23. Strollin'

1.

 俺達は今、大山脈の地下を無事に抜けて、一路東を目指している。

 と、言葉にしちまうと簡単なんだが、ここまで来るには、随分あちこちたらい回しにされたのだ。

 ちなみに——俺とマグナの関係は、表面上はあんまり変わってない。

 マグナはやっぱり俺に文句ばっか言ってるし、俺もハイハイそれを聞き流すような間柄は相変わらずだ。

 だって、あれだろ。まさかリィナやシェラの目の前で、いちゃつく訳にもいかねぇしさ。

 その辺りの心境はマグナも同じようで、人目のある場所での態度は以前と大差無い。俺もそうだが、まだ距離感を計りかねている部分もあるんだと思う。

 ただ、ごくタマに——街で一緒に出かけたり、旅に出てからは夕暮れ時に薪を拾いに行く俺に、自然な風を装ってマグナがついて来たりして、二人きりになる程度のことはあった。

 まぁ、先は長いんだし——ずっと一緒に居るって決めたからな——俺も、あんまり焦ってない。

 普通の恋人同士みたいな関係には、どこか違和感を覚えるし——いや、違った。そうじゃなかった。なんていうか、つまりだな、マグナとそうなる前に、まだやるべきことが残ってるっていうか。

 とにかくだ。シェラの探してる神殿が見つかるまで、旅は続くのだ。

 とは言っても、あてども無い旅とは、もう呼べなかった。遥か東にあるという、不思議な神殿の噂を知っている人間に、とうとうポルトガで出会えたからだ。

 旅は、確実に終着点に近づいている。

 神殿に辿り着いた後、俺達はどうなるんだろう。

 シェラの願いは、本当に叶うんだろうか。

 出来ることなら、リィナの悩みも解決してやりてぇな。

 そして、そう遠くない将来。俺はマグナと二人で、どこか静かな——魔王なんかとかは、なるたけ無縁の土地に落ち着こうと考えている。

 マグナとの関係を進展させるのは——その、なんだ。いわゆる深い仲になるのはさ、それからで充分かな。そう思ってる。

 リィナやシェラと別れることを考えると、まだ想像でしかないのに早くも寂寥感を覚えちまうが——なんだかんだで、あいつらとも一緒に暮らすオチになる気もするんだよな。それはそれで楽しそうだ。

 まぁ、なんにしても、神殿を見つけた後の話だ。

 ここまでの苦労を考えても、そうすんなり見つかるとは思えない。

2.

「——なんだ、これは!?誰だ、お前達はっ!?」

 ウェナモンの屋敷で、魔物を斃した直後のことだ。

 盗賊やら魔物と手を組んで悪事を働いてやがった癖して、白々しいことをほざきやがる。と、はじめは思ったんだが。

 事情が分かってみれば、ウェナモンのおっさんが目を丸くして喚いたのも無理のない話だった。

 興奮しきりのウェナモンと、噛み合わない言い争いをしばらく続けた結果、どうやらおっさんは、ここしばらくの記憶がはっきりしないらしい事が分かったのだ。

 久し振りに正気に返ってみたら、テラスに不審な黒づくめ——俺達のことだ——がたむろしてるし、その傍らには悪魔みたいな魔物の死骸が転がってるしで、これで驚くなって方が難しい。

 まるきり何も覚えてない訳じゃなくて、ところどころぼんやりと夢で見た景色のような断片的な記憶はあるらしいんだが、まだ半分寝惚けてるみたいなウェナモンの話は、なかなか要領を得なかった。

 どうにかこうにか聞き出した話と、これまでに俺達が見聞きした事柄を総合するに、どうやら魔物に操られてたという辺りが正解のようだ。

 これはまだ、俺の想像でしかないんだが。

 思えば、ロマリアで『金の冠』の強奪をカンダタに依頼したあの魔物は、カネで野郎を雇っていやがったのだ。

 野山で好き勝手に暴れまくっている魔物が、金品目的で人間を襲ったという話は聞いたことがない。いみじくもカンダタの変態野郎がほざいたように、魔物が人間のカネを持っていても仕方ないし、そもそも興味が無いだろう。

 故に、魔物に襲われた人間が持ち運んでいたカネやら荷物やらは、そのままその場に捨て置かれるのが普通だ。

 アリアハンでも、いわゆる戦場荒らしよろしく、そうやって放置された金品を拾い歩く専門のハイエナみたいな連中が実際に居たから、それは確かだ。

 じゃあ、あの魔物はどうやって、カンダタを雇う資金を得ていたんだって話になる。

 俺の耳に届いてこないだけで、どこぞの街でも襲って掻っ攫ったのかも知れねぇけどさ——ここまでの経験と照らし合わせて考えるに、魔物連中はなんらかの資金源を有しているのだ。そう考えた方が、俺には腑に落ちる。

3.

 つまり、この街でも有数の商人だったウェナモンは、そういう資金源のひとつとして利用されていたんじゃないだろうか。

 もしそうなら、魔物なんぞに目ぇつけられる辺り、金持ちもいい事ばっかじゃないね。

 普段、道中で相手にしている野獣の延長みたいな魔物の印象からは、およそかけ離れているが——人間を襲って力づくで金品を強奪するんじゃなく、傀儡にした人間を前面に押し立てて自らは裏に潜み、人間社会に溶け込む形で事を荒立てずに悪巧みを働く。

 魔物の中には、そんな狡猾な、組織立って行動している連中が存在してるんじゃないだろうか——そして多分、そこには、あの黒マントの魔物も一枚噛んでやがるのだ。

 カンダタの時のやり口や、イシスでの密談を思い出しても、それは俺の考え過ぎとは思えなかった。

 悪い予想の的中率だけは、なかなかのモンだしな、俺。

 その辺りの考えを、都合の悪い部分を端折って噛んで砕いて説明すると、はじめは俺達を怪しい賊としか見なしていなかったウェナモンも、自分のおぼろげな記憶に思い当たる部分があるのか、徐々に納得した様子だった。

 なにより実際に、魔物の死骸が傍らに転がってるのが決め手となって、知らない間に自分が魔物と接触していたことを、まだ多少は半信半疑ながらも、ウェナモンは次第に認めつつあった。

「——君らの話が本当ならば、儂はとんでもないことをしでかしてしまった訳だな。盗賊や——魔物と!なんということだ……失った信用も取り戻さねばならないし、これからの事を考えただけで、頭が痛むな」

 難しい顔をして、溜息を吐く。

「それにしても、いまだに信じられないが……魔物から開放してくれた君らには、お礼を言わねばならんのだろうな」

「お礼なんて、あたし達の質問に答えてくれれば、それでいいわ」

 遅々として進まなかったやり取りに、すっかりイライラきていたマグナにつけつけと言われて、ウェナモンはぴくりと眉を上げた。

「ほぅ。こんな儂に、何か君らに教えて差し上げられることがあるのかな?」

「ええ。聞きたいことがあったから、わざわざこんな事したんだもの。あのね、東に行く方法を教えて欲しいのよ」

「東へ……」

 ウェナモンは、どこか遠い目つきをしてみせた。

4.

