14. Just as Long as We're Together
1.
エルフの隠れ里をさんざん探し歩いた疲れを抜く為に、次の日は丸々休養をとってから、俺達は姫さんの姉貴の足取りを追って、南の洞窟に向かった。
この前入った時にも感じたことだが、この洞窟の魔物は、結構手強い——というか、面倒臭ぇ。
「早くしなさいよっ!!」
からかったのを根に持ってやがるのか、未だに俺には愛想の悪いマグナに叱咤される。
うるせぇな、分かってるよ。
とは口に出さず、キノコの化け物に眠らされたリィナの体を抱え上げる。
わらわらと集団で群がってくるこいつらの吐く息が、とにかく厄介だった。催眠効果を持った攻撃をしてくる魔物には他所でも出くわしたが、洞窟内という限定された空間の所為か、やたらと効きが良い気がするぜ。
キノコ共が眠らせた獲物を狙って、狼モドキの魔物が寄ってくるのも有難くない。万が一、全員寝ちまったら、あっさり噛み殺されかねない。
「リィナは……死んでしまったのか?」
シェラの側までひいこら持ち返って、地面に横たえたリィナを、姫さんが不安げに覗き込んだ。
そう。エミリーもついてきちまったのだ。
俺は危ないから絶対ダメだって言ったんだけどな。すげぇ駄々こねられたけど、心を鬼にして置いてきたんだぜ。
なのに、こっそり後をつけてきやがったんだ、このお転婆姫様は。
「いや、眠ってるだけだよ」
「そうか。良かったのじゃ」
ほっと浮かべた笑顔の可愛らしさに、今の窮地を一瞬忘れかける。
リィナもリィナだぜ。
一旦引き返して、エミリーを里に帰そうって俺が主張した時は、「ここまで来ちゃったんだから、連れてってあげようよ。だいじょぶ、ボクがちゃんと守ってあげるから」とか言ってた癖によ。
気持ち良さそうに寝こけやがって。お前が眠っちまったら、こっちは大変なんだぞ。
ここはひとつ、一刻も早く目覚めてもらう為に、王子様のキスでだな——
「あっ——マグナさんっ!!」
アホなこと考えていた俺は、シェラの叫び声で振り返る。
マグナまで、くたりと地面に倒れ込んでいた。
おいおい、お前まで眠ったら、前衛がいなくなっちまうじゃねぇかよ。勘弁してくれ。
『ベギラマ』
残ったキノコ共に呪文を喰らわせて、ようやく全滅させる。
だが、少し離れて、魔狼がマグナに襲い掛かる機会を窺っていた。
2.
「ここに居ろよ!」
俺はシェラとエミリーに声をかけて、マグナの元に走った。
グルル、とか物騒な唸り声をあげつつ牙を剥いた魔狼が、おさまりかけた炎壁を回り込んで、マグナに忍び寄る。無防備な首筋でも狙われたら、ひと噛みでお陀仏だ。
くそっ、ふざけんな。
間一髪で間に合った俺は、魔狼を蹴り飛ばして引き離そうとした。
だが、ひょいと躱されてしまう。やっぱり、リィナみたいにはいかねぇな。
普段はほとんど使わないナイフをフクロから取り出し、マグナと魔狼の間に立って構える。
すげー心許ないんですが。
しかし、魔狼はいちおう警戒してくれたらしく、口角から唾液を滴らせて唸りながらも、すぐに仕掛けては来なかった。
助かるぜ。魔法抜きの俺がてんで弱っちいのが見抜けねぇとは、所詮ケダモノだな。
もうちょいでお待ちかねの呪文を唱えてやっから、それまでいい子で待ってろよ、頼むから。
ところが、俺の考えは全然甘かったのだ。
シェラの脇に置かれた手持ちランプの灯りが届かぬ暗がりに、もう一匹の魔狼が潜んでいた。
カチャカチャと岩床を蹴る爪音がしたかと思うと、忙しない呼気があっという間に背後に迫る。
「グァウッ」
「くっ」
振り向きざまに横薙いだナイフは、いとも容易く躱された。畜生、俺の攻撃、全然当たんねぇよ。
ダメだ、やっぱ呪文でなけりゃ——
「ぅあっ!!」
痛ぇっ——つか熱ぃっ——つか痛ぇっ!!
背を向けるなり、それまでナイフで牽制していた魔狼が噛み付きやがった。右のふくらはぎだ。膝をつく。痛ぇいてぇ痛ぇ、ふざけんな、コラァッ!!
反射的に振り回したナイフが、魔狼の右眼を抉る。
「ギャンッ」
悲鳴と共に牙が抜かれた。
ざまぁみろ。止まった標的なら、さすがに俺だって当てられんだ。
だが、まだくたばってねぇ。
くそ、痛ぇ。
鼓動に合わせて、激痛が脳天を突き抜ける。
「ヴァイス!?」
エミリーの叫び声が聞こえた。いいから声出すな。そっちが狙われちまうぞ。
『ホイミ』
シェラだ。ふくらはぎの傷が癒える。偉いぞ。お前も、頼りになるようになったな、マジで。
3.
しかし——ちょっと目を離した隙に、今度は反対側の魔狼が、マグナの喉笛に噛み付こうとしていた。
だから、ふざけんなっての!!
ナイフを握った右手より、こっちのが近ぇ。
俺は咄嗟に、マグナの首の手前に左腕をついて、魔狼に噛ませた。
痛いんだかなんだか、もうよく分かんねぇ。
無理な体勢で突き出したナイフは、軽々と跳び離れた魔狼に届かない。
うわ腕からすげぇ血ぃ出てる。
ヤバいんじゃねぇの、これ。
痛ぇ、くそ、呪文……集中できねぇ。
リィナもマグナも、まだしばらくは目を覚まさないってのに。
このままだと、本気でマズい。
全滅——
そんな言葉が脳裏をよぎる。
嘘だろ——こんな雑魚相手にかよ。
血が流れる。力が抜ける。立ち上がれない。
俺は力を振り絞ってナイフを振り回し、少しでも両脇の魔狼を遠ざけてから、マグナに覆い被さった。
こいつが噛み殺されるところなんて見たくねぇんだよ。
せめて、俺が死んでからにしてくれ——って、諦めたら、ホントにみんな死んじまうだろうがっ!!
