29. Subliminal Seduction

1.

「なかなか良いところじゃな」

 田舎女の田舎は、やっぱりド田舎だった。

「近くに森も小川もあるし、わらわはこっちの方が落ち着くのじゃ。すまぬが、お主のふるさとのアリアハンは、石の建物ばかりで威圧されてるようでな、あんまり好きにはなれなかったのじゃ」

 小さな手を俺と繋いで、田舎町の目抜き通りをとことこ散策しながら、エミリーはそんな感想を口にした。

「別に構わねぇよ。つか、俺も出身は王都じゃないしな。俺の生まれた村なんて、ここよりもっとひでぇド田舎で、ホントになんにも無いトコだったんだぜ?」

 姫さんの歩幅に合わせてのんびりと足を運びながら、見るともなしに辺りを見回す。

 田舎といっても、ここらじゃ一番大きな町って話だからな。

 密集の度合いはアリアハンとは比較にならないが、建物はそこそこ並んでるし、表通りはそれなりに賑わっている。

 あの女の屋敷の周りの方が、却って閑散としてるくらいだ。まぁ、あっちは金持ち連中の集まってる一画だから、閑静って表現すんのが適当なんだろうけどな。

 それにしても——

 こんなトコに、こんな町があったなんて、全っ然知らなかったぜ。

 ダーマからの逃避行の際には、まるで気付かなかった。そうか、あそこで脇道に入って、もうちょい東まで足を伸ばしてりゃ良かったのか。

 道幅は狭いわ、ずっと先まで森しか見えないわで、あの時は本街道の道なりに、そのまま北へ向かっちまったんだよな——いや、いい。思い出したくない。

「ほぅ、そうなのか?では、ヴァイスのホントのふるさとの近くには、森もあるのか?」

 姫さんの舌足らずな喋り方が、俺を苦い記憶から呼び戻す。

「ああ、あるぜ。ってより、野山丸出しだよ。畑以外は全部山と森みてぇなトコだよ」

「わらわ達の里と似ておるな?」

「まぁ……似てるっちゃ似てるのかね。でも、生えてる木とか全然違うから、雰囲気はあんまり似てねぇかもなぁ」

「ほほぅ、わらわの知らぬ木々達か。それは是非、まみえてみたいのじゃ」

「いや、ホントに何も無いトコだぜ?」

「でも、森があるのであろ?なら、充分じゃ。いつかお主のふるさとに、わらわを連れていくのじゃぞ、ヴァイス」

「……ああ、機会があったらな」

2.

 俺の田舎を見たいなんて、女に言われたのははじめてだ。やっぱ、人間の女——特に街の女とは感覚が違うよな。

 まぁ、女っても、少女っつーか、見た目は幼女だけどさ。

 とはいえ、もしそんな機会が訪れるにしても、それはずっと先の話だろう。

 なにしろ、俺達がいま居るのは、アリアハン大陸ですらない。距離のことだけ考えたって、俺の故郷は遥かに遠い空の下だ。

 俺はまた、マグナ達と伴に旅した、この大陸に戻ってきちまったのだ。

 田舎女——ユーフィミアとかいう気取った名前がついてるらしいが、長ったらしいので田舎女で充分だ。ちなみにフルネームは、もっと長ったらしくて覚えてない——の屋敷に俺達が辿り着いたのは、ついさっきのことだった。

 ここまでの経緯を、ざっと説明しておくと——

 アリアハンでファング達のもとを渋々訪ねたあの日、連中の旅支度はすっかり整っていて、後は魔法使いを待つばかりという状態だった。

 そんな訳で、俺達はその日の内に、慌しくバハラタへと飛んだのだった。

 正直、バハラタでも顔見知りには会いたくなかったから、ファングの背中に隠れてコソコソしてたんだが、サマンオサの勇者様は幅はともかく背が俺よりちょっぴり低いこともあって、正面からすれ違った男に見咎められちまった。

「あれ?ヴァイスさんじゃないですか?」

 顔を背けるのが、一瞬遅かった。

 立ち止まった俺の顔を回り込んで確認し、グプタは改めて驚きの声をあげる。

「やっぱり、そうだ。お久し振りです、何時いらしたんですか?あれ——他の皆さんは?」

「よぅ、久し振り。いや、今さっき着いたばっかなんだけどさ、ちょっと訳ありでな。あいつらとは今、別行動をとってんだ。それより、あれからどうだい。なんも問題ねぇか?」

 言外に「それ以上、あいつらのことは聞くな」と含ませて早口でまくし立てると、グプタは頼りなげながらも、いちおう察してくれたらしかった。

「あ、ああ、そうなんですか——ええ、お陰様で。あれからは、魔物による被害を除けば、おおむね平和なものですよ」

3.

「なんの話をしておるのじゃ?」

 いちいち嘴を入れてくる姫さんの様子は、まるきり好奇心旺盛な子供そのものだ。里の外のモノは何を見聞きしても、まだまだ新鮮な時期なんだろう。

 姫さんの常識外の可愛らしさに気付いて、しばし硬直したグプタは、ようやく気を取り直して、そっちの件については喋ってもよいものかと俺の顔色を窺いつつ、俺達が人攫いの一味を潰して自分達を救ってくれたのだと語って聞かせた。

「ほぅ、そんなことがあったのか。どうじゃ、ヴァイスもなかなかのものであろ」

 ちょっと誇らしげに、姫さんはファングに向かって薄い胸を反らしてみせる。

「ここで、そんなことがあったの……それを、あなたが——へぇ。思ったより、役に立つのかしらね」

 嫌みったらしい口調だったが、田舎女も少しだけ見直したみたいな目つきを俺に向ける。

 まぁ、あんまり感心されても困るんですけどね。

 あの時、俺は何もしちゃいなかったんだから。

 そう——

 本当に強い相手を前にしたら、自分が何も出来やしないんだってことを、俺はあの時、心の底から思い知らされたんだ。

 だからこそ、俺は——

 いや、いい。

 俺は二、三度頭を振って、苦味を伴う昏い記憶を追い払った。

 どうせバレちまったことだし、ついでにグプタに東へ行く方法を尋ねてみると、途中で大河に行く手を阻まれるものの、そこ以外は平地を辿って田舎女の故郷まで行けそうだと判った。

 少し前、俺は——俺と「あいつ」は、大河の源流を迂回してダーマから東へ向かった訳だが、そこまで遡っちまうと例の神殿は目と鼻の先だ。極力あそこにゃ近寄りたくなかったので、河は渡し舟で越えられるという話だし、この情報はありがたかった。

 尤も、この面子じゃ、ハナからあの道無き山岳地帯を越えていくのは不可能だけどな。

 なにしろ、お姫様やらお嬢様やらいらっしゃるのだ。

 その上、今なら、やたらとドジなメイドさんまでオマケで一緒についてきます。

4.

 いや、俺はさ。最初は、こン中では、アメリアは戦力としてまだ計算できるのかな、と勝手に想像してたんだよ。

 だって、ファングと二人であちこち旅をしてた訳だろ?

