16. With You

1.

「ぐぇへっ!!げへっ!!」

 苦——っ!?

 なん——っ!?

 重——っ!?

 苦し——喉——吐く——!?

 なんでいきなり、俺は咳してんだ!?

 なんだなんだ、おい、なんだ!?

「おっはよー、ヴァイスくん!」

 白黒させていた俺の涙目が、霞んだ焦点をリィナの顔に結びはじめる。

 まだげへげへと咳き込みながら、俺はしこたま顔を顰めた。

「なんっ——なんなんだよ?」

「ほら、起きて起きて。早く用意しないと、間に合わないよ」

 間に合わない?何が?

 突如として叩き起こされ、ちかちかしていた俺の脳みそが、ようやく状況を把握しはじめる。つまり、宿屋のベッドでぐーすか眠ってた俺の腹の上に、いきなりリィナが乗っかってきやがったのだ。

 って、なんでこいつが、俺の部屋に居るんだ?

「鍵は——」

 しゃがれ声の俺に皆まで言わせず、リィナはけろりとした顔で答える。

「もちろん、外したけど」

 ああ、そうだった。こいつは泥棒を生業にできるくらいに、鍵開けが得意だったんだ、そういや。

「『外したけど』じゃねぇっての。いいから——」

 俺の上から下りろ。

 そう文句を口にしかけて、ふと思いつく。このままリィナをベッドに引き倒して、ちょっとだけアレな罰を与えてやろう。それくらいしても構わねぇだろ、腹の上に乗られた腹いせだけに。うん、まだ寝ぼけてんな、俺。

「およ?」

 掴んで引き込もうとした腕をするりと内側に滑らせて、リィナは俺の肩を押さえた。

「このっ」

 上体を起こして掴み直そうとしても、手を突っ張られて起き上がれない。

 腰を思いっ切り跳ね上げて、バランスを崩そうとしたんだが——

「よっ」

「ぐへっ」

 逆にすかされて、また腹にケツを落とされた。くそっ、こうなりゃ起き上がるのが先だ。

2.

 仰向けで押さえつけられていては埒が明かないので、うつ伏せになって四つん這いで身を起こそうと試みる。

「あ、そうきちゃう?」

 だが、くるっとうつ伏せになった途端に、するするとリィナの腕が首に絡みついた。

「あまーい」

「ぐぇっ」

 バカ、首絞めんな。苦しいっての。マジでマジで。

 リィナを背中に乗せてジタバタしてると、ギィと扉の開く音がした。

「あ、開いてる——おはようございます。すみませんけど、部屋を貸し……って、なにやってるんですか?」

 シェラか?このバカ、どうにかしてくれ。

「ボクの勝ち?」

 腕を緩めたリィナに耳元で囁かれて、俺は首を竦める。

「ああ、負けた負けた」

 勝負なんかしてねぇっての。

「へへ~。ボクの勝ち~」

 リィナはようやく俺の背中から下りて、シェラに親指を立ててみせた。こいつを力ずくで組み伏せるのは、一生かかっても無理そうだ。

「もう、なに言ってるんですか。早く仕度しないと、間に合いませんよ」

「あ、そっか。ほら、ヴァイスくん。早く起きて起きて」

 押さえつけてたお前が言うな、ったく。なんかすげぇ悪夢を見てた気がするんだが、お陰ですっかり忘れちまったよ。

「で、なんなんだ、これは?何が間に合わないってんだよ」

 俺はベッドから足を下ろして頭を掻き、欠伸をしながら尋ねた。

「リィナさん、説明してないんですか?」

「ごめん。そういえば、まだしてなかった」

 あはは、とか笑って誤魔化すリィナ。苦笑を浮かべたシェラは、抱えていた二つのフクロをベッドに置いて、俺を見た。

「あのですね、昨日からずっと、マグナさんの様子がおかしくて——」

 ロクに皿に手をつけもせずにぼーっとしていた、昨日の夕飯時のマグナを思い出す。

『ごめんね、さっきは』

 食事の最中に少しだけ我を取り戻したマグナに、そう言われたのだ。

『なんか、ぼーっとなっちゃって……あ、でも……そういうのとは、違うのよ?』

 よく分からないことを言って、またぼーっとするマグナを、シェラとリィナは不思議そうに眺めていた。

「——私達、晩ご飯を食べた後、先に部屋に戻ったじゃないですか?」

 俺は例によって、独り残って酒を飲んでいた。

「途中で、マグナさんが帳場の人に呼び止められたんです。言伝ことづてを預かってるからって」

3.

「で、その言伝っていうのがね——」

 なんのつもりか、リィナはにへっと俺に流し目をくれた。わざとらしく咳払いをして、ヘンに太い声で続ける。

「『この宿屋の前でぶつかった者ですが、よろしければお会いできないでしょうか。明日の正午に、大通りの噴水前でお待ちしています』」

 ここで、声を戻す。

「みたいな内容だったんだけど、ヴァイスくん、昨日マグナを送った時に、そのぶつかったって人見た?」

「……見たよ」

「男の人?」

「ああ」

『やっぱり!』

 声をハモらせて、リィナとシェラは顔を見合わせた。やたら嬉しそうだ。

「マグナさんのあの様子、やっぱりそうだったんですね!」

「なんか、ぽ~ってしてたよね」

「……で、それが俺が叩き起こされたのと、どう関係あるんだ?」

「分かんない?」

 リィナに尋ねられて、俺は考えるフリをした。

 まだ半分寝惚けているので上手く頭が働かず、実際は何も考えないまま首を横に振る。

「ニブいなぁ、ヴァイスくん」

 やかましい。

「だからね、後をつけるんだよ!」

 はぁ?

 リィナの高らかな宣言が理解できるまで、二、三拍くらいかかった。

「……それはつまり、マグナが逢い引きしてるトコを、こっそり覗きに行こうって事か?」

 俺の気の無い返事に、リィナは意外そうな表情をしてみせた。

「あれ?ヴァイスくん、興味無いの?」

「……誰が言い出しっぺだ?」

「ボクだよ?」

 リィナが手を上げる。

 俺は、無言でシェラに視線を移した。こいつまで、そんな話に乗っかるとは意外だな。

「あ、やっぱり良くないですよね、そうゆうの。でも……だって、マグナさんのあんな顔見たの、はじめてなんです……だって、だってですよ!?」

 なんか知らんが、シェラの瞳が輝き出した。

「あのマグナさんが、ですよ!?いくら男の人が言い寄ってきても、みもふたも無くバッサバッサ切り捨てる、あのマグナさんがですよ!?あんな顔しちゃう男の人なんて……どんな人だか、すごい興味あるじゃないですか!!」

 そうか。ロマリアではマグナと一緒に行動する事が多かったから、あいつがすげぇ無愛想に男を追い払うところを、シェラは飽きるほど目にしてるんだよな。

4.