『ヒャド』
やけくそ気味に放った呪文は、奇跡的に発動した。
さっきナイフで傷を負わせた魔狼が凍りつく。
あと一匹——
その前に薬草——いかん、頭がぼーっとしてきた。呪文発動後の脱力感が、普段の比じゃねぇぞ、これ。
ハッハッ、と魔狼の立てる息遣いが、やたらと耳につく。
半開きの口からだらりと垂れた舌を伝って、唾液が滴り落ちる。
くそ、来るなら来やがれ。俺に噛みつきゃ動きが止まんだろ。そん時に、ナイフをぶっ刺してやる。
だから、俺が気を失わねぇ内に——
さっさと来やがれ——
「こっちじゃ!!」
今のは——姫さんか!?
「この汚らわしい犬コロめ!!わらわが相手じゃ!!」
バカ、止めろ、何言ってんだ。ノアニールの爺さんから拝借した『身躱しの服』とやらのお陰で、防御は多少マシでも、攻撃する手段は何も持ってねぇだろうが。
4.
「く……そっ」
俺が振ったよれよれのナイフは当然かすりもせず、魔狼は嘲笑うようについと犬面を逸らすと、エミリー達に向かって駆け出した。
「だめぇっ!!」
シェラは魔狼に背を向けて、エミリーを庇ってぎゅっと抱き締める。
バカ、それじゃ、お前が先に噛み殺されるだけだ。そんなことしてねぇで、バギ唱えろ——無理か。今さっきホイミを唱えたばっかだもんな。
ヤベェ。どうすりゃいいんだ。
身を起こそうとして、地についた左腕に激痛が疾る。
ただでさえ乱れた思考が撹乱されて、回答を導き出せない。
視界が暗くなる。
混濁しかけた意識を、必死に繋ぎ止める。
しっかりしろよ、馬鹿野郎。あいつらが死んじまう。
だが、魔狼がシェラに襲い掛かるのは、あっという間だった。
何をする暇もない。
唸り声をあげて跳びかかる——
「ギャフッ」
霞む視界の中で、魔狼が弾き飛ばされた。
二度、三度と地面で跳ねて、俺の方まで戻ってくる。
びくんびくん、と全身を何度か痙攣させて、それきり動かなくなった。
「よかった、間に合って——だ、大丈夫ですか、シェラさん」
この声は。
鼻っ面が陥没して完全にくたばっている魔狼から、声のした方に視線を移す。
エミリーを抱き締めたまま、ぺたんと床にへたり込んだシェラを、オロオロしながら覗き込んでいるのは——フゥマだった。
なんで、こいつが——とにかく、助かった……んだよな?
痛ぇ、くそ痛ぇっ。
安堵した瞬間に、噛まれた左腕の痛みがいや増して、俺は気絶できなかった。
のろくさと身を起こし、薬草を取り出す為にフクロを探る。
気を失っちまった方が楽だぜ。痛ぇな、くそっ。
5.
「お主は……っ!!」
エミリーが、フゥマをぎろりと睨め上げる。
「あれ?姫さんじゃんか。なんだこれ、なんで——そ、それより、お怪我はないですか、シェラさん!?」
「あ、はい……大丈夫です」
まだ少し呆然としながら、シェラはこくりと頷いた。
「よかった——立てますか?」
フゥマが差し伸べた手を、エミリーがぱしりと叩いた。
「えぇい、わらわ達に寄るでない!!一難去ってまた一難とは、このことじゃな!?」
しっしっ、と手で追い払う仕草をする。
「どうせ、その辺にお主の仲間が隠れておるのじゃろ。わらわにヒドいことすると、この者達が黙っておらぬぞ!?」
いや、ごめん、姫さん。今は無理だわ。
「別にもう、姫さんを捕まえようとか思ってねぇってば。あいつら帰っちまって、今はオレ様独りだしさ」
「……信用できぬのじゃ」
「ホントだっての。ほら、シェラさん、手を——」
懲りずに差し伸べられた手を、再度エミリーが叩き落とす。
「不埒者め!!シェラに触れるでない!!」
「この……っ」
「助けてもらったのに、そんな言い方しちゃダメですよ」
結局、自分で立ち上がったシェラに窘められて、エミリーは不満げな顔をした。
「じゃって、この者はわらわに痛い事したのじゃぞ!?なんで、シェラがこの者の味方をするのじゃ!?」
「味方なんてしてないです。ただ、今は助けてくれたじゃないですか」
「それは……そうなのじゃが」
「だったら、まず先に言うことがありますよね」
シェラに微笑みかけられて、エミリーは唇を尖らせた。
「……イヤじゃ。わらわは、その者は好かぬのじゃ!!」
捨て台詞を吐いて、ぱたぱたと俺の方に駆けてくる。
苦笑してそれを見送り、シェラはフゥマに頭を下げた。
「あの……本当に、ありがとうございました」
「い、いや、全然。それより、ホント無事でよかった」
フゥマは照れ臭そうに頭を掻く。
6.
「ヴァイス、大事ないか?」
目の前にしゃがんで、エミリーは心配そうに俺を覗き込んだ。
「ああ、なんとかな」
傷自体は薬草であらかた治っている。血が抜けたお陰で、ちっとばっかし頭がくらくらするけどな。
「助けてくれたことには、お礼を言います。でも、もしまた姫様を捕まえにきたなら——」
顔を上げたシェラに睨まれて、フゥマは慌てて両手を振った。
「い、いや、そんなつもりないですって。マジで。さっきも言ったけど、その内また出直そうってんで、あいつら先に帰っちまったし、理由が無いですもん」
他の連中が未だに姿を現さないところをみると、独りだというフゥマの言葉は嘘ではないらしい。
やれやれ、あのにやけ面が居なくてほっとするね。あいつとやり合うのだけは、勘弁願いたいからな。
「じゃあ……どうしてここに?」
「いや、ホント、偶然なんスよ。こんなド田舎まで滅多に来ねぇし、タマには目先の違う魔物で修行しよっかな、とか思って残っただけなんス」
「修行って、お独りでですか?」
「ええ、まぁ……」
目を見開いたシェラの顔が、憂いを帯びる。
「そんな、危ないですよ」
「あんな者にも気を遣うとは、シェラはホントに優しいのじゃな」
しゃがんだ膝に両手で頬杖をついて、拗ねたみたいにエミリーは愚痴をこぼした。
出会った翌日からこっち、ほとんど一緒に行動して、すっかり仲良くなってたからな。面白くないらしい。
「や——だ、大丈夫ッスよ。ほ、ほら、オレ様、超強ぇですから」
「それは分かりますけど……」
「や、は、その……心配してくれて嬉しいッスよ。でも、この通りピンピンしてますし、薬草切れたから、もう戻るトコだったし——」
フゥマは、頭皮が剥がれるんじゃないかと思うほど、ガシガシ頭を掻き毟った。
「それに、その……シェラさんが危ないトコを助けられたんで、オレ、ここで修行しててホント良かったッス!!」
力いっぱい目を瞑り、上を向いて大声で言う。
相変わらず恥ずかしいヤツだな。
「……もしかして、あの者はシェラに惚れておるのか?」
姫さん、惚れるなんて言葉を覚えちまったか。
「かもな」
「ふむぅ、そうなのか……なんじゃ?」
突然、こちらに向かって突進するように駆けてきたフゥマを目にして、エミリーは腰を浮かせて身構える。
7.