 雰囲気からして僧侶か何かじゃなかろうかと、俺はなんとなく思い込んじまっていたのだ。

 つか、何の変哲も無いメイドさんを、魔物がウヨウヨしてる中を連れ歩いてるとか、普通は誰も思わねぇって。

 まさか、ホントにそうだったとはね。

 アメリアは、僧侶どころか冒険者ですらなくて、単にドジなメイドさんだった。

 それを知った時にゃ、さすがに俺も呆れたね。あの喧嘩好きな勇者様は、一体何を考えてやがんだかな。

 ところが、なんでメイドなんて連れて歩いてるんだよ、と俺が問い詰めても、ファングの野郎はきょとんとするばかりで、仕舞いにゃこんな返しを口にしたのだ。

「質問の意味が分からん」

 お前、あのな。

「いや、アメリアはさ、戦いの方はからっきしって事なんだろ?」

「そうだな。アレほど、他人を傷つけることを厭う女も珍しいだろうな」

「だったら、なんで連れて歩いてんだよ。危ないだけじゃねぇか」

「危ない?何がだ?」

 何がって、あなた。

 まるで戦力にならないんじゃ、完全に足手まといなだけじゃねぇか。戦闘さえ終われば回復呪文を唱える事が出来た分、出会った頃のシェラの方がまだマシだぞ。

 しかも、あの時の俺達は四人パーティだったから、シェラってお荷物も三人で分け合って背負えたけどさ、お前らはたったの二人連れだろ。

「だからさ、自分の身も守れないんじゃ、魔物に襲われた時はどうすんだよ?」

「俺が守るから問題無い」

 自信満々のファングの断言を耳にして、俺は何故だか無性にイラっときた。

「ああ、そうだろうよ。お前がそういうつもりなのは分かるよ。けどな、いつでも絶対に守ってやれるとは言い切れないだろ?」

「絶対に守るが?」

 なに鳩が豆鉄砲くらったみてぇなツラしてやがる。分っかんねぇ野郎だな。

5.

「だ~か~ら~、もし、万が一でいいからさ、守り切れなかったらどうすんだって言ってんだよ!!何が起こるか分かんねぇだろ!?お前より強ぇ敵と出くわしたら、どうすんだよ!?それとも、お前の手が回り切らないほど、すげー沢山敵が出てきたら!?」

「関係無いな。いかなる状況だろうと、俺は必ずアメリアを守り抜く」

 駄目だ、こいつ。話が通じねー。

「……そんなこと言って、いつか守り切れない時がきて、ホントにアメリアが魔物に殺されちまったら、どうすんだよ。イヤだろ?自分の我侭で連れ歩いて、それで死んじまうくらいなら、地元に置いてきた方がいいとは思わなかったのか?」

「全く思わん。そもそも、ついて来たいと言い出したのは、アメリアだ。俺も、あいつに傍に居て欲しかった。だから、連れて来た。連れて来た以上は、必ず守り抜く。それだけの話だ」

 それまで要領を得ない様子だったファングは、急に得心の顔つきをした。

「ああ、なるほど——今、お前が口にしたようなのが、負け犬の考え方なのか」

 なんだと、この野郎。

「そうやって勝手に想像した良からぬ未来に怯え、少し手を伸ばせば届く範囲の事まで諦めて生きる訳か。俺には到底、理解し難いな」

 こいつ——

 超ムカつく。

 手前ぇが単に、考え無しなだけじゃねぇか。

 手前ぇは——知らねぇから!!

 どうやったって敵わねぇ、いくら足掻いたってどうにもならねぇ力の差に絶望したことがねぇから——

 だから、そんなに自信満々でいられるんだ。

 実際にアメリアが殺されちまう光景を目の当たりにしても、お前は同じ台詞を吐けんのかよ!?

 ちくしょう。

 やっぱり俺、こいつとは反りが合いそうにねぇや。

 つか、大っ嫌いだ。

 ともあれ、アメリアも単なる足手まといだって事実には変わりがない。

 まったくさ。五人もいて、戦力になるのはこのバカと俺だけかよ。

 ご機嫌過ぎて、目眩がしてきたぜ。

 こんなことなら、ヴァイエルの野郎を脅してでも、僧侶の呪文を使えるようにしてもらっとくべきだったな。

6.

「魔法使いと僧侶。そう呼称される冒険者の職業があるが、両者の違いを貴様は理解しているか?」

 ファング達のもとを訪れる少し前、ヴァイエルは俺にそんなことを尋ねてきた。

「そりゃ……僧侶は魔法使いと違って、信仰心とかそういうのが必要なんだろ?」

「いや、素晴らしい。教えられた通りの、全く思考を働かせていない回答で痛み入る」

 嫌味はいいから、先を話せ。聞いてやらんでもねーからよ。こちとらはすっかり耐性がついちまってるから、今さらムカつきもしないっての。

 馬鹿にされるのに慣れちまうってのも、悲しい話だけどね。

「——では、ヴァイス先生の卓越したご見識に拠れば、僧侶の操る魔法はご自身のソレとは全く異なるという訳だ」

 違うじゃねぇか。俺はホイミを唱えられないし、僧侶はメラを唱えられねぇだろ。

 そう答えると、野郎は世界の終わりがやって来たみたいな、この上無く渋いツラをして、長々と溜息を吐いてみせた。

「貴様が私に提供出来る物が、労働力の他にもうひとつあったな——徒労感だ。多少なりと躾けてやったところで、マトモな答えが返ってくるなどと期待するだけ無駄だったな」

 いちいち、うるせぇよ。

 いいから、言いたいことがあんなら、さっさと話せ。

「結論から言えば、どちらも同じ魔法——大道芸だ。貴様等の違いなど、脳味噌に刻まれた『すじみち』の違いに過ぎん」

 何が言いたいんだ、こいつは。

「じゃあ、なんでわざわざ職業が分かれてるんだよ?」

「先程、貴様が口にした信仰心だの、双方の呪文の刷り込みは脳に負担でしかないだの、役割を分担をすることで混乱を排し集中を容易くするだのいう理屈は、全て後付けだ。攻撃呪文も回復呪文も、どちらも唱えられるのであれば、それに越したことはあるまいよ」

 そりゃそうだけどさ。

「元来は、職業を分ける必要など無かったのだ。どちらにしろ魔法を扱うのであれば、いずれ魔法使いで構うまい——いいか、僧侶という職業はだな、政治活動とやらにご熱心な、教会を代表される御歴々のゴリ押しによって生み出されたものなのだ」

 なにやら生臭い話になってきた。

7.

