18. CUTIE ON DUTY

1.

 そいつは、一言でいって異形だった。

 全身黒づくめなのは他の盗賊共と大差ないが、マントは羽織っておらず、頭だけでなく顔にも黒い布を巻きつけている。

 そいつを最も異形たらしめているのは、大きな瘤でも隠されているように盛り上がった、いびつな背中だ。ゆったりとした上着に覆われているので、実際にその下がどうなっているかは窺い知れない。

 それ以外の全てがひょろりと細いことが、余計に病的な印象を醸し出していた。

 だらりと両脇に垂れた腕が、異様に長い。地面に着きそうとまではいかないが、膝の辺りまで伸びている。

 一体どこから降ってきたのか、ゆらりと身を起こした痩身の影は、どこか無機質で底冷えのする気配を漂わせ、まるで墓場から這い出した幽鬼めいて見えた。

「待テ」

 長い腕を横に伸ばして、盗賊共を押し止める。

 よく見ると、腕が長く見えたのは、両腕の先にデカい爪のような武器を嵌めているからだ。

「コいつハ、オれガ始末スる」

 覚えたての言葉を喋るように、たどたどしく言い置いてリィナと対峙する。

「ったく、遅ぇよ。もう出て来ねぇのかと思ったぜ。そんじゃ、頼んだぜ、センセイさんよ」

 盗賊の一人がかけた言葉から察するに、この異形はさしずめ盗賊共の用心棒といったところか。確かに、只モンには見えねぇな。

「ふぅん——よろしくね、センセイ」

 揶揄を口にして、構え直すリィナ。

 こいつが後れを取るとは思わないが、あぶれた連中くらいは、こっちで面倒見てやらないとな。

『イオ』

 閃光が黒づくめ共を包んで炸裂し、爆音が悲鳴を塗り潰す。

 阿呆共が。無警戒に、いつまでもひとつところに固まってやがるからだ。

 イオの端っこに捉えたと見えた黒い影は、いつの間にやら離れた場所でリィナとやり合っていた。

 地面を滑るように、足を全く動かさずに移動している——ように見えたが、そんな訳ねぇよ。おそらく、地面と平行にスレスレを跳躍してやがるんだ。

「——へっ!?」

 立ち姿とほぼ変わらない姿勢のまま接近する影に距離感を見失ったのか、リィナが戸惑った声をあげた。

2.

 伸ばした長い右腕を、影が振りかぶる。

 袈裟懸けに振り下ろされたそれを身を捻って躱したリィナに、すぐさま反対から左腕の鉄爪が無造作に襲いかかった。

「っと」

 体の捻りを逆にして空を切らせた鉄爪が、左右同時に跳ね上がる。

「ひょ」

 下からバツの字を描くように、振り下ろされた軌道を逆行して交差する鉄爪から、リィナは辛うじて後ろに跳んで逃れていた。

 足が着くなり地面を蹴って、ちょうどバンザイの格好になった影に突っ込んでいく。

 リィナの拳は、影を捉えなかった。

 影の躰は小さく折り畳まれて、リィナの頭上にあった。

 いつ跳躍したのか、躰を丸めてしゃがんだ姿勢で空中に浮いている。

 そのまま、両腕の鉄爪を振り下ろした。

「うわととっ」

 リィナは突っ込んだ勢いを殺さずに、影の下を前転で潜り抜けて爪を避ける。

 落下するよりも速く、縮めていた躰を伸ばして、影は両足を地面に着けた。

 体のどこかに結ばれた紐をぐいと引っ張られたみたいに、ぐりんと不自然な挙動で振り返り、左右の鉄爪を擦り合わせる。しょりんしょりん、と鉄同士が擦れる嫌な音が響いた。

 それにしても、奇妙な動きをしやがる。動作に力感が無いというか、操り人形じみているというか——まるで影だけが、重力が存在しない異なる理の中で動いているように見える。

 動きの予測がつかないのか、リィナも多少面食らった様子だ。

 あっちの趨勢も気にはなるが、こっちはこっちで、呑気に観戦してる場合でもない。

 残念ながら、イオで全滅するほど盗賊共は弱っちくなかったようで、比較的ダメージの少ない黒づくめから身を起こし、ウラーとか妙な雄叫びをあげつつ向かってくる。

 問うような眼差しをして、シェラが俺を見上げた。

 うん、マグナだけじゃ防ぐのがキツいのは分かってる。他の護衛連中も手一杯みたいだから、加勢も期待できねぇしな。

 でも、ほんの少しだけ待ってくれ。

 先頭の黒づくめが、マグナと剣を合わせた。

 二合打ち合ってそいつを倒したマグナに、次の黒づくめが襲い掛かる。二人目を捌き切らない内に、三人目——ここらが限界か。

「マグナ!!」

 声をかけると同時に、シェラの背中を叩く。

3.

『バギ』

 鍔迫り合いを押し返した勢いで、マグナが大きく後ろに跳び退く。

 殺到しつつあった黒づくめ共の行く手を遮るように、シェラの呪文が発動した。

 真空の刃が、先頭付近の何人かを薙ぎ倒す。だが、後ろの奴らは生意気にも、たたらを踏んでバギの効果範囲から逃れやがった。まぁ、しょうがねぇ。期待以上の成果じゃないが、別に以下って訳でもない。

 ただ、これで俺もシェラも呪文を使っちまったからな。できれば、もうちょい時間差が欲しかったんだが。

「マグナ、こっちだ!!」

 俺はシェラの手を引いて、対峙するリィナと影を、黒づくめ共との間に挟んで盾にするように回り込んで走った。

 リィナは、影に苦戦していた。

 道着のあちこちが、鉄爪に引き裂かれている。致命傷は無いみたいだが、休むことなく振り回される鉄爪の回避に追われ、時折隙を見つけて反撃するも、不気味な動きで躱されている。

「反応——いいなぁ——もうっ」

 牽制気味の掌底すら、背骨がはずれてるんじゃないかみたいに上半身だけ「後ろにズラした」黒い影に届かず、リィナは愚痴をこぼしながら、連続して繰り出される逆襲の鉄爪をギリギリで避け続けた。

 まぁ、お互い様だろうけどな。どっちも、まだマトモな攻撃が当たっていない。

 そこに、迂回した俺達を直線的に追ってきた黒づくめ共が乱入した。

 頼むぜ、リィナ。お前なら、この状況を利用できるだろ。

 地面を転がって横殴りの鉄爪を避け、リィナは黒づくめの群れに飛び込んだ。

 足元を素早く動き回るリィナに対して、黒づくめ共は慌てて蹴りや刀を浴びせたが、どれも空振りに終わる。

 リィナを追う影は、黒づくめ共に全く構わなかった。

「ぐわっ」

「ぎゃあっ」

 黒づくめ共の悲鳴が連鎖する。

 邪魔な障害物を除ける程度のつもりでしかないのだろう。影は無造作に鉄爪を振り回し、仲間である筈の黒づくめの群れを引き裂いて、ただひたすらリィナに迫る。

「ちっ、バケモンが。見境無しかよ——馬鹿野郎共!!そいつに近付くんじゃねぇよ!!」

 どれも同じ格好で分かり難いが、隊長格と思しき黒づくめが大声で警告を発した。

「よい——しょ」

 群れの合間をするすると移動していたリィナは、脇から繰り出された曲刀を紙一重で躱すと、体を入れ替えて斬撃の主を黒い影の歩みの先へと突き飛ばす。

4.

