24. Jerk Out

1.

「魔王は全てを滅ぼすもの……凍てついた暗闇と、死の世界の支配者じゃっ!!」

 老婆は水晶玉に両手をかざしながら、皺の間に埋もれていた目ン玉をくわっとひん剥いて、俺達に怒鳴ってみせた。

 つか、婆さん、怖い。顔がこわい。

「はぁ?」

 老婆の——主に顔面が醸し出す不気味な迫力に、やや気圧されながらもマグナが不愉快そうな表情を浮かべる。

「えっと……そんなこと、聞いてないんだけど?」

「このままではやがて……全ての人々が、その野望に怯えることになるであろう……」

 振り乱した白髪といい、やたらデカい鷲鼻といい、まるきり魔女そのものの外見をした占い師の老婆は、マグナの言うことなどおかまいなしに、マイペースで語り続けた。

 ここは、バハラタ。

 あの——隊商の連中から、黒胡椒が手に入ると教えられた街だ。

 昨日の日暮れ時に辿り着いた俺達は、とにもかくにも宿を求めて、その日は何をすることもなく、メシだけ済ませて床に倒れた。

 なにしろ、ここまで長い道程だったからな。途中からは慣れない馬に乗って来たモンで、股やらケツやら腰やら首筋やら痛くてかなわねぇよ。

 ひたすらクタクタだった俺は、今日もグータラ宿屋でゴロゴロしてたかったんだが、昼過ぎにマグナが部屋まで呼びに来て、扉をドンドン叩いて起こされた。

 優しくおはようのキスで起こしてくれりゃ、もっと寝覚めもいいのにな。試しに今度から、部屋の鍵を開けておいてみるか。まぁ、天地が引っ繰り返っても、あいつがそんな起こし方してくれる訳ねぇけどな。

 寝惚け眼を擦りながら扉を開けると、黒胡椒を買い付けに行こうとマグナがのたまった。買い物くらいならいいけどさ。何日か、ここでのんびりしていこうぜ。

2.

 適当に着替えを済ませて食堂に下りると、女連中は既に三人揃って遅い昼食をパクついていた。俺も飯を頼んで待つ間に、離れたテーブルからこちらを窺っている様子の、やさぐれた風体の男が目にとまる。

 ウチの娘共は、どいつも割りと目立つ方だからな。街中では、こういった反応は、特に珍しくないとはいえ、あまり気分のいいもんじゃない。

 俺が睨み返してやると、気付かれたことを悟った男は、すぐに視線を逸らして知らん顔を決め込んだ。うん、身の程を知れ。手前ぇみたいなチンピラを、ウチの娘共に近寄らせると思うなよ。

 飯を済ませてから、黒胡椒を扱っている店の場所を聞くついでに、神殿について何か知らないか帳場で尋ねてみた。

 すると、おばさんは首を傾げるばかりだったが、奥にいた若い男が「ああ、グプタがそんな話をしてたような気がするなぁ」と呟いた。

 グプタってのは、その黒胡椒を取り扱っている店で働いている若者だそうで、こっちの用事が一度に済みそうなのはありがたい。

 そんな訳で、その店に向かう途中——

「あっ」

 道の脇に張られていた怪しげな天幕を目にしたシェラが、驚いた風な声をあげた。

 なんでも、シェラが旅に出るきっかけを作った、例のアリアハンで出会った占い師のテントに、よく似ていると言うのだ。

 まさか本人ってこたないだろうが、同類だったら神殿の話を聞けるかも知れない。ちょっと寄ってみようということになり、中に入って尋ねてみたんだが。

 天幕の魔女——もとい、占い師の老婆は、魔王がどうしたとか全然関係無いことを、いきなり喚き出したのだった。

「——さりとて、かの魔王を滅する術は無し……人々は怯えて暮らす他ないのじゃ……おぉ、おそろしやおそろしや……」

 今のあんたの顔も、相当おそろしいけどな、婆さん。

「それは、もういいから……それで、神殿の話は知ってるの?知らないの?」

 マグナが再度問い質しても、婆さんはくわばらくわばら繰り返すばかりで、まともに答えようとはしなかった。

「話になんない。もういいわ。出ましょ」

 苦虫を噛み潰したマグナに促されて外に出た俺達を、街の人間と思しい男が、にやにやと笑いながら出迎えた。

3.

「なによ?」

 不機嫌丸出しにマグナが睨むと、男は愛想笑いのつもりか、一層ニヤついてみせる。

「いや、ね。そこの婆さん、まともに占いなんてしやしなかったろ?」

「……ええ」

「だろ?この街のヤツなら、もう皆とっくに知ってんだけどな。婆さんの話を聞こうなんて物好きは、占い屋と勘違いして入っちまった、哀れな他所モンばっかってヤツでさ——やっぱ、魔王がどうのとか言われたのかい?」

「……そうだけど」

「はは、やっぱりな。婆さん、それしか言わねぇんだ。オレも、魔王の話は聞いたことあるけどさ。もうすぐ世界はソイツに滅ぼされるとか、そんなのタダの噂に決まってんのにな」

「……そうね」

「ソイツが全ての元凶だとかさ、そんなのがホントにいやがったら、いくらなんでもお上が放っとかねぇだろって——」

「行くわよ」

 それ以上、男にいらえる気が失せたように、マグナはついと顔を逸らす。

「おい——なぁ、旅人さんよ。ホントに魔王なんて、タダの噂話だよなぁ?世界が滅ぼされるとか、単なるたわ言だって——なぁ、オイ?」

 あるいは。

 男は心のどこかで魔王に怯えていて、自分よりも見聞が広いであろう旅をしている俺達に、その存在を否定して欲しかったのかも知れない。実際に魔物の跋扈するこの世界で生きていれば、畏れの感情を抱いたところで不思議じゃないからな。

 けど、あいにくだったな。そいつは、俺達にとっちゃナイーブな話題なんだ。悪いけど、あんたの望むような答えは、くれてやれねぇよ。

 置き去りした男の声が届かない距離まで歩き、マグナは気を取り直すように軽く息を吐いた。

 思わぬトコで、ヘンな話を聞いちまったな。魔王のマの字も出ない土地に、早くこいつを落ち着かせてやりたいよ。

4.

 宿屋で教えられた黒胡椒の店は、間の悪いことに休業しているようだった。

 周りに見える他の店は、営業してるんだけどな。定休日なのかね。

 だが、すぐ側まで寄ってみると、中には人が居るらしく、なにやら言い争う声が扉越しに響いた。

「どうする?出直すか?」

 問い掛けると、マグナは唇を尖らせた。

 どうせ、出直すのは面倒臭いとか思ってやがるんだろう。まぁ、いいじゃん。せっかく時間が出来たことだし、そこらをブラブラしてみるとかさ。その、なんだ。二人で出かけ直してもいいし。

「そうね——」

「うん、やっぱりつけられてるね」

 唐突に、リィナが呟いた。

「え?」

「振り向かないでね。お昼食べてる時に、ボク達の方を見てた人がいたでしょ。その人が、後ろの木の陰に隠れてるよ」

 あのチンピラ風の男か。ついさっき、初めて顔を合わせたばっかの筈だが、なんでまた俺達を尾行してやがるんだ?

 と、その時だった。

 バン、と勢いよく店の扉が開いて、若い男が飛び出した。

 皺枯れた声が、店の中から追いかける。

「よすんじゃ、グプタ!!」

「待っててください!!きっと僕が、タニアを助け出してきます!!」

 扉の内側にひと声かけて、俺達の姿も目に入らないように、若い男は一目散に傍らをすり抜けて走り去った。

 それを見送るフリをして、後ろを振り返る——ああ、ホントだ。確かにガラ悪ぃのが、木の陰からこっちを見てるわ。やっぱり、マグナと二人で出かけるのは、止めといた方がいいかな。リィナはともかく、シェラを独りにしない方がよさそうだ。

「なんだか、取り込んでるみたいですね」

「とりあえず、ハナシ聞いてみる?」

 首を傾げるシェラと、開け放たれた店の扉を指差すリィナ。

 マグナは少し指を噛んでから、気乗りのしない様子で漏らす。

「……そうね。入ってみましょ」

 出直す面倒臭さが勝ったようだ。

 でもな、その扉を越えたら、きっとまた厄介事が待ち受けてるんだぜ。

 お前だってそれは予感してるみたいだし、タマには引き返す道を選んでもいいんじゃねぇのか?

 けど、そいつはお前のやり方じゃねぇんだよな。はいはい、分かってますよ。

 内心で諦めの溜息を吐いて、俺は大人しくマグナの後につき従った。

5.

