19. Dreamland

1.

 魔法使いとして、俺がこれまでに培ってきた全ての経験と技量が、今こそ試されようとしている。

 これほどまでに、呪文の詠唱に神経を費やしたことは、かつて無い。

 額に汗が滲む。

 絶妙の加減、精密な制御が求められるのだ。

 ひとつ間違えば、自分が発動した魔法で、己の身を焼きかねない。

 己の手にした刃物で、自らの身を切りつけるように——

 正直に言おう。

 恐怖心は、ある。

 だが、その恐怖に遥かに勝るものが、俺の裡には確固としてあるのだ。

 それは、あいつらへの想い——

 強い、想い——

 集中しろ。

 失敗は、許されない。

 だが、果たして、俺の思い描いているような魔法の使い方が、本当に可能なのか。

 こんな繊細な制御が——

 いや、大丈夫。

 出来る筈だ。

 自分を信じるんだ、ヴァイス。

 俺なら、きっと出来る。

 いや、可能も不可能もない。

 やらなくてはならないんだ。

 目を閉じて、凝っと呪文に集中する。

2.

 どうせ目隠しされてるから、閉じても開いても大して変わんないけど。

 ばちゃばちゃ。

「きゃっ——ちょっと、やめなさいよ!」

 雑念が、俺の集中の邪魔をする。

 ばしゃんばちゃん。

「もう——やったわねっ!」

 ばしゃばしゃん。

 集中だ。集中。

「ひゃっ——ほらほら~、シェラちゃんも」

 ざばざばばしゃんばしゃん。

「ひゃうぅっ——も~、濡れちゃったじゃないですかぁ」

「ボク達みたいに、脱いで入っちゃいなよ。誰も見てないよ~」

 勝手に脳裏で像を結ぼうとする雑念を、俺は懸命に追い払う。

 想像なんて、する必要ないのだ。

 すぐ後ろに、実体が存在するんだから。

「あ~、気持ちいー」

 うるさい、マグナ。ヘンな声出すな。

「ホントですね~。足だけでも、すごい気持ちいいです」

「ここまでのコト考えたら、ホント天国だわ」

 どぽん。

「——シェラ、ちょっと」

「はい?」

「浸かんなくていいから、ちょっとだけこっちに来て」

「はぁ、なんですか?」

 ざばざば。

3.

「——ひぁっ」

 ばしゃん。

 ばしゃばしゃごぼごぼばしゃごぼばしゃばしゃ。

「はぷっ——ふぁっぷ——ぷぁっ」

「あははははは」

「だいじょうだいじょぶ。シェラちゃん、まだ足着くよ」

「ふぁっ——げふっごほっ——けへっ……」

「あはは、ごめんごめん。でも、やったのはリィナだからね」

「頭まで浸かると、気持ちいいよね」

「う~……ヒドいです~」

「あれ?もしかして、シェラ、泳げなかった?」

「……はい」

「ボクが教えてあげよっか?」

 ざぱん。

 ざぱーざぱー。

「ほら、この泳ぎ方なら、息継ぎできなくてもだいじょぶだから、楽ちんだよ」

「いえ、あの、リィナさん……下着が透けちゃってるので、その泳ぎ方は止めた方が……」

「いいじゃない。誰もいないんだし。あたしもやってみよ」

 ざぱん。

 ざぱーざぱーざぱざぱ。

「げへっけへっ——水飲んだ——なによ、上手くできないじゃない!」

「マグナもカナヅチ~」

「違うわよ!見てなさい。あたしのは、そんなヘンな泳ぎ方じゃないんだから」

 ざぱん。

 ばしゃばしゃばしゃばしゃ。

「おー、早いはやい」

「二人とも、泳ぐの上手ですね」

「シェラちゃんも練習すれば、すぐ泳げるよ」

「そうかな——あ、マグナさん、あんな方まで」

「負けず嫌いだなぁ」

「あはは」

4.

「じゃあ、ボクもちょっと」

 どぽん。

「………………リィナさん?えっ!?——マグナさーん!リィナさんが、浮かんで——」

「——ぁっ!」

「——ぇ~」

「——ぅっ!ぉどかさないでよっ!!」

「負けず嫌いって、人のこと言えませんよ、リィナさん……」

——いかんいかん。

 耳に意識を集中してる場合じゃねぇんだ。

 呪文に集中しろっての、俺。

 くそ、手首が痛くなってきたぞ。鬱血してんじゃねぇのか、これ。マグナのバカが、力任せに縛りやがって。

 ナメんなよ。こんな縄如きで、俺を縛り付けられるなんて思うんじゃねぇぞ。

 今すぐ、そっちに行ってやるから、待ってろ。

 それまで、服着んじゃねぇぞ。着たら承知しねぇからな。つか、泣くぞ。

 さぁ、早く、メラの出力を極限まで抑えて、俺の手首を後ろ手に戒めてる縄だけを焼き切るんだ。

 俺なら、きっと出来る。

 夢を諦めるな。信じれば、きっと夢は叶う。

 夢って言葉は嫌いです。それは手の届かないモノじゃなくて、達成すべき目標だから。

 って、俺は一体、なにを考えてんだ。余計なことはいいから。

 集中だ。

 集中——

5.

「こっから西の方に、もーちょ~~~広い砂漠があってさぁ。その砂漠の南の方に住んでる爺さんが、『魔法の鍵』のことを知ってるらしいんよ」

 ぺろりと晩飯を平らげたアイシャは、物凄い大雑把で曖昧なことをほざいたのだった。

 アッサラームの宿屋の食堂で交わしていた会話の続きだ。

 お前、当てって、まさかソレなのかよ。

「……ホントなんでしょうね」

 伝聞丸出しの内容に、不安の色を隠し切れず、マグナの口振りも疑わしい。

「ホントほんと。だって、この噂の筋はひとつじゃないからさぁ。かなり信憑性は高いと思うんよ」

「だったら、もうちょっと詳しい位置くらい分かんねぇのか?」

「えっとねぇ……確か、山づたいに砂漠を南に行くと沼地があって、そこのほこらに爺さんがいるってハナシだったかなぁ」

「頼りねぇなぁ——マグナ、いま持ってるか、アレ?」

「アレって、なによ。ちゃんと言いなさいよ」

 なにやら、カチンときたらしい。

 そうですね。俺達は、長年連れ添ったツーカーの熟年夫婦じゃありませんものね。

「アレだよ、ほら……世界地図」

「ああ、なんだ——そんな単語も出て来ないなんて、ボケが始まってるんじゃないの?」

 憎まれ口を叩きながら、腰のフクロを探るマグナ。コソ泥が入らないというアイシャの言葉がいまいち信用できなかったので、俺達はフクロを携帯して歩いていたのだ。

 つか、誰がボケだと?年寄り扱いすんじゃねーよ。まだバリバリの好青年だっての。

「——この地図で言うと、どの辺りだ?」

 食器を除けたテーブルの上に、世界地図を広げてアイシャに見せる。

「え、なにコレ、ホントに世界地図なん?へぇ~、こんなのあるんだ。スゴいねぇ。これ、ちょうだいな」

 どさくさに紛れて、なに言ってやがる。

「やるか、バカ」

「え~。きっと、高く売れるよ~。分け前はハチニーでいいからさぁ。だから、ちょうだいな」

「ハチニーって、お前が——」

「はち」

「……いいから、さっさと場所を教えろ」

 アイシャは下唇を突き出して、ヘンな顔をしてみせた。

「そんなの、分かんないよん」

「……お前な」

「だって、アタシこんなの見たの初めてだから、アッサラームが何処なのかも分かんないよん」

 まぁ、そりゃそうか。

6.

