3. Controversy
1.
「へ~、結構片付いてるねぇ」
「違うわよ。これは物が何もないって言うの」
ナジミの塔でバコタの鍵、というか錠前外しを手に入れた俺達は、アリアハン城下に戻っていた。
「食器とか、一組しかないですね。どうしましょうか」
「お客の分くらい、用意しときなさいよね。あ、でも誰も来ないか。あんた、友達少なそうだもんね」
ようやく多少はマシになってきたが、ナジミの塔の爺さんと話して以来、マグナはずっと不機嫌だ。
塔から出る時も、「ルーラくらい使えないの?ほんっとに役に立たないわね」などと無茶な文句を俺に言った。ルーラなんて使えたら、立派に上級魔法使いだっての。
「ベッドもひとつしかないよ。ちょっと狭いけど、みんなで一緒に寝る?」
「あり得ないこと言わないで。ひとりはソファーで寝るとして……あんたは、玄関か廊下で寝なさいよ」
結局、行きと同じく徒歩で数日かけて戻ってきた勇者様ご一行は、なぜか俺のウチに転がり込んでいたりする。もちろん持ち家じゃなく、安くて小汚い、単なる貸し部屋だ。
ナジミの塔への往復で、報奨金もそこそこ稼げたことだし、こんな一部屋しかないような俺のねぐらでなく、素直に宿屋に泊まればいいと思うんだが。
金がもったいないというのなら、せめてマグナの家でやっかいになりゃいいんだ。「マグナのお母さんに会ってみたい」とリィナも主張したことだし。だが、リーダーが「ぜぇったいにイヤ!」と言い張るので仕方が無い。
まぁ、マグナがこれからしようとしている話の内容が、俺の考えている通りだとしたら、おっかないお袋さんの耳に入る危険を回避する為に、自宅を避けたがるのも無理からぬことかも知れないが。
「食べ物の買い置きも、全然無いみたいですね。後で買出しに行かないと」
「ホントに、何もないのねぇ」
どうでもいいが、お前ら無遠慮に家捜ししてんじゃねーよ。まぁ、見られて困るような物は、何もないけどな。
「あ、ベッドに長い髪はっけーん」
おいおい、リィナ。お前はそういうキャラだったのか?
お前に睨まれる筋合いはねぇよ、マグナ。不機嫌の八つ当たりなら、そろそろいい加減にしてくれ。
2.
「バコタの鍵は手に入れた。で、次はどうするんだ?」
放っておくとキリがないので、俺は家捜しを無理矢理打ち切らせて、テーブル——と言っても、備え付けの小さいサイドテーブルだが——の周りに全員を集合させた。
マグナがソファーに、リィナとシェラは並んでベッドの端に腰をかけ、何故か俺だけが壁に背をあずけて立っている。
ここ、俺の部屋なんですけど。
「ん~……そうねぇ」
マグナは、どう話を切り出そうか考えるように上を向いた。
「ヴァイスは知ってると思うけど……あの日、みんなと出会う前に、あたしは魔王退治に出発することを、王様に報告に行ったのね。で、王様は旅の支度金をくれたんだけど……」
マグナはドンとサイドテーブルを叩く。叩く物があってよかったな。部屋の持ち主に感謝しろよ。
「これがなんと、50ゴールドよ、ごじゅうゴールド!?魔王を退治してやろうっていう勇者に、王様が渡す額じゃないと思わない?それっぽっちで、どうやって装備を整えて旅をしろっていうのよ!?」
やはり、俺が怖れていた通りの展開らしい。
それにしても、他の二人にどう説明するのかと思っていたら。
「だから、足りない分はお城の宝物庫から、勝手にもらうことにします」
チョクだよ、チョク。マジか、こいつ。
「え……でも、それって泥棒なんじゃ……」
おずおずと、シェラが当たり前の反論を口にする。
ひょっとして、それが犯罪行為だと認識していなかっただけで、指摘されてはじめて気付いて、慌てて前言を翻すのではないか。そんな希望的観測も少しは抱いていたのだが、案の定、そうは問屋が卸さなかった。
「ううん、違うの。あのね、これは王様も承知の上のことなのよ。試練って言えばいいのかな」
はぁ?何を言い出すんだ、こいつは。
3.
