5. Under the Cherry Moon
1.
ここで、俺達冒険者について、もう少し説明しておこう。
何度か触れたと思うが、冒険者と呼ばれる連中はルイーダの酒場に登録されている。だが、登録すれば誰でもなれる、という訳でもない。
冒険者になろうと思い立ったヤツは、まずその旨を申請し、講習を受ける必要がある。特例として、過去の実績などを鑑みて免除されるヤツもいるそうだが——勇者であるマグナは、特例中の特例だろう——大半はただの素人なので、これは当然の措置だ。
なんの技能も無いそこらの一般人が、いきなり冒険に出ても、あっという間に魔物に殺されちまうのが落ちだからな。
他の職業のことは良く知らないが、例えば剣士ならば基本的な剣術、盗賊ならばナイフの扱いや簡単なトラップの見分け方なんかを習うんじゃなかろうか。
その上で、規定の試験に合格して、はじめて冒険者として登録されるのだ。
試験は、講習のどの時点でも、そして何回でも受けられるが、いずれの職業でもおおよそ三十日以内にクリアできなければ、向いていないと判断されて強制的に辞めさせられる。
ルイーダの酒場は、自殺志願者の請負所じゃないってことだ。
但し、また一から講習を受け直したり、別の職業に鞍替えして再挑戦することは可能だ。
めでたく登録を済ませた奴には、バラモスの名前が告げられる。どこかに魔物達のボスがいて、そいつが全ての元凶だという話は、そこらのガキでも知ってる公然の秘密なんだが、名前や居場所はほとんど知られていない。斯く言う俺も、その時にはじめて聞いた。
名前に加えて、おおよそ判明している棲家まで教えるということは、はっきりとそう求められる訳じゃないが、「倒してくれたら嬉しいな」という含みだろう。
だが、冒険者なんてコスく小銭を稼いでは宵越しを待たずに派手に使い、またその日暮らしに戻るようなロクデナシばっかりで、あえて危険を冒して魔王退治に出掛けようなんて殊勝なヤツはひとりもいない。少なくとも、俺は耳にしたことがない。
国としても、あくまでアリアハンの治安回復が第一義と考えているらしいので、別に問題はないみたいだが。
まぁ、本気で期待されても困るんだけどな。
2.
さて、以上は全ての職業に共通した話だが、呪文を扱う魔法使いと僧侶に関しては、事情が若干異なる。
俺は魔法使いではあるが、冒険者になるまでは魔法のマの字も知らなかったズブの素人だ。今も、単に職業として魔法使いをやっているに過ぎない。真理の探究とやらに血道をあげる本物の魔法使いは、もっと別にいる。
何も知らない素人が、少しばかり習ったくらいで、魔法を修めて使いこなすなんて芸当は不可能だ。そこで、魔法使いや僧侶を希望した者には、講習に先駆けてイニシエーションと呼ばれる儀式が施される。
正直なところ、俺もよく理解してないんだが、なんでもこの儀式は頭の中に呪文を構成する「すじみち」を刻み込むんだそうだ。そうして、本来積み重ねるべき膨大な知識と経験をちょろまかす——
俺が受講した時に講師を担当していた、いかにもやる気のない陰気な顧問魔法使いは、そう説明して、最後にこう付け加えた。
『貴様らの如き暗愚には、この程度の説明しか理解できまい』
こいつがまたイヤな野郎で、一事が万事こんな調子だ。持ち回りで講師を勤めないと、国から研究費をもらえないらしく、嫌々やってるのが丸分かり。
講義の途中で何かにつけて嫌味を捻じ込むこの野郎には、ずいぶんと辟易させられたものだ。何度ブン殴ってやろうと思ったか知れない。
それはともかく。
俺達に必要なのは、冒険で役立つ類いの即物的な効果を発揮する、剣士にとっての剣みたいな「道具」としての呪文だ。
だから魔法使いと言っても、俺達に扱える呪文は、簡素化形式化された技術——陰気な講師に言わせれば「大道芸」——に過ぎない。魔法に精通している訳ではないので、応用も効かない。ただ、覚えた呪文を発動させることができるだけだ。
その大半は、本物の魔法使いにとってはどうでも良い、言わば彼らの研究の「おこぼれ」でしかない。
これも、件の陰気野郎の言だ。わざと人をムカつかせてるとしか思えねぇよ。
ともあれ、「おこぼれ」と言えども魔法は魔法。普通の「道具」のように、ただ手に取れば使える、てなモンじゃない。呪文の単語を覚えたからといって、それを口にすれば使えるという性質のものではないのだ。
3.
儀式で「すじみち」を刻んだだけじゃ使えない。講義で魔法の基礎を齧っただけでも使えない。受講者には魔法書が渡されるが、それを百読したとしても、使える保証はどこにもない。
実際に魔法を使うには、もちろんある程度の知識や訓練による経験が前提となるが、それよりもなによりも、なんて言えばいいのかな——そう、腑に落ちることが肝要なのだ。
俺自身、魔法を根底から理解してる訳じゃないから、どうも上手く説明できないのだが、何かふとしたキッカケで、急に世の中の理を手に入れたような、唐突に目の前が開かれたような感覚は、誰しも若い頃に一度や二度は経験しているだろう。
後になってみれば、下らない錯覚に過ぎなかったとしても、その時ばかりは「ああ、なんだ、そういうことだったのか」と全てを理解したような感覚。
俺達が呪文を「覚える」時の感覚は、それにかなり近い。突然——ストンと、腑に落ちるのだ。
嫌味な講師は、それを「すじみちが通る」と称していた。それまで知識でしかなかった呪文が、そうしてやっと実際に使えるようになるのだ。
俺に関して言えば、魔法書を読み返したり頭の中で漠然と考えている時よりも、最も呪文というものに集中している戦闘中、または戦闘直後に「覚える」ことが多い。
今はまだ、いくつかの呪文しか扱えないが、いずれもっと高度な呪文も「覚える」筈だ。
嫌味なあのバカは『その捉え方は誤解を招くだけだ』と吐き捨てたが、俺の考えでは、高度な呪文ほど「すじみち」が複雑でより深く、通すのが厄介なのだと思う。
呪文を唱える所要時間は殆ど一瞬でしかないが、集中してずっと何かを懸命に考え続けた時によく似た疲労を覚える。
頭のどこかにあるソレを、すじみちを頼りに奥まで探って引っこ抜く感覚だ。高度な呪文になるほど、より「奥」に意識を伸ばすように感じるので、あながち俺の考えも間違っていないと思うんだが。陰気な嫌味野郎には、せせら笑われたが。
あいつはその内、受講生の誰かに刺されて死ぬに違いない。
4.
