31. Let's Pretend We're Married
1.
「ヴァイス!こっちじゃ、早く!!」
泣きそうな顔をして、姫さんが俺の手を引く。
「なにを呆っとしてるの!?早く行かなきゃ!?」
エフィもまた、蒼褪めた顔で俺を急かす。
だが、俺はすぐに動こうとせずに立ち尽くしていた。
宿屋にまろび入ってきたエミリーに、アメリアが攫われたことを告げられて、ともあれ表に出たところだ。
事情が事情だから、例の島国から来たとかいうヤツに話を聞くのは後回しだな。
それはいいとして——
「ヴァイス!?なにをしておる!?」
姫さんの焦れた悲鳴。
さて、どうしたもんかね。
「……まぁ、待てよ。まずは、お前らを屋敷に帰すのが先だ」
お前らまでかっ攫われたら、話が余計にややこしくなっちまう。事実、エフィはさっき、かどわかされかけたばっかなんだぜ。
二人だけで帰らせる訳にもいかねぇし、ひとまず俺も一緒に屋敷まで戻るしかない。
手短にそれを説明すると、姫さんは髪を乱してぶんぶんと頭を振った。
「イヤじゃ!!わらわも助けに行くのじゃ!!アメリアがさらわれたのは、わらわを庇ったせいなのじゃ!!」
「そうよ、そんなこと言ってる場合なの!?足手纏いなのは分かるけど、私達は隠れるなりなんなりしてればいいじゃない!はっきりと想像はつかないけど……でも、事態が一刻を争うのは、確かなんでしょう!?」
まぁ、それはそうなんだ。
時間を置けば置くほど、お嬢には想像すら出来ないようなコトをアメリアがされちまう可能性は高くなる。
だから、困ってんじゃねぇか。
けど、こいつらを連れて行くっていうのもな——
『連れて来た以上は、必ず守り抜く。それだけの話だ』
うるせぇ、ファング。黙ってろ。俺は、お前とは違うんだよ。
だが——
「それに、お主だけでは、どこに連れて行かれたか分からないであろ?途中まで後をつけたから、わらわは分かるのじゃ!!じゃから、ヴァイス、早く——」
この姫さんの台詞が決め手だった。
仕方ねぇ。このまま行くか。
アメリアには、昨日の晩に妙な真似しかけた借りもあるしな。
この時言葉に出来なかった、もやもやとした苛立ち。
それはきっと、状況に流されることでしか判断の出来ない自分に対する苛立ちだった。
2.
「あやつら、最初からわらわ達のことを知った上で、狙っておったようなのじゃ」
エフィの屋敷とは逆方向、町外れに向かって走りながら、姫さんはそう語った。
人攫い共は顔は知らない様子だったらしいが、アメリアのメイド服も姫さんの容姿も目立つからな。並んで歩いてれば、目印には充分だ。
とはいえ、俺達はつい昨日、この町に着いたばっかなんだぜ?
解せねぇ話ではあるな。一体、誰がゴロツキ共に、二人のことを教えたんだ?
俺とお嬢が待ち伏せられてた件もあるし、なんだかキナ臭ぇ。まるで、準備万端で待ち受けられてたみたいじゃねぇか。
俺達の場合と同じく、やはり二人連れだったらしい人攫い共に名前を尋ねられて、アメリアは素直に頷いてしまったのだという。
「わらわには悪い人間じゃと、ちゃんと分かったのじゃがな」
エミリーはそう言ったが、ゴロツキ丸出しのあの風体じゃ、あんまり自慢にはならねぇかな。
すぐに本性をあらわしたゴロツキ共から、姫さんはアメリアを引っ張って逃げようとしたのだが、とても振り切れそうにない。
そこで、アメリアが隠しから取り出したのが、『斑蜘蛛糸』だった。
どうやら、ファングの言ってた備えの一端だろう。冒険者がタマに使う道具のひとつで、投げつけると粘着質の糸が絡み付いて相手の動きを封じてくれるってなシロモノだ。
ところが、走りながら取り出して後ろに向かって投げる、という動作はアメリアの運動能力の限界を超えていたようで、放る前にぽとりと落としてしまったんだと。
しかも、地面に落ちた『斑蜘蛛糸』に、自分の足首を絡み取られてズッコケちまう始末だ。
あのな、ドジも時と場所を選べよな。
慌てて腕を掴んで引っ張り起こそうとした姫さんを、アメリアは突き飛ばした。
「姫さまは逃げてください!早く!」
逡巡するエミリーに、アメリアは重ねて口を開く。
「私なら、大丈夫です。ファング様が、きっと助けてくれますから」
そう言って、にっこり笑ったそうだ。
アメリア程ではないにしろ、姫さんにも半分くらいは、その言葉を信じられた。三人で旅をしていた間だけでも、アメリアの危機には必ずファングが幾度となく駆けつけたのだから。
3.
「それに、わらわまで一緒に捕まってしまうよりは、助けを呼んだ方がいいと思ったのじゃ。それで、わらわはアメリアを置き去りにしたのじゃ……」
己を責める口振りで、姫さんは沈んだ声を出したが、いや、いい判断だったと思うぜ。
自分だけ助かろうだなんて、姫さんが考える訳ないのは分かってるしさ。
アメリアを捕まえて、とりあえずよしとしたのか、脱兎の如く逃げ出した姫さんを、人攫い共はあまり本気で追わなかったという。
エミリーはそこらの家屋を回り込んで引き返し、物陰に身を隠しつつ後をつけて、アメリアがどこに連れてかれようとしているのか確かめたそうだ。こうして無事だったからいいものの、あんま無茶すんなよな。
だが、それも町外れまでのこと。それ以上は見晴らしが良すぎて尾行がままならず、草むらを挟んだ先に見える森の奥に消えたことを確認すると、俺達が宿屋を訪れる段取りを思い出した姫さんは、急いで助けを呼びに戻ったのだった。
「ここじゃ。この辺りから、アメリアは森の中に連れて行かれたのじゃ」
いくらか息を弾ませて、姫さんは森の手前で足を止めた。
お嬢は両手を膝について、口も利けないくらいに荒い呼吸を繰り返している。
途中から手を引いてやったんだが、それでもある程度はお嬢のペースに合わさざるを得なかったので、足手纏いは足手纏いだけどさ。でも、まぁ、そんな走り難そうなひらひらしたスカートで、よく頑張ったよ。
「こっから先は、しらみつぶしに探して回るしかねぇってことか」
そんなの、本来は人数が居ねぇと無理なんだけどな。言ってる場合じゃねぇけど。
リィナがいりゃ、下生えに残る足跡を頼りに追えたかも知れないが——そんなことを考えていた俺に、エミリーは首を振ってみせた。
「いや、いま尋ねてみる。少し待つがよい」
いくらか森に踏み込んで、力を抜いて楽に両手を広げ、やや上を向いて目を瞑る。
大して風も吹いてないのに、梢のささやきが森の奥に向かって広がった気がした。
しばらくすると、遠くで、近くで、葉擦れの音がそこかしこから、さわさわと聞こえてくる。
やがて、ぴくんぴくんと長い耳を震わせていた姫さんは、ぱちりと目を開けた。
「お主らに感謝を——すまぬ。見知らぬ者達じゃから、少し手間取った。こっちじゃ」
確信を持って走り出す。
4.