「それにマグナさん、今、すっごい気合い入れて仕度してるんですよ!?あんなマグナさん、ホントにはじめて見たんですから」

「そうそう、すごい面白そう——じゃなくて、ヴァイスくん、心配じゃないの?」

「別に、心配じゃねぇよ」

 心配したって、馬鹿見るだけだぜ。

「またまた~。せっかく、誘いに来てあげたのに~」

 シェラが、勢い込んで尋ねてくる。

「どんな人でした?やっぱり、カッコいいんですか?」

「まぁ……そうね」

 なんか、説明すんのが面倒臭くなった。

「あれ?ヴァイスくん、ホントに乗り気じゃなさそうだね」

「行かないですか?」

 うん。なんか——気乗りしねぇなぁ。

 俺が黙っていると、シェラが言い難そうに切り出した。

「じゃあ、あの……すみませんけど、お部屋だけ、ちょっとお借りしてもいいですか?」

「部屋?なんで?」

 聞き返すと、シェラはリィナに微妙な視線を向けた。

「えっと、あの、なんていうか……リィナさん、この格好だと、見られたらすぐ分かっちゃうじゃないですか?」

 まぁ、この街で道着姿の女なんて、まず他にお目にかからないからな。遠目でも、マグナにバレちまう可能性はあるな。

「だから今日は、普通の服を着てもらおうかと思って。でも、あっちの部屋で着替えたら、マグナさんに怪しまれちゃうじゃないですか?」

 つまり、変装か。確かにリィナの場合、普通の服を着るだけでも、充分変装になりそうだ。

 ふぅん、そうか。リィナがねぇ……

「分かった。別に、使ってくれて構わねぇよ」

 俺は、素知らぬ顔して続ける。

「あと、やっぱ俺も行くわ」

「気になるなら、最初っからそう言えばいいのに~」

 まぁ、そういうことにしておこう。気になる対象が違うけどな。

「えと、じゃあ、どうしましょうか。先に、ヴァイスさんに着替えてもらっちゃった方がいいのかな……」

 シェラは手を合わせて、きょろきょろと部屋を見回した。

「いや。顔洗ってくるから、先に着替えちゃっていいぜ」

「あ、はい。でも、ちょっと時間かかっちゃうかも知れないですけど……」

「別にいいよ。終わるまで、外で待ってっから」

 そんな次第で、俺はタオルと歯磨きを持って部屋を後にした。

5.

 可能な限りゆっくりと、水場で顔を洗って歯を磨き、適当に寄り道などしつつ牛歩で戻ったんだが、まだ着替えは終わっていないようだった。

「俺だけど。もういいか?」

「あ、はーい。すみません、もうちょっとだけ待ってもらえますか?」

 念の為に声をかけると、中からシェラのいらえがあった。

 扉の脇に背中を預けて、なんとなく耳をそばだてる。

「——ね。これ、やっぱり短くない?絶対、中見えてるよね?」

「そんなことないですってば。普通にしてれば、まず見えませんから。それに、そんなに短くないんですよ、それ?」

「でも、ほら。ボク、筋肉とかすごいから太いし。やっぱり、こっちの穿くのの方が……」

「そっちが似合うのは良く分かってるんですけど、折角だから、今日はスカート穿いて欲しいんです!」

「……はい」

「それに、リィナさん脚長いから、全然そんな風に見えないですよ。気になるなら、これ穿いてみましょうか。長いから、だいたい隠れちゃいますよ」

「ホントに~?」

「……あ、全然大丈夫です。ほら、ちょっとしか出てないじゃないですか」

「うん、まぁ、ねぇ」

「で、上はこれとこれ着てみてください」

 ごそごそ。

「……これでいい?」

「は~……リィナさん、とっても可愛いです」

「そう?こんな?」

 笑い声。

「やっぱり、女の子の服が似合いますよね~……」

「ちょっ……シェラちゃん、どこ触ってんの」

 どこだ。

「いいなぁ……」

「え?いや~、あげられるなら、半分くらいあげちゃいたいんだけどね」

 そこか。

「くださいください、欲しいです~——あ、あと髪も。リィナさん、こっちこっち。ここに座ってください」

「いいけど……ヴァイスくん、待ってるよ?」

「あ、そうでした。着替えはもう終わったから、入ってもらっちゃいましょうか」

 部屋の中で、シェラが声を張り上げる。

「すみません、お待たせしました。どうぞ~」

6.

 中に入ると、シェラがベッドの上で膝をついて、リィナの髪をブラシで梳かしていた。

 借りてきた猫みたいに大人しく、されるがままにベッドに腰掛けているリィナの格好が、いつもと全然違う。

 おそらく仕立てからして、腰のくびれと胸が強調されるように出来てるんだろうが——ぴったりとした袖なしのブラウスに包まれた胸が、ヤバいことになっている。

 大きな襟元が下品にならない程度に開かれて、下に着ているもう一枚が浅目なので、少し谷間が覗いたりして、否応なしに目を奪われる。

 だが。ここが肝心なのだが、不必要に大き過ぎはしないのだ。豊か過ぎては、ともすれば不恰好に見えかねないソレは、充分に許容範囲であり、体とのバランスも問題無い。

 形もばっちりだ。服の上からも分かる重力に負けない張りが、絶妙の丸みを形作っていて、なんというか、こう、下に掌をあてがってぽよぽよ弄ばずにはいられない抗い難い魅惑を全力で撒き散らし——いやいや、落ち着け、俺。

 短めのスカートと膝上までの長靴下も、かなり俺の好みで、思わずシェラの頭をよしよしと撫でたくなった。

 あんまりじっくり眺めてると、またリィナにニヤニヤされそうなので、俺は適当に視線を泳がせながら、自分のフクロの方に向かった。

「……俺、着替えていいか?」

「あ!ご、ごめんなさい!!」

 シェラは慌ててリィナを促し、俺に背中を向けるように位置を変える。

「こ、これなら、見えないですから!どうぞ!」

 いや、まぁ、別に見られてもいいけどね。

 部屋の隅でこそこそ着替えていると、リィナがこっそり俺の方を振り向いたらしく、「あ、動かないでください」とかシェラに叱られていた。

7.

