30. I'm Tired Of Good, I'm Trying Bad

1.

 ハッハッハ、と小気味の良いバリトンで笑うラスキン卿は、まるで古い物語から抜け出したみたいな、絵に描いたように立派な紳士だった。

「——するとヴァイス君は、家督を継ぐことを諦めてまで、魔物に苦しめられている人々を救う為に冒険者になったという訳か。いやはや、なんとも素晴らしい志だ。高貴なる義務の見事なる体現と言うべきだろうかね」

 美髯を鷹揚に撫でながら、そんなことを言う。

「本当ですわ、お父様。しかも、この人ったら、それをさも当たり前のように話すの。それで私、すっかり感心してしまったのですわ」

 さっきから気持ち悪いくらいに俺を持ち上げているのは、ラスキン卿の娘であるユーフィミア——つまり、お嬢だ。

「いや、私も感心しているよ。君のような立派な青年と知遇を得たことに、神に感謝を捧げないといけないね」

「あら、お父様。私はもうとっくに、何遍も何遍も捧げましたのよ」

「おやおや、これはご馳走様だ」

 ハッハッハ、ホホホ、とラスキン親子は、お上品に笑い合う。

 カンベンしてくれ。

 俺は、今すぐこの場から逃げ出したい衝動を必死に堪えつつ、凝っとソファに腰を埋めている。

 隣りに座ったユーフィミアが、見せつけるように俺の手に指を絡めたのを見て、父親であるラスキン卿は大袈裟に目を剥いてみせた。

「ごめんあそばせ、お父様。はしたない娘だと、どうぞお怒りにならないでくださいまし。気が付いたら、自然と指が絡んでしまいましたの」

 お嬢は尊敬と親しみを込めた——ように見える——瞳を、俺に向ける。

「だって私、殿方に対してこんな気持ちを抱いたのは、生まれてはじめてなんですもの。夢見がちな娘の戯言だとお笑いになるかも知れませんけれど、やっと運命の人に巡り合えた気がしてますのよ?」

 いつに無く優しい口調でほざく娘と、ぴしゃりと額を叩いてみせる人の良さそうな親父さん。

「これはまた——いやはや、娘の成長というのは嬉しいものだが、矢張りそれよりも寂しさが先に立つものだね?」

「はぁ」

 そして、さっぱり冴えない返事をする俺。

2.

 お嬢があらかじめ、俺のことを寡黙な性質たちだと紹介しておいてくれたお陰で、ラスキン卿はさして気にした風でもなく続ける。

「おお、これは失礼したね。歳若い君には、まだ分からない感情だったかな。だが、そう遠くない将来、君にも実感出来る日が来るのだろうね……とはいえ、私も同時に祖父の気持ちを味わわされるのは、もうしばらく御免蒙りたいが。これで私も、まだまだ若いつもりなのでね」

 ラスキン卿は冗談めかして笑ってみせたが、裏を返せば「君と娘の結婚なんて、まだとても考えられんよ」と言ってる訳だ。まぁ、そりゃそうだ。

「まぁ、お父様ったら。お気のお早いこと」

 お嬢は「お父様のおっしゃりたいことは、分かってますのよ?」とでも言いたげに、じろっと父親を睨みつける。

 ラスキン卿は、芝居がかった仕草で娘の視線に怯えてみせた。

「やれやれ、この子の強引なところが、君に迷惑をかけてないといいんだがね、ヴァイス君。この子がまだ幼い頃に妻を亡くしたこともあり、男手ひとつでついつい甘やかしたものだから、ご覧の通り随分と我儘に育ってしまったよ」

「お父様ったら、ひどいわ。彼の前で、そんなことをおっしゃるだなんて……もちろん、迷惑なんてかけてないわよね、ヴァイス?」

 たった今、イヤってほどかけられてますが。

「ああ」

 くたびれ声で相槌を打った俺の親指の付け根を、父親には分からないようにお嬢が抓り上げる。

「——いや、その、よく出来た美人の娘さんですよ」

 これでよろしいですか、お嬢様。

 ところが、言わされてる感アリアリの俺の喋り方が気に喰わなかったのか、さらに強く抓られた。

 もうホント、勘弁してください。

 願い虚しく、その後も繰り広げられた、まるきり芝居じみた親子の会話——実際、単なる三文芝居だった訳だが——にさっぱり溶け込めずに、どうにも落ち着かなかった俺は、目の前の紅茶をとにかく口に運ぶことでを潰した。

 何やってんだろね、俺は。

 一旦、蚊帳の外を意識してしまうと、隣りの会話はどんどん遠くへ去っていき、俺は独りで焦燥感に近い居心地の悪さを持て余す。

3.

 ホントに、なにやってんだ。

 お嬢の勢いに、つい押されちまったけどさ。

 そもそも俺は、こんな役回りを演じていい筈がねぇのに。

 だってよ——

 飲み干したティーカップを受け皿に戻して、内心で溜息を吐いていると、いつの間にやら紅茶が注がれていた。

 ちょっと目を上げると、脇に控えた清楚なメイド服が静かに微笑み返す——やべぇな。俺、メイド服が好きなのかも知れん。着てるだけで、少なくとも二割増しに良く見える気がするぜ。

 再び紅茶を飲み干したら、すかさずまた注がれた。もう一度メイド服を見上げると、さっきよりもはっきりと微笑み返してきたので、俺もニヤッと唇を歪ませる。

 面白ぇ。なんだか分かんねぇが、これは勝負だな?

 いい暇潰しを発見した俺は、隣りの会話をうっちゃらかして、メイド服との密やかなゲームにうつつを抜かす。

 さすがに腹がぽちゃぽちゃいい始めた頃、それまで落ち着いた調べを奏でていた楽隊が急に演奏を止めたので、ラスキン卿がそちらに合図を送ったことに気がついた。

 ロランのトコの晩餐会で見かけたソレとは、比較にならないささやかさだが、それでも食後の歓談に楽隊を用意するとか。さすがは金持ち、やることに贅沢って名前の無駄が多いね。

 さて、ロクに聞いてなかったので、どういう話の流れだが、さっぱり分からないんだが——

「どうだろう。成長した娘のダンスを、久し振りに見たくなってしまったよ。ヴァイス君も、踊れるんだろう?」

「もちろんですわ、お父様」

 俺は危うく、飲みかけの紅茶を噴き出しかけた。

 なにを勝手に、しかも自信満々に答えてやがんだ、お嬢!?

 そりゃ、俺はいいトコのお坊ちゃまって設定だから、ダンスくらい軽くこなしてみせるのが筋ってモンだろうけどさ。そいつはあくまで、単なる設定であってだな——

4.

「ほら、ヴァイス」

 お嬢が先に腰を上げて、俺の腕を両手で抱えて引っ張り上げる。

 立ち上がった拍子に、たぽんと腹が鳴ったが、気にしてる場合じゃない。

 しなだれかかるようにして脇のフロアに俺を誘うお嬢に、こっそり耳打ちする。

「バカ、お前、どうすんだよ」

「馬鹿とはなによ!?——あなた、まさかダンスも出来ないとか言わないわよね?」

「まさかじゃねぇよ!出来るワケねぇだろ!」

「なんでイバってるのよ!?」

 お嬢は小さく、はぁ~あ、と呟いた。

 溜息吐きたいのは、こっちだっての。

「……いいわ。とにかく、私の動きに合わせてちょうだい。なんとかフォローしてあげるから」

 とかなんとか内緒話をしている間に、ゆったりとした曲を楽隊が奏ではじめる。

 ぼけーっと突っ立ってたら、爪先を踏んづけられた。

「ほら、私の腰に手を回して!」

 ヒソヒソ声で怒鳴られた。

 声音とは裏腹に、お嬢の顔面に貼り付いた不自然な微笑みが、脅迫されているようで余計に怖い。

 しょうことなしに、やたら細い腰——コルセットでもつけてやがんのかね——に手を回したら、逆の手を握って床と平行に持ち上げられた。

 なにやら体をくねらせてから、お嬢は小声で俺に命じる。

「はい、大股で前に三歩あるいて!」

 言われるがままに、お嬢とぴったり体を合わせて足を運ぶ。

「はい、腰を落として、もう二歩!」

 つか、歩き難いんですが。

「ここでターン!」

 うわとと。

「一歩退がって!もう一回ターン!」

 うわバカ無茶すんな。

 ぐりんと振り回されて、思わずバランスを崩す。

「ばっ……」

「きゃあっ!?」

 俺はお嬢の腰を抱いたまま、見事に仰向けに引っ繰り返った。

 うぐっぷ。危ねぇ、床とお嬢の体に挟まれて、さっき飲んだ紅茶が喉のトコまで逆流しやがった。

5.

 驚いた楽隊が演奏を止めて、ざわざわ言ってるのが聞こえる。

「もーバカバカ、なにやってるのよ!!」

「だから、出来ねぇって言っただろ!?」

「……い、いつまで抱き締めてるのよ!!さっさと離しなさい!!」

 腕を突っぱねてジタバタ暴れたお嬢が、俺の上から床に落ちる。

「も~、どうするのよ……ホントにサイアク。あなたなんかに、頼むんじゃなかった」

 ぺたんとフロアに座り込み、お嬢は両手で顔を覆った。

 どうもすいませんね。

 だから、素直にファングに頼んどきゃよかったんだ。あっちはホンモノの坊ちゃんみたいだから、俺みたいにボロは出さなかったろうぜ。

「おやおや、大丈夫かい。どこか調子でも悪いのかね」

 気遣いの言葉を口にしちゃいるが、ラスキン卿の表情も不審げだ。

 しょうがねぇ。ここはフォローしとくか。

「すいません。ここに来る途中で魔物に喰らった傷が、まだ癒えていないのを、うっかり忘れてました。ちょっと力を入れたら、急に脚が痛くなっちゃいまして」

 お嬢が指の間から俺を覗き見た。

 ほらよ。これでいいんだろ。

「そ、そうだったわね!?ご、ごめんなさい、ヴァイス。私もすっかり忘れてしまっていたわ!!」

 わざとらしい口調だな、オイ。

「おお、それはいけないね。エフィも、気をつけてあげなければ駄目じゃないか。粗忽な娘で申し訳ないね、ヴァイス君」

「本当にごめんなさい、ヴァイス。あなたをお父様に紹介できると思って、私すっかり舞い上がってしまっていたのだわ」

 膝を寄せて、俺を抱き起こすフリをするお嬢。

「いや、そんな大した怪我じゃないですから。うっかりしてた私が悪いんですので、ユーフィミアさんを——」

 うひゃ、脇腹抓んな。痛くすぐってぇよ。

「……エフィを、叱らないでやってください」

「おやおや——もう愛称で呼び合う間柄なのかね。尤も、どうやらエフィが無理矢理呼ばせているようだが」

 ハッハッハ、と愉快げなバリトンが響く。

6.

