20. Eye No

1.

「——ヴァイスさん、ご飯持ってきましたよ」

 扉の外から、シェラの声が聞こえた。

 武闘大会の予選が終わり、宿屋に戻ってずっと、俺は部屋から一歩も出ていなかった。

 だって、そこいらウロウロしてたら、マグナにばったり出くわしちまうかも知れないじゃねぇか。

 なので、晩飯を食いに食堂にも行かず、後で部屋まで運んでくれるように、シェラに頼んでおいたのだ。

 我ながら情け無いとは思うけどさ。だって、怖ぇんだよ。

「悪いな。助かったよ」

 鍵を開けて扉を開き、シェラを中に招き入れる。

「ホントに、ずっと閉じこもってるつもりなんですか?」

 備え付けのテーブルに食事を置きながら、シェラが尋ねた。

「ああ、いや、まぁな……その、まだ怒ってたか、あいつ?」

「それは、怒ってますけど……」

 シェラは、くるりとこちらを向いて、両手を腰に当てた。

「でも、いま、マグナさんが怒ってるのは……ヴァイスさんが、こんな風にこそこそしてるからだと思います」

「へ?」

「だって、ヴァイスさんが一緒にお買い物に行けなかったのは私のせいだって、マグナさん、ちゃんと分かってますよ?」

 じゃあ、なんであんなに怒ってたんだよ。

 俺がそう言うと。

「マグナさんが、あんなことしたのはですね……ヴァイスさんに、直接当たる訳にはいかないって思ったからです、きっと。だって、ヴァイスさんは断りたくて断った訳じゃないんですから」

「その憂さ晴らしが、アレかよ」

 シェラは、くすくすと笑った。

「当たり所が無くって、余計に感情表現が激しくなっちゃったんですね」

 上げた拳の下ろしどころが見つからなくても、無理矢理そこらに叩きつける辺りは、あいつらしいっちゃらしいけどさ。もうちょっと穏便にできないモンかね。

「それに、あれなら、『仕方ないのは分かるけど、あんまり気分良くないんだぞ』って伝わるじゃないですか。後から考えると、マグナさんらしくてとっても可愛いと思います」

「可愛いかぁ、あれがぁ?」

「マグナさん、すっごい照れ屋さんなんですよ——ヴァイスさんだって、分かってる癖に」

 そうかぁ?ホントの照れ屋は、大声で他人をバカ呼ばわりしながら、人前であんな風に大暴れしたりしねぇだろ。

2.

「それなのに、こんな風にこそこそ避けるなんて……いけないと思います」

「ん~……いや、まぁなぁ……」

「早く仲直りしないと、どんどん仲直りし辛くなっちゃいますよ?」

「……そうね。考えとくわ」

 生返事しかしない俺に、シェラは溜息を吐いてみせた。

「仲直りできなくなっても、知りませんから」

「そんときゃ、シェラが慰めてくれよ」

 煮え切らない態度でヘラヘラしながらほざいたのは、我ながらマズかった。

 なんでこうなっちまうかね——あいつの事になると。

 シェラが、形のいい眉を顰める。

「……そんなこと言うヴァイスさんは、嫌いです」

 この台詞には、ちょっと驚いた。

 へぇ、言うようになったなぁ。少し前のシェラなら、絶対口にしない台詞だろ、これ。良い方向に変わってるんだと、信じたいね。

「そう言うシェラは、フゥマのことはどうするつもりなんだよ」

 だが、口に出しては嫌味を言ってやると、途端にシェラは言葉に詰まる。

「今日の態度は、さすがに可哀想じゃねぇのかな~。ちょっとあいつに同情しちまったよ、俺は」

「……そう、ですよね」

 シェラは両手で口を押さえて、長い吐息を漏らした。

「なんか……お互いさまですね」

 口を押さえたまま苦笑する。

「ヒトのことなら、こうすればいいのにとか思いつくのに、自分のことになると、全然分からないです……」

「まぁ、そういうモンだろ」

 まさしく他人事じゃないからな。なかなか冷静じゃいられねぇさ。

「ヴァイスさんに偉そうなこと言っておいて……こんなんじゃ、ダメですよね——分かりました。私、明日はちゃんとフゥマさんとお話しします」

 逡巡を払うように頭を振って、シェラは真っ直ぐに俺の目を見た。

「だから、ヴァイスさんも、マグナさんとちゃんとお話ししてくださいね」

「……前向きに善処するよ」

 今のシェラにそう出られては、はっきり嫌とも言えず、俺ははぐらかすようにテーブルの食事に手を伸ばした。

3.

 だが、結局その晩、俺はマグナに会いに行かなかった。

 だって、なんて言やいいんだよ。あいつは、仕方なかったって分かってんだろ?

 なら、謝るのもおかしいしさ。

 いや、そんな風にごちゃごちゃ考えてないで、どうなろうが、とにかく顔を見せりゃいいってのは分かってるんだ。

 今思うと、俺がご機嫌取りのつもりで買ってやった首飾りを、あいつは思いのほか喜んでくれてたんだな。だから、オアシスで覗きがバレても、平手打ち程度で済んだんだと思う。

 あいつの性格からして、お礼を買いに行こうだなんて俺を誘うのは、かなりの思い切りが必要だった筈だ。

 それをあっさり、俺なんかにないがしろにされて、面白くなかったに違いない。でも、事情はなんとなく分かるから仕方無いと割り切って、けど、やっぱり腹の虫のおさまりがつかなくて——

 なるほど、シェラの言った通りかも知れない。

 俺のコソコソした態度が、余計にあいつを怒らせてるのも、本当なんだろう。

 頭じゃ、分かるんだけどな。

 あいつの事になると、どうも俺は、らくしなくなっちまうって言うか。

 アリアハンであいつと出会う以前の俺だったら、話が妙にコジれちまう前に、もっと上手く——というか、適当に、いい加減に立ち振る舞って、なあなあに収めた筈だ。

 だが——今の俺は、あいつに対して、その「適当」ってのが、なんでか出来ねぇんだよな。思ってもいないべんちゃらを口にしようとすると、俺の裡の何かが制止をかける。

 なんなんだろね、これは。

 あの夜——焚き火を眺めながら、初めてあいつの告白を聞いた夜——俺は、何も答えてやれなかった。その負い目が、俺をこんな気分にさせているのだと思うんだが。

 ともあれ、マグナは俺と顔を合わせないまま、今朝も早くにリィナと一緒に宿屋を後にしていた。あいつらは出場者だから、先に会場入りしておく必要があるのだ。

 んで、俺はシェラと連れ立って、ちょうど会場に着いたところだった。

 武闘大会の舞台となる王宮前広場は、呆れるくらい広かった。小さい村なら、そのまますっぽり入っちまうくらいの面積がある。

 そして、もっと呆れたことに、中央の試合場を囲んですり鉢状に設置された石の段組——観客席は、既にほとんど埋め尽くされていて、観客席以外の広場も人々でごった返していた。

 暇人ばっかりだな。

4.

 まさか、この何百——いや、何千か?——も見物人が座れそうな観覧席を、大会の為にわざわざ用意したんじゃねぇだろうな。労力の無駄遣いも甚だしいぜ。

 空いてる席は一番上の方——つまり、試合場から最も遠い辺りにしか見当たらないが、そこからじゃ競技者は、ほとんど豆粒くらいにしか見えないだろ、これ。

 気の毒にな。まぁ、一般人は、大人しくそこで見てなさい。

 俺達は選手の関係者なので、シェラが預かった書状さえ見せれば、のんびり来ても、試合を間近で観られる関係者席に堂々と入れるのだ。

 観客目当ての屋台やら見世物やらが、にぎにぎしくひしめく合間を抜けて、その関係者席へと向かう。

 途中で受け取ったトーナメント表を眺めながら辿り着くと、一体どうやって潜り込んだのか、そこにはフゥマの姿があった。

「おっす」

 シェラと目を合わせないようにして、短く挨拶をしてきた。

「よぅ」

「……おはようございます」

 シェラが挨拶を返すと、一瞬ぴくりとこちらを向いたが、困惑顔をしてすぐに正面に向き直ってしまう。

 あらま、なんかコジれちゃってんじゃないの、こいつらも。

 だが、素っ気無いフリをしながらも、シェラと俺の席を自分の隣りに確保している辺りが微笑ましい。憎めない坊主だ。

「姐さんと生意気女は、違う山に入ったみたいじゃんか」

 石造りの平台——試合場をぼんやり眺めながら、フゥマが呟いた。

 トーナメント表のことか。

「みたいだな」

 つまり、リィナとマグナが対戦するとしたら、それは決勝戦ということになる。まぁ、リィナはともかく、マグナがそこまで勝ち上がるこた、まず無いだろうけど。

「生意気女の方は、一回戦で消えるだろうけどさ」

 フゥマも、俺と同じ意見だった。

「……マグナさんの相手の人、そんなに強いんですか?」

 フゥマとの間に俺を挟んで腰を下ろし、シェラが少し心配そうな顔をした。マグナの物真似は、今日は止めることにしたらしい。昨夜の宣言通り、頑張ってみるみたいだな。

「あ、ああ。主催者推薦のヤツだから……『砂漠の孤狼』とか呼ばれてる、割りと有名なヤツらしい、よ」

 フゥマは、どういう風に喋ったらいいか迷っている口振りだった。

 つか、砂漠の孤狼ってふたつ名は、どうなんだ。砂漠にオオカミなんて居るのかよ。

5.