「アッサラームは、ここよ」

 手を伸ばして、マグナが地図の一点を指す。アリアハンで受け取った時点では、地形やなんかしか描かれていなかった筈だが、地図にはここまでの街道筋や、立ち寄った町や村が、マグナの手書きで書き込まれていた。

 全員で頭を突き合せて確認したところ、確かに砂漠の南に湿原らしき地形が描かれていた。

 しかしまぁ、おっそろしく広いぞ、この砂漠。アリアハンにも砂漠はあったが、その十倍どころの騒ぎじゃない。ここを渡って行けって言うのかよ。

「早速、明日には出発するんよね?」

 アイシャが、軽い調子でのたまった。勝手に決めんな。

「迅速を尊んでこそ、商売敵を出し抜けるってモンだからねぇ」

「慌てる乞食は、儲けが少ないんじゃねぇのか」

「それは、ホラ——アタシ、乞食じゃないし。そいじゃあ、そゆことで。たっくさん期待してるよん」

 結局、アイシャの思惑通りに、俺達は翌日アッサラームを早々に旅立ったのだった。

 慌しいことこの上ないが、マグナはこの街の銭ゲバ連中があまりお気に召さなかったようで、珍しく文句を言わなかった。

 しかし、お陰で劇場をこっそり覗く暇もなかったぜ。どんな出し物やってたんかなぁ。

 砂漠に入るまでは、これまでの道程と大して変わりがなかったので、さしたる問題も無かったんだが。

 砂漠の入り口といえる、とある小さな町でのことだった。

「うわー、おっきいねぇ」

 リィナが背伸びをして、ラクダとやらの首筋を叩く。

 ここから先はずっと砂地だから、歩こうにも足を取られてまともには歩けない。そこで、背中に瘤のある、この奇妙な動物に乗って移動するのだ。なんでも砂漠を渡るには、最も適した乗り物なんだそうだ。

 そして、砂漠の旅に必要なものが、もうひとつ。道案内だ。

「なんで?別に、要らないわよ」

 ラクダ屋のオヤジが持ちかけた紹介話を、マグナはあっさり断った。

「そら無茶だぜ、お嬢ちゃん。あんた、砂漠は初めてだろ。ここにゃ、あんたらに分かり易い道なんて無ぇんだからよ。どこまで行っても同じ景色が続くだけでよ、素人なんざあっという間に自分の居場所を見失っちまうってなモンよ」

「馬鹿にしないでよ。これでもあたし達、あちこち旅してるんだから。ずっと山沿いを辿っていけば、目的地に着く筈だから、迷ったりなんてしないわよ」

7.

「分かってねぇなぁ。あんたらがどんくらい旅慣れてっか知らねぇけど、山ってもあんたの考えてるみたいな、麓に森がある豊かな山とは違うんだよ。川やら泉やらはおろか、草木もロクに生えてねぇ岩だらけのハゲ山だぜ」

 オヤジの話では、砂漠では点在するオアシスを結んで移動しないと、あっという間に干上がってしまうのだそうだ。

 だから、オアシスの場所が分かる案内人を連れて行かないと、自殺行為もいいところだとオヤジに説得され、マグナも最終的にはしぶしぶそれを受け入れた。

 まぁ、渋る気持ちは分かるけどな。余所の人間と行動を共にして、嫌な思いをしたばっかりだし。けど、今回は隊商みたいな大人数じゃなくて、案内人をひとり雇うだけだから、まぁ大丈夫だろ。

 俺達を案内することになったのは、ようやく子供と呼ばれる年齢を脱したばかりの少年だった。

「心配ねぇよ。このナジは、こーんな小っちぇ頃から案内人やってんだ」

 オヤジは前屈みになって、膝の下まで掌をおろす。嘘付け。

 未だにアッサラームの記憶が色濃いらしく、マグナがやたら強引に値切ったモンだから、経験の浅いぺーぺーを掴まされちまったんだと思いきや。

 無口で無愛想な性格はともあれ、ナジは案内人として必要な能力を不足無く備えていた。

 余計な口を一切利かず、俺達とも必要以上に打ち解けようとはしなかったが、無事に目的地まで辿り着かせてくれたのだから。

 砂漠の旅は、これがまたエラい単調だった。最初の頃こそ、砂地に描かれた風紋の見事さに目を奪われたりもしたが、そんなのは一日も眺めていればすぐに飽きちまう。

 これ山だろ、と思うほど巨大な砂丘を登ったり降りたり。岩場の有る無し程度の違いしかない、代わり映えのしない風景が延々と続き、やがて距離や時間の感覚は失われ、退屈を通り越して頭がおかしくなりそうだった。

 しかも、昼は日陰なんて一切無いから、ギラギラ照りつける日差しがバカみたいに暑くて、夜は真逆に、その気になれば楽勝で凍死できるほど恐ろしく寒いときてる。およそ人間が生きていける環境じゃねぇよ。

 その上、マグナですらぶーたれる元気を失うこんな土地でも、魔物は律儀に襲ってきやがるのだ。

 とにかく、ここまでの旅の中でも、最も過酷な道程だった。

8.

 そんな苦労の末に、ようやく辿り着いたというのに。

「こっちの入り口から訪ねてくるとは、また珍しい客じゃのぅ。わざわざ砂漠を越えて、ご苦労なことじゃなぁ」

 なんてことを言いながら、俺達をほこらの中に通してくれた、魔法使いの爺さんは——

「『魔法の鍵』じゃと?なんで儂に、そんなことを尋ねるんじゃ?」

 などと、ふざけた事をほざきやがったのだ。

 以前、このほこらに迷い込んだ旅人に、昔語りのように魔法の鍵の話を語って聞かせたことはあるそうなんだが、俺達が掴まされた噂は、その尾ひれというオチだった。

「じゃから、儂に聞かれても困るわい。ありゃ、イシス王——今は、女王じゃったか。とまれ、『魔法の鍵』は、あすこの王家の管轄じゃぞ。そっちに尋ねるが筋というもんじゃろ」

 そんな訳で俺達は、今度はイシスという国を目指す次第と相成ったのだった。

 なんだか、たらい回しにされてるみたいで、すげぇ気分悪いんですけど。

 過酷な砂漠の道行きに、いい加減溜まっていた鬱憤が爆発した格好で、マグナは俺に当り散らす元気を取り戻した。

「あーもー、あっついっ!!なんとかしてよ、ヴァイス!!」

 いや、俺に言うよりは、ナジに言った方が、まだなんとかしてくれんじゃねぇのか。

 そのナジは、いつも通り物も言わずに、ぽくぽくラクダで俺達の前を歩いている。

「あーもーイヤッ!!いっくら行っても砂砂砂っ!!全身ジャリジャリだし、もぅうんざりっ!!あんたがアイシャの口車なんかに乗ったから、こんなことになったんだからねっ!!」

 ご無体な事を仰る。

 まぁ、そのやけっぱちな元気も、この砂漠では半日ともたない訳で。

 その分、内側にどんどんイライラを溜め込んでいたらしく、やがて珍しく無人のオアシスに辿り着いて、一息くなりマグナは宣言した。

「あたし、泳ぐから!!あっついし、砂が気持ち悪くて耐えらんないっ!!」

「あ、いいね。うん、泳ごう泳ごう」

 すぐさま同調するリィナと、小首を傾げるシェラ。

「え、でも、服のままですか?」

「なに言ってんの。誰も居ないんだから、服なんて脱いじゃって、下着でいいじゃない」

 おお、お前にしては、素晴らしいアイデアだな。とか思ったんだが。

9.

