17. Trust

1.

「ほかに、洗い物ある人いませんかー?」

 ほがらかなシェラの声が、夕暮れ時のキャンプに響き渡る。

「おう、こっちも頼まぁ」

「はいはい」

「あ、あの……これもいいかい」

「馬鹿野郎。お前ぇの臭ぇ下着なんざ、嬢ちゃんに洗わせんじゃねぇよ」

「き、汚くなんかねぇよ!」

「構いませんよ。どうぞ」

「わ、悪いな」

「しっかし、あんた働きモンだなぁ」

「そんな、全然」

「いやいや、ウチのかかぁとは偉ぇ違いだよ。これで、もちっと腰がしっかりしてりゃあなぁ」

「——ひゃっ!?」

「細っこくていけねぇや。もっと飯食え、メシ」

「て、手前ぇ、どこ触ってんだよ!」

「お?なんだ?なんだって、お前ぇが怒んだよ?あぁ?」

「べ、別に——」

「あ、あの、じゃあ、日が暮れない内に洗ってきちゃいますから」

 むさ苦しい野郎共の間をかいがいしく飛び回り、集めた洗濯物が山と詰まれた籠を両手で抱えて、シェラは川べりの方へと歩いていく。

 護衛として雇われてるんだから、そんな雑事までこなす必要は無いって言ったんだけどな。

「いえ、でも、好きでやってますから。毎日って訳じゃないですし、全然平気ですよ」

 いい笑顔で応じられては、それ以上止めようもなかった。

 夕飯前のひと時に、思い思いの場所で、だらしなく座り込んでいる野郎共を眺め回す。

 こんな連中の世話なんて、あっちの馬車の女共に任しときゃいいんだ。それが連中の仕事なんだからよ。

2.

 俺達は今、護衛として、とある隊商と行動を共にしていた。

 神殿を求めて、東を目指す為だ。

 エルフの女王に助言されるまでもなく、俺達に残された方角は東だけだった。

 なにしろロマリアの南には海が広がっているばかりだし、西にはポルトガがあるだけ。さらに北は、外れのノアニールまで既に足を伸ばしたとあっては、単純な消去法で導き出せる解答だ。

 次の目的地は、ロマリアから東にある街の中で、最も大きな都市だというアッサラーム。

 正確には南東に位置しており、どうやら相当に距離があるという話だ。

 手持ちの金には余裕があることだし、また道中はほぼ平地が続いているらしいので、最初は馬でも調達してそれで移動しようかと考えたんだが、遠出の割りに今回は案内も無く、土地感がまるで無いのが多少気がかりだった。

「だったら、隊商の護衛なんてどう?」

 道程の下調べに訪れた冒険者の組合所で、久し振りに再開したスティアは——相変わらず、いい女だった——俺にそう助言した。組合所では、そういった類いの仕事も斡旋しているのだ。

 試しに調べてみると、まだ締め切られていない募集がひとつあった。三日後にアッサラームへ向かう隊商の護衛だ。

 こりゃ都合がいい、と俺は思ったんだが、ひと通り内容に目を通したスティアの顔は、なんだか曇っていた。

「これは、止めておいた方がいいかしらね」

「へ?なんで?」

「ん~……あのね、この代表者のフェリクスって人には、特に問題無いのよ。変わってるって言えば変わってるけどね。もういいお歳の筈なのに、いつまでご自身が出張るつもりなのかしら。本人は、若さの秘訣とか言ってるらしいけど。

——まぁ、それはいいわ。ロマリアでも豪商の部類で、商売人だから清廉潔白って訳じゃないと思うけど、悪い噂もあんまり聞かない人よ」

 じゃあ、いいじゃん。

「ただねぇ……同じくらいの規模の商人が寄り集まって仕立てるのとは違って、この隊商はあくまでフェリクスの家が中心で、そこに小さい商人達が便乗させてもらうような構成なのよ」

「うん」

「つまりね、全部フェリクスさんの思い通りになっちゃうってこと」

 スティアは、紙に書かれた名前を指差した。

3.

「このバロウって奴、確かフェリクスさんの遠縁だったと思うんだけど、こいつが護衛組を取り仕切る事になってるのが、ちょっと気になるのよねぇ……」

「あんまり、いい噂を聞かないってことか」

「私も実際に会ったことはないから、詳しくは知らないけど……そうね。聞いた話じゃ、ただのやくざ者よ。放っておくと働きもしないで遊び歩くばっかりの穀潰しに、とにかく仕事をあてがったってところじゃないかしら」

 要するにゴロツキか。

「護衛頭がこれじゃ、ロクな人材が集まらないかも知れないわよ」

「まぁ、でも、こんな仕事をしてるような連中なんて、多かれ少なかれそんなモンだろ」

「……言われてみれば、そうかもね。ウチやあなた達みたいな人間の方が、よっぽど珍しいわね」

 くすりとスティアは笑った。

「まぁ、最後は自分達で決めてちょうだい。脇道に気をつければ、あなた達だけで行けないこともないと思うわよ。私もアッサラームの方面は不案内で、確かな事を言ってあげられないのが申し訳ないけれど」

「いや、充分助かったよ。ありがとう」

「どういたしまして。探し物が、見つかるといいわね」

 色っぽく含み笑いを浮かべたスティアは、ふと何かを思い出すように、額に指を当てる仕草をした。

「んん、あれ?ちょっと待って……何か気になる噂があった気がするんだけど……ああ、そうだわ」

 スティアは眉を顰めて、軽く握った人差し指を下唇に当てた。

「やっぱり、隊商と同行した方がいいのかしら。あのね、アッサラームの近くで、出るらしいのよ」

「なにが?」

「盗賊団」

「盗賊団?」

 俺は、アホみたいにオウム返した。

「ええ。割りと大きい賊みたい。毎回、襲われる訳じゃないと思うけど、荷物をごっそりやられたって話を何度か聞いたことがあるわ、そう言えば」

「物騒だな」

「ロマリアは治安がいいけど、アッサラームの辺りはね。結構危ないって聞くわよ。まぁ、却って隊商なんかと一緒じゃない方が、襲われ難いのかも知れないけど……どうかしらね。あのコ達、みんな可愛いから」

 みんな可愛いかはともかく、そうだなぁ。目ぇつけられたら、四人じゃ気軽にちょっかい出されちまう可能性はあるな。

4.

「あなた達なら、上手く切り抜けられなくはないでしょうけど……」

 スティアは、語尾を濁した。

 徒党を組んだ人間ってのは、錬度によっちゃ魔物共より余程やっかいだからな。いくらこっちにリィナがいるとは言っても、相手取れる人数に限界はあるだろう。盗賊団が思った以上に大規模だったら——とは、あんまり考えたくねぇな。

「それとも、ロランに頼んでみたら?マグナちゃんがお願いすれば、きっと騎士団の一個中隊くらい、喜んで護衛につけてくれると思うけど」

「よせよ。お断りだね」

 俺が渋い顔をしてみせると、スティアはおかしそうに笑うのだった。

 一通り相談を終えて、お礼に飯でも誘った方がいいかな、でも今はなぁ、とか俺が悩んでいると、何も言わない内に向こうからやんわり断わられた。

 どうやらこっちの事情を、それとなく見透かされたらしい。

 全く、よく出来た女で有り難いね。

 結局、俺は迷った末に、一応ウチの連中に計らってから、この仕事を請け負うことにした。

 隊商と一緒なら、護衛は俺達だけじゃない訳だし、盗賊共の戦力も分散されて組し易い筈だと考えたのだ。四人きりで行くよりゃ、多少は安全だろう。金も貰えることだしさ。

 それにしても、この辺りの手配は、全部俺が独りで済ませたんだぜ。

『だいじょぶだってば、そんな顔しないでも——』

 とか言ってやがった癖に、リィナはどうもマグナと本格的に喧嘩になっちまったらしい。次の日から、寝る時以外は飯も別々で、完全に別行動を取っていた。

 不機嫌なマグナと我関せずみたいな態度のリィナに挟まれて、シェラはひどく困惑していた。可哀想に、お前だって悩んでんのにな。でも、俺が仲裁に入ると、余計にややこしくなりそうでさ。

 スティアを飯に誘うのを迷ったのは、こんな時に俺だけが、呑気に女とよろしくやってんのは気が引けたからだ。

 そんな訳で、マグナもリィナも先の事を考えるなんて状態じゃなく、シェラは相変わらずマグナに引っ張り回されてるわで、仕方ねぇから俺が独りで動き回って、あれこれ手配を済ませたという次第だった。

「あんまり独りで、アレコレどうにかできると思わない方がいいわよ」

 別れ際、スティアにもそう言われたのにな。

「貴方はまず、自分の事をちゃんと考えなさいな」

 最後の台詞は、よく意味が分からなかった。

5.

