お願いします。

「無理はハナから承知の上だよ。そこをなんとかする為に、アンタらに頼んでるんだけどねぇ」

「だから、思いっ切りぶん殴ればイケるって、マジで。それか、一回呑み込まれて、腹ン中からぶん殴るとかよ」

 うわぁ、流石は専門家フゥマ。俺なんかにゃ思いもよらない妙案を思い付きやがる。ただし、頭にが付くが。

 残念ながら、自分もいちおう専門家だったことを思い出したので、しょうことなしに口を開く。

「……実際に目の当たりにして、分かったことは幾つかある」

 渋い顔をしていたグレースの表情が、パッと明るくなった。

 そんな期待しないでくれよ。

「そうこなくっちゃね! で、どうすりゃいいんだい?」

「まぁ、待て。慌てんな。どうするとかじゃなくてだな——まず、思ったより動物っぽいな、アレ」

 後ろの海賊連中まで含めて、皆さん、俺の台詞がお気に召さなかったようで、疑問符を頭の上に浮かべて不服顔だ。

 ていうか、なんで俺は、こんなところで大して知りもしない連中の為に、なけなしの脳みそを捻っているんだろうか。

 仕方ねぇか、これも仕事だ……いや、待て。仕事なのか?

「ところで、これって俺達、報酬とかもらえんのか?」

「いま聞くことかい、それ?」

 グレースは呆れた表情を浮かべる。

 いやいや、大事なことだぜ。

「なら、ご褒美にアタイを一晩自由にできるってのは、どうだい?」

 色っぽいシナを作り、冗談めかして唇を舐めるグレース。

 いや、俺はそれでもいいんだけどね、純情一途な腕白坊主は承服しないんじゃないかな。

「別にこっちは好きでやってんだから、どうでもいいっしょ、そんなこと。それより、続きを話せよ」

 と、興味無さそうに先を促すフゥマ。

 やかましい、お前は趣味かも知れねぇけど、俺は仕事じゃなきゃ、怪物退治なんかこんなことやってらんねーんだよ。

 くそ、しょうがねぇな。

「……動物っぽいって言ったのは、つまり、知能はあんま高くなさそうだってことだよ。グレースの感じ方と違うかも知れないけど、あくまで俺達が知ってる魔物が強く大きくなっただけに思えるな」

 ニュズなんかの場合と違って。

「それは……そうかも知れないけどさ」

 グレースは、やや納得できない顔つきだ。おかしな話だが、大事な人を失った原因の格を下げられたみたいに感じてしまうのは、分からないではない。

「だろ!? だから、何度も言ってンじゃんか! 思いっ切りぶん殴ればイケるって!!」

 うるせー、バカ。黙ってろ。

 と言いたいところだが、残念なことに一理ある。

「うん。それに、いまフゥマが言ったように、普通に物理攻撃が通じるな」

 フゥマの銛が刺さった時、僅かに嫌がるような素振りが見えた。

「ただ、スケールが違いすぎて、まともなダメージを与えられる程の威力を出す方法が無いってだけでさ。俺達だって、蚊に刺された程度なら、大して気にもとめないだろ?」

「手前ぇ、オレ様の拳が、蚊に刺された程度だってのか!?」

 いや、いまはそういう話はしてねーから。

「だったら、どうするんだい?」

 その程度のことは、こっちでもとっくに考え済みだよ、とでも言いたげなグレースの視線に、俺は首の後ろに手を当ててゆっくり揉みながら、しばし黙考する。

 まぁ、真っ先に思いつくのは、飽和攻撃だな。一発一発の威力が足りないだけなら、アホみたいな物量で補えば済む話だ。

 ホラ、どっかの地方じゃ、時折夥しい数の蟻の群れが発生して、そいつらが通った後には人も家畜も骨しか残らない、みたいなヨタ話を聞くじゃねぇか。

 その与太の真偽自体は眉唾物だが、要するに、あんなちっこいアリですら、数さえ多けりゃ人でも喰い殺せるって喩えで、つまりはそれと同じ理屈だ。

 ただ、もちろんのこと、戦力がこの船一隻ってんじゃ、お話にならない。

 大砲を積んだ他の武装船を、どっかから大量に調達できる見込みがあって、はじめて成り立つ話だ。

 とはいえ、グレースによれば海軍は期待できないし——そもそも海賊とは不倶戴天の敵同士な上に、サマンオサの現状を鑑みると、まともに機能してるかも怪しい——となると、候補としては商売敵の他の海賊共ってことになるか。

 ふん、以前は敵対していた海賊達の喉元にグレースが自ら颯爽と乗り込んで、ある時はふっかけられた無理難題を目を見張る機転で解決し、ある時は魔物に屈して廃業した元海賊共を叱咤激励して奮い立たせ、またある時は頭領同士の決闘の末に従えていく、みたいなイメージがタペストリーじみて脳裏を横切って流れていく。

 うん、正に王道。物語の筋としちゃ、悪くねぇな。

 但し、そんなモンに長々と付き合ってる暇は、こっちには無い訳だが。

 そんなことしてたら、一体どんだけ時間がかかるんだよ。下手したら年単位じゃねぇか、アホかよ。

 俺には目的があるし、新たな気がかりも増えちまったことだし、とてもそんな英雄譚に呑気に付き合っていられない。

 もっと手っ取り早くて身も蓋も無い手段が必要だ。

 そもそも、そうやって武装した船をいくら掻き集めたところで、さっきの間の抜けた砲撃の体たらくを見る限り、仮令たとえ何隻で囲もうがあのバケモノを撃ち斃せる気がしない。

 数を頼んでも無駄っぽいとなると、後は一発の攻撃力を上げるしかない訳で。

 正直、そっちの方向で考えるなら、一撃の威力に妙なこだわりを持つフゥマの馬鹿力が役に立つだろう。

 だが、それだけじゃ、流石に足りない。

 単身特攻させたところで、貴重なコマの無駄遣いだ。

 他にも手立てが要る。

 俺の呪文だけじゃ回転が悪いし、他になんか手っ取り早く破壊力を出せる方法と言ったら——

「なんだい、ずっと黙ってたと思ったら、いきなりため息なんていて」

 グレースに怪訝に問われて、首を揉む手を止める。

 思い付いちまったからだよ。

「こっからアリアハンまで、この船でどんくらいかかる?」

「また急な質問だね。こっからだと、そうだね……いくつか港に寄りながらで、だいたい二ヶ月くらいじゃないかい?」

 グレースが後ろを振り返ってそう問うと、視線の先の顎髭男——確か、ペドロとか紹介された——が黙然と頷いた。

「へぇ、港に入ったりできるのか」

 海賊なのに。

「いや、アタイら、表向きは商会だからね?」

 と、グレース。

 そりゃそうか。世間向けの覆面は必要だわな。

「二ヶ月か……」

 時間は惜しいが、どっちみち、そのくらいは必要だろう。

「なにさ、アリアハンに行くのかい?」

「うん。まぁ、正確には、アリアハンの都じゃなくて、レーベって村だけどな」

「聞いたことないね。港はあるのかい?」

「いや、直接、そこまで来てもらう必要はねぇよ。二ヶ月後に、アリアハン大陸の北を掠めて俺達を拾ってもらえれば、それでいい」

 よく分からない顔をするグレース一行に、俺はキャビンの方に顎をしゃくってみせた。

「口で説明すんのは面倒臭ぇな。海図を見ながら確認するから、何人か中に来てくれ」

 そう言い置いて、船長室に向かう。

 最初に姫さんが、続いてフゥマが何も考えてなさそうな顔で、頭の後ろで手を組んで付いて来る。

 配下と怪訝な顔を見合わせていたグレースは、ホセやペドロら主だった何人かを引き連れて、首をひねりながら後に続いた。

「ヴァイス……その、何か策があるのじゃな?」

 いつものようにクイクイと袖を引かれて下を向くと、姫さんが思ったよりも心配そうな表情を浮かべていた。

 あれ、信用ねぇな。

「まぁな。策でどうにかなる相手じゃねぇから、単なる力業だけどさ」

 全く、色んな意味で不本意だぜ。

2.

「ほらな。こうやって地図で見ると、この大陸とアリアハンって、案外近いんだよ」

 船長室の書斎机の上に海図を広げて頭を突き合わせながら、俺は海賊達にとっては言わずもがなのことを改めて指摘した。

 普段目にしている魔法協会の世界地図と頭の中で照らし合わせながら、俺はアリアハンの東に位置する縦に長い大陸の南端辺りを指し示す。

「サマンオサがある、この大陸の端っこの方に、あんたらのアジトはあるって言ってたよな?」

 俺が目を向けると、グレースはやや戸惑ったように小さく頷いた。

「え? うん、そうだけどさ。でも、近いっても、アリアハンからウチのアジトまでだと、半月ちょいはかかるよ?」

「ああ、そりゃいいんだ。んで、あのクラーケンとやらが、グレースが考えてる通りに、この大洋をぐるっと回って——」

 スーのあった北の大陸と——ムオルや、エフィの実家がある大陸に挟まれた大洋の内側を、円を描くように指でなぞる。

「またこっちに戻ってきて、アリアハンとあんたらの大陸の間を抜けるとしてだ。前に聞いた予想だと、それがいまから二ヶ月半とか、それくらい後だろ?」

 アープの塔からこの海域に来るまでの間に、グレースの考えはあらかた聞き出してある。

「まぁ……そうだね」

 頭の中で答え合わせをするように、グレースは視線を宙に彷徨わせながら呟いた。

「つまり、そこで待ち伏せて、もう一戦やらかそうってのかい?」

「ああ」

 それが、俺が思い付く限りじゃ、最短で終わらせられるルートだからな。

「その準備の為に、アリアハンに寄る必要があるってことだね?」

 その通り。話が早くて助かるぜ。

「けど、準備っても、そんなにすぐできるモンなのかい? さっきヴァイスが言ってた辺りで待ち伏せるとなると、せいぜい何日かしかアリアハンに寄ってる時間は無いと思うけど」

「ん? ああ、いや、違うんだ。言ったろ、アリアハンを掠めて拾ってもらえればいいって。レーベがこの辺りだから、拾ってもらうとしたら、そっからちょっと北東に行った海辺かな——ただ、目印がねぇな。狼煙のろしでも上げるか」

 珍しく要領を得ない様子のグレースに、俺も首を傾げる。

「なんかヘンなこと言ってるか、俺?」

「——アタイが間違ってたら、指摘して欲しいんだけどさ。その……遠く離れた場所に移動できるだなんて、そんな魔法みたいな——いや、当たり前か。そんな魔法を、冒険者の中でも特に上等な魔法使いは使えるって噂を聞いたことがあるんだけどさ。ヴァイス、まさかアンタは、その魔法を使えるのかい?」

 そうだった。

 こっちの大陸じゃ、冒険者制度がはじまってすらいないんだもんな。

 金持ち専用のルーラ網然り、最近は周りの連中がルーラの存在を最初から知ってる状況にしか身を置いてなかったから、うっかりしてたぜ。

「うん、まぁ、使えるな」

 俺が首肯してみせると、グレースはかなり素に近い様子で目を丸くした。

「なにさ、アンタ、ホントにすごい魔法使いだったんだね!?」

「いや、確かにそこまで数は多くないけど、アリアハンの辺りじゃ、それほど珍しいモンでもないんだぜ?」

 思わぬところに食い付かれて、戸惑いが表に出たらしい。

 頬を掻く俺の仕草で察したのか、グレースはすぐに表情を改めた。

「つまり、その魔法を使ってアンタ達だけアリアハンに先行して準備を整えて、二ヶ月後にアタイらと合流しようって言ってるんだね?」

「うん、そうだけど」

 頷く俺に、グレースは何やら含みのある苦笑いを返した。

 ん? まだなんか見落としてるのか、俺?

