9. Thieves In the Temple
1.
カザーブの村を出発してからこっち、マグナは目に見えて機嫌を直していた。
「あ~、やっぱりこの四人の方が、気を遣わなくていいから、楽で落ち着くわ」
そんなようなことを、一、二度口にした。
ただ、スティア達と過ごした短い日々は、全員に多少なりとも影響を残したようだった。
シェラは肩の荷が下りたみたいな雰囲気だったが、ひとりで食事の仕度をする姿はポツンとして見えた。
リィナも、「ちゃんと言ったことやってるかなぁ」と、ブルブスのことをそれなりに気にかけているらしい。
そして、マグナは——
「ヴァイス、薪を拾ってきて」
野営の準備に、いつものようにつっけんどんに命令したと思ったら。
「……あ、待って。あたしも行くわ。リィナは、焚き火の準備をお願い」
「はいよー。ごゆっくり~」
「え、あの、暗くならない内に戻ってくださいね」
珍しく、一緒について来ることがあった。
その割りに、何を言うでもなく黙々と薪を拾い集めるだけだったりする。
「ねぇ、ヴァイス」
何かを期待していた訳でもないのに、背中越しに突然話しかけられて、俺はややうろたえた。
いやいや、マグナがスティアみたいなことする筈ねぇから。落ち着けよ、俺。
「あー?」
返事がぶっきらぼうになったりして。
「やっぱり、あたしって……」
「なんだよ?」
「……ううん。なんでもない」
なんか言い辛そうに口をつぐんだりするのだ。
「途中で止めんなよ。気になるだろ」
俺は、何を気にしているのか。
「……うるさいな。いいでしょ。男のクセに、いちいち細かいこと気にしないでよ」
なんだそりゃ。お前が言い出したんじゃねぇか。
「ったく、可愛くねぇなぁ」
「っ……どうせ可愛くないわよ。悪かったわね!ほら、ちゃんと拾ったの!?暗くならない内に、さっさと戻るわよ!!」
なんて、いきなり怒り出しやがる。
年頃の娘は、色々と難しいね。まったく。
2.
シャンパーニの塔は、あちこち崩れかけのヒドく古ぼけた塔だった。
遠い昔に、この地で暮らしていた部族が、なんらかの儀式に使う為に建立したそうだが、それもカザーブの村で人づてに聞いた話なので、本当かどうかは分からない。
ともあれ、今は盗賊共の根城になっている訳だ。
魔法使いみたいな変わり者じゃなく、普通の連中が現役で住んでいるだけあって、ボロボロではあるが、さすがにナジミの塔の時のように通路が塞がれていたり、階段が崩れていたりということは無かった。
魔物共はしっかり住み着いてやがるけどな。退治しとけよ、暮らし難いだろ。
連中に代わって掃除してやるのはシャクだったが、襲ってくるもんだからしょうがねぇ。俺達は魔物を退けながら、『金の冠』を求めて上を目指した。
多分、連中のねぐらは最上階だろう。馬鹿となんとやらは高い処が好きって言うしな。
しかし、この程度の魔物は苦にしないくらいの強さを、カンダタ共は持ち合わせてるって訳か。いちおう、気を引き締めておいた方がよさそうだ。
塔は、上に向かってすぼまっていく段々の構造になっていた。空中に向かって柵も何も無い剥き出しの、その段々の部分も通ったが、幅が広いこともあり、今日のシェラは座り込んで駄々をこねたりしなかった。
怖いんだろうが、口を真一文字に結んで数歩先の床だけを見つめ、弱音を吐かずについてくる。よしよし、エラいぞ。
やがて俺達は石造りの階段を上って、頂上付近と思しき広々と開けた空間に出た。
中央に、三階建てくらいのさらに小さな塔が建っている。
「どうやら、ここっぽいな」
「そうね」
俺の当て推量に、マグナも同意した。
「みんな、準備はいい?」
「いいよー」
「あいよ」
「が、頑張ります!」
そんなに緊張しなくていいんだぞ、シェラ。いくら強いと言ったところで、所詮、相手は盗賊風情だ。俺達が、おいそれと遅れをとるとは思えねぇよ。
その時、右手で扉がバタンと閉まる音がした。
思わず身構えたものの、誰も姿を現さない。どうやら、中央の小塔を挟んで反対側に向かったようだ。
「誰か出て行ったってことは、中の人数が少なくなったってことだよな」
俺は、声を潜めて囁いた。
「行きましょう」
マグナは頷き、俺達はリィナを先頭にして足音を忍ばせた。
3.