 スティアの言っていた通り、護衛頭のバロウってのは、見事に単なるロクデナシだった。

 中年太りの普通のおっさんで、まともに指揮をしたり戦ったり出来るようには、とても見えない。事実、魔物に襲われても、自分は馬車の中に隠れて決して表に出ようとせず、愚にもつかない指示を出しては悦に入っているようなアホだ。

 そのクセ態度は尊大で、最初に対面した時も、口では「こんな小娘共が役に立つのか」などと偉そうなことをほざきつつ、厚ぼったい瞼の奥の濁った目が、マグナ達をしっかりと値踏みしてやがったのが気に喰わねぇ。

 横柄な態度が身に染み付いた、好色そうな嫌なオヤジだった。

 マグナ達は、女連中がまとめられた馬車に同乗することになって、少しは安心したけどな。

 俺はというと、独り離れてむさ苦しい野郎共と一緒の馬車に押し込められた。

 どこか物足りないような、妙な気分だ。

 これほどマグナ達と離れて過ごすのは久し振り——というか、出会ってから初めてになるのか。

 隊列は、露払いを兼ねた先導、続いて荷駄隊、それをなるべく取り囲むような隊形で護衛の本隊、最後に後詰めという順番で、それぞれ複数台の馬車で構成されており、荷駄隊を除いては単騎の人馬もいくらか割り当てられている。

 馬車の数はもちろん荷駄隊が最も多く、次いで護衛の本隊になる。大半の馬車には幌が付いていたので、雨が降った日は有り難かった。

 マグナ達が同乗している女共の馬車は荷駄隊に配置されており、俺が居るのは護衛の本隊だ。

 割りと配置の近い馬車をあてがわれたので、会おうと思えばいつでも会えるんだが——実際、魔物との戦闘時はマグナ達と合流している——今は正直、少し距離を置けてほっとしている自分もいたりする。

 いや、情けないのは分かってるんだけどさ。俺がちゃんと話をするべきかなー、とも思うんだけどさ。なんか、踏ん切りが付かねーっつーか。

 男臭い連中に始終囲まれてんのも、つまんないんだけどね。

 護衛組の面子は、なんというか、まるきり寄せ集めといった感が否めなかった。

 組合を経由して仕事を請け負った冒険者が大半で、俺達と同じくパーティぐるみで参加してるのが、他に二つ。後は、個人もしくは知り合い同士で示し合わせて参加した風な連中が多かった。

6.

 しかしまぁ、冒険者っても、ロマリアでは制度が開始されてまだ間も無いので、言っちゃ悪いが全然「らしく」ない。

 アリアハンでもチンピラみたいな冒険者は掃いて捨てるほどいたが、それなりに歴史を重ねているだけあって、頼みもしないのに冒険者の流儀とやらを新米に叩き込んで下さるハタ迷惑——じゃなくて、有り難い諸先輩方には事欠かない。

 それで、なんとなく「冒険者とはこういうものだ」みたいな空気というか、最低限これだけは守りやがれみたいな暗黙の了解というか、そういう雰囲気が自然と醸成されていたのだが、ここにはそれが一切無い。

 要するに、単なる傭兵くずれやゴロツキそのものにしか見えない連中が目立つって事だ。

 その上、護衛頭からしてアレだから、戦闘になっても統制もへったくれも無いってのに、よくまぁ魔物に襲われながら、ここまで怪我人程度で死人が出なかったモンだと思うよ、ホントに。

 今は、道程のちょうど半ばあたりだろうか。

 日が暮れかけた頃合に隊列を止めて、川の近くでキャンプを張ることになった。

 左右を森に囲まれているが、街道の両脇がかなり開けているので、馬車を止めたり飯の仕度をする場所には困らない。

「すみません、ヴァイスさん。ちょっといいですか」

 いびつな車座に焚き火を囲んで、俺が晩飯を食い終わるのを見計らっていたように、背後から小声で囁きかけられた。

 振り返ると、シェラが腰を屈めて俺を覗き込んでいた。

「ん?どうした?」

「すみません、ちょっと……」

 どうやら、ここでは話し難いことらしい。

 むさ苦しい連中と顔をつき合わせるのにも飽き飽きしていたので、俺は一も二も無く腰を浮かせた。

 目敏くそれを見つけた連中が、あちこちから冷やかしの野太い声があげる。うるせぇよ、手前ぇら。

 まぁ、こんだけ可愛いし、かいがいしく世話を焼いてくれるし、戦闘で傷を負ったヤツにはホイミもかけてくれるしで、シェラは本隊ではちょっとした人気者になっていた。

 あからさまに嫉妬の目つきで、俺を睨みつけてる若いの——マグナと同い年くらいか?——とかまで居たりする。

 そいつらを適当にあしらいながら、俺はシェラの後について、川べりまで歩いて行った。

7.

 キャンプの灯りはほとんど届かないが、すっかり日が暮れてる割りには、月や星明かりのお陰でそれほど暗くない。

 せせらぎと共に運ばれる涼しい風が、頬に心地よかった。

「座りませんか?」

 そこらにあった大きな石の上に、シェラはちょこんと腰掛けた。

 俺も座ろうとして——足元を石に取られて、転げそうになる。

「大丈夫ですか?」

 くすくすと笑われた。いやなに、大丈夫ですとも。幸い、足首は捻っちゃいねぇようだ。

 何事も無かった澄まし顔で、隣りに腰をおろす。

「で、どうしたんだ?」

 シェラは、しばらく何かを言いたげに——というか、何かをしたそうに、脚を伸ばしたり、組んだ手を伸ばしたりして、もじもじするだけで、なかなか用件を切り出そうとしなかった。

「あの……」

「ん?」

「すみません、ちょっとだけでいいですから……ホントに、すぐ止めますから……」

 やたら弁解しながら、おずおずと俺の腕に手を伸ばす。

「ごめんなさい、ホントに、ちょっとだけですから……」

 そろそろと俺の腕に手を絡めると——くすぐってぇ——肩に頭をもたせかけてきた。

 なんか知らんが、どうも甘えたいらしい。

「なんだよ。別に、遠慮すんなよ」

 ゆっくりと抜いた腕を、シェラの肩に回して抱き寄せる。こっちの方が、いいんじゃないかと思いまして。

「すみません……ちょっとでいいですから……」

 まだ申し訳なさそうに漏らしつつ、俺の服を弱々しく握る。

 俺の胸に頭を押し付けて、はぁ、と疲れたような、安堵したような吐息をシェラは吐いた。

 肩越しに髪を撫でてやりながら、なるべく優しい声音で尋ねる。

「どうした、疲れてんのか?」

「いえ、あの……はい……少し」

 こいつが自分で肯定するってことは、相当疲れてんのかな。

 なにが原因だ——すぐに俺は、できれば目を背けていたい問題に思い当たる。

「あー……その、なんだ。マグナとリィナのことか?」

 未だに板挟みだろうからなぁ。俺もこいつに任せちまったようなトコあるし、ちょっと負い目を感じるぜ。

「あ、そうですね。それも……あるんですけど……」

 それも、って事は、他にもあるのか。

 やっぱり、あの事だろうか。

8.

 あの日、ロマリアの宿屋で、シェラが俺の部屋を訪ねた夜。

『私——どうしたらいいんでしょう』

 そう言ったきり俯いてしまったシェラを、俺はとにかくベッドに並んで座らせて、話を聞いたのだった。

「——お昼は、急にいなくなっちゃって、すみませんでした」

「いや、別にいいけどさ。なんかあったのか?」

「あの……お店を出た時、私、見つけちゃったんです」

「なにを」

「その……フゥマさん」

 ああ、そういう事だったのか。

「それで……今度はちゃんと伝えなくちゃって思って……」

「うん」

「声をかけたら、すごく吃驚されて……でも、すごく喜んでくれて……」

 そうだろうな。ベタ惚れっぽかったもんな。

「これから遊びに行こうって……ホントは、この時ちゃんと断わって、伝えるべきだったんです」

 シェラは、ぎゅっと膝の上で手を握り締めた。

「分かってたんですけど……でも、その時……私、マグナさんがすごく羨ましくて……」

 そういや、『いいなぁ』とか溜め息吐いてたな。

「ちょっとだけでいいから、私も女の子の気分を味わいたくなっちゃって……ホント、馬鹿なんです」

「いや……」

「でも、すぐ言うつもりだったんですよ?ホントに少しだけで充分で、騙すつもりなんて全然なくて……ううん、そんなの嘘ですよね。やっぱり、騙してたんです……」

 俺は、なんとも言えなかった。

 おそらくフゥマは大喜びだったろうから、それはそれでいいような気もするんだが、そうは言ってもお互いにとってよくはないのかな、と思わなくもない。

「……楽しかったか?」

 何故か、俺はそんな事を尋ねていた。

 シェラは俯いたまま、こくりと頷いた。

「すごく優しくしてくれて、それでつい言い辛——そびれて……なんて言い訳、無いですよね。ホントに馬鹿です。言おうと思ってたのに、最後まで言えなかったんです」

「そうか」

「どうしよう……あの人、何も知らないのに……好意に甘えて騙すなんて……馬鹿みたい……ヒドい裏切りです……お詫びしようにも、私のことを知ったら、きっともう何も聞いてくれないです……私、どうしたらいいんでしょう」

 途方に暮れたように、シェラは呟いた。

9.