 またしてもキョトンとしてると、やがてグレースは呆れ顔で口を開く。

「いや、そんなこと、アタイ達が許すと思うかい?」

「へ?」

 お前らに頼まれてやることなのに、なんで許さないんだ?

「ホントに分かってないみたいだね。マッタク、ヘンなトコで抜けてるっていうか、考え方がお人好しっていうか……だってさ、魔法なんかでアリアハンに行かれちまったら、アンタらはそのまま逃げちまうかも知れないじゃないか。っていうか、普通はそうするよ」

 ああ、うん。

 そうね。仰る通り。

 いや、ちゃんと気付いてたよ?

 マジでマジで。

 だって、実際に何回か、ルーラでオサラバは考えたもんよ。

「そこは、俺達を信用してもらうしかねぇな」

「アタイ個人としちゃ、そうしたいのはヤマヤマだけどね……さすがに、それじゃ通らないよ」

 グレースは、ちらっと子分達の方に目をやった。

「せめて、お嬢ちゃんだけでも船に残ってもらうくらいは、してもらわないとさ」

「は?」

 そんなこと、こっちが承服できる訳ねぇだろ。

「そんな怖い目で睨まないでおくれよ。お嬢ちゃんのことになると、ほんっとアンタは過保護だねぇ。だからこそ、残ってもらう意味があるんだけどさ」

「いや、そんなこと言うんだったら、この話は——」

 無しだ。

 そう続けようとした俺の言葉を遮るように、姫さんがズイと前に出て薄い胸を張った。

「よい。グレースの言うことも尤もじゃ。わらわが、ここに残る。ようよう船酔いも治ったしの」

 おかを離れてしばらくは、軽い船酔いを訴えていた姫さんも——嬉しそうに「なんか気持ち悪い」と報告してただけだから、ホントに軽かったんだと思うが——最近はすっかり元気を取り戻している。

「いや、そんな訳に行くかよ」

「なぜじゃ? お主と行ったところで、わらわは然程、その準備とやらの役には立たぬであろ。それならば、ここで大人しく人質をしているのが、わらわの一番効果的な使い方じゃと思うが?」

「使い方って……そんな言い方すんなよ」

 すると、姫さんはひどく皮肉らしい表情で、俺を見上げるのだった。

「ほぅ? これはお主らしくない言葉を聞いたの。お主はいつでも、周りの人間を自分の思い通りに動かせると考えておるように思えたが」

「……は?」

 いや、そんなことねぇだろ。

「——すまぬ、失言じゃ。忘れるがよい。ともあれ、わらわはこの船に残る。わらわの心配をしてくれるのであれば、せいぜい期日通りに準備を終わらせて迎えに来ることじゃな」

 えー、それが無法者集団の代名詞とも言うべき海賊共の人質にされようって美少女の言い草かよ。

 いや、グレースが姫さんに妙な真似するとも思わねぇけどさ。こっちだって、まだそこまで完全には信用できねぇよ。

「よい。この話は、これで仕舞いじゃ。口答えは許さぬ」

 なにやらお姫様らしく居丈高なことを言い出した。

「ってもよ……」

「それに、これはわらわの望みでもある。グレースとは、もう少しちゃんと話をしてみたいと思っていたのじゃ」

「へぇ、そりゃ光栄だね。アタイで良けりゃ、いっくらでも話し相手になってあげるよ」

 いや、俺とグレースの間には、姫さんご所望の恋愛感情みたいなモンは生まれてないぞ。

「それに、義賊という海賊のあり方にも興味がある」

 なに突飛なこと言い出してるの、この子は。

「もちろん、立派な海賊になれる手解きだってしてあげるさ」

 グレースはご満悦だが、姫さんの教育に悪いんで、やめてもらっていいですかね。

 ていうか、姫さんはなんか誤解してるみたいだけど、普通は海賊って、もっと殺伐としてるモンだからな?

「ちょっと悪い」

 他の連中に断りを入れつつ、姫さんの手を取って部屋の端まで連れて行き、顔を寄せてヒソヒソ囁く。

「バカ、何言ってんだよ。一人で残ったりしたら、姫さんがエルフってバレちまうだろうが」

「バカとはなんじゃ、この無礼者め!——大事ない。グレースにだけ伝えて計らってもらえば、そう心配することもないであろ」

 あれ、いちおうそこまで考えてたのね。

「あの者であれば、わらわを捕らえて売り飛ばそうなぞと短絡的な行動はとらぬであろ。なにしろ、お主のお眼鏡に適ったニンゲンじゃからな」

 幾重にも発言に含みを持たせつつ、ニヤニヤと俺を見上げる。

 多分、姫さんとしては、俺が売り言葉に買い言葉を口にすることを期待してるんだろうが。

「憎まれ口叩いても無駄だぜ。心配なモンは心配なんだからよ」

 俺が真顔で告げると、姫さんが少し返事に詰まるのが分かった。

「……すまぬ。また調子に乗る悪い癖が出た。じゃが、さっき言ったことを撤回するつもりはないぞ。それが理屈に合うことくらい、お主も分かっているであろ」

「いや、姫さんがどう思ってるか知らねぇけど、俺は案外理屈で割り切らない人間よ?」

 全てを理屈通りに選択してたら、おそらく俺は今でもマグナの隣りにいただろう、きっと。

 もとい、そんな俺だったら、そもそもマグナに選ばれなかったかも知れないな。できれば、そう願いたいね。

「言われてみれば、そうじゃな」

 姫さんは、軽く口に手を当てて、クスクスと笑った。

 その様子を見て、自分でも良く分からないままに、何故か決心がついちまった。

 まさしく、理屈でなく。

 まぁ、俺だって理屈の上では分かってたけどさ。

 姫さんを預けるには足りないと思ってるんだったら、最初から怪物退治の協力なんて反故にして、それこそルーラでオサラバすればいいだけだもんな。

 とは言え、実際にはかなり長い時間黙り込んで煩悶した末に、俺はようやく口を開いた。

「——分かったよ。さっきの姫さんの意見を採用だ」

「ほぅ?」

 言い出しっぺが、意外そうな顔すんなよ。

「ホントは、せめてフゥマを残していきたいんだけどさ。アレにはアレで、やってもらうことがあるんだよ」

「分かっておる。まぁ、わらわにもマッタク不安がないと言えば嘘になるが、グレースの為人ひととなりに関しては、わらわもお主とおおよそ同意見じゃからな。お主と自分の目を信じるとしよう」

 急にしおらしくなんなよ、決心が鈍っちまうだろ。

 くそ、やっぱり心配だな。グレースには、せいぜいよろしく言っておくとしよう。

3.

「おぅ、ヴァイス。久し振りだな」

 ところ変わって、ここはアリアハンのとある屋敷の応接室。

 勢いよく扉を開けて登場した屋敷の主人は、せかせかと足早に部屋を横切ると、立派な黒檀のテーブルを挟んで反対側のソファに身を投げ出すように腰を下ろす前から、挨拶の言葉を口にした。

「あ、どうも、ご無沙汰してます」

 立ち上がって迎える機を逸したまま、中腰で挨拶を返す俺に向かって、忙しなく手を上下に振って着席を促す。

「いいって、そんな畏まんなくて。それで? 今日は、どんな用件だ?」

 相変わらずだな。

 世間話もなしに本題を切り出した小太りの男を前にして、俺はそんな感想を抱いていた。

 男の名はヘーレン。

 何を隠そう、俺がランシールで仕事をしていた、例のルーラによる移動網を考案した商人だったりする。

 とは言っても、ヘーレンが単独で事業を起こした訳ではなく、元々は三人の資本家からなる合名会社だそうだが、基本的なアイデアを出し、匿名出資者を募り、上流階級とのツテを利用した運営を軌道に乗せるまで、実質的にはほとんど単独で事を進めたらしい。

 その実態を反映する形で、皆からは会社のおさを略して「社長」と呼ばれている。多少の皮肉交じりに。

「いや、今日は社長に、ちょっとした儲け話を持ってきたんですけどね」

「ほぅ? 言ってみ?」

 三十代半ばの筈だが、相変わらず軽い口の利き方する人だ。

「社長は、『魔法の玉』って知ってますか」

「知らねぇよー。俺は魔法使いじゃねぇんだからよ」

 なにやら仰け反りながら、大袈裟な身振りで答えるヘーレン。

 そりゃそうだわな。

 俺はこの人のあけすけな物言いが嫌いじゃない。

「いや、これが、なかなか便利な代物シロモノなんスけどね——」

 レーベの爺さんが開発した『魔法の玉』について、ヘーレンに説明する。

 要するに、俺が思いついた化物クラーケンにダメージを与えられそうな手段というのが、魔法の玉なのだった。

 それより先に頭に浮かんだ高威力の攻撃といえば、マグナが唱えていた『ライデイン』なんだが、あれはどうやら勇者マグナ専用の呪文ってことらしいからな。なんで専用呪文なんてそんなモンがあるのか知らねぇが。

 で、次に思いついたのが、アリアハンの『旅の扉』を封じていた分厚い石壁を粉々に砕くほどの威力を持った『魔法の玉』って訳だ。

 だが、海賊船からレーベの村に跳んで、できれば四、五十個ほど用意して欲しいと持ちかけた俺に、魔法の玉を開発した爺さんはこう返した。

『そんなことを言われても、先立つものが無いことにはのぅ』

 少し考えれば分かりそうなもんだったが、一個作るだけでも馬鹿にならない費用がかかるという話で、研究家魂の赴くままに拵えた試作品を勇者に寄贈するまでは良いとしても、それ以上となると爺さんに自腹を切る義理はない。