 マグナが指定された待ち合わせ場所は、目抜き通りの半ば辺りにある広場の中央に置かれた噴水の前だ。

「まだ来てないみたいだね」

 普段より顔の両脇に髪を残して、いつものように単純にひっつめるのではなく、後ろ髪をくるっと巻いて髪留めでとめたリィナが囁いた。

 ついさっき、教会の鐘が正午を告げたところだ。

「女の子を待たせるなんて、減点ですね」

 遠目の印象を変える為か、シェラは長い髪を三つ編みにまとめていた。

 ちなみに俺は、何も変装していない。はいはい、どうせ目立たない地味な男ですよ。

 円形の広場の周りには、ぐるりと取り囲むようにして店が建ち並んでいる。それらの店と店の間に出来た狭い路地に身を隠して、俺達はマグナの様子を窺っているのだった。

 端から見たら、さぞかし怪しい集団に違いない。

 マグナはしきりと服を気にしたり、手提げ袋から鏡を取り出して髪を直したりと落ち着かない素振りだった。

「マグナさん、気合い入ってますね」

 シェラが呟く。

 そうね。精一杯おめかししてる感じ。

「あ、あれじゃない?」

 最初に目敏く発見したのは、やはりリィナだった。

 僅かに遅れて、人ごみの中からマグナに歩み寄る男を、俺も見つけ出す。

「ああ、ホントだ」

 昨日、宿屋の前で出くわした、あの男前だ。

「え、ホントに、あの人なんですか?——か、カッコいい……」

 思わず、といった口振りで、シェラが呟いた。

「うん、結構強そうだね」

 こっちは当然、リィナの感想だ。お前の判断基準は、それだけか。

「あ、移動しますよ」

 多分、挨拶と自己紹介でも済ませたんだろう。少し会話を交わしてから、二人は広場の一角に建つ飯屋に向かって歩き出した。ちょうど昼時だしな。

 緊張してるっぽいマグナの仕草や歩き方が、不自然に女の子らしくて笑いを誘う。いや、笑うのもアレだけどさ。

 店に入った二人を追って、入り口からこそっと中を覗き込むリィナとシェラ。お前ら、店の人が変な目で見てるぞ。

 後方からやって来た別の客に気付いたシェラが、慌ててリィナの二の腕をつついて脇に避けさせる。

 その客を見送ったリィナが、いきなり店内に向かって駆け出した。何をしてんだ、あいつは。

8.

 後を追って店に入ると、たった今テーブルに陣取ったと思しいリィナに怪訝な視線をくれて、先に通した客が別の席に立ち去るところだった。無駄に素早さを活かして、テーブルを横取りしたらしい。

 リィナは口をぱくぱくさせて俺達を手招きをしながら、自分の脇に置かれた衝立を指差した。その向こうに、マグナ達が居ると伝えてるつもりなんだろう。

「ダメですよ、リィナさん!今日はスカートなんですから!いつもみたいな走り方しないでください!」

 テーブルに歩み寄ったシェラが、小声で叱り付けた。

「あ、そっか。見えちゃった?」

 変な目で見んな。

 俺は黙って首を横に振る。

 残念ながら、その時はまだ表に居たからな。

 ともあれ俺達は、衝立越しにマグナ達の会話を盗み聞くことが出来るという、絶好の位置取りを確保したのだった。

 隣りが料理を選んでいる間に、俺達も注文を済ませる。気付かれないように、声を出さずにメニューを指差して注文したので、給仕にも怪訝な顔をされた。おかしな客で申し訳ない。

「——でも、びっくりした」

 衝立越しに始められた会話に、俺達は揃って耳をそばだてる。

「ん、なにが」

「だって、急に言伝とか残すんですもの。昨日は、あのまま街を出ちゃったのかと思ってたから……」

「マ、マグナ——声が違う!」

 両手で口を押さえて、全身をぷるぷるさせながら必死に笑いを堪えて囁くリィナ。

 ホントにな。なんだか、余所行きの可愛い声を出してるぞ。無理しやがって。

「ああ、そのつもりだった」

「この人、声もいいですね」

 シェラが囁く。

 そうね。とても男らしい声で、よろしいんじゃないですか。

 一旦、会話が途切れる。

 明らかにマグナは続きを待っているんだが、どうもこの男は無口な方らしい。

 次に聞こえたのは、結局マグナの声だった。

「じゃあ、どうして……」

「うん」

 おずおずと切り出したマグナに、男は相槌を打っただけだった。

 いや、会話になってねぇから。

 ずいぶん間があってから、ようやく男が口を開く。

「……すまない。なんと言っていいか、分からない」

 なんだそりゃ。シェラとリィナも首を傾げたが、マグナは違っていた。

9.

「分かります。あたしも……そうだから」

 はぁ?

 なに通じ合っちゃってんの?意味分かんねぇよ。

「あたしも、そうなんです……なんて言ったらいいか分からない……」

「そうか」

 なに、この意味不明な会話。

 呼び出しといて、良く分からねぇって、どういうアレだよ。

 衝立のこっち側で、俺達は眉根を寄せた顔をつき合わせる。

「どゆこと?」

「さぁ……でも、なんだか分かり合ってるみたいですね」

「以心伝心な関係みたいだよ?」

 知るか。リィナは、いちいち俺を見んな。

「でも、良かったよ」

 間隔が長くて分かり辛いが、隣りの会話は続いていた。

「え?」

「あの後、宿屋に引き返したはいいが、名前も知らなかったんでな。どうやって伝言を頼んだものか、少し迷った」

「ああ、そう……よね」

 距離感を計るように、マグナは敬語を止めた。

「帳場で尋ねたら、俺が出た後に部屋をとった若い女は一人しかいないと分かってな。間違いなさそうだとは思ったんだが……全然知らない女が待ち合わせ場所に来たら、声をかけずにそのまま街を出ようと思っていた」

「それは、ちょっとヒドくない?」

 マグナはくすくす笑う。笑い方まで気取ってやがるぜ、今日のあのバカは。

 その後も、ぽつりぽつりと続けられた会話は大した内容ではなく、そうこうしている内に飯が運ばれてきた。

「食べよう」

「うん」

 マグナの口調は、やや砕けてきたが、相変わらず隣りで交わされる会話は短い。

 サラダを食みはみしながら、シェラが囁く。

「緊張してますね」

「どっちが?」

 シェラはリィナに「両方です」と答えた。

 初々しくてよろしーんじゃないですか。

10.

 衝立を挟んだ両側で、料理が無言の内に消費されていく。

 リィナとシェラは、「早く面白い展開にならないかな」と期待を込めた目配せを交わしていたが、結局食べ終わるまで、ほとんど会話らしい会話は無かった。

 とうとう再開されたのは、食後のお茶を飲みはじめて、しばらく落ち着いた後だった。

「ここは——人が多いな」

 カチャリとカップを皿に置く音に続いて、男の声が聞こえた。

「そうね。ロマリアの王都だから。特に最近は、仕事を求めてあちこちから人が流れ込んでるみたい」

 俺はふと、ロランの優男面を思い浮かべた。

 お前が知らない間に、こんな状況になってますが——ざまぁねぇな。

「人が多すぎて、街中を歩いていると目眩を覚える。俺は、ほとんど人が居ないような場所で育ったからな。田舎者なんだ」

「そんな風には見えないけど。どこの出身なの?」

「言っても、きっと分からないだろうな」

 男は、自嘲するように笑った。

「マグナは、ここの生まれなのか?」

「ううん。別の国。いちおう、そこの王都の生まれなんだけどね」

「そうか——そうだろうな。いずれ大きい街で育った印象だ。都会的な装いが、よく似合ってる」

「っ——あ、ありがとう」

 このやり取りを聞いたシェラが、嬉しそうな顔をして、ホントはきゃーきゃー言いたいんだけど、無理矢理抑え込んでみましたみたいなヘンな嬌声をあげた。

「マグナさん、今のはかなり意表を突かれましたよ!?」

「そうなの?」

 とリィナ。

「だって、服を誉めるとか、全然そんなタイプに見えないのに、これはかなり好印象ですよ!?」

 小声で言いながら、手をばたばたさせる。

 落ち着け。

「……不思議だな」

「えっ!?なにが?」

 マグナは、慌てたように返事をした。どうせ誉められて、ぽーっとしてやがったんだろう。

「マグナを見ていると、不思議な気分になる。昨日ひと目見た時から、そうだったんだが」

「あ——あたしも……」

「なんだろう、この感覚は。さっきも言ったが、自分でも良く分からない……こんな風に感じた人間は、マグナがはじめてだ」

「あたしも……」

 あたしもあたしもって、お前はオウムかよ、マグナ。

11.

