11. The Cinderella Theory

1.

 とりあえず、全員心身ともに健康になったので——俺の妙な性欲も、大体なんとなく治まった——あまり待たせても、『金の冠』の奪還を一日千秋の思いで待ち侘びているだろうロマリアのお偉いさん方に悪いということになり、俺達は翌日ロマリアに戻った。

 やっぱり、ルーラが使えると楽だよな。魔法使いも捨てたモンじゃねぇよ、うん。誰も感謝している素振りを見せないので、自分で自分を誉めてみたりする。虚しい。

 マグナがロランから預かっていた、蝋封された書状を渡すと城にはすぐに入れたものの、控えの間でかなり長いこと待たされた。

 前触れもなく、いきなり来たから仕方ないけどな。今日は話だけ通しておいて、宿でも取って明日また出直せばよかったんだろうが——そうするには、多少気にかかることがあった。

 俺の懸念が当たっていれば、夜中に突然、『金の冠』を狙う賊に襲われてもおかしくない。ロランのアホのお使い如きで、これ以上苦労したくねぇよ。こんな厄介な代物は、早いとこノシつけて持ち主に押し付けちまうに限る。

「夜あんまり眠れなかったから、なんか眠くなってきちゃったよ」

 既に半分寝言のような声で、リィナがふかふかのソファーに身を埋めた。丸々二日も眠ってたんだもんな。昼夜逆転くらいするよな、そりゃ。

 寝坊助は、そのまま寝かせておいてやり、俺はマグナとシェラの方を見る。

 他にすることもなく、アリアハンの子供——主に少女がよくやる手遊びをしていた。向かいあって、歌に合わせて手を鳴らしたりお互いに打ち合わせたりするあれだ。

 なんというか、微笑ましいね。

 二人とも笑顔だった。同室だった訳だし、多分、家出の後に少しは話もしたんだろう。特にわだかまりも残って無いみたいで、なによりだ。

 さすがに手遊び歌のネタにも尽きた頃、ようやくメイド服が俺達を呼びにきた。

 口をぱかーっと開けて気持ちよさそうに鼾をかいているリィナを起こし、ぞろぞろと謁見の間に連れて行かれる。

 今回も人払いがされて、やたらガランと殺風景なそこには、この前と同じ面子が顔を並べていた。

 俺達が入るなり玉座から身を起こし、赤い絨毯を進むのを待ち切れない様子で迎えたロランは、満面の笑みをマグナに向ける。

2.

「やぁ、お帰りなさい。無事に戻ってきてくれて、本当に嬉しいですよ」

「はぁ。ありがとうございます」

 対するマグナの返事になにやら含むところがあるのは、それほど無事でもなかったからだろう。

「それで、肝心の『金の冠』は奪還したのであろうな」

 さらに何か言い募ろうとするロランを遮って、騎士団長のマルクスが横から割り込んだ。放っておくと、本来の目的そっちのけで、またべらべら喋り出し兼ねないからな、このアホは。おっさんの気持ちは、よく分かる。

「はい、ここに」

 マグナは両手で抱えていた包みを解いて、少し持ち上げてみせた。王位継承の証なんてご大層なモンを、剥き出しのままで渡すのはマズいだろうと、道すがらに買った絹布でくるんであったのだ。

「おお、確かに」

 セネカの爺さんが頷き、目を細めてロランを見た。

「流石は、陛下のお眼鏡に適った方々ですな」

 爺バカ丸出しに、好々爺然と破顔する。『金の冠』が戻ったことそのものよりも、俺達に頼んだロランの判断が間違っていなかった事が、嬉しくてしょうがないみたいに見える。

「これもまた、勇者と呼んで差し支えの無い働きではありますまいか、マルクス殿」

 以前、サマンオサの勇者ファングを、マルクスが引き合いに出した事を揶揄しているのだろう。セネカに言われて、マルクスは「まぁ、そうですな」とか呟きながら、きまり悪そうに何度も咳払いをした。

「そんな……やめてください。そんなのじゃないですから」

 マグナが力無く否定したが、誰も取り合わなかった。

「いずれにしろ、お手柄には違いありません。『金の冠』が戻らなければ、なかなか厄介な事態に陥っていたでしょうからね。我が国の混乱を未然に防いでくださったことに、心からお礼を申し上げます」

 ロランは軽く一礼して、マグナに微笑みかけた。

「では、『金の冠』をこちらに持ってきていただけますか?」

「なんですと?いえ、陛下。私が——」

「いいから——さあ、お手数ですが、お願いします」

 段上から下りて受け取ろうしたマルクスを制して、ロランが手招きする。

 困惑顔でロラン達と俺達を見回してから、マグナは躊躇いがちに階段を上った。

3.

 今日はルーラでロマリアまで来たので、俺達は旅装ではない。そして、両手で『金の冠』を抱えているので、階段を上るマグナはスカートの裾を押さえることができない。

 そんな絶好の状況なのだが、なにしろ丈は長いわ勾配はゆるやかで段数も少ないわで、残念ながらギリギリ感には程遠かった。

 もちろん、こんな下らないことを俺が考えてしまうのは、妙な性欲が治まりきっていないからに他ならない訳だが。

「どうぞ」

 マグナが差し出した『金の冠』を、ロランは取り上げた。

「返していただくまで、これはあなたの物です」

「はい?」

 すぽり、とマグナの頭の上に載せる。

 ロランは二、三歩退がって、顔をほころばせてマグナを眺めた。

「あ、そのまま。取らないでください。うん、やっぱり素晴らしくよく似合う。絶世の美女との誉れ高いイシス女王も斯くやという麗姿じゃないか。そうは思わないかい?」

「へ、陛下!お戯れが過ぎますぞ!」

「まあまあ、別にいいじゃないか。他に誰も見てないんだし」

「そのような問題ではありません!」

 マルクスの小言などどこ吹く風で、ロランは恭しくマグナの手を取った。

「どうぞ、こちらへ」

「いえ、あの、困ります」

「困りませんよ。ここは私の国で、あなたは大儀を成したゆ——英雄だ。誰にも文句のつけられるものではありません」

 いやいや。さっきから隣りでマルクスのおっさんが、ワイワイ文句を言ってるだろ。

 ロランが半ば強引にマグナを玉座に着かせると、さすがのおっさんも呆れ返った様子で苦言を呈するのを諦めた。あんたも、大変そうだな。

「おお、なんて素敵なんだ。今すぐにでも、あなたを我が女王陛下として押し頂きたくなってしまいます」

 やたらデカくて装飾過多な玉座に、場違いな普段着でちょこんと座らされているのだ。どう見ても、マグナはモジモジと居心地悪そうにしているだけで、女王の風格も威厳もへったくれも無いのだが。

 正面から褒め称えたかと思うと、ロランは玉座の横に回って、少し屈み込んでマグナに顔を寄せた。

4.

「この光景を目にする事が、私のささやかな夢のひとつだったのです。叶えて下さって、感謝しますよ。思った通り、いや、想像していたよりも、ずっと素敵だ——いかがですか、玉座の座り心地は」

「いえ、あの、ホントに困りますから」

「そんなこと仰らずに。想像してみてください。あなたの麗しい御姿をひと目見たいと心から願い集う人々の列を」

 ロランは赤絨毯の辺りを指し示し、それから大袈裟な身振りで背後に手を差し伸べた。

「はたまた、あちらのテラスから姿を現し手を振るあなたを、今か今かと待ち望む大勢の群集を。どんな気持ちがしますか」

「……正直に言っていいですか」

 上体を横にズラして、微妙にロランから顔を遠ざけながら、マグナは言った。

「もちろんですとも。あなたの素直な気持ちを、何より伺いたいのです」

「……考えただけで、うんざりするわ」

「なっ!!」

 鼻白むマルクスと、意表を突かれて唖然とするセネカに対して、ロランは愉快そうにハハハと笑声をあげた。

「ほらね。この方は、まったく私と気が合うんだよ」

「陛下~……」

 マルクスが疲れた声を出す。

 なんというか、ロランの独壇場だった。

 マグナも、この場であまりキツい言葉を口にする訳にもいかず、調子が出ない様子で困惑を顔に浮かべるばかりだ。

 ロランはマグナの手を取って、玉座から立たせた。

「すみません、少々悪ふざけが過ぎました。ご気分を害されたなら謝ります」

「いえ、別に」

 気分を害したというか、マグナは狐につままれたような顔をしている。

「では、これはお預かりしましょう。よく取り戻して下さいました。改めてお礼を申し上げます」

 ロランは、マグナの頭から『金の冠』を取り上げて、セネカに手渡した。

5.

「本来ならば、国を挙げてお礼をするべき程の大事を成していただいたというのに、我々三人しかお出迎えできない無礼をお許しください。なにぶん内密ですので、『金の冠』を盗まれた事実など存在しない、という体裁を取り繕わねばならないのです」

「いえ、全然構いません。そんな盛大に出迎えられたりしたら、却って困りますから」

「聞いたかい?なんとも謙虚なことを仰るじゃないか」

 ロランは、セネカとマルクスを交互に見る。

「そうですなぁ。お若いのに、無欲と申しますか、まったく感心な方でございますな」

「まぁ……そう言えなくもありませんかな」

 おいおい、ホントかよ。お前ら、仕方なく話を合わせてるだけだろ?