俺と顔を見合わせたお嬢は、訳が分からないといった風に首を捻った。
もしかして、エミリーは今、おとぎ話よろしく木々と会話したってのか。
さすがはホンモノ、いつかのリィナとはワケが違うね。
再び走りはじめてほどなく、元から息の整っていなかったエフィが根を上げた。
「ごめ……ちょ……待って……」
森に入ってから、エミリーの走るペースが異常に早い。お嬢どころか俺まで、必死コイても置いてかれそうだ。
「なにをしておる!急げば追いつけそうなのじゃ!!」
エミリーが焦れったそうに、その場で足踏みをする。
「しょうがねぇ。おぶされ」
背中を向けてしゃがんでみせると、お嬢は一歩後ろに足を退いた。
「い、いやよ、そんな、あなたなんかに……」
「言ってる場合じゃねぇだろ?」
俺だって、誰かを背負って走れるようなガラじゃねぇんだ。それでも、お嬢がのたのた走るよりゃ、多少はマシだと思って言ってやってんじゃねぇか。
「そうよね……ごめんなさい」
珍しく殊勝な顔をして呟き、お嬢は俺の背中に乗った。
あれ、意外なほど軽い。これなら、イケるか——
と思えたのは、最初だけでした。やっぱ、キツいわ。シェラを背負って野山を駆けずり回ってたリィナに、コツってのを教わっときゃよかったぜ。
エミリーが木の根や下生えなど、走り難い場所を避けて先導してくれたお陰で、なんとか小走り程度のペースは保つことができた。
それに、邪魔な枝葉が自ら避けてくれるような按配で——俺は、エミリーとはじめて出会った時の、にやけ面共から全力で逃げた場面を思い出していた。
「もうすぐじゃぞ」
歩調を緩めたエミリーが声を潜めて囁いた時には、俺にも見えていた。
視線の先に、それまで密集していた木々が急に開けた、かなり広い空間がある。
もう少し進むと、広場の端にひどく古ぼけた小屋が見えた。
小屋と言っても小さいモンじゃなく、平屋の造りからして倉庫として使われていたんだろう、普通の家屋よりも余程大きな建物だ。
永らく手入れもされずに放置されていたと見えて、木造りの壁はあちこち朽ち果ててボロボロだった。
おそらく、すぐ裏手を流れている川を利用して町まで運ぶ木材を、一旦置いておくような用途で建てられた物だと思われた。
5.
人攫い共が根城に使っているのは間違さそうだが、ここはその「ひとつ」に過ぎないだろう。
だって、いくらなんでも町から近過ぎる。こんな場所にずっと腰を据えてたら、これまでラスキン卿の手勢に発見されていない方がおかしい。居場所を突き止められないように、何箇所か用意したアジトを転々と移動しているのだと考えるのが自然だ。
まぁ、そんなこと、今はどうでもいいけどさ。
お嬢を背中から下ろし、今度は俺が先頭になって、草薮で体が隠れるように腰を落として倉庫に忍び寄る。
繁みの隙間から覗いた先には、予想外の光景が広がっていた。
ゴロツキ共が、全部で十人以上もゴロゴロと地に伏しているのだ。
何があった——と考えるまでもなく、忌々しくも察しがついた。
ファングの野郎だ。
町からの距離と、川べりという立地を考えれば、あいつが先んじてここを発見していても、それほど不思議じゃない——ホントにアメリアのピンチに居合わせてやがるよ、くそっ。
なんか知らねぇが、すげぇ苛々する。
「——ったく、てこずらせやがって」
その声は、倉庫の中から聞こえてきた。
倉庫の前面を半分以上も占めた幅の広い出入り口は、扉が朽ちて無くなったのか、完全に開け放しだ。
角度を変えて、上手く中が覗ける位置まで移動した俺は、思わずズッコケかけた。
「お前ぇらが、そのオンナ連れくんのがアトちっと遅れたら、危ねぇトコだったぜ。やっぱ、トンでもねぇ野郎だな、コイツぁ」
我が目を疑うことに、そこに居合わせたのは——なんと、ゴリラの兄貴だった。
いや、ほら。俺が昔、アリアハンでパーティを組んでたケダモノ兄弟の兄貴の方だよ。
ちょっと待ってくれ。
俺はさ、ひょっとしたら、グエンの野郎が絡んでんじゃねぇかとは予想してたんだ。ティミが見かけたようなことを言ってたからさ。
けど、コイツは意外もいいトコだ。なんでここに、あのバカが居やがるんだ?
「いやよぉ、まさか、こんなコトになってっとは思わないじゃねぇか」
「これでも途中でちょっかいも出さねぇで、まっすぐ戻ってきたんだぜ?」
ゴリラの近くにいるゴロツキ二人が、交互に言い募る。さらに奥に、もう一人いるようだ。
「あやつらじゃ。あやつらが、アメリアをさらったのじゃ」
姫さんが小声で報告した。
6.
つまりだ。人攫い共のアジトを発見したファングが大暴れをしているトコに、アメリアを攫った連中が戻ってきて、そのまま人質に取られて立場が逆転しちまったってことか。なんて間の悪さだよ。
「だが、まぁ、こうなっちまっちゃあ、ザマぁねぇな。えぇ、大将?たっぷり礼してやっから、覚悟しやがれ」
ファングは装備を解かれて、手足を縄でぐるぐる巻きにされて立っていた。
両腕を後ろ手に縛り上げられた状態で、さらに二の腕の辺りには縄が幾重にも巻かれており、しかも足首から脛にかけて戒められているという念の入れようだ。突っ立ってる以外に、ほとんど身動きもままならないだろう。
ちょっと見え難いが、倉庫の奥にはゴリラの背丈よりもずっと高く、切り口をこちらに向けた丸太が山と積まれていて、その上にアメリアの姿が見えた。
「アリアハンでの礼もな!!やっちまえ、兄貴!!」
そして、例によってネズミ野郎が、飽きもせずにアメリアにナイフを突きつけているのだった。人質とるしか能がねぇのか、手前ぇは。
「案ずるな、アメリア。すぐに助けてやる」
状況だけ見れば絶体絶命にも関わらず、ファングの声は落ち着いていた。
いつもと変わらない。
必ず、どうにかしてくれる。
確信めいてそう予感させる、この上なく頼り甲斐のある態度と口振り——ムカつく。
「はい、ファング様!」
アメリアの返事も、震えはしていたが明るさを失っていなかった。
「フハッ、手前ぇのザマが分かってホザいてやがんのか?いつまでンなタワ言ぬかしてられっか、試してやっか?おぁ?」
俺は、無意識に舌打ちをしていた。
ファングとアメリアのやり取りに呆れたんじゃなく——ゴリラの野郎と同じ感想を抱いちまった、自分に対する舌打ちだ。
「助けに入らぬのか?」
「私達なら、ここに隠れてれば大丈夫でしょう?」
両脇から、姫さんとエフィに囁かれる。
「……まぁ、待てよ。アメリアを人質に取られてるんだ。下手に動いても、ファングの二の舞だよ。もうちょい様子を見させてくれ。あいつらが、まだ俺達の存在に気付いてないってのを、最大限に活かさねぇとな」
俺は、そう答えていた。
嘘じゃないが——全部でもない。
7.
すぐに助けるとか——無責任に、ほざきやがって。
まさか手前ぇが、口だけなんてこたねぇよな?