「ともあれ、怪我人をいつまでも引きとめてしまったのでは申し訳無い。今日のところはこのくらいにして、後はゆっくりと休んでくれたまえ。これ——」

 手を打って使用人を呼びかけたラスキン卿を、お嬢が慌てて制止する。

「あ、結構ですわ、お父様。ヴァイスはちゃんと、私が離れまで送り届けますから」

「おお、これは気が付かなかった——いや、誤解しないでくれたまえよ、ヴァイス君。私はなにも、娘の恋路を意地悪く邪魔しようと考えたつもりはないのだよ」

「はぁ」

 どうでもいいから、俺を早くこの場から開放してくれ。

「気の利かない娘に君を任せるのは、少々不安ではあるが……この世で一番の良薬は、愛情だという言葉もあるからね。ではエフィ、しっかりとお送りしなさい」

「ええ、お父様。どうぞ、ご心配なさらずに」

 皮肉らしく言い返したお嬢に支えられて、ことさらに足を引き摺って扉へ向かう。

「それじゃ、すいませんが、今日はこれで」

「ああ。楽しかったよ、ヴァイス君。何か入用があれば、遠慮なく側仕えに申し付けてくれたまえ」

「あら、側仕えなど必要ありませんわ。私がちゃんと、全て面倒を見ますから」

 いやぁ。どうせなら、お嬢じゃなくて、俺に紅茶を注いでくれたあの娘に面倒を見て欲しいんですが。

「これこれ、あまりはしたないことを言うものではないよ——では、ご機嫌よう、ヴァイス君。娘の我儘で世話をかけるが、何をするにも、まずはしっかりと養生してくれたまえ」

「ああ、はい。その——ありがとうございます……た」

 仕舞いには、逆にお嬢を引き摺る勢いで廊下にまろび出た俺は、扉が閉じた瞬間に、人生で一、二を争う盛大な溜息を吐いた。

 ようやく、まともに呼吸が出来た気がするぜ。

 お上品な空気ってのは、息苦しくて仕方ねぇよ。

「まったく!一時は、どうなることかと思ったわよ!」

 人の気も知らずに、お嬢は態度を豹変させて、腕に絡めていた手で俺を突き飛ばす。

「いくらなんでも、あなたがあれほど何も出来ないなんて思わなかったわ。言葉遣いも滅茶苦茶だし。なるべく喋らせないようにして、ホントに正解よ」

 いや、あのな。

 こっちはイヤイヤ協力してやってるってのに、なんて言い草だ——

7.

「うわぁ~……」

 部屋に入った俺を見るなり、エミリーは物凄い微妙な顔をして呻き声をあげた。

「なんというか、お主……そういう格好が、ホントに似合わないのじゃな」

 よせやい。照れるゼ。そんなに誉めんなよ。

 やけっぱちな台詞を、心の中で思い浮かべる。

 話は遡って、今日の夕暮れ時——離れの客間に姿を見せたお嬢に命じられて、俺はいつもの薄汚い格好ではなく、ぴったりとした仕立てのいい服に着替えさせられていた。

 パリっと糊の利いたシャツの上に、金糸の刺繍が施されたベストを羽織り、丈の短いズボンと長い靴下といういでたちだ。

 その服装だけでも、姿見に映して情けなく思ったモンだが。

 なにより、ぼさぼさだった髪を整髪料で綺麗に撫でつけ、ぴっちりと左右に分けられた前髪が、一番の噴飯モノだ。

 俺の隣りでは、お嬢がうんざりと顔を曇らせている。

 お前な、自分でこんなカッコさせといて、気に喰わねぇから不機嫌になるとか、そりゃ無ぇだろ。

「馬子にも衣装という言葉があるが、これほど当て嵌まらんヤツも珍しいな」

 妙に感心した口振りでほざいて、珍獣でも見るような視線を俺にくれるファング。

 やかましい。ホントだったら、お前が着る筈だったんだぞ、これ。

 なんで俺が、こんな格好をしているかというと——

 なんと、お嬢の恋人役を務める為なのだった。

「本当は、ファング様にお願いしたかったのだけれど……」

 廊下に呼び出されるなり、だしぬけに一方的な恋人宣言をされて唖然とする俺に向かって、田舎女はそう言った。

「あの方には、アメリアさんがいらっしゃるじゃない?だから、いくらお芝居といっても頼み辛くって……仕方ないから、あなたで我慢してあげるわ。ほぉんっとおに『仕方なく』だけど!」

 ああ、そうですか。そりゃ恐縮です。

 ワケ分かんねぇよ。

 続けて聞かされた、お嬢の要領の悪い説明から、何度も繰り返された言い訳をさっぴいて、俺がヴァイエルのトコで仕入れた知識を補うと、大体こんな感じになる。

8.

 田舎女の一族は、元々はエジンベアという遥か西方の島国出身なのだそうだ。世界地図で照らし合わせた訳じゃないから、正確な位置はよく分かんねぇが、地理的にはエルフの隠れ里からそれほど離れていない南西の海に浮かぶ島らしい。

 ずっと昔の話になるが、全世界を制覇したアリアハンによって一旦は結びつけられた各地の国や地域は、その衰退に伴って再び関係性を失っていった。

 アリアハンが広めた共通語や通貨は、利便性を主たる理由として辛うじて残ったものの、以降は表向きに各大陸や地域を繋いでいたのは、これもアリアハンによって普及が進められた教会組織だけだったと言っていい。

 その状況を打破したのが、海洋国家として名を馳せることになるポルトガだ。イシスのさらに南方、現在では魔王バラモスの居城が存在すると見なされている暗黒大陸に姿を現したポルトガ艦隊は、瞬く間にその地を支配下に組み込んだ。

 わずかに遅れて大洋へ乗り出したエジンベアは、先を越された暗黒大陸を避けて迂回し、ポルトガに対抗する為に、さらに東方を目指した。

 そして辿り着いたのが、今の俺達が居る地方って訳だ。エジンベアが最も隆盛を誇った時代には、バハラタの辺りまで支配が及んでいたという。

 本国との距離があまりにも遠い為、エジンベアは支配した各地域にそれぞれ総督府を置いて統治を行った。つまり、何代か前のラスキン卿も、そうして送られた総督のひとりだったって訳だ。

 ところが、世界はまたしても分断の時代を迎えることになる。

 魔物の出現だ。

 この世に魔王が現れると同時に航路を脅かしはじめた強力な魔物に船舶の往来を阻まれて以降、ポルトガやエジンベアは版図の縮小を余儀なくされた。

 やがて総督府は、遠隔地の支配どころではなくなった本国から忘れ去られ、派遣されたエジンベア人達は当地に置き去りにされた。田舎女の身の回りが、どうにも古臭く感じられるのは、この時点のエジンベアで時代が止まっている所為らしい。

 当然のことだが、俺達がいま居るこの土地でも魔物は猛威を奮い、すぐにでも己を庇護してくれる為政者を必要とした民衆に要請されて、ラスキン家は引き続き周辺を治めることになった。

9.

 魔物の脅威に苦しみながらも復古を遂げた王国に取って代わられた総督府もあったようだから、ラスキン家のケースはかなり特殊だったと考えられる。

 エジンベアがやってくる前は非道な支配階級の圧政に苦しんでいたこと、それ故に総督府がむしろ解放者として民衆に歓迎されたこと。

 そして、ラスキン家は無茶な搾取を行わずに、言わば穏当な施政をもたらし、それなりに尊敬を集めていることが、未だに領主としての地位を失わずにいる主な理由のようだ。

 まぁ、あの人の良さそうなラスキン卿を思えば、父祖の人柄も推して知るべしといったところかね。魔物の脅威に対抗する為とはいえ、こんな「とりあえず」的な統治が未だに続けられているのは、ほとんど奇蹟に近いんじゃないだろうか。

 だが、やはり時代は徐々に変わっているようで。

 元来エジンベア人というのは気位きぐらいが高く、ここでも地元の人間なんかとはロクに交わろうとせずに、共に遣わされたエジンベア人同士でのみ付き合いを続けてきたのだという。

 お陰で治世は平穏ではあったものの、支配者層と被支配者層は完全に分離していた。

 その上、当のエジンベア人達は、いつか魔物がいなくなったら本国に帰るものだと思い込んでおり、今ここに居るのは飽くまで腰掛けに過ぎないみたいな考え方をしてきたそうだ。

 けれども、いつになったら帰れるものやら、さっぱり目星がつかないし、少しは土地に溶け込む方向で物事を考えなきゃいけないのかな~、みたいな意識が、近頃になってようやく芽生えてきたらしく。

 さらに、後に述べる事情が契機となって、ここにきてはじめて、エジンベア人ではない地元の有力者と、ラスキン家のひとり娘との縁談が持ち上がったという訳だった。

 まぁ、要するにだ。

 一方の当事者であるお嬢は、その縁談が気に喰わないのだ。

 無断で家を鉄砲玉みたいに飛び出した娘の性格を危ぶんで、ラスキン卿が縁談を早めるつもりであることを、帰ってすぐに知らされたお嬢は慌てふためいた。

「今後は、私をエフィと呼ぶことを許可します」

 そこで、今回の旅先で知り合った男——つまり、俺のことだ——に破廉恥にも一目惚れしちまったことにして、まんまと破談に仕向けてやろうと、まぁ、お嬢としてはそういう腹積もりなのだった。

10.

「お父様にしたって、是が非にでもその人と私を結婚させたい訳じゃないのよ。それも悪くない、程度のおつもりに決まってるんだから、とりあえず今だけなんとか乗り切れば、またお心も変わると思うのよ」とは、お嬢の言だ。

 正直、こっちはいい迷惑ですがね。

 とはいえ、相手がしがない農家の次男坊ってんじゃ、惚れたの腫れたの言っても親父さんを説得するのは無理だとほざくお嬢によって、俺にはめでたくアリアハン貴族の御曹司という設定が与えられた。

 しかも、長男にも関わらず、人々を救う為に家督を投げ打って冒険者になったんですってよ。

 とても立派な人物ですね。

 どこのどなた様ですか、それ?

 まったく、ホントにやれやれだ。

 なんだって、こんな事になっちまったんだか。

「——あの、ちょっと、よろしいですかぁ?」

 苦笑が爆笑に変わりかけているエミリーと、珍妙な表情で俺を眺めるファングの間を縫って、つつと近寄ったアメリアが、俺を椅子に座らせた。

「冒険者というのは変わらない訳ですし、無理してきちんとするよりはですね、ヴァイスさんは、もう少しだら——なんて言うんでしょ。ワイルド——じゃないですね、えと、あの——そうそう、無造作な感じの方がお似合いになると思うんですよ~」

 しどろもどろに言いつつ、後ろから俺の髪をイジりはじめる。

 ホントは『だらしない』って言いたかったんだろ、お前。

「えっと……こんな感じで、どうでしょう?」

 渡された鏡で確認すると、手櫛で適当にいくつか束ねた襟足を外側に向け、前髪のぴっちり分けも直してくれていた。

 あれ?

 顔にかかった前髪が、少々鬱陶しいが——悪くないんじゃねぇの?

 長いこと切ってねぇから、割りかし髪が伸びてたんだが、それが却って色気を醸し出して見える——はいはい、ごめんなさいねぇ。良く言い過ぎましたよ。

 別に、急に色男になった訳じゃないけどさ。でも、やっぱり髪型って大事なんだな。

「ほぅ、さすがじゃな、アメリア。いつもより、いくらかマシになったくらいなのじゃ」

 正面に回り込んで、顎に手など添えつつ俺を品定めした姫さんが、感心したように呟いた。

「いえいえ、私がどうのと言うよりもですね、ヴァイスさん、元からそこまで悪くないんですよ?」

 と、アメリア。

 二人とも微妙に誉めてない気がするが、まぁいい。

11.

