34. Sometimes I Get Lonely

1.

 ヒミコの元を後にした俺達は、屋敷で出くわした奇怪な住人共の毒気にあてられたように、どことなく淀んだ空気を引き連れたままタタラの家に戻った。

 土間から上がろうとしたところで腕を引かれて、危うく仰向けに倒れそうになる。

「怖かった……」

 振り返ると、元々肌の白いエフィの顔色は、いつもよりさらに蒼褪めていた。

「——ん?大丈夫か?」

 倒されそうになった文句の呑み込んで声をかけると、それまで大人しかったエフィが、ようやく緊張から解放されたみたいにまくし立てる。

「……なんなの、この国?なんだか、おかしいわよ。あのお付きの人達もそうだけれど、それよりも、あのヒミコという方……あれが仮にも一国を統治する立場の御方とは、とても思えなかったわ。すごく不気味で……まるで、あの魔物を前にした時みたいな感じがしたもの——」

 あの魔物ってのは、ニュズのことか。

 それはともかく、エフィの手を軽く叩いて、タタラの方に目くばせをする。

「あ——ごめんなさい。いやだわ、私ったら……あの、貴方の故郷を悪く言うつもりではなかったのだけれど……」

「いんや……お嬢様の言うことさ、オラにもなんとなく分からなくはねぇだ。ヒミコ様は、神通力さ身につけなすってから、なんだかお変わりになられちまっただからな」

 タタラは自嘲を漏らす。

「さっき生まれて初めて、お目通りさかなったばっかのオラが言うことじゃねぇけんどもな。んな、畏れ多い……だけんど、昔はこんな風じゃなかっただ。オロチさ出るようになってから、なんだかこの国さ、すっかり様子が変わっちまっただよ」

「……その口振りだと、ヒミコが妙な力を身につけたのは、オロチが出るようになったのと同じくらいの時期なのか?」

 そう問うと、タタラは少し首を捻ってみせた。

「あ、ああ……んだな。そう言われてみたら——」

「そこまでにしておけ」

 タタラの言葉を遮ったのは、ファングだった。

「ここでは、それ以上喋るな」

 外で拾ってきたのか、両手に拳大の石を握っている。

 なんのつもりだ?

2.

「おい、そこの」

 ファングは、天井に向かって呼びかけた。

「貴様等が、夕べからずっとウロチョロしてるのは分かっている。これまでは捨て置いたが、事情が変わったんでな。少し待ってやるから、大人しくこの場を立ち去るか、痛い目を見るか、今すぐどちらか選べ」

 タタラやエフィは、きょとんとしてファングを見ていた。

 多分、俺も同じような顔つきだったに違いない。

 だって、どう見ても、誰も居ないところに向かって話しかけてるんだもんよ、この馬鹿。

「フン、聞く耳ナシか」

 ほどなくファングは呟いて、ちらりとタタラを見た。

「すまんな。後で直す」

 そして、手にした石を握り締めると、天井に向かって力まかせに投げつけた。

 馬鹿力で投擲された石は、ぼすん、みたいな音を立てて軽々と天井を突き抜け、ぽっかりと穴を残す。

「ちょっ——!?」

「ほぅ」

 制止しようとするタタラに構わず、もう一個の石を投げるファング。

 屋根を貫通した石が何かに当たる鈍い音がして、微かな呻き声とまろぶ気配に続き、ドサリと大きな物が地面に落ちた音が響いた。

 呆気に取られていた俺は、ファングがすたすたと表に歩み出たのに気付いて、慌てて後を追う。

「二投目も、それなりに躱してみせたか。大したモンだな」

 タタラの家の横手に回り込み、ファングの肩越しに覗き見ると、そこには黒づくめの人影が肩を押さえて蹲っていた。

 さっきヒミコの屋敷で見かけた連中と、同じ格好だ。

「さて、どうする。やるのか?俺は構わんぞ?」

 ファングの口調は、やけに生き生きとしていた。

 暴れるのがお好きな勇者様としては、例のチョンマゲとの立会いをリィナに横取りされた鬱憤が溜まっていたらしい。

 黒づくめは答えずに、肩を押さえながら逆の手で懐をまさぐった。

「下がってろ!」

 黒づくめを横目に捉えつつ体半分振り向いて、一緒に家から出ていたお嬢や姫さんを後ろに押しやる。

 だが、黒づくめの行動は予想外だった。

 懐から取り出した奇妙な玉を、俺達の方ではなく地面に向かって投げつけたのだ。

 ショボい爆発音の割りには、異様に大量の煙がもうもうと立ち込めて視界を塞ぐ。

 微風が煙を掻き散らした後には、黒づくめの姿は、もうどこにも無かった。

3.

「フン、逃げたか」

 ファングは、子供が玩具を取り上げられたみたいな、つまらなそうな口振りで吐き捨てた。

「腕に自信が無い訳でもなさそうなんだがな。やはり、どちらかと言えば間諜の類いか」

「なんじゃ?なにが、どうなっておるのじゃ?」

「なに?なんなの?」

 すっかり薄くなった煙を、なおも顔を顰めて手で払いつつ、姫さんやエフィが誰にともなく尋ねた。

「おい、今のって——」

 問い掛けると、ファングは軽く肩を竦めた。

「見ての通りだ。俺達は昨夜から、ずっと見張られていた」

「なんですって!?」

 エフィが悲鳴じみた声をあげる。

 うん、まぁ、気持ちは分かるよ。

 けど、痴漢に覗かれてたとか、そういうのとはちょっと事情が違うんだからな?

「着いたばかりで状況も分からんし、隠れて見ているだけで特別な害意も感じなかったんでな。ひとまず放っておいたんだが、ヒミコの手の者と分かった以上、あまり悪罵が筒抜けになるのは、何かと都合が悪いだろう」

「なるほどね。さっきのアレって、そういうことだったのか」

 俺は思わず、納得の呟きを漏らしていた。

「だな。下らんカラクリだ」

 俺とファングだけで頷き合っているのが気に喰わなかったのか、姫さんとエフィが立て続けに問い質す。

「なんじゃ?何が、そういうことなのじゃ?」

「そうだわ。なによ、男同士で、いやらしい。ちゃんと、説明してちょうだい」

 いや、お前、いやらしいって。

 まぁ、男同士で内緒話なんかして、って意味なんだろうけどさ。

「うん、あのさ。さっきヒミコが、こっちが名乗る前から俺達の名前を知ってたの、覚えてるだろ?」

「もちろん、覚えているわ。それで私は、余計に不気味に思ったのだもの」

「だから、つまりさ。そりゃ不思議でもなんでもなかったってハナシだよ」

「なんでじゃ?——ああ」

 姫さんは合点がいった様子だったが、エフィはさらに拗ねた顔をした。

 ちなみにアメリアは、分かってるんだかいないんだか——まぁ、ファングさえ状況を把握してりゃ、それで良しってつもりなんだろうな、こいつは。

4.

