6. Exodus

1.

「……やっと着いた~」

「……」

「……」

「……」

 リィナ以外は無言のまま、俺達は「再び」レーベの村に足を踏み入れた。

 全員、ボロボロだ。

 身なりもそうだが、それ以上に疲れ切っている。

 リィナですらも、若干足元が覚束ない。なにしろ、途中からほとんどシェラを背負いっぱなしで来たからな。

『大丈夫だいじょぶ。人を背負しょうのにもコツがあってね、疲れない方法があるんだよ!』

 とか言って、ひたすら遠慮するシェラを強引におぶっていたが、さすがにコツでなんとかなる道程じゃねぇよ。

 なにしろ、行きで多少は勝手が分かってたとはいえ、往路の半分ちょいの日数で山越え谷越え戻ってきたからな。強行軍もいいところだ。

 村に入った俺達は、真っ直ぐに例の魔法の玉を研究している爺さんの館に向かった。

「……リィナ」

「あい~……」

 力無いマグナの呼びかけに応じて、錠前外しを手にしたリィナが扉に取り付く。

「おめぇ達、そこでなにさしてんだ!」

 振り向くと、見覚えのある枯れ木のような婆さんが、どこからともなく現れて俺達を睨んでいた。

「いいから。続けて」

 マグナは抑揚の無い声で、リィナを促す。

「なに人ン家さ、勝手に入ろうとしてんだ!けしからんわっぱ共が!」

 婆さんは、手にした杖で地面を打った。

「おめぇ達、やっぱし魔法の玉さつこうて、どっか他所の土地さ行こうだなんぞと企んでただな!?この親不孝モンめらが!」

 婆さん、あんたにも言い分はあるんだろうが、今は止めといた方がいいと思うぞ。

「うるっさいわね……」

 なにしろ、そうケンケン怒鳴られると、今は俺でさえイラっとくるんだ。

 こいつが大人しくしてる訳ねぇよ。

2.

「なんじゃ!?なんぞと言わしゃったか、このめわっぱが!」

「うっさいって言ってんのよ!ちょっと黙んなさいよっ!!」

「なっ……」

 叱られた子供が反抗するなど、婆さんの常識の範疇には無いことなんだろう。

 未知の生物でも見るような目を向けられたマグナは、構わずにまくし立てた。

「大体ね、ここにいるのは、どうせあんたの旦那さんなんでしょ!?生まれた土地とかなんとか回りくどいこと言ってないで、行かせたくないなら、あんたが自分でちゃんと繋ぎ止めておきなさいよっ!!」

「開いたよ~」

 リィナの報告を受けたマグナは、フンっと荒く鼻息を吐いて、もう老婆には目もくれず、そのままズカズカと中に入り込んだ。

 婆さんは、杖を握り締めてわなわなと震えていた。悪いな、今こいつ、ちょー機嫌悪いんだ。そんで、俺も取り成すだけの元気が残ってねぇんだわ、これが。

 くたびれ切って蹲っていたシェラに手を貸して、俺はマグナの後を追った。

 無遠慮に家捜しをして、一階には誰も居ないと知れると、マグナは二階へ続く階段をドカドカ上がる。残った最後の体力を、やけくそに使ってやがるな。俺もヤボ用を済ませてから、急いで上へついてあがった。

 二階には、大きな部屋がひとつあるだけだった。

 マグナが扉をバンっと勢い良く開くと、表の婆さんよりは皺の目立たない、立派な顎鬚の爺さんが、目を丸くしてこちらを向いた。いや、どうも、お邪魔してます。

「な、なんじゃね、君達は」

 枯れ木婆さんよりも、ずっと物腰は柔らかい。だが、マグナはお構いなしだ。

「魔法の玉を出しなさい」

「は?なんじゃね、君達は」

 爺さんは、同じ問いを繰り返した。

 まぁ、いきなり図々しく飛び込んで来た見知らぬ人間に、突然そんな要求されても、それしか言い様がないよな。

 こいつも、自分を取り繕う体力が残ってないんだ。申し訳ないが、できれば大目に見てやってくれ。

3.

「いいから、魔法の玉を出しなさい」

 目を白黒させていた爺さんは、それでもマグナの格好に気付いたようだ。

「ああ、あんたは勇者様かね、ひょっとして。それで、旅の扉を渡る為に、儂の元へ……」

「そんなこといいから。とにかく、魔法の玉をちょうだい。早く」

「あ、ああ。都の魔法協会から、勇者様が出立したという知らせは受けとりますよ。もしや、儂の元を訪れることもあろうかと思っとりましたが……」

「早く」

「お、おお、そうじゃな」

 爺さんは、乱雑に物が積まれた大きな机から球状の物体を取り上げて、こちらに歩み寄った。

「この魔法の玉はじゃな、ごく簡単に説明しますと、爆発にわずかに遅れてルーラの効力を……」

「その説明は、もう聞いたから。早く、ください」

「お、おお、そうじゃったか」

 いちおう開発者なんだからさ、爺さんの見せ場を奪ってやるなよ。とは言えなかった。怖くて。

 受け取ってはじめて、本人は無意識なんだろうがずっと仏頂面だったマグナは、にこっと爺さんに微笑みかけた。

 爺さんも、それでようやく一息つけたようだ。

「その魔法の玉は、まだ起爆に難がありましてな。装置は用意しとりませんので、封印の壁に向かって投げつけるのがよろしかろう。一定以上の衝撃で起爆する筈ですじゃ」

「分かりました。ありがとうございます」

「いやなに、儂も若い頃には広い世界に憧れて旅の扉を越えようと、こんな研究を重ねてきましたがの。もういい歳じゃ。今さら、ここを出ていこうなんぞとは思っとりません。それよりも、儂の研究が勇者様のお役に立てるなら——」

 ふと、爺さんはマグナ越しに何かを見た。

 振り返ると、皺くちゃの老婆が、杖を支えに扉の脇に立っていた。

4.