 マグナは、俺とナジをオアシスのほとりにある岩場の陰まで連れて行くと、目隠しをした上に、手と足を縄で縛り上げやがったのだ。

「覗いたら、殺すわよ」

 駄目押しに、そんな恫喝までしてくる。相当イラついてるのか、冗談に聞こえないところが恐ろしい。俺達を庇おうとしたシェラも、つい口篭ってしまう勢いだ。

 砂漠における水の貴重さが身に染みているナジは、口にこそ出さなかったが、最初はずいぶんと不快な顔をしていたのだが。

「ごめんね。ちょっとだけだからさ」

 リィナに縛られながら、顔を赤らめてテレテレ半笑いを浮かべていた。

 この小僧、どうやらリィナがお気に入りらしいのだ。歳も近いし、普通ならシェラに目が行きそうなモンだが、意外とマセガキだよな。ムッツリってヤツか。

 そんなこんなで、身動きを封じられた俺とナジを尻目に、女連中は存分に水浴びを楽しんでいるという訳なのだった。

 ナジも、とんだ災難だよな。まぁでも、悪いが、お前にあいつらの下着姿を見せてやる訳にはいかねぇからな。諦めて、お縄についてなさい。

 だが俺は、このまま素直に縛られてるつもりはねぇぜ。

 絶対、覗いてやっから待ってろよ、マグナ、こんちきしょう。

 とにかく、後ろ手に手首を縛ってる縄だ。こいつさえ焼き切れば、戒めを解いたも同然だからな。

 手首のごく近くで、メラを可能な限り絞り込んで発動すれば、イケる筈だと思うんだが。

 問題は、これほど呪文の目標と出力に精密さを要求された事はかつて無い上に、目隠しまでされてるってことだ。

 けどな、こちとら、それなりに経験を積んだ魔法使いだぜ。やってみせようじゃねぇか。

 俺は凝っと、背中に回された手首の辺りを、映像として思い描く。

 失敗したら、大火傷を負いかねない。しかし、この恐怖心を克服することなくして、楽園への扉は開かれないのだ。

 うん、また考えてることがおかしいな。

 なにしろ、あられもない姿のマグナ達が、すぐ後ろできゃっきゃはしゃいでいるという生殺しの状態なのだ。そりゃ少しは、思考もおかしくなろうってモンだろ。

 えいくそ、そんなこたどうだっていい。今は、雑念を全て振り払うんだ。

 呪文に集中しろ。

 俺なら出来る。

 出来なきゃ、俺が魔法使いになった意味は無い——

10.

「マグナさん、リィナさん!!」

 俺の集中は、シェラの叫び声であえなく破られた。

 背後で、巨大な生き物が砂を這う音が近づいてくる——まさか、魔物か!?

「この音——ジゴクノハサミ。あいつ、水に入れる。危ない」

 隣りでナジが、訥々と呟いた。

 あの蟹の化物か。マズいな。外殻がやたら固ぇし、いくらリィナでも、水中で襲われたらヤバいかも知れん。

 くそ。マジで、今すぐ縄を解かねぇといけなくなっちまった。こうなったら、多少の火傷でどうのと言ってる場合じゃねぇぞ。

「シェラ、こっち!!泳いで!!」

「あぅ……でも……」

「分かった、待っててっ!!」

「すぐ行くからっ!!」

「どう……どうしよう……なんとかしなきゃ……」

 ざざざざざぎちぎちざざざ。

『バギ』

 ゴウッ。

「……やっぱりダメ……あんまり効かないよぅ」

 ぎちぎちぎちざざざ。

「に、逃げなきゃ……」

 ざばざばざばざば。

 ざざざざざかざかざかぎちぎちぎち。

「追いつかれちゃう……」

 ざばざばざば。

 ……どっ……どっ……どっどっどっ。

 ざかざかざかざかぎちぎちぎち。

 どっどっどっどっどっどっ。

「あっ!?」

 どどっ。ざしっ。どちゃっ。

「どうどうどう」

 ばしゃばしゃばしゃばしゃ。

「シェラ、大丈夫!?」

「あ、はい……あの人が、助けてくれて」

 なんだ。なにがどうなってるんだ。

11.

「あの、ありがとうございました」

「いや、なになに。大したことじゃないよぉ。むしろ、こっちがお礼を言いたいくらいだよねぇ」

「はい?」

「ぷあっ——あれ?——おっちゃんが倒してくれたの?」

「はいはい、そうですよ。おっちゃんが倒しました」

「助かったわ。ありがと——っ!!」

 マグナの悲鳴が辺りに響いた。

「あっち行ってっ!!あの、お礼は言うけど——今はあっち行ってよっ!!」

「おっと、こりゃ失礼」

「ほら、リィナも!!いつまでも立ってないで!!」

「あ~、大丈夫大丈夫。おっちゃん、すぐ行くから。だから、水だけ汲ませてよねぇ」

「え、あの、ちょっと向こうに行っててくれれば、すぐ上がるけど……」

「いいからいいから。おっちゃん、向こうに連れを待たせてるのよ。お嬢ちゃん達みたいに可愛い子の、恥ずかしい格好を見たってバレたら怒られちゃうから、急いで戻らないといけないの」

「恥ず……っ!?」

「ふぅん。あの蟹のお化けを一撃かぁ……おっちゃん、強いね」

「あらら、バレちゃった。そう、おっちゃん強いの。アッチはもっと強いんだけどね」

 デカい皮袋に水を汲みながら、ふざけたことをほざいているのは、がっちりした体躯の少壮のおっさんだった。

 顔立ちからして、ここらの人間ではないだろう。むしろ、ロマリア辺りで見かけそうな伊達男面をしてやがる。

「おっちゃん、剣士でしょ?後で手合わせしてみない?」

 水面に顔だけ出して、リィナがそんなことを切り出した。

「ん~?お嬢ちゃんとかい?」

「うん。腕の立つ剣士と、ちょっと手合わせしておきたいんだよ」

「お嬢ちゃん達も、イシスに行くのかい?」

「うん、そだよ」

「じゃあ、そこで会ったら、喜んでお相手しましょうねぇ。それまでは今の連れと一緒だから、お嬢ちゃんといやらしいことしたら、おっちゃんヤキモチ焼かれて、砂漠のド真ん中に置いてきぼりにされちゃうの」

 リィナの反応は、一瞬遅れた。

「へっ!?——えっ!?ち、違うよっ!?そうじゃなくて、剣士としての手合わせだよっ!!」

「あらら、残念。ごめんねぇ。おっちゃん、女の子には、こっちの剣しか使わないことにしてるのよ」

 なんてことを言いつつ、おっさんは自分の股間を指差した。なんだ、この愉快なおっさんは。

12.

 リィナは顔を赤らめながら、口まで水に浸けてぶくぶくと息を吐き出した。こいつにしては、珍しい反応だな。

「あのねぇ——」

 代わりにマグナが呆れた顔で何かを言いかけたが、おっさんはそれを待たずに、水を満たした皮袋を自分のラクダにくくり付けた。

「それじゃあねぇ、お嬢ちゃん方。どうぞ、ごゆっくり水浴びを楽しんでちょうだい」

「え——もう行っちゃっていいんですか?」

「うん。急いで戻らないと、連れがこっちに来ちゃうのよ。お嬢ちゃん達の格好を見られたら、きっと泣いて怒られちゃうの。おっちゃん、女の涙には弱くてねぇ」

「あの——ありがとうございました」

 ワンピース姿のシェラが礼を述べると、ラクダに跨ったおっさんは、立ち去りながら手だけひらひら振ってみせた。

「……なんだったの、今のは。まぁ、助かったけど」

 おっさんとラクダが豆粒くらいになるのを待って、マグナは水から身を起こした。よし——うは。

「ヘンなおっちゃんだったねぇ」

 リィナも水から上がったが、こいつの下着姿は見たことあるからな。どっちかというとマグナの方に目が行ってしまうのは、それが理由に違いない。

 でも、なんかマジマジと見れねぇぞ、何故か。

 なんだ、その……濡れて透けてるしさ。

 とにかくひと目でも見ることが出来て、どうやら俺の気は済んでしまったらしい。急に、いけないことをしている気分に襲われてしまう。

 こういうのって、やっぱり良くないよな、うん。男らしくねぇっつーかさ。いや、ある意味、こよなく男らしいんだけど。

 つか、あのおっさん、まさかバッチリ見やがったんじゃねぇだろうな。見られる前に、ちゃんと水に潜って隠したんだよな、マグナ?