 何か気の利いた助言をしてやろうと、俺は必死で頭を回転させたが——取っ掛かりがまるで見つからずに、虚しく空回りするだけだった。酔いが潤滑油になって、またこれがカラカラよく回ること。

「シェラは、どうしたいんだ?」

「はい?」

「あのさ……誰かに相談する時って、もう自分の中に答えがあるモンなんだよ、大抵の場合」

 言いながら、俺は内心であ~あと顔を覆っている。

 なんでこんな、どっかで誰かに聞いたようなコトしか言ってやれねぇんだよ。

「だからさ、自分の中にある答えの通りに、シェラがしたいようにするのが、一番いいんじゃねぇかな」

 はぐらかしてるだけだろ、こんなの。こんな愚にもつかない御託が聞きたくて、シェラはわざわざ俺を訪ねてきた訳じゃねぇっての。

 でも、他には何も思い浮かばねぇんだよ。

 酔っぱらっちまってるしさ。

 シェラは、しばらく何も言わなかった。

 頼り甲斐のない相談相手で、ホント申し訳無い。

「……そうですよね」

 呟きながら、シェラは立ち上がった。

 くるっと振り向いて、健気に微笑んでみせる。

「次に会ったら、ちゃんと言います。怒られちゃうと思いますけど、仕方ないですもんね」

「そっか。うん、大丈夫だ。あのバカがお門違いに腹を立てやがったら、俺がぶん殴ってやっから」

 まぁ、実行は絶対無理な訳ですが。

「そんな。それじゃ、あべこべですよ」

 シェラがふふっと顔をほころばせて、その日の相談——になってねぇけど、とにかく会話は、それで終わったのだった。

 その後は、マグナとリィナの喧嘩に巻き込まれて、自分の悩みどころじゃなかっただろうな。可哀想によ。いや、俺も原因の一端な訳だからして、そんな他人事みたく思える立場じゃないんだけどさ。

 そして、今。

 黒々と流れる夜の川に視線を落としながら、俺は黙ってシェラの小さい体を片手で抱いている。

 時折吹く夜風が、シェラの細い金髪をなびかせて、俺の手をくすぐった。

 ぽんぽんと頭を叩いてやると、はぁっと溜息を吐く。

 今度は、安堵の方が勝っているようだった。

10.

「ありがとうございます……」

 シェラは礼を言うのだが、適切な言葉を何もかけてやれない俺としては、なんとも複雑な心境だ。

 それを口にすると、シェラはまた溜息を吐きながら、少し笑った。

「こうしてもらえるだけで、充分です……ちょっと、変なこと言ってもいいですか?」

「なんなりと」

 僅かに躊躇の間があった。

「あの……ヴァイスさんにこうしてもらえると……安心します。私が——その、見た目と違うこと、もうずっと知っててくれてるから、勘違いしてるんじゃないかって心配しなくていいですし、バレちゃうんじゃないかってビクビクしなくてもいいし……」

 自分の言葉で改めて認識したのか、シェラはおかしそうに含み笑いを漏らした。

「あ、やっぱりビクビクしてたんですね、私。次は、ちゃんと言わなきゃ」

 返事をする代わりに、俺はシェラの頭を撫でた。

「だから、すごく安心します。私がどうとか……性別とか関係なくて、どっちでもなくて、素のままの私でも大丈夫なんじゃないか……みたいに……ごめんなさい、変なこと言って」

「いや、いいよ。ちょっとは役に立てるんなら、俺も嬉しいし」

 言われてみれば、普段はそれほど男とか女とか意識してないかもな。シェラはこういうモンだっていうか。

「ごめんな。なんか、あいつらの喧嘩を押し付ける格好になっちまって」

「いえ、それはいいんですけど……あ、そうだ」

 不意に、シェラは口調を変えた。

「この前、言うの忘れてました。すみません。私達がロマリアに泊まってた同じ日に、あのフードの人も同じ宿屋さんに泊まってたみたいですよ」

「へっ?」

「フゥマさんが言ってました——って、今さら教えても、意味無いですよね。あ、でも、ヴァイスさんが頼んでたエルフ達のことは、ちゃんと報告しておいたって言ってました」

 確かに、今更言われてもどうしようもないんだが。ばったり顔を合わせなかった幸運を、喜ぶくらいがせいぜいかな。

 それきり、この件について考えることが無かったのは、背後でじゃりっと石を踏む音がした所為だ。

「そんな意味分かんねぇ話、どうでもいいからさ」

 振り向くと、若い男が立っていた。ついさっき、俺を嫉妬の目つきで睨みつけていた——確か、ストラボとかいう若造だった。

11.

「それより、さっきの話。なんか、ヘンなこと言ってなかった?」

 こいつ、後をつけてやがったのか。

 腕の中で、シェラがびくりと震えた。

「お前には関係ねぇよ」

 面倒臭そうに返事をしてやると、ストラボは足早に近づいてきた。

「ねぇ、バレるって、ナニ?俺、なんか勘違いしてんの?」

 半分想像がついているのか、これまでとは全然違う、恫喝に近い目つきでシェラを睨みつける。

 こいつに、そんな目を向けるんじゃねぇよ。

「しつけぇな。お前には関係ねぇって——」

「いいんです、ヴァイスさん」

 俺の言葉に被せて、シェラが口を開いた。

 いや、そりゃこいつには、はっきり言っておいた方がいいのかも知れないけどさ——この時、シェラを止めなかった事を、俺は後悔する。

 俺の腕をほどいて、一度俯いてから、シェラは真っ直ぐにストラボを見上げた。

「あの、私、男なんです」

 瞬間、ストラボは動きを止めた。

「……はァッ!?」

「さっき言ってたのは、その事です」

 シェラは俯きそうになるのを、凝っと堪えているように見えた。

 我慢して、そのまま正面からストラボを見詰め続ける。

 それが気に喰わないみたいに、ストラボは顔を歪めた。

「ンだよ、それ……」

 いきなり、シェラの胸倉を掴みあげる。

「ナニそれ、ウソだろ!?」

「やめろ」

 俺は、ストラボの腕を強く握って押さえつけた。

「……マジかよ」

 ちらりと俺に視線をくれて、シェラに戻す。

「手前ぇ、俺を騙してやがったのか!?」

 馬鹿が、デケェ声を出すんじゃねぇよ。

12.

「お前が勝手に、勘違いしてただけだろうが」

 ストラボの手を振りほどこうとして、力を込める。

「俺が悪いってのかよ!?」

「いいから、離せよ」

 くそ、こいつは剣士だったか。けど、駆け出しだろ。こんなヤツすら引き剥がせないとは、情けねぇぞ、俺。

「ごめんなさい……」

 胸倉を掴まれたまま、シェラがとうとう目を伏せた。

 いいよ。お前が謝る必要ねぇって。

「チッ」

 ストラボは舌打ちをして、胸元を掴んでいた手を開いた。

「離せよ。痛ぇな」

 俺が離した途端に、シェラを突き飛ばす。

「あッ」

 シェラは、座っていた石の上に倒れ込んだ。

「手前ぇっ!!」

「へっ、なに謝ってんの?意味分かんねぇ」

 立ち上がった俺から身を翻して、ストラボは半笑いを浮かべた。

「そっちこそ、なンか勘違いしてんじゃねぇの。すっげぇメイワク」

 川原に唾を吐き捨てて、憎々しげに言う。

「じゃあお前ら、男同士で抱き合ってたのかよ。バッカじゃねぇ。オカシイんじゃねぇの?ヘンなモン、見せんなよな」

 わざとらしく吐く真似をしてみせて、キャンプの方へと足を向ける。

「手前ぇ……」

「おお、怖ぇ。魔法喰らっちゃ堪んねぇや」

 俺はほとんど本気で魔法を唱えるつもりでいたんだが——

「ヴァイスさん、駄目!」

 後ろからシェラの声が聞こえて、その隙にストラボは小走りに逃げ去ってしまった。

 くそ、あの野郎——いや、あんな小僧、どうだっていい。

 それより、シェラだ。

 見ると、倒れた拍子に打ちつけたのか、額から少し血が流れていた。

13.

「大丈夫か?」

 ヒデェことしやがる。

「あ、大丈夫ですよ」

 シェラは、身を起こして呪文を唱える。

『ホイミ』

 おどけて、人差し指を立ててみせた。

「ね?全然、なんでもないです」

 精一杯の笑顔を浮かべる。

 呼吸が詰まった。

 大丈夫かっていうのは、怪我のことだけじゃなくて——

 声をかけようとして、躊躇った。

 何を言っても、さっきのことを蒸し返しす結果になる気がして。

 わざわざ触れない方がいいんだろうか。

「うん」

 結局、俺はそれだけ言って、あちこち服をまさぐった。くそ、拭くのに都合のいい布きれとか、持ってねぇよ。

「あ、だいじょぶです。持ってますよ」

 俺がおたおたしている間に、シェラは隠しからハンカチを取り出して、額の血を拭ってしまった。

 今度から、ハンカチくらいは持ち歩くようにしよう。

「……バチが当たっちゃいました」

 そう言って、シェラは自嘲するように笑った。

 フゥマのことか——そんなこと——そんなんじゃねぇだろ。

 だが、口を開こうとした俺を制するみたいに、シェラは勢いをつけて石から立ち上がった。

14.