だが、フゥマはエミリーを素通りして、俺の首根っこに腕を絡めた。
「ヤベェ、やべーよ」
意味不明なことをほざきながら、俺の首をぐいぐい締め上げる。
「やっぱ実物は、すげぇ可愛いよ。しかも優しいよ。すげぇ好みだよ」
止めろバカ、苦しいっての。
「ヤベェ、どうしよう、オレ。マトモに顔見れねぇよ」
知らねぇよ。離せ、この腕白坊主。
見ろ、お前。置き去りにされたシェラが、きょとんとしてるじゃねぇか。
「お主、シェラに惚れておるのか?」
物凄い率直に問われて、フゥマは一瞬呆けてから、慌ててエミリーの口に手を伸ばした。
「バ、バカ、声でけぇっての。聞こえちまうだろ!」
一歩退がって手を払い除け、エミリーはいかにも興味深いと言わんばかりに、フゥマとシェラを見比べる。
「いい加減、離せよ」
「あ、悪ぃ」
俺の首からほどきかけた腕に、フゥマはもう一度力を込めた。痛ぇっての。
「つか、手前ぇ。よくもこの前は、セコい真似してくれやがったな」
あ、バカなのに覚えてた。
だが、あの厄介なにやけ面がこの場に居ないのは、好都合と言える。
こいつは、あんまり物を深く考えそうにねぇからな。エルフの件を、適当に誤魔化しておこう。
「そのことだけどさ、お前ら、エルフをスカウトしようと思って、ここまで来たんだろ?」
「あ?なんであんたが知ってんだよ、そんなこと」
「いや、前に俺も少し話を聞いたんでな。やっぱそうなのか。じゃあ、あのにやけ面に、お前から伝えといてくれよ」
「何をよ?」
「エルフってのは、呆れるくらいおっとりしてて、とても戦えるような連中じゃねぇってさ。スカウトしても、無駄だと思うぜ」
「おっとりしてるかぁ?」
フゥマは、ちらりとエミリーに目をくれる。
「いや、その姫さんが特別なんだ。他の連中なんて、俺達を見ただけで慌てて逃げてくんだぜ」
「まぁ、確かに向いてるようにゃ見えないけどさ」
8.
「なんの話じゃ?」
エミリーが口を挟んでくる。
「いや、エルフは喧嘩が嫌いだって話だよ」
「うむ。わらわ達は喧嘩など好かぬのじゃ」
「それに、姫さん以外のエルフは、人間が大嫌いなんだ。協力なんて、してくれないと思うぜ」
「ふぅん……ま、いちおう伝えておくけどさ」
バカは素直で助かるが、伝えるのを忘れやしねぇだろうな。
「頼んだぜ」
いちおう、念を押しておく。
「ところで、お前ら一体、何者なんだ?」
こいつ、口が軽そうだし、ついでにいろいろ聞き出してやるか。
「強いヤツを集めてるとか聞いたけど、何が目的だ?」
「いや~?オレ様も、詳しいこた知らないんだけどね」
フゥマはやっと俺の首を開放して、立ち上がりながら答える。
「オレ様達は、魔王を倒す為に集められてんのよ」
「はぁっ!?」
返ってきたのは、全く予想外の答えだった。
それが本当なら——こいつら、どっちかっつーと、敵じゃなくて味方なのか?
「それって、どういう——その、なんだ。誰が、お前らを雇ってるんだ?」
「いや、だから詳しいこた知らねって」
「はぁ?」
「いンだよ、細けーコトは。魔王ったら、この世でイチバン強い魔物っしょ?そいつをぶっちめるなんて、すげぇ燃えるじゃんかよ。男なら、そんなハナシにゃ乗らなきゃウソでしょ」
格好良いつもりか、ニヤリと笑う。阿呆丸出しにしか見えませんが。
「いや、あのな。誰に雇われてるのか知らないってこたねぇだろ」
「ん~、でも、別に困んねぇしなぁ。あんたも会ったろ?あのフード被ったヤツ。あいつが連絡役みたいのしててさ。命令とかも全部あいつを通じて伝えられるから、その上のこた良く知らねんだよ」
お前、大雑把にも程があるだろ。
「それに、雇われてるっても、まだ駒が揃ってないとかでさ。タマに今回みたいな召集がかかる程度で、普段はそれぞれ勝手に暮らしてんだ」
自分が騙されてる可能性とか、考えねぇのかよ……考えねぇんだろうなぁ。
このバカは、詐欺で身持ちを崩すに違いない。
どうも、こいつの話を鵜呑みにするのはマズそうだ。敵か味方かってのも、今は保留しておいた方が良さそうだな。
9.
「あの……」
いつの間にか近くまで来ていたシェラに、いきなり背後から声をかけられて、フゥマは文字通り跳び上がった。
「は、はい!?」
お前、声が裏返ってるぞ。
ぎこちなくフゥマが振り向くと、シェラは手にした薬草を差し出した。
「これ、少ないですけど使ってください。薬草、残ってないんですよね?」
「え?いや、いいスよ。平気ッス」
「でも、助けてもらったから……お礼です。受け取ってください」
「あ、はい。じゃあ……」
へこへこ頭を下げながら、薬草を受け取るフゥマ。
「あの……本当にありがとうございました」
「い、いや、いいんですって。全然、大したことじゃないスから」
「それで、あの、私——」
ヒドく思いつめた顔で何かを言いかけたシェラを見て、フゥマはぎくりとする。
「あ、あの、オレ、そういうつもりで助けたんじゃないですから。全然、期待とかしてないし——」
「いえ、そうじゃなくて——」
シェラが言い募ろうとした時だった。
「ん~……っ」
目を覚ましたリィナが、床でもぞりと動いて伸びをした。
「あ、あの、薬草もらっときます。ありがとう。それじゃあ、また今度!」
フゥマは片手を上げて踵を返すと、逃げるように出口に向かって走り去った。
「なんじゃ、あやつ急に」
それはな、姫さん。あのバカは、フラれるのを怖がって逃げたんだよ。
つか、また今度って。約束もしねぇで、どうやって会うつもりだ、あいつ。
「しかし、わらわや木々にしたことは許せぬが、思ったより悪いヤツでもなさそうじゃな。助けてくれた礼くらい、言ってやってもよかったのじゃ」
そうね。悪いヤツじゃないかもな。ヘタレだけど。
「ふぁっ?」
マグナも目覚めたようで、ぴくんと体を震わせた。
「……ちょっと、何やってんのよ」
起きて早々、不機嫌な声を出す。
10.
