26. Gett Off (前編)

1.

 悪い夢の続きを見ているようだった。

 外界の光が遮断された暗がり。

 眼前に屹立する巨大な祭壇。

 その上でゆらめく、いくつかの炎。

 朧な灯りに浮かぶ、黒々とした人影。

 どこか現実離れした光景が、俺をより悪夢に近い感覚へと誘う。

『オルテガの娘、マグナよ』

 祭壇上の人影から発された声が、弧を描く天井や壁に反射して、いんいんとこだまする。

『汝、選ばれたる勇者よ』

 どれだけ齢を重ねたのか判然としない、ひどく年老いた声。

『よくぞ、この地まで辿り着いた』

 マグナの手が、探るように俺の手を握った。

 祭壇を見上げる表情は、暗くてはっきりとは窺えない。

『ルビスに選ばれし汝をおいて、世の何人たりとも、魔王バラモスを滅すことあたわじ』

 握られた手に、きゅっと力が篭められる。

『ルビスの導きに従いて、汝、勇者たる務めを果たすべし』

 俺は、マグナがどんな顔をしているのか、無性に気になった。

 多分、想像の通りだとは思うんだけどさ——

『オルテガとの盟約に因り、ダーマの民は汝に助力を惜しまぬであろう』

 繋いだ手を通して、びくんとマグナの震えを感じた。

 マグナを挟んで、反対側にはシェラが呆けたみたいに立っていて。

 ちらりと後ろを振り向くと、リィナは俯いて顔を背けていた。

 アリアハンからずっと探し求めて辿り着いた、ダーマの神殿の奥深く。

 灯りの乏しい、穴倉みたいな祭儀場で。

 大僧正とか呼ばれた爺さんは、マグナが一番聞きたくない言葉ばかりを次々と、ご神託めかして祭壇の上から浴びせたのだった。

2.

 なんにしろ、とにかくいきなりだった。

 神殿の入り口で突然、リィナの告白を受けた、そのすぐ後。

 困惑しつつ細い道を抜けて窪地の内側に足を踏み入れた俺達が、最初に出くわした男達は、リィナの顔を見知っていた。つまり、ここがリィナのふるさとだってのは、間違いないらしい。

 連中はひとしきり驚いてみせてから、俺達がまだ名乗ってすらいないのに、「じゃあ、その方が勇者様か」「言われてみれば、面影がある」などと、馬上のマグナを見上げて感慨深げに口にした。

 その後は、訳も分からないまま神殿の奥まで連れて行かれて、大僧正やらいう爺さんと、いきなり対面させられたのだ。

 正直言って、リィナ以外は話についていけてない。

 有無を言わさず俺達を引き回した橙色の貫頭衣を着た男達とも、道すがらの会話がまるで噛み合わず、したり顔でなんだかんだと話しかけられたが、内容はほとんど意味不明だった。

 なんというか、向こうは何故か状況を把握しており、当然のようにこちらも全て納得済みだと、勝手に思い込んでるらしいのだ。

 分かった事といえば——どうやら、ここの住民は、マグナが勇者だってことを、ハナから全員承知してるらしい。

 それだけじゃなく、マグナ——というか、勇者がこの地に辿り着くのを、首を長くして待っていたようなのだ。

 男達のひとりが先触れに出たらしく、途中で通り抜けた村——と言っていいのか分からないが、ともあれ居住区と思われる場所では、どこからともなく住民が集まって、遠巻きに俺達を眺めながら「勇者様がお着きになった」みたいなことを、ざわざわと口にした。

 よほど勇者の到着を待ち侘びていたらしく、ざわめきは次第に大きくなり、その内万歳三唱でもはじまるんじゃないかみたいな雰囲気に包まれたが、神殿に近づくにつれて住民の姿は減り、馬鹿デカい神殿の前で馬を預けた頃には、周囲は静けさを取り戻していた。

 その後は、もったいぶって神殿の奥まで通されて、まるきり訳も分からないまま大僧正の爺さんに引き合わされたという次第だ。

 面通しが目的だったらしく、対面自体はすぐに終わった。ロクでもない言葉ばっかを、一方的に投げつけられただけだった。

3.

 途中で同じ格好を何人も見かけた事から、ここの標準的な服装と思しい橙色の貫頭衣を着た男達は、対面を終えたマグナに詳しい説明を申し出た。

 だが、半ば言葉を失いつつも、マグナは頑なにそれを断わり、なんでもいいから自分達四人だけにならせてくれと要求した。

 そして、今。

 神殿のとある一室で、マグナはリィナを睨みつけている。

「なんなのよ……ホント訳分かんない」

 苛立ったマグナの呟きには、俺も全く同感だった。

 ここは、シェラの探してた神殿だった筈だろ?

 それが、なんでマグナ——勇者の到着が歓迎される、みたいな展開になってんだ?

「——ちゃんと説明してくれるんでしょうね、リィナ?」

 俺達に提供された部屋は、建物の一番外側にあるようで、石造りの壁には窓がしつらえられていた。

 硝子の向こうは、今にも雨の降り出しそうな曇り空。

 弱々しい光が室内に差し込んでいるが、他に灯りが無いので、却って薄暗く感じられた。

「うん……でも、ボクより他の人の方が、うまく説明できると思うけど……」

「ご免だわ。あたしは、リィナの口からしか聞きたくないの」

「……分かった。何から説明したらいいかな」

「全部よ。今まで隠してたこと、全部喋りなさい」

「うん。でも、ボク説明とか下手だから、時間かかっちゃうと思うけど……」

「構わないわ。時間なんていくらかかってもいいから、ちゃんと説明して」

 ともすれば刺々しくなりがちな声音を、マグナは必死に抑え込んでいる。

「うん。えっと……どこから喋ったらいいのかな……」

 俯き加減なリィナの立ち姿は、まるで悪さを働いて母親に問い詰められている子供みたいに悄然として見えた。

「そうだね……まず、ボクはそもそも、マグナをここに連れて来る為に、アリアハンまで迎えに行ったんだよ。ルーラとか使わないで、一緒に旅して途中で魔物と戦いながら、ある程度まで鍛えて連れて来るっていうのが、ボクの役目だったんだ」

「役目って……なによ、それ」

「……」

「ここの人達、みんなグルってこと?なんで。何が目的なの。なんであたしが、こんなトコに連れて来られなきゃならなかったの」

 嵐の前の静けさを思わせる、平坦な喋り方。

4.

「あ、うん……どう言ったらいいんだろ……」

 リィナは、頭の中で文章を組み立てては崩しを繰り返すように、しばらく言葉を詰まらせた。

「……別に今さら、言葉を飾ろうとしなくていいわよ。要するに、あたし——勇者に魔王を斃させる為に、ここまで連れて来たんでしょ」

 痺れを切らしたように、マグナは自分で答えていた。

「……うん。そうだね」

「そんなに皆でよってたかって、あたしを勇者にしたいんだ?」

「……」

 半笑いを浮かべるマグナ。

「しかも、なに?お膳立てをしたのは、どうも『あの人』みたいじゃない?さっきのお爺さんが、盟約がどうのとか言ってたもんね?」

 あの人——マグナの父親。オルテガのことだ。

「びっくりだわ。アリアハンだけじゃなくて、こんな地の果てみたいなトコでも、コソコソこんなこと仕組んでたなんて。十六歳の誕生日に出発なんて分かり易い日取りにしたのも、これが理由だったのかしらね。あの人も、ホントご苦労サマだわ……いい迷惑」

「マグナ、違う——オルテガ様は、マグナの為を思って——」

「あたしの為じゃないでしょっ!?勇者の為でしょっ!?」

 ついに、マグナは抑えきれなくなった。

「なんなのよ……ロクに顔も合わせたことないクセして、どこまで追っかけてくれば気が済むの!?ホント、鬱陶しい。ウザいったら無いわ。あちこちフラフラして帰って来ないのはあの人の勝手だけどね、なんであたしまで巻き込むのよ!?一体なんなの、あの人は!?」

 以前、オルテガの名前を耳にしたノアニールでの一件を、俺は思い出していた。

『やっぱり、逃げらんないのかな……』

 こんなに遠くまで旅してきたのに、全てはオルテガの掌の上だった。マグナにしてみたら、そんな気分に襲われても無理はない。

 父親——オルテガを罵るマグナの言葉を聞いて、リィナは悲しげに目を伏せた。

「……リィナもよ。なんであの時、言ってくれなかったのよ!?あたしが魔王を退治しに行くつもりなんて無いってコト、とっくに知ってたよね!?」

 え、そうなのか?