 まったくもって、尤もだ。

 俺はグレースから経費を前金でもらってこなかったことを、激しく後悔した。

 だが、取りに戻ることも出来ねぇし、俺の財布だけじゃ、いくら逆さに振っても二個作れるかどうかの原価分くらいしか賄えそうになかった。

 つまり、金策が必要だ。

 そこで思い出したのが、『社長』の存在だった。

 新奇なモノが大好物という、この『社長』なら、話の持っていき方次第では金を出してくれるんじゃないか。そう考えたのだ。

「——つまり、落盤の心配なく使える発破ってことか」

「使い方のひとつとしては、そうです」

 封印の壁が破壊された瞬間に、爆発ごと外部に転送されたのは、この目で確認してるからな。

 とりあえず、鉱山なんかで使えそうな便利な爆弾として売り込んでみました。

「まぁ、言いたいことは分かったけどよ」

 だが——思ったよりも、ヘーレンの反応が芳しくない。

 頭をボリボリと掻きながら、零れそうなほど目を見開いてギョロリと俺を睨む。

「ヴァイス、お前ぇ、自分が何を扱おうとしてんのか、分かってんのか?」

「へ? 何がですか?」

 キョトンとする俺に向かって、社長は苦笑いを浮かべた。

「いま聞いた話じゃ、化物バケモン退治にも転用できそうなシロモノってことだろ? 量産できれば国からの受注も見込めるかも知れねぇし、投資先としても悪くねぇから、まぁ、そこまではいいよ」

「はい」

 でしょう? みたいな顔をする俺を、ヘーレンは眉根を寄せて斜めに見た。

「でもよ、お前。勇者サマがよ、魔王を斃した暁にゃ、コレ絶対、人間同士の戦争に使われるぜ」

 言われて、一瞬頭の中が真っ白になった。

 全く予想してなかったからだ。

「……いや、でも、費用対効果が低くないスか、その使い方は。戦争に使うんだったら、逆に瓦礫が飛び散った方がいいくらいな訳で、こんなコストのかかるモンじゃなく、ただの爆弾の方がずっと向いてると思うんですけど」

「そうかー? 無駄にぶっ壊したくねぇ時とか、使えそうな気ぃすっけどな——てか、アレだ。お前ぇの言い草だと、魔物をぶっ殺すのだって、ただの爆弾でいいじゃねぇかよ」

「いや、まぁ、そうなんスけどね……」

 今回の目標とやり合うのは海の上だ。

 それもあって、ただの爆弾よりは、魔法の玉の方が向いてるんじゃないかと考えたのだ。爆発を転移する時に、化物クラーケンの肉ごとこそげ取ってくれるかも知れないしよ。

 ヘーレンは背もたれに体をあずけると、せり出した腹を片手でポンと叩いた。

「ていうか、お前ぇが持ってきた話の価値は、そこじゃねぇんだけどさ——まぁ、いいや。要するに、手前ぇのやってることが、社会にどんな影響を及ぼすのか、そういう可能性についても、ちゃんと考えるようにしとけってことだよ。俺に、こういう話を持ってくるんならよ」

「はぁ」

 間の抜けた俺の返事など耳に届いていないように、ヘーレンの声音が徐々に怒気を孕んでいく。

「いやー、マジでさ、そういうの全然考えない近視眼的な馬鹿に、市場を荒らされてばっかで困ってんのさ。今さえ良きゃそれでいいみたいな連中によ。ホレ、お前にも手伝ってもらってる、例のルーラの移動網だってそうだよ」

「え、何かあったんスか?」

 下唇を突き出して、顔をしかめるヘーレン。

「あったもあった、大アリだっての。いや、アレってさ、本職の魔法使いの協力が不可欠だろ? 俺には良く分かんねぇけど、移動先に魔法使いが居ないと跳べないらしいじゃねぇか」

「ああ、はい。まぁ、そうスね」

「だってのにさ、最初は全然相手にされなかった訳よ、魔法使いの連中に。既存の冒険者制度で使われてるルーラ網の維持ですら、あいつらホントはやりたくなかったって話じゃねぇか。まぁ、アレは国——てか、人間社会とのしがらみの関係でやらざるを得なかったってのが本音らしいんだけどさ」

 ヘーレンは、何かを思い出すように、視線を上に向けた。

「アレだ、なんつってたかな、魔法使いの連中って、お互いの意識を少しづつ連結して、別のでっかい共有意識みたいのをこしらえてんだろ? で、自律的に仕事を割り振る仮想人格みたいなモンをそこに作って、自分達の意識とは無関係に物を考えさせたり処理できるとか、そんな風に聞いてんだけどさ」

「え。社長、詳しいスね」

 全くの門外漢の筈なのに、すげぇな。俺も良く理解してねぇのに。

「馬鹿、お前ぇ、完全に受け売りに決まってんだろー。意味なんか分かっちゃいねぇよ。ただ、まぁ、そうやって自動的に処理されるから、個々の魔法使いにとっちゃ大した負担にはならねぇらしいんだけどさ——冒険者連中が使う程度のルーラの維持なら、全体の処理能力から見たらホンの小指の先くらいなモンって言うしよ。ただ、ルーラが移動手段として一般化して、猫も杓子も使うくらいになっちまったら、魔法使い共にしてみれば『そりゃ、ちょっと話が違う』ってなっちまうだろ?」

「え、俺はてっきり、そうなるモンだと思ってましたけど」

「バカヤロー、お前ぇ、そんな使い方、あの魔法使い共れんちゅうが認める訳ねぇだろうが。ちったぁ頭を使えよ、頭をよ。最初に言ったろ、そんな俗世に関わるようなこと、ホントはひとつだってやりたかねぇんだよ、魔法使い共あいつらときたら。って、ンなこた、お前ぇの方がよっぽど知ってるだろうが」

「……そうスね」

「連中が巨大な共有意識をこしらえてんのは、研究だのあくまで連中自身が利用する為であって、あいつらにとっちゃ心底どうでもいい俺達みたいなボケナス共のせいで、その処理能力の大半を奪われるようになっちまったら、ルーラそのものを廃止するって方向に話が進むに決まってんだろうが、どう考えても。だから、お前ぇ、連中にかかる負荷が増えすぎないように、本数をコントロールし易い上流階級向けの特別なサービスとしてはじめたんだよ、俺ぁ」

「あー……そうだったんスね。とりあえずは高級路線で様子を見て、ゆくゆくは一般化して値段も下がっていくのかと思ってました」

「まぁ、普通の商売ならな。それでいいんだろうけどよ。これは、ちっとばかし性質の違う話だろうが。魔法使い共の技術に完全に依存してるからよ、俺はあいつらがヘソを曲げないように、話を立ち上げてからこっち、すげぇ気を遣ってきた訳よ」

「大変だったんスね」

「いや、他人事か。お前ぇもちったぁ噛んでる話だろうが、ったくよ……そうだよ、すげぇ苦労したんだよ、俺ぁ。だってのに、そういう理屈が分からねぇ馬鹿共が発想だけ丸々パクって、魔法使いれんに話も通さねぇで、ウチより安くおんなじことをやり始めてやがるんだよ」

「え、マジすか」

 ヘーレンはますます深く腰をかけて、ほとんどソファに寝転がりながら、顔だけこちらに向けて続ける。

「マジもマジ、大マジだよ。つか、お前ぇが知らなかっただけで、お前ぇがランシールでウチの仕事してた頃から、ポツポツ湧いてやがったんだよ」

 マジかよ。全然知らなかった。

「しかも、そいつら馬鹿だから、客を絞ることもしてねぇんだ。誰でも利用できるって言や聞こえはいいけどよ、そんな馬鹿が何人も出てきちまって、あっという間に値下げ合戦だよ。そんなんじゃ、肝心のルーラを唱えてくれるお前ら冒険者に、ロクな報酬も払ってやれねぇだろってのによ。馬鹿だから分かんねぇんだ、そういうの」

「いや、ていうか、社長のトコで働いた方が全然報酬がいいってんじゃ、そいつらのトコで働く冒険者なんて居ないんじゃないスか?」

「んー? ウチは逆に、ちっと絞り過ぎてっからな。働きたいって門を叩くヤツより、雇い入れてるヤツの方が全然少ねぇんだ。ホレ、ウチのお得意様は、皆さん上質だからよ。粗相があっちゃいけねぇから、これで割りと厳選してるんだぜ?」

 そうだったのか。

 いちおう俺も社長と面談したけど、その時は簡単な会話をいくらか交わしたくらいですぐ終わったから、てっきり単なる形式なのかと思ってた。

「まぁ、ウチより全然安いとしてもだ、普通に働くよりゃもらってるだろうからな。猿マネ野郎共に協力する冒険者がいてもおかしかねぇよ。ただ、聞いた限りじゃ、人数捌く為に、かなり無茶な回数を一日に跳ばされてるらしいぜ?」

「てことは、社長が心配してた通りになりつつあるって事じゃないスか。下手に回数増やされちゃ、魔法使い共が怒ってルーラを使えなくしちゃうんじゃありません?」

 それは、俺としても困るんだが。

「だろ? 俺もそう思って、ちょっと調べさせてるんだけどよ、おかしなことに、魔法使い達はその事実を把握してないらしいんだわ」

「は?——っていうと?」

 斜めにソファに寝そべったヘーレンは、肘掛けについた手にたるんだ顎を乗せて難しい顔をする。

「だから、最近になってルーラの使用回数が激増したとか、そんな事実は無いらしいんだわ。少なくとも、魔法使い達の管理してる範囲じゃ」

「え? どういうことスか?」

「いや、俺に聞かれても知らねぇよー。ただ、奇妙なことに、その猿マネ野郎共が提供してる移動網の跳び先には、これまでルーラでいけなかった街も含まれてるってんだよ。しかも、追加料金を払って予約すれば、自分の好きな場所にも跳べるんだとさ」

「は? え?……いや、無理じゃないスか?」

 ヘーレンが言っていることが事実なら、先導役の魔法使い無しにルーラを使っていることになる。

「俺もそう思うんだけどさ。実際に人をやって確認させてるから、どうも本当らしいんだわ。まぁ、サービス自体は洗練されてなくて気が利かねぇ、お粗末なモンだって報告なんだけどさ。跳んだ先から戻ってくる手配も一苦労って話だしな」

 どういうことだ?