「おお……この上、グプタまで攫われてしもうたら、儂は……わしは……」

 悲嘆に暮れて両手で顔を覆う老人を前に、俺達は困惑気味の顔を見合わせた。

 と言っても、シェラは同情しきりの顔つきだし、リィナはいつのものように判断をマグナに丸投げした他人事みたいな表情だったから、実際に困った顔をしているのは、俺とマグナだけなんだが。

 爺さんの話をざっとまとめると、次のようになる。

 昨日の夕方から、買い物へ出掛けた孫娘のタニアが、未だに戻らないのだそうだ。無断で外泊なんて考えられない真面目な娘だそうで、今日になっていつも通りに店を手伝いに来た恋人——グプタにそれを告げたところ、狼狽して飛び出してしまったのだという。

 俺達はちょうど、その場面に居合わせた訳だ。

 ここ最近、バハラタ周辺では人攫いの被害が続発しているらしく、タニアもその奇禍に見舞われたのだと信じ込んでの、グプタの行動だった。

 まことしやかな噂によれば、人攫い共は街のすぐ脇を流れる大河の上流に潜んでいるという。つまりグプタは恋人を取り返しに、単身そこへ向かったのだ。

 冒険者でもないクセに、独りで行ってどうしようってんだ。とは思うが、気持ちは分からないでもない。

 俺だって——ああ、いや、俺のことはどうでもいいや。

「グプタは真面目な若者じゃ……孫娘の婿として申し分無い。添い遂げた二人に店を任せて、あやつらの幸せな姿をのんびり眺めることだけが、老い先短いおいぼれに残された、たったひとつの楽しみじゃったと言うのに……おお神よ……おぅ……」

 とうとう泣き出してしまった爺さんを視界の端に捉えながら、俺とマグナはちらちらと目で相談した。

 日を置いて出直した方がいいと思うけどな、という俺の目配せに、店の奥に詰まれた香辛料と思しき袋の方に視線をくれて、マグナが肩を竦めてみせたので、俺も口をへの字にして、仕方なくそれに倣う。

 今ここで、それを切り出さない方がいいと思うんだが。

「えっとね……立て込んでるトコ悪いんだけど、あたし達、ここのお店で黒胡椒を扱ってるって聞いて来たのよ」

 爺さんは、おうおうと嗚咽を漏らすばかり。

「申し訳無いけど、売ってもらえる?」

 爺さんがまともな返事をかえすまで、しばらくかかった。

6.

「……すまんが、日を改めてもらえんじゃろうか……いまはとても、そんな気分には——」

 途中まで言いかけた爺さんは、そこではじめて俺達の姿が目に映ったように、今さらながらにまじまじと見詰めてきた。

「お前さん方……見ん顔じゃな。ひょっとして、旅の人かね。どうやって、ここまで来なすった」

「どうって……馬で」

「どこぞの隊商について来なすったのかね。お前さん方と一緒にいらした、腕の立つお人はおらんのか」

「一緒に来た人なんて、居ないわ。あたし達は、この四人で来たの」

 俺が止める前に、マグナが馬鹿正直に答えちまった。

 爺さんは「ほぇ?」とか呟いて、首を捻ってみせる。

「こんな爺ぃめに、いったい何を用心しておるのか、とんと分からんが……嘘を吐かんでもええんじゃよ。爺ぃめは、腕の立つお人にお願いしたいことがあるだけなんじゃ」

「失礼ねっ!!嘘なんて吐かないわよっ!!」

 だから、そこは否定しないで、適当に話を合わせとけっての。

「しかしのぅ……お前さん方は、ずいぶんとお若いように見えるんじゃが。とても、お前さん方だけで旅をしてきたなどとは……ほれ、道中の魔物などは、なんとしていたのじゃな?」

「もちろん、自分達で退治してたけど?」

 勘違いさせときゃいいのに、リィナが余計な嘴を挟む。

「なんとまぁ!?本当かね?」

 嘘吐き呼ばわりされたのが気に食わないのか、きっぱり頷いてみせるマグナ。

「たった四人で……とてもそうは見えんが、それが本当ならば、お前さん方は大層腕の立つお方なのじゃな?」

 何気に失礼なこと言ってるぞ、爺さん。

 リィナも「まぁ、それほどでもあるけど」とか言わなくていいから。

「……どうじゃろう。いや、法外な願い事であるのは百も承知なんじゃが……黒胡椒を差し上げる代わりに、タニアとグプタを救い出してはもらえないじゃろか」

 やっぱりな。こう来ると思ったぜ。最初から、俺が交渉しときゃよかったな。

「いや、あのさ、普通に売ってもらえれば、俺達はそれでいいんだけど」

 儚い抵抗を試みる俺。

「そう言わんと、この通りじゃ。タニアとグプタは、このおいぼれに残された、たったひとつの生き甲斐なんじゃ。どうか……どうか、これこの通り、助けてはもらえんじゃろうか」

 いや、そう拝まれてもなぁ。

7.

「二人が無事に戻るまでは、とても商いなどする気になれん……お前さん方としても、黒胡椒が手に入らなくては困るのではないかな?」

 好々爺然とした顔で、脅迫してきやがったよ、この爺ぃ。

「これまでに身内を攫われた者が、その度にお上にお伺いを立てておるんじゃが、一向にハカが行った様子もなくてな……お上に任せようにも、その間にどこぞに売られてしまうかも知れんのじゃ……そうなる前に、どうか一刻も早ぅ、二人を救い出してはもらえんじゃろうか」

 同情を誘うつもりか、やたら哀れっぽく爺さんは言い募る。

 諦めたようなマグナの溜息を耳にして、俺も観念した。

 まぁ、店に足を踏み入れた時から、ある程度は覚悟してたしな。

 それに——

「その前に、ちょっと聞きたいんだけど——そのグプタって人から、『生まれ変わりの神殿』の話を聞いたことはある?」

「……しんでん?はて……なんのことやら……いやいや、言われてみれば、あるような、ないような……」

 どうも、トボけてる臭い。

「無いの?」

 マグナが言葉少なに問い直すと、爺さんは慌てて言い繕う。

「おお、言われてみれば、いつかそんな話をしておったような……じゃが、儂もその折には聞き流しておったでな、詳しく知っておるのは、グプタだけじゃろう」

 だから、話が聞きたければ、とにかくグプタを助け出せってことね。歳食ってるだけあって、案外狸というか、爺さんもそれだけ必死なんだろうけどさ。

「……分かったわよ。聞いちゃったら、人攫いなんて話、ほっとけないしね」

 そうなんだよ。こいつ、人助けはするんだよな。

「おぉ、それでは!」

「その、グプタさんとタニアさん?いちおう、探してみるわよ。でも、確実に連れ戻せるとまでは、期待しないでね」

「おぉ、ありがたいありがたい……賊めらは、聖なるガンジスの上流に巣食っておるとの噂ですじゃ。近くの街や村からも、幾人もさらわれておりましてな、どうか悪党めらを懲らしめてやってくだされ……ありがたいありがたい」

 しきりと拝まれて、マグナは諦観の面持ちを俺達に向けた。

 やれやれ。結局、予想通りの展開になっちまったか。

 店から出ると、木陰にいた胡乱な男の姿は、既に無かった。

8.

 漠然と上流とか言われても困るんだが、ともあれ俺達は街の脇を流れる大河に沿って、山の方へと向かった。

 あーあ、まったくよー。せっかく、少しはのんびりできるかと思ったのによー。あのさ、旅してる間ってのは、二人きりになる機会がなかなか無くてだな——いや、別にいいんだけどね。そんなに焦っちゃいねぇしさ。

 川沿いの森をさ迷った末に、人が踏みしだいたような獣道を発見したのはリィナだった。

 ところどころで途切れて見失いがちなそれを、リィナを先頭になんとか辿り続けて、さらに数日——

 切り立つ岩盤を刳り貫いて造られた廃墟が、俺達の眼前に出現した。

 生い茂る植物の蔓や苔に覆われて、深い森と一体化したように見えるそれは、遥か昔に打ち捨てられた——おそらく、石窟寺院というヤツだろう。

「へぇ……こんなトコに、こんなのあったんだ」

 リィナが、なにやら感慨深げに呟いた。

「これは……?なんの神様を祭ってたのかしら」

「ん?どれ?——ああ、ルビス様の聖印だね」

 マグナが眺めていた入り口の脇に刻まれた紋様を、横から覗き込んだリィナが答えた。

 旅の扉を渡ってロマリアに着いた時といい、こいつ、タマに妙なことを知ってるよな。

「ルビス……って、大昔の神様だっけか?」

「うん、まぁ、そうかな」

 俺が尋ねると、リィナは例によって曖昧な返事をした。どうせまた、突っ込んだ事を尋ねたところで「よく分かんない」んだろう。

 ともあれ、入り口付近はそこだけ踏み荒らされて苔が剥がれた跡があり、どうやら賊共の根城はここで間違いなさそうだった。

「それじゃ、行くわよ」

 マグナの号令一下、蜘蛛の巣を払ったりしつつ這入り込んだ俺達を待ち受けていたのは、細かく仕切られた無数の石室だった。縦にも横にもエラい先まで連なっていて、六角形と四角形という違いこそあるものの、まるで蜂の巣だ。

 どの部屋も造りが全く同じなので、入って間も無く、俺はあっさり自分の居場所を見失った。

 てっきり、カンを頼みに適当に歩き回ってるモンだと思っていたら。

「あとは、こっちね」

 マグナが自信ありげに指し示した方へ向かうと、果たして他の部屋には見当たらなかった扉の前に辿り着いた。

9.