「大山脈の地下を通って、東に抜ける方法があるんでしょ?それについて一番詳しいのは、ウェナモンさんだって聞いてるんだけど」

「そうだな……誰に聞いたのか知らんが、確かに儂は、何年も前に東へ渡ることを夢見て、イシスからこのアッサラームへと移り住んだのだ。ずいぶん色々と調べもしたのでな、それなりに詳しいと言えないこともない」

 さらに記憶を探るようにひとりごちる。

「思い返してみれば、その辺りのところを、魔物に付け込まれたようでもあるな……ノルドの頑迷さにほとほと困り果てていた儂に、東へ渡る方法があると持ちかけた、あの怪しい——そうか、あれが魔物の手先であったのか」

「ノルドって、大山脈の洞窟に住んでるとかいうホビットの事か?そいつが、秘密の抜け道を知ってるって聞いたんだが」

 俺が口を挟むと、ウェナモンはまた眉をはね上げた。

「よく知っておるな。そう——船が使えれば、話はもっと早いのだろうが……海上に出没する魔物に対抗できる規模の船団を、個人が仕立てるのは無理な話だからな。それに、どんな大船団だとて、かの恐るべき暗黒大陸を回って東へ抜けることはできんだろう。つまりは、君らの言った『バーンの抜け道』だけが、現実に取り得る唯一の東への道という訳だ」

 ゆるゆると頭を振る。

「だが、『バーンの抜け道』の在り処は、洞窟に棲むノルドというホビットしか知らぬ。こやつがまた、大層な頑固者でな。儂がいくら人をやって尋ねても、一向に捗々しい返事を得ることはできなかったのだ」

「じゃあ結局、ウェナモンさんも、その——『バーンの抜け道』については、何も知らないってこと?」

 マグナは、肩透かしをくらった声を出した。

 俺も、がっかりだ。こんなの、アイシャから聞いてた話と変わんねぇじゃねぇか。抜け道にご大層な名前がついてたのが知れたところで、何の役にも立ちゃしねぇよ。

5.

 だが、ウェナモンの話には続きがあった。

「いや、確かに『バーンの抜け道』の在り処は分からんが、ノルドからそれを聞き出す方策については、今では思い当たらんでもない」

「って言うと?」

「うむ。ノルドは、ポルトガ王と旧来の知己であることが分かってな。そのポルトガ王にお口添えいただければ、あるいはノルドも重い口を開くやも知れぬ」

 いやいや、おっさん。ホントかよ、それ。

 こんな遥かに離れた穴ぐらに棲んでるホビット風情が、なんでポルトガの王様なんかと知り合いなんだよ。

 そうは思ったものの、話の腰を折るのもなんなので、優しい俺は黙っておいた。

「残念ながら、儂のところではポルトガと商いをしておらんのでな。いつか、あわよくば商いを手がかりとしてポルトガ王と知遇を得た折に、お願い申し上げようと思っておったのだが……」

「ポルトガね……」

 マグナが、軽く指を噛んで考え込む。

 嫌な予感がした。

 俺達なんぞがポルトガの王様に目通りを望むとしたら、ぱっと頭に思い浮かぶツテはひとつしかない。

 けと、あいつら犬猿の仲らしいぞ。アレに相談しても、無駄じゃねぇのか。

「ウェナモンさんが知ってるのは、そのくらい?」

「そうだな。大した事は教えてやれんで、申し訳無いが」

「ううん、分かったわ。ありがとう。それじゃ、これからは魔物なんかに取り憑かれたりしないように、気をつけてね」

 聞きたいことだけ聞き出すと、マグナは俺達を促してさっさと部屋を後にしかけた。

「おや。もう行ってしまうつもりかね」

「ええ。聞きたい事は、もう聞いたから」

「いやはや、なんとも若者らしく、せっかちな事だな。できれば、お礼がてらに少々滞在してもらって、儂が正気を失っていた間の事情について、もう少し詳しく話を聞きたいのだが」

「だって、そんなの、あたし達も詳しく知らないし——」

「その件についてなんですがね」

 いけね、忘れるトコだった。

6.

 俺はあたふたと嘴を挟む。

「ウェナモンさんが、その……盗賊と手を組んでたとか、そういった事情を正確に把握してるのは、俺達の他には、下町に住んでるアイシャってヤツと、その仲間だけでしてね。そいつらには、今回、色々と協力してもらいまして。ま、多少は街でも、口さがない連中が噂してるみたいですが」

「ふむ、この街にあっては、それも仕方なかろうな。それで?」

「ですからね、そのアイシャってのを、後でこちらにやらせますから、細かい話はそいつから聞いてください。俺達はあちこち旅して回ってて、ここにもついこないだ来たばっかりで、詳しい事情は何も知らないんですよ」

 なんか、こういう時の俺の喋り方って、相変わらず胡散臭い詐欺師みてぇだな、とか思いながら続ける。

「それでですね、話を聞いたら、出来ればそいつら——アイシャ達の今後の商いについて、多少の便宜をはかっていただければな~、とか思ってる次第なんですが」

「ふむ……そういうことか」

 あんたはアイシャ達に弱みを握られましたよ、という俺の言外の含みは、なんとかウェナモンに通じたようだった。

「まぁ、それは考えんでもないが……君らには、何も礼をせんでよいのかな?」

 いえいえ、あっしらのことはいいんでさ。なぁに、ちょっとばっかしお心づけさえ包んでいただけたらね。それで、あんた様のことは、誰にも喋ったりしやしません。

 とかいう脅迫の文言が脳裏に浮かんで、俺は苦笑する。

 アリアハンに居た頃に、付き合ってた連中の柄が悪過ぎたな。

「……ウチのリーダーの言う通り、もう俺達は必要な話を聞かせてもらいましたからね」

「ほぅ、それは欲の無いことだな。そこの魔物を斃すだけでも、随分苦労しただろうに——」

 ウェナモンは、何かに思い当たった顔をした。

「魔王の支配に抵抗する人間——勇者と呼ばれる存在について聞いたことがあるが、ひょっとして君らがそうなのかね。なんでも、無償で人々を救うような、立派な人物だという話だが。東へ抜けるのも、その辺りの目的があって——」

「ち、違うわよっ!!」

 マグナが慌てて否定した。

7.