 せっかくアリアハンに戻ってきていることだし、俺の方でも確認しといた方が良さそうだな、これ。

「つっても、ウチには魔法協会も無いような田舎に用がある客は、ほとんどいねぇからな。いまのところは、高級路線のウチとソレ以外って感じで上手く住み分け出来てんだけどさ、予断を許さない状況ではあるわな」

 それまでしかめっ面をしていたヘーレンは、ふと顔から力を抜いて表情を緩めた。

「ま、新しいことはじめると、必ず考えなしの馬鹿が出てきて、猿真似で台無しにしやがるのは、うんざりするけどよ。荒らされたら荒らされたで、また別のことすりゃいいだけだから、俺ぁ別に構わねぇんだ。コレしかやってない訳でもねぇしよ——ただ、そうなったら、お前ぇにルーラの仕事をやれなくなっちまうのは勘弁しろよな」

「そうなったらなったで、俺も別の話を持ってきますよ。今日みたいに」

「へぇ、言うじゃねぇかよ。そうだな、今日は別の話だったな——分かった。お前ぇが言うだけ、金は用立ててやる」

 急に話を戻されて、意識を引っ張り戻すのに苦労しつつ応じる。

「え、マジすか。有り難いけど、そんな簡単に決めちゃっていいんですか」

「良いも悪いもねぇよー。お前ぇだって、俺に損させようと思って、話を持ってきた訳じゃねぇんだろ?」

「そりゃそうですけど」

「だったら、いいじゃねぇか。先行投資がどう転ぶかなんて、どうせ誰にも分かりゃしねぇんだからよ。それに、俺が投資すんのは、お前ぇが持ってきた話に半分、お前ぇ自身にもう半分だ。これで案外、お前ぇのことは買ってんだぜ、この俺ぁよ。しばらく音沙汰がねぇと思ったら、いきなり俺にチョクで話を持ってくる、そういうところをよ」

「はぁ、ありがとうございます」

 間の抜けた返事をする俺に、ヘーレンは身を起こして覗き込むような視線をくれた。

「まぁ、モノが形になるまでは、開発はそっちに任せるよ。ただし、誰でも効率よく作れるように、製法は細かく手順化しといてくれ。ひとつひとつは、なるべく単純にな。あと、爆弾作りと魔法の要素を加える手順は、必ず別々にしてくれ。必要な技能も違うだろうしよ」

「あ、はい」

「それから、製法の確立が確認できたら、量産に向けた設備の投資もしてやるけど、そんかし俺んトコの専売にするぜ。それは、構わねぇんだろ?」

「ええ、はい。もちろん」

 こっちの目論見通りに話が進んでいる筈なのに、漠然とした不安を拭えないのは、返事を考える暇もないくらい、話が一足飛びに進んだせいだろうか。

 だが、社長なら『魔法の玉』の危険性を弁えた上で扱ってくれるだろうし、少なくとも他の商人に任せるよりは安心できる。と、思う。その筈だ。

「それとも、どうする? 新しく会社立ち上げて、共同事業主ってことにしても構わねぇけど」

「いや——止めときます。他にやることもあるし、それに柄じゃないんで。お任せしますよ」

「まぁ、そうか。お前ぇは商売するにゃ、ちっとお人好し過ぎるもんな」

 そう言って、ヘーレンは笑った。

 海千山千のあんたと比べたら、誰だってお人好しに見えると思いますけどね。

「よし。じゃあ、話は決まりだな。契約やなんかの細かいこた、ウチの事務方に進めるように手配しとくから、後はそっちと詰めてくれ。金の件も含めてな。まぁ、悪いようにゃしねぇからよ——お前ぇが今夜空いてんなら、店でも連れてってやりてぇんだけどさ、あいにくこの後、ロマリアに跳ばなきゃならねぇんだよ」

「相変わらず、忙しそうスね」

「まー、じっとしてらんねぇ性分だかんなー。こればっかりは仕方ねぇわ。そんじゃ、これからは雇い主と雇われってだけでなく、事業の方でもよろしくな」

 差し出されたふっくらとした手を握り返すのに、ほんの少し時間がかかったことに気づかれたかも知れなかったが、社長は素知らぬ顔を崩さなかった。

4.

「阿呆か、貴様は」

 苦々しく吐き捨ててから、痩せぎすの貧相な男は、ふと思い出したように続ける。

「いや、すまん。貴様が阿呆であることなど、最初から分かり切っていたな。私としたことが、詰まらん冗句を口にした」

 誰に対して、何を謝ってるつもりなんだ、コイツは。

 アリアハンを訪れたついでに、俺はヴァイエルの屋敷に戻っていた。

 俺を見るなりうんざりとした顔を隠さないヴァイエルに構わず、ルーラの件についてこれまで俺が見聞きした事柄を——フゥマ達がアープの塔にルーラで跳べたことも、無関係とは思えなかった——説明した上で意見を求めたところ、いきなり阿呆呼ばわりされたのだ。

 まぁ、いつものことですけどね。

 ヴァイエルは、一度口を開きかけてから、疲れたようにため息を吐き、仕方無さそうに再び口を開く。

「貴様の如き暗愚に言って聞かせたところで詮の無いことではあるが——というか、そろそろもう少しなんとかならんか、貴様のその愚かしさは。相手をしてやるのが、その、酷く疲れる」

 いいから、さっさと必要なことを話せよ、コイツは、いつもよ。

「そもそもだな、貴様等の如き脳みそに筋道すじみちを刻んだだけの愚昧共が、なんの代償もなくルーラのような高度な魔法を扱えると思っていたのか?」

「へ?」

 なにやら、聞いてもいない聞き捨てならないことを言い出した。

「他にも無理を通した呪文はいくつかあるが——中でもルーラは別格だ。本来であれば、あんな低レベルで覚えて良いような魔法ではないのだが、所詮は冒険者などという便宜的な尺度の上でいくら高レベルに達しようが、扱える魔法でないことに変わりはないからな。貴様等がどうなろうと構わんから、使えるようにしろとのお達しだったので、請われるままに使えるようにしてやったまでだ」

「……つまり、何が言いてぇんだよ」

「ルーラは、そもそも遠方まで魔物退治に出向いた冒険者が、すぐに街まで戻って効率的に討伐を進められるようにという目的で設計された呪文だ。同じ日に、そう何回も使うことを想定されていない。ただの人間である貴様等が一日に移動できる距離など、たかが知れているからな。その程度の距離なら、歩いて帰れ」

 手前はそこらを散歩するだけでぶっ倒れそうな虚弱な体をしやがって、よく言うぜ。

 ヴァイエルは、またしても人生に疲れ切った老人がするような、深い、深いため息を吐いた。

「全く、貴様等の如き愚昧共の何を考えているのか分からん無茶には、いつも驚かされるな。己の分を遥かに超えたことわりを、本質的には何も理解しないまま借り物として扱っているだけの分際で、出来るからやっても良いなどと短絡する唾棄すべき精神性には、毎度ながらに畏れ入る。貴様等にとって、物を考えるという行為は、それほどまでに難しいことなのか?」

 相変わらず、すげぇこと言うな。

「要するに、ルーラは一日とかの短い間に、そう何回も唱えちゃいけない呪文ってことか? 脳みそへの負荷が高過ぎるとか、そういう理由で?」

「貴様の認識は見事なまでに正確ではないし、別にいくら唱えても構わんぞ。何かの拍子に廃人になっても構わんのならな」

「……いや、構うに決まってんだろ」

 何言ってんだ、こいつ。

「つか、そんな危ねぇ呪文だったのかよ……」

 思わず呟いた俺を、ヴァイエルは鼻で笑い飛ばした。

「いまさら、どの口が何をほざいている、このタワケが。言っておくが、ルーラだけではないぞ。貴様等が大した苦労もなく、我々の研究の成果を享受できている状態に、なんの代償も発生しないなどと、まさか本気で考えていた訳ではあるまいな?」

 俺が言葉に詰まっていると、ヴァイエルはさらに言い募る。

「それに、我々になんの対価が無い筈もなかろう。我々にとって貴様等なぞ、統計的な情報を得る為の都合の良い実験台に過ぎん」

 正直、そんなところだろうと思っていたので、まるで頭に来なかった。

 それが面白くなかったのか、ヴァイエルは酷く不機嫌な顔をして続ける。

「つまり、今回の件も、それはそれで興味深い結果が得られるかも知れんな。凡愚共が一定の期間でどの程度の回数までルーラを唱えても問題が発生しないのか、その上限を探るという人体実験のそしりを免れない情報を、貴様等が自ら進んで収集してくれようというのだ。さすがの我々も自重していたというのに、有り難いが滑稽なことだな」

「……やっぱ、社長ヘーレンがやってるルーラ網も、その辺りのことは考慮されてないのか?」

 あまり聞きたくなかったが、恐る恐る尋ねてみた。

 すると、ヴァイエルはつまらなそうに首を横に振る。

「いや、アレは一応、我々や各国の首脳部とも協議した上ではじまった話だからな。回数も制限されているし、統計的には特に問題の無い範囲ではある。問題となるのは、我々に話も通さず勝手な無茶をしている、訳の分からん起業家もどき共の方だろうな」

 ほっと胸を撫で下ろす俺を、ヴァイエルはジロリと睨みつけた。

「それにしても、仮にも私の配下だと認識され兼ねん立場にある貴様が、例のルーラによる移動網なぞという馬鹿げたくわだてに参加していたとはな。これでは躾けの良し悪しを、他の魔法使いから問い質されかねん」

 ん? なにやら意外なセリフを聞いたぞ。

「なんだよ。あんた、俺の行動を全部把握してる訳じゃねぇのか?」

 俺がそう問うと、ヴァイエルはこれ以上ないくらい顔を顰めて物凄い嫌そうな表情を浮かべた。

「阿呆が。何故なにゆえこの私が、そんな下らんことに意識を割かねばならんのだ。貴様の行動など、行う前から大筋を把握しているが、細かいことまでいちいち気にかける筈もあるまい。自惚れが過ぎて気持ちが悪い」

 気持ちが悪いて。

 いつも監視されてるみたいで気分が悪かったのは、こっちだっての。

 でも、四六時中見張られてる訳じゃなかったのか。ちょっと、気が軽くなったぜ。

「で、肝心の、魔法使いの先導無しにルーラが使えてるらしい件だけどよ——」

「有り得んな。貴様等大道芸人共にとっては、という意味においてではあるが」

 ばっさり切って捨てるヴァイエル。

「そもそも、ルーラの呪文自体が、我々の利便性の為に元々用意されていた転移網を流用したものに過ぎん。我々であれば、その場で術式を組み立てて任意の座標に跳ぶことは可能だが、貴様等のルーラはそういうものではない」

「つまり、無理ってことか」

「いや、可能か不可能かであれば、可能であると言わざるを得んだろうな」

 どっちだよ。

「貴様等の如き暗愚共には無理な話だが、要するに、そのような術式として構築し直せば良いだけの話だからな。何かをマーカーに見立てて先導役を代替させれば、術式の組み換えも最小限で済むだろう……ふむ、そういう話か。ただ、履歴に何も残っておらんのが解せんな……別立てしているのか? ガラテア——」

 ヴァイエルは急に自分の思考に入り込んだように、椅子に深く腰掛けて口元に手を当てたままほとんど動かなくなった。

 こっちが呼びかけても、ロクな反応を示さない。

 その様子を見て、俺は反省する。

 もしかして、ここ最近の俺って、姫さんから見たらこんな感じだったのかね。

 そりゃ当たりもキツくなるよな、こんな態度を取り続けられたんじゃ。

 ごめんな、これからはもうちょい気をつけるよ。

 結局、俺がヴァイエルからもう少し話を聞き出せたのは、それからずっと後の夜中になってからだった。

5.