「ひぃ——ぎゃっ」

 真横に払った影の鉄爪に斬り裂かれ、黒づくめはきりもみしながら地面に倒れた。

「ありゃ、ちょっと可哀想だったかな」

 口ではそんなことを言いつつ、リィナは再び黒づくめ共の陰に隠れて移動する。

「離れろってんだよ、このボンクラ共っ!!死にてぇのかっ!!」

 隊長格はそう叫ぶものの、必死に離れようとするその黒づくめ共に、リィナは意図して紛れ込んでいるのだ。

 忠告も虚しく、リィナが巧みに誘導する影に、黒づくめ共は次々と屠られていった。

 なんか段々、影が遠隔操作で動くリィナの武器みたいに見えてきたぜ。

 何人かは惨劇の巷を抜けて、こちらに襲い掛かって来たが、そう数は多くなかったので、マグナだけでも充分に対処できた。

「ん~……楽でいいけど」

 味方である筈の影に襲われるのは、リィナが近くにいる所為だ。元凶を追っ払おうとして、すぐ横から黒づくめが振るった曲刀を、リィナはひょいと躱す。

「でも、キミ、ちょっとやり過ぎ」

 躱しざま、柄を蹴り上げた。

 曲刀が、黒づくめの手を離れて宙を舞う。

「あんまり気分良くないな」

 ひゅんひゅん音を立てて回転する曲刀の腹を、影に向かって横から蹴り飛ばす。

 直線上にいた黒づくめ共が、悲鳴をあげて地面に身を投げた。

 唸りを上げて眼前に迫った曲刀を、影は慌てた風もなく右の鉄爪で叩き落とす。

「ととっ」

 その時——リィナは自分が蹴り飛ばした曲刀の後を追って、ほとんど影の懐に入りかけていた。

 だが、それ以上に影の反応がいい。残った左の鉄爪で、リィナを迎撃する。

 リィナの顔面を襲った横殴りの鉄爪が、すり抜けたように見えた。

 身を沈めつつ水平に振り回されたリィナの脚が、影の足を刈る。

 下半身を跳ね上げられて、影の躰が地面と平行に浮かんだ。

「よいしょおっ」

 リィナは蹴りを止めることなく、回転しながら膝を伸ばして影を刈った足先を跳ね上げると、大きく振り回した踵を空中の影の腹に叩き落とした。

 撃墜された影が、リィナの踵で地面に縫い付けられる。

 一連の流れを、俺は目で追えた訳じゃない。僅かに目に留まった情報を頼りに脳内で補完しただけで、感覚的には影の鉄爪がリィナの頭をすり抜けたと思った瞬間、いつの間にやら逆にリィナが影を踏んづけていた、という感じだった。

5.

「ん?」

 リィナが妙な手応えを感じたみたいな、怪訝な呟きを漏らす。

 ともあれ、これこそ俺が待ってた好機だ。

「リィナ、離れろ!!」

 言い終わる前に身を翻したリィナが、ぎりぎり巻き込まれない距離まで離れるのを見計らって、俺は呪文を唱える。

『イオ』

 地面に倒れた影を中心に、閃光が黒づくめ共を呑み込んだ。今度こそ、影野郎もモロに喰らっただろ。

 だが、二度目のイオで力尽きた黒づくめ共がごろごろ地面に転がる中、影はゆらりと身を起こした。

 リィナの蹴りも喰らいやがった癖に、ふらついた様子もなく平然として見える。向こうの隊長格が言ってた通り、どうやらホントにバケモンらしいな。

 けどまぁ、隊長格がいくらか押し留めていたとはいえ、これで近くにいたヤツの半分くらいは倒したと思うんだが。

 そろそろだろ。

「ちっ、駄目だぁ、こりゃあ」

 隊長格が吐き捨てて、手を振り上げた。

 よしよし、そうこなくちゃな。

 魔物と違って、盗賊なんてモンは、全滅するまで戦うような連中じゃねぇからな。ある程度持ち持ち堪えれば、しくじったと見て引き上げるんじゃねぇかと予想してたんだが、思った通りだ。

 隊長格の周りの連中が、口に手を当ててホーホーと奇妙な合図を送る。すると、あちこちから生き残りの黒づくめ共がわらわらと集まって、地面に倒れた奴らを抱えて森へと逃げていった。

「おい、バケモン——センセイさんよ!!引き上げだ!!」

 影に一声かけて、隊長格も身を翻す。

 構わずにリィナを襲い続けるかと思いきや、さっきまであれほど執拗に追い回していたのに、影は既に全く興味を失ったように、リィナに目をくれることもなく、黒づくめ共の後を追った。

 篝火の明かりが届かない黒々とした森の奥に、その姿はすぐに溶け込んで見えなくなる。

 盗賊共が一斉に去ってみると、周囲は急速にウソみたいな静けさを取り戻した。

 篝火の薪が爆ぜる音さえ、耳に届く。

 夜空の星々は、地上のちっぽけなイザコザなど全く意に介さぬように、襲撃前と何も変わらずまたたいていた。

「——終わった、の?」

 俺の隣りで、マグナが呟いた。

「ああ。とりあえず、追っ払えたみてぇだな」

6.

 こちらの被害を見て回ると、なかなかヒドい有様だった。

 護衛連中のざっと三分の一は、既に事切れていた。その上、残りの半分も瀕死だ。

 軽傷の連中には、自分で薬草を使って回復させることにして、俺はシェラと一緒に瀕死の奴らを治療して回った。

 いや、俺がついて行ったところで、何も出来やしないんだけどさ。くたばってるヤツを目にする度に、気を失うんじゃないかってほど真っ青になってよろめくこいつを、独りで行かせる訳にもいかねぇだろ。

 リィナにも手分けしてもらったんだが、あいつはそう何回もホイミを唱えられないらしい。他に二、三人いた僧侶も似たようなモンで、あんまり分担って感じでもなかった。

 シェラに回復してもらって、バツが悪そうな顔をするバカがちらほらいるのがムカついた。

 曖昧にへらへらとニヤつくそいつらが口を開く前に、俺はシェラの腕を掴んでさっさと移動する。ヘンな目を向けてた相手に助けてもらった手前ぇらのきまり悪さに、付き合ってやるつもりはねぇんだよ。

 瀕死の連中には、腐れ小僧のストラボも含まれていた。

 それを見つけちまって、俺は内心で舌打ちをする。

 悪運の強ぇ野郎だ。駆け出しの剣士風情が、命冥加なことだな、くそったれ。

 まぁ、こいつを回復してやる義理はねぇだろ。

 地面に伏したまま、か細い喘鳴を繰り返すばかりで、呻き声すら上げない腐れ小僧の脇を素通りする。

『ホイミ』

 背後で、シェラの呪文が聞こえた。

「おい」

 振り向いた俺に、シェラはなんとも言えない微苦笑を浮かべてみせた。

「放っておく訳にも、いかないじゃないですか」

「けどよ——」

「いいんです。こうしないと、多分後悔しちゃいますから」

 隣りに並んで、俺を見上げる。

「もうこれ以上、自分を嫌いにならないようにしたいんです。思い出した時に、ああすればよかったって、なるべく悔やまないように。だから、どっちかと言うと、自分の為です」

 確かに、後々までシェラの後悔の種になるような価値は、こいつには無ぇけどさ。引っかかりにしちまうくらいなら、気が済むようにしてすっきり忘れた方がいいのかね。

7.

「それに、まだ全然完治してませんから。却って意識がはっきりして、苦しいかも知れませんよ?」

 冗談めかして、そう言った。

 まぁ、お前がそれでいいなら、俺が四の五の言うことじゃないけどさ。

 命を取り留める程度には回復したのか、腐れ小僧が呻き声をあげた。なるほど、意識が混濁した状態よりは、逆に苦痛かも知れねぇな。

 俺はストラボの傍らにしゃがみ込んで、後頭部を思いっ切り殴りつけた。

「ぐっ——」

 手が痛ぇな、くそ。蹴っとばせばよかったぜ。

 シェラの代わりだ。仕方ねぇから、これで勘弁——はしてやらねぇけど、見逃してやらぁ。

 ひと通り回り歩いて、瀕死の奴らをあらかた治療してやった俺達は、なんだか疲れてる様子だったので、休ませておいたマグナの元に戻った。

「お疲れ様。ごめんね、任せちゃって」

「いえ、私の役割ですから」

 そうそう。気にすんなよ。俺もなんもしてねぇし。

 大体、魔法オンチのお前のホイミにかかっちゃ、逆に具合が悪くなるヤツが続出しそうだからな。大人しく待ってるのが、一番の手伝いってモンだぜ。

 溜息を吐いたマグナを、シェラが心配そうに覗き込む。

「大丈夫ですか?どこか怪我してたら、隠さないで言ってくださいね」

「あ、ううん。大丈夫。ごめんね、シェラの方が疲れてるのに……」

「いえ、そんな」

 マグナはちらりと、斬り殺された護衛の一人に目を向けた。

「あいつら……人間よね」

 黒づくめ共のことか。

「ああ」

「なんなのよ……人間同士で、こんな事してる場合なの?」

 そう言って、また深い溜息を吐く。

「そうですね……」

 マグナの憂いが、シェラにも伝染したようだった。

 元から重かった空気が、さらに目方を増す。

 やれやれ。

 言っとくけど、くたばった連中を土に埋めてやるっていう、もっと気の重い仕事が、まだ控えてるんだぜ。この調子じゃ、終わる頃には夜が明けちまいそうだ。

 堪えたつもりが一瞬遅れて、俺の溜息は鼻から抜けていった。

8.