「その噂って、ファングとかいうサマンオサの勇者のことじゃないの?それは、あたし達とは違うから!」

「いや、残念ながら名前は覚えておらんが……そうなのかね。だが、いずれ魔王バラモスの元に向かうつもりなら、心しておくといい」

 マグナの否定を、ウェナモンは単なる謙遜と受け取ったようだった。

 まぁ、知り合いでもなんでもない、アカの他人に取り憑いてた魔物を、結果的には無償で退治してやった事になる訳だもんな。立派な人物だと勘違いされても、おかしくはないかも知れない。

 こんなことなら下手にお礼を辞退しないで、やっぱり金でも包んでもらえば良かったかね。

「だから、違うって言ってるでしょ!?」

 マグナの反論は、さらりと聞き流された。

「まだ、儂がイシスの王宮に上がっておった頃の話だが……バラモスを斃すのは不可能だという噂を耳にしたことがある」

「不可能——って?滅茶苦茶強いってことか?」

 俺の問いに、ウェナモンは首を捻った。

「然もあろうが、含みとしては多少異なった印象だな。文字通り不可能とでも言うような——イシス軍による討伐も、手酷い返り討ちに終わったほどだ、いずれそれほど強力だという事に間違いはなかろうが」

「だから、関係無いって——」

 俺は、マグナの口を手で塞いで目配せをする。

 もう構わねぇかも知れないけどさ、一応、お前が魔王退治に行くつもりがまるきり無いことは、リィナやシェラには伏せてたんじゃねぇのかよ。

 だが、俺の目配せはマグナに通じなかったらしく、ぎろりと睨みつけられた。

 幸いリィナやシェラも、別に何を気にした風でもない。

 余計な気を回しちまったかね。

「うん、まぁ、せいぜい気をつけることにするよ」

 ウェナモンに、適当な返事をかえす。

「うむ。恩人が不可能事に挑んで、あたら命を落とすような事があっては、儂としても心苦しいのでな。無謀は避けて欲しいものだ。もし儂で何か役立てることがあれば、いつでも相談に乗ろう」

「ああ、ありがとう。覚えておくよ」

 あの黒マントが関わってるかも知れねぇんだ。これ以上あんたに深入りするつもりは、毛頭ねぇけどな。

8.

「やぁ、お待たせして申し訳ない。ボクは一刻も早く馳せ参じたかったのだけれど、爺やがあれこれとうるさくてね——」

 ウェナモン邸での一件から、明けて翌日。

 アッサラームでアイシャと別れた俺達は——別に、感動的な別れでもなんでもなかった。その気になりゃルーラでいつでも会えるし、ウェナモンとのつなぎもつけてやったから、義理も果たしたしな——ロマリアに戻っていた。

 俺達がどこに居るのかというと、ロマリア城のとある一室だ。相変わらず、何度訪ねても馴染めない豪華さだな、ここは。

「ごめんね、忙しいのに突然来ちゃって」

「いやいや、とんでもない。こうしてキミが頼ってくれたことが、ボクにはこの上なく嬉しいのさ。感激の余り、今すぐこの場で踊り出したい気分だよ」

 入室と同時にべらべら喋りまくりながら、アホの王様はソファーから立ち上がったマグナに歩み寄って、手の甲にくちづけをした——ムカつく。

 これだから、ここには来たくなかったんだ。

「おや、これはどうしたことだろう」

 膝立ちの姿勢から腰を上げつつ、アホの王様——ロマリアの国王、ロランはマグナの顔をしげしげと見詰めた。

「しばらくお目にかからない内に、素晴らしく魅力的になったみたいだ。ああ、いや、もちろん元から、それはとても魅力的だったけれどね。より一層にってことさ」

 ロランは、何かを確かめるような一瞥を、俺にくれた。

「まるで、つぼみのままでも充分に美しかった花が、艶やかに咲き誇っているみたいだ。キミをより輝かせるような経験が、何かあったのかな」

「えぇと——あのね、お願いがあるんだけど、聞いてもらえる?」

 マグナは、ロランの与太を聞き流すことにしたようだった。

「なんなりと、我が君よ。キミのお役に立てるのは、いつだってボクにとっては至上の誉れだよ」

「……ありがと。それじゃ、遠慮しないで言うけど——あのね、あたし達、ポルトガに渡りたいのよ。だから、その許可が欲しいんだけど。普段は、人の行き来が出来なくしてあるんでしょ?」

「ポルトガだって?それはまた、一体どういった用件で?」

 マグナがちらりとこちらを振り返ったので、俺は目で頷いてみせた。

9.

 これまでの経緯を、ごく掻い摘んでマグナが説明すると、ロランは片手で顎を押さえた。

「ふぅん……それはまたずいぶんと、不思議な話になっているね」

「……駄目?」

「ああ、いや、駄目じゃないさ。おっしゃる通り、あちらとこちらを繋ぐ唯一の道には関所を設けてあるんだけどね。もちろん、キミ達が通れるように取り計らっておくよ」

「それから、俺達がポルトガの王様に会えるように、親書とかもらえるとありがたいんだけど」

 横から俺が言うと、ロランは露骨に嫌な顔をした。

「お願いできる?」

「ああ、うん、もちろんさ」

 おねだり顔のマグナには、にっこりと笑いかける。

 最初っから、素直に頷いとけっての。

「あちらとは、良好な関係を築いているとは言い難いけれど、子供の喧嘩じゃないからね。そこは、お互い国同士の話だ。ボクの親書を携えれば、すげなくあしらわれることは無い筈だよ」

「ありがとう。ごめんね、無理言っちゃって」

「いや、とんでもない。キミの無理を叶えてあげることこそが、ボクにとっては生き甲斐だと言ってるじゃないか。キミがポルトガで無礼を働かれることがないように、くれぐれもしたためておくことにしよう」

 自分で自慢するだけあって、まぁ、便利な知り合いではあるな。

「ところで、今日はもちろん泊まっていってくれるんだろう?」

 ロランに問い掛けられたマグナは、ちらりと振り返って目で俺に尋ねてきた。

 ああ、いちおう気にしてくれてるんだな——なんだか、あいつがまず俺の気持ちを確かめてくれるなんて、あんまり考えたこともなかったから、ちょっと面映い気分になる。

 俺は、小さくかぶりを振った。

 野郎の根城なんぞに泊まろうモンなら、またアホが図々しく夜討ち朝駆けでマグナに迫るに決まってるからな。

 それは——やっぱり、イヤだ。

 自分が嫉妬深い性質だなんて、思ったことも無いんだが。

 以前の俺は、いい仲になった女が他所の男と昵懇になっても、「ああ、そういうことね」とか勝手に割り切って、自分から距離を置いてた気がする。

 だから俺は、自分が諦めのいい男だと信じてきたんだが——どうやら、人並み程度の独占欲は、持ち合わせてたみたいだ。

 マグナはロランに分からないように、微かに俺に頷いたように見えた。

10.