「婆さん……」

「お前さん、いま言いよったことは本当かい……」

 信じられぬという口振りの老婆に、爺さんは自嘲っぽく笑いかけた。

「ああ、本当だとも。儂もすっかり歳を取った。勝手ばかりをしてすまんかったが、最後に篭って急いだお陰で、こうして魔法の玉もそれなりに納得のいくものが間に合った」

 少し照れくさそうにあらぬ方を見て、顎鬚を撫でる。

「もうこれ以上、ここに閉じこもる必要もない……じゃからの、お前さえよければ、また一緒に……」

「おぉ……おぅ……」

 婆さんは、よたよたと爺さんに歩み寄る。

 思いがけずに展開された、ちょっといい話に心動かされた様子もなく。

「じゃあ、もらっていくわね。どうもありがとう、お爺さん」

 マグナはさっさと部屋を後にした。

 ちらと振り返ると、爺さんと婆さんが寄り添っているのが見えた。

 二人は幼馴染。若い時分に遠い異国に憧れた爺さんは、引き止める婆さんを振り切って、都に魔法修行に出てしまった。

 それでも、この地で凝っと待ち続けた婆さんは、何年も経ってようやく故郷に帰ってきた爺さんと、めでたく結ばれた。

 ところが、爺さんの心は異国に飛んだまま。旅の扉を越える為の研究に精を出し、婆さんはまるでほったらかし。

 せっかく添い遂げたというのに、婆さんはずっとひとりぼっち。徐々に偏屈になり、寂しさを紛らわせるかのように、周りに当り散らしてしまう毎日を送っていた。

 だが今、待ち続けた甲斐あって、ようやく婆さんの想いが報われようとしているのだ。

 みたいな。

 そんな感動の物語なのかも知れないが、ちょっと間が悪かったな。この手の話に弱そうなシェラですら、虚ろな目をちらりと向けただけだ。くたびれ過ぎて、みんな不感症になってるわ、これ。

 俺達に祝福されようとも思ってないだろうから、別にいいよな。まぁ、仲良く達者に暮らしてくれ。

 館を出て、玄関のステップを下りたところで、マグナはそのまま崩れるように地面に倒れ込んだ。

 突っ込む元気がないどころか、俺も壁に身をあずけて座り込む。シェラも、隣りにへたり込んだ。

 マグナは、寝返りを打って大の字に寝転がると、魔法の玉を手にしたままやけっぱちな大声をあげた。

5.

「あーーーもうイヤーーーーーッ!!また同じ道戻るなんてイヤーーーーーーッ!!嫌なの!!嫌ったらイヤッ!!あーーーーーもうっ!!」

 駄々っ子か。せめて、その大股開きでスカートを穿いてくれてたら、俺の一部は自動的に元気になったかも知れないが。って、いやいや。疲労で下らないことしか考えられなくなってるな。

 まぁ、要するに、こいつは性格的に後戻りが大嫌いなのだ。

 特に今回は、後戻りの見本市に出品できそうな、そりゃもう見事な後戻りだったからな。

 さらに加えて、嫌なことはなるたけさっさと済ませてしまいたいタイプときてる。

 マグナ自身が無理強いした訳ではないのだが、みんながそれを察して足を早めた結果、無茶な速度で復路を踏破して疲労困憊となってしまった訳なのだった。

 マグナは顔だけ上げて、ジロリとこちらをねめつけた。

 俺、何も言ってないよ?

「なによぉっ!!どうせ、あの時素直に話を聞いておけばよかったんだ、とか思ってるんでしょっ!!分かってるんだからね!!はいはい、どうせあたしが悪いですよ。全部あたしのせいですよーだ。フンッ、なにさ!!文句があるなら言ったらいいじゃない!!」

 マズい、本格的に壊れかけてやがる。

「とにかく、宿屋さんに行って休みませんか?」

 弱々しい声で、シェラが提案した。「そんなことないですよ」みたいな台詞を言わないなんて、珍しい。誰が悪いとかどうでもいいから、一刻も早く横になりたいようだ。

「そだね。ボクもベッドで眠りたいよ。気持ちいいだろうなぁ……」

 なんか、うっとりしているリィナ。いや、お前はホントよく頑張ったよ。

「そうね、早くいきましょ……ほら、いつまでしゃがみ込んでんのよ」

 自分だけさっさと立ち上がったマグナが、俺を叱咤した。あのな。

 ふらふらになりながら宿屋に着くと、またあの子供に出迎えられた。どうやら、ここで預かっているらしい。孤児だもんな。

 魔物をいっぱいやっつけた?とかいう無邪気な問いかけに、そりゃもうチョーいっぱい斃したわよオホホ、とかなげやりな返事をするマグナ。多分、自分でも何言ってるか分かってねぇな、ありゃ。

 帳場で鍵を受け取ると、シェラとリィナを連れて、マグナは足を引き摺りながら部屋に消えた。あの様子じゃ、全員ベッドに即バタンキューだな。

 俺も、視界がぐるぐる回りはじめていた。受け取った記憶の無い鍵を握り締めて、ようやく部屋に辿り着くと、ベッドに倒れ込む寸前で意識が途絶えた。

6.

 ここで、話はかなり前に遡る。

 まぁ、その、なんだ。あの夜を経て、俺とマグナの関係性が変わったかと言えば——

 ひとことで言って、相変わらずだった。

 いや、交代の時間ぴったりにリィナが起きた時も、まだマグナは俺に寄りかかって眠っていたから、「あららー?お邪魔しちゃったかな?」と言わんばかりにニヤニヤされたりはしたが、それはともかく。

 翌朝起きたら、マグナは全く何もなかったようなケロっとした顔をして、「あ、おはよ」といつものように声をかけてきた。

 なんか顔合わせづれぇ、酒飲んでぶっちゃけ話をした次の朝っていうか——てなことを、少し前から目が覚めていたのに、寝た振りをしてウダウダ考えていた俺が、馬鹿みたいだ。

 強いて言えば、それからしばらくの間、マグナの俺への当たりが心なし良くなったように感じられたが、それも気のせいかも知れない。

 残念至極なことに温泉は見つからないまま、最後のひと山を越した俺達を待ち受けていたのは、だだっ広い湿原地帯だった。

 これがまた、大変に歩き難い。

 てっきりマグナは、足がいちいち取られて鬱陶しいだの、靴がぐしょぐしょに濡れて気持ち悪いだのと不満を言いまくるかと思ったら、「ごめんね、あたしに付き合わせたばっかりに、大変ところばっかり歩かせちゃって」と、逆に俺達を気遣ってきた。

 おもに気を遣われたシェラは、どこから見ても限界だったが、「そんな。私の方こそ無理言って連れてきてもらったのに、足手まといになってばかりですみません」と恐縮しつつも元気づけられたようで、頑張って歩き続けた。

 なにやら思うところもあるんだろうが、殊勝なマグナなんて、なんか調子狂うぜ。

7.