 盗賊団の襲撃もやり過ごしたことだし、アッサラームまで歩いても大してかからない処まで来ていたので、隊商とはもう別れるつもりだったんだが。

 ずっと馬車の中で震えていた護衛頭のバロウは、俺達に残ってくれと懇願した。

 護衛の人数がエラく減っちまったモンだから、自分の安全に直接関わるとあって、この中年太りも必死だな。平身低頭でべんちゃらを並べ立てるその姿は、なんだか哀れというか呆れるというか、今さら腹も立たなかった。

 フェリクスの爺さんにも引き留められて、このまま別れたら見捨てるみたいで後味が悪いということになり、報酬の倍増と、護衛連中を再編成して俺達に専用の馬車を与えることを条件に、渋々ながらアッサラームまで同行することになった。

 腐れ小僧や女共と顔を合わせなくて済むように、本隊ではなく先導に配置も換えさせた。その分、魔物との戦闘は増えたが、四人でいられる気楽さを取り戻せたことの方が大きい。

 例によって寝る時は、俺は独りで馬車から追い出されたりした訳だが、居場所が無さそうなシェラの姿を見ないで済むだけ、全然マシだ。

 その後は、魔物に襲われる以外は特に問題も起こらずに、数日を経て無事アッサラームに辿り着いた。

 報酬を受け取った際に帰りの護衛も打診されたが、もちろん丁重にお断りした。

 ここの魔法協会に顔を出しておけば、俺達はルーラですぐに戻ってこれるから、何事もなきゃ付き合ってやっても良かったんだけどな。まぁ、頑張って代わりを見つけてくれ。

 アッサラームは、賑やかな街だった。商売が盛んな様子で、沢山の人間が行き交う大通りにはずらりと露店が並び、道の両脇からは威勢のいい掛け声が飛び交っている。

 通りを眺めていれば、すぐに気が付く事だが、男はどいつも同じような格好をしていた。まるで示し合わせたように、頭に白い布を巻きつけて、膝上くらいの貫頭衣をすっぽり被っている。なんか決まりでもあんのか。

 ゆったりとした穿き物を身に着けているのは、男女に共通していた。残念なことに、女がスカートを穿く習慣が無いらしく、一人も見かけない。

 もう晩夏だってのに、この辺りは日差しがキツいからな。あんまり肌を露出するのは、敬遠されるんだろう。つまんねぇの。

 ともあれ、ここの連中の服装はかなり独特で、俺達の旅装は余所者だということが一目瞭然だった。

9.

「お嬢さん、とてもキレイね。でも、これをつけたらもっとキレイね。この世で一番キレイなイシスの女王様も、同じのつけてるね」

 そんな訳で、今もマグナが旅行者狙いの物売りに、しつこく付き纏われていたりする。俺達に声をかけてきたヤツまで合わせると、これでもう六人目だ。

 偽物くさい宝石が無数に象嵌された、ジャラジャラとやたら煌びやかな首飾りを押し付けてくる物売りを、マグナはうんざりした顔で追い払う。

「だから、要らないってば。そんなゴテゴテした悪趣味なの」

「おー、お気に召しませんか。もっとすっきりしたのあります。もちろんね。これなんか、きっとお嬢さんによく似合いますね」

 物売りは、腰の袋から違う首飾りを取り出した。今度のは一転して飾りっ気の無い、鎖と金属片だけで構成されたような代物だ。

「へぇ……」

 割りと気に入ったらしく、マグナは一瞬だけ物欲しそうな目をしたが、すぐに首を横に振った。

「——って、要らないから。着いたばっかりで、まだ買い物とかするつもりないの!」

「分かります分かります。着いたばっかりね。だから、コレ買ってくれたら、いい宿紹介します。ワタシが口利くと、特別に安くなりますね」

「ホントに?でも、それいくらなのよ」

「とてもとてもお安いね。なんと、たったの二千ゴールド」

「……バッカじゃないの」

 言下に切り捨てられて、物売りは慌てて訂正する。

「おお、お嬢さん、とても買い物上手。ワタシまいってしまいます。では千ゴールド。とてもお買い得ね」

「話になんない」

「おー、これ以上まけると、ワタシ大損します。でも、あなたトモダチ。五百ゴールドにしますね。これならいいでしょう」

「いいワケないでしょ」

「おお、お嬢さん、とてもヒドい人。ワタシに首吊れと言いますか。分かりました。では、二百五十ゴールド。これ以上は、もうまかりませんね」

「……だから、要らないって言ってるでしょ!?あっち行ってよ!!」

 ちょっと心が動いたように見えたのは気のせいか。

「おー、お嬢さん、今買っておかないと、きっと後悔しますね。イシスの女王様ご愛用の首飾り、こんな値段で買える時、もうありませんね。それに、ワタシが紹介する宿、とてもとても豪華ね。豪華でお安い——」

「あ、いたいた。もー、探しましたよぉ!」

10.

 向こうからやってきた少女に、唐突に声をかけられた。

 ゆったりとした下穿きは周りの連中と同じだが、腰に肌触りのよさそうな薄手の布を巻いていて、ここでは珍しく袖の無い、ベストのような上着をひっかけている。

 長い髪を頭のてっぺんで結い上げた、大きな瞳と浅黒い肌が異国情緒を感じさせる少女だった。歳は、マグナより少し上くらいだろうか。

「ごめんねぇ。この人達、ウチのお客さんなんよ。悪いけど、他所ヨソを当たってちょうだいな」

 すっかり顔見知りみたいな口を利いて、物売りをしっしと追い払う。

 この地方の俗語と思しい、意味の分からない悪態を吐き捨てて、物売りは俺達から離れていった。

「ありがとう。助かったわ」

 マグナが礼を言うと、少女はにんまりと微笑み返す。

「いえいえ、どういたしまして。そうだなぁ、大まけにおまけして、五十ゴールドでいいよん」

「は?」

「いや、だってホラ。口で言うだけならタダってモンでしょ。タダは、お礼じゃないやねぇ」

 マグナの目尻が、見る見る吊り上がる。

「なんなのよ!?守銭奴しかいないの、この街!?」

 フンとばかりに顔を背けて先に行きかけたマグナの手を、少女は掴んで引き留めた。

「あ~ん、お待ちになってぇ」

 マグナにずるずる引き摺られながら、妙な嬌声をあげる。

「……ふざけてんの!?」

「とぉんでもない。大マジメだよぉ。いやさぁ、悪い話じゃないんだってば。アンタらみたい余所モンが、この街の流儀も知らないでそこいらウロウロしてたら、あっという間にケツの毛まで毟られちゃうんだから~」

 ケツの毛って。ずいぶん蓮っ葉な物言いをする女だな。

11.

「アタシに任せてくれたら、宿の世話からなにから、一切合切面倒みてあげるからさぁ。それで五十ゴールドったら、この街じゃ破格もいいトコなんですよぉ、お客さ~ん」

「結構よっ!!」

「だから、ちょっと待ってよぉ。例えばさ、宿を取るにしたって、誰の口利きもない一見の客なんか、まず十倍はふんだくられるんだって。悪いこた言わないから、あたしに任せてみなよん。ウチくらい良心的にやってるトコって、ここじゃ他に無いんよ、これホント」

 言葉通りに、こいつが取り立てて良心的だとは思わないが、いずれどいつも同じ事を言いそうなこの街では、相場も知らずに自分達で手配したら、確かにぼったくられそうではあるな。

「まぁ、いいんじゃねぇの。五十ゴールドで、全部面倒見てくれるってんならさ」

 試しに提案してみる。

「おっ、気風きっぷがいいね、お兄さん。よっ、男前!話が分かる!まいどありぃ~」

 少女が、俺の腕にぴょんと飛びついてきた。

 ぎろりと俺に向けられたマグナの目から、ある意思が露骨に読み取れる。

 いや、違くて。この娘が結構可愛いからとか、そういう事でなくて。確かに、お前より胸もあるけどさ。

「……別にいいけど。あんたが責任持って払いなさいよね」

 マジすか。

 共有の財布の紐を握ってんのは、マグナさんなんですが。

 余計なこと言うんじゃなかったぜ、畜生。

12.