「今日は魔物が出てなかったから、油断してたわ……ヴァイス達を縛っちゃったの、マズかったかな……」

 呟きながら、こちらを向いたマグナの目と、岩場の端から顔を引っ込めようとした俺の目が、ばっちり合った。

 刹那、世界は動きを止めた。

13.

「——っ!!」

 可聴領域を越えた絶叫が、砂漠の空に吸い込まれていく。

「違う、違うって!魔物に襲われてたみたいだったから、慌ててだな——」

「なんでよっ!?なんで縄から抜けてるのっ!?信じらんないっ!!」

 オアシスのほとりにしゃがみ込んで、マグナは足元の砂を俺に向かって投げつける。

「いや、マジでマジで!!今、動けるようになったばっかだから、全然見てねぇから——」

「いいから、あっち行ってよっ!!ばかぁっ!!」

 俺はほうほうの体で、岩場の陰に逃げ戻った。

 ヤベェ。見つかる予定じゃなかったのに。

 この後の事を考えるだに恐ろしい。今の内にトンズラこくか。いやいや、こんな砂漠のド真ん中で、どこに逃げるってんだよ。

 俺がわたわたしていると——

「ヴァ~イ~ス~うぅ」

 物凄い勢いで服を着たらしい。いくらもしない内に、マグナが地の底から響いてくるような唸り声を引き連れて、ざかざかと砂を蹴散らしながら、足早に迫ってくるのが見えた。

 腕の火傷を誇示しながら、お前らが危ないと思って無理矢理縄を焼き切ったんだと、必死に説明したのが良かったのか。

 それとも水浴びで、マグナのイライラが解消されていたお陰なのか。

 カンペキ顎が外れたと思ったほどの、平手打ちの一発を俺に叩き込んで、「もぅ、しょうがないなぁ」とかマグナは苦笑した。信じられないことに、どうやらそれで気が済んだらしい。

 奇跡だ。奇跡って、ホントにあるんだな。感動しました。

 なんだかんだで、マグナの体も拝めたのも、言ってみれば奇跡だよな。正々堂々と拝む機会なんて、多分一生ねぇだろうし。なんていうか、細身で思った以上に体の線がさ、え~、その、俺の好みだったりして。いや、まいっちゃうね、どうも。

 それと、今回のひと悶着で、収穫がもうひとつ。

 縄を焼き切る為に、極限まで呪文に集中した結果——

 俺は、メラミを覚えていた。

14.

 イシスに辿り着いてすぐに、ナジとは別れることになった。案内人の組合みたいなのがここにもあるので、そこに戻るのだそうだ。お疲れさん。必要以上に干渉もしてこなかったし、お前さんはいい案内人だったぜ。

 イシスの街は、なにやら華やかな活気にざわめいていた。祭景気に浮かれている、と言ってもいいかも知れない。

 通りのあちこちで出店やちょっとした出し物が目についたり、辻では吟遊詩人が楽器を奏でながら唄っていたりする。

 その理由は、そこかしこに見える垂れ幕やら立札のお陰で、ほどなく知れた。

「——へぇ、武闘大会だって」

 立札の前で立ち止まって、リィナが呟いた。

 そう。明日から、このイシスの街で武闘大会が催されるらしいのだ。

 なんでも逞しい輩がお好みだというイシス女王の発案で開催される、この大会で優勝すれば、賞金および何でもひとつ願い事を叶えてもらえる権利、そして何より絶世の美女との噂も名高い女王様と、間近で謁見する栄誉が与えられるのだという。

「ボク、出てみようかなぁ」

 リィナは、予想通りの反応をしてみせた。

「ああ、そりゃいいかもな——」

 ほこらの爺さんの言によれば、『魔法の鍵』はイシス王家の管轄らしいが、どうやって話を聞いたものやら、ここに着くまで考えても答えが出なかったからな。

 なんのツテも地位も無い俺達みたいな人間が、ほいほい女王様なんてご大層な方と謁見できる筈もない。そりゃ、マグナが正体を明かせば、もしかしたら目通りは適うかも知れないけどさ、そいつは論外だしな。

 そこで、この武闘大会だ。リィナが出場すれば、優勝は夢じゃない。つか、他にいい方法も考えつかねぇし、参加しない手は無いだろう。

「マグナも出てみれば?」

「え~、あたしはいいわよ」

 リィナにお気楽に誘われて、マグナは顔を顰めてみせた。

 まぁ、そうだな。今のマグナなら、案外いいトコまで行けるかも知れないが、止めといた方が無難かな。

 相手を殺したら自分が負けってルールらしいが、心配は心配だし——ちょっとだけな。

15.

 明日行われる予選を勝ち抜いた連中と、主催側が用意したそれなりに名の通った数名の戦士達——もちろん、どいつも聞いたこともねぇけど——が、明後日の本選に出場できる段取りだ。

 予選がはじまってからも、ギリギリまで飛び入り参加を受け付けるみたいなので、とりあえず俺達はまず宿に落ち着くことにした。

「あっ——」

 適当な宿屋を探し歩いていると、急にシェラが声をあげて、俺の背中に身を隠した。

「あれ?フゥマくんだ」

 リィナの視線を追うと、こちらに向かって歩いてくる腕白坊主が、人ごみの合間に見えた。

 俺は、ちょっとシェラを振り返る。リィナより先に見つけるとは、すげぇな。

「おーい、フゥマくーん!」

「ちょっと、リィナ。いいわよ、あんなの呼ばないで」

 フゥマと反りが合わないマグナは嫌な顔をしたが、向こうもこちらに気がついたようで、やや足を早めて近づいてきた。

「——なんだよ、またあんたらかよ」

 そりゃ、こっちの台詞だ。

「フゥマくんも、武闘大会に出に来たの?」

 それだと、ちょっとマズいな。腕の立つヤツは、なるたけ少ない方がいい。けど、こいつはリィナに勝った試しがねぇから、まぁ、心配無いか。

 だが、フゥマは口をへの字に曲げて、リィナの問い掛けに首を横に振った。

「いやさ、オレ様も、すっげぇ出たかったんだけどさぁ……今回は、仕事なんだよな。大会に出るヤツで、使えそうなの見つけて来いって言われてさ」

「ありゃりゃ、そりゃ残念だねぇ」

 リィナは同情してみせたが、そっぽを向いたマグナはザマを見なさいと言わんばかりの表情を作った。

 フゥマは、はぁっ、と溜息を吐く。

「あの野郎、『私より、フゥマさんに観てもらった方が確かでしょう』とか言いやがってよ。そりゃそうだけどさ、ほら、アレだろ。自分が出場しちまうと、試合を全部観たりとか無理じゃんか。出たらオレ様、決勝戦までいっちまうしさ」

 はぁ?何言ってんだ、こいつ。

「あーくそっ、すげーつまんねぇっ!!」

 にやけ面に対する不満をぶちまけると、フゥマはにわかにそわそわし出した。

「ま、仕事だからしょうがねぇけどさ……なぁ、オイ」

 なにやら、俺の方をちらちら窺う。

「その……シェラさんは?」

 ああ、やっぱりそうくるよな。

16.