「手」
「は?」
「どけなさいよ」
そういや、立ち上がる気力が無くて、マグナを抱えたまま座り込んでたんだった。
眠ってる間に、そこらに放り出すのを忘れてたぜ。
「ああ、悪ぃ」
いや、別に何も悪かねぇか。胸に手を置いてた訳でもないしさ。
「……ヘンなことしてないでしょうね?」
立ち上がって、全身の砂埃をぱたぱた叩きながら、そんなことを言う。
ヒデェ言い草だな、おい。
「あれ?ボク、眠っちゃってた?——あ、二人で全部倒してくれたんだ。ゴメンね」
「いえ、あの——」
シェラがリィナに歩み寄って、経緯を説明する。
「ヴァイス——あんた、その血は!?」
袖と下穿きに染みた血を見て、マグナが目を丸くした。
今ごろ気付くなよ。
「もう治ってるよ」
「あ……うん」
「呑気の眠っていたお主を庇って、ヴァイスは傷ついたのじゃぞ」
「え?」
「へっぴり腰じゃったが、ヴァイスは一生懸命戦ったのじゃ」
余計なこと言わなくていいから、姫さん。
「まず先に言うことがあるじゃろ」
さっき自分が言われたことを、エミリーはそのまま口にした。
両脇に転がっている魔狼の死屍をきょろきょろと見回してから、マグナは視線を落とす。
「……ありがと」
いえいえ、どういたしまして。
これで、からかった分をチャラにしてくれると嬉しいんだけどね。
それにしても、マグナが目を覚ます前に、フゥマが消えてくれてよかったよ。
また口喧嘩でもされて、さらに機嫌が悪くなられちゃ堪んねぇからな。
11.
雑魚に思わぬ苦戦を強いられちまったが、キノコの相手は俺が呪文で一手に引き受け、マグナとリィナにはそれ以外の魔物を片付けてもらうことにして、その後は同じ轍を踏むことなく、俺たちはさらに奥へと向かった。
洞窟は、かなり広かった。
途中、石柱が環状に立ち並んだ奇妙な場所で休憩を取ったりしながら、どれくらい奥へと進んだだろうか。
やがて、それまで真っ暗だった横穴のような通路の先に、うっすらと光が見えた。
道は下り勾配なので、地上に繋がっているとは考え難いんだが。
横穴を抜けると、そこには広大な空間が開けていた。
「まぶしい」
呟いたマグナに習って、俺も額に手を当てて庇を作る。
実際は、夕闇程度の明るさだろう。だが、手持ちランプの灯りひとつで洞窟を歩いてきた俺達には、空間全体を満たす光が少々目に痛い。
地底湖と言うのだろうか。床面はほとんどが地下水に占領されていた。
内側に湾曲した壁面は遥か上まで続いていて、眩しくてマトモに見れないが、尖端に開いた穴から地上の光が降り注いでいる。
その真下辺りに浮かんだ出島に、それはあった。
途中で見かけたのと同じような環状列石を覆い隠すようにして、大樹が生えている。
根元につれて幹の膨らんだ、奇妙な形をしていた。覆い茂った蔦の隙間に入り口と思しい穴が見えるので、エルフの里のそれと同じように、中に居住できる空間がありそうだ。
大樹の周囲には、もっと小振りの木々が沢山植えられていて、枝に果実を実らせていた。
「……すごいですね」
シェラが、ぽつりと漏らす。
地底深くで辿り着いた巨大な円蓋の中心で、降り注ぐ光を浴びながら静かに佇む大樹。粟立つ肌は、ひんやりとした空気のせいばかりではないだろう。
横に恋仲の女でもいれば、さぞかしいい雰囲気になりそうな光景だが、残念ながらそんなのは居ないので、俺は島へと続く橋みたいな道に向かって歩き出した。
「洞窟の中に、こんな場所があるなんてね」
俺の後ろを歩くマグナの口調も、少し呆気に取られていた。
「ホント、びっくりだよね。エルフの里もそうだったけど、なんか、別の世界に来ちゃった気がするよ。お話の中っていうか」
と、リィナ。
まったくな。おとぎ話も、ほどほどにして欲しいぜ。
12.
「姉上が身を隠すとしたら、きっとここなのじゃ」
一度は小走りに俺を追い越した姫さんは、後ろを振り返って心細げな顔で立ち止まる。
すれ違い様に、ぽんと頭を叩いてやる。エミリーは、シェラと手を繋いで後からついてきた。
「でも、あんなに魔物が出るのに、こんなところまで来れたのかしら、姫様のお姉さん」
「おそらく、『消え去り草』を使ったのじゃ」
マグナの疑問に、エミリーはそう答えた。
「ずっと昔に異国から持ち込まれた、姿を消すことのできる不思議な草なのじゃが、里では根付かなくてな。もうほとんど残ってなかった筈じゃが、『夢見るルビー』と一緒に姉上が持ち出したのであろ」
大樹の根元に辿り着いた俺達は、絡み合った蔦を掻き分けて、その先の部屋に足を踏み入れる。
ひとつしかない質素な室内には、誰も見当たらなかった。
人の気配が無いのは外からでも分かっていたが、いきなり屍体とご対面、なんてことにならずに済んで良かったぜ。おそるおそる覗き込んだエミリーも、とりあえずは胸を撫で下ろす。
部屋の隅には埃まみれのベッドが床から生えていて、反対側には板状に壁から直接迫り出した机と、木の瘤みたいな椅子があった。
机の上には、デカい宝石が象嵌された装飾品——おそらく『夢見るルビー』——と、一冊の書物が投げ出されていた。
積もった塵を払って、表紙を開く。
「なにそれ?」
マグナが身を寄せて、横から覗き込んできた。
「……日記、みたいだな」
あんまくっつくなよ。胸が腕に当たっても怒らねぇなら、俺は構わないけどさ。
「なになに?」
「姉上のものか?」
「私も見たいです」
全員が押し合い圧し合い集まってくる。
ちょっと待て。分かったから。
俺はベッドの縁に腰掛けて、膝の上に姫さんを招き寄せて日記を手渡した。
左右にマグナとシェラが座って、リィナが後ろから俺の背中にもたれかかって肩越しに覗き込む。
これでサラシを巻いてなきゃ最高なんだが、とか考えていると、エミリーが頁を繰りはじめた。
13.