「まっずは、そのナリだぁねぇ。そのまんまじゃ、アタシらカモで~すって大声で宣伝して歩いてるようなモンだから」

 アイシャと名乗った少女の提言に従って、俺達は知り合いの店だという服屋に連れて行かれた。

 さっきも言ったが、この街の男共はどいつも似たような格好をしているので、俺の服はあっさり決まったんだが。案の定、マグナ達はそうすんなりとはいかない訳で。

 アイシャの服装を基本線として、ちょっとした柄の違いやら色使いなんかで、さんざん迷ってエラい時間がかかった。

 どうせスカートじゃねぇから、どうでもいいや。とか思ってたんだが。

 実際に着替えた三人を目にしたら、存外に悪くない。一番似合ってるというか、違和感ねぇのはリィナかな。もうちょい日に焼ければ、現地の人に間違われてもおかしくないぜ。顔立ちは、どうしようもないとしてもさ。

 マグナとシェラは日焼け対策の為か、幾何学模様が織り込まれた色鮮やかなショールみたいな布を頭から被っていた。

 待ち疲れでげっそりしつつも、気力を振り絞って似合う似合うと褒め称える。俺って健気。だが、どうやら適当を言ってるみたいに聞こえたらしく、あまり歓迎されなかった。

 服だけだと何か物足りないから、装飾品を見て回りたいなんぞと言い出したマグナを、頼むから後にしてくれと拝み倒し、俺達はアイシャの案内で宿屋に向かった。

「——ここは、コソ泥が入らないコトになってるから、安心して泊まれるよん。この値段でそういう宿、他にゃほとんど無いんだから~。メシもそこそこだし、いい宿だよん」

 とりあえず部屋を取って、乾燥した空気に干上がった喉を食堂で潤していると、アイシャがなかなか物騒なことをのたまった。

「あとねぇ、ここより街の奥には、なるべく行かないようにした方がいいよん。柄悪いからさぁ。とか言って、アタシんチは、そっちにあるんだけどね~」

 けらけら笑う。

 アイシャの話では、アッサラームは貧富の格差が激しい街で、もう少し街外れまで足を伸ばすと、貧民窟が広がっているのだという。必死こいて物を売りつけ、なにかにつけてぼったくろうとするのは、大抵そこの連中だという話だ。

 アイシャ自身は、そこそこの家柄の生まれらしいんだが、幼い頃に破産した両親が失踪して以来、貧民窟で自力で生活しているのだという。

13.

「ま、そんな話は、ここじゃありふれてますけどぉ」

 やたら明るく喋るもんだから、ヘンな同情心は全く芽生えなかった。貧民窟の子供達を束ねて金を稼いでいるという、逞しい少女なのだ。

「ウチらまで回ってくるような仕事は、大した儲けにゃならないけどねぇ。手間の割りには儲けが少ないってんで、金持ち連中が目こぼししてくれるから、なんとかやってけてるようなモンでさぁ」

 さばさばした口振りだった。

「いつかはアタシらも、もっとでっかい商売してみたいんだけどね~。オイシイとこは全部金持ち連中が握ってて、金を卵を生む鶏の尻尾なんて、ここじゃなかなか掴めないんよ。そもそも、先立つモノが無いしねぇ」

 とはいえ、アイシャはこの街ではそれなりに顔が利くようだった。そこで、神殿のことを尋ねてみたんだが、あっさり知らないと返された。

 エルフの女王の助言から推察するに、もっと東にあるらしいんだが、という話をすると、呆れた顔で笑われた。

「ここより東ってことは、大山脈を越えるんよね?アハハ、そんなの無理ムリ~。アレは、人が越せるような山じゃないよん。なんたって、夏真っ盛りでも、てっぺんにゃ雪が積もってるようなお山サンだよ~?」

 ずいぶん望みの無いことを言うのだった。

「まぁでも、知らぬ存ぜぬで通しちゃ、お代はいただけないやねぇ。そういや、山を越えて東に行こうとした変わりモンのハナシ、どっかで聞いたことあるなぁ。よかったら、調べておきますよん」

 よろしく頼むと、「もちろん、お代は別だよん」とくる。さすがにしっかりしてやがる。

 第一印象はあまりよろしくなかったが、マグナはアイシャと性格が合わない訳では無さそうだった。その後も、アイシャとマグナを中心に、女連中はなんだかんだとしばらく四方山話を繰り広げる。

 俺から見ても、アイシャはなかなか面白い少女だった。最初は服やら食べ物やらの風俗の話をしていたのに、どういう流れでそんな話題になったのか覚えてないが、一風変わった見解をアイシャは披露してみせた。

14.

「——大体さぁ、頭ごなしに魔物が悪モンだって決め付けてんのは、アタシはオカシイと思うんよ」

「どういうこと?」

 突拍子も無いことを言われて、マグナは首を捻る。

「だってさぁ、この世の全ては、神様がおつくりになったんよね?だったら魔物だって、神様がおつくりになったってコトだよねぇ」

「えぅ——あの……」

 急に視線を向けられて、僧侶のシェラがしどろもどろの返事をする前に、アイシャは続けて口を開いた。

「なのにさぁ、魔物だけは問答無用で悪モンで、倒すのが正義!人間の敵だーっみたいな常識って、どうなのかなぁって思うんよ」

「それって、ちょっと違うと思うな」

 口を挟んだのはリィナだった。

「ボク達が魔物を倒すのは、倒さなきゃこっちが殺されちゃうからだよ。魔物だから倒してるんじゃなくて、襲ってくるから身を守ってるっていうか」

 冒険者なんかは、金の為に「魔物だから」殺してる訳だが、別に異論を唱えるつもりはない。放っておくと人間を襲うから、その前に退治しておくという、積極的な防衛行為みたいな建前は成り立たなくも無いしな。

「そうそう、そういう考え方だったらね、別にいいと思うんよ。けどさぁ、とにかく魔物は絶対に悪モンだ!みたいな特別扱いっていうか、世の中の常識があるってのも確かじゃない?」

 アイシャは、どう説明したものか、頭の中の思考を追うように視線をさ迷わせた。

「ん~……つまり、『魔物は悪者!以上!』で思考が止まっちゃってるっていうかさぁ。同じ神様がつくったモン同士なのに、神様でもない人間が一方的に決め付けられるワケ無いと思うんよ。いやね、魔物を庇うワケじゃないよ?けど、他の生き物と何が違うのかなぁって」

 見かけによらず——と言ったら失礼だが、アイシャはなかなか信心深い性質のようだった。俺と来た日にゃ、神様が万物を創造したという前提から信じちゃいないからな。

 嫌味な講師に無知呼ばわりされたのがシャクで、魔法協会に置いてあった本とか多少は読んだりしたんだが、そこで仕入れた知識によれば——

 教会が崇め奉っている『名を憚られる神』、いわゆる神様は、過ぎし日のアリアハンが世界を征服した折に、共通語と一緒に広めて統治に利用しただけの存在に過ぎない。

 だが、僧侶であるシェラはそうも言ってられないだろう。

15.

「でも、魔物は他の生き物とは全然違います。魔王の出現と同時に、突然に世界中に現れるようになったんですよ?とても自然の存在とは思えないです」

「いや、だからさぁ。その魔王ってのも、結局は神様がおつくりになったモノだよねぇ。だから魔王が魔物の生みの親だとしても、それはやっぱり神様の子供には違いないって思うんよ。人間から生まれた人間だって、神様の子供なんだしさぁ」

「だけど……えと、悪魔という存在があってですね——」

「あ、そう、ソレソレ。その悪魔ってヤツ。そいつが、どうにも腑に落ちないんよ。だってさぁ、神様は全能なんよね?それに逆らう存在ってナニ?そんなの、在り得んの?」

 言われてみれば、そうだな。教会はなんて説明してたっけ。

 俺の理解してるところでは、いわゆる悪魔の大半は、アリアハンの世界制覇と共に教会勢力によって、地の底に追いやられた土着の神々でしかない訳で、別に矛盾しないんだが。

「えぇと、ですね。それはちょっと違ってまして。悪魔が人を堕落させたり害を加えるには、神様のお許しが必要なんです。だから、逆らってる訳でもないんですよ」

 シェラは答えながら、魔除けの印を切った。アイシャも感心した顔つきで、それに倣う。

「あぁ、そうなんだ。へぇ、なるほど~。こんな分かり易い説明、はじめて聞いた気がするよん。教会で話を聞いても、小難しい言葉でケムに巻かれたり、全然頭に入んない寓話を聞かされるばっかで、いまいちピンと来なくてさぁ」

「あ、でも、私もちゃんと全てを理解してる訳じゃないですから、あの、あんまり鵜呑みにしないでくださいね」

「うん、分かってるよん。けどまぁ、つまり、魔物ってのは、悪魔が人間に害——この場合は試練って言うのかなぁ——とにかく、そういうのを与える為に生み出したモンだってことかぁ」

 アイシャは腕組みをして、唸り声をあげた。

「う~ん……じゃあ、無理なんかなぁ。アタシはさぁ、そのウチ魔物とも共存できるんじゃないかな~、とか思ってたんよねぇ」

「えっ!?」

 驚きの声をあげたのはマグナだ。

「だってさぁ、聞くけど、魔王は世界を征服しようとしてるんよね?それが今、どんくらい進んでるって思う?」

16.