「気付かれないように宝物庫から持ち出した物は、もらっていい約束になってるの」
「へぇ。それで、バコタの鍵が必要だったんだ」
リィナの横槍に、マグナは頷いてみせる。
「そういうこと。最初から大金を渡すのは簡単だけど、勇者としてのあたしの能力とか機転を計る為の試験みたいなことをしたいらしいのよ。ホント回りくどいけど、実際にお金を出してくれる王様が、そう言うんじゃ仕方ないわ」
「そうだったんですか……ちょっとびっくりしちゃいました」
ホッと胸を撫で下ろすシェラに、マグナは人差し指を向けた。
「シェラには、特に重要な役をしてもらうから、そのつもりでね」
「え、ホントですか?はい、お役に立てるように頑張ります!」
嬉しそうな顔しちゃって、まぁ。
「ボクは~?」
「リィナも、すっごく重要よ。なんたって、肝心の鍵開けを担当してもらうんだから。練習して、どんな鍵でも十数える間に開けられるようになってもらうわよ」
「りょうかい~。まぁ、なんとかなると思うよ」
マグナは、ちらりと俺に目をくれた。
「あんたは、その他雑用」
いや、まぁ、それは別にいいんだが。
「ちょっと、いいか?」
俺は、玄関の方に顎をしゃくってみせた。
「なによ」
「いいから、ちょっと来い」
会話の最中、なるべく俺と目を合わせないようにしていたから、察しはついているのだろう。俺が壁から身を離すと、嫌々ながらついてきた。
「悪いな。水の汲み置きと茶っ葉がまだ少し残ってる筈だから、お茶でも飲んで待っててくれ」
シェラとリィナに声をかけ、俺はマグナを連れて外に出た。
4.
「で、なによ、話って」
玄関から少し離れて早速、マグナはそっぽを向いたまま尋ねてきた。
夕暮れ過ぎた薄暗い路地を見回して、他に人目がないことを確認してから詰問する。
「さっきの試練とかいうの、全部嘘だろ」
答えない。やっぱりな。
自分でも意識せず、俺は溜め息を吐いていた。
「あのな、王様がケチだってのは、俺も認めるよ。百歩譲って、勇者が魔王退治の為に必要だから、お宝をくすねるってんなら、まだいいとしよう」
良くねぇけどな。
「でもな、お前は魔王退治に行くつもりはないんだろ?勇者としての役目を果たすつもりがない訳だ。だったら、お前がしようとしてるのは、何の言い訳もできない、単なる犯罪行為だぞ。分かってんのか?」
俺は、常識やら正義感から、こんなことを言ってる訳じゃない。
単に巻き添えでとっ捕まるのが嫌なのだ。
城の宝物庫を荒らしたら、勇者だろうがなんだろうが、只で済む筈がないのは分かりきっている。なんとか説得しないと、揃ってお縄頂戴なんてことになったら目も当てられない。
「それに、万が一捕まってみろ。今まで苦労して築き上げてきた、お前の勇者としての立場も台無しじゃねぇか。それだけは避けたいんじゃなかったのか?」
だんまりを決め込んで、全く反論してこないマグナの様子が不気味だが、多少は俺の言葉が響いているのだろうか。
5.
「悪いこた言わねぇから、考え直せよ。旅の資金なら、そこそこ稼げただろ。まだ足りないってんなら、もう何回か狩りに出てもいいし——」
「……もういい」
「は?」
ムキになって言い返してくるかと思いきや、予想外に力無い声だった。
「もういい。あんたには頼まないから」
「いや、俺がどうとかじゃなくてだな……」
「結局、あんたも同じよね」
何が。
「だから、もういいってば。あたし達だけでやるから、あんたは勝手にすれば」
結局、最後まで俺と目を合わせようとしないまま、マグナは踵を返して部屋に戻っていった。
シェラとリィナを呼んで、二人を連れて立ち去ろうとする。
「おい、ちょっと待てよ。どこ行こうってんだよ?」
「もうあんたには関係ないでしょ!?」
それまでとは打って変わった、堪えていたものを吐き出すような、悲鳴じみた拒絶。
「え?なになに、どうしたの?」
振り向きもせず遠ざかるマグナに、リィナは小首を傾げながらついていく。
俺とマグナをきょろきょろ見比べて泣きそうな顔をしながら、一足遅れてシェラも後を追った。
ひとり取り残された俺はといえば、放心状態だ。
一体、なんなんだ。何いきなりキレてんだ。
お前の秘密を知った俺は、目の届くところに置いておくんじゃなかったのかよ。
訳分かんねぇ。勝手にしろよ、畜生。
6.