冒険者として登録されるには試験をクリアしなくてはならないという話をしたが、魔法使いの課題は『メラ』を使えるようになることだ。三十日ですじみちを通せなかった者は、それを消去された上で放り出される。
細かいことは知らないが、僧侶の場合もおおよそ同じような事情の筈だ。但し、魔法使いと異なり、知識に加えて信心や敬虔さなんぞという曖昧な代物が重要になるらしい。
神様拝んでホイミを唱えられるなら、俺だっていくらでも拝むにやぶさかじゃないが、そういうことじゃないんだろうな。よく分からん。
もちろん、ここで言う僧侶も単なる職業で、教会に属する本物の僧侶とは違う。一般的に、単なる便利なホイミ役として扱われ易い僧侶に、あえてなろうとする人間に、信心深いようなタイプが多いというのは言えるかも知れないが。
とはいえ、ナターシャみたいなヤツもいるし、一方では本物の僧侶が還俗して冒険者になるケースもあると聞くから、それこそ十人十色だ。
さて、ここまでの話で大体察しがつくと思うが、魔法使いや僧侶の数は、他の職業と比べて圧倒的に少ない。
理由は簡単。面倒臭いからだ。
冒険者じゃなければ犯罪者になったに決まってるアホ共には、何も考えずにだんびら振り回してりゃそれでいい剣士や、盗みの技術を磨ける盗賊なんかがお似合いだ。感心なことに奴ら自身もそう考えていて、わざわざしち面倒臭い職業など、好んで選ばない。
絶対数が少ないので、魔法使いや僧侶は引く手あまたの人気者だ。黙っていてもお呼びがかかるので、俺は自分からパーティの面子を募ったことがない。選り好みをしなければ、いつでも自分の都合が良い時に、どこかしらのパーティに潜り込めたからだ。
だが、さすがにあのゴリラとネズミの一件を経て、少しは慎重に選ばないとダメだな、と反省した。
それで、しばらく面子を見極めつつ、一人で狩りなどしていたのだが、そんな反省は結果的に無意味だった。
こうして、勇者様にとっ捕まって、強制的に連行された訳だから。
5.
レーベの村までは、街道沿いの小さな町村をいくつか経由して、のんびり徒歩で行くと、およそひと月ほどの道程になる。強行軍なら、その半分ってところか。
俺達の場合は、二十日前後で到着した。そこそこ急いだ結果になったのは、途中の町や村で、多くて一泊しかしなかったからだ。
これは、勇者の格好であまり人前に出たくないというマグナの都合が大きい。
ならば、別の旅装に変えればよさそうなものだが、事はそう単純にはいかなかったりする。アリアハンを出るまでは、退治するべき魔王の元を目指している姿を、勇者として目撃されておく必要があるからだ。
目立っちまって人が集まるのは避けたいが、ある程度は人目に触れておかなくてはならない。その葛藤が、必要最低限だけ泊まるという判断を導き出したのだろう。
別に先を急ぐ旅でもないから、ホントはもっとゆっくり行けたんだけどな。
それでも、アリアハンを出てからこっち、マグナはとても上機嫌だった。まるで何かのくびきから開放されたような、という見方は、俺の穿ち過ぎだろうか。
道中、「こっちを抜ければ全然近いじゃない!」とマグナが強引に森を抜けようとした時も、そりゃ直線距離なら近いけどな、足場は悪いし、街道沿いより魔物は強いし、却って遅くなるから素直に道を歩こうぜ、という俺のダメ元の説得を、渋々とはいえ受け入れた。
まことに結構なことだが、聞き分けのいいマグナなんて、なにやら不気味でこっちの調子が狂っちまう。
ちなみに、俺達がレーベの村を目指したのは、アリアハン大陸の東端にあると聞く「旅の扉」に向かう為だ。
海に強力な魔物が出るようになって船の往来が途絶えて以来、他の大陸に渡る方法は、ざっと三つしかない。
ひとつは、時折訪れる大船団に便乗させてもらう方法だ。今でも、船の行き来は皆無という訳ではなく、魔物に襲われても対抗できるような大船団が、年に二、三度、遙かなる大海原を越えてやってくる。
もうひとつは、ルーラの使える魔法使いに運んでもらう方法だ。国が互いに使節団を派遣する場合などは、目的地に飛ぶことのできる魔法使いをかき集めて、この方法をとることが多い。
6.
このふたつは、俺達には使えない。いや、それなりのツテが必要とはいえ、マグナは勇者だ。そこはなんとでもなるだろうから、正確には使わないと言うべきか。
マグナは、海を越えた自分の足取りを、僅かでもアリアハンに残したくないのだ。
いちいち厄介な御仁と言える。
なので、他の大陸に繋がっていると噂に聞く「旅の扉」を勝手に越えるのが、俺達の取り得る唯一の方法だった。
旅の扉がある東に向かってレーベから先には、もう人の集落は無い。
最後にこの村で幾日か、のんびり英気を養っても、バチは当たらないだろう。
久し振りのベッドで気持ちよく眠り、半分目が覚めてもウダウダ惰眠を貪っていた俺は、昼過ぎになってようやく起き出した。
残念ながら、ひとり部屋だ。
ここのところすっかり定着している部屋割りに関して、俺はもっとモメるかと思っていた。いちおう男二人に女二人なんだから、同性同士で相部屋になるのが普通だろ?とはいえ、俺達の場合は、なんというか、なぁ?
