12. cAn't stop this feeling i got

1.

 真夏とはいえ、この辺りの気温はあまり高くない。

 代わりに日差しが強いものの、木々の梢にほとんどが遮られ、苦になるほどではなかった。

 その木漏れ日の元で、大樹を抱くように身を寄り添えて、鼓動を聞き取ろうとするかの如く幹に耳を押し付け、黙然と瞳を閉じる少女がひとり。

 頭上から零れ落ちる柔らかな光の膜が何層も折り重なり、遥かいにしえからこの地を見守り続ける大樹と、そこに溶け込むように身をゆだねる少女を包み——何が起こってもおかしくないような——ひどく神秘的な景観を創り上げていた。

「……」

 どれくらいそうしていただろう。

 少女——リィナは、ぱちりと目を開いた。

 身を乗り出す俺達に向かって、頭を掻いてみせる。

「ごめん、全然分かんないや」

 あはは、とかいう軽い笑い声を耳にして、俺達は詰めていた息を盛大に、まったく同時に吐き出した。

「やっぱり、お話に出てくるエルフみたいにはいかないですね」

「まぁ、そりゃそうだ。木の声なんて、聞こえる訳ねぇよな」

 俺とシェラは、力無く笑い合う。

 時折、突拍子も無いことをやってのけるリィナならもしかして、と一縷の望みをかけたんだが、無理なモンは無理だよな、やっぱり。

「どうすんのよ!もー、全然見つからないじゃない!」

 カザーブの村を出発して、はやひと月以上。

 求めるエルフの隠れ里に、俺達は未だに辿り着けずにいた。

「ホントにこの辺りなの!?方向は合ってるんでしょうね!?」

「あのおっさんが言ってた通りなら、この辺だと思うんだけどな」

「じゃあ、なんで見つからないのよ?」

「俺に聞くなよ。知らねぇよ」

「なに開き直ってんのよ……誰の所為で、こんなおんなじようなトコ、グルグルぐるぐる回らされてると思ってんの!?」

「俺の所為かよ」

「そうでしょ!?あんたが、エルフに話聞きにいこうって——」

「も~、止めてくださーい!」

 シェラが、両耳を押さえて大声で割って入った。

「昨日もおとといも、同じことで喧嘩してるじゃないですかっ!」

「だって——」

「ヴァイスさんも知らないんだから、仕方ないですよ。頑張って、皆で探しましょう?」

 シェラに言われて、マグナは渋々口をつぐむ。

 このやり取り、もう何回目だ?

2.

 俺とマグナの口喧嘩があまりにも頻繁なので、毎回に仲裁役をやらされてるシェラの口調も、大分だいぶぞんざいになってきた。

 ここ数日来、マグナは完全に、エルフの隠れ里探しに飽きていた。元々、探し物とか向いてねぇんだよ、こいつの性格からして。回り道とか後戻りが大嫌いなんだからな。

 ジツは俺も、既に半分以上諦めていたりする。まさか、ここまで見つからないモンだとは思わなかった。おおよそこの辺り、と思われる場所を、もう何日も探し歩いているのに、さっぱり手がかりの尻尾すら掴めない。

 吟遊詩人の歌に登場するエルフよろしく、リィナに樹の囁きを聞いてもらって、隠れ里まで案内してもらおうだなんて荒唐無稽な思いつきにさえ、縋っちまうくらいに手詰まりだ。

 もう諦めて戻ろうぜ、と何度か提案したのだが。

「イヤよ。こんなにウロウロ歩き回らされて、見つけもしないで帰るなんて、冗談じゃないわ。それじゃ、まるきり無駄足じゃない!!絶対にイヤ」

 その度に、マグナが不機嫌な面をして断固拒否するのだ。

 どうしろってんだ。なら、いちいち俺に文句を言うんじゃねぇよ。こいつ、やっぱ全然可愛くねぇよ。

 そもそも、エルフに村人達が眠らされたという『眠りの村』を、思いの他あっさり発見できてしまったのがマズかったのだ。この分なら、エルフの住処すみかにも簡単に辿り着けるモンだと錯覚しちまった。

 ロマリアからルーラでカザーブに飛んで、そこから出発して北に向かって山を下り、寂れた街道を五日ほど歩いたところで、その村に行き当たった。

 遠くに見えた時は、こんなに簡単に見つかる筈がない、まさかあそこじゃねぇだろうと踏んでいたんだが。

 近づいてみると、どうも村の様子がおかしい。まるで何年も前に打ち捨てられた廃村みたいに、人の暮らしている気配がまるで無かった。

「ひぁっ」

 村に入ってすぐに、シェラが悲鳴をあげた。

「なにこれ——人形?」

 マグナがまじまじと、それを覗き込む。

 永らく風雨に晒されて見るも無残なナリをした男が、道の傍らに立っていた。

 ピクリとも身じろぎひとつしないそいつは、確かに人形としか思えなかったが——よく出来過ぎていた。

 恐ろしく汚れていることを除けば、生きた人間にしか見えない。動いたり喋ったりしない方が不思議で、見れば見るほど違和感を覚えて頭が混乱してくる。

3.

 よく見ると、村のそこかしこに、そんな人形じみた連中が立ち尽くしているのだった。

「な、なんなんですか、この村……」

 シェラの怯えた声を背に、俺はその内のひとつ、若い女の人形に歩み寄った。

 頭や肩を払うと、埃や汚れは表面に乗っかっていただけのようで、ボロボロと崩れ落ちる。その下の服こそ古ぼけていたが、髪や肌は大して痛んだ様子もない。不自然なくらいに綺麗なままだった。

 ふむ。

 俺は、女の鼻と口を塞ぐように手を当てた。息はしていない。

 胸に耳を押しつける。心臓も動いてない。というか、この感触は——

 俺は、胸を揉んでみた。固い。揉めねぇ。尻はどうだ——丸みはいい感じだが、やっぱり固い。つまらん。

 これじゃ、下からスカートの中を覗き込むくらいしか、楽しみ方が——いてぇっ!!

「な……なにやってんのよ、あんたはっ!?」

 マグナに思いっ切り、後ろ頭をはたかれた。

「ば、ばか、いや、違うんだって」

「なにが違うのよっ!?なにやってんのっ!?」

 お前を触った訳でもあるまいに、そんなに声を震わせて怒ることないだろ。

 あ、でもシェラまで、ちょっと引いてやがんの。そこまでアレな行動に映ったのか。ヤベェな。

「いいから、お前も触ってみろって」

「な、なによ……?」

「いいから」

 俺はマグナの手を掴んで、無理矢理女の胸を触らせた。

「え——なにこれ、固い?」

「な?」

「やっぱり、人形ってこと?」

「いや、それはどうだろうな」

 こんなに精緻な人形は見たことがない。仮に人形だとしても、これ程よく造り込まれた逸品を放置しておくバカがいるとは思えない。酔狂な金持ち辺りに、いい値段で売れるぜ、これだったら。

 つまり、ここはやっぱり『眠りの村』で、こいつらは人形ではなく人間だ。単に眠っているだけとは言い難いが、他に表現のしようが無かったんだろう。

 街道は、この村で途絶えていた。ということは、ここは最北の村であり、この先には人の集落はロクに存在しない筈だ。その終端の村が、こんな廃村みたいな有様では、人の行き来が途絶えても仕方が無い。

 初期の段階で、知らずに村を訪れた商人かなんかが、話を広めて回ったんだと思う。村の様子からして、その後はずっと見捨てられていた筈だ。

4.