カチャカチャと、食器の触れ合う音がする。
トタトタと、誰かが立てる足音が聞こえる。
自分の部屋ではついぞ聞き慣れない生活音で目を覚ました俺の鼻腔に、これまた嗅ぎ慣れない料理のいい匂いが漂い届く。
身を起こそうとして果たせず、半分眠りながら唸り声をあげた。
頭の芯が重い。二日酔いという程じゃないが、昨日の酒が抜け切っていないらしい。
我ながら、ここんとこ毎日飲みすぎたな。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいました?」
うつ伏せで枕に顔を埋めていた俺は、のろくさと声の方を向いて——硬直した。
あり得ない光景を目撃したからだ。
「ちょっと待ってくださいね。今、お水を持ってきますから」
トテトテと軽い足音が遠ざかる。
固まり続ける俺の前に、水の入ったコップが両手を添えて差し出された。
「はい。零さないように、気をつけてくださいね」
「……ああ」
やっとのことで身を起こし、こんなところに存在する筈の無いソレから、コップを受け取る。
ソレは、城を訪れた際に目にしたはしためと同じ格好——つまり、平たく言えば、メイド服を着ていた。
……なんで、ウチにいきなりメイドがいるんだ?
今までの冴えない人生は全部夢で、目を覚ましてみれば、本当の俺はメイドに囲まれるような左団扇の大金持ちだったとか。
そんな訳ねーよ。
寝惚け眼に映っているのは、相も変わらず貧乏臭い俺の部屋だし、メイド服の上に乗っかってるのは、数日振りに目にするシェラの顔だった。
「具合はどうですか。すごい顔してますよ?」
俺の顔を覗き込んで、クスッと笑う。
「いっぱい転がってたお酒の瓶とか、勝手に片付けちゃいましたけど……あれ、全部飲んだんですか?」
「……まぁな」
「あんまり飲み過ぎちゃダメですよ?お酒飲んで遅くまで寝てるなんて、飲んだくれの人みたいです。ほら、もうお昼過ぎてるんですから」
そう言って、シェラは薄っぺらいカーテンを引き開けた。
差し込む陽光に金髪が輝いて、まるで一枚の絵のようだ。って、何を恥ずかしいこと考えてんだ、俺は。
まだ頭が起きてねぇな。
7.
それにしても、なんというか、まぁ阿呆みたいにメイド服がよく似合っているのだった。
ちょっとした犯罪だろ、これ。
まじまじと見つめる俺の視線を取り違えてか、シェラは慌てて言い繕う。
「あ、ごめんなさい。鍵が開いてたから、勝手にお邪魔しちゃいました。その……ご迷惑ですよね」
「いや、それは構わないけど……」
どうせ、盗まれるような物は置いてない。鍵なんてかけておくと、大層なお宝を隠し持ってるんじゃないかと、却って狙われちまうんだ、この辺じゃ。
「お前、その格好……」
「あ、これですか?」
シェラは顔を輝かせて、その場でくるっと回転してみせる。ふわりと舞い上がったスカートが、いい感じだ。
「可愛いですよね、これ。お城で見かけた時から、着てみたいなぁって思ってたんです」
「いや、そうじゃなくて……」
「……やっぱり、似合いませんか?」
「いやいや、似合ってる。すげぇ滅茶苦茶似合ってるよ」
嬉しそうに、両手で頬を包むシェラ。
なんだ、この会話。
「いや、違くて。俺が聞きたいのはだな、なんでそんな格好をしてるのかってことなんだが」
「あ、今ですね、私、お城で住み込みで働いてるんですよ」
はぁ?
「そこで、え~と、夜に兵隊さんがどういう風に見回りしてるかとか調べろって、マグナさんに言いつかって。あと、見回りの兵隊さんと、誰かひとり仲良くなっておけって言われました」
「……ちょっと待ってくれ」
俺はコップの水を飲み干して、眉間を強く抓んだ。しばらく目を瞑っていると、ようやく頭がゆっくりと回りはじめる。
つまり、シェラに内偵させてるってことか。
そこまでやるとは、あのバカ本気だな。
「なるほど、事情はなんとなく分かった。でも、結構危ないんじゃねぇのか、それは。マグナに言われたからって、嫌だったら断ってもいいんだぞ?」
だが、覚えがないほどきっぱりとした表情で、シェラは首を横に振った。
「嫌じゃないです。マグナさんにも同じ心配されましたけど、逆に私が無理にお願いしたくらいで——」
そうなのか。
「私、嬉しいんです。お城の外では、皆さんの足を引っ張ってばっかりだったから。少しでも、こうしてお役に立てるのが、本当に嬉しくて」
8.