 ロランは満足そうに微笑んで、再びマグナに視線を戻した。

「とはいえ、このまま帰してしまっては、あまりにも心苦しい。本日は、宿の手配の方は——?」

「いえ、まだですけど」

「でしたら丁度いい。今晩はここにお泊まりいただき、内々のことになるかと思いますが、多少なりとも歓待させてください。せめてもの心尽くしですよ」

「はぁ。では、お言葉に甘えます」

 正直、予想していた展開なので、マグナは素直に頷いた。

「いやぁ、嬉しいな。実は、またあなたと晩餐をご一緒できる日を、首を長くして待っていたんですよ。『金の冠』も無事に戻りましたし、今日という日は全く素晴らしい一日だ。記念として祝日にしたいくらいです。この幸せをもたらしてくれたあなたは、さしずめ幸福の女神ですね」

 何言ってやがる。

 このアホは、相変わらずだな、しかし。

6.

 謁見の間を辞した俺達は、また別々に個室に案内された。

 俺は、通された部屋から早々に抜け出して、既にマグナの部屋に居たりする。前回と同じく人払いがされていたので、忍び込むのは簡単だった。

 だが、今日はこそこそ隠れたりしねぇぜ。

 待つことしばし。ロランとマグナの話し声が近づいてきた。

「おや、また誰もいないな。申し訳ないね。後ですぐに人をやるけれど、我が城の使用人達が、いつもこんなにだらしが無いとは思わないで欲しいな」

 前と同じようなことほざきやがって、芸の無ぇ野郎だな。

「思わないわよ、そんなこと。ていうか、別にお付きの人なんて要らないのに」

「そんな訳にはいかないよ。キミはボクの大切な主賓だからね」

 と、ここで扉が開いた。

 部屋のど真ん中で堂々と腕組みをして仁王立ちしている俺を見つけて、二人は一瞬動きを止める。

「……また君か」

 ロランは溜め息を吐いた。

「……ちょっと、ヴァイス。なんであんたが、ここに居んのよ」

「なんだよ。俺が居合わせたら都合の悪いことでも、二人してしようと思ってたのか?」

「ばっ!!そうじゃないでしょっ!?なんで、当たり前みたいな顔して、女の子の部屋に勝手に入ってるのかって聞いてるんじゃないっ!!」

「いや、ロランに話しておきたいことがあったからさ。ここに来りゃ、どうせ会えんだろと思ってな」

「あのね、人の部屋を勝手に待ち合わせ場所にしないでよ!」

 まぁ、マグナのお怒りはご尤もだと思うが、今は目を瞑ってくれ。

「いや、ボクは彼と待ち合わせた覚えなんかないよ。それに、君にロランと呼び捨てられる謂れもないね」

 ロランは、明らかに俺を鬱陶しがっていた。だが、出ていってやらねーぜ。くくく、ざまぁみさらせ。

「これはこれは、大変失礼致しました、ロムルス国王陛下」

 慇懃無礼に言ってやると、ロランはまた溜め息を吐いた。

「それで、なんだい話とは?さっさと済ませようじゃないか。ボクはこれから、彼女と大切な用事があるんだ」

「いや、あたしの方は特に無いけど」

 マグナにきっぱり言われて、世にも情けない顔をするロラン。

7.

「ああ、人々に幸福を齎してやまない女神も、その従僕にとっては無慈悲な女王ということなのかい。けれども、仮令どれほどすげなくされようとも、ボクはキミを崇め敬うことを止められそうにないよ」

「そんな大袈裟な——あぁもう、ごめんてば。でも、別に用事は無いけど」

「おお——」

「で、話してよろしいですか、陛下?」

 大仰な台詞をさらに重ねようとするロランを遮って、俺は口を挟んだ。付き合ってらんねぇよ、実際。

「……言ってみたまえ」

 あからさまに不機嫌な声音で、ロランは促した。俺が一体何を言い出すのかと、マグナは怪訝な顔をしている。

「さっき話してもよかったんだが——ですが、いちおう先にあんた——陛下の耳に入れといた方がいいかと思ってね。いや、思いまして」

 わざとらしく言い間違えてやると、ロランはうんざりした目つきで俺を見た。

「……分かったよ。普通に話したまえ」

「そんじゃ、お言葉に甘えて。カンダタの事なんだけどな。どうやら、魔物とツルんでたらしい」

「なんだって?」

「たまたま、野郎と魔物が話してるトコに出くわしたんだが、『金の冠』を盗んだのは、その魔物の指図だったみたいだな。つまり、カンダタは金で雇われた実行犯で、黒幕は魔物の方だ」

「……」

「本来は、盗んですぐにポルトガ王に渡す手筈だったらしいんだが、欲かいたカンダタの野郎が、ポルトガ王に渡して欲しけりゃもっと金を寄越せとタカる腹積もりで、一旦アジトに持ち帰ってやがったんだ。俺達は、そこに居合わせたって訳でな」

 ロランに視線を向けられて、マグナは頷いた。

「ええ、本当よ」

「魔物が……どういう事だ?……いや、そういう事か」

 顎に手を当てて、忙しく頭を働かせていたロランは、かなり真面目ぶって俺を見た。

「君は、どう考えている?」

「へ?……いや、どうって言われてもな」

 ロランがどんな答えを求めているのか分からなかったので、俺は言葉を濁した。

「これが魔物の企みだと言うのなら、魔物に半ば支配された世界にあって、なお発展を続けるロマリアの国力を削ぐことが目的と考えていいだろう」

 あ、なんだ。そんなことで良かったのか。

8.

「まぁ、そうだろうな」

「ポルトガの陰謀じゃないかと疑っていた話はしただろう?」

「ああ」

「だから、両国間を行き来する唯一の道には、当然兵を配しておいたんだ。魔物にしてみれば、もしカンダタがそこで捕まったとしても、または首尾よくポルトガ王に届けることが出来たとしても、どちらでも構わなかったんだろうな。ふぅん、なかなか良くできている」

「どういうこと?」

 ロランは急に表情を和らげて、嘴を挟んだマグナの方を向いた。

「つまりね、仮令カンダタがそこで捕まったとしても、『金の冠』がポルトガに渡ろうとしていた事実さえ残れば、両国の間に火種を作るには充分なのさ。元々、こちらは疑ってかかっていた訳だからね。あっさりポルトガの陰謀だと思い込んだ可能性は高い」

「もしかしたら、カンダタは魔物のそういう魂胆に気がついて、捕まるのを嫌ってひと先ずアジトに戻ったのかも知れねぇな」

「ああ、なるほど。おそらくそうだろうな。それから、『金の冠』がまんまとポルトガに渡った場合だけど……こちらの狙いは、ボクの失脚だろうね」

 ロランは他人事のように言って、肩を竦めた。

「ロマリアがポルトガを嫌っているように、向こうもこちらを煙たがっている。最近のボクの執政下では、我が国は順調に発展を続けているから、尚更だね」

 さらっと自慢すんな。

「だから、ロマリアの力を削ぐという点に関しては、ポルトガとその魔物の利害は一致するって訳さ」

「ちょっと待ってよ!?じゃあ、カンダタだけじゃなく、ポルトガっていうひとつの国まで、魔物と通じてるっていうの!?」

 マグナの悲鳴じみた問いかけに、ロランは首を振って応えた。

「いや、その可能性は低いと思うな。いくらなんでも魔物に直接そそのかされる程、ポルトガ王も分別が無くはないだろう。だからこそ、人間であるカンダタをわざわざ雇ったんじゃないかな、その魔物は」

「え?良く分かんない」

「つまりさ、魔物なんぞがいきなり出向いて、お膳立てしてやるから、これこれこんな風に事を運びなさい、なんつっても、ポルトガ王も怪しんで従わないだろ」

 俺に説明役を奪われて、ロランは渋い顔をした。

9.

「そりゃ、そうだろうけど」

「だから、魔物とすれば、今回の件はカンダタが勝手にやった事したかったんじゃねぇかな。あんなのでも、一応は人間だ。ロマリアの優男を失脚させるいいネタがありやしてね、イッシッシ、とか話を持ち掛ければ、魔物がするよりゃポルトガも聞く耳を持つだろうしさ」

「ああ、そういうこと。でも、それだとポルトガが『金の冠』を持ってたらおかしいってハナシにならない?自分達が盗ませたって言ってるようなものじゃない」

「いや、それはポルトガがカンダタを捕らえたことにすりゃいいのさ。恩も着せられて、一石二鳥って寸法じゃねぇの」

「ポルトガは、まがりなりにも親戚筋だからね。王位継承の証を賊に盗まれるような能無しに王者たる資格無し、みたいな難癖をつけさせる筋書きだったんじゃないかな」

 ロランが強引に割り込んで、説明役を奪い返した。

「ボクを失脚させる為に担ぎ上げるてみせるのは、従兄弟いとこ殿というところか。なるほど、確かに国力を削ぐにはもってこいだな、あの御仁を国王に据えておけば」

 ロランは自嘲気味に笑った。

「ポルトガの主導で話が進めば、あの従兄弟殿のことだ。国王に祭り上げてもらえるなら、不平等な条約のひとつやふたつは喜んで結び兼ねない。属国の王になって何が面白いんだとボクは思うけれど、彼なら後ろ盾と考えるだろうな。全く呑気な認識だと言わざるを得ないけれど、ポルトガにとっては、これ程旨みの多い話もないね。カンダタが『金の冠』を渡していれば、おそらくポルトガは乗っただろうな」

「その従兄弟殿の話が出たついでに言うけどさ、『金の冠』は王位継承の証なんてご大層な代物だろ?普通は、そんな簡単に盗まれねぇよな?多分、手引きしたヤツが——」

「ああ、分かってる。皆まで言わなくていいよ。それはこちらの問題だから、なんとかするさ」

「ヴァイスも、その従兄弟殿って人のこと、知ってるの?」

 いまいち話についていけてない様子で、マグナが首をかしげた。

「知ってるって程じゃないけどな。この前、たまたま見かけただけだ」

「そうか、マグナは知らなかったね。いや、キミが気にかけるような人物じゃないよ、彼は——それで、話はそれだけかい?」

 ロランに問われて、俺は一瞬躊躇ってから頷いた。ホントは、もうひとつあるんだが。

10.