 オロオロと成り行きを見守るシェラに、思わず目を向ける。

 俺の視線に気付いたシェラは小さく頷いて、声を潜めて囁いた。

5.

「あの……私が家出した時あったじゃないですか。あの夜、マグナさんが打ち明けてくれたんです」

 シェラの家出って——カンダタ共と、最初に戦ったすぐ後だろ?

 おい待て、そんなに前のハナシなのかよ。

 マグナの秘密が、まだ二人にバレないようにとか、さんざっぱら気を遣ってた俺がアホみたいじゃねぇか。ったく、マグナも言えよな、そういうことは。

 とか思ったが、今はそれどころじゃねぇな。まぁ、俺の知らねぇトコで、こいつらの間でも色々あったってことだよな——ちょい淋しい。

「ごめん……」

「っ——ごめん、って……」

 消え入りそうな声で謝るリィナと、息を詰まらせるマグナ。

「なによ、それ……今さら、謝んないでよっ!?卑怯じゃない!!」

 マグナの悲鳴が、然程広くない部屋の石壁で反射する。

 リィナは、ただ視線を床に落とすばかりだった。その横顔が、ロマリアの修練場でブルブスに気遣われていた時の、それと重なる。

 あの時、既にリィナは知ってた訳だ。魔王退治に行くつもりなんて、マグナにはさらさら無いことを。

 つまり、リィナがずっと抱え込んでた悩みは、これだったんだな。魔王を討つ為に勇者をここまで連れて来るって自分の役目と、マグナにそのつもりが無いことを知ってしまった板挟み。

『あのね、二人のことは大好きなのよ!?すごい大切』

『今はシェラとリィナがすごい大切なの』

 悩んでいるリィナの姿を、はじめて目にしたあの日の夜——

 酔っ払ってクダ巻いて、マグナが俺にそう言ったのを憶えてる。

 マグナはきっと、物凄く不安を感じながら、自分の秘密を打ち明けたに違いない。二人がそれを受け入れてくれたのが嬉しくて、マグナはあんな風に言ったんじゃないだろうか。

 マグナにしてみれば、リィナの行為は裏切りに思えても、仕方ないかも知れない。

 いや、俺が見るところ、マグナは自分がそう思ってしまうのを、必死に否定しようとしているのだ。

 むしろ、リィナの方が、マグナにそう思われているに違いないと考えて、自分を責め立てているように見えた。

6.

「——大体、なんであたしなのよ!?」

 マグナは、強く頭を左右に振った。

「魔王を退治したいなら、自分達で勝手にすればいいじゃない!!リィナがあれだけ強いんだから、ここには他にも強い人がいっぱいいるんでしょ!?」

「うん、まぁ……皆、ルビス様の『楽園』に行けるようにって修行してるから——ううん、今は魔王を斃す為だけど……でも、それは——」

「ほら、やっぱりそうなんじゃない!!じゃあ、なんでなのよ!?なんで、なんで、わざわざこんな回りくどい真似までして、あたしなんかを引っ張り込もうとするのよ!?あたしなんて——」

 マグナは、ちょっと言葉を詰まらせた。

「なんにも出来なかったじゃない!!あたしがあんたより全然弱いことなんて、よく分かってるでしょ!?なんで——」

「……違うんだよ」

 リィナの声は、溜息のようだった。

「どれだけ強くなっても、ボク達じゃ斃せないんだよ。大僧正様も、さっき仰ってたでしょ……マグナじゃなきゃ、ダメなんだ」

「——はぁっ!?」

 マグナはしばし、絶句した。

 なんて言ったらいいか分からないように、口をぱくぱくさせてから続ける。

「あたしじゃなきゃダメって……なんで!?なんでよ!?なんか理由でもあんの!?」

「うん。あのね……ルビス様が、そう仰ったんだよ」

「——はぁ?」

 気の抜けたような、マグナの返事。

 マグナの困惑は、よく分かる。

 俺も意味分かんねぇ。

 ルビスって、昔の神様のことだよな?

「えっとね、話には聞いてたけど、他の国ではホントにすっかり忘れられちゃってるみたいで、ボクも驚いたんだけど……ダーマでは、ずっとルビス様が信仰されてるのね。

 ルビス様は、すごい昔に『楽園』をお創りになって、心の清らかな人達だけを連れて、この世界からいなくなっちゃったんだけど——」

「ちょっと、いい加減なこと言わないでよ?話がおかしいじゃない!?この世界に居ないのに、どうやって——ううん、そうじゃなくて。あのね、神様がそう言ったからなんて、そんなおとぎ話みたいなハナシ、そもそも信じられるとでも思ってんの!?」

「大僧正様が、ルビス様のお声を聞けるんだよ。それから——」

 リィナは続く言葉を口にするのを、少し躊躇った。

7.

「オルテガ様も」

 びくん、とマグナが震える。

「細かいことは、ボクも分かんないけど、ルビス様を信仰するのが世界でダーマだけになっちゃったのは、その昔、アリアハンが世界を征服したからなんだって」

 アリアハンの世界制覇と共に勢力を拡大した教会は、神様といえば、いわゆる『神』しか認めない。他の土地神やなんかと一緒に、ルビス信仰も駆逐されたって話だろう。

「だから、ダーマではアリアハンってすっごい嫌われてるんだよ。アリアハン出身のオルテガ様を、それでもダーマが受け入れたのは、オルテガ様もルビス様の声を聞けるんだって認められたからでね——」

「だから、なんだっていうのよ」

 駄々っ子のように、マグナは唇を尖らせた。

「意味分かんない。それが、どうしたっていうの。何が言いたいのよ」

「マグナも、じゃないの?」

 リィナは視線だけあげて、上目づかいにマグナを見た。

「マグナも……ルビス様の声を、聞けるんじゃないの?」

「っ——なに言ってんの?知らないわよ、そんなのっ!!」

 明らかに思い当たるフシのあるマグナの動揺を目にして、それまですっかり忘れていた、とある一場面が脳裏に蘇る。

『お告げがの、あったんじゃよ』

『どんな!?その……誰が告げたの!?』

『……あれは、確か女の声じゃった』

 バコタの鍵を持っていた、ナジミの塔の天辺に住む酔狂な老人とマグナの会話。

 事ここに至って思い返すと、マグナは既にあの時、爺さんが口にした「お告げの女の声」に心当たりがあったんだ。つまり、ルビスにお告げを下された経験が。

 それはきっと、マグナにとってとても不本意な——おそらく、勇者絡みのご神託。

 無かったことにして忘れてしまいたかったのに、思いがけずに爺さんからお告げの話を聞かされて——だから、マグナはあの後、ひどく不機嫌になったんだ。

 多分、間違い無い。

「大体、なによ!?神様がそう言ったから、どうだっていうの!?あたしにしか斃せないって言われて、それだけで、ああそうですかって、あんた達はあっさり納得しちゃったわけ!?」

「うん……ルビス様の言葉は、ボク達にとって絶対だから……」

 これを聞いて、マグナの瞳に「怒り」の色が浮かんだ。

8.

 でも、その怒りの矛先は、目の前のリィナじゃねぇんだ。俺には分かる。

「はぁ?何言ってんの?……あんた達、魔王を斃す為に修行してるんじゃなかったの!?あんた達に斃せないんなら、する意味なんて無いじゃない!!なんでそんな言いなりなの!?ホント、訳分かんない……その神様が死ねって言ったら死ぬの!?あんた達は!?」

 自分の感情を上手く言葉に出来ないんだろう。少々子供じみたマグナの無茶な反駁に、しかしリィナは頷いていた。

「うん……ボク達が修行してるのは、元々ルビス様のお力になる為だから……」

 だから、ルビスの為に戦って死ねと言われたら、喜んでそうする。みたいな意味だと思われた。

 まさか、リィナが頷くとは思ってなかった筈だ。呆気に取られたマグナが、さらに何かを言い募ろうとする前に、リィナは慌てて付け加える。

「でもね、ダーマも何もしてなかった訳じゃないんだよ?魔王を斃そうとして、何回も人を送ったりはしたんだよ。けど、全部失敗しちゃったんだ……ほら、あのニックって人、いたでしょ?あの人も、そうやってダーマから送り出された一人だったんだけど……」

 だからか。リィナがあいつの事を知ってる風だったのは。

 実際に耳にしていた時は意味不明だったリィナとニックの会話も、今なら多少は理解できそうだ。

「その時のパーティは、すごい人ばっかりでね。この人達でダメなら、世界の誰にも魔王は斃せないだろうってくらい、四人が四人とも、みんな天才って呼ばれてたような人ばっかりで。でも、その人達も結局、ひとりも戻って来なかったんだよ……」

 あのバケモンと同レベルが四人いても、ダメだったのかよ。そりゃ確かに、誰にも斃せねぇかもな。

「それだけじゃなくて、世界中の国が何回も軍隊を送ったりしたんだけど、やっぱり魔王は斃せなかったんだよ」

 その話なら、知ってる。バラモスが、辿り着くことすら困難な現在の居城に引っ込む前に、幾度となく編成された討伐軍は、全て敗北に終わったのだ。

「……だから、なによ」

 マグナは、どういう顔をしていいか分からない表情だった。

9.