 どの部屋を通ったのか、マグナは全て記憶して、頭の中で地図を描いていたらしい。まったく、畏れ入った記憶力だね。

 扉の越えると、地下へと続く階段が左手に見えた。階段をおりた先は、それまでとは違って石壁に囲まれた普通の通路になっていた。賊連中が住処にしているだけあって、数は少ないものの灯りはあるので歩くには困らない。

 少し行くと、左に折れる脇道があった。そちらの方から、下品な笑声やがなり声が微かに響いてくる。

 正面にも通路は続いているが、人攫いのロクデナシ共は、どうやら脇道の方でたむろしているらしかった。

 さて、と。

 ここまで先送りにしていた問題を、俺は改めて考えざるを得なかった。

「ちょっとタンマ」

 どうすっかな。

「なによ?」

 先頭のリィナが曲がり角の手前で足を止め、マグナが振り向いて俺を見る。

「え~と、だな……」

 なんて説明したモンやら。いや、説明しない方がいいのか。

「とりあえず、俺が先に様子を見てくるからさ。ちょっとここで待っててくれ」

「なんでよ?独りじゃ危ないわよ」

「急にどうしたんですか?マグナさんの言う通りです。危ないですよ」

 シェラもマグナに同調する。

 うん、まぁ、俺もそう思うんだけどさ。

「なんか考えがあるのかな?」

 リィナが横から口を出した。こいつだったら、独りじゃ危ないとか言われないんだろうな。

「ああ、ちょっとな。え~、つまりだな——」

 尤もらしい説明を、急いでその場で考えながら、三人に手筈を伝える。

 納得していない顔つきのマグナに、俺は出来るだけ頼り甲斐のありそうな笑顔を作ってみせた。

「大丈夫だって。これでも、アホ共のあしらいには慣れてんだぜ。捕まってる連中を人質に取られちゃ困るし、カチ込む前にある程度は中の様子が分かってた方がいいだろ?」

「でも……」

「心配すんなって。普段の戦闘では、いっつもお前らばっかし矢面に立たせちまってるからな。タマには、俺にも体張らせろよ」

「……気をつけてよ?」

 スネているような、俺が言うことを聞かないのが気に食わないような表情で、マグナは渋々頷いた。

 でも、こいつも聞き分け良くなったモンだよな。それだけ、俺を信頼してくれるようになったってことか——なんか、照れるね。

10.

「ほんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」

 片手を上げて角を曲がり、通路の先に見える扉に向かって歩きながら考える。

 いま現在、人攫い共に何人とっ捕まってるのか知らねぇけどさ、少なくとも女が一人は居る訳だよ。タニアってのがさ。

 普通に考えると、この先で騒いでるアホ共は、売っ払おうってな腹積もりで、ここらの人間を攫ったりしてる訳だろ?

 そんな無法者共に、商品を疵物きずものにするな、みたいな商売人としての最低限のモラルを期待する方が虚しいっていうか——つまり、アレだよ。

 アホ共が、力づくで女にいかがわしい事をしてる現場なんぞ、あいつらに見せたかねぇんだよ、俺は。

 ん——?なんか前にも、似た心配をしたような。

 ほどなく辿り着いた扉を、力まかせにどんどん叩いてやる。中に居るのはボンクラ共で、しかもどうやら酒盛りしてるみたいだからな。こんくらいしないと気付かねぇだろ。

 果たしてしばらく反応が無かったが、しつこく何度か叩いてやると、お前が行けだのなんだのひと悶着あってから、扉越しに呂律の怪しい怒声が誰何してくる。

「誰だぁ!?」

 中に聞こえるように、俺も大声で応じる。

「よぅ!親分さんに会わせて欲しいんだけどよ!」

「はぁ!?なに言ってんだぁ?ノックなんぞとお上品なマネしくさりやぁって……お前ぇ、俺達の仲間じゃあねぇなぁ!?」

 だから、そう言ってんだろ。この酔っ払いが。

「だからよ、仲間にして欲しくて、わざわざこんな山ン中まで来てやったんじゃねぇかよ!なぁ、親分さんに会わせてくれよ!」

 ややあって、扉が薄く開かれて、鼻の頭を赤くした小汚い男が顔だけ覗かせた。

 なんとなく、見覚えがあるような——いや、声に聞き覚えがあるのか?

 まぁ、こんなヤツら、どいつも大して変わりゃしねぇからな。思い出す労力がもったいねぇや。

「よぅ、兄弟」

 扉の隙間から、女の嬌声や悲鳴は聞こえない——やれやれ、とりあえず大丈夫そうだ。

 男の視界を遮るように、俺はさりげなく立ち位置を変えた。

11.

「聞いたぜ。あんたら、ずいぶんと羽振りがいいそうじゃねぇか。俺も一枚噛ませてもらおうと思ってさ、わざわざこんな山奥くんだりまで来てやったぜ」

「あぁ?」

 こっちの話を飲み込んでいるのか、いないのか。ベロベロに酔っ払った男は、不細工なツラをさらに醜く歪ませて首を捻った。つか、酒臭ぇ。

「おいおい、この辺りで人を攫っちゃ売り飛ばしてんのは、あんたらなんだろ?」

「あぁ、そぉだけどよぉ……お前ぇが、俺達の仲間にだぁ?ヒョロっちいナリしやぁって、誰がンなハナシ信じんだ、このボケ。弱っちぃクセしやぁって、ノコノコこんなトコまで来るたぁ、殺されてぇのか!?」

 なんだと、この赤鼻野郎。手前ぇだって、エラく弱っちそうじゃねぇかよ。喧嘩したって、俺でも勝てそうだぜ、こんな酔っ払い。

「俺が弱っちいだと?おいおい、冗談はよしてくれよ、兄弟。俺ぁ、たった独りでここまで来たんだぜ?それがどういうことか、分かんねぇ兄弟じゃあねぇだろうよ」

「……あぁ?」

 どうにかしろよ、この酔っ払い。

「つまりよ、魔物がうじゃうじゃしてる森ン中を、独りで抜けてくるくれぇにゃ腕が立つって言ってんだよ」

「……あぁ」

 この野郎、うぷ、とか吐きかけやがった。汚ぇなぁ、もう。

 ずいぶん長いことかかって、男はようやく俺が言ったことを飲み込んだようだった。

「なんでぇ……てっきり俺ぁ、どこぞのボンクラが、また女を助けに来やがったのかと思っちまってよぉ」

 ボンクラはお前だ。

 とは言え、足りねぇ頭に、そんな警戒心があっただけでも誉めてやるべきか。それにしちゃ、なんで俺への警戒を急に解いたのか、よく分かんねぇけど。アホの考えるこた、理解に苦しむな。

 まぁ、なんでもいいや。ここは話を合わせて、中の様子を聞き出してやるとするか。

「また?ってこたぁ、そんな物好きがいたのかい」

「おぉ、ちょっと前になぁ……コイツがまた、ケッサクでよぉ」

 ぐひひ、と男は下品に笑った。

12.

「女を掻っ攫って帰る途中でよぉ、追いついてきやがったんだよぉ。けどソイツ、飲まず食わずで、ロクに眠りもしてなかったみてぇでよぉ。出てきた時にゃ、もっフラフラよぉ。

 ちっと小突いただけでぶっ倒れやがって、必死コイて何しに来やがった、この抜け作ってよぉ、ありゃあ笑ったねぇ」

 ああ、なるほど。その出来事のお陰で、こいつの単純な頭の中では、女を助けに来る奴イコール弱っちい、って結び付けられちまった訳か。

 だから、単身で魔物を退けて森を抜けてきた強い男、みたいに自称した俺への疑いは晴れたって寸法だ。アホか。いや、アホで助かったけど。

「へぇ、そんな物好きがねぇ。それで、ソイツはどうしたんだ?」

「いやよぉ、オトナの男なんざぁ、売っ払ったぁトコで大したカネにゃあなんねぇだろぉ?だからよぉ、さっさと殺しちまうトコなんだけどよぉ、野郎でもオイボレでも、ガキや女と同じカネで買ってくださる、そりゃぁ太っ腹なお大尽がいなさるんでよぉ」

「そりゃあ豪気なハナシだな。じゃあ、ソイツも捕まえたのか。んで今、在庫は何人居るんだ?」

「ざい……はぁ?あぁ……この前、売っ払っちまったばっかだから……今はぁ、その野郎とぉ女しかいねぇ……のかぁ?」

 俺に聞くんじゃねぇよ、この腐れ頭。

 けど、人質が少ないのは好都合だ。

 背中に右手を隠して、後ろに合図を送る。

「おっ、じゃあ、いちおう女はいるんだな?」

 にたりと笑ってみせると、腐れ頭は好色そうな笑みを返してきた。

「ふへっ、お前ぇも好きだなぁ。お大尽にゃあよぉ、手ぇ出さねぇで連れて来いってぇ言われてんだけどよぉ、そこはお前ぇ、やっぱり、そりゃあなぁ?」

 急に渋い顔をする。

「けどよぉ、あの女はダメだぁ。なんか知んねぇけどよぉ、アニキが手ぇ出すなってんだよぉ」

「なんだよ、そうなのかい」

「あぁ。やってらんねぇよなぁ。あの抜け作の前で思いっ切り犯してやりゃあ、そりゃあおんもしれぇのによぉ」

 ふひっふひっ、と腐れ頭は汚らしく笑った。

 赤い鼻っ面をぶん殴りたくなる衝動を、辛うじて堪える。

13.