「リィナの相手も、主催者推薦のヤツなんだよな」

 俺は、トーナメント表を確認しながらひとりごちる。

「ハン。姐さんの方は、問題無いっしょ」

 そうだな、フゥマ。

 お前はリィナに負けっぱなしだから、あいつに負けてもらっちゃ困るもんな。

 そうこうしている内に、観客の注意を引きつけるように、何度も鐘が打ち鳴らされた。ざわめきが次第におさまるのを待って、大音声が女王陛下の御成りを告げる。

 芥子粒くらいにしか見えない女王様が、王宮のテラスに姿を現すと、一旦おさまったざわめきが、先刻とは比較にならない規模で沸き起こった。

 それは総じて肯定的なざわめきで、この国の女王様は民草にずいぶんと慕われていることが窺える。

 やっぱ、美人だからかね。残念ながら、こっからじゃ全然、顔なんて見えねぇけどさ。

 女王陛下をお待たせするのをはばかるように、開幕のセレモニーもそこそこに、最初の出場者が入場した。

 リィナの試合は二つ後で、マグナの試合は一回戦の最後だ。本選には、全部で十六人参加してるから、一回戦は都合八試合になる。

 リィナの勝ちに賭けているのはもちろんだが、マグナの勝利にも少しだけ張っておいた。勝つとは思ってねぇけどさ、まぁ、なんていうか、ちょっとした応援っていうか、ささやかな罪滅ぼしのつもりだ。

 別にスっても構わねぇから、無事に試合が終わってくれれば、あいつの方はそれでいいや。

 さすがに本選だけあって、ひと試合目からなかなか白熱した勝負が繰り広げられた。観客席も、いい具合に盛り上がっている。

「あいつらはどうだ?割りと使えそうじゃねぇか」

 腕白坊主の仕事を、俺が心配してやる義理は別に無いんだが、なんとなく尋ねてみると、フゥマは口をへの字に曲げて首を横に振った。

「話になんねー。どっちもオレ様なら、十数える間にぶっ倒せるもんよ」

 ホントかよ。フカしこいてんじゃねぇだろうな。

 第一試合は、普段は王宮の警護を担当しているという、主催者推薦の兵士が勝ち名乗りをあげた。

6.

 続く第二試合に登場したのは、オアシスでの闖入者——あの愉快なおっさんだった。

 アランとかいう名前らしい。思い出したくもない、どっかの誰かを連想させる、気に食わねぇ名前だな。

 試合場に上がったおっさんは、こともあろうにテラスの女王様に向かって、投げキッスをしてみせた。

 途端に、観客席から物凄いブーイングが巻き起こる。

 女王様の人気を考えれば、自分の行為が観客を敵に回すことくらい分かるだろうに、アホですか、あのおっさんは。

「あらら、嫌われちゃったねぇ」

 大剣を肩にかつぎながら、呑気らしくそんなことをほざく。

 対戦相手も予選上がりのヤツだったが、ご多分に漏れず女王陛下をお慕い申し上げているようで、まるで親の敵でも見るような目つきで睨まれたおっさんは、ふざけて頬を弛ませて白目を剥いてみせた。

 うわ、すげぇムカつく顔。

 試合がはじまると、ほとんどが味方についた観客の声援を背に、予選上がりは雄叫びをあげて一気呵成にアランに打ちかかる。うん、ちょっとお灸を据えてやってくれ。

 だが、肩にかついだ大剣をひょいと持ち上げて、おっさんは相手の剣を斜めに受け流した。

 鉄の擦れる音を立てながら、相手の剣が大剣の腹を滑り落ちる。

 勢い余った切っ先が、試合場の床に打ち付けられた。

「よっこらしょ」

 気の抜けた掛け声と共に、おっさんは相手の剣の上に大剣を振り下ろした。甲高い音が響いて、対戦者が取り落した剣を、おっさんは無造作に蹴っ飛ばす。

「はい、おしまい。お疲れさん」

 舞台の端まで滑って落ちた剣を呆然と見送る相手の肩を、おっさんはぽんと叩いた。

 一瞬、狐につままれたみたいに静まり返った観客席に、不満の声が燻った。

 観客連中は、もっと派手な打ち合いを期待してただろうからな。おっさん、試合が地味過ぎるぜ。

 だが、そんな空気もどこ吹く風で、おっさんは女王様に向かって優雅に礼をしてみせてから、再び投げキッスをして、観客をさらに逆撫でしつつ飄々と退場する。

「よくやるぜ、あのオッサンも。もうちょい本気でやってもらわねーと、こっちは困んだけどさ」

 フゥマが苦笑いを浮かべた。

 おっさんが準決勝まで勝ち上がれば、相手はリィナに決まってるからな。そんときゃ、さすがにもうちょいマジメにやるだろ。

7.

 次が、そのリィナの試合だった。

 予選を見たヤツが噂を広めて、昨日より配当が低くなるかと思ったんだが、そんなことは全然なかった。

 理由は簡単。対戦相手が、優勝候補の一人なのだ。

 名前は、サムト。イシス軍に所属している職業軍人で、ぺーぺーの一兵卒ながら、その剛力は軍隊内のみならず広く一般にまで知られていると言う。

 リィナが四方に手を振りながら試合場に上ると、観客席から健闘を期待するような生暖かい拍手が起こった。

 続いて姿を現したサムトとの体格差を目にすれば、まぁ、誰もリィナが勝つなんて思わないだろうな、さすがに。

 サムトは、物凄い巨漢だった。そんなわきゃ無いんだが、横幅はあるわエラい肉厚だわで、リィナの倍くらい背丈があるように見える。体重に至っては、もっと開きがあるんじゃねぇのか。大人と子供どころの差じゃねぇぞ。

 観客が、死なない程度にリィナの健闘を祈ってみせるのも、無理からぬところだ。

「ふぅん。姐さんの相手、割りと良さそうじゃんか。オレ様も、ちょっとだけそそられるね」

 フゥマから見ても、手合わせしたくなる力量らしい。

「リィナさん……大丈夫ですよね」

 シェラの呟きは、言葉ほどには不安そうではなかった。

「当然だろ」

 俺も、確信を持って答える。

 なんせ俺達は、あいつの非常識な強さを、これまでさんざん見せ付けられてるからな。

 試合毎の勝ち負けだけじゃなく、優勝者を予想するもっと割りのいい賭けもあるんだが、俺は当然、そっちもお前にかけてんだからさ。ひとつ頼むぜ、リィナ。

 試合が開始されても、サムトは馬すら両断できそうな阿呆みたいに馬鹿デカい剣をだらりと下げたまま、気が乗らない様子で首の後ろを揉んでいた。

 女子供という言葉の条件を両方とも満たした相手じゃ、軍隊屈指の猛者としては、なんともやり難いのは分かるけどな。あんまり油断しない方が、身の為だと思うぞ。

 観客もざわざわするだけで、冗談みたいな体格差を目の当たりにして、けしかける気にもなれないようで、固唾を呑んで対峙する二人を見守っている。

 リィナは腰に手を当てて、サムトをちょっと睨みつけてから、とことこ無造作に歩み寄った。

8.

「ほら、もうはじまってるよ。ボクのことなら、お気遣いなく~」

「……ああ」

 困惑しきりのサムトの腹に掌を添えて、リィナの躰が沈んだ。

「ふっ」

 どん、と聞き慣れた地を踏み締める音がして、サムトの巨体が宙に浮く。

 自分の背丈の三倍も離れた床に尻餅をついて、サムトは目と口をぽかんと開いた。

「後ろに抜いたから、ダメージは無いよね」

 驚くべき事なんて何も起こってない、みたいな口調で言って、くいくいっと手招きをするリィナ。

「本気で来なよ」

 にっ、と笑う。

 途端に、呆気にとられていた観客席から、歓声が地響きとなって沸き起こった。

「……おもしろい」

 膝に手をついて身を起こし、サムトは巨剣を両手で握った。

「刃引きはしてあるが、なるべく避けろ」

「うん、だいじょぶ。当たんないから。思いっ切り来なよ」

「そうか」

 唇の片側を吊り上げて、サムトはリィナに殺到した。

 端から見ていてすら、物凄い圧力だ。

 歩幅が広いから、あっという間に間合いが潰れる。

「ふんっ」

 大上段から振り下ろされた巨剣は、くるっと半身になったリィナに躱されて、石造りの床にがっつりとめり込んだ。すげぇ馬鹿力。

「ちょっと痛くしないと、遠慮が抜けないかな?」

 リィナが横っ面に回し蹴りをくれても、サムトの頭はびくともしなかった。

「ごぁっ!」

 気合もろとも、サムトは床に刺さった巨剣を力任せに引っこ抜く。

「うわっと」

 回し蹴りがちょうどサムトの腕を跨いだ格好で、体ごとぐいと持ち上げられたリィナは、下からせり上がる巨剣をはしっと両手で挟んで受け止めた。

 サムトは構わず、そのまま剣を振り上げて、リィナを後方に放り投げる。猫の子を放るくらいの気軽さだ。

「心配するな。遠慮などしない」

 とんぼを切って着地したリィナに、サムトは物騒な笑みを向けた。

9.

「うん。じゃあ、そろそろ行くよ?」

 足場を確かめるように、リィナは二、三度床を蹴りつけた。

「遠慮してたら、すぐ終わっちゃうから。気をつけてね」

 リィナが、ちらりとこちらを見た気がした。

「『奥義!三つ身分身っ!』」

「はぁっ!?」

 フゥマの素っ頓狂な声が消える前に、リィナはサムトの至近に迫っていた。

 正面ではない。右斜め前だ。と思ったら、急な方向転換で真横に跳ぶ。と思ったら、再び床を蹴って斜めにサムトの背後に入る。

 リィナと背中合わせになる前にサムトが出来たのは、巨剣を握った拳をぴくりと動かすことだけだった。

「ふん」

 ずしん。

 サムトの巨体が、前方に弾き飛ばされる。

 たたらを踏んで堪え、振り返りざまに巨剣を振るったのは、さすがと誉めてやるべきか。

 しかし、分厚い刀身は、空気を裂いて旋風を巻き起こしただけだった。

 巨漢の脳天に、空中で一回転したリィナの踵が叩き落される。

 びくり、と巨剣が反射的に振り上げられるよりも先に、サムトの頭を挟み込むように、リィナの逆の足が下から顎を蹴り上げた。

 くるっと後ろに宙返りをして、リィナはサムトの正面に着地する。

 巨剣が主の手を離れて床に落ち、サムト自身も後を追って、ゆっくりと崩れ落ちた。

「ん~……やっぱり、三人には見えなかったかな」

 不服そうに、リィナが漏らす。

 当たり前だ。いくらなんでも、残像が見えるほど、人間が速く動けてたまるかよ。

 寸時遅れて、観客席で爆発した喚声は、半ば悲鳴じみていた。

 この国の人間にとっては、サムトの勝ちは鉄板だったろうからな。ほとんどの連中がスったに違いない。

「ったく、姐さんもよくやるぜ」

 忌々しげに、フゥマが吐き捨てた。

 自分の技を、一人多く見積もった上でパクられたのが、気に入らないらしい。まぁ、お前と違って、実際に分身して見えた訳じゃねぇから、気にすんなよ。

10.