「どれくらいって言われても……よく分かんないけど、半分くらい?」

 自信無さげにマグナが答えると、こちらは自信たっぷりにアイシャがいらえる。

「アタシはさぁ、もう終わってると思うんよ」

「は?——えっ?もう征服されてるってこと?」

「うん。だって、旅してるアンタ等の方がよっく分かってると思うけどさぁ、世界中どこ行っても魔物が出るんよね。それってさぁ、魔王サンにしてみたら、もう征服したって考えてても、おかしくなくない?」

「はぁ……」

 想像もしてなかった事を言われたみたいに、マグナの返事は気が抜けていた。

「つまりさぁ、魔王サンの方は、『もうこんくらいでいいや』とか思ってて、人間を一人残らず滅ぼすつもりなんて無いんじゃないかなぁ、とか。でなけりゃ、いっくら柵とか塀を拵えて護ってるっても、もっと街とか襲われてると思うんよ」

 そりゃどうかな。アイシャは知らないみたいだが、人間が集まるような土地には、範囲や程度の差はあっても、大抵は魔除けの結界が張られているのだ。

 魔物が容易く人間領域を侵せないのは、そのお陰によるところが大きいんだが、まぁ、言ってることは分からなくもない。

「向こうがそーゆーつもりなら、共存も不可能じゃないのかな~、なんて。それにさぁ、魔物の中には頭がいいのも居るってハナシだし、そいつら相手になら、商売もできるのかな~って」

「それ……本気で言ってるの?」

「ありゃりゃ、そんなマジメな顔しちゃいやん。ウソだよ~ん。そんくらい誰も思いつかないようなコトを最初にしちゃったらさぁ、きっと儲かってウハウハだろうな~ってハナシ。本気で出来るなんて思ってないよん」

 やだなぁ、とか言いつつ、けらけら笑う。

 なんつーか、ホントに逞しいな。

17.

 その日は、そのまま宿屋で休んで、翌日の昼過ぎから、俺達は手分けして神殿の噂——もしくは東に行く方法を尋ねて回ることにした。

 アイシャにも情報集めは頼んであるんだが、だからって報告を待ってるだけってのもなんだからな。シェラの為にも、早いトコ目星をつけてやりたいし。

 そのシェラには、リィナについてもらった。俺が同行するより、遥かに安心できるってモンだろ。

「じゃあ、夕方ね」

 二人を見送って、自分も立ち去ろうとするマグナの背中に、急に不安を覚える。

 いや——急にじゃない。実は、今朝起きてからずっと、漠然とした不安を抱えていたのだ。

 理由は分かってる。昨夜みた悪夢の所為だ。内容を思い出せないが、こんなに不安を掻き立てられるということは、何かマグナに関する夢だったんだろうか。

「なによ?あんたはあっちでしょ?」

 足を早めて横に並んだ俺に、マグナは怪訝な目をくれた。

「いや、そうなんだけどさ。この街、割りと物騒みたいだし、やっぱ一緒に行こうぜ」

「……別にいいけど」

 思ったよりあっさりマグナが了承してくれて、心のモヤが晴れた気がした。

 途端に、不安がっていた自分がバカバカしくなる。なにやってんだ、俺は。単なる思い過ごしだよな。そりゃそうだ。つか、夢って。俺はどっかの預言者かっての。単に一緒にブラつきたかっただけ、みたいな妙な誤解をされないといいんだが。

 聞き込みをはじめてすぐに思い知らされたことに、この街では買い物もしないで物を尋ねても、誰も何も答えちゃくれなかった。物売りじゃないヤツにしても、露骨に金を要求してきやがる。そんで結局、返ってくる答えは「知らない」だったりするのだ。

「ホントに、なんなのよ、この街!?どいつもこいつも、お金のコトしか言わないじゃない!!」

 マグナは、すっかりご機嫌斜めだ。

 なるべくマグナを刺激しないように、黙して通りを並んで歩く内に、俺は人ごみの狭間に覗く、あるモノに気がついた。

 うおっ。なんか、スゲェのがいるぞ。

 マグナの様子を盗み見る。まだ気付いてない。こいつのことだから、気付いたら絶対道を変えるに決まってる。でも俺は、もっと近くで見たいんだよね。

 うん、よし。

18.

「あ~……いやー、それにしても、いい天気だよなぁ」

 とりあえず、マグナの注意を逸らすことにした。

「……」

 急に何言ってんの?という目つきを俺に向けただけで、すぐにマグナは正面に顔を戻す。マズい、視線をとっとと別のトコに誘導しねぇと。

「もう夏も終わりだってのに、こう暑くちゃまいっちまうよな。まぁ、乾燥してっから、日陰に入りゃ涼しいけどさ」

「……そうね」

 馬鹿か、俺は。こんな分かりきったどうでもいい話で、注意を惹ける訳ねぇだろ。

 なんか——なんかねぇか。

「あっ、ちょっとアレ見てみ」

「なによ」

「え~……ほら、あの雲。なんか、面白い形してると思わねぇ?」

 どうでも良過ぎる。でも、他になんも見当たらねぇよ。

「ほら、アレだよ、あの雲。うわっ、すげー」

 俺も必死だ。

「……どれよ?」

 シカトするのも不憫に思ったのか、マグナはいかにも気が無さそうに乗ってきた。

 ここぞとばかりに、俺は上空を適当に指差して、マグナの視線をそちらに誘う。もちろん、変な形の雲なんて、どこにも浮かんでねぇんだけど。

「あれだよ、あそこにあるヤツ」

「……よく分かんない。どんな形してるの」

 よし、もうちょいだ——

 うわ、すげぇな、なんだあの格好。

「え~とだな、なんていうか、その……」

 あ、ヤベェ。

 指差す先とは逆の方を、俺がちらちら窺っているのに気付いたマグナが、そっちに目を向けた。

「ちょっと、やだ——なにアレ!?」

 足を止めたマグナに気付かないフリをして、俺はそのまま歩き続ける。もう充分近い。

 そこに居たのは、肌も露わな踊り子だった。

19.

 上半身は胸を小さい布で覆っただけで、ほとんど半裸に近い。ふわりとした腰巻は極めて薄く、大事なところだけを申し訳程度に隠した布着れが透けて見える。

 やたら肉感的なその踊り子が、いちいちシナを作って通りを行き交う人波にチラシを配る度に、全身につけた装飾品がジャラジャラと音を立てる。

 うわ、すげぇスゲェ。なんか、マジマジ見てるこっちが恥ずかしくなっちまう格好だな、これ。ケツなんて後ろは紐しかねぇから、ほとんど丸出しじゃねぇかよ。

 またそんで、いい体してやがる。胸もデケェが、それ以上に腰つきが素晴らしい——つか、いやらしい。こんなのが、昼間も最中に堂々と天下の往来に顔出していいのかよ、おい。

 いやね、俺はもうちょい細身の方が好きなんだけどさ、観賞する分にはどうしてなかなか——

「あら、お兄さん、いい男。よろしくね」

 身を寄せてきた踊り子が、見え透いた世辞と一緒にちらしを差し出した。おお、すげぇいい匂いすんな。なんか香料を体に塗ってやがんのか。

「夜には開演するから、きっと観にきてちょうだいね」

 そこの劇場でなんかやるのね。はいはい、もちろん、観に——

「さいってー」

 背中に、冷たい声が投げつけられた。

 振り返ると、マグナが元来た道を足早に戻っていくのが見えた。

 今の声音からすると、必死にマグナの目を逸らそうとしていた俺の魂胆は、全部バレちまったようだ。まぁ、当たり前か。

 目的も果たしたことだし、慌てて後を追いかける。

「おい、待てって」

 小走りに追いついて、声をかけても返事がない。

「おいって」

 手を捕まえると、乱暴に振り払われた。

「知らないっ!!」

 マグナは言い捨てて、ますます足を早める。

「ついて来ないでよっ!!」

 そう言われましてもね。ほら、いちおう独りにすんのは心配だから、わざわざついて来た訳だしさ。

 しばらく、憤然と足を動かすマグナから三歩退がって、影を踏まないように歩く。

 会うヤツ会うヤツ、守銭奴ばっかりで、只でさえ不機嫌だった訳だし、こうなるのは分かってたんだけどさ。

 でもな、男としては、あんなのが道端に居たら、近くで見ずにはいられないモンなんだって。

 ンな怒んなよ。

 放っておくと、長引くからなぁ。なんとか、ご機嫌取らねぇと。

20.