 服の背中を、シェラがぎゅっと握った感触があった。震えてるな。

「あー、いや、その、なんだ……」

「シェラは、あんたの顔も見たくないってよ」

 マグナがつけつけとうそぶいた。

「ばっ——そんな訳ねぇよ!!だって、オレ達、この前ロマリアで——あれ?あんたの後ろにいるのか?」

 体を傾けて俺の背中を覗き込み、フゥマはシェラを見つけてしまった。

「え?マジで?オレ、なんか嫌われることしちゃったのか?……あれ?」

 そうだよな。フゥマにしてみたら、ロマリアで偶然に出逢って、いい感じで一緒に遊んだ記憶が最後なんだもんな。そりゃ戸惑うわな。

「あの、シェラさん……この前、なんか嫌な思いさせちゃったんなら、ごめんなさい。オレ、バカだから、女の子の気持ちとかよく分かんなくて……」

 困惑しきりの腕白坊主を見てたら、ちょっと可哀想になってきた。

 シェラとフゥマがロマリアで逢っていたことを、どうやら知らないらしいマグナは怪訝な顔つきで、リィナはきょとんとしている。

「ちょっと待ってくれ」

 俺はフゥマにひと声かけて、後ろを振り向いた。

 声を潜めて、シェラに問い掛ける。

「どうした?今度こそ、ちゃんと言うんじゃなかったのか?」

「……ダメ……怖い……怖いです……」

 シェラは泣きそうな顔で、ぶるぶると身を震わせていた。

「分かってるんですけど……無理……無理です」

 今度は俺の袖を、縋るように握ってくる。

 どうやら——俺にも責任の一端があるのかな、これは。

 少し前までのシェラなら、こんな態度は取らなかっただろう。

 最初から諦めていたのだから。

 自分の素性を明かしたら、上手くいきっこない——女の子として見てもらうなんて、不可能だと。

 だから、素性を明かした後でヒドい態度を取られても、無理矢理自分を納得させて、なんでもないことのように振舞えた。ハナから期待してなかったから。

『だって、どうしようもないじゃないですか——私……おかしいですから』

 だが、あの日——

17.

『俺は、そんな風に思ってねぇから』

 心の底から真剣に、俺はシェラにそう言った。

 それが、シェラの裡でどういう影響を及ぼしたのか、本当のところは分からないが——多分、シェラの中に期待が芽生えたんじゃないかと思う。俺達みたいに、ありのままの自分を受け入れる人間が、実際に存在すると信じることが出来て。

 もしかしたら、受け入れてもらえるかも知れない——たとえ僅かでも、そんな風に期待してしまった上で、手酷く拒絶されたら、これまでのように平静を装うのは難しいだろう。それが、恐怖に繋がっているんじゃないか。

 一見すると、シェラは弱くなってしまったようにも思えるが、無理に平気な顔をしてみせていた以前の方が、異常というか不健全だったと俺は捉えているので、好ましい心境の変化ではあるんだが——なんだか、ややこしいことになっちまったな。

「あの……明日、ちゃんと言います。ちゃんと心の準備をしておきますから……今は……」

「……そっか。分かった」

 こんなに暑いってのに、シェラの顔面は蒼白だ。とても無理強いなんて出来ねぇよ。

「悪いな。旅の疲れが出ちまって、お前とお喋りできるような状態じゃねぇんだ。また明日、ってことにしといてくれよ」

 俺がそう言うと、フゥマは心配そうな、だが嫌われてる訳じゃなさそうだと判断したのか、幾分ほっとした顔をした。

「あ、ああ、分かった。そっか、あんたら、砂漠を越えて来たんだ?そりゃ、シェラさんみたいに繊細な人にはキツいよな。ごめんな、シェラさん。気分悪いのに、無理言っちまって」

「いえ……」

 消え入るようなシェラの返事は、本当に具合が悪そうに聞こえた。

「じゃあ、あの、明日はオレ、ずっと闘技場に居ると思うんで。よかったら声かけてください。それじゃ、お大事に」

 すれ違うフゥマを避けるように、シェラは俺を盾にして回り込んだ。その様子に、改めてショックを受けたらしく、とぼとぼした足取りで立ち去るフゥマ。

 なんていうか、元気出せよな、少年。

「シェラ、大丈夫?顔、真っ青よ?あいつに、なんかされたの?」

 心配そうに尋ねるマグナに、シェラはゆるゆると首を横に振るばかりだった。

18.

 明けて翌日。

 宿屋のベッドで寝ていた俺は、遠慮がちなノックで目を覚ました。

 多分、シェラだな。独りでフゥマと会うのはどうしても怖いから、ついてきてくれと頼まれていたのだ。

 腕白坊主にゃ申し訳ねぇけど、ちょっと放っておけねぇからな。保護者同伴ってことで、我慢してもらおうか。

「あいよ~」

 欠伸を噛み殺しながら、鍵を外して扉を開ける。

「あ、おはよ」

 ……あれ?

 マグナじゃねぇか。

 こいつが俺の部屋を訪ねてくるなんて、珍しいな。

 なんかあったのか?

「相変わらず、宿では起きるの遅いのね。リィナなんて、もう闘技場に行っちゃったわよ」

 マグナは、なんだかこざっぱりしていた。髪とか、さらさらしてやがんの。

 俺の目つきに気付いたのか、マグナは髪をかき上げてみせた。

「さっぱりしたでしょ?や~っと砂が落とせたって感じ。ヴァイスも、お風呂入ったんでしょうね?」

「あ、ああ」

 それに、スカートを穿いている。こういう服着てんの、久し振りに見たな。うん、やっぱこっちのがいいわ。

「ひっどいわよね~。お風呂入るのに、すっごい追加料金取るんだもん。そりゃ、ここでは水が貴重なのは分かるけど——でも、この街も結構砂っぽいから、外に出たら、すぐまたじゃりじゃりになっちゃうかもね」

「ああ、そうかもな……で、どうしたんだ?」

「えっ!?あ、うん、あのね……」

 マグナは、視線をあちこちさ迷わせてから、意を決した顔つきで口を開いた。

「ヴァイスも、予選見に行くでしょ?でも、まだちょっと時間あるじゃない?だから、それまで、その……一緒に買い物に行かない?」

「へ?」

「なによ、その顔……イヤなの?」

「ああ、いや、そうじゃねぇけど……」

「その……あれよ?えと——アッサラームで、これ、くれたでしょ?」

 言われるまで気付かなかったが、マグナは俺がやった首飾りを身に着けていた。

「だから……あたしも、なんかお返ししよっかなって……違うのよ?あんたに借りを作ったまんまじゃ、気持ち悪いから——そうゆうコトなんだからね?」

「ああ、うん……そりゃ、ありがとう」

 なんというか。まだちょっと寝惚けてたし、それに完全に意表を突かれちまって。

 俺は素直に、そんなことを口にしていた。

19.