「なんだ。こんな事なら、わざわざ君が出しゃばらなくても、マグナがボクに話してくれただろうに」

「まぁ、そうだけど……なんだか良く分かんないところもあったから、ヴァイスが話してくれて良かったと思うわ——だからって、勝手に部屋に入っていい訳じゃないけど!」

「まったくだね。女性の部屋に忍び込むなんて、無作法にも程がある」

 お前に言われたくない訳だが。忍び込まなければ、無遠慮に押しかけていいってなモンでもないだろ。

「まさか彼は、いつもこうなのかい?」

「え?……っと、そんなことないけど」

「そうそう。俺はいつでも紳士的だぜ。逆にマグナが、俺の部屋で勝手に寝たりすることはあってもな」

「ちょっと!何言ってんのよっ!?」

「ホントのことじゃん」

「……その話は、後でゆっくり聞かせてもらいたいな」

「何でもないから!!っていうか、ロランに話すことじゃないでしょ!?」

「……ああ、我が愛しき無慈悲なる女王よ。ボクの気持ちを分かった上で、それを言うのかい?」

 こいつ、いい加減ウゼェよ。

「ま、まぁ、でも、魔物の悪巧みも結局失敗した訳だし、これで一件落着よね」

 ロランの扱いに困ったマグナは、無理矢理話題を戻した。

 これで終わりって訳じゃないと思うけどな。人間側が気付いてないだけで、魔物はこういうちょっかいを、色んなトコでちょくちょく仕掛けてると見たぜ。

「今回の件は、魔物にとっても誤算だっただろうね。というよりも、魔物だけに、人間に対する理解が不足していたと言うべきかな。だから、カンダタの抜け目のなさと強欲を読み切れなかった。でもね、何よりその魔物にとって不幸だったのは——」

 ロランはいきなり、マグナの腰をがばっと抱き寄せた。

「ちょっ——」

「キミという幸運が、ボクに味方してくれたことさ。ボクに幸運の天使を遣わしてくれた神に、感謝を捧げずにはいられないよ」

「もう——離してよ!気軽にホイホイ抱き締めないで!あたしをなんだと思ってるのよ!?寝る時に抱く枕かなんかじゃないのよ!?」

 マグナに腕を突っ張られて、ロランはしゅんと肩を落として腕を解いた。

11.

「ごめんよ、キミの気持ちも考えずに。愛しさのあまり、身の程知らずにもその身に触れることを禁じ得なかった哀れな従僕を、どうか許しておくれ、我が女王よ」

「だから、その女王ってのやめ——」

 言いかけて、マグナは何かに気付いたような表情を浮かべた。

「あたしは、ロランの女王様なの?」

「ああ、もちろんだとも。ボクはキミの虜だからね」

「じゃあ、お願い聞いてくれる?」

 ロランは、滅多に誉められない子供が、珍しく誉められたみたいな顔をした。

「——嬉しいよ。キミがボクにお願い事をしてくれるだなんて。この上ない喜びだよ。たとえどれだけ不可能な事でも、必ず叶えて差し上げるとも」

「ううん、すごく簡単なことよ。あのね、やっぱりこの部屋、あたしがひとりで使うには広過ぎると思うの」

「この部屋はお気に召さないかい?だったら、すぐにでも替えて——」

「違うの。部屋はここでいいから、リィナとシェラも一緒に泊まらせて欲しいのよ」

 なるほど。夜討ち朝駆けで押しかけてくるロラン対策か。

「それは……」

 思いもよらない願い事だったと見えて、ロランはちょっと言い淀んだ。

「駄目?こんなに簡単なお願いも、聞いてもらえないのかな」

 おおお、マグナ、お前。そんなおねだりするみたいな顔も出来たのか。ちょっと背筋が痒いんですが。

 ロランは、これ以上ないくらい真剣な顔つきで悩み抜いた末に、物凄く渋々ながら観念した。

「——分かったよ。我が女王の御心のままに」

「ありがと」

 ガックリとうな垂れるロランとは対照的に、マグナはしてやったりの笑みを浮かべる。

「それじゃあ、ここはもう女の子の部屋だから。男の人は、さっさと出てってもらえる?あ、ヴァイスは、二人を呼んで来て」

「へいへい」

 諦めろ、ロラン。お前の負けだ。

「ロランは、後で晩餐会でね。楽しみにしてるから」

 なおざりに言いつつ、マグナはロランの背中をぐいぐい押して、扉の方に運んでいく。

「ボクもだよ。後でドレスを届けさせるから——」

「三人分、お願いね。はい、じゃあ、また後で」

 パタン、と扉が閉じられた。

12.

 まんまと閉め出されて、ロランは深々と溜息を吐いた。

「やれやれ。体良く追い払われてしまったな」

「まぁ、なんだ。あんた、本気で口説くつもりなら、もうちょい攻め方変えた方がいいんじゃねぇの」

 あんまりガッカリしてるので、さすがに見兼ねて、そんな事を口走ってしまった。だって、女神だのなんだの言っても、あいつには通じねぇよ、きっと。

「そうかい?彼女も内心はまんざらでもないと思うんだが……そうだね。次の機会には、もうちょっと違う面を見せることにしよう」

「次の機会、なんてのがあればな」

「もちろん、あるさ。彼女には困ったことがあったら、いつでも僕を頼るように言ってあるし、その為の『しるし』も渡してあるからね。僕はこれでも一国の主だし、ほとんどどんな願いだって叶えてあげられる。こんなに都合のいい知り合いは、他になかなか考え付かないだろう?」

 普通はそうかも知れねぇけどな。

「それにしても、この僕に助言とは、ずいぶん余裕を見せつけてくれるじゃないか」

「はぁ?」

「さっき、マグナが君の部屋で寝たとか言ってたね。どうせ何事も無かったのは、分かり切っているとはいえ——」

 なんだと、この野郎。そういう事ほざくと、俺の方こそ次の機会には手ぇ出しちまうぞ。

「やはり君を、彼女の側に置いておくのは不愉快だな」

「前から思ってたんだが、あんた、なんか勘違いしてるぞ」

 俺とマグナは、そういうんじゃねぇっての。

「勘違いだって?じゃあ、何故スティアの誘惑に乗らなかったんだい?君はすいぶん彼女を気に入っていたように、僕には見えたけどね」

 うぐ。くそ、嫌なこと思い出させんじゃねぇよ。あ~、マジもったいねぇことしたよ、ホント。

「けれど、君が勘違いと言い張るのなら、その方がいいさ。是非とも、その言葉を最後まで守り通して欲しいものだね——待てよ。そうだ、僕と賭けをしないか?」

「賭け?」

13.

「そう。君は、マグナが魔王を斃しに行かない、いや、むしろ行かせたくないと思っているだろう」

「なんで、そんなこと——」

「分かるよ、それくらい。この前、思い切り顔に出ていたじゃないか。でも、それは間違いだ。きっと彼女は、魔王を斃しに行くからね」

「なんで、あんたにそんなこと——」

「分かるんだよ。同じことを言わせないでくれ。付き合いは短いかも知れないが、僕は君より彼女を理解している自信がある。というより——」

 ロランは、フッと鼻で笑った。

「きっと君は、彼女のことを何も知らないからね」

 アホか。少なくとも、お前よりゃ知ってるっての。

「僕よりは知っている、という顔だね」

 俺の心を読むんじゃねぇ。

「いいだろう。僕らはお互いに、自分の方が彼女のことを理解している自信があるという訳だ。なら、賭けは成立ということで文句はないだろうね」

「だから、賭けってなんだよ」

「単純なことさ。彼女が魔王を斃しに行く決心をしたら、君は彼女の元を離れるんだ。その時に、君のような考えの者が傍らに居ては、彼女にとっても迷惑だろうからね」

「はぁ?なんだそりゃ。お前に都合がいいだけじゃねぇか。賭けになんねぇよ」

「なるよ。彼女がついに魔王を斃しに行かずに隠棲しても、僕は彼女を探したりしないと約束しよう。静かに、彼女の望む生活を送らせてあげるよ」

 それ、俺にメリットあるのか?