「あとは、いつも胸を張って、堂々と振舞ってくださいね~。それだけでも、ずいぶん違いますから」

 アメリアに後ろから両肩を掴まれて、ぐいっと開かれる。

 へいへい。俺の姿勢は猫背気味だからな。せいぜい気をつけさせていただきますよ。

「じゃあ、見た目はそれでいいとして——繰り返すようだけど、これはここに居る人達だけの秘密ですからね。くれぐれも他言は無用に、話を合わせてちょうだい」

 俺のいでたちに、さっきよりは納得した様子のお嬢が注意を求めると、ファングが渋い顔をして横から口を挟む。

「事情は分かったが、父親をたばかろうとするのは、あまり感心せんな」

「それは……分かってますけど……」

 しょげてしまったお嬢に、アメリアと視線を交わしたファングは肩を竦めてみせた。

「まぁ、別にとやかく言うつもりは無い。いいだろう——俺は、頼まれた仕事をするだけだ」

 こんなド田舎まで、俺達がわざわざやってきた本来の目的である、お嬢に依頼された仕事というのは二つあった。

 まず、ひとつ目だが——最近、ラスキン家が治める領地内で、人攫いの被害が相次いでいるらしいのだ。

 この話を聞いて、俺は密かに納得したものだ。

 なるほどね。バハラタで、俺達が人攫いの一味を潰滅したと聞いて、お嬢が妙に感心してみせたのは、これが理由だったんだな。

 被害はこの町に留まらず、周辺の町村にも及んでいるという話だが、ラスキン卿の手勢は、どちらかというと各地の魔物被害の対応に追われていて、人攫いの件では後手に回らざるを得ない状況らしい。

 一度だけ、攫われた娘二人が救い出された事があったそうだが、それはラスキン卿の手の者ではなく、この町に住むとある男のお手柄だという。

 と言っても、賊の根城を突き止めたり、ましてや潰滅した訳じゃない。

 かどわかしの現場にたまたま居合わせて、なんとか追い払っただけらしいんだが、それでも地元の有力者の息子という立場も手伝って、そいつは町ではちょっとした英雄になっている。

 何を隠そう、その男こそが、お嬢の縁談の相手なのだった。

 そもそも縁談話にしてからが、誘拐を未然に防いでくれた礼にと、ラスキン卿が男を屋敷に招いたのがきっかけで持ち上がったそうで、つまりまぁ、お嬢にとって人攫い事件の解決と破談は二つで1セットみたいなモノなのだった。

12.

 残るもうひとつの依頼は、ここから海を渡ってすぐ東にある島国からやってきた人間が助けを求めてるって話なんだが、こっちは宿屋に滞在しているそいつに、明日にでも詳しい事情を聞きに行く段取りだ。

 元々、お嬢がアリアハンまで冒険者を雇いに来たのは、こっちの件を依頼する為だったらしいが、自分の縁談が思いがけずに進展しそうなので、人攫いの方を先に片付けることにしたらしい。

 いくら近いとはいえ、海を渡った他の国まで出かけてたら、いつまでかかるか分かんねぇしな。その間に、縁談が本決まりになっちまったら堪らないって気持ちは、まぁ分からなくもない。

 そんなこんなで、ファングが人攫い共の棲家の探索を担当して、俺はお嬢の恋人役を演じつつ、島国から来たってヤツの話を聞きにいく手筈になった。

 俺の方が、ずいぶん楽をしてると思われそうな配役だが。

「連中が身を隠しそうな場所は、大体見当がつく。屑以下の存在でも、生き物である以上は水が必要だ。川の周辺を探れば、自ずと見つかるだろう」

 特に不満を漏らすでなく、自信たっぷりにファングの野郎はほざいてやがったので、ま、お手並み拝見といきますかね。

 それにさ。

 悪いけど、お嬢の相手を仰せつかった俺の方が、精神的には全然大変なんだぜ。

 誰も、そんな風に思ってくれてねぇみたいだけど。

 ま、別にいいけどね。

13.

「ちょっと休んでいきましょう。なんだか、ひどく疲れたわ」

 話は戻って、ラスキン卿との面談をどうにか終えて、離れの客間に戻る途中のこと。

 廊下の左右が半円状に拡張されたホールを横切り、一番奥に置かれたソファーに気だるげに腰を落としたお嬢は、両手で口を押さえて溜息を吐いた。

 馴染めない空気に気疲れしたのは、こっちなんですけどね。

 ラスキン卿の元を訪れたのは夕食前だったのに、天窓から覗く空はすっかり暗い。

 ずいぶん長いこと、三文芝居に付き合わされてたんだな。

 ホント、もうクタクタだぜ。俺も座ろう。

 黙って隣りに腰掛けてたら、横目でじとーっと睨まれた。

 お嬢は、また溜息を吐く。

「あなたって、ホントに気が利かないのね。仮にも恋人がこんなに疲れた顔をしてるんだから、少しは労ったらどうなの?」

「ああ——その、大丈夫か?」

 お望み通りに気を回すフリをしてやったのに、お嬢はうんざりした顔を隠さない。

「これだものね」

 心が篭ってなくて、どうもすいませんね。

 俺から視線を外したお嬢の睫毛が、物憂げに下を向く。

 流れる金髪に半ば隠れた横顔。

 黙ってそういう顔してりゃ、深窓の令嬢を地でいってんのにな。

 もったいねぇの。

「ねぇ——」

「は?——はい?」

 考えを見透かされた気がして、声が上擦っちまった。ヴァイエルじゃあるまいし、全部お見通しなわきゃねぇのにな。

「私は……心の狭い、イヤな女なのかしら」

 思わず頷きかけて、危うく我慢する。

 かといって、「いいえ、そんなことありませんよ、お嬢様」とか、べんちゃらを言う気にもなれずに黙っていると、お嬢は俺の返事を待たなかった。

「彼のことは——別に、嫌いではないのよ。ううん、町の皆が言うように、立派な人物だとすら思うわ……というか、それ以前にね?町の人達とだって、私は仲良くしてるのよ」

 彼ってのが、おそらく縁談の相手のことを差しているのは理解できたが、お嬢が何を言いたいのかは、イマイチ掴めなかった。

14.

「だって私は、小さい頃からよく屋敷を抜け出して、町まで遊びに行ってたんですもの。町の皆は、お嬢様お嬢様って、私を慕ってくれてるのよ?」

「ふぅん」

「……私に対して、そこまであからさまに無関心な素振りをしてみせるのは、ホントにあなたくらいだわ!これでも、憧れの目で見てくれるコとかも多いんだから」

「そうだろうな。綺麗な髪してるしな」

 なにをスネてんのか知らねぇが、髪を誉めたら喜んだことを思い出して、いちおう話を合わせてみる。

 すると、お嬢はなにやら頷いた。

「そう——私は、自分の髪が好きだわ。碧い目も好き。私は生まれてから一度も本国の土を踏んだことが無いけれど、私の両親はエジンベア人だし、私もエジンベア人として育てられたのよ。そして、それに誇りを持っているわ。この髪や目の色は、その誇りの象徴なの」

 姫さんと町中を散歩した時に気付いたが、ここいらの人間は基本的に黒髪で目の色も黒い。

 顔立ちにしても、エジンベア人であるお嬢やラスキン卿の方が彫りが深くて、明らかに見た目が異なることが、支配者層と被支配者層の距離を広げている理由の一端なのかも知れない。

「だから、私はね……少し気が早いかもって自分でも思うけれど、私の子供にも、私と同じ髪や瞳の色でいて欲しいのよ。それは、私達がエジンベア人である確かな証だから。それまで失ってしまったら、私達は本国との繋がりを、一切失くしてしまう気がするのよ……」

 だから、この土地の人間と結ばれる気にはなれないって訳か。

 お嬢は俯いて額を押さえ、細くて長い息を吐いた。

「でも、これは差別主義的な考え方なのかしら。この縁談の話を聞かされた時に、はじめて気がついたのよ。自分でも知らない内に、私は人種で人を判断していたのかしらって。町の人とも、普通に仲良くしていたつもりだったのに……だって、今の側仕えだって、私が町から連れてきた、私の友達なのよ!?」

 しがない農家の次男坊としては、友達と側仕えが矛盾無く両立しているらしい感覚が、どうにもピンと来なかったが、大筋としてお嬢が言いたいことは分かってきた。

 案外、面倒臭いことで悩んでるのね。

15.

「私の考え方は、間違ってる?傲慢なの?あなたから見て、どう思う?」

「そうだなぁ……」

 答えは、さっぱり思い浮かばなかった。

 何故なら、そんなこと考えた試しも無かったからだ。

 かつて世界を支配した大帝国の首都があるアリアハン大陸には、当時あらゆる場所からあらゆる人種が集まってきた。

 そのお陰で、現在でもアリアハンは多民族国家なのだ。混血も珍しくない。というか、混血なんて単語を意識する機会が無いくらいに当たり前だ。

 都会ほど顕著ではないものの、田舎の方でも他人種の流入はあった筈だが、長い年月をかけてすっかり共同体に同化している。

 家系図なんぞを紐解いたことはないし、そもそもウチの実家にゃそんなモンは無いと思うが、何代か前まで遡れば、ひょっとしたら俺の先祖にもエジンベア人がいたかもしれない。そのくらい色々な血が混じっていて不思議じゃないのだ。

 とはいえ、よくよく考えてみると、人種毎にそれぞれ色濃い地域というのは存在するし、特定の人種への侮蔑を語源とした俗語もいくつか思いつく。

 古来から続くアリアハンの血筋しか認めない純血主義者みたいな連中の話を全く聞かない訳じゃないし、それに、お偉いさんになるとまた事情が違ってくるのかも知れない。

 もしかしたら、そういうのを全く気にしない、俺個人のいい加減な精神構造の問題なのかも知れないが——

 少なくとも俺と同じような庶民が、ことアリアハンの王都で暮らす限りにおいては、あまりにも雑多な人種の違いを、いちいち意識してる奴がいるとも思えなかった。

「だから、俺にはエフィの感覚は、よく分かんねぇよ。悪いけど」

「そう……そうなの」

 意外そうに呟いたエフィの表情から、愁いは晴れなかった。

「まぁ、でも、さ」

 俺の口は、ひとりでに言葉を紡ぎ続ける。

「俺には、支配階級の考え方ってのも、よく分かんねぇけど——自分は傲慢なんじゃないかとか、間違ってるんじゃないかとか、自省するだけマシなんじゃねぇの。普通のお偉いさんは、そんなの気にもしねぇって気がするぜ」

「そう……かしら。確かに、私もそうだったけど……」

「ある意味、それでいいとも思うしな。上に立つモンは、あんま揺らいだりしない方がいいんじゃねぇの」

 どこかで聞いたような台詞だ。

 そう思って、つい言葉を足してしまう。

16.

「つか、エフィがいま抱えてる問題——つまり、縁談のことだけどさ。それって、そういう問題とは違うんじゃねぇか?なんつーか、人種どうこうじゃなくて、重要なのは相手が好きかどうかだろ。まず最初にさ?」

 エフィは、意表を突かれた顔をした。

 それで、俺はこう付け加える。

「まぁ、偉いさんなんてモンは、惚れた腫れたで結婚しねぇのかも知れないけどさ」

 よく考えたら、田舎も大して変わらねぇな。恋愛結婚なんて、する方が珍しいんじゃなかろうか。

 だから、まぁ、俺が口にしたのは、単なる気休めだ。

「そんなこと……ないけど」

 微かに和らいだように見えたお嬢の横顔に、はっと胸を突かれた。

 まただ——

 ラスキン卿と歓談してる最中に持て余した、イヤな感じが再び胸中を満たす。

 俺は、何やってんだ?

 なんか、勘違いしてねぇか。

 俺とお嬢は、実際は恋人でもなんでもねぇのに。

 それなのに、不用意に親身ぶって、相手の裡に踏み込もうとして——

 馬鹿じゃねぇのか。

 なにマジになってやがんだよ。

 また同じことを繰り返すつもりか。

 違う——

 同じなんて無理だ。

 許されない。

 俺が、許さない。

 あんな近くに居ていいのは——

 いいから適当に、ヘラヘラ話を合わしてりゃいいんだよ。

 自分の言葉で喋らなくちゃとか、余計なこと考えてねぇでよ。

 じゃなけりゃ、そうでなけりゃ——

 あいつに——

 あいつらに、申し訳が——

まただわ……」

 いつしか、お嬢は眉根を寄せて、憮然と俺を睨んでいた。

 ヒドく悔しそうな顔をしていた。

「あなたって、ホントに失礼だわ」

「は?なにが——」

 意図を把握できない内から、何故かギクリとした。

17.