いや、俺は別にいいんだけどさ、とか思っていたら、アリアハンを出て最初の町で宿を求めた時に、マグナがあっさり決めちまった。
振り分けは三対一。もちろん、俺が一だ。
つまり、マグナとリィナとシェラが同部屋だ。
最初の頃は、それでも色々と気にしていたようだが、どうも最近、マグナはシェラを完全に女の子として扱っているフシがある。一緒に風呂に入っても、おそらく恥ずかしがるとしたらシェラの方だろう。そのくらいの勢いだ。
同じ部屋で寝泊りする内に、なんか色々あったんだろうな。俺は知らないけどね。別に部屋割りに異存もねぇし。一人部屋でも、淋しくなんてないんだぜ。
部屋の前を通りかかると、マグナ達は既に出掛けたようだった。一瞬、忍び込んでやろうかと考えかけて、後が怖いので止めといた。
7.
レーベは、のどかな田舎という表現がぴったりくる村だった。
つまり、見るべき場所は、特にない。
適当にぷらぷらほっつき歩いていると、一体どういう話の流れか、自分の身長よりデカくて丸い岩を、リィナが押し転がしてる場面に出くわした。
その脇で、朴訥そうな男が目を丸くしている。
「こりゃ凄い。まさか、あんたみたいな娘っこに、この岩を動かされるとはなぁ」
「でも、これ、丸いからすぐ動いたよ」
「いやいや、謙遜せんでいいよ。自分が押しても引いても、ビクとも動かなかったんだから。その力は、その内きっと役に立つと思うよ」
「そっかな。へへ~、ありがとう」
なにしとんだ、あいつは。
リィナは、ふと何かを思い出したように大岩を見上げた。
「……これなら、転がすより割った方が面白そうかも」
「は?割る?砕くってことかい?」
「どっちでもいいけど。やってみていいかな?」
「いいかなって言われても、道具がなんもないよ。家に帰れば、シャベルくらいならあるけどよ」
「ううん。道具なんて要らない。これで割るんだよ」
リィナが握った拳を掲げてみせると、男はハハハと笑った。
「おんもしれぇこと言う娘っこだなぁ。いいよ、割れるもんならやってみな」
そいつの前で、軽々しくそういうこと言わない方がいいと思うぞ。いや、俺も無理だとは思うけどさ。
「うん。それじゃ」
リィナは、胸の前で拳頭を合わせて、深く息を吐き出した。
そのまま構えるともなく、右の拳を軽く岩に沿える。
「お、おい。本気なんかい。手ぇ痛めるから、やめときなって」
男の言葉は、既にリィナの耳には入っていないようだった。
わずかに腰を落とした瞬間、リィナの体がブレたように見えた。
「ふんっ」
ズンと重々しい音が響き、気のせいだと思うが地面が揺れた。
刹那遅れて、リィナの反対側の岩の表面がバカンと弾け飛ぶ。
「あれー?抜けちゃった」
首を捻りながら、リィナは岩を回り込んだ。残された光景を目にして、俺は息を飲む。
恐ろしいことに、拳を沿えていた部分が陥没して放射状にヒビが入っていた。踏み抜かれた地面に、くっきりと足跡が残されている。
ホントに、お前は何者だ。
8.
「はじめてやったから、コツが分かんないや。岩には岩の、か。簡単そうに見えたんだけどなぁ……」
男はぽかーんと口を開けて絶句していた。まぁ、気持ちは分かる。
「よう。なにしてんだ」
これ以上、妙な真似をやらかす前に、拾っておいた方が良さそうだ。
「あ、おはよー。ううん、別に何もしてないよ」
充分してるっての。もしかして、失敗だったから隠そうとしてるのか?
「他の二人は、どこ行ったんだ?」
「知らない。あ、やっぱ嘘。さっき、シェラちゃんが向こうに行くの見かけたよ」
リィナは北の方を指す。とりあえず、そっちに行ってみるか。
「じゃねー」
リィナが手を振ると、男はいまだに呆けて突っ立っていた。非常識なツレで申し訳ない。
しばらく連れ立って歩いていると、大きな二階建ての家の脇で、シェラが馬と戯れているのが見えた。さっきのトンデモ場面と違って、心が安らぐ絵になる光景だ。
向こうも俺達に気付いたらしく、小走りに駆けてきた。
「馬、好きなのか?」
「はい。動物、好きなんです」
息を弾ませながら、笑顔を浮かべる。
が、やっぱりどうも、前ほど俺に懐いてないような。以前より、微妙に距離が遠い気がする。いや、別にいいんだけどね。
リィナが、なにやら物欲しそうな目つきで、シェラと戯れていた馬を見た。
「あの馬、乗せてもらったらダメかな?」
「え、あの……あれは人の馬ですから、いけないと思いますけど」
「きっと、大丈夫だよ。ちょっとだけだから」
「え、あの、リィナさん?そんな、ダメですよ——あ、マグナさん」
リィナの手を引っ張って止めていたシェラは、向こうから歩いてくるマグナを見つけて、ほっとしたように名前を呼んだ。
9.
