22. Dirty Mind

1.

 悪夢を見た。

 マグナが、死んじまう夢だ。

 場所も、相手もはっきりしない。

 俺は、何も出来なかった。

 ただ見ているだけで、何も出来なかった。

 あいつも、俺に助けを求めなかった。

 夢の中で抱く、奇妙な確信。

 リィナやシェラは、そこにいて。

 あいつと一緒に、側にいて。

 俺だけが、空気みたいに——

 居ても居なくても同じだった。

 俺だけが、何も出来ずに。

 何をする力も無く。

 何をする覚悟も無く。

 あいつが死んじまうのを。

 ただ、眺めていた。

 景色を透かしてゆらめく。

 二つの炎。

 ゆらゆらと。

2.

 窓から差し込む陽光は、橙色を帯びている。

 もう夕方だ。

 俺はベッドの上で、じっとりと汗ばんだ身を起こした。

 二度寝というより、昼寝をし過ぎたせいか、体がダルい。それとも、フテ寝に近い精神状態が、体調にまで影響しているのか。

 ピラミッドで、どうにかこうにか『魔法の鍵』を手に入れた俺達は、既にアッサラームに戻っていた。

 アイシャの仲間が例の秘密の通路に張り込んで、盗賊がそこを通るのを見張っている。今は、その報告を待っているところだ。

 過酷な砂漠の旅を終えたばかりの俺達は、丁度いい骨休めとばかりに、報告が入るまでは思い思いにのんびりさせてもらっている。

 まぁ、日がな一日ベッドでゴロゴロしてんのは、俺だけだろうけどな。

 なんか——なんもする気が起きねぇ。

 飯を食う以外は起き上がる気力も無く、景気の悪いツラをあいつらに見せるのも気が引けて、だらしなくベッドに寝そべりながら、鬱々とした気分を持て余しているのだ。

 なんでここまで塞ぎ込んじまってるのか、自分でもよく分からない。

 ビラミッドに入る前にマグナに指摘された図星は、確かに堪えちゃいるが——この先、あいつとどう接していけばいいのか、さっぱり答えが見つからないのも、この閉塞感に拍車をかけているのは間違いないけどさ。

 それだけじゃない。

 マグナのことだけじゃねぇんだ。

 なんか、その時は大して気にも留めないまま過ぎていったあれやこれやまでが、今さら急に憂鬱な意味を帯びて、少しづつ俺の気分を蝕んでいる。

 嫌な感じだ。

 面倒臭ぇ——と頭の中で考えて、今の気分を上手いこと表現する言葉に思い当たる。

 つまり——これは、「人間関係の悩み」って訳だ。

 だから、敬遠してたんだよな。

 他人に深入りすんのはさ。

 こうなる事が分かってたから——

 そう考えちまった自分に対して、落胆の溜息を吐く。

 そんなじゃない筈だったんだけどな。

 いい加減な気持ちじゃなく。

 これまでに無いくらい、本気で付き合ってるつもりだったんだ。あいつらとは。

3.

 けど——やっぱり、何も変わっちゃいなかったのかも知れない。

 だからこそ、俺が口にしてきたのは、その場しのぎの適当な言葉でしかなくて。

 思い返してみれば、俺はあいつらに対しても、本心なんてほとんど口にしてこなかった気がする。

 いや、ちょっと違うな。

 追い詰められて余裕が無い時ほど、俺は何も言えなくなっていたんじゃないか。

 つまりは。

 本心ってのを、どうやって口に出せばいいのか、それが分からない人間なんじゃないのか、俺は。

 こいつは今、俺にどうして欲しいのか。何を言って欲しいのか。そう考えて、相手を気遣う言葉を口にすることはできる。

 けど、それは果たして、「俺の言いたい言葉」だったろうか。

『誰かに相談する時って、もう自分の中に答えがあるモンなんだよ』

 俺は偉そうに、シェラにさとしたことがある。

 要するに俺は、相手のうちに既に存在する答え——言わば正解を探すことばかりに汲々として、自分の本心なんて、ほとんど伝えてこなかったんじゃねぇのか。

 その癖、求められた態度や言葉を与えることが出来たのか不安で、あいつらの本心は確かめようとする。

 我ながら、小賢しいね。

 相手の裡から拾った言葉は、俺の言葉じゃない。それを口にするだけなら、ここに居るのは俺じゃなくても構わない

 結局、そういう取り替えが利く程度の付き合いしか、出来てなかったって事じゃねぇのか。

 下手に頼られて面倒を背負い込まないように、他人と深く関わらない。

 それが身に染み付いちまってる俺は——

 あいつらと本気で向かい合ってるつもりで、無意識の内に、以前と同じような接し方しかしてこなかったんだろうか。

 あ、いかん。

 なんか——また、落ち込んできた。

 実際、別に俺じゃなくても良かった筈だ。

 戦闘に関しちゃ、俺と同レベルの魔法使いなら同程度には役に立ったろうし、戦闘以外では、他のヤツの方がよっぽど上手くやったかも知れない。

 むしろ、あの時あいつと——マグナと出会ったのは、俺じゃなかった方が良かったんじゃねぇのか?

 なんかさ、これまでの人生に無く気張ってるつもりだったのに、俺ってロクに役に立ってねぇっつーか。

 頼りにならねぇっつーか。

 ついこの前の、ピラミッドの時だって、そうだった。

4.

 アルス野郎の忠告も虚しく、結局俺達は地下に落ちちまったんだが、魔法が封じられたそこでは、俺は本当の役立たずだった。

 シェラはさ、まだいいんだ。元々戦闘要員って訳じゃないからな。

 だが、俺は——

 魔法を唱えられない魔法使いなんて、冒険においては普通の人間以下もいいトコだぜ。役に立たねぇどころか、足手まといにしかなりゃしねぇ。

 亡者を相手に、次第に傷ついていくあいつらを眺めながら、俺はそのケツに隠れて歯噛みすることしか出来なかった。

 ピラミッドの最深部、宝物庫へと続く扉に行く手を阻まれた時も、俺は何の役にも立ちゃしなかった。

 押しても引いても開かない扉の謎が解けたのは、イシスの王宮で小耳に挟んだだけの、ガキが唄っていたわらべ歌を、マグナが丸暗記していたお陰だった。

 まったく、あいつの記憶力にゃ恐れ入るよ。俺がこれまで口にした、その場しのぎの台詞も全部、ちゃっかり覚えてやがんのかね。

 そもそも、武闘大会だって参加したのはリィナとマグナで、俺は端から呑気に見物していただけだ。

 その間に、シェラはちゃんと自分の問題と向き合ってたってのによ。

 俺は、ロクに何もしちゃいない。

 オアシスであいつらを助けたのだって、あのクソオヤジで——あいつにも、頼りにならねぇとか言われるし。

 砂漠に入ってからこっち、俺があいつらにしてやれた事と言えば、性懲りも無く適当なことをほざいて、マグナを怒らせちまったくらいのモンだ。

 まいったね。

 なんてこったよ。

 ホントに頼り甲斐ねぇんだな、俺って。

 マグナがどっかに落ち着いて、普通の暮らしを送れるようになるまで、ちゃんと面倒見てやるだとか、どのツラ下げてほざいたんだかな。

 リィナにしても、何度聞いたって、悩みを俺に打ち明けようとはしねぇしさ。

 それとも、おっさん。あいつはあんたには見せたのかよ。どもり君——ブルブスに見せたみたいな、俺には見せねぇ顔をよ。だからあんたは、あんな分かった風な口を利きやがったのか?

 シェラだって——あいつだって、自分で自分の問題を乗り越えようとしている。

 結局、俺はあいつに何もしてやれてない。

 リィナと違って、あいつには相談されたのに——そうだよな。

 思わず、自嘲が漏れた。

 こんな体たらくじゃ、リィナだって、俺なんかに相談する気にゃなれねぇよな。

5.