「ごめんね。今日は、遠慮しておくわ」

「……それほど、先を急いでるのかい?」

「マグナさん、私だったら——」

 途中まで言いかけて、シェラは俺達をきょろきょろ見比べて口をつぐむ。

「え~。せっかく今日は、おいしいものが食べられると思ってたのに~」

「リィナさん!」

 シェラがリィナの袖を引く。なんか、気を遣ってもらっちゃってすまねぇな。

「勝手なお願いをしに来ただけになっちゃって、申し訳ないんだけど……」

「分かったよ。親書の方は、後でキミの泊まっている宿屋に届けさせよう。それで、いいかい?」

 ロランは軽く肩を竦めて、そう言った。

 予想外にあっさり引き下がりやがったな、こいつ。

「うん、お願いするわ……ホント、ごめんね」

「謝罪の言葉を繰り返すだなんて、キミらしくないね。ボクは何も気にしていないよ。キミがボクにとって無慈悲な女王であることは、よく理解しているつもりだからね」

「ちょっ……だから、その女王っていうのは——」

「ああ、それだ。今のその表情の方が、よほどキミに似合っている。主人が従僕の気持ちなど忖度する必要はありませんよ、我が愛しの女王陛下」

 勝手なお願いをした手前だろう。マグナは、それ以上言い返そうとせずに、宿屋の場所を伝えてソファーから立ち上がった。

「会えて嬉しかったよ。またいつでも頼ってきておくれ。ボクは常に、キミの忠実な臣下なんだからね」

「だから、大袈裟だってば……忙しいのに、お邪魔しちゃってごめんね」

「とんでもないよ。キミの為なら、時間なんていくらだって作ってご覧にいれるさ——さぁ、お帰りはあちらだ。これ以上顔を合わせていると、無理にでも引き止めたくなってしまうからね」

 ロランは扉の方を手で示しながら、マグナの肩を抱いてそちらに促す。

 気安く触んじゃねぇよ。

 睨みつけていたら、アホの王様が急にこちらを振り返ったので、俺は少々慌てた。

「君は、少し残りたまえ」

 マグナに対するのとはまるきり異なる尊大な口調で、そんなことを言ってきた。

「え、なに?ヴァイスに、何か用なの?」

「少しだけね。お貸しいただけますか、我が君よ」

 にっこりと優男面に笑顔を浮かべる。

 つか、俺の意思は無視ですか。

 いつもは邪魔者扱いしやがる癖に、こいつが俺に一体なんの用だ?

11.

「さ、ここからは、男同士の話だよ」

「ああ。先に行っててくれ」

 不安げに俺を見るマグナに頷き返す。

 心配すんなよ。ちょうどいい機会だ。このアホが、今後お前にちょっかいかけないように、ナシつけといてやっからさ。

「……分かった。じゃあ、先に戻ってるからね」

 まだ釈然としない様子ながらも、マグナはリィナとシェラを引き連れて部屋を後にした。

 廊下に通じる控えの間の扉が開閉した音が響いて、しばらく——

「——さて」

 切り出しかけたロランを手で制して、俺は足音を立てないように——アホみたいに毛足の長い高級絨毯ならではだ——室内の扉に近寄ると、一気にそれを引き開けた。

「うわっと」

「きゃっ」

「ちょっと——」

 扉の向こう側で、揃って聞き耳を立てていた三人が、折り重なって部屋に雪崩れ込む。

「お前らね……」

 腕を組んで、上から床の三人を見下ろす俺。

 特に、リィナを睨みつけてやった。どうせ、こいつが言い出しっぺだろ。

「ありゃ、バレたか。よく分かったね、ヴァイスくん」

「ちがっ——あたしは、帰ろうって言ったんだけど……」

「あの、すみません……」

 口々に言うマグナ達に、俺は小さく溜息を吐いてみせた。

「心配ねぇっての。いいから、先に戻ってろ」

「……なによ、偉そうに」

「そうだよ、マグナの気持ちも分かってあげなよ。自分を争って二人が喧嘩するんじゃないかって、心配してるんだから。ね~?」

「なっ——違うわよっ!!どうしてあんたは、いっつもそういう——」

 俺はハイハイ言いながら、なんだかんだ口にする三人を廊下まで追い出した。

「無茶しないでよ?」

 閉めようとした扉を押さえて、マグナが心配そうな顔を向けてきた。

「あれでも、いちおう王様なんだからね?ぶったりしたら、タダじゃ済まないのよ?」

 お前に「無茶するな」なんて言われるのは、甚だ心外ですね。

12.

「ンなことしねぇって。信用しろよ」

「……分かった。早く帰ってきてね」

 上目遣いを向けられながらの、マグナのこの台詞には——なんか知らんが、ぐっと来た。

 一緒に暮らすようになって、出かける前に毎日そう言われる情景が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ——うん、悪くない。

「ああ。すぐ戻るよ」

 頷いた俺は、多分にやけてたと思う。

 扉を閉めると、外の声が微かに届く。

「なによ、ヘンな目しないでよ!」

「え~、別にしてないよ?」

「あのね、あんまり帰りが遅いと、あのバカがバカやって牢屋に入れられちゃったんじゃないかとか、要らない心配しなくちゃいけないでしょ?早く帰ってきてっていうのは、そういう意味なんだからね?分かった!?」

 マグナとリィナのやり取りが聞こえて、俺は笑いを堪えながら、ロランの待つ部屋へと戻った。

「悪い。待たせたな」

「構わないさ。結構なご身分だね、君は」

 おや、早速嫌味ですか。ええ、お陰様で、いいご身分ですともさ。

「さて——僕も、君如きと長々と話し込んでいられるほど暇じゃない。早く返せとの、マグナのお達しもあることだしね」

 ムカつく前フリをしてから、ロランは俺を睨みつけた。

「単刀直入に言おう。やはり君は、マグナの側から離れたまえ」

 ロランの台詞は、辛うじて俺の予測の範疇だった。

 最初からここまで言われるとは、あんま思ってなかったけどな。

「いきなり、なに言ってんだ?」

「僕も鬼じゃない。今すぐにとは言わないが——」

「なんであんたに、ンなこと言われなきゃなんねぇんだよ」

「出来るだけ近い内がいいな。早ければ早いほどいい。なに、心配には及ばないさ。君如きがいなくなったところで、マグナはすぐに綺麗さっぱり忘れてしまうよ」

 人の話を聞けよ。

「だから、あんたにンなこと言われる筋合いはねぇよ!!」

 俺が大声を出すと、ロランはあからさまに顔を顰めた。

「うるさいな。君は、僕がつまらない嫉妬心から、こんなことを言っていると思ってるんじゃないだろうな?」

 それ以外に、何があるってんだよ。

13.