「まぁ、そんなことは、天地がひっくり返ってもあり得ないけどね。彼女は、魔王を打ち滅ぼすよ。それに、世界を救った勇者ともなれば、もはや僕が娶っても誰も文句は言わないだろう。やれ家柄がどうだと口うるさい連中すらね」

 だからそりゃ、お前の都合でしかないだろうが。

「どうだい、受けるかい?」

「ああ、分かった。受けてやるよ。俺に得はねぇけど、損もねぇしな」

 悪ぃけど、お前の思い通りには絶対にしてやらねぇぞ。マグナがどこかに落ち着いて、普通の暮らしを送れるようになるまでは、ちゃんと面倒見てやろうじゃねぇか。

 俺は、あいつのお袋さんにだって、宜しく頼まれてんだからな。そんなことも知らねぇ癖に、相手見て語れよ、このお調子モンが。

「言ったな。いざとなったら忘れた振り、なんてのは止してくれよ」

 そんなことする必要ねぇよ、バーカ。

14.

——おっと、そうだった。

「ちょっと待った」

 薄ら笑いを浮かべて立ち去ろうとしたロランを呼び止める。

「なんだい?やっぱり止めた、なんて言っても聞かないよ」

「そうじゃねぇよ。カザーブの村で、妙な連中に会った」

「それが?」

「そいつら、俺達がカンダタ共と一戦やらかしたことを知ってやがったんだ。あんたらのトコから、話が漏れたんじゃねぇのか?」

 ロランは、きょとんとしてみせた。

「どうだろうな。我々——僕やマルクスやセネカから漏れることはまず無い筈だ。スティア達からもね。ただ、我が不肖の妹や従兄弟殿も知っていることだし、内密とは言っても緘口令をしいた訳でもないからな。いずれ漏れても不思議はないが、何か不都合でもあるのかい?」

「いや、不都合って言われると——」

 そういや、別に無いな。

 ただ——あのにやけ面が、どうも気にかかる。単なる直感に過ぎないが、あいつが厄介事を運んでくるような——どうやら、俺はあいつのことが苦手らしい。

「その胡散臭い連中が、俺達のことを嗅ぎ回ってたみたいなんでな。ちょっと気になっただけだ」

「おいおい、君がおかしな輩に目をつけられるのは勝手だが、彼女を余計な面倒に巻き込んでくれるなよ」

 バカ言うな。どっちかっつーと、俺が巻き込まれてるんだっての、常に。

「まぁ、君の手に負えないようなら、遠慮せずに僕を頼りたまえ。賭けは僕の勝ちという条件でなら、大抵のことはなんとかしてあげるよ」

 ハッハッハ、とか笑い声を残して、ロランは姿を消した。

 うるせぇよ、誰がお前なんぞに頼るか。

15.

 ロランとの間にそんなやり取りがあって、俺は多少ムシャクシャしていたのだが、その日の晩餐を迎えて、そんな気分は見事に吹き飛んだ。

 それは、ちょっとした見物だった。

 リィナが、ドレスに身を包んでいたのだ。

 マグナとシェラが同室だから、無理矢理着替えさせられたんだろう。

 ひと目見た瞬間は誰だか分からないまま思わず見とれ、次の瞬間にそれがリィナだと気付いて頭をぶん殴られたみたいな衝撃を受けた。

 薄い紫のドレスは全体的にすっきりとしたデザインで、女にしては発達した肩まわりは上手くショールで隠している。

 丁寧に梳かれた髪を上げたうなじや、胸元にのぞく谷間が——ちょっと信じられないというか、普段のリィナからは全く連想することもない表現だが——かなり色っぽい。

「やっぱり、こういうの似合わないってば~。恥ずかしいから、着替えてきていい?」

 薄地の長手袋をはめた手で、しきりと綺麗にまとめた髪の毛の辺りを気にしている。そんな仕草すら、いつもより女っぽく見えてしまったりするのだった。

「そんなことないです。リィナさん、とっても似合ってますよ」

「ほら、くずれちゃうから。触らないの」

 やたら嬉しそうにリィナを見上げるシェラと、なにくれと世話を焼くマグナもドレスに着替えているのだが、元々三人の中でも一番女らしく抜群な体型に加えて、見慣れた格好との落差の分だけ余計に……

 その、なんだ。綺麗に見えるリィナの前では、悪いが霞んでしまう。

「ほら~。ヴァイスくんもヘンな顔して見てるし。やっぱりヘンなんだよ~」

 多分俺は、アホみたいな顔をして見とれていたに違いない。

 必死に否定して、下手糞な世辞を口にしたと思うが、なんと言ったかよく憶えてない。

 顔に血が集まるのを感じながら、この時、ぽっと思ったことは覚えている。

 なんで、そんなことを考えたのか、自分でもよく分からないんだが。

——もしかしたら、俺、こいつにちょっとだけ惚れてるかもしれん。

 これまで全く抱いたことすらなかった、そんな想いが、はじめて頭に浮かんでいた。

 まぁ、何と言っても命の恩人だもんな。惚れてるってのは無いにしても、なんらかの特別な感情を抱いたところで、別におかしくはないよな。

16.

 ともあれ、前回は堅苦しくて窮屈なだけだった晩餐も、今回はリィナのドレス姿を見れただけで得した気分で過ごせたのはありがたかった。

 いや~、手間暇かければ、あんなにいい女になるとはね。正直言って、眼福だ。

 でも、タマに見るからいいんだろうな。普段は、いつものあいつでいてくれた方が、きっとずっといい。そっちのが好きだ——いや、好ましいって意味でな。

 ロランは、相変わらずマグナにほぼ一方的に話しかけていた。そうだろうよ。お前はマグナさえいれば、それで満足だもんな。

 俺は、珍しく少ししか料理に口をつけずにシェラと会話をするリィナの方ばかり見ていたので、助け舟を求めるマグナの視線を見落として、後でまた文句を言われた。

 晩餐を終えて部屋に戻ってからも、なんか知らんが俺はリィナのことばかり考えていた。自分でも意外だが、俺にとって、よっぽど衝撃的な出来事だったらしい。

 あいつのあんな艶姿は、今日が最初で最後だったかも知れないと思うと、なんだか惜しくて堪らなくなる。

 あ~、思い切って声かけて、二人きりになってみりゃ良かったな。いつもはまるで感じない、あいつの女の部分を覗けた気がする。全く予測がつかない分、さぞかし新鮮だったに違いない。

 今からじゃ、もう遅いよな。どうせ部屋に戻るなり着替えちまっただろう。まぁ、幻みたいなモンだ。儚いが故に心を揺さぶるって訳よ。って、何アホなこと考えてんだ、俺は。

 今回、俺にあてがわれた部屋は、一番最初に通されたのと同じ、やや格の落ちる部屋だった。それでも充分に豪華なんだが、てことは、今夜は夜伽のイジワルはナシってことらしい。

 ロランもアホだね。今の俺なら、あっさり引っかかったかも知れねぇのによ。

 リィナにあれほど目を奪われちまったのも、ヘンな性欲の昂ぶりが、未だにどこかで燻っていたからに違いないんだからな。

 もう一晩眠れば、そろそろすっかり元通りになるだろう。多分。

17.

 翌日、城を後にした俺達は、先ずは換金をする為に冒険者の組合所に向かった。

 ロランからふんだくってやった報酬と合わせれば、にわか成金と呼んで差し支えないくらいの額が手に入る。どれだけマグナが買い物に精を出したとしても、当面は金の心配をしなくてもよさそうだ。

 俺は、ちらりとリィナを盗み見た。いつもの道着姿だ。俺の感情もいつも通りで、心中に不可解な波風が立つ気配も無い。うん、完全に戻ったかな。お前はやっぱ、その格好が似合ってるよ。

 組合所のすぐ側まで来た時のことだった。

 だしぬけに扉をぶち破って、凄い勢いで人間が宙を吹っ飛んだ。

 なんだぁ?

 地面に打ち付けられたそいつは、ゴロゴロ転がって道の反対側でようやく止まる。

「あれ?」

 放っておく訳にもいかずに駆け寄ると、リィナが声をあげた。

 こいつ、どもり野郎のブルブスじゃねぇか。何いきなりぶっ飛ばされてんだ。

「あ……し、師匠——」

「どしたの?誰かにやられた?」

「シェラ、とにかくホイミを」

「は、はい」

 手当てを受けるブルブスに背を向けて、俺は扉の破壊された組合所に足を踏み入れた。どもり君は、仲間と別行動をとっていたらしい。スティアの姿は見えず、ほっとしたような、がっかりしたような。

 代わりに、なんかガナってる野郎がいる。

「だからさ、カンダタとやり合った冒険者が誰なのか教えろって聞いてるだけじゃん!?」

「し、知りませんよぅ。さっきから言ってるじゃないですかぁ」

 黒っぽい道着をきた武闘家らしき男が、換金係の女の子相手に凄んでいた。こいつか、どもり君をぶっ飛ばした野郎は。

「あのね、オレをバカにしてんの?ここは、冒険者の元締めじゃんか。知らない訳ねーでしょ」

「私、ただの換金係ですからぁ。知らないですよぉ」

「お前、止めろよ。泣くほど女の子を脅してどうすんだ、バカ」

「な、泣かしてねぇよ!このコが勝手に泣いちゃったんだって!」

 背後から声をかけると、男はうろたえて振り返った。

「オレは、ただ話を聞いてただけで——って、アンタなに?」

 急にいかめしく顔を作り、肩を揺らしてこっちに歩いてくる。

 なんだ、やる気か。言っとくけど、俺は喧嘩弱ぇぞ。

18.