そんな有様で、どうやってこの場を切り抜けるのか、見せてもらおうじゃねぇか、ファング。
「どれ。ちっと可愛がってやんな」
ゴリラが偉ぶって命じると、ゴロツキのひとりがファングに歩み寄った。
つか、ゴリラ兄。事の次第はよく分かんねぇが、お前、ゴロツキの親玉が似合い過ぎ。まるで違和感無いじゃねぇかよ。
「ヘッ、いいザマだぜ。これじゃ、いっくら腕っ節が立とうがおしめぇだなぁ?あぁ?」
首を妙な角度に曲げ、ヘラヘラ笑いながらファングを斜めに覗き込んだゴロツキは、だしぬけに腹に拳を叩き込んだ。
「おらァッ!!——いってぇッ!?」
殴った方が悲鳴をあげる。
全身を戒められて突っ立ってるだけのファングは、しかしビクともしなかった。
「なんだコリャ、どういう腹筋してやがンだ、この野郎!?まるで岩でも殴ったみてぇだぜ」
「なっさけねぇな。どら、俺にやらしてみろや」
別のゴロツキが腕を回しながら前に出たものの、結果は同じだった。
腹いせに顔面をぶん殴られても、ファングはよろけもしない。
「バッカだなぁ、お前ぇらぁ。ンな硬ぇんならよ、手でぇ殴んなきゃあいいんじゃねぇかよぉ」
残るひとりのゴロツキが、怪しい呂律でほざきつつ、振り回すのに手頃な木材を片手にファングに近づく——いやおい、ちょっと待て。
「ケッ、手前ぇは元から、ガキも張り倒せねぇだろが」
「さっきまで隠れて震えてやがった下呂助が、偉そうにほざくんじゃねぇよ」
そうなのだ。
あいつ、下呂助だ。カンダタの手下の。
ってことはだ——
ここの人攫い連中って、バハラタの時と同じで、あいつらだったのかよ!?
あの時——そうか。ニックとの死闘をどうにか乗り切って、満身創痍だったリィナやフゥマを抱えてそれどころじゃなかったから、気絶した手下連中はそのまま放ってバハラタに戻ったんだ。
グプタからお上に報告がいった筈だが、捕まる前にまんまと逃げおおせてたってことか。そんで、河岸を変えただけで、凝りもせずにまた人攫いに勤しんでたのかよ、こいつら。
8.
はっきり顔を覚えてるのは下呂助だけだが、お嬢を攫おうとした例のゴロツキ二人とも、おそらく俺は顔を合わせてたんだ。
それが、記憶のどこかに薄っすらと残っていて、だからあいつらのことを人攫いだと確信出来たんだ——うわ、恥ずかしい。特別な勘が働いた訳じゃなかったのね。
「うるっせぇよぉ。ニンゲン様が、道具使ってなにが悪ぃってんだ——ほれぇッ!!」
半ば辺りで折れ飛ぶ程の勢いで、木の棒は横殴りにファングの頭に叩きつけられた。
血しぶきが舞う。
さすがに堪え切れずに、地面に転がるファング。
倉庫からはアメリアの悲鳴、左右からは姫さんの唸り声と、エフィの押し殺した悲鳴が聞こえた。
「オイ、まだあんま無茶すんじゃねぇよ。あっさり死なれちゃ、腹の虫がおさまりゃしねぇんだからよ」
ゴリラが脇にしゃがみ込んで、倒れたファングの顔を覗き込む。
「へぇ、気も失ってやがらねぇ。可愛くねぇな——おらよ、どっこらしょ」
髪の毛を掴んで、ゴリラはファングを無理矢理引き摺り起こした。
「さっきとおンなじこと、ぬかしてみろや。ホレ、まだホザけっか?」
「泣くな、アメリア。どうという事はない。いま助ける」
頭から血を流しながらも、ファングの口振りからは、わずかな揺らぎすら感じられなかった。
「はい……はい、ファング様!」
「おッもしれぇ——」
自分で立たせておきながら、ゴリラはファングを力任せに蹴り倒す。
「押さえてろ」
ゴロツキ二人に、うつ伏せに押さえつけられるファング。
「あのオンナが、ずいぶんと大事みてぇじゃねぇかよ、えぇ、大将?」
言いながら、ファングの横っ面を蹴り飛ばす。
「アリアハンでも、そンで世話になったもんなぁ?」
「アメリアには手を出すな。貴様、手を出したらゆる——」
言い終わる前に、ゴリラは髪の毛を掴んでファングの頭を持ち上げると、乱暴に床に叩きつけた。
「ナニ命令してやがる。違ぇだろ?そこはお前ぇ、せめて額を地べたに押し付けて、どうかあのオンナにゃ手ぇ出さないでクダサイって、俺サマにお願いすットコだろうがよ」
ファングの後頭部を押さえつけて、ぐりぐりと力を篭める。
9.
「呆れた能天気な野郎だな。まだ手前ぇの立場が分かんねぇのか?オンナに手ぇ出して欲しくなきゃ、まず詫び入れろや。アリアハンでは生意気コイてスイマセンでしたってなぁ?」
「……下衆の言うことなど信じられるか。俺が詫びを口にしたところで、貴様のやる事に変わりはあるまい」
これを聞いて、ゴリラはぷっと噴き出した。
「こいつぁオミソレだ。俺っちらのコトを、よっくとご存知じゃねぇか。えぇ、大将?そんじゃま、ご期待に応えて無茶してやっから、お前ぇはそこで指咥えて見てろや——ああ、そのザマじゃ、指は咥えらんねぇやな」
面白くもない自分の冗談で、ゲハハと笑うゴリラ。
「悪ぃな、姉ちゃん。アンタの大将がよ、あんまり聞き分けねぇモンだからよ。代わりに姉ちゃんに、ちぃっと遊んでもらわにゃならねぇみたいだぜ?」
両手を揉み合わせながら、アメリアは答える。
「わ、私がお相手すれば、ファング様にもうヒドいことしませんか?」
「そりゃまぁ、姉ちゃん次第だわなぁ」
「わ、分かりました。私でよろしければ、頑張ってお相手します」
自分に出来ることがあることを喜ぶように、アメリアの声はむしろ朗らかだった。
おいおい、状況がちゃんと分かってんだろうな?
「止せ、アメリア。下衆の言うことなど、聞く必要はない」
「お前ぇは指咥えて見てろっつったろうがよ、大将!?」
髪を掴んでファングの頭を持ち上げ、ゴリラは再び床に顔面を打ちつける。
「や、止めてください!坊ちゃまも、それ以上無理しちゃいけません!アメリアなら、大丈夫ですから」
坊ちゃまだってよ、とかヘラヘラ笑い合うゴロツキ共に、アメリアは問い掛ける。
「そ、それで……何をして遊びましょうか?」
思わず、手で顔を覆いたくなった。
明らかに、事態が呑み込めていない口振りだ。
つか、ホントに分かってねぇのかよ——あり得ねぇだろ——だって、いつもファングと一緒の部屋で——まさか、ホントに免疫無いんじゃねぇだろうな?
「マジで言ってやがんのか、このオンナ?遊びっつったら、コレしかねぇだろッ!」
ネズミが甲高い声をあげて、空いた方の手でアメリアの豊かな胸を揉みしだいた。
「——ゃっ!!」
アメリアが胸を庇いながら、その場にしゃがみ込む。
10.
「なななにするんですかぁっ!!だだ駄目です、こここはファング様しか触っちゃ駄目なのです!!」
「ハァ?マジかよ、このオンナ?足りねぇのか?」
「まったくよぉ、揃いも揃って物分りの悪ぃヤツらだなぁ、オイ?姉ちゃんが遊んでくれねぇってんなら、やっぱ大将に相手してもらうしかねぇよなぁ、えぇ?」
またしても、ゴリラはファングを無理矢理立たせた。
「あっ、いけません!!もうファング様にヒドいことしないって——」
「手前ぇが言う事聞かねぇからだろうがッ!!」
後ろからネズミに怒鳴られてビクンと震えた拍子に、アメリアは危うく木材の山から落ちかける。
「チッ……ここで落ちられたんじゃ、ツマんねぇんだよ。もうちょい下がりやがれ」
髪の毛を掴んで引き摺り戻し、ネズミはへたり込んだままのアメリアに、再びナイフを突きつけた。
「大人しくしてろ、アメリア。心配無い。すぐに助ける」
ゴロツキ共に殴られながら、ファングは同じ言葉を繰り返した。
無責任に。
八方塞りのこの状態で、どうするつもりなんだよ。
言うだけで行動が伴わなけりゃ、意味無いじゃねぇか。
なんなんだ——
「ヴァイス……わらわは、もう我慢できぬ」
俺の横で、姫さんが呻いた。
「そうよ!いつまでこんなところで——」
バカ、お嬢、声がデケェよ。
慌てて口を塞いだはいいが、興奮したエフィは俺の手を振り解こうと身をよじる。
その手が繁みを払って、ガサリと葉音を立てた。
「あ?なんだぁ——誰かいやがんのかッ!?」
ゴリラの怒声が響き、お嬢は両手で口を押さえて硬直する。
「おう、ちっと見てこい」
ゴリラに促されて、ゴロツキ二人がタラタラとこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
くそ、しょうがねぇな。
「俺が出ていくから、お前らはこっから離れてろ——言い合いしてる暇はねぇよ。いいから、言う通りにしてくれ」
反論しようとしたエミリーの機先を制して釘を刺す。
「ご、ごめんなさい……」
蒼い顔をしてるエフィには、苦笑を向けた。
「いや、いいよ。どの道、そろそろ隠れてるのも限界だったろ」
それに、お前らと一緒に居ない方が、俺にとっちゃ何かと都合がいいんだ。
11.