「お、お礼なんて、買ってからにしなさいよ。ほら、じゃあ、早く仕度してよ」

 マグナは、照れたように顔を赤らめた。

 あれ?なんか、可愛くねぇか、今日のこいつ。

「じゃあ、外で待ってるからね」

 閉じられようとした扉を——寸でのところで、俺は押さえた。

「なに?どうしたの?」

「いや……悪ぃ。その、先約が……」

「あれ、マグナさん?」

 廊下の先から、シェラの声が届いた。

「お出かけしたんじゃなかったんですか?」

「え?あの……そうよ?今から出るところ」

 一瞬、挙動不審にわたわたしたマグナは、じろりと俺を見上げた。

「なんだ……そういうこと」

 いや、そういうことってなんだ。どんな納得の仕方をしたんだ、お前。

「昨日、様子がおかしかったもんね。あんたは色々事情知ってるみたいだし、せいぜい元気付けてあげなさいよ」

 マグナの口振りは、いつもの調子に戻っていた。

「マグナさんも、ヴァイスさんに用事だったんですか?」

「ううん、違うのよ。どうせ、まだ寝てるだろうと思って、叩き起こしに来ただけ。放っておいたら、予選が終わるまで寝てそうじゃない、このバカ——それじゃ、あたしは出掛けるから。ごめんね、邪魔しちゃって」

「え?あの、マグナさんも予選見に行くんですよね?」

「そうね。じゃあ、また後で」

 マグナは後ろも振り返らずに、そそくさと足早に廊下を歩き去る。

 残されたシェラは、廊下の先と俺の顔をきょろきょろと見比べて、不安げな顔をした。

「あの……私、なにかマズかったでしょうか」

「いや、いいよ。別に問題無い」

 だって、しょうがないじゃねぇかよ。シェラを放っとく訳にはいかねぇだろ。

 俺は、なにやら女の子っぽかったさっきのマグナの素振りと、何故か同時に浮かんだあいつの下着姿を、頭を振って脳裏から追い払った。

20.

 武闘大会の本選は、イシス城の正門前広場において女王様の御前で行われるが、予選はロマリアにあったのと良く似た地下闘技場で済ませるらしい。

 予選を含めて、この大会の勝敗は賭博の対象になっているとあって、開場前だというのに闘技場の前には、既に人だかりが出来ていた。選手以外は、まだ入れないってのに、ご苦労なこったな。

「あぅ——」

 人ごみの中にフゥマの姿を認めたのは、やはり俺よりシェラが早かった。

 向こうもソワソワとこちらを探していたようで、すぐに見つけておずおずと近寄ってくる。

「お、おはよう」

「よぅ」

 挨拶を返したのは俺で、シェラは無言だ。体半分しか俺の背中に隠れてない辺りが、昨日よりは幾分マシってところか。

「ぐ、具合はどうですか、シェラさん。ひと晩寝たくらいじゃ、良くならないかな?」

「そ、そんなの——フゥマさんには、関係ないじゃないですか」

 おや?

 フゥマはびっくりして目を丸くしているが、俺にはもっと驚きだ。

 こんな口をシェラが利くのは、初めて聞いたぞ。どうしちまったんだ、一体。

「そ、そりゃそうですよね、ハハ……オレには、関係ないですもんね……」

「いや、まぁ……割りと元気になったよな?」

「はい、そうですね。昨日よりは、ずいぶん楽になりました」

 あらま、俺にはいいお返事。

「良かった。昨日は、ホントに元気無かったから、心配してたんスよ」

「べ、別に……フゥマさんに心配してくれなんて、た、頼んでませんから」

 そっぽを向きながら素っ気無く言われて、目に見えてショボくれるフゥマ。

 なんか知らんが、やたら身につまされるんですが。ホントに気の毒になってきた。

 やれやれ。今日は一日、ずっとこの間に挟まれるのかよ。気疲れしちまいそうだなぁ。

 俺達三人が、微妙な空気をもてあましていると、少し離れた人ごみでざわめきが起こった。

「ンだ、このチビ。ずかずか割り込んでんじゃねぇよ」

「邪魔だ」

「手前ぇ、いい加減に——うわあぁっ」

「き、切りやがった」

「危ねぇぞ、こいつ」

 悲鳴に押し広げられるように人垣が割れて、両手に持った大振りのナイフを振り回している男が合間に見えた。

 ずいぶん小柄だ。マグナと同じくらいの背丈じゃないだろうか。

 逆立った短い髪と、鋭い目つきが印象に残る。

21.

「ちっ」

 ちらりとシェラを気にしてから、フゥマは舌打ちをして男に歩み寄った。

「おい、オッサン。こんなトコで、ンなモン振り回してんじゃねーよ。危ねぇじゃんか」

 苦言に耳を傾ける様子もなく歩を進めた男は、フゥマとすれ違い様にナイフを閃かせる。

「フン。あんた、出場者か」

 フゥマの四指と親指の間には、男のナイフが挟まれていた。切りつけられながら、掠め取ったらしい。出会った時のリィナを思い起こさせる。

 だが、あの時は動きの止まったナイフを掠め取っただけだし、得物の寸法といい、相手の技量といい、難易度としてはこっちが遥かに上だろう。

 やっぱ、こいつ強ぇんだな。リィナに負けてばっかだから、いまいちそういう印象が薄いんだけどさ。

「おい、そこら辺のアンタら。このオッサン、出場者みたいだから通してやってくれ——あんたも、ちょっと声かけりゃ済むコトじゃんか。あんま無茶すんなよな」

 フゥマが投げ返したナイフを受けて、男はソレをくるっと回して腰の後ろの鞘に収めた。

 刃物のような鋭い一瞥を残し、割れた人垣の間を闘技場の方へ去っていく。

「ったくよ、シェラさんのこんな近くで、ナイフなんか振り回しやがって……」

 右腕を押さえたフゥマの指の間から、血が滴り落ちていた。ナイフの男も、一矢報いてたってことか。

「あ……」

 流血に気付いたシェラが、口元を押さえる。

「いや、全然平気ッスよ。掠っただけで、動脈いってねーですから。ほっときゃ、そのウチ止まりますって」

『ホイミ』

 決まり悪そうに言い訳をするフゥマを無視して、シェラはホイミを唱えた。

 折角、格好をつけたつもりだったのにな。不憫なヤツだ。

「あ……どうも」

「今、切られてたんですね」

「ええ、まぁ……油断しちゃって」

「……そんなんじゃ、大会に出ても優勝なんてできっこないですね!出なくて良かったんじゃないですか!?」

 らしくないシェラの言葉に、フゥマは絶句する。

「私、怪我した人を治してきますから」

 シェラはついと顔を逸らし、男に切りつけられて呻いている連中の方に走っていく。

 俺は、フゥマの肩にぽんと手を置いた。

 まぁ、その、なんだ。元気出せよ。こればっかだけどさ。

 俺を見上げるフゥマの顔は、これまで目にしたどれよりも情け無い表情を浮かべていた。

22.

 その後、しばらくして客の入場が開始された闘技場は、中心に設けられた半地下の試合場はロマリアの物とよく似ていたが、それを囲んで通路に並べられているべきテーブルは全て撤去されており、そこに客がどっと雪崩れ込んだ。

 フゥマがシェラにいいトコ見せようと頑張ったお陰で、俺たちは最前列を確保できた。だが、シェラはそんな腕白坊主との間に俺を挟み、視線を合わせようとしなかったので、フゥマの顔は相変わらず景気が悪いままだった。

 予選の試合形式は、闘技場にまとめて入れられた出場者が一斉に戦い、最後に残った一人だけが本選に進めるという生き残り方式だ。

 賭けの対象になっているとは言っても、予選の参加者なんて、どこの馬の骨とも分からないようなヤツばっかだからな。名前や年齢、性別、得物——使用武器くらいの情報しかないので、実際に生き残りを予想するのは難しい。

 今日ここに観に来た連中の目的は、明日の本選で大きく張る為に、どいつがどれくらい強いのかを見極める意味合いが強いんじゃないだろうか。

「こん中じゃ、あいつかな」

 競技者が入場する度に、本当は自分も参加したかったフゥマが、つまらなそうに生き残りそうなヤツを予想して、それはことごとく的中した。

 こいつ、眼力も確かなんだな。ちょっと見直したぜ。

「なーんか、レベルひきーなぁ」

 自分が出てたら、一瞬で全員ぶっ飛ばしてるぜ、とでも言いたげな口振りだった。

「ニックの旦那レベルに近いヤツがいたら、連れて来いって言われてんだけどさ。こんなお祭りに、あんなバケモンみてぇのが出る筈ねぇんだよなぁ」

「やっぱり、あいつってそんなに強いのか?」

 シェラがロクに喋らないので、フゥマに相槌を打ってやるのは、もっぱら俺の役目だ。

「強ぇなんてモンじゃねぇから。マジでバケモンだよ、あのオッサンは。あんたのトコの姐さんも強ぇけどさ、実力は大体分かったからな。旦那とやり合って生き残ったのは、運が良かったとしか言えねぇって。旦那は、全然本気じゃなかったと思うぜ、多分」

 剣呑なことを言いやがる。

23.