 その後も、蛙の化け物だのバブルスライムだのに悩まされながら進んだはいいものの、目標物もなくただ平坦に広がる湿原に、もちろん方角は逐一確認しているのだが、本当に正しい方へ向かっているのか不安になりかけた頃。

「なんか、岩みたいのが見える」

 リィナが遠くをすがめつつ、そう報告した。

 ちなみに、俺がそれを目視できたのは、まだ斜めに見えていた太陽が沈みはじめた頃だった。こいつは、恐ろしく視力も良いようだ。

 ともあれ、岩場があるのはありがたい。こんな湿原じゃ、キャンプを張るにも苦労するからな。灌木がちょろちょろと生えているので、かき集めればなんとかひと晩くらいは焚き火も持つだろう。早く、靴やら服を乾かしたいぜ。

 ところが、実際に近づいてみると、それは単なる岩場ではなかった。

 立って入れるくらい大きな横穴が開いていて、中はずいぶん広そうだ。ひと晩の宿を求めるには、ますます好都合な話ではあるのだが、どうやら何かが棲んでるみたいな跡がある。

 真っ当な人間が住んでいるなら結構なんだが、言うまでもなくマトモな人間はこんなところで暮らさない。野盗の類いが、人も通らないような場所を根城にしてるとは思わないが、知能の高い魔物が潜んでいる可能性もある。

「すいませーん、泊めてくださーい」

 止める暇もなく、リィナが奥に向かって呼びかけた。だからお前は、ちょっとは考えてから行動に移せっての。

 果たして、奥から姿を見せたのは、魔法使いの格好をした爺さんだった。

「なんじゃ、こんなところを訪ねよるとは、物好きな奴らじゃの」

 呆れた口振りながらも、爺さんは俺達を奥に通してくれた。

 こういう結果オーライが続くから、いつまで経っても学習しねぇんだな、こいつは。とか思ってたら、中にいるのは人間がひとりだけだということは、リィナには気配で感じ取れていたそうだ。はいはい、どうせそうでしょうよ。

 洞窟の中には案外ちゃんとした部屋がしつらえてあり、外から見るよりもさらに広かった。というか、広すぎた。

 魔法の研究の為に、こんな辺鄙な土地で隠棲しているという爺さんだから、なんらかの魔法の力が作用しているのだろう。しがない職業魔法使いの俺には、どういう仕組みか、さっぱり見当もつかないけどな。

8.

「なんとお主ら、旅の扉を目指しておるのか」

 ひと晩の宿を提供してもらうにあたり、これまでのいきさつを簡単に、しかも都合の悪い部分をはしょって説明し終えると、爺さんは哀れむような目を俺達に向けた。

「一体、普通の人間がこんなところまで、わざわざ何をしに来よったんじゃと思えば、そういうことかい。しかし、可哀想じゃがの、あそこは封じられて誰も使えんようになっとる筈なんじゃが」

「封じられてるって、魔法かなにかで?」

 眉根を寄せてマグナが問うと、爺さんは遠い記憶を呼び起こすような仕草をした。

「そうじゃのぅ。分厚い石壁で道を塞いだ上に、魔法を無効化する封印が施してあった筈じゃ。洞窟じゃで、爆弾なんぞで無理に壁を壊そうものなら崩落の危険もあろう。さりとて魔法でどうする訳にもいかぬ、というような仕掛けだった筈じゃ」

「そんな……」

 よりによって、やっと目的地のすぐ近くまでやって来たところで、そんな話を聞かされて、マグナは軽く握った拳を口元に当てて、爪ではなく指を噛んだ。あんまり強く噛み過ぎるなよ。

 しかし、俺にもこれはショックだった。ここまで来といて、そりゃないだろ。見ろよ、シェラなんて可哀想に、元々くたびれ切ってたのに、ぐんにゃり背中を丸めて俯いちまった。

 事情が分かっているのかいないのか、こんな時でも他人事みたいな面をしていられるのは、リィナくらいなものだ。

「どうにか……なんとかならないんですか?何か方法は?」

 爺さんに尋ねても、捗々しい答えを期待できるとは思っていないだろう。それでも、マグナは問わずにはいられないようだった。

「はてさて、そう言われてものぅ……」

 例の陰険講師の薫陶を受けたお陰で、本物の魔法使いというのは嫌味で陰気な連中ばかりなのかと偏見を抱いていたのだが、爺さんは俺達の為に、なにか妙案はないものかと真剣に考えてくれた。歳を経ると丸くもなるのかね。

 祈るようにそれを見つめるマグナの表情にも、さすがに諦めが浮かびかけた時——

「おお、そうじゃ。なんじゃったかの……レーベの村に住んどる、なんとかいう魔法使いが、旅の扉を越える為に、封印の壁をどうにか取り除く研究をしておると、いつか聞いたことがあるぞ。確か、魔法の玉とか言うたか」

9.