「酒でもかっ喰らってなきゃあ、やってらんねぇよぉ。なぁ、そうだろぉ、オイ」

「ああ、そうかよ」

 俺がぶん殴るより、十倍ヒドい目に遭わせてやるよ。

 横に身を避けると同時に、すぐ後ろまで来ていたリィナが飛び出して、扉を開け放ち様に腐れ頭の腹に一発食らわせた。

「ぶげるっ」

 きょとんとした顔のまま、腐れ頭は派手に吹っ飛ばされる。気を失うまで、何が起こったのか理解しなかったに違いない。

「——おぁっ!?」

「なんだぁっ!?」

 いきなり宙を飛んで床に打ち付けられた腐れ頭に驚いて、中に居た連中が色めき立つ。

 扉の先には、意外なほど開けた空間が広がっていた。この場所が現役だった頃は、何かの祭祀場として使われていたんだろうか。

 中に居たのは、五、六人の無頼共。石壁に囲まれた部屋はガランと殺風景で、広過ぎる為かテーブルやなんかは角っこにまとめられており、連中はその周辺だけ使って居住しているらしかった。

 無頼共が慌てふためいてる間に、あっという間に駆け寄ったリィナが、片っ端から打ち倒していく。マグナもそれに続いたが、追いついた時には、既にリィナがほとんど片付けていた。

 ふと目を向けると、床で伸びた腐れ頭の脇に、ゲロが撒き散らされている。

 このバカ、汚ねぇなぁ。

——あ。

 思い出した。

 こいつ、カンダタのアジトで見かけた、あの下呂助じゃねぇのか?

 いや、オイ、ちょっと待て。

 なんで、こいつがこんなトコにいやがるんだ?

 どうやって、あの大山脈を越えて、ここまで来やがった?

 脳裏を黒マントの魔物の姿が過ぎる。あいつの仕業か——いや、そんなことより。

 ここの悪党連中って、もしかしてカンダタ共だったのかよ。

 ってことはだ。

 とりあえず、この部屋には見当たらねぇけどさ。

 あの物騒な男も、この場所に——

 やべぇ。さっさとトンズラかまさねぇと。

 グプタとタニアは、どこにとっ捕まってんだ。

14.

 奥の壁際に通路を見つけて、シェラの手を引いてそちらに走りながら、リィナとマグナに向かって叫ぶ。

「急げ!こっちだ!」

「え?なによ、急に——」

 細い通路を抜けると、左右に扉が並んでいた。近いトコから開けていくと、鍵のかかった扉に当たる。

「開けてくれ」

「はいよ~」

 リィナに鍵を開けてもらって踏み込むと、ボロボロの男が床に倒れていた。

「他の部屋を調べてくれ」

「……分かった」

 マグナ達に声をかけて男に駆け寄り、頬をぺちぺち叩くと、うっすらと目を開く。

「おい、大丈夫か!?」

「う……うぅ……」

「あんた、グプタってんだろ?助けにきた。立てるか?」

「あ……あぁ……ほんとう……に?」

「ホントだよ!立てるなら、さっさと立ってくれ!」

 肩を貸して無理矢理立たせると、向こうからマグナの声が聞こえた。

「いたわ!」

「よし!いま捕まってんのは、この二人だけらしい!!さっさとズラかるぞ!!」

 グプタを引き摺るようにして部屋を出ると、マグナ達に支えられた見知らぬ女が目に入った。タニアの方は、どうやら歩ける状態ではあるようだ。

「グプタ!!」

「うぅ……タニア……」

 覚束ない足取りで歩み寄ったタニアが、瞳に涙を浮かべながらグプタにすがりつく。

「すまない……タニア……救い出してやれなくて……」

「ううん……ううん……なに言ってるの?あなたが追ってきてくれた時、私がどれだけ嬉しかったか……よく生きて……」

「死ぬかと思ったよ……けど、君を想うと……死ぬ訳には……いかなかった……僕には……やっぱり……君が必要だ……」

「うん、私もよ。私にも、あなたが必要だわ、グプタ」

「あり……がとう……無事に……戻れたら……結婚しよう……タニア……」

「おお、グプタ……もちろんよ。喜んで……」

 いや、感動の再会劇もいいんだけどさ。悪いけど、後にしてくんねぇかな。

「ああ、ありがとうございます……どこのどなたか存じませんが、よくグプタを助け出してくださいました。なんとお礼を言ったらいいか……」

「よかったですね」

 シェラも、うっすら瞳に涙を浮かべて微笑んだ。いや、呑気にそんなこと言ってる場合じゃないんだって。

15.

「ああ、うん。礼は後で聞くとしてだ、とにかくここを出るぞ」

「ちょっと待って、ヴァイスくん」

 リレミトを唱えて脱出しようとした俺の機先を、リィナが制した。

「なんだよ?」

「どうしたの?」

 俺とマグナの返事がカブる。

「うん……あ、来た」

 広間の入り口の方から、どやどやと新手が駆けつける気配が届いた。

「ほら見ろ、のんびりしてっから。いいから、さっさとここを出るぞ!?」

 もたもたしてたら、あの物騒な男が来ちまうだろ。

「お願いだから、ちょっと待ってよ」

「だから、なんなんだよ!?」

 顔をしかめてそちらを向いた俺は、見たことの無いリィナの表情に出くわして息を呑む。

 こいつ、まさか——

「行こう」

 ふい、とリィナは広間の方に歩き出してしまう。

 残された俺達は顔を見合わせ、仕方なくグプタとタニアにここで待つように言い含めて、リィナの後を追った。

「おあっ、なんだぁ、こりゃあ!?——あぁ、誰だぁっ?」

 広間に戻ると、扉の近くでがなり声を上げているカンダタの姿が目に入った。局部を覆った布切れ以外に、身に着けているのはマントと目出帽だけという変態っぷりは相変わらずだ。全然、懐かしくねぇけどな。

 変態の背後には、三体の鎧姿。

 その内の一体——ひとりだけ兜を着けずに素顔を晒した男に、自然と視線が吸い寄せられる。

 短く刈られた髪に、浅黒い精悍な顔立ち。多少の皺が刻まれている。アランのおっさんより、もうちょい年上だと思うが、いまいち歳の見当が掴めない。

 フゥマをして、化け物と言わしめる剣士。

 ただ一人、リィナが完敗を喫した相手。

 できれば二度とまみえたくなかった、物騒な男——

 ニックが、そこに立っていた。

 くそ、やっぱりコイツも居やがったか。

16.

「おっ、手前ぇら……覚えてんぞ。ロマリアんトキのヤマぁ邪魔しくさりやがった小娘共じゃあねぇか。ボンクラ共が、何を騒いでやがんだと思ったら、まぁたお前ぇらかい。よくもまぁ、はるばるこんなトコまで、性懲りもなく邪魔ぁしにきゃあがったかっ!?」

「また、会えたね」

 リィナが言った。

 ひどく、静かな声音だった。

 そっと囁くような声に、抑えようの無い悦びが滲んでいる。

 俺と違って、こいつはニックとの再会を悦んでいる——

 自分でもよく分からない不安に駆られて、リィナの横に並んで顔を覗き込んだ。

 視線の先に、ニックだけを見据えて——嗤っていた。

 背筋に寒気を覚える。

 こいつのこんな表情、見たことねぇぞ。

 やっぱりリィナも、ここに居るのはカンダタ共だと気付いてて——

 遺恨を晴らすつもりだったのか。

 負けず嫌いのお前のこった。

 ずっとこの機会を、待ち侘びてたんだろうな。

 けどよ——

「ホントに嬉しいよ。ここで会えて」

 リィナの唇の端が、きゅぅと吊り上る。

 多分、自分でも意識していない、強烈な笑み。

「もうちょっと先だったら、どうなるか分かんなかったからさ」

「あぁ?なんでぇ、嬢ちゃん。そんなに俺様に会いたかったのかい。それで、こんなトコまで追いかけてきやがったのか?そいつぁ、殊勝なこったなぁ。よぉし、俺様も鬼じゃあねぇんだ。前のことは水に流して、可愛がってやらねぇことも——」

「キミ、うるさい」

 全く興味が無さそうな口調で、ぽつりと吐き捨てるリィナ。

 変態カンダタは、まるでリィナの眼中に無かった。

「あぁっ!?ンだとぉっ!?下手に出てやりゃあ、調子ん乗りやぁって。また、ちっと痛ぇ目見せてやらねぇと、分かんねぇか!?」

 ほぼ無視されて、いきり立つカンダタ。

 リィナと——ニックの間に張り詰めてる、俺にでも分かる緊張感に気付いてねぇのか、こいつ?

 カンダタの下世話な言動は、ひどく場違いというか滑稽で、ほとんど道化じみて映った。いや、そもそも同じ舞台にのぼらせてもらってすらいないのか。

「おうっ、手前ぇらっ!!死なねぇ程度に痛めつけてやんな!!なぁに、穴さえ役に立ちゃ、それでいいんだからよ——」

「矢張り、貴様らだったか」

 微かに頬を歪めて、ニックが口を開いた。

17.