 噂が伝説じみていた割りには、やたらあっさり発見できてしまった理由は、そんなところじゃなかろうか。

 真相を確かめるってだけの理由で、魔物に襲われる危険を省みず、わざわざ何日もかけてやって来るような物好きが、単にいなかったというだけの話だ。

 俺達以外はな。

「……って、誤魔化されないからね。なんで、わざわざ女の人を触るのよ。何かを確かめるんだったら、入り口のトコに立ってた男の人で充分じゃない!!」

 いや、だって、男の体なんぞ撫で回したところで、面白くもなんともないだろ。

 俺は、じとーっと睨みつけるマグナの視線を避けて、村の奥へと歩を進めた。

「まぁ、とにかくちょっと調べてみようぜ」

「……変態」

 ぼそりとマグナが呟く。

 俺は何も言い返さずに、しらを切り通した。

 うるせぇよ。男だったら、誰でも女の方で確かめるっての。ごちゃごちゃぬかすと、お前の全身を撫でくり回すぞ。

 村の中は、どこへ行っても似たような有様だった。何年も人の手が入っていない廃屋同然の建物の内部には、人形のように身を固くした村人が置かれているだけで、動いている人間の姿は全く見かけない。

 人の形をした影があちこちに佇んでいるのに、俺達の他には物音ひとつ立てる者とてなく、しんと静まり返っていて——かなり不気味だ。

 村に足を踏み入れた時から、シェラはずっと怯えた表情をしているが、何の予備知識も無く、いきなりここを訪れていたら、俺も平静ではいられなかっただろう。

 それまで見落としていた、村外れの建物に俺達が気付いたのは、村中をあらかた回り尽くした後だった。

 扉の脇に、魔法協会の印が掲げられている。他の家屋と異なり、あまり寂れた様子がない。これは、ちょっと期待できそうだ。

 相談する暇もあればこそ、リィナが勝手に歩み寄ってノッカーを打ち鳴らした。

「すいませーん。誰かいますかー」

 いや、あのな。だから、せめて先に言ってから行動しろっての。

 しばらく何の返事も無かったので、また空振りかと落胆しかけたのだが。

 やがて、扉を開けて、壮年の男が姿を現した。

5.

 俺達を建物に招き入れたおっさんは、突如として連絡がつかなくなった魔法協会の状況を調べる為に、このノアニールの村に派遣された魔法使いということだった。

 しかし、調査に来たはいいが、何事が起こったのか語れる村人は皆無。そりゃ、全員人形みたいに固まってるんだもんな。

 仕方なく独りで何日か調べていたら、たまたま用事で村を空けていて難を逃れた、初老の爺さんが帰ってきた。

 変わり果てた村の様子に腰を抜かした爺さんは、これはエルフの呪いに違いないとのたまった。

 なんでも村人の間では、昔からエルフがちょくちょく目撃されていたらしい。彼らにとってエルフとは、伝説という程に遠い存在ではなく、割かし身近なご近所さんみたいな感覚だったそうだ。

 しかしそれは、人間側の一方的な思い込みに過ぎず、エルフの女王は人間が大嫌いで、同族に接触を固く禁じていた。

 ところが、爺さんの息子が、密かにエルフの王女と付き合っていたというのだ。

 それを知ったエルフの女王は、強硬に二人を引き離そうとしたが、どうしても許してもらえないのならと、爺さんの息子とエルフの王女は手を取り合って駆け落ちをしてしまう。

 エルフの女王は嘆き悲しみ、可愛い娘を奪った憎き人間の故郷であるノアニールの村に強力な呪いをかけた、というのが爺さんの見解だった。

「なんだか、ロマンチックなお話ですね~」

 甘ったるい恋物語が好きなシェラはそう呟いたが、なんか八つ当たり臭いぞ、この話。とばっちりでエルフの女王に呪われた村人にしてみれば、ロマンチックどころの騒ぎじゃないと思うが。

 今のご時世に、三流吟遊詩人の奏でる絵空事みたいな物語が現実に起こっているとは、にわかには信じ難いが、でも実際に村の様子を目の当たりにしちまってるからなぁ。

「そのお爺さんは、どこに行ったの?」

 マグナが、魔法使いのおっさんに尋ねた。

「村を元に戻してくれるように、エルフの女王に謝りに行ったよ。もうずいぶん前になるが」

 色ボケのボンクラ息子を持った爺さんも大変だ。

 魔法使いのおっさんは、この地に残って村人の状態を研究しているのだという。

 お題目は「村人達を救う為」だが、どうせ魔法使いのこった。涎が出るような珍しい現象だろうから、研究が主目的で、あんまり真面目に村人を助けようとか考えてないに違いない。

6.

「それで結局、あの村人達は、一体どんな状態なんだ、ありゃ?」

 俺の問いかけに、おっさんは無精髭を撫でながら難しい顔をしてみせた。

「うむ。まだ研究の途中なのでな、あまり余人に聞かせることもないのだが……」

 よく分からないと、素直に言え。

「彼らは、時間を奪われたのだと考えておる。もちろん、比喩的な表現だがね」

 つまり、時を止められたとか、そういうことか?

 おっさんの言葉を聞いて、俺は冒険者の必需品であるフクロを連想した。

 俺達が持っているフクロは、そこいらに転がっている普通の袋とは訳が違う。

 様々な装備や食料、その他生活必需品や旅先で入手したお宝など、長く旅をする俺達の荷物は膨大な量になる。

 かといって、道なき道を踏破することも多いので、隊商のようにいちいち荷馬車を引く訳にもいかない冒険者の為に、魔法使い共が開発したのがフクロだ。

 冒険者になると、腰に下げて邪魔にならない程度の袋状のフクロが支給される。こいつがなんとも不可思議な代物で、口の緒をくくると、中に入れた物が消え失せるのだ。口を開ければ荷物は再び現れて、ちゃんと取り出すことが出来る。

 どんなに重い物を入れても、口さえ閉めれば布切れの重量しか無い訳で、荷物を持ち運ぶには大変重宝するのだが、口を開けている間は普通の袋とほとんど変わりがないので、あくまでフクロの大きさの分しか物は詰め込めない。

 従って、もっと沢山の荷物を持ち運びたければ、もっと大きなフクロが必要になる。特注であつらえてもらう必要があるので、目ん玉が飛び出るくらい高価だが。

 俺達の場合は、マグナが最初から持っていたので、その点では幸運だった。おそらく、親のお下がりだろう。

 人が屈んで何人か入れるくらいデカいそのフクロには、大抵の物を詰め込んでおける。まぁ、だからと言って、水さえあればいつでも湯浴みのできる風呂セットはともかく、服を仕舞う為の箪笥まで入れてる冒険者は、他にちょっと聞いたことがないけどな。

7.