期せずして集合しちまった。さして大きい村じゃないからな。
マグナは、まず俺に呆れ顔を向けた。
「あんた、やっと起きたの」
「ああ。ついさっきな」
「って、なにしてるの、シェラ?」
「リィナさんを止めてください~」
「平気だってば。ほら、放し飼いだし」
「なに?ああ、あの馬に乗ろうとしてるの?やめときなさい、人の馬でしょ」
「え~」
マグナはリィナを諌めると、村を見回すように視線を巡らした。
「それにしても、ほんっと何もないわね~、この村」
まぁ、別に観光地じゃないからな。
「でも、のんびりするにはいいんじゃねぇか」
「まぁねぇ。だったら、せめて温泉くらい用意しときなさい、って言いたいところだけど」
ふむ。それは暗に、俺に覗いて欲しいと言ってる訳だな。よし、心得た。機会があったら、任せとけ。
「温泉、いいよね~」
「私、入ったことないです」
「ジツは、あたしも入ったのは小さい頃で、記憶はないんだけどね。気持ちいいって聞くから、どんなのかなって」
「すっごい気持ちいいよ~。どっかそこら辺の山に湧いてないかな?見つけたら、入って背中の流しっこしようよ」
よし、やろうやろう。
「よく知らないけど、温泉で流しっこはないでしょ」
マグナが苦笑する。いいよ、お前は大人しくシェラと湯に浸かっとけ。俺が、リィナの背を流すから。うん、完璧な配置だな。後は、体の前というか胸の辺りに、間違えて手を滑らせてやるだけだ。
感触を先取りしてじんわりとむず痒くなった掌を見つめていると——
「見かけん顔だね。あんた、旅人かい」
突然、背後から皺枯れた声をかけられて、俺はビクッと首を竦めた。
振り向くと、皺くちゃで腰の曲がった婆さんが、俺を見上げていた。
「あ、ああ、うん。まぁな」
ビビらすな、この枯れ木婆ぁ。
10.
「どっから来んさった」
「アリアハンよ」
マグナが答えたが、婆さんノーリアクション。凝っと俺を見上げている。気色ばむマグナ。
「耳が遠いのかな?」
大声を出そうと息を吸い込むリィナを、俺は手で制した。
元が田舎者の俺には、なんとなく分かる。一行に男が含まれている場合、自分が話しをする相手はそいつだと決め込む習性が、田舎の古い人間——特に偏屈な婆さんにはあるのだ。男が複数居た場合は、最も年長者がそれにあたる。
俺とて若造だが、他の三人はさらに若いので、子供としか見られていないのだろう。婆さんにとって、子供はそこらを駆けずり回るものであって、話しをする相手ではない。
仕方なく、口を開く。つか、なんで俺を睨むんだ、マグナ。
「アリアハンだよ」
「アリアハンから来んさったか」
皺の間から目を覗かせて、老婆はギロリと俺を睨んだ。なんか怖ぇよ、この婆さん。
「まさか、あんたも魔法の玉さ探りに来たんじゃあるめいな」
魔法の玉?
どこかで聞いた気がする。ああ、アリアハン城下で爆発事故を起こしたとかいう物騒な代物か。
「いや、違うけど」
「嘘こくでねぇぞ。ほんなら、なんで館さ向こうとるんじゃ。あすこさ住んどるロクデナシの爺ぃに会いに来んさったんじゃろが」
老婆は、道の先の二階家を指差した。よく見ると、玄関の脇に魔法協会の印がかかっている。こんな田舎にも支部があるんだな。
「来んさっても無駄じゃぞ。あのヤドロク、扉に鍵かけよってからに、だぁれも入れんようになってしもた。妾がいくら呼びよっても、ちぃとも出てきようとせんのじゃ、あんたらじゃ無理、無理」
「はぁ。それはどうも、ご親切に」
皮肉が通じてるとも思えないが。なんなんだ、この婆さんは。
「あんたも旅人なんぞとやさぐれたことばっかしてねぇで、さっさとクニさけぇるこったな。どっか遠くの知らねぇ土地さ逃げようだなんぞと、けしからんこと企むでねぇだぞ。ヒトは、生まれた土地で自分の分さ弁えて生きてくのが、いっとう幸せなんだ」
言いたいことだけ勝手に言うと、老婆はさっさと立ち去っていった。
11.
「なによ、あれ」
マグナが顔を顰める。
「なんだか、少し怖い感じのお婆さんでしたね」
とシェラ。
「さっすがヴァイスくん。お婆ちゃんにもモテモテだね!」
そりゃ嫌味か、リィナ。
それにしても、魔法の玉か。結構な威力みたいだし、なんかの役に立つかもな。
爆発事故のことを話すと、他の三人も噂で聞いた様子だった。
「多分、あそこにいるのは、その魔法の玉を研究してる魔法使いなんだろ。強い魔物が出た時の対抗手段になるかも知れねぇし、話を聞いといて損はないかもな。鍵がかかってるとか言ってたが——」
「開ける?」
リィナは隠しからバコタの錠前外しを取り出した。持ち歩いてんのかよ。
「いいから、仕舞いなさい。勝手に鍵を開けて、他人の家に入っていいわけないでしょ」
マグナにあっさり却下された。
極めて常識的な発言なのに、とんでもなく身も蓋も無いことを言われたような気がするのは、いったい何故だろう?
「大体、いつ暴発するか分からないようなもの、危なっかしくて持ち歩けないわよ。それより、そろそろお昼にしない?お腹空いちゃった。ヴァイスも、まだでしょ?」
言われてみれば、何も食べずに出てきてしまった。リィナやシェラにも異存は無いようだ。
この村には、飲食店なんて気の利いたモノは存在しない。
他に選択肢もなく、宿屋に戻った俺達を、ちょっとした事件が待ち受けていた。
12.