「バハラタに配しておいた手下から、妙な四人組が女を助けにくるらしいと報告が入った時は、まさかと思ったんだがな。どうやって、ここまで辿り着いた」

「お、おい、ニック——!?」

 前回を思い出しても、普段のニックはカンダタの前では、もっと下卑た喋り方をしている筈だ。はじめて耳にする口振りに、カンダタは困惑してニックを振り返った。

「聞こえねぇのか、ニック?やっちまえってんだよ!?」

「そうだな——いい潮時か」

 ニックは、鼻で笑った。

「悪いが、ここまでだ、お頭サン。あんたの御守を続けるのも、いい加減飽き飽きしてたんでね」

「あぁ?ナニほざきやがる、ニック?お前ぇ、どうしちまったって——」

「俺は、一味を抜けるよ。後は勝手にしてくれ」

「あ——?ふざけんじゃねぇぞっ!?手前ぇ、ンな勝手が許されるとでも——」

「あんたは、この舞台の役者じゃないみたいよ」

 そう言ったのは、マグナだった。

「あたし達もだけどね。裏方同士、相手してあげるから、ほら、かかって来なさい」

 カンダタは、マグナをぎろりとねめつける。

「あぁっ!?ンだと、この小娘がっ!?くそっ、ニック手前ぇ、後で覚えてやがれよ!?——オラ、手前ぇら、このカンダタ様にナメた口利くとどうなるか、あの小娘に教えてやれ!!」

 ニックの両脇に立つ二人の鎧姿は、カンダタの呼びかけにぴくりとも動こうとしなかった。

 何度命令しても、すっかり無視されて、カンダタは歯軋りをしながら、ぶるぶると全身を震わせる。

「手前ぇら、揃いも揃って、どこまでこのカンダタ様を馬鹿にしくさりやがって……」

「露払いはしてあげるわ——今度は、負けるんじゃないわよ」

「うん」

 マグナが声をかけると、リィナは小さく頷いた。

「ほら、さっさと来なさいよ、変態」

「手前ぇ、この小娘がぁっ!!」

 痺れを切らしたカンダタは、単身でマグナに向かって突っ込んできた。

『メラミ』

 いちおう、援護だ。今のマグナには、必要無いと思うけどな。

「うがぁっ——っあちぃっ——おがぁっ!!」

 火球の直撃を受けたカンダタが怯んだ隙を突いて、マグナが抜刀しつつ走り寄る。

 メラミをまともに喰らいながらも、カンダタは背中から出した斧を振り下ろして、マグナを迎え撃った。相変わらず、タフさだけは大したモンだな。

18.

 横薙ぎに剣で打って斧の太刀筋を逸らせたマグナは、返す刀でカンダタの横っ面を思い切りぶっ叩く。

 剣の腹でしこたま打たれて、ぐらりとよろめきつつも、カンダタはなお斧を振りかぶろうとした。

「しつこいっ!!」

 今度は脳天に、剣の腹を振り下ろすマグナ。

 さしものタフな変態も、これで意識を飛ばして床に崩れ落ちた。

 ロクデナシのゴロツキが、わざわざ苦労して腕を磨いたりする訳ねぇからな。カンダタの強さは前回と変わらないが、道中で修羅場を潜り抜けたマグナは、あの時とは見違えるほど強くなっている。

 再戦したら、あっさり決着がつくのは、当然の帰結だった。

「ほら、舞台は整えてあげたわよ」

「ありがと。あのさ、悪いけど——」

「手を出すな、でしょ……分かってる」

 マグナとリィナのやり取りを聞いたシェラが、思わず声を上げる。

「そんな!?どうして——」

「いいから。こっちにいらっしゃい、シェラ」

 マグナに言われて、シェラは助けを求めるように俺を見上げた。

 だが——悪いな。俺も、あいつと同意見だ。

 俺は黙ってシェラの手を引いて、マグナの元に向かった。

 リィナとニックの中間辺りで、さらに何歩か後ろに退がる。

「なんでですか、マグナさん!?リィナさん独りでなんて……危な過ぎます!!だって、あの人、すごく強くて——前だって、リィナさん、殺されそうになったじゃないですか!!」

「黙って!!」

 悲鳴にも似たマグナの声に、シェラはびくっと身を震わせた。

「そんなの、分かってるわよ。あたしだって、完全に納得してる訳じゃないんだから……でも、あのコのあんな顔見ちゃったら——そういう事なんだって、思わなくちゃ仕方ないじゃない……」

「そんな……そんなの……」

 それでも言い募ろうとしたシェラは、マグナからリィナに視線を移して——結局、何も言えなくなってしまったように押し黙った。

 もう俺達のことすら頭に無いように、リィナはニックしか見ていない。

 その顔つきは、もちろんリィナのもので、劇的に変貌した訳じゃないんだが。

 浮かんだ表情は、言葉にすれば「微笑み」としか言えないんだが。

 リィナの全身から発散される、鬼気迫る、そう形容するしかない雰囲気に、俺達が口を挟む場面ではないのだと、納得させられてしまうのだ。

19.

 シェラの肩をぽんと叩いて、軽く引き寄せたのは、あるいは俺自身の不安を紛らわす為だったかも知れない。

「大丈夫よ。リィナは、負けないわ」

 ぎゅっと握られたマグナの拳は、細かく震えていた。

 手を添えると、強く握り返してくる。

『リィナは、勝つわ』

 そう言わなかった——言えなかったマグナの気持ちは、よく理解できた。

 俺も不安だ。

 なにしろ、前回の対戦では、リィナは殺されかけたんだからな。

 しかも、あの時のニックは、まだまだ余力を残していたらしい。

 それを考えただけでも不安なのに——

 仇敵を前にして、リィナが入れ込み過ぎて見える。

 あいつがなんと言おうと、全員でかかるべきなんじゃないか。

 そうは思うが——あのリィナが本気の本気にならなきゃいけない相手に、足手まといにすらなれない予感。

「じゃあ、やろうか」

 裡に秘めた感情の昂ぶりを、無理矢理抑え込んだようなリィナの声だった。

「フン。去り際に、俺がくれてやった忠告を、もう忘れたか」

「覚えてるよ、もちろん。ボクの命日だって言うんでしょ。でも——あの時のままとは、思わない方がいいよ」

 リィナは、握り拳を掲げてみせた。

「ほとんど、戻った」

「それがどうした?」

 やり取りの意味はよく分からなかったが、リィナの殺気をニックが軽く受け流しているのは感じられた。

「だが、まぁ多少なりと愉しめた事は認めてやらんでもない——いいだろう。まずは、その自信の程を確かめてやる。また興醒めで終わっては、つまらんのでな」

「どうぞ。ご自由に」

 ニックが顎をしゃくると、傍らに立っていた甲冑姿の片方が、前に進み出た。

「この前よりは、いくらかマシな連中を用意しておいた」

 両脇の甲冑は、前回と違ってニックが連れて来た奴らしい。だから、カンダタの命令を聞かなかったのか。

「貴様の為に用意した物差しという訳だ。女を助けに来たのが貴様で、無駄にならずになによりだったな」

 多分、ニックは——口で言うよりも、リィナにある種の期待を抱いている。

 己に伍し得る存在として。

 己が身に付けた業を、存分に振るえる相手として。

 俺の想像でしかないけどさ。あんなバケモンみたいに強いヤツが、実際に何を考えているのかなんて、俺なんぞには分かりゃしないからな。

20.

 リィナの前まで歩み寄った甲冑姿は、何故かおもむろに鎧を脱ぎ出した。

 その下から黒っぽい道着が現れて、最期に兜を両手で持ち上げる——

「えっ——!?」

 晒された素顔を目の当たりにして、シェラが叫んだ。

「なんで!?——フゥマさんっ!?」

 意外な再会——

 甲冑を脱ぎ捨てたフゥマは、シェラの視線を避けるように、少し顔を背けて俯いた。

「なんでですかっ!?なんで、この人達と——」

 シェラは、苦しそうに途中で息を吸い込んで、当惑をフゥマに叩きつける。

「やっぱり、悪い人達の仲間だったんですかっ!?」

 下を向いたまま、唇を噛み締めるフゥマ。

「答えてくださいっ!!フゥマさんっ!!」

「……シェラさん」

「あのさ。やる気無いなら、どいてなよ。フゥマくん」

 気の無い口調で——それでいて、目だけは爛々と輝かせて、リィナが言う。

「いや、オレは……」

 フゥマは、ニックを振り返った。

 だが、ニックは何も反応しない。

「……ッ」

 顔を顰めて、フゥマは甲冑を足で脇に蹴り飛ばすと、腰を落として身構えた。

「悪いけど、相手してもらうぜ」

「いいけど。ボク、今日は手加減とかする気分じゃないから、そのつもりでね」

 微かに、「らしい」笑みを浮かべるフゥマ。

「へっ、上等だよ」

「フゥマさんっ!!」

 フゥマは、もうシェラの叫びを聞こうとしなかった。耳を塞ぐ代わりに頭を振って、強く床を蹴る。

「おらぁっ!!」

 跳びかかり様に突き出されたフゥマの拳から、するりと身を躱したリィナは、内から無造作に回し蹴りを放った。

「うがっ」

 まともに喰らって弾き飛ばされたフゥマの躰が床を打ち、俺達の近くまで滑ってくる。

 多分こいつ、最初からワザとやられるつもりだったな。

 それが分かっているのか、リィナは蹴り飛ばしたフゥマの方を見ようともしなかった。

21.