俺は目を擦って、改めてシェラを見た。
ほんの数日顔を合わせなかっただけだが、記憶とはまるで別人のように、おどおどとした様子が全く無くなっている。
他人に必要とされると、頑張れるしハリも出る。確かに、そういう部分もあるんだろうが、シェラの態度に変化をもたらしているのは、それだけではないように思えた。
適材適所というべきか。マグナの与えたメイドという役割が、この上なく性に合っていた、というのが大きいんじゃなかろうか。
このままメイドとして雇われていた方が幸せなんじゃないかと感じるほど、生き生きとして見える。メイド服も、異常に似合ってるしな。
でも——俺はちょっと気が重くなるのを覚える。
そういう訳にいかないんだよな、こいつの場合。短期間なら誤魔化せても、どうやったって、ずっとは無理だ。男と露見する時は必ず来るし、そうなればメイドは続けられまい。
本人が望んだとしても、周りが許さない。シェラの抱えるジレンマのほんの一部だけでも、はじめて実感を伴って理解できたような気がした。
そんな俺の内心など、知る由もなく。
「あ、そうそう、冷めない内に召し上がってくださいね。あんまり食欲ないかも知れませんけど、スープなら大丈夫かなと思って」
シェラはあくまでほがらかに、サイドテーブルに供されたスープとパンを示した。
まさか自分の部屋で、起き抜けに飯が食えるとは。有難く頂戴するとしよう。
だが、ウチにこんな食材は置いてなかった筈だが。
「いま、買出しの途中なんです。そこから、ちょっとだけ材料を分けてもらっちゃいました。ナイショですよ?」
シェラは、いたずらっぽく唇に指を当てる。
う~ん、メイド服効果も手伝って、やたら可愛いく見えるんですが。こいつの正体を知らなかったら、子供に興味のない俺でも、少々ヤバかったかも知れん。
しかも、俺が食べ終わる頃合を見計らって、お茶まで淹れてくれる。よく気がつくし、つくづくメイドがハマり役だ。
このまま、気の利くメイドに世話されながら金持ち気取りでくつろぐ案も、実に魅力的なのだが。
あまり先送りしても仕方が無いので、俺は渋々ながら切り出すことにした。
9.
「で、なんだって、あいつ?」
俺の問いかけは全く通じなかったようで、シェラはきょとんとした。
「ん?マグナに言われて、俺の様子を見にきたんじゃないのか?」
「いいえ。ここ何日か、マグナさんには会ってませんよ。えと……何回も会ってるところを誰かに見られて、後で怪しまれると良くないから、必要な時以外は来るなって言われてますから」
「じゃあ、なんでウチに来たんだ?」
「え、あの、それは……」
シェラは、急に恥ずかしそうに俯いた。
「その……誰かに、この服着てるところを見て欲しくて……マグナさんには、絶対この格好では来るなって言われてるし、ヴァイスさんの様子も気になってたから……やっぱり、いけなかったですよね。ごめんなさい」
そーかそーか、とか言いながら、頭を撫でてやりたくなるのを、危うく堪える。
「いや、別に謝るこたないけどな。うん、よく似合ってるよ」
「ホントですか?嬉しいです……ヴァイスさんて、やっぱり優しい」
満点以上の花のような笑顔を向けられては、曖昧にだろうが微笑み返すしかない。
ここ何年か、相手にしてきたのは荒くれやらアバズレばっかりだったから、こいつと居ると、なんか調子狂うわ。
10.