「全然、意味分かんない。あんな冗談みたいに強い人とか、軍隊でも斃せなかった相手に、あたしが何を出来るっていうのよ」

「それは……だから、ルビス様が——」

「あたしにしか斃せないって言ったんでしょ!?それはもう聞いたわよ!!でも——なんで、あたしなのよ!?」

 全くだ。

 今、リィナが言った事は、魔王は誰にも斃せないって状況証拠にはなっても、マグナにしか斃せない理由にはならない。

 ルビスがマグナを選んだって話が本当だとしても——なんで、マグナが選ばれたんだ?

「イヤよ、絶対にイヤ。あたしは絶対、納得なんてしないんだから……」

 マグナは強く、自分の指を噛んだ。

「まさか、あの人の娘だからって理由で選ばれたんじゃないわよね?だったら、魔王を斃すのは、あの人でも構わない筈だもんね。じゃあ、なんでなのよ!?」

「それは……ボクにも、分かんないけど……ルビス様がそう仰ったとしか——」

「ああ、そう。予想通りのお返事、どうもありがとう。分かったわよ。ルビスサマに選ばれし勇者だから、とにかくあたしにしか斃せないってワケね。四の五の言わずに、ありがたくご神託に従いなさいって言うんだ」

「そんな……こと——」

「馬鹿にしないでよ……そもそも、あんた達は、なんで魔王を斃そうとしてるのよ?」

「え?」

「だから、こんな世界の端っこで、コソコソ妙な根回しして、あたしなんかを担ぎ出してまで、なんでここの人達は魔王を斃そうと思い立ったの?それも、ルビスサマがそう言ったから?」

 リィナは、歯切れ悪く答える。

「うん……あと、オルテガ様が——」

「もういい。聞きたくない」

 マグナは顔を顰めて、リィナから視線を逸らした。

「——っていうか、リィナ。あんた、シェラにも嘘吐いてたってことよね」

 再びマグナに睨まれて、リィナはびくっと首を竦めた。

「この神殿は、シェラが占い師のお婆さんから聞いたような場所じゃないって——シェラの望みは叶わないって、最初っから知ってたのよね?知ってて、ずっと黙ってたってことよね!?」

 リィナは、下を向いたまま答えられなかった。

10.

「マグナさん……」

 却ってシェラが気遣わしげな声を出したが、マグナはそれも耳に入らない様子で詰問する。

「なんとか答えなさいよッ!?」

「ごめん……」

 ひゅっと喉を鳴らしたマグナの顔が、それまでよりさらに紅潮した。

「さっきから、なんなのよっ!?謝ってばっかりじゃない!!別に、謝ってなんて欲しくないわよ!!なんなの……なんなのよ、これは!?」

 何度か深く呼吸を繰り返しても、マグナの息は整わなかった。

 ブンブン振った頭を、両手で抱える。

「ダメ。訳分かんない——訳分かんない」

 虚ろに繰り返すマグナの表情は、本当にどうしたらいいか分からないように、途方に暮れていた。

「……もうイヤ。気持ち悪い。ここに居たくない。しばらく独りにならせて」

「あ、うん。じゃあ、すぐ部屋を用意してもらうから」

 ようやく顔を上げて、リィナは扉の方に向かった。

「早くして。今、これ以上、リィナと顔合わせてたくないの」

 一瞬、リィナの動きが止まる。

「ごめん……」

 リィナは俺達から顔を背けると、逃げるようにして扉を開けて外に出た。

 ちらりと見えた、泣きそうな横顔。

 違うぜ、リィナ。

 嫌われた。

 お前が、そう受け取っちまっても、仕方ねぇけどさ。

 押し殺したマグナの声。

 このまま顔を合わせてると、感情のままにリィナを罵ってしまいそうで——マグナはきっと、それがイヤなんだ。

 ほどなく、リィナは橙色の貫頭衣を着た男を連れて戻ってきた。

 案内を申し出た男の後について、部屋を出ようとするマグナに歩み寄る。

「マグナ……」

「ごめん……ちょっと、独りにさせて」

 こちらを見ようとせず、額の辺りに手を当てて部屋を後にしたマグナに、なんて声をかけていいか分からずに、俺はそのまま見送ってしまった。

 まいったな。

 こんな急展開は、さすがに全く予想出来なかった。

 俺自身、ちょっと考えをまとめないと、どうしていいか分かりそうにない。

11.

「許してもらえるとは思ってないけど……ごめんね、シェラちゃん……」

 リィナが謝る相手は、今度はシェラに変わっていた。

「あ、いえ……」

 お互いに、俯いたまま口篭もる。

 シェラもまた、事態の推移が急過ぎて、うまく状況を呑み込めていない顔つきだった。

「ホント、マグナの言う通りだよね……今さら謝っても、怒らせちゃうだけかも知れないけど……ごめんて言う以外、思いつかなくて……」

「いえ……」

 ひとしきり沈黙が続いた後、リィナはひどく言い辛そうに口を開いた。

「あのね……シェラちゃん」

「はい?」

「えっと——その、どう言ったらいいんだろ……普通ね、冒険者は職業を決めたら、もうずっとそのままだよね?」

「はぁ……」

 シェラは、突然何を言い出すんだ、みたいな曖昧な返事をした。

「決めたらっていうか……基本的に、その人の資質に合った職業にしかなれないんだけど。そこは多分、アリアハンでも同じで、その人に合わない職業を選んでも、認められないようになってると思うんだよね」

「まぁな。その為に、試験とかしてる訳だし」

 嘴を挟めそうな内容だったので、つい横から口を出しちまった。

 だってさ。さっきから、空気が重苦しくて耐えらんねぇっつーか。

 リィナも、ちょっとほっとしたように、俺に小さく頷いてみせる。

「うん。つまりね、例えばボクが僧侶の呪文を使いたいと思って、僧侶になったとしてもね、武闘家の修行ばっかりに精を出しちゃって、僧侶としては全然成長できないと思うんだ」

「はぁ……」

 シェラの相槌は、まだ話がどこに向かっているのか、まるで呑み込めていない風だった。俺もだけど。

「でもね、このダーマでは、それが出来るんだよ。ボク達は『転職』って呼んでるんだけど……どう言うんだろ……えっと、ボクが僧侶になりたいとしたら、ボクを僧侶向きに、武闘家の修行なんかに精を出さないようにしてもらえるのね」

 つまり、リィナがベホイミを唱えられるのは、その『転職』ってのをしたからか。

 密かに納得しつつ、また口を挟む。

12.