「まぁ、君にどう取られたところで、僕はまるで構わないが——」

 だったら、言うんじゃねぇよ。

「ただ言えることは、僕は彼女の為——それしか考えていないよ」

「まるで俺が、マグナの為にならねぇみたいな言い草だな」

 そう返すと、鼻で笑われた。

「そう言っているんだよ。そんなことも分からないから、僕は君に、彼女から離れろと忠告しているんだ」

 何ぬかしてやがんだ、この野郎。

 意味分かんねぇよ。

「納得がいかない顔つきだね」

「当然だろ」

「だが、その頭が飾りじゃないと言うのなら、よく考えてみるといい」

「何をだよ」

「君の知っているマグナは——いちいち男の顔色を窺うような女性だったのか?」

 今度の台詞は、完全に予想外で——

 俺は虚を突かれて、少し口篭もった。

 どこか腑に落ちている自分を、慌てて否定する。

「それは……俺達が決めつけることじゃねぇよ」

 あいつの事だ。あいつがどんなヤツかを決めるのは——

「ハッ、小賢しいことを言うね。君がマグナから、どんな言葉を聞かせてもらったのか、透けて見えるというものだ」

 小馬鹿にしたように、せせら笑う。これまで以上にムカつくな、今日のこの野郎は。

「あんまり知った風な口利いてんなよ。あんたに、俺達の何が分かるって——」

「目を逸らすなっ!!」

 突如、ロランは鋭い声を発した。

「君とて違和感を覚えている筈だ。そうじゃないとは言わせないぞ」

「……何を言われてんのか分かんねぇよ。違和感だと?知るかよ、ンなモン」

「そんな子供じみた、下らない意地張りを聞きたいんじゃない」

 ロランは、これみよがしに溜息を吐いた。

「だから、嫌だったんだ。君みたいな凡庸な男を傍らに置くのは。彼女がどれだけ貴重な存在か、彼女がどれだけ特別かなど、まるで理解しようともせずに、全てを台無しにしてしまう」

「あいつは、台無しになんかなってねぇよっ!!」

 ふざけんな。

 何も知らねぇ癖に。

 俺が、あいつのお陰で、どれだけ——

14.

「そう。今ならまだ間に合う。然して君らが深い仲でない事は、少し見ただけでも分かったからね。だからこそ、出来るだけ早く、君はマグナの元から去るべきなんだ」

「『べき』ってなんだよ。なに勝手に決め付けてやがんだ」

 いい加減にしろよ、このアホが。

「マグナが特別だと?何回か会っただけのお前に、何が分かんだよ。あれか、自分も特別だから分かるとでも言うつもりか?」

「いや、彼女に比べれば、僕なんて平凡な存在に過ぎないさ。ただ、君より多少は付き合い方を心得ている。彼女のような存在に対する、ね」

 ロランは気障ったらしく前髪を掻き上げた。

「君は、僕に彼女の何が分かるのかと問うが——君こそ、彼女のことがまるで分かっていない」

 真面目ぶった顔つきで、真正面から俺を見据える。

 一拍置いて、口を開いた。

「君は、マグナを不幸にする」

 きっぱりと断言されて——不覚にも、息が詰まった。

 落ち着け。このアホが勝手にほざいてるだけだ。

 惜しかったな、ロラン。

 情けなく落ち込んでた昨日の俺だったら、もしかしたら納得しちまったかも知れねぇよ。

 けど、今は——

『それじゃ、自信にならないかな?あたしがそう思ってるくらいじゃ、自信にならない?』

 この程度の揺さぶりでぐらついてたら、あいつに申し訳が立たねぇんだよ。

15.

「言ってろよ。馬鹿くせぇ」

「頑張るね。だが、彼女は君などが、一時の気の迷いで軽々しく思いを寄せていいような存在じゃない」

「気の迷いなんかじゃ……ねぇよ」

 ロランは、俺の呟きなど全く耳に入らなかったように言い募る。

「君では、どう転んだところで彼女を不幸にするだけだ。だから、さっさと彼女の前から失せたまえ。それが、君が彼女にしてやれる最善なんだ。彼女のことを本当に想っていると君が言い張るのならば、彼女の為を第一に考えてやるべきだよ」

「ほざけよ。言われなくたって、あいつの事は考えてるさ。あんたとは、結論が違うみたいだけどな」

「やれやれ。今はつまらない意地が邪魔をして、僕の言葉を受け入れられないのは止むを得まいが——その内、僕が正しかった事を、君はしみじみと思い知ることになるさ」

 なにやら据わった目をして、ロランは俺を睨みつけた。

「約束したまえ。僕の言葉を理解する時が訪れたなら——君が側に居ては彼女を不幸にすると理解したら、その時は必ずマグナの元から立ち去るんだ」

「来ねぇよ、そんな時は」

 俺は、ロランを強く睨み返してやった。

「俺は、絶対にあいつを不幸にしたりしない」

 買い言葉っぽくなっちまったが——俺にしては、珍しいくらいに断言できた。たとえ勢いであれ、そう言えたことで、決心がより固まった気がした。

「それでいいさ。いいか、絶対に彼女を不幸にするんじゃないぞ」

 ロランはふっと表情を緩めて、にやりと笑った。

 よく分かんねぇけど、今のやりとりは、俺の覚悟でも試したつもりなのか?

 だったら、余計なお世話だよ、このアホが。

「話は、それだけだ」

 ロランは、しっしっと手で追い払う仕草を俺に向けた。

「さっさと行きたまえ。僕には本来、君と話しているような時間は微塵も無い」

 この野郎。

「……俺も、あんたなんかと話すことは、ハナから何もねぇよ」

 こいつも大概、素直じゃねぇな。

 焼餅やいてんなら、最初っからそう言えってんだ。

 まぁ、どんな泣き言をほざいたところで、お前なんぞの出る幕は今後一切作ってやらねぇけどな。

 遠く離れたところから、俺とマグナのことを、せいぜい指を咥えて眺めてやがれ。

16.