「オレ様、時間無いんだよね。悪いけど、邪魔すんならぶっ飛ばすよ?」

「まぁ、落ち着けよ。なんだか良く分かんねぇけど、そのコは知らないって——」

「良く分かんねぇなら、すっこんでてよ。ね?」

 男は不意に、俺の顔面に向かって拳を繰り出した。

 だから、俺は喧嘩弱ぇってのに。

 思わず目を瞑ってしまったが、パンっと乾いた音が耳に届くだけで、一向に拳が当たる気配がない。

 おそるおそる目を開くと、男の拳は俺の顔面を捉える寸前で、誰かの掌に受け止められていた。

「無事かな、ヴァイスくん?」

 リィナだ。いつの間に隣りにいたんだ、お前。

「へぇ?」

 男は面白そうな色を目に浮かべて、俺を蹴る。なんで俺だよ。

「よっ」

 俺に届く前に、リィナが男の脚を蹴り戻し、その勢いで蹴り足を跳ね上げて男の鼻っ面を軽く弾いた。

「ぶぁっ」

 二、三歩たたらを踏んで、男は顔を押さえる。

「なに、この人?」

 何事もなかったような口調で、リィナは俺に尋ねた。

 お前カッコ良過ぎ。俺が女でお前が男だったら、間違いなく惚れてるぞ、これ。

「ちぇっ、油断したぜ。とは言え、このオレ様に一発入れるとは、アンタ只者じゃないだろ」

 男はニヤリと笑った。鼻血を拭いながらじゃ、全然決まんねぇけどな。

 冷静に見ると、男はかなり若かった。俺より年下なんじゃねぇか、こいつ?

 背も、あまり高くない。リィナよりは上背があるが、俺よりも低い。

 鼻血を拭ったのとは逆の手で、男は短く刈った黒髪を掻いた。

「さては、アンタらだな?カンダタ一味とやり合った冒険者ってのは?」

「そうだけど?」

 バカ、お前リィナ。簡単に認めんなっつーの。

「マジかよ。今日ここで会えるなんて、さすがはオレ様、ツイてるね。てことは、ニックの旦那とやり合って、生き延びた女武闘家ってのはアンタかい」

 こいつ、そんなことまで知ってんのか。まぁ、あれだけの強さだ。あのニックって野郎が、チンピラ業界では有名だとしても不思議じゃないが、どうやら噂はだだ漏れみたいだな。

19.

「なに?キミ、あの人の知り合い?」

「ちょっとな。オレの名はフゥマ。おう、ちょっと確かめさせろい」

「ボクはリィナ。手合わせってことかな?別にいいよ」

「お、話が早ぇな。そういうの好きだぜ。そんじゃ、早速——」

 フゥマと名乗った男は、突然目を剥いた。

 ちょうど組合所に入ってきたマグナ達の方を見ている。

 視線の先は——シェラか。

「……なんだよ、オイ。あの可愛コちゃんも、あんたらの仲間なのか?」

 可愛コちゃんて、お前。

 フゥマはシェラを見据えたまま、俺を押し退けてズカズカ歩み寄る。

「なによ、あんた」

 シェラを後ろに庇って、マグナが立ちはだかった。

「いや、アンタに用はないから。どいてよ。オレ様、気の強い女は嫌いなんだ」

「なっ——!!」

 絶句するマグナに構わず、フゥマはシェラに話しかける。

「あの、オレ——いや僕、フゥマって言うんだ。君は?」

「え、あの、シェラですけど」

「い、いい名前だね」

「はぁ。ありがとうございます」

 なんだ、この会話。

「あのさ、これから、君の仲間と勝負することになったんだけど、その、もし僕が勝ったら……えっと……」

 おいおい、恋する少年みたいな口振りになってるぞ。

「もし良かったらでいいんだけど……この後、ちょっと付き合ってくれないかな」

「はい?」

「いいよー。ボクに勝てたらね」

 何故かリィナが勝手に了承する。

「ホントだな!?約束だぞ!?おっしゃ、さらにやる気になってきたぜ!」

 フゥマは拳で手を打ち鳴らした。

「え?どういうことですか?よく意味が——」

 訳が分からず、おろおろするシェラ。そりゃそうだろう。

 なんだかおかしな事になってきたな、おい。

20.

 組合所の脇には、冒険者やその卵がいつでも使用できる修練場が用意されている。

 フゥマとリィナは、四方を塀で囲まれたそこで手合わせをすることになった。

 なんでこんな事になってんだ。

「大丈夫なのかよ。お前、いちおう病み上がりだろ」

 片足を体の真横に伸ばしてしゃがみ込み、頭の上で腕を組んで伸ばした足の方に上半身を傾けて柔軟をするリィナに言う。

「平気へいき。どれくらいナマってるか確かめておきたかったから、丁度いいよ」

 そう軽く言うけどさ。

「それに、弟子がやられた分は、おかえししとかないとね」

「し、師匠。し、心配してないですけど、あ、あいつ結構、つ、強いス」

 ブルブスは、既にシェラのホイミで回復していた。

「みたいね。でも、ちゃんと勝つから心配しないで、シェラちゃん。ごめんね、勝手なこと言って。ああ言っといた方が、手っ取り早いかな、と思ってさ」

「いえ、あの——信じてますから」

 いまいち事の成り行きを呑み込めていないながらも、シェラは健気にそんなことを言う。

「なんなのよ、あいつ。オレ様とか言っちゃって、バカみたい」

 ぶつくさ呟いているのはマグナだ。

「おう、さっさとしろい!こっちは、さっきから待ってんだからよ!」

 腕組みをして催促するフゥマを、マグナはギロリと睨みつけた。

「なんだかよく分かんないけど、リィナ、もうケチョンケチョンにしちゃっていいわよ」

「うん、まぁ見ててよ。もう負けないから」

 ぴょーんとひとつ高く跳ねてから、リィナは修練場の中央まで歩くと、足をがばっと前後に開いて腰を落とし、掌を上に向けてフゥマの方に差し出して、合わせた指をくいくいっと曲げて手招きした。

「面白ぇっ!受けてやるぜ!」

 フゥマは拳の届く距離まで近づくと、リィナと鏡合わせになるように、やはり足を開いて腰を落とす。互いの前足が交差するくらい近い。

「それじゃ、ヴァイスくん、お願い」

「は?」

 お願いって、何をだ、リィナ。

「いつでもいいから『はじめ』って言ってよ」

 あー、そういうことね。そんじゃ。

21.

「え~、はじめ」

 俺の気の抜けた合図と共に、二人は同時に拳を繰り出した。

 リィナの頭が、後ろに弾ける。なんと、フゥマの拳だけ当たっていた。

 思い切り仰け反った状態から、なんとか上体を立て直して、リィナは頭を振る。

「あれ?」

「とりあえず、さっきのおかえしな」

 リィナの鼻から血が垂れていた。

 それを拭いながら、リィナはちょっと笑う。

「続けないんだ?優しいね、キミ」

「これで貸し借り無しだからな。次は止めねぇよ」

「うん、そうしてくれる。キミ、面白い打ち方するから、もっと見せてよ」

「けっ、鼻血垂らして余裕コイてんじゃねぇぞ!!」

 フゥマは次々と、リィナの言うところの面白い打ち方で拳を繰り出す。いや、俺には何が面白いんだか、さっぱりだが。

 リィナは、防戦一方に見えた。拳を喰らいこそしないものの、掌で受けたり腕で払ったりするだけで、反撃ができない。

 どうでもいいけど、両者の動きが速すぎて、目と意識が追いつかねぇぞ、これ。

「どしたい!!もうちょい上げるぜ!?このままだと、終わっちまうぞ!!」

「そうだね。そろそろいいかな」

 言った直後だった。

 フゥマの拳を打ち落としたリィナの手首が、そのまま顎に叩き込まれる。

「つっ!」

 さっきのリィナと同じように、仰け反った状態からなんとか踏ん張って、フゥマは体勢を立て直した。

「これでまた、ひとつ貸しね」

 リィナは、人差し指を伸ばしてフゥマに見せた。

 さてはこいつ、わざと手を止めたな。いつも飄々として見せているが、実はメチャクチャ負けず嫌いなんじゃねぇのか?そういや、いくつか思い当たるフシがあるぞ。

 くいくいっと合わせた四指を自分の方に折り曲げて、リィナは再び手招きをする。

「……上等だ、コラァッ!!」

 怒鳴りながら放ったフゥマの突き手を掴み、リィナは後ろに放り投げるように引っ張った。

「……っと」

 バランスを崩したフゥマは、片足だけでぴょこぴょこ何歩かつんのめる。

「ってことで、ボクの勝ちでいいかな?」

 リィナは、はじめの位置から全く動いていなかった。

 どうやら先にその場から動いた方が負け、みたいな暗黙の了解があったらしい。

22.