「それじゃ、私、そろそろ戻りますね」

 なんでもない口調で言う。

「すみません、なんか、ヘンな誤解されちゃったみたいで」

 シェラは、ちょっとはにかんでみせた。

「後で、私から説明しておきますから」

「いいよ、そんなことしなくて……」

 言葉にならない感情が、喉の奥でつかえる。

 俺は、声を絞り出した。

「あいつとは、二度と口利くなよ……近付くのもダメだ」

「でも、それじゃ、ヴァイスさんが……あの、大丈夫ですから。私が悪いんです。私が最初から——」

「いいから!」

 シェラはびくりとして、俺から目を背けた。

 ああ、ごめん。違うんだ。

 俺の気持ちなんて、どうだっていいのに。

 俺は、シェラを抱き締めようとして——できなかった。

 シェラの佇まいが、それを拒否しているように感じてしまって。

『そういうの、いいですから』

 抱き締めても、きっとさっきみたいには安心してくれない。

 そんな気がした。

「送るよ」

 俺は、溜息を堪えてシェラを促した。

 なんでもなかった事にして——これで良かったのか分からない。

 やるせない想いが、胸に渦巻いていた。

15.

 だが事件は、何事も無く終わりはしなかった。

「ヴァイス、行くわよ!」

 その日も、川沿いの道端で隊列を止めて、夕飯の仕度をする煙があちこちから上がる頃合に、怒り心頭といった感じのマグナが足音も荒くドカドカやって来て、いきなり俺を怒鳴りつけた。

 必死に手を引いて止めようとするシェラに構わず、マグナは隊列を避けて森へ分け入っていく。

「いちおう、自分のフクロを持ってきといてよ」

 なにやらリィナも、かなり腹を立てている様子だった。マグナ程あからさまではないものの、珍しく怒りの色が表情に見て取れる。

 フクロは普段から腰に吊るすようにしてるので、俺はそのままリィナの後について、マグナ達を追いかけた。

 隊列が見えないくらい遠ざかったところで、シェラは地面に半分しゃがみ込むようにして、ようやくマグナを引き止めた。

 そのまま、二人で言い合いをはじめる。

「——マグナさん、いいですから。私、大丈夫ですから」

「冗談じゃないわ!あんなトコ、もう一瞬だって居たくないわよ!」

「だって、こんなところで隊商から抜け出しちゃって、この後どうするつもりなんですか!?食べ物の持ち合わせだってほとんど無いし、道だってよく分からないし、それにここまで一緒に来たのは、盗賊団がいて私達だけじゃ危ないからですよ!?」

「そんなの……どうにだってなるわよ」

「なりませんよ!落ち着いてください。私なら、ホントに大丈夫ですから」

 嫌な予感を覚えつつ、俺はリィナに事情を尋ねる。

「なにがあったんだ?」

 リィナは、言い難そうに口を開いた。

「あのね……シェラちゃん、同じ馬車の女の人達に、いじめられてたんだよ」

「リィナさん!」

 叫んだシェラを手で制して、俺は先を促す。

「シェラちゃん、可愛いし、よく働くでしょ?だから、爺ちゃん——あ、フェリクスっていう一番偉い爺ちゃんね。その人に気に入られちゃって。お付きの女の人達は、それが面白くなかったみたい」

 荷駄隊のことは関知してなかったが、そんな事になってたのか。

16.

「その人達の仕事まで押し付けられちゃったり、他にも隠れて色々イジワルされてたみたいで……ボクもマグナも、最初は気付かなくて……ごめん……」

 言葉を濁したのは、お互いの喧嘩に気を取られていた所為もあったからだろう。

 シェラはシェラで、こいつの事だから、二人に分からないように苛められていたとしたら、余計な心配をかけたくないとか変に気を回して、自分から話そうとはしなかったに違いない。

「おかしいなって思ってからは、気をつけるようにはしてたんだけど……なんかやっぱり、スゴいよね。女の人のイジワルって。コソコソしてて、何してくるか分かんないっていうか……」

「それだけじゃないわ!!」

 マグナが怒声をあげた。

「あいつら、さっき……」

 歯軋りの音が聞こえるくらい、口惜しそうに歯噛みする。

「……気持ち悪いって言ったのよ!?シェラのこと!?許せる訳ないじゃないっ!!」

「でも……しょうがないですよ。黙ってたこっちが悪いんですから」

 宥めるシェラを、マグナはヒドく悔しそうに見詰めた。

「なんで、そんなこと言うのよ……仕方ないなんて言わないでよ……」

 つまり、こういう事だった。

 シェラが男だということが、他の女共に露見してしまったのだ。

 そうと分かれば、同じ馬車には置いておけない。女共は、ここぞとばかりにシェラを追い出しにかかったらしい。フェリクスを説き伏せて、俺と同じ護衛の本隊に移動させることが決まったと、ついさっき告げられたのだという。

 吹聴して回ったのは、もちろんあの腐れ小僧——ストラボに違いない。あの野郎、まず手始めに女共に告げ口しやがるとは、ずいぶん根性悪い真似してくれんじゃねぇか。

「大丈夫ですよ、マグナさん。ホントは、最初からこうしなきゃいけなかったんですし、それに、向こうにはヴァイスさんも居ますから。心配ないです」

「なんでシェラが、あたしを慰めるのよ……あんなこと言われて、悔しくないの!?」

「そりゃ、気にならないって言えば、嘘になりますけど……あの人達にしてみれば、当たり前の事を言ってるだけだと思いますし……」

「そんな風に、簡単に納得しないでよ!!お願いだから!!」

 マグナは、シェラの両肩に手を置いてガクガク揺する。

17.

 激昂と表現していいくらい、マグナは腹を立てていた。

 リィナも怒っていたが、それは半ば自分に向けられたもののように思えた。

 俺も、同じだった。昨日シェラを止めなかったことを悔やんでいたし、手前ぇの馬鹿さ加減に落ち込んでもいた。

 昨夜、シェラが俺を頼ってきたのは、他の女共に苛められていたのが原因だったんだ。それで疲れちまって、少しだけ自分を休めたくて——

 あいつが自分から言う訳ないんだから、俺が察してやらなきゃいけなかったのに、まるで気付いてやれなかった。

 直情的に憤りを顕わにするマグナが、少し羨ましかった。俺も、そうするべきだったんだ。余計なことばっか考えてないで。

「と、とにかく、私は大丈夫ですから。ヴァイスさん達の方に、馬車を移ります」

「……嫌よ」

 短く答えたマグナに、シェラは苦笑を浮かべる。

「最初から、そうしなきゃいけなかったんですってば。だって、私は男なんですから。マグナさん達に、ずっと女の子みたいに接してもらってたから、甘えて自分でも勘違いしちゃってました。ごめんなさい」

「……なによ、それ。甘えていいのよ!?」

「いえ、もう充分、甘え過ぎちゃってます。そんなことより——」

 シェラは冗談めかした顔つきで、マグナを睨みつけた。

「マグナさんもリィナさんも。いい加減に、仲直りしてくださいね?」

 痛いところを突かれた、みたいな顔をマグナは浮かべた。

「そ、そんなの——それこそ、シェラが心配することじゃないのよ。あたし達、別にもう喧嘩なんてしてないんだから。ね、リィナ?」

「うん。だって、最初っから、マグナが一人で怒ってるだけだもん」

「ちょっと、何言ってんの!?あんたが、いちいちしつっこいから……」

 マグナは途中で無理矢理口を閉じて、大きくひとつ深呼吸をした。

「……分かったわよ。ちゃんと話せばいいんでしょ」

「うん。そうしなよ」

 リィナは後ろからシェラの肩越しに腕を回して、首の辺りを抱き締めた。

 それを見て、マグナはぼそぼそと呟いたと思うと、軽く自分の頭を拳で叩いて、ぎろりと俺を睨みつけた。

18.

「ヴァイス」

 はい?

