21. Girls & Boys

1.

「あ、いたいた——おはよう、おっちゃん!」

 女王陛下に謁見する為に訪れた、王宮前広場の入り口近く。

 あくびを噛み殺しているアランを見つけて、リィナが陽気に声をかけた。

「おはようさん。元気だねぇ、お嬢ちゃん。おっちゃん、まだ眠くて」

「ううん、ボクだって眠いけどさ。昨日は、ありがとね」

「昨日って言うか、ほとんど今朝だけどねぇ」

 そうなのだ。

 さっきマグナから聞いた話では、昨夜は割りと遅くまで待っていたのに、起きている間にリィナは帰って来なかったらしいのだ。

 今朝になって目を覚ました時には、既に隣りでいびきをかいていたと言うが——まさか、朝帰りだったんじゃねぇだろうな。リィナのことだから、なんかあったとは思わねぇけどさ、相手が相手だけに心配だぜ。

 ヤキモキしている俺の内心など知らぬげに、リィナはアランと笑顔を見合わせている。

「で、なんでこのおっさんが、ここに居るんだ?」

 俺の声は、自然と不機嫌になった。端に居るマグナの目つきが少し気になったが、だってお前、心配じゃねぇのかよ。

「ん?ああ——おっちゃんも、女王様にお会いしたいって言うからね。昨日は、ずっと付き合ってもらっちゃったし、お礼に連れてってあげることにしたんだよ」

 したんだよって、お前、そんな勝手に。

 いや、そりゃ女王様とお会いできるのは、全面的にリィナのお陰ではあるんだけどさ。

「そうなのよ。おっちゃん、ずっとお付き合いさせられてたの。昨日の晩は、お嬢ちゃんがなかなか寝かせてくれなくてねぇ」

 どごっ。

 と重い音が響いた。

 リィナが裏拳で、アランの胸板を叩いたのだ。

 俺が昨日フゥマに喰らったのより、さらに力の篭った叩き方だった。

「誤解させるようなことばっか、言わないの」

「いたた、今のでおっちゃん、心臓が潰れちゃった。せめて、その胸で——あいたたた。ホントに痛い」

 よろめく風を装って抱き締めようとしたアランの腕を捻り上げ、リィナは溜息を吐く。

「ホントにしょうがないね。ぜんぜん効いてないクセに」

 ああ、やっぱそうなのか。俺とは全然違うな。

「そんなことないよぉ。おっちゃん、もう息も絶え絶え」

「はいはい。ごめんごめん」

 腕を捻り上げたまま、リィナはおっさんの頭を撫でる。

 なんか……ヘンに仲良くなってねぇか、こいつら?

2.

「それで、昨日は結局、どっちが勝ったんだ?」

 口を挟まないではいられずに、俺はそんなことを尋ねていた。

「へ?——うん。いちおう、ボクの勝ちかなぁ。でも、おっちゃん、最後まで本気出さないんだもん」

 リィナは、軽くアランを睨みつける。

「いやいや、おっちゃん、そりゃもう必死だったのよ?なにしろ勝ったら、今度はアッチのお相手してくれるって約束だったからねぇ。生まれてはじめてってくらい、本気でしたとも。でも、お嬢ちゃんが強くてねぇ」

「嘘ばっかり——ずっとこんな調子でラチ明かなくてさ、途中から稽古に付き合ってもらってね。そっちは割りといい感じだったから、昨日はつい帰るのが遅くなっちゃったんだよ」

 そうだよな。やっぱり、そういうことだよな。

 安堵に胸を撫で下ろす。

 いや、だから、マグナ。ヘンな目で見んなよ。別にヤキモチ焼いたりしてる訳じゃなくてさ、そりゃだってお前、心配になるだろ?

「ほら、行くならさっさと行くわよ。女王様をお待たせしちゃったら、大変でしょ」

 ついと俺から顔を逸らして、マグナはすたすたと王宮に向かって歩き出す。

 昨日、俺とマグナが一緒に出かけたことを知っているシェラは、少し困ったような微妙な表情で俺達を見回して、後に続いた。

 その件を知らない筈のリィナとアランは、何故か揃ってニヤニヤ笑いを俺に向ける。

 ホントに仲良さそうだな、お前ら。

3.

 なんというか、「圧倒的」だった。

 それが、この世で一番美しいと噂されるイシス女王を前にした、俺の感想だ。

 だが果たして、これを美しいと呼んでいいんだろうか。

 もちろん、美人は美人だ。それも、とびっきりの。顔立ちだけでなく、体つきまで含めてだ。

 ここまで俺達をさんざん悩ませてきた、砂漠のくそ暑い気候に、今ばかりは感謝を覚えずにいられない。きっとこの暑さが、女王という位におよそ相応しくない軽装を、目の前の美女に許しているのだろうから。

 軽装とは言っても、光を反射してきらきら金色に輝く鱗状の袖なしドレスは、身に着けているお方がお方だけに、この上なく煌びやかに映る。男女を問わない理想を具現化したような、見事に均整の取れたなめらかな体の曲線が、ぴったりとしたそのドレスの上から窺えた。

 アッサラームでマグナが売りつけられそうになった物とよく似た——もちろん、値段は比べ物にならないだろうが——じゃらじゃらした首飾りを下げていたが、着けている本人の方が余程華やかなので、まるで派手に見えない。

 僭越ながら、女王陛下に唯一、難癖をつけられるとすれば、化粧が濃すぎることくらいだろうか。

 そんなに濃くしなくても、充分にお綺麗ですよ、女王様。いや、まぁ、普通の化粧と違って、それも含めての正装なんだろうけどさ。

 単純な造形美という点では、かのエルフの女王に軍配が上がるだろうが——どちらが、より魅力的かと問われれば、断然こっちだ。

 存在感が、まるで違う。華やかな気品と自信に満ち溢れた——いや、違うな。そんな押し付けがましい印象ではなく、わざわざ自信だなんだと持ち出すまでもない、自然な、ただそこに居るだけの圧倒的な存在感。

 これを、単純に「美しい」のひと言で片付けてしまってもいいんだろうか。いや、よくない。

 そんな反語表現を使いたくなってしまうくらい、要するにまぁ、美人なのだった。

4.

——って、痛ぇっ!