「要するに、暗示かなんかで性格を変えるってことか?」

「うん……ボクもよく分かんないんだけど、別に性格は変わんなかったかな……でも、武闘家としてより、僧侶としての成長を第一に考えるようになったのは確かだよ。考え方とか、意識が変わるっていうのかな?でね——」

 ちょっと逡巡してから、リィナは先を続けた。

「もしかしたら、なんだけど……それを応用すれば、シェラちゃんの意識を体に合わすことはできるかも、って思うんだよ」

 なるほどね。そういうことか。

 ここでシェラの体を女にするのは無理だけど、意識や考え方を男のソレに変えて、普通の男にすることは出来るかもって話だ。体と心がちぐはぐだって問題は、一応それで解決できる。

 そこが問題の焦点なら、だが。

 相変わらずきょとんとした顔つきで、ずいぶん長いこと時間をかけてから、シェラは小首を傾げた。

「えと……ちょっと、よく分からないです」

「そうだよね……ごめんね。シェラちゃんが望んでるのは、そういう事じゃないのは分かってるんだけど……いきなり、こんなこと言われても、困っちゃうよね……」

「あ、いえ、お話は分かったんですけど……あの、ちょっと、えっと……」

 シェラの顔に浮かぶ曖昧な笑みは、内心の困惑の顕れだろう。

「……すみませんけど、私も、しばらく独りにならせてもらっていいですか?」

「あ——うん、もちろん」

「リィナさんが言ったことも、考えてみますから……」

「うん……ホントに、ごめんね」

「いえ……」

 そうして、シェラも案内役に連れられて、部屋を後にしたのだった。

 またしても、なんて声をかけていいか分からずに、ただ見送っちまった俺とリィナの間に、気まずい沈黙が訪れる。

 いや、俺はそうでもないんだが、リィナはエラく気まずそうだった。

「ヴァイスくんも、ごめんね。ボク、ずっと嘘吐いてて」

「ああ、いや——」

 マグナやシェラと違って、隠し事をされていた張本人じゃないからだろうか。

 正直なところ、騙された!とか、裏切られた!といった類いの感情は、俺の裡にはほとんど見当たらなかった。

 そういう意味では、逆に奇妙な疎外感を覚えないでもない。なんか俺って独りだけ、部外者っていうか、のけものっていうか、自分で思ってた以上に、隠し事もされないくらいの第三者的な立場だったのね、みたいな。

13.

『なんていうのかな……あなただけ、目的っていうか、意志が感じられないのよね。あなたが、あの子達と一緒に行く理由が見えないの。だから、不思議だったのよ』

 いつかのスティアの台詞が、脳裏でリフレインする。全く、あいつは鋭い女だよ。

 でもまぁ、俺のこんなチンケな疎外感なんぞ、この際どうでもいい訳で。

 もちろん、マグナのことも、シェラことも気がかりだが——リィナのことも心配だよ、俺は。

 本当は、こいつは俺達に隠し事なんてしたくなかった筈なんだ。それは、信じてる。少なくとも俺は、無条件にそう信じられる。

 そんなこいつが、ずっと隠し事を抱え込んでた心痛たるや——まぁ、よくここまで黙ってたよ。

「俺の方こそ——悪かったな」

 リィナの置かれた立場も知らずに、何度もこいつの悩みを能天気に聞き出そうと迫ってた。さぞかしリィナは、言うに言えずに困っただろうな。思えば、ずいぶん残酷な真似をしちまったモンだ。

「え?——ああ、うん」

 はじめはきょとんとされたが、やがて俺が何を謝っているのか察したらしく、リィナはやや自嘲気味にはにかんだ。

「ホントだよ。ヴァイスくんがしつこく聞いてくるから、ボク、ホントに困ったんだから。もう言っちゃおうかなって、何度も——」

 少しだけいつもの調子を取り戻した、冗談めかしたリィナの台詞は、扉をノックする音に遮られた。

 視線で問いかけると、リィナは首を捻った。

「誰か来ることになってたのか?」

「ううん。分かんないけど……」

 呟きながらリィナは扉に近寄って、開いた隙間から外を覗いた。

「あれ、ティミ……と、グエン?久し振り——」

「そんな挨拶はいいんだよ。勇者様は、どこ?ここに居るって聞いたんだけど?」

 聞き覚えの無い女の声。

「あ、うん。今は、別の部屋で休んでもらってるけど……」

「なに?居ないの?いいから、ちょっと入れなよ」

 リィナを押し退けるようにして、見知らぬ女が入ってきた。

14.

 歳は、リィナと同じくらいだろうか。身に着けているのも、リィナのそれと同じ武闘家の道着だ。

 髪型は、違っている。リィナは頭頂部付近でひとつにまとめているが、この女はふたつに分けていた。両耳の上辺りで左右にまとめられた黒髪が、ぴょこんと垂れている。

 背丈は、リィナよりやや低い。マグナと同じくらいだろうか。すごいツリ目の、やたら気の強そうな女だった。

 その後ろから、男が顔を覗かせる。こっちは、俺と同年代か。背丈もひょろっとした体つきも俺と近いが、顔つきは優男風だ。

 多分、ティミってのが女の名前で、男の方がグエンだろう。

 部屋に入るなり、ティミはジロリと俺を睨みつけた。

「誰?」

 俺への第一声が、それかよ。こっちの台詞だっての。

「一緒に旅してきた、魔法使いのヴァイスくんだよ。あ、ヴァイスくん、この人達は——」

「ああ、現地調達の素人かい。別に、紹介なんていらないよ。アリアハンの人間なんかに、興味無いね」

 物凄いつっけんどんな口振りで、ティミは吐き捨てた。

「へぇ、君がねぇ。勇者様のお供の魔法使いねぇ」

 魔法使いの格好をしたグエンの方は、同業のよしみか、多少は俺に興味を持ったようだ。

 けど、揶揄するみたいな口調が気に入らねぇ。なんか、見下したような目つきも気に喰わねぇぞ、こいつ。

「勇者様がおいでじゃないのは残念だけど、まぁいいや。リィナ、ウチと勝負しな」

「へ?」

「ウチが勝ったら、この先、勇者様のお供は替わってもらうよ。いいね?」

 勝手に話を進めるティミ。

 つか、展開についてけないんで、そろそろ一旦落ち着かせてもらえませんかね。そんで、誰か俺に全部詳しく説明しろ。

「えっと……ボク、今はそういう気分じゃないって言うか……」

「黙りな。アンタに、拒否する権利なんかないんだよ。大体、勇者様のお迎えがアンタに選ばれたのだって、ウチは納得しちゃいなかったんだ。アンタなんかよりウチの方が、勇者様のお供にずっと相応しかった筈なんだよ」

「でも、そんなのボクが決めたんじゃないし……それに、心配しなくても、マグナはもうボクを連れてくつもりは無いんじゃないかな……」

 しょげたリィナの態度にも、ティミはまるでお構いなしだった。

15.

「うっさいんだよ!!グダグダ言ってないで、いいからウチと勝負しな!!どっちが上か、今日こそハッキリ白黒つけてやるよ!!」

 何かの因縁があるらしく、憎々しげにティミはリィナを睨みつける。

「いっつも贔屓されやがって。ずっと、気に喰わなかったんだ……」

「キミ、前からそう言うけどさ……そんなことないと思うんだけど……」

「あるに決まってんだろ!!ちょっとオルテガ様にお目をかけられたからって、天才だとかもてはやされやがって……いい気になってんじゃないよ!!」

 ふむぅ。なんだかリィナは故郷でも、色々と複雑な事情に取り囲まれてるらしい。

 女二人の口論を聞きながら、知らない部分を想像で補う作業は、粘着質な声に中断された。

「君、魔法使いだそうだけどさぁ。どの辺りの呪文まで覚えてるのかなぁ」

 ニヤニヤ笑いながら、グエンが俺に尋ねてきた。

「あ?」

「いや、だからさぁ、君が唱えられる一番レベルの高い呪文だよぉ。聞こえてたでしょ?」

「……メラミだよ」

 よっぽど無視してやろうかと思ったが、何回でもしつこく尋ねてきそうだったので、渋々答えてやる。

 グエンは、わざとらしく目を見開いた。

「へぇ!?メラミねぇ……あぁ、そうなんだぁ」

 馬鹿にしきった口調。我知らず、右手が拳を握る。

 なにカラんでんだよ、この野郎。誰だか知らねぇ手前ぇの相手なんざ、してる気分じゃねぇんだよ、こちとらは。

「あれぇ?ゴメンごめん。怒らせちゃったかなぁ?」

 睨み付けてやると、グエンは一層締まりのない顔でにやついた。

「でも、最高でメラミって……勇者様のお供にしては、ちょっとレベル低いよねぇ」

 わざと無言で通していると、案の定、グエンは気にした風もなくぺらぺら喋り続ける。

「ボクはねぇ、イオラはとっくに覚えててねぇ、多分、もう少しでベギラゴンも唱えられるようになると思うんだよねぇ」

 ああ、そうですか。そりゃ良かったですねぇ。その調子で、せいぜい頑張ってくださいよ。

16.