「っのヤロ……」

 フゥマは、悔しそうに顔を顰めた。

「ちぇっ、はじめから自分の得意な土俵に持ち込むなんて、卑怯な真似してくれるじゃんか。オレ様としたことが、まんまと引っかかっちまったよ」

 お前、さっきは面白ぇとか言ってただろ。

「オレ様はまだ負けてねぇよ。こんなちまちました小手先の小突き合いなんて、やってられっか!大技繰り出してナンボの、男の流儀ってヤツを見せてやるぜ!!」

 手前勝手なことを大声でほざくと、フゥマは低く身を沈めた。

「おらあっ!!」

 五、六歩ほどの距離を一足飛びに跳んで拳を突き出す。

「ほい」

 素早く横に回り込んだリィナは、左腕でフゥマの首を刈ると同時に足を払う。

「おっ!?」

 頭から地面に落ちるかと思いきや、フゥマは地についた両手を支えに躰を縮め、次の瞬間、急激に全身を撥ね上げた。バネ仕掛けの逆立ちみたいなモンだ。

 だが、フゥマの踵はリィナの顎を捉えなかった。

 背を逸らせて後転したリィナの軌跡を追うように、その僅かに上をフゥマの体がなぞって行く。

 回転の半径が小さいので、先にリィナが着地した。すぐ後ろに、背中合わせでフゥマが落ちてくる。

「フンッ」

 足が地に着く寸前だった。

 ドン、と地を踏み締める音がして、フゥマはリィナの背中に弾き飛ばされていた。

「うおぁっ!」

 仰け反りながらふっ飛ばされたフゥマは、塀にぶつかる寸前でなんとか足を踏ん張って立ち止まる。

「ちぃっ!」

 振り向き様に拳を払ったのは、既にリィナが迫っていたからだ。

 だが、空を切る。

 ガラ空きの腹に、リィナの肘が突き刺さった。

「うぐふっ」

 堪らずに膝をついて、フゥマは苦しそうに何度か咳き込む。

「これで、もうひとつ貸しだね。まだ、いける?」

 また手を休めて、リィナはフゥマを見下ろした。

23.

「……当然だ。ナメんな、コラァッ!!」

 いきなり跳び上がって頭突きを喰らわそうとしたフゥマの顎を、後宙したリィナの爪先が見事に蹴り上げる。

「がっ!!」

 首の血管が何本か切れたんじゃないかと思うほど顎を跳ね上げられたフゥマは、しかし倒れなかった。

「構うかよっ!!」

 後宙したリィナを追って、思い切りぶん回した蹴りを叩き込む。着地直後で躱せずに受けたリィナの躰が、少し持っていかれる。

「いくぜっ!!」

 フゥマは、リィナの体勢が整う前に、さらに脚を振り回した。大振りだったこともあり、今度は躱される。

「おおおおぉぉっ!!」

 構わず次々に繰り出されるフゥマの蹴りや拳を、リィナは紙一重で躱し続ける。

 と、その肩が塀に触れた。まさか、これが狙いで追い詰めてたのか!?

「ひっさぁつっ!!」

 はぁ?必殺ぅ!?

「爆砕!!破岩拳んっ!!」

 頭の悪そうな叫び声と共に思いっ切り突き出された拳は、あろうことか塀を打ち抜いていた。

 ガラガラと周辺の塀が崩れ落ちる。やってることが冗談みたいなら、威力も冗談じみてやがる。

「おー、凄いすごい」

 リィナに当たってねぇけどな。

 渾身の必殺技——必殺技って——をあっさり躱されたフゥマは、しかし不敵に笑った。

「ちぇっ、上手いこと躱したとか思ってんだろ。でも、ホントだったらオレ様の勝ちなんだぜ」

 何言ってんだ、こいつ。頭大丈夫か?

「え、なんで?」

「何故なら、今のはまだ全然本気じゃなかったからだ!」

 いや、そんな堂々と言われても。子供の負け惜しみかよ。

「確かにアンタも結構やるけどな、このオレ様が本気だったら、今頃は——」

「やれやれ。こんなところに居らしたんですか、フゥマさん」

 塀の向こうから、誰かがフゥマに語りかけた。

 この声は——

「ちゃんと待ち合わせの場所で待っててくださいよ。さんざん探したんですから」

 くそ、やっぱりか。嫌な予想ってのは、得てして当たるモンだよな。

 崩れた塀の隙間から姿を現したのは、カザーブの酒場で会った、あのにやけ面だった。

「ああ、アンタか。悪い悪い。ニックの旦那とやり合ったってヤツが、どんくらい使えるのか確かめてみたくてよ」

24.

「おや、この方々がそうなんですか」

 にやけ面は、リィナを見た後、こちらに目を向けて俺の上で視線を止めた。

「やあ、またお会いしましたね」

「俺は別に会いたくなかったけどな」

 にやけ面を顔に貼り付けたまま、声に出して笑う。

「人の悪い方ですね、貴方は」

「なんだよ、知り合いか?まぁ、そんなこたどうだっていいや。やるぜ、『アレ』」

 フゥマの台詞に、にやけ面は首を横に振った。

「駄目ですよ。この方々にも、お声をかけようと思ってるんですから。いざこざは困ります」

「なんだ、そうなのか。でも、ちょっとだけならいいだろ?オレ、この姐さんにふたつも借りちまったんだ。このままじゃ、スッキリしねぇよ」

「駄目です」

「ボクなら構わないけど。『アレ』っていうのが、キミの言う本気なんでしょ?」

 嬉しそうな顔で、余計なこと言わなくていいから、リィナ。

「ほら、姐さんもああ言ってることだし」

「駄目ったら駄目です。さあ、行きますよ。ルシエラさん達も、ずっと待ってるんですから」

「ちぇっ、つまんねぇの」

「なんだ。もう終わり?」

「悪い。オレもまだやりてぇんだけど、雇われの身でさ。あんたには、また今度借りを返すよ」

 フゥマはリィナに拝んでみせてから、シェラに声をかける。

「シェラさんも、また今度!」

「え、あの……」

 返事は期待していなかった——というよりも、返事を聞くのを怖れるように、フゥマはスタコラと崩れた塀の間を抜けた。

「さて、用事がありますので、今日のところはこれで失礼します。またいずれ、お会いしましょう」

「だから、もう会いたくねぇっての」

 俺の拒絶を聞き流し、にやけ面も塀の向こうに消える。お前ら、そこは出入り口じゃねぇぞ。

「なんだったの……誰よ、あいつら?」

 俺の心中を代弁するような言葉を、マグナが口にした。

「知らね」

「嘘言わないで。向こうはヴァイスのこと、知ってたみたいじゃない」

「いや、ホントに知らないんだって。カザーブの酒場で、ちょっと話しただけでさ」

「ホントに?あんた、なんか隠してない?」

 特に言う必要も無いと思って会った事は黙ってたけど、あいつらが何者かってのは、こっちが教えて欲しいくらいだ。だから、そんな目をして睨んだって、俺には答えようがねぇよ、マグナ。

25.

 貴様等がカンダタ一味を打ち破った冒険者か!とか言って、次々に挑戦者がやってきたら面倒臭ぇな、と少し心配してたんだが、幸い腕白坊主以外は現れることもなく。

 次の日から俺達は、当初マグナが考えていた通りに、シェラの探している神殿に関する情報の聞き込みをはじめた。

 だが、三日経ってもこれといった話を、さっぱり聞かない。

 魔法協会なら誰かしら知ってるだろうと踏んでたんだが、魔法使い共は関係の無い講釈を偉そうに垂れるだけで、まるきり役に立ちゃしなかった。というより、どうも話を濁された気がする。

 ふと思いついて、たった今、冒険者の組合所を訪ねてみたんだが、やはり知ってる人間はいなかった。

 他にもひとつふたつ、当てがあるにはあるんだが、あんまり気が進まねぇなぁ、とか考えながら修練場の脇を歩いていると、崩れたままの塀の間からリィナとブルブスが手合わせをしているのが見えた。

 リィナも、冒険者連中に話を聞きに来てたのかね。

 よく独りでふらっと姿を消すヤツだが、こんな風に人知れず修行に励んでいたんだろうか。なんて思いつつ眺めていると、ブルブスの蹴りがモロにリィナの腹に入った。おいおい、あり得ねぇだろ。

「し、師匠、だ、大丈夫ですか」

「あー平気へいき。ごめん、ちょっとぼーっとしてたよ」

「きょ、今日、調子わ、悪いですね。な、悩み事ですか」

「うん……ううん。何でもないよ。ごめん、ちゃんと気合入れるから。ほい、続きつづき」

 二人は、手合わせを再開する。

 へぇ。リィナにも悩みなんてあるんだな。いや、そりゃあるだろうけどさ、そんな素振りは、全然見せてくれないもんな。

 今、ブルブスの前で一瞬だけ覗かせた表情すら、俺は見たことがなかった。

 やっぱり、俺じゃ頼りにならないのかね。にしたって、どもり君より下かよ。そりゃ、かなり落ち込む話だな。

 なんとなく声をかける気分になれず、一抹の寂しさを感じながら、俺はその場を後にした。

26.