「言ってみれば、冒険者という制度を利用した宗教の宣伝だな。分かり易い奇蹟の体現は、従順な信者の獲得に非常に有効であるのは、わざわざここで繰り返すまでもあるまい。

 由来はどうあれ、僧侶を名乗る者が目の前で不可思議な業を用いて瞬時に傷を癒してみせれば、鰯の頭すら拝み兼ねん貴様等無知共の信心もより深まるというものだろう」

 揶揄する口振りで吐き捨てる。

「……もしかして、教会とあんたらって、仲が悪いのか?」

「我々は、なんとも思っておらんがね。我々にとって彼奴等など、単なる観察対象のひとつでしかない。だが、向こうはどうやら、こちらを煙たく思っているようだな」

 なんとも思ってないようには、とても聞こえませんが。さっきから。

「俗世の権勢とやらに、我々がまるで興味を抱いていないという事実が、連中には理解し難いらしい。彼奴等は逆に、もっぱらそれしか頭に無いのでな、まぁ仕方あるまいが、さしもの我々もその分、政治的影響力では後塵を拝するといったところだ」

 別に、あんたらの確執に興味はねぇよ。

 つまり、こいつが何を言いたいのかというと——

「もしかして、その気になりゃ、俺にも僧侶の呪文が使えるって言いたいのか?」

「ほぅ、矢張り多少は察しが良くなったようだ。まがりなりにも、私のもとに居たのだ。そうでなくては困るが」

 誉められているというより、自画自賛にしか聞こえない。

「僧侶に『転職』するってのとは、訳が違うんだよな?」

「違うな。僧侶に『転職』してしまっては、扱える魔法使いの呪文は既に修得済みのものに限られるが、そうではなく両者の魔法を等しく覚えられるという事だ。その職業は『賢者』と呼ばれている——」

 ヴァイエルは、皮肉らしく唇の端を吊り上げた。

「修得可能な芸事の数が少しばかり増えた程度で『賢者』とは、まったく畏れ入るがね」

「呼び方はなんでも構わねぇよ。つまり俺を、その『賢者』ってのにしてくれるって訳か?」

「まぁ、そこいらであっさり死なれたのでは、用事を言いつけた意味が無いのでな」

8.

「魔法使いと僧侶の呪文を、どっちも使える職業か。そりゃいいな。んじゃ、ひとつよろしく頼むよ」

「……言っておくが、『賢者』はおおやけには存在しない職業だ。あまり大っぴらになっては、自身の影響力の拡大にしか興味の無い教会の連中が五月蝿いのでな。アリアハンでは存在すら知れておらんし、ダーマでも然るべき試練を経た者でなくては『転職』を許されていない」

「なんだよ。期待させといて、つまり、あんたじゃ無理なのか?」

「……貴様には、まず最初に口の利き方を叩き込むべきだったな」

 いつも以上の渋面で、陰気に睨みつけられた。

「私にかかれば、貴様を『賢者』にする事など容易い——だが、止めだ」

「へ?」

 なんだ、こいつ。スネやがったのか?

「貴様が考えている程度の事は、全て筒抜けだと何度も言っている。そのような愚にもつかぬ理由ではない。暗愚の淀んだ眼には看破の敵わぬ観相を得たが故だ」

 小難しい言葉を並べて誤魔化すなよ、大人気ねぇなぁ——

 舌打ちが聞こえてから、しまったと思っても、もう遅かった。

「……馬鹿にも分かり易く言い直してやる。要するにだ、『貴様はもう少し苦労をしろ』と言うことだ、このタワケが」

 その後は、いくら宥めてもスカしても野郎は機嫌を直そうとせず、結局俺は魔法使いのまま旅立ったのだった。

 いやさ、アメリアが僧侶なんだと思ってたから、まぁいいかと軽く考えちまったんだが、こりゃ失敗だったな。

 勇者を自称しちゃいるが、誰かさんと違ってファングはそもそも魔法を使えないってハナシだし、どうすんだよ、これ。

 とにかく、五人連れのところに足手まといが三人もいたんじゃ、せめて馬車を仕立てるしかしょうがない。

 馬車といっても、手配できたのは荷馬車に申し訳程度の幌をつけたオンボロ馬車だったから、汚いだの揺れるだのと、お嬢様にはさんざん文句を言われたけどな。

 バハラタみてぇな田舎町で、貴族の乗るような馬車が簡単に調達できると思ってんのかね。少しは我慢ってモノを覚えやがれよ。姫さんはまだしも、あんたはとても歩いて旅なんか出来ねぇだろうが。

 せめてもの幸いは、途中の大河以外は馬車が走れる平地を通って、目的地まで辿り着けそうだってことくらいだ。

 全く、先が思いやられるよ。

9.

 だがしかし、俺の危惧に反して、道行きは非常に順調だった。

 理由はひとえに、そこにファングが居た所為だ。

 なんつーか、阿呆みたいに強ぇんだわ、これが。

 御者も勇者様自らが買って出たんだが、魔物に行く手を阻まれたら、まず馬車を止めるだろ?

 で、止まった馬車の荷台から俺が飛び出して加勢に駆けつけた時には、大抵もう全部斃しちまってるんだよ。

 悔しいが、偉そうな態度をとるだけの事はあると、俺も認めざるを得なかった。

 魔物との戦闘しか見てないから、単純に比較は出来ないけどさ。

 さすがに勝てるとまでは思わないが、ひょっとしたら、あのニックとすらそこそこ戦えるんじゃないかってくらいに強い。

 傷を負うこともほとんど無ぇから、回復は薬草があれば十分だ。

 なるほどね。これなら、足手まといの一人や二人、連れて歩いても大丈夫な訳だ。

 こりゃ楽だわ——いや、俺もちゃんと、それなりに働いてるけどね?

 バハラタで馬車を手配したり、目的地までの詳しい道筋を調べたのは俺だし、戦闘だって毎回ファングに頼り切ってる訳じゃねぇよ。ぼっとしてたら、お前は何やってんだ、みたいな姫さんやお嬢の視線が痛かったしさ。

 魔法協会の支部が近隣にすら無いド田舎出身だけあって、お嬢は攻撃魔法を見るのがはじめてだった。

 俺の魔法に目を丸くする様が、なんだか妙に新鮮に感じられた。

「でも、冒険者になれば、誰でもあなたと同じ魔法を使えるんでしょ?」

 口ではツンケンとそんな事を言っていたが、まぁ、多少は株を上げられたんじゃないですかね。

 ともあれ、旅足は非常に順調で、田舎女が揺れて気分が悪いだのなんだのすぐに文句を垂れるから、あまり速度を出せなかったとはいえ、街道上をずっと馬車で進めたお陰で、ほどなく俺達は道程の中間地点にあたる大河に辿り着いた。

 ちなみに、ここで渡し舟の手配をしたのも、俺なんだぜ。

 なんつーか、目に見えて派手に活躍してるファングと違って、地味な裏方仕事ばっかしてるから、いまいち共連れから正当な評価を受けてねぇ気がするけどな。

 とか思っていたら。

10.