 そもそも俺は、マグナにだって、何も応えてやれなかったんだ——

 最悪だ。

 もちろん、あいつらが、じゃない。

 俺だ。

 深入りする覚悟も無いままに、ズルズルと流され続けているだけの俺が、最悪なんだ。

 このままじゃ、いつか——

 さっき見た悪夢が、現実になりそうで——

 胸が苦しくて、吐きそうになる。

 俺が頼り無い所為で、あいつが死ぬなんてこと——耐えられねぇよ。

 どうすりゃいいんだろう。

 これでも俺は、覚悟を決めて本気であいつらと付き合ってるつもりだったんだ。

 けど、それが単なる錯覚でしかなかったら——

 俺は、あいつらと一緒に居ない方がいいんじゃないか。そう考えちまうのを、止められない。

 俺は——自分が信用できなくなっちまった。

 いや——そんなの、元からか。

 こんな俺が、あいつと——マグナと一緒に居て、いいのかよ?

 あいつの隣りに、居ていいのかよ?

 俺が、嫌だよ。

 俺みたいなのが、こんな頼りねぇのが、あいつの側に居るなんて、俺が許せねぇよ。

 それとも、こんな風に考えてる事自体、ただの自惚れなのかね。

 だってよ、頼りにされてるって前提さえなけりゃ、別に頼りにならなくてもいい訳で。

 魔法使いとしての役割だけ無難にこなして、後は適当にあいつらに合わせてヘラヘラしてりゃ、それで充分なのかも知れねぇな。

 そうだよな。

 あいつらだって、別に俺なんか、大して頼りにしちゃいねぇだろ。それなのに、こんな事で悩んでる俺が、滑稽なだけなんじゃねぇのか?

 そう考えても、気が楽になるどころか——

 一層落ち込んじまった。

 元々、柄じゃなかったんだよな。勇者様ご一行なんてさ。

 適当に日銭を稼いで、その金で適当に遊んで、ヘラヘラしながらなんとな~く生きてんのが、家をおん出たしがねぇ農家の次男坊にゃ、お似合いの暮らしってモンだろ。

 今からでも、そうすべきなんじゃねぇのか——

 俺が卑屈なことを考えていると、ふいにノックの音が聞こえた。

 なんだ?アイシャの仲間から、報告が入ったのか?

 大声で返事をする方が億劫で、俺はのろくさと身を起こした。

6.

「や、ヴァイスくん。元気~?」

 扉の外にいたのは、リィナだった。

「——じゃないみたいだねぇ。ひっどい顔してるよ?」

 そうだろうな。

「悪ぃ」

「なんで謝るかな。もしかして、ずっと寝てたの?」

「まぁな……アイシャから報告が入ったのか?」

「ううん。まだみたい」

「じゃあ、なんで……なんかあったのか?」

「ん~?特に用事は無いけど」

 言いながら、リィナは俺の脇をするりと抜けて、部屋に入った。

「よし、ちょっと運動しよう!」

 振り向いて、そんなことを言ってくる。

——なんの運動に付き合ってくれるってんだよ。

 喉まで出かかった台詞の呑み込み、ベッドに向いた視線を急いで引き剥がす。

 どこまで卑屈になりゃ気が済むんだ、俺は。

「いきなりだな」

「だって、いつでも運動に付き合うって、前に約束したしね。体を動かせば、ちょっとは気分も晴れるよ」

 ああ、そんな約束覚えててくれたのか。

 でも、悪ぃけど、そんな気分にゃ——

「はい、後ろ向いて。両手上げて」

 肩を掴んでくるっと後ろを向かされて、両手を無理矢理上げさせられる。

 されるがままだ。

 リィナは背中合わせにぴったりと身を寄せると、頭の上で俺の手首を掴んだ。

 二人とも薄着だから、布越しにすぐに体温が伝わる。

 ああ、くそ、こんな時ですら、俺は——

「ほい」

——ぐがっ!!

 背中合わせに俺の手首を掴んだまま、リィナは前に腰を折った。

 思いっ切り仰け反った俺の背骨が、ゴキゴキゴキと物凄い音を立てる。

 やましい気分なんて、一遍に吹っ飛んじまった——つか、痛ぇいてぇっ!!

7.

「うわっ、すご」

 言いながら、リィナは腰の上に俺を乗っけたまま、ゆさゆさと体を揺する。

 バカ、止めろ、吐くばっかで息吸えねぇ。

 ジタバタ暴れて、なんとか床にボトリと落ちて逃れる。

「ちょっとヒドいね、ヴァイスくん。これは、まず体ほぐさないと」

 いいよ。止せ。遠慮しておきますから。

 なんて言葉にリィナは聞く耳を持たず、そっから先は地獄の責め苦だった。

 床に座らされたと思ったら、後ろ手を掴まれたままぐいぐい膝で背中を押されたり、無理矢理力づくで脇を伸ばされたり、あり得ないくらい股を裂かれたり、足を伸ばしたまま上体を押し潰されたり、途中から何をされてるのかよく分かんなくなってきた。

 ずっと痛ぇ痛ぇ言ってんのに、全然取り合いやしねぇんだ、これが。

「まぁ、こんなトコかなぁ」

 ようやくリィナが身を離した頃には、俺はほとんど瀕死だった。

「どう?気持ち良かったでしょ?」

 ふざけんな。と言い返すのもかったるい。

「そいじゃ、ちゃんとした準備運動は外でするとして……そろそろ体動かしに行こっか?」

 いやいや、待てまて。じゃあ、今のはなんだったんだ。

「もう……勘弁してください」

「へ?まだ全然、体動かしてないよ?」

 床にぐったり寝そべってるこの姿を見て、お察しください。

「前にも言っただろ……お前の稽古に、俺が付き合える訳ねぇっての」

 よろよろと身を起こす。情け無かろうがなんだろうが、無理なものは無理なんだ。

「そう?体動かすと、頭の中のモヤモヤとか抜けてく感じで、気持ちいいんだけどなぁ」

 そうかも知んねぇけどさ。

「ヴァイスくんだって、しょっちゅう長い距離歩いてる訳だし、そんな体力無い訳でもないでしょ」

「毎日とんだり跳ねたりしてるお前とは違うっての——お前がふらっと居なくなる時って、やっぱ大抵は稽古してる訳だろ?」

「うん、まぁ。軽くだけどね」

 絶対、軽くじゃない筈だ。

「よくやるよな」

 お前は、偉いよ。

「そんだけ強ぇのに、まだ足んねぇのか?」

「いや~?ボクなんて、まだまだ全然だよ」

 どうやら本気っぽい口調で、そんなことを言うのだった。

8.

「お前より強ぇヤツなんて、そうそう居るとは思えねぇけどな」

「そんなことないよ~。ボクが知ってるだけでも、たっくさんいるよ」

 ホントかよ。うんざりするね。

「それに、ボクはまだ技に頼り過ぎだし、手数かけ過ぎだしね。ホントに強い人って、もう技とか手数とか要らないんだよ」

「要らない?」

「うん。あのね、どんな相手でも一撃で倒しちゃうの」

 はぁ?

「技とか覚えるのは、要するにその絶対なる一を得る為の過程でしかなくて——」

 いや、ちょっと待て。

「どんな相手でも?」

「どんな相手でも」

「一撃で?」

「一撃で」

 なんか、ピンと来ねぇな。

 そんな都合のいいこと、あるのかよ。

 ふと、腕白坊主の顔が脳裏を過ぎった。

「それってつまり、フゥマの必殺技みたいなことか?」

 そう問うと、リィナは苦笑してみせた。

「う~ん、どうだろ。フゥマくんは、一撃に賭けるって考えに自分で辿り着いたみたいだから、それはそれで凄いとは思うけどね。ああいうのとは、ちょっと違うかな」

 よく分かんねぇな。

「もっと何気ない感じっていうか、気負いが無いっていうか……ボクも実際出来ないから、上手く説明できないけどね」

 なんにしろ、俺には縁の無い話だな。

「元気、出てないみたいだねぇ。ごめんね、余計なことしちゃったかな?」

 リィナが、俺の顔を覗き込んできた。

「いや、ンなことねぇよ」

 気を遣われると、余計に情け無くなるね。

 俺は、上手く笑えなかった。

 まったく、こいつは偉いよ。あんだけ強くても、慢心もせず己を高めようとしてる訳だろ、言わば。

 内心の悩みを見せようともしねぇでさ——

 俺とは、全然違う。

9.