「ちょっと来て」

 そのまま、さらに森の奥に歩を進める。

「リィナ!シェラをお願いね!」

「あいよー」

 このやり取りの雰囲気は、マグナの語気こそ荒いものの、喧嘩をする前の二人に近かった。どうやら、お互いに仲違いしている場合じゃないとは思っているらしい。

 問題は、俺だ。一体、何をされるんですか。

 声が届かない辺りまで離れて、マグナは俺を振り向いた。

 なにやら少し困った感じで、俺を睨みつける。

「……勘違いしないでよね」

 そう切り出した。

「あたしとリィナは、別にあんたなんかの事で喧嘩してたんじゃないんだから。ただの、ちょっとした行き違いっていうか……別に、リィナが嫌いになった訳じゃないし、今だって大好きなんだから」

「ああ、分かってるよ。リィナもきっと、同じ気持ちだろ」

「わ、分かったようなこと言わないでよ!!」

 自分で言っといて、なに照れてんだ、こいつ。

「とにかく!」

 マグナは、大声を出して仕切り直した。

「今は、シェラのことを一番に考えてあげたいの。あたし達が、ぎくしゃくしてる場合じゃないのよ」

「同感だね」

「だから……その……お互いに色々話して、誤解をといておいた方がいいかなって……」

「誤解?」

「もしあったらって話!!じゃあ、あたしから言うわよ!?」

 間を恐れるみたいに、マグナは急いで言葉を続けた。

「あのね、あたしとアルスのこと、あんたはどう思ってるか知らないけど……っていうか、あんたにどう思われても別に構わないんだけど……」

 いやあのな。だったら、わざわざ言う必要ねぇだろ。

「あ、あんたが思ってるようなことなんて、何もなかったんだから!?そういうんじゃないの!!分かった!?」

 支離滅裂だ。

「よく分かんねぇ」

「なんで分かんないのよっ!?だから、そういうんじゃなくて、なんであたしもあの人があんなに気になるのかよく分かんないんだけど、とにかくそういう気持ちとはちょっと違うの!!分かるでしょ!?」

 こんな際だが、俺は思わず笑いそうになった。必死で訳の分かんねぇこと言い募るマグナが、おかしくてさ。

19.

「要するに、あいつのことは、別に好きじゃねぇって言いたいのか?」

 マグナは、軽く息を飲んだ。

「っ——なに恥ずかしいこと言ってんのよ!?」

「違うのか?まぁ、ぽわ~っとした目つきであいつのこと見てたしな」

「だって——もぅ、いい!!分からないなら!!」

 拗ねてそっぽを向くマグナ。

 ちょっと反省する。まぜっかえしてる場合じゃねぇだろ、俺も。なんでこいつを相手にすると、こうなっちまうかね。

「いや、分かったよ。あいつとは何も無かったし、なんか知らんが気にはなるけど、別にあいつのことを好きって訳でもないんだろ。了解だ」

 マグナは、まだ拗ねた目をして、伏目がちに俺を見た。

「分かったんなら、さっさとそう言いなさいよ——じゃあ、今度はそっちの番」

「え?」

「だから……あたしは別に気にしてないんだけど、あのコが聞けってうるさいから……」

「なにがよ?」

「だからっ!!……あの日、リィナと何してたのよ」

 何って……どう答えりゃいいんだ。

「リィナに聞いてないのかよ」

「だってあのコ、適当なことばっかり言って、何がホントか分かんないんだもん。問い詰めても、だったらあんたに確かめればいいってはぐらかすし……」

 唇を尖らせる。

「何してたって言われてもなぁ……犬を探し歩いて、その後酒を飲んだだけだぜ」

「は?犬?」

「うん、まぁ、事細かに話してやってもいいけど……何が聞きたいんだ?」

「……それはつまり、何も無かったって言いたいの?」

「まぁ、そうかな」

「じゃあ、なんでリィナはあんな服着てたのよ」

「へ?」

 あいつら、そんなことも言ってなかったのか。

 どうしたモンかね。俺が勝手に喋っちまってもいいのかな。

「なによ。何も無いなら、言える筈でしょ」

「あ~、その、なんだ。怒んなよ?」

「別に、あんた達が何しようと、あたしが怒る訳ないじゃない」

 そういうことじゃないんだが。

20.

「いや、あのな……あの日、こっそりお前の後をつけてたんだよ、俺達全員で」

「……はぁ!?」

 俺の告白は全くの予想外だったらしく、マグナは目を丸くした。

「それで、いつものカッコじゃ目立ってバレちまうからってんで、リィナはあんな服を着てたってわけでさ」

「あ、後をつけてたって、それって——えっ!?あんた達、まさかずっと見てたの!?」

「いや、ずっとじゃねぇよ。最初に入った飯屋までだ。その後は、いちおう俺が、もう止めようぜって終わらせたんだからな。そもそも、言い出しっぺはリィナだしよ」

 なにやら情け無い言い訳をしてますが。

「最初の——その後は、見てないのね?」

「なんだよ。やっぱり、見られたらマズいことでもしてたのか、あいつと?」

「ち、違うわよ!!さんざんあんたの悪口とか言ってたから、それを聞かれないでよかったってだけなんだから!!」

 今それを言ったら、おんなじだと思うんだが。

「じゃなくて、なんでそんな事したのよ!?なんで、隠れてコソコソ……なによ……心配、だったの?」

「あ、いや……」

 まさか、あいつらが面白がって、とは言えねぇしな。

「あの日、あんたとリィナが二人でいたのは……あんたがムシャクシャしてたから、慰めてあげてたって、リィナは言ってたわよ」

「はい?」

「意味分かんなかったけど……なんで、ムシャクシャしてたのよ」

「あいつがそう言ってるだけだろ。よく分かんね」

「あたしが、あの人と出掛けたりしたから……?」

 マグナは俯きながら、小声で呟いた。

 俺は——いきなり追い詰められた気分になった。

 どう答えりゃいいんだ。

 つか、こんなことしてる場合なのか。いや、俺達がぎくしゃくしてる場合じゃねぇんだよな。そりゃ分かってる。どの道、話はしておかなきゃいけなかったんだ。

 マグナを見る。俯いたまま、凝っとして動かない——真面目に答えてやらないと駄目だよな。

21.

「まぁ……ちょっとは、そういうトコもあったかな」

 ぴくりと動いたマグナが喋り出す前に、慌てて付け加える。

「アレだろ、だって、どこの誰とも分かんねぇ怪しい男に、ほいほいくっついてくお前の無用心さがだな、リーダーとしてどうなんだっていうか……」

 駄目だ、俺は。

「あの人は、怪しくなんかないわよっ!!」

「おーおー、肩持っちゃって。やっぱり、なんかあったんじゃねぇの?」

「なんにも無かったって言ってるでしょ!?」

「俺達だって、なにも無かったんだよ!」

 いかん、何を興奮してるんだ。なんで俺とマグナが、こんな言い合いしてんだよ。そんな場合じゃねぇだろっての。

「つまり、なんだ。お互い何も無かったってことで、その……手を打とうぜ」

 マグナは、自分を落ち着かせるように、深く息を吸ってゆっくりと吐き出した。

「……まぁいいわ、それで。別にあんた達に何かあったって、あたしには関係ないけど」

 こいつも、大概だな。

「ホントに、リィナは適当なことばっかり言って……後をつけてたのも、許せないわ。後で、とっちめてやらなきゃ——っていうか、あんたがそんなバカなこと、最初っから止めてれば良かったのよ」

 そりゃすいませんでしたね。

「でも、そんなのは後回し。今は、シェラのことよ」

 関係無いやり取りで興奮していた自分に罰を与えるように、マグナは自分の頬を叩いた。

「あのコ、絶対無理してるのよ。平気な筈ないのに……」

「ああ」

「ヘンに頑固なところがあるから、このまま隊商と別れるって言っても聞きそうにないけど……ヴァイス、お願いね。そっちに行ったら、あのコを守ってあげて」

「分かってる」

 マグナは、額を掌で押さえて溜息を吐いた。

「なんで、あんなこと言うんだろ……」

 その時のことを思い出したのか、マグナの声に深く怒りが滲んでいく。

22.

「なんで、あのコがあんなこと言われなきゃいけないのよ。なんで……」

 俺の袖を掴んで、ぐいと引っ張った。

「……あたし、悔しいよ、ヴァイス」

 袖を引いた手に、力が篭る。

「シェラは仕方ないって……そりゃそうかも知れないけど……でも、ホントにそうなの?だとしても、あんなこと言わなくたっていいじゃない!!なんで……ダメ。やっぱり、納得なんてできない。悔しい……」

 千々に乱れた内心の吐露。

「あのコはただ、そうありたいって思ってる自分で居るだけじゃない……なんで……それをなんで、周りから色々言われたり、否定されなきゃいけないのよ!?」

 悲痛に歪んだマグナの顔を見ながら。

 まるで自分自身のことを言ってるみたいだな——そう思った瞬間、俺は唐突に得心がいった。

 迂闊なことに、これまで全く気付かなかったが、マグナとシェラは、良く似てるんだ。いや、性格とかじゃなく、置かれた境遇に通じる部分がある。

 周り中から望まれて、勇者を演じていたマグナ。

 誰からも望まれることなく、女の格好をしていたシェラ。

 表面的には正反対だが、己がそうありたいと願った自分を許されなかったという意味では、どちらも同じなのだ。まるで、鏡像みたいに。

 言葉にしてそれを理解していたとは思わないが、おそらくマグナは出会って間もない頃から、それを感じていたんじゃないだろうか。今になって思えば、だからこそ早々と、シェラを完全に女の子扱いしていたのではなかったか。

 自分が押し殺され、否定される苦しみが、身に染みて分かっていたからこそ。

「そもそも、あいつらに何も迷惑なんてかけてないでしょ!?それどころか、あいつらがシェラに迷惑かけてるんじゃないっ!!なんで、こっちが顔色窺わなきゃいけないのよ……ズルく示し合わせたりして……なによ……なんなのよ……あいつらの方が、人数が多いってだけでしょ!?」

 泣いてはいない。だが、それ以上に辛そうな表情で、マグナは唇を噛んだ。

23.