「あとさぁ、アリアハンの冒険者って、僕らみたいに子供の頃から訓練してる訳じゃないから、呪文を唱える間隔が長めに設定されてるって、ホントなのかなぁ?そうしないと、君らみたいな素人じゃ、気が狂っちゃうからって聞いたんだけどさぁ」

 長めかどうかは知らないが、間を置かないと呪文を唱えられないのは本当だ。

 自分の脳みそに本来は存在しない『すじみち』を、外部から儀式——イニシエーションによって無理矢理刻み込むので、呪文を唱えてその『すじみち』を辿る行為は、脳みそに過度な負担を強いるのだそうだ。

 呪文を唱えた後の、極度に集中して物事を考え続けた後みたいな倦怠感というか虚脱感で、それは実感出来る。

 そこで、脳みそが過負荷でぶっ壊れないように、呪文を唱えた後は『すじみち』を一定の時間遮断する仕組みが、同時に組み込まれているのだという説明は受けていた。

 いや、細かい理屈は、俺もよく分かんねぇんだけどさ。

 ともあれ、冒険者になる際に受けた講義で、あの陰気な講師はそう言っていた。「そういう物だと思っておけ。貴様等の貧困な知識では、その程度の理解で上出来だ」という嫌味を付け加えるのも、野郎は忘れなかったが。

「まぁ、そうだよねぇ。アリアハンの冒険者なんて、所詮はダーマの劣化版みたいなモノでしょ?」

 この粘着質の言葉を信じるとすれば、ダーマの魔法使いは俺より短い間隔で呪文を唱えられるし、そもそもアリアハンの冒険者はダーマを参考にして組織されたらしい。

 そういえば、ルイーダの酒場の成り立ちに、オルテガが関わってるって話があったな。両者の間を、オルテガが取り持ったってところか。

 そう考えると、まんざら嘘でもねぇんだろうが、いちいちイラッとくんな、この野郎の喋り方は。

「よくそんな低レベルで、ここまで頑張ったよねぇ。うん、エラいエラい。まぁ、ここから先は安心して、勇者様のお供は僕ら専門家に任せておくれよ」

 は?

 何を言い出しやがんだ、この粘着質は。

「君はさっさとアリアハンの田舎に帰って、のんびり暮らしてくれていいからさぁ。心配しなくても、僕らが勇者様と魔王を斃してあげるからねぇ」

 アホぬかせ。手前ぇなんぞに、マグナのお供が勤まるとでも思ってんのか。

17.

「あれぇ?なんだい、その目は?君だって、自分が魔王を斃せるなんて思ってないでしょ?折角、分不相応な役割から開放してあげるって言ってるのに、もっと喜んで欲しいなぁ」

 常に唾液が舌にたっぷり絡み付いてるような、ねちっこいグエンの喋り声に、俺のイライラは頂点に達しかけていた。

「いいから、勝負しろってんだよ!!逃げんのか!?」

 横で大声が聞こえて、俺のイライラが爆発の機会を失ったのは、良かったのか悪かったのか。

「……分かったよ。じゃあ、ちょっと手合わせしようか」

 リィナは溜息混じりに、ティミに答えていた。

「君も僕と勝負してみるかい?納得いかないって顔つきだもんねぇ?あぁ、安心しなよぉ。魔法使い同士だからねぇ、蹴ったり殴ったりなんて野蛮なことはしないからさぁ。純粋に、呪文の威力を比べるだけだよ」

 グエンが俺を挑発する。

 うるせぇな。

 どうせ、こんな山奥で、ずっとシコシコ修行ばっかりしてやがったんだろ?

 誰かに、その成果をひけらかしたくてしょうがねぇんだな、このバカ。

 バカの自己顕示欲を満たしてやるつもりは、さらさら無かったが、俺はリィナが心配だったので、大人しく三人の後についていった。

18.

 連れて行かれたのは、対人戦闘の訓練に使われるとかいう、窓の無い石造りの広間だった。壁際にいくらか武器が置いてあるくらいで、他には何も無い。広さは飛んだり跳ねたりするには充分で、高い天井は大僧正のいた祭儀場と同じように湾曲していた。

「じゃ、やろうか」

 広間の真ん中でティミと向き合ったリィナは、いかにも気が進まない様子だった。

 戦闘を前にして、こんなにやる気が無さそうなリィナを見たのは、はじめてだ。

「フン。シャクに触るねぇ、その態度。余裕あるフリしやがって。天才様にしてみりゃ、ウチなんて本気で相手してらんないってかい」

「そんなんじゃないけど……」

「あんまりナメるんじゃないよ。知ってんだよ。勇者様の修行の為かなんか知らないけど、魔物が弱っちい地方ばっか旅してやがったクセにさ。アンタがのんびり旅してる間に、ウチが何もしてなかったとでも思ってんのかい」

「……のんびりなんて、してないよ」

 ちょっとムッとしたリィナの反論を、ティミは鼻で笑った。

「ハン、どうだかね。腑抜けた今のアンタをブチのめすのなんか、十数える間で充分だよ」

「……どうでもいいから、早くしたら」

 とことん気の無い素振りに、ティミは顔を真っ赤にする。分かり易い性格してるのな、あの女。

「相変わらずだねぇ……その余裕っぷりが、気に喰わないんだよ!」

 五、六歩ほどの間合いを、ティミは一瞬にして詰めた。リィナに喧嘩を売るだけあって、その動きはかなり素早い。

 だが、ティミの振り下ろした手刀を、リィナは易々と躱す。

 その後の攻防には、見覚えがあった。

 カンダタ共が根城にしていた、石窟寺院の地下の広間。あそこで目にした攻防と、よく似ていた。

 ただし、配役が違う。リィナがニックの役で、あの時のリィナをティミが演じている。

 リィナにまとわりついて、流れるように繰り出されるティミの攻撃——フゥマの解説によれば、本来躱しようがない筈の攻撃は、あの時と同じように、見事に全て捌かれていた。

「ハン!思ったよりゃ、ナマっちゃいないようだね!!」

 勝気にそう言ったものの、顔が引きつってるから強がりだろう。

 ティミの動きが、少し速度を増して見えた。

 それでも、当たらない。

 苛立った舌打ちが聞こえた。

19.

「なんで反撃しないのさ!?ほら、手を出しなよ!!」

 わざと隙を作って挑発されても、リィナはやる気の無い表情のまま、淡々と攻撃をいなし続けた。

「馬鹿にしやがって——ナメんじゃないよっ!!」

 ティミの動きが変わった。

 跳び上がっての大振りな後ろ回し蹴りは、身を屈めたリィナにあっさり躱されたが、そのまま空中で回転したティミは、振りかぶった拳を真下に向かって突き出した。

『メラ』

 なんだと——っ!?

 ティミの拳に先行して放たれた火球は、床と接触して小規模な爆発を起こす。

 リィナの姿は、既に爆心地には無かった。

 爆発に遅れて着地したティミは、熱そうに顔を顰め——自分の真下に向かって、メラなんか放つからだ——リィナに向かって得意げに笑ってみせる。

「フン、よく躱したじゃないか」

「ああ。ティミも、転職してたんだ」

 せっかく誇らしげに自慢してみせたのに、別にどーでもいいみたいな口調で返されて、ティミはまた顔を真っ赤にする。

「アンタが呑気に旅してる間に、必死に修行したんだよ!これで分かっただろ。呪文を使える武闘家は、もうアンタだけじゃないんだ!」

「どうりで、なんかキレが無くなってると思った」

 リィナに悪気が無いことは、俺には分かったが、ティミには馬鹿にされたとしか思えなかったようだ。

「ッ——負け惜しみ言うんじゃないよッ!!」

 リィナは、負けても惜しんでもいないと思うが。

 それはともかく、こいつらは二人とも、元々武闘家だろう。話を聞いてる限りでは、リィナは僧侶に、ティミは魔法使いに転職ってのをして、ある程度呪文を覚えてから、再び武闘家に転職し直したっぽい。

 一度覚えた呪文は、どうやら別の職業に転職しても使えるみたいだな。その代わり、僧侶や魔法使いになっている間は、武闘家としての修行に精を出さなくなるらしいので、その分、腕が鈍っちまうってことか。

 それにしても、リィナの魔法の使い方を見た時も面食らったモンだが、こいつら無茶苦茶しやがるぜ。呪文を唱えるには相応の精神集中が必要で、唱えた後は虚脱感に襲われるから、普通は殴りかかりながらとか、唱えられる訳ねぇんだけどな。

20.