「へぇ。話に聞いてたより、ずっと美人だな」

 興味と無関心を絶妙にブレンドした声音で呟きながら、イリアはグレースの顔を覗き込んだ。

「は——え!? あ、ああ、うん、そりゃ、どうも」

 乗船するなり口説かれて、さすがのグレースも目を白黒させてんじゃねぇか。

「なんだよ、ヴァイス。さてはお前、お嬢さんを俺に取られたくなくて、話半分に聞かせやがったな?」

「そんなんじゃねぇよ」

 肩に回されかけた腕を払い除ける。

 くそ、相変わらず深みのあるいい声してやがって。

「よろしく、お嬢さん。しばらくの間、お世話になるよ。お嬢さんがお頭サンなんだって? 凄いね。今度、苦労話でも聞かせてよ」

 俺に向けた苦笑を、そのまま笑顔にスライドさせて、グレースに微笑みかけるイリア。

 特筆すべきほど整った顔立ちって訳じゃないんだが、立ち振舞ふるまいが様になっている所為で、伊達男感が半端ない。気恥ずかしくて本人にはとても言えないが、ジツは密かに憧れていたりする。

「え、あ、うん。もちろん、構わないよ——で、こちらの色男はどちらさんなのさ、ヴァイス」

 グレースが困惑顔をこちらに向ける。先に説明しとくべきだったな。

「俺の魔法使い仲間」

 自分でも意図せずして、返事がぶっきら棒になった。

「いや、雑だな。なに、お前? そんな、からかい甲斐のあるヤツだったの?——自己紹介が遅れて申し訳ない。俺はアリアハンで冒険者やら色々やってるイリアという者だ。なかなか良い名前だろ?」

「あ、ああ、うん。そうだね、ホント」

「ほれ、お前らも船長サンにご挨拶しろよ——」

 同時に乗船した、他の六人の仕事仲間まほうつかいを促すイリア。

 いや、なんであんたが仕切ってんだよ。

 それぞれに癖の強い変わり者揃いの同僚が、順繰りに名乗るのを横目に見ながら、俺は憮然としている自分を持て余していた。

 いや、別にグレースは俺の女って訳じゃねぇから、口説かれようがどうしようが構わないんだけどさ。

 なんだろね、この感覚。

 俺を通じて出会った初対面同士が、目の前でいちゃついてるのを見せられて、落ち着かない気分になってるだけだと思うんだが。

 いいもんね、俺にだって、首を長くして待ってくれてた筈の女くらいいるもんね。

 そんなしょうもないことを考えつつ、瞼の裏の姫君の姿を探す。

——海賊船からルーラでアリアハンに跳んで、ほぼ二ヶ月後。

 細かいことを言い出せば、そりゃもう本っ当に色々あったんだが、幸い致命的な問題が発生することもなく、おおよそ予定していた期日に、俺はグレース達と合流を果たしていた。

 予定してなかったことといえば、船の連中には見知らぬ人間を、七人ほど引き連れていることくらいだ。

 さすがに魔法の玉をフゥマに投げさせるだけじゃ心許なかったので、同僚の魔法使い達を冒険者として雇って連れて来たのだ。

 例の上流階級向けのルーラ網で働いている連中だから、全員メラミが使えるくらいに腕は確かだ。

 つまり、あっちの仕事からはしばらく七人も抜けてしまうことになる訳で、社長には申し訳なかったが、これでも抑えた方なんだぜ?

 ホントは砲台役として十人は連れて来たかったところだ。

 まぁ、あの仕事は普段から冒険の合間にやる副業だし、残りの連中で回せそうなことも確認したので、向こうはなんとかなるだろう。

 そして、今回の最大戦力であるフゥマには、この二ヶ月間、魔法の玉と同じくらいの重さと大きさに調整した手投げ玉を使って、みっちりと投擲を練習させてある。

 というか、最初の三日くらいで、遠くのまとでもほぼ百発百中になってたんだが、その後も、なにやら自分なりに工夫を続けていたようだ。

 その上で、さらにいつもの修行にも精を出してたってんだから、リィナもそうだったが、もう修行中毒だよな。

「よぅ。これ、船倉に入れときゃいいのかよ?」

 そのフゥマが、木箱を抱えて乗船してくる。

「ああ、頼む。丁寧に扱えよ。爆発させんなよ」

「ッかってるよ。あんたキホン、オレ様のことバカだと思ってんだろ?」

「うん」

「てめッ……後で覚えてろよ!」

 口では文句を言いながら、魔法の玉が詰まった木箱を、そっと丁寧に運び去るフゥマ。素直なヤツだ。

 つか、姫さんはどこだ?

 てっきり、俺が乗船するなり駆け寄って、勢い良く抱き付いてくれると信じてたのに。

 キョロキョロと辺りを見回すと、キャビンの脇からフードを被った可愛らしい顔が、ちょこんと覗いているのが見えた。

 うん? どうしたんだ?

 あれか、お姫様に相応しい奥ゆかしさを思い出したとか。いまさらかよ。

「あのコ、照れてんのさ。久し振りだからね」

 そう言ったのは、いつの間にやら隣りに来ていたグレースだ。

「この日を指折り数えて待ってたんだよ。ホンット、可愛らしいったら」

「……いい子にしてたか?」

「そりゃ、モチロン。あのコは明るいし、妙に人を惹きつけるからね。ウチの連中にも、随分可愛がられてたよ——ああ、変な意味じゃなくてね。ホラ、アタイのお陰で、女子供の扱いには慣れてるからさ」

「……面倒見てくれて、ありがとな」

 そう言い置いて姫さんの元に歩み寄ろうとした俺に、グレースが耳打ちする。

「あのコの秘密はアタイ以外にはバレてないから、安心しなよ」

「恩に着る」

 すぐ近くに寄っても、姫さんはしばらくそっぽを向いたままだった。

「ただいま戻りました、我が姫君」

「う、うむ、ヴァイスか。うん、大義であった」

 なんで、そんなに目を泳がせてんだ。

 思わず吹き出しそうになりながら、からかいの言葉を口にする。

「なんだよ、久し振りだってのに、素っ気ねぇな。ちゃんと期日通りに戻ってきただろ?」

「そ、そうじゃな、久し振りじゃ」

 なんだこれ、アリアハンで再開した時と、エラく様子が違うな——ああ、あの時は、アメリアとファングがずっと一緒だったか。

「……心細かったか?」

「そ、そんなことはないぞ。グレースとも、まるで姉妹のようにすっかり仲良くなったしな!」

「でも、ちょっとは寂しかっただろ?」

「——当たり前であろ」

 やっぱり素直だな。どっかの誰かさんと違って。

 唇を尖らせる姫さんの頭に、ポンと手を乗せる。いい子いい子は我慢した。

「ごめんな、待たせて」

「全くじゃ。またお主を探しに行かねばならぬのかと、うんざりしておったところじゃ」

「え、なに、この子。そこらの子じゃないだろ。なんなの、お前?」

 いきなり背後から首に腕を回されて、思わず飛び上がりかける。

 感動の再会の場面なんで、邪魔しないでもらっていいですかね、イリア先輩。

「まぁ、これで勇者様御一行の一員なんでね」

「そういや、お前そうだったな。すっかり忘れてたわ」

 本気で忘れていた顔つきだ。

 俺も自分でよく忘れかけるので、文句を言う気も起きませんが。

「あちこち世界を歩いて回ったんだっけか。だからって、鐘や太鼓で探したってこんな子とは巡り合わないだろうによ——お初にお目にかかります、お姫様。ヴァイスの連れのイリアと申します。以後、お見知り置きを」

「うむ、苦しゅうないぞ、イリアとやら。わらわのことは、エミリーと呼ぶがよい。ヴァイスの連れ同士、こちらこそよろしく頼む」

 姫さんの返しに、イリアは一瞬唖然とした表情を浮かべた。

「こりゃどうも、参ったね。堂に入ったもんだ」

 ちらりとこちらに視線をくれる。

「よぅ、後で色々聞かせろよ。話せる範囲でいいからさ。長い船旅の暇つぶしに丁度よさそうだ——」

 イリアは長いと表現したが、実際のところは半月もかからずに、俺たちはあの化物と再会したのだった。

 こっちの再会には、なんの感動もなかったけどな。

6.

「おいおい、なんだよ、あれ」

 前回と同じく囮に出した小舟を、海面から生え出た巨大な触手がウネウネと蠢き囲む様を目の当たりにして、イリアが呆けたようにこぼしたのが聞こえた。

「いや、そりゃ話には聞いてたけどな。あんな化物バケモン、こんな船一隻でどうしようってんだよ」

 誰にともなく問いかける。

「やっぱり、アンタら冒険者から見ても、アレはとんでもない化物なんだね」

とびっきりだよ。俺も冒険者暮らしはヴァイスより長いけどさ、あんな化物バケモン見たことないね」

 養父の仇の手強さを認められて、グレースがどこか得意げに見えるのは、俺の穿ち過ぎだろうか——ホラやっぱり、みたいな顔をこっちに向けやがった。気のせいじゃなかったわ。

 あのな。これからやり合う相手が強くて良いことなんて、何ひとつ無ぇからな?

「あんなのと戦わせる為に呼ぶなんて、酷いお嬢さんだよ」

「いや、アンタらはアタイが呼んだ訳じゃないから、それを言われてもねぇ」

 二人して、こっちを見ないでもらえます?

 ハイハイ、どうせ俺が全部悪ぅございますよ。

 見ると、他の魔法使い達も、軒並み肝を潰した顔をしている。

 討伐対象については、いちおう事前に伝えたつもりだったんだが、やはり目の当たりにした実物は想像を遥かに凌駕していたらしい。

 気持ちは良く分かるぜ。俺も二ヶ月前に、同じような顔してただろうからな。

 対象が巨大すぎて感覚が麻痺している所為か、なんだか記憶よりもさらに大きく感じられる。

 ヌメヌメと陽光を照り返す体皮が嫌悪感を誘う。

 時折覗く裏側の吸盤なんて、ひとつひとつが姫さんの身長くらいあるんじゃねぇのか、アレ?