「悔しいよ、ヴァイス。あたし、悔しいよ……」

 やるせない。マグナの言葉に、俺の大部分は同調しているんだが、歳を重ねて小利口になった、俺の残りが囁く。

 世の中って、そういうモンだぜ。程度の差こそあれ、思い通りに生きてるヤツなんて、誰もいやしねぇんだ。どいつもこいつも、世間だの「人数が多い」方におもねって、自分を曲げてどうにかこうにか生きてるんだよ。

 こういうつまんねぇこと言う自分、俺、大っ嫌い。

 だからやっぱり、せめてこいつには、真っ直ぐなままでいて欲しいんだ。必死にずっと隠して守り通した自分を、最後まで曲げることなく、さ。

「大丈夫だ。シェラのことは、俺に任せとけよ」

 気が付くと、俺はマグナの体に軽く腕を回していた。

 ホントはシェラを、昨日こうして抱き締めてやるべきだったんだ。

 しょうもねぇな、俺は。ごちゃごちゃ考えるばっかりで。

 いくら二人を重ねたところで、昨日をやり直したことにはならないってのによ。

「うん……お願いね……」

 マグナはぎゅっと、俺の服を握った。

 しばらくして、衝動が去ってみると、なんだか急に照れ臭くなった。

 こんな時に何をしてんだ、俺は。

 誤魔化すように、マグナの頭をぽんぽん叩いて身を離しかけ、ふと気付く——

24.

「あれ?」

「え?」

 マグナが、俺を見上げた。

「お前、髪切ったか?」

「は?」

 場違いな台詞に、一瞬、呆気に取られたマグナは、不謹慎だと自分に言い聞かせて笑うのを堪えてるみたいなヘンな顔をしたかと思うと、すぐに俯いて吹き出した。

「っぷ……くっ……ダメ、何笑ってんのよっ!!」

 自分で自分を怒鳴りつける。

「ヴァイスがヘンなこと言うからよ!?」

 いや、俺も言うつもりはなかったんだが、つい。

「あのねぇ、あんたね、今さら何言ってんのよ?あたしが髪切ったの、ロマリアを出る前の日だから、もうずっと前よ?」

 そりゃそうだよな。いや、最近、お前の顔をまともに見てなかったからさ。

 それに、切ったと言っても、鎖骨の下辺りまで伸びていた毛先が、鎖骨の辺りになっただけだ。整えたと言った方が正確かも知れない。

「そんなんじゃ、あんたと会ってから髪切ったの、これが二回目だってことにも気付いてないでしょ」

「え、そうなのか?」

「やっぱりね。最初にロマリアに着いた時にも、切ってたんだから。どうせ、そうじゃないかと思ってたけど!」

 マグナは、呆れたように言うのだった。

 うるせぇよ。お前の切り方が、微妙過ぎるんだ。逆に、今回気付いた事を誉めて欲しいぜ。

「そんなことより、シェラのこと。ホントに、お願いよ」

 マグナは身を離して、憂いを浮かべた瞳を俺に向ける。

「ああ、分かってる。ちゃんと守るよ」

 そんな不安そうな顔するなよ。頼りないとは思うけどさ。

「お願いね」

「ああ。そっちは、リィナと仲直りしとけよ」

「う、うるっさいわね。分かってるわよ。元々、別に喧嘩って訳でもなかったんだから、言われなくたって——ほら、戻るわよ!」

 ぶつくさ言って歩きはじめたマグナの後について、俺はシェラ達の方に戻った。

25.

 俺は半ば強引に、シェラを同じ馬車に配置させた。

 護衛頭のバロウは、当然のようにシェラを自分の馬車に同乗させようとしやがったが、ちょっと脅してやったら泡食って前言を翻した。縁者の威が通じないヤツには、てんでビビりな野郎だ。

 当たり前だが、本隊の連中にも話は広まっていたので、それからのシェラの生活は一変してしまった。

 相変わらず、シェラは連中の洗い物をしてやったりしていたが、前回までのようにわざと取りに行くまで待っているのではなく、洗濯物はキャンプの端の方にぞんざいに詰まれるようになった。

「他に洗うものありませんかー」

 シェラが元気に声をかけても、ああ、とか、おお、とか煮え切らない返事がちらほら戻ってくるだけだ。

「急なことだから、どういう態度を取っていいのか分からないんですよ」

 いつもの事です、とシェラは言うのだが、俺は気に喰わないね。ちょっと前まで、ちやほやしてやがった癖によ。シェラ自身は、何も変わっちゃいねぇんだぜ。

 こんなこと考えたくもないんだが、まるきり珍獣や見世物でも眺めるみたいな——

 だが、態度の曖昧なヤツらは、まだマシだ。男だとバレる以前に、すけべったらしい目つきを向けてたバカ共は、もっとムカつく。

 その頃とはまるで異質な、もっと下世話であからさまな興味本位の目つきというか——表現としては、どちらもいやらしいという事になるんだろうが、女に向けるそれとは明らかに違う。

『女の子として見てくれる訳じゃないです』

 エルフの森の洞窟で、そう呟いたシェラの気持ちが、少しだけ分かった気がした。

 なにより最も許せないのは、腐れ小僧のストラボだった。

「おら、これも洗っとけよ」

 ぞんざいな口振りで、シェラの顔に手前ぇの下着を叩きつけたのを目にした時は、頭がおかしくなりそうだった。

 必死にシェラに止められて、結局ぶん殴ってやれなかったのが悔しくて仕方ねぇ。

 腐れ小僧の分際で、シェラに粉かけようとしてやがったのは、本隊の奴らは皆知ってる周知の事実だからな。未だに他の連中に、それをふざけて冷やかされるのが我慢ならないらしく、事ある毎にシェラを悪し様にこき下ろしてやがるのも許せねぇ。

26.

 マジで、魔物との戦闘中にでも、事故に見せかけて魔法を喰らわせてやろうかと思ってるんだが、野郎は小狡く立ち回って、そういう時は決して俺の側に寄ろうとはしなかった。

 この腐れ小僧を除けば、表立って何かヒドいことをされる訳ではない。前とほとんど変わらない態度で接してくるヤツも、居ることは居る。

 だが——

 雰囲気——シェラを囲む空気は、まるで別物になっていた。

 なんなんだ、これは。こんなに、変わるモンなのかよ。

 別に気にしてないよとうそぶく奴らですら、言葉とは裏腹に、シェラを見る目に——なんというか、上手く言い表せないのがもどかしい、得体の知れない妙な含みがある。

 俺もこいつらと同じ立場だったら——単なる護衛の一人として、たまたま同じ隊商に居合わせただけだったら。

 やっぱり、どういう態度を取っていいか分からずに、意識的に距離を置いて、遠くから妙な眼差しを向けていたんだろうか。そう考えて、少し落ち込んだ。

 どう考えても居辛い筈なのに、シェラは努めて前と変わらず振舞っていた。見ていて辛い。こんな隊商なんかに、参加するんじゃなかったぜ。自分を憎んじまいそうだ。

 俺は、出来るだけシェラの側に居るようにした。シェラにしてみれば、もしかしたら鬱陶しいぐらいだったかも知れないが、無遠慮な視線や言葉から守ってやりたかった。

 常に目が届くように、どこにでもついていって、馬車の中で寝る時も、他の奴らとなるべく離れて隣りで眠った。

 隊商宿に泊まった際にも、連中と一緒の雑魚部屋ではなく、二人で馬車の中で眠った。

 マグナ達とも、ちょくちょく顔を合わせるようにした。やっぱり四人で居ると、シェラも落ち着くみたいだしな。

 シェラは、マグナとリィナが仲直りしたことを喜んでいた。マグナは、ちょっと照れ臭そうだった。マグナがいちいち他の女につっかかって大変だとリィナが溜め息を吐いて、あんたはハナから無視してるだけじゃない、とやり返されていた。

 何日か経つにつれ、以前と変わらないシェラの振る舞いは、少しづつ周りに変化を及ぼした。それまで曖昧な態度を取っていた連中は、徐々に普通に接するようになった。

 それでも前とはどこか違っていて、やっぱり違和感は残っているものの、あからさまにおかしな目を向けるヤツは減っていた。

 だが、そんなのは俺の勘違いだった。

27.