 こっそり腕を抓るんじゃねぇよ、マグナ。そんな、言うほど見とれてねぇから、マジで。

 大体、お前だって、今の今まで呆けた顔して、完全に呑まれてたじゃねぇか。リィナも、シェラもだ。

 女王陛下を前にして、その艶やかな気品に呑まれていなかったのは、アランのおっさんくらいだった。癪に障るが、さすがは年の功ってところか。

 玉座にしどけなく腰掛けて、両脇にはべった侍女に羽団扇であおがれている女王様に、俺がぼんやり見惚れてる間に、話はそこそこ進んでいた。

 見事な戦い振りでした、とか言われて、いやぁ、とかリィナが照れたりしている。頼むから、粗相の無いようにしてくれよな。

「——それにしても、残念です。そなたとファング殿の試合を、是非とも観たかったものですが」

「ファング?」

 女王陛下のお言葉に反応したのは、マグナだった。

「あ——失礼しました」

「いえ、構いません。ご存知のようですね。そうです。かのサマンオサの勇者殿が、つい先日までこの地に滞在していたのです。話せば長くなりますが——あの者は、我が王宮に潜んでいた魔物の存在を暴き、退けてくれたのです」

 喧嘩好きの勇者様は、あちこちでご活躍中らしい。

「大会まで残って優勝者と試合をしてくれるよう引き止めたのですが、あまり興味を持ってもらえませんでした。あの者にとっては、己の力添えを必要とする者の元に駆けつけることの方が、余程大切なのでしょう。立派な人物でした」

 男の分際で、この女王様のお願いを断れるとは、すげぇな。ただの喧嘩好きじゃなかったのか。

「話が逸れましたね——それでは、そなたの望みを聞かせてください。見事な戦い振りを見せてくれた褒美に望みをひとつ、なんなりと叶えましょう」

 女王様に問いかけられて、リィナは救いを求めるようにマグナを見た。

 軽く息を吐いたマグナは、「あたしだって、別に得意じゃないのに」とか漏らしつつ、一歩前に進み出て、ちょっと深呼吸をしてから女王様に顔を向けた。

5.

「失礼ですが、私が代わりにお話しさせていただきます。その——彼女は、口下手なので」

 まぁ、俺達の中で多少なりとも口の利き方を知ってるのは、せいぜいマグナくらいのモンだからな。そのマグナにしたって、かなり危なっかしいんだが、少なくともリィナや俺よりゃまだマシだ。

「構いません。そなたの戦い振りもまた、楽しませてもらいましたよ。最後に女性同士が残った時にも驚かされましたが、その二人が知己の間柄とは知りませんでした」

 にっこりと安心させるように、マグナに微笑みかける。下々に対しても気遣いを惜しまないとは、こりゃ、臣民に人気がある筈だわ。

「頼りになる仲間を持って、そなたらも心丈夫なことですね」

 魂を吸い取られそうな——と言っては、さすがに大袈裟だが——微笑みを向けられて、どうしていいか分からずに、ちょっとおどおどしちまった。格好悪ぃなぁ、俺。

「いや、全くですな。仰る通りです」

 なんで手前ぇが答えるんだよ、おっさん。

「——よろしいですか?」

 マグナの問いに、女王様は鷹揚に頷いた。

「どうぞ。なんなりと」

「えっと……お尋ねしたいことがあるんです」

「ほぅ。なんでしょう」

「女王陛下の美貌の秘密を——」

 どごっ。

「失礼しました~」

 胸板を思いっ切りどつかれて、さすがにゴホゴホとむせ返るおっさんの隣りで、リィナが愛想笑いを浮かべる。

 あのリィナがツッコミ役を強いられるんだから、おっさんのどうしようもなさは、なんともどうしようもねぇレベルだよな。

 お咎めを受けるかと思いきや、女王陛下は鈴を転がすようにころころと、それはもうお上品にお笑いになった。

「ほほ、ひと時の美しさなど、なんになりましょう。所詮、薄皮いち枚の美醜で一喜一憂するなど、虚しいことではありませんか。わらわにしてみれば、そなたらの戦う姿の方が、余程美しく思えます」

 これだけの美貌を鼻にかけないとは、どこまでも出来た女王様だ。この国の連中の気持ちが、少し分かるぜ。

6.

 仕切り直すように咳払いをして、マグナが続ける。

「えぇと——それでは、申し上げます。陛下は『魔法の鍵』について、何かご存知ではありませんか?」

「まほうのかぎ……ですか」

 イシス女王は、はじめて聞いた単語みたいに繰り返して、後ろにずらりと控えた侍女のひとりを振り返った。

 おいおい、なんだか話が違うんじゃねぇの。

「あの、『魔法の鍵』を管理しているのはこちらの王家だと伺って、それで私達はここまで来たんですけど……」

 マグナの声も不安げだ。

 しばらく侍女と小声で確認していたイシス女王は、やがて得心がいった顔でこちらに向き直った。

「失礼を。魔法王と称された、かのネフェルカプタハの鍵のことですね。確かにそれは、我が祖先と共に墓所に安置されています。そうですか。巷間では『魔法の鍵』と呼ぶのですね」

「あ、はい。多分、それのことだと思います」

「して、そなたらの望みとは、その鍵ということになるのでしょうか」

「はい。そうです」

 マグナが頷いてみせると、女王様は頬に手を当てて困った顔をしてみせた。そんな仕草も、まことに魅惑的でいらっしゃる。

「……お譲りいただくのは、難しいですか?」

 恐る恐る切り出したマグナに、イシス女王ははにかみを浮かべて頭を横に振った。

「いいえ、そうではないのです。望みをひとつ叶えると、わらわが口にしたからには、そなたらに与えることに否はありません。ですが、残念ながら、かの鍵を持ち出す術がないのです」

「と、仰いますと?」

「王族の墓所たるピラミッドには、不届きにも墓所を暴こうと企む賊を排する為に、様々な罠が仕掛けてあります。ですが、設計者は黙したまま、王が共に連れ逝くのがならわしですから、それがいかなるものかは伝えられていないのです。いたずらに人をやったところで、あたら命を落とすだけでしょう」

「なんだ、そんなことなら、ボク達で取りに行けば問題ないよね」

 リィナの囁き声に、マグナは嫌そうな顔をした。

「え~、また砂漠を渡るの?……しょうがないわね——そちらで取ってきていただくには及びません。許可さえいただければ、自分達で取りにいきますから」

「それは——いえ、そうですね。そなたらであれば、然したる難事にはあたらないかも知れません。もちろん、許可は与えましょう。ですが、充分に気をつけることです」

7.