 だが、為す術もなかった前回と違って、今回はこっちも備えてきてるからな。

「ま、お嬢さんのご希望ってんじゃ仕方ない。やりますよ。やってやろうじゃないの」

「ありがとう。恩にきるよ」

 有無を言わせず、ニッコリと笑顔をイリアに押し付けるグレース。

「そんじゃ、手筈通りに、よろしく頼むぜ」

「ちゃっかり乗っかってんなよ、ヴァイス……ちぇっ。あの時、魔法協会でお前に声なんか掛けるんじゃなかったぜ」

 イリアは頭を掻きながら、同僚を振り返る。

「よーし、お前ら。仕方ねぇから、貰った金の分だけ働くとすんぞー」

 気の抜けた号令に応じて、口々にブツクサ言いながらも位置につく魔法使い達。

 流石に全員冒険者だけあって、使い物にならないくらいビビってる奴はいねぇな。

「フゥマ。お前も準備はいいだろうな」

「当たり前だろ! さっきから、待ちくたびれてるっての!」

 魔法の玉を片手に、待ち切れないみたいな獰猛な笑みを浮かべるフゥマ。

 頼むぜ、お前が今回の主戦力だ。特訓の成果を見せてくれよ。

 その隣りで木箱の脇に片膝をついた姫さんの準備も万端だ。

 いや、危ねぇからキャビンにでも隠れてろって言ったんだけどさ、どうしてもなんか手伝いたいっていうから、魔法の玉をフゥマに手渡す役をやってもらうことにしたのだ。ホントはこんな危ない場所に、置いときたくないんだが。

「グレース達も。おっぱじめるぜ」

「アイ・サー!」

 ようやく仇が討てるとあって、グレースの表情からは僅かに緊張の混じった意気込みが窺える。

 少し遅れて伝達が届いたと思しく、甲板の下からゴトゴトと砲台の位置を調整する音が響いた。

「よーし、全員準備はいいな!」

『おう!!』

 思ったよりも大勢に大音声だいおんじょうで応じられた上に、甲板に姿が見える全員の注目が俺に集まってしまい、ここで終わらせたら尻切れトンボというか、なにやら続けて口上を述べなきゃいけない雰囲気になっちまった。

 くそ、こういうの苦手なのによ。マグナかファングが居れば、全部丸投げできたのに。

 だが、もたくさしてたら、これから一戦やらかそうって熱が冷めちまう。

 えぇい、もうヤケクソだ。

「グレース達にとっちゃ、親愛なる前船長や仲間達の憎っくきかたき討ちだけどよ、なーに、野郎をぶっちめる算段は充分につけてきた!」

『おぉっ!!』

「気楽に、とまでは言わねぇが、打ち合わせた通りにやってくれりゃ、勝利は確実だ!!」

『おぉう!!』

 俺も、よく言うよ、ホント。

「そんじゃ、野郎ども!!」

 ドン、と足を踏み鳴らす。

『おうっ!!』

 ドドン、と踏み鳴らし返す海賊達。

「いっちょ、怪物退治と洒落込もうぜ!!」

『オオォォォッ!!』

 勢いだけだな、マジで。

 つーことで、初っ端は勢い任せが得意そうなお前が適任だ。

「フゥマ!!」

おうッ!!」

「一番槍の栄誉はくれてやる! 目にもの見せてやれ!!」

「ッたりめぇだ!!」

『バイキルト』

「ぉおっしゃあああぁぁあっ!!」

 前回と同じく、甲板の横幅を目一杯使って助走をつけ、フゥマは手にした物を海上で蠢く触手目掛けて投擲した。

 前回と違うのは、投じた物が銛じゃなくて『魔法の玉』ってところだ。

 特訓の成果か、恐ろしい勢いですっ飛んだ豪速球は、見事に目標に命中した衝撃で起爆した。

 一瞬遅れて、玉に仕込まれた魔法が発動し、爆発で飛び散った肉片ごと、球形にクラーケンの肉を抉りつつ上空に転移する。

 よし、想定通りだ。

「見たか!! 抉ってやったぜ、くそったれ!! イケるぜ、野郎ども!!」

『オオォォォッ!!』

 ドドドドド。

 知らず口をついて出た俺の絶叫に、怒号と床板を踏み鳴らす音が応える。

 ハッ、俺のテンション、明らかにおかしいな。

 まぁ、いちおう自分を俯瞰できてるから、まだ大丈夫だろ。

 いまは勢い優先だ。

 下拵えにぬかりはないつもりだが、上手くいくかどうかなんて分からねぇし、こんな人数を指揮したこともねぇからな。下手に考え始めると、不安と恐怖で動けなくなりそうなんだよ。

「フゥマは、そのまま用意した半分まで投げ続けろ!」

「おうよっ!」

 姫さんから次の魔法の玉を受け取って、早くも投擲態勢に入るフゥマ。

「次、魔法使い隊!」

「あいよぉ」

 向こうの仕切りを任せたイリアが応じる。

 言葉自体は気が抜けているが、顔つきを見ると全くやる気が無い訳でもなさそうだ。

 さっき自分で言った通り、払った金の分は働いてくれるだろう。

「頼んでおいた通りだ。交代で順繰りにメラミを唱え続けてくれ!」

「アイ・サー!」

 グレースの真似をしながら、本人にウィンクを投げる。

 この半月足らず、なにくれと粉かけてやがったからな。こんな時まで、抜け目のない男だ。

「最後に、海賊達!!」

『おぉう!!』

「当たるかどうかなんて気にしなくていい! お前らの砲弾を、ありったけあのバケモンに叩き込んでやれ!!」

『オオォッ!!』

 本音を言えば、なるたけ当てて欲しいけどね。

 間断なく、とまではいかないが、フゥマが投じる魔法の玉と、魔法使い達が唱えるメラミ、そして轟音と共に撃ち出される砲弾が、前回と異なり確実に化物クラーケンにダメージを与えていく。

 三、四本の触手に深傷を負わせた頃だろうか——

「野郎! 海に潜りやがった!!」

 檣楼の上から見張りが発した報告を聞くまでもなく、巨大な触手が次々と海中に没するのが見えた。

 いくら知能が高くないとはいえ、さすがにいつまでも海上に姿を晒して、大人しくまとになる愚を嫌ったらしい。

 大きく盛り上がった海面が、急速にこちらに接近する。

 いまから舵を切って間に合う速度じゃない。

「全員、近くの何かに掴まれ——うぉっ!?」

 その海面に乗り上げるように、船が大きく上昇した。

 船縁に腕を絡めて海中を覗き込むと、真下に恐ろしく巨大な影が横たわっているのが見えた。

 海の中なら、こっちの攻撃は届かねぇから、一方的に蹂躙できると踏んだんだろうが——

「バカが。読み通りだぜ

 獲物を捕食する際の手前ぇの習性は、囮のボートで何回も見せてもらったからなぁ。

 化物クラーケンが海中に没した瞬間から、俺と姫さんは木箱を船縁まで引き摺って運んでいた。

「この状況は、例の作戦じゃな!?」

「ああ。こっち側は姫さんが渡してくれ。俺はあっち側に行く——グレース!!」

 少し離れたところにいるグレースに声をかけて、木箱から魔法の玉を拾い上げていると、揺れる足場を物ともせず、フゥマが普通に歩み寄ってきた。

 むんずと玉をひとつ掴み上げる。

「次は下のバケモンにブチ当てりゃいンだよな?」

 真下を指差して投擲態勢に入るフゥマを目にしてギョッとする。

「バッ——やめろ! 違う! 強く投げんな!!」

 海面と接した衝撃で爆発したら、船を巻き込んじまうだろうが!

 だが、結局、魔法の玉はフゥマの手を離れることはなかった。

「うぉお!?」

 おそらく、大海妖クラーケンが触手を真上に伸ばして海賊船を絡みとるべく、海中で姿勢を変えたのだ。

 それだけで、支えを失った海面が急降下する。

 一瞬の浮遊感。

 直後に船体を衝撃が襲い、追い討ちをかけるように滝のような水飛沫が甲板を叩く。

 かと思えば、窪んだ海面に周囲の海水がなだれ込み、再び船体が押し上げられる。

「掴まれ!!」

 大海妖の一挙一動に翻弄されながら、必死に姫さんの手を握る。

 やべぇ、自分がいまどういう状態なのかも、よく分かんねぇ。

 フゥマの阿呆は、海に落ちてねぇだろうな——

「ッにやってんだ!!」

 いきなり後ろから凄い力で引っ張られて、危うく姫さんの手を離しかける。

「ヴァイス——!!」

「絶対ぇ離すなよ!!」

 言われるまでもねぇよ!

 降り注ぐ大量の海水越しに、ミキミキと木が押し潰される重々しい音が聞こえた。

 目の前が黒々とした何かに塗り潰されたと思ったら、体が跳ねるほどの衝撃が床から伝わる。

 なんだ!?

 何がどうした!?

 ザァッと音を立てて甲板に海水が降り注ぎ、ようやく辺りの様子が知れる。

 さっきまで俺と姫さんがいた辺りを、海中から伸びた巨大な触手が打ったのだ。

 それだけで、あの騒ぎなのかよ。

 やっぱ、とんでもねぇバケモンだな。

「ったく、相変わらずドン臭ぇのな、あんた。お陰で、さっきの玉がどっかにいっちまったじゃんか」

 すんでの所のところで俺と姫さんを救ったフゥマが、呆れたように呟く。

 いや、いまのは仕方なくね。

「ヴァイス……」

 下から、ひどく不安げな声が聞こえた。

 必死に掴んでくれていたのだろう、俺と繋いでいたのとは反対側の姫さんの手には、木箱から伸びた紐が握られていたが、横向きに倒れた箱の中には、肝心の魔法の玉が縁に引っ掛かった二個しか残っていなかった。