 通りを見渡した俺の目に、とある露店の商品が留まった。あ、コレなんかいいかもな。

 マグナを見失わないように、手早く交渉を済ませる。多分ぼったくられたと思うが、この際しょうがねぇ。

 人ごみに隠れて追いかけると、むすっとした顔をしながらも、マグナが立ち止まってきょろきょろと俺を探してるのが見えた。こういうトコ、案外可愛いよな、こいつ。

 小太りのおっさんの陰に潜んで一旦通り過ぎ、背後からマグナに忍び寄る。

「よう、誰を探してんだ」

 思いがけない方向から声をかけられたマグナはびくりとして、悔しそうな顔を俺に向けた。

「べ、別に——誰も探してないわよ」

 じろっと俺を睨みつける。

「なによ?あたしのことなんか気にしないで、さっきの観てくればいいじゃない。好きなんでしょ、ああいうの」

「ああ、好きだな」

「……っ!!」

 マグナの鼻に皺が寄った。

「でも、夜からなんだ」

「ああ、そう!!なによ、しっかりチラシまでもらっちゃって。いやらしい——どうぞ、ご勝手にっ!!」

 折り畳んで俺が手にしたチラシに目をとめて、マグナは吐き捨てた。

 ちょっと失敗だったな。チラシ自体は、別に要らないんだが。

「おい、待てって」

 さっさと立ち去ろうとしたマグナの手を、再び捕まえる。

「離しなさいよっ!!」

「いいから。え~と……」

 ぶんぶん振り回されるマグナの手を、なんとか握り締めて引き摺りながら、周囲を見回す。

 路地の先に、ベンチが置かれたちょっとした休憩所が目に入った。

「ちょっと、こっちに来てくれ」

「い——やっ!!離してよっ!!」

「頼むから。こんな道の真ん中じゃ、通行人の邪魔になるだろ?」

「あんたがさっさと離せば済むハナシでしょ!?」

「いやだ。離さない」

「離してっ!!」

 これじゃ、まるで痴話喧嘩だ。体裁悪ぃなぁ。

 力一杯振り回されるマグナの手を、俺は全力で押さえ込んだ。

「離さない」

 真面目ぶった声で、繰り返す。

21.

「——なによ」

 マグナは唇を尖らせて、拗ねた目をして俺を見上げた。

 すぐに、ふいと顔を背ける。

 ともあれ、やっと暴れるのを止めてくれたので、俺はマグナの手を引いて路地の奥に向かった。

 そこは高台に面していて、少し張り出した三叉路の行き止まりに木が植えられており、その下に簡素なベンチが置いてあった。

「いつまで握ってんのよ。さっさと離しなさいよ、痛いわね」

「ああ、悪い」

 マグナにつんけん言われて、手を離す。

「なによ?こんなトコ連れてきて、なんのつもり?」

「あのさ……ちょっと目を瞑ってくれないか」

 唐突だったかも知れない。

 マグナはそっぽを向いたままいらえる。

「イヤ。またヘンなことして、からかうつもりなんでしょ」

「そうじゃねぇって。いいから、頼むよ」

「……なに?何する気よ」

「頼むよ」

 ようやくこっちを向いたマグナの目を見て、できるだけ真剣な顔つきをしてみせる。

 不審な眼差しを向けられても、頑張って表情を保つ俺。こいつには、言葉を重ねるよりも、こっちの方が効くと思うんだ。

 しかし、マグナは胡乱げに俺を見上げるだけで、目を閉じようとしなかった。しょうがねぇなぁ。なるべく驚かせた方が、効果が高いと思ったんだけどさ。

「じゃあ、目は瞑んなくていいから、後ろ向いてくれよ」

「なんでよ」

「ちょっとだけだから。なんもヘンなことしねぇって」

「……急に、なんなのよ」

 根負けしたのか、ぶつくさ言いながらもマグナが背中を向けたので、俺は折り畳んだチラシを開いて、中に隠していた物を取り出した。

 ソレを後ろからマグナの首に回して、髪を少しかき上げて留めてやる。

「——っ!?なに!?」

 マグナがびくっとして首を竦めた。

「ほれ、ついたぞ」

 そう言って、マグナの首から手を離す。

「え?これ……」

 マグナは首筋の鎖を抓んで、顔を俯けてそれを見た。

 俺がマグナの首にかけたのは、昨日、物売りに押し付けられそうになったのと良く似た首飾りだった。もちろん、ゴテゴテしたヤツじゃなくて、すっきりした方な。結構気に入ってたみたいだから、ご機嫌取りに使えるんじゃないかと踏んだ訳だ。

22.

「え——なんで?いつ買ったの?」

「さぁ、いつでしょう」

 この辺りまで、俺は全然余裕だったんだが。

 ほどなく振り向いたマグナの表情は——俺の予想と大幅に異なっていた。

「これって……くれるの?」

 意表を突かれてちまって、顎を引く動作がぎこちない。

「もらっていいの?」

 何度も確認すんなよ。

「ああ、やるやる」

 なんか知らんが、喉に唾がからみついた。

「え……あの——」

 マグナは、首飾りと俺の顔を交互に見る。

「いや、だって、俺が持ってても仕方ねぇだろ」

 連続して咳払いをする。喉乾いてきた。

「な、なんか飲もうぜ。喉カラッカラだわ。ここらは、乾燥してっからな~」

 斜め後ろに、飲み物を売ってる露店があった筈だ。俺はマグナに背を向ける。

「ベンチに座って待っててくれよ。俺が買ってくるわ」

「……うん」

 露店で水を注文する間に、心の中で額の汗を拭う。

 いやはや、てっきり——

『こんなので誤魔化されないんだからね!!』

『なんだよ。じゃあ、いいよ。要らないなら、返してくれ』

『こ、これはこれで、いちおうもらっとくけど』

『やっぱり欲しいんじゃん』

 あっはっは。

 みたいな、軽いノリを予想してたんだが。

 まさかマグナが、急にあんなにしおらしくなっちまうとはな。調子狂うぜ、まったく。

 水を受け取って視線を巡らせると、マグナは大人しくベンチに腰掛けてこちらを眺めていた。

「ほら」

「ん。ありがと」

 コップを手渡して、隣りに腰をおろす。

 なんとなく、無言が続いた。

23.

 あれ。なんだ、これ。

 お前、いきなり無口になるなよな。

 間を持て余した俺は、ごくごく水を飲んだので、すぐにコップが空になった。

 逆にマグナは、一、二度口につけただけで、膝の上で両手に挟んだコップに、凝っと視線を落としている。

 うん、まぁ、とにかく、もう怒っちゃいないらしい。ご機嫌取りの用は果たせたみたいで、大変けっこう——ではあるんだが。なに、この雰囲気。

 ダメだ。もう耐えらんねー。

「あのさ——」

「あのね——」

 俺とマグナの声が、見事にハモった。

「あ、ごめん。なに?」

 マグナに促されて、俺は急いで首を横に振る。

「いや、なんもない。え~……そっちが、どうぞ」

 単に気まずくて口を開いただけで、先の台詞なんか何も考えちゃいなかったのだ。

 どうでもいいけど、なんか俺、口調がおかしくねぇか。

「うん。あのね、これって——」

 突然しゃくり上げるように息を吸い込んで、マグナの言葉が途中で止まる。コップから片手を離して胸を押さえ、静かに息を吸ったり吐いたりを繰り返す——って、おいおい、ヘンな反応すんなよ、頼むから。

「ううん。あたしも、別に……」

 結局、マグナはそう言った。

 また二人して押し黙る。

 うわ、なんだ、この空気。今よりもっと小僧だった頃に味わった覚えのある、むずむずと落ち着かないこの感じ。

 いや、違う違う。俺はなんも意識してねぇよ。けど、ふとした拍子に妙な気分になっちまうのは、きっとお前のせいだからな、リィナ。

 だが、今度の沈黙は短かった。

「あ、アレよね。変わってるわよね、アイシャって」

 急に口調が変わったことから察するに、言おうとしていた事とは別の話題を思い付いたらしい。

24.

「そ、そうだな」

 ほっとして、それに飛びつく俺。

 いや、ほっとしてねぇし、なにドモってんだ。マジで。

「あんな考え方、はじめて聞いたから、ちょっとビックリした」

「そうね」

 返事短けぇよ。せっかくご機嫌を取ってる最中なのに、これじゃ気を悪くするぞ。

「でもね、あたしもちょっとだけ似たようなこと、考えてたんだ」

 だが、マグナは別段気にした素振りもなく話を続けた。

 慌て過ぎだろ。落ち着けよ、俺。

「魔物に襲われた時は平気で斬れるのに、相手が人間だと——躊躇っちゃうのは、なんでかなって。どっちも、襲ってくるのは同じなのにね」

 頭の隅っこに何かが引っかかったが、それはするりと記憶の奥底に滑り落ちた。

「いや、そりゃ普通なんじゃねぇの」

「うん、そうなんだけど……そうじゃなくてね、あたしもきっと、魔物は悪者で倒してもいいんだって、無条件に思い込んでたんだよね。でも、今言ったみたいに考えてたのもホントで、つまり、あたしもどっかでアイシャと同じような疑問を持ってたんじゃないかな、って」

 頭の中で内容を整理し切れていない、というよりは、意図的に迂遠に喋っているように聞こえた。

「よく分かんない……?」

 ジツはあんまり頭に入ってなかったんだが、懸命にマグナの台詞を思い出して、急いで脳裏で再構築すると、枝葉は見失ったが逆に全体像はぼんやりと見えた気がした。

「いや、分かるよ」

 多分。

「そう?だからね、アイシャが言ったことにびっくりはしたけど、なんていうのかな……受け入れられないとか、そういう感じはしなかったのね」

 いや、そりゃ理由が違うんじゃねぇかな。

 お前がアイシャの意見を拒まなかったのは、アイシャと同じように考えてたからじゃなくて——

「なんで……こんな時まで、人間が人間を襲ったりするんだろ。それじゃ、さ……」

 言い辛そうに口篭って、マグナはまた膝元のコップに目を落とした。

 マグナが言いたいのは、つまり——

25.