「——そうだ。体をほぐしてくれたお礼に、お前が知らない運動を教えてやるよ」

 リィナは、首を傾げた。

「ん?ヴァイスくんが、教えてくれるの?」

「ああ」

 ぐるっと部屋を見回してから、ベッドを手で示す。

「そうだな……そこのベッドに寝そべってみてくれ」

「こう?」

 リィナは、素直にベッドに乗った。

「いや、うつ伏せじゃなくて、仰向けに——そう。もうちょい端に寄ってくれ」

「これでいい?」

「ああ。それでいい」

 俺も、ベッドに上がる。

 リィナの隣りに、体を横に立てて寝そべった。

「こっから、どうするの?」

 俺は何も答えずに、仰向けになってもあまり形が崩れない、リィナの胸に手を伸ばす——サラシは巻いてない。

「ちょっ——!?」

 慌てて身を起こしかけて、やっぱり止めて、リィナは胸を揉ませたまま、首だけこっちに向けて俺を見た。

「そんなに——好きなの?これ?」

「ああ」

「触ってると、元気出るかな?」

「ああ」

「……そっか」

 リィナは、俺の首に腕を回すと、突然がばっとかき抱いた。

 俺の顔が、リィナの胸に埋まる。

 そのまま、小さく俺の頭を撫でた。

 密着してるから、良く分かった。

 リィナの鼓動が早い。

 腕が、微かに震えている。

10.

「……息できね」

「へ?あ、ああ、ごめんごめん」

 くぐもった俺の声を聞いて、リィナは急いで腕を解いた。

「こういうのって慣れてないから、加減が分かんなくてさ」

 照れた笑いを浮かべる。

「元気、出たかな?」

「ああ。すげぇ出た」

 俺の顔を見て、リィナは微笑んだ。

「よかった。えっと——それじゃ、ボク、ちょっと体動かしてくるね」

「ああ。ありがとな」

「ううん、大したこともできませんで」

 そそくさとベッドから下りて、扉に向かう。

「えと——じゃあ」

「ああ。俺も後で、ちょっと外に出掛けてみるわ。ありがとな」

「うん、それがいいよ。そいじゃね」

 扉を開いて部屋を出て行くリィナを、俺は出来る限りの笑顔で見送った。

11.

 静かに、ゆっくりと扉が閉じられてしばらく。

 ベッドの縁に腰掛けた俺の口から、呻きともつかない溜息が漏れる。

 手が自然と、俯いた額に当てられた。

 こめかみを、力の限り締め付ける。

 最悪だ。

 俺は、最低だ。

 リィナが、俺を気遣って様子を見に来たのは明らかだった。

 自分がヘンに焚き付けたから、みたいな責任を感じているのかも知れない。

 いつもみたいに勝手に鍵を開けて入ってこなかったのも、マグナのことを一言も口にしようとしなかったのも。

 俺を、気遣ってくれてたからじゃねぇか。

 それが分かっていながら、俺はリィナに何をしたんだ。

 薄汚ぇ劣等感から生じた衝動に任せて、せめてあいつが不得手なことで上に立とうとした。

 そんなんで——対等になれるとでも思ってんのかよ。

 バカじゃねぇのか?

 飽きもせずしょぼくれたツラぶら下げて、心配させて、その上こんな——

 おっさんが叱咤したくなるのも、無理ねぇよ。

 そう思ってんなら、もっとしっかりしろよ。

 自分に言い聞かせても、まるで力が湧いてこない。

 リィナに、あんなことまでさせておいて——

 駄目だ。俺は——やっぱり俺なんかが、あいつらと一緒に居るべきじゃねぇよ。

 フクロから適当な服を引っ張り出して着替え、俺は部屋を後にした。

12.

 一杯引っ掛けてから足を運んだ劇場では、マグナ曰く「やらしい格好」をした女達が、激しく腰をくねらせて踊っていた。

 周りの男共はギラついた目をしながら、口笛を吹いて囃し立てたり、お気に入りの踊り子に冷やかしの声を投げかけたりしている。

 死んだ魚みたいな目をしてる野郎は、きっとこの場で俺だけだ。

 おそらく軽い催淫効果があるんだろう、香の煙が充満している。

 だが、臭くて鼻を突くだけだった。

 見事な腰つき——弾む豊かな胸——なまめかしい素脚——何も感じない。

 情動どころか苛々ばかりが募って、俺は我慢できずに劇場を出た。

 何やってんだ、マジで。

 バカみてぇ。

 つか、俺は何を悩んでんだ?

 何を落ち込んでやがるんだ?

 そんなに塞ぎ込むようなことがあったかよ?

 別に何もありゃしねぇじゃねぇか。

 昔みたいにヘラヘラしながら、適当にあいつらに合わせて愛想振りまいてりゃいいんだよ。

 どうせ、いくらマジメぶったところで、その場しのぎのいい加減な事しかほざかねぇんだからよ、この口は。

 くそっ——

「ねぇ、そこのお兄さん」

 ふらふら夜道を歩いていると、劇場の女達よりは露出を抑えた女が声をかけてきた。

「ねぇったら」

「……なんか用かよ」

「あら、ずいぶんツレないじゃない」

 ほっとけよ。

「浮かない顔してるわ——そういう時は、遊んで憂さを晴らすのが一番よ」

 俺は横目で女を見た。だが、好みだとか好みじゃないとか、何も頭に浮かばない。

「ねぇ、あたしといい事しない?」

「別に構わねぇけど」

 なんかもう、どうでもいいや。

「そう、よかった。それじゃ、こっちよ——あたしについてきて」

 手を握られて、引かれるに任せる。

 歩き出して、すぐだった。

13.

「ありゃりゃ、お兄さん。こんなトコで——ははぁ、お盛んだねぇ」

 気付かずにすれ違いかけて、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、アイシャがにんまりしながら、俺と女を眺めていた。

「なんだい、あんた。この人は、あたしのお客だよ」

 俺の裡で、何かが引き戻される。

「別に横から取りゃしないってば——お兄さん、ここんトコずっと、くっら~い顔してたしねぇ。ま、せいぜい愉しんできなよん」

「ほら、行きましょ」

 女が腕を引いても、俺の足は動かなかった。

「悪ぃ。やっぱ、止めとくわ」

 当たり前だが、女は鼻白んだ。

「なんだい、冷やかしなら、最初っからそう言っとくれ——覚えといでよ」

 キッとアイシャを睨みつけると、女はあっさりと俺の手を離し、別の客を求めて人ごみに紛れて消えた。

「あちゃあ。お兄さん、勘弁してよん。アタシが悪者になっちゃったじゃないさぁ」

 アイシャは苦笑いを浮かべる。

「悪いな」

「べっつにいいけどねぇ。それより、ホントによかったん?言ってくれれば、もっと上等なの用立てしてあげたのにぃ」

 ヘンな目をしながら、肘で脇を突付いてくる。

「もっと上等なのねぇ」

 ジロジロと全身を眺め回してやると、アイシャはにんまりと笑ってみせた。

「んん?アタシは、たっかいよ~?」

 自分から振っといてなんだが、それ以上は付き合う気になれなかった。

「いや、いいんだ。どの道、そういう気分じゃなかったからさ——ウェナモンの方は、どうなんだ?」

「ん~、まだ動きは無いねぇ。っていうか、お兄さん、こんな通りに居るってことは、ひょっとして他の皆には内緒なんじゃないの?困るなぁ。連絡行ったら、すぐ集まれるようにしといてもらわないと」

「ああ。もう宿に戻るよ」

「いやま、もうアタシが知ってるから、そんな急いで帰らなくてもいいけどさぁ」

「いや、いいんだ。そんじゃ、そっちの事は頼んだぜ」

 向けた背中を、声が追ってくる。

「なんだか分かんないけどさ、元気出しなって。しょぼくれてドジ踏まれた方が、よっぽど困っちゃうからさぁ」

 返事をする気になれず、俺は軽く手を上げて応えた。

14.