 多分こいつらは、武闘家としての動きは無意識にこなせる——体が勝手に動くってレベルなんだろう。動作は肉体に任せて、精神は呪文に集中するってなトコか。

 魔法使いしか経験のない俺には、ちょっと信じらんねぇけど、実際に目の前で見せられちまってるからなぁ。そんくらいしか説明がつけられない。誰にでも出来るって技術じゃなくて、努力と才能の賜物だとは思うけどね。

 尤も、わざわざメラを選んだ事からすると、ティミが攻撃と同時に唱えられるのは、ごく初歩的な呪文だけだと思われた。

「適当言いやがって……ウチは、前より強くなってるんだよ!!」

「そう?じゃあ、ボクがちょっとは強くなったのかな……でも、ちょっとじゃダメなんだけど」

「ホント、ムカつくねぇ、アンタ……この一年、ウチがどれだけ修行したと思ってんだい!?ウチはもう、とっくにアンタを超えた筈なんだ!!」

「……でも、ずっとここで修行してただけでしょ。外には、ボク達が思ってるより強い魔物も人も、沢山居るよ。だからキミも、一度外に出てみるといいんじゃないかな」

「ナメたことぬかしやがって……その為に、アンタと今、勝負してるんじゃないか!!」

 リィナに成り代わって、勇者様と一緒に魔王退治に行く為ってか。

「あ、そっか」

 今ごろ気付いたみたいなリィナの反応が、余計にティミの神経を逆撫でした。

「どこまでナメれば気が済むんだい……いいさ、手ぇ出さないってんなら、勝手にしなっ!!そのまま殺してやるよっ!!」

 物騒な事を喚きつつ、突っ込んだティミの拳を躱しざまに、リィナの掌が耳の辺りから顎にかけて撫でるように掠めた。

 かくん、と膝を落としたティミは、その場にくたりと倒れ込む。

「ごめんね。やっぱり今は、そういう気分になれないや」

 え?

 今ので終わりかよ?

 なんつーか、圧勝だな。ニックとの二度目の戦闘を経て、リィナはまた強くなったのかも知れない。

 やり取りからして、ティミは昔からリィナをライバル視してたらしいが、ちょっと哀れに感じるくらい、両者の実力差は開いてしまったようだった。

21.

「すぐ目を覚ますと思うから、介抱してあげてね」

 グエンに声をかけて、とぼとぼと広間を後にするリィナ。

「おいおい、どこに行くんだい?」

 追いかけようとした俺を、グエンが呼び止めた。

「まだ、僕と君の勝負が、残ってるじゃないか」

「悪ぃけど、付き合ってらんねぇよ」

 いちおう立ち止まって、顔だけ振り向けた。

「う……」

 リィナの言葉通り、すぐに目を覚ましたティミが呻き声をあげる。

「あれ……ウチ……」

 頭を振って、片手で顔を押さえる。

「くそっ、セコい真似しやがって……こんなの、白黒ついたなんて、ウチは認めないからな!」

「まぁ、あんたらにも色々あるんだろうけどさ——」

 俺は、溜息を堪えることが出来なかった。

「少しは、あいつ——リィナの気持ちも、考えてやったらどうだ」

 こいつらにとって、勇者様のお供って立場は、さぞかし羨ましいモンみたいだが——でも、あいつは逆に、そのことで苦しんでたんだぜ。

 こっちの事情を知らないにしてもさ、昔っからの知り合いなんだから、あいつが落ち込んでることくらい、顔見て察してやれねぇのかよ。

「それに、ちょっとはさ。マグナの気持ちも、考えてやってくれよ」

 お前にしか魔王は斃せない。まるで全人類の運命を背負わされたも同然な宣告をされた、ただの十六歳でしかない女の子の気持ちを、少しは想像してやれないモンかね。

「何が言いたいのか分からないなぁ。ルビス様に選ばれるなんて、この世で最も名誉なことじゃないか。その勇者様をお助けする共連れには、より強い人間がなるのがいいって考えるのは、ごく普通のことだと思うけどねぇ」

「そうだよ。だから、ウチは——」

「あんたらさ。強さってのは、腕っ節のことだけじゃねぇんだぜ」

 お前らに、マグナを守ってやれんのかよ。あいつの弱い部分を、ちゃんと支えてやれんのか?

「面白いこと言うねぇ。じゃあ、君の言う強さってのを見せておくれよ」

「また今度な」

 これ以上、相手をする気はなかった。どうせ、話が平行線を辿るだけだ。

「ああ、それとな。あいつを勇者って呼ぶな。あいつの名前は、マグナだ」

「なに言ってんのさ——」

 背中に投げかけられる声を無視して、俺はリィナを追って広間を後にした。

22.

 通路に出て左右を見回しても、リィナの姿は見当たらなかった。

 さて、困ったな。あいつらの相手なんてしてないで、やっぱりすぐに後を追うべきだった。

 なんとなく予感が働いて、他に知っている場所がある訳でなし、やたら天井の高い通路を逆戻りして、さっきまで居た部屋に戻る。

 押した扉は、開かなかった。

 鍵がかかっている訳じゃない。少しだけ、隙間が出来ている。扉の向こうに何かが置かれていて、それに突っかかっているのだ。

 鼻をすする音が、微かに漏れ聞こえた。

 リィナだ。山勘が外れなくて良かったぜ。いや、この状況は良くねぇけど。

「リィナ——入っていいか?」

 いらえがあるまで、少しかかった。

「あ……うん」

 寄りかかっていた扉から、リィナが身を離した気配があった。

 扉を押し開けて中に入ると、リィナは泣いてはいなかったが、その目は充血していた。

「どしたの?あ、そっか、ヴァイスくんの部屋——待ってて。どの部屋使えばいいか、すぐ聞いてくるよ」

 俺から顔を背けて、通路に出ようとしたリィナの腕を掴んで引き止める。

「ああ、頼むよ。けど、もうちょっと後でな」

「へ?なんで?」

「いや、だってさ……ちょっと、話していいか?」

「ごめん、今、ボク……ううん、分かった。なんでも言ってよ」

 リィナの心理の働きは、手に取るように分かった。

 俺達を裏切った自分は、何を言われても仕方ない。どんな文句も、ちゃんと受け止めなくちゃいけない。そう考えてやがるんだ、こいつは。

「いや、あのな。はじめに言っとくけど、俺は別に怒ってねぇからな」

 だから俺の前では、そんな親に叱られてるガキみたいな顔しなくていいんだ。

「え?」

「だって、俺は別に、なんも嘘吐かれてねぇしさ」

「……そんなことないよ」

 すっかりしょげちまってるリィナは、普段のこいつからは想像もつかない程、ひどく頼りなく見えて——抱き締めて、よしよしと頭を撫でてやりたくなったが、辛うじてそれは堪える。

 今のこいつに、俺は何を言ってやれるんだろう。

 いや——俺は、なんて声をかけてやりたいんだろうか。

 かけたい言葉は、ぼんやりと頭に浮かんでいる。だが、それを口に出すのを躊躇っちまって、しばらく沈黙が続いた。

23.

「……旅は、楽しかったよね」

 もたくさしてる間に、リィナがしみじみと、そんなことを口にした。

「ボク、他の国とか行くの、ほとんど初めてだったからさ。見る物みんな珍しくて、面白かったな……」

 新しい土地を訪れる度に、物見高くあちこち眺めて回っていたリィナの姿を思い出す。

「宿とかでもさ、マグナとシェラちゃんと一緒の部屋に泊まって、遅くまで色々話したりして、楽しかったなぁ……」

 俯きながら、目だけ俺に向ける。

「あ、もちろんヴァイスくんもだけど——ボク、ダーマの人達も別に嫌いじゃないし、仲良しが全然いなかった訳でもないんだけど……友達って、こういうのを言うのかなぁって、みんなと旅して、初めて分かった気がしたよ」

 リィナは力無い笑みを浮かべた。

「ほら、さっき見たでしょ?ボク、ここじゃ案外、嫌われてたりするからさ」

 嫌われてるってより、妬まれてるって言った方が正確っぽいけどな。

「でも……もうダメだよね。ボク、ずっとウソ吐いてたんだもん。あの旅も、友達だって思ったのも、全部ウソになっちゃったよね……」

 ますます俺は、なんて言ったらいいか分からなくなった。

 分からなくて、さっきぼんやりと頭に浮かんだ言葉が、思わず口をつく。

「……辛かったな」

 ずっと独りで、言うに言えない葛藤に苦しんでたんだもんな。

 と——

 リィナの両目から、大粒の涙がぽろぽろ零れたのを目にして、俺はぎょっとなった。

「ズルいよ、ヴァイスくん……今、そんなこと言うなんて……」

 そうだよな、やっぱり。

「ボクなんかに、優しくしないでよ……」

 くしゃっと歪んだ顔を見ていられなくて、脳裏の制止とは裏腹に、俺はリィナを抱き締めていた。

 頭をかき抱いて胸に押し付けながら、俺の裡の冷静な部分が、頭の片隅で突っ込みを入れる。

 これって、どうなのかね。ここ最近、マグナのことばっかり考えてた俺が、衝動的にこんな行動を取っちまってもいいのかよ。

 逆に、もっと傷つける結果になっちまうだけなんじゃねぇのか。

 こうなると思ったから、さっきは言うのを躊躇ったんだ。

 でも——

 とうとう、嗚咽が漏れ聴こえた。

 どうにも、放っておけねぇよな。

24.