 エフィは、俺に皆まで言わせなかった。

「あなた、また私を見てないじゃない。私と話す時のあなたは、いつもそう。私が目の前にいても、あなたはいつも私じゃない誰かを見てるのよ」

 意外と——鋭い。

「こんな侮辱を受けたのは、ホントに生まれてはじめてだわ。せめて私が隣りにいて、私が真面目に喋っている時くらい、ちゃんと私と会話しなさいよ!!」

 くそ。どうしてこう、女ってのは——

「いつも淋しそうな顔をして遠くを見ながら、まるで違う人のことを考えているんだわ。私の話なんて、全然聞きもしないで……馬鹿にして……私の前でそんな態度を取った人は、ホントにあなただけなんだから!!」

 面倒なコトばっかり気にしやがるんだ。

「いいこと!?今のあなたは、私の恋人なんですからね!?もし、また私の前でそんな顔を見せたら——」

「あの、お嬢様——」

 廊下とホールの境目から、メイド服がおずおずと顔を覗かせていた。

「——え?あ、なに?どうしたの、ファム?」

「その……カイ様がお見えになりましたけど」

 お嬢の顔が、一瞬強張った。

「それで?お父様に、何かご用事なのかしら?」

「いえ、あの、お嬢様に、ご挨拶をと……」

「……どうして!?私が戻ったことを、なんであの方がもう知ってるのよ!?」

 黒髪を耳の下辺りで短く切り揃え、頬にそばかすを浮かせたファムとかいうメイドは、エフィの鋭い語気にひっと小さく叫んで首を竦めた。

 ラスキン親子の演劇じみた会話にさんざ付き合わされていた所為か、そんなファムの仕草まで、なんだか芝居がかって見えてしまう。

「も、申し訳ありません。先程、お迎えした時に、私がうっかり喋ってしまって……」

 お嬢はひとつ深呼吸をして、表情を改める。

「ああ、ごめんなさいね、ファム。いいのよ、別に。言われてみれば、あなたとあの方は幼馴染ですものね。口止めをしていた訳でもないのだし、私が戻ったことくらい、世間話にするわよね」

「はい、あの……申し訳ありません」

「謝らないでったら。私とあなたの仲じゃない」

 無理した感じで、にっこりと笑いかける。

「……そんなに恐縮されると、こっちが落ち込んでしまうわ」

 お嬢はちらりと俺に一瞥をくれて、口の中で、多分そう呟いた。

18.

 このファムって子が、どうやらお嬢の言うところの「友達の側仕え」なのかね。

 ま、別になんでもいいけどさ。

「でも、どうしましょう。どちらでお待たせしているの?ご挨拶するにしても、こんなところじゃ——」

「いえ、こちらで結構ですよ」

 ファムの後ろから颯爽と姿を現したのは、やはり黒髪に黒い目をした男だった。

 カイとか呼ばれてたな。お嬢に求婚してる物好きってのは、こいつか。

 思ったより、歳がいっている。二十代の半ばは越えてそうだ。ファムとお嬢は見たとこ同年代だから、幼馴染と言っても近所のお兄ちゃんって感じなのかね。

 お嬢やラスキン卿のように大時代的な身形みなりでこそないものの、それなりに仕立ての良さそうな衣服を身に着けている。

 人当たりの良さそうな——爽やか——実直そうな——いくつか、人となりを喩える表現が脳裏に浮かんでは消え、俺は考えるのを放棄した。

 だって、お嬢の相手がどんなだろうが、別にどうでもいいハナシだろ?

「まぁ、酷い人ね。今の話を、隠れて聞いてらしたの?」

「いえ、とんでもない。たったいま来たところです。お父上にお話を伺いにあがったのですが、貴女がお戻りになられたと聞き及びましてね。ファムには向こうで控えているように言われたんですが、一刻も早くご挨拶をしたくて待ち切れませんでした」

「あら、お父様にはなんのご用事?」

「もちろん、貴女のことですよ」

 つかつかとソファに歩み寄ったカイは、正面に跪いてエフィの手を握って持ち上げた。

「とても心配しました。お独りで町の外——どころか、他の大陸まで赴くだなんて、無茶もいいところだ」

「ごめんなさい——心配をおかけして」

 お嬢は、カイから視線を外した。

「全く、貴女は無茶ばかりするから、本当に目が離せないな。早く私をお目付け役として、お側に置いていただけるといいんですが」

 お嬢がなんとも答えなかったので、軽口に続くカイの笑い声は中途半端に立ち消えた。

 誤魔化すように、俺に視線を移す。

「ひょっとして、君がお嬢様を連れ戻してくれたという、アリアハンの冒険者なのかな?」

「ええ、まぁ。そうなりますかね」

 おい、お嬢。

 俺はコイツに、どういう態度を取りゃいいんだよ。

19.

「どうもありがとう。こうして再び、お嬢様の元気な顔を拝見できて一安心だ。お礼を言うよ」

 横目で尋ねても、お嬢のヤツ、俯いたまま反応しやがらねぇでやんの。

 適当に相手しちまうけど、いいんだな?

「そりゃどうも。けど、エフィが元気ってのは、どうなのかねぇ」

「なんだって?」

 カイの眉毛が、ぴくりと跳ねた。

「——というか、ずいぶん親しげにお嬢様を呼ぶんだな、君は」

「お蔭さんでね。色々と悩みを聞かされてる内に、いつの間にやら親しくさせていただきまして」

「悩みだって?一体、どんな?」

「あんたにゃ言えねぇ悩みだよ——ああ、すまねぇな。これでも、割りといいトコの出なんだけどさ。冒険者暮らしが長いモンで、昔習った口の利き方を忘れちまった。勘弁してくれよな」

 顔を顰めたカイに、つけつけと言ってやる。

 どうせお上品な口なんて利けやしないんだし、こうして最初から予防線を張っといた方が、後々になってボロ出すよりゃマシだろ。

「それは構わないが……私に言えない悩みだって?よかったら、聞かせてくれないか」

 アホか。

「こいつが隣りにいるのに、俺が勝手に言えるわきゃねぇだろうが。それに、言わなくたって、あんたも薄々勘付いてんじゃないの?」

「ちょっと……なに言い出してるのよ!?」

 ようやく顔を上げたエフィが、びっくりした目で俺を見ていた。

 なんだよ、今さら?

 俺が余計なことを言うのがイヤなら、さっきみたいに喋らせないように立ち回りゃよかったんだ。

 そもそも、なんで俺が、こんな猿芝居に付き合わされてんだ?

 こんな役回り、俺が演じていい筈が——

 何故だか妙にイラついちまって、歯止めが効かない。

 ああ、もういいや。なんか、めんどくせぇ——

「いや……全く、心当たりがないが。お嬢様も、意外な顔をなさっているようだが?」

「ふぅん。あんた、結構ニブいのね」

 俺は、カイに握られたままだったエフィの手を解いて、そのまま隣りに座る細い肩に腕を回す。

20.

「悪いけどさ、こいつ、すっかり俺に惚れちまってるんだよね」

「はぁ——っ!?」

「なんっ……だって?」

 抱き寄せた俺を突き飛ばすべく力を篭めたエフィは、ギリギリのところで踏み止まった。

 そうそう。こいつは、あんたが自分で拵えた設定だぜ。

 だが、黙ってるのもシャクだったとみえて、お嬢は体で隠しながら、俺の背中を思いっ切り抓り上げる。

「ッ——それに、残念だけどさ。あんたとの結婚話にゃ、元々あんまり乗り気じゃなかったみたいよ?」

「なっ——」

「ちょっと!?」

 エフィは目尻を吊り上げて、抓る指にさらに力を篭める。

 へっ、非力なお嬢に抓られたくらいじゃ、俺でも大して痛かねぇっての。くすぐったいくらいだぜ——あいてて。そろそろ止めろ。

「なんか悪ぃね、横から掻っ攫うみたいになっちまって。いや、俺の方はさ、そんなつもりはさらさら無かったんだぜ?先に惚れちまったのも、積極的に迫ってきたのも、全部エフィの方だからな?そこんトコ勘違いしないように、よろしく頼むわ」

「こっ——このふざけた男の言っていることは、本当なのですか、お嬢様!?」

 うわ、汚ね。唾飛ばすなよ、この野郎。

「えっ!?あ、は——その……」

 ほれ、なに唖然としてやがんだよ。

 手前ぇで書いたシナリオだろうが。こんくらいのアドリブは利かせてみせろよな。

「え、ええ、そうなの——私、アリアハンで出会ったこの人に、すっかりまいってしまったのだわ」

 引き攣った笑顔を浮かべながら、俺に寄り添う。

 やりゃ出来んじゃねぇか。

「……私とのお話は、どうなるんです」

 声を一段低めたカイに、俺は言ってやる。

「本決まりじゃなかったって聞いてるけど?まぁ、なんていうか、ご愁傷サマだけどさ。こいつをがっちり掴んどくだけの魅力が、あんたにゃ足りなかったってコトだよね」

「黙ってろ!お前に聞いてねぇ——いや……すみませんが、失礼する。ここで話しても、埒が明きそうにない。お父上にお話を伺わせていただく」

 おーおー、必死コイて取り繕っちゃって。

 余裕ぶった野郎をからかうのは、やっぱ痛快だねぇ。

 硬い顔をして踵を返し、大股にホールを横切って、カイは廊下の先へと消えた。その後を、慌ててファムが追いかける。

21.

 と、俺の顔に陰が落ちた。

 エフィがすっくと腰を上げて、俺の前に立ったのだ。

「この——っ!!」

 すぱぁんっ、と頬を叩く鋭い音が、ホールに木霊する。

「不埒者っ!!」

「……いってぇな。そう気軽にパンパン、ハタくなよ。恋人をぶっ叩いてるトコを使用人にでも見られたら、ヤバいんじゃねぇのか?」

「うるさいっ!!」

 頬を押さてニヤニヤしてたら、エフィは全身をぷるぷる震わせた。

 ああ、こりゃ相当怒ってんね。

「なんなの……なんなのよ、貴方あなたっ!?どういうつもりなの!?」

「そりゃ、こっちが聞きたいね。俺は、あんたの目論見通りに、あのカイって野郎があんたを諦めるように仕向けただけだぜ。何が不満なんだか、分っかんねぇよ」

「それはそうだけど!!もっと、やり方ってものが——」

「あいつを傷つけもしなけりゃ、地元の有力者との関係も悪くならねぇように、なるべく穏便にってかい。なんとも都合のいいハナシだな」

「なっ——」

「勘違いすんなよ、お嬢様」

 俺も立ち上がって、お嬢を上から見下ろす。

「俺がそこまで気を遣ってやる義理はねぇよ。ったく、こっちは無理して契約外の下らねぇ三文芝居に付き合ってやってんのによ、報酬が張り手ってんじゃ割りに合わねぇや」

「……」

 目をまん丸にして、口をぱくぱくさせてやがんの。

 あんま面白い顔すんなよ。思わず、噴き出しちまったじゃねぇか。

「俺はこういうヤツなんだよ。あんただって、不埒なロクデナシって思ってた筈だろ?俺のやり方が気に喰わねぇってんなら、最初から素直にファングの野郎に頼みゃ良かったんだ」

 あいつなら、お嬢様のお望み通りに、立派過ぎる恋人役を演じてくれただろうぜ。

「ま、俺を指名したあんたの、自業自得ってことで」

「あなた……見損なったわ。最低ね」

「とはまるで、今までは評価してくれてたみてぇな言い草だな。とても、そうは見えなかったぜ?」

「この——っ!?」

 エフィが振り上げた平手を、俺は掴んで止めた。さすがに、これ以上ハタかれちゃ堪んねぇや。

22.