「こちらから頼んで来ていただいたのに、いつも面倒事ばかり押し付けてしまって済みません、ヴァイスさん。私も坊ちゃまも、こういう手配や何かはあまり得意ではないので、本当に助かってます」

 大きな胸の前で両手を組んで、ちょっとした尊敬の眼差しで俺を見詰めながら、アメリアがねぎらってくれた。

 良く気が付く女だな。メイドとしては優秀なのかもね。性格はいいわ胸はデカいわじゃ、ファングのバカにゃ勿体無ぇな。

 それはともかく、俺が手配したのは渡し舟とは言ってもボゥトみたいな小さな船ではない。左右に何本も櫂の突き出した、馬車も運べる大きな船だ。ガレー船とか言うらしい。

 外洋ほどではないにしろ、河口に近いこの辺りでも水棲の魔物が出没するそうで、小さい船なんぞは格好の餌食になっちまうのだそうだ。

 渡し舟は定期的に大河を往復しているが、毎日ではない。馬車という大荷物があったこともあり、二日ほど足止めをくらった俺達は、河沿いの町で宿を求めた。

 部屋割りは、まずファングとアメリアが二人で一部屋だ。

 バハラタで何泊かした時もそうだったけどさ、二人で何してやがんだかな。やっぱ、夜はナニしてやがんのかね。

 いやまー、別に構いませんけどぉ。乳兄弟だって話だし、ずっと二人で旅をしてる訳だから、同じ部屋に泊まるのは当然ですよねー。全っ然、羨ましくなんてないんだぜ。いや、ホントに。けっ。

 俺は一緒の部屋でも良かったんだが、姫さんは田舎女と相部屋になった。

 つまりまぁ、道行を共にする顔ぶれが一新したところで、俺は依然として独り部屋だってワケですよ。だから、淋しくなんてないっての。気楽でいいじゃねぇか。

 田舎女は、さすがにお嬢だけあって、毎日馬車に揺られてただけでもクタクタになっちまったらしい。足止めを喰らっていた間中、飯まで部屋に運ばせて、ほとんどの時間をベッドの上で横になって過ごしたそうだ。

「全く、呆れた体の弱い女なのじゃ。それに、どういう育ちをしたのか知らぬが、自分の事もロクに出来ないのじゃぞ?面倒じゃが、わらわが世話をしてやらねばな」

 こちらは至って元気なお転婆姫様が、食事を運んだり話し相手になったりと、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。なにやら、その言動は妙にお姉さんぶっていて、かなり微笑ましかった。

11.

 一方、アメリアのドジっぷりは、相変わらずだった。

 ようやく予定の日を迎えて、渡し舟に乗る時のことだ。

「あ——わわ!?あわっわわわわ——」

 船と岸の間にかけられた、大して揺れてもいない渡し板から、何故か転げ落ちかける。

 石も落ちてない平らな道で転ぶような女だから、仕方ないかも知れないけどさ。

 なんとかバランスを保とうと、爪先立ちで腕をぐるぐる振り回すアメリアの腰を、逞しい腕ががしっと支えた。

「気をつけろ」

 いつもの事だ、みたいな口調で言って、ファングはそのままアメリアを脇に抱きかかえて乗船する。

 アメリアはアメリアで、「すみませぇん」とか言いつつ、信頼の眼差しをファングに向ける訳だ。

 はいはい。仲がいいのは、もう分かったっての。

「アメリアのドジは、アレはひとつの才能じゃな」

 揶揄するでなく感心した口振りで呟き、軽やかに板を渡る姫さん。短いスボンから伸びた生脚がまぶしいね。

 後に続こうと思ったら、背中にツンケンした声がかけられる。

「ちょっと、お待ちなさい」

 振り返ると、田舎女が板の手前で二の足を踏んでいた。

「なんだよ?」

「なんだよ、じゃないでしょう?ホントに、気の利かない人ね」

 アメリアとは真逆の事を言う。

「言わなきゃ分からないの?ほら——手をお貸しなさい」

 ああ、気がつきませんで、お嬢様。

 早くしろよ、みたいな目つきをした連中が後につかえてるし、面倒臭いので、俺は素直に差し出された田舎女の手を取った。

 しかし、この女の態度は変わらねぇな。出会った直後の印象よりゃ、多少は見直してくれてると思うんだが。馬車の中でもほとんど口を利かなかったし、気のせいかね。

 俺も俺で、はじめて会った日からこっち、なんとなく敬遠して距離を置く感じになっちまってる——いや、ホントに全然似てねぇんだけどさ。自分でも、なんで避けたがってんだか、よく分かんねぇよ。

「きゃっ——!?」

 渡し板のたわみが予想以上だったのか、田舎女が腕にしがみついてきた。

 やっぱり、新鮮な反応だ。この程度で悲鳴をあげるような女は、久しく周りにいなかったからなぁ。

 そうだったな。女の子って、普通はこういうモンだったよな。

12.

「……いつまで手を握っているの?さっさと離れなさいよ、この不埒者」

 甲板に辿り着いてほっと息をついたと思ったら、拗ねた顔をして身を離す。

 いやいや、あんたがしがみついてきたんですよ?

 やがて出港のかけ声と共にもやいが解かれ、見送りの人間を残して船はゆっくりと岸から離れた。

 姫さんはかなり船が珍しいようで、舷側から身を乗り出して眼下の水面を覗き込みながら、ふぁーとか呆けた声を出す。

「凄いのぅ。こんなに大きな物が水に浮くとは、驚きじゃな」

「そうだな。俺も、こんなちゃんとした船に乗ったのは初めてだよ」

 案外、気持ちいいもんだな。頬に当たる風が心地良い。河を渡るだけだから、乗ってる時間もタカが知れてるので、まぁ船酔いも大丈夫だろう。

「姫さまぁ~」

 キャビンの脇にしつらえられたベンチにファングと並んで腰を掛け、アメリアがおいでおいでをした。

 船員や他の乗客がいる中で「姫様」って呼ぶのもどうかと思うが、こんなトコに本物の姫君がおわっしゃるだなんぞと、普通は誰も信じやしねぇしな。

 それに、アメリアの呼びかけにつられて、姫さんの方を向いたヤツがいたとしても、だ。

 そいつらは皆、フードの下から覗くあまりにも愛らしい顔立ちに圧倒されて、ぎょっとしたように立ち尽くし、この少女ならば「姫様」の愛称で呼ばれてもおかしくないと勝手に納得の表情を浮かべるのが常だった。

 とことこ歩み寄った姫さんを膝の上に乗せて、アメリアは後ろからぎゅっと抱き締める。

「く、苦しいのじゃ!なんじゃ急に、甘えるでない!」

「だって、姫様ったら、最近はいつも、ヴァイスさんとばっかり遊ぶんですもの。アメリアは、淋しいです」

「……やれやれ、お主ら全員の面倒をみねばならぬで、わらわも大変じゃな。宿ではユーフィミアの世話焼きに追われておったし、ずっと落ち込んだ顔をしておるヴァイスも慰めてやらねばならぬで、とても身がひとつでは足りぬのじゃ」

 あらら。姫さん、まだ気を遣ってくれてたのね。そんなに暗い顔をしてたつもりは無かったんだけどな。

13.