 このフクロの仕組みについて興味があったので、例の嫌味な講師に尋ねたことがある。

 けれども、位相がどうだとか、閉じた世界がなんだとか、ルーラは実際は時空を操る魔法だとか言われてちんぷんかんぷんだった。

「フクロの中ではあるが、この世のどこでもない場所にあるのだとでも思っておけ。馬鹿め」

 最後には「死ね」と言うのと同じ口調で、そう吐き捨てられた。

 あいつ程、俺のことをバカ呼ばわりした人間には、後にも先にも会ったことがねぇよ。

 それはともかく、原理や仕組みはよく分からないながらも、日常的にフクロを利用する冒険者達が、経験から見出した特性がひとつある。

 フクロの口を閉じて消えた中身が何処に行くのか知らねぇが、そこでは時間の流れが物凄く遅いか、もしくは全く止まっているらしいということだ。

 何故なら、入れておいた生肉が、何日経っても腐らないのだ。これはこれで、食い物の保存に便利な特性くらいにしか思っていなかったのだが。

 村人達がおかれているのは、つまりそれと同じような状態かと俺が問うと、おっさんは口をへの字に曲げて首を横に振った。

「それはまた、表面的な類似のみを短絡的に結びつけた、素人考えの典型と言えるな」

 やかましい。やっぱり魔法使いってのは、嫌味なヤツばっかだな。

「先ほど『時間が奪われた』と言ったのは、無知な君等に説明する為の比喩でな。これは、およそ我ら魔法使いすらも知らない、全く未知の現象なのだ」

 お前も分かってねぇのに、偉そうなことほざくんじゃねぇよ。

「もちろん、いくつかの推論は立てているがね。だが、さすがはエルフの秘術とでも言うべきか。呪いをかけた女王にしか解けないのかも知れん。私が研究を続ければ、やがて全てを解き明かす事は可能だろうが、それはまだ何年も先のことになりそうだ」

 こんなことを言ってるが、まるきり目処が立っていないに違いない。

「どうだろう。エルフに話を聞きに行くというのなら、ついでに呪いを解く方法を尋ねてきてくれないか。それさえ分かれば、研究は格段に前進する筈なのだが」

 いやいや。呪いを解く方法が分かったら、もう研究なんぞする必要はねぇだろうが。

 やっぱり、村人を助けるとかどうでもよくて、自分の研究が第一なんだろ、こいつ。

8.

 嫌味なおっさんの頼みを聞いてやるのはシャクだったが、村人達をあのまま放置しておくのも寝覚めが悪い。

 どうせついでだし、ということで、俺達はおっさんの要望を聞き入れた。

 唯一の生き残りである爺さんから、おっさんが聞いた話によれば、エルフの隠れ里はずっと西の洞窟から少し北に上った辺りにあるらしい。

 やたら曖昧な情報だが、隠れ里と言うだけあって、正確な位置は分からないのだそうだ。おっさんも一度、研究の為に話を聞きに行こうしたが、結局見つけられなかったという。

 で、俺達も、さっぱり発見できなくて、森の中を何日もウロウロ彷徨っているという訳だった。

「ヴァイス、なんとかしなさいよ。あんたが言いだしっぺでしょ」

 マグナがうんざりした口調で、俺に文句を言う。

 そう言われましてもね。

 また口喧嘩になっても虚しいだけなので、俺はあえて返事をしなかった。

「あーもー、ホントにエルフの隠れ里なんてあるの!?」

 そう思うんなら、諦めて村に戻るのに同意してくれよ。

「……分かってるわよ。あたしだって、こんな文句ばっかり言いたくないんだから……けど、駄目なの!こういうの、なんか我慢できな——」

「しっ」

 だしぬけに、リィナが唇に人差し指を当ててマグナを黙らせた。

「なんか聴こえる」

 耳の後ろに両手をあてがって、きょろきょろと辺りに向ける。

「悲鳴……かな?こっちから聴こえる」

 よし、でかした。俺には全然聴こえねぇけど、お前はきっと何かやってくれると信じてたぞ。

 まだエルフ関係と決まった訳じゃないが、何の手がかりもなくウロついてるよりゃ百倍マシだ。

 小走りに先を行くリィナについて、俺達はそちらに向かった。

 やがて、俺の耳にも話し声が聴こえはじめて、木々の合間から——魔物が見えた。

 小山のように馬鹿デカくて、顔が長いゴリラみたいな化物だ。

 リィナに身振りで指示されて、俺達は身を屈めて木々や繁みに隠れながら、こそこそと近づく。

 はじめは、誰かが魔物に襲われているように見えたのだが。

 傍らに人間が居るというのに、魔物は暴れる様子もなく大人しいものだった。

9.

 俺達が耳にした喚き声を、ジタバタと身をよじりながらあげているのは少女だ。線は細いが気の強そうな、シェラとはまた感じの違う美少女だ。

 つか、耳が長い。あれ、もしかしてエルフじゃねぇの?

 そして、エルフの少女を羽交い絞めにしているのは——

「……あいつ、オレ様とか言ってた、あのヘンなヤツじゃない?」

 マグナが小声で囁いた。

 そうなのだ。あれはフゥマだ。

 ということは、隣りに立ってるフードを被った奴は、あのにやけ面で、よく見りゃ逆側にルシエラも居るじゃねぇか。

 ルシエラの背後には、さっきから見えているゴリラの化物と、それからホイミスライムが並んでいた。

 カザーブの酒場で一緒にいた変人共の正体は、ひょっとしてこいつらか。魔物と行動を共にしてるってことなのか?なんだ、そりゃ?

「えぇい、離すがよい!下賎な人間風情が、エルフの王女であるわらわに触れるなど、許されると思っておるのか!」

「うるせーな、このガキ、さっきから。締め落として一回黙らせちゃおうぜ。耳がキンキンして仕方ねぇよ」

「やめてくださいよ、フゥマさん。それじゃ、お話が伺えないじゃないですか」

 あーあ。やっぱりこいつらも、エルフを探しに来てやがったよ。

 だからこの案は、あんまり気が進まなかったんだよな。しかし、こんな広い森の中で、まさかばったり出くわさねぇだろうと思ってたんだが。

「エルフの王女様。何度も申し上げるようですが、我々はお話を伺いに来ただけなのです。お願いですから、貴女あなたの里に案内していただけませんか」

「……駄目じゃ。掟により、人間を招き入れることは出来ぬ」

「そこをなんとか」

「イヤじゃ。お主のその、胡散臭い笑い顔が気に食わぬ」

 はは、言われてやんの。

「あのな、王女さんよ。あんまり我侭ばっか言ってっと、優しいオレ達もしまいにゃ怒るぜ?」

「うるさい。お主はその臭い口を閉じて、さっさと汚らわしい手を離すがよい。今ならまだ、わらわに働いた無礼を許してやらぬでもないぞ」

 舌足らずなエルフの王女様の挑発を受けて、腕白坊主は眉を跳ね上げた。

「へぇ?ちょっと痛い目みなきゃ、分かんないのかな?」

「あっ——」

 後ろ手を捻り上げられたのか、エルフの王女は作り物のように整った顔を顰めて俯いた。長い銀髪の直毛が、ばさりと揺れる。

10.

「……助けましょう!」

 珍しく、シェラが憤った顔をして勇ましいことを言った。

 分かってるよ。分かっちゃいるが——俺、あのにやけ面と、あんまり関わりたくねぇんだよな。なんとなく。

「わ、わらわにヒドいことすると、母上が黙っておらぬぞ!」

「そうですねぇ。いっそのこと、母君においでいただいた方が、話が早いかも知れませんね」

 にやけ面が目配せをすると、フゥマは情けなさそうに溜め息を吐いた。

「あのさ。オレ様も、ホントは女子供にこんなことすんの嫌なんだぜ?話がしたいだけだってのに、聞き分けのない王女さんがいけないんだからな。ちょっとだけ痛くするけど、ごめんな」