 宿屋に戻った俺は、自分の部屋の前で蹲る影を認めて、廊下で一旦足を止めた。

 軽い既視感を覚える。

 足音で気付いてるだろうに、抱えた膝の間に顔を伏せたまま、こちらを向こうとしない。

 マグナだ。

 多分、リィナに——ひょっとしたらシェラにも——言われて、来たんだろう。

 そんな気がした。

 今は、顔を合わせたくなかったな。

 けど、引き返すのも躊躇われた。

 ギシギシと床を鳴らして正面まで歩み寄ると、マグナはのろくさと顔を上げた。

「……遅い」

 そう言った。

「どこ行ってたのよ」

 出会った頃と、同じように。

「なに?——お酒飲んでるの?」

「ちょっとだけな」

 マグナは、顔を顰めた。

「なによ、人をさんざん待たせといて……まさかとは思うけど、あの劇場とかに行ってたんじゃないでしょうね?」

「当たりだ」

 目を怒らせて立ち上がりかけたマグナの挙動が、途中でゆっくりになる。

「……素直じゃない」

「そうか?」

 訝しげに、俺の顔を覗き込む。

「気持ち悪いわね。なによ?どうしたの?」

「なんだよ。そんなヘンな顔してるか、俺?」

「だらしないのは元々だけど……」

「ヒデェな」

 マグナの顔に、不安の色が浮かんだ。

 そうか。マグナが怒るのを途中で止めちまうくらい、そんなにヒドい顔してんのか、俺。

 不景気なツラぶら下げて、年下の女の子に心配かけて、ホントに何やってんだろね、この莫迦助は。

 でも——力が入らねぇんだよ。

15.

「えっと、あのね——」

「立ち話もなんだ。とりあえず、入れよ」

「あ——うん」

 マグナを誘って部屋に入る。

「座れよ」

 備え付けの椅子を手で示して、自分はベッドの縁に腰を下ろす。

 眉根に皺を寄せて、視線を俺の顔面に固定したまま、マグナは椅子に座った。

「悪いな、こんなしょぼくれたツラばっか見せちまって。アイシャから連絡が入るまでには、もうちょいシャッキリしとくからさ」

「え?——うん」

 マグナは、ますます怪訝な顔つきになった。

「……ヘン」

「ん?」

「なんなの?——ヘンよ。なんか、おかしい」

「ああ、うん。ごめんな。俺、ここんトコ、ちょっとおかしいんだ。心配させるつもりじゃないんだけどさ」

 ホントにそうか?

 内心の声から目を背ける。

「そうじゃなくて——そうだけど……そんなに気にしてたの、この前のこと?」

 マグナは、少し視線を泳がせた。

「だったら……悪かったわよ。あたしも、ちょっと言い過ぎた」

 唇を尖らせる。可愛いよな、こいつ。

 ごめんな。お前に、そんなこと言わせちまって。

「いや、いいんだ。言われても仕方ねぇよ。確かに俺は、その場しのぎの適当なことばっか言ってるよ」

 マグナが、息を呑んだ気配があった。

 俺の視線は、いつの間にか床に落ちていた。

「ああ、いや、違うんだ。嫌味じゃない。ホント……ごめんな」

「なに?なんなのよ?ホントに、どうしちゃったの!?」

 おいおい、ずいぶんな言い草だな。

 それもこれも、俺が同情を引くような惨めったらしい顔つきしてんのが悪いのか。

 分かってんなら、笑え。笑えよ。

 くそ——最悪だ。

 だから、今は会いたくなかったんだ。

16.

「それとも……」

 マグナが、言い辛そうに口を開く。

 いいよ、何も言わなくても。お前が悪いことなんて、何ひとつありゃしねぇんだ。

「あたしとアルスが会ったのが、そんなにイヤだった?」

「いや、そうじゃない」

 一瞬だけ目を向けると、マグナも床に視線を落としていた。

 ほらみろ——俺がいつまでも、しょぼくれたツラしてっから。

「ごめん。ごめんな」

 お前は、ちゃんとしてんのにな。

『マグナは強いよ——』

 今ごろになって、リィナがそう言ったのが良く分かる気がした。

 ホント、お前は強いんだろうな。

 俺なんて、何も背負ってねぇ癖に。

 背負おうとしたことすらなくて。

 この体たらくで。

「どう——どうしちゃったの?」

 また、そんな不安げな声出させちまって。

 なんて頼り甲斐がねぇんだ、俺ってヤツは。

 そもそも、誰かに頼りにされたことなんてあるだろうか。

 あるわけねぇよな。

 俺が、頼りにしてこなかった。

 実家に居た頃、俺は空気みたいな存在で。

 今思えば、そんなこたなかったんだろうけど。家の連中は、ひねくれ者の次男坊のことも、それなりに気にかけてたんだろうけど。

 当時の俺には、どうしてもそう思えなくて。

 ガキらしく、ここは自分の居場所じゃないだとか、そんなことばっか考えてた。

 そんな青臭い思いを募らせておん出た割りには、結局外でも実家と同じ立ち位置に拘って。

 誰も頼らねぇ代わりに、誰にも頼られない。余計な物は、背負い込まない。他人に深く関わらない。

 きっと、俺は——こうなることが、分かってたんだ。

 不相応な分を背負い込もうとして、見っとも無くあがきもがく。

 情け無い自分を、見たくなかった。

 すぐに押し潰されそうになる自分を、直視したくなかったんだ。

 つくづく——柄じゃねぇんだよな。

17.

「悪ぃ——って謝られても、訳分かんねぇよな」

 自分より年下の、自分よりよっぽど重いモンを背負ってる女の子に、なに愚痴垂れようとしてやがんだよ。

「最悪だな、俺。あの時——」

 口にするつもりは無かったのに。

 言うな言うなって思ってんのに。

「——あの時、お前と会ったのが、俺じゃなきゃ良かったな」

 我慢できずに言っちまった。

 自分の薄弱な意思を痛感するね。

「ちょっと、何言ってんの?」

 悪夢のイメージが蘇る。

 俺が何も出来ないから、お前が死ぬなんてことになったら——

「駄目だ、俺なんかじゃ」

 俺なんかが、お前の側に居るべきじゃねぇよ。

「ホント——頼りにならなくて、ごめんな」

 勝手に自嘲が漏れる。

「いやさ、元から頼りにされてねぇのは、分かってんだけどさ」

 自惚れんな。

「悪ぃ。ハナから頼ってねぇのに、こんな謝られても、困っちまうよな——」

「いい加減にしてよっ!!」

 ようやく上を向いた俺の視線が、マグナの強い眼差しと出会う。

「なんなの!?なに勝手に独りで完結してんの!?」

「え——」

「勝手に決め付けないでよっ!!あたしのことでしょ!?あたしがどう思ってるかを、なんであんたが、勝手に決めるのよっ!?」

「そんなつもりじゃ……悪い」

「だからっ!!さっきから、すぐ謝んないでよっ!!なんなのよ——とりあえずみたいに謝られても、全然嬉しくないっ!!」

 マグナは、気持ちを落ち着かせるように、軽く息を整えて俺を見た。

18.

「なにが気に食わないの?ちゃんと言ってくれなきゃ、分かんないじゃない」

「いや……俺の方には気に食わないことなんて、何も無いんだ。ただ、俺が——」

「俺が?」

「その……お前の側にいるのは、俺じゃねぇ方がいいのかなって……」

 月の浮かんだ夜空が脳裏に蘇る。

 その時、俺の隣りは、こいつじゃなくてシェラがいて——

 家出をしたシェラには、あんなエラそうな説教垂れといて、手前ぇも同じ愚痴をほざいてりゃ世話ねぇよ。

 けど、だって、俺は——

「あんたねぇ」

 マグナの口から、呆れたような苦笑が、少し零れた。

「どうしたのよ?なんでいきなり、そんなこと考えちゃってるの?」

「ごめ……あ、いや、悪ぃ——あ、すまん」

 マグナは、ぷっと吹き出した。

 お前が謝んなって言ったんじゃねぇかよ。

「それとも、いきなり、じゃないの?」

 急に表情を改めて、マグナは真面目な顔つきで俺を見据えた。

「もしかして、ずっとそんなこと考えてたの?そりゃ、あんたはあたしが無理矢理連れてきちゃったようなもんだけど……ずっと、嫌々だったの?」

「いや、違う。そうじゃない」

 そうじゃないんだ。

「嫌々なんかじゃない。だったら、最初からついてきてねぇよ。だけど——俺の所為で、俺が何も出来ない所為で、お前が死んじまうようなことがあったら……」

「なによ、それ?」

 拍子抜けした声だった。

「よく分かんない。なんで突然、そんなこと考えてるの?」

 その声音につられて、思わず俺の気も抜ける。

 言われてみれば、我ながら話が飛躍している気がした。

 マグナがきょとんとするのも、無理ねぇよ。

「助けられたことはあっても、ヴァイスの所為であたしが死にかけたことなんてあったっけ?」

 記憶を探る。

 無い……とは思うけどさ。

「いや、夢をさ——見たんだ。お前が死んじまうのに、俺は何も出来なくて……」

「はぁ?」

 いや、お前、そんな「バカじゃないの?」みたいな声出すなよ。俺、いちおう真剣なんだからさ。

19.