「全部、ウソになっちゃって……なんにも残らないのが……怖くて……めて……なんか……自分の中……残したくて……でも……負けちゃって……」

 しゃくりあげながら、切れ切れにリィナは言葉を続ける。

「ウソになんて……したくなかっ……すごい大切……ったのに……でも、ボク……弱くて……」

 堪え切れなくなったように、リィナは声に出して泣いた。

 俺はしばらく、リィナの頭を撫で続けた。

 お前が聞いたか知らねぇけどさ。マグナも、同じこと言ってたんだぜ。お前らのこと、すごく大切だって。

 シェラも、お前ら二人のことをお姉さんみたいに思ってるって言ってたしさ。

 もう一緒に行けない。許してもらえない。お前が、そう思っちまっても無理ねぇけどさ。マグナもシェラも、さっきはお前を嫌って出て行ったってよりは、お前を嫌いになりたくなくて、一旦距離を置いたんだと思うぜ。

「ごめんね……こんな……言う資格……無いのに……」

「そんなことねぇから。無理すんな。気が済むようにしろよ」

 うぅ、と呻いたリィナの両腕が、俺の背中に回された。

 力を篭められて息が詰まりかけたが、なんとか我慢する。

 ここでムセたりしたら、なんていうか、台無しだからな。

「ホント……ヤになる……ボク……弱くて……」

「前にも、そんなこと言ってたな」

「うん……ボク……マグナと会って……自分がどれだけ弱いのか、ホントに思い知らされたよ」

 少し落ち着いてきたのか、ひっきりなしに鼻をすすり上げながらも、リィナは多少まともに喋れるようになっていた。

「別に言うほど、お前は弱かねぇだろ。お前が弱かったら、俺なんてどうなっちまうんだよ」

 おどけてみせても、リィナは俺の鎖骨の辺りに額を押しつけたまま、ゆるゆると頭を横に振った。

「ううん。マグナに比べたら、全然弱い……マグナは、ホントすごいよ……」

 まぁ、俺もあいつは強いとは思うけどさ。でも、お前がそこまで言う程か?

「なにが、そんなにスゴいんだ?」

 そう尋ねると、リィナは俺を見上げた。瞳が、まだ潤んでいた。

25.

「だって……あのね、聞いてくれる?」

「ああ」

「ボクね……生まれは、ここじゃないんだ」

「そうなのか?」

 話の流れがよく分からなかったが、息がかかりそうな距離にあるリィナの顔に相槌を打つ。

「うん……三歳とか四歳とか、そのくらいの頃に連れて来られたみたい。生まれた村は魔物に滅ぼされて、ボク以外はみんな死んじゃったんだって……たまたま、そこを通りかかったオルテガ様に拾われて、ここに預けられたんだ。すごい運が良かったんだよ」

「……そっか」

「でね、それからずっと、物心って言うの?つく前から、勇者様を助けて魔王を斃すんだって言われ続けて修行して……なんか、生まれつき運動神経が人より良かったみたいでね。それなりに期待もされてたし、生まれた村が魔物に滅ぼされたっていう話も聞いてたから、ボクもそれが当たり前なんだって思ってた……」

「うん」

「普通さ、そんな小さい頃から、お前は魔王と戦うんだ、それがお前の使命なんだって言い聞かされて育ったら、それ以外の考え方なんて出来なくなっちゃうよ。そう思わない?」

「そう……かもな」

「でもね——マグナは違ってた」

 なんとなく、リィナの言わんとしていることが分かってきた。

「ボクと同じように——ううん。きっと、ボクなんかよりずっと、いろんな人からいっつもいっつも、魔王を斃すんだ、それがキミの使命なんだって言われ続けて育った筈なのに……」

「ああ」

「マグナは、それを鵜呑みにしなかった。周りに呑み込まれなかった。自分の意志を持ち続けて、それが押し潰されちゃわないように、ずっとずっと自分以外の全部と戦ってたんだよ」

「……そうだな」

「それって、スゴいよね?最初に会った頃から、なんかちょっとおかしいなって思ってはいたんだけど……魔王を退治しに行くつもりが無いって、実際にマグナから打ち明けられた時、ボク、ホントにびっくりした」

「うん」

「ボクは、ホントに単純にそれが当たり前だって思い込んでて、でも、マグナはそうじゃなくて——」

 改めて感じ入ったように、リィナはふぅーと息を吐いた。

26.

「それって……なんて言うんだろ——マグナは、世界を相手に戦ってたようなモンだよね?」

「……そうだな」

「ちょっと、想像つかないよ。周りの誰にも、分かってもらえなくて……それってどれくらい、絶望的なんだろって思う。なんで、あんなに強いんだろ……それなのに、ボク……」

 伏せた睫毛が震えていた。

「ボクは——自分がどうしたいんだっていうのが、何も無かったんだよ。マグナと会って、すごい思い知らされた。ボクはヒトに言われたことを、ただやってただけなんだよ」

 リィナがマグナの事を強いって言ってたのは、そういう意味だったんだな。

「マグナはボクに、それを気付かせてくれたのに……あのね、ボクも、どうしたらいいのかなって、ずっと考えてはいたんだよ。どうすれば全部がいいようになるのかなって、ずっと考えたけど……全然分かんなくて……」

「うん」

「言われたことをするだけで、自分がどうしたいとか何も無かったから、いざ自分で考えようとしても、何も決められなかったんだよね……ホント、ヤになる。自分のことがこんなにヤになるなんて、びっくりだよ」

「うん」

「結局、言われた通り、マグナをここまで連れて来ちゃった……マグナが、そんなの望んでないって、よく分かってたのに……ヒドいよね。マグナは、あんなに強いのに、ボクはスゴく弱い。それまでの自分を、捨てる勇気も持てなかったんだよ……」

 また瞳に溢れた涙を隠すように、リィナの顔は下を向いた。

「こんな……ボク……大切だ、とか……友達……なんて……言えない、よね……」

 再び、嗚咽が漏れた。

 いっつも飄々として、弱みとかあんまり見せないヤツだから、そこまで思ってなかったけど——考えてた以上に、こいつと俺は近いのかも知れない。

「なんていうか……お前の気持ち、俺にはすごい良く分かるよ」

 元々の性格もあるんだろうが、飄々とした態度には、あえて俺達と一線を引く意味合いも含まれていたんじゃないか。俺達とダーマの間に挟まれた心理的な綱引き状態が、こいつをニュートラルな立ち位置に留めさせていたんじゃないか。

 そんな風にも思える。

 ホントはこいつ、すごい普通なんじゃねぇのか。やたら腕っ節が立つのを除けば、ごく普通の女の子で——

「……なんてな」

 思わずよろめきかけた気持ちを誤魔化すように、俺はついおどけた台詞を補った。

27.