「どういうこと?もっと、はっきり説明してちょうだい」

「だからさ、要するにだな。あの黒づくめ共が、俺達の名前をヒミコに伝えてたんだよ。昨日からずっと見張られてたなら、俺達がお互いに名前を呼び合うのを聞かれてても、おかしくないだろ?」

「ああ——」

 エフィは一転して、なんだそんなことか、みたいな顔つきになった。

 実際、俺も拍子抜けだ。

 ちょいと頭を働かせてみりゃ、コイツは胡散臭い占い師がよく使う手口だぜ。すだれ越しでも強烈だったヒミコの異様な雰囲気に呑まれて、あの場ですぐに思い至らなかったのは、我ながら抜けていたとしか言いようがない。

「神通力などと大層な文句を謳ったところで、蓋を開けてみれば、所詮はこんなモノだ。この有様では、生贄でオロチを鎮めるというヒミコの言い分も、どこまで本当だか怪しいモンだな」

 ファングが言うのも分からなくはないが。

「けど、いちおうホントに、オロチが無差別に村を襲うことは無くなったんだろ?」

 タタラに確認すると、躊躇いがちに顎を引く。

「へぇ。それは、間違ってねぇですだ」

「フン。どうせソコにも、なにかしら下らんカラクリがあるんだろう」

 どういうカラクリか俺は知らんが、とでも言いたげに、ファングは俺を見た。

 面倒臭い考え事は、全部俺に丸投げするつもりなのね。まぁ、お前らしいけどな。

 けど、どうなのかねぇ。多少のカラクリっつーか嘘が含まれてるにしても、オロチを鎮めるって点に関しては、事実がそうなんだし、間違っちゃいない気もするんだが。

 そもそも、国を治める立場の人間が、生贄なんて残酷な犠牲を無意味に民草に強いるメリットがあるのかよ。

 ん?待てよ——

5.

「あの連中——黒づくめの奴等とか、リィナとやり合った剣士は、元からこの国に居た連中なのか?」

 チョンマゲ頭の変な喋り方を思い出して、とある考えがふと浮かんだ俺は、タタラに尋ねた。

「いんや、そうではねぇですだ。そっただ言えば、あん人らがヒミコ様のお側で仕えるようになったんは、割かし最近かも知れねぇだな」

「時期的には、ヒミコが神通力を身につけた前後じゃねぇのか、もしかして?」

 タタラは、考えたこともなかった、みたいな顔つきをした。

「んだな……確かなことさ分からんけども、大体同じ頃だったかも分かんねぇだな」

「言っただろう。ここでは、そのくらいにしておけ。連中が、どこで聞き耳を立てているか分からんぞ」

 ファングの指摘は、尤もだった。

 さっきの黒づくめが、全くの単独で行動していたとは考え辛いし、仮に独りだったとしても、すぐに替わりが遣わされそうだ。どこで耳を澄ませてやがんのか、分かったモンじゃねぇからな。

「とにかく、これでは落ち着いて話もできんな。どこか密談に都合のいい場所はあるか?」

 ファングに言われて、しばらく腕組みをしていたタタラは、ほどなくどこかに思い当たったようだった。

「ああ、そんでしたら、あすこなら大丈夫だと思いますだ——」

6.

 タタラに連れていかれたのは、地下に造られた酒蔵だった。

 入り口には粗末な掘っ立て小屋が建っていて、中に入ると地面の下へ階段が続いている。

 なんの灯りも無い階段の先は、本当の真っ暗闇だった。

 俺達はそれぞれ、小屋の隅に用意されていた、細い木の先っぽに蝋燭を差すだけの簡素な手持ち燭台を手に、そろそろと地下へ下りる。

「足元に気をつけろよ」

 声をかけた途端、必死に俺の服の背中を握り締めていたエフィが、ずるっと足を滑らせた。

「きゃあ!?」

「うわ、おいっ!?」

 危ね。

 手持ち燭台を取り落としつつ、半身になってなんとかエフィを抱き止める。

 いや、お前、そういうお約束はいいから。

 マジで危ねぇっての。

「あ、ありがと……」

「だから、気をつけろって言ったろ?」

「……ごめんなさい」

「いや……まぁ、いいけどさ」

 なんだよ、素直に謝んなよ。

「えぇと……そんなに必死こいて抱きつかれたままだと、身動き取れないんですが」

 俺は、とっくにエフィの背中に回していた腕を解いていた。

「え?——わ、分かってるわよ!!」

 お嬢は、あたふたと身を離す。

 いいから落ち着いて、次からはちゃんと足元に注意しろよ。

 手探りで俺とエフィの燭台を拾い上げ、消えていた火を姫さんから分けてもらう。

「やれやれ。階段を転げ落ちるのは、てっきりアメリアの役目かと思っておったが、意外じゃったな」

「そんなぁ、姫さまぁ~」

 とかなんとかやってる内に、地面を掘り貫いて造られた酒蔵に辿り着く。

 中は思ったよりも広くて、小柄な人間ならすっぽり入れそうなデカい酒壷が、ところ狭しと並べられていた。

 地下だけに、もちろん窓も何も無いし、階段との間に質素な扉がいちおう取り付けられているのも、おあつらえ向きだった。隅っこの方で声を顰めて話せば、たとえ扉の向こう側に誰かが張り付いても、ロクに聞こえやしないだろう。

 それにしても、すんげぇ酒臭いな。当たり前だけど。

「ぅ……」

 とか呻いて、お嬢が片手を口に当てるのが見えた。

「念の為、酒壷の中も確認した方がいいな」

 こちらも臭いに顔を顰めながら、ファングが言った。

 ああ、そうね。

7.