「はい、ありがとうございます」

 浮かないマグナの声だった。

 また砂漠を旅して、しかも危険に飛び込むようなハメになっちまったんだもんな。リィナは気楽に言ってくれたが、俺も正直、気乗りしねぇよ。

 それにしても、まさかここまでたらい回しにされるとは思わなかったぜ。アイシャのヤツ、さも簡単に見つかるような口利きやがって。

「詳しいことは、その者に尋ねるとよいでしょう」

 先ほど魔法の鍵について女王陛下に伝えた侍女が、ぺこりと頭を下げる。

「それにしても、そなたらの手を煩わせるとあっては、わらわが望みを叶えたとは言い難いですね。他に、なにか望みはありませんか」

「え——っと」

 マグナが困惑顔で俺達をかえりみる。

 いや、急に他の望みって言われてもなぁ。賞金も貰える訳だから、これ以上金をねだるのも、なんだか浅ましくて気が引けるし——

「それでは、女王陛下と一夜の——」

 皆まで言わせず、リィナがおっさんの胸板をどついて黙らせた。これまでで、一番強烈な叩き方だった。

 ホントにしょうもねぇな、このおっさんは。何しに来たんだよ、あんた——まぁ、なんとなく想像はついてんだけどさ。無事な女王様とご対面できて良かったな。

「特に無いようでしたら——これ、あれを持ちなさい」

 先ほど頭を下げた侍女が、再び頭を垂れてからどこかに歩み去り、いくらもしない内に小振りの宝箱を両手で捧げて戻ってきた。

「リィナといいましたね。そなたに、これを授けましょう」

 リィナは、侍女に手渡された箱とイシス女王を、きょろきょろと見比べた。

「どうぞ。開けて御覧なさい」

 にっこり笑顔で促されて、蓋を開ける。

 そこには、繊細な装飾の施された不思議な光を放つ腕輪が収められていた。

「我が王家に伝わる秘宝、『星降る腕輪』です。身に着ければ、夜空を流れる星の如き素早さが手に入ると伝えられています」

「へぇ——でも、えっと……秘宝なんてもらっちゃって、いいんですか?」

「構いません。観戦していた時から、そなたに贈ろうと思っていた物です。それを身に着けて、いつか分身の術が本当にできたら、わらわにも見せてくださいね」

 多分、ご冗談のおつもりなのだろう。

 女王陛下は、おかしそうにころころとお笑いになり、リィナは箱を片手で抱えたまま、指で頭を掻いて恐縮した。

8.

 イシスの王宮をお暇する段になって、なにやら急にもよおした俺は、便所の場所を門番に尋ねてそちらに向かった。

 マグナに呆れた顔をされたのは、ついさっき女連中がもっと奥で用を済ませた際に、「俺はいいや」とか言って行かなかったからだ。そん時は、別にしたくなかったんだから、仕方ねぇだろ。

 リィナが目を丸くしながら、「もーびっくり。ぜんぶ金ピカだよ、金ピカ。ヴァイスくんも、覗くだけ覗いてくればよかったのに」とかのたまったのを聞いた時は、多少後悔したんだが。

 ともあれ、詰所の衛兵なんかが使う、宿屋のソレと大して変わらない普通の便所で用を足した俺は、戻る途中で奇妙なことに気がついた。

 何故か、いつの間にやら、また便所の方に向かって歩いていたのだ。

 おかしなことは、他にもあった。

 今日は王宮の一部を解放してる訳じゃないから、見かける衛兵の数は昨日よりも少ない。とは言え、それなりの数がそこらに立っていた筈だし、衛兵の他にも下働きやらなんやら、そこかしこに人の姿は目についたのだ。

 ついさっきまでは。

 だが、今は——

 目の届く範囲に、誰もいない。

 周囲は、しんと静まり返っていた。

 俺が、この異変に気付くことが出来たのは——おそらく、たった今、感じている悪寒に覚えがあったからだ。

 そうでなけりゃ、無意識の内に便所まで戻っていただろう。何者かに操られるようにして。

 踵を返して、マグナ達の待つ正門の方へ向かおうとすると、ソレは一層強く感じられる。

 このイヤな感覚——行きたくねぇ。心臓が激しく脈打ち、体も頭も「引き返せ」と警告を発しているのに、俺は足を止めなかった。

 歩を進めるに従って、列柱の陰に隠れて見えなかった小さい何かが視界に入る。

 猫だ。

 この国では、どうやら猫が神聖視されているらしく、人間よりも大きな顔をして、王宮内のそこら中で寝そべっているのを見かけたが——

 背筋をぴんと伸ばして、まるで彫像じみて微動だにせず、床に座っている猫の視線の先。

 びくん、と足が動きを止めた。

 全身の皮膚が粟立ち、震えが脳天に抜ける。

 フードつきの黒いマント——

 カンダタ共とやり合った時に見かけた、あの魔物——

9.

 それはいきなり、俺の頭の中に雪崩れ込んできた。

 言葉ではない。少なくとも、人間の言葉ではない。

 それはまるで、言葉になる以前の漠然としたイメージ。だが、人間である俺には、人間の言葉でしか物を考えることができない。だから、理解が及ぶほんの一部の断片を、脳みそが無理矢理人語として解釈しているような——

 苦しい。吐きそうだ。

 口の中に物を突っ込まれて、力づくで喉の奥に押し込まれてるみたいな感覚。いや、咳き込んで吐き戻せる分、そっちの方がまだマシだ。

 脳みそは、咳き込めない。

 気を失っちまいそうだ。

 イシス女王——とは違って——

 完全には操れない——

 斃されはしたが——

 目的は果たした——

 最低限の——

 猫から、黒い染みが滲み出た。 

 いや、実際に目で見えた訳ではない。

 そう感じられたのだ。

 それが何か、俺は理解していた——というより、強引に理解させられていた。

 王宮に忍び込み、ファングに斃されたという魔物の残留思念。

 それを、黒マントが猫を媒介に呼び出したのだ。

 俺の頭に捻じ込まれたのは、こいつらの会話だ。

 本来は、俺に分かる筈の無い会話——それは、理解が及ばないほど邪悪だからだとか、そんな大それた話ではなく。

 人間である俺には、本当の意味で、例えば猫の意識は理解できない。多少、人がましい反応を見せた時に、人間のそれに置き換えることによって「理解したつもり」になるのがせいぜいだ。

 魔物の場合も、それに近い——「本当の意味で」なんて言い出したら、人間同士ですら、理解し合えるとは言い難いのかも知れないが——やはり、それとは違うのだ。

 人間同士が分かり合えない、そう表現する場合とは、まるで異なる。

 身を以って体感した。

 魔物と俺達は——ただひたすらに、絶望的に異質なのだ。

 理解や共感なんて言葉とは、かけ離れている。思考の筋道が違うというより、筋道があるのかどうかすら分からない。

 全く把握できない思考の塊を、力づくで頭の中に捻じ込まれて、ブツ切れの断片とはいえ無理矢理理解させられて——

 これが長時間に及んでいたら、俺は発狂していたに違いない。

10.