マグナとリィナが泊まっている宿屋の場所を言い置いて、買出しの大きな荷物を抱えたシェラがよたよたと去っていくと、俺の部屋は灯が消えたように静かになった。
常態に戻っただけなのに、どうしようもなくわびしさが倍増した部屋で、俺は再びベッドにごろりと寝転がった。
「——なにがあったか分かりませんけど、仲直りしてくださいね」
出掛けに遠慮がちに口にされた、シェラの台詞を思い起こす。
仲直りって言われてもな。向こうが勝手にキレただけだぜ。
マグナ達と別れてしばらくは、そんな風にしか考えられなかったが、さすがにもう頭も冷えた。
今は、なんでマグナがあんな態度を取ったのか、ある程度分かっているつもりだ。
あいつは直情径行のきらいこそあるものの、頭は悪くない。だから、理屈さえ説けば、城の宝物庫に忍び込むなんていう馬鹿げた真似は止めると、あの時の俺は考えていた。
『完璧な勇者じゃなくちゃいけないから』
自分でそう言っていた癖に、それをぶち壊しにし兼ねない危険を、頑なに犯そうとするマグナが理解できなかった。
あれから数日経って、俺はこう思うようになっている。あいつがやろうとしている暴挙は、行為それ自体よりも、もっと別のところに意義があるんじゃないかと。
思い返せば、俺が言い聞かせた程度のことは、マグナにも当然分かっていた筈だ。そもそも、城に盗みに入るなんて発想からして、最初は単なる思い付きに過ぎなかったのだと思う。
それが本気に変わったのは、おそらくナジミの塔の爺さんと話してからだ。
『勇者って世襲なの?違うでしょ!』
はじめて出会った時、マグナはそう言った。父親が勇者というだけで、自分は何ら特別な人間ではない。その想いは、マグナの拠り所だった筈なのだ。
11.
ところが、ナジミの塔の爺さんは、お告げの話をマグナに聞かせた。ある特定の人物の行動を、間も無くまみえるまだ面識の無い第三者に予言するお告げなど、普通ではない。少なくとも下された時点で、その対象は普通とは言い難い。
お前は『勇者という特別な存在』だ。
まるでそう言われたように、マグナには感じられたのではないか。だから、ナジミの塔からこっち、ずっと不機嫌だったのではないか。
これまで常に、勇者たれと周り中から望まれて、マグナは生きてきた。
勇者として彼女を育てた母親、父親以上の活躍を求める王様、勝手な思い込みで無責任な期待をかける街の人々——己を取り囲み勇者という枠に嵌め込もうとする全て。
彼らは頭ごなしに決め付けているけれども、彼らと何ら変わりないごく普通の存在でしかない自分には、それに応える義理も責任もない。
マグナに辛うじて残された、か細く唯一の逃げ道。それすらも、塞がれたような気持ちに襲われたのではないか。
行き場を失ったマグナの感情は、多分、本人も気付かない内に凝り固まった。
思うに、マグナが冒そうとしているおよそ勇者らしからぬ暴挙は、勇者ではなく自分であり続ける為のせめてもの『抵抗』であり、それを許そうとしてくれなかった全てのものに対する、ちょっとした『しかえし』なのだ。子供じみていて、その分切実な。
そんなマグナの気持ちにも気付かずに、俺は小賢しい自己保身から駄目を押して、ますますあいつを追い詰めちまったって訳だ。
——なんてな。
そこまで考えて、俺は自嘲した。
あいつは、そんな風には考えていないだろう。
虫の居所が悪かったところに、俺なんぞ反対されたもんで、ただ単に意固地になっているだけだろ、どうせ。
まったく、考え過ぎるのは、俺の悪い癖だ。
シェラがカーテンを開けた窓から、外を眺めた。
まだ日が高い。暇だな。酒はシェラに止められたし、他にすることもない。仕方がないから、酒を抜くついでに、ちょっとその辺を散歩してくるかな。
別に、何も目的はないけどな。
12.
あてどもなく街をぶらついた俺の足は、なんとなくシェラに教えられた宿屋に向いた。他に行く当てもなかったし、なんとなくだ。
帳場で適当なことを言って部屋を聞き出し、二階へ昇る。
何故か、俺は扉の前で深呼吸をした。別に、逡巡してる訳じゃないんだぜ。今すぐノックしてやるよ。ほら、した。な?別に、なんてことねぇよ。
「開いてるよ~」
中から聞こえたのは、リィナの声だった。
……はい、開けた。もう、ホント速攻。
部屋には、リィナしか見当たらなかった。肩透かしをくらった気分に——なってない。なる理由がない。
「マグナなら、出かけてるよ」
なんも聞いてねぇし。
珍しく髪を下ろしたリィナは、ベッドの上でこちらも向かずに手元に集中していた。カチン、と音が鳴って、開錠されたそれをポイと放り、別の南京錠に手を伸ばす。リィナの周りには、十個以上の錠前が散らばっていた。
それにしても、なんつーカッコをしとるんだ、こいつは。
上半身は、辛うじて短い肌着を身につけているものの、ヘソは丸出しだし、あぐらをかいた下半身は下着姿だ。
少しは恥じらいを持ちたまへよ、キミ。
よく見ると、そこら中に服やら下着やらが脱ぎ散らかしてある。こいつら、どっちも片付けのできない女か。
しばらく黙って突っ立っていると、またカチン、と音がした。別の錠前を手にとるリィナ。
「へぇ、結構早くなったじゃん」
「うん、まぁねぇ」
気の無いお返事。どうやら、相当集中しているらしい。
無言の刻が流れる。
カチン。次。
「今度のはまた、随分デカいな」
「うん、宝物庫の鍵が、ちょうどこんな感じらしいよ」
ガチン。今度は早い。
「早ぇな。もうバッチリじゃん」
「まぁ、何回も開けてるからね、これ。実際は違う鍵なんだし、もうちょっと練習しとかないと」
見たところ一番デカいその鍵を放り投げ、一息つくのか、リィナは両手を上げて伸びをした。
「ん~~~っ」
ヤバいヤバい。下チチ見えるって。
それにしても、こいつ、こんなにデカかったか?