「いいか、エミリー。よく聞いてくれ——」
手早く姫さんに後を託して、俺は立ち上がった。
「——俺とあいつらが入るまで待ってから、音を立てないように静かに倉庫の脇に移動しろ。あちこち壁に穴あいてっから、中の様子は覗けると思うけどさ、見つからないように気をつけろよ。いいな?」
ゴロツキ共が側まで来ない内に、繁みを掻き分けて広場に出る。
「お、ホントに居やがったぜ」
「あ?誰だ、お前ぇ?」
両脇をゴロツキに挟まれて倉庫に連れて行かれた俺を、ゴリラがニヤつきながら出迎えた。
「やっぱ手前ぇか、ヴァイス。狡すっからしの手前ぇのことだから、どっかにコソコソ隠れてやがっと思ったぜ」
黙れ、ゴリラ。気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇよ。
つか、なるほどね。
口振りからして、俺とファング達が連れだって事まで、やっぱり承知してやがったみたいだな。
「あんたも、ご苦労なこったな。こんなトコまで、わざわざお礼参りに来やがったのかよ?」
ゴリラは、ゲハハと笑った。
「まぁな。ナメられたまんまじゃシマらねぇだろうが——妙な真似すんじゃねぇぞ、ヴァイス。おかしな素振りを見せやがったら、すぐあのオンナぶっ殺してやっからな」
「分かってるよ」
俺は、両手を上げてみせた。
そう、分かってる。
この場を切り抜けるのは、俺の役目じゃねぇんだよ。
「腕っぷしはからっきしだって、あんたも知ってる筈だろ?ハナから抵抗する気はねぇよ。昔のよしみじゃねぇか、あんまヒドいことしないでくれよな」
「ケッ、相変わらず、ナメたクチききやがる——あのサル女が一緒じゃねぇのは分かってんだ。手前ぇと大将をふん捕まえちまえば、手前ぇらに手が無ぇのは、こちとら承知の助よ。アホが、隠れてブルブル震えてりゃいいのによ、今さら何しようたって無駄だぜ?」
「だから、もう観念してるっての。残念ながら、見つかっちまったらオシマイだよ」
「ヘッ、手前ぇは昔っからそうだったな。アレコレめんどくせぇこと考える割りにゃ、最後の最後で甘ちゃんになりやがる。だから、こいつら可愛がってりゃ、手前ぇからノコノコ出てきやがると思ってたぜ」
黙りやがれ。手前ぇまで、俺をお人好しみたく言うんじゃねぇよ。
12.
「いちおう、コイツもふんじばっとくんだろ?」
尋ねたゴロツキに答えたのは、ゴリラじゃなかった。
返事は、上から降ってきた。
「必要無いですよ。もし魔法を使われたところで、どうせ大したレベルじゃないですからねぇ。僕が完璧に防いであげますよ」
今度は、意表を突かれなかった。
俺の身長の倍ほども、うずたかく積み上げられた丸太の山。その裏手に潜んでやがったのか、さっきまで姿の見えなかったひょろっとした影が、アメリアとネズミの横に立っていた。
「そうだよねぇ、ヴァイス君?お仲間を巻き込んでしまうから、広範囲に効果を及ぼす呪文は使えない。かといって、単体用の攻撃呪文は、僕に撃ち落とされてしまうのは、とっくに証明済みだったよねぇ?」
やっぱり、お前も噛んでやがったかよ、グエン。
「よぅ、久し振り——でもねぇな。もう二度と、そのツラを見ねぇで済むかと期待してたんだけどな」
「おやぁ、ツレないことを言うじゃないか。こっちこそ、君のことだから、びっくりして腰を抜かしてくれると期待してたんだけどねぇ。まさか、僕がここに居ることを、予想してた訳でもないだろうにさぁ」
相変わらず粘着質な、ムカつく喋り方だ。
ティミに目撃されていた手前の迂闊さを、よっぽど指摘してやろうかと思ったが、考えるところがあって止めておいた。
グエンはククッ、と含み笑いを漏らす。
「物事に動じない大物ぶっても、まるで似合いやしないよぉ?君なんて、縛る必要も無い小者に過ぎないんだからねぇ——自由に体は動かせるし、呪文も唱えられるのに、なんにも出来ない自分の無力さを、君はせいぜいそこで噛み締めておくれよ」
嬉しそうだな、この野郎。
「おぅ。いちおう、そいつを見てろや——あぁ、手前ぇにも後で礼してやっから、心配すんなよ、ヴァイス。ぶっ殺せって言われてるしな」
ゴリラに命じられた下呂助が、俺の顔を覗き込んで首を捻った。
「んあ?手前ぇ、どっかで見た顔だなぁ?」
だが、思い出すところまでいかなかったらしく、すぐに諦める。このアル中が。
他の二人のゴロツキも、俺を覚えてないようだ。まぁ、リィナに速攻でぶっ倒されたヤツの顔なんざ、俺もロクに記憶に残ってねぇからな。お互い様かね。
「さってと。待たせたなぁ、大将?続きをやるとすっか?」
ゴリラはアメリアを仰ぎ見て、唇を歪める。
13.
「俺達と遊びたくなったら、いつでも言ってくれよな、姉ちゃん」
「だ、だから、お相手するって言ってるじゃないですかぁ」
「そうかい?そんじゃ、今度は嘘じゃねぇって証拠に、スカート巻くって中見せてみな」
「え——っ!?」
アメリアは、咄嗟に両手でスカートを押さえた。
「そん次は、手前ぇでおべべを脱いでもらおうか」
「え——と、え?」
「兄貴よぉ。マジで頭弱ぇんじゃねぇのか、このオンナ?ホントに分かんねぇのかよ?ストリップしろっつってんだよ」
背後からネズミに声をかけられて、アメリアは挙動不審にあたふたする。
「はは裸になれっていうことですか?そそそんな、だって、こんなに男の方がたくさん居るのに——」
「いや、バカか?隠れて脱がれて、ナニが面白ぇってんだよ」
「なんだい、また嘘吐きやがったのかよ。そんじゃ、やっぱ大将と遊んでもらうしかねぇなぁ」
「わ、分かりました!分かりましたから——」
「アメリア。俺を、信じろ。必ず、助ける」
未だに、ファングの声は平素と変わらない——どころか、より一層、力強かった。
全身を戒められて芋虫のように床に転がり、頭から血を流している状態で、尚。
くそ、意味分かんねぇよ、こいつ——
「あぁッ!?」
同じく理解が及ばなかったらしいゴリラが、ファングの後頭部を踏みつけて哄笑した。
「信じろだぁ!?このザマで、手前ぇのナニをどう信じろってんだよ!?」
ネズミや他のゴロツキ共も、ゲラゲラと笑声をあげる。
その中で、ただ独り——
「信じています」
何故か、俺の心臓はドキンと大きく脈打った。
とても無防備で真っ直ぐな口振り——
「すみません、出すぎた真似をして。大人しく待ってます。私、信じてますから、ファング様」
瞳には涙。満面には笑顔。
無理して自分の感情を抑えつけているのではない、目にしただけで伝わる、ただただファングへの信頼に満ち満ちた表情。
見えざる手に掴まれて絞り上げられたみたいに、胸の奥が苦しくなった。
「……笑えねぇよ」
ゴリラの顔から、笑みが消し飛んでいた。
14.