『今日から、私とロビーの本当の生活がはじまります。
これからは、大好きなロビーとずっと一緒に暮らせるんです。とても幸せ。
ここならきっと、お母様にも見つからないし、本当に、ずっと一緒。これも、夢見るルビーのお陰です。
人間って、どうしてあんなに見る見る年老いてしまうんだろう。
あなたは「そんなに変わったかな」なんていつも笑うけど、出会ってから本当にどんどん変わってしまうから、私はすごくすごく怖かったんだよ。
気がついたら、あなたがお爺さんになっていて、そして、私の前から姿を消してしまったら——
ああ、ダメ。そんなの、耐えられません。
だから、夢見るルビーのことを話したの。すぐにでも、今のあなたとずっと一緒に居たかったから。
あなたが頷いてくれた時は、本当に嬉しかった。天にも昇る気持ちです。
あなたとは夢の中でしか会えなくなってしまうけど、でも、ずっと年老いることもなく、今のあなたのまま一緒に居てくれるんです。
あなたが少し迷ったのは、村での生活があるからだよね。
でも、あなたが淋しくないように、今までと同じ暮らしを送れるように、あなたの村の人達も、みんな一緒に夢の中で暮らせるようにしておきました。
だから、何も問題ありません。
ずっとずっと、一緒に居ようね』
本人以外には意味不明な書き込みを除くと、大体そんなような文章だった。
なにやら薄っすら怖さを感じてしまうのは、俺が男だからだろうか。
エミリーが頁をめくっていく。
しばらくは、益体もないのろけ話が続いていた。
日記と言っても、特に日付は記されておらず、思いついた時に、その時の感情を書き散らしたように見える。
頁を繰り続けると、次第に様子が変わっていった。
14.
『ひどいわ、ロビー。
どうして、いつも昨日のことを覚えてないの?
二人であの丘の上まで遊びに行って、一緒にお弁当を食べたじゃない。
もう何回も行ってるのに。
いつもはじめてって言うの。
絶対に忘れないって言ったのに。
やっぱり覚えてない。
私だけ、どんどん思い出が溜まっていく。
まるで、私だけ、どんどんあなたが好きになっているみたい。
すごく淋しいです。
私が思い出を話すたびに、きょとんとしないで。
ずっと一緒に居るのに。
そうじゃないみたい。
ううん。でも、このままでないと、あなたはたったの何十年で居なくなってしまうもの。
私は、昔の人とは違うもの。
あの人とは違うもの。
諦めたりなんてしない』
今日はあれをしたこれをした、という具体的な記述が減って、不安や愚痴が増えてきた。
それに伴って、文中のわずかな手がかりから察するに、日記をつける間隔がどんどん開いているように思える。
エミリーが頁を捲る音が、やけに大きく聞こえた。
15.
『どっちが夢かなんて、分からなくなってしまえばいいのに。
でも、目を覚ます度に、ぴくりとも動かないあなたがいて。
あっちが夢なんだって思い知らされる。
こっちのあなたは、キスをしても抱き締めてくれないの。
いつも、あんなに優しいのに。
どうして、何も言ってくれないの。
どうして、あなたはエルフじゃないの。
どうして、すぐに死んじゃうの。
一緒に思い出を作りたいよ。
私だけ、胸の中がどんどん重くなって。
いつもあなたは慰めてくれるけど。
今は、何も言ってくれません。
一緒に思い出を作れるあなたは、慰めてくれません。
抱き締めても冷たいまま。
なんで動いてくれないの。
嫌だよ。
ずっと一緒に居るのに、すごく遠くに感じます。
どうすれば、もっとずっと一緒に居られるの。
こたえてよ。
ずっと考えてるのに、分からない。
すごく遠い』
日付が無いので正確なところは判らないが、感覚的にはかなりの日数——ひょっとしたら、年単位の時間が経過していた。
ノアニールの村人達の時を止めたのが、『夢見るルビー』の不思議な力なのだとしたら——そしてロバートも、この地で同様の状態に置かれていたのだとしたら。
こんな処で、ずっと独りきりで暮らして——目が覚めたら、動きもしないし物も言わない恋人がいて——眠れば恋人と会えはするが、昨日のことは何も覚えていなくて——
ダメだ。俺だったら、もっとずっと早く我慢できなくなってるわ。
変化が無いことを苦にしないエルフだからこそ、これだけ保った気がするぜ。
とは言え、普通のエルフは持たない感情が、次第にアンを限界に誘いつつあった。
16.
『もう、目が覚めなければいいのに。
ずっと目が覚めなければ、ずっとロビーと一緒に居られるのに。
ロビーも、私のことを忘れたりしないのに。
ずっと眠ってたい。
起きるのは嫌』
短い文章が目立つようになっていた。この生活に、かなり疲れているようだ。
だが、何頁か後の文章は、少々様子が変わっていた。
『ロビーったら、すごいわ。
私、ぜんぜんそんなこと思いつかなかった。
思い切って、打ち明けてよかった。
すごく長くなっちゃったけど、目が覚める前に全部言えてよかった。
そうだわ。
ずっと目が覚めなければいいんだわ。
二人とも、ずっと目を覚まさなければ、ずっと一緒に居られるもの』
頁を繰る姫さんの手が止まった。
多分、俺と同じ予感を抱いてるんだと思う。
シェラが、エミリーの手を握る。
いつしか俺の首に巻かれたリィナの腕に、少し力が篭る。
「捲って」
マグナが言った。
17.