 じゃれあっているアメリアとエミリーの隣りでは、ファングが腕組みなどしつつどっしりと腰を落ち着けている。なんだか、親子っぽく見えないこともない。実際は、子供にしか見えない姫さんが、一番年上なんだけどな。

 そこから少し離れた、メインマストが落とす日陰では、田舎女が手持ち無沙汰にぼんやりと立ち尽くしていた。

 風で乱れた髪を時折掻き分け、まだ見えない対岸の方を、どこか物憂げな表情で眺めている。

 はからずもドキリとしちまったのは、たまたま目が合っちまったからであって、特に他意は無いんだぜ。

「……何よ?」

「いや、別に……浮かねぇ顔をしてるな、と思ってさ」

「それは、あなたでしょ。言っておきますけど、情けない顔をして私に話し掛けても無駄ですからね。あの可愛らしいお姫様と違って、私はあなたを慰めたりはしませんから」

 気の無い素振りを装っちゃいたが、お嬢も聞き耳立ててたのね。

「ご安心下さい、お嬢様。ワタクシメにも、そんなツモリはありませんので」

 深々と体を折って、一礼しながら言ってやった。

「あら、そう。なら、よかったわ」

 ついと顔を逸らして、風で乱れがちな髪を手で押さえる。

 たなびく見事なプラチナブロンドは、暇さえあればブラッシングをしているだけあって、まぁ、綺麗は綺麗だった。

 俺は、シェラの金髪を思い出す。

 こうして見ると、あいつのは金色ってより亜麻色に近かったのかもな。田舎女のそれよりは、やや茶色がかっていた気がする。あっちはあっちで悪くないが——というより、俺は断然、髪もそれ以外もシェラの方が、ずっと好きだけどね。

「向こう岸についたら、あんたの町までどれくらいで着くんだ?」

「知らないわよ。私、あの町を出たことないんだから」

 ああ、そうですか。

 前回の経験を踏まえて見積もると、馬車で十日前後ってトコかね。

「——にしても、あんたも変わったお嬢様だよな」

 そんなツンケンすんなって。姫さんをアメリアから奪い返すのも忍びないしさ、少しは世間話くらい付き合えよ。

 なんといっても雇い主だし、多少は仲良くしといた方がいいかと思って、その程度のつもりで切り出した話題だったのに、ぎろりと怖い目をして睨まれた。

14.

「なんですって?」

「いや、だってそうだろ。いいトコのお嬢がさ、アリアハンくんだりまでお供も連れないで独りで来るとか、危ねぇと思わなかったのか?」

「だって、アリアハンの王都って言ったら、世界でも有数の大都市の筈でしょう?他人の故郷を悪く言うつもりはないけれど、あんなに柄の悪い土地だとは思わなかったのよ」

 そりゃ、あんたが下町ばっかり回ってたせいだな。

「アリアハンがもっとお上品なトコだったとしても、無茶に変わりはないと思うけどね。どうせ無鉄砲なコトばっかやらかして、ご家来衆をいつも困らせてんじゃねぇのか?」

「……なによ。意地が悪いわね」

 はっきり否定しないってことは、どうやら図星かね。

「私はただ、あのまま……」

 お嬢は、ちらりとエミリーを横目で見た。

「……あのお姫様の気持ち、私にも少し分かるわ。外に出れば何かが変わるって考えていた訳ではないけれど……ううん。別に変わりたいんじゃないのよ。私は我が家に誇りを持っているし、お父様に逆らうつもりも無いのだけれど——ちょっと、聞いてるの!?」

 悪ぃ。

 ほとんど聞いてなかった。

 ちょっと失礼するぜ。

「きゃあっ——!?」

 腕を掴んで、乱暴に抱き寄せる。

 魚のそれとは明らかに異なる大きな影が、水面に浮かんだのが見えたからだ。

 半魚人っていうのか?

 体表が鱗に覆われていることを除けば、上半身は人間に近い。だが、下半身は魚に似た姿をした魔物が、派手に水飛沫を撒き散らして水面上に躍り出た。

『メラミ』

 自分の体でお嬢を庇いつつ、最初の一匹を呪文で撃退した俺は、ファングの方を振り返った。

「ファング!!」

 俺が呼びかけた時には、野郎は既に河に身を躍らせていた——って、いやおい、ちょっと待て。いくらお前でも、水棲の魔物相手に水の中で勝負を挑むとか。

 大体お前の装備は全部、預けた馬車の中に置きっぱなしで、手持ちは護身用のナイフくらいしか無い筈だろ!?

15.

 ややあって、水泡がぼこりぼこりと湧き上がる。どうやら、ホントに水中で戦ってるらしい。

 クラゲのお化けみたいな魔物が、ぷかりと水面に顔を出したので、俺は一瞬身構えたが、すぐに死んでいると分かった。

 そして次々に、もう動かなくなった魔物の亡骸が浮かび上がる。内訳は、クラゲのお化けが三匹と、半魚人が一匹だ。皆一様に、急所を刺されて死んでいる。

 最後にファングが水上に頭を出して、さすがに苦しそうにムセながら、荒い呼吸を繰り返した。

 結局、全部あっさり水の中で斃しちまったよ、あのバカ。

 はいはい、強い強い。

 水夫が垂らしたロープを両手で握り、ナイフを口に咥えた無謀なバカは、あまりに見事な活躍に対してどよめきを隠せない船上に這い上がった。

 いつの間にやら手拭いを用意していたアメリアが、とたとた小走りに駆け寄って、ずぶ濡れの全身を丁寧に拭いてやる。

 はいはい、仲睦まじい仲睦まじい。

「終わったぜ」

 腕を解いても、田舎女は俺の胸に顔を押し付けて、服にしがみついたままだった。

 すぐ目の前でいきなり戦闘がはじまったんだから、ビビっちまっても無理はねぇか。多少跳ねっ返りとはいえ、こいつは冒険者でも勇者でもない、普通のお嬢様だもんな。

 そしてそれは、なにもお嬢だけのことではなかった。

 可能性として頭に入ってはいたんだろうが、実際に魔物に襲われて今さら不安に駆られた乗客達の何人かが、「本当にこの船は大丈夫なんだろうな!?」とか船員に詰め寄っている。

 不安はすぐに周りに伝染して、さっきとは違う種類のざわめきが船上を支配した。

 ったく、魔物がウヨウヨしてるこのご時世に、安全な旅が保障されてるわきゃねぇだろうによ。

 対応に苦慮した船員は、大丈夫、心配ないと、ただそれだけを必死に繰り返す。まぁ、そう言うしかねぇわな。

 その時だ——

 ドン、と大きな音が響いた。

 床板を踏み鳴らして衆目を集めたファングは、手にしたナイフを高々と天に向かって突き上げて、大音声を発した。

16.