「シアワセなザマ晒しやがって……そうだよ、ソイツが気に喰わねぇんだ。なんだか知らねぇが、手前ぇらのソイツをブッ壊してやりたくて仕方ねぇんだよ……」
それまでと違う、相手を弄うでない、素に近い口振り。
冷たいものが、俺の内側を撫でて胃の底に落ちる。
恐怖や、嫌な予感を覚えた訳じゃない。
俺がゴリラの野郎に覚えたのは、もっと性質が悪い——共感だった。
その事実が、俺に怖気をふるわせたのだ。
なんだよ、そりゃ。
ファングとアメリアの関係を目の当たりにして、俺もそう思っちまってる。
信じてるから、どうだってんだ。
信じ合ってさえいれば、それで全てが上手くいく。世は全てこともなし——そんな訳ねぇだろうが。
実際、どうにもなってねぇじゃねぇか。
ファングの馬鹿は、いますぐ助けると何度も口にしちゃいるが、現実には縄でぐるぐる巻きにされて床に転がり、惨めなザマを晒している。
いくら信じてたって、この状況はどうにもならねぇだろうが。
俺は、認めねぇ。
どうにもならないハメに陥る可能性が簡単に見越せるのに、それに対してなんら手立てを考えずに、ただ一緒に居たいって手前ぇの我を押し通す。
そんなやり方は、俺は認めねぇよ。
いや——
本当は、分かってるんだ。
そういうことじゃない——ファングとアメリアの関係は。
普段、自分でも意識していない、手前ぇにそんな部分があるだなんて思ってもいない、心の奥の奥底の方。
いつもの自分が、いくら否定しても、そこでは認めちまってる。
羨望にも似た感情と一緒に。
どんなに望んでも、手に入らないに決まってる。
ハナから、そう諦めちまってるモノ。
いや、自分だけじゃない。誰だって望みながら、決して掴めないモノ。
目の前でソレを見せ付けられて、実際にソレは存在するのだと思い知らされて——
でも、自分の手は決して届かない。
それなら——
知らない方がよかった。
憧れの中にしか存在し得ないモノだった方がよかった。
知っちまったら——否定するしかない。
15.
だって、自分にはいなかった。自分を丸ごと信じてくれる人間なんて。
まるで、我が身の分身のように——
何の打算も損得も無く信じ合えるヤツなんて、自分の前には現れなかった。
それとも、気付けなかっただけで、実は居たんだろうか。
自分が、やり方を間違えただけなのか——
それは、恐怖だった。
決して手に入らないのではなく、自分が見落としていただけだとしたら。
自ら手を離していただけだとしたら。
悔やんでも悔やみ切れない、怖ろしいくらいの喪失感。
だから、認める訳にはいかない。
無かった筈のモノを突きつけられて、でも、どうすれば自分の手がそこに届くのかさっぱり分からなくて——羨望は、憎悪に変わる。
目の前から消さなきゃいけない。
ブッ壊して、摺り潰して——
無かったことにするんだ。
「——世の中、そう甘くねぇってコトを教えてやるよ」
ゴリラが言った。
だが、どうする。
どうやって、ブッ壊すんだ。
ファングは、自分とは圧倒的に違う。
こいつは強い。
それは、認めてやる。
ファングがこっちを負け犬と見抜いたように、はじめて目にした瞬間から、それが分かっていた。
腕っ節だけのことじゃない。
裡にぶっといシンが通っていて、脆弱にブレたりしないのだ。
見ているだけで、自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされる。
それが破壊衝動をいや増すのだが——
こいつは、決して折れない。
いくら痛めつけられようとも、それこそ死の瞬間まで、こいつはきっと変わらない。
そんなんじゃ、ブッ壊したことにはならない。
だから、たとえ殺したって、こいつには勝てないのだ。
16.
絶望的だ。どうやったって、今の自分じゃ勝てやしない。
なんであろうと死んじまったらオシマイだ。生きてる自分の勝ちなんだ。外に向かってうそぶくことは出来ても、自分は騙せない。まるで勝てていないことが、自分にだけは嫌というほど理解できて、きっと虚しいだけだろう。
じゃあ、どうする。
どうやったら、ブッ潰して無かったことに出来るんだ——
「とりあえず、そのオンナひん剥け」
淡々とした口調で、ゴリラがネズミに命じた。
「殴られながら、目の前でオンナをヤラれりゃあ、さすがにドニブい大将も、ちったあ手前ぇの立場が分かンだろうよ」
そうなんだ。
おそらくは、無駄だろう。
さっきから、ソレを見せ付けられている。
そうと分かっていても、こいつを直接痛めつけるのではなく——
大切なものを、傷つけるしかない。
俺は——手を貸さねぇぞ。
どんな状況だろうが、必ずアメリアを守り抜くってほざいたよな。
やってみせろよ、ファング。
「ズ、ズリィよぉ。お、俺にもヤラせてくれよぉ」
酔っ払いが、千鳥足でアメリアの方へ向かう。
「待てよ、馬鹿野郎。アトで好きなだけヤラしてやっから、手前ぇはヴァイスの阿呆を見てやがれ——おわっ!?」
ゴリラが驚きの声をあげた。
床に転がっていたファングが、手も足も戒められたまま、体を折り曲げた反動で器用に立ち上がったからだ。
「フン。貴様等、ここまでしておきながら、まだ俺が怖いのか。この臆病者めらが」
「あンだと!?」
ともすれば滑稽な格好でありながら、胸を反らしたファングは、実に堂々として見えた。
「人質を取るなどと卑劣な真似をせずに、直接俺に恨みを晴らしたらどうだ。文字通り手も足も出ないこの俺を、殴ることすら出来んのか、この腰抜けが」
「……面白ぇ」
ゴリラの唇が、嗜虐的な笑みを形作る。
「泣けるねぇ。手前ぇはどうなってもいいから、オンナにだきゃ手を出すなってかい?だが、その手にゃ乗らねぇよ——」
「黙れ。臭い息を撒き散らしてないで、さっさとかかってこい、この屑が」
「手前ぇッ——」
挑発に堪え切れず、ファングの腹をぶん殴ったゴリラが目を剥いた。
どうやって耐えたのか——そんなことが可能なのか——手足を縛られて立ったまま、腕力だけはあるゴリラの拳すら、ファングは耐えてみせた。
決して、折れない——
17.
「野郎ッ!!」
ゴリラの振り下ろした拳が横っ面を叩いても、ファングは倒れなかった。
「痒いな」
ペッ、と血の混じった唾を吐き捨て、ニヤリと笑ったファングを、ゴリラは怒号をあげながら蹴り飛ばす。
「手前ぇッ——野郎ッ——調子コキやがってッ——なにナメた余裕コイてやがんだッ——オラッ——オラッ——オラァッ!!」
怯えた素振りのひとつも見せれば、また話は違っただろう。
だが、ファングの毅然とした態度は、言葉以上にゴリラの頭に血をのぼらせた。
床に転がったファングを、ゴリラは口角から泡を飛ばしながら力任せに蹴りつけ、踏みつける。
その様子を、アメリアは口を真一文字に結んで、涙の浮かんだ瞳を逸らさずに凝っと見詰めていた。
そうなんだ。
こいつら——アメリアもファングも、俺の方を見ようともしやがらねぇんだ。
ファングなんて、さっき俺が連れて来られた時に、ちらりと一瞥をくれただけで、その後は全くこっちを見ていない。
なんでなんだよ。
どうして、俺に助けを求めねぇんだ。
普通は、そうするだろ。
こっちは、縛られてもいない自由の身なんだぜ?