「喉がつかえて息が苦しくなるような……今は落ち着いているが、昨日は実際に呼吸が乱れた。誰かを見ただけで、人間はこんな気持ちになるものなのか?」

「なんで——ホントに、あたしと同じ……」

「これでも、随分と混乱していてな。全く訳が分からない。怒りでも憎しみでもなく、こんな風に感情を抑制できなくなった自分は記憶に無い……他の下らん連中と、何が違うんだ。マグナの何かが、俺にとって特別なんだろうか」

 あ、このバカ、やっちまったな。

 マグナは特別だとか、そういう言われ方をするのが、一番嫌いなんだ。

 と思いきや。

「そうかも——あ、ううん。あたしにとってはって意味でね。良く分からないんだけど、すごく特別な感じがする……こんな変な気持ちになったの、あたしもはじめてなの」

 おいおい、マジでどうしちまったんだ、お前。

「き、聞きました、今の!?」

 なにやら、シェラが目を輝かせた。

 にやにやと俺を見ながら、リィナが応じる。

「運命の人宣言だね、ほとんど」

 だから、なにが言いてぇんだ、お前は。

「いいなぁ、マグナさん……」

 嬉しそうに身悶えていたシェラが、はぁと切なげに溜息を吐いた。

 そんなことやってる間にも、隣りの会話は続いている。

「この後、何か予定はあるか?」

「う、ううん。特にないけど」

「俺は、もう一度会いさえすれば、この奇妙な感覚の正体が掴めると思っていたんだが……正直なところ、まだ良く分からない。そっちは?」

「あたし?……うん、おんなじ。良く分かんない」

「そうか。お互いに分からないまま別れるのもなんだ。よかったら、もう少し付き合わないか」

「ええ……うん、そうね。あたしも、そうしたいな」

「よし。じゃあ、行くか」

 隣りでガタガタと椅子を引く音がしたので、俺達は一斉に顔を伏せて息を潜めた。

 リィナの後ろを、二人が通り過ぎて行く。

「人が少ない場所がいいな」

 なんてことを、野郎がほざいているのが聞こえた。

 目だけ上に向けてそちらを見ると、マグナは野郎に見とれていて、俺達のテーブルなど視界に入っていない様子だった。

 二人が店を出るなり、シェラが席を立つ。

「追いかけましょう!」

「ヴァイスくん、お金お願いね」

 俺に言い置いて、リィナが後に続く。へいへい。

12.

 支払いを済ませて表に出ると、何故かそこにはリィナしか見当たらなかった。

「あれ、シェラは?」

「なんかね、急用が出来たとか言って、あっちの方に行っちゃった」

 リィナは首を捻りながら、俺から見て左手を指した。あんなに乗り気だった癖して、急にどうしちまったんだ?

「マグナ達はね、こっち」

 逆方向に歩き出したリィナは、二、三歩進んで足を止めた。

「ん?どしたの?早くしないと、見失っちゃうよ?」

「いや、まぁ……もういいよ」

 なんだか、馬鹿馬鹿しくなっていた。

 何が悲しくて、あの二人がいちゃついてるトコを、陰からこそこそ覗かにゃならんのだ。

 そんなことより、もっと有意義な過ごし方があるだろ、この状況なら。

「行かないの?」

「……やっぱ、邪魔しちゃ悪いだろ?」

「ふぅん……ホントにいいの?」

「ああ」

「……ま、ヴァイスくんが、それでいいなら、ボクは別に構わないけどね」

 シェラが姿を消した所為もあるだろうか。リィナは案外あっさりと引き下がった。

「じゃ、宿屋に戻ろっか」

 案の定、さっさと道着に着替えるつもりだな。そうはさせねぇ。

「まぁ、慌てんなって。折角だし、ちょっとそこらをぶらぶらしようぜ」

「へ?」

 俺と自分を順番に指差したリィナに、深々と頷いてみせる。

 リィナは、はは~ん?みたいな目つきで俺を見た。

「そっか、そうだよね~。うん、分かった、付き合うよ」

 傍らに来て、俺の頭をよしよしと撫でる。

「ボクでよければ、慰めてあげるから」

 いや、違くて。

 やっぱこいつには、一回ちゃんと言っとかないとダメだな。

13.

 リィナと連れ立って歩き出したはいいが、買い物だなんだと遊び回っていたどこかのバカと違って、遊ぶに都合のいい場所が思い浮かばない。

 唯一思いついたのは地下闘技場だが、あそこはあんまり気が進まねぇなぁ。スティアに出くわしちまうかも知れないしさ。

 かと言ってリィナに任せようものなら、修練場に行こうとか言い出しかねない。

 まぁ、適当にぶらぶらして、面白そうなトコがあったら寄ってみるか。

「あ~、やっぱりスースーして落ち着かないなぁ」

 歩きながら、リィナが腰をくねらせた。どうやらスカートの事を言っているようだ。

「ボク、歩き方ヘンじゃない?」

 そういや、ちょっとぎこちないかもな。服に合わせた所作を心がけてるらしい、一応。

「まぁ、ちょっとな」

「やっぱり?ヘンだよね?」

「でも、別に気になるほどじゃないぜ」

「う~……ボクがこういう服着るの、おかしいよね、やっぱり。だってなんか、すれ違う時にヘンな目で見る人多いもん」

 いや、そりゃ理由が違うな。

「あ~もう、いつもは人の目なんて、全然気にならないんだけどなぁ……」

「別に、おかしかねぇよ。お前を見るヤツが多いのはだな……なんていうか、良く似合ってるからだよ」

 割りと思い切って言ってみたんですが。

「またまた~」

 まるで本気にされなかった。

 その卑怯な円錐型の胸と、くびれから腰や尻にかけての曲線と、いい感じに丈の短いスカートから伸びる長い脚のどこかしらに目を奪われない男は、なかなか居ないんだが。

「でも、ヘンな感じ。なんかスカート穿くと、中を見られるのが、いつもより恥ずかしい気がしちゃうんだよね。つい忘れそうになっちゃうから、すごい気を遣うし。それで余計に意識しちゃって、歩き方がヘンになっちゃうっていうか」

 俺は経験が無いから分からんが、それはどっちかと言うと、無理矢理スカート穿かされた男の感想に近い気がするぞ。

「うん、まぁ、気をつけろよ。中を見せんのは、せいぜい俺だけにしとけ」

 ちょっと間があってから、リィナはにへっと笑って俺を見た。

「なに?見たいの?」

 うん。見たい。超見たい。

14.