「いいよ、エミリー。俺とファングでやるから」

 手伝おうとした姫さんを止めて、手分けして酒壷に乗せられた木の蓋を開けて中身を確認する。

 いくつか空の壷もあったが、まさか誰かが潜んでいるとは、俺も思っていない。

 ファングの言った通り、あくまで念の為だ——

「うわっ!?」

 ほとんど流れ作業じみた意識になっていた俺は、十個目くらいの壷の中に蹲った人間の頭を発見して、思わず叫んじまった。

「どうした!?」

 だが、他の連中が駆け寄った頃には、どうにか平静を取り戻していた。

 壷に隠れていたのが、明らかに無害な、ぶるぶると身を震わせている女だったからだ。

「え~と……あんた、こんなトコで何やってんだ?」

 蓋を持ち上げたままの姿勢で、少々間の抜けた問い掛けをする俺。

「お、お願いでございます……どうか、どうかお見逃しを……せめて、もうひと時、生まれ育った故郷に別れを告げさせて下さいませ……」

 女は酒壷の中で体を丸めたまま、顔も上げずに消え入りそうな声で懇願した。

 いや、俺に頼まれても困るんですけどね。

「おめ……クシナでねぇか!!」

 横合いから壷を覗き込んだタタラが、驚いた声を出した。

「知り合いか?」

「へぇ、んですだ……おめ、こっただトコで、なにさしてるだよ!?」

「……タタラ?」

 ようやく顔を上げた女の目から、一拍置いて涙が零れる。

「なにさしてるだなんて……オラの言うことだ!オメ、今まで、オラのことさ放っといて、どこさ行ってただよ!?」

 ずっと蹲って体が固くなっていたのか、縁につっかえつっかえぎこちなく立ち上がったクシナは、下半身を壷に残したままタタラに抱きついた。

「お、おい……皆さ見てるだよ……ああ、すまんかった、帰りが遅くなってすまんかっただよ……」

 タタラはきょろきょろと俺達を見回しつつ、むせび泣いているクシナの頭を、決まり悪そうに撫でた。

 タタラは照れ臭そうに言葉をぼかしたが、どうやらクシナは結婚の約束まで交わした相手のようだ。

 それなのに、タタラはロクに事情を告げることもなく、助けを呼びに海を越えたらしい。

 既にオロチによって家族を失っていたクシナには、身近に慰めてくれる相手もおらず、次は自分の番だと不安を募らせて、こうして隠れて震えることしか出来なかったのだという。

8.

 そりゃ、怒られても仕方ねぇよ、タタラ。

 つか、お前、恋人がいたのかよ。

 別に……羨ましくねぇけどな。

 ほどなく落ち着いたクシナは、改めて俺達を見回して、こっちの女連中に圧倒されたみたいな顔をした。

 まぁ、本物のお姫様とお嬢様とメイドさんだもんな。すっかり慣れちまって、俺はもう違和感ねぇけど、はじめて目にするヤツからすれば、異常な面子だよな。

 けど、見目麗しいってタイプじゃないけど、クシナも頬っぺたの赤い純朴な感じが好印象だ。

 さっきまでは泣きじゃくりながらタタラを責めていたのに、今はもうすっかり安心した様子で、タタラを立てた控えめな態度に徹している。

 素直で慎み深いっつーか、俺の周りじゃ、あんまり見かけないタイプだね。

 うん……ちょっと羨ましいかな。

 全ての壷を確認し終えて、やっと落ち着いたところで、タタラから改めて詳しい話を聞く。

 ヤマタノオロチは、普段は村外れの洞窟に潜んでいるそうだ。

 生贄に選ばれた女は、オロチのもう一つの好物だという酒と一緒に、そこに運び込まれる。

 今回の生贄に選ばれたのは、今朝タタラの元に相談にきたサノオの恋人のヤヨイだ。

 生贄の女は、いつも大体、日が暮れて間も無い頃にオロチの元へ連れていかれるらしいから、そんなに時間は残されてねぇな。今はもう、昼を過ぎている。

 さて、どうしたもんかね。

「どうもこうも無かろう」

 俺の呟きを耳聡く聞きとがめたファングが、怪訝な顔をした。

 こいつは、とにかく洞窟に踏み込んで、ヤマタノオロチを倒しちまえばそれで済むと思っているのだ。

 実のところ、俺もその通りだと思うんだけどさ——

「生贄と酒は、誰が洞窟まで運ぶんだ?もしかして、あの黒づくめの連中か?」

「いんや、違いますだ。ほれ、さっきウチさ呼びに来た、偉そうな人達がいたでねか。あの人らだと思いますだよ」

 あの兵士みたいな連中か。

「そいつらは、生贄を洞窟の中に運んだ後も、なんつーか……女が逃げ出さないように、見張りに残ったりするのか?」

「それはねぇですだ。洞窟ん中さ連れてったら、すぐに引き返す筈ですだよ。あん人らも、オロチさ喰われたくはねぇでしょうから」

「おい、なんの話をしている?」

 割って入ったファングに、俺は曖昧な顔を向けた。

9.

「いやね……もしかしたら、あの黒づくめの連中が、生贄が逃げないように、陰からこっそり見張ったりするのかも知れねぇけどさ……」

「それがどうした?」

 うん、いま考え中だから、ちょっと待ってくれ。

「え~と……つまり、オロチの不意をついて、楽に倒せる方法を思いついたっていうか……」

 その場ででっちあげた作戦らしきモノを告げても、ファングは不審な表情を崩さなかった。

「回りくどいな。そんな事をせんでも、生贄が運ばれる前に、先んじてオロチを倒してしまえばいいんじゃないのか?」

 はぁ、仰る通りですけどね。

「大体、誰がその代役とやらを……」

 言いかけたところで、ファングは俺の思惑に気付いたようだった。

「なるほどな。そういうことか」

「……まぁな」

「あんのぉ……ちょっといいですだか?」

 タタラが、嘴を挟んできた。

「オロチさ姿を現すんは、ヒミコさまが予言なすった刻限だけって聞きますだ。そうじゃねぇ時は、洞窟中探し回っても、どこさ隠れてんだか全然見つからねぇって話ですだよ」

 これは、思わぬ助け舟だった。

 口をへの字に曲げていたファングは、しぶしぶ肩を竦めてみせる。

「……まぁ、そういうことなら、お前の考えに任せても構わんが……あまり時間は無いぞ。協力を求めたところで、素直に応じる様子じゃなかったが、説得できるのか?」

「それは、まぁ……俺の言い出したことだから、なんとかするよ」

「もぅっ!!また、二人だけで話さないでよ!!」

 文句を言ったエフィをなだめるように、アメリアが後を継ぐ。

「ヴァイスさんは、あの人達に協力してもらうおつもりなんですよね?さっきお会いした、アリアハンの勇者様達に——」

「シェラ達のことか?じゃったら、わらわも一緒に説得に行くのじゃ」

 意気込んだ姫さんに向かって、俺は小さく首を横に振った。

10.