そのザマで、本気で自分だけで、どうにかできると思ってんのかよ。
アメリアにしても、ファングがこの場を切り抜けることを、本当に疑ってすらいないのか。
くそ——なんなんだ、こいつらは。
すげぇ、苛つく。
「おぅ、手前ぇら——そいつが勝手に起き上がんねぇように押さえてろ」
息を弾ませたゴリラの命じるままに、ゴロツキ二人がぐったりしたファングの体を左右から押さえつける。
「まだ殺さねぇ……まだ殺さねぇよ。そのナメた考えブッ潰してやる——おぅ、そのオンナ下ろせ。大将によっく見えるように、目の前でヤッちまうからよ」
悲鳴を上げたのは、蒼褪めた顔をしたアメリアではなかった。
「うわッ——!?」
「こ、こいつ——」
ゴロツキ二人に上から押さえつけられながら——まるで全身が力瘤と化したように、ファングの体が見て分かるほど、一回り以上大きく盛り上がった。
「貴様等……これ以上、俺を怒らせるなよ」
低く押し殺した呻き声。
もう少しで、全身を縛っている縄がぶち切れそうだ。
本当に、あと少し——だが、結局縄は切れずに、ファングはゴリラに頭を踏みつけられた。
18.
「脅かしやがって……マジで、とんでもねぇ野郎だな」
「先にもう少し、弱らせておいた方がいいんじゃないですかねぇ」
なんのつもりか、グエンが上から俺を見下ろした。
「丁度いいじゃないですか。その役は、我らがヴァイス君にやってもらいましょうよ」
なんだと?
「大したレベルじゃないとは言っても、ヴァイス君はいちおう魔法を使えますからねぇ。一番強力な呪文なら、その人をもう少し弱らせるくらいは、さすがのヴァイス君にも出来ると思いますよ」
なんてことを思いつきやがる、グエンの野郎。
「ヘッ、そりゃいいな。全く、いい性格してるよ、アンタ」
「いやはや、動くことすらままならない、瀕死のお仲間に魔法で追い討ちをかけるだなんて、君はなんて卑劣なんだろうねぇ、ヴァイス君。僕だったら、殺されたってそんなこと出来やしないよぉ」
グエンは、くつくつと笑う。
この野郎——
どうやって知り合ったのか分からねぇが、おそらくグエンに手駒としてそそのかされて、ゴリラとネズミの兄弟は、ここまでやって来たんだろう。
その目的は、ファングへの意趣返しだ。
俺への含みも多少はあったかも知れないが、あくまでついででしかない筈だ。わざわざ他の大陸くんだりまで追いかけてくる程じゃない。
何故なら、奴等にとって俺は、同類であり理解の範疇だからだ。ファングに対するソレとは、ムカつきの度合いというか、種類が違うのだ。
だが、グエンはそうじゃない。こいつは、俺を恨んでここに居る。
なんだって、俺みたいなつまんねぇヤツに、ここまで入れ込んでんのかね。
こいつも、よく分かんねぇ野郎だな。
「おら、大将を立たせてやんな」
ゴロツキ二人が、左右からファングを引き起こす。
「分かってんだろうな?避けんじゃねぇぞ、大将——ヴァイス。手前ぇはハイハイ言うこと聞いて、大将に魔法を喰らわしやがれよ?妙な真似しやがったら、あのオンナ、今すぐブッ殺してやっからな」
「いくら君でも、案山子みたいに突っ立ってる相手に魔法を当てるくらいは出来るよねぇ?」
黙れよ、グエン。耳が腐る。
「いけません、ヴァイスさん——」
アメリアがようやく俺に向けた視線は、ただファングの身を案じていた。
19.
「構わん、アメリア」
顔を腫らし、飛び散った血が服のあちこちに滲んでいるような有様で——しかし、ファングはいつもと変わらない。
追い詰められておたおたするでなく、ましてや俺がなんとかしてくれると思っている訳では絶対に無く——
なんなんだ、こいつは。
構わんって、そんな訳ねぇだろうが。
この上にメラミなんか喰らったら、さすがに命に関わるぞ。
どうするつもりなんだ。
まさかメラミの炎で縄を焼き切るだとか、馬鹿なことを考えてるんじゃねぇだろうな。
いや——
もう、いい。
分かった。
もう、分かったから。
そういうことじゃねぇんだよな。
ああなったらどうする、こうされたらどうする、自分の力が足りなかったら、自分の所為で大事な人間を危険に晒しちまったら——
そうじゃねぇんだ。
腕っ節に自信があるから、自分の力が足りないなんてことはある筈がないと思い込んでるから——
そういうのとも、違うんだ。
こいつの強さがその程度のモンなら、今のこの状況でなお、折れない訳がない。
実際、自分に出来るかどうか。
そんなことより、もっとずっと手前の心構え——覚悟——信念——在り方が、そうさせるんだ。
最初から、やることは決まっている。
それ以外は、決して選ばない。
だったら、余計なことをあれこれ思い悩むのは、まるきり無駄ってことじゃねぇのか——
馬鹿が。
これまではどうだったか知らねぇけど、そんなやり方でいつまでも上手くいくと思ってんじゃねぇぞ。
この大馬鹿野郎が。
ボンクラが。
お前が嫌いだ。大嫌いだ。
ちくしょう——
俺は大きく二回、地団太を踏んだ。
「なんでぇ、ヴァイス。覚悟を決めやがったか?——よーし、そのまま動くんじゃねぇぞ、大将」
元より身動きもままならないファングを突っ立たせて、ゴリラ共は脇に身を避けた。
「ホレ、さっさとしやがれよ、ヴァイス。あんまり待たせっとよ、暇潰しに、あのオンナがどうなっても知らねぇぞ?」
ゴロツキ共は、むしろそっちを望んでるみたいに、下品な笑い声を立てる。
アメリアの首筋には、相変わらずネズミのナイフが光っていた。
20.
「いいから、やれ」
ファングが言った。
落ち着いた目をしている——この底抜け馬鹿が。
「気軽に言いやがって……分ぁったよ。唱えりゃいいんだろ、そいつに呪文をよ」
やってやろうじゃねぇか。
どうなっても、責任持たねぇからな。
さんざデカいことほざきやがったんだ。
後は手前ぇでなんとかしてみせろよな、ファング。
「オラ、さっさとしねぇか」
うるせぇな。
もうちょい待てよ、ゴリラ野郎。
「手前ぇ、ヴァイス、この根性無しが。いい加減にしやがれよ?おぅ、そのオンナ、ちっと刻んでやれ——」
「待て。分かった、今やるよ」
そろそろだろ。
「覚悟はいいな、ファング?」
問いかけが無意味なことくらい、分かってる。
こいつは、底無しの大馬鹿野郎だからな。
グエンが、ゴリラとネズミの兄弟が、ゴロツキ共がニヤつきながら遠巻きに眺め、アメリアだけが言いたいことを無理矢理押さえつけてるみたいに口をパクパクさせている。
全員の視線が集まったのを確認して——
「ん?」
俺は、何気なくそちらを向いた。
つられて、連中の視線が後を追う。
「おあッ——!?」
「なんだぁッ——!?」
うずたかく積まれた丸太の端っこから、煙が立ち昇りはじめていた。
よくやった。バッチリだぜ、姫さん。
打ち合わせた通りだ。
突然の出火に、まんまと気を取られた連中を差し置いて、俺は呪文を唱える。
『バイキルト』
絶対、俺の行動を予想もしてなかった筈だ。全財産を賭けてもいい。
なのに、ファングの反応は瞬時だった——そういうトコがムカつくってんだよ、くそったれ。
力を篭めた全身が盛り上がる。
呪文で強化された膂力は、今度こそ戒めをぶち切った。
21.