「呆れた。夢見が悪かったくらいで、ずっとそんな暗い顔して落ち込んでたの?バカじゃないの?」

 実際に、口に出して言われた。

 そうね。俺、バカみたいだな。

「けどさ、俺が頼りにならねぇのは事実だし……」

 おっさんにも指摘されたし、スティアにも見抜かれたし、リィナには相談されねぇし、シェラの相談には満足に応えられねぇし——お前に踏み込む覚悟も持てねぇし。

「口先ばっかでさ……お前に言われた通りだよ。適当なことぼざくばっかで——」

 それどころか。

「……俺は、最悪なんだ」

 さっき、俺はリィナに何をした?

「俺なんかが、お前らと一緒にいるべきじゃねぇんだよ……」

 ふぅ、とマグナの唇から吐息が漏れた。

「やっぱり、そんなに気にしてたんだ。あたしが、この前言ったこと」

「いや、それは——」

「気にしてるじゃない。でも、なんでそれで、頼り無いとか最悪だとか、急に思いつめちゃってるのか、まだよく分かんないけど」

 そうだろうな。

「頼り無いとか思ってるんだったら、一緒にいるべきじゃないとか情け無いこと言ってないで、もっと頼りになるようにしっかりしてよ」

 ホントにな。

「……ごめんな」

「だから、そうじゃなくて!なんなのよ、もぅ……そんな、死にそうな顔しちゃってさ……」

 すみません。

「……あ~、もぅっ!!言わなきゃ分かんないの!?」

「?——なにが?」

 自分は『ちゃんと言ってくれなきゃ、分かんないでしょ?』とか、さっき言ってたクセに。

 勝手なヤツだな。

 マグナは、何度がこちらを見ようとして、その度にそっぽを向いた。

20.

「だから……」

 はい。

「あたしが、いつ言ったのよ」

「なにを?」

「だからぁ……」

 落ち着き無く、髪の毛をいじる。

「あんたを頼りにしてないって、いつ言ったのよ、あたしが?」

 いや、口に出しては言ってないかも知れないけどさ——言われた気もするが。

「……頼りにしてるわよ」

 すごい小さい声だった。

「……は?」

「何度も言わせないでよ——ちゃんと、頼りにしてるってば」

 俺が何も答えられずにいると、マグナはひとつ深呼吸をして、開き直ったみたいに真っ直ぐ俺を見据えた。

「だって、エルフの洞窟でも、あたしは気を失ってて覚えてないけど、体を張って守ってくれたんでしょ?なんで頼りにならないとか、そんな風に考えるのか、全然分かんない」

 俺は俯いて、片手で額を押さえるフリをして目元を隠した。

「それに、愚痴だって嫌な顔しないで付き合ってくれたし、あたしが落ち込んだ時には気を遣ってくれたし、あたしこそいっつも怒ってばっかりなのに、全然気にしないでくれてるし……」

 よせ。

「そう見えないのかも知れないけど、頼りにしてるんだから……一緒に居ない方がいいなんて、言わないでよ」

 やめろよ。

「いっつも言い過ぎちゃって、ごめんね。あたし、ヴァイスに甘え過ぎちゃってたのかもね」

「……ンなことねぇよ」

 声が震えた。

 もう勘弁してくれ。

 また、深呼吸が聞こえた。

 さっきより、もっと深い。

 一拍置いて、聞いたこともないような優しい声が言う。

「いつも、ありがとう」

 バカ、止めろ——泣いちまいそうだ。

「これでも、感謝してるんだからね?」

 くそ——普段は、文句ばっか言ってやがるクセに。

 なんでお前は、そんな風に言えるんだ。

 俺は、感謝されるようなことなんて、何もしてやれてねぇよ。

21.

 俺がこんなに動揺しちまうのは——これが、マグナの言葉だからだ。

 マグナは、「あたしが言いたい言葉」しか口にしない。

 こいつは、嘘が嫌いだ。

 相手を気遣う嘘ですら、マグナはきっと、可能な限り口にしない。

 他にどうしようもなくて、仕方なく自分の吐いた嘘で、ずっと苦しみ続けているようなヤツなんだ。

 だから——こいつが言ってるのは、本心だって。

 そう思える。

 こみ上げる胸のつかえを、俺は懸命に堪えた。

 これ以上、見っとも無ぇ様、晒したくねぇよ。

「……そっちに、行っていい?」

 俺は微かに頷くことしか出来なかったが、マグナは椅子から立ち上がって、俺の隣りのベッドの縁に静かに腰を下ろした。

 そして、しばらくそのままでいた。

 俺は、気持ちを落ち着けるのに必死で——

 気の利いた台詞のひとつも言えやしなかった。

 やがて、マグナが口を開いた。

「ヴァイスが、そんな風に悩んでたなんて、全然知らなかった。ごめんね、気付かなくて——でも、ヴァイスって、そういう自分のこと、何も言ってくれないんだもん」

 そうだな。

 お前の言う通りだ。

 勝手に自己完結しないように、気をつけるよ。

「——そうそう。前に、ロマリアであたしの愚痴を聞いてもらった時に言ったでしょ?次は、ヴァイスの悩みを聞いてあげるって。もっと早く、言ってくれればよかったのに」

 頭を撫でられて、ビクッとかしちまった。

 マグナは苦笑する。

「なによぉ、そんな叩かれるみたいな反応しないでよ」

「……悪ぃ」

「やっと口利いたと思ったら、また謝るの?あたしって、そんなに怖い?……ちょっと傷つくんだけど」

「い、いや、そんなことねぇよ」

 怖い時も多いですが。

「そう?よかった」

 そう言いながらも、マグナは俺の頭から手を下ろした。

 惜しいことしたかな。マグナに頭を撫でられるなんて、そう滅多にあることじゃねぇのに。

22.

「あのね……ヴァイスがどう思ってるか分かんないけど……」

 腰の横に置いた俺の手に、マグナの手が重ねられた。

 またびくっと手を引きそうになるのを、辛うじて堪える。

 なんか……自分が、物凄い小僧になった気がした。

「ヴァイスは、最初に会った時からあたしが……その、隠してたこと、知ってたでしょ?」

「ああ」

「でも、何も言わなかったよね。勇者なんだから、魔王を倒しに行くべきだ、とかそういうこと」

「いや……それは、俺がいい加減なだけで……」

「そうなの?でも、シェラだって感謝してたわよ。ヴァイスは、最初から——なんていうの?色眼鏡で自分のこと見なかったって。普通に接してくれたって」

「いや、だから……こだわりっていうか——自分が無ぇだけだよ。俺に」

 含み笑いが聞こえた。

「なんかヴァイスって、いっつもそうやって自分を突き放した言い方するよね。謙遜って訳じゃないんだ?もしかして、ホントにそう思ってるの?」

「ああ、思ってるよ」

「なんで?ヴァイスって、ひょっとして——」

 マグナの視線が横顔に当たっているのを感じたが、俺はそちらを向けなかった。

「自分に、自信が無いの?」

 くそ、こいつはホントに、いっつもずけずけと——

「ああ、無ぇよっ!!ある訳ねぇだろ、こんな——」

 こだわりが無いのは、他人の考えを押し付けられるのが嫌いだからだ。だから、自分の考えを他人に押し付ける気にもなれない。

 俺は勝手にするから、お前らも勝手にしろ。ただ、それだけだ。

 そうやって、他人と深く関わるのを避けてきた俺を、誰も必要としなかったのは当然だ。

 そうなるようにしか人と接してこなかったんだから、目論見通りってなモンだ。

 いや、魔法使いなんてやってた訳だし、都合よく頼ってくるヤツはいたよ、もちろん。

 でも。

 俺だから。

 それが理由で頼ってきたヤツなんて、居やしなかった。

 それでいいと思ってた。

 ただ、自信ってのはさ、他人から認められて、はじめて形作られていくモンだろ?