小塔の扉に鍵はかけられていなかった。まぁ、盗賊の根城だしな。こんなところまで、何かを奪いにくる奴なんざ、俺達くらいのモンだろ。
「この階には、誰もいないみたいだよ」
扉を薄く開けて中に滑り込んだリィナに続くと、奥の階段の方から下品な笑声やがなり声が耳に届く。
「上の階には、何人か溜まってやがんな」
俺の聞こえるか聞こえないかの囁きを、唇に人差し指を当てて制し、リィナは階段の横手を示した。そこに隠れろってことか。
俺達が身を潜めるのを待って、リィナは上階を窺いながら階段を数段上った。おいおい、あんまり無茶すんなよ。まぁ、お前には無茶じゃないのかも知れないが。
「そぅいやぁ、親分はぁ、どこぉ行ったんだぁ?」
呂律が回っていないので、実際には親分がほやふんになっていたが、そんなような声が聞こえた。酒をしこたま喰らってやがるなら、やり易いな。
俺は、隣りで震えるシェラの肩に手を置いた。心配すんな。この分なら、お前は何にもしなくて済みそうだぜ。
「例のバケモンに呼び出されて、さっき出てっただろうが。手前ぇ、どうせ吐いちまうんだから、もう飲むんじゃねぇよ、もったいねぇ」
ちぇっ、シャッキリしてる奴もいやがんのか。だが——
「さっき出てったのが、カンダタみたいね」
マグナの耳打ちに、小さく頷く。残ってるのが雑魚ばかりなら、ありがたい話だ。
「うるへーよ。こんな女もぉいねぇシケたトコでぇ、他にぃ何やれってんだぁ。親分もぉ、なんだってぇこんなとこをぉ、アジトにぃしてんだよぉ、くそったれぇ」
この台詞に、俺は内心で安堵した。半ば覚悟はしてたんだが、攫われた女が犯されてる場面なんざ、こいつらには見せたくねぇからな。
まぁ、攫ってきたところで、こんな魔物の巣窟じゃ、ここに連れてくるまでに途中でやられちまうだろうけど。もしかしたら、そういう女もいたかも知れないな——
胸糞悪い想像しちまったぜ、畜生。
4.
「うるせぇな。どうせまた近い内に街襲うんだ。そん時、好きなだけヤリまくりゃいいだろうが」
「けっ、分かってぇねぇなぁ。俺ぁ、今ぁヤリてぇんだよぉ」
「知るかよ。おい、どこ行きやがる、この下呂助」
「うるへー。しょんべんだよぉ!塔の端っこに立ってすっと、気持ちぃいいんだぁぜぇ」
「ちっ、手前ぇなんざ、そのまま落ちてくたばりやがれ」
リィナが階段を飛び降りて、俺達の横に隠れた。
いかにも盗賊といった風情の小汚い野郎が、千鳥足で階段を下りてくる。
よたよたと扉に向かう野郎の背後に、リィナは音も無く忍び寄り、首筋に手刀を叩き込んだ。
床に頽れる寸前でリィナが引っ張り上げると、野郎はボトボト下呂を吐き出した。下呂助の名に恥じねぇ野郎だな。
「うわ、汚なっ」
バカ、お前が声あげてどうすんだ、リィナ。
「あ?なにやってんだ、下呂助。そこらに吐きまくるんじゃねぇぞ、馬鹿野郎」
やべぇ、上のヤツが気付きやがった。
「ヴァイスくん、魔法はナシね!」
言うが早いが下呂助を放り出し、リィナは水切り石のような勢いですっ飛んだ。
「な、なんだ、てめ……っ」
階段を数段とばしで駆け上がり、姿を現した盗賊に肩から体ごと突っ込んでぶっ倒す。
「なんだ、うるせぇ……あぁっ?」
「おんなぁ?」
「なんだ手前ぇ、コラ」
盗賊共がざわめく声が聞こえる。
「あたし達も、行くわよ!」
あいよ。
マグナについて、シェラの手を引きながら階段を上る。
上の階にいた盗賊は、全部で七、八人だろうか。
塔に残っていた連中は、元からリィナの敵じゃない上に、不意をつかれて武器すら持っていない。恐慌状態に陥った奴らをリィナが制圧するには、然程の時間は要らなかった。
最初から、こうやって突っ込んでも問題無かったかもな、これなら。
マグナも、剣の腹で頭をぶっ叩いて、一人二人倒していた。そうだな。こんな連中でも、いちおう種類で言えば人間だ。お前が斬る必要はねぇよ。
魔法を使うなと言われたので、今回の俺はシェラと一緒に観戦組だ。いやぁ、楽して申し訳ない。
5.