「いいじゃねぇか。どうせ、あいつがお父様とお話すりゃ、さっき俺が言ったようなことはバレちまうんだからさ。ハナシが早くなってよかっただろ?他人からまた聞きでフラれた事を伝えられるよりゃ、手前ぇで引導渡してやった方が、よっぽど親切だと思うけどね」

「偉そうに、知った風な口利かないで。あなたなんかに、そんなこと言われたくないわ」

 そりゃ、ごもっとも。

「最っ低。とにかく、今日はもうあなたと話したくないわ。顔も見たくない——私はこのまま自室に下がりますから、独りで勝手に離れに帰ってちょうだい」

「はいよ。ガキの使いじゃあるまいし、俺も別にお見送りなんて必要ねぇしな」

「黙ってさっさと行きなさい!あなたはいつも、ひと言多いのよ!!」

「へーへー……あ、そうだ。明日は、そのなんとかいう島国から来たってヤツに、渡りはつけてくれんだろうな?」

「言われなくても、明日になったらちゃんと顔を出しますっ!!いいから、私の前からさっさと消えてよっ!!」

「あいよ——恋人なんだし、お休みのキスでもしとくか?」

「ふざけないで!!誰があんたなんかと!!」

「お~、怖ぇ。そんじゃ、また明日。お疲れ~」

 鬼みたいな形相のエフィに背中を向け、俺は軽く片手を上げてホールを後にした。

 まったく、愉快痛快ときたモンだ。

 腹の底から、笑いが込み上げてくるね。

 すげぇ久し振りに、ガキの時分みてぇな、いい加減な自分を取り戻せた気がするぜ。

 やっぱ、こうでなきゃな。

 ここんトコずっと、俺はどうかしてたんだ。

 柄にも無く、マジんなっちまってさ。

 悪ぃけど、お嬢。俺は、あんたに同情なんてしてやらねぇぜ。

 あんたの気持ちなんて、考えてやるつもりはねぇんだよ。

 大体だな、普段から文句ばっか聞かされてんのに、なんで俺だけ気を遣ってやらなきゃいけねぇんだ。

 別にそうしなくてもいいんだってことを、すっかり忘れてたぜ。

 いい加減に、適当に——マジんなったって、なんもいいこたありゃしねぇよ。

 俺は、いい人——お人好しなんかじゃねぇんだからな。

 ハッ、やれやれ、くそったれ。ご機嫌な気分だぜ。

 己の口から漏れた笑い声は、やたらと乾いて俺の耳に届いた。

23.

 エフィを除く俺達は、到着と同時に通された離れで寝泊りすることになっていた。離れと言っても、そこらの一軒家よりよっぽど広い建物だ。

 あちこち、いくぶん装飾過多で古臭いが、廊下の絨毯も深いし、適度な間隔で観葉植物とか置いてあったりして、雰囲気はそこそこ落ち着いている。

 お屋敷のお嬢様が連れて来たとはいえ、よくもまぁ、俺達みたいな怪しい連中を、大して疑いもせずに置いてくれたモンだと思うよ。

 どうせ、怪しさを微塵も感じさせない、ファングのクソ堂々とした態度が、屋敷の連中の心証を良くしたんだろうけどな。ひと目でタダ者じゃないと知れるあいつを見ながら、ヒソヒソ話を交わすメイドまで居たもんな——けったクソ悪ぃ。

 部屋も余るほどあるので、その気になればそれぞれ個室で寝泊りできたが、例によってファングとアメリアは同室だ。

 そして今回は、俺も姫さんと相部屋なのだった。

 バカ、お前、別にヘンなこと考えてねぇよ。

 ファング達と旅をしていた間、姫さんはいつもアメリアに抱きついて寝ていたそうで——そういや、エルフの洞窟への行き帰りも、毎晩シェラに抱きついて寝てたな——独りで寝るのはイヤだってんだから、しょうがねぇじゃねぇか。

 ナニに及びたいファングとアメリアに邪魔にされちゃ可哀想だから、まぁ、抱き枕役を代わってやっただけの話だよ。

 それにしても、思ったより帰りが遅くなっちまった。

 姫さん、もう寝ちまったかな。

 あてがわれた部屋の扉を開けると、廊下の灯りで室内の様子が照らし出される。姫さんがすやすや眠ってるのはいいとして、ほんの少しばかり予想と異なる点があった。

 俺は手前の壁際にある背の低いチェストに置かれたランプを灯し、あまり明るくならないように炎を絞って、物音を立てないように細心の注意を払いつつ扉を閉めた。

 よし、大丈夫。起きてない。

 うん。いい眺めだ。

 ベッドの上では、エミリーとアメリアが抱き合って眠っていた。

 待ちくたびれた姫さんが、付き合わせてたアメリアもろとも寝ちまったってところかね。

 姫さんの寝顔は身悶えするほど可愛いが、いくらなんでもヨコシマな感情を抱く対象じゃない。短いズボンを穿いてるしな。

 だが、ケツをこっちに向けて眠ってるアメリアは別だ。

24.

 こいつのスカートは、いつも丈が長くて、それが俺にはツマらなかったんだが、今は寝相のお陰で腿の辺りまではだけている。

 う~ん。思わず顎などさすりたくなる、なかなかのギリギリ加減ですね。

 こいつ、いい尻してんなぁ。俺の好みより多少大き目だが、胸と尻がデカくて全身どこも柔らかそうなのは、アメリアの雰囲気に良く合っている。

「んん……」

 アメリアが膝を擦り合わせてもぞりと動いたので、無意識にベッドの脇にしゃがみ込んでスカートの裾辺りを凝視していた俺は、びくっと立ち上がりかけた。

 だが、どうやら、起きた訳じゃなさそうだ。

 ビビらすなよ。

 つか、今ので裾が、さらにめくれてるんですが。

 うわ、ホントに後もうちょっとだよ。

 裾を抓んで、ちょっと持ち上げたくなるのを、堪えるのに一苦労だ。

 このもどかしさ。くぅ~、やっぱこれだよなぁ、オイ。

 唐突に——

 俺は、あることを思いついていた。

 なんで急に、そんなことを考えたのか分からない。

 いや、衝動の源泉は、よく分かってる。解せないのは、唐突さの方だ。

 こいつを——アメリアを、俺に惚れさせたら面白くねぇか?

 俺は突然、そんなことを思いついていたのだった。

 そりゃ、無理だってのは承知の上だけどさ。

 こいつ、ファングにぞっこんだからな。

 でも、例えばだ。

 今ここで、無防備に寝こけてるこいつと、なにがしかの既成事実を作っちまったら?

 んで、俺を意識させといて、今後は絶えずアピールを続ければ、あいつらの間に気まずい空気を作るくらいは出来るんじゃねぇの?

 そうなっても、手前ぇは自信満々なままでいられるのかよ、ファング。

 気が付くと、俺はそっとアメリアに覆い被さっていた。

 すぐ真下に、幸せそうな寝顔がある。

 さらにその下では、姫さんがほっぺたをアメリアの胸に押し付けて寝息を立ててるから、あんまり派手なことは出来ねぇけどさ。

 とりあえず、ふっくらした柔らかそうな唇くらい、手始めにもらっときますかね。

25.

 不意に——

 リィナの顔が脳裏を過ぎった。

 軽い既視感——

 また、同じことをして傷つけるのか——

 相手の気持ちも考えないで——

 薄汚ぇ劣等感が増すだけ——

 途端に、エフィと一緒だった時からこっち、ずっと持て余していた奇妙な苛立ちが、嘘みたいに霧散する。

 ふぅ。

 溶け出した力みが溜息となって、口から漏れた。

 馬鹿か、俺は。

 お嬢への態度といい、何に反発してるんだか知らねぇが——

 これじゃ、苛立ちを上手く表現できねぇで、癇癪起こしてるガキと同じだぜ。

 どこも自然じゃねぇ。

 なにが、「俺はこういうヤツ」なんだか。

 全然、らしくなんかねぇよ。

 と——

 俺の吐いた息が、顔に当たった所為だろう。

 アメリアが、ぱちりと目を開けた。

 超至近距離で、その目がバッチリ俺と合う。

「——おはよう」

 俺は咄嗟に、そんな間抜けな言葉を口にしていた。

「あ——おはよぅ……ござぃまふ」

 まだ寝惚けているアメリアが状況を把握する前に、俺は体を起こそうと慌てる。

「や、違くてだな、これは、その——」

「あら?私——寝ちゃってました?すみま——」

 俺が身を遠ざけるより、アメリアが跳び起きる方が速かった。

 ごっ。

「あぅっ!!」

 いっ——てぇっ!!

 額に物凄い衝撃を受けて、ベッドから転げ落ちる。

 俺とアメリアは、お互いに額を両手で押さえたまま、言葉にならない声でしばらく呻き続けた。

 いってぇ~……額が割れたかと思ったぜ。間違いなく瘤になってるだろ、これ?

26.

「悪ぃ……大丈夫か?」

「いえ……すみません、私こそ」

 アメリアは涙目で額に手を当てながら、ちょっと頭を下げた。

 いや、お前が謝んなくていいけどさ。でも、あんな近くに俺の顔があったのに、いきなり跳び起きんなよな……まぁ、この頭突きは天罰だと思うことにしよう。

「ごめんな。ホントに平気か?ちょっと見せてみ?」

「あ、いえ、あの、ホントにへっちゃらですから。私、おっちょこちょいなので、しょっちゅうどこかに頭をぶつけてるんですよ?」

 いやぁ、それもどうなんだろうな。

「まぁ、大丈夫なら良かったけどさ。ホントに、ごめんな——でも、今のは俺が悪かったけど、普段はもうちょっと気をつけた方がいいぞ?女の子なんだしさ、怪我して傷でも残っちまったら大変だろ」

「ありがとうございます。でも、普段はちゃんと気をつけてますから、大丈夫ですよ?」

 発言の矛盾に気付いた様子もなく、にっこり笑う。

 こいつの、この根拠の無い自信は、一体なんなんだろう。

 まさか自分ことを、ジツはしっかり者だと勘違いしてるんじゃねぇだろうな。

「む~……うるさいのじゃ」

 姫さんがもぞもぞと体を起こして、眠そうに目を擦った。

 さらさらの銀髪が、ばさりと前に垂れる。

「すみません、姫様——でもほら、ヴァイスさん、戻ってきましたよ?」

「……ずいぶん、遅かったのじゃな」

 まだぼーっとしながら、姫さんがもぐもぐ呟いた。

「ホントにな。慣れねぇ芝居にずっと付き合わされて、お陰さんでクタクタだよ」

「あ、じゃあ、今日はもうお休みになりますか?」

 エミリーの髪を撫でながら、アメリアが俺に尋ねた。

「……そうね。そうさせてもらおうかな」

「それでは、私はあちらの部屋に失礼しますね」

 とか言いつつ、ぎゅ~っとエミリーを抱き締める。

「お休みなさい、姫様」

「うむ、お休み——く、苦しいのじゃ!!」

 すっかり目を覚まして、じたばた暴れる姫さんをようやく解放すると、お休みの挨拶を俺と交わして、アメリアは部屋から出ていった。

27.