「でも、ボクの下着姿なら見たことあるでしょ。別に珍しくもないんじゃないの?」

 分かってねぇな。開けっぴろげなのと、スカートに隠されてんのでは、全然別物なんだよ。

 なんて説明を、わざわざする筈もなく。

「まぁ、とにかく気をつけろよ」

 これまでも幾度となく思ったんだが、頼めば快諾してくれそうなこいつの態度は、俺の理性に対する挑戦だよな。

 なんて具合に、他愛もない会話をしながら、しばらく通りをうろついていると——

「ん?」

 リィナが怪訝な声をあげた。

 視線の先で、どこかの爺さんが人にぶつかって倒れていた。

 通りを行き交う人ごみは、川の流れが岩を避けるように、邪魔くさそうな目を爺さんに向けるだけで、誰も助け起こそうとしない。

 気付いた時には、リィナが雑踏の間をするすると器用に縫って、爺さんに走り寄っていた。

「だいじょぶ、爺ちゃん?」

 爺さんに手を差し伸べる。腰を屈めてるモンだから、後ろからの眺めがそりゃもう結構なギリギリ感で——じゃなくて。

「おお、すまないねぇ」

 引き起こした爺さんの服を、リィナはぱたぱた叩いてやった。

「きょろきょろ余所見してたら、危ないよ?ここ、人通り多いし」

「すまないねぇ」

 爺さんは、同じ言葉を繰り返した。

「なんか探してたの?」

「おお、そうなんじゃよ。儂の可愛いボビーが、いのうなってしまったんじゃ」

「ボビー?お孫さんとはぐれちゃったのかな?」

「いやいや、ワン公じゃよ。散歩しとったんじゃが、むこうの方で綱を離してしもうての。追いかけてきたんじゃが、さっぱり見つからんでのぅ……」

「逃げちゃったのって、いつ頃?」

 また人にぶつかりそうになった爺さんの背中を、さりげなく押して避けさせながら、リィナは尋ねた。

「よう分からんが……お昼の鐘よりは前じゃったよ」

 結構前だな。もう、この辺りにはいないんじゃねぇのか?

「そっか……じゃあ、その子の特徴教えてよ。ボク達が、探してくるから。爺ちゃんがきょろきょろ歩いてたら、危なっかしくてしょうがないもんね」

 リィナが振り向いて俺を見たので、苦笑して肩を竦めてやる。

 幸いなことに、ボビーには首輪に名前が書かれているという、非常に分かり易い特徴があった。

15.

「え~と……そうだ。あっちに噴水の広場があるでしょ?あそこのベンチに座って待っててよ。犬くんを見つけたら連れてくから」

 爺さんは、すまないねぇすまないねぇ、と繰り返しつつ、噴水の広場に足を向ける。

「あ~、振り向かなくていいから!ちゃんと前見て歩きなよ!」

 爺さんが人ごみに消えるまで見送ってから、リィナはにこっと俺に笑いかけた。

「じゃ、探しに行こっか」

 そうね。特に行く当ても考えつかなかったし、お付き合いさせていただきますとも。

 ひとしきり周辺を探してみたんだが、路地裏でゴミを漁ってる野良犬を見かけるくらいで、それらしい犬は発見できなかった。

 徐々に場所を移している内に、目抜き通りの端の方まで辿り着いてしまう。

 隣りに姿が見えないので、頭を巡らせてみると、リィナは後ろの方で屋台のおっさんに話を聞いていた。

 熱心だな。俺も少しは、本腰入れて探しますかね。

「一個もらうよ」

「はいよ」

 手近な屋台に歩み寄って、小銭と引き換えに名前も知らない赤い果物を、おばさんからひとつ受け取る。

「ところで、ここいらで引き綱つけた犬を見かけなかったか?割りと小っこくて、胴長のヤツ」

 服の腹でちょっと磨いてから、手にした果物を齧る。すげぇ水っ気だな。うん、美味ぇ。

「ああ、見たよ。やたらキャンキャン吠えてうるさいもんだから、おっぱらってやったよ」

「どっちに行った?」

「そっちに逃げてったよ」

 おばさんは、すぐ右横の路地を手で示した。

「どうも」

 残った果物を口に入れて、種を吐き出しながらリィナの方に目を向けると、なにやら軽薄そうな男に纏わりつかれていた。

「なにやってんだ?」

「あ、ヴァイスくん。この人、爺ちゃんの犬見たんだって」

「ちっ、野郎連れかよ」

 忌々しげに俺を睨みつけ、男はぺっと唾を吐いて立ち去った。

「あれ?ちょっと——?」

「いや、いいんだ。あいつ、犬なんて見てねぇから」

「へ?そうなの?」

 そうなんだよ。

16.

 それにしても、ちょっと目を離した隙に——いや、そりゃ声かけられるか。

 改めて、リィナを上から下まで眺め回す。俺だって、他人だったら声かけてるよな、これ。

「どしたの?」

「いや、なんでもない——それより、爺さんの犬がどっち行ったか分かったぜ。あの路地の先に逃げたってよ」

「ホントに?さっすがヴァイスくん。頼りになるね~」

 いや、もうちょっと重要な場面で頼りにされたいけどな。

 路地に向かいながら、リィナに声をかける。

「今日は、あんまし俺から離れんなよ」

「なんで?」

 いや、なんでってお前——そんな不思議そうな顔されても困るんですが。

「なんでも、だ」

 リィナは、にんまり笑って俺に腕を絡めてきた。

「うん。じゃあ、今日はヴァイスくんに守ってもらっちゃおうかな」

 くそ、こいつ分かってやってるだろ、絶対。

 その後、道端で話し込んでるおばさんやら、そこらで遊んでるガキ共——こいつらのひとりが、リィナのスカートを捲ろうとした一幕があったんだが、まんまと失敗しやがった。もうちょい上手いコトやれよ——に行方を尋ねて、犬の後を追うことしばし。

「鳴き声が聞こえる」

 と言うリィナの先導で、街外れまで来てようやく、それらしき犬を発見したのだった。

「じゃ、ヴァイスくん。任せた!」

 リィナに、ぽんと肩を叩かれる。俺が捕まえんのかよ。

「ほら、ボク、これだから」

 スカートの裾を、ちょっと抓んでみせる。おお、さっき見逃したから、もうちょい持ち上げてみせてくれ——だから、なんで俺はそういう。

「へいへい」

 両手を広げて、そろそろと犬に歩み寄ったんだが、すばしっこく逃げられた。走って追いかけても、キャンキャン吠えながらちょこまか逃げ回って、なかなか捕まらない。

——と、犬が逃げる先に、いつの間にやらリィナが立っていた。慌てて方向を変えた犬を、俺は息を切らせて追いかける。

 特に急いでいる風でもないのに、気付くと前に回り込んでいるリィナに助けられて、俺はやっとこさで犬の引き綱を掴むことに成功した。

「お疲れ様」

 膝に手を当ててぜいぜい言ってる俺の背中を、リィナはトンと叩く。

 まぁ、お前が追い詰めてくれたお陰だけどな。

17.