 宿屋の食堂で晩飯を食いながら、その日の成果を報告し合うのが、ここ数日の恒例行事になっていた。

 だが今日も、誰も有力な情報は得ていなかった。この数日で増えたモンといえば、マグナとシェラの服くらいだ。

 マグナにさんざんケナされたお陰で、多少は注意していて気がついたんだが、どうやらロマリアの若い女の間では、短いスカートを穿くのが流行りらしい。だから、自然とマグナのスカートも短くなるのは結構なんだが、また新しくなってやがんの。

 どうせ今日も、店を渡り歩いてただろうな、こいつら。

 ほどほどにしとけよ、みたいなことを言うと、マグナはいつかと同じように呆れた顔をして首を振った。

「——ホント、あんたって分かってないわね。いい?噂は誰の間で流れるのか、良く考えてみなさいよ」

「誰って?そんなの決まってるのか?」

「あのね、噂好きって言えば、女の人に決まってるでしょ」

 まぁ確かに、近所のおばさんとか、どうでもいい噂話まで良く知ってたが。

「だから、女の人が集まるところで話を聞くのが、一番効率がいいの。買い物するためだけに回ってたんじゃないんだから」

「とか言って、ホントは買い物が目的で、話を聞くのはホンのついでだろ?」

「うるさいな。そういうこと言うと、もうあげないから」

 あげる?なにを?

 ごそごそと椅子の下を探るマグナに、「あ、もう渡しちゃいますか」とかシェラが話しかける。

「はい。あげる」

 そっぽを向きながら、マグナはぶっきら棒に包みを俺に押し付けた。

「その服、マグナさんが選んだんですよ」

「違っ——余計な事言わなくていいの。ついでよ、ついで。あんまりヘンな服着られたら、一緒に歩く時に恥ずかしいでしょ」

「きっと、ヴァイスさんに良く似合うと思います」

 なんだなんだ。理由も無く、マグナが俺に物くれる訳ないよな?

 一体、どんな恐ろしい魂胆が、この裏には隠されて——

「……早く受け取りなさいよ」

「あ、ああ。ありがとう」

 まぁ、いいか。くれると言うなら、もらっておこう。

「でも、俺の服なら、おとといあちこち連れ回されて買っただろ」

 今も、その服を着ていたりする。

「あんた、マトモな服それしか持ってないじゃない!……いいわよ、要らないなら返して」

「いや、要る要る。ありがたく頂戴するよ」

27.

「ホント、一言多いんだから……」

 ぶつくさ言うマグナを、まぁまぁとかシェラが宥める。

「リィナも、服を買っておいても全然着ないのよ。おんなじ道着ばっかりいっぱい持ってて、それを着回してるの。信じられる?」

「あーうん。折角買ってくれたのに、悪いなーとは思うんだけど、この方が動き易いしさ。そういう服着てる時に、突然襲われたら困っちゃうし」

「誰によ!?こんな街中で、襲われないわよ!」

 まぁ、別の意味で襲われる可能性はあるけどな。

「それに、マグナみたいに可愛くないから、ボクにはそういうの似合わないよ」

「そんなことないです!絶対とっても似合うのに……もったいないです」

 心の底から残念そうに、シェラが呟く。

 俺も、ちょっと見てみたいぞ。普通の服を着る時は、サラシも巻かないだろうしな。

「まぁ、人の好き好きだけどね。別に無理して着ることは無いけど」

「そうそう。ボクはこれが一番落ち着くよ」

 この分だと、この前の晩餐での光景は、やっぱり儚い夢と終わりそうだな。

 それはともかく。

「で、どうする?それっぽい話が全く引っかからねぇけど、もうちょい聞き込みを続けてみるのか?」

「そうねぇ……そんな言い方するってことは、ヴァイスは何か考えでもあるの?」

「まぁ、考えってほどのモンでもないんだけどさ——」

 このままロマリアで話を聞いて回っても、埒が明きそうにないからな。

 俺はカザーブの村で耳にした、エルフの話を三人に聞かせた。アホみたいに長生きしてるそうだから、神殿の話を知っている可能性も無くはない。まぁ、無くはない、って程度だが。

 ついでに『眠りの村』の存在を確認したら、『どくばり』がもらえることを付け加える。

「へぇ。エルフって本当にいるんですね」

「いや、それはまだ分かんねぇけどな」

 どうやらシェラは、エルフの話に大層心を惹かれたようだ。

「マグナさん、行ってみましょうよ。私、エルフに会ってみたいです」

「ボクも~」

 いや、エルフに会うこと自体が目的じゃないんだが。

「……そうね、いいんじゃない。ここでは、大した話は聞けそうにないしね」

 マグナがあっさりと首を縦に振ったので、俺は驚いた。買い物生活が気に入ってると思ってたから、てっきり拒否するもんだと予想してたんだが。

28.

 話はとんとん拍子に進み、旅の支度なんていつでも整ってるようなモンだから、早速明日には出発することになった。

 ともあれ、もうひとつの当てを切り出さずに済んで助かったぜ。マグナに頼んでもらえば、ロランは喜んで国中を総動員する勢いで情報を集めてくれるだろうが、正直あいつに頼み事はしたくねぇからな。

 晩飯を兼ねた報告会を終えた後、独り残って酒を飲むのも、ここ最近の俺の日課になっていたのだが。

「——先に戻っててくれる?」

 この日は、マグナがそんなことを言い出した。

「まだ戻らないんですか?」

 既に席を立っているシェラに、マグナは頷いた。

「うん、ちょっと。すぐ行くから」

「ほいほい。ごゆっくり~」

 にやにや笑いで俺を見て、リィナはシェラの背中を両手で押して立ち去った。

 そういや、試しにリィナと酒飲んでみるのも面白かったかもな。何日もチャンスはあったのに、気付かなかったぜ。まぁ、次の機会だな。

「どうした?なんか話でもあるのか?」

 二人きりになったテーブルでマグナに話し掛けても、いらえはなかった。頬杖をついて、ちょっと拗ねてるみたいに見える。

 俺、なんかやったっけ?

「あたしも、お酒飲む」

 給仕を呼び止めて酒を注文していると、やはり拗ねた口調でそんなことを言った。

「お前、酒なんか飲めたっけ?」

「ちょっとなら、飲んだことあるもん」

 嘗めた程度かな、こりゃ。まぁいいや。

「なに飲むんだ?」

「よく分かんないから、ヴァイスに任せる」

 はいはい、と。マグナ用に、蒸留酒を果汁で割った飲み易い酒を追加する。

 テーブルの木目を眺めたり、店内を所在なげに見回したりして、結局マグナは酒がくるまで一言も口を利かなかった。なんなんだ。ちょっと怖いんですが。

「——あ、甘くておいしい」

 運ばれてきた酒をひと口飲んで、マグナは少し吃驚したように呟いた。

「ああ、飲みやすいだろ、それ」

 スティアと最初に会った時に飲んだ酒だなんてことは、口が裂けても言えない訳ですが。

「なんだ。お酒っておいしいのね。子供の頃飲んだ時は、ヘンな味~としか思わなかったけど」

「まぁ、それはジュースみたいなモンだからな」

「うん。これなら全然大丈夫。もっと飲む」

 気が付いたら、もう飲み干してやがる。

29.

 どんどん注文して、パカパカあおるもんだから、マグナの顔はあっという間に真っ赤になった。

「お前、あんま飲み過ぎんなよ」

「うるさいなー。どうせあたしの財布から払うんだから、いいでしょ」

 お前のかよ。共有財産じゃなかったのか。

 ともあれ、実際はうるさいがうるはいとしか発音できてない。ちょっとペースを落とさせないとヤバそうだ。

「じゃなくて、二日酔いになるっての。明日はもう、出発するんだろ」

「いーもん。二日酔いってなったことないから、なってみたかったんだもん」

 子供みたいなこと言うな。

「いや、あのな。そんな憧れるようなモンじゃねぇぞ」

「もーうるさーい、ヴァイスはいっつもいっつも!あたしがリーダーなんだからね!あんたなんか、家来なんだから!」

「はいはい」

「ほらー、すぐそうやって聞き流すー。もー……」

 マグナは、急にヘンな顔つきをした。

「……なんか、ちょっと気持ち悪くなってきたかも」

「ほら見ろ。慣れてねぇのに、いきなりバカみたいに飲むからだ」

 俯いたマグナの手から、グラスを取り上げる。

「……バカじゃないもん」

「はいはい。そうでしたそうでした」

 俺が急いで布巾で拭いたテーブルに、マグナはぐでーっと突っ伏した。

 何がしたいんだ、こいつは。

「……バカだけど」

「は?」

 寝ちまったのかと思うほど、かなり長い間を置いてから、マグナは突っ伏したままボソボソ喋り出す。

「あのね」

「うん」

「正直に答えて欲しいんだけど」

「ああ」

「あたしって、やっぱり可愛くない?」

 ……あのな。

 どう答えろってんだ、そんなモン。

「……だよね。さっきから——ううん。いつも、ヴァイスにも文句ばっかり言ってるもんね」

 いや、俺が答える前に先取りしないでくれ。

30.