「まったく、あやつはわらわを、ぬいぐるみかなにかと勘違いしておるのじゃ」

 俺は苦笑を返しながら、窮屈な服を脱ぎ捨てて、フクロから出した楽な格好にさっさと着替える。

「アメリアは、エミリーが可愛くて仕方ねぇんだよ」

 もちろん、俺もだけどね。

 ベッドに腰掛けると、姫さんが膝で歩いてにじり寄ってきた。

「なんじゃ、ホントに疲れた顔をしておるな。それで、どうだったのじゃ?上手くいったのか?」

「まぁ、な」

 別れ際、エフィに引っ叩かれた頬が、熱を帯びた気がした。

「まだ、分かんねぇけど……多分、エフィは結婚しなくて済むんじゃねぇのかな」

「そうか。それは、良かった……のじゃな?」

 姫さんの語尾は、自信無さげな疑問形になった。

 エルフには、結婚って制度が無いそうだ。あの隠れ里は、全体でひとつの大きな家族って感じだったし、説明されてもいまいち感覚が分からねぇんだろう。

「良かったのかどうかも、まだ分かんねぇなぁ。案外、エフィは結婚しちまった方が、幸せだったりするのかも知れねぇしさ」

「そうなのか?でも、相手の男のことを、あやつは『好き』ではないのじゃろ?」

「それは……そうみたいだな」

「ならば、何故ケッコンをした方が幸せかも知れないのじゃ?わらわは、ケッコンというのは、好きな者同士でするものだと聞いたぞ」

 相変わらず、率直に質問するね。

「だから、俺にも分かんねって。まぁでも、別に『嫌い』って訳でもないみたいだしさ」

「ふむぅ。にくからず思っている、というヤツか。じゃが、ケッコンするほどには『好き』ではない、そうゆうことじゃな?」

 お、憎からず、なんて微妙な言葉を覚えたのか。意味を正確に把握してるかどうかは別にして。

「さぁ、どうだかねぇ。町の連中のひとりとしては憎からず思ってても、相手の男に個人的な興味は抱けずにいるってトコじゃねぇの」

「……何を言っておるのか、よく分からぬのじゃ」

「そうだな。人間の『好き』だの『嫌い』だのは、無駄に複雑なんだよ。結婚にしたって、必ずしも好きなモン同士が一緒になるって訳でもねぇしな」

「そうなのか。頭がこんがらがりそうなのじゃ」

 世界で一番の難問を前にしているような、しかつめらしい顔をする姫さんに笑いを誘われつつ、俺はベッドに身を投げて横になった。

28.

「あんまり難しく考え過ぎない方が、上手くいったりするみたいだしさ——ほら、そろそろ寝ようぜ。エミリーも眠いだろ。起こしちまって悪かったな」

「それは、構わぬのじゃが……」

 仰向けのまま肩でずりずりと移動して、枕の上に頭を乗せた俺を横目に、エミリーはベッドにぺたんと座り込んだまま、頭と長い耳をうな垂れていた。

「どした?やっぱり、アメリアと一緒の方がよかったか?」

「……違うのじゃ。あっちには、ファングもおるしな。知っておるじゃろ?あやつはイビキがうるさくてかなわぬのじゃ」

 姫さんは、鼻に皺を寄せてみせる。

「平気な顔をして隣りで眠れるアメリアの気が知れん。じゃから、わらわはこっちの部屋の方がよいぞ」

「じゃあ、ほれ」

 ぽんぽんと、脇のシーツを叩く。

「アメリアほど柔らかかねぇから、抱き枕としては物足りないかも知れねぇけどな」

 俺の軽口に、エミリーは反応しなかった。

 代わりに、ようやくこちらを向いて、珍しく言い辛そうに口篭もってから、結局口を開く。

「お主がシェラ達と別れた理由も……お主と、あのイジワル女——マグナの『好き』や『嫌い』が、原因なのじゃろ?」

 俺は、咄嗟に返事ができなかった。

「すまぬ——お主が言い辛そうにしておるのは分かっておったし、わらわは思ったことをすぐ口に出し過ぎると、いつも叱られておったのもしょうちしておるのじゃがな……我慢できなかったのじゃ。気を悪くしたなら、許すがよい」

「いや、いいよ」

 そうだよな。

 やっぱり、気になってたよな。

「俺の方こそ、ごめんな。ずっと適当に誤魔化しちまって」

「うむ、まったくなのじゃ。じゃが、許す。特別じゃぞ?」

 俺がおいでおいでをすると、姫さんはころんと横になって、胸の辺りににじり寄ってきた。

 ゆっくり頭を撫でながら、考えをまとめようとしたが、上手くまとまらなかった。

29.

「ヴァイス?」

 俺の溜息を聞いて、姫さんが顔を上げる。

「ああ、ごめん。違うんだ——どう話したらいいか、分からなくてさ」

「そうか。それは、わらわが人間の『好き』や『嫌い』が、よく分かっておらぬせいか?」

「いや——うん、そうだな……俺があいつらと別れた理由は、さっきエミリーが言った通りだと思うけどさ……それをエミリーに分かり易く説明する自信は、今は無いかなぁ。ぶっちゃけちまうと、自分でもまだ気持ちの整理がついてないんだよ」

 整理のつかないままに引き摺ってるから、エフィにあんな態度を取っちまったし、アメリアにも馬鹿みたいなコトをしようとしちまった。

 いま喋っても、グダグダの愚痴になるだけな気がする。そんなの、あんまり姫さんには聞かせたくないよな。

「ごめん。その内、ちゃんと話すよ。エミリーと別れてから、俺達がどうしてたのか——だから、もうちょっとだけ待ってくれるか?」

「よく分からぬが……分かったのじゃ」

「……ありがとな」

 姫さんの次の言葉までは、少し間が空いた。

「いつか、わらわにも……」

「ん?」

「今のお主の気持ちが、分かる時が来るのじゃろうか……姉上のように」

 人間と同じように人間を好きになって、湖に身を投げた姉さんのように。

「……正直、俺はあんまり、そんな時は来て欲しくないけどね」

「なぜじゃ?なんで、そんなこと言うのじゃ?」

「だって、姉上のようにってことはさ、どっかその辺の人間を、姫さんが好きになるってことだろ?それは、なんかヤダなー、俺」

「ふむ。やきもちとゆうヤツか。安心せい。たとえ誰か他の人間を好きになったとしても、わらわはヴァイスを嫌いになったりはしないのじゃ」

 それはまた——嬉しいんだか、嬉しくないんだか。

「なんじゃ。なにを笑っておる」

「いや……エミリーが姉上の気持ちを理解するのは、まだ当分先になりそうだな、と思ってね」

「なんじゃと!?わらわを馬鹿にするなと、何度も申したであろ!」

 ごめんごめんと謝ると、姫さんはぶつくさ言いながら、もっと撫でろと言わんばかりに頭を突き出した。

30.

 肩まで毛布をかけてやり、並んで寝そべりながら、ゆっくり頭を撫でていると欠伸が漏れる。

 姫さんの耳も、トロンと力無く垂れていた。

 その耳が、時折ぴくんぴくんと痙攣するのだ。

 うぅ……久し振りに、触りてぇ。

 凝っと見てたら、いきなり姫さんが顔を上げて睨んできた。

「わらわの耳に触ったら、しょうちせぬぞ!?」

「へ?いや、なんもしてねぇじゃん」

「なんだか、そんな気配がしたのじゃ」

 むぅ。侮り難し。

「うわー、そんな風に疑われると、傷つくなー。姫さんがイヤがることを、俺がする訳ないだろ?」

「……ホントじゃな?」

 もう一度、俺を睨みつけてから、もぞもぞと丸くなる姫さん。

 素直だから、好きだぜ。

「ふにゃぁっ!?」

 もちろん、俺は耳に触ったのだった。

 逃げる姫さんの頭を追って、指先をわしゃわしゃ動かしながら長い耳の裏をくすぐる。

「やめっ——はっ——んっ——うにゃあっ!!」

「いってぇっ!!」

 振り回された姫さんの手が、アメリアに頭突きを喰らった額の瘤をばちんと叩いて、俺は思わず叫び声をあげた。

「なにをするっ!!この嘘吐きめっ!!」

 うぐっ。瘤を叩かれるより痛いな、その台詞は。

31.

「あ~、いってぇ……いや、ホントは触って欲しくて、わざと言ってるのかと思ってさ。振りってヤツ?」

「何を言っておるのか分からん!!触るなと申したであろ!!」

「ごめんごめん。いや、くすぐったそうにしてる姫さんって、すげぇ可愛いもんだから、つい」

「フン、そんなおべっかを使っても無駄じゃぞ。今度やったら、わらわは向こうの部屋で寝るのじゃ。ファングのイビキがうるさくても、そっちの方がマシじゃからな。もう二度と、慰めてもやらぬのじゃ」

 そりゃ困る。

「ごめん。反省する。ホントに、もうしねぇから」

「まったく……ダメと言われて余計にしたくなるのは、小さな子供だけなのじゃぞ」

「ごめんなさい」

 まぁ、姫さんからしたら、年齢的には小さな子供みたいなモンですが。

 またぶつぶつ文句を言いながら、はだけた毛布を掛け直し、エミリーは俺の手を持って自分の頭に乗せた。

 今度は耳に触れないように気をつけて髪を撫でていると、やはり眠かったのだろう、ほどなく寝息を立てはじめる。

 自然と、頬がほころんだ。

 こいつといると、なんだかなごんじまうよ。

 再会してからこっち、俺はずいぶん、姫さんに救われてるな。

 さっきエフィと別れた時とは、心持ちが雲泥の差だ——お嬢に対する態度も、少しは改める努力をしないとダメかね。そう思うゆとりも生まれている。

 なんでお互いに突っかかっちまうのか、いまいち分からねぇんだけどさ。

 明日顔を合わせたら、とりあえず謝っとくか。

 そんなことを考えている内に、いつしか俺も眠りに落ちていた。

32.

 翌日、ファングは早速、人攫い共の根城を発見すべく、町の周辺を探りに出掛けた。用向きが用向きだけに、さすがにアメリアはお留守番だ。

 離れに厨房が備えられていることを知ったアメリアは、ファングのメシを手ずから用意したいようで、後で姫さんと買出しに行くらしい。

「アメリアを独りにして、不安じゃないのか?」

 少し不思議に思った俺は、出掛け際にファングを呼び止めて尋ねてみた。

 あいつはドジだし、俺と出会った日もゴリラとネズミみてぇなチンピラに絡まれてたし——まぁ、原因は姫さんだったが——必ず守り抜くと口で言ったはいいものの、いつでも傍らにいないと無理じゃないかと思ったのだ。

「あいつは、独りでは何も出来ない子供じゃない」

 それが、ファングの答えだった。

「俺も、そのように扱うつもりはない。あいつは、お前が思っているより芯の強い女だ」

 ああ、そうですか。

 保護者と被保護者って関係じゃなく、お互いに信頼し合ってる訳ね。

「いちおう、それなりの備えはさせている。それに、あいつが本当に助けを必要とした時は、どこに居ようと必ず俺が駆けつける」

 釈然としない俺の顔つきが気に喰わなかったのか、そう付け加えた。

 はいはい、分かったよ。きっと、そうなんでしょうとも。聞いて損した気分だぜ。

 俺はといえば、島国から助けを求めに来たっていう例の余所者に会いに、お嬢と一緒に宿屋へ向かう途中だ。

 昨夜は、態度を改めなきゃな、と反省した俺だったが——

 無理です。

 全然ムリ。

 だって、お嬢が物凄ぇ不機嫌なんだもんよ。

 ホントだったら、あんたの顔なんて見たくもない、ってな空気を力の限りに発散してやがる。つか、実際にそう言われた。

 屋敷を出るなり、「近寄らないで!離れて歩きなさいよ!」とかツンケン言われて、距離を置いたままひと言も喋ってない。

 仲直りとか言う以前の問題だ。

 エフィの頭が冷えるまで、しばらく時間を置かないとダメかね、こりゃ。

33.