「あのサムトっての、ちょっと期待外れだったな。戦場ならさぞかし働くんだろうけどさ、一対一なら姐さんの敵じゃなかったって訳だ。それを承知で客受け狙って、わざわざ派手に無意味な動きすんだから、姐さんには呆れるよ」

 フゥマは、面白くなさそうに続ける。

「くそっ、ホントに強くなってんじゃんか……オレ様も、こんな見物なんてしてる場合じゃねぇのに——」

 ぐっと拳を握り締める。

「まーとにかく、この祭りの見所は、姐さんとオッサンがやり合う準決勝くらいだな」

 拗ねた顔つきでフゥマは言ったが、その後の試合もそれなりに白熱し、俺達はともかく観客連中はそこそこ満足している様子だった。

 そして、やがて一回戦の最後の試合——マグナの出番が回ってきてしまう。

「マグナさんの相手の人、格好いいですね」

 シェラの呟きを耳にして、フゥマが苦虫を噛み潰した。

 意味不明のふたつ名を持つマグナの対戦相手は、確かにご面相の整った野郎だった。

 登場するなり、それまで全く聞こえなかった女連中の黄色い嬌声が、きゃーきゃーと場違いに響く。割りと人気があるじゃねぇか、優男。

 名前はサイス。年齢は二十六。普段は、荒事や揉め事を金で請け負う何でも屋みたいなことをしてるってな触れ書きだ。

 試合場に上ったサイスは、遥か遠くの女王様に向かって深々と一礼を捧げた。気障ったらしいその仕草に、女連中の喚き声が一層甲高くなる。

 なんかムカつくってより、見てて白けるぜ。

 一方のマグナはと言えば、対戦相手の容姿を特に意識した風も無く、いかにも所在無げに落ち着かない様子でふらふら立っていた。

 ハナから、出場するつもりなんて無かったんだもんな。全くやる気が感じられねぇぞ。やっぱ一回戦で終わりかね、こりゃ。

11.

「あのサイスっての、前からスカウト候補に上がってたヤツだぜ、多分。ま、大したこたなさそうだけどさ、それでもあの生意気女じゃ、もって二合ってトコか」

 どっちも勝って欲しくないような、フゥマの口振りだった。

 まぁ、怪我さえしなきゃ、なんでも構わねぇよ。

 やがて、試合の幕開けを告げる鐘が打ち鳴らされると、男にしては長い前髪の間に手を差し入れて、サイスとやらは目を閉じたまま張りのあるいい声で喋りはじめた。

「他ならぬ女王陛下のお召しとあっては仕方が無いが……本来、こんな見世物に出場するのは気が進まなかった。相手が君のような少女とあっては、なおさらだ。怪我はさせたくない。悪いことは言わないから、今の内に棄権しばべ——っ!?」

 口上の途中で、サイスは前のめりにぶっ倒れた。

 マグナが、剣の腹で頭をぶっ叩いたからだ。

「え?——っと、もうはじまってるのよね?え?大丈夫なのよね、これ?」

 あまりにもあっさり片付いてしまったので、逆に不安になったみたいに、マグナは試合場の上できょときょと周囲を見回した。

 頭痛ぇ。

 阿呆だな、あのサイスってバカは。

 試合が始まってんのに、目を瞑って格好つけてたら、そらやられるだろ。

 俺の隣りでは、フゥマが腹をかかえて爆笑し、観客席からは女共のなじり声がマグナに向かって投げつけられる。

「ヒドい!!卑怯者!!」

「なんてことすんのよ、この女!!」

「サイス様がせっかくお情けをかけてくださったのに!!」

「こんなのってないわ!!やり直しよ!!」

 非難轟々だ。

 最初こそオロオロしてたものの、仕舞いにはブサイクだの洗濯板だのさんざん罵られて、客席の女共に向かって怒鳴り返しながら、マグナは運営の人間に引き摺られるようにして試合場を後にした。

 ……頭痛ぇよ。

12.

 本日一番見っとも無い試合は、女共が陣取っている一角を除いて客にはある意味受けたらしく、あちこちで笑い——というか、失笑が漏れ聞こえた。

 スった連中は再試合を要求したが、サイスが完全に失神していたので、いちおうマグナの勝利は認められた。

「ヤベェ、面白ぇよ。こんなの、さすがにオレ様も予想外だぜ。あのサイスっての、実際にスカウトしてねーのも、こりゃムリねぇや」

 フゥマは、いまだにゲラゲラ笑ってやがる。なんか、俺まで恥ずかしくなってくるから、いい加減に笑うの止めろっての。

「で、でも、マグナさんに怪我が無くてよかったですよね」

 シェラのフォローにも、無理矢理感が否めない。うん、まぁ、それは良かったけどさ。それしか良くなかったっつーか。

 二回戦が開始されるのは、昼休憩を挟んだ後になる。屋台で食い物でも買ってこようと席を離れかけた俺の袖を、シェラが掴んだ。

「あの、ヴァイスさん……」

「ん?」

 フゥマの方を気にしながら続ける。

「その……私、お昼休みの間に、フゥマさんとお話ししてみます。だから、ヴァイスさんは、マグナさんのところに……」

 俯きながら、か細い声を絞り出した。

「大丈夫なのかよ」

「……頑張ります。だから、ヴァイスさんも……ね?」

 まいったね。シェラにこんな風に気を遣われちまったら、逃がれようが無いじゃねぇか。

「……分かったよ。無理すんなよ」

「はい……あの、ヴァイスさんは、ちょっとは無理してくださいね」

 心細そうな顔してやがる癖に、言うね。

 かなり気がかりではあったが、しょうことなしに、俺はシェラとフゥマの二人を残して席を後にした。

13.

 大会中は基本的に、選手は外部の人間と接触してはいけないらしいんだが、関係者の証明書を見せると、拍子抜けするほどあっさりと控え室に通してくれた。

 ちぇっ、「ダメだダメだ!通ることはまかりならん!」とか居丈高に追い払ってくれても良かったのによ。

 王宮の一部が解放されていて、そこが選手の控え室に割り当てられていた。とは言え、決められた通路以外の警備は、逆に物々しい。まぁ、この機を狙って、ヘンな人間が入り込んだら大変だもんな。

 イシスの王宮は、アリアハンやロマリアの王城とは違って、どこか女性的な雰囲気を感じさせる洗練された優雅な造りだった。建築様式の違いなんて分かりゃしないから、美人の女王様があるじってことで、単純に俺がそう感じただけの話かも知れないが。

 そこかしこに配された衛兵に監視されつつ廊下を行くと、リィナが物珍しそうにあちこち眺めながら、ふらふらしてるのが目に入った。

「あれ、ヴァイスくん。どしたの?」

「いや、まぁ——リィナには、優勝してもらわねぇと困るからな。ちょっと激励にさ」

「ああ、ようやくマグナに顔見せる気になったんだ?」

 人の話を聞けよ、お前は。

「ん~……でも、ちょっと遅かったかも。なんで夕べの内に、会いに来ないかなぁ」

「……そんなに怒ってんのか、あいつ?」

 リィナは難しい顔をして、腕を組んだ。

「いや~、怒ってるっていうのは、どうだろ。もっと悪いかも」

 マジすか。やっぱ、俺、戻ろうかな。

「そんなに怖がらなくても、だいじょぶだってば」

 俺の表情を見て、リィナはあははとかおかしそうに笑った。くそ、他人事だと思いやがって。

「顔見せても、きっと怒ったりはしないと思うよ」

「そうなのか?」

「うん。呼んでくる?」

「……頼む」

 えぇい、男は度胸だ。ここまで来ちまったんだ。覚悟を決めて——

 控え室に戻ったリィナと入れ替わりに、すぐにマグナが出てきた。

——覚悟を決めるヒマもねぇよ。

14.

「なによ。なんか用?」

 リィナの言った通り、ぶっきら棒な物言いではあるが、マグナは怒っている風ではなかった。不自然に目を逸らしたりもしない。

「よ——よぅ。その……調子はどうだ?」

「別に。普通だけど」

 だが、これは——

「よくこんなトコまで入ってこれたわね」

「ま、まぁな。これ見せたら、あっさり通してくれてさ」

「ああ、昨日もらった紙ね。ふぅん」

 気の無さそうなマグナの口振りは、気まずい沈黙を引き連れていた。

 なるほどな。

 確かに、怒ってるより始末が悪いかも知れん。

 ひと言でいえば、無関心——俺のことなんか、どうでもいいって態度だ。

 マグナは、気だるげに溜息を吐いた。

「で、なに?用事は無いの?だったら、もう戻るけど」

「いや——その、さ」

「なによ。もしかして、昨日のこと?」

 マグナが浮かべた笑みは、冷笑に近かった。

「今さら——別に気にしてないわよ。夕べ、シェラから全部聞いたしね」

「そ、そっか。そういや、シェラとフゥマのこと、お前ら知らなかったみたいだな」

「それが?」

 俺としては話を広げようとしたんだが、マグナのいらえは短かった。

 シェラの話なら、乗ってくるかと思ったんだが。

 他に話題も思いつかねぇし、もうちょい粘ってみますかね。

「いや——ちょっと意外だったっていうか……なんでお前らじゃなくて、俺に相談したんだろうな、あいつ」

「あんたの方が、事情を知ってたからでしょ。エルフの洞窟では、あたし達気を失ってたし」

「ああ——」

「それに、男の意見が聞きたかったって言ってたわよ。あたし達が何を言うかは、大体想像つくからって」

 そんなモンかね。

「あのコ、夕べは必死であんたの言い訳してたのよ?あたしは気にしてないんだから、別に必要無いのにね」

 そんなことまでしてくれてたのか、シェラの奴。

 こりゃあ——このまま戻ったんじゃ、あまりにも情け無ぇぞ、俺。

15.