「聞くがいい!我が名はサマンオサの誉れ高き勇者サイモンが一子、ファング!魔物を征伐すべく旅を続けている者だ!」

 旅商人風の男が、「勇者サイモンの名は聞いたことがあるぞ」と呟いた。他にも何人か知っていた者が居たらしく、「そういえば、ファングという名にも聞き覚えがある」という声も聞こえた。

「この俺が共に乗っている限り、お前達に危険が及ぶことは決して無い!何故なら、俺が全て排除するからだ!畏れることなど何も無い!水夫は引き続き操船に励み、乗客は安心して短い航海を楽しむがいい!」

 たった今、実際にあっさりと危険を排除してみせた男の宣誓が高らかに響き渡り、船上には自然と拍手が沸き起こった。軽く手を上げてそれを抑え、キャビン脇のベンチに腰掛けたファングの体を、アメリアが甲斐甲斐しく拭き続ける。

 またすっかり、野郎にオイシイとこを持ってかれちまったな。ま、ボクはその方が楽ですから、なんの文句もありませんけどぉ。

「おい、お——ユーフィミア。終わったぜ。もう大丈夫だ」

 危ね。「お嬢」とか呼びそうになっちまった。

 未だに俺にしがみついている田舎女に声をかけると、やっとのことでおずおずと顔を上げる。

「ふぇ?」

 いつものツンケンした調子とは、あまりにかけ離れた情けない声音に、俺は吹き出すのを懸命に堪えた。

「魔物はファングが斃しちまったから、もう心配ねぇよ」

 お嬢の情けない顔を見ていると笑っちまいそうだったので、何気なく視線を逸らして気がついた。最初に躍り出た半魚人が立てた水飛沫は思ったより激しかったようで、金髪についた水滴が陽光をキラキラと反射している。

「ああ、悪ぃな。いちおう庇ったつもりだったけど、綺麗な髪の毛が濡れちまったな」

「え——」

 田舎女は、ちょっとびっくりしたみたいに俺を見上げた。

「や、やっぱり——綺麗だと思う?髪の毛?」

「へ?あ、うん、まぁ」

 深く考えずに言った軽口で、こんなに喰いつかれるとは思わなかった。

「あ、ありがと……」

 珍しくしおらしい事を口にしたと思ったら、途端に頬を赤らめて、俺の胸倉を両手で突き飛ばす。

「ちっ——違いますからねっ!?今のは、庇ってくれたお礼なんだから!!」

 痛ってぇな。何が違うんだか、分っかんねぇよ。

 ったくよ、タマに可愛らしく思ってやりゃ、これだよ。

17.

「はいはい、別に勘違いしてませんよ」

「ホントでしょうね?なんだか、あなた、いつもその場凌ぎの適当な口振りで物を言うから、信用出来ないわ」

 っ——

 我知らず、俺はユーフィミアの腕を強く掴んでいた。

「痛っ」

 お嬢の顔に怯えが疾る。

「な、なによ。急に怖い顔して——離して。離しなさいよ——痛いったら!」

 苦痛に歪んだ顔を目にして、やっと俺は我に返る。

「ああ——悪い」

「なんなの?なんて乱暴な人なの?」

 手を離すと、お嬢は身を竦めて非難がましい上目遣いを俺に向けた。

「悪かったよ。手、大丈夫か?」

「触らないで!」

 伸ばしかけた手は、悲鳴じみた声で拒絶された。

「ああ、うん——済まなかった。触らないし、もうあんな事しないから、許してくれ」

 素直に謝ると、お嬢は少し警戒を解いた。

「なんなのよ……まぁ——私にも、言い過ぎたところはあったかも知れないけれど……それにしたって、乱暴にすることはないでしょう?」

「そうだな。悪かった」

 お嬢は拍子抜けした顔を見せたが、すぐに気を取り直して俺を睨みつける。

「それから、あまり私に気安く触らないで。大体ね、庇ってくれた事にはお礼を言うけど、あんな風に抱き締める必要があったの?」

「そうだな。無かったかもな。いや、あんたは美人だしさ、つい。まぁ、役得ってことで」

 おべっかのつもりだったんだが。

「っ——この不埒者!」

 ぱしっと俺の頬を叩くと、田舎女は逃げるようにしてキャビンの陰に消えた。

 ちぇっ。俺だって、別に好きで庇ったんじゃねぇや。

 掌に、お嬢の腕を握り締めた感触が残っている。

 あんな真似、するつもりは無かったんだけどな。

 くそ。少しは前みたいに——「あいつ」と出会う以前のいい加減な俺に、戻れたつもりだったんだが。

 あの程度の一言で——「あいつ」と同じ言葉を口にされた程度で、お前がそれを言うなとか——これだけ動揺してるようじゃ、まだ全然ダメかね。

18.

「大事無いか、ヴァイス」

 妙な摺り足で後ろから正面に回り込みつつ、姫さんが上体を横に傾けて、俯きがちな俺を下から覗き込んできた。

「お主も、よくよく女子おなごと喧嘩をするヤツじゃな」

「……俺から売った試しは無いんだけどね」

「相手は、そう思っておらんのかも知れんぞ?」

「……尤もだ」

 両手を上げてみせると、姫さんが腰の辺りを掴んできた。

「本当に、平気か?」

「ああ、もちろん。なんもしてねぇ俺が、怪我する筈もねぇしな。心配するなら、ファングの方にしてやんなよ」

「あやつは心配無い。アメリアもおるしな——そうではないのじゃ」

 姫さんは不安げな目つきで俺を見上げて、少し口篭もった。

「わらわは、その……お主が、泣いておるかと思ったのじゃ。なんだか後ろからだと、そういう風に見えたのじゃ」

 俺は、思わず苦笑した。

「……悪いな、ずっと心配かけちまってるみたいで。でも、あの女に叩かれたくらいで泣かねぇよ。そこまで情けなくねぇってば」

「そうか」

 姫さんは、それ以上何も言おうとせずに、俺の襟元を握って下に引いた。

「よしよし」

 前屈みになった俺の頭を、小さい手でぺたぺたと撫でる。

 こんな小さい女の子に気遣われるなんて、充分情けねぇよな。

 ホント、なんだか泣きたくなってきたぜ。

19.

 その後は魔物と遭遇することもなく、船は無事に河を渡り切って接岸した。

 魔物を退治してくれた礼に、渡し賃はタダで構わないと申し出られたんだが、ファングの「別に大した事をした訳ではない」という一言でおじゃんになった。

 素直にロハにしてもらっときゃいいのによ。さすがは勇者様、俺みたいな庶民と違って度量が広いね。

 はいはい、カッコいいカッコいい。

 大河から田舎女の町までは、俺が予想した通りに十日程度の道程だった。

 昼過ぎくらいに町に着き、そのまま目抜き通りを抜けてお嬢の屋敷へ向かう。

 当然、正門の手前で制止と誰何を受けたが、馬車に乗っているのが館の主のご息女と知れると、使用人がわらわらと集まって、担ぎ上げるようにしてお嬢を連れ去った。

「彼等を離れの客間に通しておいて——後で行くから、それまで自由にしてなさい」

 とか去り際に言い残されたが、自由にしろって言われてもなぁ。

 お嬢様が連れて来たこの奇妙な一行は果たして何者だろうか、と口で尋ねこそしなかったものの、目があからさまにそう言っている胡乱げな使用人に案内された離れの客間は、そこそこ立派ではあったが、やはり調度品が古臭かった。

 ひと息ついたところで、姫さんに外の様子を見てみたいとせがまれて、正直しばらく休みたかったんだが、保護者としては同伴しない訳にもいかず、二人して連れ立って町中へ繰り出したという次第だった。

 着いたばっかだってのに、姫さんは元気だね。それとも、まだ俺がシケた面してて、気を遣わせちまってるんだろうか。自分じゃ、そんな顔してるつもりは無いんだけどなぁ。

 ぶらぶらと町中を一周して、もうじき屋敷に帰り着くところまで戻った時のことだった。

「ヴァイス——」

 握った手を引かれて、俺は自分がぼんやりしていた事に気が付いた。

「ん?どした、姫さん」

「なにやら、わらわ達を怖い目で睨んどる女がおるぞ」

 はぁ?