 だから、そんなのは、俺とは最も縁遠い言葉で、俺は、それでも構わなかったんだ。

 それなのに——

23.

「なんで、そんなこと言うんだよ……」

「ヴァイス……?」

 心配そうなマグナの声を耳にして、我に立ち返る。

 どこまで見っとも無ぇ様を晒すつもりなんだ、俺は。

「いや、悪い——そうだな。要するに、俺は自分に自信が無いんだな」

 言われて、はっきり気付いたよ。

「だから、頼り無ぇだとかなんだとか、つまんねぇことでグダグダ悩んじまうんだな」

 情け無ぇ。穴があったら入りてぇよ。

「ごめんな……お前の抱えてるモンに比べたら、俺のなんて悩みとも言えねぇのにな」

「そんなこと無いんじゃない」

 それが、マグナの返事だった。

「その人にとって、何がどれだけ重いのかなんて、人それぞれだと思うけど。その人の悩みはその人だけのものだし、他人と比べて重い軽いなんて言えないんじゃない」

「そうは言ってもさ……」

「正直言って、ヴァイスが何を悩んでるのか、なんでそんなに自分に自信が無いのか、あたしにはよく分かんないけど——」

 だよな。

「……あのね、あの夜——まだアリアハンに居た頃に、あたしの悩みを聞いてくれた時もね、ヴァイスはやっぱり、何も言わなかったでしょ?」

『……このままでいいのかな?あたし、ホントにこのままでいいの?』

 マグナの切実な問いかけが、脳裏に蘇る。

 そう——俺は、何も答えてやれなかったんだ。

「あの時は、ごめんな……」

 マグナはまた、きょとんとした。

「なんで謝るの?」

「え、いや、だって——」

「あたし、あれでずいぶん楽になったんだよ。てっきり、『このままじゃ良くない』とか、そういうこと言われるもんだって覚悟してたから。でも、ヴァイスはあたしのこと、否定しなかったじゃない?」

 え?——あれ?

 例によって、俺があれこれ余計な事を考え過ぎてただけなのか?

 え?でも——

「こうするべきだ、ああするべきだって、押し付けがましく言わないのも、その……一緒に居て、楽だしね」

 マグナは冗談めかして、微かに笑った。

24.

「だからね。あたし……」

 重ねた手が、軽く握られた。

「あの時会ったのが、ヴァイスでよかったなって思ってる」

 横を向くと、マグナが俺を見上げていた。

「それじゃ、自信にならないかな?あたしがそう思ってるくらいじゃ、自信にならない?」

 ちょっと首を傾げる。

 見えない何かが、胸を突いた。

 息を吸うことも吐くこともできずに、俺は少し口篭った。

「そんな、不思議そうな顔しないでよ」

 くすりと笑う。

「俺で……良かったのか?」

 止まっていた呼吸と共に、思わず言葉は口をついた。

「うん。だから……」

 ああ、やっぱり俺って、莫迦なんだな。

 つまんねーことばっか、独りでウジウジ考えやがって。

 おっさん、あんたの言う通りだ。

 男だったら、もっとでっかく腰を据えて、しっかり受け止めてやるべきだよな。

「だから、一緒に居てよ」

 こんなことまで、女の方から言わせちまって。

 いい加減、覚悟決めろよ、この唐変木が。

「ああ」

 俺は、マグナの肩に手を回した。

「一緒に居るよ」

 そっと、抱き寄せる。

「ずっと、一緒に居る」

 やっと、そう言えた。

 先のことなんて分かんねぇけど——そんなの、どうでもよくて。

 大事なのは、今の気持ちで。

 それをそのまま、口に出せばいいんだ。

 やっと、そう思えた。

 まだ何か言いたげな自分は、頭の片隅に追いやった。

25.

「ん……」

 抱き返されたマグナの腕に、僅かに力が篭もる。

「そうよ……あんたは、あたしの目の届くところに居なきゃいけないんだから……最初に、そう言ったでしょ?」

「ああ。覚えてるよ」

 腕を解いて、少し身を離した。

 俺を見上げるマグナの瞳を、凝っと見詰め返す。

「だから、どこにも行かない。ずっと、一緒にいる」

 手を重ねた。

「うん……」

 少し顔を寄せると、マグナは瞳を閉じた。

 髪を除けて、頬に手を当てる。

 さらに顔を寄せようとした時に、遠慮がちなノックが聞こえた。

 続いて、シェラの声。

「すみませ~ん。アイシャさんから連絡来たんですけど、いらっしゃいますか~?」

 俺は構わず、唇を重ねた。

26.

 着替えを済ませて、部屋を出る。

 アリアハン城に忍び込んだ時に身につけた、黒づくめの格好だ。まだ顔は隠してないけどな。

 さっき話し合って、もう真夜中近いし、どうせ忍び込むなら、この方が見つかり難くていいんじゃないかという話になったのだ。

 またこの姿になる時が来るとは思わなかったな。なんか、懐かしいぜ。

 マグナ達の部屋に赴くと、リィナだけが廊下に出ていた。

 扉の向こうからバタバタしてる音が聞こえるから、他の二人はまだ着替え中らしい。

「あれ、アイシャは?」

「ん?下で、仲間の人と話してるんじゃないかな」

 リィナは俺を見て、ちょっと微笑んだ。

「元気出たみたいだね」

 息を呑む——そうだ。

 俺は、こいつにヒドいことをしちまったんだ。

「さっきは……その、ごめんな」

「ううん。ボクこそ、ごめんね。大して元気づけてあげられなくて」

「ンなことねぇよ。ホントに悪かった。もう二度と、あんなことしねぇから」

 頭を下げると、含み笑いが降ってくる。

「ふぅん……もう二度としてくれないんだ?」

「へ?」

 顔を上げると、リィナはにやにや笑っていた。

「やっぱり、ボクじゃダメみたいだね」

「いや、ダメっていうか……」

「まーとにかく、ヴァイスくんが元気になってよかったよ」

 いつも通りの表情。

 この時の俺は、リィナの内心を全く読み取れていなかった。

 なんでリィナが、あんなことまでしたのか。

 負い目を感じていたのは、俺だけじゃなかったんだ。

「あ、ヴァイス——もう来てたの?」

 扉を開けて、黒づくめのマグナとシェラが姿を現した。

 さっきの気分の余韻が残っていた俺は、思わずマグナを身を寄せかけたが——既にマグナの振る舞いが、まるきり普段通りだったので、挙動不審気味に身を離す。

「お待たせ。それじゃ、行きましょ」

 女って、割り切りがすげぇよな。

 そんなしょーもない事を、俺は考えていたのだった。

27.

 アイシャの話では、秘密の通路を使ってウェナモンの屋敷に入った連中には、どうやらリィナと戦ったあの奇妙な影が含まれているらしかった。出来ればあんなバケモンとやり合いたくないんだが、この際贅沢は言っていられない。

 全身黒づくめの怪しい格好をした俺達は、なるべく目立たないように、アイシャの先導で裏道を辿ってウェナモン邸に向かう。

「そいじゃ、よろしく頼んだよん」

 秘密の通路がある路地まで案内を終えると、アイシャはそう言い残してさっさと立ち去った。

 まぁ、この先は、あいつが居ても戦力にはならねぇからな。

 こそこそと路地を移動して、件の扉の前に辿り着く。

 マグナがフクロから取り出した『魔法の鍵』で、魔方陣の刻まれた鉄扉はあっさりと開いた。

 リィナが音を立てないように、拍手の仕草をする。

「行くわよ」

 声を潜めてマグナが促し、俺達はリィナを先頭にして、扉の向こうに足を踏み入れた。

 ゆっくり静かに扉を閉めると、窓ひとつない通路は真っ暗になった。

 ヤバい。何も見えねぇぞ。

 服の背中を引っ張ってるのは、シェラだよな?