「あんたが独りでここに来たってことは、あのコ、今はあの『オレ様』と二人きりなんじゃないの?そっちが大丈夫?」

 いや、お前に会いに来たのは、そのシェラに言われたからなんだ。

 喉まで出かかった台詞を、俺は危うく呑み込んだ。口にしてたら、きっと鼻で笑われたに違いない。

「大丈夫だろ。あいつは、俺よりよっぽどしっかりしてっからな」

「そりゃそうよ」

 どの道、鼻で笑われた。カチンとくるが、ここは我慢だ。

「あのさ……話があるんだ」

 俺の口が、意図せずして勝手な事をほざいた。

 話って、なんだよ。なんも考えてねぇぞ。どうすんだ、俺。

「だから、なによ?さっきから聞いてるじゃない。休憩の時間だって長くないんだから、さっさと言いなさいよ」

「いや——大会が終わってからにするよ」

 自分が何を話すつもりなのか、自分でも良く分からずに——俺には、時間を稼ぐしか手が無かった。

「なんなの、それ。だったら、最初から——」

「終わったら、会いにくる。聞いてくれるか?」

「だから、なんなのよ。会いにくるって、そんな改まって——」

「頼むよ。後で、ゆっくり話す」

「……分かったわよ」

 今日はじめて、マグナは俺から視線を逸らした。

「用は、それだけ?」

「ああ、悪いな。休憩中に邪魔しちまって」

「別に、いいけど」

「じゃあ、俺は席に戻るから。怪我しないように気をつけろよ」

「別に、すぐ治療してくれるから、大丈夫よ」

「そうだな。まぁ、でも、気をつけろよ」

「……うん」

 マグナの態度と声音が微妙に変化したことで、俺は少し安堵してしまったらしい。後から思うと、この先の俺は口を滑らせた。

16.

「元からマグナは、大してやる気なかったみたいだしさ、なんなら棄権しても——」

「……賭けの対象になってるから、棄権したら罰金取られるのよ」

「あ、ああ、そうなのか。まぁ、とにかく、優勝は、リィナに任せときゃいいんだからさ」

「……そうね」

「こういう時は、頼りになるよな。あいつが優勝してくれれば、美人の女王様に話を聞くって目的も果たせるしさ」

「……」

 余計なことを言ったらしい。

「——まぁ、とにかく、お前は怪我さえしなきゃ、それでいいから」

「なによ、それ」

 え?いや、言葉通りの意味ですが。

「え~……そうそう、昨日はリィナのお陰で、すげぇ儲けさせてもらってさ」

「ふぅん」

 必死こいて話題を変えようとして、ドツボに嵌る。

「今日もたんまり儲けさせてもらう予定だし、あいつにも、なんか礼のひとつも買ってやんねぇとな。あとさ、よかったら、また——」

「……うるさいわね。もう用無いんでしょ?さっさと戻れば?あたしは、戻るから」

「ああ、うん。悪かったな。んじゃ、後でな」

「……」

 マグナは俺と視線を合わせないまま、控え室に戻っていった。

 しどろもどろだった自分の姿を思い出して、俺は立ち尽くしたまま軽く落ち込んだ。

 まったく、いつから俺は、こんなヘタレになっちまったんだ。オロオロして、みっともねぇったら。

 怒らせちまったかな。けど、怒りもしないよりは、多少マシか。

 さて——大会が終わるまでに、マグナに何を話すべきなのか、考えておかねぇと。

 自分が盛大な溜息を吐き出した事に、俺はしばらく気付かなかった。

17.

 途中の屋台で買い食いをして席に戻ると、シェラとフゥマの間には、恐ろしく気まずい空気が立ち込めていた。どうやら、会話は上手く進まなかったらしい。

 きっちり空けてあった二人の間の席に腰を下ろす。すげぇ居心地悪いんですが。

「どうでした、マグナさん」

 シェラが小声で尋ねてきた。俺という緩衝材が間に戻ってきて、幾分ほっとした様子だ。

「ああ。大会が終わってから、また後で話すことになった。時間も、あんま無かったしさ」

「そうですか……」

 俺は、シェラの耳に口を寄せる。

「お前らは、どうだったんだ?なんか、空気が重いんだけど」

「……怒らせちゃいました」

 囁き声が返される。

「私がまた、ウジウジして、はっきり言えなかったから……また後で、ちゃんとお話ししますね、私も」

「そっか。独りで大丈夫か?」

「……はい。私の問題ですから……頑張ります」

 身につまされること言いやがる。まったく、おっしゃる通りです。

「ま、お互い頑張ろうぜ。ありがとな」

「ええ——はい?なにがですか?」

「ん?いや、色々と、さ」

 不思議そうなシェラから顔を離す。あんまりくっついてると、腕白坊主に妙な誤解をされちまうからな。

 フゥマは正面を向いたまま無関心を装っちゃいるが、体のこっち側半分を耳にするくらいの勢いで、気にしてるのはバレバレだ。

 悪いけど——お前らのことは、もうお前ら二人に任せるよ。俺は、あいつになんて言うか、そっちを考えておかねぇと。

 三人が三人とも押し黙ったまま、あれこれ考えを巡らせていると、いつの間にやら時間が経っていた。

 昼の休憩が終わって、二回戦が開始されたが、まるで内容に集中できない。

 ホントに、何を言やいいんだ。

 謝る……のも、おかしいよな。

 俺、あいつになんか言うことあったっけ?

 今さらのように、別にねぇよな、とか考えている自分がいたりもする。

 だが、さっきのマグナの態度——ここで下手を打てば、俺とマグナの関係は、今までとは変わってしまう気がした。

 あいつにとって、俺は単なる同行者に過ぎなくなってしまうような——いや、今でもそうなんだけどさ。

 どうすっかなぁ。

18.

 意図せず口をついたくらいだ。何か話をしなくちゃいけないと思ったのは俺の本心だろうが、それがさっぱり分からない——ああ、スティアの言ってた、『まず自分のことをちゃんと考えろ』ってのは、こういうことなのかね。

 びっくりするほど、自分がどうするべきなのか分かんねぇもんな。このままだと、適当にお茶を濁しちまいそうだぜ。

 などと、見事なまでに一歩も進まない思考を俺が持て余している内に、なんか知らんがマグナが勝ち名乗りを受けていた。

「あれ?あいつ、勝ったのか」

「目ぇ開けたまま寝てんじゃねぇっての。勝つには勝ったけどな。ヘンに気合い入ってて、見てて危なっかしいったらなかったぜ」

 フゥマの解説につられて、試合場のマグナに目に向ける。

 マグナの相手は、確か正統派の剣士だ。一回戦を見た限りでは、そこそこ強かった筈だが、そうか、あいつ勝ったのか。

 やる気無さそうだったから、適当に負けてみせるかと思ったんだが、意外だな。リィナはともかく、マグナまで準決勝に残るとは思わなかったぜ。

 つか、主催者推薦のヤツがひとりも残ってないんだけど、大丈夫なのか、これ。面目丸潰れじゃねぇの?

 準決勝までの休憩時間を利用して、賭け札を買いに行く。

 リィナの次の試合は、アランのおっさんとだ。ここまで来ると、さすがに配当もずいぶん低くなっていた。

 転じてマグナの配当は、ずいぶんとお高めだ。相手は、あのナイフ使い。開始と同時に対戦相手の腕を切りつけて、あっという間に試合終了という、すこぶる客受けしない物凄い地味な試合をしてやがったが、強いことは強いからな。

 マグナの一回戦はマグレ勝ちみたいなモンだし、あんまり記憶に残っていないが、さっきの二回戦もかなり苦労している。配当が偏るのも無理はない。

 まぁでも、また応援がてら、あいつの勝ちにもちょっとだけ賭けといてやるか。

 席に戻ると、シェラとフゥマの間には、またしても重苦しい空気が淀んでいた。二人きりで残されて、お互いに会話をしようと頑張ったけど出来ませんでした、みたいな雰囲気だ。

 けど、俺もこいつらの関係を気遣ってる場合じゃない訳で。無言のまま着席した俺は、またしても大会が終わった後のことに思考を囚われる。

 周囲のお祭気分とはかけ離れた、鬱々とした空気を俺達三人が撒き散らしていると、やがて準決勝が開始された。

19.

 最初は、リィナとアランの対戦だ。

 リィナが登場すると、観客席のあちこちから応援の喚声があがる。女で、徒手空拳で、しかも派手な立ち回りで勝ち上がってきただけあって、人気が出てきたらしい。あいつも、いちいち手を振って応えたりするモンだから、なおさらだ。

 おっさんの方は、やや困った顔をしていた。

「さてと。んじゃ、あの時の約束を果たしてもらおうかな」

 準備運動をしながら、リィナがアランに声をかけた。

「いやぁ。おっちゃんが喜んでお相手するって言ったのは、アッチの方の手合わせなんだけどねぇ」

 大剣を肩にかついだまま、アランは逆の手で頬をぺちぺちと叩く。

「まいったねぇ。お嬢ちゃんが途中で負けますようにって、女神様にお祈りしてたんだけど。どうもおっちゃん、女神様に嫉妬されちゃったみたい」

「はいはい。残念だったね」

「こいつをお嬢ちゃんに向けるのは、おっちゃんの主義に反するのよ」

 アランは肩にかついた大剣を、軽く持ち上げてみせた。

「困ったねぇ。おっちゃんも、優勝して女王様を間近で拝見したいから、あんまり負ける訳にもいかないし……あ、そうだ」

 にたりと笑って、剣を握っていない方の手を前に出して、わきわきと開いたり閉じたりする。

「おっちゃん、いいこと思いついちゃった。あのね、お嬢ちゃんを捕まえて、その立派なお胸をモミモミできたら、おっちゃんの勝ちってことにしてちょうだいよ」

 何言ってんだ、このオヤジ。

 ここで、試合開始の鐘が打ち鳴らされた。

 リィナは、ちょっと顔を顰めてみせる。

「見て分かんないかな。サラシ巻いてるから、胸なんて揉めないよ」

「じゃあ、お尻をナデナデできたらってことで」

 どんな勝負だ。

「あ~、もうっ!できるモンならやってみなよっ!」

 らしくもなく苛立った声をあげて、リィナは真正面からアランに突っ込んだ。

「うひょお」

 顔面を襲ったリィナの回し蹴りを、アランは上体を背けて躱す。

 空を切った右足が地面に着くと同時に、軸足を入れ替えて放たれた後ろ蹴りも、軽く後方に跳んで外された。

「お~、おっかない。おっちゃん、もう歳だからさ。手加減してよねぇ」

「うん、してるよ」

 リィナは構えを解いて、とことこアランに歩み寄った。

「やっぱり強いね。いい加減、本気出してもらおうかな」

 リィナの手足は届かないが、アランの大剣は届く位置で、無防備に立ち止まる。

20.