『ロビーはベッドで寝ています。
夢の中じゃありません。
今も、振り返ればロビーがいます。
今、ちゃんと触れました。
触ると暖かくて、眠ってるから少しだけど、ずっと動いてるのが分かります。
私は、今、起きてます。
さっき、ロビーに、もう一度全部打ち明けました。
そうしたら、やっぱり夢の中と同じことを言ってくれました。
私達がずっと一緒に居るには、こうするしかありません。
ロビーは最初から、そのつもりだったみたいです。
悩んでたのがバカみたい。
ロビーは最初から、ずっと私と一緒に居てくれるつもりでした。
ああ、ロビー。
愛してるわ』
そして、次の頁には、それまでよりもずっと丁寧な字で、短い文章が記されていた。
『お母様。先立つ不幸をお許し下さい。
私達は、エルフと人間。
この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります。
ずっと一緒に。 アン』
18.
しばらく、沈黙が部屋を支配した。
やがてマグナが、はぁ、と息を吐いたが、何も言わなかった。
「こんな……ホントに、これしか無かったんですか?」
シェラが声を震わせた。
「こんなの……イヤです」
ぎゅっとエミリーの手を握る。
「……なん……じゃ……?」
エミリーは日記を手にしたまま、呆然と呟いた。
ぴんと立ってはいないが、力無く垂れてもいない長い耳が、内心の混乱を物語っているようだった。
「よく分からぬのじゃ……」
俺の膝の上で、エミリーの体から次第に力が抜けていくのが分かる。
「この後、どうしたんだろ……?」
さすがに、リィナの声も沈んでいた。
多分、二人は湖の底だろうな。
そう思ったが、口には出せなかった。
「……今日は、ここに泊まっていくか?」
代わりに、そんな提案を口にする。時間的には、そろそろ夜中の筈だしな。
「そうね……それでいい?」
マグナの視線上にいるエミリーとシェラは、返事も頷きもしなかった。
「そうだね。ちょっと眠くなってきたし」
リィナが、欠伸を噛み殺す。多分、フリだろうという気がした。
「じゃあ、そうしましょ」
マグナは立ち上がって、ぽんとひとつ手を打った。
「泊まるにしても、ちょっと掃除しないとダメね」
自分でもとってつけたように聞こえたのか、マグナは小さく溜息を吐いた。
19.
その夜、睡魔は、なかなか俺を襲わなかった。
もともと寝つきが悪いってのもあるが——それ以上に、寒いからだろ、これ。
地底湖に囲まれたこの島は、地面の近くが特にひんやりと肌寒い。
部屋がひとつしか無いという理由で、俺だけ外に追い出されたのだ。掃除は手伝わせた癖によ。ヒデェ話だぜ。
毛布に包まって寝転がっていたのだが、かなり体が冷えてきた。眠ったら死ぬほどじゃないが、このまま安眠するのは難しそうだ。
地上にも短い夜陰が訪れたようで、辺りはすっかり真っ暗だった。
俺は手探りで大樹の根元に移動して、膝を丸めて背を預けた。この体勢の方が、冷たい地面に接する部分が少なくて済むし、自分の体温で暖まる分、いくらかマシだ。腰が痛くなりそうだけどな。
靴を脱いで毛布の上から冷え切った爪先をこねていると、横手で静かに蔦を掻き分ける音がした。
大樹からやや離れて、手持ちランプの灯りがともされる。
シェラだった。脇に例の日記を抱えている。
「どうした?」
なるべく驚かせないように気をつけて、小声で言ったのだが。
「ひっ!?」
危うくランプを取り落としそうになって、シェラはわたわたしてみせた。
「あ、ヴァイスさん——ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
声を聞いた限りでは、少しは元気になったようだ。
部屋を追い出される前の記憶では、らしくもなく、まるで無口になっちまった姫さんと一緒に、相当落ち込んでたからな。
「いや、まだ寝てなかった」
ちょうどいいや。
俺はシェラを手で招き寄せて、毛布の端を持ち上げた。
「早く入って」
「え?あ、はい」
地面にランプを置いて、素直に俺の隣りに座るシェラ。
「もっとくっついてくれ」
「……ひゃっ!?」
「う~……あったけぇ」
シェラに抱きついて暖を取る。やれやれ、助かったよ。
「ヴァイスさん——すごい冷えてますよ?」
「だろ?寒くてさ。ほら、ほっぺたもこんな」
「ひゃぅっ!?あ、あの……ちょっと」
頬をつけると、シェラは困ったような声を出した。
20.
「すごい冷たい……あの、私の毛布も持ってこれたらいいんですけど、姫様と一緒に使ってたから……」
「いや、構わねぇよ。そんかし悪いけど、ちょっとだけあったまらせてくれ」
「はい、いいですよ」
シェラは苦笑交じりに微笑んだ。
「——で、どうした。眠れないのか?」
「ええ……ちょっと……」
シェラは、毛布の隙間から日記の端だけ出してみせる。
「もう一回、これ、読んでみたくて……」
「そっか。邪魔しちまったな」
「いえ、そんな全然」
「俺のことは気にしないで——って、俺が言うのもなんだけどさ。読んでて構わないぜ」
「はい……」
囁く声は、沈んでいた。
頷いたものの、視線を落とすだけで、シェラは日記を開かなかった。
会話が途切れると、辺りは耳が痛いくらいの静寂に包まれる。
ここには魔物も近寄らないから、物音を立てるものが何も存在しないのだ。
耳を澄ますと、部屋の中からリィナの鼾さえ聞こえる気がした。
「やっぱり……」
「ん?」
ポツリと漏らしたシェラの顔を覗くと、何故か慌てて首を横に振った。
「な、なんでもないです」
「なんでもないこた無いだろ」
「いえ——ホントになんでもないですから」
ランプの炎に陰影の揺れる横顔は、とても言葉通りの表情ではなかった。
「なんか言っちまいたい事があるなら、俺でよければ聞くけど」
「いえ、いいんです」
「なんだよ、水臭ぇな。前に俺も、愚痴聞いてもらっただろ。そのお返しだよ」
「だって……私の方が、聞いてもらってます」
「……ま、話したくないなら、別にいいけどさ」
突き放したつもりじゃなかったんだが、シェラは毛布の上からがばっと膝を抱えた。
21.