 いや、俺はこんな田舎に知り合いはいねぇし、姫さんはもっとだろ。

 勘違いじゃねぇのか、と思いつつ、姫さんが指さした方に目をやると——

「アンタ、こんなトコで、なにやってんのさ」

 蓮っ葉な物言いには、覚えがあった。

 ダーマで、やたらとリィナに突っかかってた女武闘家——ティミだ。

20.

 ジロリと睨まれて、姫さんはティミを睨み返しながらも、俺の背中にするりと身を隠す。うん、この女、怖いよな。

「そりゃ、こっちの台詞だっての。あんたといいグエンといい、こっちは御免だってのに、なんで俺の前に顔を出したがるんだか——」

「おい、今なんてった!?」

 勢い良くティミが詰め寄って来たから、思わず後退りそうになっちまった。

 だってよ、こいつの腕っ節はリィナに近いんだぜ。殴りかかってこられても、やり返せる訳ねぇもんよ。

「アンタ、あの馬鹿と会ったのかい!?どこで!?」

「ん、ああ、アリアハンで、ちょっとな」

「アリアハン!?ったく、あの馬鹿、なんだってそんなトコに……」

 目を伏せて、親指の爪を噛む。

「なんだよ、知らなかったのか?ダーマで命令されて行ったんじゃねぇのかよ?」

「ああ——そんなんじゃないよ」

 ティミは、ふぅと溜息を吐いた。

「あの馬鹿、勝手に出ていきやがったんだ」

「ふぅん。そうなのか」

 ティミの口から苦笑が漏れた。

「アンタにも少しは関係あるハナシだってのに、随分とまた他人事だねぇ」

 だって、他人事だもんよ。

 知ったことかよ、あんなヤツ。

「アンタが勇者様の元を去ってから、あの馬鹿、すっかり自分がアンタの後釜に収まるモンだと思い込んでたからね。なのに、どうやら上の方は元々そんなつもりじゃ無かったみたいだし、勇者様にもはっきりイヤとか言われちまってさ、自棄になって出てっちまったんだよ」

「それで、あんたはグエンを心配して、後を追ってわざわざこんなトコまで来たって訳か」

「ばっ——バカ言ってんじゃないよっ!!そんな訳ないだろ!!」

 なにやら全力で否定された。

「あの馬鹿、昔っから弱っちいクセしやがって、プライドだけはいっちょ前なんだ。だから、放っておくとまた馬鹿やるに決まってんだから、ぶっ叩いて止めさせようってだけだよ」

 いや、どう聞いても、俺が言った通りじゃねぇか。

 つか——

「ダーマの中じゃ、あの野郎でも弱っちい方なのか?」

「え?ああ——魔法は、まぁそこそこにはなったのかね。けど、どうだろうねぇ。あの馬鹿は根性無いからさ。勇者様のお役に立てるとは、ウチにゃとても思えないよ。今の段階だったら、実戦経験が豊富な分、アンタの方がいくらかマシなくらいさ」

21.

「いや……そりゃ無ぇだろ。いくらなんでも、俺のがマシってことは」

 それまで険しかった表情を不意に緩めて、ティミは俺を見上げた。

「なんだい、ずいぶん情けない声を出すじゃないか。ウチに偉そうな説教くれた男がさ」

 皮肉らしく唇を歪める。

「別にウチは、嘘なんて言ってやしないよ。なんだってウチが、アンタみたいなアリアハン人に気なんか遣うモンかい——ああ。ムオルの村で、あの馬鹿とやり合った時のコトを気にしてるってワケか」

 そうだよ。俺の魔法は、威力でも精度でも、あの野郎に劣ってたじゃねぇか。

「ハッ、あんなの、単なるお遊びじゃないか」

 だがティミは、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻で笑い飛ばした。

「いいこと教えてやるよ——ダーマの魔法使いの男はねぇ、子供の頃からああやって、お互いの魔法を比べっこして遊ぶモンなのさ。しくじっておっ死ぬヤツもいるってのに、全く男ってのは、なんでああも馬鹿なのかねぇ」

 無意識に沈みかけた自分の声を、ティミは軽く手で払った。

「だからアレは、あの馬鹿の方がああやって遊ぶのに慣れてたって、ただそれだけの話さ。別にアンタが、シケた面する必要なんて、どこにもありゃしないんだよ」

 そりゃ、ありがたいね。

「だから、もうちょいシャッキリしなっての。まったくドコの男も、案外女々しく昔のことを、いつまでも引き摺っちまうのは変わらないモンなんだねぇ……で、アンタは、こんなトコで何やってんのさ」

 ティミは、ちょっと視線を落とす。

「こんっな可愛い女の子連れてさ。まさかアンタ、どっかから攫ってきたんじゃないだろうね——」

 頭に伸びたティミの手を、姫さんはぱしっと叩いた。

「わらわに気安く触れるでない!」

「ハッ、こりゃ驚いた——アンタも大概、気の強い女が好きなんだねぇ」

 いや、そういう訳でもないんですがね。

「無礼を申すでない!」

 怒鳴りつけながらも、姫さんはますます俺の背中に隠れてしまう。

 ティミは、リィナより殺気が剥き出しなトコがあるからな。暴力が嫌いなお姫様は、その身に纏った物騒な気配がお気に召さないようだ。

22.

「あんたも……あいつとは、一緒じゃないんだな」

 冒険者として雇われて来たんだ、みたいな事を、ごく簡単に説明してから、話に出たついでって訳でもないが、そんなことを尋ねてみる。

「アイツって、勇者様のコトかい?ああ、そりゃやっぱり、気になるよねぇ」

「……まぁ」

 いきなり、ほっぺたをぎゅっと抓られた。

「なにさ、ハッキリしないね、男のクセに!いつまでも、ウジウジ暗い顔してんじゃないよ、ホラ!」

 痛ぇっての。離せ。

「フン——悪いけど、ウチも勇者様が出発する前にダーマをおん出ちまったからさ、教えてやれる事は何も無いよ」

「へ、なんで?」

 あんなに、お供になりたがってたじゃねぇか。

 今度は、唐突に脳天に衝撃を受けた。

 ティミに、すぱーんと頭をはたかれたのだ。

「なんでじゃないだろ!?アンタのお陰だよ!」

 はぁ?