「あんなバケモンとマトモにやり合ったって、勝てる訳ねーんだよ。あいつに勝つには、マグレでもなんでもいいから、一発でぶっ倒せるくれぇの必殺の一撃を叩き込む——これしかねぇんだ」

 やや思いつめた顔をして、拳を握り締める。こいつの大技に対するヘンなこだわりは、この辺りに由来があるのかもな。

「そういや、あいつも、お前らの仲間なのか?」

 ついでなので、ちょっと気になっていたことを聞いてみた。

「いや、オレ様も良く知らねーけど、ちゃんとした仲間ってんじゃないみたいだな。もちろん、引っ張り込もうとはしてるんだろうけどさ」

 相変わらず、情報の引き出し甲斐の無ぇ野郎だな。もうちょっと、自分の周りの事くらい、色々気にかけろっての。

「お前も、あいつとやり合ったことあんのか、さっきの口振りだと」

「ああ、一年くらい前だけどな。もうホント、ボロボロにされたぜ。全身の骨バキバキで、それまでオレ様、負けたことなんて無かったから、マジ、ショックでさ」

「お……オレ様とか、超強いなんて言ってる割りには、だらしないんですね!」

 俺の袖を握り締めたまま、フゥマの方を見ようともしなかったシェラが、まるでいちゃもんをつける機会を見計らっていたみたいに、突然そんな口を利いた。

「つ、次やったら、勝ちますよ!」

「そ、そうですか。まぁ、か、勝手に頑張ってください。フゥマさんが、ほ、骨とか……その、バキバキにされても、私には全然関係無いですから!」

 ホントにらしくねぇな。

 フゥマは返す言葉もない様子で、しょんぼりと俯いてしまう。

 そうこうしている内に、試合は終わっていた。生き残ったのは、またフゥマの予想通りだ。

 おっと、いけね。次の次の試合だけは、賭札買っておかねぇと。

「悪ぃ、場所取っといてくれ」

 フゥマに言い残して、慌てて人ごみを掻き分けようとしたら、袖をぐいっと引っ張られた。

 シェラが、縋るような目を向けてくる。そうか。二人っきりは、まだダメか。

 情け無い顔をして見送るフゥマを後に残し、俺とシェラは人垣を抜けた。

「どうしたんだ?なんか今日は、らしくないみたいだけどさ」

 俺がそう言った途端に、シェラは両手で顔を覆って、通路にしゃがみ込んでしまった。

24.

「おいおい、大丈夫か」

「……ホント、ヒドいことしてますよね」

 蚊の鳴くような声だった。

「なんで、こんなになっちゃったんだろう……苦しいです……ホントにごめんなさい」

 いや、それは俺に言う台詞じゃねぇから。

「でも……ごめんなさい……ホントに、言うの無理なんです……怖くて……だから、嫌われれば、フゥマさんも私のことなんて、相手にしなくなるかなって……」

「それで、あんな口を利いてたのか」

 シェラは、微かに頭を揺らして頷いた。

「あの……やっぱりヘンでしたか?どういう風にすればいいか、自分では良く分からなかったから、あの……ヴァイスさんに対するマグナさんの態度とか、参考にしてみたんですけど」

 俺は思わず、ぶーっと唇を鳴らした。

「あ、でも、ヴァイスさん、マグナさんのこと好きですもんね。そっか、あれじゃ嫌われないんだ……」

 自分で口にしてみて、改めて気付いたんだろう。いつもあんなにヒドい事を言われてるのに、どうして?みたいな、今さらながらに不思議そうな目つきを、シェラは指の間から覗かせた。

 いやいやいやいや。

「あのな、ナニ言ってんだ。俺は充分、あいつにムカついてるっての。ほら、いいから、早く立ってくれよ。賭札買いに行くんだからさ」

 リィナの試合がはじまっちまうよ。

「あ、ごめんなさい」

 はぐれないようにシェラの手を引く掌に、じっとりと汗が滲む。

 バカ言えよ。いきなり何ぬかしてんだ、ホントに、こいつは。

 いや、そりゃ——今朝のあいつは、なんだかちょっとだけ可愛かったけどさ。

 でも、結果的にお誘いをすげなく断っちまったからな。今頃はまた、プンスカしてやがるに違いない。また、ご機嫌取りを考えなきゃいけないのかよ。面倒臭ぇなぁ、もう——そういや、あいつもどっかで予選を見てんのかな。

 賭札の売り場で確認すると、思った通り、リィナの配当はかなり高かった。

 女の出場者なんて、ほとんどいねぇからな。絶対、人気無ぇと思ったんだよ。くくく、この試合が鉄板とも知らずに、間抜けな観客共め。

 有り金のほぼ全てをリィナに突っ込んだので、売り場の姉ちゃんに仰天された。まぁ、こんなにデカく張るヤツは、今日はあんま居ねぇだろ。儲けた金で、またなんか機嫌の取れそうなモンでも、マグナに買ってやるとするかな。

25.

 フゥマの元に戻ると、ちょうど前の試合が終わったところだった。

 シェラはまだ踏ん切りがつかないのか、依然として俺の陰に隠れている。

 やれやれ。こいつらも、どうしたモンかなぁ。

 内心で嘆息する俺の腋を、フゥマが肘で突付いてきた。

 拗ねた目つきだ。

「……仲いいじゃんかよ。まさか手前ぇ、やっぱりシェラさんと、そういう関係なんじゃ……」

 耳に口を寄せて、物凄い小声でそんなことを尋ねてくる。

「バカ、違うって」

 なんて答えてやりゃいいのかね。

「その……なんだ。俺にもよく分かんねぇけど、シェラはお前に照れてんじゃねぇのかな」

 囁き返してから、勝手なことを言っちまったかな、と反省する。けど、わざと嫌われたりって、なんかシェラらしくない気がするんだよな。

「そ、そうか?だったら、いいけどさ……」

 フゥマの顔に、少し生気が戻った。単純だな、こいつ。悪いヤツじゃねぇから、困っちまうよな。シェラの性格じゃ、今みたいな態度を取ってるのは、さぞかし心苦しいだろう。

 賭けの締め切りを待って、しばらく時間を置いてから、次の試合の出場者が闘技場に入ってきた。

 ここまでの参加者のほとんどと同じく、リィナ以外はみんな剣士だ。つか、無手の出場者なんて、あいつが初めてじゃねぇのか。

「あ、ヴァイスくん、シェラちゃん。やっほー」

 目ざとく俺達を見つけたリィナが、呑気に手を振ってくる。全然緊張してねぇな、あいつ。

「今回は、予想しねぇのか?」

 俺が尋ねると、フゥマに鼻を鳴らされた。

「必要ねぇじゃんか、この回は」

 よく分かっていらっしゃる。

 やがて、試合の開始を告げる鐘が鳴り響いた。

 リィナに向かって二人の剣士が、示し合わせたように殺到する。まずは、弱そうなところから潰していこうって腹積もりだろう。馬鹿だなぁ。

 左右から腹を向けて振り下ろされた剣を、後ろにとんぼを切って躱したリィナは、闘技場の「壁に」着地した。

「よっ」

 そのまま壁を蹴り、空中でくるっと回転して剣士の脳天に踵を叩き込むと、地面に落ちる前にもう一人の剣士の横っ面を蹴り飛ばす。

26.