「あ、首輪にボビーって書いてあるよ。間違いな——うひゃっ」

 しゃがんで首輪を確認していたリィナは、犬に顔を舐められて嬌声をあげた。尻尾をぱたぱた振ってやがる。くそ、畜生は本能に忠実でいいよな。

 犬を抱え上げようとしたリィナに声をかける。

「ああ、いいよ。俺が抱えてくから」

「ん?どして?」

「いや、だって……折角の服が、汚れちまうだろ」

 なんだよ。変な目で見んなっての。

「ふぅん——じゃあ、お願いしよっかな」

 おう、お願いしとけ。

 犬連れなので、目抜き通りじゃなく脇道から戻ろうとして、迷ったりなんだりあってから、噴水の広場に辿り着く。

「あ、いたいた。寝ちゃってるよ」

 木陰のベンチにぽつねんと腰掛けて、爺さんは呑気に船を漕いでいた。

「爺ちゃん、起きて起きて——ごめんね、遅くなって」

 リィナが揺り起こした爺さんに、抱えていた犬を引き渡す。

 立ち去り際に、しきりとぺこぺこしてみせる爺さんに、「危ないから、前見なきゃ」とか注意しながら手を振って見送り、リィナは俺に顔を向けた。

「結構、時間かかっちゃったねぇ」

 まだ空は明るいが、ぼちぼち太陽が傾きかけている。

「ごめんね、なんか付き合わせちゃって。もしかして、どっか行きたいトコあったかな?」

「いや、別に。まぁ、タマにはいいんじゃねぇの、こういうのも」

 あんまり意味の無い返事をする俺。

「そっか」

 と相槌を打って、リィナはう~んと伸びをした。おお、胸が——いや、なんでもない。

「じゃ、帰ろっか。着慣れない服で歩いたから、なんか気疲れしちゃったよ」

 肩に手を当てて、揉んだり回したりする。いやいや、そうはいかねぇっての。

「あれ、慰めてくれるんじゃねぇの?」

「はぇ?」

 リィナはきょとんとして、妙な声を出した。

「そこらで飯食うついでに、酒でも飲んでこうぜ」

 リィナの表情が次第ににんまりとした笑顔に変わり、俺は肩をばんばん叩かれた。

「そっかそっか、そうだよね~。うん、分かった。じゃあ、今度はボクが付き合うよ」

 ホントに慰めてくれるなんて期待はしてないが、一緒に飲んでみようとは思ってたからな。

 またうろついて探し歩くのも面倒なので、俺達は広場の一角に酒場を見つけると、手近なそこに入った。

18.

「でもさ、ホントに追いかけなくてよかったの?」

 割りとどうでもいい会話を重ねながら、そこそこ酒が入った頃合に、リィナがそんなことを尋ねてきた。

「なにが?」

「マグナ達だよ。あの後、あの二人がどうなったか、ヴァイスくん心配じゃないの~?」

 顔がやや赤らんでいるものの、振る舞いには大した変化が見受けられない。

 結構飲ませた筈なんだが。こいつ、かなり酒が強いな。

「別に、心配じゃねぇよ」

「またまた~。人気の無いところに行くようなこと言ってたよ~?」

 俺は噛み千切った串焼き肉を、酒で喉に流し込む。

「どうぞご勝手に、だ」

 頬杖をついて、リィナは呆れたような溜息を吐いた。

「素直じゃないなぁ、ヴァイスくん」

 ちょっとカチンとくる。

「あのな。俺に何を言わせてぇんだ。あいつがどこで誰と何をしようが、俺には関係ねぇよ」

「またぁ。そういうこと、マグナに言っちゃダメだよ?」

 俺は、あいつに言われてんだけどね。

「なんでよ?」

「分かってるくせにぃ」

 にやにやしながら、リィナはグラスを傾けた。

 取り分けてやったサラダを渡しながら答える。

「全然、分かんねぇな」

「あ。ありがと——ホント、お互い意地っぱりだよね」

「意味が分かんね。俺は、別に意地なんか張ってねぇよ」

「張ってるってば。今だって、拗ねてるし」

「拗ねてねぇよ」

 リィナはまた、しょーがないなぁ、みたいに笑った。

「どうして、そうなのかな。言うまでもないと思ってたけど、自信が無いとか?」

「だから、意味が分かんねって」

 リィナはサラダをぱくついてから続ける。

「あのね、こういうことボクが言うのは、ホントはダメかも知れないけど……宿屋で一緒に泊まった時とか、よくマグナにヴァイスくんのこと相談されるんだよ」

「相談って?」

「だからぁ……ヴァイスくんが好きなんだけど、どうしたらいいか分かんない、みたいな」

 酒を吹きそうになった。

19.

「嘘だろっ!?」

「うん。まぁ、嘘なんだけど」

 ……こいつ。

「でも、いま一瞬信じかけたでしょ?そうでもおかしくないくらいには、ヴァイスくんも思ってるってことだよね」

 ちょっと、返事に詰まった。

「……本気で、そう思ってんのか?」

「うん。もちろん」

「からかって遊んでるだけかと思ってたぜ。けど、そりゃ無いな」

「どして?」

「どうしてって、お前……あいつの態度見てりゃ分かるだろ」

 リィナは、けたけたと笑った。

「マグナがタマにキツかったりするのは、あれはヴァイスくんに甘えてるんだよ」

 リィナの癖に、分かったような事を言いやがる。

「それでも……違うな。あいつのは、そういうんじゃねぇよ」

「じゃあ、どういうの?」

 うん。やっぱりこいつには、一度はっきり言っておいた方がいいな。

「あのな、いいか……」

 いや、待て。あいつの秘密を知ってるのは俺だけだからってのは、まだ伏せといた方がいいか。

「——もし仮にだ。そういう気持ちが、ほんの少しでもあいつの中にあったとしてだ。でも、そりゃ錯覚だよ」

「錯覚?」

「そうだ。俺らの中で、男は俺一人だけだろ?」

 ホントは二人いるが、まぁ今はいい。

「マグナくらいの年頃なんて、盛りのついた猫みたいなモンだからな。誰かしらにそういう感情を抱いてなきゃいられねぇんだ。本気で惚れてる訳じゃなくて、生理現象みたいなモンだよ。そんなトコにきて、たまたま周りにゃ俺しか男がいなかっただけの話だ」

 正直、この自説には自信があった。別に俺じゃなくても良かった筈だ。

「またぁ。ヴァイスくんだって、そんなに歳変わんない癖に~」

「俺は、もう過ぎたの。あいつだって、もう何年かすれば、俺のことなんか綺麗さっぱり忘れてるさ」

「ふぅん……つまり、プライド高いヴァイスくんとしては、『俺だから』じゃないと嫌なんだね」

「……お前な、そういう言い方すんなよ」

「あ、怒った?ごめんね。まぁ、ボクもこの手の話は得意じゃないけどさ……でも、きっかけはどうでも、本気で好きになっちゃう事ってあるんじゃないかなぁ」

「ないない。あいつが本気で俺に惚れるとか、有り得ねぇよ」

「じゃあ、ヴァイスくんは?」

 リィナが、凝っと俺を見詰めてきた。

20.