 先に入った筈のマグナは、どこ行った?

 俺も、服の端でも掴んどけばよかったぜ。

 虚空を手探りしながら、慎重に歩を進めると、なんか柔らかいものに触れた。

 これがマグナか?

 確かめようとして、あちこちぺたぺた触っていると、思いっ切り手をはたかれた。

「ちょっと、どこ触ってんのよっ!!」

 小声で怒鳴られる。

 うん、確かにマグナだ。

「もぅ——ほら」

 手探りで、手を握り合う。

 いくらも行かない内に、前の方からリィナの囁く声が聞こえた。

「っと——足元気をつけて。この先、階段みたい」

 ほとんど這うようにして、苦労しいしい階段を上りきると、そこは行き止まりだった。

「ちょっと待って」

 リィナがそう言って、そこかしこを手探りで調べている気配があった。

「これかな?」

 ガチン、と音がして、壁の一部に隙間ができる。そこから、ぼんやりとした灯りが差し込んだ。

 俺達に向かって唇に指を当て、しばらく外の気配を窺ってからリィナが壁を押すと、それはくるりと回った。

 隠し扉かよ。念の入ったことで。

28.

 秘密の通路は、どうやら屋敷の端っこに繋がっているようだった。

 壁を抜けると、左手はどん詰まりで、右手に廊下が続いている。

 心配していた見張りは、特に見当たらなかった。

 リィナを先頭に、足音を忍ばせて廊下を進む。

 ひとつ目の扉に屈んで身を寄せたリィナは、やがて小さく二、三度頷いてみせた。

「うん、中に誰か居るよ」

 わざわざ秘密の通路を作ってるくらいだ。密談するとしたら、一番近くの部屋を使うのが、最もバレ難いのは道理だわな。

 俺も扉に耳をつけてみたが、時折物音がするばかりで、話し声は聞き取れなかった。

 肩をつつくと、リィナも首を横に振る。

 弱ったな。盗賊と密談してるトコを盗み聞いて、言い訳できない状況で押し入るつもりだったんだが。

「あ、ヤバ。誰か出てくるかも」

 足音でも聞きつけたのか、リィナが囁いた。

 マグナを見る。

「一旦、隠れるか?」

「め……いいわ、踏み込みましょ」

 お前、今、面倒臭いって言いかけただろ。

 まぁ、出たトコ勝負は、お前らしいけどさ。

「あ、開いてる」

 リィナは、既に扉に手をかけていた。

 どうか、中に盗賊が居ますように。じゃなかったら、俺達のやってることって、単なる不法侵入だぜ。

 リィナが、勢いよく扉を開いた。

「そこまでよっ!!」

 何がそこまでなんだかよく分からんが、リィナに続いてマグナが啖呵を切りつつ中に飛び込む。

 慌てて後を追うと、室内には例のいびつな影と、フードつきの黒マントを纏った華奢な人影があった——一瞬ギクリとしたが、大丈夫、あの魔物じゃねぇ。

 助かった。これでいちおう、悪巧みの現場を押さえたってな具合に持ってけそうだ。

 豪華な調度品で固められた部屋の奥には、もうひとつの人影が佇んでいた。身形みなりと恰幅のいいその中年が、多分ウェナモンだろう。

 ウェナモンの背後、奥側の壁面が硝子張りになっていて、その先に広いテラスが見えた。硝子越しに差し込む月明かりの他に照明はほとんど無く、二、三本蝋燭が灯されている程度だ。

29.

「あんた達の悪事はバレてるわよっ!!裏で盗賊と手を結んで、取引相手の隊商を襲わせて、積荷を強奪するなんて言語道断!!大人しく、お縄につきなさいっ!!」

 打ち合わせておいたハッタリをかますマグナ。最後のは、アドリブだが。

 有無を言わさず相手を悪者と決め付けて優位に話を進めようって訳だが、犯罪を取り締まる側というよりは、今の俺達って犯罪者の方に近いんですが。

 だが——びっくりするほど反応は無かった。

 あの奇妙な影が、人がましい素振りを見せないのは分からんでもないが、隣りに居る小柄な黒マントも、奥にいるウェナモンも、なんら反応を示さない。

 威勢良く啖呵を切った手前、マグナは照れ隠しのように、ひとつ咳払いをして、再び口を開いた。

「えっと……黙ってないで、なんとか言ったらどうなの!?」

 無反応。

「なんなのよ……ちょっと、あんたがウェナモンさん?聞きたいことがあるんだけど。あんた達の悪事をバラされたくなかったら、大人しくあたし達の質問に答えなさい」

 どっちが悪者か分からないことを言うマグナ。

 だが、直接話しかけられても、ウェナモンはぼぅと突っ立ったままだった。

 なんか、様子がおかしいな。

 その時、じゃらりと音がした。

 華奢な黒マントが両手で下げている袋だ。

 今のは、金貨か何かが擦れ合う音に聞こえたぞ?

「どいて」

 一歩進み出た黒マントが、ぽつりと呟いた。

 この声は——

「あんた——」

 辺りが暗くて、フードに覆われた顔は確認できないが——

「邪魔」

 この声は、多分ルシエラだ。

「……どく訳ないでしょ」

 マグナが、腰の剣に手をかける。

「そう」

 おそらくルシエラと思われる黒マントは、あっさり踵を返すと、いびつな影を伴って、すたすたとテラスの方へ歩き去る。

「あっ……待って!!」

 最初に声をあげたのは、シェラだった。

「待ちなさいよ!!」

 後を追う俺達に一切取り合おうとせず、硝子戸を抜けてテラスの端まで辿り着いたところで、いびつな影がルシエラの腰を抱える。

 と、そのまま柵を越えて飛び降りた。

「ちょっ……!?」

 秘密の通路でのぼった階段の段数から考えて、ここは三階くらいの高さがある筈だ。飛び降りて無事に済む高さじゃない。

30.

 慌ててテラスの柵に駆け寄る寸前で——

『シギャアアァァッ』

 神経を逆撫でする咆哮を追って、黒々とした影が下から浮かび上がってきた。

 ばさり、ばさり、と羽ばたく音。

 月明かりに浮かぶ、異形の姿。

 頭に生やした節くれだった角といい、背中から生えた蝙蝠のような羽といい、細く尖った尻尾といい——まるで人間が思い描く悪魔そのものの姿が、そこにはあった。

 これが、いびつな影の正体か。

『キさマラ こコデ コろス』

 たどたどしく、物騒なことをほざく悪魔。無理して人間の言葉を喋ってもらって、済まねぇな。

「ちょっと、どうなってんのよ……やるしかないってわけ?」

 急展開にぶつくさ言いながらも、剣を抜くマグナ。

「来るよっ!」

 リィナが注意を促した時には、今日は自前の爪を振りかざし、悪魔は滑空をはじめていた。

 後ろに退こうとした俺は、シェラがふらふら前に足を踏み出すのを目にしてぎょっとする。

「なにやってんだよっ!」

 手を掴んで引き寄せる。

「だって……あの人が……」

 ルシエラのことか?

「今から追いかけるのは無理だ。ウェナモンが残ってっから、あいつから話を聞きゃいいよ」

 肉を打つ音がして、俺のすぐ脇を黒い影が吹っ飛んでいく。

 屋敷の壁に当たる寸前で、悪魔は細かく羽ばたいて体勢を立て直し、ゆっくりと上昇した。

 見てなかったが、リィナがぶっ飛ばしたらしい。

「下りてきなさいよっ!!」

 空に向かって剣を振り回すマグナ。

 その切っ先が僅かに届かない中空で、羽ばたきながら制止しつつ、悪魔はかぱりと口を開けた。

『コオオォォ』

 悪魔の吐いた息に触れた空気が、一瞬にして凍りつき、結晶となってぱらぱら落ちる。

 マグナは冷気の息から、辛うじて身を躱した。

「卑怯者!!これじゃ、こっちは攻撃できないじゃない!!」

 まったくだ。このまま空を飛ばれたら、マグナとリィナは何も出来ねぇぞ。

 ってことはだ。

 ここは、いよいよ——

31.