「フゥマさんっ!?」

「来るなッ!!」

 床に伏して咳き込みながら、フゥマはシェラを拒絶した。

「来ないで……ください」

「……」

 俺の手に押さえされたシェラの肩から、徐々に力が抜けていく。

 力無く預けられた背中は、いつも以上に細く感じられた。

 今になって思い返せば。

 ここんトコ、お前、浮かない顔つきだったよな。

 イシスで別れたきりのフゥマのこと、やっぱり気になってたよな。

 なんで、もっと早く気付いてやれなかったんだろう。

 いや、気付いてた。

 ただ——きっと、浮かれてたんだ。

 最近の俺は、マグナのことばっかり考えて——もっとお前のことも、気にかけてやらなきゃいけなかったのに。

 ウェナモン邸で出くわしたルシエラの件も、後回しにしちまって、それきりだ。

 あげくに、こんな形で再会させちまって——

 お前だって、悩んでたよな。

 ごめんな——

 俺はシェラから視線を上げて、リィナを見る。

 あいつは、どうだった?

 最近のあいつは、何か変わったところはなかったか。

 分からない。

 ひとりでふらりと居なくなることが、以前に増して多かった気はするが、はっきりと思い出せない。どうせまた、いつもの稽古だろうとか思い込んで、あんまり気にしてなかったんだ。

 多分、それはそうなんだろうけど、表情は?

 どこか塞ぎこんだ風じゃなかったか。

 そんな気もするし、別に普段と変わらなかった気もする。

 分からない。

 ちゃんと、見てなかったからだ。

 リィナだって、何か悩みを抱えてるのは知ってたのに。

22.

『あんまり、独りでアレコレなんとかできると思わない方がいいわよ』

 もしかして、お前が言ってたのは、こういう意味だったのかよ、スティア。

 こいつら三人、全員を等しく気にかけるなんてのは——確かに、ハナから無理だったのかも知れねぇよ。

 俺は、それが出来ると自惚れてたのか。

 その結果が、この体たらくで——

 だけどよ。

 気付いちまったら、意識しちまったら、無理でも放っておけねぇよ。

 とは言っても。今この場で気付いたところで——何が出来る?

 シェラにしてやれるのは、細い背中を支えることくらいで。

 リィナに至っては——

 見守る以外に、何も出来やしない。

 こいつらの——リィナとニックの間に、今は割り込める気がしない。

「フン。役立たずにも程があるな」

 最初から期待してなかったみたいな、大して失望した風でもない、ニックの口振りだった。

「貴様は、少しは役に立ってみせろ」

「ケッ。あんな小僧と、一緒にするなよ」

 もう一人の甲冑が、聞き覚えのある声を発した。

 こいつは——

 持ち上げられた兜の下から、目つきの鋭い男が現れる。

 俺の手を握るマグナの力が、少し強くなった。

 脱ぎ捨てた甲冑から大振りのナイフを両手に拾い上げ、小柄な男——イシスの武闘大会で、マグナと対戦したナイフ使い——キリクは、ギロリとマグナを睨みつけた。

「あっちの小娘には、俺も少々そそられていた。切り刻んでやるにやぶさかじゃないが……その後はお前だ、小娘」

「なによ。あんたなんかが、リィナに勝てるとでも思ってんの?」

 勝気に言い返すマグナを弄うように、キリクは薄ら笑いを浮かべる。

「ハッ。相変わらず口だけは達者なようで、結構だ」

 ナイフを軽く振り回す。

「お前のような小娘に、仕事の邪魔をされた俺が、どうなったか分かるか?」

「知らないわよ、そんなの」

 クク、と唇を歪めるキリク。

「信用を失うどころか、口封じに殺されかけてな。お陰で、こんなヤツらに身を寄せて、いいように使われる有様だ。まったく、やり切れんよ——」

 一転して殺意の篭った視線を、マグナに向ける。

「この代償は、お前の体であがなってもらうぞ。切り刻んでやるから、せいぜいイイ声でないてくれ」

23.

「どうでもいいから、早く来なよ」

 本当にどうでもよさそうに、リィナが言った。

 キリクは、眉を跳ね上げる。

「調子に乗るなよ、小娘。あんな小僧っ子を倒したくらいで——」

「いいから。後がつかえてるんだから、さっさとしなよ」

 キリクは、凶悪な笑みを浮かべた。

「よかろう。まずは、貴様だ」

 やっぱり、どうもリィナのテンションがおかしい。

 勝つには勝ったが、ありゃほとんどズルっていうか、実際のキリクの実力はマグナより数段上なんだぞ。

 ホントにお前、こいつすら眼中にねぇのかよ。

 お前に限って、それはねぇとは思うけどさ、ニックを意識するあまり、相手の実力を読み違えてねぇか?

 ひと声注意を促すべきか、悩む暇とてあればこそ——

「ひゃぁっ!」

 キリクが地を蹴った。

 やっぱ、速ぇ。

 逆手に握られた左右のナイフは、俺の目にとまらない。

 ギィン、と耳障りな金属音が響いた。

 ナイフを振り切ったキリクの両腕は、交差している。

 リィナの腕もまた、交差されていた。両手の指が二本づつ、立てられている。

 全然見えなかったが、迎え撃ったのか。

 キン、キン、と金属片が石造りの床を跳ねる音が聞こえた。

 動きを止めたキリクの目は、驚愕に見開かれていて——

 両手に握られたナイフからは。

 根元だけを残して。

 刃が、消え失せていた。

 呆然とするキリクの鼻っ面に。

 ゆっくりと顔を寄せて。

 リィナは、そっと囁く。

「お呼びじゃないよ」

 その顔に浮かんでいるのは、あるいは先刻のキリクの凶悪な笑みよりも、よほど背筋を寒くする微笑み——

「ッはぁっ!!」

 怯えたように、キリクはリィナから跳び離れた。

24.

 荒い呼吸を繰り返し、震える己の手に、柄だけ残されたナイフに目を落とす。

「バ、バカな……そんな……こっ、こんな……っぐ」

 小柄な躰が、俺達とは逆方向に宙を飛び、遥か向こうの床に打ちつけられて、糸の切れた操り人形みたいに脱力して転がった。

「邪魔だ」

 無造作に剣を振り回したニックが、ぽつりと呟く。

「寸指か——」

 キリクのナイフを、リィナが折りとばした技の名前のようだった。

「易筋の業といい、珍妙な芸が得意のようだな」

「ふぅん——思ったより、優しいんだね」

 リィナの視線が、鞘に仕舞われたままの剣に注がれているのに気付いたニックは、軽く苦笑した。

「ああ、コレか。いちおう、アレは借り物なんでな。勝手に殺す訳にもいくまいよ」

 いや、おい、ちょっと待て。全然優しくないし。下手したらあいつ、死んでると思うんですが。

 鞘つきとはいえ、剣で思いっ切りぶん殴っといて、なに言ってんだ、お前ら。

 やっぱり——こいつらの世界に、入っていけねぇ。

 このままじゃ、ホントに見守るくらいしか出来ねぇよ。

 お互いに口振りこそ気楽な調子だが、両者の間の空気が、濃い。

 もちろん、比喩だが——そう表現したくなる、濃密な殺気のやり取り。

 こうして見てるだけで、息が苦しい気がして呼吸が浅く早くなる。

 それはシェラも——マグナですらも、同じだった。

「それで、合格かな?」

「まぁ、よかろう。少し、相手をしてやる」

 それまで自然体で立っていたリィナが、僅かに腰を落として構えを見せた。

 すらりと剣を抜き、鞘をその場に捨てて歩み寄るニック。

「この前みたいに、がっかりはさせないから」

「安心しろ。そこまで期待していない」

 痛いくらいに、マグナが俺の手を握っている。

 シェラも背中を預けながら、俺の服をぎゅっと命綱みたいに握り締めている。

 張り詰めた緊張感に口を利けず、ただ固唾を飲んで見守る俺達の眼前で——

 死闘が開始された。

25.