「悪いけど、独りで行かせてくんねぇか。そんなに時間も無いしさ……それに、ちょっと気になることもあるし——」

「わらわじゃって、シェラのことが気になっておるのじゃ!!」

「うん、分かってる。けど、ちゃんと説得して、後であいつらがこっちに来るようにするからさ。姫さんがシェラと話すのは、その時でも遅くはねぇだろ?頼むよ」

 唇を尖らせて俺を睨みつけていた姫さんは、ぷいと顔を背けた。

「……お主らが何を考えておるのか、わらわには、もうよく分からん。勝手にするがいいのじゃ」

「ごめん。ありがとな」

「……あの人達に協力を求めるのは、本当に必要なことなの?」

 エフィの問い掛けは、詰問口調だった。

 俺は、ぎこちなく頷いた。

「ああ。俺は、そうした方がいいと思うんだ」

「……そう。ごめんなさい、おまけで連れて来てもらった足手纏いが、聞いて良いことじゃなかったわね」

 らしくない皮肉は淋しげで、ちょっと気持ちが揺らぎかけた。

「悪い……」

「行くなら、さっさと行って来い。俺達は、タタラの家に戻っている。ここは、酒臭くて敵わんからな」

 鼻の付け根に皺を寄せながら、ファングが俺を追い払う仕草をした。

 そういやこいつ、嫌いって訳でもないみたいだが、あんまり酒は強くねぇんだよな。

「なるべく早く戻ってくるよ」

 そう言い残して、ひと足先に階段を上り、俺は酒蔵を後にした。

11.

 俺のでっち上げた考えというのは、作戦というほど大したモンじゃない。

 単純に、生贄に饗されるヤヨイの身代わりを仕立てようというだけのハナシなのだった。

 さっき思いついたばっかで、細かい部分は考え中だが、兵士共がいちいち生贄の顔形まで把握しているとは思わない。歳の近い女が入れ替われば、おそらくバレないんじゃないだろうか。

 念の為、頭から布を被って顔を隠すとか、もしくは共に饗される酒壷に潜んでおいて、兵士共が引き上げるのを見計らって入れ替わるとかさ、なにかしら方法はあると思うんだ。

 で、オロチが生贄を喰らうべく寄ってきた不意をついて、初撃で深手を負わせちまえば、楽に倒せるんじゃないか。

 どっちにしても、代役は女——しかも、魔物と戦えるだけの腕前を持った女が必要だ。

 俺は、そう強弁したのだ。

 詭弁だってのは、分かってる。

 マグナ達を巻き込まなくたって、ファングさえいりゃ、やりようはいくらでもあるだろうしな。

 言ってみりゃ、これは俺の我侭だ。

 なしくずし的にでもなんでもいいから、とにかくあいつらを巻き込んで、少しでもお互いの溝を埋める契機にしたいだけなんだ。

 だって、こんなに近くに——奇跡的に——居るのに、このまま手をこまねいてたら、ロクに話もしない内に別れるハメになりそうでさ。

 俺の我侭でしかないと承知の上で送り出してくれたファングやエフィには、感謝しねぇとな。

 タタラから聞いた場所にあった教会は、一見とてもそうは見えなくて、危うく通り過ぎかけた。

 それっぽいのは玄関の脇に掲げられたシンボルくらいで、その他の見た目はまるきり普通の民家でしかない。

 こんな質素な教会、はじめてお目にかかったぜ。教会ってのは、国の援助やら喜捨やらで、どこも割りと潤ってる筈なんだけどな。

 民家の脇に、腕まくりをして洗濯物を干している人影が見えた。

 シェラだ。

 相変わらず、甲斐甲斐しく働いてるな——なんてことを思いつつ、俺は少々救われた気分を覚えていた。

 いきなりマグナやリィナと出くわすよりは、いくらか気が楽だ。

 それに——

12.

「よぅ」

 わざと大きく足音を立てて近寄ると、シェラはこちらを振り向いた。

「ヴァイスさん!?」

 驚いた顔が、みるみる険しくなる。

「どうして……無理に来ないでくださいって、言ったじゃないですか!?」

「うん、分かってるんだけど、ちょっと協力して欲しいことがあってさ……」

 俺は、頭を掻きながら続ける。

「それに——シェラの様子も気になってたし」

「——え?」

「さっき、ヒミコの屋敷を出て別れた時にさ、俺の方を見たろ?」

「……はい」

「まるで、助けを求めてる、みたいな目ぇしてたぜ?」

 シェラが、少し息を呑んだのが分かった。

「それで、なんか心配になってさ……」

 俺の言葉が終る前に、シェラの瞳が急速に潤んだ。

「あれ……?ヤダ……なんで……?」

 自分でも意外だったらしく、そんなことを呟きながら、シェラは両手の甲で涙を交互に拭う。

 胸の奥を締め付ける複雑な想いが、俺に口を開かせた。

「……やっぱ、大変なのか?」

「違うんです……あれ、どうして……こんな……泣くつもりなんてないのに……」

 鼻をすすりながら、泣き笑いを浮かべる。

「ごめんなさい……なんだか、急に……気が、緩んじゃって……ヤダな、もぅ……」

「無理すんな。俺の前では、無理しなくていいって言ったろ?」

 自分に言う資格が無いのは身に染みている。

 だから、いまのは勝手に出ていっちまった言葉だ。

「覚えて……ズルいです。そんなの、ズルい……」

 シェラはとうとう俯いて、ごしごしと懸命に目の辺りを両手で擦る。

「うん。俺はズルいよな」

「違う……違うんです……私、もうこんな泣いたりなんて……」

 言葉とは裏腹に、教会の中に居るであろうマグナ達を憚るように、押し殺した嗚咽がシェラから漏れ出すのだった。

13.