 その晩——

 シェラを手伝って、夕飯の後片付けをしている時だった。

「なぁ、おい、聞いたぜ」

 そこらにだらしなく腰を下ろし、仲間内でだべっていた腐れ小僧——ストラボが、いつもは遠巻きに悪口をほざくだけだった癖して、なんのつもりかシェラに声をかけてきたのだ。

「無視しろよ」

 小声で囁いて、俺は皿を拾いながら、それとなくシェラを体で隠すように位置を変えた。

 腐れ小僧は、構わずに言葉を続ける。

「バロウさんに聞いたんだけどよ、お前みたいなのって、男のアレをしゃぶんのが大好きなんだって?」

 びくりと震えて、シェラが動きを止めた。

「しかもこれが、女より上手いんだってよ」

「へぇ、そうなんかよ」

「そりゃそうだろ。なんせ、手前ぇにもついてんだからさ。どこをどうすりゃイチバン気持ちいいのか、よく知ってんだってよ」

「ああ、なるほどねぇ。そりゃそうだわな」

 俺は、軽い思考停止状態に陥っていた。

 ごく普通の世間話をするみたいな。

 こいつらの気軽さに、唖然としてしまっていた。

 なんで、そんな事を平気で言えるんだ。

 こいつの目の前で。

 相槌を打ってるヤツにしても。

 聞いてるだけのヤツにしても。

 まるで悪いことだなんて思ってないみたいに——

「なんでも、咥えてっと自分が女になった気がして、嬉しいんだって?」

 ストラボは、嘲るように鼻を鳴らした。

「へっ、すげぇ変態だな」

 それを聞いた瞬間。

 思考がすっ飛んだ。

 頭にすげぇ勢いで血がのぼっているのに、妙に芯が冷えている。

 この野郎——

 こいつら——

 許さねぇ——

28.

『ベギ……』

「——ダメ!!ダメです、ヴァイスさん!!」

 俺の口は、シェラの手で塞がれていた。

 俺達の手から地面に落ちた皿が、派手な音を立てる。

「無茶です。落ち着いてください。お願いですから」

 俺の口を押さえたまま、シェラが宥めるような声を出す。

 なんでだよ。なんで、お前が——

「へっ、脅かすなよ。どうせあんたも、しゃぶってもらってんだろ?」

 この——クソがっ!!

「なんだよ、必死こいて独り占めしちゃってよ。別に取りゃしねぇって。いらねぇっての、そんなの」

 腐れ小僧。上等だ。手前ぇ、覚悟は出来てんだろうな。

「ダメですってばっ!!ヴァイスさん、こっち!!」

 片手で俺の口を塞ぎ、片手で俺の手を引いて、シェラは森の方へ俺を引っ張った。

「まぁでも、タマにゃお前も、違うモン咥えてみたいんじゃねぇの?どうしてもってんなら、俺のをしゃぶらせてやってもいいんだぜ」

「そういう事なら、俺もお願いしてぇな」

「じゃあ、俺はその次な」

 悪びれた風もなく——

 まるきり冗談みたいに——

「手前ぇらっ!!」

 シェラの手を払って振り向いた俺の耳に、弱々しい声が届く。

「お願いですから、行きましょう……ね?」

 それを聞いて、俺は——

 どうして——

 辛いのは、お前なのに——

 歯がゆさが突き抜けて、脱力してしまった。

「おい、どこシケ込む気だよ!いいけど、後で貸してくれよな!」

 囃し立てる声を背に、腕を引かれるまま、足を動かす。

 訳分かんねぇ。

 頭ん中、ぐちゃぐちゃだ。

 口惜しい。

 なんなんだ。

 なんで、あんな見下しきった態度と口振り——

29.

 もうシェラは、俺の口を塞いでいなかった。

 握った手が、次第に力を失う。

 篝火が——下品な笑声が遠ざかる。

 やがて、森の中で足を止めて、シェラは俺の手を離した。

 シェラは俺に背中を向けたまま、俺はシェラの細い背中を見詰めたまま、時間が過ぎていく。

 なんて声をかけたらいいのか分からない。

 違う。

 俺が怒ったり落ち込んだりしてる場合じゃねぇんだ。

 こいつの——シェラのことを考えてやらなきゃ——

「私なら、全然大丈夫ですよ?」

 俺が口を開こうとするのを待ってたみたいに、シェラがくるりと振り向いた。

 笑ってる。

 この前と同じように。

 精一杯。

「独りだったら、何をされるか分からなくて、怖かったと思いますけど……ヴァイスさんが一緒にいたから、平気です」

 無理だ。

 それを信じろっていうのかよ。

 俺に。

 あんなクソみてぇな台詞を、あのクソ共に吐かせちまったのに。

「ほら、私、何もされてないんですよ?全然、へっちゃらです」

 やめてくれよ。

 そんな、いつものことみたいな顔すんなよ。

「だから、今のことは、マグナさんには言わないでくださいね」

 なにを——

「言ったらきっとマグナさん、今度こそ出ていこうとするに決まってますから」

 微笑んだ。

 痛々しい。

「これ以上、私のことで、皆に迷惑かけたくないんです」

 まだ、そんなことを気にして——

 だから、俺を諌めたのか。

『ヘンに頑固なところがあるから』

 ああ、まったく同感だよ。

30.

「そんな顔しないでください。私なら、ホントに大丈夫ですから——」

 はにかんで、シェラは俺の顔を覗き込んだ。

「大丈夫な訳ねぇだろ……」

 俺は、シェラの腕に手を伸ばす。

 シェラは、それを拒むみたいに、背中に手を回した。

「平気です」

「そんな訳ねぇだろ……」

 なんで、そんな無理すんだよ。

「だって……」

 ちょっと目を伏せた。

「だって、どうしようもないじゃないですか」

 ぽつりと呟く。

「私……おかしいですから」

 だから。

 おかしいから。

 普通じゃないから。

 何を言われても仕方ないってのか。

 俺は、今日までシェラに向けられていた、妙な目つきの正体に思い当たる。

 優越感。

 自分はおかしくないから——

 だから、あんな気軽さで——見下した目つきで——

 うるせぇ。

 うるせぇよ——

31.

「あっ」

 俺は、無理矢理シェラを抱き締めていた。

 頭を抱えて、胸に押し付ける。

「ごめんな……」

「なんで……ですか。ヴァイスさんは、なにも……」

 全然守ってなんてなかった。

 こんな無理をさせてる自分がムカついてしょうがねぇ。

 今も、何も言ってやれない自分に腹が立つ。

 おかしくなんかないって。

 そんなこと、どうでもいいって。

 だって、言えないじゃねぇかよ!?

 こいつにとって、それがどうでもいい訳ねぇんだから!!

 ハナから理解するつもりの無い、妙な視線を向けられて——

 勝手な思い込みで、無遠慮な言葉を投げつけられて——

 あれが——シェラの居る場所。

 俺が適当なおためごかしを言ったところで、それが何になるってんだ。

 あいつらをぶちのめしてさえ、何も変わらない。

 シェラを囲む世界は、何ひとつとして変わらない。

 本気で思ってもいねぇ慰めを並べたところで。

 いくら気休めを口にしたところで。

 ただ——

「俺は、そんな風に思ってねぇから」

 それだけは分かって欲しくて。

「俺だけじゃねぇよ。マグナも、リィナも、お前がおかしいだなんて思ってねぇんだ」

 他の誰が何と言おうとも。

 どう思おうとも。

 それだけは言える。

32.

「だから、俺達の前では、平気そうな顔すんなよ。な?」

 シェラは、ちょっと目を見開いた。

 びっくりしてるみたいに。

「迷惑だってかけろ、いっくらでも。俺達には、かけていいんだよ」

「ぇ……」

 時間をかけて、俺の言葉を噛み砕いたように。

 ゆっくりと、顔がゆがむ。

「マグナも言ってたろ?甘えていいんだってさ」

 瞳に涙が滲んだ。

「だって、ほら、アレだ——」

 会話の都合上でも、誤魔化すのが目的でもなく。

 俺が大マジで、こんな台詞を吐く日が来るなんてな。

 アリアハンでへらへらやってた頃は、想像もしなかったぜ。

「お互いにさ、迷惑かけたり、許し合ったり、そういうコト出来んのが……」

 それが、さ。

「仲間ってモンだろ?」

「ふぐっ……」

 言ってから、ちょっと照れた。

「まだごちゃごちゃ言うつもりなら、お前は俺達のことを仲間だと思ってないって事になるんだぞ?」

 照れ隠しに、言葉を重ねる。

「それでいいのか?そうなのかよ?俺達は、お前の仲間じゃねぇのか?」

 一拍置いてから。

「ふっ……ふぐっ……ふえええぇぇ……」

 声をあげて、シェラは盛大に泣き出してしまった。

 ああ、ごめんごめん。責めたつもりじゃなかったんだ。よしよし。

 俺は慌てて、抱えた頭をぽんぽん叩く。

「あふっ……あぅっ……ふえええぇぇ……」

 なんか言おうとしてるみたいなんだが、言葉にならないみたいだ。

「ああ、うん、分かってるから。大丈夫だから。な?」

 俺も必死に、よく分からない返事をする。

 まぁいいや。この際、思いっ切り泣いちまえ。

 俺はしばらく髪を撫でながら、シェラがむせび泣くに任せた。

33.