「い、いやじゃ!痛いのはキラいじゃ!——その方ら、わらわを助けるがよい!」

 エルフの王女は、泣きそうな顔をこちらに向けた。

 頭上の枝が、ばさりと揺れる。おいおい、どんなタイミングだよ。

「っ……誰だ!?そこに誰かいやがるな!?」

 フゥマに気付かれた。にやけ面も、こちらに視線を向ける。

「これは迂闊でしたね。まさか、こんな場所で我々以外の人間に遭遇するなど、思いもよりませんでした」

「出てこいよ」

 俺達は、繁みの裏で顔を見合わせる。まぁ、仕方ねぇか。

 繁みをかき分けて出ていくと、フゥマは驚きに目を見開いたが、にやけ面は表情を変えなかった。ルシエラは、はじめっから無表情のまんまだ。

「お、おい、ちょっと待て。なんだってあんたらが……」

「正義の味方、参上!って状況かな、これって?」

「バ、バカ言うな!!正義の味方は、俺達だっての!」

 リィナの口上に、無茶な反論を試みるフゥマ。小さい女の子を脅すような正義の味方はいねぇだろ。

「……その子を、離してあげてください」

 滅多に聞けないシェラの怒り声で言われて、フゥマはうろたえた。

「い、いや、違うんだ、シェラさん。これは、その……」

「そうじゃ!さっさと離すがよい!」

 便乗して喚くエルフの王女様を忌々しげに見下ろし、フゥマはルシエラに押し付けた。

「ちょっと捕まえてろ。そいつ力ねぇから、お前でも大丈夫だ」

「いーやーじゃー!!離せ離せ離すがよい!!」

 フゥマに羽交い絞められているよりは逃れ易しと見てか、王女は一層ジタバタと暴れ出す。元気な姫さんだな。

11.

「うるせぇよ!ルシエラ、そいつの口押さえてろ!」

 口を塞がれてモガモガ言ってた王女は、ルシエラの指をガリッと噛んだ。

「あ……」

 指から流れ出た血を見て、王女はビクッと震えて怯えた目を頭上に向ける。

「大人しく」

 ルシエラは、全く無表情のまま呟いた。はじめて声を聞いたが、言葉をその場にゴトリと放り置くような、なんとも無感情な喋り方だ。

 指から流れる血と、その感情の無さに気圧されたように、王女はひとまず暴れるのを止めた。

「さて、困りましたね。あなた方が突然現れたので、私、少々戸惑いを隠せません」

 全く困ってなさそうなにやけ面をして、にやけ面がほざいた。

「失礼ながら、誤解されているように思うのですが。我々は、こちらのエルフの王女様に危害を加えるつもりは毛頭ありませんよ。もし、それを危惧していらっしゃるのでしたら、無用な心配です」

「ちょっと痛い目に遭わせるとか言ってたじゃないですか!信用できません!」

 今日のシェラは積極的だな。

「いえいえ、ほんの少し抓る程度のことですよ。傷ひとつつけないとお約束しますから、どうかこの場はお引取り願えませんか。私としては、あなた方と事を構えるつもりは無いのですが」

「ダメよ」

 きっぱりと言い放ったのは、マグナだ。

「あたし達も、そのエルフの王女様に用事があるの。あんた達こそ、王女様をこっちに渡してくれたら、見逃してあげてもいいわよ」

「っざっけんなっ!!オレ様達が、いったい何日ここいらウロついて、やっと捕まえたと思ってんだ!?」

 額に青筋を浮かべる勢いで怒鳴ったフゥマに、マグナが怒鳴り返す。

「うるっさいわねっ!!大きい声出さないでよ!!あんたなんかに言ってないんだから、下っ端は黙ってなさいよっ!!」

「こっ……このアマ、オレ様が下っ端だとぉ……?」

 駄目だ、こいつら。相性悪過ぎ。

「え~、その、なんだ。話し合いで解決できないモンかね」

「そうですねぇ。私も、そう願っているのですが」

 あまりいい気分じゃないが、にやけ面とは意見が合ったのだが。

12.

「しゃらくせぇよ!!ぶっ飛ばしちまえばいいんだ、こんな生意気な女!!——あ、シェラさんのことじゃないですよ」

「こっちの台詞よっ!!なによ、あんたなんか、この前リィナに散々やられたの覚えてないの!?」

「やられてねぇよっ!!なに言ってんだ、このクソ女!!だから、気の強い女は嫌いなんだ!!」

「気が強くて悪かったわねぇっ!?あたしだって、あんたなんかに好かれたくないわよっ!!……フン、またリィナにケチョンケチョンにのされたいの!?」

「だから、オレ様は負けてねぇっての!!」

 あーうるせーうるせー。

「いえ、客観的に見て、この前の勝負はフゥマさんの負けだったと思いますよ」

 にやけ面が、冷静に口を挟んだ。

 この野郎、やっぱり塀が崩れる前から、あの手合わせをどっかで隠れて見てやがったな。登場のタイミングが良過ぎたもんな。

「おいおい。あんたまで、そんなこと言うのかよ。分ぁったよ。そんじゃ今ここで、オレ様の方が強ぇってことを証明させろい」

「と、ウチのフゥマさんが仰るのですが」

 やれやれ。結局そうなるのか。

「ボクは全然いいよ~」

 はいはい。お前はそうだろうよ、リィナ。

「どちらも引く気はなさそうですしね。仕方ありません。では、軽く手合わせをさせていただいて、勝った方がエルフの王女様にお話を伺えるということにしましょうか」

「あたしは最初から、そのつもりよ」

 思いつきで喋るなよ、マグナ。

「王女様を、助けましょう!」

 珍しくやる気だな、シェラ。

「うむ。お主ら、しっかりわらわを助け出すがよいぞ」

 お前は囚われの姫らしく、大人しくしてなさい。

「想定外の成り行きですが、あなた方の実力を見せていただくには丁度良かったと思うことにしましょう。私は、お手伝いくらいに止めておくつもりですので、フゥマさんのお相手をそちらのリィナさんに、ルシエラさん達のお相手を、その他の方々にしていただきましょうか」

「ルシエラ『達』ってことは、やっぱり、その魔物もお前らの仲間なのか」

 俺は、ルシエラの背後で唸り声をあげているゴリラの怪物の方を見た。

13.

「ええ、そうです。ルシエラさんは、世にも珍しい魔物に育てられた子供でしてね。魔物と心を通わせることができるのです。とある見世物小屋で働いていたところを、私がスカウトさせていただきました」

 ……重いよ。さらっと言うなよ、ンなこと。

 というか、魔物が人間の子供を育てるなんて、あり得るのか?

「そうだ、ルシエラ。はじめる前に、ゴリラにそこらの木を二、三本引っこ抜かせろよ。戦うのに邪魔だからな」

 マグナをにやにや眺めながら、フゥマが指図した。

「やめ——っ!!」

 叫ぼうとしたエルフの王女の口を、ルシエラが再び塞ぐ。

 どうやって意志の疎通を計っているのか見当もつかないが、ともあれ魔物は本当にルシエラの言うことを聞くようだ。手近な木に歩み寄ったゴリラの化物は、抱きかかえて一気に根本まで引っこ抜くと、無造作に遠くに放り投げた。

 とんでもない怪力だ。はじめて目にするが、相当強力な魔物と見える。

 魔物が五、六本の木を引き抜いて、辺りがすっかり開けた空き地になった頃。

「貴様ら!!どれだけヒドいことをしたか、分かっておるのかっ!!絶対に許さんぞ!!」

 頭を左右に振り回して、ようやくルシエラの手を払い除けた王女が絶叫した。

 王女の瞳からは、大粒の涙が零れている。

 黙って見ていたこっちまで申し訳ない気持ちになるような、人間で言えば親しい友人が目の前で殺されたみたいな叫び声だった。

 エルフが森や木を大切にするという言い伝えは、本当だったんだな。

 フゥマはちょっと鼻白んで、「ちゃんと口塞いどけ」とルシエラに告げてから、マグナに向かって唇を歪めてみせた。

「ま、いちおうルシエラの言うことは聞くけどさ、そいつ、手加減なんかロクにできゃしないぜ。せいぜい、気をつけろよな」

「じょ、上等じゃない」

 最初に怪力を見せ付けて、ビビらせようって魂胆か。確かにこれじゃ、あんまりマグナには無理させたくねぇな。

「あ、そうそう。あの生意気なクソ女はぶっちめて構わねぇけど、あっちの可愛コちゃんには傷ひとつつけんなよ、ルシエラ」

「……あいつ、死なない程度にボコボコにしちゃっていいわよ、リィナ」

 やれやれ。こいつらが直接やり合うんじゃなくて、良かったよ。

「それでは、はじめますか」

 緊張感の無いにやけ面の合図で、戦闘が開始された。

14.