「これで全部?」
「ああ。誰も下りてこねぇトコ見ると、どうやらそうらしいな」
反対側の壁際にある、上へと続く階段を見ながら、俺はマグナに答えた。
「ここには、何かを隠しておく場所なんて無さそうね」
「それじゃ、上を探してみますか」
いくつかのテーブルと、酒樽、酒瓶、それと汚ぇゴロツキくらいしか見当たらない部屋に用はねぇ。俺達は、さらに奥の階段を上がった。
「そういや、なんで魔法はダメだったんだ?」
「だって、あんまりうるさくすると、外に出てった人達が戻ってきて面倒だよ」
というのが、リィナの返事だった。やっぱ、そういうことか。いちおう、考えてんだな。
最上階には、いかにもな宝箱があったが、今度は鍵がかかっていた。
「リィナ、お願い」
「お任せ~」
隠しからバコタの錠前外しを取り出して、軽いノリで鍵を開ける。俺、さっきから見てるだけで、何もしてねぇな。シェラの気持ちが、少し分かるぜ。
宝箱の中には、立派な金銀財宝がきらめいていたが、肝心の冠らしきお宝は見当たらない。
「ないね」
「ないな」
意味のない会話を繰り広げる、リィナと俺。
「さっき出ていったのが、カンダタなのよね?持ってったのかしら」
「としか思えねぇが……他に、隠す場所も無さそうだしな」
まさか、すっかり気に入って、常にかぶってる訳でもあるまいが。
「追っかける?」
「うん……」
リィナの問いかけに曖昧に頷いたマグナは、名残惜しそうに宝箱の財宝——金貨や宝石、それに貴金属品なんかに視線を落とした。
「やめとけよ。汚ぇお宝だぜ」
「うん、そうだよね」
「この分も、ロランからふんだくってやりゃいいんだよ」
「そうね。そうするわ」
マグナは、ちょっと笑った。
6.
しかし実際は、追うまでもなかった。
「いや、あのよ——」
小塔を出て、下に降りる階段のところまで戻った辺りで、建物の向こう側から声が聞こえたのだ。
どこか外に出掛けた訳じゃなかったのか。探す手間が省けたぜ。
『ナニユエ 金ノ冠ヲ ぽるとが王ニ渡サヌ』
「えっ!?」
「なに、これ?」
シェラとマグナがきょろきょろと辺りを見回したが、それも無理はない。なんだ、この気味の悪ぃ声は。
大声でもないのに、この声量で角の向こうから届く筈がないのに、すぐ傍らで喋ったみたいにはっきりと聞こえた。
「だから、何度も言わせんじゃねぇよ、魔物の旦那。こちとら、このカンムリを手に入れる為に、とんでもなく危ねぇ橋を渡ったんだ。もうちっとイロをつけてくんねぇかと、相談してるんじゃねぇかよ」
馬鹿デカいドラ声が、辛うじて届く距離だってのに。
『知ラヌ 貴様ノ望ムダケ 既ニ与エタ』
この気味の悪ぃ声は、頭の中で響いてるとでもいうのかよ。
「分かんねぇ野郎だな。だから、それじゃ足りねぇってんだろ。大体、魔物の旦那が金持ったところで、しょうがあんめぇよ。せいぜい俺達が使ってやろうってんだから、寄越せるだけ寄越しゃあがれ。それ以上ぐだぐだホザきやがると、カンムリを売っぱらっちまうぞ!?」
このドラ声がカンダタか?こいつ、まさか魔物とツルんでやがるのか!?
「やっぱり、カンダタが持ってるみたいね」
マグナが小声で囁く。
となると、やり合ってふんだくるしかなさそうだ。向こうが俺達の存在に気付く前に、不意打ちでも喰らわせてやりたいところだが、さて。
『ヨカロウ ナラバ 冠ヲ無事ぽるとがニ届ケタ後ニ 既ニ与エタ分ト同ジダケヤロウ』
「お、そうこなくちゃな。旦那も、人間様の駆け引きってモンが分かってきたじゃねぇか」
『知ラヌ ダガ 金ガ欲シイノナラ 気ヲツケルコトダ』
「あぁ?なんにでぇ?」
『冠ヲ 奪オウトシテイル者ガ スグ側ニイル』
「なんだと!?」
畜生、さすがはヘンな風に喋る魔物。お見通しって訳かよ。
7.