 脳裏の片隅に、無口な女の無表情な顔が浮かぶ。

 ルシエラは、こんな風にして魔物と意志の疎通をしてたのか。そんなことが可能なのか。

 魔物を異質と決め付けるのは早計で——あの女は、人間と魔物が理解し合えるという可能性を示しているんだろうか。

 両者の橋渡しとなれる存在なのか。

 そんな風には、全く思えなかった。

 生れ落ちた時から、ルシエラにとって人間のそれではなく魔物の意識が「当たり前」だったとしたら、あの女が人間を理解するのは、無理だ。断言できる。

 魔物を理解できるなら人間は理解できないし、その逆もまた然り。両者を同時に正しく理解するなんて、不可能としか思えない。

 あの女が、人間相手のコミュニケーションを不得手としているのは、当然なんだ。見よう見真似で、表面的に人間っぽく振る舞ってみせるのがやっとだろう。

 思えば、カンダタのアジトで見かけた時の、この黒マントもそうだったのだ。

 誰に教えられたのか知らないが、無理して人間の言葉を使っていただけで、内容をきちんと人間的な意味で理解していたかは怪しい。

 フードの奥でゆらめく、妖しい二つの光。

 そいつは、今、確実に俺を見た。

 だが、俺に目撃されたことの意味を、全く理解していなかった。

11.

 周囲から人気が失せたのは、この場に人間を寄せ付けないある種の結界を、この黒マントが張っているからだ。

 わざわざ、そんな手間までかけてるってことは、今のは密談だったんだろう——だが、マズいところを見られたとかなんだとか、そういう人間じみた考えを、黒マントは一切持ち合わせていなかった。

 結界を張ったのは、何者かにそうした方がよいと助言されたから。ただ、それだけ。

 黒マントにとって俺は、人間で言えば密談中にたまたま紛れ込んだ猫と大差なく——違うな。密談なんて発想自体が、あるいは人間的な考え方に過ぎないのか。

 自分がしていたのが、密談だとすら思っていない——いや、そもそも、こいつは何かを思っているのか

 ダメだ、人間の言葉じゃ、俺の脳みそに捻じ込まれた、こいつの感覚が説明できない。

 それにしても、普段相対している魔物に、ここまで異質を感じたことは無い。

 ゆらりと、黒マントが宙に浮いた。

 こいつは、魔物の中でも、さらに異質なんだろうか。

 さながら幽鬼の類いのように、黒マントはすぅと壁を抜けて姿を消した。

 黒マントの人間に対する無理解に、俺は感謝するべきだろう。

 命冥加もいいところだ。

 人がましく口封じに襲い掛かってこられたら、一瞬で殺されていた。

 それは、確実だった。

 飢えた猛獣の前に素っ裸で放り出される——そんな経験はもちろん無いが、そんな目にあってすら、ここまでの確信は持てないに違いない。それくらい、はっきりしていた。

 気がつくと、俺は激しい呼吸を繰り返していた。

 熱に浮かされたみたいに、頭がくらくらして足元が覚束ない。

 冷たいイヤな汗が、全身の毛穴から噴き出している。

 吐き気を堪えきれず、口を押さえた。

 黒マントは、確かに俺がここに居た意味を理解していなかった。

 無視とか、無頓着とか、そういうのとも、少し違う。

 ただ、理解していなかった。

 だが——顔を覚えられた気がした。

 ふと目を向けると、猫は何事も無かったように大きく口を開けて、のんびりと欠伸をしていた。

12.

「遅い!もう、なにしてたのよ」

 気分が落ち着くまで時間を置いたので、俺の顔つきは平素と変わらなかったと思う。

「いや、あのな。便所に行ってすることなんて、ひとつしかねぇだろ」

 戻った俺を、マグナは「アンタ、手は洗ったんでしょうね?」みたいな目つきで睨みつけた。当たり前だろ、ちゃんと洗ったっての。

 少し迷ったが——俺は、さっきの出来事を誰にも告げないことにした。

 ファングの活躍のお陰で、王宮に忍び込んでいた魔物は既に斃されている訳だし、彼奴等がまた直ぐこの国にちょっかいをかけるつもりが無いことは、さっきの会話で「分からされて」いたし——なにより、俺が早く忘れたかったのだ。

 ゾッとしねぇよ。魔王を斃そうと思ったら、あんな魔物ともやり合わなきゃいけないんだろ?

 やっぱり、こいつに魔王退治なんてさせたくねぇよ。改めて、そう思う。

 情け無ぇけど、あんなバケモン相手に、守ってやれる自信が、まるで無い。

「——なによ?」

「いや、別に。待たせて悪かったな」

 怪訝に見返してくるマグナに、俺はとぼけてみせた。

 王宮前広場では、早くも観客席の撤去作業がはじめられていた。ホントに、昨日の為だけの即席だったんだな。贅沢なことで。まぁ、贅沢がこよなく似合う女王様ではあったけどさ。

 広場を抜けて王宮を出ると、出口の脇でフゥマが俺達を待ち受けていた。

 一瞬、俺の背中に隠れる素振りをみせたシェラは、なんとか踏み止まる。宿屋の場所くらい、教えといてやりゃ良かったのに。多分こいつ、お前に会う為に、ずっと待ち伏せてたぞ。

「やぁ、フゥマくん」

 リィナが手を上げて挨拶をし、マグナは相変わらず嫌そうな顔をしたが、以前よりは心なし表情に険が無いように見えた。

 よかったな、フゥマ。怖くて手強い方のお姉さんも、しぶしぶ認めてくれたみたいだぞ。

「よぅ——あれ、なんでオッサンが一緒なんだ?」

 フゥマが間の抜けた声を出す。

 そういや、女王様との謁見を終えた後、どっかに消えてたアランのおっさんが、いつの間にやらまた合流してやがるな。

「まぁ、都合良かったけどさ」

「ん?なんか用かい、ボクちゃん」

 アランに子供扱いされて、フゥマはちょっと鼻白んだ。

「そうだよ、オッサン。あんたに用があんだよ。後で、ちっと付き合ってもらうかんな」

 言いながら、シェラに顔を向ける。

13.