「……魔法の玉」

 マグナは、ちょっとイヤそうな顔をした。まさか、ここでその名前が出てくるとはな。

「ちょっといいか」

 俺は口を挟んだ。

「なんじゃね」

「その魔法の玉の研究をしてるヤツは、アリアハンの都にも居たみたいでな。ついこの前、ずいぶんな爆発事故を起こしたんだ。そんな爆弾みたいなモンで壁を吹き飛ばして大丈夫なのか?その方法じゃ崩落の危険があるって言ったのは、爺さんだぜ」

 俺の疑問に、爺さんは頷いた。

「まぁ、もっともな心配じゃな。しかし、その都の研究者とやらは、おそらくまだまだ完成の域に達してはおらなんだじゃろう。儂が聞いた話によれば、その魔法の玉とやらの原理はじゃな——と、お主らに細かな魔法の話をしても詮無きことよな」

 うん、簡単に説明してくれると助かる。

 爺さんが、ごく掻い摘んで教えてくれたところによれば。

 爆発によって壁を崩して結界を物理的に無効化した瞬間に、さらに内に仕込まれた物質が魔法を発動して、爆発ごと瓦礫をその場から転移させてしまう代物だそうだ。

 俺の知識では、中にキメラの翼みたいな物が埋め込まれているのかな、程度の想像しかできない。いや、転移といってもルーラそのものではないらしいんだが。

 嫌味な講師が『貴様ら大道芸人には無理な話だが』とムカつく前置きをして語ったところによれば、相性の良い物質に魔法を仕込むことは不可能ではない。

 ホイミの効果を持つ薬草や、キアリーの効果を持つ毒消し草が、その証拠だ。『ことわりを封じる』とか言ってやがったか。

 ともあれ、タイミングや仕込みが悪いと、魔法の玉は単なる爆弾でしかない。アリアハンでの事故は、そうして起こったのだろう。

10.

「とはいえ、もう幾年前に聞いた話か……ここのところ、儂はみやこの協会ともロクに連絡を取っておらんでな。完成したかどうかも分からんのじゃが」

 爺さんはそう締め括ったが、他に当てもないのだ。あの山を再び越えるのかと思うとうんざりするが、レーベに戻るしかない。

 また「なんでルーラを使えないのよ!」とか無茶な文句を言われても困るので、実はキメラの翼を買っておいたのだが、残念ながら今回は使えない。

 扱う機会のない一般人の中には、手に持って羽ばたくと空が飛べるとか勘違いしているヤツも多いが——なにを隠そう、俺がそうだった——キメラの翼はルーラを発動する道具だ。

 ルーラは、目的地にいる魔道士に先導、というか引っ張ってもらわないと、ジゲンの迷い子とやらになってしまい、どこに行き着くか分からないのだそうだ。

 つまり、飛べる先は、実際に訪れたことがあり、且つ、その地にある魔法協会の契約印に触れて契約を済ませた町だけだ。脳の波長を記録しておかないと、先導役の魔法使いが識別できないから、とか陰険クソ講師は講釈をたれてやがったな。

 つまり、キメラの翼を使ったところで、レーベの魔法協会を訪ねていない俺達は、今はアリアハンにしか飛べないのだ。尤も、訪ねていたら魔法の玉を手に入れていたかも知れず、だったらレーベに戻る必要も無い訳だが。

 だからあの時、鍵を開けて勝手に入りゃ良かったんだ。と言うつもりはなかった。マグナの判断は言いたかないが常識的だったし、魔法の玉が必要だなんて、あの時点では俺も思ってなかったからな。

 それに「お前のせいだ」なんて言おうものなら、せっかくここまで上機嫌だったマグナが、ヘソを曲げることは確実だ。俺としては、それだけは避けたい。

11.

 だがしかし。

「……このまま、旅の扉に行ってみない?」

 マグナは、予想外のことをのたまった。

 え~と、お爺さんの話を聞いてらっしゃいましたか、マグナさん?

 旅の扉は、入り口で厳重に封印されていて、魔法の玉がないとそれを壊せないんですよ?

 おそるおそる進言すると、マグナは唇を尖らせた。

「あんたこそ、ちゃんと聞いてたの?お爺さんの話は、何年も前の単なる又聞きで、しかも完成してるかどうかも分からないって言うじゃない。そんな不確かな情報で、やっとここまで来たのに、今さら戻りたくないの!」

 いや、戻りたくないとおっしゃられましてもね?

「じゃあ、封印はどうするんだよ?」

「魔法が効かないってだけで、要は石壁をどうにかできればいいんでしょ。リィナ、なんとかならない?」

 唐突に話を振られたリィナは、きょとんと自分を指差した。

「ボク?ん~、どうだろ。見てみないと分かんないけど」

 レーベの村で岩を砕けなかったのが悔しかったのか、リィナは道中で手頃な岩を見つける度に試し割りをして、呆れたことに幾日もかからずに出来るようになっていた。

 とはいえ、お前、ここは否定しておけよ。

「ほら、実際に見てみないと、何もはじまんないわよ。とにかく決めた!このまま行くから!いいわね!?」

「うん、別にいいよ~」

「私も、マグナさんにお任せします」

 そうなんだよな。リィナは考えなしだし、シェラは同行させてもらってることに恩を感じてるから反対する訳ないんだし、この中でマグナを諌めるとしたら、俺しかいない訳だ。

 だが、俺の説得を先回りするように、マグナは有無を言わせぬ目つきで睨みつけてきた。

「い・い・わ・ね、ヴァイス?」

 ムキになってやがる。ここしばらくの、聞き分けのいいお前はどこに行っちまったんだ。

 やっぱ人間、そんな簡単に変わるもんじゃねぇよな。

12.