「どうする。一旦、身を隠して機を窺うか?」
「でも、ボク達のことはもう知られちゃったし、備えられた方が厄介かも。今なら、まだ五分五分だよ」
リィナの指摘に、マグナは指を噛んだ。
「そうね……それに、ポルトガに届けるとか言ってたわね。逃がしちゃったら、そんなトコまで追いかけてらんないし。いいわ、やるわよ!」
了解、リーダー。
「その前に、シェラちゃんは階段の下に隠れて」
リィナの言葉に、シェラは目を丸くした。
「そんな、嫌です!お役に立てないかも知れないですけど、ちゃんとホイミくらい唱えますから!」
「ダメ。死んじゃうから」
リィナの口から初めて聞く声音だった。
「そんなに——ヤバそうなの?」
マグナが唾を飲む。
「ううん。念のためだよ」
リィナはいつもの口調に戻っていたが、マグナもシェラの方を向いて、諭すように呼びかける。
「シェラ——」
「いや、嫌です!私も——」
「ごめん。時間無い」
リィナは手刀でシェラの細い首筋をトンと叩いた。
「ん?」
くたりと崩れ落ちたシェラの首筋を、さらに打とうとするリィナ。
「バカ、それ以上はやめとけよ」
「来るわよ!早く!」
マグナに急かされて、慌ててシェラを数段下りたところに寝かせて戻ると、建物の向こうから数人の人間が姿を現した。
8.
「へっ、変態……」
マグナの漏らした呟きが、緊張感を台無しにする。
手下と思しき三人の鎧姿を引き連れているのは、小さい布切れで局部を隠し、後はマントと目出帽だけを身につけた、筋肉ムキムキの怪人だった。
うん、こりゃ確かに変態だわ。
そして、頭の上にちょこんと載せられた、それだけ不釣合いな輝きを放つ金色の冠。この馬鹿、マジでかぶってやがったよ。
「おいおい、ホントにネズミが這入り込んでんじゃねぇか。あの馬鹿野郎共は、何してやがんだ?」
「やられちまったんじゃねぇですか?そういやさっき、なんかドタバタ聞こえやしたぜ。連中が、また騒いでるだけかと思ってやしたが——」
「馬鹿言うんじゃねぇよ、ニック。このお嬢ちゃん方がやったってのか?」
グハハハ、とカンダタは笑った。
「まぁ、もしそいつが本当だったら、そんな役立たず共に用はねぇ。俺様自ら、後でくびり殺してやらぁ」
『今度ハ 言イツケヲ守ルノダナ』
「おう、分かってらぁ、魔物の旦那!そっちこそ、約束忘れんじゃねぇぞ!」
カンダタは、背後を振り仰いだ。
つられて上を見ると——フードつきのマントが宙に浮いていた。あれが、気持ち悪ぃ声の主か。
マントの裾を上空の風にはためかせ、フードの奥に光るはふたつの点。
それが俺を見据えた気がして、ゾッとした。すげぇイヤな感じだ。得体が知れない。俺が今まで目にしてきた、どんな魔物とも違う。
『……』
と、その姿が見る間に掻き消えた。
最後に、なんて言いやがった?ニキル?
ともあれ、あの魔物まで相手をせずに済んで、俺は密かに胸を撫で下ろしていた。
これで、この場に居るのは全て人間だ。まぁ、なんとかなんだろ。
「マグナとヴァイスくんは、二人で変態さんをお願い。後は、ボクが引き受けるから」
「分かったわ」
「了解だ」
リィナがそう判断したってことは、あの怪人は俺とマグナでどうにか退治できるんだな。
よし、いっちょやってやるか。
9.
「ようよう、お嬢ちゃん方。この『金の冠』を盗もうってなぁ、ホントウかい。あの優男の国王に泣きつかれたってトコだろうが、なんにしろ盗みはイケねぇよ、お袋さんに教わらなかったか?しかも、盗人から盗むなんてなぁ、これ以上悪いこたぁねぇってなハナシだ」
変態カンダタは、まだ油断し切っているようだ。こっちの面子の見た目からして、無理もないけどな。
「こいつぁ、大人しく帰す訳にゃあいかねぇなぁ。お嬢ちゃん方にゃあ、ちょいとばっかり躾が要るみてぇだ」
ウチの娘共を、ジロジロ見るんじゃねぇよ、この変態が。
「なぁに、殺しゃしねぇよ。このアジトじゃ貴重な女が、手前ぇからノコノコおいでなすったんだ。ちと小便臭ぇが、おぼこの方が仕込み甲斐があるってなモンよ。鎖で繋いで、ちょいと輪姦してやりゃあ、二度とこんな事をしでかそうだなんぞと思わなくなるだろうぜ」
「下種……」
マグナは、これ以上ないくらい顔を顰めた。阿呆が、手前ぇなんぞにそんな真似、させると思ってんのか。
「おっと、そこの兄ちゃんはダメだ。要らねぇからぶっ殺すぜ。おう、お嬢ちゃん方をヤリながら、その目の前でぶっ殺すなんてなぁ、いい趣向じゃねぇかよ。どうでぇ、お前ぇら!」
そりゃいいゲヒャヒャとか、子分共が太鼓を持つ。
こいつら、ぶっ殺す。
「いいから、さっさとかかって来なさいよ、この変態!あんたの相手は、あたしがしてあげるから、ありがたく思いなさい」
いやおい、マグナ。その啖呵はどうかと思うぞ。
一瞬呆気に取られた変態共は、案の定爆笑した。
「お、お頭、ご指名ですぜ」
「あのお嬢ちゃんじゃあ、お頭のはちぃっとばっかしデカ過ぎるんじゃねぇですかい」
「なに言ってやがる。こいつぁ、断る訳にゃあいかねぇよ。泣いて許してっても、ぶっ壊れるまでお相手してもらわにゃあ」
「そんじゃ、俺達はあっちの娘でまとめて我慢しまさぁ」
阿呆共が。あの世で手前ぇの品性を悔やみやがれ。
10.