『ベギラマ』

 一匹だけ前に出ていたゴリラの化物に、俺は速攻で呪文を叩き込んだ。経験上、この手の動物っぽい魔物は、火が苦手な筈だ。

 思った通り、ゴリラの化物は唸り声をあげて、やや怯んだように見えた。

「マグナ、あんま無理すんなよ」

「分かってる……っていうか、できないわよ。相手がアレじゃ」

 尤もだ。さすがのお前も、フゥマの挑発にムカついてすら、自制心を発揮せざるを得ないみたいで、安心したぜ。

『ホイミ』

 すかさずホイミスライムが唱えたのは、ルシエラの指示によるものか。ゴリラの火傷が治癒していく。

 くそ、相手にも回復役がいるってのは、思った以上に厄介なモンだな——かなり後になるまで、俺はこの時の示唆に気付けなかったのだが、それはまた別の話だ。

「さって、今日は最初っから全開でトバしてくぜっ!!」

 隣りでも、手合わせが始まっていた。

『ピオリム』

 お?今、唱えたのはにやけ面か?

 野郎も僧侶かよ。こりゃ、体力の削り合いになったら分が悪そうだ。

「おらぁっ!!」

 地面を蹴って土煙を撒き散らし、フゥマが仕掛けた。呪文の効果で、この前より数段速い。リィナに向かって飛び蹴りを放つ。

「いきなりだね」

 リィナは身を屈めて、ひょいと避けた。

「馬鹿め!!」

 フゥマは着地するなり、無理矢理力任せに逆方向に跳んで、飛び越したリィナに頭から突っ込む。

「っと」

 なんとか体ごと躱すリィナ。

 着地したフゥマは、今度は飛び跳ねずに地面に膝をついた。

「キミ、大技狙い過ぎ。それに、呪文かけちゃうと、いつもと感覚違っちゃうでしょ」

「ぐ……」

 腹を押さえながら、フゥマは何度か咳き込む。

 どうやら、すれ違いざまにリィナに一撃喰らっていたらしい。

15.

 一方マグナは、ゴリラの化物を迂回して、先にホイミスライムを叩きに回り込んでいた。

 だが、寸前でルシエラが立ちはだかる。

「っ……どきなさいよ」

 マグナは剣を振り上げたまま、ルシエラを睨みつけた。

「魔物のこの子は斬れるのに、私は斬れないの」

 喋り方は、相変わらず平坦だが。

 ルシエラの言葉には、さっきより少し感情が篭もって聞こえた。

「……あんたじゃないわよ。王女様に怪我させる訳にはいかないでしょ」

「ああ、そう」

 馬鹿、マグナ。のんびり話し込んでると危ねぇぞ。

 ルシエラを守ろうとするように、ゴリラの化物がマグナに殺到する。

 ちっ、間に合えよ!?

『スカラ』

「ゴアァッ!!」

「うぐっ!」

 横殴りに振り回されたゴリラの腕を躱し切れずに、僅かに掠めただけで弾き飛ばされたマグナは、きりもみしながら地面に打ち付けられた。

『ホイミ』

 間髪いれずに、シェラがホイミを唱える。

「いった~あ。ちょっと、あんなのとどう戦えってのよ!?」

 頭を押さえながら、マグナは身を起こした。やれやれ、無事か。

 隣りでは、フゥマが歯噛みしながら立ち上がっていた。

「ぐ……うるせぇっての……女にゃ分かんねぇよっ!!どんな相手も一発でぶっ倒すのが男のやり方だ!!来い!!」

『バイキルト』

 へっ?ちょっと待て、にやけ面。バイキルトだと?お前そりゃ、魔法使いの呪文じゃねぇのかよ!?

「躱してもぶっ飛ばすっ!!」

 無茶なことを叫びながら、フゥマは高く跳び上がると、アホみたいに全身を仰け反らせて拳を振りかぶった。

「おおおぉぉっ!!ひっさあぁっつっ!!」

 ヤバい。やってることはアホそのものだが、そいつはヤベェぞ、リィナ。

「真!!激砕!!破岩拳んっ!!」

 恥ずかしい叫び声と共に、フゥマは思いっ切り拳を地面に叩きつけた。

 ただでさえ、冗談みたいな威力だったのだ。呪文で破壊力を強化されたフゥマの拳を中心に、地面が抉れて大量の土砂が舞う。

 リィナは、当然躱している。跳び上がっての一撃など、あいつが喰らう訳がない。足場が崩れるのを嫌って、大きく跳び退っている。が——

16.

「そこだらあぁっ!!」

 またしてもフゥマは力任せに、普通ではあり得ない敏捷さで、躱したリィナに向かって両足で地を蹴った。

 呪文の加速効果も手伝って、リィナの足がまだ地につく前に、フゥマの拳が襲い掛かる。

 さすがのリィナも空中では躱しようがない。フゥマとしては、そう目論んでいた筈だ。

 だが、リィナは僅かに身を捻り、フゥマの腕を脇に通して手を絡ませると、着地と同時に背を反らして、フゥマが突っ込んできた勢いそのままに後ろに投げ捨てた。

「うがっ!!」

 無様に背中から地面に打ちつけられるフゥマ。

「あのね、あんまり無茶すると腱が切れちゃうよ、キミ?」

 リィナは振り返って、軽く息を吐いた。

「それに、魔物相手ならともかく無理だってば。そんな強引で正直なの。身につけた技が泣くよ?」

 出来の悪い弟を諭すみたいに小言を口にする。

 あっちは心配なさそうだな。

 問題はこっち——マグナの方だ。

「ちょ……っと……もうっ!!」

 俺まで届く風切り音を巻き起こしながら、ゴリラがぶんぶん振り回す腕をなんとかかいくぐり、すれ違いざまに剣で腹を薙ぐ。おお、やるじゃん、マグナ。

『ホイミ』

 だが、苦労して負わせた傷は、ホイミスライムによってあっという間に治癒されてしまった。

「も~、なんとかしてよっ!?この繰り返しじゃないっ!!」

 やっぱり、先にホイミ野郎を倒さないと、どうにもなんねぇな。けど、呪文で狙い撃とうにも、姫さんを盾にされちまう可能性が高い。なんか打開策をヒネり出さねぇと。

「ちぇっ、分かったよ。こっからマジだぜ」

 相変わらず子供の負け惜しみのような台詞をほざきながら、フゥマはにやけ面が立っていた辺りまで距離を置いていた。

 そういえば、いつの間にやらにやけ面の姿が消えている。どこ行きやがった、あいつ。

17.