「アメリア!!」
ファングが叫ぶ。
「あッ——」
最初に我に返ったのは、俺を一番信用していなかったであろうグエンだった。
だが、その制止よりも早く——
火事に気を取られて僅かに離れていたネズミのナイフを逃れ、アメリアは躊躇うことなく空中に身を躍らせた。
「ファング様!!」
床に落ちる寸前で、駆け寄ったファングがしっかりとアメリアを抱き止める。
固く抱き合ったのは一瞬。
「野郎!!」
慌てて踊りかかったゴロツキ二人を、ファングは簡単に倒してのけた。
冗談にしか思えないくらい、あっさりだった。
「さて、ずいぶんと世話になったな」
ファングの声は、思ったより平静だった。
「……つけ狙うのなら、俺だけにしておけばいいものを……よりにもよってアメリアを人質に取るとは、屑が馬鹿な真似をしたものだ……」
いや、全然平静じゃなかった。
すげぇおっかない顔してますけど。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ——」
ゴリラは体の前で手の平を左右に振りながら、怯えて後退る。
こいつにも、分かっているのだ。
縄で全身を縛り付けておく位でなくては、ハナから勝負にならないことを。
踵を返して駆け出そうとしたゴリラの肩を、それほど早足とも見えなかったのに追いついたファングは、後ろからがしっと掴んで止めた。
「後悔しろ」
横殴りの拳が横っ腹を打ち、ゴリラは声も無く「くの字」にぶっ飛んだ。
腰を前に折ったんじゃなく、体が不自然に横にひん曲がったくの字だ。
背骨が折れたんじゃねぇのか、ありゃ。
「あぶっ」
床に転がって血を吐くゴリラの髪の毛を掴んで引き摺り起こし、顔といわず体といわず、ファングは片っ端から拳を打ち込んでいく。
「ぼぼ坊ちゃま!!ももう充分ですから!!」
あまりの凄惨さに泡喰ったアメリアが止めに入らなければ、そのまま殴り殺していただろう。
22.
「後は、あのネズミか」
ギロリとファングに睨み上げられて、ネズミはひぃと溜息みたいな悲鳴を吐いて、その場にへたり込んだ。
「あ、兄貴が……あ、ああ……火が……兄貴ぃ……」
もうもうと煙が立ち込め、炎が足場を侵食しつつあった。
迫り来る炎とファングをきょろきょろと見比べて、焼かれて死ぬよりマシだと思ったのか、腰を抜かしたネズミは必死にケツをずらして丸太の山から不恰好に落ちる。
「ふぎゃっ」
着地で足を挫いて、地面に蹲った。
「ひいぃ……痛ぇ……痛ぇよぉ……勘弁してくれぇ……」
やや大袈裟に見える憐れっぽい素振りは、手心を加えてもらおうってな姑息な演技混じりだろう。
そういうヤツだよ、こいつは。
だが、ファングは一切頓着することなく、兄貴に負けず劣らずの制裁をネズミに加えた。
一方、グエンは立ち尽くしたまま、呆然と俺を見下ろしていた。
分かるぜ、手前ぇの考えてることは。
メラミまでしか唱えられなかった筈の俺が、それより上級の呪文であるバイキルトを唱えたんだもんな。
なんかの間違いであって欲しいよな。
けど、残念ながら間違いじゃねぇんだよ、これが。
『ヒャダルコ』
冷気が吹き荒れ、燃え広がろうとしていた炎を押し包んで凍てつかせた。
俺としても、ここら一帯を焼け野原にしたかった訳じゃないからな。
燃えるに任せたらこっちまで危ねぇし、なにより森に延焼しようモンなら、姫さんに嫌われちまうよ。
「そんな馬鹿な……」
グエンは、ぽつりと呟いた。
23.
「なんで君が、そんな呪文を……そうか、くそっ、嘘を吐いてたんだな!?メラミまでしか使えないだなんて、僕を騙してたんだな!?……全く、卑怯な君らしいよ!!」
俺は、反論しなかった。
グエンにどう思われようが構わねぇし、それに、どうせ俺の言うことなんて信じやしねぇもんよ。
というか、俺自身、あんまり実感無いんだよね。
メラミよりも上等とされる、二、三の呪文を唱えられるようになっていることに俺が気付いたのは、アリアハンを旅立った後だった。
覚えた記憶も無いのに——なにしろダーマからこっち、俺が活躍する機会なんてほとんど無かったからな——いつの間にやら使えるようになっていたのだ。
考えられる理由とすれば、アリアハンで魔法についてそれなりに学んだお陰か——もしくは、ヴァイエルの野郎が何かをしやがったかだ。
薬か何かで眠らされたような、妙に記憶が飛んだみたいな、思い当たるフシがいくつかあるぞ。
呪文を使えるようにしてくれただけなら、まだいいんだけどさ。あの野郎が、それで終わらせる筈がない。他にも、人体実験よろしく余計な真似をされたに決まってんだ。気持ち悪くてしょうがねぇよ。
今度アリアハンに帰ったら、きっちり問い詰めておかねぇと。
「フン——なんだい、ヒャダルコを唱えられたくらいで。そんな得意げな顔をするなら、今度は僕のヒャダインを防いでみろよ!!」
そりゃヤベェな。
ヒャダルコよりも、さらに上級の魔法だ。
無数の氷の矢が、ファング達をも巻き込んで降り注ぐだろう——イオラで防ぎ切れるか?
「もうよしな、グエン」
今まさに呪文を唱えんとしたグエンの口が、開かれたまま動きを止めた。
声に続いて、倉庫の入り口に姿を現したのは、ティミだった。
24.
ティミはじろっと、グエンを下から睨め上げる。
「な、なんで、君がここに……」
「アンタ、何やってんのさ?黙って居なくなったと思ったら、こんなゴロツキ共と一緒ンなって……どんだけ転げ落ちるのが早いんだい。全く、なっさけないねぇ」
「う、うるさいっ!!」
グエンは、動揺を隠せなかった。
この町にティミがいるなんて、夢にも思ってなかった筈だから、無理もねぇけどな。
「年下の癖に、君はいつも偉そうな口利くんじゃないよっ!!」
「アンタが、いつまで経ってもガキなんだろ!ったく、今はスネて逃げてるような場合じゃないだろうにさ……とにかく、これ以上ダーマの恥を晒されちゃ堪んないからね、引き摺ってでも連れて帰るよ!!そこで待ってな!!」
言うが早いが、ティミは駆け出した。
助走をつけたとはいえ、二、三度足をかけただけで、あっと言う間に俺の身長の倍はあろうかという丸太の山を登り切って、慌てて裏手に姿を消したグエンの後を追う。
おそらく、そちらにも木材を運び出す為の出口があるのだろう。追いつ追われつ、二人が外に出た気配があった。
まぁ、あっちは任せるとしますかね。
俺は腰のフクロから薬草を取り出して、床に横たわったファングを介抱しているアメリアに歩み寄った。
「はいよ。これで、そのバカ治してやってくれ」
「あ——はい。ありがとうございます」
しこたまぶん殴られてたし、かなり血も流したしな。さすがに、ぐったりしてやがる。
けど、骨が折れたり致命的な怪我は負っていないようだった。
どんだけ頑丈なんだよ、この馬鹿は。
二人を後に残して、倉庫の脇に回り込むと、姫さんが駆け寄ってきた。
「ヴァイス!!一時は、どうなることかと思ったぞ!」
「ああ、もう大丈夫だ。姫さんも、言った通りにしてくれて、ありがとな」
「あれでよかったのじゃな?」
「うん、助かったよ。よくやったぜ」
俺が足を踏み鳴らすなりなんなりして、二回大きく音を立てたら火をつけろと、姫さんには言い含めてあったのだ。
その為に、魔法使いじゃなくても魔法を使える『魔道士の杖』を渡してあった。
この倉庫の壁は、あちこち腐って穴が空いてるからな。そこに杖を突っ込めば、メラで火をつけるのは難しくない。
25.