 軽業師も真っ青の動きを目にした他の出場者は、呆気に取られて立ち尽くした。鍔競り合いの体勢のまま、固まってるヤツらまでいやがんの。

 そんな隙をリィナが見逃す筈もなく、勝負はあっという間についた。

 観客から、怒号のような歓声があがる。まぁ、そうだよな。女で、しかも無手のヤツが勝っちまったんだから。賭け金をスった連中の悲鳴も、かなり含まれているに違いない。

 いや、ご苦労さん、リィナ。お陰で俺は、大儲けだぜ。あいつにも、なんか買ってやんねぇとな。

 調子に乗って、四方に手を振って歓声に応えながら、リィナは闘技場を後にした。

「……姐さん、ちょっと強くなったか?」

 フゥマが難しい顔をして呟いた。

 うん、まぁ、これ以上実力が離されないように、キミもせいぜい努力したまえ。

 次の試合の出場者には、見知った顔があった。

「あ、あの人……」

 久し振りに声を発したシェラの視線の先には、オアシスで女連中の危機を救った、あの愉快なおっさんが、大剣を肩に担いでダルそうに立っていた。

「知り合いなんスか?」

 フゥマが尋ねると、シェラはつんと顔を背ける。

「フゥマさんには、関係無いじゃないですか」

 マグナの物真似を、まだ続けるつもりなのかよ。フゥマはフゥマで、飽きもせずに落ち込んでやがるし、ホントにどうしたモンかね、この子供達は。

 試合が開始されると、おっさんは向かってくる相手を適当にいなすだけで、やる気が無さそうにフラフラと逃げ回った。

 そして、残り二人になった途端に、急に鋭い剣筋で相手の剣を叩き落として、首筋に切っ先を突きつける。

「はい、おしまい。申し訳ないけど、降参してちょうだいねぇ」

 タルそうに言って、にやりと唇を歪めた。

 このオッサン、ウチの女共のあられもない姿を見やがったからな。バッチリは見てねぇと信じたいが……やっぱ許せねぇ。それで負けちまえとか思ってたんだが、残念ながらそれなりに腕が立つようだ。

27.

「あいつはどうだ?」

 意見を求めると、フゥマは渋い顔をして首を振った。

「モロに三味線弾いてやがっからな。あれじゃ、ホントのトコは分かんねぇよ。ま、結構使えそうではあるけどさ」

「フゥマさんより、強いんじゃないですか?」

 シェラに言われて、とうとうフゥマはムッとした顔をしてみせた。

「あ……」

 嫌われようとしてるんだから、上手くコトが運んでる筈なのに、シェラは申し訳なさそうに俯いてしまう。

 あのさ。やっぱり、マグナの物真似は、お前には似合わねぇよ。

 次の試合の出場者には、さっき表で騒ぎを起こした、あのナイフ使いが含まれていた。

「面倒だ。切られたヤツから、さっさと降参しろよ、クズ共」

 吐き捨てがちに挑発されて、頭に血を昇らせた他の出場者が一斉に殺到する合間を、小男は素早い動きですり抜けた。

 いつの間にやら両手に握った大振りのナイフをくるくる回して、腰の後ろで左右互い違いに留められた鞘に収める。

 すると、小男以外の全員が、腕から血を流して剣を取り落とた。

「あいつは、かなりいいトコまで行くんじゃねぇかな」

 フゥマが、そんな予想を口にした。

 お前、それ、自分もやられたから言ってるだろ。

 だがまぁ、目つきといい、身に纏った空気といい、お祭じみたこの大会にはそぐわない、物騒なヤツなのは確かだった。

 次が、予選最後の試合だ。

 入場してきた連中の一人を目にして——

 俺は堪えきれずに、盛大に唾を撒き散らしながら唇を鳴らした。

「あれ?あいつ、あんたんトコの生意気女じゃん」

「マ、マグナさんっ!?」

 なにやってんだ、あいつは!?

 飛び入りで参加しやがったのか。リィナの試合以降の面子は確認してなかったから、気付かなかった——頭痛くなってきたぜ。

 シェラの声でこちらに気付いたらしいマグナが、闘技場の中からぎろりと物凄い目つきで俺を睨みつけた。

 なんだなんだ。とんでもなく、ご立腹のご様子なんですが。なんでだ。今朝は、そこまで怒ってる風でもなかったのに。時間が経つにつれて、どんどん怒りを募らせでもしたんですか。あいつの怒りのツボが、いまだに良く分かんねぇよ。

 なにやら、ぶつぶつ呟いてやがる。うぅ、恐ろしい。

「あんた、顔青いぜ」

 俺の顔色を見て、フゥマがぎょっとしたように声をかけてきた。

28.

「そりゃ、惚れた女があんなトコいたら、心配なのも分かっけどさ。まぁ、大丈夫だろ。タマに使えるのがいるくらいで、そんな大したヤツは出てねぇって。あの生意気女でも、なんとかなんじゃねぇの」

「……なに言ってんだ?」

「いや、だから、大したレベルじゃねぇから……」

「違う。誰が誰に惚れてるだと?」

「へ?あんた、あの生意気女に惚れてんだろ?——だって、エルフの洞窟で、あいつのことすげぇ庇ってたじゃん。あんなキツいのがいいなんて、あんたも変わってるよなぁ」

「……黙れ」

 俺は、やっとのことでそれだけ言った。誤解をといてる気分じゃねぇよ。マグナが繰り返し呟いてる言葉は——多分、「ヴァイスのバカ」だ。

 試合が開始されると同時だった。

「ヴァイスの、ばかあああぁぁぁっ!!」

 雄叫び——雌叫びか?——をあげながら、マグナは近くにいた剣士の兜を、剣の腹でぶっ叩いた。

 こんなトコで、大声で人の名前を叫ぶんじゃねぇよ!!みっともねぇなぁ、もう。

「なによなによ——がどれだけ——ってんのよっ!!ばかばかばかばかっ!!ヴァイスのばかあああああぁぁぁぁぁ~~~っ!!」

 滅茶苦茶に剣を振り回しながら、突然の叫声に唖然となった他の出場者の剣を、力任せに叩き落としていく。

 なんつーか、やけくそだ。女の戦い方じゃねぇぞ。

 ひとしきり、暴れるだけ暴れると——

「あー、スッキリした。それじゃ、あたし、棄権しまーす」

 マグナは憑き物が落ちたみたいな顔をして、さっさと闘技場から出ようと踵を返した。

 ひでぇ。こいつ、この武闘大会を、憂さ晴らしに使いやがったよ。

 だが、その前に、試合の終了を告げる鐘が打ち鳴らされる。

「へ?」

 すでにマグナ以外に剣を握っている者はおらず、見事にマグナの本選出場が決定したのだった。

 事情が呑み込めずに、きょろきょろと辺りを見回すマグナ。

 おいおい。

「なんだ、ありゃあ」

 フゥマが、呆れた声で呟いた。

「あの……マグナさんが怒ってるのって、もしかして、やっぱり私のせいですか?」

「い、いや……き、気にすんなよ。ハハ」

 怯えた表情で尋ねるシェラに、俺は微笑み返してみせた。多分、顔は引きつりまくってたと思うけど。

 今ので、すっかりマグナの気が晴れたことを、神様に祈るばかりです。

 俺、明日まで生きてっかな……

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