「マグナ、行くぞ」
小さく頷いたのを確認して、俺は呪文を唱えた。
『イオ』
変態共を包み込むように、光が炸裂する。
「ぐあっ」
「野郎、魔法使いかっ」
カッコ見て気付け、ボンクラ共。
「ぬがあぁっ!!」
爆煙も晴れない内に、変態カンダタが飛び出してくる。
だが、もうマグナが詰めてるぜ。
「せぁっ!!」
マグナの打ち込みを、カンダタはゴツい斧で受けた。背中に隠してやがったのか。
構わず、マグナは全力で打ち込みを続ける。どう見たって、マグナのが小回りは効くからな。防戦一方でも、全てを防げるモンじゃねぇ。目論見通り、いくつか喰らってやがる。
「お頭!」
ドン。
駆け寄ろうとした子分が、デカいハンマーでぶん殴られたように弾き飛ばされた。悪ぃが、そこは通行止めだ。
岩をも砕く一撃で子分の一人を打ち倒したリィナは、次の獲物に狙いを移す。
一方、マグナは打ち込みを止めて、大きく後ろに退がった。
「逃がすか、このクソガキがぁっ!」
ばぁか、逃げたんじゃねぇよ。
『ベギラマ』
「ぐあっちぃっ!!」
ギラに三倍する炎壁が、変態の身を焦がす。
いっつも、マグナは俺と組んで戦ってるからな。どれ位でこっちの準備が整うか、もうばっちり分かってんのさ。
俺が呪文を用意している間は全力で攻め立てて、呪文が発動する直前で離れてマグナが息を整えるって連携を繰り返せば、手前ぇに出来ることは何も残ってねぇんだよ、このクソ変態野郎。
11.
リィナは、既に二人目を倒していた。
三人目の顔面に放った蹴りが——躱された!?
上体を反らしたまま、軽々と振り回された剣が、リィナの躰を薙ぐ。
と見えたが、リィナは蹴りの勢いのまま独楽のように宙空で回転して斬撃をすり抜け、逆の足の踵が子分の顔面に吸い込まれる。
だが、その蹴りすら躱されていた。回りながら着地したリィナは、すぐに後方に跳び退って、一旦距離を置く。
「とと……」
子分の方も、何歩か後ろにたたらを踏んだ。
「ニィーーーック!!手前ぇ、そっちは抑えやがれよっ!!」
再びマグナに攻め立てられながら、カンダタが怒鳴った。
なんだ、このニックって野郎は。今の動き。リィナとタメ張るなんて、信じらんねぇ。こいつの方が、カンダタよりよっぽど強そうじゃねぇか。
マグナが跳び離れた。
『ベギラマ』
「ぐぁっっそ、またかよ!ニィック!!さっさと片付けて、こっちを手伝いやがれっ!!」
手前ぇこそ、さっさとくたばりやがれ。考えたこともねぇが、リィナの方に援護が必要になるかも知れねぇ。
「はいよ、お頭サン……」
ニックは、呟いた。
鎧を纏っているが、兜はかぶっていない。やけに細長く精悍な顔立ちは、もはやどう見てもそこらのゴロツキのそれじゃなかった。
一瞬でリィナとの距離を詰める。鎧つけてんじゃねぇのかよ、お前。
しかも、打ち込みの速度が尋常じゃねぇ。
半身になって躱したリィナを追って、剣が地面を打たずに跳ね上がる。
前屈みになって空を斬らせたリィナが伸び上がっての顎への掌底は、またも顔を仰け反らせて外される。
リィナは、そのまま踏み込んだ。
ドン。
掌底を打った腕の肘が、胸甲に叩き込まれる。
「ちっ」
後ろに弾けながらニックが振った剣は、リィナの頭のわずかに上を掠めていった。
体勢が崩れてなきゃ、首が飛んでたぜ。
こいつ、斬り返しが速過ぎる。
12.