「ごめんな……大変だったよな」

 どの口がほざくんだ。

 自分でもそう思うが、口にせずにはいられない。

 せめて今だけでも、好きなように泣いて溜まったモンを流しちまえばいいんだ。

 俺は、そう思ったんだが。

「……ないのに、もぅ、そういうの止めてくださいってば」

 シェラは、無理矢理力づくみたいに泣くのを止めて、鼻をすすりつつ俺を見上げた。

「すみません……もう、大丈夫ですから……」

 以前のシェラなら、こうはいかなかっただろう。

 一抹の淋しさを感じたものの、それよりも何故か妙に嬉しい気持ちが勝った。

 民家の方へちらりと視線をくれて、シェラは続ける。

「とにかく、ここじゃ、その、なんですから……ちょっと向こうに行きませんか?話だったら、とりあえず私が聞きますから」

 そう言って、シェラは庭の端に建っているボロい物置小屋に俺を誘った。

14.

「ここなら、向こうの家まで声も届かないと思いますから」

 小屋の中は、雑然として埃っぽかった。

 壁の隙間から差し込む日光に、漂う塵埃が浮いて見える。

 壁際に空いた場所を見つけたシェラは、ささっと床を払って腰を下ろした。

 そのすぐ横に座り込み、俺はぴったりとシェラに体を寄せる。

「なっ!?ちょっ……なんでですか!もうちょっと、離れてください!近いです、ヴァイスさん!!」

「いや、ジツはな……どうも、監視がついてるみたいなんだ」

 俺はせいぜい真面目ぶった顔をしてみせた。

「はい!?」

「ほら、黒づくめの妙な連中が居ただろ?俺達の方じゃ、あいつらが隠れて聞き耳を立ててやがったんだよ。だから、こっちでも、あいつらがどっかに隠れて覗いてると思うんだ」

「あ——そういえば、さっきリィナさんが……いくら追い払っても無駄だから、もういいや、とか言ってました。その時は、何言ってるのか分からなかったんですけど……」

「だろ?たぶん今も、どっかから覗かれてると思うんだ。だから、聞かれないように、小さい声で話してくれよ」

「……まぁ、分かりましたけど」

 シェラは、いまいち腑に落ちない様子ながらも、不承不承頷いた。

「……なにするんですか」

 言われてはじめて、無意識にシェラの頭の上に手を置いて、ぽんぽんと叩いていたことに気付く。

「ああ、ごめん、悪い……いや、なんつーか、シェラはすごい頑張ってそうだな、と思ったら、つい」

「……いつまでも、子供扱いしないでください」

「してないって。シェラは、すごいしっかりしたもんな。ホント、見違えたよ。でも、すごく変わったけど、やっぱり変わってないっつーか……」

「……なんですか、それ」

「つまり、その——成長したんだな、シェラ」

 俺がそう言うと、シェラは急に俯いて黙りこくった。

 間を持て余して、なんとなく話題を変える。

「マグナ達は、どうしてる?あっちの家に居るのか?」

「……リィナさんは、またどこかで修行してると思います。マグナさんは……あっちでフテ寝してます」

「変わってねぇな、あいつ」

 つい、苦笑が漏れた。

15.

「そういや、ヒミコの前でも、相変わらずだったよな。身も蓋もねぇっつーか、取り付く島も無い言い草がさ」

 空気を和ませようとしてからかい混じりに言うと、何故かシェラはまじまじと俺を見た。

 そんなに見詰めないでくれ。

 お前の顔を、こんなに間近で見るのは久し振りだからさ。よろめきそうになっちまうよ。

「ヴァイスさんは……リィナさんのことは、どう思いました?」

「へ?」

 本気で見とれちまって、返事が遅れた。

「いや、まぁ……どうだろな。俺の所為かも知れないけど、ちょっとおかしい感じはしたな……なんか、ヘンに物を考え過ぎてるっていうか」

 後半は、まんまティミからの引用ですが。

 シェラは、ほぅ、と小さく息を吐いた。

「やっぱり……ヴァイスさんは、よく分かってます」

 思いがけない言葉を聞いた。

「なんだよ?俺は、何も分かってないんじゃなかったのか?」

「あっ——え……と、それは、そうです。分かってないです。でも、ソレとコレとは違うんです!」

 きっと俺を睨みつけたシェラの顔が、ゆるゆると下を向く。

「でも、その……昨日は、ごめんなさい。私、生意気なこと言い過ぎました」

「いや、いいよ。ホントのことだしさ」

「いえ……あんなに言うつもり、無かったんですけど……でも、ダメなんです」

 シェラは両手で顔を覆って、また溜息を吐いた。

「最近、自分でも気付かない内に、すっごく気が立ってることが多くて……よくないって、分かってるんですけど……」

 俺はもう一度、シェラの頭をぽんぽんと叩いた。

 今度は、シェラは文句を言わなかった。

「……ヴァイスさんが言ったみたいに、リィナさん、ちょっとヘンなんです。ううん、表面的には、あんまり変わってないですけど、でも……」

 シェラは俯いたまま、顔を少し傾けて横目で俺を見た。

 うわ、この角度、なんかゾクッとくるな。垂れた髪が顔にかかって、妙な色気みたいなモンすら感じるぞ。

16.

「さっき、あの剣士の人とリィナさんが戦ったのを見て、気付きませんでしたか?」

「へ?——ああ、うん、何に?」

「もう、ちゃんと聞いてたました?」

 ごめん、呆っとしてたわ。

 こいつが身近にいて、どうして平気な顔をしてられてたんだろうな、昔の俺。

「今のリィナさんって、前より一か八かみたいな勝負が多過ぎるんです」

「ああ——」

「もちろん、ヴァイスさんと一緒だった頃から、そういうトコロはありましたけど……でも、やっぱり違うんです。前よりもっと……捨て鉢、じゃないですけど……どう言えばいいんだろ……とにかく、見ててホントに危ういんです」

「うん、分かるよ。俺も、少しは感じたし」

 シェラは両手で自分の膝を抱いて、体を揺らしはじめた。

「はっきり言ってはくれませんけど……多分、リィナさん、今までよりギリギリの死線を潜り抜けないと、もっと強くなれないみたいに考えちゃってるんです。それで失敗して死んじゃっても、それまでのことだ、みたいに……」

 前後に揺れていたシェラの動きが、ぴたりと止まる。

「でも、そんなの、嘘です」

 きっぱりと言い切った。

「私なんかが、リィナさんみたいに強い人のことを、こんな風に言うのは間違ってるかも知れませんけど……でも、そんな強さ、違うと思います。いざという時に、あっさり諦めるクセがついちゃうだけです」

「うん」

「そんなの、私みたいに弱い人が行き着いちゃう考え方で……」

 シェラは、ぎゅっと膝を強く抱いた。

「……リィナさんらしくないです」

 呟きは、正反対の意味を持っているようにも聞こえた。

「そうだな」

 俺は小さく、二度、三度と頷いた。

「俺も、そう思うよ」

 シェラは黙って、また体を揺らしはじめた。

 しばらく、俺も口を利かなかった。

 やがて、シェラがぽつりと囁く。

「ごめんなさい……」

「ん?」

「やっぱり、ヴァイスさんはヴァイスさんでした」

 そりゃそうだ。

 当たり前のことを言われてるだけなのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。

17.