「ヴァイスくんは、どうなの?マグナのこと、好きじゃないの?」

「別に……そんなんじゃねぇよ」

 自分でも意外なほど、ぶっきら棒な声が出た。

 ふぅっと苦笑混じりの吐息が聞こえた。

「……信じてねぇだろ」

「今のは違うよ」

「え?」

「まぁ、ボクも大して変わんないか……」

 がやがやと周りがうるさくて、よく聞き取れなかったが、多分リィナはそう呟いた。

「ん?なんだって?」

「ううん、なんでもない。うん、今日は飲もうよ」

 なんか知らんがグラスを差し出されたので、俺は自分のそれを手に取って合わせる。

 それにしても、茶化してるんでなければ、なんでこいつは俺とマグナをくっつけたがるんだろう。

 つか、もし俺が惚れてんのがマグナじゃなくて自分だったら、どうするつもりなんだ。

 試しにからかってやろうかと思ったが、どうせはぐらかされるだけかな。それよりは——

「そんなことより、お前はどうなんだよ」

「へ?」

 給仕に酒を注文していたリィナが、こちらに顔を振り向ける。

「なんか悩んでんだろ。言っちまえよ。マグナ達には黙っててやっから」

「も~。しつこいなぁ、ヴァイスくんは。あんまりしつこいと、女の子に嫌われちゃうよ?」

 そりゃマズいな。

「目の前の女の子にか?」

 俺、かなり酔いが回ってんな。

「え?いや、あの……あはは」

 リィナは照れ笑いを浮かべる。

「いや、意外っちゃ悪いけど、そういうカッコもよく似合うよな」

 胸とか、ほとんど凶器だぜ。

「そうかな?」

 リィナはおどけて、妙なシナを作ってみせる。

「いや、マジでマジで。腕とか、思ったより太くねぇしよ」

「あ、ヒドいなぁ。そういう事言っちゃダメだよ。まぁでも、今は力抜いてるしね。この服でムキムキだったら、ヘンでしょ?」

 とか言いつつ、かなり立派な力瘤を作ってみせた。

21.

「それにボクみたいなのは、あんまり筋肉付け過ぎると、素早さっていう強みを殺しちゃうからね。単純な力では、どうやったって男の人には敵わないんだし、思い通りに動けるだけの筋力があれば十分なんだよ。それ以上の力は、躰の内側で練り上げるってわけ」

「そりゃ結構なことで」

 お陰でこうやって、女の子の服も似合うことだしな。

「ちょっ……なにしてんの!?」

 テーブルの下を覗き込んだら、スカートの裾を押さえられた。ちっ。

「いや、脚もいい形してんなと思って」

「やらしーなぁ……やめてよ。そういうこと言われるの、慣れてないんだってば」

 リィナは微妙に照れながら、合わせた膝を擦る仕草をした。

「俺でよければ、いくらでも言ってやるけど」

「だから、いいってば。頑張って自分の格好気にしないようにしてるのに、また恥ずかしくなっちゃうじゃないか」

 ふむ。今なら、もうちょい押せそうだ。

「で、どうなんだ?」

「へ?なにが?」

「いや、だから、悩み」

「……ホントにしつこいね、ヴァイスくん。あんまりイジめないでよ。ボク、マグナみたいに強くないんだから」

「は?」

 なんか、意外な台詞を聞いたぞ。

「強いって、あいつが?お前より?」

「うん、マグナは強いよ。ボク、ちょっと衝撃受けたもん」

 しみじみと口にする。

 そうか?あいつは案外、弱いと思うんだが。

 その思いが顔に出たのだろう。リィナは、なにやら含みのある目を俺に向けた。

「あ、分かってないなぁ、ヴァイスくん。弱い部分があったり、弱気になっちゃったりする事は、誰にだってあるよ。人間なんだから。ボクが言ってるのは、そういう事じゃなくてね——」

 何故か、そこで言葉を止める。

「ううん。やっぱし、なんでもない。今のナシね」

「なんだよ。気になるだろ」

「ダメ~。内緒。女の約束だから」

 余計気になるっての。

 けれど、その後もリィナはのらりくらりとはぐらかして、口を割ろうとしなかった。

 結局、リィナの悩みを聞きそびれた事に俺が気付いたのは、会話が取り止めも無い話に戻って、酒もかなり飲んで、すっかり酔っ払って店を出た後だった。

 ひょっとしてマグナの名前を出したのは、それが目的だったのかも知れない。

22.

 表に出ると、もうすっかり夜だった。

「ふ~、あっついねぇ」

 宿屋への帰り道。両手で顔をぱたぱたと仰いでいたリィナが、珍しく足をもつれさせた。

「大丈夫かよ」

 よろめいたリィナの体を支える。

「あ、ごめん。ありがと……おかしいな。なんで、こんなに飲んじゃったんだろ——駄目だなぁ。今、腕の立つ人に襲われたら、ロクに相手できないや」

 いや、だから、こんな街中で襲ってくるヤツなんて居ねぇって。

「でも、今日はヴァイスくんが守ってくれるから、いいよね」

 にへ~っと笑って、俺を見上げる。

「はいはい、守りますよ~。ほれ」

 肘を曲げてやると、リィナは不思議そうな顔をしてから、合点がいったようにひしっとしがみついてきた。

 おお、腕に胸が超当たってるんですけど。目論見通りです。超いいです。ありがとうございます——ああ、俺も相当酔っ払ってんな。

「ん?キミは、今日はボクの胸ばっかり見てるね?」

 いえ、尻とか太ももとかも、存分に拝見させていただきました。

「そんなに、これが気になるのかな?ほれほれ」

 うは、腕が谷間にほとんど埋まってるんですけど。すげー柔らかいのに張りがある、みたいな。

「もったいねぇなぁ……」

 口に出してから、呟いた事に気付いた。

「へ?なにが?」

「いや、いっつもサラシを巻いてるだろ?いくら若いっても、その内、形が崩れちゃうんじゃねーかなー、とか思ってさ」

「そんな心配するんだ?」

 リィナは、あははと陽気に笑った。

「でも、押さえておかないと、揺れちゃって結構痛いんだよ。ヴァイスくんが、敵を全部やっつけてくれるんなら、巻かなくてもいいけどね」

「うむ。それは無理だ」

「自信満々だね」

「そんかし、揉んで形を直してやることなら出来るぞ」

 一拍置いてから、リィナは爆笑した。

「ホントにすけべーさんだね、ヴァイスくんは」

 ほれほれ~、とか言いながら、ますます胸を押し付けてくる。

 あー、いい具合に酒も入ってるし、なんか楽しいわ。

 腕に神経を集中し過ぎて、宿屋の手前に来るまで、あんまり周りを見ていなかった。

 気付いた時には、あの男前の隣りに立って、マグナがぽかんと、俺と俺の腕に抱きついているリィナを眺めていた。

23.