 アホの王様のお陰ってのが癪に障るが、そんな訳で俺達は、さしたる問題も無くポルトガに渡ったのだった。

 親書の威力ってのがまた胸糞悪いんだが、無事にお目通りが叶ったポルトガの王様は、ノルドへの口利きの代償として、とある交換条件を提示してきた。

 東方で採れるという黒胡椒を持ち帰り、且つ彼の地で見聞したことを報告しろと言うのだ。

 まぁ、ついでだし、大して難しいことでもなさそうだし、ここまで来て断わる理由も見当たらなかったので、俺達はそれを承諾した。

 ポルトガでの出来事で、他に特筆すべきことが二つあった。

 ひとつは、城に出入りしていた商人から、神殿の話を聞けたことだ。

 これは俺達にとって、ちょっとした事件だった。

 なにしろ、アリアハンでシェラが出会ったという占い師を除いて、神殿の存在を知っている人間に、初めて遭遇したんだから。

 尤も、その商人も風聞以上のことは知らなかったが、全く無関係の第三者が噂を聞いていた事実は、怪しい占い師の婆さんが適当な与太をほざいただけ、という疑念を晴らす程度には俺達を力づけた。

 どうやら神殿は実在すると信じてもよさそうだ。

 もうひとつは、魔王バラモスに呪われたという男女と出会ったことだった。

 魂消たまげた話だが、男の方は昼間は馬の姿で夜中だけ人間に戻り、女の方は逆に昼は人間の姿で夜は猫に化けちまうのだ。

 つまり、お互いに人間の姿で恋人と顔を合わせる時間が無い訳で、会おうと思えばいつでも会える距離に居る分、余計にせつなさがいや増すと、事情を知ったシェラなんかは心を痛めていた。

 しかし、バラモスに呪われたってのは、ホントなのかね。街の連中が、憶測で噂してるだけなんじゃねぇの。

 だってよ、魔王ともあろうモン自らが、取り立てて変哲も無い普通の男と女に、こんな細かい呪いをかけたりしねぇと思うんだけど。

 それよりは——なんとなく、ふと思ったんだが。

 これは、魔物が人間を理解する為の、ある種の実験なんじゃないだろうか。

 男女の周囲で、時折黒い影が目撃されるという証言が、俺の中で思いつきを確信に近付ける。

 理解と言っても、仲良くなる為だとか、もちろんそんな理由じゃない。より人間を上手く利用する為だ——例の黒マントの魔物が脳裏を過ぎり、俺は怖気を振るってそれ以上考えるのを止めた。

17.

 ポルトガ王が持たせてくれた手紙は、ノルドに対して効果テキメンだった。

 最初はけんもほろろに洞窟から追い出されかけたんだが、渡した手紙を読んだ途端に、ノルドの態度が一変したのだ。ホントにどういう関係なんだかな。確かめるのを忘れちまったけどさ。

 ホビットってのを拝んだのは初めてだったが、その小ささにはびっくりした。背丈は俺の腰よりちょい高い程度しかなくて、人間で言えば子供もいいトコなのに、顔つきはどう見てもおっさんだ。

 俺には到底そうは思えなかったが、シェラやリィナは可愛い可愛いはしゃいでいた。リィナに抱きかかえられて、空中で足をジタバタしてる様は、確かにちょっと笑いを誘ったけどな。

 見てくれとは不釣合いに力が強くて、ノルドが振るうツルハシは硬い岩盤をあっさりと崩し、その奥に隠された抜け道を出現させた。

 ノルドに見送られて、その『バーンの抜け道』とやらを進み、大山脈の東に這い出したまではよかったが——そこから先が、大変だった。

 これまでより魔物が強くて、数が多いのにもまいったが、それよりなにより、とにかく勝手が分からない。

 辺りに人の気配は、まるで無し。

 どこに人間の集落が存在するかも分からない状態で、ひたすら東へ進むしかないという状況は、精神的になかなか堪えるものがあった。

 道行きもこれまた険しくて、大山脈より全然低いとは言うものの、山岳地帯が延々と続き、ようやく越えたと思ったら鬱蒼とした森林が行く手を阻み、それを抜けたと思ったらまた山だ。

 ひと月以上が経過して、いい加減うんざりした頃に、ようやく周辺に人間が住んでいることを示す街道を見つけた時は、心の底からほっとした。

 地面もずいぶんとなだらかになり、足取りもはかが行くようになってしばらく。

 その日も街道を東に向かって歩いていると、後ろから蹄や荷車の音が近付いてきた。

「こりゃ驚いたね」

 俺達に追いついて横に並んだ騎馬の上から、頬に傷のある男が身を乗り出してこちらを覗き込む。

 振り向いて確かめると、少し離れていくらかの人馬、さらに後方に荷車の列やそれを囲む護衛連中が目に入った。規模は大したことないが、隊商のようだった。

18.

「魔物がウヨウヨしてるこのご時世に、たった四人ばっかしで、しかも歩きで旅するなんて、どこのバカかと思ったら、こんな可愛らしいお嬢ちゃん方たぁねぇ」

 隣りに並んだ騎馬は、場慣れした雰囲気からして、おそらく先導を受け持つ護衛のひとりだろう。

「一体、どういう事情なんだか、さっぱり見当もつかねぇが——いやいや、俺っちの眼も、フシアナじゃあねぇんだ。可愛いお顔に似合わず、ずいぶん腕が立ちそうだってのは分かるけどよ」

 マグナが胡乱な目つきを投げかけると、男は愛想笑いを浮かべた。

「なんてな。四人ぽっちでこんなトコを歩いてんだ、腕が立つのは当たり前ってかい。けどよ、どこまで行くんだが知らねぇが、いかにも危なっかしいぜ。死にたい訳じゃあねぇんだろ?」

 どん、と胸を叩く。

「どうだい、よければウチで護衛として働けるように、俺っちがハナシを通してやってもいいんだぜ?」

「結構よ」

 隊商にいい思い出の無いマグナは、にべもなかった。

「おいおい、そうスゲ無くすんなって。ジツはよ、少し前に護衛が何人か魔物にやられちまってさ、ちっとばっかし数が足りねぇんだ。お互いの安全の為にも、どうだいひとつ、ここは俺っちのハナシの乗ってみちゃあ」

「そうは見えないけど」

 マグナがちらりと後ろを向いて呟くと、男はあっさり観念した。

「ああ、いや、まぁなぁ、数は足りてるっちゃあ足りてっかな。足りてねぇのは、潤いってヤツでね」

「そんなことだと思った」

「いやなに、別に不埒を働こうってんじゃあねぇんだ。そんなヤツぁ、ウチにゃあ居ねぇよ。それに、不埒の相手にゃ、お嬢ちゃん達はちと若過ぎらぁ。ただよ、なんてんだ。ウチにはとにかく、女っ気が少なくってね」

 ぽりぽりと指で頬の傷跡を掻く。

「旅は道連れ——ってぇ言うじゃあねぇか。今日この時、おんなじ道の上を歩いてるってぇのも、これも何かの縁だと思わねぇかい?そっちの都合のいいトコまでで構わねぇからさ、野郎共にちっとばっかし潤いってヤツを与えてくれりゃあ、それでいいんだけどな」

「お断り。あたし達は、そんなんじゃ——」

「マグナさん」

 シェラが、マグナに耳打ちをした。

19.