「来なよ」

「じゃ、遠慮なく」

 アランは大剣を振ろうとせずに、リィナに身を寄せて片腕で抱き締めようとした。

「も~。しょうがないなぁ」

 アランの腕を払い除けて、腹の辺りに掌をそえて力を込める。

「おっ!?」

 ずずず、とアランは元の位置まで、床を滑って押し戻された。

「はい、もう一回」

 腹を押さえていたアランは、苦笑しながら首を振った。

「やれやれ。どうしても、やんなきゃダメ?」

「そりゃそうだよ。やる気が無いままだと、おっちゃん罰金取られちゃうよ」

「ああ、そりゃマズいよねぇ。おっちゃん、貧乏なのよ。お金あったら、全部女の人に使っちゃうの」

「知らないよ。ほら、早く来なよ」

「早く来て、なんて言われて手を出さないようじゃ、男としてのコケンに関わるよねぇ。分かりましたよ。当たんないようにするけど、気をつけてちょうだいよ」

「当てる気でやってよ」

「はいはい——と」

 呑気らしい口振りにまるで似つかわしくない、鋭い打ち込みがリィナを襲う。

「だからぁ……」

 リィナは、全く動いていなかった。ハナから当てるつもりが無いことを、見切っていたのだ。

「当てるつもりで来てってば!」

 アランの大剣を真横に蹴り飛ばし、懐に潜り込む。

「もういいや」

 リィナが足首の辺りを絡めると、アランの膝がかくんと落ちる。

 左手を肘にそえて、落ちてきた顎を捉えかけたリィナの右の掌底は、首を傾げたアランの頬を掠めて上に抜けた。

「よっこらしょっと」

 横に弾かれていた大剣が、アランの手を支点にくるりと回って、斜め上からリィナに襲いかかる。曲芸まがいの斬撃に、さすがに鋭さは無く、リィナは剣の腹を肘で叩き落した。

 その間に一歩引いたアランの手の内で、くるりとそのまま回転した大剣が、袈裟懸けに斬り下ろされる。

 今度は、避けなければ当たる太刀筋だ。

 リィナは身を沈めて躱しざまに、アランの足を払う。

 片足を上げてやり過ごしたアランの大剣が切り返されて、切っ先が地面すれすれを薙いだ。

「——っ」

 無理矢理床を転がって、リィナは辛うじてそれを避ける。リィナらしくない、不恰好な躱し方だった。

21.

「……あんなデカい剣を、よく振り回せるな」

 サムトの巨剣ほどではないが、アランのそれは通常よりもかなり大振りのだんびらだ。体格こそがっしりしてるが、いわゆる筋骨隆々ってタイプじゃないし、そこまで力があるようには見えないんだが。

「別に、それほど不思議じゃねぇよ。力任せに振り回してる訳じゃなくて、ありゃ、なんつーか……力の流れを操るのが上手ぇんだ」

 俺の独り言に、フゥマが解説をつける。

「力の流れ?」

「なんつーの?重いモン持ち上げといて力抜いたら、勝手に落ちてくだろ?後は、剣を振り回した時の勢いとかさ。見てると、そういう自分の腕力以外の力を操るのが上手ぇんだよ、あのオッサン」

 下手糞な説明だが、なんとなく分かった。要するに、重力やら慣性やらを利用するのに長けてるってことか。

 さっきまでと異なり、リィナは用心しながら立ち上がる。

「そんな、おっきい剣で大丈夫なのかなって思ってたけど、上手いモンだね」

「そう、おっちゃん上手いのよ。あと、おっきいのも自慢なの」

「……あのね」

 ダメだ、このオヤジ。こんなことしか言わねぇよ。

「そういうことばっか言う人は……」

 リィナは不意に、ぴょんとスキップみたいに間合いを詰めた。

「おしおき!」

 前蹴りが、アランの股間に吸い込まれる。

「うわっとぉっ!?」

 アランは大慌てで剣を盾にした。

 その動きを見越していたように、リィナは大剣の腹に足をかけて踏み台にすると、一気に駆け上る。

 顎を捉える寸前で、アランの掌に膝蹴りを押さえられたが、リィナの動きは止まらない。

 さらに駆け上がって、おっさんの首を両脚——太腿で挟み込んだ。

「よっと」

 勢いをつけて背を反らす——首を挟んだまま投げるつもりか。

 アランの体が前屈みになったところで、動きが一瞬止まった。

「ん?」

 だが、一瞬遅れて二人の体はぐるっと回り、アランは背中から床に打ち付けられる。

 派手な技が決まったことで、観客席からは喚声があがったが、フゥマは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。

「オッサン、わざと投げられやがったよ」

 やっぱり、そうなのか。ちょっと堪えかけたもんな。

 それは仕掛けた本人が一番よく分かっているらしく、アランを投げた体勢のまま、うつ伏せに寝そべって憮然としていたリィナの表情が、いきなり一変した。

22.

「うひゃあっ」

 おっさんが、ぐったり腕を投げ出している風を装って、リィナの尻を撫でたのだ。

 なんてことしやがんだ、俺だって撫でたことねぇんだぞっ!?

——手前ぇ、殺すぞ、この野郎。

「こういうのを、試合に負けて勝負に勝ったって言うのかねぇ」

「……」

 跳ね起きたリィナは、アランの顔を無言で踏みつけた。

「おっとぉ」

 寸前で、アランは素早く身を起こす。くそ、踏まれてやがれ。

「このまま、お嬢ちゃんの勝ちでよかったのに。案外、純情だねぇ。そんな立派な体して——」

 言い終わらない内に、リィナが懐に跳び込んでいた。

 ぐわん、と鉄を叩く音がして、アランの手から大剣が遥か後方に弾き飛ばされる。恐ろしいことに、大剣は真ん中から少しひん曲がっていた。

「あらら、もったいない。まぁ、借り物だからいいけどねぇ」

 のんびりほざくアランを、リィナはきっと睨みつける。ちょっと顔が赤い。

「はいはい、降参。降参ですよ~」

 茶化すように言って、両手を上げてみせるアラン。

「女王様のご尊顔を、間近で拝見したかったけどねぇ。ま、代わりに可愛いお尻も撫でられたし、そっちはお嬢ちゃんに任せるとしますか——そんな目で睨まないでちょうだいよ。アソコが縮み上がっちゃうから」

 最後まで、トボけたおっさんだった。

「ちぇっ。結局、実力は見せずじまいかよ——後で、ちっとふっかけてみっかな」

 フゥマがぼりぼりと頭を掻く。

「スカウトするつもりなのか?」

 アレを?

「いや、まだ分かんねぇけどさ。ま、試すにしても、姐さんの後かな。このままじゃ済まさないって顔してるぜ」

 フゥマの言う通り、勝ち名乗りを受けても珍しくむすっとした表情で、リィナはアランを睨み続けていた。

23.

 これまで、あまり言及してこなかったが、試合場の競技者には、声援とも野次ともつかない声が、ひっきりなしに投げつけられている。

 準決勝の第二試合。

 試合場に姿を現したマグナを例にとると、こんな具合だ。

「よぉ、姉ちゃん!昨日の晩は、旦那のヴァイスと仲直りしたのかい!」

 あのバカ、予選で思いっ切り俺の名前を叫びやがったからな。名前だけがひとり歩きして、ちょっとした有名人になっちまってる。名前のぬしが俺だって知れたら、恥ずかしくてこの街では表を歩けねぇよ。

 対するナイフ使い——キリクへの野次は、あまり聞こえてこなかった。この小男の発散している殺気が、観客にも感じ取れるんだろう。気安く声をかけるのがはばかられる、お祭気分とは一線を画した空気を、ただ独り強烈に振り撒いている。

 俺もそっち方面にはさして明るくないんだが、簡単に言っちまうと、キリクの持つ雰囲気は裏社会のそれ丸出しなのだった。こんな男が、なんでこんな見世物に参加してるんだ?

 必ず、何か目的がある筈だ。もちろん、賞金だの名誉だの、そんな呑気なもんじゃなく。それ以外に、優勝者に与えられるものと言ったら——

 正直、この対戦は、実現して欲しくなかったぜ。マグナが無傷で勝てるとは思えないからな。いくらすぐに治療してくれるっても、あいつが切られるところなんて見たくねぇよ。

「ケッ。準決勝まで来て、こんな小娘が相手とはな。茶番もいいところだ」

 あからさまに不満げに、キリクは吐き捨てた。

「手加減が面倒だ。切られたら、さっさと降参しろよ、小娘」

「……あんたこそね。勝ち目が無くなったら、無茶しないでさっさと降参しなさいよ。蛇みたいな顔してるから、執念深そうで心配だわ」

 絶対に買い言葉を口にしなきゃ、気が済まないらしい。マグナも、タマには相手を選べよな。

「ハッ、勇ましいな。少しは期待できそうだ」

 ほらみろ。余計なこと言うから、小男がやる気になっちまったじゃねぇか。

 開始の合図が打ち鳴らされるなり、これまでの試合と同様に、キリクはいきなり対戦相手——マグナに突っかけた。

 腰からナイフを抜いて切りかかる。

 刃が交わる金属音が、ほとんど同時に二回響いた。

 キリクの両手のナイフは、一方は刀身で、もう一方は柄によって防がれていた。

 マグナは右手で握りを、左手は刀身にそえて、キリクのナイフを押し返す。

 いくら刃引きがしてあるからって、お前こそあんま無茶すんなよな。

24.