 ニックの剣は、何も無い空間を薙いだ。

 斬り返して、再び空気を裂く。

 リィナは、はじめの位置から一歩も動かずに、ただ微かに、全身をびくりびくりと震わせた。

「どうした。間合いに入らんことには、話にならんぞ」

 右手一本で剣を振るって、ニックは淡々と口にした。

 おそらく、だが。

 リィナの踏み込みを察知したニックが、それを迎え撃って剣を横薙ぎに払い、踏み止まって躱したリィナがその隙に前に出ようとしたところを、またしてもニックの斬り返しに押し留められたのだ。

「……それもそうだね」

 落としていた腰を上げて、リィナがつるりと前に出る。

 鋭いというにはあまりに速い斬撃を——今度は、前に出ながら躱した。

 危ねぇ。見てらんねぇよ。

 だが、目を逸らす訳にもいかず、瞬きすら許されない。

 瞬時に刃が通り過ぎてから、幾分経ってようやく己が断たれたことに空気が気付くような凄まじい斬撃を、リィナはいくつも躱してみせた。

 片手の袈裟斬りを、半身で避けてそのまま踏み込む。

 リィナが、はじめて攻撃に転じた。

 狙いは握り。

 掌打が、剣を握ったニックの手の甲を打つ。

「フン」

 右手をこぼれた剣は、左手に持ち替えられていた。

 両手の間を移動した剣の速さは、それまでの斬り返しと大して変わらない。

 だが、体当たりをするみたいに、リィナの肩口が先にニックの鎧胸を打った。

 後ろに弾かれながら振られたニックの剣は、辛うじて空を切っていた。

 両者の距離が空いたのを確認して、知らない内に詰めていた息を、盛大に吐き出す。

 マグナとシェラも、示し合わせたみたいに息を吐いたのが耳に届いて、こんな時だが、なんだか少しおかしくなった——と同時に、胸の辺りに黒いイヤなモヤが立ち込める。

 その正体には、もう気付いていた。

 リィナの闘い方に、いつものノリが無い。

 ニックが纏った物騒な空気に引き摺られてるみたいに、余裕が無いというか、どこか窮屈そうに見える。

 そりゃ、ニックを相手に大技なんて繰り出せねぇだろうけどさ——普段のあいつらしい躍動感が無いっていうか。

 やっぱり、入れ込み過ぎなんじゃねぇのか、お前。

26.

「なるほど。先刻口にした自信も、あながち強がりばかりではないか」

 何歩か後ろに退がっただけで、ダメージを受けた様子もなく、ニックは剣を両手で握った。

「悪かったな。もう少し、真面目にやってもよさそうだ」

「望むところだよ」

 ここからだ、とでも言うように、リィナは短く何度か呼気を発する。

 やっぱりニックはまだ、全然本気じゃなかったんだな。そりゃそうだよな。片手で剣を振り回してたんだもんよ。

 お前に助言なんて、何も出来ないけどさ——ホントに、大丈夫なのかよ、リィナ。

 不安ばかりを募らせる俺の視線の先で、ニックが突っかけた。

 斬撃が、さらに鋭さを増す。もう、呆れるしかない。

 リィナは、それでも凌いでいる。凌いではいるが——躱し切れてない。

 ひと薙ぎ毎に、道着のいずこかが裂かれていく。そして、反撃に移れない。

 リィナの反応を、ニックの斬撃が上回った。

 刹那の未来の光景を、俺の脳みそが描き出す。

 リィナの胴体が、真っ二つに泣き別れる映像を。

 カラカラに渇いた口内に、飲み下せる唾は無かった。

「フ——ッ」

「つまらん」

 未来が変わる。

 巻き戻った現実の中で、胴を二つに断つかと思われた斬撃を途中で止めて、ニックはリィナの腹を無造作に蹴飛ばした。

 背中から床に叩き付けられたリィナは、くるっと後ろに回転して、素早く身を起こす。

 ダメージは——それほどでもなさそうだ。

「何度も同じことをするな。興醒めだ」

「ちぇっ……やっぱりダメか」

 軽く咳き込みながら、リィナはひとりごちる。

 また推測になるが。

 おそらくリィナは、ニックの剣を腹で受けて弾こうとしたのだ。前回、俺を助けてベホイミをかけた直後のように。

 それを察したニックが、タイミングを外して腹を蹴り上げたというところだろう。

「所詮、この程度か。そろそろ死ぬか」

 その気になれば、いつでも殺せる。

 それをたまたま、今に決めた。

 そんな、ニックの口振りだった。

27.

 訪れなかった未来の映像が、脳裏に焼き付いて離れない。

 駄目だ。

 このままじゃ、リィナが殺されちまう。

 それが分かってるのに——何もしないで、ぼんやり眺めてるままで、いいのかよ?

 いい訳ねぇだろっ!?

 ホントに、俺には見守るしか出来ねぇのか?

 なんか——なんか、できねぇのか?

 違う。

 もう、考えんな。

 こういう時は——思ったことを、そのまま口に出すしかないって、分かった筈だろ!?

「待ったっ!!」

 なんの考えも無いままに、大声を出せた。

 息を詰めて固まっていたマグナとシェラが、呪縛から開放されたように俺を振り返る。

 無視されるかと思ったが、ニックもちらりとこちらに視線をくれた。

「なんだ。今更、今生の別れでも告げたくなったか」

「そうだ」

 俺の即答が虚を突いたのか、ニックは少し面白そうな顔をした。

 皮肉のつもりで言ったんだろうが、渡りに船だ。渡し賃が六文ってのはご免だが、気まぐれだろうがなんだろうが、これに縋らない手はねぇよ。

「だから、ちょっとだけ時間をくれよ」

「……好きにしろ」

 顔つきで予想できたが、ニックは短くそういらえた。

 どうするの?と期待と不安がない混ぜになった視線を、マグナとシェラが向けてくる。

 俺も、何も考えてねぇよ。

 考えてねぇけどさ——

「ヒドいな、ヴァイスくん。ボクが負けるって思ってるの?」

 冗談めかしたリィナの台詞は、無理をして聞こえた。

「ああ、思ってるよ」

 ぶっきらぼうな俺のいらえに、マグナとシェラが息を呑む。

「らしくねぇ……」

「え?」

「なんか、らしくねぇよ。今のお前はさ。なに窮屈そうに戦ってやがんだよ」

28.

「そんな風に……見えるの?」

「ああ。お前、このままじゃ殺されるぞ。俺にすら分かるんだ、お前だって、分かってんだろ?」

「……」

「悪いけど、今の余裕ねぇお前にゃ任せらんねぇよ。お前がどう言おうと……」

 喋っている内に、腹が決まった。

「今のままなら、俺は横からちょっかい出すぜ」

「ダメ。手を出したら、先に殺されちゃうよ」

 固い声音が、拒否をする。

 くそ、勝手に独りで覚悟を決めてやがって。

 いっつもそうだ。

 俺達にはなんも相談しねぇで、お前はいっつも独りでなんでも勝手に呑み込んでやがるんだ。

 独りで、勝手に——そうか。

 なんの理由があるのか知らねぇが、勝手に自己完結して、飄々とした態度の裏に隠した本心を表に現さない。

 お前は——ある意味、俺に似てるんだ。

 だからこそ——させねぇよ。

 自己完結なんて、させてやるかよ。

 今の、この俺の目の前で。

「殺されたって、構わねぇよ。このままアホ面下げて、お前が殺されるトコを、指咥えて眺めてるよりゃ百倍マシだ」

 シェラも同意するように、決死の表情を浮かべて顎を引いた。

 マグナもだ。腰の剣に手をかける。

 リィナは——途方に暮れた顔をした。

「困ったな……ホントに、一瞬で殺されちゃうよ?」

「いいわ。リィナを見捨てるより、ずっとマシよ」

 こちらも腹を据えた口振りのマグナを、リィナはひどく複雑な表情で眺めた。

「ダメなんだよ……マグナを——キミ達を殺させる訳にはいかないんだよ」

 だから、なんでだよ!?

 なんで、この期に及んで、そんな奥歯にモノが詰まったみてぇな言い方なんだ。

 ホントは、お前も言っちまいたいんだろ?

 隠してること全部、俺達にぶちまけて、すっきりしちまいたいんだろ?

 だったら——

「なぁ——俺達は、そんなに頼りにならねぇのか?」

 リィナの表情は、困惑を深めたように見えた。

29.

「お前が何を隠してようと、それを知って俺達の間柄が、今さらどうにかなると思ってんのか?」

 リィナは下唇を噛みかけて、やっぱり止めて、代わりに息を詰めた。

「言っちまえよ。言ってくれよ。それでお前が、少しでも軽くなれるんならさ——」

 リィナの動きが固いのは、一度は敗北したニックに対する気負いが過ぎるせいだろう。そうなんだろうが、それだけじゃない。それとは別に、俺達への負い目が重しになってるんじゃないか。

 急に浮かんだ想像は、瞬間的に俺の裡で確信に変わる。

 長々と話し込んでる場合じゃないのは、分かってる。

 けど、そんな重石を背負いながら、あいつとやり合うなんて、それこそ自殺行為じゃねぇのかよ?

「……」

 リィナの呟きは、聞き取れないほど小さかった。

「なんだって?」

「——いつか、ヴァイスくん、前にも聞いたよね?ボクに」

 リィナは直截答えずに、俺に聞き返した。

「え?なにを——」

「自分は頼りにならないのか、みたいなこと」

「え——あ、あぁ」

 ノアニールの宿屋の二階——

 オルテガが泊まっていたという部屋で——

 中から鍵をかけて——

 多分、隠れて泣いていた——

 あの時も、俺はこいつにヘンに感情移入しちまって——

 横にいるマグナが、少しだけ気になった。

「ヴァイスくんは、信じてなかったみたいだけど……ボクは、頼りにしてるって答えたよ?」

「ああ——そうだったな」

「ヴァイスくんは?」

「へ?」

「ヴァイスくんは、どうなの?」

 だから、なにが。

「ボクのこと……信じてくれないのかな」

 こいつ——

 そう来やがったか。

30.