「昨日は、ありがとうございました」

 そう言って、シェラは頭を下げた。

「い、いや、こっちこそ」

 フゥマは、ぼりぼりと頭を掻く。

 それきり、しばらく無言が続いた。

 二人きりにしてやった方がいいのかね——けど、リィナは興味津々って顔つきだし、マグナはシェラにヘンなことしたら承知しないからねみたいな目つきをしてやがるし、どうせ陰から覗くことになるだろうから、ここで見ててもおんなじか。

「あの——」

 先に口を開いたのは、シェラだった。

「は、はい?」

 声が裏返ってるぞ、フゥマ。

「昨日、言ってくれたこと……すごく嬉しかったです」

「い、いやぁ」

「でも……」

 シェラは、一旦俯いた顔を上げて、フゥマを見詰めた。

「次に会う時までに、もう一度よく考えてみてください」

「へ?」

 虚を突かれたみたいに、フゥマはきょとんとした。

「い、いや、オレの気持ちは、昨日言った通りだし、別に考える必要なんて——」

「お願いします」

 真剣な眼差しを向けられて、フゥマも表情を改めた。

「……分かりました」

 なるほど。俺が心配してたことくらい、シェラも先刻承知だったらしい。願わくば、一時の気の迷いなんかじゃなく、ちゃんとシェラと向き合ってやって欲しいが——まぁ、もう俺が下手に口出しすることじゃねぇからなぁ。

「お仕事頑張ってくださいね。フゥマさん、すぐ無茶しそうだから、心配です」

「ああ、うん、ありがとう……えっと、その——」

 次に会う約束でも取り付けるつもりだったんだろうが、予めシェラに機先を制されたフゥマは、もごもごと口篭った。

「……シェラさんも、道中気をつけて」

 結局、それだけ言って、シェラの安全について釘を刺すように俺達を見回してから、フゥマはアランに向かって顎をしゃくる。

「——そんじゃ、オッサン。ちっと付き合えよ」

「ん~、ボクちゃんのお誘いかい。あんまり気乗りしないねぇ」

「ンなら、力づくってことになっけど」

「あらら、おっかない。おっちゃん、脅迫されちゃった」

 背中に隠れたアランを、リィナはちょっと顔を傾けて振り返った。

14.

「行ってあげれば。なんか用事あるみたいだし」

 あっさり突き放されて、アランはこれ見よがしに落胆の表情を浮かべてみせる。

「ツレないねぇ、お嬢ちゃん。昨日の夜は、あんなに激しくおっちゃんを求めてくれたのに」

「はいはい、そうだったね。でも、ボクの用事はもう済んじゃったし」

「あらら、事が済んだらポイだなんて、そんなに冷たいコだったの?おっちゃん、ショックで倒れそうよ」

「あのね……まぁ、稽古相手には、丁度よかったけどさ」

「いちおう言っとくけど、一緒になんて連れてかないわよ」

 マグナが嘴を挟んだ。

「あんたなんて連れてったら、身の危険が増えるだけだわ」

「いやいや、人生に必要な、ほどよい刺激と彩りと言って欲しいねぇ。それに、今よりきっと、お嬢ちゃん達にご満足いただける自信はありますがねぇ」

 この野郎、なんで横目で俺を見やがった。

「結構よ。あんたとは、ここでお別れ。ああ、オアシスの時のことは、改めてお礼を言うわね。どうもありがとう。それじゃ、さようなら」

 取り付く島も無い物言いは、マグナの真骨頂だ。

 縋る目を向けたリィナには肩を竦められて、アランは自分でも肩を竦めてみせた。

「やれやれ、分かりましたよ。名残惜しいけど、まだ摘むにはホンの少し早いみたいだし、またの会う日を楽しみに——手塩をかけて育てるっていうのも、一度やってみたかったけどねぇ」

 どうせ枯らしちまうから、やめとけ。

「その前に——ちょっとおいで、ぼうや」

 そう言って、手招きをする。

 ぼうやって、まさか俺のことか?

 自分を指差してみせると、アランはひとつ頷いて手招きを続けた。

「なに?ヴァイスくんに、ヘンなこと吹き込まないでよ?」

 疑り深いリィナの視線に、おっさんは両手を振って否定する。

「いやいや、単なる連れションですよ、連れション。それとも、お嬢ちゃんが一緒に行ってくれるかい?」

 連れションて、あんた。俺、さっき便所に行ったばっかなんですが。嘘吐くにしても、もうちょっとマシな言い訳考えろよ。

 おっさんが適当なことしか言わないのは、既に全員よく分かっていたので、誰も突っ込もうとしなかった。

15.

「それじゃ、ちょっとお借りしてくよ」

 促されて、しょうことなしに後についていく。

 少し離れた道端で、俺に背中を向けたまま、アランが口を開いた。

「で、どうした。なんかあったのかい?」

「へ?」

 なんの話だ。

「いやね、便所に行ってから、ぼうやの顔つきが心ここにあらずって感じだからさ」

 こいつ、案外鋭ぇな。

「いや、別に何も。つか、坊やは止めてくれよ。俺、これでも——」

 アランは足を止めて振り返り、俺の頬をぎゅっと抓った。

 痛ぇよ、バカ、なにしやがる。

「大の男のつもりなら、あんな可愛いお嬢ちゃん達に囲まれて、小難しいツラしてんじゃないよ」

 そんなに顔に出てたのか——そうかもな。

 さっきの出来事は、未だに俺の調子を狂わせている。それは、自分でもよく分かる。頭から布団をひっかぶってひと晩寝ないと、治らねぇかも——つか、痛ぇっ!いい加減、離せよ、この野郎!!

 手を振り払って睨みつけると、アランはにやりと唇を歪めた。なに笑ってやがんだよ、手前ぇ。

「たったひとりの男でしょうが。頼られようが頼られまいが、頼りにならなくちゃいけないんだよ、お前さんは」

 このオヤジ、人が気にしてることを。

「お嬢ちゃん達を不安にさせるような、辛気臭いツラしてどうすんの」

「あんたに……言われる筋合いはねぇよ」

 よく考えたら、まともに喋ったのすら、今がはじめてじゃねぇか。なんで、こんなこと言われなきゃならねぇんだ。

「だから、ぼうやだって言うんだよ」

 表情から内心を見透かしたみたいに、アランは鼻で笑った。ムカつく。

「いいかい、ぼうや。女ってのは誰でも、男が詮索しちゃいけない秘密を持ってるもんだ。そいつは分かるな?」

 なにを突然、どっかで聞いたような台詞をほざきやがる。

 無視していると、アランも黙したまま俺から視線を逸らさなかった。

 くそ、俺が頷くまで、黙ってやがるつもりだな。

「……ああ」

「よーし、いいコだ——だがな、あのリィナってお嬢ちゃんの抱えてるモンは、普通の女のソレとはちぃっとばっかしワケが違うみたいだ」

「……分かってるよ」

 あんたに言われるまでもなくな。

16.