「フン、止めたか」

「馬鹿にしないで。あんた、仕掛けが毎回同じじゃない。分かってれば、誰でも止められるわよ」

 勝気なマグナの啖呵に、キリクは薄ら笑いを浮かべた。

「それすら気付かんクズではないか……いいだろう。貴様には、俺に切り刻まれる価値があると認めてやる」

 キリクが再び床を蹴る。速い。マグナが振り下ろした剣は空を薙ぐ。すれ違い様に、キリクのナイフが閃いた。

「とは言え……だ」

 マグナの背後に抜けたキリクは、ゆっくりと振り返る。

「実際に切り刻んで殺しちまったんじゃ、俺の負けらしい。面倒なことだな」

「……っ!?」

 マグナは、どこも出血していなかった。

 切り裂かれたのは、服だけだ。脇腹の辺り。

「ちょっと……なんのつもりよ!?」

「望み通り、これまでとは少し趣向を変えてやるよ」

「この……っ!!」

 マグナの打ち込みを片方のナイフでいなすと、キリクはもう一方のナイフを服の切れ込みに差し入れて切り上げた。

「——っ!?」

 はだけそうになった服を、マグナは慌てて腕を使って押さえる。

 バカ、お前、そんなことしてる場合かよ。

 けど、押さえない訳にもいかねぇし——

 くそ、観客共も、ヘンな喚声上げてんじゃねぇよ。お前ら、勝負とは別のことを期待してやがんだろ。

「ちょっと待って!!こんなの——」

「ハッ、聞けるかよ。どうせ下らんお遊びだ。少しは愉しませろ」

 薄ら笑いを浮かべながらキリクがナイフを振るう度に、マグナの服が切り裂かれていく。

 なんだよ、これ。まさか、こんな展開——マグナ自身の体を切り裂かれずに済んでるのはいいけどさ——いや、全然良くねぇよ。

 思わず立ち上がって、関係者席の柵のところまで身を乗り出す。

 ああ、おい、マジ、ヤバいって。服の裂け目から、肌がちらちら覗いてんじゃねぇか。それ以上は止めとけよ、手前ぇ、このチビ野郎。

「待ってって言ってるでしょっ!?」

 片手で服を押さえたまま振るわれたマグナの剣をあっさり躱し、キリクは背後に回り込む。

「せいぜい、客を喜ばせてやんな」

 背中まで切り上げるつもりかよ。

 そんなことされたら——マジで、上がはだけちまうじゃねぇか。

25.

 ほとんど四つん這いで転げまろびつ前方に逃れたマグナを、キリクは酷薄そうな細目で見下ろした。

「服をひん剥いたら、次は皮だ」

 舌なめずりをしないのが不思議なくらいの表情を浮かべる。

「薄皮剥いでやるよ。死なないように、丁寧にな」

 服がはだけてしまわないように裂けた生地の先っぽを握りつつ、もう一方の手で剣を構えて、マグナは警戒しながら慎重に立ち上がった。

 顔つきが完全に、生死を分けるピンチを迎えた冒険中のそれになっている。

 ちっ。こいつ、マジでやべぇな。

 もし優勝なんぞされた日にゃ、多分だが、『魔法の鍵』どころの騒ぎじゃなくなっちまうぞ——いや、リィナがいるから最後まで勝ち上がるのは無理だろうが、その前にマグナが無事で済むとは思えないのが不味い。

「生皮剥がされるのが嫌なら、さっさと降参するんだな。ま、俺はもう、どっちでも構わんが」

 キリクみたいな裏稼業は、自分に対する敵意には敏感な筈だろ。

 だったら——

「せいぜい、イイ声で鳴いてくれ!!」

 左右にナイフを開いて持ち、一瞬の溜めの後、キリクは石の舞台を強く蹴ってマグナに襲いかかる。

 させるかよ、馬鹿野郎っ!!

『ヒャ——』

 俺は敵意を剥き出しに、実際はほぼ真下にヒャドを——

「っ!?」

 全く、意識の埒外だった。

 唐突に胸の辺りに強烈な衝撃を受けて後退る。

 強制的に呪文を中断されてチカチカする視界の中で、千切った服の一部をマグナがキリクの顔に向かって放るのが辛うじて見えた。

他人ひとをナメすぎなのよ、あんた」

 キリクの視野が僅かに塞がれた隙をついて、マグナは野郎の顔面を剣の腹でぶっ叩く。

「グッ——」

 見事にカウンターを喰らった格好で、鼻血を吹きながらキリクは仰向けに倒れた。

 大きくなった歓声は、勝負の結末よりも、ほとんどはだけちまった——重要な箇所は辛うじて隠れているとはいえ——マグナの服に向けられているようだった。

 それが証拠に、マグナが慌てて押さえて隠した途端、露骨にしぼんでいく。

「試合中に何してんだよ。反則負けじゃすまねぇぞ」

 元いた席の辺りまで後退った俺は、そう声をかけられて、いつの間にやら隣りに来ていたフゥマに、横から裏拳で胸板を叩かれたのだと、ようやく認識した。

「……いや、ばか……違ぇよ……暑いから、打ち水……」

 ここがあまりにも暑いから、打ち水ならぬ打ちごおりをして暑さを和らげようとした、というのが俺が用意した言い訳だったんだが。咳き込んじまって、ロクに喋れない。

「いや、そんな強く叩いてねぇだろ?」

 俺がやたらとむせ返るもんだから、フゥマが呆れたように気遣いを口にした。

 あのな、お前にとっては軽く小突いた程度かも知れねぇけどな、俺にとっては骨を折りかねねぇ衝撃だったっての。くそっ、肋骨にヒビとか入ってねぇだろうな、これ。

26.

 舞台の上では真っ赤な顔をしたマグナが、他に身を隠す術もなくしゃがみ込んで、必死に両手で体を隠しながら、落胆にざわめく客席共を『見るな』という殺意に近い意思を視線に乗せて睨み回している。

 くそ、お前ら、ふざけんなよ。

 マグナの服がどうにか無事だったことに、何をガッカリしてやがんだ。

 俺がそいつを拝むまでに、どんだけ苦労したと思ってんだ。たまたまこの場に居合わせただけの連中が、簡単に見られると思ってんじゃねぇぞ。

 マジで、ふざけんなよ、あのチビ野郎——

「つーか、頭悪すぎでしょ、マジで」

 こちらに戻りながら、フゥマが舌打ち混じりに吐き捨てたのが聞こえた。

 哀れキリク、こいつに頭悪いとか言われたら、お終い過ぎるだろ。ざまぁみさらせ。

「ったく、生意気女の言う通り、相手をナメ過ぎなんだよ。どんだけナメても問題ねぇ実力差っても、真っ正面からバカ正直に行き過ぎだっての」

 キリクをこき下ろしてやりたいが、マグナの機転を褒めるのもムカつく、みたいな口振りだった。

「ま、そういう性質たちだから、あんな落ちぶれてんだろうけどさ。実力あっても、あいつにゃ声かけたモンか迷うね」

 言っとくけど、お前もリィナにいつも同じような苦言を呈されてるからな?

 ちなみに俺は、まだ胸を押さえてムセていた。

 改めて思うが、マグナは大したもんだよ。

 だってよ、俺みたいに貧弱な野郎じゃ、軽く小突かれただけでこんな有様になっちまう連中と、まがりなりにも切った張ったを繰り広げてきた訳だろ。

 フゥマの言う通り、キリクとの実力差はどう転んでも勝ち目がないくらい離れていたように感じたが、そもそもあんな細腕でやり合えている時点で凄いんだ。

 そんなマグナの心配を、俺如きがするなんて——ましてや、横槍を入れようだなんて、おこがましい話だったな。

 後からシェラに聞いた話では、俺は相当に挙動不審だったらしい。

 いや、だって、目の前であんなもん見せられたら、そりゃ挙動もおかしくなるだろ。

 フゥマにどやしつけられていなければ、会場に配された兵士に取り押さえられたに違いないから、結果的には止めてくれて助かったけどさ。もうちょい穏便な手段を選んで欲しかったぜ。

 ようやく勝ち名乗りを受けたマグナは、切られた服を両手で押さえながら、上体をかがめてそそくさと壇上から下り去った。

 その途中で、ちらりと怪訝な視線がこちらに向けられる。

 いや、俺はなにもしてねぇよ?

 見てもないです、大丈夫です。

 もうほとんど収まっていたが、俺は咳き込むフリを続けて顔を逸らした。

 それにしても。

 アイツの試合って、なんか締まらねぇ幕切ればっかだな。

27.

 孤独な砂漠のオオカミさんの醜態を筆頭に、片方は冗談みたいな勝ち上がり方をしたとはいえ、まさかマグナとリィナが決勝を戦うとは、全く予想もしてなかった。

 なんていうか、複雑な気分だ。

 この大会、そこまでレベルが低い訳じゃないと思うんだが。ウチの連中が両方決勝にいっちゃっていいのかよとか、でもマグナの勝ち上がり方は、まんま実力って訳でもねぇしなとか。

 まさかあいつら、本気でやり合わねぇよなとか、でもちょっとガチ勝負が見てみたい気もすんなとか、そんなことよりマグナに何言うか、まだ考えてねぇよとか。

 俺がごちゃごちゃ考えてる間に、決勝戦の時間が訪れてしまう。

 女同士の対戦とあって、観客も妙な具合に興奮していた。ここまでの試合で、賭け金をスったヤツが多い事を窺わせる、やけくそ気味の盛り上がりだ。

 ちなみに配当からすると、観客も圧倒的にリィナが優位と見ているようだった。まぁ、正しいわな。大会を引っ掻き回しちまったお詫びに、せめて最後に少しでも取り返して帰ってください。

 俺もここまでの賭けは、リィナのお陰で全戦全勝の絶賛ボロ儲け中で、昨日の利益をほとんど突っ込んだ優勝者予想も、もはや的中が確定してるようなモンだから、換金すりゃちょっとしたお大尽なんだが——さすがに、今日の分は諦めるかね。

 さっきマグナの試合に茶々入れようとしちまったからな。俺は賭けを降りるべきだろ。

 いや、単に自分の気が済まねぇってだけなんだが。ま、あいつの無事と比べりゃ、あぶく銭なんて大して惜しかねぇし——ホントは、物凄い惜しいけどね。

「どうせなら、本気でやろうよ」

 両手の指を組んでぐりぐり回しながら、リィナが気楽にのたまった。あいつらしい提案だ。

「いいけど……あたしが、リィナに勝てる訳ないじゃない」

 ちなみに、マグナはもちろん服を着替えている。あのまんまじゃ、勝負どころじゃねぇからな。

「ん~……戦う前からそれじゃ、面白くないなぁ」

 唇をへの字に結んだリィナは、はたと手を打った。

「あ、そうだ」

 にんまり笑う。

「負けた方は、ヴァイスくんのこと諦めるって、どう?」

「はぁっ!?」

 はぁっ!?

 マグナが目を丸くする。俺もびっくりです。

 何を言い出すんだ、あいつは。

「なに言ってんの?諦めるもなにも、あたしは別に……っていうか、リィナだって、そんなんじゃないでしょ?」

「ん?ボクは好きだよ、ヴァイスくんのこと」

「えっ!?」

 えっ!?

 って、いやいや、俺までその気になってどうすんだ。

 これは、アレだろ、またあいつ、俺とマグナをなんとかしようとか、余計なこと考えてやがんだろ。

 もういいから、そういうの。

 これ以上、ややこしくするんじゃねぇよ。

28.