「え、あの真ん中の人なの?」
宿屋に入ると、帳場でおばさんと話していた少年、というか幼児が、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
「こんにちわ」
ぺこりと頭を下げる。
「こんにちは。偉いね、ご挨拶できるんだ」
しゃがんで頭を撫でるシェラ。まぁ、挨拶ができないほど幼くはないと思うぞ。
くすぐったそうにしながら、少年は目を輝かせてマグナを見上げる。
「えっと……マグナさんは、勇者なんでしょ!?」
「え?」
帳場の向こうで、宿のおばさんが小さくお辞儀をするのが見えた。
今日のマグナは普段着だ。おばさんは昨日、宿に着いた際にマグナの勇者姿を見ているから、名前と共に少年に伝えたのだろう。
「……ええ、そうよ」
「マグナさんは……女の人?」
ちょっと間が空いた。俺は後ろに立っているので表情を窺えないが、ほぼ確実に、マグナの顔は引きつっている。
「……えぇえ。男の人にみえちゃうかしら?」
声が微妙に震えている。落ち着け。相手はガキだ。
「ううん。女の人に見える。すごいよね!女の人なのに、魔物をやっつけてるんでしょ!?」
「え、まぁ……」
戸惑った声を出す。こいつ、子供の相手は苦手そうだな。
「えらいなぁ。たくさん、たくさん、魔物をやっつけてね!」
「ありがと。うん、頑張るね」
優しく言って、子供の頭を撫でる。調子を取り戻して、勇者としての対応に切り替えたか。
「お願いね!絶対だよ!」
「うん、分かった。お姉ちゃん、頑張るから」
少年は、急に口を尖らせて、泣きそうな顔になった。
「ホントに……お願いだよ」
ヒックヒックとしゃくり上げる。
あらあらどうしたの、とか言いながら、マグナは軽く抱き締めて背中をポンポンと叩いた。
「あいつら……ボクの、お父さんとお母さんを……」
「……そっか」
この時点で、俺は漠然とした不安を覚えていた。
13.
マグナはしゃがみ込んで、少年と指切りをする。
「はい、約束。きっと、お父さんとお母さんの敵を取ってあげるからね」
マグナが頭を撫でてやると、少年は泣きながらくしゃっと笑顔を浮かべた。
「うん……あり、がと……」
そして、さらに火がついたように泣き出してしまう。
「あぁもう、ほら、いい子いい子……シェラ、ちょっとこの子を落ち着かせてあげてくれる?」
「あ、はい。じゃあ、ぼく。あっちの椅子の方に行こうか」
「ボクも~」
シェラとリィナは、子供を挟むようにして、帳場近くの椅子に連れていく。
立ち上がって、それを見送るマグナの背中に声をかけるのが、何故か躊躇われた。
お前、今、どんな顔してるんだ?
「……大丈夫か?」
思い切って肩を叩くと、平素と変わらない顔がこちらを向いた。
「ん?なにが?」
錯覚、だったのか。
「いや、だって……」
「ああ、あれ?あたし、子供って苦手なのよね。その点、シェラは得意そうじゃない?リィナもね。だから——」
「いや、そうじゃなくて」
「なんて顔してんのよ。あ——そういうことか。もしかして、心配してくれてるの?」
俺を見上げて、マグナはにや~っと笑った。
「だって、そりゃ……」
「あたしが、その気も無いのにいたいけな子供に嘘ついて、罪の意識を感じてる、とか?」
俺が返答に窮していると、マグナは軽く胸を小突いてきた。
「心配してくれて、ありがと。お礼は言っとくけど、大丈夫よ。こんなの、あたしにとっては日常茶飯事なんだから。いちいち気にしてたら、身がもたないわ」
それは——そうなのだろう。
マグナは、さっきの少年と同じような言葉を、ずっと周囲の人間から聞かされ続けて、これまで生きてきたのだろうから。
「それに、まるきり嘘って訳でもないしね。ここに来るまでだって、魔物はたくさんたくさん斃してきたじゃない」
冗談めかした台詞。
考え過ぎ、か。俺の悪い癖だな。
14.
マグナが気にしていないのなら、俺がヘンに心配しても、余計な負担になるだけだろう。
「泣き止んだみたいね。やっぱりシェラ、あやすの上手なんだ。なんかちょっと複雑かも」
また、笑った。
「さ、早くお昼食べましょ。あたし、もうお腹ぺこぺこなんだから」
「ジツは、俺もだ。朝からなんも食べてねぇや。そういや」
「あんたはぐーすか寝てたからでしょ。あたし達は、ちゃんと食べたわよ」
「なのに、もう腹が減ったのかよ」
「うるっさいわね。いいでしょ!育ち盛りなの!」
「そいつは結構だが、ちゃんと場所を選んで育てろよ」
俺が視線を落とすと、マグナは両腕で胸を隠した。
「ちょっと、どこ見て言ってんのよ!?変態。すけべ」
「いやいや、大事なことだぜ。ちょうど、身近にいい先生がいるじゃねぇか。どうすればあんなに大きく育つのか、いっちょ教えを……」
「言っとくけどね、リィナが大き過ぎるの!!あたしは普通!!」
「ボク?なにが~?」
「なんでもないっ!!ほら、お昼にするわよ!」
プンスカ怒りながら、食堂の方に歩いていく。
平手打ちくらいは覚悟してたんだが、まぁ、こんなところか。
15.
予定を繰り上げて、その日の内に俺達は出発した。
マグナに理由を尋ねると、「だって、見るトコなんにもないんだもん」とのことだ。
レーベの宿を出た時、力一杯手を振って見送る少年に、笑顔で手を振り返していたマグナは、その後も相変わらず明るかった。どことなく空元気のようにも感じられたが、それはやはり、俺の考え過ぎなのだろう。
魔物を撃退しつつ何日か歩くと、山岳地帯に差し掛かった。近頃は、この辺りまで遠征する冒険者も多いようで、思ったより強力な魔物と出くわさずに済んだのは幸いだった。むしろ山だけに、道行の方が苦労した。
ただ、いくつ目かの山をようやく越えて麓の森に一旦下りたところで、うっかりバブルスライムの群棲地帯に足を踏み入れてしまった時には、エラい目にあった。後から後から、リィナでも捌き切れない数のバブルスライムが、堰を切って溢れたように襲ってきたのだ。
この時ばかりは、シェラもひのきの棒を削り出した杖を必死に振り回したが、所詮は焼け石に水というか、全然無意味だった。全員毒をくらいながら、最後は命からがら逃げ出した。
お陰で毒消し草の残りが、かなり心許なくなっちまった。早くシェラがキアリーを覚えてくれるといいんだが、まだもうしばらく先になりそうだな。
そして、森に入って三日目の夜——
半覚醒した俺は、パチパチと爆ぜる焚き火の音で目を覚ました。
体の感じからすると、ほとんど眠っていない。なんで起きちまったかな。まぁ、元から眠りが浅いから、タマにこういうことはあるんだが。
夕方になって、少し森が開けた場所を見つけた俺達は、その辺りで拾ってきた椅子代わりの倒木で四角く囲んで、焚き火をおこした。
飯を食って夜になり、いつも通りに交代で火の番をすることにして、マグナ以外の三人が丸太を挟んで焚き火の反対側に身を横たえてから、多分いくらも経ってない。
一旦目が覚めてしまうと、疲れている分、却って眠れそうな気配が無かった。
16.