 ひそひそ声の内容が、辛うじて俺の耳にも届く。

 ここに来るまでに、俺達は持ってきた食料のほとんどを消費していた。それで最近では、山菜や木の実を集めたり、そこらの小動物を狩ったりして糊口を凌いでいたんだが、つまりシェラは、食べ物を分けてもらおうと提案したのだ。

 これにはリィナも賛成してみせると、マグナは渋々頷いた。

「護衛の話はお断りだけど、お願いならあるんだけど——」

 かなり手前勝手なマグナの要求は、すぐに本隊の方に諮られて、思ったより簡単に了承された。

 ただし、日暮れにキャンプを張った後でならという話で、その日は行動を共にするのが条件だったが。

 俺としちゃ、女日照りの野郎共に、ウチの娘共があれこれちょっかい出されるんじゃないかと危ぶまずにはいられなかったんだが、結局それは杞憂に過ぎなかった。

 小ぢんまりとした隊商は、どことなく家族のような雰囲気で、どいつも拍子抜けするくらい気のいい連中が揃っており、その晩は思いのほか楽しいひと時を過ごしたのだった。

 シェラは、食い物を分けてもらったお礼のつもりか——ちゃんと金は払ってんだから、そんなに気を回すこともないのにな——張り切って飯を作ってやったりして、大層な評判を得ていたり。

 リィナは、何人かの護衛と余興じみた手合わせをして、相手が油断していたことも手伝って、あっさり全員ぶち倒してしまい、やんやの歓声をもらったり。

 マグナは、騙されて飲んだ酒ですっかり酔っ払っちまって、隊商の連中にゴロ巻いて苦笑されたりしていた。

 これはさすがに放っておけずに、監視と介抱を兼ねて隣りに座っていたら、いつしか俺の肩に頭をもたせかけて目を閉じていた。

 マグナの枕になりながら、周りの連中とバカ話に興じて飲む酒は、久し振りに美味い酒だった。

 連中からは、先の様子も聞くことが出来た。残念ながら、神殿の噂を知ってるヤツは誰もいなかったが、ずっと東のバハラタという街なら、黒胡椒が確実に、しかも大量に手に入るという話だ。

 これといった当ても無いまま、ひたすら東を目指すんじゃなくて、目的地がはっきりしたのはありがたかった。

20.

 やがて夜も更けて、気が付くとシェラは端っこの方で丸まって寝息を立てており、リィナがそのすぐ近くで、手合わせをした連中と身振りを交えながら話し込んでいる。

 何気なしにそちらを見ていた俺の耳に、少し離れた場所から、とある会話が届いた。

「——で聞いたんだけどよ、グルザリんトコは、やっぱり魔物にやられちまって全滅だったらしいぜ」

「おお、ヤダヤダ。イヤな話だねぇ」

「明日は我が身ってかい」

「まったくよ、いつまであのクソッタレの魔物連中とお付き合いしなきゃあならねぇんだかなぁ」

「アレだろ?要は魔王ってのがいなくなりゃ、それでいいんだろ?」

「ああ。嘘かホントか知らねぇが、そいつさえ倒しゃあ、魔物がすっかり出なくなるってぇ話だわなぁ」

「けどよ、魔王なんてのが、ホントに居るんかね」

「おい待てコラ、最初にそいつを聞きつけてきやがったのは、確かお前ぇさんだったんじゃねぇのかよ。今さら、何をほざいてやがんだ」

「そうだぜ。言い出しっぺなんだからよ、ちょっと行ってちゃちゃっとヒネってこいや」

「バカこけ。とんでもなく強ぇって話だぞ」

「いや、お前ぇさんなら出来る!ほれ、さっさと行ってこい!」

「よせやい。冗談でも、ご免だね。俺ぁ命が惜しいんだ」

「ちっ、根性無しが」

「なんとでもほざけ」

「あ~あ。誰でも構わねぇから、その魔王ってクソッタレをぶっちめてくんねぇかなぁ」

「お上は、何やってやがんだかなぁ」

「つっても、軍隊でも敵わなかったってんだろ?」

「やれやれ。そんじゃやっぱし、あの愉快な魔物連中と、今後とも末永くお付き合いしていかなきゃならねぇってぇ寸法かい。なんともご機嫌な話じゃあねぇかよ」

「いや、待てよ。ありゃどうなったんだ」

「アレってドレよ」

「いやさ、そのクソッタレ魔王をぶっ殺そうとなさってる、大層ご立派なお方がいなさるってな話だったじゃねぇか」

「ああ、勇者サマな」

21.

「その勇者サマってのも、一体なにやってやがんだかなぁ。倒すってんなら、もたくさしてねぇで、さっさとやっちまって欲しいぜ」

「なにバチ当たりなことぶっこいてやがんだよ、この野郎は」

「痛ぇな。なにも叩くこたねぇだろうが」

「うるせぇ。お偉ぇ方にゃ、お前ぇみたいボンクラにゃあ分かんねぇ、ふっか~いお考えがおありなさるんだよ」

「つっても、魔物に襲われたってぇ話は増えるばっかだしよ。早いトコなんとかしてもらわねぇと、俺らみたいな庶民にとっちゃ、いい迷惑だわな」

「んでもよ、魔物が出なくなったらなったで、今みたいな護衛の仕事も無くなっちまって、俺らはおまんまの喰い上げじゃねぇのか」

「おっ、ボンクラが、賢しいことをほざくじゃねぇか」

「違ぇねぇや。俺らにとっちゃ、魔物サマサマって訳だ——」

 こいつら、他人事だと思って好き勝手言いやがって。という気持ちは、あまり沸かなかった。

 俺もきっと、マグナと出会ってなかったら、似たようなことを考えただろうから。

 ただ——マグナには、あんまり聞かせたくねぇ会話だな。

 俺は、ちょっとマグナの方を窺った。

 相変わらず俺の肩に頭をもたせかけて、会話が耳に入った様子はない。周り中でわいわい騒いでるし、俺もたまたま耳にして意識をそっちに向けたから聞き取れたようなモンだから、まぁ大丈夫そうかな。

 連中の会話が別の話題に移ったので、俺もまた近くの適当なバカ話の輪に戻った。

 そんな出来事があったのを、忘れかけた頃だった。

「……気持ち悪い」

 肩に動きを感じてそちらを見ると、マグナが手で口を押さえていた。

「大丈夫か?」

「……違うトコ行きたい」

 吐きそうなのか?