 観客のざわめきが聞こえる。どうやら俺は、連中の勝手な想像の中では、どんどん色男にされちまってるらしい。

 一人の男を巡って、女同士が決闘する——それって、普通は逆だろ、みたいな野次が耳に届いた。まったくもって、尤もです。

「じゃ、そういうことで」

「そういうことって……ちょっと待ってよ!あたしは別に——」

 タイミング良く、試合開始の合図が鳴らされる。

「ほら、お客さん待たせちゃ悪いよ」

「……分かったわよ。あのバカのことは別にして、とにかく本気でいくわよ」

「うん。おいで」

 手招きするリィナに向かって、マグナが突っかけた。

 斬撃は思った以上に鋭かったが、やはりリィナには当たらない。

 フェイントを織り交ぜた攻めも、ひょいひょい躱される。

「……のっ!!」

 足元を薙いだ剣を避けて、リィナが跳び上がる。

 マグナの素早い切り返しは、それを予測していた軌道だった。

「およっ」

 空中で刀身に乗ったリィナは、そのままマグナの剣を踏みつけた。

「いた——っ」

 重さで剣を取り落としたマグナの腹に、リィナの掌底が叩き込まれる。

 威力は抑えたのだろうが、マグナはがくりと床に膝をつき、額を石畳に押し付けて腹を抱えて蹲った。

「うん、よかった。強くなってるね」

 リィナは悠然と、マグナを見下ろす。

「でも、このままだと、ヴァイスくんはボクのになっちゃうよ」

「……関係無いって——言ってるでしょ!?」

 リィナが足をどけていた——おそらく、わざと——剣を拾い上げ、立ち上がりざまに斬り上げる。

 が、当たらない。剣を振り上げた無防備な体勢の側頭部に、リィナの爪先が叩き込まれた。

「あぐ——っ」

 真横に弾き飛んで、床に打ち付けられるマグナ。

「その程度なの?」

 リィナは、息も乱していなかった。

 おいおい、そこまでしなくてもいいんじゃねぇのか。

「強くはなったけど、それじゃまだまだ、マグナの望みには足りないと思うな」

 マグナは懸命に身を起こしかけたが、平衡感覚を失ったように、かくっと肘をつく。

「ほら、立ちなよ。立たないと、ヴァイスくんもらっちゃうよ?」

 よろよろと起き上がったマグナは、きっとリィナを睨みつけた。

29.

「なんなのよ……いっつも、あんたは……ムカつく!」

 マグナは、リィナに向かって剣を投げつけた。

 これは、さすがに予想外だったようで、リィナの体捌きがいつもより大きくなる。

 ぱぁん、と小気味いい音が響いた。

 躱した先に回り込んだマグナが、リィナの頬を思いっ切りひっぱたいたのだ。

 俺の手は、自然と頬を押さえていた。すげぇ痛ぇんだよ、あれ。

 ちょっと呆然として頬に手を当てたリィナは、やがてにこっと微笑んだ。

「おみごと」

「……もういいわ、あたしの負けで」

 力尽きたようにへたり込むマグナ。

「一本取られちゃったね。今のは、ホントに反応できなかった」

「リィナも、まだまだ修行が足りないんじゃないの?」

 憎まれ口を叩きながら、マグナはごろりと仰向けになる。

「うん、そだね」

「あ~、お腹痛い……頭くらくらする……ダメ。立てない。もうちょっと手加減してよ」

「ごめんね。思ったより、マグナが強かったからさ。つい力が入っちゃったんだよ」

「よく言うわ」

「ううん、ホントほんと。試合の勝敗は別にして、ボクとマグナの間では、マグナの勝ちでいいよ」

「……どうでもいいわ。ダメ、もう……控え室まで運んでよね……」

 寝そべったまま、マグナはぐったりとして目を閉じた。

30.

 その後の表彰式やらなんやらは、やっぱり俺は気もそぞろで、あまりよく覚えていない。

 とうとう大会が終わっちまったってのに——俺はいまだに、マグナにかける言葉を見出せずにいた。

 根が生えたみたいに、席から腰があがらない。

 けど、このまま行かない訳にもいかねぇしな。こうなりゃ、出たトコ勝負か。いざとなったら、なんか思い浮かぶだろ——多分。

 俺がようやく席を立ったのは、あれほど居た観客のほとんどが帰途について、すっかりまばらになった頃だった。

「ほんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」

 こちらもずっと押し黙ったまま、身じろぎもせずに座っていたシェラの頭にぽんと手を置く。

「あ、はい……その、頑張ってください」

「お互いにな」

 俺はちらりとフゥマを見遣る。

 こいつも、どうしたらいいか分からないみたいな、落ち着かない顔してやがんな。

 頼むから、なるべくシェラを泣かせんなよ。

 足取り重く選手の控え室を訪ねると、マグナはそこに居なかった。

「あ、ヴァイスくん。明日は女王様に呼ばれてるから、悪いけど空けといてね」

 まだ残っていたリィナが、声をかけてきた。

 絶世の美女との誉れも高い女王様と謁見させていただけるってのに、「悪いけど」も無いモンだよな。そこらの衛兵が聞いたら、気を悪くするぞ。

「あいよ。今日は、ご苦労さんだったな」

「うわ、軽っ。ボク、いちおう優勝したのに」

「ああ、いや……最初っから、お前が優勝すると思ってたからさ。なんつーか、予定通りの仕事をこなしてもらっただけ、みたいな感覚っつーか……そうだよな。悪ぃ。優勝、おめでとう」

「やめてよ、そんな。改まって」

 ぱたぱた手を振って、リィナは照れてみせた。お前が言わせたんだろうが。

「それに、優勝って言っても、全然納得してないしね」

 どこに行っていたのか、ちょうど控え室に戻ってきたアランが、リィナが視線を受けて肩を竦めた。

「ってことで、ボクはおっちゃんと決着つけてくるから、マグナの方はよろしくね」

 にやにや笑う。

31.

「そういや、あいつ大丈夫か?」

「うん、もうピンピンしてるよ。まぁ、いちおう手加減したしね。でも、思ってたより強くなってて、ちょっとほっとしたよ」

「ほっとした?」

「いいから、早く行きなってば。マグナなら、さっきヴァイスくんを探しに出てったから——っていうか、ボクが追い出したんだけどね」

 お前な。そういうことは、早く言えよ。

「入れ違いかよ。そんじゃ、まぁ……気をつけろよ」

 お前が野試合するのは止めねぇけど、おっさん、結構強そうだしさ。

 リィナはてのひらで俺の胸の辺りをぽんぽんと軽く叩き、肩を掴んでくるっと後ろを向かせた。

「はいはい、今はボクの心配なんてしなくていいから。ヴァイスくんこそ、頑張りなよ」

 ぐいぐい背中を押されて、力づくで送り出される。

 なんだかなぁ。

 リィナといいシェラといい、無理矢理ヘンな方向に話を持ってこうとしてねぇか?

 はー。

 俺は、心の中で嘆息する。

 そりゃさ、正直なところ、俺もマグナにそういう感情を全く持ち合わせて無いったら嘘になるよ。こんだけ長く一緒にいる訳だし、可愛くねぇけど可愛げが無い訳じゃないし、俺も男だしさ。

 けど、なんての?

 惚れたとか腫れたとか、そういう感情とは、ちょっと違うんじゃねぇのかな、と。

 どっちかと言えば、保護者的な感覚つーかさ——お袋さんにも、よろしく頼まれてるしな。

 その保護者的な観点からすると、あいつに俺をお薦めする気にはなれねぇんだよ。あいつの傍には、もっとしっかりしていて頼れるヤツが居た方がいい。あいつをちゃんと受け止めて、支えてやれるような。

 俺は——あいつに、何も言ってやれなかったんだから。

 今も、だな。何を言うべきなのか、分かってない。またあいつに何も言ってやれないのかと思うと、一層気が重くなる。

 こんな情け無い男は、ダメです。お兄さん、許しませんよ。

 つか、あいつはどこに居やがんだよ。

 あちこちウロウロしてんのに、全然見つかんねぇぞ。

 うん、今日のトコは、このまま宿屋に帰っちまうか。

 見つかんねぇんだから、しょうがないだろ?

 なんて事を考えてると、往々にして見つけちまうモンでして。

 まったく、人生ってのは厳しいよな。

32.

 すっかり人気の無くなった観客席の脇に、身を寄せているマグナが見えた。

 ヤベ、なんか鼓動が早くなってきた。いかん、頭に血がのぼって、考えがまとまんねぇぞ。

 思わず、苦笑が漏れそうになった。

 なんで今さら、あいつと話すのに、こんなに緊張してんだ、俺は。

 馬鹿馬鹿しい。もう、ごちゃごちゃ考えんの面倒臭ぇよ。こうなりゃ、当たって砕けろだ。

 男には、砕けると分かっていても当たらなきゃらない時がある——いや、まぁ、なるたけ砕けたくはないんですが。

「よ……よぅ。こんなトコに居たのか」

 背後から声をかけると、マグナはびくっと身を震わせて、しかめっ面を振り向けた。

「しーっ」

 唇に指を当てる。なんだ?なんか覗いてんのか?

 マグナに覆いかぶさるようにして、観客席の裏を覗き込むと、そこにはシェラとフゥマが向かい合わせで立っていた。

 相変わらず、空気が重い。別れる直前の男女みたいな雰囲気が漂ってるぞ。

「その……」

 フゥマは、髪の短い頭をぼりぼりと掻いた。

「やっぱり、オレ……嫌われてるってコトすかね?」

「違います!そうじゃないです!」

 シェラは俯いていた顔を上げて、声を大きくした。

「いや、だって……そんな嘘吐かれるくらいなら、ちゃんと嫌いって言ってくれた方が、オレもすっきりするっていうか……」

「違います……ホントなんです。ホントに、私、男なんです」

 ああ、もう告白した後なのか。

 シェラの口調も表情も真剣そのものだったが、フゥマはまだ半信半疑の顔つきだ。

 無理もないよな。俺だって、あんな可愛い男には、後にも先にもお目にかかったことねぇよ。つか、女まで含めたって、なかなか居るモンじゃねぇぞ。

 どうせ、あの腕白坊主は女経験なんて無いだろうからさ、女にも「ついてる」モンなんだって強弁すれば、案外信じて誤魔化せたりして——馬鹿か、俺は。下らねぇこと考えてんなよ。

「えっと……ちょっと、なんて言ったらいいか分かんないけど……」

「……ごめんなさい」

 フゥマは、さっきよりも激しく両手で頭を掻いた。

33.