 不幸中の幸いというべきか、旅の扉を奥深くに秘めた「いざないの洞窟」は、爺さんのねぐらから二日とかからない距離だった。

 レーベで俺の提案を自分が却下したからこそ、こんな状況に陥っているのだということを、マグナは必要以上に自覚していた。

 明らかに、そのせいで意固地になっているマグナに追い立てられるようにして、俺達は砂丘を越え、森を越えて「いざないの洞窟」に辿り着いた。

 問題の石壁は、入ってすぐ左手にあった。壁一面に上下の矢印を重ね合わせたような大きな図形が描かれており、両脇に得体の知れない像が安置してあるという怪しさだ。これが封印の壁に間違いないだろう。

「う~ん、これはちょっと、難しいかも」

 石壁に触れて、拳骨でコツコツ叩いたりしてから、リィナは腕組みをした。

「すっごい分厚いよ、これ。硬そうだし。それに、あんまり思いっ切りやったら、洞窟が崩れたりしないかな?」

 生身でそこまでできたら、逆に凄いと思うが、こいつの場合はやり兼ねないからな。

「そう……ゴメンね、なんか無理言っちゃったみたいで」

 さすがにマグナが萎れていると、リィナは図形の真ん中あたりに拳を添えた。

「まぁ、軽くやるだけやってみるよ」

「え、おい」

「ふんっ」

 ドン、という音と共に、床が微かに震えた。パラパラと、細かい岩の破片が天井から降ってくる。

 バカお前、ちょっとはもったいつけろっていうか、心の準備くらいさせろ。生き埋めになったらどうすんだ。

「やっぱり、軽くじゃ無理みたい」

 石壁の表面には、わずかに亀裂が入っただけだった。それでも、大したモンだと思うが。

13.

「ありがと。もういいわ……なによぅ」

 さて、どうするんだと視線を向けると、マグナは頬を膨らませた。

「いや、なにも?」

「フン、あんたの言いたいことなんて、分かってるんだから。いいもん、あたしこの前、あんたがまだ覚えてないルーラを覚えたんだからね。それでレーベまで戻れば、文句ないでしょ!?」

 そうなのだ。意外なことに、マグナは魔法が使えるのだ。それも、魔法使いと僧侶の呪文を織り交ぜて。本人は記憶にないというから、勇者としての英才教育の一環として、幼少の頃にイニシエーションを受けていたのだろうか。

 だが、実際には扱えない。マグナが戦闘中にはじめて唱えたメラが、俺目掛けて飛んできた時に、命にかかわるので強引に説き伏せて禁止した。

 基本的な知識が足りない所為もあるんだろうが、それよりも資質の問題が大きい気がしてならない。こいつはおそらく——そんな言葉があるか知らないが——「魔法オンチ」なのだ。

 ルーラなんて唱えさせたら、どこに飛ばされるか分かったモンじゃない。その提案は、是非とも遠慮させていただこう。

 お前は魔法オンチだから止めろ、なんて言ってもさらにムクれるだけなので、ルーラには契約が必要だからレーベには飛べないことを理路整然と説明すると、マグナはどうしていいか分からないようなふくれっ面を浮かべた。

 まぁ、どっちにしろムクれるんだ、これが。

「じゃあなに?歩いて戻らなきゃいけないっていうの!?」

 まるで俺が悪いみたいに言わないでくれ。

 この後、ひとりで戻って魔法の玉取ってくるから、みんなはここで待ってて、とか無茶なことを言い出したマグナをなんとか宥め、後戻りが大嫌いなこいつに急かされるようにして、くたくたになりながら俺達はレーベに舞い戻ったのだった。

14.

 そして俺達は、魔法の玉を手に入れて、再び「いざないの洞窟」にやってきた。

 ずいぶんな遠回りをしたような気がするが、それは言うまい。

 封印された壁の前に辿り着くと、今回の道すがらでも、また宿を世話してくれたほこらの爺さんが待っていた。

 あれ?いつの間に先回りされたんだ?

 異常な健脚で砂丘や森を疾走する爺さんを想像して、思わず吹き出しそうになる。よく分からんが、どの道なんかの魔法を使って来たんだろう。

「あれ、爺ちゃん。わざわざ見送りにきてくれたの?」

「うむ。魔法の玉は持っておるな?」

「ええ。おととい見せたじゃない」

「そうじゃった、そうじゃった。どうも歳をとると記憶がのぅ……まぁ、ええわい。ならば、魔法の玉で封印を解くがよい」

「言われなくたって、そのつもりよ」

 マグナは魔法の玉を取り出して、リィナに手渡した。

「お願いしていい?リィナの方が、こういうの得意そうだから」

「りょうか~い。それじゃ、行くよー」

「いやいやいや、待て待て待て。近いって近いって。できるだけ離れろ。俺達もだ」

 俺は慌ててリィナを一旦止めて、全員を反対側の壁に寄せた。広間のようになっていて、かなり距離はあるが、理屈通りに魔法の玉が機能せずに暴発したら、ただでは済まないだろう。

 ホントに崩落とか大丈夫なのか?なんて思いが、今さらのように脳裏をよぎったが、それを口にする暇もなく。

「せぇの」

 リィナは魔法の玉を、封印の壁に向かって思いっ切り投げつけた。

 見事に奇妙な図形のど真ん中に命中した魔法の玉は、一瞬遅れて爆発して轟音と共に壁を砕く。

 破片や衝撃波を予感して俺は身構えたが、次の瞬間、瓦礫は爆発ごと跡形も無く消し飛んでいた。

 おお、やるじゃん、レーベの爺さん。

15.

 頭上でかすかな地鳴りがした。どうやら上空に抜けたらしい。

「大丈夫。成功よ」

 しゃがみ込んで両耳を押さえていたシェラの肩を、マグナは叩いた。

「いや~、落盤が起きたらどうしようと思って、ヒヤヒヤしたよ」

 とリィナ。嘘つけ。

 封印の壁が取り除かれた先には、奥へと通じる道が続いていた。

「どうやら上手くいったようじゃな。お主らには、これを渡しておこう」

 爺さんは、懐から羊皮紙を取り出してマグナに渡した。

「これって……世界地図!?」

「そうじゃ。この地の旅の扉は、ロマリア城の南へと繋がっておる。向こうに着いたら、まずは北を目指すがよい」

「分かったわ。色々ありがとう」

「いやなに。さて、これでお主はいよいよ、アリアハンを後にすることと相成った訳じゃが……何か、言い残しておくことはないかの?」

 爺さんに言われて、マグナはきょとんとした。

「いいえ?別に?」

「……そうじゃな。若いお主には、前だけ向いておるのが似合っとるじゃろう。それでは、行くがよい。旅の無事を祈っておるぞ。達者でな」

「ありがと。お爺さんも元気でね。それじゃ、行きましょうか」

 爺さんの言葉通り、マグナはそれ以上振り返ることもなく、前だけを向いて通路の奥へと歩き去る。リィナとシェラも、それに続いた。

 後を追おうとした俺を、爺さんが手招きした。

16.