「も~……ごめんなさい。ホントに、いつもウジウジしてて、ご迷惑ばっかりかけてごめんなさい」
毛布に顔を押し付けて、くぐもった声で言う。
本当は話してしまいたいのに、自分の喋る内容が、相手の負担になることを怖れて切り出せない。そんな感じだった。
「別に迷惑とか思ってねぇよ。まぁ——」
その気になったら、話せよ。
そう言いかけて、喉の奥で言葉が詰まる。
何かが引っかかっていた。脳裏に浮かんだのは——焚き火のイメージ。
横にはシェラじゃなくて、マグナが座っていて——ああ、そうか。
シェラの話を聞くのはいいが、俺はまた何も答えられないんじゃないだろうか。その思いが、俺の喉を塞いだのだ。
情けないことに、多分、そうだろうという予感がある。
黙ってた方がいいんじゃないかとも思う。
でもさ。
「喋っちまえよ。呑み込んでるよりは、ちっとは気分が楽になるかも知れねぇしさ」
結局、そんな事をほざいていた。
俺って、まるで成長してねぇのかな。
シェラは、毛布に顔を埋めたままだった。
けど、こいつもさ——
毛布に埋まった金髪を、ぽんぽんと軽く叩く。
なんで、こんなに自分に自信が無いのかね。
「やっぱり……ダメですよね」
「ん?なにが」
くぐもった声が続ける。
「やっぱり、普通と違うと、幸せにはなれないんです」
そういう事か。
俺は、シェラの頭の中を推測する。
アンとロバートには種族の壁。
そして、シェラには性別の壁。
その違いはあるけれど、どちらも決して乗り越えられないという意味では、共通している。
つまりシェラは、アンに自分を重ね合わせてしまったんだろう。
22.
「いや、でもな……シェラだったら、いいってヤツもいると思うけどな」
後から考えると、俺のこの台詞はいかにも考えなしだった。
これだけ可愛ければ——単純に、そう考えてしまったのだ。
「違うんです……」
「え?」
「そういう人は、違うんです。私のことを、女の子として見てくれる訳じゃないです」
俺の受け答えは、軽いままだった。
「そうか?そりゃ、そういうヤツも居るだろうけどさ、中には——」
「だったら!!」
シェラは顔を上げて、俺を見た。
「だったら、ヴァイスさんは、私の事を恋人って見れますか!?普通の女の子と同じように!?」
間抜けな俺は、ここに至ってようやく、自分がいかに適当な口を利いていたかを思い知るのだった。
だが、思い知ったところで、俺はしどろもどろに「なんとなくこう言った方がいいんじゃないか」みたいな言葉を継ぐことしかできない。
「急に言われても、分かんねぇけど……見れない事はないんじゃねぇかな。そういう仲になれば」
ホント、俺ってバカだな。
シェラは俺から瞳を逸らして、また下を向いた。
「嘘です。気持ち悪いこと言って、ごめんなさい。そんな風に思ってないですから、心配しないでください」
「……そんな言い方すんなよ」
「でも、気持ち悪いですから」
なんでもないような口振りに、却ってこいつの抱える問題の根深さを認識させられる。
あまりにも深くて——まるで届く気がしない。
なんて言ったらいいのか分からない。
「ごめんなさい。ヴァイスさんは、何も悪くないです。こんな事、言うつもりじゃなかったんです。ホントにごめんなさい」
「もういいって。俺の方こそ……悪かったよ。よく考えもしないで、適当なこと言っちまった。ごめんな」
「いえ、私が悪いんです——なんて、謝ってばっかりじゃ、困っちゃいますよね。ホント、いつもウジウジして、後悔ばっかり……」
だから、言わなきゃ良かった。
多分シェラは、その言葉を呑み込んだ。
「今度会ったら、あの人にもちゃんと伝えないと……」
「あの人?」
「フゥマって人です。あの人も、きっと勘違いしてるじゃないですか?」
シェラは、力無く笑った。
23.
「助けてもらった時、いくらでも言う機会はあったのに……バカみたい。何を期待してるんでしょうね?」
自嘲を浮かべる横顔を、見ていられなかった。
「シェラ……」
「あ、ダメですよ。ここで優しくしたりとか、しないでください。そういうの、いいですから」
冗談めかした口振りは、変に無理をしている風にも聞こえなかった。
それがなんだか、一層痛々しいんだが——安易な言動も、俺には出来なくなっていた。
「でも、ほら。その日記を持って帰れば、あの女王様から神殿の話を聞けるかも知れないだろ?それが目的で、こんなトコまで来たんだしさ」
ようやく、そんなことしか言えない。
「そうですね……」
ヒドく小声で囁いてから、それを掻き消すように、シェラは明るい声で言い直す。
「そうですよね!」
多分、俺が気を遣われたのだ。
それが分かっても——
「そうそう」
アホみたいな相槌を打つことしかできなかった。下手な言葉を口にしたところで、余計に気を遣わせるだけな気がして。
エルフの女王が神殿の話を知っているのか、まだ分からないし、そもそも、その神殿の話からして、シェラの望みを叶えてくれる物かどうかも分かっていないのだ。
俺がこいつにしてやれる事って、何かあるんだろうか。
また静寂が俺達を押し包みかけた時、再びガサリと蔦を掻き分ける音が聞こえた。
「シェラ……どこじゃ?」
眠そうに言って、部屋から出てきたのはエミリーだった。
小さい体を毛布に包んで、よたよたと歩いてくる。
「姫様——」
「……ズルいのじゃ」
ぼーっと俺達を見下ろしてから、エミリーは俺の毛布に自分のそれを重ねると、脚の間に潜り込んできた。
今の今まで寝ていたらしく、体中がぽかぽかしている。こりゃあったけぇ。
「急に居なくなったから……淋しかったのじゃぞ」
隣りで寝ていた筈の母親が、いつの間にか姿を消したことに気付いた子供みたいな声を出す。
「ごめんね。やっと眠れたのに、起こしちゃいましたね」
シェラは、優しくエミリーの頭を撫でた。
24.
「……頭がぐるぐるするのじゃ」
半分寝言みたいな喋り方だった。
「悲しいのとか、色んなのがぐるぐる回って……なんだかよく分からぬ……」
「姫様……」
「夢を見たのじゃ」
長い耳がとろんと垂れる。気落ちしたから、というよりは、瞼と一緒に眠くて垂れたように思えた。
「姉上が、人間の男と幸せそうに暮らしてたのじゃ……」
「……よかったですね」
シェラの微笑みはぎこちなかったが、寝惚けているエミリーの目には入っていないだろう。
「姉上は……幸せだったのじゃろうか?」
「それは——」
わずかに間が空いた。
おそらく、いくつかの言葉が外に出る前に、シェラの口の中で消えた。
「私にも……分かりません」
「……ヴァイスは、どうじゃ?」
眠くて振り向くのを諦めたように、エミリーはもぞりと身じろぎをした。
「俺にも、分かんねぇな」
他の言葉は思い浮かばなかった。なんか、気休めを言う気分じゃなかったしな。
「そうか……人間にも、分からぬのか……わらわも、ずっと考えておったのじゃが……」
かくん、とエミリーの頭が落ちる。
「やっぱり……姉上の気持ちは……わらわには、良く分からぬのじゃ……」
エミリーは、小さく欠伸をした。
「じゃが……姉上のような『好き』は……よいだけのものではないのじゃな……」
最後は、ほとんど言葉になっていなかった。
シェラは、なんともいえない表情で、息を呑んでエミリーを見つめた。
「そうですね……」
少しして、頭を撫でていた手を止める。
「寝ちゃったみたいです」
細くて薄いエミリーの背中が、寝息につれて微かに俺の胸を押す。
睡魔の次の標的に定められて、俺の口からも盛大な欠伸が漏れた。
25.