「……ごめんね。こんな……言い訳みたいな事……ボク、言っちゃいけないのに……」

 リィナは縋りつくように、俺の背中に回した腕に力を篭めた。

「ズルいよ……分かってもらおうなんて、虫が良過ぎるのに……そんな風に、言わないでよ……」

 うん、ヤバい。

 自分が、雰囲気に流されそうになってるのが分かる。

 抱き締めて頭を撫でるくらいならアレだけど、このまま慰め続けたら、必要以上のことまでしちまいそうだ。

 だって——なんか、すげぇいじらしく思えちまってさ。

『ここで軽はずみなことして、手前ぇはその後、どう始末をつけるつもりなんだ?』

 そう喚き立てるもう一人の自分と、マグナの面影が脳裏になかったら、絶対とっくに流されてるな、俺。

 正直、リィナがサラシを巻いててくれて助かったよ。それでも、抱き締めた体は充分女らしくて、柔らかくて参っちまうんだけどさ。

「ごめんね……こんな……マグナには、悪いと思うんだけど……」

 なんか、声がすごい艶っぽい。リィナじゃねぇみたいだ。

 俺の背中に回した腕に、もう一度きゅっと力を篭めてから、リィナは顔を上げた。

 だから、その潤んだ瞳は勘弁してくれ。

 あと、落ち着け、俺の下半身。そんな場合じゃねぇだろ。バレたらどうすんだ。自分の若さが嫌になるぜ、全く。

「……離したくないよ」

——っ。

 危ねぇ。頭のどっかの線が、切れかけた。

「……ボクね、ヴァイスくんにも、謝らなきゃいけないことがあるんだ」

「何をだよ?」

 リィナの声音が普段に近くなって、俺は内心、物凄くほっとした。

「うん、あのね……最初はさ、パーティに魔法使いも欲しいなって思ってたから、ヴァイスくんが居てちょうど良かったくらいのつもりだったんだよね……でも、どう見ても、勇者様を助けて魔王を退治しに行く、みたいなタイプには思えなかったからさ」

 リィナは、ちょっと笑った。

 ええ、そうでしょうとも。

「シェラちゃんと違って目的がある訳でもないし、旅がキツくなったら途中で逃げちゃうんじゃないかな、とか疑ってたんだよね。なら、マグナとくっつけちゃえば、まぁダーマまでは逃げないでついてくるかな、とか思ってて」

28.

「ヒデぇな——まぁ、分かるけどさ」

「ホント、ごめんね。でも、割りとすぐ、あ、これは見損なってたかな、って思い直したんだよ?」

「いやぁ、正しい見方だったんじゃねぇの」

「も~、いじめないでよ」

 俺の背中をとんと叩いて、リィナははにかんだ。

 ちくしょう、可愛いなぁ。

「それでね、まぁ、マグナとヴァイスくんからかうの面白かったし、くっつけちゃえっていうのは、そのまま続けてたんだけど……」

 あ。また雲行きが怪しくなってきた。

「でも、それって、もしかしたら自分の気持ちを誤魔化してるだけなのかな、って思うようになって……」

 なにやら、またリィナの表情が女っぽく見えてきた。なまじ可愛い顔してやがるから、女っぽく見えはじめると始末に困るんだっての。

「ボク——」

 うわ、バカ。頬染めんな。よせ。ヤメロ。

「ヴァイスくんのこと、好きだよ」

 。

 。

 。

 いかん。

 頭ん中が、真っ白になりかけた。

「でも——きっと、好きってほど好きじゃないんだよね」

 無意識に止まってた呼吸が、気付かぬ内に再開する。

「いつかヴァイスくん、言ったでしょ。マグナくらいの年頃は、誰かしらにそういう感情抱かずにいられないって。近くにいる男が自分だけだから、錯覚してるだけだって」

 ああ——言ったかね。そんなことも。

「あれって、ボクのことなんだよね。ほら、ボクってそういうの慣れてないから、マグナよりもっと全然子供なんじゃないかな。ボク、すっごい純情なんだよ」

 リィナは、くすっと笑った。

「それにさ、ヴァイスくんに会うまでは、男の人に優しくされたこととか、ほとんど無かったし——」

 何気なく口にされたリィナの台詞は、俺のヘンな興奮に冷水をぶちまけた。

「なんて言うんだろ。ここではボク、それなりに期待されてる武闘家か、その卵でしかなくて……ボク自身の気持ち?とか、考えてくれた人なんて、ほとんどいなかったからさ」

 顔が蒼褪めてないといいんだが。

 俺は——優しくなんて、全然してやれてねぇよ。

 お前の気持ちだって、全然考えてやれてなかったんだ。特に、最近の俺は。

 無遠慮に悩み事を聞き出そうとした後悔こそあれ、優しく接してやれた場面なんて、少なくとも俺は思い出せない。

29.

 それとも、俺自身が気付かないような、ホントにちょっとしたことでさえ、こいつにとっては優しく感じられたんだろうか。

「——ううん。そもそもボク自身が、自分の気持ち——自分がどうしたいかとか、全然考えてなかったんだよね。ボクもほら、結局ここの人だから。みんなと旅してて、それが、すごいよく分かった。外に出てみて、ここってヘンな場所なんだなって、ようやく分かったよ」

 確かに、こんな山奥で修行に明け暮れる生活なんて、普通じゃねぇわな。その上、付き合う人間といや——俺は、さっきの二人を思い出す。あんな連中ばっかりなんだろ?

 ふと、俺は思ってしまった。

 こいつを、今居る場所から連れ出してやりたいと。

 こいつが知らなかった景色を、もっと見せてやりたい。こいつが知らない楽しいことを、もっと経験させてやりたい。

 それは別に特別なことじゃなくて、そこらの連中なら皆思い出の中にあるような、ごく普通の生活——

「ってことで、ボクのは勘違い。それに、ボク、他にちゃんと好きな人いるもん」

「え——誰?」

 不意に胸中に沸き起こった思いから一気に引き戻されて、俺は思わず尋ねていた。

 内心の落胆が甚だしく予想以上で、表情を取り繕うのに苦労した。

「それは、ヒミツ」

 いたずらっぽく、リィナは言った。

「でも、ヴァイスくんも、名前は知ってる人だよ」

 この一言で——ピンときた。

 なるほど。こいつの生い立ちを考えれば、自然な感情かも知れない。

 けど、やっぱりそりゃマズいだろ。不倫じゃねぇかよ——そういや、アリアハンで奥さんに会いたがってたな、こいつ——でもさ、それこそ勘違いで、父親に憧れるみたいな感情なんじゃねぇのか——恋人ってんなら、俺の方が——いや、何考えてんだ、俺は。

「だから、ありがと。ボクはもう、充分優しくしてもらったから」

 リィナはゆっくりと、俺から身を離した。

「ヴァイスくんは、マグナのこと見ててあげて。きっと、すごく傷ついてるから」

 ああ、そうか。

 リィナの話の着地点は、ハナからここだったんだ。

 自分はいいから、マグナを——

 リィナはとっくに、気持ちの整理をつけていて。

 俺が勝手に気を回して心配してたアレコレは、まるで的外れだったって訳ね。恥ずかしくて、赤面しちまうよ。

「——ボクとシェラちゃんに秘密を打ち明けてたのを、マグナがヴァイスくんに黙ってたコト、怒らないであげてね」

 そんなことを、リィナは言った。

「マグナが自分でそう言った訳じゃないんだけど……ボク達に口止めしてたのはね、ヴァイスくんにずっと、たった独りの相談相手でいて欲しかったからだよ。ボクは、そう思うな」

 吹っ切ったような、リィナの笑顔。

 俺は、少しばかりの寂しさを覚えた。

30.

 旅の間の出来事なんかを、上に報告しないといけないという事で、その後リィナとはすぐに別れた。

「気持ちが落ち着くまでは、ちょっかい出さないように、ここの人達にはお願いしておくからさ。ヴァイスくんも、マグナのこと気にしてあげてね」

 そう口にしたリィナの表情が、やや淋しげに見えたのは、やっぱり俺の自惚れだろうか。

 リィナが呼んでくれた世話役に連れられて、石造りのエラい固そうな寝台と小さい机しか無い狭い部屋に案内された俺は、マグナとシェラの居場所を尋ねた。

 マグナの部屋は右隣り、シェラはさらにその隣りの部屋に居るという。

 まず先に、シェラの部屋を訪ねようと思ったのは、意図的ではなく無意識だった。

 マグナは最後の大トリ——つまり、一番大切に思っている。無自覚に、そんな序列じみた考え方をしちまってるんだろうか。そう思って、ちょっとした罪悪感に襲われる。

 シェラのこと、軽く見てるつもりは全然無いんだけどな。元々、ここにはあいつの為に来たんだし、本来なら今回の件では一番の当事者な訳だし、今頃はさぞかし落ち込んでるだろうし。

 通路に出て、さて、シェラにはなんて声をかけるべきだろう、と考えていると、こちらに向かって歩いてくる人影が目に入った。

 何度も見かけた世話役の橙色の貫頭衣じゃなく、灰色のやぼったいローブを羽織っている。

 ありゃ、ホンモノの魔法使い共がよくしてる格好じゃねぇか。

 フードをはだけた顔に覚えがある気がして、知らず知らずに目を細めた。

 やたら気難しそうな、あの顔は——間違いない。

 俺のことなど見えてないみたいに、完全に無視して通り過ぎ、マグナの部屋の扉に歩み寄ったのは——

 俺が冒険者になる時に受けた講義を担当していた、あの陰気で嫌味なクソ講師だった。

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