「他の事は、もういいよ……」

 いや、他の事ってなんだ。

「ただ……信じてくれれば、それだけで充分だから……」

 やけにしおらしく。

 俯き加減で、そんなことを言うのだった。

 多分、俺は慌てた表情を浮かべたに違いない。

 横目でそれを確認したリィナは、堪えきれなくなったみたいに相好を崩して——

「ね、信じてくれないの?」

 いつも俺をからかう時の、にへらとした笑みを浮かべた。

 あ——いつもの、表情。

 こいつ——

「ああ」

 呼吸が、楽になった。

「信じてるよ。もちろんだろ」

「ありがと」

 にっこり、惚れちまいそうないい笑顔。

 重く張り詰めていた空気が霧散する。

 いつものノリを、取り戻していた。

 分かったよ——信じてるからな。

「私も——私も信じてますから、リィナさん!」

 シェラの声にも、生気が蘇る。

「うん、ありがと、シェラちゃん。だいじょぶ。ボク、もう負けないから」

 力強く頷いてみせるリィナ。

「あたしは、最初から何も心配してないから」

 自分もここに居るのだと主張するみたいに、マグナが口を挟んだ。

「うん、ありがと。ボク、マグナに会えて良かったよ」

 唐突な言葉に、再び息が詰まりかける。

「えっ——ちょっと、こんな時に、ヘンなこと言わないでよ!!」

 ホントだぜ。

 まるで、そんな——これが最期みたいな。

 別れの言葉みたいな台詞。

 また不安になっちまうだろうが。

31.

「あ、ごめん。別に、ヘンな意味じゃないんだけどな。なんか今、急に言いたくなったんだよ」

 あはは、と笑う。

 その仕草に、さっきまでみたいな入れ込んだ様子は窺えない。

 やれやれ。あんま心配させんなよな。

「……とにかく、さっさと片付けちゃいなさい。負けたりしたら、承知しないんだから」

「はいよ~。うん。勝つから、まぁ見ててよ」

 ぐねぐねとあちこちの間接を回してほぐしながら、気楽に請け負う。

 うん、いつものあいつっぽい。

「ごめんね、待たせちゃって」

「構わん。退屈には違いないが、破落戸共の戯言を聞いているよりは、幾分マシだった」

 こちらも首に手を当てて、のんびりと揉みながら応じるニック。

「この俺とやるつもりなら、つまらん心残りは全て捨てて来い。妙な具合に入れ込まれても困るんでな、わざわざあの女に手を出させないでやったのが無駄になる」

 あの女——タニアのことか。そういや、下呂助がそんなこと言ってやがったな。

「へぇ。ずいぶん気を遣わせちゃったんだね」

「貴様の為じゃないがな。断わっておくが、貴様はギリギリだ。俺をほんの僅かでも愉しませる為に、貴様はその実力をひと欠けらでも減じることは許さん」

 物凄い手前勝手な言い草だが、こいつの場合は実力に裏付けられてのことだからな。

 信じてるけどよ——勝算はあるのかよ、リィナ?

「なに、心配するな。そいつらも、すぐに後から送ってやる。心置きなく来い」

「させないよ——」

 リィナは、腰の後ろに下げたフクロに手を伸ばした。

「出来れば使いたくなかったんだけど……ずいぶん、みんなを心配させちゃってるみたいだからね」

 取り出したのは、繊細な装飾の施された、不思議な輝きを放つ腕輪——『星降る腕輪』

「悪いけど、ズルさせてもらうよ」

 リィナはひょいと腕輪を放り上げると、ぱしっと受け止めて腕に嵌めた。

 そういや、そんなのがあったっけか——

 リィナの話では、身につけると本当に動きが倍くらい速くなるらしい。しかも、ピオリムの呪文とは違って、短時間で効果が切れることもない。

 普段の戦闘では、「いきなり動きだけ速くなっても、バランスが崩れちゃうし、もうちょっと慣れてからね」とか言って使ってなかったクセに、案の定、隠れて稽古してやがったな。

 だが、これなら——

32.

「いける……いけますよね、リィナさん!?」

 シェラの声に、期待が滲む。

「ええ、大丈夫よ。最初から、そう言ってるじゃない」

 マグナの声にも、安堵が混じっていた。

 確かに、これなら、ニックの動きを上回れるかも知れない。勝算が出てきやがった。ホントに、あいつは、いつもよ——

「フン。なんの道具か知らんが、なんでも使うがいい。それで、多少なりともマシになると言うのならな」

「うん、ちょっとびっくりすると思うよ。まぁ、見てなよ」

 軽く飛び跳ねたり、素早く体を振って感触を確かめるリィナ。

 その動きから、気負いは失せている。

「お待たせ。そいじゃ、いくよ?」

「さっさと来い」

 だらり、と剣を下げたまま挑発するニック。

 そのニックの懐に、ふらり、と入り込むリィナ。

 そこから先が、強烈だった。

 さっきまでなら、確実に懐に入る前に押し留めていたニックの斬撃が、リィナに追いつかない。

 瞬間移動したような速さで、横に回り込む。

「なん——っ」

 体を入れ替えるも間に合わず、ニックは死角から襲い掛かったリィナの回し蹴りを、まともに側頭部に喰らった。

 ようにしか見えなかったが、寸前で体を捻って、微妙に外したらしい。

 足を踏ん張って堪える俯いた顔面に向かって、振り抜いた蹴り足が再び地を蹴って浮かび上がる。

「ちっ」

 剣を離した右腕でそれを受け止めたニックの後頭部に、一瞬遅れて逆の足が叩き込まれた。

 多分、ニックは何をされたか、理解できなかっただろう。離れて見てる俺でも、よく分からなかったくらいだ。

 ニックに防御させた返しの蹴りとほぼ同時に、逆の足でも踏み切ったリィナが、空中で横倒しの独楽みたいに回った勢いで、後頭部に蹴りを落としたのだ。

 リィナにとっても捨て身の攻撃だったらしく、両者はもつれ合って床に落ちる。

 先に立ち上がったリィナが頭を踏み抜くより早く、ニックも身を起こしていた。

「いいぞ——」

 下から斬り上げられた剣は、空を裂く。

 斬り返しが、これまでよりも、またさらに速くなる。

 だが、それすらも上回って——目が追いつかない。

 ニックの正面に居た筈のリィナは、背後に回り込んでいた。

 残像が見えてもおかしくない程のスピード——

33.

「フンッ」

 ドン。

 という地響きと共に、ニックが背中合わせのリィナに弾き飛ばされる。

 前方に飛ばされながら、ニックは躰を捻って剣を振り回した。

 空を薙ぐ。

 身を低くして疾り寄り、リィナは追い討ちをかける。

 下から伸び上がるように突き出された拳は、剣を振り回した勢いを利用して、わざと体勢を崩したニックのわき腹を掠めて抜けた。

「ちっ」

 床に片手をついて、すぐに起き上がるニック。

 繰り出された恐るべき斬撃は、リィナに当たらない。

 これは——勝てる!?

 あっさりと懐に跳び込んだリィナの掌が、ニックの鳩尾の辺りに添えられた。

『フン——ッ!!』

『ハッ——!!』

 ズシン、という地鳴りと、二人の呼気が重なった。

 巨人の拳に殴り飛ばされたように、後方に弾け飛んだニックは、肩から落ちて力無く床を転がった。

 あいつがまともに倒れたところを見たのって、はじめてじゃねぇのか?

「……勝ったんじゃない?」

 マグナの呟きに頷きかけた俺は、二人が激突した位置に視線を戻して息を呑んだ。

 リィナが、居ねぇ。

 残っているのは、リィナが踏み抜いたと思しい、床に穿たれた足跡だけだ。

 さらに視線を横に滑らせて、ようやく束ね髪の道着姿を発見する。

 ニックより距離は短いが、リィナもまた弾き飛ばされていたのだ。

 既に立ち上がったリィナの表情は、緊張に強張っていた。

34.

「やっぱりなぁ……そうなんじゃないかなぁ、って思ってたんだよね」

 なに言ってんだ?

 何が、そうなんだ?

「起きなよ。大して、効いてないんでしょ?」

 リィナの言葉につられて、そちらを向くと——

 ニックが、むくりと上体を起こした。

 鎧が、べこりと陥没している。

 あれで、ホントに効いてねぇのかよ!?

「いい加減、本気でやって欲しいな」

 そんな事を、リィナが言いやがるのだ。

 ちょっと待てよ、オイ。

 まだ——本気じゃなかったって言うのかよ!?

「そうするか。あまり、気は進まんがな」

 立ち上がって、平気な顔をして鎧を外しながら、ニックがほざく。

「適当に剣を振り回しても捉えられんのでは、止むを得んか」

 鎧の下に着けられていたのは——

「あんた——剣士じゃなかったのかよっ!?」

 思わず、口をついた。

「いや。剣は、ほんの手慰みだ」

 何を言われているのか、意味がよく理解できなかった。

 俺の思考は、半分くらい停止する。

 なんだ、これ?

 え?

 なんなんだよ、その格好は——

 剣は手慰みって、あんた。

 どう考えても、そんなレベルじゃありませんでしたが。

「こっちでやると、相手がすぐに死ぬんでな。まぁ、普段は棒きれを振り回している方が、まだ多少は愉しめるといったところだ」

 鎧を脱ぎ捨てたニックが纏っていたのは——

 リィナのそれとよく似た、武闘家の道着だった。

前回