「ヴァイスさんも、眠ってていいですよ」
シェラは、くすりと笑った。
「私、読み終わるまで隣りに居ますから。それなら、寒くないですよね?」
手にした日記を、ちょっと上げてみせる。
「いや、でも悪ぃよ」
「全然悪くないですよ。私、これを読む為に出てきたんですから」
そういやそうだな。
「ホントは、もういいかなって思ったんですけど……女王様に渡したら、もう読めなくなっちゃうじゃないですか。だからやっぱり、もう一回読んでおきたいんです」
「そっか」
「はい。ちゃんと姫様も見てますから、安心して眠っちゃってください。それに隣りに居れば、私も寒くないですし。独りで読んでたら、さっきのヴァイスさんみたいに凍えちゃいます」
「そうだな。んじゃ、お互いに湯たんぽ代わりってことで」
正直、シェラの提案はありがたかった。
寝つきが悪いもんだから、一度睡魔を取り逃がしちまうと、なかなか次が襲ってこねぇんだ、俺の場合。
「もし姫様だけじゃ足りなかったら、私も抱えちゃっていいですよ。なにしろ湯たんぽですから」
そう言って、含み笑いを浮かべる。
うん、落ち込んだ顔してるより、そっちのが可愛いぜ。
「いや……充分、あったけぇよ……」
毛布は二重だし、姫さんはぽかぽかしてるし、さっきまでとは大違いだ。
瞼を落とすと、睡魔が一気に俺を夢の世界に手繰り寄せる。
「……おやすみなさい」
眠りに落ちる寸前に、シェラの声が聞こえた。
髪を撫でられた気がする。
でも、返事をしたら、この睡魔が逃げちまうんだ。
ごめんな——
26.
目を覚ますと、辺りはもう明るかった。
地上に比べりゃ暗いんだろうが——俺は下を向いて、眩しさに顔を顰めた。
何度か力を込めて瞬きすると、次第に目が慣れてくる。
正面に、誰かの足が見えた。
「おはよう」
顔を上げると——マグナが腕組みをして、俺を見下ろしていた。
「ああ。おはよう」
しゃがれた声で返事をする。
左脚と右肩がやけにダルい。
見ると、俺の脚を枕代わりにして、姫さんがヘンな体勢で丸くなっていた。
肩にはちょこんと頭を凭せ掛けて、シェラがすやすやと寝息を立てている。
うん、結構な絵面だろうな、これは。
「いや、あのですね……」
マグナが何も言わない内に、勝手に言い訳が口をついて出る。
「夜中、日記をもう一回読んでおきたいって、シェラが部屋から出てきてだな。で、寒かったから、くっついてお互いに暖まってたんだけどさ……」
視線が上を向かない。もちろん、朝日が眩しいからだが。
「そしたら姫さんが、シェラを探しにきてだな……二人とも、そのまま寝ちまったみてぇだな」
「ふぅん。まぁ、別にいいけど」
思ったより、普通の声だった。
「だったら、姫様とシェラは、ちゃんと部屋に戻してよ。風邪でも引いたらどうすんのよ」
俺はいいのかよ。
「あんたは、別にどうなってもいいけど」
ああ、そう。
「んふぁ?——あ、おぁようございまふ」
シェラも目を覚ました。
もごもごと口の中で朝の挨拶をして、眩しそうに目を擦る。
「みんな、おっはよー。朝ご飯にしよう!」
少し離れたところから、リィナが声をかけてきた。
朝っぱらから、元気溌剌だな、お前は。
「あ、はい。すぐに仕度しますね」
少しよろけながら身を起こし、部屋に戻りかけたシェラは、立ち止まってマグナを振り返った。
27.
「昨日の夜は、ヴァイスさんが寒そうにしてたから、一緒に寝ちゃいました」
「あ……そう」
悪びれた風もなくあっさりと言われて、マグナは少し意表を突かれた顔をした。
「独りで外に追い出すなんて、やっぱり可哀想ですよ。もう少し、優しくしてあげてくださいね」
「……そうね」
シェラが部屋に消えると、何故か俺がマグナに睨まれるのだった。
別に、何もしてねぇよ。してやれなかったっつーか。
「悪かったわよ」
今度は、俺が意表を突かれる番だった。
「でも、寒かったんなら、そう言えばいいじゃない。そうすれば、あたしだって……」
唇を尖らせる。
「そうだな。次からそうするわ」
やっぱ、腰痛ぇし。
「ヘンな姿勢で寝るからよ。ほら、薪拾うわよ」
腰を押さえる俺に悪態を吐いて、ぷいと踵を返す。
はいはい、と。枯れ枝もそこそこ落ちてるし、朝飯分くらいはなんとかなりそうだな。
「んにゃ……」
お姫様は、案外寝ぼすけだった。毛布でくるんで抱え上げても、まだ目を覚まさない。
まぁ、飯の仕度が整うまでは、寝かせといてやるか。
眠り姫を部屋に運ぶ途中で、調理道具や食材を抱えて出てきたシェラとすれ違った。
「マグナさん、怒ってました?」
「いや、別に」
「そうですか。良かった」
安堵と悪戯っぽさが半々の微笑みを浮かべる。
やっぱ、すげぇ可愛いんですが。
「さっさとしなさいよ!」
慣れた手つきで食事の仕度をするシェラの後姿を、なんとなく眺めていると、木々の間からマグナに怒鳴りつけられた。
お前は、部屋でぐっすり眠れたからいいよな。
足で蔦を掻き分けて、姫さんを部屋の中で寝かせてから、俺は腰を叩いて薪を拾いに向かった。