「大丈夫か、エフィ?また、怖がらせちまったかな」
凍りついた壁から身を離し、蒼褪めた顔をして立ち尽くしているお嬢の元に歩み寄る。
途中で、ギクリとして足を止めかけた。
「——ほら、いつまでもこんなトコにいねぇで、早くあっちに行こうぜ」
「え——ええ……」
素知らぬ顔をして促すと、まだ少し呆然としながらも、エフィは大人しくついてきた。
最後にちらりと、後ろの繁みに目をやる。
二人のゴロツキが、そこには転がっていた。俺達を待ち伏せてエフィを攫おうとした、例の二人組みだ。
俺達の方が、先にここまで辿り着いてたみたいだな。さっき追っ払われた後、のんびり戻ってきたこいつらに、危うく姫さんとエフィが後ろから襲われるトコだったって訳だ。
それを未然に防いでくれたのが誰なのかは、大体察しがついていた。
姫さん達に気付いた様子は無いから、ソイツはほとんど音も無くゴロツキ二人を倒してのけた筈だ。そんな真似が出来る人間は限られてる。
倉庫に戻ると、ちょうどティミも丸太の山の上に姿を現したところだった。
無造作に宙に足を踏み出し、ほぼ無音で着地する。
猫より身軽だ。リィナを思い出すな。
思い出が誘う胸の痛みは、今までより少し和らいだ気がした。
「ルーラで逃げられたのか?」
手ぶらのティミに問うと、舌打ちが返ってきた。
「まぁね……なんか、横から妙なチビが出てきて、あのバカを手引きしやがってさ。これでまた、イチからやり直しだよ。全く、忌々しいったら」
「そりゃ、残念だったな」
いや、ホントに。あいつの首には、是非とも縄をつけておいて欲しいんだが。
「それはそうと、ありがとな」
「は?何がさ?」
「いや……」
さっきまで姫さん達が居た方にちらりと視線をくれると、それで通じたらしく、ティミは顔を真っ赤にした。
「な、なに言ってんだか、さっぱり分かんないね!ウチは何もしちゃいないよ!?誰が、アンタみたいなアリアハン人の為に、なんにもしてやるもんかい——なに笑ってんのさ!?」
「ああ、悪ぃ……いや、知らないってんなら、別にいいんだ。俺の勘違いだったよ」
「そ、そうさ。妙な勘違いするんじゃないよ!マッタク、いい迷惑だよ!」
そこまで必死に隠すコトでもねぇだろうに。
エラい照れ屋も居たモンだ。
26.
振り返ると、姫さんはアメリアに抱きついて無事を喜んでいた。
その傍らで、お嬢もようやく笑顔を見せている。
薬草でそこそこ回復したらしいファングは、既に立ち上がって、いつものように泰然と女連中の様子を眺めていた。
「それにしても、ありゃ何者だい?いや、只モンじゃないのは、見りゃ分かるけどさ……あの状態で、拳だの蹴りだの喰らいながらシンを外すなんて、普通できるモンじゃないよ」
ファングを見ながら、ティミが呆れた口振りで呟いた。
「ああ、うん。あいつは、サマンオサの勇者様だよ」
「勇者だって?」
ティミは、なんだか複雑な顔つきをした。
「ダーマで言う勇者とは、ワケが違うのかも知れねぇけどさ……つか、あんた。やっぱり隠れて覗いてたんだな。あいつがぶん殴られてるのを黙って見てるなんて、ちょっとヒドいんじゃねぇの?」
からかったつもりが、きょとんとした顔で返される。
「は?だって、アンタが何かするつもりだったんだろ?」
だから、邪魔にならないように大人しく見物してたってのか。
頼むから、そんな当たり前みたいな顔して言わないでくれ。
買い被りだ。居心地悪くて仕方ねぇよ。
曖昧な返事で誤魔化して、向こうの姫さん達の気を引かないように、俺は静かに移動した。
ただ独り、ビビってファングに向かうことすら出来なかった下呂助は、倉庫の端っこで腰を抜かして震えていた。
つか、臭ぇ。
この野郎、小便漏らしてやがる。
垂れ流すのは、せめて下呂だけにしておけよな、汚ぇなぁ。
「おい」
「ひぃっ!!」
あらま。俺にまでビビりまくっちゃって。
「あんたに聞きたいことがあんだけどさ」
ま、話を聞くには、都合いいけどね。
異名に違わず、下呂助は俺の質問に素直にゲロした。怯えまくってる上に呂律も怪しいモンだから、何を言ってるのか理解するのに少々骨が折れたけどな。
なに喰わぬ顔をして戻った俺を、ファングのこんな台詞が迎えた。
「助かった。礼を言う」
俺は、咄嗟に返事が出来なかった。
だって、こいつはこれまで、俺を負け犬だとかさんざん罵倒してやがったんだぞ?
俺がこいつだったら、馬鹿にしてた相手に助けられた気まずさで、素直に礼なんて口にできねぇよ。
なのに、こいつときたら、あっさりと——
27.
はいはい、分かってますよ。どうせ、俺のケツの穴が小さいだけですよ。
こいつは、そんなツマらないことには拘泥しない。
こいつが絶対にブレないのは、己の信念——ただ、それだけだ。
信念にもとらなければ、それ以外の小さいことには拘らないのだ。
そうだよな。
言動が矛盾しちゃいけないだとか、以前の自分が口にした内容に縛られて——過去の自分に囚われて、今の自分を曲げる必要なんて、ホントは無いんだよな。
「恩に着ろよ」
そう答えると、ファングはニヤリと笑った。
やかましい。俺は、手前ぇなんざ嫌いだよ——いや、何も言われてねぇけどさ。
ラスキン卿に引き渡す為、ゴロツキ連中を縛り上げにファングが立ち去ると、おずおずとお嬢が寄ってきた。
「……とにかく、皆無事でよかったわ」
「うん、そうだな」
「あの……」
「ん?」
なんだか、もじもじしてやがる。
「……その、ごめんなさい。結局、足手纏いになってしまって」
しおらしいことを口にした。
なんだ。自分の所為で見つかったのを、まだ気にしてたのか。
謝られても、俺も困るんだよね。すぐにファング達を助けようとしないで隠れてたのは、全く俺の浅墓な気持ちの都合だったんだからさ。
「まぁ、気にすんなよ。エフィが言った通り、全員無事だったんだ。とりあえず、めでたしめでたしってことでいいだろ」
「うん……ありがとう」
おや、まぁ、素直だこと。
けどジツは、どっとはらいにゃまだ早いんだよね。
そうだな。汚名返上って訳じゃないけど、俺も少しはいいトコ見せねぇとな。
俯きがちなエフィの肩に両手を置いて、上げられた顔を凝っと見詰める。
「えっ?な——なによ、真面目な顔して?」
「なぁ、エフィ」
「は——はい」
「結婚しよう、俺と」
「——は?」
エフィは、絶句した。
見ると、姫さんとアメリアも、目をまん丸にしてこちらを眺めていた。