「このオレ様に、奥の手まで使わせるとは、大した姐さんだぜ」

「ん?奥の手って、この前言ってた『アレ』のことかな」

 フゥマはニヤリと唇を歪めた。

「その通り!!いくぜっ!!『奥義!!ニツ身分身っ!!』」

 またバカみたいなことを叫びながら、リィナに向かって突っ込んだフゥマの背後から、もう一人のフゥマが跳び出した。

「え?うそっ!?」

 一人目のフゥマの拳を捌いたリィナは、二人目の蹴りを躱し切れずに肩で受ける。

 よろめいた隙を逃さず、一人目が逆から掌打を放つ。横殴りに弾かれたリィナの顔面を、二人目の後ろ回し蹴りが迎え撃った。

「っつ」

 リィナは、大きく後ろに跳び退いて、なんとか逃れる。

「なにこれ?どうなってんの?」

「ボサッとしてんな!!どんどんいくぜ!!」

 調子づいた二人のフゥマは、再び連動しつつリィナに襲い掛かる。

 まぁ、同じ人間がいきなり二人になったら、混乱するとは思うが。

 ありゃペテンだぜ。

 例えば、高速移動による残像で、二人に見せたりしてる訳じゃねぇ。

 なにが奥義だか。あんなモン、分身じゃねぇよ。

 あれは単なる——って、ちょっと待てよ、オイ!?

 そこまで考えて、俺はある事に気がついて愕然とした。

 それって——滅茶苦茶ヤバいんじゃねぇのか?

 瞬間的に頭に血が昇り、思考が全て吹っ飛んで真っ白——いや、真っ赤に染まる。

 赤みがかった視界が、急速に狭まっていく。

 最初に「手合わせ」と宣言された通り、お互いに命を取り合うほどの殺伐とした雰囲気が無かったせいもあって、それまで割りとのんびり構えていた俺は——

 一瞬でパニックに陥った。

18.

 ヤバいヤバいヤバいって。

 全身から、イヤな汗が噴き出すのが分かる。

 膝が笑ってやがる。いかん、自分の想像にブルっちまってる。

 落ち着け俺落ち着けよ。

 今すぐ思考を立て直せ。パニくってる場合じゃねぇぞ。今すぐだ。早くしろ。急げ。

 焦るほどに思考がまとまらない。

「どうしたんですか?」

 シェラが俺の顔を覗き込んだ。

 マズい。焦りがそんなに顔に出てるのか。すぐに顔を戻せ。俺が気付いたことを、あいつに悟らせるな。

 最悪の展開を思い描いてるのは、多分まだ敵も含めて俺だけだ。

 万が一にも、あいつがその気になる前に、なんとか誤魔化してこの場を逃れる算段をヒネり出さねぇと。

 だから、さっさと頭に昇った血をおろせよ、俺。

 だが、どうする。どうすりゃいいんだ——

 俺は、ひっぱたかれたみたいにシェラを見た。小首をかしげて見返してくる。

 そうか。こいつがいるじゃねぇか。

 後光がさしてるみたいに、シェラがいつもよりさらに輝いて見える。

 イケる。大丈夫だ。切り抜けられる。

 俺は、生まれてはじめて、神様に心の底から感謝した。だって、新しい呪文を覚えたことを、シェラが嬉しそうに俺に報告したのは、つい昨日の出来事だぜ。

 偉いぞ。可愛いぜ、こんちくしょう。このツキは、毎日朝晩神様へのお祈りをかかさなかったお前へのご褒美だぜ、きっと。

「あっ!?」

 ゴリラの化物が振り回した腕が掠めて、マグナが再びふっ飛ばされる。

「唱えるなっ!!」

 可能な限り声を低くして、ホイミを唱えかけたシェラに怒鳴った。

「えっ!?でも……」

「いいから」

 恫喝するような俺の声に、シェラは怯えた顔を見せる。だが、今は構っていられない。まだ時間はある筈だが、タイミングを逸する訳にはいかねぇんだ。

 今すぐ作戦を組み立てろ。すぐにだ。

「ヴァイスさん……?」

「そんな顔すんな。普段通りの顔してろ。頼むから」

 バレたら、もともと綱渡りの成功率が、さらにガクンと落ちちまう。

「いいか、良く聞けよ。こっからは、俺の言う通りにしろ」

 俺は、努めて平静な表情を無理矢理作りながら言った。思い付いたのが最善の策とは到底思えないが、検討してる時間も考え直してる余裕もねぇ。

19.

「頼むぜ。お前だけが頼りなんだ」

「え?えっ?」

 カンダタとの戦闘以降、シェラは戦闘中に呪文を唱えられるようになっていた。普段は、いつでもホイミを唱えられる準備をしておいて、誰かが怪我を負ったらすかさず発動しろとだけ言い含めてあるのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 俺達四人の命は、全てこいつにかかっている。

 俺は、できるだけ手短に、シェラに指示を与えた。戦況を何食わぬ顔で眺めながら、なるべく唇を動かさないようにして、小声でだ。

「——他の事は考えなくていい。今言ったことだけを、正確にやってくれ」

「は、はい。やってみます」

 俺の切羽詰った声音に気圧されたように、シェラは顎を引いた。

 実際、俺はある意味、カンダタ共とやり合った時より追い詰められていた。

 なまじ考える時間があるのがマズい。嫌な想像に囚われちまう。

 それに、あの時は、まだ戦えた。戦力差は絶望的ではなく、ある程度拮抗していたが、今回は下手すると戦いにすらならない。

「ちょっと、ヴァイス!?援護してよ……っつ!!」

 またマグナがゴリラの化物に殴り飛ばされた。

『ベギラマ』

 炎壁で化物を足止めしておいて、俺はマグナに走り寄る。ホントは、こんな目立つ行動を取りたくないんだが、仕方ねぇ。

 フクロから薬草を取り出して、マグナに押し付ける。

「悪い。無事か?」

「無事か、じゃないでしょっ!?——って、何?どうしたの?」

 表情を消してるつもりなんだが、全然成功してないみたいだな。だが、もう気にしてる場合じゃない。

「すまんが、ホイミは品切れだ。しばらくなんとか逃げ回ってくれ。できれば、姫さんからあんま離れるな」

「え?ちょっ……なんなのよ!?」

「頼むぜ。なんとか凌いでくれ」

 無責任に言い置いて、シェラの傍らに戻りながら、ちらりとリィナの方を見る。さすがに押されてんな。だが、もうちょい踏ん張ってくれ。

20.

 薬草で多少回復したマグナは、文字通りゴリラの化物から逃げ回った。化物があまり素早くないのが、せめてもの救いだ。タマに斬りつけても、すぐにホイミで回復されちまうから、大した効果は望めない。

 リィナは、よくやっていた。最初は面食らったみたいだが、二人を相手取るのにも慣れてきた様子で、押されつつも上手いこと捌きながら、時折反撃すらしてみせている。これなら、なんとか保ちそうだ。