「やるもんだな……少し、面白くなってきた」
ニックは、無防備に剣をだらりと下げて、片手を首に当ててコキコキと鳴らした。ダメージねぇのかよ、手前ぇは。
カンダタの方は、もう少しでケリがつきそうだ。
『ベギラマ』
マグナが離れたのを見計らって、呪文を発動する。そろそろくたばれ、変態。
リィナは、ちょっと覚えがないほど真剣な顔をして——愉しそうに見えた。
「凄いね。なんで、そんなに速く動けんの?」
「ああ、こりゃ鎧が薄いんだ。動きが制限されんように、内側を削ったりあちこち詰めたり、色々手を加えてある」
「ふぅん。なるほど……ねっ!!」
今度は、リィナが一瞬で間合いを潰した。
狙い済まして突き出された剣が、空気を割る。
「なにっ!?」
リィナは、とんぼを切ってニックを跳び越えていた。
空中で躰を捻り、着地と同時にニックの背中に拳を叩き込む。
「はあぁっ!」
「ちぃっ!!」
異常な反応。ニックは、振り返り様に剣を薙ぎ払った。
リィナの拳は、ニックに届いていなかった。
ニックの剣もまた、リィナの道着の合わせを掠めただけだ。
踏み込めなかったのだ。危ねぇ、両断されたかと思ったぜ。
「ぐぁっ、くそっ、ニィック!ニイィーーーック!!」
マグナに攻め立てられて満身創痍のカンダタが、ニックの名を叫んだ。
「呼んでるよ?」
「……フン。知ったことか」
リィナとニックは、牽制し合いながら、お互いにニヤリと笑った。
こいつ、単なる子分じゃねぇな、どう考えても。
13.
あんたが知らないってんなら、じゃあ、こっちも遠慮なく。
『ベギラマ』
「ぐあっ!!くっそ、ちくしょうっ!!ウゼェ!!うぜええぇぇっ!!」
いいからくたばれよ、変態。手前ぇがウチの娘共に吐やがった、クソ汚ぇ台詞は忘れてねぇぜ。
「手前ぇからだっ!!手前ぇからブチ殺してやるっ!!」
炎壁が収まるのを待たず、火達磨になりながら、カンダタは突進した。俺目掛けて。
立ちはだかろうとしたマグナが、力任せに振り回された斧を剣で受けようとして弾き飛ばされる。
あ、ヤベェかも、これ。瀕死と思って油断した。
迂闊な。
ダメだ、呪文はまだ無理だ。
どうする。
どうするって。
俺、魔法使いだぜ。
逃げるしかねぇよ。
そう思い至った時には、既にカンダタは目前に迫っていた。
今から逃げても、振り向いて走り始めたところで、背中に斧を突き立てられる。
あ、ヤベェ。
おれ、死ぬわ、これ——
あっさりと確信された、絶対的な死の予感。
そこから先は、時間が異様にゆっくり流れた。
色のない風景。どこを取っても、何の変哲もない、つまんねぇ場面の連続。
走馬灯。
こんな商売やってるんだ。ジツは、見るのは初めてじゃない。
けど、何回見ても、面白くもねぇ景色だな、俺の走馬灯ってヤツは。
まぁ、農家の次男坊の人生なんて、こんなモンだよ。色褪せて、下らない、いつ終わってもいいような。
悪ぃな、マグナ。今度こそ、これ以上付き合ってやれそうもねぇや。
14.
——と
圧倒的な色の奔流が、俺を包んだ。
これは、マグナと出会ってからの記憶。
はは、なんだよ。俺の走馬灯にも、ちゃんと色がつくんじゃん。
そうか。
そうかよ。
駄目だ、死ねねぇ。死にたくねぇ。
せめて身を躱そうとして、斜め後ろに倒れ込んだ俺の躰を追って、アホみたいにゴツい斧の切っ先が迫る。
おい、止めてくれよ。俺、死ねねぇんだよ。あいつらに、トコトン付き合うって決めたんだからさぁ、行き詰るまでは。
それにしても、こんなにデカい斧振り回す怪人と、マグナはやり合ってたのか。あんな細っけぇ腕でよ。大したもんだ。
その点、俺はダメダメだな。女の子にばっか前衛やらしちまって、手前ぇじゃ剣も握れやしねぇ。いざ、敵に迫られたら、このザマだ。お姫様みたいに護られてなきゃ、何もできゃしねぇんだ。
全く、サイアクだぜ、魔法使いなんてモンはよ。
守ってやりたいヤツらに、護られなきゃならねぇなんて、男として泣けてくるぜ、ホント。
斧の切っ先が、俺の胸の真ん中辺りに潜り込んだ。
不思議と、痛くねぇ。
まぁ、走馬灯見るような状態だからな。きっと、正気じゃねぇんだ。
斧が、俺の躰を切り裂いていく。
ぱっくり割れた断面から、肉やら骨がはっきり見える。気持ち悪ぃ。自分の内側なんて、見るモンじゃねぇな。
ああ、こりゃ死んだわ。この分なら、正気に戻っても、すぐ死ぬな。痛みを感じるのも、一瞬だろ。
死にたかねぇけどさ。
こりゃ無理だ。
じゃあな、シェラ。女になれるといいな。
リィナ。手前ぇは、そのニックとやらにちゃんと勝ちやがれ。
それから、マグナ——達者でな。
もうすぐ正常な意識が戻る感覚がある。痛ぇだろうなぁ。ま、一瞬か。
くそ、死にたくねぇよ——
『ベホイミ』
その呪文を叫んだのは。
リィナだった。
15.