「ほぅ、そりゃ結構。なら、お前さんがどうするべきなのかも、分かってるな?」

 アランは俺の首根っこに腕を回して、ぐぃと自分の顔に引き寄せた。苦しいっての、このクソオヤジ。無精髭がじゃりじゃりして、気持ち悪ぃよ。

「よく聞けよ、ぼうや。いっくら強いったってな、あのお嬢ちゃんは女の子だ」

 どん、と俺の胸を拳で打つ。だから、痛ぇよ。

「お前さんが大人の男ってんなら、気をつけて守ってやんなきゃいけないんだぜ?分かってるか?」

 うるせぇな。

「分かってるよ」

 ニヤリと笑って腕を緩め、俺の頭をよしよしと撫でる。

「はい、お利口さん」

 やめろ、バカ。

「けどな、お利口さんも、場合によりけりだ。なんでも、あんまり小難しく考えなさんな。男はここぞって時だけ、しっかり腹と腰を据えときゃいいのよ——ほれ、不景気なツラすんじゃないの」

 俺の眉間に寄った皺は、アランの指で無理矢理伸ばされた。

「人生とは、コレすなわち愛と冒険よ。もう少し気楽に愉しんでも、バチは当たんないんだしさ。こっちで面倒見といた分は、しばらく貸しといてあげるから、ま、頑張んなさいよ、ヴァイス君」

 背中をどやしつけられた。

「とはいえ、お利口さんなようで迂闊なぼうやに、お嬢ちゃん達を任せるのは、やっぱり心許ないけどねぇ」

 何かを含んだような目つきを俺にくれて、言いたいことだけ吐き出すと、アランはさっさとリィナ達の方に戻っていく。

 くそ、なんなんだよ。

 おっさんがリィナを心配してるのは分かるが——やっぱり、俺って端から見たら、そんなに頼りなく見えんのかね。

 にしても、昨日今日の付き合いの癖しやがって、リィナのことを分かってるみたいな口振りなのが気に喰わねぇ。手前ぇなんぞに、わざわざ言われなくたってなぁ——

 前を歩くアランに聞かれるのがシャクで、俺は溜息をなんとか堪えた。

「お待たせ、ボクちゃん。それじゃ、お話を伺いましょうか。女か金のどっちか出てくるお話じゃないと、おっちゃん途中で眠っちゃうから、そのつもりでいてよねぇ」

「あ、ああ。もう済んだのか。それじゃ、シェラさん、また——」

「はい、また——」

 シェラとフゥマは、お互い微妙に視線を逸らせながら、二人して語尾を濁した。

 気楽に愉しめなんて、こいつらにこそ言ってやれよ、このクソオヤジ。

17.

「じゃあねぇ、お嬢ちゃん方。お名残惜しいけど、またお会いしましょうねぇ」

「うん、昨日はありがとね、おっちゃん」

「いやいや、こちらこそ。お陰さんで、女王様を間近で見られて、おっちゃん感謝感激よ」

「どっかで会ったら、また稽古に付き合ってよ」

「はいはい、喜んで。今度はアッチのお稽古にも、付き合ってちょうだいねぇ」

 最後までしょーもないことをほざきながら、おっさんは肩越しに手を振って、フゥマと共に去っていった。

 遠ざかるフゥマを凝っと見送るシェラに、声をかける。

「あれで、よかったのか?」

「え——はい。やっぱり、ちょっと時間を置いた方が……私も、もう一度、ちゃんと考えます」

 こちらを振り向いて、微かに笑った。

「あの——フゥマさんには、まだ神殿の話とか、しないでくださいね」

 そうだな。またややこしくなっちまいそうだし、それがいいかもな。

「ああ。分かった」

 お前に任せるよ。

 ホントに、俺なんかより、よっぽどしっかりしてるしな。

「で、おっちゃんに、なに言われてたの、ヴァイスくん?」

 リィナが、覗き込んできた。

「別に。大したこっちゃねぇよ」

 お前に言えるかよ。

「ホントにぃ~?」

「ヘンなこと話してたんじゃないでしょうね」

 マグナまで口を出してきやがった。

「だから、しょーもねぇ事だって。あのおっさんが下らない事しか言わねぇのは、お前らもよく分かってるだろ」

「まぁねぇ」

「そりゃそうだけど」

 疑わしげな目つきながらも、どうやら納得したようだ。おっさんの人徳の無さがありがたいね。

 よりにもよって、あんなフザけたおっさんにまで、お前は頼りにならねぇから、もっとしっかりしろとか発破かけられたなんて、口が裂けても言いたかねぇよ。

18.

 その日はそのまま一日休んで、次の日に砂漠の案内人の組合を尋ねた俺達は、幸いまだ客を取っていなかったナジに再び案内役を頼んで、イシス王都の真北にあるというピラミッドを目指して出発した。

 砂漠の旅は、相変わらず過酷だった。

 秋も深まる頃合だというのに、一向に気温が下がる気配すらなく、灼熱の太陽が、極寒の夜陰が、容赦無く俺達の体力を奪っていく。

 途中で無人のオアシスに立ち寄っても、マグナはもう泳ごうとしなかった。信用無いね、俺も。まぁ、そうなったら、もちろん覗く訳ですが。だって、それが礼儀ってモンだろ。

 うんざりするほど単調な、砂まみれの道程を経て、辿り着いたピラミッドは——

「うっわ、すっごいね~」

「なんなの、コレ。ホントにお墓?」

 アホみたいに大きかった。

 ホントに、なんだこれ。大きさを表現しようにも、上手い言葉が見つからない。これまでに目にしたどんな建築物も比較の対象にはなり得ず、正直なところ人工の山にしか見えない。

 四角錐の形に石を積み上げただけの王家の墓は、造りとしては非常に単純だ。だが、その石の数と大きさが、半端ではない。

 両手でも抱えられない——というか、どうやっても持ち上がりそうもないデカい石が、文字通り無数に積み重ねられているのだ。

 こんな何も無いトコに、どうやって造ったんだよ、コレ。

 たかが個人の墓だってのに、こんな馬鹿デカいモンを造っちまうようなお国柄だ。武闘大会の観客席を急造で拵えちまうくらい、大したことじゃなかったのかもな。

「ん?誰かいるよ?」

 リィナの言葉にそちらを向くと、ピラミッドの麓に人影が小さく見えた。

 数はふたつ。

 ひとりは、地面にへたり込んでいる。

 傍らに立つ、もうひとりの被ったフードを目にして、俺の心臓はぎくりと縮み上がった。

 違う——落ち着け。あの魔物じゃねぇよ。色だって、黒じゃなくて煤けた白だ。

 まいったね。相当ビビってんな、俺。

 って、おい、ちょっと待て。

「あれって、フゥマさんの……」

 シェラが呟いた。

 そう、フードの主は、あのにやけ面だった。

 二度と会いたくなかったんだが、こんなトコで出くわしちまうとは、よっぽど縁があるのかね。切れるモンなら切っちまいたいところだが。

19.