「こちらに」

 通路から死角になる位置、不気味な像の傍らまで呼び寄せる。

「なんだよ、爺さん……っ!?」

 いつの間にか、爺さんが大人の女に変化していた。歳はいってるが、かなりの美人だ。じゃなくて、これはもしかして、話だけは聞いたことのある超高等魔法のモシャスで、爺さんに化けてたのか!?

「アレの母です」

「へっ!?」

 アレって……マグナのことだよな。言われてみれば、顔の造りはさほどでもないが、どことなく雰囲気に通じるものがある。

「なんで、こんなところに……」

「古い友人——あなた方がお会いしたほこらの老人が、知らせてくれたのです。そんなことより——」

「ヴァイスー!!なにやってんのよ!!」

 通路の奥から、マグナが俺を呼ぶ声がした。

「ああ、時間が無いわ。ひとつだけ」

「見送りに来たんじゃないんですか。会っていけば……」

「いいえ、いいんです」

 複雑な表情を見て、なんとなく俺は察した。色々と、訳アリそうな親子だからな。

 マグナの母親は、凝っと俺の目を見つめた。焚き火の夜を思い出す。目元はそっくりだな。

「あの子のこと、どうか、よろしく、お願いします」

「ヴァイスってば!!」

 応える前に、また俺を呼ぶ声がして、マグナの母親は目配せをした。

 俺は返事もそこそこに、とりあえず頷いてみせて、通路の奥へと急ぐ。

 頼む、か。リィナあたりに言っといた方が良かったんじゃないのか。俺なんかに頼んじゃっていいのかよ。

 ひと言しか口に出来なかった分、『よろしく』に色々な意味が込められていたように思えて、正直なところ荷がかち過ぎな気がするぜ。

「なにやってたのよ。まさか、今さら怖気づいたんじゃないでしょうね」

 追いついた俺を、マグナは腰に手を当てて上目遣いに見上げた。

 ま、できる限りのことはするけどさ。一番お兄さんですしね。

「いや、悪い。ちょっと、魔法のことについて爺さんに質問してたんだ」

「こんな時に?まぁ、いいけど。ほら、行くわよ」

 マグナは、前を向いて階段を下りていく。

 俺は、一度だけ振り向いたが、老人の姿もお袋さんの姿も、そこには見えなかった。

17.

 四方を石造りの壁に囲まれた通路は、まるで迷路のようだった。記憶力に絶対の自信を持っているマグナによれば、同じ道は通っていないそうだが、一向に旅の扉に辿り着かない。

「もう、また行き止まりなの!?」

 ようやくアリアハンを脱出できるのに、お預けをくらったような格好で、マグナはかなりイライラきている。

 こんな場所でも律儀に出没する魔物を撃退しながらしばらく進むと、先頭で手持ちランプを掲げていたリィナが、突然立ち止まった。

「えっ」

「きゃ」

「おっ」

 玉突きのように、全員が前につんのめる。

「おとと」

 リィナの姿が消えた。

 振り向いてシェラの手を掴みきれずに、マグナも消える。

 引っ張られてたたらを踏んだシェラが居なくなると、支えを失った俺も堪え切れなかった。

 浮遊感は一瞬だった。

 落とし穴だ。

「うげっ」

「いたっ!!」

 俺の身長よりちょっと高いくらいだろうか。あまり深くなくて幸いだった。誰かの上に落ちたこともあり、ほとんど痛くない。

 すぐ横に灯りを感じてそちら見ると、リィナがシェラを抱えて立っていた。落ちてくるところを受け止めたらしい。

 てことは、俺の下に居るのはマグナか。

18.

「いったぁ~……ちょっと、早くどきなさいよっ!!」

「ああ、悪ぃ」

 ふにょ。

 身を起こそうとした俺の右手に、柔らかい感触。

「ふぃっ」

 ヘンな声を出すマグナ。俺は分からないフリして、ちょっとまさぐってやった。

「ふぁっ……って、ちょっと、なにやってんのよっ!!」

「へ?なにが?」

 すっ呆ける俺。

「なにがって!!今、あたしの……っ!!」

 立ち上がりながら、マグナは口篭る。

「……わざとじゃないでしょうね?」

「だから、何が?」

 右手が胸の位置にあったのは偶然だが、どけなかったのは、もちろんわざとだ。

 というか、手が離れなかった。いやほら、宜しくお願いされたモンだから、発育具合も確認しとくべきかな、とか。

 こんなことがお袋さんに知られたら、速攻で後悔されちまうな。うん、ちょっと反省しよう。だけど、仰向けでアレってことは、思ってたよりはあるじゃないか。

「ゴメン。ボクの後にすぐ落ちてきたから、マグナは間に合わなかったよ」

「すみません、私だけ」

 何故かリィナにつられて謝るシェラ。いいフォローになると踏んで、俺は畳み掛けた。

「悪いな。俺も避けられればよかったんだけど、咄嗟のことでさ。上に落ちたのは謝るよ」

 それ以外については、知らん振りを決め込む。いや、反省はしてますとも。

「……まぁ、過ぎたことはもういいわ。ほら、行くわよ!」

 少し赤らんだ顔を、俺からプイと背けてマグナは先を促した。

 ヘンな目で見んなよ、リィナ。いいから、偶然ってことにしとけ。

19.

 さんざん迷った挙句、俺達はようやく旅の扉らしき場所に辿り着いた。

 扉とは言うものの、それは青い光の膜が薄くかかった深い縦穴にしか見えない。

 ひょっとして、ここに飛び込めって言うのかよ。底が見えないぞ。平気なのか、これ?