「すまぬ、ほとんど落ちてしまったのじゃ……」

「いいから、手。見せてみ」

 あーあ、巻き付けた紐が、肌に食い込んで鬱血してるじゃねぇか。痛々しい。無理すんなよな。

 背後でグレースの鋭い声が響く。

「状況を報告しな!」

「いまので潰された間抜けはいませんぜ!」

「魔法使いサン方も無事でさ!!」

「こっちは何人か海に落ちた! ダヴィとルーカスと……残りは確認しやす!」

「間抜けなミイラ取りじゃないんだ、ボート降ろしてソイツラ拾い上げるのは後にしな! コイツをぶっちめるのが先だよ!」

『おぉう!』

 腰からすらりと曲刀を抜いて、グレースが俺達の前に歩み出る。

「アタイの刀が届くトコまで自分から出てくるたぁ、いい度胸じゃないか……お望み通り、コイツを喰らわせてやるよ! ハァッ!!」

 裂帛の気合いと共に斬り下されたグレースの曲刀は、しかしヌメヌメと不気味な光沢に覆われた表皮の上を滑って床を打った。

「——ッ」

 手首を押さえて、悔しそうに触手を睨みつけるグレース。

「大丈夫だ、姫さん。まだ、なんとかなる」

「じゃが……」

 不安そうにこちらを見上げる姫さんの視線を横顔に感じながら、残った二つの魔法の玉の片方をグレースに向かって山なりに放る。

「そいつを使え! いまなら、誰でも当たる距離だ!」

 魔法の玉を両手でそっと包み込むようにして受け取ったグレースは、問いかける視線を一瞬だけ俺にくれた。

「フゥマ! その気色悪ぃ触手を、思いっ切り殴り上げろ! 甲板から引っ剥がせ!! 手前ぇなら、出来んだろ!?」

「誰に物言ってやがる!! 当然だろうがッ!!」

『バイキルト』

 ジャンプ一番、両足で触手の間際に着地したフゥマは、右拳をアホほど振りかぶる。

「ぉおおおぉぉおおおぉっ!!」

 上体を横に寝かせながら振り下ろされた拳が、足場スレスレを掠めて突き上げられる。

「ォラァッ!!」

 ドン。

 分厚い肉を打つ鈍い音と共に、甲板の床板ごと巨大な触手がはがれて跳ね上げられた。

「いまだ!!」

 俺の合図など、必要なかっただろう。

 触手が甲板から離れた瞬間、ロクな説明もないまま全てを諒解したグレースは、手にした魔法の玉を自分の身長の何倍もの高さにある触手の先に向かって思いっ切り投げつけた。

「伏せろ!」

 爆発は刹那。

 周囲の大気と焼け焦げた化物の肉を道連れに、発動した魔法は上空に転移する。

 半ばで千切れるように、海中に没する触手。

「やった!! 喰らわせたぞ! お頭が!!」

「ザマァみろッ!! 見てるか、オヤジ!!」

 ホセに続いて叫んだの、あれ、ペドロの声か?

 無口なあいつの声はほとんど耳にしたことがなかったが、あんな声も出せるんだな。

 幾人かの叫び声を呼び水にして、うおおぉぉ、と周囲の海賊達から雄叫びが上がる。

 よし、ここが勝機だ。アホでも分かる。

 確認するようにこちらを振り向いたグレースに頷いてみせる。

「見たかい、お前達!! ここまで全部、ウチの参謀の読み通りだよ!!」

『おおっ!!』

 さらっと参謀扱いされていることについては、ノリを重視して目を瞑っておこう。

「つまり、こっから先も、最後までヴァイスのお告げ通りになるって寸法さ! やるよ! お前達!! アレ持ってきな!!」

『おうっ!!』

 グレースの命令に応じて、慌ただしく動き出す海賊達。

 高揚する空気の中で、ただひとり、姫さんだけが泣きそうな顔をして俺を見上げていた。

「ヴァイス……」

「ンな顔すんなって。そもそも姫さんは、なんも悪くねぇんだからよ」

 残った魔法の玉をフゥマに放り渡しながら、俺は努めてなんでもない口振りで言い聞かせる。

「じゃが、それで最後ではないか。言っておった作戦を実行するには、とても足りぬであろ——」

 姫さんの言葉が終わらない内に、俺は腰のフクロを叩いてみせた。

 固く結んでいた紐を解いて、口を開けてみせる。

「大丈夫だって言ったろ?」

「あ——」

 魔法の玉がぎっしり詰め込まれたフクロを覗き込んで、姫さんの小さな唇から安堵のため息が漏れる。

 とはいえ、フクロに入る量なんて、たかが知れてるからな。

 残りはちょうど八発しか無いから、確かに無駄撃ちはできない。

「オラァッ!!」

 そう思ったそばから、残り少ない魔法の玉をフゥマが逆の舷側に向かって投げつけて、甲板に叩きつけられようとしていた新たな触手を押し戻す。

 最早、化物クラーケンの触手もほとんどがボロボロだろうが、真下を取られた今の状態じゃ、こっちもジリ貧だ。

 このままだったらな。

「持ってきたぜ! これ使うんだろ!?」

 ホセやペドロを筆頭に、海賊達が縄の束を抱えて周りに集合した。

 縄の先っぽには鉛が括り付けてあり、そのすぐ上は漁師の使う浮き玉の網掛けのように、球形の物を入れられる細工が施してある。

 俺が渡した魔法の玉をそこ入れて、落ちないように口を縛る海賊達。

 最後の魔法の玉を手渡しながら、グレースに声をかける。

「いよいよだな」

「そうだね。礼は終わってからにするけどさ。大したモンだよ、アンタ」

「いや、まぁ、それはマジで終わってからだな……それより、早く配置についてくれ」

「アイ・サー」

 グレースは少し苦笑して、身を翻す。

 海賊達は左右の舷側にそれぞれ四本づつ縄を運び、先につけた魔法の玉を海に落とした。

 しばらく落ちるに任せて縄を繰り出し、赤く色をつけてある端の方で握って止める。

「準備いいぜ!」

「こっちもだ!」

 口々に報告が上がる。

「それじゃ、派手に頼むよ、魔法使いサン方!」

「了解、船長サンキャプテン

 イリアがグレースに親指を立てるのが見えた。さすがに余裕あんな。

 魔法の玉を縄に括り付けて海に落としたのは、船に被害が及ばないように距離を測る為だ。

 いま、八つの玉は、爆発の半径の倍ほども船底から離れた海中にある筈だ。

 つまり、そこは手負いの怪物クラーケンの至近距離。

 魔法の玉の内側は蝋を染み込ませた紙で包まれており、水の中でもしばらく機能を損なわないことは実験済みだった。

 そして、縄を握った海賊達の傍らには、それぞれ魔法使いがひとりづつ付いている。

 俺もグレースの元に歩み寄り、振り返って声をあげる。

「魔法使い隊! 用意はいいな! やるぞ!」

「あいよぉ」

 気の抜けた返事をするイリアはまだマシな方で、無言で片手を上げるだけだったり、あるいは無反応の魔法使い達。

 どうもやっぱり、癖の強いヤツが多いんだよな、職業魔法使いってのは。人のこと言えねぇけど。

 ま、やるこたやる連中だから、他はどうでもいいけどね。

「それじゃ、いくよ!」

 グレースが片手に持った曲刀を振りかぶる。

「撃ち方用意ッ!!」

 海中に下ろした縄の先に繋がっている筈の魔法の玉をイメージする。

ぇッ!!」

『イオラ』

 鋭く刀を振り下ろしたグレースの号令に合わせて、海中で同時に発動した八発のイオラが、怪物クラーケンを巻き込んで海水を沸騰させた。

 ただでさえ広範囲の魔法である上に、八方を塞ぐように同じタイミングで発動させたのだ。

 逃げ場なしだ。

 しかも、このイオラは、直接的に化物にダメージを与えることだけが目的じゃない。

 イオラの衝撃が、化物を囲んで配置された魔法の玉を誘爆させる。

 海水と共に上空に撒き散らされたクラーケンの肉片が、彼奴の本体にダメージを与えたことを何より雄弁に物語っていた。

『うおぉおおぉっ!!』

 血と肉片に塗れた驟雨しゅううを気にした風もなく、海賊達が両手を天に突き上げて勝鬨を上げる。

 狙い通り、完璧だ。

 期待以上に上手く行った。

 これはさすがに、致命傷だろ。

「やったね、ヴァイス!! あんたのお陰だよ!!」

 グレースがバシバシと俺の肩を叩く。

「やれやれ。ヒドい臭いじゃな」

 魔法の玉を落とした責任を感じて暗い顔をしていた姫さんも、肩の荷が下りた表情だ。

 どうにか仕事を完遂できましたかね。

 海面からもうもうと立ち籠める水蒸気に紛れて、ほっと胸を撫で下ろすことが出来たのは、ほんの束の間だった。

 鋭い声が、弛緩しかけた緊張の横っ面をひっ叩く。

「まだだッ!!」

 フゥマが、船の舳先を見通すように、そちら睨みつけていた。

 直後、まるで大きな波に乗り上げるように、急激に船体が進行方向を上にして大きく傾いた。

 船首の方から、ゴロゴロと何人か海賊が悲鳴を上げながら転がり落ちる。

「落ちんなぁっ!!」

「つかまれぇっ!!」

 誰のものとも分からない絶叫が飛び交う中で、巨大な烏賊頭が海中から浮上し、船首の先に姿を現していた。

 あちこち抉れてボロボロの怪物クラーケンが、残った力を振り絞って最後の勝負に出たのだ。

 それは果たして偶然か、はたまた突然変異体ならではの知性の発現か。

 魔法の玉は、全て使い切っちまった。ひとつも残っていない。

 全員でイオラを唱えたばかりだから、魔法もすっからかん。

 しかも、ヤツが船首方向に出現したせいで、舷側の大砲で迎え撃つこともできない。

 見事なまでに、打つ手が無い。

 俺達はいま、化物クラーケンに対して、全くの無力だった。

 千切れかけた触手が海面から次々と生え伸びる様を、離れないように姫さんの手を握ったまま、呆然と見守ることしかできなかった。

 もはや、悲鳴や怒号すら聞こえない。

 状況は絶望的だ。

 誰もが絶体絶命を感じて押し黙り、立ち尽くす中、ただひとり。

 斜めに傾いだ足場を気にした風もなく。

 船首に向かって歩を進める男がいた。

「なぁ、あんた、どう思う?」

 俺の横を通り過ぎながら、そんなことを呟く。

「——なにが?」

「ニックの旦那なら、あのバケモンも、ひとりでぶっ斃しちまうと思うんだよな」

 そんな莫迦バカな。

 いくらなんでも無理だろ。

 そう反論することは、俺にはできなかった。

 あのおっさんならやりかねない。そう思っちまってる。

「でも、きっと一撃でぶっ壊すのは、無理だと思うんだ」

 答える前に、フゥマは最早そそり立つ壁のように見える急勾配を走り出す。

「オレ様は今!! ニックの旦那を超えるッ!!」

 駆け出したフゥマに向かって投じられる二つの丸い影。

「兄ちゃん、ソイツを使え!」

 イリアだ。

 さてはあいつ、俺と同じように、魔法の玉をフクロに二個ほど隠し持ってやがったな。ホントに抜け目がねぇったら。

 受け取ったフゥマの舌打ちが聞こえた気がした。

 だが、さすがに無駄にする気にはなれなかったらしく、走りながらひとつを腕を水平に振って投げる。

 って、お前、どこ投げてんだ!?

 或らぬほうに投じられたかに見えた魔法の玉は、本体を護るように正面に立ち塞がっていた触手を迂回すると、ぐぃと方向を変えて烏賊頭に命中した。

 え、なに今の。なんか、すげぇ曲がったんだけど。

 続いて投じられた二個目の玉が、触手の壁に穴を穿つ。

 フゥマは船首まで駆け上り、思いっ切り踏み切って、その穴をすり抜けた。

「撃滅ッ!!」

 は?