「魔物も人間も、大して変わらない、ってか」

 俺に向けられたマグナの表情は、意外そうでもあり、少し嬉しそうでもあり、恥じ入るようでもあり、次々と微妙に変化した。

「やっぱり、ヘンかな……ヘンだよね。そんな訳ないって、思うんだけど……でも、やってることに、大した違いはないでしょ?どっちも、殺そうとして襲ってくるんだから」

 ああ、盗賊団に襲撃された時のこと、結構気にしてるんだな。多分、カンダタ共とやり合った時のことも。

「なんかホントに、魔物も人間も大して変わらないみたい……同じでいいのかな。邪悪で倒さなくちゃいけないみたいに言ってるくせに、そんな魔物と同じでいいの?……そんなんじゃ、人のこと言えないって、あたしも思うのよ。向こうはヒトじゃないけどね」

 はっきりと口にはしないが、マグナの言いたいことは分かる。「魔王を倒して世界を救ってくれ」と、さんざん言われ続けて育ったマグナにしてみれば、そんなことを自分に強要するくらいなんだから、人間には魔物よりもマシな存在であって欲しいのだ。

 というか、魔物は悪モノで人間は救うべきものでなければ、勇者という存在自体の足場が揺らいでしまう。

 どっちも大差無いロクデナシなのに、それでも問答無用で他方を滅ぼそうとする勇者なんてのは、物語のソレ——正義の体現者——とはかけ離れた存在になっちまうからだ。

 現実が物語ほど単純で綺麗事ばかりじゃ済まないのは当たり前かも知れないが、マグナがこうあれかしと求められていたのは、正に物語のソレなのだ。

 だが、やっぱりそんなのは単なる幻想だと見せ付けられたら——そんな不確かなものにずっと縛り付けられていたとあっては、やりきれない気分にもなるだろう。

「どっちも大して変わらないなら、ホントに共存ってできるかも知れないよね。そしたらさ——」

 次の言葉は、予測出来た。

「勇者なんて、要らないね」

 そう。この帰結は、おそらくアイシャの話を聞いてマグナの中に生まれた無意識の願望だ。

 勇者たれと望まれていながら、自分の我侭でそれを捨てたという思いに、こいつは今でも少なからず苛まれてる筈なんだ。

 だが、勇者がハナから不要な存在に堕せば、その重荷は少しだけ軽くなる。

 だから、マグナはアイシャの考え方を否定しないんだ。

 そして俺は、そんなマグナの考え方を否定できなかった。

26.

「まぁ、でも、お前には、もう関係無いハナシだろ」

 マグナの浮かべた力無い笑みは、複雑な感情が絡み合って見えた。

「そうだね」

「けど、ホントに共存できるかっつったら、ちょっと無理あるけどな。だってよ、魔物のお隣さんとばったり玄関先で出くわして、『あ、どうも』とか頭下げてるトコなんて、あんま想像つかねぇもんよ」

 マグナがちょっと笑って、俺は少し安心を覚える。

「なによ、それ。別に同じ街で暮らさなくてもいいでしょ」

「そりゃそうか」

 アイシャの言うことも分からないではないが。実際に魔物の相手をしていないヤツの考える事だとも思う。俺には、魔物が人間と相容れる存在とは思えないし、マグナもホントのところは同じだろう。

 今のはつまり、だったらいいなっていう、あくまで仮定のハナシだ。

「ごめんね。こんな話するつもりじゃなかったんだけど」

「いや、いいよ。言ったろ。愚痴なら、いつでも聞くって」

「うん……」

 もしかして、未だに定期的に落ち込んだりしてるんじゃねぇだろうな、こいつ。

 その内、じっくり話を聞いた方がいいかも知れない。ちゃんと応えられるかどうかは分かんねぇけど、今なら、多少の軽口くらいは吐ける気がする。

「これ、ありがとね」

 何気ない口調で言われたので、反応が遅れた。

「ん——あ、ああ」

「でもね——」

 俺がやった首飾りを、マグナは抓んでみせる。

「この服には、ちょっと派手なくらいの方が似合うかも」

「ソレの前に、売りつけられそうになったヤツみたいな?」

「そうそう。あの時はゴテゴテしてて悪趣味~とか思ったけど、ここの服にはあっちの方が合ってるかも」

「……お前ね、人がせっかく買ってやったのに、そういうこと言うか?」

「嘘うそ、ごめんてば」

 くすくす笑って、首飾りに視線を落とす。

「ありがとう。大事にするね」

 改まってしみじみと言われて——俺は、なんだか申し訳ない気分になった。

 単なるご機嫌取りに使っただけなのに、思った以上の意味で受け取られてしまったような気がする。そんなら俺も、そういうつもりで渡したかったっていうか。

 そういうつもりなんて、別に無いんだけどさ。

27.

 結局、俺とマグナは何の成果も無いまま宿屋に戻ったんだが、リィナとシェラの方は少々事情が違っていた。

 神殿や山越えに関する話じゃないんだが——

「あのね、盗賊団にセンセイとか呼ばれてた、ヘンな動きする人いたでしょ?ボクとシェラちゃんであちこちウロウロしてたら、たまたまその人を見かけたのね」

 夕飯を食いながら話を聞いたところによると、あの不気味な影——街中でも黒づくめの怪しい格好をしていたそうだ——を目にしたリィナとシェラは、見つからないようにこっそり後をつけた。

 というか、シェラは危ないから止めようと言ったらしいんだが、例によってリィナが「だいじょぶだいじょぶ」とか強引に押し切ったのが真相のようだ。

「でも、大きいお屋敷が沢山並んでる辺りで、ほっそ~い路地に入ってさ。そこで見失っちゃったんだよね」

 一瞬拍子抜けしたが、話はそこで終わらなかった。

「でね、どう考えてもここに入ったって建物があって。ちょっと中を覗いてみたら、鍵がかかった扉があってさ。いつもみたいに開けようとしたんだけど、でもこれが全然開かないんだよ」

 シェラが、自信無さげに後を引き継ぐ。

「普通の鍵じゃないみたいでした。はっきりとは分かりませんけど、魔法がかけられてたみたいなんです」

 ふぅん。そういや、どんな鍵でも開けちまう、アバカムって超高等魔法があったな。逆に魔法で鍵をかけたりすることも、不可能じゃないって訳か。

 この辺りで食堂に入ってきたアイシャが、俺達を見つけて声をかけた。

「あ、いたいた。ん?なんの話してんの?」

 アイシャに関係あるとは思わないが、いちおう内容をかいつまんで説明してやる。

 影を見失ったという建物の場所を、リィナから詳しく聞き出したアイシャは、少し考え込んだ。

「それってちょうど、ウェナモンさんのお屋敷の真裏だねぇ」

 誰だ、それ。

「ははぁ……なんか、妙な具合に話が繋がってる気がするなぁ」

「どういうこと?」

 マグナが尋ねると、アイシャは何故かにんまり笑って、人差し指で顎を叩いた。

「さって、どう説明したモンやら……ま、とりあえず、こっちで分かったことを、先に報告するよん。後で話も繋がると思うからさ。あ、アタシもなんか食べていい?」

 飯代は、こっち持ちってか。ホントにちゃっかりしてやがんな。

28.

 注文を済ませてから、アイシャは報告をはじめる。

「え~とねぇ、神殿とかいうのの話はさっぱり。全然分からなかったんよ」

 悪びれた風もなく、あっけらかんと言い放つ。つか、これ報告か?