「それは、お前の方こそだぜ。シェラはシェラで、安心したよ。いや、さっきから言ってるみたいに、すごくしっかりはしたけどさ」

「私のは……違うんです。そうしなきゃいけなかっただけっていうか……」

 シェラの声が、微かに震えた。

「だって、ヴァイスさんがいけないんですよ?みんなを繋いでた人が居なくなっちゃったら、私がなんとか頑張らなきゃ仕方ないじゃないですか……じゃないと、すぐバラバラになっちゃいそうで……」

「うん……ごめんな」

「リィナさんはあんなだし……マグナさんは、ずっとあのままで……アルスさんは、結局マグナさんの事だけだし……私、どうしたらいいんですか」

 鼻をすする音がした。

「もう……疲れました」

「……ホント、ごめん」

 俺はシェラの頭を抱き寄せて、肩口に押し付けた。

 お前は、こんなに細くて小さいのにな。

 それでも、きっと不満そうな顔ひとつ、マグナ達には見せないで、心の中では懸命に踏ん張ってたんだよな。

「……こんなこと、言いたくないんですけど」

「ん?」

「なんだか、悔しいから……ホントに、言いたくないんですけど……」

「うん、分かったよ」

 俺の苦笑を呼び水に、シェラは諦めたように続ける。

「やっぱり、すごく気持ちが楽です……安心します。ヴァイスさん……なんで、出ていっちゃったんですか」

「……」

 もう謝ることすら出来なくて、代わりに腕に力を篭めて、さらにシェラの頭を自分の肩口に押し付けた。

「……でも、調子に乗らないでくださいね」

 シェラは鼻をすすりながら、涙声で言った。

「ヴァイスさんはヴァイスさんでしたけど、それだけじゃダメなんですから。もっと、ちゃんと分かってください、色んなこと」

 意味不明だが、言われていることは理解できた。と思う。

「分かってる。ま、そんだけ言えれば、大丈夫そうだな」

「……大丈夫ですよ。もちろんです。今度は、私がマグナさんを助ける番なんですから。その為に、私、頑張って成長したんです」

 シェラは冗談混じりに、さっきの俺が口にした言葉を繰り返した。

「体の方は、そうでもないみたいだけどな」

 俺は、シェラの腰に手を回した。

18.

 脇腹を抓むと、ふにゃっとほどよく柔らかい。

 なんでこいつ、こんなに柔らかいんだ。

 というか、全体的にあり得ないくらいやわっこいんだよな。

 匂いとかもそうだけど、俺の体とはまるきり違うぞ。

 絶対、尻も柔らかいに違いない。

 いや、さすがに触ったことねぇけどさ。

「やっ……ちょっと、調子に乗らないで下さいって言ったじゃないですか!!」

 シェラは両腕で突っぱねて、俺の手を振り払った。

「も~……ヴァイスさんて、ジツはいやらしいですよね。そういうところは、少しは変わっててください!」

 いや、面目ない。

「だって、シェラが相変わらず、すげぇ可愛いからさ」

「なっ——!?」

「いや、相変わらずじゃねぇな。前から馬鹿みたいに可愛かったけど……うん。もっと、綺麗になったよ」

「な、なに言ってるんですか!?だ、誰が……馬鹿みたい、ですか……」

「いや、ホントほんと。なんだか妖しい色気が出てきたっていうの?」

「……からかわないでください。ヴァイスさんこそ馬鹿言ってないで、何か用事があったんじゃないんですか!?」

 身の危険を感じたのか、シェラは座りながら体をよじって、俺から少し離れた。

 あらら。お兄さん、ちょいとショックですよ。

 いっそのこと、色んなトコを触りまくってやろうかと思ったが、どうにか理性が勝利を収める。

 さて、まだ考えがまとまりきってないんだが、どうしたもんかね。

「うん、それなんだけどさ——そういや、アルスの野郎はどうしてる?」

 姑息に時間を稼ぐ俺。

「アルスさんは、今はここに居ないです。マグナさんに言われて、船員の人達と一緒に船の方で寝泊りしてます。もともと——あ、いえ」

 そういや、昨日も船がどうとか言ってたな。

 シェラに問い質すと、なんとポルトガ王からマグナに船が下賜されたというのだ。それも、外洋を航海できるような立派な船だ。バハラタから黒胡椒を持ち帰ったマグナを、勇者と認めたかららしい。

 その船で、はるばる海を越えてジパングまできたって訳か。

 なんだか改めて、この数ヶ月でこいつらにも色々あったんだな。

19.

「それで、ヴァイスさんのお話って、なんですか?」

 再度シェラに問われた俺は、急いで頭を回転させつつオロチ退治の事情を話す。

 俺の歯切れの悪さから、本来はマグナ達に協力してもらう必要はそれほど無いんだけど、お互いの溝を埋めるきっかけにしたいんだ、というところまで、シェラは汲んでくれたようだった。

「……分かりました。私から、説明してみます。リィナさんだったら乗り気になるかも知れませんし、そしたらマグナさんを、無理矢理引っ張っていくと思いますから」

「オロチを退治したら、ヒミコから褒美としてオーブをもらえるかも知れないとか言えば、マグナに対しては説得の材料にならねぇかな?いや、実際もらえるかどうかは分かんねぇけど、ヒミコとの交渉がし易くなるのは間違いねぇと思うしさ」

「あ、そうですね。そう伝えてみます」

「うん。こんなことばっかりシェラに頼んじゃって悪いけど、よろしく頼むよ」

「……」

 何を思ったのか、俺の顔を凝っと見詰めていたシェラは、急に頭を振った。

「ううん、なんでもないです。あの……」

「うん?」

「いえ、なんでも。そうですね、分かりました。なんとかしてみます」

「うん。じゃあ、可愛いシェラに任せるよ」

 いや、なんか、言って欲しそうな顔してたから。

 どうやら正解だったらしく、シェラは両手で頬を押さえて、交互に足をバタバタさせた。

 なんでシェラが相手だと、こういう台詞が平気で口をついて出るのかね、俺も。

 我ながら不思議だが、きっと嘘を吐いてる気が全くしないからだろうな。

20.