13.
「ん?」
伸びの姿勢のまま、リィナはこちらに視線を向けた。
「ああ、いつもはサラシを巻いてるんだよ。結構立派に育っちゃったから、動く時は邪魔なんだよね」
いや、聞いてねぇし。
俺が内心で否定したにも関わらず、リィナはにへらっと笑って、肌着の襟をぐいと指で下げてみせた。
谷間丸見えじゃないですか。
「へへ~、ちょっと見てみる?」
瞬間的に引かれた顎は、四分の一くらいで止まった筈だ。
「……大人をからかうんじゃありません」
クール。俺、超クール。
「そだね。他の二人に怒られちゃうしね」
その理由はよく分からんが、ともあれリィナは襟元から指を離して鍵を片付けると、ベッドの上でストレッチを始めた。
「はー、つかれたー。ずっと同じ姿勢でやってたから、体固まっちゃったよ~」
豊かな胸と、引き締まった腰と、健康的な素脚がぐねぐね動いて、なかなかの見物だ。いや、そうでなくて。
どうでもいいが、とんでもなく柔らけぇな、こいつ。左右の脚を完全に水平に開いて上半身をべったりシーツにつけたと思ったら、今度は仰向けになって脚を片方づつピンと伸ばしたまま、肩越しに爪先を頭の上につける。うん、いい眺めだ。いや、だから違くて。
全く思ってもいなかったが、もしかしたらこいつ、案外一番手強いのでは。
14.
「今日は、髪をひっつめてないんだな」
「ほぇ?」
膝を交差させて、あり得ないくらい体を捻りながら、変な声を出すリィナ。
「そっちの方が、なんか大人っぽく見えるな。悪くないぜ」
ぴたりと動きを止めて、なんだか知らんが目を丸くして俺を見る。吃驚しているようにしか見えない。なんだ、この反応?
「いや、でも、ほら、普段は邪魔になっちゃうし」
急に頬に朱がさしたのを誤魔化すように、ストレッチを再開する。
目の前の俺ではない、他の誰かに対して照れたのだ。理由もなく、俺はそう直感した。
少々釈然としないが、これはいちおうポイントを取り返したと考えていいんだろうか。まぁ、からかわれっぱなしじゃ、年長者としてのコケンにかかわるからな。
「マグナは、どこ行ったんだ?」
柔軟を続けるリィナから、それとなく目を逸らし、大して気にもなっていなかったが、間を持たせるつもりで尋ねてみた。
「ん~?知らない。特に何も言ってなかったなぁ」
「そっか」
だから、横目で見んなって、俺。こいつのことだから、絶対気付いてるに決まってるぞ。うわ、しかし、すげぇ体勢だな。おお~、お前、ちょっとそれはヤバいって。うは、やっぱ胸でけぇ。
「あのさ~」
「は?はい?」
やべぇ、声が裏返っちまった。
「キミの方がお兄さんなんだから、キミから仲直りしてあげなきゃダメだよ?」
少々おかしくなっていた俺のテンションは、リィナの台詞で急速に平静を取り戻した。こいつは、あんまりそういうことに口を挟まない奴かと思ってたんだが。
「……ああ、分かってるよ」
よく考えたら、あられもない姿で四つん這いになって背中を反らし爪先を頭につけたりしているリィナを、俺がぼけーっと眺めているこの状況は、いかにもマズい。こんな場面にマグナが帰ってきたら、話が一層こじれそうだ。
とりあえず、表に出るか。
その辺をぶらついて、飯でも食って帰ろう——
「あ、ちょっと待って。ボクも探しに行くよ。ずっと部屋の中に居たら、具合悪くなっちゃうしね」
だから、俺はまだ何とも言ってねぇっての。
15.