「おっと、そんなガッカリした顔しないしない。慌てる乞食は儲けが少ないってね。神殿の方はさっぱりだったけど、東に行く方法は、少しは情報が集まりましたよん」

 そりゃ有難いね。何も分かりませんでした、で金取られたんじゃ、こっちも堪んねぇからな。

「あの山を越えるのは、人間には絶対無理ってハナシはしたよねぇ。でも、わざわざあんな山越えなくても、なんか地下を通って東に行ける抜け道があるらしいんよ」

 ちょっとちょうだいね、とか言いながら、マグナの皿から料理を抓んで口に運ぶ。

「うん、いける——でさぁ。こっから北東に何日か行った辺り、つまり山脈の麓に洞窟があるんだけどね、その洞窟のどっかに抜け道が隠されてるってハナシ」

「どっかって?」

 マグナの相槌を受けて、今度は俺の料理を抓んでぺろりと呑み込んでから応じる。

「うん、それなんだけどさぁ、抜け道の正確な場所を知ってんのは、洞窟に住んでるホビットだけだってハナシなんよねぇ」

「ホビットぉ!?」

 おいおい、エルフの次はホビットかよ。そろそろ吟遊詩人を仲間に引っ張り込んで、曲を書かせてひと山当てんのを考えた方がいいんじゃねぇのか。

「そんなの、ホントに居るの?」

「さぁねぇ。劇場——って言っても分かんないか。ウチのモンが、そこの支配人から聞いただけだからさぁ」

 劇場って、もしかして昼間見かけたアレか。あんな格好した踊り子が、どんな出し物をやっているのやら。大変気になりますなぁ。

 とか考えてたら、マグナに足を思いっ切り踏んづけられた。知らない内に鼻の下が伸びていたらしい。

「しかもねぇ、そのホビットが大した頑固モンで、頼んでも絶対教えてくれないらしいんよ」

 ん——?

 俺と同じ引っ掛かりを感じたらしく、マグナがアイシャに問い掛ける。

「ちょっと待って。それっておかしくない?絶対教えてくれないのに、なんで抜け道があることとか、ホビットがその場所を知ってるって分かったの?」

「それは、アタシに聞かれてもねぇ。ま、こっちはアタシも怪しいと思ってるから、ハナシ半分に聞いといてよ。本命は、もいっちょの方……あ、そっか」

29.

 アイシャは、何か思いついた顔をした。

「あんね、もういっちょ耳寄りな情報があってさ。山を越えて東に行く為に、わざわざイシスからこの街に引っ越してきた変わりモンがいるんよね。その人が、なんか知ってるんじゃないかってウワサだから、そっから伝わったんじゃないかなぁ」

「あ、もしかして——」

 察しをつけたマグナに、アイシャは頷いてみせる。

「はい、正解。その人が、ウェナモンさん。イシスでもお大尽で通ってたみたいで、すっごい羽振りいい人だよ~。今のハナシからすると、なんか知ってるのはホントみたいだねぇ」

「じゃあ、その人から話を聞けば——っていうか、もう聞いてくれたの?」

「いやいや~、そうは問屋が卸さないっと」

「え?どういうこと?」

「あんねぇ、どうも最近、ウェナモンさんの様子がおかしいらしいんよ。屋敷に篭もったっきり、外の人間とは誰とも会わないんだって」

「つまり、いろいろ事情を知ってるのはその人だけど、会うのは難しいってこと?」

「うん。門前払いが関の山だねぇ」

 頼んだ料理はまだか、みたいな顔をして、アイシャは椅子の上で体を斜め傾けて、厨房の方を窺った。

「それで終わりなの?結局、どうにもならないって事が分かっただけじゃない」

「そぉんなことないよぉ。慌てない慌てない。そんなんじゃあ、立派な乞食にはなれませんよぉ」

 にやにやするアイシャに、「なりたくないっての」とかボヤきながら、マグナは先を促す。

「でね、さっきのハナシに繋がるんだけどさぁ、ウェナモンさんにはちょっと悪い噂があるんよ」

「悪い噂?」

「そそ、黒い噂」

 何のつもりか、アイシャは嬉しそうな顔をして、ぐふふとか笑った。

「なんなの、その噂って」

「よろしー。答えて進ぜましょ~。あんね、裏で盗賊団と繋がってて、取り引き相手の隊商を襲わせてるってのは、この街の耳聡い連中の間では、割りと常識なんよね」

「はぁっ!?」

 とんでもないことを、軽く言ってのけるのだった。

30.

「最初は、盗賊団と取り決め結んで、襲撃の回数を抑えるのが目的だったらしいんよ。ほら、あんまり毎度襲われたんじゃ、誰もアッサラームと交易しようなんて思わなくなっちゃうでしょ。そいだと、他所の国と商売できるようなお金持ちも困っちゃうからさぁ。

 でも、今じゃなんだかんだで、すっかりウェナモンさんの私兵みたいになっちゃってるってハナシ。つまり、盗賊団が襲撃に成功したバアイは積荷丸儲け。失敗しても、普通に取り引きするだけってんだから、儲かっちゃって笑いが止まんないやねぇ」

「なによ、ソレ……そんなの、許されるの!?」

 色々と感じるところがあるのだろう、納得いかない顔をするマグナに、アイシャは慌てて手を振ってみせた。

「やだなぁ、あくまで噂だよん、ウワサ」

「でも……本当だったら、ホントにロクでもないわね」

 魔物よりタチ悪いってか。マズいね、どうも。このままだと、マグナが人間嫌いになっちまいそうだ。

「まぁ、この街じゃ多かれ少なかれ、みんな汚いことしてるしねぇ。上手くやりやがって、ぐらいにしか思われてないんよね。今んトコ、ただの噂でしかないしさぁ。それなりに気をつけてるから、誰かがバッチリ証拠を掴んだってハナシも聞かないしねぇ」

「リィナとシェラが見たっていう建物が、その証拠になるかも知れねぇな」

 俺が口を挟むと、我が意を得たりみたいに、アイシャはにんまりしてみせた。

「そりゃどうかなぁ。実際に盗賊団の連中と密談してるトコにでも踏み込まなけりゃ、なんとでも言い逃れされちゃうと思うよん」

 顔と台詞が合ってねぇぞ。

 なんか、こいつの考えてることが分かってきた。

「で、当てはあんのか?」

 俺が尋ねると、アイシャはわざとらしく目を丸くした。

「おっ、お兄さん、ホントに話が早いねぇ。いい商売人になれるよん」

 だから、なりたくねぇっての。

「ちょっと、なんの話よ」

 マグナが、服の肘辺りを引っ張ってきた。

31.

「いや、だからな——」

 東に行く方法については、どうやらウェナモンとやらが一番詳しいらしいが、こいつが一切外出をしないときてる。つまり、話を聞く為には屋敷を訪ねるしか無い訳だが、正面から行っても門前払い。

 かといって、大金持ちってことは、それなりに警備に人を割いてるだろうから、普通に忍び込むのも厳しい。第一、それで見つかったら、こっちが一方的に悪者にされちまって分が悪い。

 だが、リィナとシェラが見たという扉さえ開けられれば、簡単に屋敷に入って、直接話ができる可能性がある。

 忍び込むのは同じでも、こっちの場合は——

「けど、現場を直接押さえるってのは、難しいと思うぜ」

「ムリならムリで、仕方ないやねぇ。けど、隠し通路がホントなら、そいだけで充分ネタにはなると思うんよ」

 まぁ、そういうことだよな。

 俺とアイシャ以外は、いまいち分かっていない顔つきだが。

 アイシャは要するに、金持ちウェナモンの弱みを握りたいのだ。それを使って取り入るつもりか、脅すつもりなのかは知らないが。

「乗ってやってもいいけど、そんかし今の情報料はタダな」

 盗賊団との繋がりを示す隠し通路の存在を確認する目的で、俺達を利用するつもりなんだからよ。

「ありゃりゃ。思ったよりしっかりしてるねぇ。ま、お互い得するのはいい商売だから、それでいいよん」

 ちょうど給された料理に夢中で、アイシャはどうでもよさそうな返事をした。

 ごく簡単に神に祈りを捧げて、料理をがっつきはじめる。

 銭ゲバっぽくて、しかも結構悲惨な育ちまでしてる癖に、神様は信じてるんだよな。なんか、おかしなヤツだ。

「でもボクじゃ、あの鍵は開けらんないよ。鉄で出来てたから、無理矢理壊すのも難しそうだし。出来たとしても、さすがに音でバレちゃうよ」

「ああ、そりゃいいんだ」

 済まなさそうな顔をするリィナに手を上げて、俺はアイシャに視線を向ける。

「当てがあるんだろ?」

「ほーほー。ほれはんはへほへ」

 食いながら喋んな。

 アイシャは口の中の料理を、ごくんと呑み込んでから続けた。

「あんね、『魔法の鍵』って、知ってる?」

前回