俺から見て右手側、こっちに足を向けて寝ているリィナの、もうすっかり聞き慣れた鼾が聞こえる。寝息の延長のような可愛いものだが、このネタでからかうと、いつも飄々としているあいつにしては、珍しく少しムキになるので面白い。
左手側に頭が見えているシェラの方を覗くと、泥のように眠っていた。
『大丈夫です。歩くのは慣れてますから』
本人は気丈に言ったものの、特に山に入ってからはキツかっただろう。戦闘で役に立たない分、せめて足手まといにはなりたくないという気持ちは分かるが、ここのところ明らかに無理をしている。
どの道、火の番は無理だから、俺とマグナとリィナで回しているが——シェラは自分もやると言い張ったが、悪いけど任せらんねぇ——ひと晩寝ても、最近は疲労が抜け切っていないようだ。
地図の上では、もうひと山越せばあと一息で山岳地帯は抜ける筈だ。正直、俺も疲れてるけど、なんとか頑張って乗り越えようぜ。
シェラの淡い金髪を軽く撫でようかと思い、起こしちゃ悪いのでやっぱり止めて、俺は焚き火の方を見た。
魔物にも、火はある程度有効だ。それでも襲ってくることはあるが、焚き火を絶やさずにおけば、その危険は随分と小さくなる。今も、薪の爆ぜる音の他は、夜行性の鳥の鳴く声や微風に揺れる梢の葉音、それとリィナの寝息くらいしか聞こえない。近くに魔物は居ないだろう。
焚き火越しに、丸太に腰掛けたマグナが見える——ん?寝てるのか?
マグナは、膝に肘をついて、組んだ両手を額に当てて身を屈めていた。
丸太を跨いで腰を下ろし、昼間の内に水筒に汲んでおいた水を、俺は足元のコップに注ぐ。
「まだ、交代の時間じゃないわよ」
二口ほど飲んだところで、顔を伏せたままマグナが囁いた。
「ああ。なんか知らんが、目が覚めちまった」
「……そう」
それきり黙り込む。
昼間とやけに様子が違うな。
17.
何か声をかけるべきだろうかと思案しながら、しばらく揺れる炎を見つめていると、また不意にマグナが囁いた。
「ごめん……」
最初、マグナが何を言ってるのか分からなかった。
ちょっと待て。お前、今、ご免て言ったのか?
俺に対してそんな台詞、初めて聞いた気がするぞ。
つか、何が。
俺が目をパチクリさせていると——
「なんでもない……忘れて」
沈んだ声でそう言って、組んだ両手で額を軽く二、三度打った。
いよいよ大丈夫じゃねぇな。
「どうした。なんかあったのか?」
我ながら、凄まじく気の利かない台詞を吐く。
「別に……」
短ぇ。取り付く島も無い。と思ったら。
「……ちょっと、落ち込んでるだけ」
落ち込んでるだけ、か。それにしても、随分と唐突に感じるが。
俺の怪訝な表情を、俯きながらちらりと見たのだろう。
「なによ。あたしが落ち込んでちゃ、そんなにおかしい?」
顔を上げて、少しだけいつもの口調で言った。
「いや、そういう訳じゃないけどな。ただ、落ち込む理由がよく分からん」
なんとなく想像はつくけどな。もしかしてこいつは、これまでの道中でも、火の番をしながらこんな風に落ち込んでいたのだろうか。
ややあって、マグナは小声で囁く。
「ずっと……こうなの。いつもは平気なんだけど、なんていうのかな……周期的に?すっごい落ち込んじゃう時があるの。もう、ずっとこう……」
月のモノか?
とは口に出せなかった。そんな雰囲気じゃねぇよ。
「アリアハンのお城を出た時は、今までにないくらい凄い気分がよくて、もう大丈夫かなって思ってたんだけど……やっぱり、駄目。ひとりになると、駄目みたい。考えちゃって……」
おいおい、どうしたんだ、マグナ。そんな頼りなげな様子じゃ、その……普通の女の子みたいに見えるぞ。
「ねぇ……そっちに行っていい?」
18.