 一瞬、ほどけかけたリィナの腕に、再び力が込められるのを感じた。

「あ、マグナだ。やっほー」

「——ちょっと、リィナ。どうしたのよ、その格好……っていうか、すごい飲んでない?」

「うん、飲んだよ~。ヴァイスくんと一緒に~」

 えへへ~、とか笑ってみせる。しょうがねぇな、こいつ。

「今日は、ずっと一緒に居たんだ~。楽しかったよね~?」

 酔っ払い口調で、俺に同意を求める。いやいや、お前、そこまで泥酔してねぇだろ。

「それで……そんな格好してるんだ」

 マグナも、あっさり信じんじゃねーよ。いや、嘘じゃないんだけどさ。

「マグナは、どこ行ってたの?誰~、そのヒト~?」

 俺の腕にぶら下がりながら、リィナは白々しくマグナに尋ねた。

「えっ……あ、その……」

 マグナが、ちらっと俺に目をくれた気がした。

「あ——あたし達だって、今日はず~っと一緒だったんだから。夕べ言伝を受け取った時、リィナも側に居たでしょ?その人よ。ヴァイスも、昨日会ってるわよね」

 マグナは、すすっと野郎に身を寄せた。

「どうも。アルスと言う。いや、いい——そちらの事は、マグナに色々聞かされた」

 名乗ろうとした俺達を、アルスとやらは手で制した。

 何か言いたげな目つきを、俺に向ける。

「なんだよ」

「いや、すまない。想像していたのと、まるで印象が違ったんでな。意外だっただけだ。マグナの話では、随分と頼りにしている様子だったからな」

 つまり、俺は頼りにならなさそうに見える、と。

 この野郎。

「ちょっと、何言ってんの!?」

 マグナは慌てて、野郎の腕を引っ張った。

「そんなこと、ひと言も言ってないでしょ?こんなの、全然頼りになんてならないんだから!?」

「あー、そりゃーすいませんねぇ」

 おお、口が勝手に。

「そっちの人は、頼りになりそうだよねぇ」

 それまで、しどけなく俺の腕にぶら下がっていたリィナが、急にしゃっきりと背筋を伸ばしてマグナ達に歩み寄った。

「リィナ?」

 何かを感じたのか、マグナが不安げな声を出す。

24.

 前触れは、全く無かった。

 気付いたら、パンという音が辺りに響いて、リィナの拳がアルスの眼前で握られていた。予備動作も無しに繰り出されたリィナの拳を、野郎が受け止めたのだ。

「やっぱりね。強いね、キミ」

「あんたは、話に聞いた通りみたいだな」

「なっ——ちょっと、なにやってんのよ、リィナ!?」

 間に入って、マグナが二人を引き離す。

「いきなり、なんてことすんのよ!?怪我でもしたらどうするの!?」

「いや、いいんだ」

 マグナの肩に手を置いて、野郎は微笑——じゃねぇよ。こんなヤツ、そんないいモンじゃなくて十分だ。そう、薄ら笑いを浮かべながら、リィナを見た。

「それで、どうだ。合格か」

「ダメ。不合格」

「だろうな」

 くつくつと笑う。

 意味が分からなくて、端で見てるこっちは面白くねぇぞ。

「ちょっと、リィナ——」

「いいんだ。彼女は、マグナが心配なんだろう」

 分かったような事ぬかすな。

「なるほど。これが仲間か。いいもんだな」

「ごめんなさい、ホントに。いつもは、こんな事するコじゃないんだけど……」

「いや、いい。別に何とも思ってない。それじゃ、そろそろ行くよ」

「あ……うん」

 野郎は、マグナの頬に手を添えた。

「そんな顔するな」

「……うん」

「できれば、笑ってくれ。立ち去り難い」

「……でも、淋しいよ。体が半分、無くなっちゃうみたい……」

 なんか……こいつらの口振りや表情、そして仕草が、意図的に見せ付けてるように感じられるんだが、俺の考え過ぎ……だよな?

「俺もだ。けど、きっとまた会うよ。確信がある」

「そうだね……っ!」

 野郎、マグナの頬に顔を寄せて抱き締める前に、俺を見て笑いやがった。

「じゃあな。喧嘩するなよ」

 吃驚した顔で頬を押さえるマグナを置き去りにして、野郎は颯爽と歩み去った。はいはい、面がいいと、何をやっても様になっていいですね。

25.

「ずいぶん、仲良しになったみたいだね」

 まぜっ返したリィナに、マグナは呆然としたまま呟く。

「ううん、そういうんじゃないの……あんな事する人じゃなかったのに……びっくりした……」

 てことは、アレか。俺への当てつけかよ、あの野郎。

 マグナは、はっと我に返る。

「ちょっと、リィナ、どういうつもりなの!?なんで、いきなりぶとうとしたのよ!?っていうか、仲良くなったのはあんた達でしょっ!?」

「ううん、違うよ」

「なにが違うのよ!?そんな、いくらあたしが言っても着なかった服まで着て!!」

「そうじゃなくて。今日、仲良くなったんじゃなくて、ボク達、前から仲良しだもん。ね~?」

 そこで、俺に振るのかよ。

「……ああ、そう!!ごめんなさい、お邪魔だったわね!!それじゃ、あたしは消えるから!!部屋の鍵閉めとくけど、リィナはそいつの部屋にでも泊まってよねっ!!」

 そうまくし立てると、マグナはずかずかと足音も荒く宿屋に入っていった。

 そちらを指差して、けろりとリィナが言う。

「ほら、妬いてる」

 やっぱり、わざとかよ。

「……お前な」

「だいじょぶだってば、そんな顔しないでも。後でちゃんと、マグナには謝って説明しとくから」

「余計ややこしくすんなよ」

「信用ないなぁ……あ、それとも、ホントにヴァイスくんの部屋に泊まっちゃって、マグナにもっと焼き餅やかせてみる?」

 にへらと笑う。

「俺は、別に構わねぇけど」

 つか、そっちの方がいいかも。

 乗ってくるかと思いきや、リィナは腰に手を当てて溜息を吐いた。

「ううん。やっぱ、止めとく。身の危険を感じるよ」

 そりゃ残念だ。

「ヴァイスくんも、余計な心配ばっかりしてないで、少しはボクの気持ちも考えてくれなきゃ」

「へ?」

 それって、どういう——?

「そいじゃね。おやすみ~」

 おどけた素振りで指先に当てた唇を投げてみせると、リィナは小走りに宿屋の中に消えた。

 俺はしばらく、その場を動けなかった。

 なんていうか、リィナにはいっつも煙に巻かれてんな、俺。

26.

 部屋に戻った後も、俺の混乱はまだ収まらなかった。

 リィナのこととか、マグナのこととか、野郎のこととか、頭には浮かぶんだが、思考になる手前で酔いが邪魔をする。

 簡単に言うと——考えんの、面倒臭ぇ。

 このまま眠っちまうか、とか思っていたら、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

 誰だ?

 マグナに追い出されたリィナが、寝床を求めて来たとか。

 それとも、まさかマグナが——

 俺はベッドから身を起こして、扉に歩み寄る。

 胸の高鳴りを意識的に無視しつつ扉を開くと、そこに立っていたのは、リィナでもマグナでもなかった。

 俺を見上げる、捨てられる寸前の子猫みたいな、どうにも心細げな目。

 そこに居たのは、昼間、突如として姿を消したシェラだった。

「どうしましょう、ヴァイスさん」

 泣きそうな声で言って、俺の服を掴みかけた手を躊躇いがちに下ろす。

「私——どうしたらいいんでしょう」

 同じ言葉を繰り返して、シェラは床に視線を落とした。

 やれやれ。

 今日は、なんだか妙な一日だったが。

 どうやらまだ、終わってくれないらしかった。

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