見る間に、俺の傷が塞がっていく。
「阿呆が」
呪文を唱えた隙を、ニックが見逃す筈がなかった。
俺にベホイミをかけながら牽制に放った離れ業の拳を楽々と躱し、リィナの胴を薙ぐ。
馬鹿野郎、リィナ、手前ぇが斬られてどうするんだ。
ああ、死ぬ、死んじまう。リィナが——
胴体を真っ二つにされたと見えた刹那。
『フンハッ!!』
リィナの腹に食い込んだ剣が、裂帛の気合いと共に「弾き返されて」いた。
リィナの胴体は——大丈夫だ、分かれてねぇ。繋がってやがる。
俺はそこでようやく地面に肩からぶっ倒れて——ついでに頭をしこたま打った。痛ぇ。
時間が急速に元の流れを取り戻す。
「うがああぁああぁっ!!」
俺の目の前で、カンダタが叫び声を上げて仰け反り倒れた。背後から、マグナが斬りつけたのだ。
怪人の頭から落ち転がった『金の冠』を、マグナは拾い上げる。
リィナは、胴体を両断こそされなかったものの、力尽きたようにがっくりと膝をついた。
勝利を確信したか、ニックはゆっくりと剣を振りかぶる。
ヤベェ。呪文。俺。まだ。
くそっ、根性見せろ!!
『ホイミ』
俺じゃねぇ。当然だ。じゃあ、誰が。
四つん這いになって階段から姿を現し、シェラがホイミを唱えていた。
思えばこれが、初めて戦闘中に唱えたホイミだった。
「あああああぁぁっ!!!」
リィナが身を起こし、地を踏みしめた。
唐突に現れたシェラに、わずかに気を奪われたニックの腹に両掌を沿える。
いけ、ぶちカマせっ!!
「ああっ!!」
ズン。
いつも以上に力強い音が、地面と空気を振るわせる。
くの字になって、床と平行にふっ飛ばされたニックは——倒れることなく両足で着地した。
畜生、なんだってんだ、コイツは。
16.
「うぐあぁっ、痛ぇっ、いってえええぇえぇぇっ!!」
斬撃を喰らった背中に手を回しながら、カンダタはマグナに後ろを見せて逃げ惑った。呆れたタフな野郎だな。
「ちきしょおっ、まだ仲間がいやがったのかっ!!くそっ、痛えぇっ!!しかも、僧侶だとぉっ!?くそったれ、ニック、ここはひとまずズラかるぞっ!!」
「魔物の旦那の言いつけは、どうするんで?」
ニックは、子分の口調に戻って尋ねた。
「知るかっ!!ンなこたぁ、命あっての物種だろうがっ!!」
そう怒鳴ると、カンダタは塔の端から宙に身を躍らせた。
って、飛び降り自殺かよ。
「ニイィーーーック!!早くきやがれっ!!」
下の方から、叫び声が聞こえる。
ああ、そういや、この塔は段々になってたな。一階分、飛び降りただけかよ。
「フン。役立たずの阿呆が。野の破落戸など、所詮この程度か」
ニックは吐き捨てて、リィナに視線を戻した。
「最後のは、なかなかヒヤリとさせられたぞ。自ら跳んで抜かなければ、危なかった。呪文如きで俺の斬撃から回復しよう筈もないが、よく立ち上がったものだ」
ご満悦だったのは、ここまでだ。
鋭い視線に、俺達全員が射竦められる。
リィナを庇おうと、剣を構え直したマグナの躰も硬直した。
「だが、なんだアレは!?巫山戯るなよ。貴様、その才を無駄にしおって……あの屑共を護る為に覚えたか」
あの屑共って、もしかして俺達のことか、この野郎。
あ、いや、スイマセン。せっかく命拾いしたばっかりなんで、睨まないでください。
「下らん。実に興醒めだ。懐かしい体捌きを見たかと思えば、とんだ肩透かしだ」
ニックは、嘆息しつつ首を振る。
つか、あんた結構喋るのね。
「ニイィーーーック!!なにやってやがんだ!!早くこっちに来て、俺を守れっ!!」
また、カンダタのドラ声が下から響いた。
ニックは、舌打ちをする。
17.