「ウチらはさ、勇者様をムオルから連れ戻して、アンタと引き離した張本人だろ?だから、勇者様にはこっぴどく嫌われちまってね。残ってたって、どうせお供に選ばれるワケなかったからさ」

 ああ、そりゃどうも。ご迷惑をおかけしまして。

「勇者様のああいうハッキリしたトコ、ウチは嫌いじゃないんだけどね。まぁ、アレが無くても、選ばれなかったような気はするよ、今となっちゃ」

 似つかわしくもなく、なにやら殊勝なことを言う。

「アンタ、いつか……勇者様のコト、勇者って呼ぶなって言ったろ?」

「言った……かな」

 そういえば、そんな事も。

「言ったんだよ!ったく、シャキっとしないねぇ——ウチには、良く意味が分かんなかったけどさ……なんか、その辺りに、ウチが絶対に選んでもらえない理由がある気がして……気になってたんだ」

 頭の左右にぴょこんと張り出したティミの纏め髪が、姫さんの長い耳よろしく感情によってしおれたりするんじゃないか。

 俺はそんな全然関係無いことを、ぼんやりと考えていた。もちろん、しおれるわきゃなかったが。

「アンタが言ってた『強さ』ってのも、あれから妙に引っ掛かっちまってさ……だから、ウチに偉そうに説教くれたアンタには、そんな情けないツラしてないで、もっとシャッキリしてもらわなきゃ困んだよ!」

 どん、と胸板を裏拳で叩かれた。痛ぇ。

23.

「悪かったよ、偉そうなこと言って」

 咳き込んじまったよ、みっともねぇ。

「そうだよな。見っとも無く逃げ出すようなヤツに、偉そうに説教されたかねぇよな」

「逃げ出した?」

 何故かティミは、怪訝な目を俺に向けた。

「アンタが自分から身を引いたのは、ウチらダーマの人間の方が、勇者様をお護り出来るって信じてくれたからだろ?違うのかい?」

「いや……まぁ、それはそうなんだけどさ」

「だったら、逃げたってのとは違うんじゃないのかい。アンタだって、ホントは勇者様と一緒に居たかったんだろ?」

「そりゃ……出来れば」

 出来なかったんだけどな。

「なんだい、ホンっとハッキリしないねぇ」

 はぁ。すみません。

「その方が相手によかれと思って、自ら身を引くってのも、それなりに勇気が無いと出来ないコトだと、ウチは思うけどね。少なくとも、自分の思い通りにならないからって子供みたいに癇癪起こした、どっかの馬鹿よりゃよっぽど上等さ」

 あれ?

 なんだろ、これ。

 こいつ、もしかして——

「……もしかして、俺を励ましてくれてるのか?」

 そう問うと、自分でもはじめてそれに気付いたみたいに、ティミはきょとんとしてみせてから、急に顔を赤らめた。

「バ、バカ言うんじゃないよっ!!な、なんでウチが、アンタなんかを!?」

 ことさらに俺を睨みつける。

「言っただろ!?ウチはアリアハンの人間なんかにゃ、興味無いんだ!アンタのことも、大っ嫌いだね!大体、アンタはウチに、リィナや勇者様の気持ちを考えてやれって偉そうに言ったけどさ、アンタだってウチらのことなんて、何も分かっちゃいないじゃないか!」

「……そうだな」

 うぐっ。腹を拳で殴られた。

「ったく、少しは言い返しなよ、なっさけないねぇ。黙して語らず、みたいな偉丈夫ってワケでもないだろうにさ」

 すいませんね、拳で語るような性分じゃないモンで。

「まぁ、いいや。あの馬鹿の消息が聞けただけでも良かったよ。ちょっと前に、そこの屋敷に招かれたって聞いて訪ねたんだけど、なんだか立て込んでるみたいで門前払いをくらっちまってさ」

 田舎女の屋敷の方へ、顎をしゃくってみせる。

 やっぱり、そうか。田舎女をアリアハンに運んだのは、グエンの野郎だったんだな。

24.

「よかったら、ルーラでアリアハンまで連れてってやろうか?」

 俺の申し出は意外だったらしく、ティミは虚を突かれたみたいに目を丸くしてから、小さく頭を横に振った。

「そりゃ、ありがたいけどね——いいよ。アンタ、雇われてここまで来たんだろ?ウチをアリアハンに連れてったら、ルーラじゃここに戻ってこれないじゃないか」

 ああ、そういやそうね。

「そんじゃ、こっちの用事が済んでから、って事で」

「……いいのかい?」

「ああ。別に構わねぇよ」

 だから、あの馬鹿の顔を二度と見なくて済むように、ちゃんと首に縄つけといてくれ。

「で、どこに泊まってんだ?」

「いま、アンタが来た方だよ。宿屋は一軒しかないってハナシだから、すぐに見つかると思うけどね」

「分かった。そんじゃ、こっちの件が片付いたら顔出すわ」

「ま、当てにしないで待ってるよ。都合がついたらで構わないからさ」

 ぽん、と軽く俺の肩を叩いてすれ違い、ティミは町中の方へと歩き去った。

 それを見送っていた俺は、袖を引かれて背中に隠れていた姫さんの存在を思い出す。

「あの女は誰じゃ、ヴァイス?」

「ああ——いや、なんつーか……」

 どう説明したものやら、と悩んでいると、姫さんは胡乱な目つきを俺に向けた。

「お主、わらわの知らぬあんな女とも、仲が良かったのじゃな。あちこちに女を作る、浮気者というヤツじゃな?」

 思わず、ぶっと唇が鳴った。

 どこでそんなコト覚えたんだ?あのバカ勇者とドジメイドと旅してる間に覚えたのか?

「そんなんじゃないっての。ただの顔見知りだよ。いや……どっちかっつーと、嫌われてた筈なんだけどな」

 そう返すと、姫さんは難しい顔をした。

「口ではそんなコト言っておったが、そうゆう風には見えなかったぞ?ホントに、あれで嫌われておるのか?ふむぅ……やっぱりわらわには、人間の『好き』と『嫌い』は、まだよく分からぬのじゃ」

 うん、そうね。

 俺も、タマに分かんなくなるよ。

25.

 その後は、離れの客間に戻って何をするでもなく、姫さんとアメリアが仲良くお遊戯をしているのをぼーっと眺めていたら、いつの間にやら日が暮れていた。

 ようやく姿を見せた田舎女は、小さく開いた扉の隙間から手招きをして、俺だけ部屋の外に呼び寄せた。

 大人しく廊下に出た俺を、田舎女はしかつめらしく上から下まで無遠慮に眺め回す。

 旅の間は四六時中、顔を合わせてたってのに、今さら何なんだ?

 遣り切れないといった感じに俯いて溜息を吐いたと思ったら、顔を上げて口をぱくぱくさせる。

 なんのゼスチャーだよ。分かり難いっての。

「どうした?なんかあったのか?」

 てっきり、家人に反対されて俺達が追い出されるとか、そんな話で切り出し難いのかと思ったら。

「い、いいこと?あなたは、今から私の恋人なんですからね。分かった?」

 意を決したように、田舎女は早口でまくし立てたのだった。

「ちょっと、なんとか答えなさいよ!?分かったわね!?」

 すみません。

 全然、分かりません。

前回