下穿きだけはいて部屋から出ようとしたリィナに、上っ張りを羽織るように言い聞かせ、日が暮れたら再び宿屋で落ち合うように取り決めて、俺達は手分けしてマグナを探すことになった。
結果から言うと、夕暮れ時になってもマグナは見つからなかった。
途中で、エラく沢山集まっている野次馬の群れに出くわしたが、そこにもあいつはいなかった。なんでも、どっかの馬鹿が魔法の玉とやらを作るのに失敗して、爆発事故を起こしたのだそうだ。こんな街中で、そんな物騒な実験をするとは、どうかしてるぜ。
「お腹が空いたら、帰ってくるんじゃないかな」
宿屋に戻ると、やはり手ぶらで待っていたリィナが言った。確かに夕飯時だが、お前、犬猫じゃあるまいし。
俺は「また来るわ」と言い置いて、部屋には上がらずに、そのまま帰途についた。
それにしても、あのバカ、どこをほっつき歩いてやがるんだ。顔がそこそこ知れてる筈だから、あまり街中は出歩きたくないんじゃないかと思ってたんだが。
ウチに着く頃には、すっかり日が没していた。
この辺りは、貧乏人向けの適当な造りの貸し部屋が並んでいる。
井戸が遠かったり、なにかと不便なのだが、宿に泊まるよりは圧倒的に安いし、ルイーダの酒場で発行される証明書さえあれば、冒険で不在にした期間は国の援助で部屋代が割り引かれたりするので、ここを拠点にしている冒険者は多い。俺も、そのひとりって訳だ。
細い路地には街灯なんて贅沢な代物はもちろん立っておらず、左右の窓からぽつりぽつりと漏れる灯りと星明りだけが頼りだ。
自分の部屋を目前にして、俺はギクリと足を止めた。
扉の前に、黒い塊を見つけたからだ。誰かが蹲っている。スカート穿いてるから、女だろう。
怖ぇ。玄関口の暗がりに蹲る女というのは、男にとってちょっとした恐怖だ。こっぴどく騙した女に押しかけられるような非道は、身に覚えがないんだが。
足音で気付いてるだろうに、女は顔を上げようとしなかった。抱えた膝の間に顔を伏せて、凝っとしたまま動かない。
ん?あれ、ひょっとして、こいつ——
16.
「マグナ……か?」
ゆっくりと上げられた顔には、待ち疲れが刻まれていた。
「……遅い」
低く掠れた声で言う。
「どこ……行ってたのよ」
いや、どこって言われましても。
「……どうせ、あの女とお酒でも飲んでたんでしょ」
あの女?ああ、ナターシャのことか?なるほど、今日の暇潰しには、そっちの方が良かったかも知れん。
「……帰る」
おい、いきなりかよ。
唐突に立ち上がり、脇を抜けて去ろうとしたマグナの手を、俺は思わず握っていた。
俯いたまま、こちらを向こうとしない。訳分かんねぇな。用事があって来たんじゃないのかよ。
『キミの方がお兄さんなんだから、キミから仲直りしてあげなきゃダメだよ?』
リィナの台詞が、脳裏に蘇る。
はいはい、分かってますよ。
「どこ行ってたっていうか……お前を、探してたんだ」
「……」
無言ですか。
なんなんだ、この状況は。なんで探してたの?とか聞けよ、頼むから。これ以上、俺から何を言やいいんだよ。
その場凌ぎじみた言葉しか、口から出てこない。
「まさか、俺んチの前で膝を抱えてたとはな。どうりで見つからねぇ訳だよ。いつから待ってたんだ?」
「……ちょっと前」
「ちょっと前って、どれくらい」
「……うるさいな。お昼過ぎくらいっ」
どうやら入れ違いだったらしい。
「ばっか、お前、アブねぇなぁ。この辺りはガラ悪ぃんだ。そんなカッコでしゃがみ込んでたら、攫われちまうぞ。俺の部屋、鍵かかってなかったろ?中で待ってりゃよかったんだ」
「……そんなの、知らないもん。別に……ったけど、平気だったもん……なんで、そんなことしか言えないの?」
あ、マズい。マグナから発散されている気配は、アレだ。泣く空気だ。悪かった悪かった、余計なこと言っちまったな、俺。
17.