気を落ち着かせようとして、ちょうど口に含んでいた水を噴き出しそうになった。声を立てないように堪えたので、フゴッとか変な音と共に鼻から水が滴る。
「ばっ……!ちょっと、違うわよ!あんまり大きい声で喋ってたら、二人を起こしちゃうでしょ!?隣りだったら、小さい声で話せるからってだけで、なんにもヘンな意味じゃないんだから!……もう、いい!」
囁き声でそう怒鳴り、頬杖をついてそっぽを向くマグナ。
どうやら、今のはマグナと付き合っていく上で、とても大事な話のようだ。いや、付き合うといっても交際という意味じゃなくてだな、とにかくそう思った俺は、鼻の下をぬぐいながら立ち上がった。どうにも様にならないが。
焚き火を回り込んで、そっぽを向いた視線上、マグナの隣りに腰を下ろす。
「なによ」
「なにが?」
マグナは、ぷーっと頬を膨らませる。こういうトコはガキだな。
「もう、いいってば。喋る気分じゃなくなった」
「……そっか。まぁ、もしまたその気になったら、話せよ。交代の時間まで、ここに居るからさ」
小声で言って、俺はまたぼんやりと焚き火を眺めた。
刻々と姿を変え続ける炎の踊りにもやがて飽きて、頭上を見上げる。
快晴だ。
充分に開けた森の合間から覗く、満天の星空。
夜空に浮かぶ数え切れない星々を見つめていると、距離感を喪失する。
すぐ手を伸ばせば届くような、どこまで伸ばしても届かないような——
「さっきね……」
焚き火に薪を放りながら、マグナが口を開いた。
「ごめん、って言ったでしょ?」
「ああ」
「あれ、言おうと思って言ったんじゃないの。悪いけど、多分ヴァイスに言った訳でもなくて、つい口をついたっていうか……タマにね、そういう気分になるの」
「うん」
「ごめんなさいごめんなさいって、いろんなことに、全部すっごく申し訳ない気分になって……落ち込むの」
「……ああ」
「だって、そうだよね。あたし、勝手なことばっかりしてるから。お城に泥棒に入ったのだって、ヴァイスにあんなに止められたのに。結局、シェラにもあんなに危ないことさせて、あのペップって人だって、あたしがあんなこと考えなければ、あんなことしなかった筈でしょ」
「まぁ、どうかな」
19.
「なんで、あんなにムキになってたんだろ……あたしのすることは、全部ぜんぶ自分勝手なの。だって、そう言われたもん。いっつも人に迷惑かけてばっかり。期待には、なにひとつ応える気も無いクセに、迷惑だけは、いろんな人にかけてるの……」
「……」
やっぱり、その辺りか。
「あたし、何やってんだろ。このままでいいのかな?あたし……」
マグナは、少しつまった。
「みんな、あんなに期待してるのに。勇者様勇者様って、すっごい期待してるの。魔王を倒して平和を取り戻すの。あたし、勇者なんだって」
マグナは、泣き笑いのような表情をした。
「だけど、あたしは勇者じゃない。勇者はあたしの父親で、あたしは勇者なんかじゃない。魔王なんて、倒せないよ。怖いの。だって、当たり前でしょ?誰に聞いたって立派としか言わないあの人だって、倒せなかったのよ!?あたしなんかに、倒せる訳ないじゃない。無駄死にするだけよ」
「……かもな」
「ううん、違うの。魔王が怖いんじゃないの。もちろん死ぬのは怖いけど、それとも違う。だって、小さい頃は、魔王も死ぬことも、よく分かってなかったから」
少しだけ、間が空いた。
「ただ、みんながあたしのことを、あたしのことなのに、勝手に勇者って決め付けるのが我慢できなかった。他人に、自分のことを決められるのが嫌だったの」
「うん」
「でも今は、死ぬのが怖い。そうしなさいってみんなに言われて、流されるままに勇者として魔王に挑んで、それであっさり死んじゃうのが怖いの」
「そうか」
「だって、それのどこにあたしがいるの?そのあっさり死んじゃう勇者は、みんなが欲しがってる勇者で、あたしじゃない。ねぇ、あたしの人生なのに、あたしがどこにもいないまま終わっちゃうんだよ?」
「……」
「あたしは嫌よ、そんなの。でもね、そう言うと、みんな怒るの。なんてとんでもないヒドいことを言うんだって。お前にしかできないことなんだって……嘘ばっかり。みんなは、あたしじゃなくたって、とにかくそれが誰だって、勇者さえいれば、それでいいくせに」
20.
「かもな」
「……ううん。やっぱり、あたしはヒドいんだよ。嘘をついてるのは、みんなじゃなくって、あたしだもん」
マグナは、ちょっと頭を振った。
「ホントに嫌。嘘なんて言いたくないのに。でも、嘘をつかなきゃ許してくれないの。そんなの嫌って、勇者としてあっさり死んじゃうなんて嫌って言っても、誰も許してくれない。嘘をつきたくなくて黙っててもダメ。うんって言いなさいって、すごい責められるの」
「ああ」
「だから、あたしは嘘をついたわ。ぜんぜん守る気がない約束も、平気でできちゃうの。ヒドいよね。泣いて頼んでる子供に、嘘をついてもへっちゃらになっちゃった。ホント最低。最悪。自分が嫌になる。でも……だって、他にどうしろって言うのよ!?」
矢張り——日常茶飯事の出来事は、その場ですぐに解消されることもなく、全てマグナの中に溜め込まれてきたのだ。
「ねぇ、これでいいの?このままでいいの、あたし?勇者なのに、魔王を倒そうともしないで、知らん振りして……誰も知らないところに逃げようとして……このままでいいのかな?あたし、ホントにこのままでいいの?」
マグナが、俺の横顔を見つめているのが、視界の端に見えた。
これまでの人生で何度、同じような自問自答を繰り返してきたのだろうか。
俺は——答えられなかった。
『いいんじゃないか?』
そう口に出そうとして、いざとなったらマグナが溜め込んできた想いの量に気圧されて、軽々しくそんな言葉を吐いていいのかなどと余計なことを考えて——何も言えなかった。
マグナの抱えるジレンマについて、それなりに想像がついていた筈なのに。俺に出来るのは、せいぜい話を聞いてやることだけだ。そんな風に簡単に捉えて、何も真面目に考えていなかった。応える言葉のひとつも持っていない。俺は——莫迦だ。
また、考え過ぎている。『いいんだよ』と口にするには、マグナが吐露した想いと同じ量の覚悟が必要だなどと。小賢しい。
言いたいなら、言えばいいんだ。
良いとも悪いとも言えないのに、ただ黙っていることにも耐えられず。
俺は、マグナを抱き締めた。
後ろめたさが胸を満たす。
これは単なる——卑劣な誤魔化しだ。
俺の内心など、筒抜けなのだろう。当たり前だ。マグナは何もせず、ただ俺が抱き締めるに任せた。
21.