 と思っていたら。

「おっさきー」

「きゃあああぁぁっ!!」

 リィナがシェラの手を引いて、あっさり穴に跳び込んだ。

「ホント、躊躇うとか全然ないのね、リィナは」

 マグナは苦笑した。俺もまったく同感だ。

 二人の姿は、すぐに見えなくなった。無事にロマリアに着いたんだろうか。

「さて、いよいよアリアハンともおさらばって訳だが、何か言い残しておくことは?」

 なんとなく、俺は聞いてみた。

「なによ、あんたまで。別に、なにもないわよ」

「なら、いいけどさ」

 しかし実際は、マグナの表情には軽い戸惑いが浮かんでいた。

「なにも無いっていうか……やっと、の筈なんだけど……ううん、だからなのかな。まだ、実感が湧かないっていうのが、ホントのところ」

 まぁ、そうかもな。

「強いて言えば、せいせいするってトコだけど……そっか。うん」

 なにやらひとつ頷いて、マグナは大きく息を吸い込んだ。

「二度と戻って来るかーーーっ!!バーーーーーーーーーーーーーーーカッ!!」

 アリアハン中に響き渡るようなその大声は、通路に反響して、しばらく木霊した。

 子供っぽい捨て台詞に、俺は思わず笑いを誘われる。

「ははっ」

「あー、スッキリした。それじゃ、行きましょうか」

 言葉とは裏腹に、マグナの瞳は少し憂いを帯びて見えた。一人にした方がいいかな。

「じゃあ、先に行くぜ」

 深い穴に身を躍らせて、青い光の膜を越える直前。

「……行ってきます」

 そう呟く声が聞こえた気がした。

20.

 液化した全身をぐねぐねと掻き回されるような、最悪の眩暈よりもさらに最低な、なんとも言えない気持ちの悪い感覚に翻弄された俺は、気がつくと石造りの床の上に立っていた。

「……気持ち悪い」

 いつの間にやら、隣りでマグナが口元を手で押さえている。

 シェラは床にへたり込んでおり、そしてリィナでさえも若干蒼褪めた顔をしていた。

 ほとんど時間は経っていないように感じるが、ここはもう、ロマリアなんだろうか。

 気持ち悪がっていても何も分からないので、俺達は目の前の扉を開いて階段を上り、外に出た。

「あれ?なんだか、あったかくないですか?」

 シェラと同様に、俺も最初に感じたのは気温の変化だった。魔法の玉の件でドタバタしている間に、そろそろ肌寒い季節になっていたのだが、ここは春先のように暖かい。

「あっちとこっちじゃ、季節が逆なんだって」

 意外なことに、答えたのはリィナだった。

「え?なんでですか?」

「え~と……よく分かんない」

 おいおい。

 でも、それが本当だとしたら、ここではこれから夏が来るのか。薄着の季節だな。いや、別になんでもない。

「それに、なんで昼間なの?あたし達が洞窟に入ったのは夕方だったから、もう真夜中の筈でしょ?」

 マグナの疑問はもっともだ。俺もそれ、言おうと思ってたのに。

「もしかして、場所だけじゃなくて時間も超えちゃったとか?」

「いや、そうじゃなくって、なんて言ったっけな……とにかく、ズレてても半日くらいの筈だよ」

「そうなの?なんだか、よく分かんないけど」

 リィナの話で分かれって方が無理だ。全然、説明になってないからな。

「まぁ、いいわ。もう来ちゃったんだし、考えてどうにかなるようなことでもないし」

 マグナは、果てなく続く平原の先を見据えた。

「ロマリアのお城は、北の方って言ってたわね。とにかく、そっちに向かってみましょ」

21.

 半日ほど歩いたところで、例によってリィナが真っ先に声をあげた。

「あ、遠くにお城みたいのが見えるよ」

 だから、見えねぇって。

「ん?誰かが魔物に襲われてる」

 そちらは、俺にも辛うじて見えた。遠くで、なにやらごちゃごちゃ動いている。

 足を速めて近づくと、どうやら襲われているというよりは、魔物と戦っているらしかった。

 ただし、戦い方が物凄く素人臭い。外見からすると冒険者っぽいが、ロマリアにもそろそろ導入されたのか。確か、アリアハンに視察団を派遣したのも、ロマリアが一番早かった筈だ。

 襲われ——もとい、戦っているのは三人。お、いい女がいる。メラを唱えてることからすると、魔法使いみたいだな。

「助けよう!」

 すっ飛んでいきかけたリィナの肩を、俺は掴んで止めた。

 まぁ待て。いつもお前ばっかりにいい格好はさせてらんねぇからな。タマには、俺にも格好つけさせろ。覚えたての呪文のお披露目をしてやるぜ。

「おい、魔物から離れてろ!」

 俺が大声で呼びかけると、連中はこちらに気が付いた。

「早く離れろ!こっちに来い!」

 わずかな逡巡の後、走り寄ってくる。

 よし、あんだけ離れりゃ充分だろ。

『イオ』

 閃光と爆発が、その場にいた全ての魔物を包み込む。

 風が爆煙を吹き流した後には、焼け焦げた魔物共の残骸が転がっていた。

 一掃だ。

 どうよ、この威力?

「凄い……はじめて見た」

 魔法使いのいい女が、小さく呟いたのが聞こえた。

 ちょっとカッコいいんじゃねぇの、俺?

「大丈夫?怪我はない?」

 よく見ると、このパーティには僧侶がいなかった。

 って、なんでお前がでしゃばんだ、マグナ。

「そんなにヒドくはないけど、みんな……」

「みたいね。シェラ、お願い」

「あ、はい」

 シェラは、全員にかいがいしくホイミをかけてやる。戦士と武闘家らしき男二人は、シェラに手当てされてぽわ~っとなっていた。うんうん、可愛いだろ、ウチのシェラは。でも、惚れるなよ。

22.