 少々意外だったのは、道行くエフィに声をかける町の人間が多いことだった。

 こりゃどうも、お嬢様、とか頭を下げられて、エフィも俺には見せたことがないような笑顔で応じている。

 ちょくちょく屋敷を抜け出して、町まで遊びに来てたって話は嘘じゃないらしい。お嬢の言動や接してくる連中の態度で大体察しはついたが、地元民と交わることをよしとしないエジンベア人達の中にあっては、かなりの変わり者なんだろう。

 道の開けた、ちょっとした広場に差し掛かった時なんか、そこらで遊んでたガキ共がわらわらと寄って来て、お嬢様エフィ様とか口々に囃し立てながら、自分達の輪の中に引き込んじまったもんな。

 屋敷を出てから、はじめてエフィがこちらをちらりと振り返ったので、小さく頷いてやる。

 別に急ぐ用事じゃねぇし、ガキと戯れることで少しでもお嬢の気分が晴れてくれればめっけモンだ。

 ガキ共と一緒になってガキ臭いお遊戯をしている姿を、俺に見られるのが照れ臭かったのか、最初はやや困った顔をしていたお嬢も、やがて屈託の無い笑顔を見せる。

 ふぅん。笑うと年相応に、案外可愛いじゃねぇか。

 広場に面したパン屋の店先に置かれたベンチに腰を掛け、ぼんやりとそちらを眺めていると、店のおばさんがお茶を運んできた。

 軒先に二組ほどテーブルが並んでいて、簡単な飲食が出来るようになっていたので、頼んでおいたのだ。

 さてと。

 道すがらに目にした光景を、俺はお嬢ほど素直に受け取る気にはなれねぇからな。ちょっと探りを入れてみますかね。

「なぁ、ありゃ誰なんだい?ここらの連中とは、ずいぶん毛色が違うみたいだけど。もうちょい向こうで見かけてから、ずっと気になってたんだけどさ」

 視線はエフィに向けたまま、中に戻ろうとしたおばさんに何気なしに声をかける。

 俺とお嬢は、かなり離れて歩いてたからな。こう言っとけば、連れだとは思われないだろ。

「ああ、お嬢様のことかい?」

 話し好きらしく、普通に返事をしかけたおばさんは、急に疑いの眼差しを俺に向けた。

「って、あんた、どこの人だい?まさか、お嬢様を——」

 おばさんは、慌てて語尾を濁す。

 ああ、うっかりしてたわ。そりゃ、人攫いが横行してる状況じゃ、余所モンには警戒するよな。

34.

「いや、違う違う。俺のこと、人攫いじゃねぇかって疑ってるんだろ?そのハナシは途中で耳にしたけどさ、俺がそんな悪党に見えるかい?」

「見えなかぁないね」

 言葉とは裏腹に、おばさんの顔には苦笑が浮かんでいた。

 そこまでやさぐれてるつもりはねぇし、ゴロツキにしちゃ、我ながら見た目に威圧感っつーか、迫力が足りねぇからな。

「カンベンしてくれよ。俺ぁただの善良な田舎の村人だよ。ほら、ここからずっと北の方にあるムオルって村、知らねぇかな?」

 思い出が不自然に表情を歪ませないように苦労しながら、具体的な地名を出す。

「聞いたことないねぇ」

 おばさんはそう答えたが、トボけてると仮定しといた方が無難だろう。

「ああ、そう。まぁ、ずっと北の小せぇ村だしな。いや、ホントちっけぇ村でさ、いつまでもあんなトコに引っ込んでちゃ先が無ぇってんで、外に出て一旗上げようと思ってね、とりあえずバハラタに向かう途中なんだよ」

「そりゃ、あんまり感心しないねぇ。親は、なんて言ってんだい。働き手に出ていかれちゃ、いい迷惑だろうにさ」

「いや、俺は次男坊だからな。家はとっくに兄貴が継いでるから、はいどうぞ、ご勝手にってなモンだよ。それに、俺みたいに村から出てくヤツ、結構多いんだぜ。半年くらい前にも、ひとりいたしな」

 俺と「あいつ」が住む筈だった、家の持ち主とかな。

「……まぁ、北の方は、ここよりもっと暮し向きが厳しいってハナシは、聞かない訳じゃあないけどねぇ」

 適当に事実を散りばめた俺の話を聞いて、おばさんはそれなりに納得したようだった。

 細かいことを言えば、魔物がウヨウヨしてるトコを、俺みたいなのが呑気に旅するのは難しいとか、ツッコミどころはあった筈だが、隊商に身を寄せるなりなんなりして、そういうヤツが実際に居ない訳じゃない。

 今だけ騙せりゃいい訳だし、この程度で充分だ。

「でさ、急ぐ旅でもねぇから、あちこち寄り道してるんだけどさ。そしたら、言っちゃ悪いけど、こんな田舎町にゃ似合わねぇ、あんな綺麗な髪したお嬢さんがいるじゃねぇか。それで、ちょっと気になっちまってね」

「あんた、あの方に惚れたって、そりゃ無駄ってモンだよ。ありゃあ、ここいら全部を治めてるご領主のお嬢様さ。あんたみたいな田舎モンとは、身分が違うやね。あたしらみたいな下々とは、まるきり別のお方だよ」

 自分の住む町を田舎町とか言われて、おばさんはカチンときたらしかった。それを口にしたのが、遥かに北の片田舎からやって来たおのぼりさんと思い込んでりゃ、なおさらだわな。

35.

「いきなり何言ってんだよ、おばさん。そんなんじゃねぇっての。ただ、あんまり毛色が違うモンだからさ……ふぅん。ありゃ領主のお嬢様なのか。町中をひとりでほっつき歩くなんて、ずいぶん気さくなんだな。その上あんだけ綺麗なら、さぞかし人気あるんだろ?」

 俺もよく言うよ。鳥肌立ちそうになっちまった。

「まぁねぇ」

 おばさんの微妙な反応は、ほぼ予想通りだった。

「ん?なんか、奥歯にモノが詰まったみてぇな言い方だな」

「よしとくれよ。含むトコなんか、なんにもありゃしないよ。領主様は、そりゃいいお方だし、お嬢様だって、あたしら下々にも普通に接してくださる、そりゃ可愛いらしいお方さ……ただ、ねぇ」

 案の定、但しがついた。

「話し振りからして、あんたの田舎は違うみたいだけどさ……ここの領主様は、余所から来たお方なんだよ」

「ああ、なるほどね。余所モンに支配されてんのが、面白くないって訳か」

 放っとくと、際限なく話が長くなりそうだったので、意図的に加速させてやる。

「なんてこと言うんだろうね、この人は!違う違う、あたしゃ、そんなこた思っちゃいないよ!」

 おばさんは、慌てて体の前で両手を振って否定してみせてから、声を潜める。

「けど、そうだねぇ……そんな風に話してる連中も、まるっきりいないワケじゃないよ。まったく、領主様には、さんざお世話になってるってのにねぇ、バチ当たりなハナシさ」

 やっぱりな——俺は内心で頷いた。

 お嬢の話には、どうにも違和感があったんだよな。支配者層と被支配者層がくっきり分かれてんのに、そんなに快く受け入れられてる訳ねぇっつーか。

 その辺りの機微を、部外者ヅラして町の連中に確かめてみたかったんだが、果たせるかな、エフィが言うほどには、エジンベア人達はよく思われていないらしい。特におばさんを含めた、事情を理解してる大人連中にはな。

 本人の前ではいい顔をしてみせてるだろうから、お嬢が楽天的に考えちまうのも分かるけどね。あいつが思うより、両者の溝は浅くは無さそうだ。それを埋める意味もあって、今回の縁談話が持ち上がったんだろうし。

 あいつ——この先、苦労しそうだな。

 そういや、お袋さんも、もういねぇんだっけか。

36.

「けどまぁ、お嬢様とカイの坊ちゃんが一緒になりゃ、妙なことを言ってる連中も、多少は大人しくなるだろうよ」

 おばさんも、縁談話を連想したようだった。

「へぇ、そんなハナシがあんのかよ?そのカイってのは、地元のヤツなんだ?」

「そういうことさね。まったく、お似合いのお二人だよ。だから、あんた辺りが今さら横恋慕したって、そりゃまるっきり無駄ってモンさ」

 しつけぇな、このババァ。

「カイの坊ちゃんは、そりゃシュッとした立派な方でねぇ。そうそう、この前もアレだよ、人攫いに連れてかれそうになった娘を二人も助けてさ。それに比べて、領主様は一体なにやってるんだいって、皆で話してたモンさ——あたしゃ、なにも言っちゃいないけどね」

 ラスキン卿も、領民を魔物から守ったりなんだり、色々してくれてる筈なんだが。

 人間ってのは、身近で起きた派手な出来事の方に、ついつい目を奪われちまうモンだからな。裏方仕事ってのは、どこでも報われねぇモンさ。なぁ、ラスキンさんよ。

「ここのところカイの坊ちゃんは、人攫い共を捕まえるんだって張り切ってるよ——そうだ、あんた。もし腕に覚えがあるんなら、坊ちゃんが人を集めてるみたいだから、話を聞いてみちゃどうだい」

 あいつも、ラスキン卿の歓心を得ようと必死って訳だ。

「よせやい。俺が荒事に向いてるように見えるのかよ?」

「そりゃそうだ。こりゃ悪いこと言っちまったね」

 声に出して笑ったおばさんは、ふと表情を曇らせた。

「ただねぇ……人攫い共を捕まえてくれるのはありがたいんだけどさ、どこで雇ってきたのか知らないけど、得体の知れない怖い顔した連中を町ん中で見かけるようになっちまってねぇ……あたしゃなんだか、落ち着かないよ」

「まぁ、荒事師なんて、皆イカツイ顔をしてるモンじゃねぇの」

「おやまぁ、生意気に、知った口を利くじゃないか。まぁ、そりゃそうなんだろうけどさ。皆、あんたみたいだったら、あたしも怖かないんだけどねぇ」

 おばさんはまた、アハハと声に出して笑った。

 はいはい、どうせ俺には凄みがありませんよ。

「ご馳走さん。邪魔したな」

 テーブルに代金を置いて席を立つ。

 向こうで、お嬢がガキ共から離れる気配があったからだ。

37.

「あいよ。おっかない連中に絡まれないように、あんたもせいぜい注意するんだね」

 おばさんは、代金とコップを手に取って戻っていく。

 店内のおばさんから見えない位置まで移動して待っていると、お嬢は誰かと話しながらこちらに近付いてきた。

「——じゃあ、私はこれでお屋敷に戻りますけど、気をつけてくださいね、お嬢様。最近は、この辺りも昔ほど安全じゃないんですから」

 話し相手は、ファムとかいうそばかす顔の側仕えだった。屋敷の中と違ってメイド服を着てないから、最初は誰だか分かんなかったぜ。用事で外に出てたみたいだな。

「ええ、分かってるわ、ファム。それじゃ、また後でね」

 屋敷に向かうファムを見送っていたエフィは、「ばいば~い」とかガキ共に声をかけられて、にこやかに手を振って応える。

「あんた、そんな顔も出来たんだな」

 つい嫌味が口を突いて出た。

「なんですって!?」

 エフィは表情を一変させて、ギロリと俺を睨め上げる。

 おぉ、怖ぇ。

「私は、普段からこうです!私がおかしいのは、あなたの前だけなんだから!あっ——ちっ、違う、ヘンな意味じゃなくて、とにかく、あなたが悪いんですからねっ!?」

 へいへい。どーせ、全部ワタクシメが悪ぅございますよ。

 不機嫌なのは相変わらずだが、ガキ共と遊ばせたのが目論見通りに功を奏したのか、俺はお嬢様と並んで歩くことを許可されたようだった。

 多分、「離れて歩け」と文句を言うのを、うっかり忘れてるだけだと思うけどね。

38.