「ヴァイスくん!!」

 リィナの声がした。

「おうっ!!」

 ここは、いよいよ、俺の出番か!?

「ごめんっ!!」

 言うより早く、俺の躰を駆け上がる。

 脳天で踏み切って、リィナは悪魔に跳び蹴りを放った。

 バカ、お前、痛ぇよ!!首がおかしくなったらどうすんだ!!

 リィナの蹴りが、悪魔の腹に突き刺さる。

 だが、僅かに体勢を崩したものの、悪魔は爪を振るって反撃した。

 器用に空中で身を捻ってそれを避け、リィナは身軽に着地する。

「ちぇっ、やっぱり一撃じゃ無理かぁ」

 いいから、お前は下がってろよ。

 とうとう、俺の見せ場が来ちまったようだぜ。

 よっく見てやがれよ、お前ら。

 俺もちったぁ頼りになるってトコを、拝ませてやるぜ。

『メラミ』

 俺が呪文を唱えると、メラとは比較にならないデカさの火球が、悪魔に襲い掛かる。

 遠距離攻撃なら、魔法使いに任せとけっての。

 だが——火球は、ひょいという感じで、あっさり悪魔に躱されて、遥か夜空に吸い込まれていった。

 あれ?

「なにやってんのよっ!!頼りになんないわねっ!!」

 マグナの叱咤が飛ぶ。

 ああ、違うんだ……こんな筈じゃなかったんだ。

「ヴァイスくん、あの人動き素早いから、そのままだと今の呪文は当たんないよ。もうちょっと、不意とか突くか、動きを止めるとかしないと。それか、イオみたいな範囲の広い呪文の方がいいと思うけど」

 リィナには、冷静に指摘された。

 うるせーうるせー。ンなこた分かってるよ!

 けど、イオの威力じゃ、あいつ相手にゃ牽制くらいにしかなんねーじゃんか!

 俺だって、タマにはいいトコ見せてぇんだよっ!!

 ん、待てよ?

 動きを止める?

32.

「悪いけど、しばらくあいつを引きつけといてくれ」

「——分かった。任せるよ」

 リィナは、余計なことを聞き返さなかった。

 マグナの方に走り寄る。

 俺は、シェラを振り返った。

「シェラ——」

 なんか、ぼんやりしてるぞ。

 いまだに、ルシエラが去ったテラスの先を見詰めている。

「おい?」

「あ、は、はい!?なんですか?」

「いや、なんですかじゃなくてさ。どうした?大丈夫か?」

「あ、はい、大丈夫です——ごめんなさい」

「……ま、いいけどさ」

 俺は手短にシェラに作戦を伝えた。

 ひと言ふた言交わしたマグナとリィナの方は、お互いに距離を置いて、それぞれ冷気の息から身を躱し続けている。 

 あ、ヤベ。悪魔野郎が、こっちを向きやがった。

 俺はシェラの手を引いて、危うく冷気の息から身を避けて室内に戻った。

「ほら、あんたの相手はこっちよ!!」

 マグナが空に向かって剣を振り回してるのが見える。

 すまねぇな。結局、お前らばっか危険に晒しちまって。

 俺が呪文を唱えられるようになるまで、もうちょっとだけ待ってくれ。

「……さっきの、ルシエラって人でしたよね」

 下から、沈んだ声が聞こえた。

「フゥマさんと一緒にいた……」

 俯いたシェラに、すぐに返事が出来なかった。

「……い、いや、俺も顔は見てねぇから、さっきのがルシエラだったかどうかは、その、分かんねぇけど」

「フゥマさん……悪い人の仲間なんでしょうか」

「いや……そんなことないんじゃねぇの。あいつらの組織だかなんだかは、魔王退治が目的だって言ってただろ?」

 少なくとも、あの腕白坊主自身は悪党じゃない。それは、俺も信じてる。

 とは言うものの。

 フゥマが騙されて利用されてるって可能性は、俺にも否定できなかった。あいつ、騙し易そうだからなぁ。

33.

 いや、待てよ。

 そういや、あいつはこうも言っていた。

『タマに今回みたいな召集がかかる程度で、普段はそれぞれ勝手に暮らしてんだ』

 つまりルシエラは、フゥマ達の組織だかなんだかとは無関係に、勝手に魔物とツルんで悪さを働いてる可能性だって、無い訳じゃない。

 俺がそう言って聞かせても、シェラの表情は晴れなかった。

 まぁなぁ。言ってる俺だって、気休めにしか思えないもんな。

「——とにかく、ここであれこれ想像してても、しょうがねぇよ。次に会った時に、確かめてみるしかないんじゃねぇかな。あいつが騙されてるんだったら、お前が言えば、ヘンな組織からも足を洗うだろうしさ」

「そう……でしょうか」

「それより今は、あの魔物をなんとかしねぇと」

「あ、はい——そうですよね。ごめんなさい、こんな時に」

 後回しにしちまったみたいで心が痛むが、状況が状況だ。

 そうこうしている内に、俺の準備も整っている。

「よし、じゃあ行くぞ」

「はい」

 俺はシェラを連れて、再びテラスに出た。

 さっき躱した冷気で床が凍りついていて、危うく足を滑らせかける。

 よく見ると、既に床は半分くらい、あちこち凍り付いていた。

「ヴァイス、早く!!なんかするなら——ぁっ!!」

 こちらに気を取られた所為か、マグナが足を滑らせて尻餅をついた。

 上空の悪魔が、そちらに顔を向ける。

 ヤベェ、急がねぇと。

「シェラ!」

『バギ』

 肩を叩いた俺の合図に合わせて、シェラが呪文を発動させた。

 悪魔を中心に、大気が唸りを上げる。

 バギの威力じゃ大したダメージにはならねぇだろうが、渦巻く風に邪魔されて、ヤツも満足に羽ばたけない。動きを止めるにゃ充分だ。

『メラミ』

 今度こそ、俺の放った火球は悪魔に命中した。

34.

『シギャアアァァッ』

 あ、ちくしょう。くたばらねぇでやんの。

 メラミでも足りねぇってのかよ。

「マグナ!!」

 リィナの合図で、マグナが悪魔に向かって剣を放り投げた。

 見事に悪魔に突き刺さる。なんかあいつ、剣を投げるのが得意技になってねぇか?

 ぐらり、と空中で悪魔が姿勢を崩した。

「だめおしっ!!」

 こちらに駆け寄ってきたリィナが、再び俺を踏み台にして跳び上がる。

 痛ぇっ!!またかよっ!!

 リィナは悪魔の首を両足で挟み込むと、ぐるっと体を捻った。

 ごきん、と骨同士が擦れる嫌な音がして、あり得ない方向に首を曲げた悪魔が墜落する。

 リィナの足で固定されて、悪魔は脳天から床にぶち落ちた。

「よっと……とと」

 ひょいと身を離したリィナが、凍りついた床に足をとられる。

 びくん、と悪魔の腕が動いたのが見えた。

 まだくたばってねぇ。どういう生命力だよ。

 駆け寄りざまに、フクロから——危ねっ!!俺まで足を滑らせてどうすんだ。

 ほとんど転びながら、俺はソレを悪魔の眉間に突き立てる。

 ようやく、悪魔はぴくりとも動かなくなった。

「ありゃ、ありがと。助かったよ」

「らしくねぇな、油断なんてよ」

 ニヤリとか笑って格好をつけかったんだが、俺も転んでるから、まるで様になりゃしねぇ。

 自分の失態には素知らぬ顔をして、悪魔の眉間から『どくばり』を抜き取る。

 エルフの森から戻った後、ルーラでちょいとカザーブの道具屋の親父を訪ねてもらっといたんだが、初めて役に立ったな。

「もぉっ、いったぁ~……もっと早く来なさいよ」

 マグナが尻をさすりながら、歩み寄ってきた。

「悪いな。さすってやろうか?」

 尻に手を伸ばすと、ばちんとはたかれて、ぎろりと睨みつけられた。

 すみません、調子に乗りました。

「なんだ、これは!?誰だ、お前達はっ!?」

 聞き覚えの無い声に振り返ると、ウェナモンが目を丸くして、テラスの惨状と俺達を眺めていた。

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