「あ……」

 マグナは、もうひとり——地面にへたり込んでいる方を見て、声を漏らした。

 俺は、舌打ちを堪える。

 ボロボロのナリをしてやがるが、見忘れよう筈もない。

 マグナが気になってしょうがない男。

 あれは——アルスだ。

 あいつら、仲間だったのかよ。ますます胡散臭ぇな。

 連中は元から俺達に気付いていたらしく、アルスがよろよろと立ち上がるのを待って、こちらに歩み寄ってきた。くそ、来んじゃねぇよ。

 敵対関係と決まった訳でもないから、いきなり戦闘になる確率は低いと思うが、ナジに礼金を渡して、この場から離れるように言い含める。

 俺達は、帰りはルーラでひとっ飛びだからな。ご苦労だが、ラクダはナジに連れ帰ってもらう手筈になっていた。

 手短に別れの挨拶を交わして——無口な小僧は、黙然と頷き返しただけだったが——ラクダの頭を巡らせたナジと入れ替わりに、にやけ面とアルスがすぐ近くで足を止めた。

「これはこれは。皆さんとは、思いがけない場所でばかりお会いしますね」

「ちょっと、どうしたの、その格好——大丈夫?」

 にやけ面の台詞をまるきり無視して、マグナが心配そうにアルスに声をかけた。

 ズタボロの旅装を纏ったアルスは、自嘲気味に笑う。

「ああ、大丈夫だ。傷自体は、もう治っているからな。見っとも無いところを見られたもんだ」

「そんなことないけど……」

「おや。アルスさんも、こちらの方々と既にお知り合いでしたか」

 アルスは、にやけ面に顎を引いてみせた。

「ああ。前に街で興味深い人間に会った話をしただろう。あれは、このマグナの事だ」

「ほぅ。それはそれは」

 にやけ面は含みのある物言いをしたが、まるで表情が変わらないので、その内心はさっぱり読めやしなかった。

20.

「……あそこで、何してたの?」

 マグナの問いかけに、アルスはなんでも無さそうに答える。

「ちょっとした探し物だ」

「探し物って……まさか、『魔法の鍵』じゃないでしょうね?」

「ん?いや、違う。そうか、マグナはそれを探しに来たのか。それは知らなかったな」

 こいつが歳に似合わず芝居が上手いってんじゃなければ、どうやら本当に知らない顔つきだった。

 鍵を巡って争わずに済んで、マグナはほっとした様子だ。

 お前、こいつが先に鍵を手に入れてたら、ちゃんといつもみたいに横からぶん捕ろうとしたんだろうな?

「『魔法の鍵』ですか。それは、我々には必要の無い物ですね。墓泥棒に持ち出されていなければ、まだ中にあるんじゃないですか?」

 と、にやけ面。

「これからマグナ達も、ピラミッドに入るのか?」

「ええ。そのつもり」

 くそ、お前ら、見詰め合ってんじゃねぇよ。

「なら、通路の真ん中を歩かないことだ。地下に続く落とし穴があるんでな」

 野郎は、ちらっと俺に目をくれた。

「地下は魔法が封じられている上に、魔物ともつかない奇妙な亡者共がウヨウヨしている。落ちたら厄介だぞ」

 落ちたら、俺は役立たずだって言いたいのか、この野郎。

「うん、ありがとう。気をつける」

 礼なんか言うな、マグナ。

「もう地下には、何もありませんからねぇ。確かに、落ちないに越したことはないでしょう。『魔法の鍵』は、おそらく上の方にあるんじゃないでしょうか」

 ご親切に、どうも。手前ぇらなんかにゃ、何も聞いてねぇんだよ。

 ちょんちょん、と脇腹を突付かれた。リィナだ。

「ヴァイスくん、顔が怖いよ」

 ひそひそ声で、そんなことを言ってくる。

 馬鹿言え、ンなことねぇよ。シェラも、そんな顔すんなっての。

21.

「さ、では戻りましょうか。呪文で回復したとはいえ、アルスさんには、お独りで亡者の群れをお相手していただきましたからね。少し休んでいただかないと」

 やけに説明的な、にやけ面の台詞回しだった。どういうつもりだ、こいつ。

 案の定、すぐにマグナが反応する。

「独りって——あんたが一緒だったんじゃないの!?」

「いえいえ、私はつい先程、お迎えにあがったばかりですよ。アルスさんが仰ったように、地下では魔法が使えませんからね。私がご一緒しても、足手まといになるだけです。休み無く襲いくる亡者を蹴散らして、無事に生還を果たしたのですから、本当にアルスさんは大したものです」

 何をわざとらしく、持ち上げるような事をほざいてやがる。

「なに言ってんの?なんで、そんな危ないトコに、独りで行かせたりしたのよっ!?」

「いや、いいんだ。俺が自分で行くと言ったんだ」

 肩に手を置かれて、マグナはアルスを見上げる。

「でも……」

 なんだなんだ、その心の底から気遣ってるみたいな目つきは。

「それより、マグナが心配だ。ここの亡者共は、なかなか手強い。俺としては、マグナにあまり入って欲しくないんだが——」

「だいじょぶ。心配要らないよ」

 リィナに言われて、アルスは二枚目面に微笑みを——じゃなくて、くたびれた小汚いツラに嫌味ったらしい薄ら笑いを浮かべた。

「そうだな。あんたがいれば、心配無いか」

 アルスは、マグナの髪を撫でる。汚ぇ手で、気安く触んじゃねぇよ。マグナも、なんで文句言わねぇんだ。そいつが俺だったら、絶対嫌な顔するだろ、お前。

「じゃあな。こんな場所でなければ、もう少しゆっくり話したかったが」

「あ、うん……あんまり無茶しないでね」

 ケッ。もっと無茶して、どっか知らねぇところでくたばりやがれ。

「それでは、いずれまたお目にかかりましょう」

 にやけ面はアルスを促して少し離れると、ルーラを唱えた。

 うるせーうるせー。手前ぇら、二度とそのツラ見せんじゃねぇぞ。

 野郎が去った後を見送るように、マグナは空を見上げていた。

 いや、あのな。ルーラは別に、空飛ぶ魔法じゃねぇからな。

22.