 ところが、日が傾きはじめても、マグナ達は一向に姿を現さなかった。

「もう、待っても無駄だな。仕方ない。身代わりの役は、俺がやる。それなりに装えば、誤魔化せなくもないだろう」

 痺れを切らせたファングが、とんでもないことを言い出した。

 まさかとは思うが、お前が女装をするって言ってんじゃねぇだろうな?

 頼むから、やめてくれ。そんな筋肉質のがっちりした女が、どこの世界にいるってんだ。つか、俺が見たくねぇよ。

 無茶を言うファングを宥めながら、はたと思い至る。

 もしかして、あっちの酒蔵の方に行ってるんじゃねぇのか、あいつら。

 別れ際に、タタラってヤツの家で待ってるとシェラには告げた筈だが、あの酒蔵なら黒づくめ連中にも話を聞かれないで済むって話を、同時にしちまったからな。勘違いされたかも知れねぇ。

 普通に考えりゃ、向こうに俺達が居なければ、こっちに来るとは思うんだが……なんか、嫌な予感がした。

 念の為にタタラを留守番に残して、俺達は酒蔵の様子を覗いてみることにした。

 案の定、掘っ立て小屋の中に置いてあった、手持ち燭台の数が減っていた。

 階段を下ると、扉の向こうから微かに声が漏れ伝わる。

「あ~、裏切り者のヴァイスくんだ~」

 先頭に立って扉を開けた俺を、呂律の怪しいリィナの罵り声が迎えた。

 けたけたと笑いながら、こっちを指差している姿が、酒壷の上に置かれた燭台の炎にゆらめいて見える。

 嫌な予感が当たったらしい。

「お前……飲んでんのか?」

「もっちろん、飲んでるよ~?これが飲まずにいられますか、ってね」

「あの、すみません、ヴァイスさん……ここの話をしたら、その、リィナさんが……」

 シェラが申し訳なさそうに頭を下げる。

「うん、いいよ。大体分かる」

「分かるって、何が分かるのさ。ヴァイスくんなんかにぃ~」

 絡むなよ。

「ふ~んだ……はじめて飲む味だけど、このお酒、おいしいねぇ。あ、お金払ったりしなきゃダメかな?ま、それはヴァイスくんに任せた!!」

 仮にも勇者様御一行が、勝手に人様の酒を盗み飲みとかすんなよな。

 まぁ、酔っ払ってくれてて、逆に助かった部分はあるけどさ。

 お蔭でリィナとは、ギスギスした空気にならなくて済んでるし。

21.

 あるいは、リィナの思惑も同じだったのかも知れない。

 多分リィナは、見た目ほどには酔ってない。前に二人で飲んだ時も、そんな感じだったしな。

 こいつは、自分の動きに大きな支障が出るところまでは飲まないだろう、という気がした。

 だが、やけくそ気味に上機嫌なリィナとは対照的に、向こうで酒壺に背をあずけてだらしなく足を投げ出しているマグナは、じとーっと据わった目で俺を睨みつけたまま、ひと言も言葉を発しなかった。

 すいません……怖いです。

「やれやれ。これは一体、なんの騒ぎだ」

 ファングが呆れた口調で呟く。

「悪いが駄目だな、これは。酒に呑まれるような酔っ払いが、役に立つとは思えん」

「ん?誰が役に立たないって?」

 リィナの絡む対象が、ファングに移った。

「貴様以外に、誰かいるのか?」

「ボク?ボクは、全然酔っぱらってなんかいないよ」

「黙れ。話にならん」

「なんだよ、えっらそうに……あ、そうだ」

 なにやら、リィナはにんまりとした。

「ちょっと運動して汗かいたら、お酒なんてあっという間に抜けちゃうと思うんだけど?」

「……それがどうした」

「分かってるクセにぃ。ま、ボクに汗をかかせる自信が無いなら、無理にとは言わないけどね。キミが、かわいそうだし」

「貴様は、少し頭を冷やした方がいいな。どれ、頭から酒壺に突っ込んでやる」

 いやいや。そんなことしたら、余計に酔っぱらうだけだと思うんですが。

「坊ちゃま。そんな、女の方に、いけません——」

 ファングを諌めるアメリアを見て、リィナは目を見開いた。

 そして何故か、俺の方を向く。

「うっわぁ……さっきは気付いてなかったけど、あの人、胸おっきいねぇ。ボクとどっちがおっきいかな?ねぇ、ヴァイスくん?」

 うるせぇよ、酔っ払い。

「なにを下らん言い合いをしておるのじゃ」

 ファング達の背後から、姫さんが顔を覗かせた。

「そんなことをしておる暇は無いのであろ?」

「あ、エミリーちゃんだ!!元気だった~!?」

 それまで絡んでいたファングをあっさり捨て置いて、リィナはエミリーを軽々と抱き上げた。

 ちなみにお嬢はファング達の脇を抜けて、俺の傍らに寄り添っている。

 俺はついつい無意識に、マグナに背を向けるように立ち位置を変えるのだった。

22.