 ちょうどシェラがホイミをかけ終えた頃に、遠くで叫ぶ声がした。

「おーい、みんなぁ!助けを呼んできただぞ~!!」

 城の方角から、馬に乗った鎧兜よろいかぶとが数騎、駆け寄ってくるのが見えた。大声をあげたのは、先頭の馬に相乗りしている商人風の男のようだ。

 俺達の前で停止した騎馬から、その商人風の男が飛び降りる。

「ありゃ、もうやっつけちまっただか」

「ええ。この人達がね」

 この人、と言って欲しいね。

「ありゃりゃ、無駄足踏ませちまっただな。あいすんません」

 商人風の男は、相乗りしていた騎士に頭を下げた。

 壮年の偉丈夫といった趣きだ。そういや、ロマリアは強力な騎士団がいるお陰で、割りと治安がいいんだっけか。

「それは構わんが、だから素人の冒険者風情に魔物討伐など無理だと言うのだ。我ら騎士団に任せておけばよいものを、まったくあの国王ときたら酔狂で困る。今からでも遅くはない。お主らも、職を考え直した方がよいぞ」

 偉そうに説教をたれた騎士は、馬の上から俺達を睥睨して怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ、この汚い連中は」

 汚いって。そりゃ確かに、服とかかなりボロボロだけどよ。

 マグナの眉がひくりと吊り上った。あ、ヤバい。

「どうもぉ。その素人の冒険者風情でございますぅ。それで騎士様は、どうしてこちらへ?まさか、この人達を助けにカッコ良く登場したつもりが、しがない冒険者風情に先を越されてた、なぁんて間抜けなことはおっしゃいませんよねぇ?」

「なんだ、この娘は」

 偉丈夫は顔を顰めた。

「お主らが、あれをやったと言うのか」

 背後の、魔物の残骸を振り返る。

「ええ、そうですの。ウチのヴァイスが。一撃で」

 俺の腕に手を絡めて、オホホとでも笑いそうな口調で自慢するマグナ。うん、ちょっと肘の上に胸が当たってる。

「それが本当ならば、大したものだが……お主ら、見かけん顔だな。私も時間のある時は、平素から城の周辺を見回っておるが、あのようなことができる冒険者も、お主らのことも、ついぞ見聞きしたことがないぞ」

23.

「あなた達、もしかしてアリアハンの冒険者じゃないの?」

 いい女が尋ねてきた。

「うん、そうだよー」

 あっさりリィナに肯定されて、マグナはやや慌てた。しょうがねぇ、フォローしとくか。

「ちょっと出稼ぎにね。最近、アリアハンは魔物が少なくてな」

「やっぱり。どうりで、強い訳だわ」

 アリアハンは、冒険者に関しては先進国だ。こいつらを見る限り、ここの連中は、まだまだ経験が足りないようだから、俺の魔法はずいぶんと強力に映っただろう。

「その方ら、アリアハンから来たと申すのは本当か」

「え、ええ。その、ルーラでぴゅーっと」

 なるたけ素性を隠すつもりか、身振りを交えて、あわあわしながら言い繕うマグナ。ちょっと面白いが、ボロが出るからあんまり喋んない方がいいぞ。

 幸いなことに、アリアハンの勇者の旅装はここでは知られていないらしく、特に気付かれた様子はなかった。

「ふむ。その若さで冒険者など、あまり感心せんが、それはまぁよかろう。歓迎はせんが、滞在は許可してやる。なんでも構わんが、この地で問題を起こしてくれるなよ」

 そう言い捨てて、偉丈夫は馬首を巡らせる。

「戻るぞ!」

 お供の騎士達を引き連れて、偉丈夫は颯爽と駆け去った。

24.

 残されたマグナは、うぅ~とか唸りながら、俺の腕をぎゅっと握り締める。痛いって。

「ムカつくぅ~。なんなのよ、アレ!」

「申し訳ない」

 何故か謝ったのは、戦士の男だった。

「騎士団は、冒険者制度の導入に最後まで反対してましたからね。自分達がないがしろにされた気がして、面白くないのでしょう」

 冒険者にしては人の良さそうな顔をしている。若いな。俺と同じくらいか。

「でも、私たちはちゃんと感謝してるから。本当に、危ないところを助けてくれてありがとう」

 いい女が後を継ぐ。いやなに、うへへ。あ、痛ぇ。

「なにデレデレしてんのよ」

 マグナが顔を少し背けて、俺の腕を抓りながらボソリと呟いた。デレデレなんてしてねぇっての。むしろ、キリッとしてるだろ?だから、痛ぇってば。

 そんな水面下のやり取りに気付いた風もなく、気の良さそうな戦士が俺達に話しかける。

「皆さんは、こちらははじめてですか?」

 ルーラで来たって話を信じてるなら、その質問はねぇだろ。気付けよ。

「ええ、まぁ」

 マグナも、頷いちゃってるし。

「じゃあ、せめてものお礼に、僕らに案内させてくださいよ。組合所にもお連れしたいし」

「そうね。お願いします。あと、安くていい宿とか、どこか紹介してもらえるかしら?」

「任せてください!とっておきの宿にご案内しますよ!」

「ご飯がおいしいところがいい~」

 これはリィナ。

「もちろん!ロマリア料理もはじめてですか?きっとお気に召すと思うなぁ」

「私は、早くベッドで休みたいです……なんだか、眠くて」

 シェラはこしこしと目を擦った。

 そういや、疲れてる上に、半日前まで真夜中だったんだもんな。てことは、本当は今は明け方か。いや、ここじゃ夕方だけどさ。くそ、ややこしいな。

「お疲れですか。それはいけない、早くまいりましょう」

 そんな訳で俺達は、偶然出会ったロマリアの冒険者に連れられて、城下町を目指した。

 よく考えるまでもなく、俺もアリアハン大陸を出たのは初めてなんだよな。さて、この先いったい、どんな展開が待ち受けているのやら。

 まぁ、全部マグナ次第なんだけどな。

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