『ベギラマ』

 呪文でマグナを援護した、少し後だった。

 フゥマのひとりが動きを止めて、リィナから離れた。

 その姿が、にやけ面へと変化していく。

 そう。フゥマの分身の術は、にやけ面がモシャスで化けていただけなのだ。

『マホトーン』

 この瞬間を身じろぎもせずに待ち続けていた、シェラの覚えたての呪文が発動する。

 かかれよ、この野郎。

「おや」

 祈るように見つめる俺の視線の先で、にやけ面が淡い光に包まれた。

 よっしゃ、やったぜ。でかしたシェラ。抱きしめてキスしてやりてぇよ。

 これで、あいつの魔法はしばらく無効化された筈だ。

「すいません、フゥマさん。お手伝いできなくなっちゃいました」

 にやけ面は、呑気らしくフゥマに声をかける。

 ひとりに戻ったフゥマが、一瞬にやけ面に気を持っていかれた虚をついて、リィナが流れるような連続技を叩き込む。

「うがっ!!」

 ズシンという足音と共に、最後はリィナに背中をぶち当てられて、フゥマは木々の間を抜けて森の方までふっ飛ばされた。

 願ったり叶ったりの展開だ。ホントにお前は、いつも期待以上のことをしでかしてくれるから好きだぜ、リィナ。

「いたた」

 さすがに二人を相手に無傷とはいかなかったようで、リィナはあちこち打たれた体を抱えて顔を顰めた。後で回復してやるから、もうちょっと待ってろよな。

 一方、マグナは苦戦中だ。ベギラマの炎から抜け出した怪物に迫られて、必死で背後に回り込んで逃げ惑う。

 俺は、シェラを見た。まだか。まだなのか。

 くそ、どうして俺は、もっと役に立つ呪文を覚えてねぇんだ。

 ややあって、シェラがゴリラの方を向いた。

 マグナが踏ん張ってくれたお陰で、上手い具合にルシエラ達がすぐ側だ。今だ——

21.

「マグナ!!」

 俺はマグナを呼んで、エルフの王女を指差した。

『ラリホー』

 ゴリラの化物だけでも眠ってくれれば御の字だと思ってたんだが。

 シェラの呪文は、ルシエラをも眠りに誘った。ホイミスライムには効いてないが、あいつは放っときゃいい。

「リィナ!!来い!!早く!!」

 地面にくたりと倒れ込んだルシエラから、エルフの王女を引き離したマグナの方に、俺はシェラの手を引いて駆け寄りながら叫んだ。

「おぶってくれ!」

 きょときょとするエルフの王女を抱き上げて、僅かに遅れて到着したリィナの背中に押し付ける。

「ちょっと待て、この野郎!!なにコスい真似してやがんだ!!」

『ボミオス』

 下生えを掻き分けて戻ってきたフゥマに呪文を放ち、俺は森に向かって一目散に逃げ出した。

「走れ!!逃げるぞ!!」

「なに?なんなのよ!?」

「いいから、足動かせ!!姫さん、あんたこの森には詳しいんだろ?逃げ道を指示してくれ!!」

「手前ぇ!!なんだそりゃ!!勝負はまだついてねぇぞ!!」

 うるせぇ、フゥマ。手前ぇなんぞに構ってる場合じゃねぇんだよ。

「そこを右じゃ」

 俺は全力で走り続けながら、ちらりと後ろを振り返った。よし、全員ついてきてるな。

『ピオリム』

 指示しておいた通りに、唱えられるようになり次第、シェラが呪文を発動した。

 呪文の効果で駆ける速度が増して、フゥマのがなり声が遠ざかっていく。

「そこの木の間を抜けるがよい」

 木々が自らの意志で道を空けてくれるような奇妙な感覚をおぼえながら、王女の言葉に従って、走り続けることしばらく。

「もう大丈夫じゃぞ。あやつらは、ここまで追ってこれぬ」

「確かか!?」

「なんじゃ、わらわを疑うのか。ここは既に結界の中じゃから、わらわ達に招かれた者以外は、足を踏み入れることはできぬのじゃ」

 それで俺は、ようやく駆け足をゆるめた。立ち止まると、しばらく呼吸も困難なくらいに息が乱れる。

22.

「もうっ……なんっ……ったのよ……っ!」

 こちらも息を切らせながら、マグナが文句を言う。シェラは半分転ぶように倒れ込んで、肩を上下させた。

「最後、ほとんど……勝ってたじゃない……」

 呼吸が落ち着いてきたマグナは、ひとつ大きく深呼吸をした。

「別に逃げなくてもよかったんじゃないの!?」

「あのフードの人?」

 王女を背負ったまま、リィナが尋ねた。さすがに息が弾んでいるが、俺よりゃずいぶんマシだ。

「ああ……」

 情けないことにムセちまった。息が整うのを待って続ける。

「ちょっと、とんでもない魔法を使えそうだったんでな。こっちがいくら勝ちそうになっても、一発でひっくり返せるようなヤツ」

「でも、シェラの呪文で魔法は無効化してたじゃない」

「いや、マホトーンの効果は、一時的なモンだからな。逃げなきゃ、いずれ全滅してたかも知れねぇ」

「全滅って……あいつ、そんなに凄い魔法使いなの?」

「ああ。洒落になんねぇ」

 僧侶の呪文も唱えてたから、正確には魔法使いとも言い難いが、はっきり言ってそんなのは大した問題じゃない。

 あのにやけ面は、モシャスを唱えてやがったんだ。

 ということは、あいつはメラゾーマが使えて——

 多分、イオナズンすら唱えられるって事なんだぜ!?

 イオナズンだぜ、イオナズン。最大最強の広範囲攻撃呪文だ。

 それに気付いた瞬間に、俺は完全にブルっちまった。ビビって逃げ出したのだ。

 悪いかよ。だって、俺が知ってるアリアハンの冒険者レベルじゃ、イオラを唱えられるヤツだっていやしなかったんだ。

 講義でその威力の程を聞かされた時に思ったんだが、イオナズンを覚えた魔法使いが三人集まって交代で唱え続ければ、数千の軍隊にだって勝てるに違いない。それくらい、本来は一個人が扱っていいとは思えない程の威力なのだ。

 俺達なんて、一発で消し炭だよ。

 イオナズンがいかにヤバい魔法なのか、俺は唾を飛ばして熱弁してみせたのだが——

23.

「……もしかして、あたし達、すっごくヤバかったってこと?」

 俺の説明を聞いても、魔法使いでないマグナにはあまりピンと来なかったようだ。

「でも、あたし達を殺すとか、そこまでするような感じでもなかったけど、あいつら」

 そうかも知んねぇけどさ。そんなの、分かんねぇじゃねぇか。その気になりさえすれば、あいつはいつでも俺達を簡単に全滅させられたんだ。

 だが、エルフの王女はもちろん、シェラもあまりよく分かってない顔つきをしている。多少は事態を把握してそうなのは、リィナくらいか。

 きょとんとした顔をいくつも向けられて、一時の興奮が醒めてきた俺は、なんか独りで焦りまくっていた自分が、ヒドく滑稽に思えてきた。

 あれ?俺、間違ってねぇよな?

 だって、あのにやけ面の息の根を止めない限り、あいつらはいつでも逆転できた訳で、でも、あいつが簡単にくたばるとは思えなくて、それで俺は、お前らが殺されないようにするには、逃げるしかねぇと考えてだな——

「まぁ、呪文唱えられちゃったら、ボクもどうしようもないしね」

「とにかく、王女様を助けられてよかったです」

 リィナとシェラが交互に言う。

 軽い。軽いよ、お前ら。

 下手すりゃ死ぬトコだったんだぞ。これじゃ、切羽詰って慌てふためいてた俺が馬鹿みたいじゃねぇか。なんか、泣きそうだ。

 おかしいな。あのにやけ面への苦手意識が変な風に働いて、バカみたいに俺が独りで過剰に反応しちまっただけなのか?別に逃げなくても……大丈夫だったのか?