「その……嫌われてる訳じゃないのかな」

「そんな……嫌われるのは、私の方で……」

「だったら——とりあえず、ダチってコトでどうすか」

「——えっ?」

 俺の胸の下で、マグナの体がびくっと微かに震えた。

 そうね。俺も、これは意外だわ。

「嫌われてるんじゃなければだけど。ダチなら、男同士でも問題無いでしょ」

「え、あの、でも……」

「なんだ。やっぱり、嫌われてんのかな」

 冗談めかした口振りに、シェラは慌てて頭を横に振った。

「そんな——そんなことないです」

「よかった。じゃあ、とりあえずダチってことで、よろしく」

 差し出されたフゥマの手を、シェラはおずおずと握りかけて、やっぱり手を引っ込めた。

「でも……」

 シェラの口は、しばらく開いては閉じを繰り返した。

 言葉の代わりに、吐息だけが何度も漏れる。

 ようやく搾り出された声は、少し掠れていた。

「……いいんですか?」

「いや、オレも正直、どうしたらいいか——違くて。いいんすよ。うん、いいです。問題ないです」

 差し伸べた手を、フゥマは下ろさなかった。

 シェラはひどく躊躇いがちに、だが、最後は両手で握り返した。

「あの……よろしくお願いします」

 微笑ましい光景ではあるが——大丈夫かね。お兄さんは、心配だよ。

 悪いヤツじゃないけどさ。シェラがどんくらいの覚悟で手を握り返したのか、ちゃんと分かってんのかな、あいつ。惚れた勢いに任せてるだけで、事の重大さを良く理解してるとは思えねぇんだけど。

 でも、まぁ、こっから先は、あいつら二人の問題か。

 うぐっ——マグナに、腹を肘打ちされた。

「ちょっと、いつまでひっついてんのよ」

 先に口で言えよ。いいじゃねぇか、減るモンじゃあるまいし。

「ほら、行くわよ。とりあえず心配無いみたいだし、これ以上覗いちゃ悪いでしょ」

 悪いってんなら、今覗いてただけでも、充分悪いと思うんだが。

34.

 少し離れたところで、俺の前を歩きながら、マグナが口を開く。

「それで?」

「へ?」

「だから……話って、なんなのよ」

 ホント、なんなんでしょうね。この期に及んで——自分がマグナに何を言うつもりなのか、俺はまだ判じかねていた。

 けど、シェラも頑張ったもんな。俺も、少しは見習わねぇと。

「あ~……その、さ——今日は、お疲れさん」

 ……ダメだ、俺。

「いやさ、まさか、マグナが決勝まで進むとは思わなかったよ。怪我とか、大丈夫か?」

「……ええ」

 マグナの声は、明らかに拍子抜けしていた。

「なに?『話があるんだ』とか改まっといて、そんなことなの?」

「いや、そういう訳じゃ……」

「なんなのよ。じれったいわね」

 仰る通りです。

「悪ぃ」

 マグナは、ふぅと息を吐き出して振り返った。

「なんか、気持ち悪い。はっきりしなさいよ、はっきり。シェラとは大違いだわ」

 返す言葉もございません。

「あんたが来る前から、あのコ、すごい頑張ってたのよ。あんなに喋り難いことなのに。あのオレ様も、あんたと同じでだらしないわ。最初は、全然口利かなかったんだから。シェラが一生懸命謝って、喋って、それで——」

 ぱん。

 と乾いた音が響いた。

 マグナが、両手で自分の頬をはたいたのだ。

 びくっとか震えちまった。みっともねぇ。

「今だけだからね」

 じろり、とマグナは俺を睨みつける。

 何がですか。

「あたしがこんなんじゃ、あんたも喋り辛いでしょって言ってるの。えっと……」

 掌でほっぺたをぐにぐにさするマグナ。

「それで、話ってなぁに?」

 小首を傾げて、にこっと微笑んだ。

 いや、そんな急に変わられても、背中がむず痒いだけなんですが——くそ、可愛いじゃねぇか。

35.

 昼休憩からこっち、頭の中にぎっしりと詰まった益体もない考えが、性懲りも無くぐるぐると回り始める。

 いっそのこと——好きだとかなんだとか、そういう類いの話をしたいなら、まだ気が楽なんだけどな。言いたいことが決まってて、後は覚悟を決めるだけって方がさ。

 けど、これはそういう話じゃなくてだな、つまり、なんだ——

 飽和状態の思考が結晶化したように、頭の中でころりと転がった。

 ああ、そうか。要するにだ——俺は、マグナに嫌われたくないんだよな。

 単なる同行者に格下げされて、無関心になられるのも嫌だ。

 マグナの抱えてるモンを俺が解決してやれるとは思わないが、一緒にいる限りは少しは頼って欲しいんだ。そう思ってる。

 それが、あの夜、こいつの告白を聞いた俺の義務——ってんじゃないな。とにかく、俺がそうしたいんだ。

 俺にしてみれば短い時間だったんだが、マグナにとっては表情を保つのが難しいくらい、俺は黙っていたらしい。

 気がついたら、マグナの顔から笑顔は消え失せて、見慣れたふくれっ面が浮かんでいた。

「もぉっ、なんなのよっ!?いい加減にしてよ!!」

「一緒に、買い物に行かねぇか」

「——は?」

 用意してなかった言葉が、するりと口を出た。いつだってそうだ。俺がごちゃごちゃ考えることは、いつだって無駄になるのだ。

 特に、こいつの前ではな。

「昨日の埋め合わせって訳じゃなくてさ。改めて、俺から誘わせてくれよ」

「なによ、急に——今から?」

「ああ。今日はマグナも頑張ったしな。ご褒美に、なんか買ってやるよ」

「偉そうに——今からじゃ、お店なんて終わっちゃうわよ」

「まだ、もうちょっと大丈夫じゃねぇの?」

 暮れかけてはいるが、辛うじてまだ日は出ている。

「……もしかして、このまま行くって言ってるの?」

「へ?そうだけど」

「イヤよ。汗かいちゃったから、先にお風呂入りたいし、着替えだってしなきゃいけないんだから。準備が出来る頃には、もう夜になっちゃうでしょ」

「ああ——そうね」

 別にそのままで構わねぇだろ、って訳にもいかないんだよな、女の場合は。

「そんじゃ、明日——はダメか。女王様との謁見があるしな」

「いいわよ、別に。ヘンな気遣わないでも」

「違くて」

 マグナの気の無い返事に、俺の口が勝手に動く。

36.

「埋め合わせじゃねぇって言ったろ。その……俺が、誘いたいんだ。昨日だって、ホントは……一緒に行きたかったんだぜ。すごく」

 お前、なんか可愛かったしさ。

 最後の言葉は、さすがに喉に引っかかった。

 おおお。これは、俺の本心なのか?

 なんか……すげぇ恥ずかしいんだが、妙に腹が据わっちまった。

「昨日は、ごめんな」

 つるりと、そんな言葉が口をついて出る。

「べ、別に気にしてないって言ってるじゃない。シェラとの約束を破られてたら、そっちの方がイヤよ」

「うん。それだけじゃなくてさ。今思うとバカみてぇだけど、夕べはコソコソしちまったし」

「それは……あたしが——」

「ああ。『ヴァイスのばかぁ~~~っ!!』だもんな。お前な、あんなトコで、人の名前を叫ぶなよな、恥ずかしい」

「……だって」

「すげぇ怒ってると思ってさ。怖かったんだぜ。お前、怒るとすげぇおっかねぇから」

「なっ——!!」

 マグナはふくれっ面をして、拗ねたように視線を落とした。

「……悪かったわね、おっかなくて。分かってるわよ。どうせあたしは、シェラみたいに可愛くないもんね」

「そんなことねぇよ」

 俺の顔には、自然と笑みが浮かぶ。

「そんな風に思ってたら、誘ったりしねぇって。お前は、そのままでも——その、なんだ。怒った顔も、嫌いじゃねぇよ」

「……なによ、それ。それじゃ、あたしが年がら年中怒った顔してるみたいじゃない」

「へ?だって、そうだろ?」

 マグナは、ますます頬を膨らませた。

「怒った顔が好きなんて、あんたマゾっ気あるんじゃないの?」

「ああ、そうかもな」

 あっさり流されて、悔しそうに俺を睨みつけるマグナ。

 俺は、目を瞬いた。

 不意に、マグナが等身大のひとりの少女として目に映って——

 勇者だとかなんだとか、こいつはそんなんじゃねぇとか思いつつ——それを一番気にしてたのは、ジツは俺だったのかも知れないな。

 肩書きだとか、背負ってるモンだとか、そんなのは全部取っ払って——本当の意味で目の前の少女そのものだけを見たのは、もしかしたら今がはじめてなのかも知れない。

 俺の肩から、残っていた最後の力みが抜けた。

37.

「そんならさ——せめて、メシでも食いに行こうぜ。飯屋なら、なんとか開いてる店も見つかるだろ」

「え、あ、うん」

「あ——悪ぃ、そういや疲れてるか」

「え、うん、そりゃちょっとは——でも、ご飯くらいなら、別に平気だけど」

「そっか。お前らのお陰でしこたま儲けさせてもらったし——違う、そりゃ無くなったんだった。まぁ、いいや。とにかく奢らせてくれよ」

「いいけど……仕度してからね」

「ああ、別に待ってるよ」

「違うわよ。あんたもお風呂入って着替えて、ちゃんと仕度するのよ」

 ああ、そうですか。

 マグナは、何かを思いついたように、にやっと笑った。

「ふぅん——じゃあ、せっかく奢ってもらうんだから、すっごい高いトコにしなくちゃね。だから、ちゃんとした格好してよ?」

「へいへい」

「なによ、その返事。それじゃ、早く宿に戻るわよ」

「へいへい」

「もぅ——ほら」

 マグナが、手を差し伸べる。

 握り返そうとした俺の手の甲を、マグナはぎゅっと指で抓り上げた。

 へへ~ん、みたいな笑みを浮かべて、小走りに先を行く。

「ほら、さっさとしなさいよ!時間無いんだから!」

「……へいへい」

 笑顔で手招きをするマグナの背後の夕日が眩しくて、俺は少し目を細めた。

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