「……あのね、街を歩いてるとね、男の人がタマに声をかけてくるでしょ?」

「そうね」

 おととい、一緒に服を買いに行った時もそうだった。マグナもシェラも、見た目は悪くねぇからな。俺が傍らに居る場合はともかく、試着でちょっと離れた隙にも声をかけられていた。

「でもね……シェラばっかり話しかけられるの」

「そりゃ、だってお前、すげぇ顔して威嚇すっからだよ」

 二人が声をかけられていた場面を、俺は頭に思い描く。

 あんだけ近寄んなって雰囲気を全身から発散してれば、話し掛け易そうなシェラの方に流れるだろ、普通。

 つまり、そういう態度を取っちゃう自分が、可愛くないんじゃないかと悩んでる訳か、こいつは。

 って、マジか。そんな事で悩む奴だったのかよ。とんでもなく今更なんじゃねぇの?

「威嚇なんてしてないもん!」

「いや、してるっての。にこっと笑顔のひとつも見せてやりゃ、お前にだって話し掛けてくるよ」

「だって、別に話したくないんだもん。ヘラヘラしながら言い寄ってくるような男は嫌いなの!」

「……お前ね」

「じゃあ、アルとか、あの——なんて言ったけ?太った商人の人とかは?」

 哀れ小太り田舎者ルールス。名前すら覚えてもらってねぇよ。

「あたし、それなりに愛想良くしてたつもりだったけど、やっぱりシェラのことばっかり構ってたじゃない」

 いや、その件につきましては色々ありまして。つか、お前シェラから何も聞いてないのかよ。意外だな。

「この前の、オレ様とか言ってたヘンな奴だって、そうよ。気の強い女は嫌いとか言っちゃってさ——あたしって、そんなに気が強そうに見えるの!?」

 見える見える。

「いや、まぁ、マグナも充分可愛いよ。ホント」

「……適当なこと言って」

「いや、適当じゃないって。ホントにそう思ってる。マグナは可愛いよ」

 なんで俺がこんなこと言わにゃならんのだ。

 マグナはちょっと顔を上げて、垂れた前髪の間から俺を見た。

 お前、ちょっと怖いぞ。

「そんなこと言って……ヴァイスだって、最近リィナの方ばっかり見てる癖に」

 え?マジか?

 この指摘には、物凄い意表を突かれた。

 そんなの、あの晩餐の夜くらいだろ?その後は、自分じゃ全然そんなつもりは無かったんだが。

31.

 マグナは、がばっと上体を起こした。

「あたしは!女の子みたいだけど男の子のシェラより、女の子だけど男の子みたいなリィナより、女の子としてダメなの!?終わってるの!?」

 言い終わると、またすぐにテーブルに突っ伏して呻き出す。

「あーダメダメ……嘘。今のナシ。ごめん、忘れて。ホントに忘れて」

 海の底より深そうな、長い溜息を吐く。

「あー……ホントに嫌。なんでこんなこと考えちゃうんだろ。あのね、二人のことは大好きなのよ?すごい大切」

 また顔を上げては、すぐに俯く。

「なのに、こんなこと考えちゃうなんて……あたしって、物凄く嫌な性格してるんだよね、きっと」

「いや~?そんなことねぇと思うけど。どんだけ好きで大切だっても、ずっと一緒に居りゃ、気に喰わないところのひとつやふたつ出てくるモンじゃねぇの」

「気に喰わないところなんて無いもん!……でも、そうなのかな。そういうのって、普通なの?」

「と、俺は思うけどね」

「……あたし、多分慣れてないんだよね」

「なにが」

「その……同年代の友達っていうか、男の子もそうだけど。そりゃもちろん、同じくらいの歳の知り合いはいたけど、なんていうのかな……ヘンに特別視されちゃってたから、どうしても距離があったっていうか」

 ああ、そうか。勇者の娘——というより、次期勇者様だもんな。アリアハンじゃ、特別視されても仕方ないわな。

 こいつはある意味、箱入り娘と言えるのかも知れない。全然、そんな印象ねぇけど。

「だから、今はシェラとリィナがすごい大切なの。こんなに気の置けない友達って、ほとんど居なかったから。それなのに、さっきみたいなこと考えちゃったりして、自分では気付かない内に二人を傷つけたりしてるんじゃないかって、不安になるの」

「案外、色々気にしてんだな」

「またバカにして……だって、慣れてないから、付き合い方が良く分かってないんじゃないかって思っちゃうのよ。その……としてじゃなく、あたし自身として、人とどう接すればいいか分かってないから、可愛くしたりも出来ないのかな、って」

 アリアハンでは、マグナは基本的に勇者として見られてんだもんな。可愛くみせる必要は無かった訳だし、その前提が無い状態での人付き合いは、確かに慣れてないのかも分からんが。

32.

「まぁ、でも、他人とどう接すればいいかなんて、皆よく分かってないんじゃねぇの?俺だって、別に分かってねぇしさ」

「そうなの?」

「ああ、さっぱりだね」

 つか、そんなに真面目に悩む程、ちゃんとした人付き合いをしてこなかっただけだが。

「まぁ、年長者として助言できることがあるとすればだな——」

「偉そう」

「うるせぇよ。いや、ンな大したことじゃないんだけど、会うヤツ皆に、平等に接する必要はねぇってことかな。疲れちまうしさ。お前、育ちの所為かも知れないけど、誰の言うことでも真面目に受け取ろうとするトコあるだろ」

「そう?そんなことないと思うけど」

「そんならそれでいいけどさ、気を遣うのは大切なヤツだけにして、他のヤツには適当に話合わせて聞き流すくらいで丁度いいんじゃねぇの」

 我ながら、冴えない助言だな、これ。もうちょっとマシなこと言えねぇのかよ、俺も。

「だからさ、ヘラヘラ声かけてきたどうでもいい男に、別に可愛いと思われなくてもいいじゃん。その内、大切な男でもできたら、そいつに可愛いと思われれば、それで充分だろ。そうそう、それにマグナのことを可愛い可愛い言ってるヤツもいるじゃねぇか」

「えっ!?」

 酒気を帯びて赤くなった顔を、マグナは何故かさらに赤らめた。

「……誰?」

「いや、ほら、あの。ロラン」

「ああ、なんだ……あの人は、ふざけてるだけでしょ」

 ほら見ろ。お前の気持ちは全然伝わってないみたいだぞ、ロラン。

「でも、そっか……そうね。また会うか分からないけど、あんまり避けたりしない方がいいのかな」

 あれ?いや、あいつの戯言は聞き流してればいい類いですよ?

 言いたいことはあらかた言い終えたのか、マグナは、またぐでーっとテーブルに突っ伏した。

 しばらく空いた間を、俺は酒を嘗めて潰した。

「あー……なんか、また話聞いてもらっちゃったね」

「まぁ、いくら大切な相手でも、そいつには言えない愚痴ってあるからな」

「そだね……ヴァイスは無いの?そういうの」

「……ま、その内な」

 自慢じゃねぇが、俺は内心を他人に打ち明けるのが苦手なんだ。

「うん……今度は、あたしが聞いてあげるから……」

 語尾が、消え入りそうになっていた。

「……眠い」

 そう言ったのを最後に、テーブルに突っ伏したまま寝息を立て始める。

33.

 やれやれ。自分の限界量も分かってねぇ癖に、後先考えずにパカパカ酒をあおるからだ。

 ちょっと身を乗り出して髪を掻き分け、横顔を眺める。

 また勇者絡みの悩みでも聞かされるのかと思ってたんだが。まさか、あんな普通の悩み事とはな。

 ロマリアを離れてエルフに会いに行くことをあっさり了承したのも、さっきの愚痴が関係あるのかも知れない。

 こんな幼い寝顔をした、およそ勇者らしからぬ普通の悩みを抱えるこいつが、魔王を退治しに行くなんて本気で思うのかよ、ロラン。こいつに惚れてると言って憚らないお前は、それでいいのか?

 俺は、こいつの好きなように生きて欲しいと思うけどね。どう考えても、そっちの方がこいつらしいよ。強制じみた魔王退治なんかに行かせるよりはさ。

 上げていた腰を椅子に下ろして、背もたれに体を預けると、足元で何かがガサリと鳴った。さっき、マグナにもらった服の包みだ。

 あ、もしかして、これってそういうことなのか?

 少しは可愛げのあるところを見せてやろう、みたいな——

 俺は、思わず吹き出した。

 だったら、お前、あんなぶっきら棒な渡し方じゃダメだろ。なんであんなにむっつりした顔で押し付けてんだよ。

「くふっくくく……っ」

 堪えきれずに、笑い声が漏れちまう。

 いや、まいったね。ぜんぜん可愛いじゃねぇか、こいつ。

 まぁ、タマには酒かっくらって管巻いて、酔い潰れるのもいいだろうさ。

 仕方ねぇから、後でまたお姫様抱っこで運んでやるよ。今日は人目もあるから、ちゃんとスカートもどうにかして押さえてやるから心配すんな。

 押さえた拍子に、ちょこっとだけ尻を触っちまうかも知れないけど、それくらいは勘弁しろよな。

 翌日、案の定マグナが軽い二日酔いに襲われたので、出発したのは午後になってからだった。

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