浅はかな己れを糊塗するように、俺はさらに強くマグナを抱き締める——本当に度し難い。
「……くるしい」
「あ、ああ、すまん」
俺は、慌てて腕を解いた。
マグナが、凝っと俺の目を見つめている。
俺は——目を逸らさずにいるのが、精一杯だった。
「……いいに決まってるわ」
軽く息を整え、ついと視線を焚き火に戻して、マグナはまた薪を放りながら言った。
「ずっと考えて、それでいいと自分で思って、ずっとそうしてきたんだから、いいに決まってるじゃない」
俺の返事など、最初から諦めていたように——これでは、自問自答と何も変わらない。
「大体、なんなのよ。あいつら、勇者っていえば超人か何かと勘違いしてんのよ。こんなか弱い女の子をつかまえてさ。魔王を滅ぼしたいなら、自分でやったらいいじゃない」
マグナは、ほとんどいつもの調子に戻っていた。
「まったくな」
「でしょ!?ほんっと、いい迷惑!こんな女の子に全部責任押し付けて、のうのうと暮らしていられる神経が理解できないわ。王様とかも、勝手に軍隊でもなんでも送って、ちゃっちゃと魔王くらい倒したらいいのよ。ふんぞり返ってるだけで、自分じゃなにもしない癖に」
幾度かのその試みが、全て失敗に終わったことを知りつつ、軽口に迎合してほっとする——俺は、最悪だ。
「ホント、そうだよな」
「そうよ、勝手にしたらいいのよ。自分達で。あたしは、知らない!」
マグナは立ち上がり、ん~っと伸びをした。
こちらを振り向いて、にこっと笑う。
「聞いてくれて、ありがと。ちょっとスッキリした」
後ろめたさが冷たく胃に落ちる。
「まぁ、愚痴くらいなら、いつでも聞いてやるよ」
それすら、ロクに出来なかった役立たずの台詞じゃないな。
「うん、また言っちゃうかも。こんなこと、ヴァイスにしか話せないしね」
俺は、息を呑んだ。
「って、違うから。そういうんじゃないんだからね?この話は、あんたしか知らないから、それだけで——」
「ああ、分かってるよ」
そう、分かってる。
マグナにとって、俺は特別なのだ。
22.
ただし、特別なのは俺「だから」、ではないけれど。
あの時、はじめて出会った時、森にいたのが俺ではなくリィナだったら、リィナがこうしてマグナの話を聞いただろう。シェラでも、他の誰でも同じことだ。
マグナには、ひた隠してきた内心を打ち明けることのできる相手が必要だった。もう、ずっと前から。
必要だったし、マグナ自身も欲していた筈だ。そうでなければ、出会ったあの時、不用意な独り言を俺に聞かれて、もっと狼狽した筈なのだ。ずっと秘めていた内心を知られて、もっと慌てなくてはおかしいのだ。
だが、マグナは大した逡巡もなく、俺を道連れにした。
あの時から、今日の話相手は俺に決まっていたのだ。たとえ、それがたまたまだったとしても、他の誰でも構わなかったとしても、ともかく今この時、マグナにとって俺は特別だった。
それなのに、これまで幾度と無く繰り返されてきたであろう自問自答と、全く同じことをさせてしまった。いつもと同じ結論を自分で導いて、マグナは己を立て直した。
俺は、なにもしなかった。
何も出来ずに、こんな様を晒している。
このまま、何も応える言葉を持たないままで、いい訳がない。
これからも、こいつと共に行くつもりがあるのなら——
「すごい星空ね」
マグナは、再び腰を下ろした。
さっきまでより、少し近かった。
服越しに感じるマグナは、普通の女の子と変わらない。細くて、小さくて、暖かかった。
23.
「ああ。しばらくは晴れが続きそうだな」
「助かるわ。雨なんて降ったら、ここの地面なんてドロドロになっちゃいそうだもん」
「っても、またすぐ山越えだからな。山の天気は変わりやすいぜ」
「……あんたって、すぐそういうこと言うわよね」
「心配性なもんで。誰かさんが猪突猛進だから、バランス取れていいだろ」
「……誰が何ですって?」
「お前が、いのしし」
「そのまま言う、普通?大体、心配性も度が過ぎるとね、下手な考え休むに似たりなの。あんたのはソレ」
「よく分かってんじゃん」
「……なに急に素直になってんのよ。気持ち悪い」
「気持ち悪いって。そういう言い方は、お前、人を傷つけるぞ?」
「嘘ばっかり。いっつも適当に聞き流してる癖に」
「……まぁ、雨が降らないに越したことはないよな」
「なに話を逸らしてんのよ」
「いや、戻したんだ」
「……ほら、そんなことばっかり」
「いやいや、だって雨なんて降ったら、特にシェラなんか一層ツラくなっちまうだろ。あいつもう、かなり限界だぜ」
「ふ~ん……優しいんだ」
「今ごろ気付いたのかよ」
「……あのね、意味が違うの!ホント、適当なことばっかり。もう馬鹿馬鹿しいったら」
ハァ、とマグナは溜息を吐く。
24.
そして俺達は、隣り合って座ったまま、しばらく星空を仰ぎ続けた。
この空は、どこまでも続いている。魔王バラモスも、同じ空の下——
いつか俺はマグナの話相手を、まともに務めるようになるのだろうか。
「なぁ」
「……ん~?」
「周りに俺しかいない時は、ぶっちゃけていいんだぜ。色々と、さ」
「……ぅん」
「今度はちゃんと話し相手になるよ。いつでも」
「ん……ありがと」
返事にやや遅れて、マグナの頭がこつんと俺の肩に乗せられた。
すーすーという寝息が聞こえる。
起こさないように気をつけながら横を向くと、そこには歳相応の、まだ幼い寝顔があった。
交代まで、もう少し時間はあるけど、しょうがねぇな。
俺はそっと足元の薪を拾い、踊り続ける炎に向かって放り投げた。