「必殺ッ!!!」

 アホほど体をしならせて作った溜めの反動を全て乗せて、直前に魔法の玉が着弾した烏賊頭に拳を叩きつける。

「海潯破断衝ッ!!」

 巨大な烏賊頭が、見て分かるくらい大きく陥没した。

 やや遅れて、押し出された体液が、あちこちの傷口から吹き出して飛び散る。

 船首を打たんと振り上げられていた触手が、力尽きたように海に落ちた。

 それを追うように、とどめを刺された大海妖クラーケンが、ゆっくりと沈んでいく。

 しばらく、誰も動かなかった。

 多分、これで終わりだということが、信じられなかったんだと思う。

「おわっとぉ!?」

 沈みかけの頭部を蹴って船に跳び移ろうとして、わずかに距離が足りず海に落ちたフゥマの素っ頓狂な叫び声で我に返る。

「急いでボートを下ろしな! 怪物退治の立役者を死なせるんじゃないよ! さっき落っこちた奴らも、全員拾い上げるんだよ!!」

「おぅっ!!」

 勝利の余韻もあらばこそ、グレースの素早い指示に応じて、海賊達が行動を再開する。

 ていうか、フゥマ、お前。てっきり必殺技とか、そういう子供ガキっぽいのは卒業したのかと思ってたぜ。

 この数ヶ月、そんなこと言った試しがなかったじゃねぇか。

 ここまでの道中じゃ、必殺技を出すほど追い込まれなかっただけの話か——つか、必殺技て。

 御大層な名前までつけちゃいるが、要するにフゥマのやったことは、思いっ切りぶん殴っただけだ。

 実際はあいつなりの工夫や気の運用が色々と秘められているのかも知れないが——後から聞いたら、本当にあったらしい。シントーケーがどうとか言ってたが、説明が下手くそ過ぎてさっぱり分からなかった——少なくとも門外漢の俺からすれば、そういう風にしか見えなかった。

 ただし、威力だけは冗談じゃないのも、相変わらずだったな。

 乾いた笑いが口から漏れると同時に、急に全身がズシリと重く感じるほどの疲労を覚えて、俺はその場にへたり込んだ。

「大事ないか、ヴァイス」

「まぁ、なんとかな」

 姫さんに向けた笑みは、さぞかし力無く映ったに違いない。

 はー……マジで、上手くいって良かった。

 準備に二ヶ月もかけた甲斐があったってモンだ。

 ようやくグッスリ眠れそうだ。

「わらわは本来、このような野蛮な狂騒は好まぬのじゃが……」

 頭に置かれた小さい手が、優しく髪を撫でる。

「今回は、ご苦労さまじゃったな」

「ホントにな」

 もう二度と、あんな化物とやり合うのも、自分の立てた策に何十人もの人間の命が乗っかるのも、どっちもゴメンだぜ。

 だが、この時の俺は、自分がしでかした事の意味を、まだ正確には把握していなかったのだった。

7.

「じゃあな、ヴァイス。お前が持ってくる話は、もう二度と受けねぇからよ」

 フゥマをはじめとして、海に落ちた要救助者の回収や——幸いなことに、ひとりも欠けることなく見つけることができた。衣服を浮き輪代わりに体力を温存する方法だったり、さすがに海賊だけあって漂流のいろはを身につけていたのが大きかったんだと思う——アチコチ壊れた船体の補修作業が進む中、魔法使い達は一足先にアリアハンに戻ることとなった。

 連れて来るのは手間だが、帰りはルーラでひとっ飛びだからな。楽なもんだ。

 その面倒な筈の往路すら楽にしかねない、例の件は気にかかるが、現時点で俺に出来ることがあるとも思えない。

 何かあっても魔法使いヴァイエル共が手を打つだろうし、とりあえずは俺が心配することじゃねぇな。

 ちなみに、フゥマは回収するなり寝こけてしまったそうだ。

 正しく精も根も使い果たした一撃だったのだろう。

 ていうか、お前、そのザマじゃ、さっきの一対一タイマンでしか使えないじゃねぇか。

「——そう言うなよ。見合うくらいの金は払ったろ」

「バカ言えよ。命あっての物種だろうが」

 イリアの反論に、同僚が何人か頷いている。

 実際、予定よりちょっとばかし無茶をさせた感は否めないので、報酬を倍額請求されても突っぱねるのは難しいところだ。俺はもう素寒貧だから、払えねぇけど。

 ていうか、今回かかった分は、後でまとめてグレースに請求するつもりだからいいんだけどさ、唯でさえすげぇ金額になっちまったからなぁ。これ以上は、さすがに気が引けるというか。事業がはじまったら、そっちでいくらか補填できるといいんだが。

「これは貸しだからな。今度戻ってきたら、メシでも奢れよ?」

 なんだ、ソレでいいのかよ。

 金には困ってない連中ばっかで有り難いね。

「早く。帰ろう」

 後ろで待たせていた魔法使いのひとりにボソッと急かされて、イリアは表情を改める。

「それじゃあ、お嬢さん。名残惜しいが、俺達はここでお別れだ」

「なんだい、やっぱり行っちまうのかい。もうちょい残ってくれりゃ、勝利の宴で盛大に振る舞ってやれるのにさ」

「残念だけど、遠慮しておくよ。航海中に、そんな大盤振る舞いする訳にもいかないだろ」

「そりゃ、まぁ……そうだけど」

 南下している間は、ちょくちょく寄港してたそうだが、レーベでは港に寄った訳じゃなかったからな。

 俺達が運んだ分しか補給していないので、水や食料の備蓄に余裕はないだろう。

「分かったよ。アンタらにも、世話になったね。本当に感謝してるよ」

「なに、俺達は頼まれた仕事をこなしただけだよ。礼なら、そこのヴァイス若いのに言ってやってくれ。今回はアチコチ駆けずり回って、色々と頑張ったみたいだからな」

 なにやら、含みのある目つきを俺に向けるイリア。

 ちぇっ、どこまで知ってんだか。敵わねぇな。

「社長にも、よろしく言っといてくれ」

「ああ、成果含めて報告しとくよ。それじゃ、お嬢さん。今度は個人的に、ご指名を。お嬢さんの依頼なら、いつでも最優先で受けるからさ」

 最後にグレースと握手を交わして、イリア達はルーラでアリアハンへ帰って行った。

「あんな乱痴気騒ぎの後だってのに、落ち着いたもんだね、アンタの仲間達は」

 半ば呆れたようにグレースがこぼす。

「まぁ、普段から魔物の相手ばっかしてるからな。俺より冒険者暮らしが長いヤツばっかだしよ」

「へぇ。じゃあ、みんなアンタのセンパイって訳だ」

「ひとりだけ、違ったかな」

 さっき、ボソッとイリアを急かした女だけは。

「凄いところだね、アリアハンってのは」

 感じ入ったように呟くグレース。ちょうどいいから、ちょっと誤解をといておくか。

「言ったろ? 俺程度のヤツは、別に珍しくもねぇってさ」

「ふぅん?」

「俺も最近、自分を振り返ってよく思うんだけどさ……アレだ。グレースは、これまで接してきた人間に偏りがあったんだと思うぜ。それが良いとか悪いとかは、別にしてさ」

 口にしてから、自分の中でもまだ考えがまとまり切っていないことに気付く。

「付き合う人間が変わると、それまで全然見えてなかった仕組みが見えてくることがあるっていうかさ……なんてんだ? そうやって物の見方が変われば、俺なんてまるきり大したモンじゃないって、すぐに分かるよ」

「さて、それはどうだろうねぇ」

 苦労して言葉にしたのに、グレースはからかうようにとぼけるだけで、答えを煙に巻くのだった。

 その後、ごく普通の魔物に襲われるだけのいつもの日常を取り戻した俺達は、半月ほどの航海の末に海賊のアジトに辿り着いた。

 やれやれ、ようやく経費と報酬の精算ができるってもんだ。

 切り立った崖の下にぽっかりと口を開けた海蝕洞の奥には隠された船渠があり、それがアジトの入り口だった。

 その秘密基地めいた造りに、フゥマはやたらと興奮して、周りの海賊にあれこれ尋ねて回っていた。

 正直に白状すると、俺もちょっとだけワクワクしちまった。

 洞窟の奥の石段を登り、木造りの建物のすぐ脇に出る。

 南国の避暑地にでもありそうな、風通しが良くて過ごしやすそうな建物は、一見して海賊のアジトに見えなかった。

「あれ、お頭!? いまお帰りで!?」

「ああ、ついさっき戻ったところだよ。後でとっときの土産話を聞かせてあげるから、楽しみにしときな」

 すれ違う海賊の相手をしつつ、グレースはこちらを振り向いて辺りを指し示す。

「アンタらの分くらい部屋は余ってるから、後で案内させるよ」

 手入れされた中庭まであるじゃねぇか。マジで、快適そうだな。

 中庭側には壁がなく、頬に当たる風が心地よい。

「——チッ。もっと高く引き取ってくれてもよさそうなのによ」

「っても、こっちも商売だからさぁ。これ以上ってなると、アタシの方が大損しちゃうよん」

 廊下をグレースについて歩いていると、横手の部屋のひとつから、なにやら言い合いをしているようなやり取りが聞こえてきた。

 え、この声——

「お前、アイシャか?」

 会話が聞こえた部屋を覗き込むと、丸太を二つに割って作られたテーブルを挟んで、浅黒い肌をした見覚えのある顔が海賊面と向き合っていた。

 アッサラームで出会った変わり者の商人、アイシャだ。

 え、なんでコイツ、こんなトコにいるの?

 だが、声をかけても、まるで反応しない。

「おい、アイシャ——おいって」

 肩を軽くゆすると、邪険に払い除けられた。

「ちょっと。邪魔しないもらえるかな、商売の話してるんだからさぁ」

 一度もこちらを見ようともしない。

「なんだい、アンタ達、知り合いだったのかい?」

 と、グレース。

「ああ、多分な」

 知り合いだと思っていたのは、俺だけだったみたいですが。

「邪魔して悪かったな」

 言い置いてスゴスゴと立ち去りかけると、後ろから声が追いかけてきた。

「あれぇ、お兄さん? こんなトコで、何やってんのさ」

 いまはじめて気付いたみたいな面を、しゃあしゃあと浮かべてやがる。

 こいつ。

「ああ、グレースの姐さんと一緒ってことは、アタシと一緒にウチの町に来るんだ?」

 なんか知らんが、勝手に納得して話を進めるアイシャ。

「いや、俺は別に——」

「そうだね、マグナ達とも合流することになってるから、ちょうどいいもんね」

 は——?

 思わぬ名前を出されて絶句している俺に向かって、アイシャは小首を傾げてみせるのだった。

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