しかし——
「あんたこそ、お昼からずっとあたしを探してたの?バッカじゃないの?この広い街で、人ひとり探せると思ってんの?」
ようやく俺の方を向いたマグナの瞳には、涙などさっぱり浮かんでいなかった。
あれま。俺は、まだまだこいつを見損なっていたらしい。
「いや、お前、有名人だからさ。案外簡単に見つかるかな~って……まぁ、でも」
「……なによ?」
「そこら辺うろついてても、誰もお前だって気付かないかもな、そのカッコじゃ」
見慣れた勇者の旅装ではなく、ブラウスにスカートというごく普通のいでたちだ。頭には、なにやら可愛い刺繍の入ったスカーフとか巻いていて、道ですれ違っても俺もすぐには気付かないかも知れない。
うん、まぁ、馬子にも衣装ってところか。
「あんたが知ってるカッコが特別で、こっちが普段着なのっ!!」
ですよね。そりゃそうだ。
「なんなのよ、もぉっ!!もっと他に言い方ないの!?似合うよとか、可愛いよとか!!」
「あ、ああ、良く似合ってて可愛いよ」
マグナはムキーッとなって、手足をじたばたさせた。
「なにそれ、そのまんまじゃない!!そんな、いかにも言わされてますみたいな言い方されて、嬉しいとでも思ってんの!?お世辞のひとつくらい、自分で考えなさいよ!!」
あーもーなんなんだよ、めんどくせーなーもー。
俺は掴んだままのマグナの手をたぐり、真面目ぶって軽く引き寄せた。
「ごめんな。お前のそういう格好見るの初めてだったから、ちょっと照れくさかったんだ。うん、すげぇ可愛い。びっくりした」
俺もよく言うよ。
「嘘ばっかり。適当なこと言って……離しなさいよ。そんなつもりじゃないんだから、気持ち悪いわね」
はいはい、仰せのままに。
ぐいと胸を押されて、俺はマグナから身を離した。
18.
お互い、こんなどうでもいい話をするつもりじゃなかった筈だ。
「何か用なんだろ。上がって茶でも飲んでくか?」
「……いい。帰る」
またそれかよ。だから、お前は何をしに来たんだ。なに意地を張ってんだ。
『——なにがあったか分かりませんけど、仲直りしてくださいね』
心配そうなシェラの顔が、頭に浮かぶ。
分かった。分かってるよ。
「ちょっと待てって。俺がお前を探してたのは、その……謝ろうと思ってだな」
嘘だ。俺は、何も考えちゃいなかった。ついさっきまで、こんなことを言うつもりはなかったんだ。
「もう、考え直せとか、止めろとか言わねぇよ」
立ち去ろうとしていたマグナが、足を止めた。
言葉とは裏腹に、実際はまだ迷っている。だって、いいのかよ?本当は、止めるべきだろ。
だが、続く言葉は、思ったよりすんなりと出ていった。
「……俺も、手伝うよ」
返事がない。
膨らんでいく戸惑いに急かされるように、俺は口を開いたが、意味のある単語が出てこない。
「なぁ……その、なんだ。だから——」
「もうすぐ決行だからね。細かい打ち合わせするんだから、明日からあたし達が泊まってる宿屋に来なさいよ」
背中を向けたまま、マグナは早口でまくし立てた。
19.
「……あいよ」
俺の返事に一拍遅れて、マグナは怪訝な面持ちで振り返る。
「あいよって、あたし達がどこの宿屋に泊まってるか、分かってんの?」
「知ってる。シェラに聞いた」
「ふーん……あっそ」
なんだ、その目は。俺は別に、なにも悪いことしてないぞ。
「明日は、あのコも抜け出して来る手筈になってるから、丁度いいわ。お昼ぴったりに来なさい。遅れないでよね」
「了解、リーダー」
フン、と鼻を鳴らしたマグナは、何歩か進んで立ち止まる。
「大体、あんたは、アリアハンを出るまでは、あたしの目の届くところに居なきゃいけないんだから、あんまり勝手なことしないでよね!」
こちらを向いて、いーっと歯を剥き出す。ガキか。
ああ——俺は、はたと気付いた。
「送ろうか?」
「結構よっ!!」
力強く言い捨てて、大股でのしのしと去っていく。あんまりスカートで、そういう歩き方しない方がいいと思うぞ。
何故だかこみ上げた笑いを堪えきれずに、俺はバレないようにちょっと顔を背けて吹き出した。
この部屋、近い内に解約しないとな。
マグナが見えなくなるのを見送って、俺は自室の扉を引き開けた。