 まったくよ。最初から、無理しねぇで泣いちまえばよかったのに。

 シェラ自身の問題は、何も変わっちゃいないんだけど。

 俺は、少しだけ安心していた。

 多分もう、俺達の前では、こいつは今までみたいな無理はしないだろう。

 性格的なモンは残ったとしても、変な遠慮はしなくなるだろう。

 そう思えた。

 少しは俺も、役に立ったのかな——いや、別に何もしてやれてないんだけどさ。

 あんなクソみてぇな台詞を聞かせちまって——これじゃ、マグナに怒られちまうよ。

 泣き疲れるまで、このまま抱き締めていてやりたかったんだが。

「うぷっ……ふううぅぅ……」

 シェラの顔を再び胸に押し付けて——ごめんな——辺りの様子を窺う。

 何か、おかしい。

 なんだ——地鳴り?

 近づいてくる。

 街道を挟んで、逆側の森の方だ。

「敵襲だぁっ!!」

 やがてどこかで、敵の来襲を告げる叫び声が上がった。

34.

「シェラ、大丈夫か?走れるか?」

 鼻をすすってしゃくりあげ、両手の甲で頬を拭いながら、シェラは健気に頷いた。

 ごめんな。さすがに、無視する訳にはいかねぇや。

「よし。マグナ達と合流するぞ」

 俺はシェラの手を引いて、マグナ達の馬車に走った。

 辿り着く前に、地鳴りの正体が知れる。

 小山みたいなゴリラの化け物が、わらわらと森から飛び出してきたのだ。

 おい、ちょっと数が多くねぇか!?十匹……二十匹近くいやがるぞ!?

 こんだけ群れてんのもおかしいが、篝火を怖れる様子がほとんど無いのもヘンだ。

 なんだ、こりゃ!?

 一体、何事だ!?

『ベギラマ』

 とりあえず、目に付いたゴリラ共に呪文を喰らわせる。

 そこらにいた護衛連中も、慌しく戦闘の準備をはじめていたが、ぎょっとしたように立ち竦むヤツもいて、あんまり当てになりそうもない。

 シェラが足をもつれさせた。

 息も整わない内に走らせちまったからな。

「すみません、もう大丈夫です。行きましょう!」

 何度か深呼吸をしただけで、シェラは気丈な目を俺に向けた。

 悪いな。こういう場合は、無理してくれて助かるぜ。

 俺は再び、シェラの手を引いて駆け出した。

 ほどなく、マグナ達の馬車に辿り着く。

 どこだ。

35.

「いた、あそこだ」

 リィナがとんぼを切って、ゴリラの顔面に爪先を叩き込んでるのが見えた。

 マグナも剣を握って斬りつけている。

 同じ馬車には、他にも女の冒険者が少しは乗っていた筈だが、そこらで戦ってんのがそうか。

 荷駄隊を護る為に、近くの馬車の護衛連中も、徐々に集まりつつある。

『イオ』

 広範囲攻撃呪文で、視界に入ったゴリラ共を弱らせる。

 特に指示をするまでもなく、リィナとマグナがそいつらを的確に倒していった。

 姿こそ似ているものの、このゴリラ共はルシエラが連れていた化け物よりも、随分と弱いようだ。

 他の連中でも、メラで弱らせたりして、数人がかりで割りとあっさり倒せていた。

「無事か?」

 ようやくマグナ達の傍らまで辿り着いた時には、戦闘は大分落ち着いていた。

 ゴリラの化け物を斬り倒して、マグナがこちらを振り向く。

「ヴァイス、遅いわよ。なにしてたのよ……ん?」

 眉根を寄せる。

「シェラ、どうしたの?なんか……」

 じろりと俺を睨みつけた。

「まさか、あんた。泣かせたんじゃないでしょうね?」

『イオ』

 俺は、残りのゴリラ共に呪文をあびせる。

「ちょっと、無視しないでよ」

 いや、お前。後にしろよ。

「よっと」

 だが、リィナが掌底で突き飛ばしたのを最後に、付近の化け物はあらかた片付いてしまった。

 まだ離れて数匹残っているが、他の奴らに任せてもなんとかなりそうだ。

「あの、なんでもないんですよ、マグナさん。えと、ちょっと転んじゃって……じゃなくてですね」

 首を竦めて、シェラは上目遣いを俺に向けた。

 うん、いいよ、誤魔化さなくても。仲間だもんな。うわ、恥ずかしい。

「バカに、ちょっとヒドいこと言わせちまってな……悪ぃ」

 マグナは、ますます眉根に皺を寄せて、俺を睨みつけた。

「なんの為に、あんたに頼んだと思ってるのよ。何でそんなコト言わせ——」

 自分も女共に言わせた事を思い出してくれたのか、マグナは語尾を濁らせる。

36.

「何よ?——大丈夫?何言われたの?」

 お前には言えないようなことだよ。

 シェラも、口篭る。

「その……」

「……そう。あたしには、言えないようなことなのね」

 うお、心を読むな。

「許せないわ……ちゃんと、ぶん殴ってやったんでしょうね?」

「……悪ぃ」

「違うんです。私が止めたから……」

 俺を庇うシェラを見て、マグナは嘆息する。

「誰?あたしが、ぶん殴ってやるわ」

「じゃあ、ボクも」

 お前は、止めとけ。死んじまうぞ。と思ったが、リィナもかなり腹に据えかねた顔をしていた。

 まぁ、俺が止めてやる義理は無ぇよな——つか、やっぱり俺も殴ろう。

——リィナの顔が、急に左右を向く。

「まだいるっ」

 リィナの鋭い喚起に続いて、あちこちで悲鳴があがった。

 篝火の炎が、黒づくめの人影を照らし出す。

 黒装束に黒マント、頭に黒い布切れを巻きつけた浅黒い顔の男達が、湾曲した刀を片手に次々と湧いて出た。

 これは——盗賊か!?

 混乱に乗じて——もしかして、こいつらがゴリラ共をけしかけたのか!?

「ふっ」

 リィナが黒づくめの一人を蹴り倒す。

 俺はシェラの手を引いて、近くの馬車に駆け寄り背中を預けた。

「なに?なんなのよ、こいつら!?」

 マグナは捌き難そうに、黒づくめが手にした曲刀と切り結んでいる。

 動きが悪い。人間相手で、躊躇いがあるのか。

「マグナ!!動きを止めるだけでいい!!」

 そう声をかけると、マグナは剣の腹で黒づくめの頭をぶっ叩いた。

 ああ、脚とか斬れって言ったつもりだったんだが。

 まぁ、いいか。

 多勢に押し包まれる前に、援護してやらねぇと。

37.

「ヴァイスくん、上!!」

 リィナの指摘で振り仰ぐと、幌の上から黒づくめが刀逆手に飛び降りてくるところだった。

 おい、ちょっと待て、コラ。

 俺は体ごとシェラを押し倒して身を躱し、呪文を唱える。

『ヒャド』

 危ねぇ。間一髪だぜ。

 あ、やべぇ。呪文を唱えちまった。

 マグナが囲まれちまう。

『バギ』

 真空の刃が、黒づくめ共を斬り刻んだ。

 マグナがそれを、端から剣でぶん殴っていく。

 俺が顔を向けると、シェラはちょっとだけ得意そうに微笑んだ。

 あー、なんか、すげぇ嬉しい。

 いやいや、娘の成長を喜ぶ親父みたいな、ほんわか気分に浸ってる場合じゃねぇよ。

 急いで立ち上がって、戦況を確認する。

 リィナがすげぇ。

 いや、凄いのは、元から分かってるんだが——今までと、なんか違うような。

 武術の事なんてよく分かんねぇから、上手く言えないんだが、ノッている、とでも表現すればいいんだろうか。

 あちこちから襲いくる、煌く曲刀の間隙を縫ってくるくるとリィナの躰が回る度に、黒づくめ共が片っ端から弾き飛ばされていく。まるで、小型の竜巻だ。近くで他の護衛連中と戦っていた黒づくめ共まで巻き込んでいく。

 俺が知ってるあいつの動きより、なんと言うか——出鱈目に見える。

 もっと、のびやかで——

 ただ思い通りに、好きなように全身を操っているというか。

 一瞬も止まることなく、上に下に横に縦に、くるくるくるくる回る。

 なんだか、気持ち良さそうだ——

 マグナを呪文で援護しながら、思わず見とれそうになった。

「うん。戻ってきた」

 手近に居た最後の一人を空中で蹴り飛ばして、回転しながら猫のように着地したリィナが、そう呟くのが聞こえた。

 だが、黒づくめ共はまだまだ数を残している。

 他の護衛連中が抑え切れなかった分が、次第に他所から押し寄せてくる。

 迎え撃とうと、リィナが身構えた時だった。

 何処から姿を現したのか——いや、降ってきたのか。

 リィナと黒づくめ共の間に、影が音も無く降り立った。

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