 俺はぶるっと身を震わせて、ビビった自分を振るい落とした。

 安堵の溜め息が漏れる。

 まぁ、いいか。俺の行動が滑稽でバカみたいだったとしても、ともあれ全員無事なんだしな。それが一番重要だ。

 こうして姫さんも助け出せたことだしな。

「うむ。大儀であったな、お主ら」

 リィナの背中で、エルフの王女が口を開いた。

 偉そうな物言いだが、舌足らずなので腹が立つというより微笑ましい。なんというか、無理して喋ってるのが丸分かりだ。普段は、こんな口の利き方してないだろ、この姫さん。

「私達が来る前に、ヒドいことされませんでしたか?どこにも怪我はないですか?」

「うむ。大事ない」

 心配そうなシェラに、重々しく——多分、本人はそういうつもりで——頷いてみせる。

24.

「まぁ、なんとか連れ出せてよかったよ」

 ホントは姫さんを置き去りにしてルーラでトンズラかますって案も、何度となく頭をよぎったんだが、もちろんそれは口にしない。

「その礼って訳じゃないけどさ、俺達を姫さんの里に——」

「エミリーじゃ」

「は?」

「だから、わらわの名前はエミリーじゃと言っておる」

「ああ、はいはい。エミリーの里に連れてってくんねぇかな」

 今、結界の外に放り出されてたら、またあいつらに見つかっちまうかも知れねぇしな。

「ふむ……下ろすがよい」

 エミリーはリィナの背中からよじ下りて、俺の正面に歩み寄った。

 見た目は、シェラよりもさらに年下に思える。可愛いというよりは、愛らしい。職人が丹精を込めて作った愛玩用の人形みたいに整った顔立ちだ。

 半袖の上着から出た腕や、膝上の穿物から伸びる脚がエラい細くて、肌はどこも丁寧に磨き込まれたようにスベスベしている。

 さらさらの銀髪をちょっとゆらして、エミリーは大きな深緑の瞳で俺を見上げた。

「お主は、人間の男じゃな?」

「は?ああ、そうだけど」

「屈むがよい。もっとよく顔を見せろ」

 エミリーは、膝を曲げた俺の頬に小さな手を添えた。なんだなんだ。

「ふむぅ。ブサイクとまでは言わぬが……そこの女。コレはどうなのだ?」

「えっ?あたし?」

 いきなり振られて、マグナは自分を指差した。

「そうじゃ。コレは、人間の基準からすると、どうなのじゃ?カッコ良いのか?」

 おいおい、なに言い出してんだ、この姫さんは。

「え……っと。カッコ良くはないけど」

 手前ぇ、マグナ……いや、まぁそうだけど。

「そんなに悪くも——」

「なんじゃ、やっぱりお主程度から見てもそうなのか」

「は?なんですって?——ちょっと、なに笑ってんのよ、ヴァイス」

 い、いや、笑ってねぇよ。

「そこそこ、ということじゃな。まぁ良い。贅沢は申さぬ。ここから先は、お主がわらわをおんぶするがよいぞ、人間の男よ」

「へ?なんで——」

「分からぬヤツじゃな。我が里へ案内あないしてやろうと言っておるのじゃ。本来は人間を連れて行ってはいかんのじゃが、このような次第であれば、お母様も許して下さるであろ」

25.

「いや、そうじゃなくて、もう自分で歩けばいいんじゃ——」

「黙るがよい。とにかく、お主はわらわをおんぶすればよいのじゃ!あ、抱っこでもよいぞ。うむ、そっちの方がよいな。ほれ、はよう抱っこせぬか」

 エミリーは、俺の首っ玉に両手をかけてきた。なんだ、これは。

「別に、いいんじゃない。抱っこして差し上げれば?」

 視線を向けると、マグナは素っ気無くそんなことを言う。

 はいはい。なんだか分かんねぇけど、抱っこして差し上げますよ。

 うわ、軽ぃ。

 エミリーは、俺の顎の下で頭をすりすりした。くすぐってぇよ。

「お主、ちゃんと風呂には入っておるか?後で薬湯を用意してやるから、じっくり浸かるがよい」

 うるせー。俺はそんなに臭かねぇよ。

「お子様にもモテモテだね、ヴァイスくん」

 リィナがちょんちょんと肩の辺りをつついてくる。

 いや、どうせ抱きかかえるなら、お前くらいあちこち出っ張ってた方が、俺的には嬉しいんだが。

 なんだか良く分からないまま、お姫様をお姫様抱っこしつつ、俺達はエルフの隠れ里に向う事になった。

 エルフに出会えたのが余程嬉しいのか、シェラは道中なにくれとエミリーに話しかけた。大半は、リィナと一緒になって、可愛い可愛い言ってただけだが。

「わらわも、お主のように綺麗な人間ははじめて見たぞ」

 とか言われて、嬉しそうに頬を両手で挟んだりする。でも、この姫さん、人間なんてほとんど見たこと無いと思うんだが。

 マグナは、ひとり離れてぶすーっとしながら歩いていた。

「——大体なんで、あんなのに捕まってたのよ。結界の中に居れば、見つからないんでしょ?あたし達だって、何日も探してたのに見つけられなかったんだから」

 マグナがひとりごちるようにあさっての方を見ながら言うと、エルフの王女はバツが悪そうな顔をした。

「あー、いや、それはじゃな。珍しく、近くまで人間がやって来おったから、ちょっとからかってやろうと思ってじゃな……」

26.

「つまり、物珍しくて隠れて覗いてたら、あっさり見つかって捕まっちゃったってこと?」

「そのような、みもふたもない言い方をするでないわ!」

「だって、そうなんでしょ。昔話とかだと、もっと神秘的なイメージなのに、案外抜けてるのね、エルフって」

「なんじゃと!?無礼を申すでない、人間の分際で!!」

「その人間に助けられたんじゃない」

 ムムム、とかエミリーは悔しそうに唸り声をあげた。お前ら、喧嘩すんなよ。

「まぁ、襲ったのも人間なんだから、差し引きチャラってことでいいんじゃねぇの」

「そうじゃな!?お主、なかなかよいことを申した。そのとおりじゃぞ、女」

「はいはい。別にいいわよ。お礼くらい言って欲しいけどね、あんな怪物と戦わされたんだし」

「礼ならすでに、先ほど申したわ!」

「あらそう?ごめん、気付かなかった。いつの間に『ありがとう』って言ったのかしら?」

 どうしたんだ、マグナ。なんか、いじわるなお姉さんみたいになってるぞ。

「うぬぅ……」

「別にいいのよ、無理して言わなくっても。もうお礼は言ったんでしょ?」

「黙るがよい!人間如きに、礼も言えぬと思われたままでは、エルフの名折れじゃ!今度こそ、よっくと耳にするがよいわ!」

 エミリーは、俺の腕の中で何度か深呼吸をした。そんなに言い辛いのか。

「あ、ありがとう。助けてくれて、礼を言う」

「いいのよ。別に、大したことじゃないわ」

 ようやくマグナが少し微笑んで、それで手打ちになるかと思ったんだが。

「フン。見てくれが悪いと性格も悪くなるのじゃな。お主も、よくあんなのを連れておるな、人間の男よ。さぞかし忍耐が必要であろ」

 エミリーが憎まれ口を叩いたので、すっかり台無しになった。

「な……なんですってぇ……」

 こりゃダメだ。気の強いモン同士だからな。

 いちおう、見た目の上では年上だという自覚があるのか、マグナはそれ以上噛み付きこそしなかったが、より一層ぶんムクれて押し黙っちまった。

 まぁ、子供の言うことだから気にすんなよ。けど、子供は正直とも言うからな。うん、この線でフォローすんのは止めとこう。

 結局それ以降、エルフの隠れ里に辿り着くまで、二人は一切口を利かなかった。やれやれ。

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