 こいつ、酒弱いのに、結構強いの飲まされてたからなぁ。

「じゃあ、もうちょい静かなトコ行って、風にでも当たるか?」

 俺が尋ねると、口を押さえたまま無言で頷く。

 肩を抱えて一緒に立ち上がると、周りの連中から冷やかされた。あのな、お前らが騙して酒なんか飲ませた所為なんだからな。

22.

 人気の無いところを探して、馬車の裏手に回る。

 ここのところ、夜中は特に肌寒くなっていた。多分、冬が近付いているんだと思う。常に移動してるし、俺が知ってる季節とは逆らしいから、今がどうなってんだかいまいちよく分かんねぇけどさ。

 ともあれ、焚き火から離れると空気はすぐに冷たくなって、酔い醒ましにはもってこいだった。

「大丈夫か?」

 声をかけても返事をせずに、マグナは両手で俺の腕を掴んで下を向いた。

「座った方がよさそうか?辛かったら、無理しないで吐いちまえよ」

 そう言うと、マグナは小さく頭を横に振った。

「……絶対、イヤ」

「なんで?楽になるぞ」

「……ダメだったら」

 なにを頑なに拒否しとるんだ、こいつは。

 と思ってから、はたと気付く。

「あ、わり。俺、向こうに行ってた方がいいか?」

 吐くトコを見られたくはないわな。

「やだぁっ!」

 だが、マグナは俺の腕を離さずに、逆に強く握り締めて、少し甘えた声を出した。

「……一緒に居てよ」

「ああ……うん」

 こいつ、酔っ払うと、口調とか態度が微妙に甘えた感じになるよな。いや、普段はまずお目にかかれないから、大変結構な酔い方ではあるんだけどさ。

「大丈夫だ。どこにも行かねぇから」

 とりあえず、マグナをゆっくりと座らせて、俺もその後ろに腰を下ろす。膝に頭を押しつけて動かないマグナを、脚の間に挟んで後ろから軽く抱きかかえた。

 マグナの背中と接している、体の前面が暖かい。

「我慢できなくなったら、ちゃんと言えよ?」

 微かに頷く素振りを見せる。

23.

 これは、あれかな。

 酔って気持ちが悪かったのも、ホントなんだろうけどさ。

 さっきの会話が、聞こえちまってたのかな。

 なんとも言えない思いが胸を満たして——俺はそのまましばらく、マグナを抱え続けた。

 こいつはきっと、俺なんかよりずっと強いけど、どこもかしこも強い訳じゃなくて。だからせめて、支えが必要なところだけでも、支えてやれればな。

 その為にも——

 ずっと、一緒に居よう。

 なんて決心したところで、いずれは邪魔者扱いされて、追っ払われちまうかも知れねぇけどさ。

 少なくとも、自分からこいつの元を去ることだけはしないでおこう。

 とか照れ臭いことを考えている内に、今度は本当にマグナは眠っていた。

 向こうの連中の話し声に掻き消されそうな小さな寝息が、微かに聞こえる。

 ちょっとは安心ってヤツを与えてやれてんのかね、俺も。

 ふと、マグナの頬にキスしたくなって——体勢的に届きそうもないし、起こしちゃ悪いから、苦笑して諦める。

 やがて、焚き火の方でも床につく連中が増えてきたらしく、徐々に会話が減った頃合に、俺はマグナをお姫様だっこで抱えて眠りに戻った。

 そんな風にして世話になった隊商と別れて、三日後のことだった。

「——あれ?」

 最初に発見したのは、やはりリィナだった。

 目の上に片手で庇を作って、街道の先をしばし窺う。

「どうしたの?」

 マグナの問いかけに、珍しくリィナが口篭もった理由は、ほどなく知れた。

 そこから街道を少し行った先で、徒歩の俺達に先行していたあの隊商が壊滅していたのだ。

 魔物に喰い散らかされたと思しい人や馬がそこらにゴロゴロ転がっていて、荷馬車もどれも破壊され、見るも無残な有様だった。

 食い千切られたはらわたを晒した死体——辛うじて頭は残っていて、頬についた傷跡から、最初に声をかけてきたあの護衛と知れた——を目にして、ついにシェラが我慢しきれずに、少し吐いた。

 正直、俺もこみ上げるすっぱいものを呑み込むのに苦労した。

 しばらく、誰も口を利かなかった。

「埋めてあげましょ」

 やがて口を開いたのは、マグナだった。

「あたし達に出来るのは、そのくらいだわ」

 そう呟くマグナの顔や声からは、表情が抜け落ちていた。

24.

 道端に穴を掘って、つい三日前に一緒に焚き火を囲んで笑い合っていた連中を埋めてやりながら——俺は心配で、マグナの方を何度も振り返った。

 例えばさ。

 魔物なんてのが存在してなかった時代でも、野獣に襲われたり、野盗の標的になったりして、同じような目に遭う連中は居たと思うんだ。

 それにさ。

 こいつらだって、危険は承知の上で商売したり護衛に就いたりしてた訳で、ただちょっとだけ、他の生き延びてる連中より運が無かっただけなんだ。

 だからさ。

 気に病むなよな。

 魔物がやらかすことに、お前が責任を感じる必要なんてねぇんだ。

 こういう不幸を全部、お前が独りで背負い込まなきゃいけない不条理なんて、俺は認めねぇよ。

 少し離れた場所で、鞍を乗せた馬が三頭、のんびりと草を食んでいた。隊商の連中が逃がしたのか、綱が切れて勝手に逃げ出したのか。運良く災難から逃れた生き残りだった。

 俺達は相談して、その馬共を一緒に連れて行くことに決めた。

 人に慣れた馬が、こんなところで放されても、遠からず魔物の餌食になっちまうのがオチだろうしさ。せっかく生き延びたんだ、せめてこいつらだけでも助けてやりたい——多分、全員がそんな風に思っていた。

 あんまり得意じゃないんだが、アリアハン時代に経験があるので、俺はなんとか馬に乗れる。マグナも、お袋さんに乗馬も仕込まれたらしい。

 意外なことに、シェラも乗れるそうなんだが、とりあえずリィナと同乗してもらうことにして、俺達は馬共のお陰で、それまでとは比べ物にならないくらい速度で、バハラタに向かったのだった。

 なんていうか、あの隊商の連中には、最期まで世話になっちまったな。

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