「会えて嬉しいよ!!やっぱりキミって、ほんっと可愛いよね~」

「うむ。お主も元気そうでなによりなのじゃ……なんじゃ!?頬を擦り付けるでない!!」

「うわ~、肌とか赤ん坊みたいだよね~。気持ちいい~」

「こら……よせと言うのに!!」

 ひとしきりかいぐり回して気が済んだのか、リィナはエミリーの脇の下に両手を差し入れると、シェラに向かって差し出した。

「はい、シェラちゃん。愛しの姫様だよ?」

「……もう、何言ってるんですか、リィナさん」

 シェラはやや視線を外しつつ、おずおずと切り出す。

「あの……姫様……」

「お主の言った通りになったな」

 とん、と地面に置かれながら、エミリーが言った。

「……はい?」

「リィナや、あそこで怖い目をしてこっちを睨んでおるイジワル女を連れて、後で会いにくると言ってたのじゃ」

「あ……」

「その通りになったであろ?やっぱりシェラは、わらわに嘘は吐かぬのじゃ」

「はい……ごめんなさい」

 ふらふらと歩み寄ったシェラは、床にひざまずいてエミリーをぎゅっと抱きしめた。

 実際は、ヒミコの屋敷で既に顔を合わせてる訳だが、無粋な突っ込みはナシにしておこう。お互いに会おうと思って会った訳じゃねぇしな。

「なんじゃ、シェラまで。やれやれ、わらわの周りの人間は、甘えたがりが多くて大変なのじゃ」

 小さい掌でシェラの頭を撫でながら、姫さんはちらりと俺に視線をくれた。

 馬鹿言え、俺は違うだろ。

 どっちかっつーと、姫さんが俺に甘えてんじゃねぇか……いや、うん。ごめん。完全に、俺が甘えてるよな。

「とにかくだ、時間が無ぇから、話を進めるぞ。シェラから、ざっとは聞いてるよな?」

「うん、ヒミコサマに喧嘩を売るんでしょ?」

 違ぇよ。

「とにかく、ボクはあのカタナ使いの人とやれれば、なんでもいいや。ドラゴン退治っていうのも、タマには面白そうだしね」

 と、リィナ。

「……お前、ホントに酔いは大丈夫なんだろうな?」

「もっちろん。そこまで飲んでないってば」

「どうだかな」

 吐き捨てたファングがアメリアに窘められているのは、とりあえず置いといて、俺はそろそろとマグナの方を振り向いた。

23.

「マグナも、そんなに離れてないで、こっちに来ないか」

 相変わらず据わった目をして、酒壺に背をあずけているマグナの方から、返事は無かった。

「あいつにも、がぶがぶ飲ませたんじゃねぇだろうな?」

 ひそひそ声で尋ねると、リィナはきょとんとして首を横に振る。

「ううん、ちょっとは飲ませたけど……ホントにちょっとだよ?」

 リィナと違って、あいつは酒に弱いからなぁ。酒の臭いが充満してるここに居るだけでも、ある程度は酔っちまうのかも知れない。

 からみ酒じゃないだけ、よしとしておこう。

「まぁ、いいや。それで、これからどうするかって言うとだな——っ」

 背中に強い衝撃を受けて、俺の言葉は強制的に途中で遮られた。

 振り向くと、いつの間にやら起き上がって、俺のすぐ後ろまで来ていたマグナが、片足を床に下ろしたところだった。

 こいつ、俺の背中を蹴っ飛ばしやがったな。

 つか、無言で蹴らないでください。怖いです。

「なにすんだよ?」

「……別に」

 俺の横では、お嬢が目を丸くしてマグナを見ていた。

 まぁ、こんな乱暴な女は、お嬢の周りにゃいなかっただろうからな。

「えぇと——その、マグナさんも、オーブを手に入れる助けになるなら、協力するって言ってくれましたから」

 シェラが慌ててフォローした。

 うん、お前はホントにいいヤツだな。

 俺は、マグナをこっそりと盗み見た。

 なんで俺、こいつだったんだろ。

「ところでさぁ……」

 ようやく話を進められると思ったら、今度はリィナが腰を折る。

「ヴァイスくん達って、ここにはそのドラゴンを倒しにきたんでしょ?ヒミコサマの前で、そう言ってたよね?」

「ああ、そうだけど?」

 リィナは、皮肉らしくエフィをすがめに見た。

 怯えて、俺の陰に隠れるお嬢。

「だったらさ、ボク達も協力するってコトだから、言わせてもらうケド……なんでそのヒトが、ここに居るのかな?キミ、どう見ても、戦えるヒトじゃないよね?」

 痛いトコ突かれた気分で、俺は咄嗟に切り返せなかった。

24.

「そ、それはそうだけど……私は、この仕事を依頼した人間として、全てを見届ける義務が……」

「なにそれ。無いよ、そんなの。どうせ無理言って、強引についてきちゃったってトコでしょ?キミみたいな足手纏いを連れてるコトが、どんだけヴァイスくん達に負担をかけてるか、分かってるのかな?」

「そ、それは……」

「どんだけ危ないかも分かってなくて、覚悟なんか全然無いクセに、気安くこんなトコに居られても、はっきり言って迷惑なんだよね」

「……っ」

 エフィは、言葉を詰まらせた。

 まいったな。昨日の晩のことで、お嬢に対する含みがリィナに芽生えちまったんだろうか。

「そう突っかかんなよ。こいつを連れてきたのは……」

「わ、私だって、気安い心持ちで、ここに居る訳ではないわ!!」

 意外にも、エフィは反論してみせた。

「き、危険なことくらい、分かってたもの。貴女にどう見えても、それなりに覚悟はしているつもりです!」

「ふぅん」

 リィナは、にんまりと微笑んだ。

「じゃあ、さ。このヒトに、生贄の身代わりになってもらおうよ。危険を承知の上で、覚悟してきたって言ってるんだからさ」

 やぶにらみから表情を一変させて、リィナはけろっと突拍子もないことを言い出した。

「……お前な、無茶言うなよ」

 さすがに口を出した俺の服を、エフィはぎゅっと引っ張った。

「いいえ……やらせて、ヴァイス。私も、何も出来ずにただ足手纏いになるばかりの自分が、ちょうどイヤになっていたところだったから」

「いや、あのな、エフィ——」

「私にも出来ることがあるなら、是非やらせて。お願い、ヴァイス」

 待てって。よく考えろ、エフィ。

 お前じゃ、不意をついてオロチに一太刀あびせるとか出来ねぇだろ。

 第一、髪とか瞳の色は、どうすんだ。ここの連中、みんな髪も目も黒いんだぞ——

「本人がやりたいって言ってるんだから、やらせてあげなよ。危なくなったら、助けてあげればいいでしょ」

 なんでもないことのように言うリィナ。

「お気遣いありがとう。でも、あなたに助けてもらわなくても平気だわ。きっとまた、ヴァイスが守ってくれるもの」

 挑発的に返すお嬢。

「へぇ?」

「……なによ?」

 いや、お前らな。

 まぁ、完膚無きまでに全く自業自得ではあるんだが。

 こんな土壇場で、こんなコトになっちまって、俺は一体どうしたらいいんですか。

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