「まぁ、いい。ただちに貴様ら全員を殺すことは容易いが……俺の剣を弾いた易筋の業。あれに免じて預けておいてやる。興醒めとはいえ、最近にしてはそれなりに愉しめた」
背中を向けて遠ざかりながら、ニックは言い捨てる。
「だが、覚えておけ。貴様のような阿呆は、どれだけ功を積んでも俺には及ばぬ。次に出会うことがあれば、それが貴様の命日と心するがいい」
ニックは無造作に宙に足を踏み出して、落ちて消えた。
「おお、なにやってやがった!!ほれ、早く俺を魔物から守れ!!」
カンダタのドラ声が小さくなっていく。
ニックが姿を消すのを待っていたように。
どさり。と、リィナが地に倒れ伏した。
『リィナ!』
俺達は同時に叫んで、這うようにして駆け寄った。
「ごめん……負けちゃった」
「バカ!いいのよ、生きてるんだから!」
「それに、負けてねぇよ。引き分けだ」
こんな時まで、笑おうとしやがる。
「ちょっと、眠るよ……次は、勝つ……か……ら……」
俺は慌てて、目を瞑ったリィナの胸に耳を押し当てた。
よし、心臓は動いてる。
寝息も聞こえる。
ホントに眠っただけか。
やれやれ、良かったぜ。
だが、道着の腹に血が滲んでいる。よく真っ二つにされなかったな、こいつ。
『ホイミ』
その傷口に手を押し当てて、シェラがホイミを唱える。
そこからの、シェラの取り乱し振りはヒドかった。
「だって、私のせいです。私がちゃんとしてないから——いやです、リィナさん、目を覚ましてください。もう傷は治ってるんですよ!?なんで起きないの!?なんで!?」
寝てるだけだと言い聞かせても、自分のせいだと泣き喚いて聞かず、無茶な間隔でホイミを唱え続けてぶっ倒れた。
いやまぁ、悪いけどシェラ。お前がちゃんとしてても、多分、結果は変わらなかったよ。
18.
「さて、どうするか。真っ直ぐロマリアに飛ぶ予定だったけどさ、リィナの療養には、カザーブの方が静かでいいかも知れねぇな」
俺は、既にルーラを覚えている。魔法教会にも顔を出しておいたから、どっちにもバッチリ飛べるぜ。これで俺も、晴れていっぱしの魔法使いの仲間入りって訳だ。
「ヴァイスは……?」
見ると、マグナが両手で口元を押さえて、泣きそうな顔をして俺を見上げていた。
「ヴァイスは大丈夫なの?あたし、死んじゃったかと思った……ヴァイスは、もう大丈夫なの?」
「ああ。大事ねぇよ。リィナのお陰でな。ほら」
俺は、胸を叩いてみせた。
いてて。
ジツは、さっきから痛くてしょうがねぇんだ。
傷は治った筈なんだが、完治には程遠いらしくてな。
まぁ、俺は後で薬草でも呑んどきゃ済みそうだから、どうってことねぇさ。
マグナは、俺に体を預けてきた。
「良かった……死んじゃったら、どうしようかと思った……ふたりも……目の前が真っ暗になって……もうヤダよ、こんなの……あたし……」
「大丈夫だ。全員生きてる。『金の冠』も取り戻した。俺達の完勝だよ。とりあえず、ルーラでカザーブに戻って、リィナをベッドに寝かせてやろうぜ。な?」
マグナを抱き締めて、軽く背中を叩いてやった。
俺の腕の中で、マグナは小さく頷く。
「うん……ヴァイスに任せる」
おやまぁ、素直だこと。
ずっとこんな調子なら、可愛くていいんだけどな。でもまぁ、それじゃマグナらしくねぇか。
マグナの体は、細かく震えていた。
そうだな。俺達ここまで、ちょっと順調に来過ぎたかも知れねぇよ。
ホントにギリギリの命懸けの戦闘って、ここまで無かったもんな。特にマグナは、生まれて初めてだろ。怖くなっても仕方ねぇよな。
しかし、初めて命を落としかけた戦闘の相手が、魔物じゃなくて人間だってのも、なんだか皮肉なハナシだね。
俺は、マグナの頭を撫でてやりながら、リィナとシェラの側に寄ってルーラを唱えた。