 エフィによれば、目的の宿屋のすぐ近くまで来た時のことだった。

 十歩ほど先の路地から姿を現した二人連れの野郎共を目にして、俺はその場で足を止めた。

「そこで止まれ」

 やや大きい声で制止する。

「え?」

 エフィも立ち止まって俺を振り返ったが、あんたに言ったんじゃねぇよ。

「手前ぇらのことだよ、ボンクラ共。止まれ。怪我してぇのか?」

「あぁ?何言ってんだ、お前ぇ?」

 二人連れの風体は、明らかにカタギじゃなかった。どっからどう見ても、立派なゴロツキだ。

 一旦は足を止めたものの、まだこちらに来ようとするボンクラ共に向かって、俺はお嬢を引き寄せながら重ねて制止する。

「いいから止まれ。魔法って知ってるか?俺は、魔法使いだ。ちょいと呪文を唱えりゃ、今すぐ手前ぇらを消し炭に出来るって寸法よ。分かったら、そこで止まんな、ボンクラ共」

 俺の恫喝は、辛うじて連中を押し止めた。

「おいおい、兄ちゃん。なんか勘違いしてねぇか?俺達ぁ、別にあんたらに用なんてありゃしねぇよ。ただ普通に、道を歩いてただけだぜ?」

 スットボけてんじゃねぇぞ。

 手前ぇら、路地から顔を出すなり、お嬢のことをジロジロ見てやがったじゃねぇか。明らかに、待ち伏せてたろ。

 カイの野郎が集めてるって柄の悪い連中かとも思ったが、何かが俺の頭に引っ掛かっていた。

 こいつら——人攫いだ。

 根拠がはっきりしないまま、何故か確信していた。

 俺も、それなりに修羅場を潜り抜けてるからな。そういう勘が働くようになったのかね。

 とか、この時は思ってたんだが、後になって考えてみると、まるきり違う理由だったので、内心で大いに赤面することになる。

 尤も、俺はもちろん自分に自信なんて無いので、単なる勘違いだったらマズいよな、との見方も当然のように残している。

 うん、後で面倒事に発展したら厄介だ。直接手は出さないで、追っ払うだけにしておこう。

 それにしても、いくら人通りがほとんど無いとはいえ、こんな白昼堂々と、どういうつもりだ、こいつら?

39.

「それともなにかい、いちいち兄ちゃんに許してもらわねぇと、俺達ぁ道も歩けねぇってのかよ」

「動くんじゃねぇよ」

 また前進しようとしやがったので、すかさず釘を刺す。

「それ以上、近寄ってみやがれ。問答無用で消し炭にすんぞ」

「ちょっと——」

 お嬢が、少し怯えた表情を覗かせた。

 悪ぃね、乱暴で。

 けど、もうちょい近寄られて殴りっこになったら、あっさり負けちまう自信ならあるからさ、俺も必死なんだよね。

「おいおい、兄ちゃん。さっきから、なにカラんでやがんだよ。あんまナメてっと——」

「黙れ。回れ右して、さっさと消えろ」

「あぁっ!?ンだと、コラ——」

『メラ』

 威力を抑えた炎弾が、ボンクラ共の足元で爆発する。

 ビビれよ——頼むから——なにニヤついてやがる。

「あーあ、使っちまったよ」

「野郎の言ってた通りだな」

 二人組は、薄ら笑いを見合わせた。

「知ってんだぜ?魔法ってのは、一回使っちまうと、次に唱えるまでやたら時間がかかるそうじゃねぇか」

「つまり、これでしばらくは、手前ぇはただのひ弱な兄ちゃんってワケだ。えぇ、色男?」

 ちっ。ボンクラ共の分際で、誰に入れ知恵されやがった。

「別に俺達ぁ、そんなツモリはなかったんだけどなぁ?」

「そうまで期待されちゃあ、お望み通りに、そのお嬢ちゃんにちょっかい出さねぇワケにゃあいかねぇよなぁ?」

 俺の背中で、お嬢が体を固くした気配があった。

「馬鹿が。誰がしばらく魔法を使えねぇだと?」

 ヘラヘラ笑ってこっちに来ようとしたボンクラ共に向かって、腰から抜いた杖を突きつける。

「へっ、ハッタリこきゃあがって——」

『メラ』

 さっきよりも至近距離で、炎弾が炸裂した。

 ひっ、とか情けねぇ声をあげた馬鹿共に、俺はなるたけ余裕ぶって吐き捨ててみせる。

「間違ってるのは、俺か?手前ぇらか?——どこの阿呆に吹き込まれたか知らねぇが、生兵法は怪我の元だぜ、このタワケが」

 タワケの発声が、ヴァイエルそっくりだったことに気付いて、軽く落ち込む。

 ちくしょう、モノはついでだ。

40.

「偉大なる大魔法使いヴァイエルが一番弟子たるこの俺を、そこらの木っ端魔法使いと一緒にすんじゃねぇよ」

 ヴァイエルの名前なんて、こいつらが知ってるわきゃねぇが、要はそれっぽく聞こえりゃなんだっていいんだ。たとえ嘘でも、野郎を持ち上げてみせるのは、胸糞悪いけどな。

 話が違うじゃねぇか、とか小声で言い合いをはじめるボンクラ共。

 よし、ビビりやがったな。もう一押しか。

「もう警告はしねぇ。次は、殺すぞ」

 だから、そんな引くなって、お嬢。

 こいつらバカだから、直截的な表現じゃねぇと言葉が通じねぇんだよ。

 馬鹿にも分かるように言ってやった甲斐があり、片方がペッと唾を吐き捨てると、ゴロツキ共はそそくさと立ち去った。

 心の中で、安堵の息を吐く俺。

 やれやれ。

 言うまでもなく、俺はそこいらの平凡な魔法使いなのであって、なんとか誤魔化せてよかったぜ。やっぱり、ハッタリって大事。

 俺は先っぽに赫い石の象嵌された杖を腰に戻す。2発目のメラを唱えられたのは、ヴァイエルのトコからくすねてきた、この『魔道士の杖』のお陰だった。

 薬草にホイミ、毒消草にキアリーの効果を付与するのと似た仕組みだと思うが、簡単に言うと、この杖は呪文の効果を溜めておくことが出来るのだ。しかも、薬草なんかと違って、何回でも繰り返し使える。

 ただし、使えるのはメラ限定。しかも、溜めておけるのは一回分だけだ。簡単な儀式で再び篭め直せるが、メラを唱えてもう一度唱えるのと同じくらい時間がかかるので、戦闘中は普通に呪文を唱えた方が手っ取り早い。

 正直に言って、あんまり実用的な代物ではなく、ほとんどヴァイエルへのいやがらせ目的で持ち出したようなモンだが、まぁ、それでもハッタリの役には立ったな。

 ふと気が付くと、俺から若干身を離したお嬢が、蒼褪めた顔をしてこちらを見詰めていた。

「なんだよ、凝っと見て。惚れたか?」

「ばっ!馬鹿……言わないで……」

 エフィの反駁に、いつもの元気が無かった。

 お嬢様には、ちょっとばっかし刺激が強過ぎましたかね。

「ごめんな。怖がらせちまったか」

「そんなこと……ないけど——あなた……ちょっと、怖かったわ」

「いやぁ。俺も内心は、ヒヤヒヤでしたけどね」

 おどけて見せても——まぁ、本心だが——エフィはくすりともしなかった。

41.

「悪かったよ、脅かして」

「別に、謝ることないけど……勘違いだったらどうするのとか、色々言いたいこともあるけど……いいわ。いちおう、私を守ってくれたんですものね」

 なんだ、伝わってたのか。全然、分かってねぇのかと思ったぜ。

「でもね——あんな態度、私には絶対に取らないでよ!?あんな——怖い顔とか、言い方とか……絶対なんだからね!?」

「ああ、もちろん……つか、そんな怖かったか、俺?」

 凄みが利かねぇの、自覚してるんだが。

「べ、別に!!大して怖くなかったわよ、貴方なんか!!」

 どっちだよ。

「でもまぁ、これまではどうだったか知らねぇけどさ、この件が片付くまでは、エフィは独りで町を歩かない方がいいな。俺でよけりゃ、いつでもお供するからさ」

「わ、分かってるわよ……」

 まだ少し動揺しているエフィから視線を逸らし、俺はチンピラ共が去った方に目を向けた。

 ホントだったら、あいつらの後をつけて、連中の根城を突き止めちまいたいところだけどな。エフィを連れてちゃ無理だし、かと言って独りで放っぽり出す訳にもいかない。

 まぁ、そっちはファングに任せとけば心配ねぇか。なにしろ、お強くてご立派な、頼りになる勇者様だからな。

 にしても、ちっとばかし見通しが甘かったみたいだ。ここまで物騒な事になってるとは思わなかったぜ。昨日、姫さんと歩いた時は、のどかな田舎町に見えたんだが。

 帰ったら、アメリアとエミリーにも言い含めておこう。あいつらだけで出歩かせるのは危なっかしい。

 このまま屋敷に戻ろうか迷ったんだが、目的の宿屋が目と鼻の先だったので、俺はエフィを促してそちらに向かった。

42.

 宿屋に入って、帳場の向かいにある食堂の前を通り過ぎようとした時だった。

「あ——おい、ちょっとアンタ!!」

 聞き覚えのある声に足を止めると、ティミがずかずかと歩み寄ってくるのが見えた。

 相変わらず、殴られるんじゃないかって勢いだ。

「よぅ。悪ぃけど、今日はあんたに会いに来たんじゃねぇんだ。こっちの用事が、まだ終わってなくてさ——」

「そんなこた、どうだっていいんだよ!!——なんだい、また違う女を連れてるね。ま、いいさ——あんた、アリアハンでグエンの馬鹿を見たってのは、ありゃホントなんだろうね!?」

「へ?」

 いきなり、何を言ってんだ、こいつは。

「——いや、ホントだけど?」

 爪を噛むティミを、誰よこの失礼な女は?みたいにお嬢が睨んでる。

 気の強い女が俺の好みだと、またティミに誤解されちまいそうな目つきだ。

「まぁ……そうだよね。アンタがウチに、あんな嘘吐く理由ありゃしないもんね。じゃあ、やっぱり、ウチの見間違いか」

「どういうことだ?」

「いや……さっき、その辺で、あの馬鹿を見かけた気がしたんだよ」

「その辺って……この町でか?いやぁ、そりゃねぇだろ。あんたも言った通り、ここにゃルーラじゃ来られないんだぜ?」

「だよね……いや、ハッキリ顔を見たワケじゃなくて、ホントにちらっとそれっぽいヤツを見かけたのを後から思い出しただけだからさ……ウチの勘違い、なんだろうね」

「ああ、そういう事ってあるよな」

 割りと最近、俺にも似たような覚えがあった。

 最初に出会った時、ぶつかってきたエフィを「あいつ」と見間違えたんだ。全然、似てねぇのに。

 ちらりとお嬢を見ると、なによ?みたいな視線を返された。

 さっきまで青い顔してやがったクセに、もう不機嫌な態度を取り戻してやんの。

43.

「よっぽど気になってんだな、グエンのこと」

 なんだってまた、あんなヤツを。と思わずにはいられない。

「な、なに言ってんのさ!?この前、違うって説明しただろ!?ウチは、別に——」

「だって、全然違う別人に、あいつの面影を見ちまうほど気にかかってるワケだろ?」

 いかん。からかったつもりが、これじゃ墓穴だ。

「だから、そんなんじゃないって——」

 ティミの反論は、途中で立ち消えた。

 バン、と大きな音を立てて、宿屋の扉が開かれたからだ。

「よかった——ヴァイス、やはりここにおったのじゃな」

 肩で息をしながら、中腰になった姫さんが、息が整うのも待たずに叫ぶ。

「大変なのじゃ!!アメリアが——さらわれてしまったのじゃ!!」

 ヘンなハナシだが。

 ああ、やっぱり——そんな言葉が頭に浮かんでいた。

 だって、アメリアっていかにも攫われ易そうっつーか。

 だから言わんこっちゃねぇ。

 ったく、ファングの阿呆が。

 手前ぇがなんとかしてくれんだろうな?

 またしても、自分の裡に沸き起こった奇妙な苛立ちを、俺は覚えていた。

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