「——な、なによ?」

 振り返って俺の顔を見るなり、マグナはぎょっとして口篭った。

 なんだよ、そんなに不機嫌なツラしてんのか、俺?

「別に」

 って、低っ。これ、俺の声か?

 マグナは、少し困った顔を見せた。

「あのね——前にも言ったでしょ?アルスとは、そういうんじゃないんだってば」

「別に、何も言ってねぇだろ」

 声を普通に戻そうとして、失敗した。

 すげぇぶっきら棒な口調になっちまった。

「なによ、その言い方……言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」

「なんもねぇよ」

「嘘。顔に書いてあるじゃない」

「書いてねぇよ。なんだよ、それ」

 いつの間にやら距離を置いて、シェラはハラハラした顔つきで、リィナはにやにやしながらこちらを眺めている。

 マグナが、正面から俺の目を見た。

「ホントに……何も無いの?」

「……ああ」

 俺は、目を逸らした。

「……なによ、バカ」

 微かな呟きが、辛うじて耳に届いた。

 そうね。バカかもな。

 でも、俺は——

『なんでも、あんまり小難しく考えなさんな』

 やかましいんだよ、クソオヤジ。

 ひょっこり出てきて、何も知らねぇクセに、さんざん好き勝手ぬかしやがって。

 俺は、こうなんだよ。今さら変えられるか。文句あんのか、この野郎。

23.

「それにしても、あのアルスくんって人、マグナとお似合いだよね~」

 聞こえよがしに、リィナがシェラに話しかけた。

「え——あの」

「なんて言うんだろ、並んでるとハマって見えるっていうか、すっごい自然な感じがするよね」

「——そ、そうかも知れませんね……うん、そうですね。私も、お似合いだと思います」

 示し合わせて、俺に何を言わせようってんだ。女同士で結託しやがって。

 ヤキモチ焼いてました、って言やぁ満足なのかよ。

「ちょっと、二人とも、何言ってんのよ。だから、そういうんじゃないって——」

「そうだな。お似合いなんじゃねぇの」

 我ながら、気の無い口振りだった。

 リィナが、「あちゃぁ~」みたいな表情を浮かべる。

 いいから、お前は余計なことすんなっての。見え透き過ぎてんだよ。

 アランのおっさんなら、分かってても乗っかるところなんだろうけどな。

 生憎と、俺は坊やらしいんで。

「さっきもまた、ぽ~っとした顔で見とれてたしよ。別に無理して、『そういうんじゃない』とか否定しなくてもいいんじゃねぇの」

「なによ、それ……」

 マグナの顔に浮かんだのは、怒りや苛立ちではなかった。

 伏せた目の上で、睫毛が微かに震えている。

「なんで……そんなこと言うのよ。あの時、分かったって言ったじゃない」

 あれ?

 反応が、予想と違う。

 てっきり、ムキになって言い返してくるかと思ったが——

「嘘吐き。結局あんたは、いっつもその場しのぎの適当な事しか言わないのよ」

 息が詰まった。

 こんな流れで、こんな場所で、いきなり核心的な台詞を吐かれるとは思わなかった。

「あたしの言ったことなんて、どうせいっつも適当に聞き流してるんでしょ。なによ、こっちは真面目に喋ってるのに——なんなのよ」

「いや、聞き流してる訳じゃ——」

「ぼ~っと見とれてたのなんて、あんたも同じじゃない。バカみたいな顔して、イシスの女王様にポカンて見とれてたのは誰なのよ」

 今頃言うことか、それ?

「いや、あのな。女王様なんて、それこそそういう対象じゃねぇだろ」

 大体、謁見の後、「素敵な方でしたね~」ってシェラの台詞に、お前だって頷いてたじゃねぇか。

24.

 だが、マグナは今の俺の言葉なんて、聞いちゃいなかった。

「やらしいカッコした女の人が居たら、ふらふら寄ってったりしてさ。美人とみれば、すぐ鼻の下伸ばすし、誰とでもキスするし、あの時だって——とにかく、あんたなんかにあたしの事を、とやかく言われたくないわよ」

 ふらふら寄ってったのは、アッサラームの時のことか?

 美人は——多分、スティアか。そんな、過去まで遡って、今さら文句を言われましてもね。

「なによ、あたしがアルスに見とれるのなんて、当たり前じゃない。あんたなんかより、全然格好良いんだから」

「……そうだな」

 勝手にしろよ。俺には関係ねぇよ。

 そう言いかけて踏み止まり、実際に口にした言葉は、おそらく無難過ぎた。

「——バカッ!!」

 そう吐き捨てると、マグナは踵を返して、足早にピラミッドの入り口に向かって歩き出す。

 マグナに言わせれば、また俺は、その場しのぎの適当な事をほざいちまった訳だ。

「ヴァイスくん、今のはちょっと無いんじゃないの~?」

 うるせぇな、分かってるよ、リィナ。

 シェラには、溜息を吐かれた。言いたいことがありすぎて、言葉にならなかった感じの溜息だ。

 マグナの後についていく二人を見送って、俺の足は動かなかった。

『あなた、今のままじゃ、いつか行き詰るわよ。お兄ちゃん、ってだけじゃね』

 スティアに受けた忠告が、呪いみたいに気重くのしかかる。

 分かってるよ。その気が無いなら、もっとそれなりに振舞うべきだよな。

 そうじゃないなら——

 でもさ、マグナ。俺がどっちつかずの態度を取っちまうのは、適当に考えてるからじゃないんだ。踏ん切りがつかねぇのもさ。

 だって、いいのかよ——

 俺なんかが——

 だって、お前は——

 違う、そうじゃねぇだろ——

 俺は無意識に頭を掻いて、天を仰いだ。

 空が——高い。

 くそ、人の気も知らねぇで、アホみたいに青々と晴れ渡りやがって。

 見渡す限り広がる砂丘に、一点の曇りもない蒼穹。

 広大な風景の中にあって、自分がとてもちっぽけな存在に思えて、細かいことをウダウダ考えるのが馬鹿馬鹿しく思え——たりすることもなく、俺は深々と溜息を吐いた。

前回